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古代韓半 島 にお け る唐代腰帯の受容

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(1)

中 川 あ や

は じめ│こ

.唐

代腰帯の様相

Ⅲ 韓半島出土唐式腰帯の様相

Ⅳ 韓半島における唐式腰帯具の独 自性 とその背景

V  おわ りに〜東 アジアにおける唐代腰帯の受容

要 旨   唐 の時代、官人の服装 の一部 として制度化 された腰帯 は、周辺諸国における唐制の受容 に 伴 って各国で導入 された。身分制度に関わる装身具の うち、現在 にまで形 をとどめるものは、腰帯 に装 着 された金具 (腰帯具

)の

み と言って も過言ではな く、唐文化の拡散の様相のみな らず、衣服制度の実 態や、その背景 にある社会情勢 を垣 間見ることがで きる稀有な遺物である。本稿では、古代韓半島 にお いて、唐代腰帯が どのように受容 されたのか明 らかにすることを目的 とする。基礎作業 として、中国出 土資料 と韓半島出土資料 について、表金具の構造 に基づいた型式分類 をおこなった。それ らを比較検 討 した結果、古代韓半島の唐代腰帯の受容 は7世紀 中葉頃に始 ま り、当初 は唐同様、銅素材 を主体 とした 腰帯具の製作 をおこなっていたが、8世紀後半以降、徐 々に唐 とは異 なる構造・形態・構成の鉄製腰帯 具が増加す る、 とい う流れを明 らかに した。 この ような状況は、統一新羅の中央政権の弱体化 と、それ に伴 う国家の混乱 を反映 している可能性がある。 また、隣国 日本の状況 と比較すると、ほぼ同様の時期 に唐代腰帯の模倣 を停滞 させてお り、唐代腰帯具 は東 アジアにお ける唐文化の受容 と展 開 を考 える上 で、注 目すべ き一材料であるといえる。

キーワー ド   腰帝 唐 韓半島 受容

奈良文化財研究所 者卜城発掘調査部

(2)

I.は じめ に

唐 の時代、官人の服装の一部 として制度化 された腰帯 は、周辺諸国における唐制の受容 に伴 って各国で導入 された。腰帯 は官人 とともに墳墓 に副葬 されるケースが多 く、本体 は 腐敗 によ り残 らないが、腰帝 に装着 された金属製の飾 り金具 (腰帯具

)は

、現在出土品 と して 目にすることがで きる1。 身分制度に関わる装身具の うち、現在 にまで形 をとどめるも のは腰帝具のみ と言 って も過言ではな く、唐文化の拡散の様相のみならず、衣服制度の実 態や、その背景 にある社会情勢 を垣 間見ることがで きる稀有 な遺物である。

中国以外で唐式腰帯具2の出土が確認 されているのは、韓半島、 日本、ベ トナムなどであ るが、出土数 は 日本が群 を抜いて多い。それゆえ、 日本では腰帯具を扱 った研究が盛んに なされ、型式変遷や生産体制、身分表象の問題 まで多岐 にわたる議論が展 開されている。

近年、韓半島において も出土数が増加 し、徐 々に研究が進め られて きたが、 どちらか とい うと国内資料 の検討 に比重が置かれて きた。 しか し、韓半 島の腰帯具は中国や 日本 と比べ て多様で、 自国の資料のみでの型式分類や年代把握 に困難 を伴 う。 また、隣国 日本の腰帯 は、唐代腰帯の変遷 に影響 をうけた展 開をみせ てお り、韓半島において も同様の可能性 を 考慮すべ きであろ う。そ こで本稿 では、基本 となる中国出土腰帯具 につ いて詳 しく検討 し、それを参照 しつつ、韓半島出土腰帯具の位置づけをお こなう。それを踏 まえて、古代韓 半島における唐代腰帯の受容が どのように行われ、展開 していったのかを明 らかにしたい。

.唐

代 腰 帯 の 様 相

(1)文

献 にみ る腰 帯

『旧唐書』や 『新唐書』、

 F唐

会要』 による と、唐 で初 めて衣服制が制定 されるのは武 徳四年

(621)の

ことである。ただ し、腰帝 に関わる詳細 な記事は上元元年

(674)が

初現 である3。 文武官 とも三品以上は金玉帯13鈴、四品は金帯H鈴、五品は金帯10鉾、六品・七 品は銀帯

9鈴

、人 品 。九品は鍮石帯

9鈴

、庶人 は銅鐵帯

7鈴

と定め られ、腰帯具の材質 。 数が身分によって異なった様子が うかがえる4。

(2)呉

忠 唐 墓 出上 の腰 帯 具

唐 の官人たちが装着 していた腰帯が実際 どの ような ものであったのか を、唐墓 出土品か ら復原 してみたい。近年、寧夏回族 自治区・呉忠市西郊、北郊において、腰帯具が副葬 さ れた唐墓が多数発見 され、腰帯具の出土状況や構造 などが詳細 に報告されている5。 この地 域 は唐代の霊州 と呼ばれた地域 にあたる。中原か ら離れた一地方の唐墓 ではあるが、 これ ほ ど多数の唐代腰帯具が詳細 に報告 された例 はこれ までにな く、これ らを十分に検討する ことで、唐代腰帯具の様相の一端 を窺えると考える。 また、腰帯具は、中央の規制に則 っ 102

(3)

第 1表‑1  呉忠西郊唐墓出土腰帯具

西 郊 墓 材 質 型 式

三≧子L (横 幅/

縦 幅)

方形金具 個数

 

1寸 (cm)1 裏金具

半円形金具

個数

 

1寸 (cm)裏金具 餃 具 鈍 尾 M3

M5 M8 M20

M4 M21 M22

X30 M98

釦裏 金具

I

I

30 30 31 30 35 30 23 33

31×27

26×24 31×26

32×28 32×28 32×28

27×

17   0

31×

21   0

×

I

I

I I

I

I

I

2  4 1  4

1 1 4 4    4 2 1 4

6  3+ 25× 18 6 4129× 21 4  41 26× 21

3 3  28× 28

1. 3  26× 20 7  3  32× 22 1  3  35× 25

×

一 十 

M9 M18 M80 M89 M12 M16

51 50 125 100

26×22

45×46

38×36

32×30 38×38

O O O

O(銅・鉄

O

513 34× 44 1 0

3.3 41× 35 1 0

3 3141× 33  0

│!工 7羅 710m

M29 M44 M43 M50 M51 M58

90

120

1 1 ? 1 1 4 1?

2 4 31 11?

42×40

36‐738 42×42 42×42 40×37 49×48

(銅)

313  46×40

駅 │:1絋

ギ f

?1 ?1 48× 40

O

O

02

M76

M85 M92 M96 M104 M105

M13 (銅Ш i)

﹃ 錦 一 開 調

.側 3 1?

2 1 ? 3 1 ?

2  . 4?

2  4 1 1?

45×38

47×43

48×45

40×40

50×48

33×30

一 一  5.31 50×40 :O(銅)

二下 │二 こギ /

〇 一

〇 一 α O

M25 M99

(銅 (銅

αtt i )

,失  i ) 6 6

1 1 4

1  1 4?

