トスカナ辺境女伯マティルデ : ドイツ王権(皇帝権 )とローマ法王権の間(一)
著者 井上 雅夫
雑誌名 文化學年報
号 62
ページ 583‑618
発行年 2013‑03‑15
権利 同志社大学文化学会
URL http://doi.org/10.14988/00027759
トスカナ辺境女伯マティルデ : ドイツ王権(皇帝権 )とローマ法王権の間(一)
著者 井上,雅夫
雑誌名 文化學年報
号 62
ページ 583‑618
発行年 2013‑03‑15
権利 同志社大学文化学会
URL http://doi.org/10.14988/00027759
ト ス カ ナ 辺 境 女 伯 マ テ ィ ル デ
│
│ ド イツ 王 権︵ 皇帝 権
︶と ロ ー マ 法王 権 の 間│
│
︵ 一︶
井 上 雅 夫
は じ め に カノ
ッサ 家の トス カナ 辺境 女伯 マテ ィル デと いえ ば!
︑ すぐ に思 い浮 か ぶ のは
︑か の カ ノッ サ 事 件に 関 連 し て︑ ドイ ツ 王の ハイ ンリ ヒ四 世が 彼女 に対 し跪 き懇 願し てい る姿 の絵 であ ろう
"
︒こ の絵 の よ うに 彼 女 はク リ ュ ニー 修 道 院 長ユ ー グと とも に︑ カノ ッサ 城で のハ イン リヒ 四世 と法 王グ レゴ リウ ス七 世と の劇 的な 会見 に大 きな 役割 を果 たし たが
︑こ の 事 件 はカ ノ ッ サ家 の 歴 史の 頂 点 を なす も の でも あ っ た#
︒﹃ マ テ ィ ル デ伝
﹄の 作 者 ドニ ゾ ー も︑ この 会 見 の 日︑ 王と 法 王が 共に いる カノ ッサ 城が
︑﹁ 新 しい ロー マ﹂ にな った と感 じた のも
︑こ れを 物語 るも ので あろ う$
︒ マテ ィル デは
︑中 世の 数少 ない 女の 諸侯 とし ても 注目 さ れ るが
︑カ ノ ッ サ事 件 や 王 と法 王 の 関係 を 考 察す る 際 に も︑ 彼 女の 活動 や存 在は 無視 しえ ず︑ 彼女 を通 して
︑こ れら の問 題に も新 たな 見方 が可 能に なる ので ある
︒ 彼女 は︑ 一般 的に は法 王グ レゴ リウ ス七 世に 近い 人物
︑彼 を支 える 最も 有力 な人 物と して
︑そ れだ けド イツ 王ハ イン リ ヒ四 世に は距 離を おく 人物
︑い や敵 とさ え見 られ てき た%
︒ 彼女 の人 物像 に つ いて も
︑評 価 は時 に 正 反対 の も の にな り
︑淫 な女 から 聖人 的な 生涯 純潔 な処 女に 至る まで
&
︑あ るい は強 力で 有 能 な政 治 家︑ 支 配者 と し ての 姿
︑男 ま さ りの
― 583 ―
戦 士の 姿︑ 信心 深く 教会 に熱 心に 仕え る姿 など
︑さ まざ まで ある
"
︒ これ らい ずれ の姿
︑像 が真 実に 近い かは 別と して
︑従 来見 られ がち な白 黒の 明白 な割 り切 り型 の評 価︑ それ も﹁ 聖人 伝
﹂的 な讃 美型 は問 題で
︑最 近E
・ゲ ーツ も主 張し てい るよ うに
︑マ ティ ルデ につ いて のド ニゾ ーの
︑私 心な く教 会の た めに のみ 考え た人 物と いう 信仰 上の 教化 的な 描写 から 離れ
︑実 際的 な権 力政 治家 の姿
︑像 をよ り強 く視 野に 入れ ねば な らな いの であ る#
︒ 本稿
︵一
︶で は︑ カノ ッサ 事件 前後 のマ ティ ルデ の考 察を 中心 にす るた め︑ 彼女 と密 接な 関係 のあ った グレ ゴリ ウス 七 世の 亡く なっ た一
〇八 五年 まで の時 期を 扱う こと にし たい
︒ 注
︵ 以 下 で は
︑op.cit.,
を 省 略 し
︑ 前 掲 書 の 著 者 名 の み 挙 げ る
︒ 必 要 に 応 じ 書 名
︑ 論 文 名 を 補 う
︶
! マ テ ィ ル デ に は
︑ 辺 境 女 伯
︑ 女 大 公
︑ 女 伯
︵marchionissa,ducatrix,comitissa
︶ と 公 文 書 や ド ニ ゾ ー の
﹃ マ テ ィ ル デ 伝
﹄ の 中 で
︑ 自 称
︑ 他 称 を 含 め
︑ さ ま ざ ま な 称 号 が 使 わ れ
︑ そ こ に は 何 ら か の 原 理 は 認 め ら れ な い
︒ ド ニ ゾ ー な ど
︑ わ ず か 数 行 の 間 に 女 伯
︑ 女 大 公 と 両 方 を 使 っ て い る
︒ E
・ ゲ ー ツ は
︑ マ テ ィ ル デ 自 身 も
︑﹁ い ろ い ろ な 自 称 を し て 一 定 の 表 現 を し な か っ た こ と は
︑ 彼 女 の 法 的 立 場 に 原 因 が あ る
﹂ と し て い る が
︑ 既 に 彼 女 の 母 で あ る ベ ア ト リ ッ ク ス に は
︑ ド イ ツ 王 か ら の 辺 境 女 伯
︑ 女 大 公
︑ 女 伯 へ の 正 式 の 授 封 は 行 わ れ て お ら ず
︑ こ の 法 的 な 不 安 定 性 が
︑ マ テ ィ ル デ に お い て は も っ と 強 く
︑ 彼 女 の 支 配 権 は 決 し て 国 法 的 に 基 礎 づ け ら れ て い た も の で は な か っ た
︒ そ れ に 彼 女 は
︑ 一
〇 八 一 年 以 後 は 帝 国 追 放 令 を 受 け
︑ 余 計 に そ の 感 が 強 い の で あ る
︒ な お ド イ ツ の 文 献 で は
︑﹁ ト ス カ ナ 辺 境 女 伯
﹂ の 名 称 が よ く 使 わ れ て い る の で
︑ 本 稿 で も そ れ に 従 い
︑﹁ マ テ ィ ル デ
﹂ と い う 名 前 も
︑ 彼 女 の カ ノ ッ サ 家 の 人 々 の 名 前 も
︑ 便 宜 上 ド イ ツ 語 表 示 に 統 一 し て お き た い
︒
MGH,DieUrkundenundBriefederMarkgräfinMathildevonTuszien.hg.v.E.Goez.-W.Goez.
︵1998
︶
│ 以 下UK.
と 略 す
│
W.Goez,
” MurerfertigungderBghen-rrinvonCanossaUntrkundeathaildaDeigratisiUquidest“.Die.
︵DA.47,1991
︶S.392−393.
DonizonisVitaMathildis.
︵MGH.SS.XII.1968
︶ 同 右 翻 訳
︑ ド ニ ゾ ー
︑﹃ カ ノ ッ サ の マ テ ィ ル ダ 伝
﹄︵ 日 本 版 監 修
・ 樺 山 紘 一
︑ 辻 佐 保 子
︑ 岩 波 書 店
︑ 昭 和 六 十 一 年
︶
│ 以 下DO と 略 し
︑ 本 稿 で の 引 用 は こ の 翻 訳 を 使 う
︒ な お 本 稿 で は
﹃ マ テ ィ ル デ 伝
﹄ と 表 示 す る
︒
│
︑ 一 四 四
〜 一 四 五 ペ ー ジ
︒
トスカナ辺境女伯マティルデ ― 584 ―
E.Goez,MathildevonCanossa.
│HerrschaftzwischenTraditionundNeubeginn.
︵rnJaJ.v.hg.erung?euEVomrzuhucmbrUrnut
│M.
Wemhoff.2006
︶
│ 以 下E.G.H.
と 略 す
│
︑S.324.
! こ の 絵 は
︑ ド ニ ゾ ー の
﹃ マ テ ィ ル デ 伝
﹄ に 伝 え ら れ た 細 密 画 で
︑ カ ノ ッ サ 事 件 か ら 数 十 年 し て 作 成 さ れ た も の で
︑ マ テ ィ ル デ が 腰 掛 け
︑ そ の 脇 に ク リ ュ ニ ー 修 道 院 長 ユ ー グ が 立 っ て い る
︒
V.Fumagalli,MathildevonCanossa.
︵1998
︶.
│ 以 下V.F.
と 略 す
│
︑S.31.
本 書 の 伊 語 原 本 は
︑MatildediCanossa.PotenzaesolitudinediunadonnadelMedioevo.
