ドイ ツ各種委員会資料 に見る ヒ トゲ ノ ム 解析 研 究 に対する倫理 的態 度
(1) 遺伝 子診断
盛 永 審 一 郎
は じ め に ‑ ヒト ゲノ ム解 析 研 究と その社 会 ・ 倫理的 問題
人 間のゲノム, ホ モ ・ サ ピエ ンス の完 全な遺 伝 素 質が研 究さ れて いる。 こ の研 究か ら袴ら れ る 科 学 的知 識は, 病 気の診 断, 治 療, 予 防におい て革 命 的変 化をもた らすと期 待さ れて の ことであ る。 こ の期 待におい て, ゲノム分 析の価 値はいくら高 く 評 価しても十 分ということ ば ない であ ろ う。
7 0年 代に, 組み換え D N A 技 術と塩 基 配 列 決 定 技 術が開 発 ・ 実 用 化さ れ, そ れに続 く8 0 年 代
の新しい D N A 分 析 技 術の開 発は, ヒ トゲノ ム全 体の解 析を組 織 的に行お う とする機 運へ と導い た。 こ の機 運の な かで, ヒ トゲノムの文 字 配 列を全て解 読し, 全 遺 伝 子を解 明し, 人 類の繁 栄に 役 立てよ う という「 ヒ トゲノム計 画 (Ⅲu m a n Ge n o m e Pr oje ct ‑ H GP) 」 (1)が, 1 9 8 7年ア メ リ カ で発 足し, 1 9 91年よ り1 5年 計 画で世 界 的規 模で公 式に開 始さ れ た。 国 際 間の活 動の 一 切を調 整 する機 関と しては, 1 9 8 8年に H U G O (Hu m a n G e n o m e Organis ation) が研 究 者の 自 主 的な 組 織と して生み出さ れ た(2)。
1) ヒト ゲノ ム解析 研 究の好 機 ‑ 正確な診 断, 効 果に満ち た予 防, 適 切 な 治 療
ゲノ ムの解 読は, 正確な診 断, 効 果に満ち た予 防, 適 切な治 療に基 盤を与え ること ができる。
例え ば, ど ん な病 気に対して どんな遺 伝 子の欠 損が原 因であ る か知る な ら ば, こ の遺 伝 子の欠 損 が診 断さ れ れ ば よい。 従 来の診 断では病理学 的な変 化が現わ れ初めてその病 気を確 認 すること が できたの に対して, 遺 伝 子 診 断は発 病 する前に予 測 すること ができ る。 こ の予 防 医 学によ る早 期
の認 識は, お そ らく 病 気が始まっ てか らでは与え ることの できない治 療の可 能 性を差し出 すと期 待さ れて いる。
病 気の発 生に関わ った遺 伝 子の全てを知ることで, 原 因に定 位し た治 療や薬 剤が考 案さ れ る。
完 全に新しい治 療の コ ンセ プトは例え ば, 体 細 胞の遺 伝 子 治 療であ る。 こ こ では, 完 全な遺 伝 的 素 材が病 気の細 胞に治 療という目 的で入れ ら れ る。 ま たいわ ゆ る タ ン パク質の治 療 薬が新しい種 類の薬 剤と な っ た。 病 人が十 分に作り出 すこと ができ ない蛋 白が病 人に提 供さ れ る。 これ まで
十 数 種の治 療 薬が薬 局にお か れて いる。 ゲノ ムの解 読と ともに, こ の数は増 大 する だ ろ う。
その他に, つぎの こと が期 待さ れて いる。 ゲノム を解 析 することで, 個 人や人類が調べ ら れ る。
‑ 1 ‑
これによ り個 人を特 定し た り, 個 人や人 類の系 譜 を調べること がで き る。 希 望せずして子 供をも
て ない夫 婦に, 子 供 を授け ること が可 能と な る。 ま た, 親の希 望にか な う子 供を手にすることも 可 能と な る。
‑ こ のよ うに ヒ トゲノム の解 析は, 人 類がこれ まで限 界 状 況と して引き受けざる を得な か ったこと, 「 生 物の専 制」 という事 態か ら人 類を解 放し, 人 類に自 由を ( 一 見) もた ら すこと ができ る と期 待さ れて いるの であ る。
2) 倫理的観 点 一 真 空 状 態の中に あ る技 術