41×41 31× 18〜

て製作 されたものが、官人たちの移動に伴って全国に拡散 したと考えられるため、陶器や 桶のような地域色が現れに くいと推測される。 したがって、まずは呉忠西郊 。北郊唐墓出 土資料の分析 を行ったうえで、それ らと中国全土の出土資料の様相 を比較 し、情報を補っ た上で、唐代腰帯具の全体像 を復原していきたい。

呉忠西郊・北郊唐墓はいずれも寧夏回族 自治区の中部、黄河の中上流地区に位置 し、い ずれも東西約 5キ ロ、南北約 3キ ロ前後の範囲に、それぞれ唐墓

120基

、唐墓

107基

が確認 された。西郊唐墓ではそのうちの

30基

で、北郊唐墓では同 じく

33基

で腰帯具の出土があ り

(第

1表

)、

後代の盗掘や撹乱 も影響 して全体的に副葬品の出土量が少 ない中、陶器につ

(4)

第1表‑2  呉忠西郊唐墓出土腰帯具

北郊墓 材 質 型 式

垂礼 (僚

/

縦幅)

方形金具

国 市  (醸

半円形金具

臓 丞買

餃 具 鈍 尾

M2

1 4 &0×2e O 3 3 217× 2̲0

M19 2 8 213 X Ì O

M15 1 2.5X16 O O

M57 3 4 2.6×2.4 4 215×,,0. O O

M94 2 24X16 02

M95 2お 4 4 2.6× 2.3 5 3 215X17 O

W196 4 2.6×23 O 3 3 2.4ヽ1.2 O

M102 1 6 2̲OX2 1 O 1 4 2.4Xl.6 O

M120 4 2:G×24 3 2S〉17 O

M12, 2お 4 3.0×2.61 O 3 2.6×17

M23 I・ 2 27×24 O O

62 4 30×29 O 5 3 28×212 O O

M20 I l 4 30Xワ̲7 O li中3 3 24×上6 O

M59 ] 2 gX 18

M90 4 4 82X29 O O

Ml14 1 26X24 1 5 25‐X211

M39 1 3.8×313 O

M48 4 3.01X316 O 4 3.7× 2.9 O O O

M49 講 】 8 a8× 31

M61 Ш 1 313× 2.5

Mll併1 4 岳7^争 づ O 0 O

M7 1 4 22×13 O O

M15

I &1 3 4 45×4!4 0(銅) 3 4.5×44 O M% I &4 3 418× 3.3 0(鋪) 44X3.4 O(銅)

M32 I 5 I 4 4お×44 〇 働 0

M83 1 &0 1 6 &7×34

O側

) 1 6? 40×B.4 O

M79 I 2 4,S×42 O

M101 I 1 4.4× 3.8 O

Ml16 I I 3.1×2.7 30〉2.3

M71 1 6整X5.2

Ml19‑2 3 50× 2 ? 47X38

M45 鰤 正か勒嚇) 1 ? 3.4×24

M80

御 Ⅱ力緋 i) 5 3̲9,*12

M83 (銅Шか鉄1) 1 314X28

いで腰帯具の多きが目立つ。面地区唐墓出上の腰帯具の特徴はよく似ており、それらの特 徴について以下にまとめた。

①バックー ル

(餃

)、 1方

形と半円形

'、

帯射金具

(鈍

尾 )を 基本構成― とする

(第

1図

)。

②一本の腰帯に装着される方形金具は 4個 が、半円形金具は7個 が最多であるが、方形 金具のみ装着した腰帯もみられ― る。

③材質には銅製と鉄製がある。

104

(5)

⑪ ∞ ―

∞∞ω  tt D

第1図 腰帯具の基本構成

□― 毎 ― □ □ 報 ― □

④ 越 ― ◎

銅 Ⅱ

∞ ― 日 一 Q

I

銅皿

       

I 第2図

 

呉忠 出土腰帯具 の型式分類

(1:2)

④腰帯具は表金具 と裏金具か らな り、両者で帯を挟む構造を基本 とする。裏金具は表金 具 とほぼ同大か一回 り小 さい。表裏の材質は同一素材

(銅

一銅、鉄 ―鉄 )を 基本 とす るが、異素材

(鉄

一銅 )の 組み合わせ もみられる。さらに、鉄製品には裏金具のない ものがある。

⑤方形・半円形金具の下方には長方形の垂孔が設けられるが、銅製品には楕円形の垂孔 も若千存在する。

半円形金具

(6)

∞ 徹 ⑪

h― 紬 ― h

口 る幽

第3図 半円形金具のバラエティー (1:2)

第3表 呉忠出土腰帯具の年代観

墓 名 型 式 報告書 1共 伴鏡 時期   日寺期

I[ 1 

;:

M8 M2 M23

M6 M59 M90 M49 M48 M︲ M6︲

西 北 北 北 北 北 北

・北 西

.北

西 I M44 西 I M16

】ヒ I M15 引ヒ

  M79

西

  M92

西 I M104 西 I M48

初〜盛唐 I 初 〜盛唐

盛唐

 │

中・晩唐 ―

I・コ1初〜盛唐  

I・コ ー初〜盛唐

初 盛唐 中.晩唐 ・  I期

以訂

Ⅲ  初〜盛唐IⅣ期以隋

Ⅲ   中・晩唐

│ 

Ⅲ   中。晩唐 IⅣ期以路

Ⅲ I  ―   Ⅳ期以隋

I I 

盛唐

I I  

I  中・晩唐

I I中

・晩唐

I I中

・晩唐

I I中

・晩唐

I I 

Ⅲ期

Ⅳ期以降

④腰 帯 具 を帯 に固定す るための鋲 には、表 金具 内面 に設 けた鋲 (内

)と

、外面か ら打 ち付 けた鋲 (外鋲

)が

あ る。銅 製 品 は内鋲 を基本 とす るが、タト鋲 に よって補

4少した ものがあ る。鉄製 品は銹化 に よ り 構 造 が わか りに くいが、両者存 在 す る可 能性がある。

⑦ 表金具 の構 造 に基づ き、型式分類 が可能 であ る (第

2図

)

I:一

枚板 で、0.lcm前 後 の厚 み を もつ もの

銅 Ⅱ :0,2cm前 後のわずか な側面 を もち、

前面 と鈍角 をなす もの

銅 Ⅲ 10 5cm前 後 の明瞭 な側面 をもち、前 面 とほぼ直角 をなす もの

I:一

枚板 で、0 5cm前 後 の厚 み を もつ もの

① 長方孔 の形状 は、左右 辺 :上下辺 が

1対 3〜 4前

後 か、

 1姑 5以

上 の

2種

類 に大 別 で きる。

①半円形金具の形状 には、下辺のみ直線 を 呈するもの、下・右 。左辺が直線 を呈 し 上辺が山形 に尖 るもの、下・右・左辺が 直線 を呈 し上辺のみ弧 を描 く蒲鉾形の も のの

3種

類が存在する (第

3図

)。

⑩鋲の数は、方形金具 には

4本

、半円形金 具には

3本

の ものが多いが、前者 には

6

本、後者には

4本

5本

の もの も少数存 在する。

呉 忠 西 郊 ・ 北 郊 唐 墓 の 時 期 は、 初 唐 ・盛 唐 と中・ 晩 唐 の二 期 区分 しか な され て お らず 、 墓 の 年 代 の み か ら腰 帯 具 の 変 遷 を推 定 す るの は 困 難 で あ る。 た だ し、 諸 属 性 の相 関 関係 (第

