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2 1. 神の 恵み によって 誇れる人 1) ギデオン ギデオンという人は勇士として知られていますが 元々はそうではありませんでした むしろ彼は臆病者でありました 彼はミデアン人の襲撃を恐れ 酒ぶねの中で 隠れるようにして小麦を打っていました 士師記 6 章 6:14 すると 主は彼に向かって仰せ

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Academic year: 2021

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説 教 聖日礼拝 北浜チャーチ 黒田 禎一郎 2018年1月28日(日) 主 題:「あなたは何を誇りますか」 ―信仰によって- 聖 書:へブル人への手紙11章32節 はじめに ・私たちには、何か「誇り」とするものがあるでしょうか。 誇りには肯定的なものと、否定的なものがあります。前者の方は、私たちのモチベーシ ョンを高め、やる気を与えてくれます。それは私たちを高める良い意味での「誇り」で あります。後者の方(自慢話し、財産、名誉、地位等)はその逆で、「誇り」を強調するあま り高慢になり、人を不愉快にさせてしまうものですね。 ・私たち神を信じる者にも、「誇り」はあります。肯定的な「誇り」はよいことで、私たち の信仰を高めてくれものです。クリスチャンと言っても、いろいろな方がたがいます。 私たちは間違っても、後者のようであってはならないと思います。「誇り」は、ある場合 は私たちを高めることがあり、ある場合は私たちを低くしてしまうことがあります。私 たちは何を誇るでしょうか。「誇り」は正しく用いることが大切です。 ・ところで今日、学ぶ人たちを見ると、正しくそのことがよく分かります。そこで、その 人たちを具体的に見ていく前に、ここで取り上げられている順序について、少し説明し ます。 ・ この手紙の著者は、ここまで旧約聖書時代の信仰の先人たちを取り上げ、彼らの「信仰 によって」生きた出来事を述べてきました。しかし、このままこれを続けていくと、い くら時間があっても足りないと言いました。 ・ 11:32 これ以上、何を言いましょうか。もし、ギデオン、バラク、サムソン、 エフタ、またダビデ、サムエル、預言者たちについても話すならば、 時が足りないでしょう。 ここに6人の名前だけを挙げています。それが、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、 ダビデ、サムエルです。 ・この人々の順序は、必ずしも時代的な順序ではありません。なぜ、時系列ではないか、 その理由はよく分かりません。一般的に、著者は思いつくままに「信仰によって」生き た人の名前を挙げたのではないかと言われます。 そこで、私たちはここに記されている順で、神のお心を学んでいきたいと思います。 大切なポイント

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1.神の「恵み」によって「誇れる人」 1)ギデオン ・ギデオンという人は勇士として知られていますが、元々はそうではありませんでした。 むしろ彼は臆病者でありました。彼はミデアン人の襲撃を恐れ、酒ぶねの中で、隠れる ようにして小麦を打っていました。士師記 6 章 6:14 すると、主は彼に向かって仰せられた。「あなたのその力で行き、イスラエルを ミデヤン人の手から救え。わたしがあなたを遣わすのではないか。」 ・彼はこの言葉を受けても、尻込みして、なかなかそれに従うことができませんでした。 するとさらに主は彼に現れ、次のように言いました。士師記 6 章 6:16 主はギデオンに仰せられた。「わたしはあなたといっしょにいる。だからあなた はひとりを打ち殺すようにミデヤン人を打ち殺そう。」 ・しかし彼は、素直にそれを信じることができませんでした。そこで、信じられない彼は、 主にしるしを求め次のように言いました。 6:17 すると、ギデオンは言った。「お願いです。私と話しておられるのがあなたであ るというしるしを、私に見せてください。 ・主は確かに、ギデオンの願いに答えられました。それは岩から火が燃え上がり、肉と種 を入れないパンを焼き尽くす「しるし」でした。そこで彼はようやく、自分が主にお会 いしたことが分かり、主のおことばに従い始めたのでした。 ・最後に彼は主の御霊によって捕らえられ、恐れを知らぬ士師に変えられたのでした。つ まり彼には人間的弱さ(臆病者)がありましたが、「信仰によって」立ち上がった時、わ ずか 300 人で、ミデアン人とアマレク人の連合軍 13 万5千人を打ち破ることができた のでした。このギデオンは、主が「誇り」とする人でした。 2)バ ラ ク ・バラクは優柔不断な男でした。その頃、イスラエルの民は、カナンのヤビン王の支配下 にありました。ヤビンの将軍はシセラで、彼は900台も戦車を持ち、イスラエルの民 を苦しめてきました。イスラエルには女預言者デボラがいて、彼女はバラクに使いを送 り、このように言わせました。 4:6「イスラエルの神、主はこう命じられたではありませんか。『タボル山に進軍せよ。 ナフタリ族とゼブルン族のうちから一万人を取れ。 4:7 わたしはヤビンの将軍シセラとその戦車と大軍とをキション川のあなたのところに 引き寄せ、彼をあなたの手に渡す。』」 ・しかし、それに対してバラクはこう答えました。 4:8 バラクは彼女に言った。「もしあなたが私といっしょに行ってくださるなら、行き ましょう。しかし、もしあなたが私といっしょに行ってくださらないなら、行きませ ん。」 ・指導者バラクは女預言者デボラが一緒なら行くと、言いました。なんという 指導者でしょうか・・・? ・皆さん。なぜ優柔不断な男バラクが取り上げられたのでしょうか。そして女預言者で士