︵1996
︶ で あ る が
︑ 本 稿 で は 原 本 を 参 照 し つ つ 独 訳 書 を 引 用 す る
︒
"
P.Golinelli,MathildeundderGangnachCanossa.ImHerzendesMittelalters.
︵1998
︶
│ 以 下P.G.
と 略 す
│
︑S.32.
同 様 に 本 書 の 伊 語 原 本 は
︑cuevioMeddeleorlMatildneossaanCieeo.
︵1991
︶ で あ る が
︑ 本 稿 で は 原 本 を 参 照 し つ つ 独 訳 書 を 引 用 す る
︒ ゴ リ ネ ッ リ は
︑ こ の カ ノ ッ サ 事 件 の 時 点 ま で
︑ カ ノ ッ サ 家 は 時 に 危 機 や 後 退 が あ っ て も
︑ 継 続 的 な 発 展 を し て い た が
︑ そ の 後 ま す ま す 後 退 し 領 地 を 放 棄 し て い く 傾 向 が 見 ら れ た と 述 べ て い る
︒
#DO.
一 三 四
〜 一 三 五 ペ ー ジ
︒ ド ニ ゾ ー の
﹃ マ テ ィ ル デ 伝
﹄ 及 び 彼 の マ テ ィ ル デ 観 に つ い て は
︑ 本 稿
︑︵ 二
︶ で 取 り 上 げ た い
︒
$,uszienTnvoeildathMMaleczekV.y-Pfersch.B.327,S.F..
︵FrauendesMittelaltersinLebensbildern.hg.v.K.Schnith.1997
︶
│ 以 下B.Pfer.
と 略 す
│
︑S.170.
%tlichntexKoenrischhistoemeinallgimsEssayeichW.eschngneersoPmittelalters.chHodesGestaltenez,Got.
︵1983
︶
│ 以 下W.G.
と 略 す
│
︑S.201.
本 書 の 増 補 改 訂 版 と し てeitStaudunSaliern,neOttoderZLebDieMittelalter.demsauerildsbenfer.
︵1998
︶ が 出 さ れ て い る が
︑ 旧 版 と 異 な る 所 で 必 要 な 場 合 は
︑W.G.II.
と し て 引 用 す る
︒
H.Zimmermann,GabtiseineMatildischeEpoche.
︵AnnaliCanossani.I.1981
︶.S.5. ツ ィ マ ー マ ン は
︑ マ テ ィ ル デ は あ る 人 々 に は 聖 人
︑ あ る 人 々 に は 魔 女 と 映 っ た と 評 し て い る
︒
&
本 稿
︑ 第 二 章 参 照
︒ マ テ ィ ル デ は
︑ 教 会 の た め に 戦 っ た 支 配 者 の 象 徴 と し て
︑ 敵 味 方 の 中 に 生 き 続 け た と も 評 さ れ る が
︑ し か し
︑ や わ ら か な 女 性 的 で 愛 ら し い 面 に つ い て は 全 く 知 ら れ て い な い
︒ こ れ は
︑ ダ ン テ の
﹃ 神 曲
﹄ の 煉 獄 篇 の 第 二 十 八 歌 か ら 第 三 十 三 歌 に か け て
︑ 所 々 登 場 す る 彼 女 と も 想 定 さ れ る 人 物 の 中 で 見 ら れ る だ け で あ る
︒
― 585 ― トスカナ辺境女伯マティルデ
B.Pfer.S.173.E.Goez,MathildevonCanossa.
︵2012
︶
│ 以 下E.G.
と 略 す
│
︑S.202.
(E.G.H.S.339.
一 カノ
ッサ 家の 先祖 で︑ 最初 に少 し知 られ てい る人 物は
︑ル ッカ 伯領 出の ジ ー クフ リ ー トで あ る が!
︑ はっ き り し てく る のは 彼の 子ア ーダ ルベ ルト
・ア ット から であ る︒ 彼は ドイ ツ王 のオ ット 一世 と協 力す る中 で︑ この 王よ りモ デナ
︑レ ッ ジオ
︑マ ント ヴァ の伯 に任 ぜら れ"
︑ レッ ジオ の南 西の 山中 にあ る近 寄り 難 い 険し い 岩 の上 に
︑同 家 の最 も 重 要 な城 と なる カノ ッサ 城を 建て た#
︒ ここ から この 家は カノ ッサ 家と も呼 ばれ るよ う に なる が
︑し か しこ の 家 は自 ら を カ ノッ サ 家と 名の った わけ では ない
$
︒ この 彼の 子が テー ダル トで
︑マ ティ ルデ の祖 父で あり
︑彼 の時
︑カ ノッ サ家 は既 に北 伊の 最も 強力 な勢 力と なり
︑彼 の 子ボ ニフ ァツ
︑即 ちマ ティ ルデ の父 の時 に︑ カノ ッサ 家の 力は 頂点 に 達 した
%
︒ボ ニ フ ァツ は
︑カ ノ ッサ 家 の 所 領を 最 大に した 人物 で︑ 同家 の最 も重 要な 人物 であ った
&
︒彼 はド イツ 王コ ンラ ート 二 世 によ っ て 一〇 三
〇 年頃 に ト ス カナ 辺 境伯 職を 授与 され
︑同 家の 勢力 範囲 は一 気に 倍増 した
'
︒彼 の権 力拡 大が ド イ ツ 王︵ 皇 帝︶ の 支持 に も 基づ い て い たよ う に︑ 彼の 祖父
︑父 と三 代に わた る勢 力拡 大は
︑ド イツ 王と の密 接な 関係 の中 で築 かれ たも ので あっ た(
︒ この ボニ ファ ツに 一〇 三七 年ご ろに 二度 目の 妻と して
︑後 にマ ティ ルデ の母 とな るベ アト リッ クス を与 えた のも
︑コ ン ラ ー ト 二 世 で あ っ た)
︒ コ ン ラ ー ト は
︑イ タ リ ア で の 自 ら の 主 な 支 え の 一 つ と し て︑ 彼 ら の 結 婚 を 求 め た の で あ る*
こ ︒ の ベア トリ ック スは
︑コ ンラ ート の妃 ギゼ ラの 姪で あっ たが
︑父 が早 く亡 くな った ため
︑ド イツ の宮 廷で ギゼ ラに
トスカナ辺境女伯マティルデ ― 586 ―
よ って 養女 とし て育 てら れた
!
︒こ のド イツ の王 家と の深 い関 係は
︑後 年の ベア ト リ ック ス や マテ ィ ル デの ハ イ ン リヒ 四 世と の関 係を 考え る場 合︑ 重要 な意 味を もっ てく るの であ る"
︒ この 結婚 の時
︑ボ ニフ ァツ は五 十歳 をこ えて おり
︑ベ アト リッ クス はお そら く十 五歳 前後 で︑ かな りの 年齢 差が あっ た#
︒し かし 二人 の間 には 三人 の子
︵ 男一 人︑ 女二 人︶ が生 れ︑ 最後 に一
〇四 六 年 ごろ に 生 れた の が マテ ィ ル デ で︑ 父は 既 に六 十歳 にな って いた
$
︒彼 女 には 将 来 は 教会 職 が 予定 さ れ︑ そ の教 育 の 中 心も 宗 教 教育 で あ った
︒%
六 歳 ま で は平 穏 で あ っ た 彼 女 の 生 活 も︑ 一
〇 五 二 年 に 父 の ボ ニ フ ァ ツ が 狩 り の 途 中 で 暗 殺 さ れ︑ 運 命 が 劇 的 に 変 わ る こ と に な っ た&
︒そ のう え八 歳ご ろに 兄と 姉が 亡く なり
'
︑彼 女が カノ ッサ 家の 後継 者と なり
︑生 涯の 方向 が変 化し たの であ る(
︒ 母の ベア トリ ック スは 夫の 亡き 後︑ その 所領 を維 持し
︑三 人の 子の ため に 支 配権 を 主 張す る の に成 功 し)
︑ そ の 後二 十 四年 間の 支配 の中 で︑ 広大 な領 地を 最大 限マ ティ ルデ に伝 える こ と が出 来 た ので あ る*
︒ E・ ゲ ーツ は
︑ベ ア ト リッ ク スは
︑マ ティ ルデ の影 に隠 れて 不当 にも その 功績 が忘 れら れて いる が︑ マテ ィル デを 育て
︑マ ティ ルデ の先 駆者 であ っ たば かり か︑ 彼女 自身
︑中 世盛 期の 最も 卓越 した 女諸 侯の 一人 であ った と高 く評 価し てい る+
︒ し かし 彼 女 はい く ら 有能 で あ れ︑ 当 時の 男 社 会の 中 で の 女の 統 治 は容 易 で はな く
︑特 に 後 継の 息 子 が亡 く な っ た あ と
︑強 力な 支え を求 めて い た,
︒ その 支 え の 一つ が 結 婚で あ り-
︑ お そら く 法 王 レオ 九 世 の仲 介 で︑ 一
〇五 四 年 の 夏か 秋 に彼 女は
︑親 戚の ロー トリ ンゲ ンの ゴッ トフ リー トと 結婚 した
.
