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〈論文〉認知言語学的視座におけるスペイン語前置詞por の概念研究(その1)--英語前置詞for, through・ルーマニア語前置詞prin との比較・対照も交えて

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(1)

本稿は、認知言語学の視座からスペイン語前置詞 の意味概念構造を考察する ことをテーマに2回に渡って論じる前半部に当たる。Morera(1988,1998)、 Lopez, de M. L.(1976)、López, M. del C. F.(1999)、Honrubia(2003)など、これ まで多くの研究者がスペイン語の前置詞について考察してきた。スペイン語前置詞 に焦点を絞っても同様で、Morera(1988)や Lunn(1987)、Cuenca & Hilferty (1999)などにおいて研究されてきた。しかしながら、本稿でも述べているように、

これらの研究は、あくまでも共時的視点のみから意味のつながりを説明しようとし ているものの、語義における意味変化の変遷も研究射程に定めると、必然的に、通 時的視点からの概念拡張を導入する視座が要求される。さらに、Morera(1988)の sema( 意 義 素 ) や Lunn(1987) お よ び Cuenca & Hilferty(1999) の image-schema(イメージ・スキーマ)によって語の意味を定義しようとすると、そこには 物理的事象表示の意味用法と抽象的事象表示の意味用法との区別が存在していない ことになる。本来、1つの物理的なものを指し示す意味から、より抽象的なものへ と概念拡張が起こった歴史を鑑みると、物理的事象表示の意味用法と抽象的事象表 示の意味用法との区別、および両者をつなぐ「メタファー」の存在に触れずして概 念転移のメカニズムを明らかにすることは難しいと考えられる。 そこで、本稿では、まず第二章で、前置詞 の意味概念構造の先行研究として Morera(1988) や Lunn(1987)、Cuenca & Hilferty(1999) お よ び 福 森(2007) を観察する。そして、第三章では、脳科学の枠組みにおいて言語文化に根差した隠 喩・比喩表現論を中核とする認知意味論(Cognitive Semantics)の諸理論を採用 し、さらに「通時的観点」と「共時的観点」とを融合させ、互いに足りないものを 補い合う立体的な視座でもって種々の語句における意味変化の認知プロセスを眺め

認知言語学的視座における

スペイン語前置詞

の概念研究(その1)

―英語前置詞 , ・ルーマニア語前置詞 との比較・対照も交えて―

福森 雅史・森山 智浩

(2)

る「メタ・プロセス」理論の観点から、前置詞 の概念転移のメカニズムを明ら かにする。

1.はじめに

Lakoff & Johnson(1980)の発刊以来、感覚運動経験(sensorimotor experience) や社会文化との相互作用を通して得られる人間の本性の産物(products of human nature)を基盤に、外界・内界を概念化する認識メカニズムをその結果事象として の言語活動から見つめる認知研究が世界中の多くの研究者によって進められてい る。このように、「認知言語学(Cognitive Linguistics)」は情報学と現象学におけ る種々の研究成果を論拠とし、メタファー論とカテゴリー論の2つの主幹から成り 立つ認知科学研究の一つに位置づけられる。 それ以前の研究は、Chomsky(1957)に代表されるように、「人間には本来的に 言葉を使用する能力が備わっており、言語活動はこの能力の現れに他ならない」と いう言語の創造性に着目した立場を執るものであった。それ故、文を生み出す装置 としての文法は「恣意的」([英語]arbitrary /[スペイン語]arbitrario)なもので はなく「規則的」([英語]regular /[スペイン語]regular)なものであると考えら れており、繰り返し適用される基本的規則の拡充に注目すれば、文法を普遍的な規 則の集合体として体系づけることが可能であるという統語理論中心の世界であっ た。換言すれば、その世界は、我々人間とは切り離された客観的な真実に基づいた 世界であるという考え方に基づく。 これに対し、「認知言語学」では我々人間の認知機構と深い関りを持つ経験主義 的立場を執る。ここで言う「経験」とは、「ひとりの個人に『偶然に起こった』事 柄という狭い意味」のみを指すのではなく、次の(1)に示されるようなもっと広 い意味として解釈する必要がある。

(1) ...the totality of human experience and everything that plays a role in it - the nature of our bodies, our genetically inherited capacities, our modes of physical functioning in the world, our social organization, etc.

(3)

この言に従えば、我々の身体が完全な球体のようなものであったり、アメーバのよう に不定形なものであったりするのではなく、胴体を中心として、頭や腕、脚を持ち、 さらに頭には目・口・鼻・耳などがあるといった「身体の性質」や、大地の上に2本 の脚で直立して活動するといった「遺伝的に受け継いだ能力」も「経験」の視座に基 づくものということになる。更に、日が昇ると我々も身体を起こして活動を始め、日 が沈むと身体を横たえて活動を休めるといった「行動の様式」や「前/後」、「左/ 右」、「上/下」といった「空間方向性の認識」、そして或る物と別の物とを同種と見 なすか異種と見なすかといった「識別能力」なども「経験」の範疇に収まる。このよ うな「経験」から生み出されるものの中で、特に中心を成す認知活動こそが「メタ ファー」([英語]metaphor /[スペイン語]metáfora)理論である1。我々の概念体 系の根本を成すメタファーは、自身にとって最も身近な存在である肉体的なものを基 盤にして非肉体的なものを捉え、より明確な輪郭を持つものを基盤にしてより不明確 な輪郭を持つものを認識するための比喩のフィルターとして機能している。

(2) Perhaps the most important thing to stress about grounding is the distinction between an experience and the way we conceptualize it. We are not claiming that physical experience is in any way more basic than other kinds of experience, whether emotional, mental, cultural, or whatever. All of these experiences may be just as basic as physical experiences. Rather, what we are claiming about grounding is that we typically conceptualize the nonphysical the physical − that is, we conceptualize the less clearly delineated in terms of the more clearly delineated.

