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安部公房の文学における「故郷」

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著者 金 鉉姫

出版者 法政大学国際日本学研究所

雑誌名 国際日本学

巻 6

ページ 203‑224

発行年 2009‑03‑31

URL http://doi.org/10.15002/00022610

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金  鉉 姫

安部公房の文学を「国籍不明」だとか、「無国籍」だとする見方もあるが、

実はよく見ると意外に根深く日本の現実につながっているのである。勿論「無 国籍」というのは、裏返していえば安部文学の世界性を念頭においたことであ ろうが、やはりそれは「故郷」の問題に関連してくるものである。従って、そ れは日本文学の風土から、どのようにして安部公房のような文学ができたのか、

という問題意識への一つの鍵を与えてくれることと考える。

一般的に作家と故郷との関係を考えるとき、作品とその舞台との関係や、作 者自身の自己形成をめぐる故郷との濃密な関係などを思い浮かべる。しかし、

そのような発想自体は間違ってはないだろうが、安部のように「生まれたとこ ろ」と「育ったところ」とが、各々違っている場合には、それだけではよく捉 えられないところがある。

即ち、故郷というのが「生まれ故郷」を指しているのに対して、安部の場 合はその図式が当てはまらない。またそれは安部ばかりではなく、近・現代史 における植民地主義がもたらした難民や移民などの離散と移住の状態に処した 人々の多くに見られる問題でもある。そういう立場に立って見るとき、安部は 彼の作品の中に現実の再構成という操作を持ち込んで「故郷」のあり方を描い ていることが認められるのである。従って、安部文学における「故郷」は、こ れらの問題を重層的に含んだ、彼の文学のアポリアの中の一つであるといえる。

本稿ではそのような安部文学の秘密に近づくために、彼の初期小説から『砂 の女』(1962・6 新潮社)に至るまでの主な作品に現われた「故郷」のあり方

安部公房の文学における「故郷」

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を手がかりに考察をしてみたい。

1 故ハイマート・ロス郷喪失

一個人や民族の精神活動の根源に触れていくためには、その個人や民族に固 有な時間的・空間的要素が不可欠であり、またその両者が不可分の関係にある ことを明らかにしなければならない。というのは、人間の本質を形成する個人 や民族なりの風習、考え方、歴史などを総体的に反映するのが故郷に他ならな いからである。しかし、一方では、故郷そのものは誰もが持っているものであ るが、近代の変化に富んだ歴史から来る「故郷の喪失」というアンチテーゼも 見逃すことはできない。特に帝国主義の力の論理によって生み出された深刻な ディアスポラとか、マイノリティーの問題は深い意味を内包している。

安部の場合はそれとは性格は少し違うが、旧満州での幼少年期体験と、もう 一つは敗戦体験とがそれを物語っている。つまり、旧満州の半砂漠的な風土の 中での幼少年期体験と、日本の敗戦に伴う満州国の消滅という衝撃的な体験を 通して、それが安部の文学における「故郷喪失」とどのように関わってくるの か考えてみる。

1.1 植民地体験

ぼくは東京で生まれ、旧満州で育った。しかし原籍は北海道であり、そこ で数年の生活経験をもっている。つまり、出生地、出身地、原籍の三つが、

それぞれちがっているわけだ。(中略)ただ、本質的に、故郷を持たない 人間だということはいえると思う。ぼくの感情の底に流れている、一種の 故郷憎悪も、あんがいこうした背景によっているのかもしれない。定着を 価値づける、あらゆるものが、ぼくを傷つける。

(「略年譜」『われらの文学7 安部公房』1960・2 講談社)

上記の引用から分るように、安部は東京に生まれ、旧満州で育ち、しかも両 親の出身地は北海道である。このような経歴から考えると安部は典型的なハイ

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マート・ロスだといえる。もともと故郷を持っていないということは、実は、

かえって故郷に憧れている人間、あるいはどこかに自分の拠り所がある筈だと いうことを絶えず求めつづけ、また意識して、ついには「故郷希求」に導く結 果となるのではないかと思われるのである。

瀋陽を出身地だと割切ってしまえない理由であるが、簡単に言うと、われ われ日本人はそこで植民地の支配民族として暮らしていたのだということ である。私の意識にはそういうものはほとんどなかった。しかし現実と意 識とは別である。支配民族の特徴はたとえばいま日本にいるアメリカ人で あるが、その土地の人間を人間としてよりも、植物や風景のように見ると いうことだ。つまり土地の人間は風物の一部なのである。よほど長く暮ら していても、同時に自分を見失っているのだが、その点にはめったに気づ こうとしないのだから、やっかいだ。植民地を故郷だということは絶対で きないことである。(中略)一度たずねてみたい。しかし私は帰ってきた 人間ではなく、やはり遠くから来た旅行者に過ぎないだろう。それでも、

私の夢の三分の一は相変わらず瀋陽が舞台である。

(「瀋陽一七年」1954・2 『旅』)

安部の生涯の中でほぼ 17 年間は旧満州の瀋陽が、その残りは東京が占めて いる。故郷というのが一方では、人間の誕生に関わる意味を持っていると同時 に、他方では精神的・文化的な養分を吸い取る根たるもの(成長背景や歴史的 な経路)としての意味もあるとすれば、旧満州は安部に後者、即ち精神的風土