︒ この 結婚 は︑ 彼ら の主 君で ある ドイ ツ王 のハ イン リヒ 三世 の許 可な く密 かに 行わ れ︑ しか も王 にと って 親戚 のベ アト リ ック スが
︑彼 の最 も手 強い 敵の 一人 であ るゴ ット フリ ート と結 びつ い た ため
︑彼 の 怒 りを も た らし
た/
︒彼 は こ れに 対 し直 に反 応し
︑翌 年の 三月 にイ タリ アに 来た が︑ ゴッ トフ リー トは ロー トリ ンゲ ンへ 逃げ
︑ベ アト リッ クス とマ ティ ル デは 捕え られ
︑ド イツ へ連 行さ れた
0
︒こ の母 と娘 二人 がゴ ット フリ ート とと も に 一〇 五 七 年は じ め にイ タ リ ア に帰 り えた のは
︑ハ イン リヒ 三世 が一
〇五 六年 十月 に亡 くな った から で1
︑ この 王の 死 が ベア ト リ ック ス に とっ て 決 定 的な
― 587 ― トスカナ辺境女伯マティルデ
転 機を 意味 して いた
!
︒し かし この 母と 娘に とっ て︑ この ドイ ツで の一 年半 ほ ど の拘 留 は︑ ド イツ 王 へ の彼 女 ら の 感情 に 目立 って 悪影 響を 及ぼ さな かっ たよ うで ある
"
︒い ずれ にせ よ︑ この 結婚 に よ って
︑ア ル プ スの 南 北 にま た が る 二つ の 大き な領 地が 合わ され るこ とに なっ たの であ る#
︒ ベア トリ ック スは
︑自 らの もう 一つ の支 えと して
︑法 王庁 との 関係 を求 め︑ これ がカ ノッ サ家 にと って 後に 重要 な意 味 をも つこ とに なっ た$
︒ 上述 の よう に 既 に 結婚 に 際 し︑ レオ 九 世 との 関 係 が 見ら れ た が%
︑ ハイ ン リ ヒ三 世 に つ いで 法 王ヴ ィク トル 二世 も一
〇五 七年 に亡 くな ると
︑ゴ ット フリ ート
︵と ベア トリ ック ス︶ は素 早く 行動 し︑ 彼の 兄弟 をス テ ファ ヌス 九世 とし て改 革派 の法 王に 選ば せ︑ いわ ゆる ロー トリ ンゲ ン・ トス カナ 系の 法王 時代 をも たら すこ とに なっ た&
︒こ の時 から 特に ベア トリ ック スは
︑改 革法 王庁 の最 も重 要な 頼り うる 助け 手と なっ たの であ る'
︒ こう した 中で マテ ィル デは
︑非 常に よい
︑女 子と して は異 例の 教育 を受 け︑ ラテ ン語 の読 み書 きも 少し は出 来︑ 日常 語 では 伊語 とと もに 独仏 語も 流暢 にし ゃべ った
(
︒彼 女は
︑本 来の 教育 方針 か ら して
︑子 供 の 時か ら 宗 教の 世 界 に 親し ん でお り)
︑ 母も 信心 深く
︑彼 女 を教 会 改 革 の指 導 者 とも 知 り 合わ せ た*
︒ こ こ から も マ ティ ル デ には 教 会 の 事が
︑生 涯 の主 な関 心事 とな った よう であ る+
︒ マテ ィル デの 生涯 にと って 次に 大き な事 件は
︑義 父の ゴッ トフ リー トが 一〇 六五 年末 に亡 くな った こと であ る︒ クノ ー ナ ウ も 見 る よ う に︑ こ の 結 果︑ 彼 女 と 母 の 行 動 は は る か に 自 由 に な り
︑法 王 庁 と の 関 係 も 一 層 密 接 な も の と な っ た,
︒義 父は 亡く なる 少し 前に
︑息 子 の同 名 の ゴ ット フ リ ート を マ ティ ル デ と 結婚 さ せ た-
︒ これ は ロ ート リ ン ゲ ンと ト スカ ナ︑ ポー 平 野 の二 つ の 支配 地 の 後継 を 生 前 に整 え る ため で あ った
が.
︑こ の 結 婚に つ い ては マ テ ィル デ の 対 応︑ 行 動を めぐ りさ まざ まに 論じ られ てき た︒ 夫と なっ たゴ ッ ト フリ ー ト に身 体 的 な障 害 が あ った た め/
︑ こ の結 婚 は 強制 的 に 圧 力に よ っ ての み 行 われ た も の で︑ マ ティ ルデ に と って
︑つ ら く 不幸 な 結 婚と 見 ら れ てき
た0
︒当 時 の貴 族 層 の結 婚 が そ もそ も 本 人の 自 由 意志 で は な く︑
トスカナ辺境女伯マティルデ ― 588 ―
何 らか の圧 力に よっ て行 われ たの が普 通で あり
!
︑彼 女の 結婚 のみ を特 別 視 する こ と はな い の であ る が︑ 一 般 に︑ 美し い 女で ある マテ ィル デが
︑よ りに よっ て醜 い男 と結 婚す る運 命に あ っ たと
"
︑は じ め から 否 定 的に 見 ら れ︑ 彼 女の
︑障 害 をも つ夫 への 嫌悪 が強 調さ れて きた
#
︒こ れは 俗耳 に入 りや すい 見 方 だが
︑P
・ゴ リ ネ ッリ も 見 るよ う に︑ 障 害 が彼 女 に不 快感 を起 さ せ た真 の 原 因で あ っ たの か ど う かは 分 か らな い の であ
る$
︒確 か に 彼女 は 後 述の 法 王 への 手 紙 で も︑ こ の結 婚か らの 解放 を望 んで いる が︑ これ が現 代人 のよ うな 自由 への 意識 で あ った の か は疑 問 で あり
︑%
彼 女 の 結 婚へ の 拒否 的態 度に つい ての 理由 は種 々推 測さ れる が︑ どれ も史 料の 裏付 けは ない ので ある
&
︒ ゴッ トフ リー トは 障害 者と はい え︑ 彼に 敵対 的な 年代 記者 のラ ンペ ルト でさ え︑ 尊敬 して いた ほど 優れ た卓 越し た人 物 で'
︑ ハイ ンリ ヒ四 世の 誠実 な友 であ り︑ 忠誠 で信 頼し うる 人物 であ った と見 られ てい る(
︒ この 夫婦 の仲 がど うで あれ
︑マ ティ ルデ は一
〇七
〇年 のう ちに 妊娠 し︑ 翌 年 に子 供 を 産ん で い る)
︒ しか し こ れ は非 常 に難 産で
︑こ の子 はま もな く亡 くな った
*
︒彼 女の どの 文書 にも
︑こ の子 へ の 供養 が な され て い ない の は︑ 彼 女 の結 婚 への 気持 を見 る上 で注 目さ れる もの であ る+
︒ マ ティ ル デ は健 康 を 回復 す る と︑ 一
〇七 一 年 の秋 か 末 に 夫の ゴ ッ トフ リ ー トの 所 を 去 り︑ イタ リ ア の母 の 所 へ 帰 っ た,
︒こ んな 行動 は少 なく とも 表面 的に 見る 限り
︑当 時の 女性 とし ては 珍し い も ので
︑し か も それ が 本 当に 離 婚 の ため な ら-
︑ 離婚 を認 めな い教 会と
︑信 心深 い彼 女の 立場 はど う折 り合 った のか 疑問 であ ろう
︒ 一方
︑夫 のゴ ット フリ ート は結 婚状 態を 回復 しよ うと
︑一
〇七 二年 の秋 か末 にイ タリ アに 来︑ 翌年 の八 月ま で滞 在し た.
︒こ れも 当時 の王 侯級 の男 子 の行 動 と し ては
︑珍 し く 誠実 な も ので あ っ た/
︒ し かし 彼 女 は夫 に 一 度も 会 わ ず 和解 を 拒み
︑彼 の努 力は 失敗 した らし い0
︒ ここ で注 目さ れる のが
︑マ ティ ルデ が信 頼す る法 王グ レゴ リウ スの
︑彼 女や ゴッ トフ リー トへ の対 応で ある
︒ゴ ット フ リー トが 上述 のイ タリ アに 滞在 中に
︑グ レゴ リウ スは 法王 にな った が︑ ゴッ トフ リー トは グレ ゴリ ウス の法 王就 任を
― 589 ― トスカナ辺境女伯マティルデ
祝 福し
︑同 時に グレ ゴリ ウス に結 婚上 の困 難に 助け を求 め︑ グレ ゴリ ウス は五 月六 日の 手紙 で︑ ゴッ トフ リー トに この 問 題を 引き 受け る約 束を して いる
!
