日本外交の理論的研究とは何か
著者 川崎 剛
雑誌名 同志社法學
巻 58
号 4
ページ 151‑178
発行年 2006‑09‑30
権利 同志社法學會
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000010963
日本外交の理論的研究とは何か 一五一同志社法学 五八巻四号
日本外交の理論的研究とは何か
川 崎 剛
一 はじめに
過去一五〇年に渡る日本の外交
︑
つまり近代日本外交を振り返れば波瀾万丈という言葉がまさに当てはまろう︒
一九世紀半ばに植民地化の危機に直面したものの
︑
二つの対外戦争に勝ちぬき︑
第一次世界大戦後は帝国主義列強の一つと数えられるまでになった
︒
しかし︑
第二次世界大戦では本土が焦土と化し︑
日本は敗戦を迎え︑
さらにはその歴史初の外国勢力による占領の憂き目にあう︒
にもかかわらず︑
その後の五〇年の間には︑
戦争に一回も直接巻き込まれることなく過ごすことができ
︑
世界第二位の経済力も蓄えた︒
戦争と平和︒
栄光と挫折︒
近代日本外交史にはこれらの要素がすべて含まれている︒
近代日本が歩んだこのようなドラマチックな軌跡は歴史学者によって克明に記録され
︑
第一次資料に基いて数々の事︵一四五七︶
日本外交の理論的研究とは何か 一五二同志社法学 五八巻四号
実が明らかにされてきた
︒
彼らによる研究の量は膨大なものであり︑
大変貴重な知的資産をなしている ︵︒
歴史研究のイ 1︶ンパクトは学術的貢献の枠を超えており
︑
政治的論争はおろか日本人のアイデンティティー形成にをも影響を与えているという意味で欠かすことができない社会的貢献をもなしている︒
国際史とりわけ日本海軍史の分野において麻田貞夫先生もこの知的活動に長年参加され
︑
その学術出版物を通して多大なる貢献をなされてきた︒
一九九三年に発刊された先生の﹃
両大戦間の日米関係―
海軍と政策決定過程﹄
に吉野作 造賞が授与されたのは︑
まさに先生の貢献度を象徴する出来事であったといえよう ︵︒
2︶このような歴史研究が
︑
日本外交研究の中心的地位をこれまで占めてきたわけだが︑
歴史研究の蓄積を国際政治理論で体系的に分析していくという作業は未だに発展途上中である
︒
日本外交研究全般のバランスのとれた進展をはかるには︑
そのような﹁
理論的研究﹂
のさらなる蓄積が必要といえよう︒
つまり歴史研究と理論的研究とが両輪のごとく発展するのが望ましい
︒
しかし︑
日本外交の理論的研究が未だに数少ない現段階で必要なのは︑
やみくもに研究量を増やすことではなく︑
まずはそのような研究が前提とする知的枠組みを明確にし︑
整理すること―
つまり基礎論の確立―
である︒
それがなければ体系的な知識の積み上げが不可能となるし︑
また︑
歴史家からの誤解を生んでしまうことにもなりかねない︒
具体的には次の三つの根本的な疑問点を本稿は明確にする
︒
︒
研究なのか必要に研究の日本外交がうな⑴
理論的研究そしてなぜそのよ︑
するのか意味を何とは⑵
そもそも︑
ここでいうところの理論とは何か︒
その基本的特徴はいかなるものなのか
︒
健全どのようなものがあるのかで本格的の理論的研究の日本外交
︑
することにより整理を基本的論点これらの︒
ばすれ⑶
日本外交すると分類を研究つまりそのような︒
がありえるのか形態にはどのような理論的研究する関にな発展に本稿は貢献せんとするものである
︒
︵一四五八︶日本外交の理論的研究とは何か 一五三同志社法学 五八巻四号 二 問題の所在
―
なぜ理論的研究が必要なのか そもそも︑
なぜ外交史を中心とする日本外交研究の現状に問題があるのであろうか︒
本稿の立場を明確にするためにあえて論争的な形でいうならば︑﹁
誰がどこで何をなぜしたのか﹂
という史実発掘作業だけでは近代日本外交史の本質は把握できないからである
︒
そのような﹁
本質を把握する﹂
作業には︵
国際政治︶
理論の使用が欠かせない︒
実は洞察力でもって歴史家たちが﹁
歴史を読む﹂
あるいは﹁
歴史の教訓を引き出す﹂
といったような作業はまさにこの﹁
本質を把握する
﹂
作業であり︑
彼らはなんらかの理論を暗示的に使用しているに過ぎないのである︒
それを︑
もっと明示的にすべしというのが本稿の主張である︒
もちろん史実は大切ではある
︒
しかし︑
史実の記述のみでは説明は成り立たない︒
説明は史実とは独立した理論がないと不可能なのである︒
例えば︑
リンゴが木から落ちる場合を考えてみよう︒
リンゴが落ちるという事実︵
の観測あるいは記述
︶
のみからは﹁
万有引力ゆえにリンゴが地球に近づいた﹂
という説明や︑
その説明が由来するニュートン力学という理論︑
そのいずれをも論理的に引き出せない︒
リンゴの落下という事実はニュートン力学とは別の理論でもっても説明可能だからである
︵
例えば﹁
神の意思でリンゴが地球に引き寄せられた﹂
というもの︶︒
同様に︑
近代日本外交における政策決定過程を時系列的に確定したとしても
︵
つまり︑
誰がどう判断し行動したかを史料に基づいて正確に再現できたとしても︶︑
その作業自身はここでいう説明や理論を構成しない︒
史実の記述とは本質的に異質な知的作業︑
つまり理論でもって
︑
とりわけ国際政治理論でもって説明するということが︑
近代日本外交研究に必要なのである︒
このような立場に対する正面からの反論として考えられるものは
︑
いわば﹁
純粋史実記述主義﹂
ともいうべき立場で あろう︒
つまり︑
上でいうような説明―
あるいは説明の裏付けとなる理論―
というようなものと史実を全く切り離︵一四五九︶
日本外交の理論的研究とは何か 一五四同志社法学 五八巻四号
して
︑
史実のみ追求するという﹁
純化した﹂
歴史家の立場である︒
たしかに純粋史実記述主義は―
それが本当に実践 可能かどうかという点は別にしても―
ひとつの立派な見識であろう︒
にもかかわらず︑
歴史家が史実を通じて﹁
歴史の教訓﹂
を得ようとしているという現実に直面した時︑
純粋史実記述主義のもつ説得力はかなり弱くなると言わざるをえない