―最近、グローバル時代の自由な混成的文化背景を経験しながら育った若い世 代とは異なる―を提供したと言える。しかし、そこには「外地」というものが 付きまとうので、簡単に故郷だともいえないところがある。その意味で、「外 地」、つまり旧満州は故郷と対立しながら同時に故郷を統合する媒介としての 二重的性格を持っているのである。即ち、旧満州は安部が幼少年期を過ごし たところでありながら、また日本の敗戦とともに消滅してしまい、日本へ引 揚げざるを得なくなったところでもある。

安部は敗戦後の 1946 年末、日本に引揚げるとすぐ作品を書き始めている。

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初期の作品は旧満州が直接作品の舞台になることもあるが、しかし、それは軍 隊や戦場の経験がある他の戦後派作家とは異なって、感傷的なリアリズムに陥 らなくて戦争あるいは敗戦というものを媒介にした新しいものの創造として文 学的出発をしているのである。戦争中、安部は現実に対する内向的な抵抗感を 持ち、その現実を徹底的に知りたいという態度を堅持しながら、それが敗戦後、

彼に何か書かせる切っ掛けとなって、戦後派文学者たちと接する機会を持つこ とになる。

安部は処女作の『終りし道の標べに』を高校の恩師の阿部六郎に見せたとこ ろ、阿部六郎はそれを埴谷雄高に送った。当時『近代文学』を創刊した埴谷は

「新しい質を持つ作家」を探していて、送られてきた安部の作品を推輓し、

1948 年 2 月『個性』に[第一ノート]に相当する部分だけが掲載された。以 後、それは同年 10 月に真善美社から、戦後新人の創作シリーズ《アプレゲー ル・クレアトリス》(全九巻)の中の第八巻として出版される。それを切っ掛 けに安部は「夜の会」のメンバーとなり、花田清輝とも交流が始まっている。

では、「戦後派」文学の概略的な地図を見てみると次のとおりである。戦後 最初に活動を開始したのは永井荷風や正宗白鳥などの老大家たちであるが、最 も石川淳とか織田作之助、太宰治、坂口安吾らの「無頼派(新戯作派)」の文 学が脚光を浴びたのである。それから中村真一郎、加藤周一、福永武彦など、

戦争中は西欧文化の養分に育てられ、戦後になって土着の日本に目を向けた「マ チネ・ポエティク」のグループがあり、それより後にして野間宏、椎名麟三、

埴谷雄高、武田泰淳、梅崎春生という、「第一次戦後派」が登場した。それに 続いて大岡昇平、島尾敏雄、三島由紀夫、堀田善衛などが頭角を現すことにな るが、時期として多少遅れていたために「第二次戦後派」グループと呼び、安 部はこのグループに属していた。

たしかに植民地で育ったこと、とくに日本主義というんでしょうか、そう いうものがいちばん強いときに植民地で育ったので、日本を外から相対化 して見る習慣がいっそうできました。 (『反劇的人間』 1973・5 中公新書)

ここで注目すべきことは、安部が日本の「内地」ではなく、「外地」で育っ

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たということである。しかも、ナショナルな共同体が強く求められるときに、

つまり戦争を間近に控えている中で、安部は旧満州にいたということである。

その頃、「内地」では、安部のいうとおり、「日本主義」が一番強い時期であっ た。ここに歩調をあわせて、通奏低音のごとく、常に語り続けられることが「故 郷」とか「郷土」に他ならなかったのである。しかしながら、安部はその故 郷を離れていたのである。このような「日本と旧満州」という物理的な距離は ついには安部に精神的な距離も与えてくれたということができる。その意味で、

彼の文学は旧満州という外側から日本を眺めることにより、その狭間で格闘す る安部自身の孤独と対面する場として確立していったといえる。

私が自分の故郷ですくすく伸びれば、いわゆる大地に即した日本的感覚、

日本的美のなかで育ったのでしょうが、ぼくはまったく違った他の世界で 育ったものだから、日本人全体がいとうべき嫌らしい存在として次第に刻 印されてしまった。

日本的なものに対する原始的な嫌悪がその頃根づいてしまった。

(『文学創造の秘密』1970・12 『審美』)

上記に引用したのは、戦後派の中でもっとも前衛的な作品といわれる『死霊』

の作家である埴谷雄高が、秋山駿・森川達也との鼎談で自分の植民地体験を述 懐している部分である。事実、埴谷雄高の作品には安部よりもっと難解な世界 が描かれている。埴谷雄高は、1910 年 1 月、台湾の新竹(本籍は福島県)に 生まれる。それは父が台湾製糖にいたことによるものであった。だから、幼少 年期は台湾の各地を転々としており、中学二年以後東京に移り住んでいる。そ の後、大学に進学するものの共産主義に興味を示したりして、転向と投獄とい う経路を経て、戦後を迎えるのである。

先述したように、安部は敗戦後、植民地から日本に戻って作家として出発し、

その出発に決定的な梃子となった埴谷は荒正人などとともに『近代文学』を創 刊して、「戦後派」文学の拠点を確保していった。この二人にとって、それは 非人間的な戦争に対する人間的な自覚、つまり人間の実存を新たに認識し直す ことに他ならなかった。従って、彼らの文学は従来の伝統的リアリズムとはま

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ったく異質な発想に基いていて、またこのような反リアリズム的・抽象的な世 界が宿っているというのは、ドストエフスキイなどの西欧文学の影響も確かに あるが、一方では植民地での体験とも無関係ではないのである。

