フィリピンツアー
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フィリピンツアー報告書
報告書
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菲律賓學習之旅報告書
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2009.02日程表
日程表
日程表
日程表 ---p. 2
學習感想-
教師
教師
教師
教師
松永稔也 ---p. 9
黃淑燕 --- ---p. 14
研究所
研究所
研究所
研究所
黃雅芬 ---p. 22
飯田美鄉 ---p. 26
渡邊美奈子---p. 29
白春燕 ---p. 33
陳彥廷 ---p. 38
大學部
大學部
大學部
大學部
吳曉柔 ---p. 41
吳凱琪 ---p. 44
謝佳穎 ---p. 47
王婉嫕 ---p. 52
報告會-
報告大綱
報告大綱
報告大綱
報告大綱 ---p. 54
報告會海報
報告會海報
報告會海報
報告會海報---p. 55
報告內容
報告內容
報告內容
報告內容
フィリピン人移住労働者 ---p. 56
フィリピンの NGO の状況 ---p. 59
訪問先の紹介---p. 63
フィリピンの華僑とフィリピンの宗教について ----p. 66
Unfairness between the Poor and the Dead ---p. 69
殖民時代の流れからフィリピンの政治を考察 ---p. 71
フィリピンの教育とその他 ---p. 74
OFW 形成の諸要因ー経済(史)的視点から---p. 78
結語
結語
結語
結語 ---p. 91
附錄-
東アジアプロジェクト活動記録 --- p. 93
目次
目次
目次
目次
2/3(火) フィリピンに到着 午後の七時半にフィリピンに到着した。今回のツアーは陳光道 牧師と謝碧齡師母(Grace Hsieh)から大変お世話になった。私た ち東海組みはフィリピンに着いたときに Grace Hsieh は運転手さん の Richard Yu と Richard Temple と一緒に私たちを連れて私たちの 泊まり先であるマニラ教会まで送ってくれた。 そこに着いたときにフィリピン教会の Aarron 牧師と会った。私 たち女性は教会の二階の宿舎に泊まり、男二人 Aarron 牧師と一緒 に泊まることになった。私たちはチャイナターンに泊まった。だ から、外に出ると華人料理のお店も見えた。泊まり先に着いてか ら Grace と Aarron と一緒に嶸榮小吃で晩ごはんを食べた。食事の あと、Grace はまだ用事があるので先に帰った。私たち連中は泊ま り先に戻って翌日の日程を確認してから各自でお風呂に入った り、寝る準備をした。 2/4(水) CMA、KAKAMMPI 訪問 朝泊まり先から出て CMA と KAKAMMPI の訪問先に移動。 チャイナターンを出てその近くにある Quiapo というところまで歩 いてジープニーを探して CMA へ移動する。始めてジープに乗る からちょっと緊張した気分。話によると、フィリピンでのジープ は日本が廃棄するエンジンを安く売って、フィリピンでまたその エンジンを再利用して改造したバスみたいなものだ。この日に Grace が私たちの変わりにあるジープを探してくれた。 私たちと逢ったその運転手さんにお話をちょっとした。彼は 5 人の子供がいて奥さんは今香港で仕事をしているそうだ。彼のお かげで時間通り CMA に着いた。
CMA とは OFW(Overseas Flipine Workers)の人たちのために情 報を与える組織である。海外で働いている人はもし何か会ったら CMA の人に電話してそこの人が適切な組織を紹介するという感じ で OFW の人を助ける組織だ。それだけでなくもし海外に行きたい 人がいれば、海外の情報があまりわからない場合もそちらへ協力 を求められる。CMA のスタッフは一日平均 5 か 6 通ぐらい対象者 からの電話を受け取ります。CMA の中心スタッフは学生時代も社 会運動をやっているそうで、そのまま NGO 組織をやるようになっ た。それに CMA を成立したメンバーが四人の女性である。 昼ぐらいになると Jollibee というファストフードで簡単な食事を した。そのあと、歩いて次の NGO 組織である KAKAMMPI へ移 動。Jollibee とは地元のファストフードシステムである。Jollibee と 違ってフィリピンではいろんなファストフードが見える。たとえ ばマクドナルド、スターバックス、KFC、BugerKing などなど。 フィリピンでの農業があまり発達でないため、野菜あまり植えな い。そういうわけでフィリピンで日常生活の主食はライス、鶏