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師であったデボラが、なぜ取り上げられなかったのでしょうか。不思議ですね。聖書は 次のように記しています。 4:9 そこでデボラは言った。「私は必ずあなた(バラク)といっしょに行きます。けれ ども、あなたが行こうとしている道では、あなた(バラク)は光栄を得ることはで きません。主はシセラをひとりの女(デボラ)の手に売り渡されるからです。」 ・これは指導者の面子にかかわることです。それでも、バラクが進軍して行きました。彼 が自分の栄誉ではなく、主とその民の勝利を求めていたことを示しているでしょう。優 柔不断な人間でも、「信仰によって」生きる時、主はその人を大きく評価してくださる のです。 3)サムソン ・次にサムソンが挙げられたのは、不思議に思えないこともありません。 と言いますのは、彼の生活にいかがわしいところがないわけでは、なかったからです。 彼はイスラエル人において、ナジル人として生まれた時から聖別された人でした。ナジ ル人は神に身をささげるため、それにふさわしく聖くなることが求められました。 ・ナジル人は: 民数記 1 ぶどう酒や強い酒を断たなければなりませんでした(6:3,4)。 2 頭にかみそりを当ててはなりませんでした(6:5)。 3 死体に近づいてはなりませんでした(6:6~8)。 ・それにも関わらず、異教徒であるペリシテ人の娘と結婚したり、売春婦のもとへ行った りしました。しかし、そのような彼がペリシテ人を打ち倒すことができたのでした。不 思議ですね。 ・なぜ、サムソンは用いられたのでしょうか。 ⇒ ナジル人、つまり契約(約束)の人であったからです。 彼はきっと、ナジル人として「信仰によって」生きる人の模範を見ていたのだと思いま す。 4)エ フ タ ・またエフタがわざわざ挙げられているのは、なぜでしょうか。彼よりももっと、「信仰に よって」生きた人はいたはずでした。彼はどちらかと言えば、軽率な男でした。それば かりでなく、彼は売春婦の子でした。そのため、彼は正妻の子どもたちによって、いじ めに遭い、家から追い出され、ごろつきたちと略奪をしていた男でした。 ・ところが、イスラエルがアモン人に攻撃されそうになると、イスラエルの長老たちは、 エフタの所に来て、イスラエルをアモン人から救出してくれるよう頼みます。エフタは すぐにそれに応じませんでしたが、長老たちの切なる要請に、ついにそれに応じアモン 人と戦うことになります。その時、エフタは主に誓いこう言いました。 11:30 エフタは主に誓願を立てて言った。「も士師記11章しあなたが確かにアモン人