─ Lakoff & Johnson(1980: 59)(下線筆者)  以上のメタファー論の視座に立つと、本稿の研究主題である前置詞の多義性につ いても新しい側面を見出すことができる。なぜなら、メタファーによる認知プロセ スと同様、語句の意味変化も通常「具象的事物・領域から(それよりも)抽象的事 物・領域」への一方向の流れに沿い、さらにその変化過程には日常生活から得られ る「背景知識の枠組み(frame)」がそのトリガーとなるからである。そこで、本

(4)

論では、かなり複雑な多義構造を持っていると考えられるスペイン語前置詞 を 採り上げ、次の(3a‐b)に示す目的に主眼を置いて論を進める。 (3) a. メタフォリカルな見地から概念転移という人間の持つ本質的な認知メカ ニズムを観察することで、スペイン語前置詞 の中核的概念と意味変 化のプロセスを明らかにする。 b. また、言語は人間の本質の産物であり、その経験のゲシュタルト (experiential gestalt)は異言語に渡って共通して存在する場合も想定さ れる。したがって、異言語間に渡る概念の異同を参照することで、スペ イン語前置詞 の概念をより浮き彫りにすることも本稿の研究目的の 一つとする。

2.先行研究

2.1.sema(意義素)を用いた Morera(1988)の研究  Morera(1988)では、sema(意義素)と呼ばれる「最小の意味的素性」(rasgos semánticos mínimos)の有無によって分類することで、前置詞を体系的に分類し ている2。以下(1)が sema(意義素)に関する記述である。

 (1) pensamos que toda forma de contenido es susceptible de ser descrita en rasgos semánticos mínimos ― que la semántica europea denomina ≪semas≫ ― , que permiten diferenciar los miembros de un contraste semántico. ( …内容の全ての形態は、意味論的対比で成員を区別させる ― ヨーロッパ の意味論では≪ sema(意義素)≫と呼ばれている ― 最小の意味的素性 で記述される余地があると我々は考える。) ― Morera(1988: 32)(日本語訳筆者) そして、前置詞 は、次の(2)に示されるように、‘+ sentido’(+方向性)と ‘+ concomitancia’(+同時生起性)という sema(意義素)によって説明できると している。

(5)

 (2)Los semas inherentes de la preposición ‘+ sentido’

‘+ concomitancia’

que podemos denominar con el nombre genérico ‘tránsito’ que implica solidariamente los rasgos de contenido ‘extensión’, ‘ausencia de límites’, ‘movimiento’, ‘indiferencia a la dirección’ etc., .

(前置詞 に内在する sema(意義素)は[次の2つ]であるが、 「 + 方 向 性 」 「 + 同 時 生 起 性 」 我々は「拡張」、「限界性の無指定」、「移動」、「方向に関して無指定」など の意味内容の特徴を確実に含んでいる「通過」という総称名詞でそれを名 づけることができる。) ― Morera(1988: 287)(日本語訳・[ ]内表記筆者) そして、Morera(1988: 87)では、‘sentido’(方向性)という sema(意義素)は 下記(3)のように説明されている3

 (3) Llamamos ≪ sentido ≫ a la circunstancia de posición o desarrollo que parte de, pasa por o se dirige a un objeto designado por el régimen preposicional. Esta definición implica que la mencionada circunstancia puede tomar el referente del régimen como límite inicial, como límite final, o, simplemente, como paso intermedio, puntos que se corresponden con las tres partes principales de un rector. Por el contrario, la idea ‘− sentido’ nos lleva al sema ‘situación , que hace referencia a una noción permanente que implica maneras del estar en cualquier aspecto: v.

(6)

gr., acompañamiento, ubicación, acoplamiento, etc. ( 前置詞の支配語によって指示された目的から出発したり、それを通過した り、それに向かっていったりする、位置や経過の状況を≪sentido(方向 性)≫と呼ぶ。こうした定義は、言及された状況が、指向辞の3つの主要 な部分に対応する点である起点として、着点として、または単に中間経路 としてその支配語の指示物を取ることができることを含意している。反対 に、‘− sentido’(−方向性)の概念は、‘situación’(状況)の sema(意 義 素 ) と 呼 ば れ て い る。 そ れ は、 例 え ば、acompañamiento( 同 伴 )、 ubicación(配置)、acoplamiento(結合)など、どのアスペクトにおいて も存在することの方法を含意する永続的な概念に言及する。) ― Morera(1988: 87)(下線・日本語訳筆者) 以上、次の(4)としてまとめることができる。  (4) ‘+ sentido’(+方向性)の sema(意義素)とは「起点からの出発、着点 への到達、中間経路での通過」などの「移動」に関する素性であると言え る。逆に、‘− sentido’(−方向性)はこうした「移動」に関する素性を持 たないことから、一般に「状況」と呼んでいるものに相当すると言える。 他方、‘concomitancia’(同時生起性)の sema(意義素)は、以下(5)のように 定義されている。

 (5) Si la línea de sentido transcurre por el espacio delimitado por el régimen, hablamos de ≪preposiciones de sintido concomitante≫ . Estamos, pues, situados en la zona intermedia del vector. No existe un punto de referencia externo que fije una dirección determinada, por lo que también podría hablarse de ≪indeterminación del sentido≫ , como hace Trujillo. El transcurso de la noción regente por el espacio de la noción régimen implica un momento presente, que contiene virtualmente un momento

(7)

pasado y otoro futuro, que, como se verá, pueden actualizarse en el texto. Cuando el sentido tiene como referencia un punto externo a aquél desde el que se proyecta, estamos entonces ante preposiciones caracterizadas por el sema ‘− concomitancia’.