2表

・ 第

4図 )を

踏 ま え る と、 銅 製 品 は

I型

式 か ら Ⅲ型 式 へ の変 化 の 方 向性 を想 定 す る こ とが で きる。 これ を、 報 告 書 で提 示 され た墓 の年代 に加 え、共伴 唐 鏡 の年代 観7と も照

106

(7)

第2表 呉忠出土腰帯具各型式の属性

型 式 垂 子L (横 幅/縦)

裏金 具 方 形 半 円形 半 羽 寸 伝 (cm,

構 造 半 円 形 ナ 影 1半円 形

3‑4

V4

5‑

内 鋲

3'4

3・ 4・5

3・5

形一 一

糾 中織

半一 28×25127× 18

3.1×2812.8×21 R7×3̲513̲R× 3 I 5‑ 有(¢同・鉄)

内 鋲 3 蒲 鉾 45×

43143× 40

別、任

垂 乳(積/縦)

●備I型

△銅 Ⅱ型式

●錦 皿型式 Htt I型

―辺(横Xcm)

第4図 呉忠出土腰帯具の法量 と垂孔の関係

ら しあわせ る と (第

3表

)、 銅I・ Ⅱ型式 は初唐 〜盛唐 、 Ⅲ型式 は中唐以 降 におお むね位 置 づ け る こ とが で き、想 定 した変 遷 が妥 当で あ る可 能性 は高 い。 また、鉄

I型

式 は厚 みや 法 量 の面 、蒲鉾 形 の半 円形 金具 を有す る点 で銅 Ⅲ型式 に近 い こ とに加 え、墓 ・唐 鏡 の年代 か らも中唐以 降 に位 置づ け られ る。 したが って、呉忠唐墓 出土 品か ら推定 され る唐代腰 帯 具 (方形・半円形金具

)の

変遷 については次の ように想定で きる。初唐〜盛唐期 (唐初〜

8世

紀前半頃

)に

は一枚板の表金具で大 きい垂孔 をもつ銅製品が製作 され、徐 々に側面 を もち、全体の寸法 も大 きくなる。中唐期 (特に

8世

紀第

4四

半期

)以

降には、 より側面幅 が広 く、垂孔 は細長 く、 さらに寸法が大 きい ものに転換す る。同 じころ、半円形金具の形 状 は左右辺が直線的にな り (蒲鉾形)、 それに併行 して同様の法量・形態の鉄製品が出現 す る。鉄製品の中には、銅 Ⅲ型式 よりもさらに法量の大 きい ものがみ られるため、最終的 に、鉄製品のみの段階が存在する可能性 も考えられよう。

(3)唐

代 腰 帯 の復 原

では、 この呉忠唐墓資料 を中国全土 (渤海地域 は除 く

)の

資料 と比較 してみ よう。 これ

(8)

まで にお よそ40遺跡 か ら腰 帯具 の出土が報告 されてい る (第

4表

)。 呉 忠唐 墓 ほ どま とま った出土が見 られ る遺跡 はな く、大体 が

1遺

跡 あ た り腰帯

1〜 2本

分 で あ る。構 造 な ど詳 細 な部分 まで不 明 な資料 が多 いが、呉 忠 の資料 でみ られ た銅

I〜

Ⅲ型 式 の どれ もが存在 し、垂孔 や法量 な どとの対応 関係 も共通す るこ とか ら、唐全体 で呉忠 同様 の型式変遷 をた どった とみて よい。相違 点 として は、一本 の腰帯 に装着 され る半 円形金具 には最多

9個

108

第4表 中国出土唐代腰帯具

(*は

一部特殊 なもの)

河 北 省 蔚 県 楡 潤 墓

河北省 臨城越天水夫婦墓 Inf北省懐 来県寺湾墓 河北省 陽原金家庄 1号 墓 河北省蔚県九宮 口墓 江蘇省鎮江墓

勒 多

(3基

分)̲ ̲̲̲̲  ‖

映西省西安 西郊

映西省西安束郊十里舗387号

新彊 自治区塩湖古墓 重慶市雲陽喬家院子遺址

方・半 円 計4・

1   1鉄

金¢同・銀IⅡ

*  

『文物』1991年9期

  

『考古』1987年9期

  

『考古』1959年1期

『文物』1990年5期

│一

  

『考古』1993年7期

  

『考古』1992年8期

  

『遼海文物学干」』1987年1期

  

『遼海文物学干」』1997年1期

I  

『文物』1997年第H期 こ

『文物』1998年3期

│―

  

『考古与文物』1992年5期

  

『文物参考資料』1956年8期

  

『考古与文物』1981年2期 十一

   

『文物』1964年2期

十 一     『文物』

1も78年

第∫ 知

IⅡ

  

『文物』1985年第H期

│―

  

『文物』1973年10期

  

『江漢考古』2002年3期

1餃卜方4・半円4・1

1・4・半円5。1 半円2(記 述のみ)

1帯1(方13) 1方2・半円2

(9)

もの (陳 西省 西 安何 家村 客 蔵

)が

あ る 点 、 凸 形 の 垂 孔 を持 つ もの (河 北 省 蔚県 九宮 口墓

)が

稀 に存 在 す る点 な どが 指摘 で きるが 、 最 大 の相 違 点 は材 質 で あ る。 中国 資 料 を見 渡 した と きに、 鉄 製 品が 呉 忠 地域 以 外 にほ とん ど報告 され て お らず 、逆 に呉忠 地域 にはみ られ

遺跡名

      1構

     1材

1図番号

岳 霊壽亡 目

:予

号 首

i六

貌 奉

191考

駆 隷 2   器   黙 詈

:

長陽州街 坪Ml       l方 卜半 円3    1銅   1第5図3

西省 西安 北周 安伽 墓       1方 Ⅲ他9     1/11al  l第5図4 西省 西安 隋夕E威        1芳 6・5     1玉   

夏回族 自治 区固原 隋史射勿墓   I方3・半 円2・1・31銅    5図5 夏回族 自治 区固原 南娠 隋墓Mll  l他5。餃 卜覚1   1銅     5図6 西省 西安鳳 翔隋墓M299     1他 5       1銅   i―

第5表 唐前代の長方孔 をもつ腰帯具

なかった金・銀・玉製品が映西省、河南省 を中心 に出土 している。 これは、先 にみた上元 元年の衣服令か ら窺われるように、上位 の材質が高位 の官人達 に限 られ、彼等が中原 に集 中 して葬 られたことを意味するのだろう。半円形金具

9個

の資料が玉製で、かつ西安での 出土品であることは、 この想定 を裏付 ける。 また、鉄製品が呉忠地域 に偏 る現象 について は地域色 とい う可能性があるが、衣服令の「庶人銅鉄帯」とい う記載 を踏 まえると、鉄製腰 帯が全国的に用い られていた可能性 も十分 にある8。 この中唐以降にみ られる鉄製腰帯具の 出現が呉忠地域 に限った現象 なのか、全国的に敷行で きる現象であるのかは今後の資料の 増加 を待 って判断 したい。