1.2 敗戦と引揚げ体験

安部公房の初期小説の深層には戦争からの逃避と崩壊した植民地からの引揚 げという二つのモチーフが隠されている。

年譜によると、1944 年 10 月、安部は「敗戦が近いとのうわさを耳にし、肺 結核のため要休学の診断書を偽造して、憲兵の監視の目をくぐって渡満」(『年 譜』1960・12『新鋭文学叢書2 安部公房集』 筑摩書房)したという。このと き上陸した北朝鮮のある町に対する記憶が戯曲『制服』(1954・12 『群像』)の 素材となっている。ちなみに、その当時、堀田善衛や武田泰淳も上海で市民生 活をしたことがあるが、安部は瀋陽でそれを体験していたのである。そのとき、

安部は街でサイダーを作って売ったりしながら、完全に路頭に投げ出された状 態で市民生活をしていたことを明らかにしている。それから、その中で敗戦を 迎えているのである。そのときの混乱と経験が一方では『けものたちは故郷を めざす』(1957・1 ~ 4『群像』)になり、もう一方では『内なる辺境』(1968・

1 ~ 12『中央公論』)になっている。このように安部において旧満州は彼の文 学に深い影響を与えていたことはいうまでもない。

ちくしょう、あいつら、この向うに、日本があるだなんて!……しかし、

おれは本当にここに来たかったのだろうか?……もっと、ちがうところに、

行きたかったんじゃないのかな……おまけに、まだ高と一緒だなんて!…

…もしかすると、これはぜんぶ夢の中のことなのかもしれないな……。お れはまだ、あの荒野のどこかで、凍傷になりかかて、眠っているのかもし れないのだ……(中略)……ちくしょう、まるで同じところを、ぐるぐる まわっているみたいだな……いくら行っても、一歩も荒野から抜け出せな い……もしかすると、日本なんて、どこにもないのかもしれないな……お れが歩くと、荒野も一緒に歩きだす。日本はどんどん逃げていってしまう のだ…… (『けものたちは故郷をめざす』)

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この引用で分るように『けものたちは故郷をめざす』には主人公の荒野(旧 満州)から故国(日本)に向かう苦難の旅程が克明に描かれている。主人公の 久三は密輸船に乗り込んで日本の領海までもどってくることができたが、高石 塔という青年が運んできた阿片に巻き込まれ、その二人は船艙に閉じ込められ、

日本に上陸することができない。勿論これは、作中の主人公の絶望的な状況で あるが、もう一つは、国家が崩壊し、後ろ盾となる国籍や民族やイデオロギー がすべて剥がれて、一人置き去りにされた久三の内面の姿でもある。先述した ように、この作品は崩壊した植民地からの引揚げの体験がその背景になってい る。かつて安部は国外、即ち旧満州から国家の解体を経験し、幼少年期の成長 体験とともに一番根本的な体験として自分の文学を成立させていったのであ る。事実上、旧満州という国家は一定期間が去れば幕を引かなければならない 舞台装置のようなものに過ぎなかったのである。 吉田凞生によれば、「久三は

『日本』という『故郷』を知らぬ満州育ちの少年の一つの型を明瞭に示しており、

高石塔は満州事変以後の中国における、言わば、中国系満州人がたどる運命を、

同じく明瞭に示している」(1971・1 『解釈と鑑賞』)のである。

……戦争中、ぼくは実存主義者だったんだよ。それで『終りし道の標べに』

を書いたんだね。「存在は本質に先行する」という思想さ、しかしこのテ ーゼはすこぶる自己否定的だね。しがみつこうとすればするほど、はねか えされる。実存主義がこわれはじめたのは、終戦後の体験だよ、瀋陽に一 年半ばかりいた。社会の基準が徹底的にこわれるところを目撃して来たわ けだ。恒常的なものに対する信頼が完全に失った。俺にとっちゃ大変あり がたいことだ。 (『解体と総合』1956・2 『新日本文学』)

このような敗戦体験によって、安部にもともとあったハイマート・ロスの問 題は一層より深化させられていることが分る。それを全面的に形象化したのが、

『けものたちは故郷をめざす』である。

旅は歩みおわった所から始めねばならぬ。墓と手を結んだ誕生のことを書 かねばならぬ。なぜ人間はかくあらねばならぬのか?……ああ、名を呼べ

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ぬ者達よ、この放浪をお前に捧げよう。 (『終りし道の標べに』)

前節で見たように安部は東京で生まれ、翌年旧満州に渡っていく。それから、

中学時代までそこで過ごし、また東京に舞い戻ってくるが、再び敗戦直前に旧 満州に向かうのである。実際この小説のタイトルのところに、そのとき一緒に 行った「亡友・金山時夫」への献辞が語られている。これについて磯田光一は、

「祖国に対する憎しみを抱き続け、旧満州で一生を終えた友人への想いを通し て、旧満州も『故郷』とはなり得ない状況」(『『終りし道の標べに』の改正』

1972 『安部公房全作品1 月報』 新潮社)だと指摘している。

旧満州は歴史的に見ると、1932 年に建国された日本の傀儡国家である。1931 年の満州事変以後、関東軍によって清朝の最後の皇帝である溥儀を擁立して建 てられた満州国は、1945 年日本の敗北とともに崩壊した。表面的には関東軍 の独走であるが、事実は日本陸軍の北進政策と満鉄の資本との結合によって成 り立っていたものであった。

しかも、当時の満州には日・中・蒙・朝・ロシアの人々が混在していた。旧 満州に居住する日本人は日本国民であると同時に「旧満州国民」でもあったの である。1945 年の敗戦は、こういう「二重性」から脱するようにはなったが、