( もし、方向性の境界線(輪郭)が支配語によって限定されていない空間を 推移するならば、我々は≪同時生起の方向の前置詞≫について述べている ことになる。なぜなら、我々はベクトルの中間領域に位置しているからで ある。トルヒーリョがしているように、≪方向性の不確定性≫について述 べられたであろうことに関しては、決まった方向を定めるような外部の参 照点は存在しない。概念空間を通して支配語を支配する概念推移は現在の 瞬間を含む。それは、過去のある瞬間と未来の別の瞬間を事実上含む。ま た、それは、これから観察するように、本文で示され得る。  方向性が、参照点として、投射されるものから、支配語によって限 定 さ れ て い な い 空 間 に 対 し て 外 部 の 点 を 持 つ 時、 そ の 時、 我 々 は ‘− concomitancia’(−同時生起性)の sema(意義素)によって特徴付 けられた前置詞の前に位置することになる。) ― Morera(1988: 87)(下線・日本語訳筆者) 上記(5)の文中に見られる次の(6)(上記(5)より一部抜粋)とは「起点 (=出発点)」や「着点(=到達点)」のことを表していると考えられる。

 (6)un punto de referencia externo que fije una dirección determinada, . (決まった方向を定めるような外部の参照点) ― Morera(1988: 87)(日本語訳筆者) このように捉えられる背景には、Morera(1988)では、‘+ concomitancia’(+同時 生 起 性 ) の sema( 意 義 素 ) を 持 つ ス ペ イ ン 語 前 置 詞 は の み で あ り、 ‘− concomitancia’(−同時生起性)の sema(意義素)を持つ前置詞には、「起点 (=出発点)」と関係する , が、「着点(=到達点)」と関係する , , ,

(8)

が挙げられている点が関係している。また、‘− concomitancia’(−同時生起 性)の sema(意義素)を持つ前置詞として、 も挙げられているが、Morera (1988)では、これも「着点(=到達点)」に関係する前置詞として捉えられてい る。その証拠に、Morera(1988)では、‘+ concomitancia’(+同時生起性)の sema(意義素)を持つ前置詞と‘− concomitancia’(−同時生起性)の sema(意 義素)を持つ前置詞とがそれぞれ次の(7a‐b)の図で説明されている。

 (7)

POR

― Morera( 1988: 115) A, HASTA, PARA, HA CIA, CONT RA, DE, DESDE

a. b.

― Morera(1988: 115) つまり、物理的場所の「移動行為」が下記(8)に示されるような「起点(=出発 点)」と「着点(=到達点)」、及びその間に存在する「中間経路」から成るとすれば、  (8)<起点・経路・着点のスキ−マ(Source − Path − Goal schema)>

< 起点(=出発点)> < 着点(=到達点)> < 経路 > T R ‘+ concomitancia’(+同時生起性)の sema(意義素)とは「中間経路」のみに 関する素性であると言える。更に、以下(9)(上記(5)より一部抜粋)に見ら れるように、

 (9) Si la línea de sentido transcurre por el espacio delimitado por el régimen, hablamos de ≪preposiciones de sintido concomitante≫ . Estamos, pues, situados en la zona intermedia del vector. No existe un punto de referencia externo que fije una dirección determinada,

(9)

( もし、方向性の境界線(輪郭)が支配語によって限定されていない空間を 推移するならば、我々は≪同時生起の方向の前置詞≫について述べている ことになる。なぜなら、我々はベクトルの中間領域に位置しているからで ある。) ― Morera(1988: 87)(日本語訳筆者) Morera(1988)の考えによれば、我々は「起点(=出発点)」と「着点(=到達 点)」とを含まないその間の中間領域に位置していることになる。そのため、前置 詞 の場合には、それが表す中間経路と我々が位置していると考えている中間領 域とが同時に生起し得ることから、‘+ concomitancia’(+同時生起)という名称 を sema(意義素)に与えたと考えられる。以上のことから、‘concomitancia’(同 時生起性)の sema(意義素)は、次の(10)としてまとめることができる。  (10) ‘+ concomitancia’(+同時生起性)の sema(意義素)とは「起点や着点 と関係しない移動」に関する素性、換言すれば「中間経路」のみに関する 素性であると言える。逆に、‘− concomitancia’(−同時生起性)は「起 点や着点と関係する移動」に関する素性であると言える。 そして、上記(2)(以下に(11)として再掲載)に述べられているように、  (11) podemos denominar con el nombre genérico ‘tránsito’ .

(…我々は「通過」という総称名詞でそれを名づけることができる。) ― Morera(1988: 287)(日本語訳筆者) Morera(1988: 287)では、‘+ sentido’(+方向性)と‘+ concomitancia’(+同 時生起性)という sema(意義素)をまとめて ‘tránsito’(通過)という言葉で表 している。これを次の(12)としてまとめる。

(10)

 この「通過」の概念を基盤とし、Morera(1988)では様々な意味用法の説明が 成されている4。このように、Morera(1988)では sema(意義素)という意味素 性によって前置詞を体系的に分類し、かつ各々の用法についてもその考察を広げて いる点で、他に類を見ない優れたスペイン語前置詞研究であると言える。  しかしながら、Morera(1988)には以下に述べるような問題点が指摘される。 確かに、sema(意義素)を始めとする、いわゆる「意味素性」([英語]semantic feature /[スペイン語]rasgos semánticos)を用いた語の意味分析は、従来よく 行われてきたアプローチの一つである。この「意味素性」の説明に関し、典型的に 用いられる例の一つに英語 bachelor が挙げられる。この bachelor は、辞書では以 下(13)のように定義されている。