︒翌 年一
〇七 四年 初め の法 王の マテ ィル デ 宛 の二 通 の 手紙 は
︑こ の 問題 を 解 決 する 意 図 で︑ お そら く 書 かれ た も の であ っ た"
︒法 王 の 二 通 目 の 手 紙 は︑ 曖 昧 な 言 葉 遣 い で 明 確 で は な い が
︑E
・ゲ ー ツ は
︑こ こで 法王 は彼 女の 結婚 解消 への 願い に応 ぜず
︑む しろ 夫に やさ しく する よう に忠 告し
︑離 婚に 反対 して いる と解 釈 して いる
#
︒ 母の ベア トリ ッ ク スも 娘 の 離婚 に 強 く反 対 す る 中で
︑法 王 は この 母 の 願い に 反 し て行 動 し たく な か った ば か り か$
︑ 彼 はゴ ット フリ ー ト をな お 長 く頼 り う る同 盟 者 と して 確 保 した か っ たた め
︑彼 に と って 夫 婦 の和 解 は 重要 で あ っ た%
︒ し かし この 彼や 母の 願い に対 し︑ マテ ィル デは 頑固 で︑ 夫と の和 解を しな かっ た&
︒ さら にそ の後
︑王 ハイ ンリ ヒに 忠実 なゴ ット フリ ート と︑ 法王 側に しっ かり と付 いて いる ベア トリ ック スと マテ ィル デ の間 の溝 は深 まっ てい った
'
︒ゴ ッ トフ リ ー ト はま す ま す強 く 王 の方 へ 近 づ き(
︑ ゴッ ト フ リー ト と 法王 の 関 係 もお か しく なっ た)
︒ ゴッ トフ リー トは 今や 法王 から 離れ
︑一
〇七 六年 一月 に王 が 召 集し た ヴ ォル ム ス 会議 に お い て︑ 法王 へ の断 罪の 中で
︑マ ティ ルデ と法 王の 関係 を問 題に した 一人 でも あっ た*
︒ この ヴォ ルム ス会 議か ら一 ヶ月 後の 二月 に︑ この ゴッ トフ リー トが 暗殺 され たの であ る︒ 誰が 犯人 か明 らか では ない が+
︑夫 のゴ ット フリ ート が亡 く なっ た こ と は︑ マテ ィ ル デの 結 婚 問題 を 思 わ ぬ形 で 解 決し
た,
︒こ の 知ら せ は 彼 女へ の 解 放 の よ う に 働 き-
︑ 彼 女 は 夫 の こ と を 悼 ま ず︑ 彼 の 魂 の 救 い の た め に 寄 進 も し て い な い︑ と 一 般 に 見 ら れ て い る.
︒確 かに 多く の寄 進文 書 のど れ に も︑ 夫 のた め の 祈り の 願 いを 示 す も のは な い が/
︑ 彼女 は し かし
︑法 王 に 夫 の魂 の ため の祈 りを
︑は っき りと 求め てい たの であ る0
︒ それ に夫 が亡 くな った あと
︑マ ティ ルデ はま もな く 自 らを 何 度 も︑
﹁大 公 ゴ ッ トフ リ ー トの 未 亡 人﹂ と名 の っ て いた の であ る1
︒ さら に彼 女は
︑結 婚に よっ て属 する こと にな った 夫の サリ ー法 に︑ 夫の 没後 も属 して いる こと
︵
lege vivere
トスカナ辺境女伯マティルデ ― 590 ―
Salicha
︹
Saliga, Sallica
︺︶ を 一生 述べ てお り︑ 二通 の公 文書 でも 夫に つい て語 って いる
%
︒同 様に 彼女 は︑ 亡夫 の遺 産へ の 要求 を出 し︑ その 一部 を獲 得し てい るの であ る&
︒ この よう な経 過を 見る と︑ やは りこ の夫 婦の 関係 は︑ 単純 に現 代風 の男 女の 好き 嫌い の感 覚で は捉 えら れな いの であ る
︒そ もそ も個 人の 意志 に関 係の ない 政略 結婚 が当 り前 であ った 当時 にお いて
︑マ ティ ルデ が結 婚生 活と いう もの に現 代 人の よう な思 いや 期待 をも って いた とは 到底 考え られ ない ので ある
'
︒
! 注 こ の 家 の 起 源 は は っ き り し な い が
︑ レ ッ ジ オ
・ エ ミ リ ア の 司 教 の 臣 下 で あ っ た よ う で
︑ ジ ー ク フ リ ー ト は
︑ パ ル マ 周 辺 や ア ペ ニ ン 山 地 の 北 に お い て 権 力 と 所 領 を 得 た
︒
DO.
五 十 二
〜 五 十 三 ペ ー ジ
︒B.Pfer.S.155.E.G.S.9−10.
LexikondesMittelalters.
│ 以 下LM.
と 略 す
│
︑Bd.II.
︵1983
︶.Sp.1440.
"
彼 が 後 に オ ッ ト の 妃 と な る ア ー デ ル ハ イ ト を 助 け た こ と か ら
︑ カ ノ ッ サ 家 の 上 昇 が 始 ま る
︒ 彼 は 複 数 の 伯 領 の 支 配 者 と な り
︑ 実 質 的 に 辺 境 伯 と な っ た
︒
A.Overmann,GräfinMathildevonTuscien.
︵1895,1965
︶
│ 以 下A.O.
と 略 す
│
︑S.4.
B.Pfer.S.155.E.G.S.16,19.DO.
五 十 九
︑ 六 十 七 ペ ー ジ
︒ V
・ フ マ ガ ッ リ
︑﹁ ド ニ ゾ ー の 詩
│Vat.lat.4922
﹂︑DO.
二 十 二 ペ ー ジ
︒
# E
・ ゲ ー ツ は
︑ 彼 の 下 で こ の 家 が 最 終 的 に は ア ペ ニ ン 山 中 で の 定 着 に 成 功 し
︑ そ れ ゆ え に 彼 は カ ノ ッ サ 家 の 祖 と み な さ れ る と 見 て い る
︒
W.G.S.177−178.E.G.S.10−11.
$
﹁ カ ノ ッ サ 家
﹂ と い う 呼 称 は
︑ 後 世 の 歴 史 家 に よ っ て 付 け ら れ た だ け で
︑ こ の 呼 称 は 一 般 に 現 代 の も の と さ れ て い る
︒ た だ 十 一 世 後 半 の 公 文 書 で 一 度 だ け 先 祖 の ア ー ダ ル ベ ル ト
・ ア ッ ト に の み
﹁deCanossii
﹂ が 付 け ら れ て い る
︒
LM.Bd.II.Sp.1440.
E.Goez,BeatrixvonCanossaundTuszien.EineUntersuchungzurGeschichtedes11.Jahrhunderts.
︵1995
︶
│ 以 下E.G.Be.
と 略 す
― 591 ― トスカナ辺境女伯マティルデ
│
︑S.9.9.Anm.2.
ド ニ ゾ ー は
︑﹃ マ テ ィ ル デ 伝
﹄ の 中 で
︑﹁ カ ノ ッ サ 家 の 君 主 た ち
﹂︵deprincipibusCanusinis
︶ の 称 号 の 中 に
︑ 初 め て
﹁ カ ノ ッ サ 家
﹂ を
︑ そ の 本 拠 の 城 に よ っ て 名 付 け て い る
︒ 領 国 内 で 最 も 名 高 い 城 の 名 を 借 り て
︑﹁ カ ノ ッ サ 家
﹂ と 呼 ん だ 最 初 の 歴 史 家 は
︑ こ の ド ニ ゾ ー で あ る
︒
DO.
四 十 八
〜 四 十 九 ペ ー ジ
︒E.G.H.S.333.V.F.S.25.
! テ ー ダ ル ト は
︑ 既 に
﹁ 大 公 に し て 辺 境 伯
﹂︵duxetmarchio
︶ の 新 し い 称 号 で 署 名 し て い る
︒
DO.
七 十 二
〜 七 十 三 ペ ー ジ
︒W.G.S.178.B.Pfer.S.156.E.G.S.21.
"
B.Pfer.S.155−156.E.G.Be.S.10.
#DO.
一
〇
〇
〜 一
〇 一 ペ ー ジ
︒B.Pfer.S.156.W.G.S.178.
A.O.S.4.E.G.S.33.LM.Bd.II.Sp.423,1440.