スケジュール
スケジュール
スケジュール
スケジュール
2/4(水) CMA、KAKAMMPI 訪問 私たちは歩いて KAKAMMPI に着いて KAKAMMPI のスタッフ のお話を聞いた。そこの組織のスタッフは 5 人いる。オフィスが そんなに大きくないけれども、他の NGO と連携して大きなネット ワークとなっている。援助する対象者としては家族であり、女性 であり、子供である。それだけでなく、大学に行って人を訓練し て、訓練された人たちは自立してからまた別の人を訓練する。つ まり、KAKAMMPI は教師を育つ、それらの教師は Day care 関係 のことを別の人に教えるという感じです。KAKAMMPI 組織の訪 問が終わってからジープに乗って Quiapo に帰って、そこからまた 歩いて泊まり先に戻った。その日の夜 8 時― 10 時まで例の反省会 をやった。 2/5(木) UP、マリガヤハウス に訪問 今日も 2/4 のジープ運転手さんにお願いして UP まで連れて行っ てくれた。UP に着いてからそこの本屋さんへ行って本を探したり した。本屋さんで本探しが終わってから、UP の正門に行った。UP の建物に入るため本当は学生 ID が必要だったらしいけど、その日 に無事に入ることができた。UP に入ってから中の警備のような人 の案内で菲日友会の場所にようやく着いた。東海組みは友会のメ ンバーとお互いに自己紹介をしていてお話をしたりした。昼にな ると UP の学生と一緒にジープで KFC へ行ってそこで昼ごはんを食 べた。そして午後 2 時まで私たちをマリガヤハウスまで連れて 行ってくれる人を待っていた。その人の車に乗ってマリガヤハウ スへ移動した。 マリガヤハウスとはフィリピン人と日本人の間に生れた国際児 童のために日本国籍を取る組織である。この組織は東京にもある。 マリガヤハウスとは幸福の家だと意味している。その組織は児 童が幸せになるためにいろいろと働いている。主な仕事は国際児 童の国籍の認定だ。日本国籍を取るため有利な証拠を見つけなく てはいけない。有利な証拠が見つかったら、裁判をやる。マニガ ヤハウスでは 60 名の弁護士がいる。けれども、裁判をやるとして も、裁判を勝つケースが非常に少ないという。児童の日本国籍を 承認するより毎月お金を払うケースが多い。お金を払うとしても 最初の一ヶ月かニッカ月ぐらいお金を払っただけだ。そのあとは お金を払わなくなってしまうケースがほとんどです。 帰り道は LRT に乗って一回乗り換えて Quiapo に戻って泊まり先 に戻った。LRT に入ったときにバックのチェックがされた。フィ リピンで銀行やお店や駅などへ行ったら、必ず警備がいてバック のチェックがなされる。その理由はフィリピンでの治安が悪くて テロ事件もさんざん起こっていたからである。それに私たちは LRT の入り口に入って LRT に乗ろうとしたときに、窓から外を見 てみたらたくさんの子供が屋上に凧をやるのが見えた。そこの土 地はそこに住んでいる人たちのでなくある地主の土地であるかも しれない。
2/5(木) UP、マリガヤハウス に訪問 Quiapo に着いてから泊まり先まで歩いて帰った。今日の夜 8 時 ― 10 時までまた例の反省会をやった。 2/6(金) OWWA、POEA に見 学
OWWA も POEA も OFW のために成立された政府機関だ。朝い つもの Carriado 駅にて LRT に乗って目的地まで 30 分ぐらい歩い て OWWA に着いた。政府機関は撮影も写真もインタービューも 駄目で OWWA をちょっと見学してから、OWWA の向こう側の中 華料理屋さんで昼ごはんを食べた。OWWA には OFW のために広 東語と台湾語をある先生が英語で教えた。それは OFW が海外に 行ってすぐに現地の言葉をなれる一種の手段でも言えよう。 それに、OWWA の壁に日本で看護士を募集するポスターが貼っ てある。そこの液晶テレビにも海外に働く関係の広告などが放送 されている。