以上 をまとめると、唐代 の腰帯具は、呉忠地域 と中原の資料 を合わせ ることで、おおむ ね全体像 を復原することがで きる と言 える。一地域 の腰帯具の型式が全土的に敷行で きる とい う事実は、唐代の腰帯が定型性 を保 って全国的に分布 していたことを示 していよう。

(4)唐

代腰 帯 の祖 型

ここで、唐代腰帯の祖型 について考えてお きたい。唐前代 に位置づけ られ、長方孔 をも つ腰帯具の出土 は数が限 られる (第

5表

。第

5図

)。 陳西省高陵張 卜西漢墓

M259で

は、

半円形金具が

2点

出土 している。出土位置 は不明であるが、追葬 などの痕跡 は特 にみ られ ず、墓の年代 は共伴土器な どか ら西漢初期 に位置づけ られている。 この腰帯具 も土器 と同 時 に副葬 された ものであるな らば、無文で垂孔 を持つ タイプの最古の出土例 となる。湖北 省三峡庫 区宝塔河遺l■六朝墓M9Ю では、方形金具 と鈍尾があわせて12点出土 している。副 葬品は豊富であ り、墓の年代 は三国後期か ら西晋中期の間に位置づ け られている。湖北省 長陽州衛坪Ml・ では、方形金具

1点

と半円形金具

3点

が出土 している。 この

Ml墓

は盗掘 に あい、副葬品がほ とん ど残 っていないが、わずかに出土 した共伴土器の年代か ら、興寧三 年

(365)紀

年銘輝が出土 した

M12墓

と同一時期 とみなされている。いずれの資料 も唐代腰 帯具 に酷似す るが、例 えば南北朝期 に主流であったのはあ くまで も有文透か し彫 りで垂飾 を有す る腰帯具であるので、 このように無文で長方孔 を持つ金具 を備 えた腰帯が どの よう な位置 を占めていたのかは明 らかでない。

(10)

・ ∞ 1

尊 ④ 2

Θ 学

L■ ̲̲ ―

@I⑥ :③

③③③ □ 固 □

― 〇 〇

北斉萎叡墓出土立桶

(11)

陳西 省 西 安 にあ る北 周 。安伽墓レで は、長方孔 を もつ尖頭形金具

3点

、 長方孔 をもつ方形 金具

1点

、 円孔 を もつ楕 円形金具

6点

が 出土 した。 この ほか、実物 で はないが、北斉 の徐 顕秀墓鳩や婁叡 墓Wに

描 か れ た壁 画 や 人物偏 の腰 帯 には、垂孔 をもつ金具 をみて とる ことが で きるお。 映西省西安 にあ る隋・姫威墓16では、無子との方形金具

6点

、 長方孔 を もつ尖頭形 金具

1点

、 透 か し模 様 を もつ方形金具

1点

、 円孔 を もつ楕 円形金具

2点

、如意形孔 を もつ 円形 金 具 が 出土 して い るが、 いず れ も玉製 であ る。 寧夏 回族 自治 区 固原 にあ るソグ ド人の 墓 とされ る隋 。史射勿墓17では、長方孔 を持つ方形金具

3点

、半 円形 金具

2点

、 円孔 を もつ 円形 金 具

3点

、彼 具が 出土 している。 同 じ く寧夏 回族 自治 区固原の南 娠隋墓Mll略 で は、長 方孔 を もつ装 飾 的 な金具

5点

と、彼 具、鈍 尾 が 出土 して い る。 同様 の装飾 的 な金具 は、陳 西省西安鳳 翔 隋墓M29919で も出土 している。

この ように、唐前代の腰帯具の資料数 は多 くない。 また、それ らの形態 も個体数の割 に 多様 である。 ここか ら逆 にみて、定型化 され、大量製作 された とい う点が、唐代腰帯の特 徴であると捉 えることがで きよう。

.韓

半 島 出 土 唐 式 腰 帯 の 様 相

(1)文

献 にみ る腰 帯

『三 国史記』 をみ る と、三国のなかで も新羅の衣服制 につ いては、比較 的詳 しい記録 が残 る20。 新羅の衣服制 は法興王

(6世

紀初頭

)の

治世 に初 めて定め られた。真徳王二年

(648)に

は金春秋が入唐 して玄宗皇帝か ら衣帯 を賜 り、それ以来唐服制 を採用する。文武 王四年

(664)に

は婦人の服 も唐制に従い、以後、衣冠 は中国に同 じであるという。 また、

興徳王九年

(834)に

は、服飾 に関する禁令が出され、腰帯 については、真骨は研文 白玉 を 禁 じ、六頭 品は鳥犀鍮鉄銅 を、五頭品は鉄 を、四頭品は鉄銅 を、平人は銅鉄 を用いるよう に定め られる。唐 の ように、身分 に応 じて腰帯具の数量 を規定す る内容 はみ られない。 ま た、百済・高句麗の衣服制については、詳細 な記録がない。

(2)先

行 研 究

韓半島における唐式腰帯具の出土は、 山本孝文氏の集成によると別、121本分 にのぼる。

出土遺跡 は、統一新羅時代 の墳墓が主で、他 に山城 や寺 院址、都城 な どがある。 これ ま で、韓半島の唐式腰帯 に関する研究は、臼杵勲22、 伊藤玄三23、 山本孝文各氏 によって進め られて きたが、 なかで も山本氏 は、出土資料 の網羅的集成 を土台 とした総合的な分析 を行 い、製作技法や年代観 を初めて具体的に提示 した。百済 。高旬麗地域 において、唐式腰帯 がほ とん ど確 認 されていないことや、鋼製や鉄製品が大部分 を占めることな ど、東 アジア の腰帯具 を比較検討する上で重要な論点を数多 く提示 している。

腰帯具の年代 について、山本氏 は形態変遷か ら相対編年 を組 むのは難 しい とし、古墳 出

(12)

土品の共伴土器 な どを手がか りとして、①初現期

(6世

紀前半)、 ②定型・流行期

(7世

紀中葉〜)、 ③定型性崩壊期 (新羅末〜高麗初期

)と

い う

3段

階の設定 を行 った。時代の 変遷 とともに変化す るのは大 きさと垂孔の穿 ち方で、定型性崩壊期 には大型化 し、垂孔は 鋳造時に設けてお く方式か ら、鋳造後 に切 り取 る方式へ と変化す る とい う。 また、韓半島 の唐式腰帯 は中国か ら導入 されたことは疑いないとしつつ も、初現期の年代が唐代 を大幅 に遡 ること、そ して初現期 と定型・流行期の間に

1世

紀 ほ どの断絶が存在す る (いわゆる 楼岩里・皇龍寺型帯金具24が間を埋 める

)こ

とには留意が必要で、初現期の年代は不安定で あ り、仮説的に提示 してお くと述べ る。

韓半島の腰帝具 は多様 であ り、山本氏が述べ るように形態変遷 を追 うことは簡単ではな い。 しか し、唐代腰帯受容開始の時期がはた して本当に唐代 を遡 り得 るのか、また、腰帯 具の年代 について形態 的 な変遷が追いに くい原因は何 なのか な ど、解決すべ き問題 は多 い。 したがって、 まず、韓半島の腰帝具について改めて整理 した うえで、前章で整理 した 中国資料の検討結果 を参照 しつつ、一歩踏み込んだ議論 を試みたい。