こ の 授 与 の 年 は は っ き り せ ず
︑ 一
〇 二 七 年 か ら 一
〇 三 二 年 の 間 と さ れ
︑ こ れ で も っ て 同 家 の 勢 力 は
︑ 北 は ア ル プ ス 南 麓 の ガ ル ダ 湖 か ら 南 は ロ ー マ の 郊 外 ま で 達 し た
︒ ボ ニ フ ァ ツ は
︑ こ の 広 大 な 領 地 の 中 心 を 本 拠 の カ ノ ッ サ 城 か ら マ ン ト ヴ ァ に 移 し た
︒ ド ニ ゾ ー は
︑ ボ ニ フ ァ ツ を
﹁ 大 公 に し て 辺 境 伯
﹂ と 呼 び
︑ ベ ア ト リ ッ ク ス の 公 文 書 で も 同 様 に 表 示 さ れ て い る
︒
V.F.S.17.P.G.S.60.DO.
八 十 二
〜 八 十 三 ペ ー ジ
︒
UK.Nr.9.S.56,Nr.11.S.62.
$B.Pfer.S.156.A.O.S.40.
H.E.J.Cowdrey,PopeGregoryVII1073−1085.
︵1998
︶
│ 以 下H.E.J.
と 略 す
│
︑p.296.
オ ー バ ー マ ン は
︑ カ ノ ッ サ 家 の
﹁ 伝 統 的 に 皇 帝 に 忠 実 な 政 策
﹂ と 表 現 し
︑ カ ウ ド リ ー も
︑ カ ノ ッ サ 家 は
︑ ド イ ツ 王 に 多 く の お 蔭 を 受 け て い る と 見 て い る
︒
%.10.−S.72G.P.p.296.J.E.H.S.123.O.A.SW.BeG.E.39.−S.38G.E.S.178.G..73.
も っ と も ド ニ ゾ ー は
︑ ボ ニ フ ァ ツ 自 身 が ベ ア ト リ ッ ク ス を 妻 に 求 め た か の よ う に 記 述 し て い る
︒
DO.
九 十 六
〜 九 十 七 ペ ー ジ
︒
&
W.G.S.178.E.G.Be.S.13,15.
こ の 結 婚 で コ ン ラ ー ト は
︑ イ タ リ ア で 最 も 重 要 な 臣 下 で あ る ボ ニ フ ァ ツ を
︑ さ ら に 密 接 に ド イ ツ に 結 び つ け る の に 成 功 し た
︒ 'W.G.S.178.B.Pfer.S.156.
ベ ア ト リ ッ ク ス の 父 は
︑ 上 ロ ー ト リ ン ゲ ン 大 公 フ リ ー ド リ ヒ で
︑ 母 は シ ュ ヴ ァ ー ベ ン 大 公 の 娘 で あ り
︑ ベ ア ト リ ッ ク ス は 生 れ
トスカナ辺境女伯マティルデ ― 592 ―
か ら し て ド イ ツ 人 で あ っ た
︒ ギ ゼ ラ は
︑ ベ ア ト リ ッ ク ス の 母 と 姉 妹 で あ る が
︑ ベ ア ト リ ッ ク ス は
︑ 父 が 一
〇 三 三 年 に 亡 く な り
︑ ド イ ツ の 宮 廷 に 引 き と ら れ た
︒ し か し ベ ア ト リ ッ ク ス が
︑ 年 齢 的 に 近 い ハ イ ン リ ヒ 三 世 と 一 緒 に 育 て ら れ た 可 能 性 は
︑ 極 め て 少 な い と 見 ら れ て い る
︒
P.G.S.73.V.F.S.17.E.G.Be.S.10−12.
! ド ニ ゾ ー は
︑ ハ イ ン リ ヒ 三 世 を
﹁ ベ ア ト リ ッ ク ス と マ テ ィ ル デ の 主 君 で あ り
︑ 縁 戚 者 で も あ る
﹂ と 表 現 し て い る
︒
DO.
一 一 四
〜 一 一 五 ペ ー ジ
︒ E
・ ゲ ー ツ は
︑ 王 家 と つ な が る ベ ア ト リ ッ ク ス の こ の 出 自 が
︑ カ ノ ッ サ 家 に ヨ ー ロ ッ パ 的 な 地 位
︑ 名 声 を も た ら し た と 見 て い る
︒ ド ニ ゾ ー が
︑ ベ ア ト リ ッ ク ス を
﹁ 王 の 家 系 か ら 生 ま れ た
﹂ と 記 述 し て い る の は 誤 り で あ る が
︑ ド ニ ゾ ー も や は り ド イ ツ 王 家 と の つ な が り を 重 視 し て い た こ と を 示 し て い る
︒
E.G.Be.S.15,193.DO.
九 十 二
〜 九 十 三 ペ ー ジ
︒
"
結 婚 は
︑ 一
〇 三 七 年 七 月 と 一
〇 三 八 年 八 月 の 間 に 行 わ れ た
︒ ボ ニ フ ァ ツ は
︑ 九 八 五 年 ご ろ の 生 れ で
︑ ベ ア ト リ ッ ク ス の 生 年 は は っ き り せ ず
︑ 一
〇 一 三 年 か ら 一
〇 二 六 年 の 間 と さ れ て い る の で
︑ 彼 女 は 二 十 四
︑ 五 歳 か ら 十 一
︑ 二 歳 の 間 で あ っ た
︒
E.G.Be.S.10,13,15−16.P.G.S.73.
#W.G.S.179.
マ テ ィ ル デ の 生 年 は は っ き り し て い な い が
︑ ド ニ ゾ ー が 一 一 一 五 年 に 彼 女 が 六 十 九 歳 で 亡 く な っ た と 語 っ て い る こ と か ら 逆 算 し て
︑ 一 一 四 六 年 ご ろ と 推 定 さ れ て い る
︒
DO.
二 一
〇
〜 二 一 一 ペ ー ジ
︒A.O.S.123.E.G.Be.S.29.E.G.S.57.
$B.Pfer.S.158.P.G.S.112.
%P.G.S.112.A.O.S.123.E.G.S.61.B.Pfer.S.157.
E
・ ゲ ー ツ は
︑ 父 の 暗 殺 で す べ て が 変 わ っ た と 表 現 し て い る が
︑ ボ ニ フ ァ ツ は お そ ら く 臣 下 の 一 人 に 殺 さ れ た
︒ 彼 ら 臣 下 は
︑ 高 位 貴 族 の 支 配 に 反 抗 し 始 め て い た の で あ る
︒
&
姉 は 一
〇 五 三 年 に
︑ 兄 は 一
〇 五 五 年 に 亡 く な っ た と い う 説 も あ る が
︑ E
・ ゲ ー ツ は
︑ 姉 は 兄 よ り 少 し 前 で
︑ 両 者 は 一
〇 五 三 年 十 二 月 十 七 日 か ら し ば ら く 後 に 亡 く な っ た と 見 て い る
︒
A.O.S.123−124.E.G.S.62.E.G.Be.S.21.
'B.Pfer.S.158.
― 593 ― トスカナ辺境女伯マティルデ
!B.Pfer.S.157.E.G.Be.S.72.
ド ニ ゾ ー は
︑ ベ ア ト リ ッ ク ス は
︑ 栄 誉 あ る 地 位 を 保 ち
︑ 所 領 を
﹁ う ま く 保 ち 治 め た
﹂ と 語 っ て い る が
︑ E
・ ゲ ー ツ は ま た
︑ ボ ニ フ ァ ツ が 殺 さ れ
︑ そ の 後 の き び し い 危 機 と と も に
︑ カ ノ ッ サ 家 の 衰 退 が 始 ま っ た と も 見 て い る
︒ 実 際
︑ ボ ニ フ ァ ツ の 暗 殺 後
︑ 反 乱 も あ っ た
︒
DO.
一 一 四
〜 一 一 五 ペ ー ジ
︒E.G.Be.S.192.E.G.S.61.
"
E.G.Be.S.194.
こ れ に は
︑ ベ ア ト リ ッ ク ス が
︑ 統 治 へ の 有 能 な 才 能 を も っ て い た こ と や
︑ 信 頼 で き る 助 け 手 を 選 び え た 幸 運 に よ っ て
︑ は じ め て 可 能 で あ っ た
︑ と E
・ ゲ ー ツ は 見 て い る
︒
#E.G.Be.S.194.
$P.Ser.PfB.S.118.G.S.62.E.G.E..10.S.BeG..157.
W.Mohr,GeschichtedesHerzogtumsLothringen.TeilII.
︵1976
︶.S.25.
%E.G.Be.S.21,30.P.G.S.118.
&
P.G.S.118.V.F.S.17,19.
レ オ 九 世 と ベ ア ト リ ッ ク ス は 親 戚 で あ り
︑ E
・ ゲ ー ツ は
︑ ベ ア ト リ ッ ク ス と ゴ ッ ト フ リ ー ト の 両 者 は
︑ お 互 い に 子 供 の こ ろ か ら 知 っ て い た と 見 て い る
︒
P.G.S.113.E.G.S.62−63.