 (13)a man who has never been married (まだ一度も結婚していない男性) ― (s.v. bachelor, ., 1)(日本語訳筆者) この辞書の定義からも明らかなように、通常、bachelor という単語の指示物は次 の(14)に示される「意味素性」の集合によって表され得る5  (14)[human]+[adult]+[male]+[unmarried] ― 河上(編)(1993: 28) このように、個々の「意味素性」の総和から全体の意味が得られるとする考え方を 「構成性の原理」([英語]principle of compositionality /[スペイン語]principio

de composicionalidad)と言う。しかしながら、近年になって認知言語学の観点か ら、この「意味素性」の積み木式の捉え方だけでは説明することができない点があ ることが指摘されている。例えば、杉本(1998: 59)では、その実証例として、下 記(15a‐c)が挙げられている。

(11)

b. When Jane met him, Tarzan was a bachelor. c. Bob is a homosexual, but he is still a bachelor.

― 杉本(1998: 59) 通常、上記(15a‐c)の例文は容認度が下がるとされる。その理由として、杉本 (1998: 59-60)では、これらの例文が表す事象に対して我々が通常以下(16a‐c) のような考えを抱いていることが挙げられている。  (16) a. ローマ法皇は年配だし普通の人と違って結婚はしないことになってるん だから… b. ターザンはジャングルで一人だったんだから結婚しようにもできないし… c. ホモなら女性とは結婚しないんじゃー… ― 杉本(1998: 59-60) このように、語の意味というものは、「ゲシュタルト構造」や「フレーム」([英 語]frame/[スペイン語]marco)6と呼ばれる「或る語にまつわる様々な背景知 識の枠組み」によって成立しているのである。そのため、たとえ機能語の1つとし て分類される前置詞であっても、こうしたゲシュタルト構造やフレームを考慮する 必要があると言える。  また、化学の世界では、この世の物質は 103 個から成る原子によって構成されて いる7ことが証明されている。しかしながら、言語の世界においては、どのような 意味素性があれば全ての語の意味を定義することが可能なのかは明確ではないと いった問題点も存在する。ましてや、その意味素性を選択する際の基準に関して も、現行、同様の問題点が散見される。  更に、次の(17)に述べられているように、  (17) また、時の経過と共に各単語に次々と新しい意味が生まれてきた歴史を鑑 みれば、本来一つの単語には一つの「(別の意味を生む際に中心的となる) 意味」しかなく、それが時の流れと共に複数個の意味を生む役割を果たし

(12)

たと捉えるのも認知言語学の主たる特徴の一つである。このことは、自然 の森や山に囲まれた昔の人たちの生活環境を想像すれば、その中心的な意 味とは、目に見えるような素朴な物理的なもの4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4を指し示す意味であって、 目で見ることも手で触ることもできない抽象物を指し示す意味は後々に生 まれたと考えられるのである。 ― 上野・森山(2006: 3)(下線筆者) 語の意味変化の変遷を考えると、語というものは、1つの物理的なものを指し示す 意味からより抽象的なものへと概念拡張が起こったと言える。しかしながら、 sema(意義素)によって語の意味を定義しようとすると、そこには物理的事象表 示の意味用法と抽象的事象表示の意味用法との区別が存在していないことにな る。これは、我々が持つ「メタファー」を通して生じる概念転移メカニズムの存在 が欠如していることに等しい。  加えて、以下(18)に示されるように、認知言語学の分野における経験主義の枠 組みの中では「言語は人間の本性の産物」として捉えられている。

 (18) Each such domain [= a basic domain of experience] is a structured whole within our experience that is conceptualized as what we have called an . Such gestalts are because they characterize structured wholes within recurrent human experiences. They represent coherent organizations of our experiences in terms of natural dimensions (parts, stages, causes, etc.). Domains of experience that are organized as gestalts in terms of such natural dimensions seem

to us to be .

They are in the following sense: These kinds of experiences are a product of

Our bodies (perceptual and motor apparatus, mental capacities, emotional makeup, etc.)

(13)

manipulating objects, eating, etc.)

Our interactions with other people within our culture (in terms of social, political, economic, and religious institutions)

In other words, these “natural” kinds of experience

. Some may be universal, while others will vary from culture to culture.

― Lakoff & Johnson(1980: 117-118)(下線・[ ]内表記筆者) それ故、言語表現は異なるものの、そこには異言語に渡って共通する物事の捉え方 が存在する場合もあるという可能性が浮上し、このような視座の導入も概念研究と しては必要となろう。このように、異言語間に渡る概念の並行性を観察すること で、スペイン語前置詞 の概念もより浮き彫りになるのではないかと考える。こ こで、下記(19a - d)に、これまで観察した Morera(1988)の問題点をまとめる。  (19) a. Morera(1988)では、伝統的な意味論の考え方に則って、sema(意義素) と呼ばれる「意味素性」が用いられている。しかしながら、近年、認知 言語学の観点からは、語の意味というものは「ゲシュタルト構造」や 「フレーム」と呼ばれる「或る語にまつわる様々な背景知識の枠組み」 によって成立していると考えられている。そのため、たとえ機能語の1 つとして分類される前置詞であっても、こうしたゲシュタルト構造やフ レームを考慮する必要があると言える。 b. 言語の世界においては、どのような意味素性があれば全ての語の意味を 定義することが可能なのかが明確ではない。その意味素性を選択する際 の基準に関しても同様である。 c. Morera(1988)では、伝統的な意味論の考え方に則って、sema(意義素) によって前置詞 の概念を決定しているためか、 の持つ物理的事 象表示の意味用法と抽象的事象表示の意味用法との区別が存在していな い。これは、我々が持つメタファーを通して生じる概念転移メカニズム の存在が欠如していることを示している。