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を私の手に与えてくださるなら、 11:31 私がアモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに 出て来る、その者を主のものといたします。私はその者を全焼のいけにえとして ささげます。」 ・こうして彼は出陣して、アモン人の大軍を撃破しました。そして自分の家に帰って来る のですが、その時彼を最初に迎えたのは、彼の一人娘でした。 その一人娘を、彼が神への誓約どおり捧げたといことが、いけにえとして捧げたのか、 あるいは主の働きのために結婚せずに一生を通したのかということについて、その解釈 は分かれています。 ・しかし、その彼が信仰の勇者としてここに取り上げているのは、彼が主に対しての誓約 を誠実に履行したからだと思います。もちろん、彼が主の民を指導してアモン人の大軍 から主の民を救ったことも、信仰の勇者として挙げられると思います。彼は軽率であっ たと、そしりを受けても、一度神に誓った誓約を最後までやり遂げたところに、彼の信 仰を見ることができると考えられます。 5)ダ ビ デ ・ダビデはイスラエルを代表する王として知られていますが、実のところ弱さがありまし た。彼も失敗をした人でしたが、最大の罪は殺人という恐ろしい罪でした。ダビデは王 位について権力を手中におさめたとき、姦淫の罪を犯し、それをもみ消そうとして殺人 の罪を犯したことは、最大の汚点でした。あの偉大な王にも、弱さと罪がないわけでは ありませんでした。 ・しかし、彼の偉大さは、預言者ナタンによって罪を指摘された時、権力を傘に着て、そ れをごまかそうとしなかったことでした。彼は王でしたから、ナタンの助言を退けるこ ともできたはずでした。しかし彼は神の御前にへりくだり、公に自分の罪を認め、それ を告白し、悔い改めました。2 サムエル 12:13 ダビデはナタンに言った。「私は主に対して罪を犯した。」 ・王ともあろう人が、自分の罪を認め、それを告白し、悔い改めるということは、王の権 威にかかわることです。しかしダビデは王の対面も何もかも投げ捨てて、神の御前にへ りくだりました。 6)サ ム エ ル ・預言者サムエルも偉大な神の働き人でした。しかし彼にも弱点がありました。彼は祭司 エリのもとで教育を受けました。エリは偉大な指導者でしたが、子どもたちの教育につ いては大失敗しました。彼の二人の息子も祭司でしたが、平気で悪いことをしていまし た。 1サムエル 2 章 2:12 さて、エリの息子たちは、よこしまな者で、主を知らず、 2:13 民にかかわる祭司の定めについてもそうであった。 ・祭司としての務めを正しく行わなかっただけではありません。神の天幕の入口の所で働 いていた女性たちに、いかがわしいことをしていました。

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2:17 このように、子たちの罪は、主の前で非常に大きかった。主へのささげ物を、この 人たちが侮ったからである。 8:3 この息子たちは父の道に歩まず、利得を追い求め、わいろを取り、さばきを曲げて いた。 ・そのため、二人の息子も神のさばきによって殺されました。 しかし、それにもかかわらず、サムエル自身はイスラエルの民を終始、信仰をもって指 導しました。シロの聖所がペリシテ人によって破壊され、十戒の箱が奪われてしまって も、イスラエルの民の心を奮起させました。十戒の箱がペリシテ人の手に渡っても、神 はイスラエルの民とともにおられることを示しました。また十戒の箱を取り戻した時に も、それを遠く人里離れた所に置いて、イスラエルの民の信仰が十戒の箱にではなく、 神ご自身に向けられるように指導しました。 ・このように、サムエルはイスラエルの民を指導しました。彼はサウルに油を注いで王と しました。そしてサウルが主から退けられると、今度はダビデにも油を注いで王として 立てました。こうして彼は一生涯、「信仰によって」イスラエルの民を指導し続けたので した。 ・へブル人への手紙の著者は、ここまで 6 人の聖徒を挙げました。その後「預言者」たち について言及しています。きっとエリヤ、アモス、ホセア、イザヤ、エレミヤなど多く の名前があったと思います。しかし、その名前を挙げて説明する時間がないと言ってい ます。それほど多数の人々が「信仰によって」生きたからでした。 ・おそらく数えきれないほど多数の人たちがいたでしょう。聖書に名前が記された人、そ うでない人がいたでしょう。ほんとうに多数の人々が「信仰によって」生きたのでした。 2.私たちにも与えられる神の「恵み」 1)私たちの「誇り」 私たちはアブラハムの霊の子孫です。「信仰によって」歩いた先人たちの、子孫です。こ のような信仰の偉人たちを先祖に持つということは、私たちの「誇り」ではありません か。肯定的に「誇り」を持ってよいのです。そればかりではありません。私たちも彼ら と同じように、「信仰によって」生きる生き方をすることができるのです。なんという幸 いではありませんか。 ・主は真実なお方です。信仰によって歩んだ先人たちに、力を与えて、驚くべき生き方を させてくださいました。神は今も生きておられます。そして私たちにも同じ力を与えて くださるお方です。きっとへブル人への手紙の著者は、このことを勧めていると思いま す。 2)ほんとうの「誇り」持つ人 ・では、ここで 6 人の先人たちの姿を復習してみたいと思います。 ギデオン ⇒ 臆病者、隠れるように尻ごみしていた人でした。 しかし「信仰によって」300人で、13万5千人を打ち負かした。彼の