'E.G.S.63.W.Mohr,S.25,28.
E.Steindorff,JahrbücherdesDeutschenReichsunterHeinrichIII.
︵1874,1969
︶Bd.III.S.273.
E
・ ゲ ー ツ は
︑ 王 の 許 可 を 得 な い こ の 結 婚 は
︑ 当 時 の 人 々 に と っ て 公 然 た る 裏 切 り の よ う に 思 わ れ た と 評 し て い る
︒
E.G.Be.S.23.B.Pfer.S.157.
ゴ ッ ト フ リ ー ト は 当 時
︑ ハ イ ン リ ヒ 三 世 に よ っ て 上 ロ ー ト リ ン ゲ ン の 大 公 位 を 罷 免 さ れ 追 放 さ れ て い た
︒
E.G.Be.S.10,21.H.E.J.p.296.
(A.Steindorff,E.S.18.F.V.124.−S.123O..23.E.S.BeG.E.64.−S.63G.S.304.
モ ー ア は
︑ こ の 捕 縛 の 理 由 と し て 結 婚 以 外 の も の を 見 て い る
︒W.Mohr,S.29.
)V.F.S.18.
E
・ ゲ ー ツ は
︑ 王 の 在 世 中 は
︑ 彼 ら と 和 解 は な く
︑ ゴ ッ ト フ リ ー ト も
︑ 王 が 亡 く な っ て 一 夜 の う ち に
︑ 追 放 さ れ て い た 者 か ら
︑ 最 も 強 力 な 大 公 に な っ た と 表 現 し て い る
︒
E.G.S.63,65.W.Mohr,S.31.
トスカナ辺境女伯マティルデ ― 594 ―
!E.G.Be.S.10,25.
E
・ ゲ ー ツ は
︑ ゴ ッ ト フ リ ー ト と ベ ア ト リ ッ ク ス の
︑ こ の ま さ に 絶 望 的 と 思 わ れ た 状 況 の 中 で
︑ 彼 ら を 救 っ た の は
︑ 王 の 突 然 の 死 で あ っ た と も 表 現 し て い る
︒ E
・ ゲ ー ツ は
︑ 王 と ゴ ッ ト フ リ ー ト の 和 は
︑ 王 の 在 世 中 は あ り え な い と 見 て い る が︵ 前 注
︶︑ オ ー バ ー マ ン や モ ー ア は
︑ 両 者 の 和 は 既 に 一
〇 五 五 年 ま た は 一
〇 五 六 年 に 成 立 し て い た と 見 て い る
︒
A.O.S.124.W.Mohr,S.30.W.G.S.180.
"
ド ニ ゾ ー は
︑ ハ イ ン リ ヒ 三 世 に 対 し 常 に 好 意 的 で 讃 え て い た が
︑ こ れ が カ ノ ッ サ 家 の ド イ ツ の 王 家 へ の 気 持 を 反 映 し て い た と 見 る な ら
︑ こ の 拘 留 自 体 は
︑ 余 り 影 響 し な か っ た よ う で あ る
︒ む し ろ ベ ア ト リ ッ ク ス に と っ て は
︑ 王 の 許 可 を 受 け な か っ た こ と へ の 罪 意 識 も あ っ た の か も し れ な い
︒ た だ こ の 拘 留 に つ い て
︑ ド ニ ゾ ー が 全 く 何 も ふ れ て い な い こ と は
︑ こ の 件 が 彼 女 ら に と っ て
︑ よ い 経 験 で は な か っ た こ と を 窺 わ せ る の で あ る
︒ ち な み に こ の 件 に 言 及 し て い る の は
︑ ボ ニ ゾ ー の み で あ る
︒
DO.
一
〇
〇
〜 一
〇 一
︑ 一
〇 六
〜 一
〇 七
︑ 一 一 四
〜 一 一 五 ペ ー ジ
︒
A.O.S.124.
BonizovonSutri,Liberadamicum.
︵P.Jaffé,ed,MonumentaGregoriana
︶V.S.63.
ThePapalReformoftheEleventhCentury.
︵tr.&an.byI.S.Robinson
︶
︵2004
︶p.195.
#er.S.BeG.E..157.SPfP.B.S.181.G..WS.120.G..27.
ア ル プ ス の 南 で は ベ ア ト リ ッ ク ス が
︑ ゴ ッ ト フ リ ー ト 以 上 に 強 く 諸 件 を 決 定 し て い た
︒ ゴ ッ ト フ リ ー ト が ア ル プ ス の 北 を 支 配 し
︑ ベ ア ト リ ッ ク ス が 南 部 で ゴ ッ ト フ リ ー ト を 代 理 し て い た
︒ ベ ア ト リ ッ ク ス は
︑ ゴ ッ ト フ リ ー ト の 留 守 の 時 は
︑ 完 全 に 独 立 し て 支 配 権 を 行 使 し た
︒ E
・ ゲ ー ツ は
︑ ベ ア ト リ ッ ク ス は
︑﹁ 異 例 の 独 立 性
﹂ を も っ て 活 動 し た と 見 て い る
︒
$P.G.S.113.
% レ オ 九 世 と の 関 係 に は
︑ ベ ア ト リ ッ ク ス が 彼 と 親 戚 で あ っ た こ と も
︑ こ の 関 係 樹 立 を 容 易 に し た
︒
P.G.S.113.
&
W.G.S.181.P.G.S.124.
'E.G.Be.S.193.
(SS.6.ann,rmmmeZiH..163.er.E.PfB.123.60,−S.59G.DO.
一 三
〇
〜 一 三 一
︑ 一 九 六
〜 一 九 七 ペ ー ジ
︒ ヴ ァ イ ン フ ル タ ー は
︑ マ テ ィ ル デ を
﹁ と び ぬ け て 教 養 あ る 女 性
﹂ と 評 し て い る
︒
S.Weinfurter,Canossa.DieEntzauberungderWelt.
︵2006
︶S.15.
)E.G.S.60.B.Pfer.S.161−162.
*W.G.S.182.B.Pfer.S.162.
― 595 ― トスカナ辺境女伯マティルデ
!W.G.S.182.
"
G.MeyervonKnonau,JahrbücherdesdeutschenReichesunterHeinrichIV.undHeinrichV.
︵1894,1964
︶
│ 以 下M.v.K.
と 略 す
│
︑Bd.I.S.635.
ク ノ ー ナ ウ は
︑ 一 方 で 彼 女 ら の 方 は
︑ 法 王 庁 に 頼 る こ と が 強 く な り
︑ 他 方 で 法 王 庁 の 方 は
︑ カ ノ ッ サ 家 の 権 力 手 段 を ま す ま す 利 用 で き る よ う に な っ た と 見 て い る
︒
#.S,ohrM.WS.638.I.K.v.MP..30.S.BeG.E.S.242.O.A.S.147.G..48.
結 婚 は
︑ 十 一 月 末 か 十 二 月 に 行 わ れ た
︒
$P.G.S.147.H.E.J.p.297.
% ゴ ッ ト フ リ ー ト は
︑ ド イ ツ 語 で
﹁GottfriedderBucklige
﹂︵
﹁ せ む し
﹂ の ゴ ッ ト フ リ ー ト
︶ と 言 わ れ る よ う に
︑ 背 骨 に 障 害 が あ っ た
︒
&
W.G.S.182.H.E.J.p.97,297.E.G.Be.S.30.E.G.S.79.
こ の 結 婚 は
︑ さ ら に 最 初 か ら 破 綻
︑ 失 敗 し て い た と か
︑ そ れ ど こ ろ か
︑ 見 せ か け の 結 婚 で
︑ 現 実 に は な さ れ な か っ た と い う 見 方 さ え あ る
︒ し か し こ の 後 者 の 説 に つ い て は
︑ オ ー バ ー マ ン も ク ノ ー ナ ウ も 否 定 し て い る
︒ ド ニ ゾ ー は
︑ そ も そ も こ の 結 婚 に つ い て 全 く ふ れ ず
︑ マ テ ィ ル デ は 処 女 を 守 っ た か の よ う に 語 っ て い る
︒
A.O.S.VI,129,243.M.v.K.II.S.656.Anm.58.DO.
四 十 八
〜 四 十 九
︑ 二 一 七 ペ ー ジ
︒ 'E.G.S.78.
E
・ ゲ ー ツ も 言 う よ う に
︑ 高 位 の 貴 族 で は
︑ 結 婚 は 権 力 や 利 害 の 視 点 か ら 結 ば れ た
︒ (V.F.S.19.