(14)

d. 言語は人間の本質の産物である故、言語表現は異なるものの、そこには 異言語に渡って共通する物事の捉え方が存在する場合もあるという可能 性が確認される。そのため、異言語間に渡る概念の並行性を観察するこ とで、スペイン語前置詞 の概念もより浮き彫りになるのではないか と考える。 2.2.複数イメージ・スキーマを用いた Lunn(1987)の研究  Lunn(1987)では、下記(1)‐(4)に見られるように、複数のイメージ・ス キーマ8を設定することでスペイン語前置詞 が持つ意味用法の概念的つながり を説明しようとしている。

 (1) The central relationship defined by is passage through a bounded space. That is, a trajector is understood to penetrate a landmark introduced by . ( )

( によって定義される[トラジェクターとランドマークとの]中核的関 係は範囲が定められた空間[であるランドマーク]を[トラジェクター が]貫く通過である。つまり、トラジェクターは、 によって導入され たランドマークを貫通するものとして理解されている。( ))

(4)a. En Alaska pescan por un hoyo en el hielo. ‘In Alaska, they fish through a hole in the ice.’

(アラスカでは、氷に開けた穴を通して魚を釣る) b. El ladrón entró por la ventana.

‘The thief came in through the window.’ (その泥棒は窓を通り抜けて入った)

(15)

The drawing below schematizes this meaning of : (下図は のこの意味をスキーマ化したものである:)

Fig 3

― Lunn(1987: 39­40)(一部省略・日本語訳・[ ]内表記筆者)  (2) When the prototypical spatial relationship of trajector and a landmark

does not involve penetration, then defines a relationship in which the trajector moves along a path bounded by the dimensions of the landmark. The following sentences illustrarte this.

( トラジェクターとランドマークとの典型的な空間関係が貫通を含まない時、 は、ランドマークの面積によって範囲が定められた経路を辿って、トラ ジェクターが移動するという関係を定義する。次の文がこれを例証する。)

(9) a. Es agradable hacer footing por la playa. ‘It s pleasant to jog along the shore.’

(砂浜を辿ってジョギングすることは楽しい) b. No vayan por ese camino; vayan por la carretera.

‘Don t go by that road; go by the highway.’ (その道を通って行くな。幹線道路を通って行け)

       (⋮)

Figure 4 schematizes this meaning of . The drawing is noncommittal as to the shape of the landmark.

( 図4は のこの意味をスキーマ化したものである。その図は、ランド マークの形について目立った特徴を示していない。)

Fig 4

(16)

 (3) The limiting case of a trajectory bounded by the dimensions of a landmark is the one in which the trajectory and the landmark are the same. This possibility is exemplified in the sentesnces in(10).

( ランドマークの面積によって範囲が定められた軌道の特殊な事例は、軌道 とランドマークが同一であるものである。この可能性は(10)の文の形で 例証されている)

(10) a. Viniste por tren o por avión?

‘Did you come by train or by plane?’

(君は電車で来ましたか?それとも飛行機で来ましたか?) b. Nos va a llamar por teléfono cuando esté listo.

‘He s going to call us on the phone when he s ready.’ (彼は準備が出来たら電話で私たちに知らせるでしょう)

       (⋮)

Figure 5 schematizes this meaning of .

(図5は のこの意味をスキーマ化したものである。) Fig 5

― Lunn(1987: 43)(一部省略・日本語訳筆者)  (4) Finally, when the shape of a landmark doesn t impose a path on the trajector,

defines a relationship in which a trajector to some extent or another fills up a space with paths.

( 最後に、ランドマークの形がトラジェクターそのものに経路という役割を 与えない時、 は、トラジェクターが経路を伴ってある程度まで空間を 満たすという関係を定義している。)

(11) a. Demos un paseo por el parque. ‘Let s take a walk through the park.’

(公園を通って歩こう)

b. Los legionaries vagaban por el desierto bajo un sol implacable. ‘The Legionnaires were wandering in the desert beneath an

(17)

implacable sun.’

( その外人部隊の隊員たちは容赦のない太陽の下、砂漠(の中) をさまよっていた)

       (⋮)

The drawing below is noncommittal as to the shape of the landmark or the extent to which the paths fill it.

( 下図はランドマークの形や経路がランドマークを満たす範囲について目 立った特徴はない。) Fig 6 ― Lunn(1987: 44­45)(一部省略・日本語訳筆者) この Lunn(1987)の研究は、名詞や動詞などに較べて意味構造が明確ではない が故にその多義性が生じる概念構造が通常捉え難いと考えられている前置詞の意味 用法を、視覚的に捉えられるイメージ・スキーマを用いることで理解しやすくした という点では非常に画期的な研究であると言える。しかしながら、Lunn(1987) の研究にも、以下に指摘するような問題点が存在する。 まず、上記(1)や(2)のイメージ・スキーマは、挙げられている例文が表す 事象とよく対応していると言えるが、上記(3)の図は、その例文が表す事象との 対応がはっきりしない。これは、上記(1)や(2)で取り上げている例文が表す 事象がいずれも物理的場所の「移動行為」に関する意味用法であるのに対し、上記 (3)で取り上げている例文がいずれも「方法」の意味用法という抽象的事象表示 の意味用法であるため、イメージ・スキーマとして図示することに問題が生じたの ではないかと考えられる。 また、個々のイメージ・スキーマは、同じグループに分類可能な例文を基に、そ れらに対応するイメージ・スキーマを描き出したと考えられる。そのため、個々の イメージ・スキーマは、それぞれ対応する例文の表す事象をよく図示できていると