その点から見ればフィリピン政府も OFW を海外に働 かせることが積極的に宣伝することがわかった。 昼ごはん終わってからお店を出ようとしたときに雨が降ってし まった。雨が降ると 30 分かけて LRT に行くわけがないから、バ スに乗ることにした。私たちが乗ったバスは日本語の標語が書か れているので、そのバスも日本から来たのかなと判断した。バス に降りてから歩いて POEA まで行った。そこに入るとたくさんの 人が仕事を申請に行ったのが見えた。 POEA の入り口に入ってから右側にいろんなサービスを提供す るのが見えた。たとえば、 POEA で仕事の申請を待つときにホテ ルに泊まらないといけない。そのサービスを提供する人がいっぱ いいる。 POEA まで歩いていたときにもいろんな人は車ローンと かの宣伝の紙を配ったりする。 本当は POEA で撮影も訪問もできないけど、先生方は偶然で二 階のオフィスに入ることができた。そこで働いている人にも ちょっとインタービューをした。 POEA での見学が終わってから自由時間がもらえて Megamall で ぶらぶらした。午後 5 時になるとみんなが集まってそこで感想会 をやった。感想会が終わってから晩ご飯を食べてまた本屋さんへ 行ったりした。8 時ぐらいになると、LRT で泊まり先へ移動。 2/7(土) 記念館見学、教会、 Parola、華人教会の 人と食事をする 朝リーサー記念館へ見学。そのあとは記念館の近くにある教会 へ見学した。昼ごはんはあるショッピングモールで済んだ。午後 になるとスラムエリアの Parola に行ってそこの子供に飴をあげ た。そこの子供が非常に多くて彼らは飴をもらったときにみんな がすごく喜んでいた。その後、Grace は私たちをある学習センター を連れてくれた。そこをちょっと見学してから、車で泊まり先に 戻った。夜になると華人教会の青年団と一緒に食事をしたりお話 をしたりした。
2/8(日) マニラ教会の Sundayservice、10 時 半華人教会 Sunday service に参加、米軍 墓地、Green belt mall へカラオケ、上 官さんのお家で食事 をする 今日は日曜日なのでマニラ教会と華人教会の Sunday Service に 参加した。午後米軍墓地に行った。そのあとはショッピングモー ルに行って華人教会の青年団たちと一緒にカラオケに行った。夜 になると、上官さんのお家に行って食事をした。食事が終わって からちょっとピンポンをやった。今日は Richard Temple が私たち の運転手をやってくれた。彼にすごく感謝してます。夜 11 時に例 の反省会もやった。 2/9(月) SMC に訪問、夜韓 国料理屋で Grace 家 族と食事する 朝 11 時に出発、Quiapo まで歩いて、そこでジープに乗って SMC に移動。SMC は新マニラにある。私たちはジープで大体 20 分かかって目的地まで歩いた。私たちが着いた頃まだ時間が早 かったのでとりあえず SMC の人に挨拶して、そのあとは昼ごはん を食べに行った。 昼ごはんはファストフードだった。食事の後 SMC に戻ってそこ で今回お話を聞く人を待った。 SMC は今まで訪問した NGO 組織と違って、すごい大きな組織 である。その組織はヨーロッパにもあるし、アジアにもある。 フィリピンでの拠点はごく最近できたが一番良く活動しているそ うだ。CCOFW に日本で働くための Entertainment のビザの発行を 厳しくしなさいというようなことを要求した。私たちが訪問した 翌日もまた CCOFW と会議をやるそうだ。お話を聞いてから、そ このスタッフは私たちにそこの様子を紹介してくれた。それにも う一人のスタッフからも子供関係のお話を聞いた。彼女らは各家 庭で一人を選んでインタービューをしたそうだ。そのインター ビューの内容は一冊の本になった。SMC での訪問が終わってから ジープで帰った。帰ってから Grace と約束して韓国料理屋さんま で LRT で行ってそこで食事をした。帰りはジープに乗って帰っ た。 2/10(火) 朝 Grace のお家で朝 ごはん、午後 1 時 25 分の飛行機で帰国 朝 9 時ぐらいに Grace のお家に行って朝ごはんを食べた。Grace は私たちに今やっている子供関係の仕事を言ってくれた。10 時ぐ らいに食事が終わって、団体写真を撮影した。帰り道にある人は 換金に行って、ある人はスーパーへ行ってお土産を買った。9 時 ぐらいに Aarron 牧師と写真を撮った。11 時に自分の荷物を運ん で、空港へ移動。午後 1 時 25 分の飛行機で台湾に帰った。