(3)唐

式 腰 帯 の特 徴

中国出土資料 と同様 に、韓半島出土腰帯具の特徴 をまとめてお く25。

① バ ックル (餃具)、 方形 と半円形、帝端金具 (鈍尾

)を

基本 とす る。

② 一本の腰帯 に装着 される方形金具 は

4個

が、半円形金具は

6個

が最多であるが、方形 のみ装着 した腰帝 もみ られる26。

③ 材質には銅製・鉄製があ り、石製 もご く少数ある。

④ 腰帯具 は表金具 と裏金具か らな り、両者で帯 を挟 む構造 を基本 とす る。裏金具 は表金 具 とほぼ同大か、一回 り小 さい。表裏の材質は同一素材 (銅―銅、鉄 ―鉄

)を

基本 と す るが、異素材 (銅一鉄

)の

組み合わせ もみ られる。 さらに、鉄製品には裏金具 を伴 わない ものがある。

⑤ 方形・半円形金具の下方 には長方形の垂孔が設け られるが、銅製品には楕円形の垂孔 も若干存在する。

③ 腰帯具 を帯 に固定す るための鋲 には、表金具内面 に設けた鋲 (内鋲

)と

、外面か ら打 ち付 けた鋲 (外鋲

)が

ある。銅製品は内鋲 を基本 とするが、外鋲 によって補修 した も のがある。鉄製品は銹化 により分か りに くいが、外鋲が基本 とみ られる。

⑦ 表金具の構造に基づき、型式分類が可能である

27(第

6図

)。

i:一

枚板 で0.lcm前後 の厚 み を もつ もの 銅

銅 鉄i

0.2cm前後のわずかな側面をもち、前面 と鈍角 をなす もの 0 5cm前後の明瞭な側面をもち、前面 と鈍角 をなす もの 一枚板で0.2〜0.5cm前 後の厚みをもつ もの

(13)

圃 [圃

⑬ [Q

I

i

‑1,

 o

□ Θ

熾 洵側

阿阿 鰤   鰤

︲ ︽

︺ 鰤 ︲

, Ci=■

圃 ヾ 圃

鵜 岬 増

融□ ヽ 団

I      I l       l

□ ]醒  

第 7図 方形・半円形金具のバラエティー

(1:2)

(14)

Hi型

△魚 薔痙式

●銅 型式

一辺(槙)(cm)

第3図 韓国出土銅製腰帯具の法量と垂孔の関係 鉄 :0.5cm前後 の明瞭 な側面 を持 ち、前面 とほぼ直角 をなす もの

① 長方孔の形状 は、左右辺 :上 下辺が

1対 2〜

3、

 1対 3〜

4、

 1対 4〜

5、 1姑

5以

上の

4種

類 に大別で きる。

③ 方形金具の形状 には、ほぼ正方形 を呈す るもの と、横 に長い長方形 を呈するものの

2

種類が、半円形金具の形状 には、下辺のみ直線 を呈する もの、下・右・左辺が直線 を 呈 し上辺が山形に尖 るもの、下 。右・左辺が直線 を呈 し上辺のみ弧を描 く蒲鉾形の も のの

3種

類が存在する (第

7図

)。

⑩ 鋲の数は、方形金具が

4本

、半円形金具が3、

4本

の ものが多いが、前者 には5、

 6

本、後者 には

2本

6本

の もの も少数存在す る。

韓半島出土の腰帯具 には出土状況か ら細 かい年代 を絞 り込めるものが非常 に少ない。 た だ し、諸属性 の相関関係28(第

6表

。第

8図 )を

踏 まえると、鋼製品は i型 式か ら 型式ヘ 114

第6表

 

韓 国 出土 唐 式 腰 帯具 の型 式 と属性 型 式 ヨご子L

(横幅/縦 幅)

裏金具 鋲

構造

 I方

形1半円形 方 形 半 円形

平均 寸 法 (cm)

★彰

  

圭 田杉

¨

Ш

2‑3 3‑4

4′マ5

内鋲

(一部外 鋲)

半円・山形 半 円

半 円 。蒲 催

29×

24 26×

1.8 3.0×

26 26×

19

3 2× 2̲9  2 9× 2 0

V5

5デJト

侮・ 熱

9 内鋲外 鋲? 4

2・ 3・4 R

T。

十 円・ 捕 野・熱

蒲鉾・無

28×

24 26× 18

5,2×

40 40× 35

豊孔

(m/m)

――― 一―― ― 手

… … ・ ■ ・ 11  

― 一― 一― ―‐ ――一 ギ ー―● ● ―― ―一 ―

i―̲̲̲̲̲―

― ― ―――― ― ―― ―

(15)

の 変 化 の 方 向性 を想 定 す る こ とが で きる。 実 年 代 につ い て は、 銅 型 式 に

7世

紀 中葉 〜 後 半 頃 の 土 器 と共 伴 す る もの が あ り29、 副 葬 年 代 の

1点

を示 して い る。 銅

i、 銅 型 式 の年 代 は、 そ れ ぞ れ銅 型 式 の前 ・ 後 に 位 置 づ け て よい と思 わ れ る が 、 具 体 的 な手 掛 か りに久 け る。 た だ し、 銅 型 式 は 表 金 具 の構 造 や 垂 孔 の形 状 が 中 国 資 料 の銅 Ⅲ型 式 に近 い の で 、

8世

紀 後 半 以 降 に 出現 した可 能 性 が 高 い。 ま た 、銅

i型

式 も中 国 の 銅I 型 式 に近 い こ と と、 先 に示

した 『三 国史 記』 の記 事 を 参 考 に して、 新 羅 に お け る 唐 服 採 用 時 、 す な わ ち

7世

紀 中 葉 に製 作 が 開始 され た とみてお く。

盤 孔(槙/縦)

― 辺(槙)(cml

2     3     4     5     6

9図  

韓 国出土鉄製腰帯具 の法量 と垂 孔 の関 係

鉄製品は銹化の影響で本来の姿を正確 に復元することが難 しい。 したがって、厚みや法 量にバ リエーシヨンがあるにもかかわ らず、それ以上の細分が容易でない。そこで、法量 と垂孔に着 目して銅製品の型式にあてはめるという方法をとると

(第

9図

)、

銅 型式 と 近い値を示す一群

(鉄

i‑3型 式 とする )と 、銅 i型 式 よりも小型の一群

(鉄

i‑0型 式 と する )に 大別でき、この他に、銅

i・

銅 五型式 と近いもの

(鉄

i‑1・ 2型 式 とする )が わ ずかに存在するという状況がみて とれる。法量 と垂孔は年代 をある程度反映す る属性であ るので、銅

iは

i‑1、

銅 は鉄

i‑2、

銅 は鉄 i‑3型 式 とそれぞれ併行 して存在 した と考えてよいだろう。

(4)小 型鉄製腰帯具の位置づ け

では、銅製品と法量や形態を共有 しない、鉄 i‑0型 式、鉄 型式はどの ように位置づ

けるべ きであろうか。まず、鉄 五型式についてであるが、法量、垂孔の形状、表金具の構

(16)

§ 尋

︹ ︲

﹈ 甥 ︲

◎ 徐◎

國 國 蛉

鰻 !