(18)

言えるが、イメージ・スキーマ間のつながりが十分に示せていない。もし、それぞ れのイメージ・スキーマが、イメージ・スキーマ変換によって得られたものである とすれば、相互間の関係について述べることもできたはずである。しかしながら、 その記述は確認されない。そのため、辞書における意味用法の表記と並列するが如 く、それぞれのイメージ・スキーマが羅列されているに過ぎない。 更に、Morera(1988)と同様に、イメージ・スキーマを中心として語の意味を 定義しようとするあまり、物理的事象表示の意味用法と抽象的事象表示の意味用法 との区別が成されていない。これは、我々が持つ「メタファー」を通して生じる概 念転移メカニズムの存在が欠如していることになる。 以上、これまで観察した Lunn(1987)の問題点を、以下(5a - c)としてまと める。  (5) a. 物理的場所の「移動行為」を表すイメージ・スキーマはその捉え方が明 確に図示できているものの、「方法」という抽象的意味用法を表すイ メージ・スキーマについては図と例文との対応関係が不十分ではないか と考えられる。 b. 複数のイメージ・スキーマ間のつながりを示していないため、辞書にお ける意味用法の表記と同様に、それぞれのイメージ・スキーマが羅列さ れているに過ぎず、イメージ・スキーマを用いている意義が薄れてい る。 c. イメージ・スキーマを中心として語の意味を定義しようとするあまり、 物理的事象表示の意味用法と抽象的事象表示の意味用法との区別が成さ れていない。これは、我々が持つ「メタファー」を通して生じる概念転 移メカニズムの存在が欠如していることになる。

2.3.単一イメージ・スキーマを用いた Cuenca & Hilferty(1999)の研究

 Cuenca & Hilferty(1999)では、下記(1)に見られるように、単一のイメー ジ・スキーマによってスペイン語 の概念の説明を試みている。

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 (1) Así el significado de que nos interesa es el que pone en escena una imagen esquemática en la que el recorrido del trayector lo lleva de una relación de no coincidencia con el locus, a través de otra de coincidencia, a otra de no coincidencia. La figura 9 representa gráficamente la imagen esquemática que se expresa con .

( そこで、我々が興味を抱いている の意味は、トラジェクターの行程が ランドマークとの非一致の関係から、ランドマークとの一致の関係を貫い て、そしてランドマークとの非一致における関係へトラジェクターを運ぶ というイメージ・スキーマを或る場面に置くことである。図9は、 で 表されるイメージ・スキーマを図によって表している。) tr Coincidencia Locus coincidenciaNo coincidenciaNo Fig. 9 por

― Cuenca & Hilferty(1999: 143­144)(日本語訳筆者) この Cuenca & Hilferty(1999)では、単一のイメージ・スキーマを用いることで、 Lunn(1987)で観察されたような問題点の一つは解決できている。なぜなら、複 数のイメージ・スキーマ間のつながりを示す必要がないからである。しかしなが ら、この単一のイメージ・スキーマを用いても、依然として解決できない問題が存 在している。それは、Morera(1988)及び Lunn(1987)でも指摘した下記(2) の問題点である。  (2) 語の意味変化の変遷を考えると、語というものは、1つの物理的なものを 指し示す意味からより抽象的なものへと概念拡張が起こったと言える。し かしながら、単一のイメージ・スキーマによって語の意味を定義しようと

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すると、そこには物理的事象表示の意味用法と抽象的事象表示の意味用法 と の 区 別 が 存 在 し て い な い こ と に な る。 こ れ は、 我 々 が 持 つ「 メ タ ファー」を通して生じる概念転移メカニズムの存在が欠如していることに なる。 2.4.メタ・プロセス理論を用いた福森(2007)の研究  従来の認知言語学的研究の枠組みだけでは、中核義が如何なるものであるのか、 また、そこからどのような順序で他の複数の意味が生じてきたのか、という点に関 する明確な理由は示されていない。これは、共時的観点からの分析しか行われてい ないためであり、こうした平面的な見方だけでは客観的事実にそぐわない多義性の 分析となってしまうという問題点を含んでいる。福森(2007)では、次の(1)に 示される理由から、  (1) 語の意味変化の変遷を考えると、本来、日常生活における物理的なものを 指し示す一語が一つの原義を持っており、その原義から複数の派生義が生 み出されたと言える。そのため、原義と派生義との間には如何なる結びつ きが存在するのか、というメカニズムを解明しない限り、前置詞 が何 故、動作主導入前置詞として使われるのかがわからない。 ― 福森(2007: 27) スペイン語前置詞 が持つ概念の説明を「共時的観点」からだけではなく、「通 時的観点」からも行うことで、原義と派生義との間に存在する「意味変化のプロセ ス」、つまり「意味変化が生じる動機づけ」を明らかにしようとしている9 スペイン語前置詞 は、次の(2)に示されるように、古典ラテン語 ō に由 来する10

 (2) del lat. vg. PRO, alteración del lat. cl. pro ‘por , ‘para .