安部のように幼少年期を過ごした世代には、「日本」を故郷として実感するこ とはできなかったのである。彼らにとって「日本」とは教科書の中に書かれて いる―教科書にはサクラ・フナと書いてあるが、旧満州補助教材にはその代わ りにアンズ・ライギョということになる―異国に過ぎなかった。敗戦とそれに よる満州国の消滅、それから引揚げという未曾有の歴史的な体験は、彼らに莫 大な混乱を呼び起した。このように 20 世紀の旧満州は、辺境あるいは異文化 の接触点でもあった。

八月十四日、僕はコレラにかかり、部隊はぼくを馬小屋にとじこめて出発 してしまった。夕方になって、やはり北から敗走してくる別の部隊が通り かかった。 (『変形の記録』1954・4 『群像』)

安部文学において旧満州は一つの材料としてよりも深層的な本質に近づく

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ための方法として用いられている。たとえば変身、流動、逃走などのモチーフ は旧満州での移動的で不安定なあり方に基づいていることは周知のとおりであ る。『変形の記録』でも分るように、日本が敗戦直前の 8 月 14 日の時点でコレ ラに罹って荒野に捨てられた主人公の状況というのは敗戦当時の旧満州と一致 している。それは日本と旧満州という「二重性」の中から彼が如何にして自分 の故郷を見つけていくのかという「故郷希求」の問題に直結するものであると 思われる。このような「故郷喪失」に象徴されるアイデンティティーの危機と いう問題は安部ばかりではなく、現代文学においてもっと複合的で重要な切っ 掛けになっている。

2『砂の女』に見る「故郷」のあり方

2.1 「迷い」―出発の前提

安部公房における「故郷」の問題は、「定着を価値づける、あらゆるもの」

の概念を意味している。たとえば『壁―S・カルマ氏の犯罪』(1951・2『近代 文学』)では「名前」を、『他人の顔』(1964、新潮社)では「顔」を、『赤い繭』

(1950・12 『人間』)では「家」を、それぞれ「故郷」のイデーとして捉えている。

ちなみに、安部文学の全般に流れているテーマの一つとして、故郷から脱出し て故郷を探し求めてさまよう(ユダヤ人)というものがある。それは先に述べ たように、各々の主人公たちが失っているもの、即ち「名前」、「顔」、「家」―

故郷のイデー―を探していく過程のメタファーである。『けものたちは故郷を めざす』がその原型であるとすれば、『砂の女』の場合は、その到達点を示し た作品であるといえる。

まず、『砂の女』の冒頭部分を見ると、「まるでこれから山登りでもするよう に、ズボンの裾を靴下のなかにたくしこんだ、ネズミ色のピケ帽の男」が「山 とは逆方向に向うバス」に乗って、終点に降りるところから始まっている。彼 は海辺に向って、さらに歩き続けている。確かに彼が目指すところは海に違い ない。ところが、彼が歩いている道は、海に向う下り道ではなくて、次第に上 り道になっている。それはまったく予期に反した道である。さらにおかしいの は、その道に沿って作り上げられた家並との関係であるが、家の建っている位

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置より、道が高くなっているということである。即ち、すべての家が、砂の斜 面を掘り下げ、そのくぼみの中に建てられている。

砂丘の稜線が平たくなって、海と反対の側に、張り出している部分があっ た。いかにも獲物がありそうな感じにさそわれて、ゆるやかな斜面を降り てゆくと、(中略)不意に視界が切れて、深いほら穴を見下ろす、崖際に 立っているのだった。

穴の中は、周囲の明るさとは対照的に、すでに日暮がせまっていることを 告げていた。 (『砂の女』、以下『砂の女』引用文は表記省略)

安部はかつて『赤い繭』で空っぽの繭の中での「途絶えた時間」を描いてい た。それは赤色が意味するように夕日に赤く染まった日暮れの帰家時間を暗示 している。それで主人公が自分の家を探すために歩き続けた末に辿り着いたの は意識の中の論理によって見つけた「家」にほかならなかった。その家は主人 公の「おれ」が消えることによって獲得できた繭である。すなわち、赤い夕日 に染まった空っぽの繭の中から連想される平穏な夕方を一点として時間を停止 させることによって、現実の「おれ」は止まったまま、いつまでもその中に一 人ぼっちとして在ということである。これは『砂の女』の結末の部分にも通 じるものであって、安部が抱えた迷子のイメージが初期から一貫して描き続け られていることが窺われるのである。

前章でも触れたように、敗戦当時、安部は旧満州で占領軍によって家を奪われ、

街を転々としたことがある。そのためか、彼の初期の旧満州を背景にした作品 には中期以後の都市や砂漠の迷路という彷徨のイメージがよく描かれている。

例えば、『変形の記録』や『けものたちは故郷をめざす』がその代表的作品だ といえる。ここには旧満州からの敗戦体験という歴史的な事件が素材となり、

敗戦と引揚げの問題が主なテーマとして取り上げられている。つまり、それは 辿り着くべき「故郷・故国」は本当にあるのだろうか、という存在論的本質と して「故郷喪失」の問題にも結びついていくのである。

夢の中で、彼は、使い古しの割箸にまたがり、どこか見知らぬ街のなかを

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飛んでいた。割箸は、ちょうどスクーターのような乗り心地で、さほど悪 くもないのだが、ちょっと気をゆるめると、たちまち浮揚力を失ってしま うのだ。街は、近くのほうが煉瓦色で、遠ざかるにつれて、緑色にかすん でいく。その色の配合には、妙に不安をそそるものがあった。やっと、兵 舎のような、長い木造の建物にたどりついた。