︒
なぜなら上でふれたように︑﹁
歴史の教訓﹂
を得るという姿勢はまさに説明や理論を求める姿勢に他ならないからである︒
したがって
︑
史実︵
あるいは事例︶
は説明や理論と一対となっている実態を歴史家たちも認めざるをえない︒
ところが︑
個別的史実と一般的説明・
理論との間の関係を明確にした研究―
それが本稿のいうところの﹁
理論的研究﹂
であ る―
が数少ない結果︑
様々な問題を日本外交研究は抱えている︒
この点をより正確にいえば︑
次のようになる︒
まず︑﹁
理論的研究﹂
とは︑﹁
諸史実をなんらかの社会科学的分析方法 を通して一般的な説明や理論とに結びつけるような研究﹂
と定義できよう ︵える要素の二要素が
﹁
社会科学的分析方法﹂
という第三のに理論よって結ばれている研究と言い換﹂
と﹁
と一般的説明︒
はそのような研究実︑﹁
史あるいは事例﹂
3︶ことができる
︒
そして︑
この定義に照らせば︑
歴史学を中心とする現在の日本外交研究の抱える問題は次の二点にまとめることができよう︒
⑴
結ばたとえ︒
にある傾向びつけられるが社会科学的分析方法一般的説明と事例さずに介を既述のとおり
﹁
歴史の教訓﹂
を日本外交の経験に関して抽出しようとする際にこの傾向が見られる︒
その結果︑
信頼性の低い推論結果しか導けない︒
⑵
そもそも︑
日本外交における個別的事例を一般的説明︵
あるいはその上位概念である国際 政治理論︶
に結びつけようとする傾向が弱い︒
その結果︑
国際政治学一般と日本外交研究が乖離する傾向にあり︑
国際政治学の発展に日本外交研究が貢献できにくい下地を醸成していると同時に︑
日本の外交経験を特殊日本的な条件で理解してしまう傾向を助長している ︵
︒
これら二点を以下︑
くわしく見てみよう︒
4︶ ︵一四六〇︶日本外交の理論的研究とは何か 一五五同志社法学 五八巻四号
A 信頼性の低い﹁歴史の教訓﹂
まず
︑
第一の問題は︑
日本外交史から教訓を得ようとするとき︑
社会科学的にみて問題が多い︑
いうなれば信頼性の低い―
つまり本当に信頼できるのかどうかわからないような―
印象的な﹁
教訓﹂
しか引き出すことができないという点である
︒
言い換えれば︑
ケーススタディー手法のような︑
歴史的事例を分析して一般的な因果関係を推測する方法が政治学で長年培われてきたが︑
そのような方法を十分に使わずに引き出された﹁
歴史の教訓﹂
は信頼性が欠けるのである
︒
例えば次の設問を考えてみよう
︒﹁
近代日本外交における戦略的成功︵
戦勝や平和︑
あるいは国際的地位の上昇︶
と失敗
︵
敗戦や占領︑
あるいは国際的地位の下降︶
を説明できる要因な何なのであろうか︒﹂
この設問は日本外交を考えるのにまさに避けることができない根本的なものであろう︒
この設問に対してよく聞く答えの一つは
﹁
アングロ・
サクソン︵
英米︶
勢力と提携していれば日本は安泰であった﹂
という対アングロ・
サクソン提携説である︒
吉田茂によれば︑
それがまさに日本外交の﹁
大道﹂
であった ︵︒
しかし︑
ケ 5︶ーススタディー手法の視点から吟味すれば
︑
この一見もっともらしい説も実は様々な問題を内包していることが明らかになってくる︒
具体的には少なくとも二つの深刻な問題が指摘できよう︒
まず
︑
対アングロ・
サクソン提携説を言い換えれば︑﹁
英米いずれかの国と提携しなかった時期には日本は戦略的成功をおさめなかったはずだ﹂
という議論になるが︑
この議論は史実と必ずしも合致しないことが挙げられよう︒
という のも日英同盟がワシントン条約によって取って代わられた後―
つまり戦間期―
の時期における外交環境は基本的に安定的で︑
日本は﹁
安泰﹂
だったからである︒
であれば︑
米英との提携そのものよりも︑
日本をめぐるバランス・
オブ・
パワーの安定こそが日本の戦略的成功
・
失敗の真の原因ということになる︒
言い換えれば︑
誰と提携するのかという点︵一四六一︶
日本外交の理論的研究とは何か 一五六同志社法学 五八巻四号
は皮相的なもので
︑
実はあまり重要でないということになるのである︒
次に指摘できるのは
︑
バランス・
オブ・
パワー以外に﹁
真の原因﹂
が存在する可能性である︒
ここでは日本における政権の性格︑
つまり内政の問題をとりあげてみよう︒
つまり︑﹁
米国・
英国との提携は日本の戦略的成功をもたらした﹂
という因果関係は実は虚像で
︑
日本の時の政権の性格こそが﹁
誰と提携するのか﹂
という問題と﹁
戦略的成功︵
例えば経済的繁栄︶
が可能なのか﹂
という問題を同時に規定した真の原因かもしれないという可能性である︒
例えば︑
たまたま英国あるいは米国に好意的で自由主義的な人物あるいは政権が日本に存在したために
︑
英国あるいは米国を提携国に選んだ一方︑
それと同時に自由主義的な経済政策を採用した結果として経済成長を日本は達成した︑
という説明を組み立てることができよう
︒
実際︑
吉田以下いわゆる保守本流政権の場合がこの説明におおまかに合致するといえる︒
したがって
︑
以上指摘した二つの問題を解決しない限り︑
対アングロ・
サクソン提携説が内包する因果関係を確立することができない
︒
そして︑
そのためには正に社会科学的な方法で史実を吟味していかなければならないのである︒
そのような﹁
理論的研究﹂
に取り組まない限り︑
この提携説の説得力は弱いまま残らざるをえない︒︵
あるいは他の国の事例と比較し
︑
より一般的な説明の一部として日本の外交経験を組み込むことが必要となろう︒︶
この例にみられるように
︑
洞察力のみに基いて﹁
歴史の教訓﹂
を引き出しても︑
その教訓が本当に信頼できるものなのかどうなのか
︑
実はたいへん心もとないのである︒
他方︑
因果関係を複雑な社会現象から推測しようとする方法論は︑
未だに完全でないとしても︑
これまで社会科学の様々な分野で大いに発展してきた︒
そして︑
歴史的事例をそのような方法で分析する研究が比較政治学の分野などで既に豊富に存在している
︒