圃 §阿 國 麟圏

I

I

◎ 電

I

︲ 劉

い ︽ ︶ ︲

安東 造塔里40号

回 忘 固 電 § 国

回ご 圏 薗ξ 固

∽ §園

⑭ ユ 0∽ g薗 0電

昌寧 桂城 B地 区 28‑3号 墳

第10図

 6世

紀代 の可能 性 がある鉄 製腰 帯具

(1:2)

造、いずれの属性か らも、銅 、鉄

i‑3型

式 に後続す ると位置づけて問題ないであろう。

高麗時代の遺跡か ら出土する腰帯具には鉄 型式が 目立つ ことも、 この想定を裏付ける。

次に鉄

I‑0型

式については、半円形金具が高 さの低 い蒲鉾形 を呈す るのを特徴 とする。

唐代 を大幅 に遡 る、

6世

紀前半前後の土器 と共伴す る ものが

2例

見 られ (第10図)、 これ が山本氏 の指摘する「初現期」腰帯の一部に相当す る30。 果た して腰帯の副葬年代がそこま で遡 るのか どうか、出土状況 を再検討す る余地があるのか もしれないが、そのような例が 複数あることは無視で きない事実である。

この鉄

i‑0型

式 を銅製腰帯具 と比較す ると、垂孔 の形状 は銅 五型式 に近いが、法量 をみ る と鉄i―

o型

式の方が格段 に小 さい。 したが って、属性 の共有 とい う観点か ら判断す る

116

(17)

ロ ゴ 回

I

r図

:]一Eサ

廻 Ω 申

I      I I      I

t======」 t,│=========│ヨ!=======J与│::ミII,と:│=========itiHEEH=聖=:̀〔:L=======I=SE=========ど

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二変更コ【正三【Σ三⊃ ―

    瀬 沃照ハ 卿〃プ   講      明

玉城里50号

I   I

=

池山洞30号

(18)

と、半 島内の銅 製 品 に時期 的 に並行 す る資料 を見 出 しが たい。 また中国資料 をみ て も、法 量 的、半 円形 金 具 の形態 的 に、 同様 の資料 は存 在 しない。 以上 の状 況 に共伴 土器 の年代 を 加 味す る と、鉄

i‑0型

式 の腰 帯具 は、唐代腰帯 の受容以前 に韓半 島で独 自に創 出 された可 能性 が高 い、 と結論付 ける しか ない。

ここで腰帯具以外 の製 品 に 目を向けて手がか りを探 りたい。時期 は遡 るが、伽耶 や新羅 に は唐 式腰 帯 の金 具 に似 た形 態 ・構 造 を持 つ胡 篠 金具 や馬具 の革金具 が存在 す る (第H

図)。 そ れ らを見 てい る と、垂孔 を もつ方形 ・半 円形金具 は腰帯具 に限 らず、帯 か ら何 か を垂 下す る際 に採用 された、 もっ ともシ ンプルな部 品であ った可 能性 が想起 され る。唐代 腰帯 の受容 以前 に韓 半 島 に出現 した腰 帯 が 、長方孔 を もつ方形・ 半 円形 の金 具 を備 えたの は、その ような形態 を採用す る素地が国内にあったか らだ と理解で きないだろうか。 もち ろん、先 に見た とお り、中国の南北朝 にも無文、有孔の腰帯が存在 した可能性があ り、そ れ らの影響 を受けた可能性 も十分 にあろう。 したがって、多かれ少なかれ両者が融合 して 成立 した ものが、唐式腰帯 に似 て非なる韓半島独 自の小型鉄製腰帯具 を備 えた腰帯であっ た と言 えないだろうか。 この ように考 えると、 この小型鉄製腰帯ののちに、楼岩寺型、皇 龍寺型帯金具 といった有文の腰帯が出現 し、続いて

7世

紀中葉 に唐代腰帯が受容 される、

とい う流れで理解す ることがで き、山本氏 も問題 とした「初現期」 と「定型・流行期」の

1世

紀ほどの断絶が解消す る。今後、発掘調査の増加 によって、鉄

i‑0型

式の年代観が変 動す る可能性 は十分 にあるが、いずれに して も、唐式腰帯 とは一線 を画す る可能性が高い のである。

以上 をまとめると、韓半島における唐代腰帯の受容 は

7世

紀中葉頃に始 ま り、当初 は唐 の腰帯同様、銅製品を主体 とした模倣製作 をお こなっていた。鉄製品 も並行 して少数製作 されていたが、

8世

紀後半以降には製作数 を増 し、次第に銅製品を凌駕 してい く、 という 大 きな流れを描 くことがで きよう。

.韓

半 島 に お け る唐 式 腰 帯 具 の 独 自性 とそ の 背 景

前 節 まで にお いて、 中国 出土唐 代腰 帯 具 ・韓 半 島 出土唐 式腰 帯 具 の様 相 と、 そ れ らをめ ぐる状 況 につ い て 明 らか に して きた。 漑 方 の腰 帯 具 を比 較 検 討 す る と、構 成 や 金 具 の形 態 、材 質 な どが非常 に よ く似 た特徴 を持 つ と言 え る。特 に銅 製 品 に関 して は、 中・ 韓 いず れ の資料 か見分 けが付 か ないほ どであ る。 また、垂孔 や法量 をは じめ とす る属性 の変化 の 方 向 も、両 国 間で 同様 で あ る。一 方 で、誤 方 の差異 の 中で も特 に注 目され るの は、銅 製腰 帝具 の鋲数 と、鉄 製腰 帯具 の出現 時期 であ る。

まず、銅 製腰帝具 の鋲 数 につ いて、 中国出土 の半 円形金具 は

3箇

所 を基 本 とす るの に対 し、韓半 島で は

4箇

所 の ものが

3箇

所 とほぼ同数存 在 す る。 これ は、帯へ の 固定 を よ り強

118

(19)

固 に しよ うと試 み た結果 とみ られ るが、唐代腰帯 とは外 見 は同様 で あ って も製作技術 が異 な る こ とを意 味す る。換 言 す る と、韓半 島で は唐代腰帯 その もの、す なわ ち唐 製品が使用 され たので はな く、半 島内で模 倣製作 した国産品が流通 していた ことになる。

また、鉄製腰帯 具 の 出現 時期 につ いて、唐 で は中唐 まで下 る とみ られ るの に対 し、韓半 島で は

7世

紀 中葉 と

1世

紀 近 く早 い。唐 代腰帯 の受容 開始 時 に、唐 の材 質構 成 まで は完全 に模 倣せず、独 自に素材 の選択 をお こなったのであ る。銅 製腰帯 具 の表 面 には黒漆 を塗布 した ものが少 なか らず確 認 で きるが、鉄 製 品 に も同様 の黒漆 を塗布 した とす れ ば、外 見上 区別がつ か ない。 だか らこそ、鉄 を採用 したのだ、 とす る と、 その背景 には、原料銅 の入 手 が鉄 よ りも困難 で あ っ た とか、技術 的 に鉄 で製作 した方が容易 で あ った な どの理 由が考 え られ よ う。現時点 で は俄 か に結 論 で きないが、すで に