し か しこれ ら H G P, H G D P, そ してその他の遺 伝 的な研 究は, そ れ が実 施さ れて いくな かで,
その研 究の結 果の使 用に関してと研 究そのもの に関して次の 一 連の倫理的熟 慮を引 き 起こし た。
・ ゲノム研 究は個 人や グル ー プ を区別し たり, 差 別し たり することへ と導いたり, 人 種 差 別を誘 発 する恐れ が あ るの では ない のか。
・ 人 間を一 連の D N A 配 列に還 元し たり, すべて の人 間の問 題を遺 伝 的 原 因に帰 属さ せ る結 果と な るの では ないか。
・ 価 値や伝 統に対 する尊 敬の喪 失, 民 族 (Populatio n), 家 族, 個 人の不 可 侵 性の喪 失に つ な が ら な い のか。
・ 研 究 目 的へ の自 由な入 り口を, 発 見の た めに, 特に パテ ン トや商 業 主 義によ り喪 失 する お そ れ が あ るの では ない のか。
・ 遺 伝 子 研 究の計 画や遂 行にお け る公 開 性に対して諸 科 学は不 当な態 度を と っ て いないか。
・ 人 間は神を演じてよい のか, な どであ る。
そ れ故, H U G O は, H U GO‑E LSI ( 倫理的 ・ 法 律 的 ・ 社 会 的 諸 問 題E t b ic al, Legal a nd So cial ls s u e s) を組 織し, 公 開の場で の議 論と ガ イ ド ラインを作り上 げること を命じ た。
ゲノ ム計 画と ともに 一 体いか な る倫理的 問いが生じて いるのだ ろ う か ? 一 見 以 上の問いもま た, これ まで の歴 史 上 人 類が直面し た倫理的 諸 問 題と同じ よ うに, 新しい状 況の中で つぎつぎと 姿を変えてや っ てくる慣れ耕し ん だ問 題を従 来の倫理的 原理 が判 断し, 審 判して行 くかのよ うに
見え る。 す な わ ち, 遺 伝 子 診 断, 遺 伝 子 治 療, 遺 伝 子工学, 遺 伝 情 報というヒ トゲノム解 析 研 究 がもた ら し た新しい技 術の状 況 下で, 倫理的 原理 が その是々非々を解 決して いけ ば, そ れで事 足 り る という よ うに見え る。 例え ば, ゲノ ム計 画の結 果,
一 見 個 人にとっ て好 機と さ れ たものが,
個々 の人 間にとっ て, 将 来の子 孫にと って, そ して社 会 全 体にとっ て, 真の好 機た り う る ものな
のか ど う か,
一 見 好 機に見えてもそ れ は別の観 点で危 険をもた らす もの で は ない のか ど う か, 問 うて行け ば そ れで解 決 可 能な よ うにも見え る。 確かに, そのよ うにして解 決でき る問 題 もあ る だ ろ う。 し か し そ れ だ けであ ろ う か。 人 間が2 0世 紀 後 半に手に し た分 子 生 物 学, そ れ は人 間を単 な る 「 表 象 的作 成 者」 ( ‑ イ デッ ガ ‑) か ら「 事 実 的 作 成 者」 ( ヨナス) に し たこと を意 味して い る。 人 間は今や世 界の 「 基 体」 である だ けで は なく, みずか らの 「 基 体」 ともな っ た ということ なの であ る。 そ れ は みずか らの存 在を価 値づ け る課 題を持っと言え る。 ま さに, ヒ トゲノム解 析 研 究がもた ら し た倫理的 問いと は 「 倫理の基 礎づ け」 という問いなの である。
すな わ ち, 現 代 人が手にし た 「プロ メ テ ウ ス の火」, 遺 伝 子 診 断, 遺 伝 子 治 療, 遺 伝 子 操 作, 遺 伝 子工学, 遺 伝 情 報 (D N A 鑑 定) のすべ て におい て, その根 底にあ る遺 伝 子 解 析その ものが 倫理的 解い にか け ら れ な け れ ば な ら ないということであ る。 そ して その根 底にあ る問い は, こ の よ う な生 命を作 り 出 す 「 知」 と「 技 術」 を人 間が手にしてよい のか ど う か という問い, すな わ ち 近 代が獲 得してきた「 研 究の自 由」 は 「 錦の御 旗」 か ど う か という問いなの であ る。 反 対に いえ ば, 倫理 そのもの の存 在が問わ れて いる ということ なの でも あ る。