(‘por’, ‘para’を意味する古典ラテン語 PRO の変化形である俗ラテン語 PRO から。) ― (s.v. PRO, .)(日本語訳筆者)

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そこで、福森(2007)では、「前方」概念表示語 ō が「或るものを別のものの 前にそれの代わりに置く」という認識から、「交換」概念へ転移を生じるとしてい る。そして、この時、「前方」から「交換」への概念転移の動機づけについて「図 地分化」の観点も導入することで、単なる「位置関係」の「交換」だけではなく、 それによって「図」と「地」との「交換」が行われ、その結果、前方に置かれたも のに焦点が当てられるメカニズムに言及している。そして、通常、辞書で「交換」 /「代理」/「代価」などと分類される意味用法が全てこの「交換」概念で捉えら れ得ることも説明している。 さらに、上出2.1.(18)で既に見たように、言語は人間の本質の産物であるこ とから、言語表現は異なるものの、そこには異言語に渡って共通する物事の捉え方 が存在する場合もあると考えられる。そこで、語源を同じくし、さらに同様の概念 で捉えられる英語前置詞 を採り上げることで、「交換」概念が言語形態の違い を越えて同じように捉えられ得ることにも触れている。 また、スペイン語前置詞 は、次の(3)の記述にも見られるように、「前方」 概念表示語である古典ラテン語 ō だけではなく「貫通」概念表示語である古典ラ テン語 にも由来している。

 (3) PER《por, durante, por medio de》se funde con prô《en frente de, en nombre de, en lugar de》, probablemente en el propio latín hablado; de este modo se crea el medieval , forma única que expresa casi todos los significados de las dos preposiciones latinas, así como los de ob y PROPTER 《debido a》. ( PER《∼を通って、∼の間、∼によって》は、おそらく話し言葉である本 来のラテン語において、PRO―《∼の前に、∼の名において、∼の代わりに》 と混同したと思われる。このようにして、OB や PROPTER《∼のために》 の意味のように、ラテン語の前置詞の幾つかの形態が持つほとんど全ての 意味を表す唯一の形態である中世スペイン語 が生じることになった。)

― Penny(Pascual, José & María Pascual(trad.))(1993: 220) (下線・日本語訳筆者)

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つまり、現代スペイン語 は古典ラテン語 ō と という異なる2つの前置詞 に由来するという、少し複雑な語源形成を持っていると言える。 通常、辞書で「仲介者」/「方法」/「期間」などと分類される意味用法は、古 典ラテン語ではこの前置詞 が有しており、これらの意味用法は全て、この「貫 通」概念で捉えられることも説明している。 さらに、この「前方」と「近接」の両概念を結びつける中核的スキーマ概念とも 呼ぶべき「近接」概念が生じ、一つの体系を形成することになる。こうして得られ たスペイン語前置詞 の概念を以下(4)として示す。  (4) (< ― 「 前 方 」 概 念 「 交 換 」 概 念 中 核 的 ス キ ー マ :「 近 接 」 概 念 「 経 由 」 概 念 原 義 :「 貫 通 」 概 念 動 作 主 導 入 の マ ー カ ー 仲 介 者 方 法 期 間 [ 前 提 条 件 ] [ 拡 張 ] [フレーム] [ 概 念 的 結 び つ き ]

[A MAN IS A PLACEmetaphor]

[TIME IS SPACEmetaphor] [プラグマティックな側面] [「「物理的な「経由地」を移動通過する」 方法..である」という認識] ということは「物理的な「行為」を行う」 内 部 貫 通 外 部 貫 通 per [ 概 念 的 結 び つ き ] ― 福森(2007: 267)  この福森(2007)においても、以下に述べるような問題点が指摘される。  福森(2007)では、中核的スキーマに「近接」概念を置くことで「前方」と 「近接」の両概念を結びつけている。確かに、下記(5)−(6)に見られるよう に、スペイン語前置詞 には「近接」概念の意を表す意味用法が存在する11

 (5)Mi cartera debe estar aquí. (私の財布はこの辺りにあるはずだ)  (6)Su casa está Madrid.

(23)

しかしながら、この「近接」概念は常に使えるものではない。たとえば、以下 (7)のような文は、通常容認不可として見なされる。

 (7)*Juan debe estar María.

(フアンはマリアの辺りにいるはずだ)

この場合、以下(8)のような別の表現を用いて「近接」概念を表す必要がある。  (8)Juan debe estar María.

(フアンはマリアの近くにいるはずだ) 以上の言語事実は、スペイン語前置詞 が持つ「近接」概念には制約があること を物語っている。このように、制約を持つ概念が、或る語の中核的概念になること は相定し難い。つまり、スペイン語前置詞 が持つ「近接」概念は中核的概念で はなく、周辺的概念ではないかと考えられるのである。  また、スペイン語前置詞 が持つ「近接」概念が中核的概念でないとするなら ば、「前方」と「近接」の両概念を結びつける「概念」が存在しないことになる。 しかしながら、一つの語の中に独立した異なる二つの概念が存在するとも考え難 い。そこで、これら二つの概念が一つの語の中に存在するためには、一方の概念が 他方の概念を包含したと考えるべきである。とするならば、どちらの概念にどのよ うにして集約されたのかという疑問が生じる。  以上、述べてきた福森(2007)の問題点を、以下(9a - b)としてまとめる。  (9) a. スペイン語前置詞 が持つ「近接」概念には制約があることが見受け られるが、このような制約を持つ概念が或る語の中核的概念になること は考え難い。つまり、スペイン語前置詞 が持つ「近接」概念は中核 的概念ではなく、周辺的概念ではないかと考えられる。 b. スペイン語前置詞 が持つ「近接」概念が中核的概念でないとするな らば、「前方」と「近接」の両概念を結びつける「概念」が存在しない

(24)

ことになる。しかしながら、一つの語の中に独立した異なる二つの概念 が存在することは考えにくいため、一方の概念が他方の概念を包含した と捉えるべきである。とするならば、どちらの概念にどのようにして集

約されたのかという疑問が生じる。 (次号に続く)

< Notes >

1 メ タ フ ァ ー 理 論 に つ い て 詳 し く は Lakoff & Johnson(1980, 1999)、Lakoff(1987)、

Johnson(1987)参照。また、メタファー理論をスペイン語に応用したものに関しては福 森(2011b)参照。 2 「sema」(意義素)による前置詞の体系について詳しくは Morera(1988: 85)参照。 3 ここで用いられている “régimen”(支配語)とは、「前置詞が直接関係する(=支配す る)名詞、あるいは名詞相当語句のこと」を言う。また、“objeto de preposición”(前置 詞の目的語)とも言う。前置詞と目的語との関係について、より詳しくは『言語学大辞 典』(s.v. 前置詞)参照。 4 たとえば、以下[1]に示されるように、

[1] ... la preposición en cuestión presenta, gracias a su significación de ‘tránsito’, el régimen como ‘medio a través del cual se realize la acción verbal , .