6世

紀 前 半 頃、 鉄 製腰 帝 具 が存在 して い た こ とを勘 案す る と、鉄 で腰 帯具 を製作 す る技術 が伝 統 的 に存 在 し、 それゆ え唐式 腰 帯 の製作 に際 して、鉄 素材 の選択 が比較 的容易 であ った とい う可 能性 は考 えて よいか も

しれ ない。

この他 に も、鉄 製腰 帯 具 に は半 島独 自の特徴 が い くつ かみ られ る。横 に長 い方形金 具が 存在 す る点 (鉄

i‑3・

鉄 五)、 一枚板 で はな く側面 を もつ鉄製品が存在 す る点 (鉄 五)、

方 形 のみ で半 円形 が伴 わ な い腰 帯 が存在 す る点 (鉄

)な

どで あ る。 それぞ れの特徴 が 出 現 した契機 や理 由 につ い て は 明 らか に し得 ないが、 ここで重 要 なの は、 これ ら半 島独 自の 特徴 が、特 に鉄

i‑3・

五型式 といった、鉄製品の後 出型式 に集 中す る とい う点であ る。唐 代 腰 帯 受 容 開始 時 に は、材 質 や鋲 な ど表面 に見 えに くい部分 は違 って も、外 見 的 に唐 の も の に よ く似せ た腰 帯 を製作 してい たが、鉄

i‑3・

鉄 五型 式 が 出現 す る段 階 に なる と、外 見 的 に も大 幅 に異 なる腰帯 が 製作 された こ とになる。特 に、鉄 五型式 は、 同型 式 内で の法 量 の ば らつ きが大 きい。逆 に、鉄 型 式 と銅製 品 とを比較す る と、銅 製 品 の定型性 が 際立 てつ。

唐代腰帯の受容当初 は、唐製品の模倣 と、定型性が維持 されていたに も関わ らず、徐 々 に唐式か らの乖離 と、定型性 を崩 してい く背景 には何があったのだろうか。統一新羅では

8世

紀後半以降、王族 内部の確執 を原因 とする権力聞争 によ り、反乱の頻発、王位争奪が 繰 り返 された とい う31。 中央政権の弱体化 によ り、地方 を舞台 とす る反乱 もあいつ いだ。

その ような政治的な混乱が続 く中、貴族達 は身分秩序 を越 えて奢修 に耽 った ようで、それ を統制 した ものが興徳王九年 (834)│こ 出された生活全般 に関わる禁令 である。その令文 に腰帯が含 まれることは先述 の通 りであ り、 このような状勢下で、唐代腰帯 の受容が続 け られ、画一的な腰帯が製作 された とは到底考 えに くい。韓半島における唐式腰帯の独 自性 は、 この ような国家の混乱 を如実 に反映 した結果であると言 えるだろ う。腰帯具にみ られ る定型性 の崩壊が、統一新羅政権の社会情勢 を反映 した ものである とい う解釈 は、すでに

(20)

山本孝文氏 に よって提示 され てい るが、本稿 で試 み た中国・韓半 島の腰 帯具 の型式 設 定・

属性 比 較 に よって、韓半 島の唐 式腰 帯具 が唐 様式 か ら乖 離 してい く過程 を具体 的 に描 き出 す こ とが で きた と考 える。

V。

おわ りに〜東 アジアにおける唐代腰帯の受容

最後 に、韓半島における唐代腰帯の受容 について改めて まとめてお く。

7世

紀中葉 頃、

唐の衣服制の受容 に伴 って唐式腰帯 を導入 し、それに装着す る金具 を主 に銅素材 に よって 模倣製作 していた。鉄素材 も選択 され、銅製品 と同型式の製品が製作 されたが、あ くまで も少数であった。

8世

紀後半以降には、徐 々に鉄製品が主体 とな り、 さらに唐 とは異 なる 構造・形態・構成の腰帯具 を備 えた腰帯が増加す る。 この ような状況 は、統一新羅 の 中央 政権の弱体化 とそれに伴 う国家の混乱 を反映 した もの とみ られる。

隣国 日本で も、唐代腰帯が受容 されてお り、その具体的な様相 についてはすでに別稿 で 検討 したことがある32。 簡単にまとめる と、

8世

紀初頭 に唐代腰帯の受容 を開始 し、銅素材 を用いて忠実 に腰帯具の模倣製作 をお こなっていたが、

8世

紀末以降、石製へ とほぼ完全 に材質転換する。材質転換 した背景 には、鋳銭のための深刻 な原料銅示足があった とみて よい。韓半島 と比較すると、鉄素材 の選択が積極 的でなかった とみ られ、唐様式か ら乖離 する際に選択 された素材が異なることは大変興味深い。

両国の様相 を総括す ると、 ほぼ同様 の時期 に唐代腰帯の模倣か ら離れ、独 自性 の強 い腰 帯 の製作 を始 めてい ると言 える。それぞれの国内事情 が大 き く影響 している とみ られ る が、それに加 えて、唐が安史の乱以降国力 を弱めていったことも影響 しているか もしれな い。いずれに して も、東 アジアにおける唐代腰帯の受容 は

8世

紀後半 を一つの画期 と して 変容 した、 とい う見通 しを掲 げてお くが、今後 は渤海における唐代腰帯の様相 も詳細 に検 討す る必要があろう。 さらには、腰帯 とい う制度 に関わる文物のみな らず、生活、経 済、

宗教 に関わる ものな ど、様 々な性格 の文物 にまで裾野 を広 げて、唐代文化の拡散の様相 を 考古学的視点か ら明 らかにしてい きたい。

 

 

資料の実見に際 して、以下の機関の皆様のご高配を賜 りました。感謝いた します。

漢陽大学校博物館、国立清州博物館、国立扶余博物館、国立公州博物館、弥勒寺遺物展 示館、国立慶州文化財研究所、国立慶州博物館、東国大学校博物館、国立金海博物館。

(21)

言主

1 腰帯 には織物製や革製、飾 り金具 を配 した革帯 など様 々な種類があ り、 日常・非 日常の別や、儀式 の レベルに応 じて、衣服 とともに取 り替 え られていたようである。 これ らのうちどこまで周辺諸国 に受容 されたかは不明である。本稿 では、常服 (官人の 日常の衣服

)に

用いた とい う、長方孔 をも つ金具 を取 り付けた革帯 (環B。 毛利光俊彦 「古代中国の腰帯」 『文化財論叢 Ⅲ』奈良文化財研 究所創立50周年記念論文集、奈良文化財研究所学報第65冊、奈良文化財研究所、2002年

)に

ついて 着 目す る。

2 本稿 において、唐で製作 された腰帯 は唐代腰帯、周辺諸国で唐代腰帯 を模 して製作 された ものは唐 式腰帯、 と呼び分ける。

3  『唐会要』巻三十一章服品第 上元元年八月二十一 日勅。

4 景雲二年 (711)に は位階 による材質の規定は見 られるが、個数の規定がみ られ ない (『唐会要』

巻三十一 章服品第 景雲二年四月二十四 日制)。 出典 によっては上元元年の時点で個数の規定が ない もの もあ り(『旧唐書』第四十五輿服志)、 規定の変更の記録が他 にない ことか らも、記載漏 れの可能性がある。少な くとも当初、唐が 目指 した ものが、材質 と数による位階表示であったこと は確かであるといえる。