このように、「故郷喪失」の意識の内部には旧満州での記憶と、またそれに よる「迷い」が夢の中での空中浮揚という形で現われている。安部はかつて超 現実主義の影響を受け、無意識の自己表出が如何にして芸術となりえるのか、

という問題に悩んでいた。彼はダリの《偏執狂的批判活動》からその回答を得 ており、「ノイローゼにかかったような現実が社会的現実」(『シュールリアリ ズム批判』1949・8 『みづゑ』)となったため、意識の深層作用というものが重 要な意味を持ってくるといっている。

安部の作品に用いられている「日暮れ」や「たそがれ」のような時間的軸と、

「ほら穴」、「蜂の巣」のような空間的軸の二つをつなげていくと、そこに幾層 にも広げられる螺旋構造を見出すことができる。したがって、このような構造 の上に砂丘があるため、そこは入口も出口もない迷宮であって、その迷宮は作 品の中で生きて動き出し、こちらでも向うでもない、そのいずれも止揚した新 しい地平を開いていく。したがって、無機的で抽象的な砂漠の中の迷いはその 出発のための前提だといえる。

2.2 迷宮としての砂丘と閉鎖的共同体

砂漠は乾燥を本質とし、生気のない、荒々しい世界として、そこの人間は、

部族の命令に絶対に服従しながら団結しなければならない。人間は個人として は砂漠に生きることができない。したがって『砂の女』の「女」も村人と協力 して砂の流動に対応しなければならない。その証として、水や食物を得るため に、彼女は毎晩砂掻きをしなければならないのである。

部落の側を振り返ると、砂丘の頂上に近いほど深く掘られた、大きな穴が、

部落の中心にむかって幾層にも並び、まるで壊れかかった蜂の巣である。

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砂丘に村が、重なりあってしまったのだ。あるいは、村に砂丘が、重なり あってしまったのだ。いずれにしても、苛立たしい、人を落ち着かせない 風景だった。

もともと出発のときは昆虫採集のために家を出たが、日が暮れ、ある老人に よって案内されたところが砂丘の穴の中の一つであった。ところが、そこは彼 にとってただ昆虫採集のための現実逃避の場ではなく、もっと厳しい現実の延 長線上におかれているところであった。典型的な村落共同体の形であるといえ る部落があり、またその共同体の生け贄である「女」と共生しているのである。

一言でいえば、その砂丘は「個人と共同体」、「都市と村落」、「孤立と連帯」が 絡み合っている迷宮だといえるのである。

女が、あの賽の河原に、なぜあれほど執着しなければならないのか、さっ ぱりわけが分からない……「愛郷精神」だとか、義理だとか言っても、そ れを捨て去るとともに、一緒に失うものがあって、初めて成り立つことで はないか……いったい彼女が、失う何を持っていたというのだ?

まず「女」と村人たちとの関係を見ると、村人たちは、彼女が集めた砂をモ ッコで穴の上に引き上げ、オート三輪で運び去るが、彼らの協力ぶりに彼は感 嘆する。彼女はそれに答えて、「はい……うちの部落じゃ、愛郷精神がゆきと どいていますからねえ」と言いながら、笑っている。その笑いの意味はなんだ ろうか?「愛郷精神」とは、文字通り、故郷を愛する心である。しかし、そこ は彼女の故郷ではない。それにもかかわらず、彼女が「愛郷精神」と云々する のは、彼女にとって砂丘そのものが故郷ではなくて、あくまでも生活の場とし て言っているのである。彼女に砂丘は生まれ育った故郷ではないが、そこに住 む者にとっての現実に関ってくるはずである。

なにも、こんな風に強制までされなくたって、あんがい、自発的に協力す る気になっていたかも知れないくらいだ……本当だとも!……この実情を 見れば、協力したくなるのが、人情ってものでしょう? しかし、だから

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と言って、こんなやり方だけが、果たして真の協力だろうか? ……ぼく は疑いますね……もっと他に、適切な協力の方法が考えられなかっただろ うか?……

しかし、彼女がそこを離れられない理由というのは、以前台風の日に、家畜 小屋と一緒に埋められてしまった、亭主と子供のためである。「愛郷精神」と は全然関係ない。それにもかかわらず、彼女は部落と協力しているのである。

このような彼女のおかしなあり方から一つの手がかりが見つけられる。即ち、

その裏には彼女の亭主と子供の骨探しを種にする人間の人情と義理を利用しよ うとする部落の土着勢力によって強制に作られた偽共同体が隠されているので ある。その偽共同体というのは意志を持たない食肉植物のように強い粘り気を もっている。それで一度引っかかったら、なかなか抜け出すことができない。

つまり、「女」と部落との関係は外見上自発的協力関係に見えるだけである。

このような事に気づいた彼は「女」の置かれている状況がはっきりしてくる にしたがって、ますますその不安感が深まっていく。それは毎晩砂掻きをしな ければならない「女」の仕事が「賽の河原の石積みみたいなものをしたって、