‑) 着 床 前 診 断
着 床 前 診 断 (Pr畠im pla ntatio n sdia n o sti k ‑ P I D ( 独), Pr eim pla ntatio n G e n etic Te sting
( 莱) 国 際 的には通 称と して PGD が用いら れて いる。 受 精 卵 診 断と もい う) の臨 床 応 用に, 読 論の末, 日本 産 科 婦 人 科 学 会がゴ ー サイ ン (19 98年6月2 7 日) を だ し, 鹿 児 島 大 学か ら学 内 倫 理委 員 会の承 認を受け た臨 床 応 用の申請が提 出さ れ (1 9 9 9年1 月), 現 在日本 産 科 婦 人 科 学 会で
検 討 中で あ る。
すで に, イ ギ リスではこ の診 断の臨 床 応 用が行わ れ, 各 種 学 会な どで, その成 果の報 告が な さ れて いる(3)。 その報 告によ る と, 遺 伝 病を お そ れ, 子 供を産むこと を た め ら って い るカ ッ プル
に子 供を産む好 機を与え る, 中絶の問 題を ク リア ー でき, 母 胎の精 神 的負 担が少ないな どの効 用 が挙 げら れて いる。 し か し,
一方, こ の診 断 技 術の臨床 応 用に対して消 極 的意 見も出さ れて いる。 た と えば, 19 9 5年の世 界 保 健機構 (W H O) の 『遺 伝 医 学の倫理的 諸 問 題, 及び遺 伝サ ー ヴィ ス
の提 供に関 する ガ イ ド ライン』 ( 非 公 式)(4) が挙 げら れ る。 そこ におい ては, こ の方 法は中 絶に 反 対 する家 族にと って 一 つの選 択 肢と なりう ること は認め ら れ る と しても, し か しこ の方 法は,
高 価であ り, 出産が確 実に保 証さ れ る わ けでも ない こと, 健 常 児を得る可 能 性が低い こと, 匪の 身 分の問 題が あり, 倫理的な問 題が必 ずしもク リア ー さ れて いる わ けで は ない こと な どの理由か ら, 主 要な健 康 政 策と は な ら ないという報 告が と り ま と め ら れて いる。 ま た, 体 外 受 精を前 提と するの で, 婦 人に高 負 担を強いる という意 見 も 出さ れて いる( 5 )0
し か し, その経 済 的, 治 療 的 負 担の問題より も, こ こ にはもっと大き な問 題がある といえ る。
そ れ はこ の方 法は胎 児を 理由と し た選 択 出産, し か も遺 伝 子に よ る選 択 出 産につな が る という可 能 性であ る( 6 )。 変 異 遺 伝 子の有 無によ る生 命の選 別は, 現にその よ う な遺 伝 子を持 っ て いる障 害 者の存 在を否 定 することにな ら ない のか という問 題であ る。 さ らに, 医 学 的理由に よ る もの で は ない, 親によ る子 供の性の安 易な選 別や デ ザ イ ン ベ ビ ー の作 成へ と道を開 き, ひい ては ク ロ ー
ン技 術によ るヒ ト個 体 作 成の可 能 性へ の途 も 準 備 することにな る といえ る。 な ぜ な ら, 望ま しく ない遺 伝 子を持 っ た腫を廃 棄 すること が当 然 許さ れ る とする な ら ば, 逆に, 望ま しい遺 伝子を持っ た腫を着 床さ せ ること も当然 許さ れ ることにな る′
か らであ るo そ してそこ にあ るの は個 体の生か 死を決 定 するの は遺 伝 子に対 する人 間 ( 人 間と は誰か ?) の判 断という思 想なの であ る。
そもそもこ の診 断 方 法は, 遺 伝 子の解 析 技 術によっ て初めて可 能と な る というもの であ った。