日本外交研究も遅ればせながら︑
この状況に追いつくべきである︒
︵一四六二︶日本外交の理論的研究とは何か 一五七同志社法学 五八巻四号
B 国際政治理論との乖離
現在の日本外交研究が抱える第二の問題は︑
国際政治理論―
それは日本以外の国々の外交の分析にも使用できるものであろう―
との関係が疎遠になっていることである︒
国際政治理論に明示的に基いて近代日本外交を分析せんとす る研究が数少ない結果︑
日本の外交経験が国際政治の本質―
この本質は国際政治理論によって把握される―
といかに関係があるのかという大変重要な問いに我々は満足のいく答えを見つけることができにくい︒
このことは言い換えれば
︑
日本の外交経験を日本を取り囲む特殊要因のみに言及することによって理解しようとする傾向を意味し︑
その結果︑
日本の外交経験は一般化不可能で特殊なものという印象を増長しかねないのである︒
それと同時に︑
国際政治理論の発展に日本外交研究が貢献している度合いも残念ながら低くなってしまっている
︒
比較政治学における理論の発展を見てみるとこの問題点がよく理解できよう
︒
有力な新理論は︑
一国か少数の国々に関する緻密な実証研究から生み出されることがよく指摘されている
︒
すなわち︑
事実をみながらも︑
そのような研究者たちは︑
いわば抽象化の作業を執り行い︑
あるいは現存の理論を訂正したりして理論発展に貢献してきたのである︒
そのような作業はいわば
﹁
理論との対話﹂
ともいうべきものであるが︑
そのような作業がまさに日本外交研究に求められよう︒
確かに
︑
外交史家が近代日本外交全期を概観・
分析し︑
一般的傾向を見出そうとした貴重な研究は少数ながら存在する︒
例えば︑
政府が現実的な外交政策を追及するのに反して民間は理想主義的な政策を求める傾向を入江昭はその﹃
日 本の外交﹄
で抽出した ︵何
︑
考察と国際政治理論との関連ははっきりしない︒
つまり政府︑
と民間それぞれの政策選好を決定する要因はこので︒
つまりこれは貴重な考察であるが︑
帰納的に︵
史実されたものを検討した結果として︶
導き出 6︶なのかという理論的問題
―
それは国際政治学にとって根本的に重要なものなのであるが―
の解決に直接的な形で貢︵一四六三︶
日本外交の理論的研究とは何か 一五八同志社法学 五八巻四号
献できていないのである
︒
であるから︑
この考察が日本特有のものなのか︑
他の国にもあてはまりえるものなのか︑
わからない
︒
政策選好の一般的理論が明確にされた上で日本の場合が分析されていれば︑
あるいはそのような一般的理論が日本の事例から提出されていれば︑
入江が提出した事実的考察の国際政治理論的意義がより明らかになり︑
より大きな貢献となっていたであろう
︒
小 括
以上
︑
日本外交研究において歴史研究だけではなく理論的研究が必要であるという議論を展開してきた︒
といっても︑
日本における国際政治学全般において
︑﹁
理論研究﹂
がおざなりにされてきたというわけではない︒
しかし︑
それは﹁
理論に関する研究﹂
であって我々が検討してきた﹁
理論的研究﹂
ではないのである︒
日本においては︑
国際政治理論は日本外交研究とは別のジャンルとして
―
つまり︑
歴史家たちを中心とした日本外交研究とは直接関係ない分野として―
研究される傾向が強かった︒
もちろん︑
国際政治理論を明示的に採用して日本外交を分析した研究は少数ながらも存在する ︵
国際政治理論研究国際政治理論この事実の背景には
︑
第二次世界大戦以降のはよう主に米国で発達した事情がある︒ ︒
してきたといえ︒
日本外交研究しかし︑
一般的に言って︑
国際政治理論研究とは形成事実上の﹁
棲み分け﹂
を 7︶といえばいわば輸入学問とみなされる時期が日本では長かった ︵
いたが続が状況するというような理解で様子をまるでカタログをみているような諸理論している主張学者の米国とは究
︒
理論研︑
にとって大学院生の日本をめざす国際政治学 8︶のである
︒
それと並行して︑
史料に基いて発見を築き上げるという日本外交研究が伸びていったというのが︑
長年の基本的な構図であった︒
このような学界の状況において
︑
理論と実証とは切り離された傾向にあり︑
相互が一体となる研究―
例えば理論か ︵一四六四︶日本外交の理論的研究とは何か 一五九同志社法学 五八巻四号 ら導きだされた仮説を体系的な形で実証的に検証していくというような研究
―
は進展しにくい状況であった︒
この点は特に日本外交研究において顕著である︒
例えば︑
最近五年間に出版された日本外交研究における本格的研究書をみて も︑
歴史的分析のものが大勢を占めている ︵︒
9︶本稿でいうところの
﹁
日本外交の理論的研究﹂
というのは︑
まさにこの意味での﹁
理論と実証が一体となる研究﹂
といえよう
︒
そのような研究を推し進めていくのには︑
まず第一に理論の基本的な性質を再確認する作業が求められる︒
次にこの点を明らかにしよう︒
三 理論とはなにか
―
その一般的性質 一つの具体的事例は︑
ある抽象的な﹁
一般的現象﹂
の一表現あるいは一形態であるとし︑
その﹁
一般的現象﹂
の性質 の解説をするのが理論である︒
例えば︑
第二次世界大戦という具体的事例は覇権戦争という一般的現象の一つであり︑
覇権サイクル理論が覇権戦争の性質を解説するのである ︵︒
逆にいえば︑
理論が想定する一般的現象は︑
いくつかの具体 10︶的事例
―
これらは︑
いつ︑
どこで起こるのか様々である―
の形で表出する︒
別の言い方をしてみよう︒
一見特殊に 見えるような具体的事例も別の具体的事例と何かしら共通要因を持っている︒
いうならば︑
個々の具体的事例はそれぞれが持つ特殊要因と共通要因との二つからなっており︑
その共通要因の集合体が一般的現象を構成するのである ︵︒
上の 11︶例を続ければ
︑
ナポレオン戦争と第一次世界大戦が﹁
別の具体的事例﹂
にあたる︒
そして一般的現象というのは︑
複数の具体的事例をひとくくりするというその性質上︑
抽象的な概念によって構成されざるをえない︒