( …問題の前置詞は、「通過」の意味のおかげで、「動詞が表す行為が行われるため に用いられる手段」として支配語を示す…) ― Morera(1988: 314)(日本語訳筆者) 前置詞 の動作主導入のマーカーとしての用法も「或る人を通して4 4 4行為が成される」 のような「通過(‘tránsito’)」概念の一つとして捉えられている。 5 この「意味素性」の利点としては下記[1]が挙げられる。 [1] ① 素性を用いることで,言語の構造記述を効果的に行うことができる。 ② 語彙の相互関係が明らかになる。 ― 河上(編)(1993: 28-29) 更に、上記[1−②]に関しては、更に下記[2a‐d]の点が列挙される(Cf. 河上 (編)(1993: 28-29))。 [2] a. 意味の上下関係を明示できる。

(25)

例えば、spouse(配偶者)、wife(妻)、husband(夫)という語があった時、 それぞれの語は意味素性によって次の(ⅰ a‐c)のように表される:

 (ⅰ) a. spouse :[human]+[adult]+[spouse]

b. wife :[human]+[adult]+[spouse]+[female] c. husband :[human]+[adult]+[spouse]+[male]

このように、spouse は wife / husbad に比べて意味素性が1つ少ないことから、 前者は上位語で、後者は下位語であることが明らかとなる。 b. 意味の対義関係を明示できる。 上記(ⅰ a − c)において、 と とは、4つ目の意味素性のみが [female]と[male]とで対立していることから、両語は反義語であることが 明確になる。 c. 語彙間の結びつきの適格性を判断できる。 Bachelor には[adult]の意味素性があることから、? という語 の結びつきは許されない。 d. 文と文との意味関係が予測できる。 例えば、次の(ⅱ a − c)に挙げる関係が予測できる。   (ⅱ) a. John is a bachelor. → John is a man. (包含関係)

b. John is a bachelor. = John is a man who has never married. (同義関係) c. ? John is a bachelor, but he s married. (矛盾関係)

― 河上(編)(1993: 29) 6 「フレーム」についてより詳しくは、Fillmore(1982a: 112-119, 1985: 232-239)、福森(2007: 115-123)参照。 7 次の[1]−[2]の記述に見られるように、 [1] 物質を構成する基本的要素のひとつで、原子核と電子からなる。いずれも直径 10− 8 cm 程度の粒子で、水素原子が最小。すべての物質は原子から生じたイオン、ある いは原子が組み合わさってできた分子からなりたつ。物質を構成する究極の単位 としてギリシア語 atomos(分割できないもの)にちなんで atom と命名された。 ― 『百科事典マイペディア』(s.v. げんし【原子】)(下線筆者)

(26)

[2] 単に核とも。原子の中心部にあって正の電荷をもつ粒子。直径は約 10− 13cm で、 原子直径の 10 万分の1程度だが、原子質量とほとんど全部を占める。原子番号 Z、質量数 A の原子核は Z 個の陽子と A − Z 個の中性子からなり、元素記号が X なら(図) �   または  � と表記する。 ― 『百科事典マイペディア』(s.v. げんしかく【原子核】)(下線筆者) この「原子」も、「陽子」と「中性子」から成る「原子核」と、「電子」とによって構成 されており、突き詰めれば、世の中の物質はこれら3つの物質から構成されていること が明かになっている。 8 イメージ・スキーマ(image schema)とは、「種々の身体経験をもとに形成されたイ メージをより高次に抽象化・構造化し、拡張を動機付ける規範となるような知識体系」 (『認知言語学キーワード事典』(s.v. イメージ・スキーマ))を指す。例えば、我々は、 「目」を持つという身体経験から目という感覚器官が存在する方を「前」、その反対を 「後ろ」と捉える認識を持っている。そして、このイメ−ジを更に抽象化・構造化した知 識体系が「前・後のイメージ・スキーマ」となる。この「前・後のイメージ・スキーマ」 を持つことで、我々は人間にとっての「前・後」だけでなく、「ビルの前」や「電車の後 ろ」などの場所や、より抽象化した「6時前」、「1 年後」などの時の概念に至るまで、 様々な場所を表すことが可能となる。更に言及すれば、「6時前」という抽象的な「時」 の「前・後」概念さえも、「6時という時計の刻みを基準にして、その前の時間」という 具合に、「時計」という物理的な対象物に対する知覚経験が基盤になっていることは言う までもない(Cf. Moriyama(1999))。 9 このように、「通時的観点」と「共時的観点」とを融合させ、互いに足りないものを補う 空間的な捉え方のことを「メタ・プロセス」理論と言う。「メタ・プロセス」理論につい て詳しくは森山・髙橋・福森 他(2010: 10-31)参照。 10 スペイン語前置詞 は古典ラテン語 ō が音位転換([英語]metathesis /[西語] metátesis)したものである。 11 引用文献名のないスペイン語用例は全てスペイン語母語話者である Mónica Martínez

Martínez 氏(37 歳、Universidad de Alcará 卒)及び彼女の友人のスペイン語母語話者の 方々からのチェックを受けている。以下同様。

(27)

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