仕方がないだろう」というように、いつまでも終わるはずがないからである。

この砂の穴での生活の実体が明らかになることにつれて、悪夢的な雰囲気は次 第に強度が増していく。

すると、女のこの仕種と沈黙は、とほうもなく恐ろしい意味をもってくる。

まさかと思いながらも、心の奥底で、いちばん案じていた不安が、とうと う的中してしまった。縄梯子の撤去が、女の了解のうちの行われたことの、

これは明白な承認にほかなるまい。女は、まぎれもなく共犯者だったのだ。

当然、この姿勢も、はじらいなどという、まぎらわしいものではなく、ど んな刑罰でも甘んじようという、罪人、もしくは生け贄の姿勢にちがいな い。まんまと策略にかかったのだ。蟻地獄の中に、とじこめられてしまっ たのだ。うかうかとハンミョウ属のさそいに乗って、逃げ場のない砂漠の 中につれこまれた、飢えた小鼠同然に……。

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主人公は日常(職場・家庭)から脱して、少しずつ砂の中の生活に自分を慣 らしていくことによって、「女」との関係も協調的になっていく。勿論それは 逃げ出す切符を得るための一時的な措置に過ぎない。そのような状況の中で、

彼は脱出への意欲を燃やし、そのための方法を講ずるのだが、途中で水を発見 することによって自己の内部に変化を起こすことになるのである。

2.3 脱出と定着

そう……十何年か前の、あの廃墟の時代には、誰もがこぞって、歩かない ですむ自由を求めて狂奔したものだった。それでは、いま、はたして歩か ないですむ自由に食傷したと言いきれるかどうか?現に、おまえだって、

そんな幻想相手の鬼ごっこに疲れはてたばかりに、こんな砂丘あたりにさ そい出されてきたのではなかったか……砂……1/8㎜の限りない流動…

…それは、歩かないですむ自由にしがみついている、ネガ・フィルムの中 の、裏返しになった自画像だ。

「いま」の時代を『砂の女』が執筆される当時だとすれば、「十何年か前の、

あの廃墟の時代」というのは、ちょうど敗戦を前後にする貧困と混乱の時代で あることはすぐ分るものである。そのように仮定すればその当時安部を始め、

多くの人々は「歩かないですむ自由」を求めて歩きつづけていたであろうこと も想像に難くない。

第一章第一節で触れた「無頼派」の作家たちの文学について、高橋和巳は「世 界の荒廃をみずからの荒廃としてひきうける姿勢があり、それゆえに荒廃の叙 述ではなく、その意味の開示がふくまれていた」(『戦後文学の思想』1969・2 筑摩書房)ことが広範な大衆の共感を得た理由だといっている。戦争が残した 遺産として殆どの人々は現実の廃墟をみずからの運命として引き受けざるを得 なかったであろう。

では、「いま」、即ち高度成長期の人間たちは何を起点として、何のために歩 き続けなければならないのだろうか、という疑問が生じる。1960 年代の経済 の高度成長というのは日本の社会構造の変質と大衆社会化の到来を惹起した、

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日本の歴史上にも重大な転換期に当るものであった。それは国民総生産(GNP)

の飛躍的増大だけではなく、政治・社会・文化などのあらゆる分野に大きな変 化をもたらした。一方、1960 年の安保反対闘争後の学生・青年たちを中心に する虚脱感や時代状況の混迷は、未来を透視する現実認識を必要とすることに なったのである。

ここで見逃してはならないことは、すでに日本共産党から離れた学生運動の 中で、これまで読まれたことのなかった埴谷の著作が、一般大衆たちに読まれ るようになったというのである。それは安部も同じであるが、現実と遊離せず、

現実との緊張を保ちながら、例えば戦後民主主義の脆弱性や経済至上主義のよ うな、社会の底辺にさ迷う、いわば現実の裏面をその起源に遡って根本から問 いかけるのであった。

では、『砂の女』をこのようなコンテキストから読めばどうだろうか。

主人公の仁木順平は、初めは昆虫採集のために砂丘に向かって歩きはじめ る。しかし、それはそれですむことではなく、主人公が砂丘の穴の中に閉じ込 められてしまうということである。経済の高度成長は廃墟の時代の人々に「歩 かないですむ自由」は与えてくれたかもしれないが、かえってそれは「歩かな いですむ自由に食傷した」という結果を生み出しているのである。即ち、廃墟 の時代における自由が高度成長による豊かな生活だとすれば、今度(1960 年代)

はいままで求め続けてきた自由からアイデンティティーや思想、精神といった ものに関わる自由を求めて歩き続けなければならなかったのである。それが仁 木順平の<歩き続き>の持つ意味である。つまり、無意識にやってきた砂丘の 穴の中に閉じ込められることによって、「歩かないですむ自由」が如何に恐ろ しいものかが見えてくるのである。

人間の顔と動物の体との結びついているスフィンクスは、魂と肉体との対 立を、対立のまま、統一している状態であり、それが両者の対立を形式論 理的に二者択一の問題として取りあげず、魂による肉体の支配だとか、肉 体による魂の支配だとかを、いずれも感傷的な態度としてしりぞけながら、

魂と肉体とのもつれあい、からみあっている状態を、―その状態だけを本 質的なものと見做し、無用の煩悶に耽らず、悠々と砂の上に寝そべってい

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るありさまは、まさに砂漠的精神の“乾燥したはげしさ”(dry hardness)

を物語るものとして感心するほかはない。

(花田清輝 1947・9『二つの世界』―「砂漠について」月曜書房)

先述の針生との対談『解体と総合』にも触れたように、戦争中実存主義者だ った安部は旧満州での敗戦体験によって、それまでとはまったく異なる世界観 を持つようになる。勿論、ここには当時世界的にはやっていた超現実主義の影 響も無視できないが、もっともその理論的な背景になるアヴァンギャルド芸術 理論を日本に紹介した花田清輝の影響を見逃してはならない。