覇権戦争という概念がまさにそれである ︵
︒
12︶︵一四六五︶
日本外交の理論的研究とは何か 一六〇同志社法学 五八巻四号
理論とは
︑
このように想定された一般的現象の性質を特定するものであるが︑
ここでいう性質とは一般的現象のもっている属性のほか
︑
それをとりまく因果関係︵
とある原因があればその結果︑
特定の事象が起こりやすいという傾向︶
を意味する︒
そして一般的現象というものは︑
その性格上︑
実際に観察できる事実からのみでは知ることができない︒
好例は物理学におけるエネルギーである
︒
エネルギーは例えば熱という形で観察できるが︑
熱自身の観察︑
描写からのみではエネルギーという概念は必ずしも出てこない︒
熱エネルギーという形態のほか︑
光エネルギーや位置エネルギーという形態も取り得るからである
︒
またエネルギーというもの︑
それ自体は我々は観察できない︑
すなわち抽象概念である︒
そしてこのエネルギーに関する理論とはエネルギー自身の属性やエネルギーをめぐる因果関係を特定するのである
︵
例えば︑
エントロピーの法則︶︒
経済学における市場という一般的現象に関しても同じことがいえる︒
心理学においては記憶という一般的現象︑
国際政治学では︵
覇権の他︶
アナーキー︵﹃
無政府状態﹄︶
という具合である︒
したがって
︑
理論を構築するということは︑
抽象概念をいわば﹁
もて遊んで﹂
構築するしかない︒
その一つのやり方は言うまでもなく演繹的な方法である︒
つまり︑
ゲーム理論などの抽象概念装置のみを始めから扱う形で理論を構築していくという方法である
︒
しかし︑
それが唯一の理論構築の方法というわけではない︒
具体的事例を抽象化することによって抽象概念を造りだすという帰納的方法も有効である︒
いずれの方法を採用するにしても︑
事実の羅列だけでは理論は成立しない
︒
この作業は︑
第一次資料を使って事実を明らかにする―
我々の知識の具体性を高める―
という歴史家の作業の正反対の作業といってもいいであろう︒
いうなれば
︑
中身がわからない政策過程というブラックボックスの中を調べてはっきりさせる作業が外交史家の作業である︒
正反対に︑
ブラックボックスの中をはっきりさせないまま︑
内部の大まかな流れを抽象的な概念を使って想定し
︑
その流れの特性︵
例えば政策過程の結果︑
出てくる政策の一般的傾向︶
に関心をはらうというのが理論家の発想で ︵一四六六︶日本外交の理論的研究とは何か 一六一同志社法学 五八巻四号 ある
︒
もっといえば︑
一つのブラックボックスを見ならがらも他の︵
実在の︑
あるいは仮想の︶
ブラックボックスとの比較を理論家は頭の中で行っており︑
いくつものブラックボックスの共通点からなる一般的現象を考え︑
共通する性質を推測するのである
︒
これが︵
帰納的な︶
理論構築の作業ともいえよう︒
一国の政策決定過程以外のものをブラックボックスとしても同様である︒
例えば︑
一国際政治体系をブラックボックスと考えてみよう︒
その場合の︵
帰納的な︶
理論構築とは
︑
そのブラックボックスの持つ傾向︵
例えば体系の安定度︶
を別の国際政治体系の場合と比較し︑
共通する性格︵
あるいは相違する性格︶
を説明できるような一般的現象を考えるという作業を意味するのである︒
A 理論の三つの特性
理論の特性として三点指摘しよう
︒
まず︑
理論というものは検証可能で︑
それが適用する事例範囲︵
言いかえれば︑
それを越えれば適用しない事例範囲︶
を持っており︑
すべての事例を説明できる理論というのは存在しえない︒
そのような
﹁
全てが説明できる理論﹂︑
つまり説明不可能な事例を認めない理論は︑
実は真の理論ではなくドグマにすぎないのである︒
良心的な理論家は︑
いずれの理論も全ての事例を説明できるわけではないことを知っているばかりか︑
それを前提にして議論を展開する
︒
したがって︑﹁
この理論は全てを説明できないではないか﹂
というようは批判は理論というものの性質を理解していない議論であり
︑
的を得ていないものといえよう︒
適用できる事例の範囲が広ければ広いほど
︑
より一般的な理論である︒
例えば︑
日本外交に関して日本文化︵
その内容はどんなものにせよ
︶
で説明する理論があるとしよう︒
いうまでもなく︑
この理論は日本に関する事例しか当てはまらない︒
そのような理論に比べれば︑
日本以外にも適用できる理論が抽象度がより高いことは容易に想像できよう︒
国際政治理論研究への貢献ということからいえば
︑
後者の理論のほうが好ましい︒
しかし︑
適用範囲が無限大で﹁
全てが︵一四六七︶
日本外交の理論的研究とは何か 一六二同志社法学 五八巻四号
説明できる理論
﹂
というのは上に述べたとおりありえないので︑
適切な適用範囲を理論家は求めなければならないこととなる
︒
第二に
︑
これまで展開してきた議論からわかるように︑
理論というのは非常な単純化・
抽象化された命題や仮説―
加えてそれらをとりまく前提―
の集合体である︒
実は︑
単純さがその命であるといっていい︒
ここに︑
一方の端が﹁
事実の完全なる記述﹂︑
別の端が﹁
完全なる抽象化﹂
という二極からなる連続体を想像してみよう︒
前者の端から後者の端に近づいていくことが理論家の目標とするところである
︒
理論家からいわせれば︑
繰り返し述べてきたようにそもそも事実が複雑なのは当然であって︑
その本質は事実の記述という作業のみでは把握することができない︒
この意味で抽象化は避けることができないのである
︒
この基本的命題から生じる帰結は数々あるが
︑
そのうちの一つは理論の質に関するものである︒
つまり︑
上でいうよ うな抽象化作業の質―
つまり理論の質―
を判断するのは︑
どれだけ事実に近いかといった基準とは別の基準でもってなされなければならないという帰結である︒
例えば﹁
この理論の前提は現実的でない﹂
といったような批判はあたら ない︒
ではどのような基準で︑
理論の質を判断するのであろうか︒
理論というものは―