5 寧夏文物考古研究所 。呉忠市文物管理所 『呉忠西郊唐墓』文物出版社、2006年、同 『呉忠北郊北魏 唐墓』文物出版社、2009年。

6  これ まで、 日本の唐式腰帯具研究においては、 『倭名類衆抄』腰帯類項などを根拠 に、方形金具を 巡方、半円形金具 を丸輛 と称 して きたが、本稿で中国、韓半島資料 を扱 うにあた っては、当時、巡 方、九輌 と呼ばれた腰帯具の範囲を特定す ることが難 しいため、形態的名称 を用 いる。

7 中川あや「唐鏡の変遷」 『考古学雑誌』第88巻第 1号 、 日本考古学会、2004年。 もちろん鏡 は一般 の副葬品に くらべ、製作か ら土中に埋 まるまでの伝世期間を長めに考慮す る必要 はあるが、上限年 代 は示 しうるのでその点で有効である。 また、呉忠西郊・北郊唐墓では合葬墓が多 く、腰帯具 とそ の他の副葬品が同時埋納でない可能性 も十分 にある。ただ し、一つの墓か らの出土遺物が少ない状 況で、その可能性の検証 は困難である上、後述す るとお り、想定 される腰帯具の型式学的変遷 と共 伴遺物の年代 に一定の相 関がみ られるため、 とりあえず腰帯具 と他の副葬品の年代 に大幅な開 きは ない もの と判断 してお く。

8 銅鉄帯 とい う規定が、銅、鉄のいずれか、 というものであって、その選択 に地域色が出た可能性 も ある。ただ、現在 出土 している銅製品が、衣服令 にみ られる「鍮石」に相当するのか、「銅鉄」の「銅」

に相当するのか判断つかないため、それ以上の結論は出せない。

9 映西省考古研究所 『高陵張 卜秦漢唐墓』三秦出版社、2004年。

10 

三峡湖北工作姑・武漢大学考古系・巴東県博物館「三峡庫区宝塔河遺址六朝墓葬発掘簡報」『江漢考 古』2002年第 1期 。

11 

湖北省清江隔河岩考古隊・湖北省 文物考古研究所「伍 東漢 ―唐代墓葬  州衛坪六朝 中期墓」

『清江考古』科学出版社、2004年

12 

映西省考古研究所 『西安北周安伽墓』文物出版社、2003年

13 

太原市文物考古研究所 『北斉徐顕秀墓』文物出版社、2005年。

14 

太原市文物考古研究所 『北斉婁叡墓』文物 出版社、2004年。

15 ‑見

円了しをもつ円形金具が 目立つが、長方子とをもつ半円形にみえるもの もある。 ただ し、実態 をど こまで正確 に反映 しているかはわか らない。

16 

陳西省文物管理委員会「西安郭家灘隋姫威墓清理簡報J『文物』1959年第8期。

17 

寧夏回族 自治区回原博物館 『固原南郊隋唐墓地』文物出版社、1996年。

(22)

18 

寧夏文物考古研究所 『固原南堀漢唐墓地』文物 出版社、2009年。

19 

陳西省考古研究院・西北大学文博学院 属陳西鳳翔隋唐墓』文物出版社、2008年。

20 『三国史記』 巻第三十三雑志第二色服条。

21 

山本孝文「韓回の唐式鈴帯 について」 『古文化談叢』第52集、九州古文化研究会、2005年

22 

日杵 勲「韓回引 鈴帯金具引十司O 104」 『伽椰通信』18、 伽椰通信編集部、1988年。

23 

伊藤玄三「統一新羅の鈴帯金具」 『伊東信雄先生追悼考古学古代史論孜』伊藤信雄先生追悼論文集 刊行会、1990年。

24 

李漢祥「6世紀代 新羅―・

l帯

金具 一̀棲岩里型'帯金具 °

l設

定 一」 『韓国考古學報』35、 韓国考古学 会、1996年。李漢祥「7世紀 前半―°

l新

羅 帯金具呵i rHせ 認識」 『古代研究』7、 古代研究会 、 1999年。

25 

出土資料の分析 は、 山本氏の集成 と、それ以後 に公表 された出土資料に基づいてお こなった。 ま た、山本氏の集成の うち、高麗時代のものは唐減亡後の ものであるので、ひとまず省いた。

26 

撹乱などによ り、副葬時の明確 な個数 を推定で きる資料が存在 しない。

27 

石製品については益 山弥勒寺出土例 しか確認 されていないため、本稿では型式分類か ら省 く。

28 

山本氏が年代 を反映す るとした垂子との穿ち方については、鋳造後に垂了しを切 り取ったとみ られる資 料、垂孔 を設けない資料が ご く少数 しか確認で きなかったため、今後の検討課題 としたい。

29 

慶尚北道漆谷永梧里4号墳、18号墳 な ど。慶 尚北道文化財研究院・韓國道路公社 『亀尾 ―琴湖間京 釜高速道路 倭張区間内 文化遺蹟凌掘調査報告書』2001年

30 

山本氏が「初現期」 とした資料 には、 このほか蔚山早 日里遺跡出土腰帯具があるが、これは内部撹 乱土出上であるうえ、銅 型式 に分類 されるため、後代の混入 と理解 した方がよいだろう。

31 

武田幸男編 『朝鮮史』新版世界各国史2、 山川 出版社、2000年。

32 

中川あや「金属器の受容 ―唐代金属器の入手 と模倣生産」 『専門技能 と技術』列島の古代史5、 岩 波書店、2006年。

図版 出典

1・ 2・ 3図 :註5文献 を一部改変。

第5図 :註 9〜12・ 14・ 17・ 18文献 を一部改変。

第6図 :銅

i明

知大學校博物館 『山本地区 文化遺蹟 礎掘調査 報告書J1990年 、銅 韓回文化財保護 財国 『慶州市 隆城洞

5372賃

貸。十幹三 新築敷地 凌掘調査 報告書』2001年、鋼 (財

)忠

清文化財研 究院 『大 田 自雲洞・秋木洞遺蹟』2004年 、鉄

i慶

尚南道 ・釜 山大学校博物館 『映川芋浦里

E地

厘遺 蹟』1987年、鉄 (財

)湖

南文化財研究院・益 山地方國土管理廊 『完州 葛洞遺蹟』2005年 、以上 を一 部改変。第 7図 :方 形 目立清州博物館・清州市 『清州龍渾洞古墳群 凌掘調査報告書』2002年、横長 河 南市 ・漢陽大学校博物館 『二聖 山城 10次菱掘調査報告書』2003年 、半円形 ・蒲鉾形 韓國文化財保護 財国・大 田地方國土管理廊 『陰城梧 弓里 。文村里遺蹟』2001年、山形 明知大學校博物館 『山本地 区文 化遺蹟菱掘調査報告書』1990年、以上 を一部改変。第10図 :慶 北大學校博物館 『安東 造塔里古墳群 Ⅱ

('94)』 1996年、釜山大學校博物館 『昌寧桂城古墳群』1995年、以上 を一部改変。第11図 :慶 尚北道 文化財研究院 『浦頂 玉城里古墳群斐掘調査報告書』2003年 、社回法人嶺南埋蔵文化財研究院・高重郡

『高霊池山洞30琥墳』1998年、以上 を一部改変。

参照

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