当時花田は、『復興期の精神』(1946・5 真善美社)で、ヨーロッパの古典を いわゆる西洋教養主義でなく、それを日本の社会と時代に基づいて批判的にと らえているのである。即ち、敗戦後の状況を転換期あるいは転形期としてとら えて、それに如何に対処するか、または如何に生きるか、ということを探求し、

それとヨーロッパのルネッサンスが重なり合って、転形期の生き方というテー マができていたといえる。だから、引用でも分るように、「魂と肉体との対立を、

対立のまま、統一」している状態、つまり矛盾の対立とそれの統一というもの であり、まったく異質なものを結びつける詩的直観によって未知の現実を切り 開いて行く方法を見せているのである。

『砂の女』における「砂」は、主人公の置かれた内的現実と外的現実とのず れのメタファーとして働いている。花田の「砂漠的精神の乾燥したはげしさ」

から窺われる砂の内なるイメージに近づけば近づくほど主人公の内的現実はも っと充実してくる。つまり、主人公が砂の中にいながら、次第に砂の本質に気 づくことになり、ついには砂の底から水が滲み出るようになる。

砂の不毛は、ふつう考えられているように、単なる乾燥のせいなどではな く、その絶えざる流動によって、いかなる生物をも、一切うけつけようと しない点にあるらしいのだ。年中しがみついていることばかりを強要しつ づける、この現実のうっとうしさとくらべて、なんという違いだろう。

このようにもともと砂は流動するものであるが、『砂の女』における「砂」

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はそこに暮らしている人間までもが流動しなければならないように働きかけて いる。その「砂」を通して、主人公を自分の根源的な実存への問いかけ、即ち「故 郷」を求めさせる一つの原動力であることが分る。乾燥極まらないあの砂の中 から水が吹き出てくるということは、すでに物質的・科学的な問いを越えた人 間の内面の問題だということができる。

この砂全体がポンプなのだ。まるで、吸上げポンプの上に座っているよう なものである。男は、動悸を静めるために、しばらくは、息を殺して、じ っとしゃがみこんでいなければならないほどだった。

安部の作品の中で砂丘が思索の場所として登場する例は他に『壁―S・カル マ氏の犯罪』がある。そこでも同様に、主人公が砂の上に膝を抱いて座り、な ぜぼくがここにいるのかという問いを考えている。以下の引用から見られるよ うに、主人公が思索の末に発見したのは「壁」に他ならない。

壁は大地の圧力で押出されるように、あるいは辺りの空虚さのために吸上 げられるように、ぐんぐん成長していきました。

間もなく壁は見渡す限りの荒野の中に、ただ一つの縦軸として塔のように そびえ立ちました。 (『壁―カルマ氏の犯罪』)

『砂の女』の主人公が砂の底から吸上げられる「水」を発見したように、カ ルマ氏は限りない砂丘の地平線からそびえてくる「壁」を見つづけているので ある。つまり、『砂の女』でも、『壁』でも「砂」は主人公の意識に動力を吹き 込むポンプに他ならないというのである。砂の底から水を見つけることによっ て、今までの自分とは異なる新しい現実に堪えられる認識の変化をもたらすこ とになる。換言すれば、それは単に日常への復帰ではなく、日常の回復である。

そこには悲劇的個人主義も、人間性の喪失や破壊もない、まっとうな一人前の

「おれ」が存在するだけである。したがって、「砂」の持っている本質的なあり 方というのも、ついには砂それ自体が持っている乾燥した性質より、その中に 抱えている湿気の方にその根本的なイメージを見出すべきである。

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それは「死んだ有機物から生きている無機物へ」と変化・拡大する切っ掛け として働きかける。即ち、現実に安住しようとする日常的自我から現実を克服 しようとする実践的・能動的自我へと変っていくのである。以前の「名刺」(『壁

―S・カルマ氏の犯罪』)が有限的で逃避的な自我であるのに対して、以後の「壁」

は本質的で無限な自我を想定していることが分かる。

穴の中にいながら、すでに穴の外にいるようなものだった。振向くと、穴の 全景が見渡せた。モザイクというものは、距離をおいて見なければ、なかな か判断をつけにくいものである。むきになって、目を近づけたりすると、か えって断片のなかに迷いこんでしまう。一つの断片からは抜け出せても、す ぐまた別の断片に、足をさらわれてしまうのだ。どうやら、これまで彼が見 ていたものは、砂ではなくて、単なる砂の粒子だったのかもしれない。

もともと「土」は生物が作り出す有機物であるに対して、「砂」は石や鉱物 の風化作用によってできた無機物である。この両者は人間が生きていくことに おいて必要不可欠なものである。重要なのは人間にとって最も根源的な、即ち 底に蠢いている生活の感動みたいなものであると思う。安部流にいえば、我々 の人生で、この根源的な感動を排除した場合、何が残るのかが問題なのである。

それが主人公においてはどういうあり方をし、現在(結末以後)彼はどういう 形であり続けているのか、ということである。

別に、あわてて逃げ出したりする必要はないのだ。今、彼の手のなかの往 復切符には、行先も、戻る場所も、本人の自由に書きこめる余白になって 空いている。それに、考えてみれば、彼の心は、溜水装置のことを誰かに 話したいという欲望で、はちきれそうになっていた。話となれば、ここの 部落のもの以上の聞き手は、まずありえない。今日でなければ、たぶん明 日、男は誰かに打ち明けてしまっていることだろう。