こ の技 術が人 間の生 死を決め る決 定 的なもの と して使 用さ れ る最 初の応 用が, こ の着 床 前 診 断だ
‑ 3 ‑
といえ る。 その意 味で, 着 床 前 診 断は, 単 純に出生 前 診 断 (Pr畠n atal e n D iagn o stik) の技 術 的 発 展と して捉え ること はでき ない。 出生 前 診 断と は問題を異にして いるの であ る。 出生 前 診断は, 結 果 的にそのよ うに使 用さ れ た と しても, あくまでも胎 児と子 供の出生を望んで いる母 体の健康
を第 一 に考えて行わ れ るの であり, そ れ は, 最 初か ら生の選 別を行う た めにな さ れ るもの で は な い(7)
。 ヒ トゲノム解 析 研 究の進 展によ り人 間が手にし たこ の着 床 前 診 断の臨 床 応 用を め ぐ る問 題は, 果た して こ の よ う な個 体の生の選 別を可 能にする技 術を人 類に応 用 すること が よい のか,
ど う か という問 題なの であ り, 単純に プライベ ー トな問 題と して処理すること ばでき ない の であ る。
確かに幸 福 追 求 権は, 憲 法で保 証さ れ た基 本 的 人 権であ る。 し た がっ て, 個人の幸 福追 求 権は, 科 学 技 術がもた らす 恩 恵を利 用 すること ができ る。 し か し, そ れ は絶 対 的では ない。 憲 法におい て も盛り込ま れて いる よ うに, 「 公 共の福 祉に反し ない限り」 と他 者 危 害 排 除の原 則がっくの で あ る。 し た が っ て, こ のよ う な技 術を利 用 する際の, 社 会のリスク を わ れ わ れ は考 慮に入れ な け れ ば な ら ない の では ないだ ろ う か。 自 由 主 義の父, J ・S ・ ミ ルは他 者 危 害の排 除の原 則を指 摘 して いる。 そ れ は「 他 者に対 する明 白にして確 定 的な義 務に反し ない限り」 ということ なの であ る(8)。 こ の場 合, 他 者と は誰か が問題と な る。 そ れ は, 未 来の子 孫や, 社 会を指 すのか ど う か。
H ・ ヨナス は, 権 利には弱い権 利, 自 動 詞 的権 利と強い権 利, すな わ ち権 利 要 件 獲 得のた めに, 他 人の援 助を他 者に対して要 求 すること ができる他 動 詞 的権 利の 二っ が あ る と指 摘し, そ して子 供を持っ 権 利は, 生 殖が二人の私 秘 的なもの であ る故に, 「 不 作 為」 ‑ と相 手を義 務づける権 利, 弱い権 利であ る という。 け れ ども子 供を持っ 自然 的能 力が欠けて いる場 合, そこ に は願 望を実 現 することへ の権 利だ け が あ るの であ り, こ の権 利は他の人を そこ に結びつ け るの に非 常に弱い権 利であ り, 社 会は普 遍 的な法と道 徳に従 って, それ を承 認し た り, 拒 絶 する こと ができ る と指 摘 して いる。 すな わ ち, 頗 望は倫理的 審 判のも とにお か れ な け れ ば な ら ないということ なの であ る(9 )0
現 在 西 欧 諸 国で, こ の着 床 前 診 断を認めて いない のは, ポル トガルとドイ ツ ・ スイス ・ オ ー ス
トリア の ドイツ語 圏三国だけであ る ( 表1 参 照。 ま た, そこ で資 料と して世 界の対 応の状 況に つ
い て解 説し た。) ドイツ は, どのよ うにす す もう と して いるのか, ドイツの各 種 委 員 会 レ ベ ルの 様々な資 料を読むこと か ら, ドイツの方 向, 原理 を探 り, その報 告をこ こ で試み る。 一 言で いう
な ら, ドイツは ま さに揺れ動い て い る と言うことであ る。
表1) 西 欧に お け る着 床 前 診 断 の法 的 規 制の状 況
認 可
イ ギ リス デ ン マ ー ク ノ ルウ ェ ー
0 0 0
不 認 可 法の有 無 ( 育 ‑ ○)
○
法 規 制の準 備 中