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信仰が評価された。 バラク ⇒ 優柔不断な男でした。 女預言者のような士師ではありませんでした。しかしそれでも「信仰によ って」生きた時、主は彼を評価してくださった。 サムソン ⇒ 彼は聖別されたナジルでしたが、異教徒と結婚し、売春婦と交わる失敗 をした。しかし一人で生涯かけて戦い抜いたところが評価されました。 エフタ ⇒ 社会的には不幸な人でしたが、神に誓った誓約を最後までやり遂げたこと が評価されました。 ダビデ ⇒ イスラエルの王で大失敗したが、主の御前で悔い改め成功した王でした。 彼の生き方が評価された。 サムエル ⇒ 祭司エリのもとで養育を受けましたが、エリの子どもたちとは違いまし た。主の務めに忠実だったことが評価された。 ・このように6人の先人たちは、みなそれぞれ違っていました。しかし共通項 は「信仰によって」生きた人たちでした。私たちも同じような弱さを持つ人間 です。いったい何を「誇り」とすることができるでしょうか・・・・? ・6人の先人たちが神に評価されたのは、人間的「誇り」ではありませんでした。アブラ ハム契約によって神の子となった人は、「弱さ」が、「誇り」なのです。ですから人間的 「誇り」を言うならば、「弱さ」ではないかと思います。 ・使徒パウロは次のように言いました。2コリント人への手紙 12:5 このような人について私は誇るのです。しかし、私自身については、自分の弱さ 以外には誇りません。 12:9 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの 力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、 私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りま しょう。 ・もし、人間的「弱さ」を語るならば、「弱さ」を「誇り」とすることです。 いかがでしょうか。私たちはいつ、自分の弱さを認めるのでしょうか? ⇒ 固い自分が砕かれる時(自分の無力を認める時) 私たちは人間的「弱さ」を、表に現わしたくありません。しかし神を信頼す るクリスチャンは、「弱さ」を持っていてもよいのです。弱さを認めるとは、 ⇒ 主の御前で自分が砕かれる時 臆病者、優柔不断、失敗が多くても「信仰によって」、主に忠実にお従いする ことが大切です。主はその人に、天来の祝福を備えておられるからです。 ・では、「弱さ」を持つ人は、どう生きればよいでしょうか? ⇒ ①主の前に正直に生きること(ありのまま認知する) ②弱さを持ったまま、主の前に出ること(隠れ家を持つ幸い) ③主は弱さの内で働いてくださる(主のご臨在)

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・神を信じるクリスチャンたちは、弱さを持っていても「信仰によって」、 歩むことができる幸いを経験させていただけるのです。なんという幸い、感謝ではあり ませんか! ま と め 主 題:「あなたは何を誇りますか」 ―信仰によって- ・今日、私たちは 6 人の信仰の先人たちから学びました。教えられたことは: 1.人間的「誇り」を「誇り」としない 2.人間的「弱さ」を「誇り」とする 12:9 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力 は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、 私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りま しょう。 2コリント

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