マ テ ィ ル デ の 墓 の 調 査 か ら は
︑ 彼 女 が 薄 い 赤 い ブ ロ ン ド の 髪 で
︑ 白 い き れ い な 歯 並 び の 美 し い 女 性 で あ っ た と 見 ら れ て い る
︒ ド ニ ゾ ー な ど は
︑﹁ デ ィ ア ナ の 星 が 輝 く ほ ど に 明 る く 光 っ て い た
﹂ と
︑ 月 の 女 神 デ ィ ア ナ の よ う に 美 し い と 讃 え て い る
︒
P.G.S.74.B.Pfer.S.163.H.Zimmermann,S.5.
DO.
一 二 八
〜 一 二 九 ペ ー ジ
︒ )P.G.S.156.
*W.52,S,ohrM.S.83.P.G.E.157.−156S.148,G.58.
E
・ ゲ ー ツ も
︑ こ れ に つ い て 詮 索 す る の は 無 意 味 と 述 べ て い る が
︑ W
・ モ ー ア は こ の 点 に つ い て 全 く ふ れ ず
︑ 両 者 の 不 和 の 始
トスカナ辺境女伯マティルデ ― 596 ―
ま り を
︑ ま ず ド イ ツ と イ タ リ ア で の 支 配 者 と し て の 立 場 の 違 い か ら 見
︑ さ ら に 彼 女 の 夫 へ の 嫌 悪
︑ 夫 の 人 物 に 対 し て の も の と 見 る べ き で は な く
︑ 余 り に も 近 い 親 戚 関 係 の ゆ え の 不 安 と 見 て い る
︒ 即 ち 彼 女 に は
︑ 義 父 の 息 子 の 妻 で あ る と い う 考 え に 耐 え ら れ な か っ た の で あ る
︒ モ ー ア の こ の 冷 静
︑ 客 観 的 な 観 察 は
︑ も っ と 注 目 さ れ て い い も の で あ ろ う
︒
! W
・ ゲ ー ツ が
︑ こ れ は 彼 女 に 押 し つ け ら れ た 最 も 深 く 嫌 悪 す る 夫 か ら 離 れ た い と い う 叫 び 声 の よ う に 思 わ れ た と
︑ ま る で 現 代 人 の 反 応 の よ う に 解 釈 し て い る の は 疑 問 で あ ろ う
︒
W.G.S.185.DasRegisterGregorsVII.hg.v.E.Caspar.
︵MGH,Epp.sel.1920
︶
│ 以 下Reg.
と 略 す
│
︑I.40,46.
後 注
︑&
︑'
︑ 参 照
︒
"
B.Pfer.S.160.
オ ー バ ー マ ン は
︑ 難 産 の ゆ え に も は や 夫 と 関 係 を も ち た く な か っ た と も 見 て い る が
︑ 彼 女 は 相 手 が 誰 で あ れ
︑ そ も そ も 結 婚 と い う も の を 忌 避 し て い た と い う 見 方 も あ る
︒ オ ー バ ー マ ン は
︑ グ レ ゴ リ ウ ス 七 世 の 考 え に す っ か り 満 た さ れ て い た 彼 女 に と っ て
︑ 結 婚 は 死 に 値 す る 罪 と 思 わ れ た と 見 て い る
︒ プ フ ェ ル シ│
マ レ ツ ェ ッ ク は
︑ 彼 女 が 義 父 の ゴ ッ ト フ リ ー ト を 憎 ん で い た こ と か ら
︑ そ の 義 父 の 息 子 と の 結 婚 を 最 初 か ら 不 快 に 思 っ て い た と も 見 て い る
︒
A.O.S.244.B.Pfer.S.160.
#.159II.K.v..M160.−SP.er.PfB.S.79.G.E.S.156.G.S.654.
LampertvonHersfeld,LampertimonachiHersfeldensisAnnales.
︵enBMittelalters.desteicheschGutschAuderzuellenQulteewähsgd.
XIII.1973
│ 以 下AQ.
と 略 す
│
︶
│ 以 下LA.
と 略 す
│
︑S.348−349.
彼 は
︑ 精 神 面 や 政 治 面 で 才 能 が あ り
︑ 一 般 に 尊 敬 さ れ て い た 人 物 で
︑ ク ノ ー ナ ウ は
︑ 彼 は 珍 し い ほ ど 一 致 し た 意 見 で
︑ 諸 侯 の 中 で は る か に 卓 越 し た 人 物 と し て 認 め ら れ て い た と 述 べ て い る
︒
$W.G.S.183.M.v.K.II.S.650.E.G.S.79.
E
・ ゲ ー ツ は
︑ こ れ に つ い て マ テ ィ ル デ は
︑ 夫 の こ の 長 所 を 見 ず
︑ 障 害 に 不 快 感 を も っ た の か ど う か
︑ こ の よ う な よ き 性 質 が 幸 福 な 結 婚 に 十 分 で あ っ た の か ど う か
︑ と 問 題 提 起 の み を し て い る
︒ そ れ に し て も
︑ 当 時
﹁ 幸 福 な 結 婚
﹂ と い う も の が
︑ ど れ ほ ど 存 在 し た の か も 問 題 で あ ろ う
︒
%P.G.E.150.−S.148G.244.A.−243194,126,−S.125O.S.79.
E.G.Be.S.30.M.v.K.II.S.656,656.Anm58.H.E.J.p.297.
E.Boshof,DieSalier.
︵1987
︶,S.213.
― 597 ― トスカナ辺境女伯マティルデ
こ の 子 が 男 か 女 か は っ き り し な い も の の
︑ 以 前 の 研 究 で は 一 般 に 証 言 な し に 男 と し て い る こ と が 多 い が
︑ E
・ ゲ ー ツ は
︑ 母 の ベ ア ト リ ッ ク ス の 一
〇 七 一 年 八 月 の フ ラ ッ シ ノ ー ロ 修 道 院 へ の 寄 進 文 書
︵E.G.Be.S.215
︶ か ら
︑ 女 子 の 可 能 性 が 高 い と 見 て い る
︒ し か も こ の 子 の 名 前 は
︑ ベ ア ト リ ッ ク ス で あ っ た と も 言 わ れ て い る
︒
!183.126,−S.125O.A.S.80.G.E.−P.S.182G..W150.−S.148G.244.
こ の 難 産 の た め
︑ 母 の ベ ア ト リ ッ ク ス は
︑ マ テ ィ ル デ の 健 康 の た め に
︑ フ ラ ッ シ ノ ー ロ 修 道 院 に 十 二 の 村︵ 荘 園
︶を 寄 進 し て い る︵ 前 注 参 照
︶︒
"
W.G.S.182.E.G.S.80.
W
・ ゲ ー ツ は こ の 点 に つ い て
︑ そ れ は 彼 女 の 身 に 起 っ た こ と を 忘 れ よ う と す る か の よ う で あ っ た と 述 べ
︑ E
・ ゲ ー ツ は
︑ 生 れ た 子 が 女 で あ っ た 場 合 は か な り の 失 望 で あ っ て
︑ こ の 誕 生 と こ の 子 が 早 く 亡 く な っ た こ と は
︑ 彼 女 の 結 婚 に 伴 う 錯 乱
︑ 動 揺 を 余 り に も は っ き り さ せ た よ う で あ る
︑ と 評 し て い る
︒
#W.G.S.183.E.G.Be.S.30,194.E.G.S.80.
P.G.S.151.A.O.S.126,242,244.
彼 女 は
︑﹁ 帰 っ た
﹂ と い う よ り
︑﹁ 逃 げ た
﹂ の で あ り
︑ し か も 密 か に 夫 か ら 去 っ た
︒ E
・ ゲ ー ツ は
︑ 彼 女 の 絶 望 が い か に 大 き か っ た か は
︑ 困 難 な 冬 の 旅 を あ え て し た こ と か ら も
︑ 考 え ら れ る と 見 て い る
︒ 結 婚 の 継 続 は
︑ 彼 女 に は 全 く 考 え ら れ な か っ た
︒
$ モ ー ア は
︑ マ テ ィ ル デ が 求 め た の は
︑ 本 来 の 離 婚 で は な く
︑ た だ 修 道 院 に 入 る こ と で も っ て
︑ 結 婚 を 事 実 上 終 ら せ た か っ た と 見 て い る
︒
W.Mohr,S.58.
%P.G.S.154−155.A.O.S.127−128.B.Pfer.S.160.
E.G.Be.S.31.W.Mohr,S.52,187.Anm.339.
モ ー ア は
︑ こ の 時 点 で は ゴ ッ ト フ リ ー ト と マ テ ィ ル デ の 関 係 は ま だ 決 裂 は し て お ら ず
︑ ま ず ま ず の 関 係 で
︑ マ テ ィ ル デ は 母 と と も に 夫 を 出 迎 え に 行 っ た と 見 て い る
︒
&
E
・ ゲ ー ツ は
︑ マ テ ィ ル デ に よ っ て 独 断 的 に な さ れ た 離 別 を
︑ ゴ ッ ト フ リ ー ト は 受 け 入 れ る こ と は 出 来 な か っ た と 評 し て い る が
︑ ゴ リ ネ ッ リ は
︑ 彼 の ま じ め な 努 力 を 認 め ね ば な ら な い と 見 て い る
︒E.G.S.81.P.G.S.156.