その予測的中力といわないまでも―
その説明力によって評価を受けなければならない︒
説明力が乏しい理論が持っている前提や命題は訂正する必要があるかもしれないが
︑
それは前提や命題の﹁
現実度﹂
そのものが問題だから訂正するのではなく︑
理論の説明力が弱い―
つまり事実がうまく説明できない―
からなのである︒
別の言い方をすれば︑
理論は説明のための概念装置であって
︑
前提はその部品ともいうべきものである︒
装置の性能が悪ければその部品を修理しなければならないが︑
部品が自然物の形に近いかどうかという問題自身は部品ならびに装置の性能には直接関係がない︒
﹁
事実の記述から離れること﹂
が理論構築の第一歩である︒
しかし︑
その反面︑
あまりにも行き過ぎた抽象度を理論 ︵一四六八︶日本外交の理論的研究とは何か 一六三同志社法学 五八巻四号 家が追求してしまえば
︑
その内容および結論は実際の社会的文脈や現実からあまりにも遠く離れてしまい︑﹁
議論のための議論﹂
の様相を呈して社会的妥当性を失うこととなってしまう︒
既述の連続体の文脈でいえば︑﹁
完全な抽象化﹂
極に近づきすぎでも危険ということになる
︒
理論家は
﹁
理論フェティシズム﹂
の罠に注意しなければならない︒
自分の理論を社会の現実と照らしあわせるいう作業は常に必要であるが
︑﹁
理論フェティシズム﹂
に走った理論家たちはそれを怠りがちとなる︒﹁ ﹃
何人の天使がピンの上で踊れるか﹄
という問題を論争する神学者たち﹂
というのはこの問題の古典的な︵
揶揄の︶
例であろう︒
また︑
合理的選択の理論に対する最近の批判は
︑
まさにこの﹁
理論的フェティシズム﹂
を批判しているといえよう ︵複のという説に対して同様批判えるが集まったことがある
︒
理論家は﹂
訴見込戦争は国家に時んだにを効用最大化﹁
は︒
で国際政治学 13︶雑で緻密な数理理論を展開した結果この説に到達したのであるが
︑
批判者にいわせれば︑
この説は﹁
国家というものは勝ちそうな時に戦争をしかけがちである﹂
という驚くに値しないものだというわけである ︵︒
理論構築にたずさわる者は 14︶度が過ぎた抽象化という問題に細心の注意を払わなければならない
︒
第三に
︑
質の高い理論を構築するには事例の数が多ければ多いほど良い︒
帰納的に理論を構築するとき︑
事例の数が多ければ事例間の共通点
︵
あるいは相違点︶
もより明確になってきて︑
一般的現象を描きやすいからである︒
また︑
演繹的に理論を構築する際にも
︑
想定した理論の蓋然性を試すのには事例と実際に照らすあわすしかないが︑
より多くの事例によって支持されるほどその蓋然性が高くなる︒
問題は
︑
国際政治学においては多くの事例を期待することが困難という点であろう︒
近代国際政治史に限れば︑
この点は特に顕著である︒
覇権戦争の例に戻れば︑
覇権戦争というのは近代以降︑
ナポレオン戦争︑
第一次世界大戦と第二次世界大戦
︑
それに冷戦と四つしかない︒
同様に︑
アナーキー国際体系の近代的事例は基本的にはウエストファリア条︵一四六九︶
日本外交の理論的研究とは何か 一六四同志社法学 五八巻四号
約
︵
一六四八年︶
以降のヨーロッパに生じた︵
そして全世界に広がった︶
近代国際体系︑
ただ一つに過ぎない︒︵
もちろん考古学的見地からみれば
︑
古代諸民族にあった覇権戦争や国際体系を加えていくことができようが︒︶
最近︑
この問題に関する部分的な解決法が見受けられるが︑
事例数の少なさは基本的には国際政治学の構造的な問題であり︑
理論家を悩ませている ︵
︒
を例だけでも高質の理論構築できるのかが理論家の腕のみせどころとなろう したがって事ない少いかにして︑ ︒
するときであるに一国の外交を研究︑ ︒
これは差し迫った問題特 15︶B 国際政治理論 ― ウォルツの例
これまで理論の性格について議論を展開してきた︒
我々の理解度を深めるため︑
今度は別の方向から理論の性格を見てみよう︒
社会現象は大変複雑で︑
様々な要因が相互関係をなしている︒
そのような状況に直面するとき︑
理論家は次のような作業を執り行う
︒
複雑な社会現象全体のなかの一部の﹁
小体系﹂
ともいうべきものを想定し︑
社会現象全体からそれを取り出し︑﹁
小体系﹂
のなかでの現象についてその一般的性質を探っていこうとするのである︒
この作業において基本的前提とされるのは
︑
そのような独立した﹁
小体系﹂
を社会現像全体から取り出せるというものである︒
この﹁
小体系﹂
というのが既述した一般的現象であるが︑
ここでは近代経済学でいう市場を例として考えてみよう︒
市場においては
﹁
効用を極大化しようとする﹃
経済人﹄﹂
が想定されている︒
そのような﹁
経済人﹂
が構成する市場はまさに概念からなる擬制であり︑
実際の経済活動には見られないかもしれない︒
文化人類学者が指摘してきたように︑
経済活動は単なる
﹁
経済活動﹂
ではなく宗教活動である場合もあったことを我々は知っているし︑
経済人の行動決定要因が簡単には﹁
効用極大化﹂
という概念では括えないことも知っている︒
つまり︑
経済活動と他の社会活動の間の境界線は現実では曖昧である事実を我々は理解しているのである
︒
しかし︑
理論体系としての近代経済学の出発点は︑
市場 ︵一四七〇︶日本外交の理論的研究とは何か 一六五同志社法学 五八巻四号
︵
経済活動の体系︶
という﹁
小体系﹂
を想定することから始まり︑
その体系の中の一般的傾向を分析︵
例えば均衡分析︶
をすることにより理論として発達してきた︒
近代経済理論の説明力︵
例えば価格決定の説明︶
を前にして︑
市場あるい は経済人の﹁
非現実性﹂
を強調しても有効な批判とはなりえないのである︒
国際政治学においても同様な試みが見られる︒﹁
リアリズムの巨人﹂
H・
モーゲンソーはその著書﹃
国家間の政治﹄
において
︑﹁
権力を極大化しようとする﹃
政治人﹄﹂
を想定することにより政治の﹁
小体系﹂
を社会現像全体から切り離すことができると論じた ︵― ―