逃げるてだては、またその翌日にでも考えればいいことである。

安部の作品には、脱出への願望はあっても、それを実行には移していない。

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『けものたちは故郷をめざす』もそうであるが、『砂の女』の結末も例外ではな い。それは彼にとって「脱出と定着」というのが、ついにはメビウスの輪のよ うにねじれながらつながっているからである。即ち、主人公の仁木順平は日常 の義務のわずらわしさと無為から逃れるために昆虫採集という名目で砂丘にや ってきたが、彼は結局日常に戻らないまま終わってしまう。それから 7 年後、

法廷では彼を失踪者と判決を下している。

仁木順平にとって、もう日常に戻るというのはもはや意味がない。向うの方 から見れば砂丘はポジ(憧れ)な動機を持っているが、それに対して砂丘の方 からすれば向こうはネガ(悲劇的個人主義・人間性の喪失・破壊)に見えるか もしれない。そのようなネガの面が砂と昆虫によってポジな動機に働きかけて、

ついには砂丘と向こう側の二つが相殺することになるのである。

つまり、粒子の重さと抵抗が作り出される砂の「安定角」というものが、主 人公が挑戦しようとする砂の壁の傾斜に比例して、ついには彼は砂の中にいる ということになっているのである。

安部作品の基底には以上で分るように「故郷喪失」と「故郷希求」との二つ の相反する意識が潜んでいることが窺える。「故郷の喪失」も「故郷への希求」

もいずれも「故郷を持たない」というところから出発しているから、「帰るとこ ろもない」というところに帰結する。そこには砂漠に住んでいる昆虫や遊牧民の ように片道切符だけで生きて行かざるを得ない厳しい恐ろしさが含まれている。

したがって、このような安部の「故郷喪失」ということを通して、日本人あ るいは現代の人間が処したもう一つの「故郷喪失」―経済成長とともに齎され た、いわゆる日本的感性の喪失―を読み取ることができる。日本は戦後 10 年 ほどで高度成長期を迎えながら、多くの人々が戦前の村落共同体に象徴される 田舎を離れ、都市へと働きに出てくるという、社会それ自体の変質を経験する。

つまり、『砂の女』の場合、この作品の表面的な背景には砂丘が登場してく るが、その裏面には都市の日常というのが隠されているのである。それは日本 の新たな現実を見つめ、敗戦直後とは異なる観点から現実を切り取っていった

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安部特有の発想の産物である。その意味で、安部は「故郷喪失」というマイナ ス状態の現実を文学の題材にして、プラスの相乗効果を創り上げた、日本文学 史においても希有の存在だと言える。

安部は処女作『終りし道の標べに』で示したように「人間は何故このように あらねばならぬのか」という実存への疑いをもとにして、「人間はなぜこうい うふうに定着していなければならないのか」という問いを提起し続けてきたと いえる。またこのような問題意識は以後「都市」をテーマとした作品につなが っていく。都市とは人の集まるところであるが、集まれば集まるほど「定着」

への問いがさらに強くなって、ついには失踪に至り、こうして「人間はなぜ失 踪しなければならないのか」というふうに膨らんでいくのである。これが安部 流の弁証法的解法であり、安部文学の核を常になすものなのである。

最後に、本論の完成において、日本文学部の堀江拓充先生のご指導鞭撻に感 謝します。

(22)

<ABSTRACT>

‘Home’ in ABE Kōbō’s literature

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Some people say that ABE Kōbō’s works are devoid of nationality or national identity. However, a closer observation will reveal that they are, to some extent, inadvertently rooted in the realities of Japanese society. This proposition evokes the question of ‘home’ in Abe’s literature. In general,

‘hometown’ refers to a place where a person is born, but this premise does not apply in his case.

Firstly, his ‘homelessness’ is discussed with reference to his experiences in Manchuria and the defeat in war of his youth. This sense of ‘homelessness,’

which implies not having a hometown, might have worked to create a certain longing for a home and to force the writer to be constantly conscious and eventually desirous of a home.

Secondly, in reference to ‘The Woman in the Dunes,’ it is pointed out that the ‘sand dunes’ are used as a medium to make the protagonist pose an existentialist question about his being, as well as an engine that drives him to seek a home. The protagonist finds water under the dunes and sees changes in his perception that help him to adapt to a new reality. This means more than the simple return to a normal daily life; that is, it means the recovery of normal life, of the basic necessities that support human life. There is no hint of pessimistic individualism or lost or destroyed humanity, but rather a sense of the individual as a whole being. In this regard, the source of the ‘dunes’

inconsistency’ will be found in the moisture underneath the dunes rather than in the dryness of the sand.

As noted above, the two opposing ideas of ‘loss of home’ and ‘desire

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for home’ underlie Abe’s works. Both notions depart from the premise of

‘having no home,’ leading to the conclusion that ‘there’s no place to return.’

This suggests a stern reality where people are subjected to a life on a one-way ticket, like desert insects and nomads.

In short, Abe’s ‘homelessness’ provides a lens through which we can mirror the ‘homelessness’ of Japanese or modern society as a whole. It may be necessary for the Japanese, who have undergone both a tragic war and remark- able economic success, to ponder on their past and their undoubted sense of community. ABE Kōbō is a rarity in the history of Japanese literature in that he uses the unfavorable state of a ‘homeless’ reality to create a powerful synergy.

参照

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