'W.G.S.183.E.G.S.81,89.E.G.Be.S.32.
P.G.S.155.A.O.S.129.W.Mohr,S.53.
トスカナ辺境女伯マティルデ ― 598 ―
も っ と も モ ー ア は 既 述 の よ う に
︑ マ テ ィ ル デ は 夫 を 出 迎 え た と 見 て い る し
︵ 前 注
︑!
︑ 参 照
︶︑ オ ー バ ー マ ン も
︑ 一
〇 七 三 年 八 月 に マ テ ィ ル デ が
︑ 母 と
﹁ 私 の 夫 ゴ ッ ト フ リ ー ト の 同 意 を も っ て
﹂︑ パ ル マ の 修 道 院 に 寄 進 し て い る 例 を 挙 げ
︵UK.Nr.9.
S.56
︶︑ こ の 母 と 娘 が
︑ ド イ ツ へ 帰 る ゴ ッ ト フ リ ー ト を ア ル プ ス の 麓 ま で 同 伴 し た と 見 て い る
︒ さ ら に オ ー バ ー マ ン は
︑ こ の 夫 婦 の 間 に は 少 な く と も 外 面 的 に は
︑ ど う に か こ う に か の 関 係 が あ っ た ら し い と 推 測 し て い る
︒ モ ー ア も
︑ ゴ ッ ト フ リ ー ト が 帰 っ た の は
︑ 結 婚 上 の 問 題 で は な く
︑ ド イ ツ で の 事 情 の ゆ え で あ っ た と 見
︑ ベ ア ト リ ッ ク ス と マ テ ィ ル デ が
︑ ゴ ッ ト フ リ ー ト を ヴ ェ ロ ー ナ ま で 見 送 っ た 可 能 性 を 見 て い る
︒ い ず れ に せ よ
︑ ゴ ッ ト フ リ ー ト は ド イ ツ に 帰 っ て も
︑ マ テ ィ ル デ と の 関 係 修 復 の 試 み を あ き ら め な か っ た の で あ る
︒
"
P.G.S.154.H.E.J.p.298.A.O.S.128.
M.v.K.II.S.215,216.Anm49.E.G.S.82.W.Mohr,S.52,187.Anm.343.
Reg.I.9.
も っ と も
︑ こ の 手 紙 で 法 王 は
︑ 結 婚 問 題 を 依 頼 さ れ た こ と を は っ き り と 明 示 し て い な い た め
︑ こ の 点 を オ ー バ ー マ ン や ク ノ ー ナ ウ
︑ モ ー ア は 否 定 す る が
︑ E
・ ゲ ー ツ は こ の 手 紙 の 文 言
│
│
﹁ 私 は
︑ あ な た が 私 の 同 様 に 変 わ ら ぬ 愛 と
︑ あ な た の 名 誉︵ 権 利
︶に 対 す る 最 も 積 極 的 な 私 の 好 意 を 決 し て 疑 わ な い よ う に 願 っ て い ま す
﹂
│
│ は
︑ 結 婚 問 題 の 仲 介 へ の 申 し 出 以 外 に は 考 え ら れ な い と 主 張 し て い る
︒
#Reg.I.40,47.P.G.S.155.E.G.S.83.
最 初 の 手 紙 は
︑ 一 月 三 日 の も の で
︑ 直 接 マ テ ィ ル デ と 結 婚 の 件 で 話 す た め に 彼 女 が ロ ー マ に 来 る こ と を 願 い
︑ 二 通 目 の 二 月 十 六 日 の 手 紙 で
︑﹁ 罪 を 犯 す 願 い を や め な さ い
﹂︑ と 彼 の 心 配 や 気 持 を 示 し て い る と 見 ら れ て い る
︒
$171.S,ohrM.WS.156.G.P..32,A.S.BeG.E.S.83.G.E.S.132.O..57.
モ ー ア は
︑ こ の 手 紙 を マ テ ィ ル デ の 修 道 院 へ の 希 望 の み に 関 連 さ せ て い る が
︑ オ ー バ ー マ ン は
︑ マ テ ィ ル デ が 法 王 に 結 婚 解 消 の 願 い を 出 し て い た と 見 て い る
︒
%E.G.Be.S.32.A.O.S.132.
&
A.O.S.132.P.G.S.156.E.G.Be.S.32,171.W.Mohr,S.57−58,61.Reg.I.46,III.5.
法 王 は 一
〇 七 四 年 二 月 の 手 紙 か ら 見 て も
︑ ゴ ッ ト フ リ ー ト を ベ ア ト リ ッ ク ス や マ テ ィ ル デ と と も に
︑ 法 王 の 計 画 の 協 力 者 と し て
︑ こ の 時 点 で も ゴ ッ ト フ リ ー ト と マ テ ィ ル デ に 夫 婦 の 関 係 が あ る と 見 て い る し
︑ モ ー ア も
︑ 一
〇 七 五 年 九 月 ご ろ で も
︑ 法 王
― 599 ― トスカナ辺境女伯マティルデ
の 手 紙 か ら 見 て
︑ ゴ ッ ト フ リ ー ト と マ テ ィ ル デ の 関 係 が 切 れ て い な か っ た と 見 て い る
︒
!P.G.S.156−157.E.G.S.83,217.
E
・ ゲ ー ツ は
︑ マ テ ィ ル デ の 唯 一 確 実 に 知 ら れ る 性 格 と し て
︑ こ の 強 固 な 頑 固 さ を 挙 げ て い る
︒
"
B.Pfer.S.161.A.O.S.244.
オ ー バ ー マ ン も
︑ 政 治 上 の 異 な っ た 立 場 に よ っ て
︑ 夫 婦 の 関 係 は ま す ま す 悪 化 し た と 見 て い る
︒
#P.G.S.157.V.F.S.44.
ゴ ッ ト フ リ ー ト は
︑ マ テ ィ ル デ の 権 力 地 位 へ の 妬 み や
︑ 彼 女 と 親 し い 法 王 へ の 妬 み か ら 法 王 の 敵 に な り
︑ 王 を ヴ ォ ル ム ス 会 議 の 決 定 へ と 動 か し た と も 見 ら れ て い る
︒
$P.G.S.157.E.G.S.84.W.Mohr,S.61−62.
一
〇 七 五 年 九 月 の 法 王 の ベ ア ト リ ッ ク ス と マ テ ィ ル デ 宛 の 手 紙
︵Reg.III.5
︶ か ら 見 て
︑ 法 王 も ゴ ッ ト フ リ ー ト か ら 離 れ た と 見 ら れ て い る
︒
%P.G.S.157.E.G.S.84.B.Pfer.S.161.
&
P.G.S.152−153,157−158.A.O.S.132,137,195.Anm.1.W.G.S.187.E.G.S.84.
M.v.K.II.S.650−651,652.Anm54.W.Mohr,S.63.LA.S.348−349.
LandulfusSenior,HistoriaMediolanensis.
︵oliaoristHsisenanediLaMisornisephindule
︶ 1942t.,IV ︵ratori,RaccoltaLglistoriciitalini.MuA..de
︶p.124.
ラ ン ペ ル ト は
︑ 彼 が フ ラ ン ド ル 伯 の 教 唆 に よ っ て 殺 さ れ た と 伝 え て い る が
︑ W
・ ゲ ー ツ な ど は
︑ お そ ら く 敵 対 的 な フ リ ー ス 人 た ち が 買 収 し た 彼 の 部 下 に よ っ て 殺 さ れ た と 見 て い る
︒ た だ 老 ラ ン ド ル フ の み
︑ マ テ ィ ル デ が 夫 を 密 か に 殺 さ せ た と 伝 え て い る が
︑ こ の 記 述 は し か し 一 般 に 悪 意 あ る 作 り 話 と し て 信 用 し が た い も の と さ れ て い る
︒ 'E.G.Be.S.31.
(W.G.S.187.E.G.S.84.M.v.K.II.S.655.
E
・ ゲ ー ツ も
︑ こ れ が 彼 女 を 結 婚 の い や な 鎖 か ら 解 放 し た と 述 べ
︑ ク ノ ー ナ ウ も
︑ 彼 女 と ベ ア ト リ ッ ク ス に こ の 知 ら せ は 本 質 的 に 安 堵 感 を 与 え る も の と し て 受 け 取 ら れ た と 見 て い る
︒ )A.O.S.244.P.G.S.158.B.Pfer.S.161.
トスカナ辺境女伯マティルデ ― 600 ―