つまりだと政治学こそが分析の権力行動彼人間行動における﹂
小体系﹁
そのような︒
16︶はいうのである
︒
同様に︑
現代国際政治理論の発展に大きな貢献をなしたといわれるK・
ウォルツにとっての﹁
小体系﹂
はアナーキー国際体系であって︑
そのようなアナーキー国際体系内における国家行動の一般的傾向の研究こそが︑
国際政治学だと彼は喝破した ︵
︒
17︶経済学における市場のように
︑
国際政治学におけるこれらの﹁
小体系﹂
は実際に存在する現象の描写ではなく︑
概念 装置なのである︒
であるからして︑
これら﹁
小体系﹂
が現実にどれだけ近いかどうかは︑
ウォルツのような現代の国際政治理論家にはあまり意味がない︒
ウォルツにとっては︑
彼の理論の説明力こそが問題なのである ︵︒
以下︑
この点に関 18︶して
︑
彼の国際政治理論―
ネオリアリズムと呼ばれる―
をくわしく見てみよう︒
まず︑
ウォルツは﹁
アナーキー体系下では国家は勢力均衡的な行動を取る傾向にある﹂
という仮説を提出している ︵質問実際というような
︑
するのか存在に本当に国際政治状況のが体系ここでいうアナーキー︑
するとき直面に仮説その︒
19︶はあまり意味がない
︒
より意味がある対応は︑
この仮説を証明する︑
あるいは反証する事例を探すことによって︑
その説明力を検証するというものである︒
例えば︑
現在︑
米国ただ一国が超大国の地位にあるが︑
この仮説が正しければ将来
︵
一〇年から二〇年︶
米国に対抗するような国家あるいは国家群が出現するはずである︒
ウォルツの仮説が正しいか︵一四七一︶
日本外交の理論的研究とは何か 一六六同志社法学 五八巻四号
どうかは将来判明しよう ︵
︒
20︶ウォルツが提出した仮説のうち
︑
説明力が弱いとこれまで判断されたものは二つある︒
第一の仮説は﹁
アナーキー体系下では︑
大国の数が少ないほどその体系は安定的―
つまり大戦争が少ない﹂
というものである ︵︒
この仮説の弱さは 21︶冷戦の事例によって指摘された
︒
冷戦が米ソの熱戦に転化しなかったのは︑
大国の数が二つであったからであり︑
大国の数が第一次世界対戦前夜のように五つほどであれば︑
米ソ熱戦の可能性がかなり高かったであろうというのがウォルツが提出した主張であった
︒
その底にあるのは︑
大国の数が多ければ多いほど︑
お互いの行動を予測し判断することが難しくなり︑
ついには偶発的な形で戦争が起こりやすくなる―
つまり当初には意図しなかった形で緊張がエスカレー トした結果︑
戦争が起こりやすくなる―
という前提である︒
実際︑
五つほどの大国が関係した第一次世界大戦は︑
未曾有の被害者数をもたらしたが︑
まさにそのような﹁
当初には意図しなかったエスカレーション﹂
に各国が翻弄された大戦争であった
︒
これに対する反論は以下のようなものである
︒﹁
米ソ大戦が偶発的な形で勃発しなかったのはお互いの行動予測性が理由というよりも
︑
つまるところ核兵器のおかげである︒
つまり︑
核兵器の破壊力があまりにも強力だったので︑
その恐怖ゆえ米ソ両国とも慎重な行動を取らざるをえなかったのだ︒﹂
言いかえれば︑
大国の数よりも兵器の破壊力こそが冷戦期の
﹁
安定﹂
の原因というのである︒
実際︑
歴史上において﹁
二大国からなる国際体系﹂
を探しても︑
戦争が起こっている事例が目につく︵
古典的な例ではアテネとスパルタとの間のペルポネス戦争がそうであろう︶︒
このような対抗仮説に直面したウォルツは自説を訂正せずにはいられなかったのである
︒
ウォルツが提出したもう一つの仮説は日本に関するものである
︒﹁
アナーキー体系下では︑
全ての大国は自己保存のために全力をあげざるをえず
︑
最強の兵器を獲得するように努力する﹂
というのがウォルツの出発点であるが︑
その議 ︵一四七二︶日本外交の理論的研究とは何か 一六七同志社法学 五八巻四号 論を延長すれば
﹁
全ての大国は︑
自らもつ経済力に相当する軍事力を持つはずである﹂
という仮説にたどりつく︒
実際︑
ウォルツは日本の核兵器獲得︵
それに軍事大国化︶
を予測してきた ︵︒
しかし︑
現実をみれば︑
日本は世界第二の経済力 22︶を保持しているのにもかかわらず
︑
その軍事力の規模はそれよりはるかに小さい︒
また︑
日本は核兵器はもとより︑
明らかに攻撃的な兵器︵
航空母艦や長距離爆撃機︑
それに長距離ミサイル︶
を所持しておらず︑
その装備体系も﹁
独立した軍事大国
﹂
のそれとは異なって自律性が高いとはいえない︒
つまり︑
ウォルツの仮説が支持できるような状況にはないのである︒
これらのようにウォルツが自身の国際政治理論から抽出した複数の仮説の説明力は彼が望んだほど強くはないかもしれない
︒
しかし︑
本稿の関心上︑
重要なのはそのこと自体ではなく︑
つかみどころがない﹁
歴史的洞察力﹂
と違って検証可能な仮説でもって彼が議論を提出しているという点である
︒
そして︑
その知的プロセスの出発点は︑
アナーキー国際体系という抽象的な﹁
小体系﹂
あるいは一般的現象を設定するという行為に他ならない︒
ここに理論家としての彼の本領がみられるのである
︒
小 括
これまで展開してきた議論を一言でまとめるならば
︑
個別的事実を一般的な表現で説明するための概念装置―
つまりそのような説明が由来する母体―
こそが理論といえよう︒
そして︑
理論の内容は一般的現象が持つ性質の解説である
︒
さらには︑
このように定義された理論の基本的特徴は次の三点に絞ることができよう︒
つまり︑
殊状況論的性格の逆
︶︑ ⑴
一般論的性格︵
特⑵
その検証可能性︵
ドグマの逆︶︑
そして⑶
その抽象性あるいは単純性︵
複雑な事実の記述の逆︶︑
の三つである
︒
この理論の定義は︑
その説明力に焦点をおいた定義であるが︑
これはとりもなおさず客観的事実をいか︵一四七三︶
日本外交の理論的研究とは何か 一六八同志社法学 五八巻四号
に分析するかという実証主義
︵
ポジティビズム︶
的立場からの関心に基いている︒
これ以外の発想に立てば︑
別の理論の定義も当然ありえる
︒
例えばポスト・
モダニストたちは理論を世界観や哲学的枠組み︑
もっといえばイデオロギーというように捉えている ︵であ実証主義適切も最するのが採用を理論観く基に
︑
ばからすれ問題意識つ持の本稿︑
しかし︒
23︶ろう
︒
四 理論的研究の基本的類型
これまでの議論をふまえると
︑
理論的研究による知見は以下の形で表すことができる︒
﹃
事例X︵
あるいは事例の集まりX 1︑
X 2︑
X 3等々︶
は外交政策上あるいは国際政治上みられる一般的現象Yの一形態であって︑
その特徴は一般的現象Yに関する仮説Z︵
あるいはそのような仮説群の母体である理論A︶
によって説明することができる
︒﹄
理論的研究というのは
﹁
事例﹂
と﹁
理論﹂
の両者が社会科学的方法によって結びつけられた結果︑
上のような知見―
以下﹁
目標知見﹂
と呼ぶ―
に到達する研究ともいえよう︒
A 事例のバリエーション
ここでいう
﹁
事例﹂
には実はかなりの幅がある︒
例えば︑
日本外交を他の国の外交と比較するような研究においては︑
︵一四七四︶日本外交の理論的研究とは何か 一六九同志社法学 五八巻四号 上の文における事例に関する部分を
﹁
日本外交や他の国の外交における事例の集まりX 1︑
X 2︑
X 3等﹂
に置きかえるとよい︒
また︑
純粋に日本外交経験に研究の的を絞るならば︑
事例に関する部分は﹁
日本外交における事例X︵
あるいは日 本外交における事例の集まりX 1︑
X 2︑
X 3等々︶﹂
となることは容易に理解できよう︒
さらには︑
ここでいう事例は外交行動︵
決定された政策あるいは実際に実施された政策︶︑
あるいは政策決定者が抱く政策意図のいずれでもよい︒︵
後者は状況認識や国益観さらにはバイアスなどといった心理状況を意味し
︑
オペレーショナル・
コード分析や認識マップ分析といったような︑
いわゆる記述的推測︵ descriptive inference ︶
の手法でもって研究されることが多い︒︶
どの事例を選ぶとしても
︑
最終目的は目標知見に到着することであるから︑
その事例の特徴を説明すると思われる理論を選び出し︑
本当にその理論と事例が合致するのか検証しなければならない︒
候補理論が正しければ︑
それから導きだされた仮説Xの説く結果予想が事例と合致するはずである
︒
合致の度合いが弱ければ︑
候補理論を必要な程度だけ修正することになろう︒
そしてそのような修正された理論と事例との合致をもって分析が終了する︒
あるいは︑
既に別の候補理論が明らかになっており
︑
その理論から出てきた仮説Yの説く結果予想のほうが事例とよく合致するとして︑
仮説Xを棄却する可能性もあるであろう︒
そのような仮説検証はいわゆるケーススタディー手法や数量分析手法を通してなされる
︒
例えば
︑
日本政府が明治四〇年に制定した﹁
帝国国防方針﹂
を具体例として扱ってみよう︒
これは後に大正七年に一次改定︑
同一二年に二次改定︑
さらには昭和一一年に三次改定された︒
まずは︑﹁
事例﹂
を明治四〇年度版の国防方針 のみに絞りこむのか︑
あるいはそれを含む全部で四つのバージョンの戦前の国防方針―
さらには一九七六年制定の﹁
防衛計画の大綱﹂
以降の国防方針を含んだ近代日本史全体にわたる国防方針の諸事例―
を﹁
事例﹂
として扱うのか︑
あるいは他国の国防方針と比較するのか研究者は決定しなければならない
︒
そして計画としての国防方針︵
あるいは実︵一四七五︶
日本外交の理論的研究とは何か 一七〇同志社法学 五八巻四号
際に実施されたもの
︶
を﹁
事例﹂
とするのか︑
あるいは政策決定者が持っていた初期の意図︵
それは外交行動と必ずしも完全に合致するものではない
︶
を﹁
事例﹂
とするのかも︑
研究者は判断しなければならない︒
いずれにせよ︑﹁
事例﹂
を決定する際に︑
それに対応する一般理論を想定しなければならないのだが︑
それは軍事ドクトリンに関する諸理論となるであろう
︒
そしてケーススタディー手法を通した分析の結果︑
例えば﹁
明治四〇年制定の﹃
帝国国防方針﹄
は軍事ドクトリン制定という一般的現象の一形態であって︑
その内容は―
他の仮説や理論ではなくて―
勢力均衡仮説︵
そ れはリアリズムから由来するのであるが︶
でもって最も良く説明できる﹂
というような結論に達するのである ︵︒
24︶B 目標知見への二つのルート
さて
︑
事例と理論とが繋がっているというのが目標知見の構造上の特質であることからして︑
このような知見に到達するのに論理上二つのルートが存在する
︒
一つは︑
上の﹁
帝国国防方針﹂
の例にみられるように事例から出発するルートで︑﹁
日本外交における特定の事例にまず関心があり︑
その一般的性格を明確にするために国際政治理論でもって分析する
﹂
というものである︒
この場合︑
もっぱらの関心は日本外交研究の発展を推し進めることであり︑
当該事例を理解するために様々な国際政治理論を検討し︑
最も説明力が強い理論を選ぶという態度がみられる︒
もう一つは出発点が国際政治理論にあるルートである
︒
すなわち︑﹁
国際政治理論の進展そのものに関心があり︑
その目的達成のために様々な国の外交経験を見渡した結果︑
たまたま日本外交の事例が役にたちそうなので分析を執り行う﹂
というものである︒
いずれのルートをとるにせよ
︑
結果は目標知見となって同一に現れる︒
また︑
これら二つのタイプの研究を論文として発表するとき︑
対象とする読者は同じではない︒
第一タイプ向けの読者は日本外交専門家であり︑
第二タイプ向けのそれは国際政治理論家と別れる
︒
このように日本外交研究における理論的研究は﹁
国際政治理論をつかった日本外交研究﹂
︵一四七六︶日本外交の理論的研究とは何か 一七一同志社法学 五八巻四号 と
﹁
国際政治理論のための日本外交研究﹂
いう二つの基本的タイプが存在するのである︒
第二のルートは少々説明を要しよう
︒
この種の研究は︑
いわば﹁
国際政治理論がまずありき﹂
ともいう立場のもので︑
いくつかのサブカテゴリーが存在する
︒
まずは﹁
異例な事例に注目する研究﹂
である︒
とある国際政治理論からみて︑
結果予想に反する﹁
異例な事例﹂
を選び︑
それを分析することを通して︑
これまで明確でなかったその国際政治理論の弱点を浮き出させたり
︑
あるいは改正したりしていくという研究がこの種の研究である︒
戦略的に異例な事例を選ぶことにより理論の発展を図るという研究とも言い換えることができよう︒
この種の研究は︑
もとの国際政治理論の改訂版︑
あるいは全く別の国際政治理論がその事例と合致するという形で終了する
︒
第二のサブカテゴリーは
﹁
理論論争に参加する研究﹂
である︒
第一の研究と同様︑
この種の研究も理論論争の文脈に日本の事例を置くものである
︒
前者の場合︑
初期の段階でかかわってくるのは一つの国際政治理論であるが︑
後者の場合は複数である︒
つまり︑
ある一般的現象に関して複数の国際政治理論の間で論争がまずあり︑
いずれの理論の蓋然性が高いか判断する一助として戦略的に事例を選んで検証するというのがここでいう
﹁
理論論争に参加する研究﹂
である︒
ここで重要なのは︑
事例を選択する際の基準であって︑
理論Aと理論B各々の結果予測が異なるような事例を戦略的に選らばなければならない
︒
そして他の国の事例ではなく︑
たまたま日本の事例がそのような稀なる事例として選ばれるというわけである
︒
したがって︑
その事例は特定の理論の結果予測と合致するという結論でもって︑
この種の研究は終了する︒
﹁
理論の蓋然性をテストする研究﹂
が第三のサブカテゴリーをなす︒
国際政治理論に関して︑
その蓋然性がもっとも高いと思われる状況を想定し︑
実際にそうであるかどうか︑
その状況にあう事例をもってきて検証するというのがこの種の研究である
︒
検証の後︑
もし蓋然性が思ったほど高くなければ当該理論を改訂しなければならくなるので︑
理論発︵一四七七︶
日本外交の理論的研究とは何か 一七二同志社法学 五八巻四号
展に貢献できよう
︒
逆に︑
ある国際政治理論の蓋然性がもっとも低いと思われる状況を想定し︑
それにあう事例を検証し
︑
実は蓋然性が意外に高い―
つまり︑
理論がこれまで思われていたよりも優れている―
ことが証明できる︒
いずれのタイプの検証方法を採用するにせよ︑
これらのような事例がたまたま日本外交史において存在すれば︑
日本外交研究が国際政治理論の発展に直接貢献することとなろう
︒
以上のとおり
︑﹁
国際政治理論のための日本外交研究﹂
は三つのサブカテゴリーからなるわけであるが︑
最近の構成主義
︵
コンストラクティビズム︶
の文献に﹁
異例な事例に注目する研究﹂
の例が見られる︒
既に指摘したとおり︑
ウォルツ流のネオリアリズムでは日本の軍備政策はうまく説明できない︒
日本はまさにネオリアリズムにとっては異例な事例である
︒
それをP・
カッツェンスティーンやT・
バーガーのような構成主義者たちは指摘した ︵説様々を軍備政策の日本こそが規範という反軍国主義されている具現化に制度なの日本国内
︑
たちは構成主義者する視 重を力の規範そして︒
25︶明する鍵 カギであるとし
︑
ネオリアリズムに対する構成主義の優位性を主張したのである︒
ネオリアリズムと構成主義との論争は実は米国での国際政治学研究全体に渡る大論争であったのであるが︑
日本の事例がまさに大論争の中心に置かれることになった
︒
その後︑
ネオリアリズムが属するリアリズム学派の研究者も日本の軍備政策に関する研究を発表し︑
ネオリアリズムとは異なる別の分派から見れば日本の事例はリアリズム全体にとって異例ではないと主張している ︵
︒
をしたのであった貢献なる多大に発展の政治理論 をより国際︑
となり原動力にしていく明確性格事例︒
持やリアリズムの構成主義が分析のつの日本︑
で形このような 26︶しかし
︑
日本外交研究が国際政治理論研究に強力なインパクトを与えたこのような例は稀といえよう︒
それには根本的な理由が存在する︒
つまり︑
三つのサブカテゴリーのいずれに関しても︑
理論発展のために事例が満たさなければならない必要条件はかなり厳しく
︑
そのような事例が日本外交経験上において存在することが稀だというのがその理由で ︵一四七八︶日本外交の理論的研究とは何か 一七三同志社法学 五八巻四号 ある
︒
言い換えれば︑﹁
国際政治理論のための日本外交研究﹂
という第二ルートを実践するには機会はそう多くない︒
したがって︑
一般的にいって﹁
国際政治理論をつかった日本外交研究﹂︑
つまり第一のルートを通じて目標知見を達成する方法のほうが
﹁
日本外交に関する理論的研究﹂
の発展により着実に貢献できるといえよう︒
小 括
理論的研究は様々な具体的な形を取り得る
︒
しかし﹁
事例と理論との関係が社会科学的方法によって結ばれた研究﹂
という三要素からなる理論的研究の定義に照らせば
︑
それらのバリエーションは簡単に理解できよう︒
加えて︑
そのような三要素の関係を明確にするという理論的研究の目標に到達するには事例から出発するルートならびに理論から出発するルートの二つがあるという点も理論的研究の定義をみれば納得がいくであろう
︒
日本外交研究者は事例にかんする情報には通じているので
︑
そのような研究者が直面する知的チャレンジは他の二要 素―
つまり社会科学的方法と国際政治理論―
に通じることである︒
逆に︑
国際政治理論家にとっての知的チャレンジは事例を十分に理解することである ︵ると釈している
﹂
いをう理論家に対す解実都︒﹁
にうよいいの合史てっとに論理 27︶非難を聞くのは稀なことではない
︒
したがって︑
事例と理論との関係について︑
事例の専門家―
歴史家―
と理論専門家とのあいだに緊張が生じるのはままあることである
︒
しかし︑
そのような緊張を越えて事例と理論を検証可能な社会科学的方法で結びつけるという研究を我々は押し進めていかなければならない︒
事例に謙虚に接しながらも︑
国際政治理論と社会科学的方法論に通じた研究が望まれるのである
︒
︵一四七九︶