2/3(二) 抵達菲律賓
我們在晚上七點多到達了菲律賓,這次的菲律賓之旅多虧有陳光道牧師及謝碧齡師 母的幫忙。我們到達菲律賓之後,師母 Grace 及司機 Richard Yu 和 Richard temple 來接我們,把我們接到即將要住的馬尼拉教會。 我們一行人抵達要住的教會時,遇到 Aarron 傳道,我們女生住的地方在二樓的宿 舍,男生則是跟 Aarron 傳道一起住。我們住的地方位於中國城,因此,一走出住的 地方就可以看到華人所經營的中華料理店。我們到達所住的地方之後就和 Grace 和 Aarron 一起去附近的嶸榮小吃店吃晚餐。吃完晚餐後因為 Grace 還有事所以就先回去 了。我們回到住的地方後,確認了一下隔天的行程,之後就各自去洗澡準備睡覺了。 2/4(三) 訪問 CMA、 KAKAMMPI 早上我們從住的地方出發,前往 CMA 及 KAKAMMPI。出了中國城,走到一個名叫 Quiapo 的地方,我們在那裡找尋吉普車。因為是第一次搭乘菲律賓的吉普車所以有點 緊張。聽說菲律賓的吉普車是日本將快要廢棄的引擎便宜賣給菲律賓,菲律賓再將其 改造而再度利用,是種很像巴士的交通工具。今天 Grace 幫我們找了吉普車 我們跟吉普車司機稍微聊了一下天,得知他有 5 個小孩,他的妻子現在在香港工 作。多虧了這位司機,我們順利地到達了目的地。
CMA 是提供情報給 OFW(Overseas Flipine Workers)的 NGO 團體,在海外工作的人 若是有遇到什麼問題,就可以打電話給 CMA 的人,他們會提供適當的機構給那些 OFW。另外若是那些要去海外工作的人對自己即將要去的地方沒什麼概念的話,也可以 向 CMA 尋求協助。 CMA 裡的工作人員平均一天會接到 5 到 6 通的求助電話。 因為 CMA 的主要中心人物在學生時代也有從事社會運動,因此之後就開始從事 NGO 的活動。成 立 CMA 的是 4 位女性。 中午的時候我們在 Jollibee 簡單的吃了中餐。之後就用走的到下一個名為 KAKAM-MPI NGO 團體的地方。 Jollibee 是菲律賓當地的速食餐廳,在菲律賓也有很多各式各樣的速食餐廳。譬如 說像是麥當勞,星巴克,肯德基,漢堡王等等。因為菲律賓的農業並沒有很發達,所 以在菲律賓幾乎不種蔬菜。所以菲律賓的主食則是飯,雞肉還有碳酸汽水。 我們走路前往 KAKAMMPI,去到那邊開始聽 KAKAMMPI 的負責人的演講。那個組織的 工作人員總共有 5 個人。雖然辦公室沒有很大,但是卻有跟其他的組織合作,形成一 個龐大的網絡。他們所支援的對象包括家庭,女性及兒童。另外,他們也前往大學去 進行訓練,等到那些接受訓練的人能自立之後,又再去訓練別人。也就是說, KAKAM-MPI 培育教師,索賠育出來的教師又再去教授相關的日間看護的課程。 我們在結束 KAKAMMPI 的訪問行程之後,就坐上吉普車,回到 Quiapo,再從那邊走路 回到住的地方。當天晚上 8 點― 10 點有開反省會。 2/5(四) 訪問 Maligaya House 及菲 律賓大學 今天我們也拜託昨天那位載我們的吉普車司機,請他帶我們到菲律賓大學,我們一行 人到了菲律賓大學後,先到書店去找了一下書,找完書之後就前往菲律賓大學的正 門。進入菲律賓大學時,照理說好像要出示學生 ID 才可以進去,但當天我們很順利的 就進去大學裡面了。進去之後,因著校方警衛的帶領,終於來到菲日友会的所在位 置。我們東海大學一行人跟他們做完簡單的自我介紹,並聊了一下天。 中午就跟 UP 的學生一起搭吉普車去肯德基吃中餐。之後就在那裡等要帶我們去 Maligaya House 的人等到 2 點半。之後我們就搭著他的車前往 Maligaya House。
Maligaya House 是幫助那些由菲律賓人跟日本人之間所生的國際兒童取得日本國籍 的 NGO 組織。這個組織在東京也有。
Maligaya House 字面上的意思是幸福的家的意思。這個組織為了讓兒童幸福,而做了許 多工作。主要的工作是幫助國際兒童國籍的認定。為了取得日本國籍必須找到許多證 據,找到有力證據之後,就進行官司。在 Maligaya House 約有 60 位律師。但是即使打
官司,據說打贏官司的狀況很少。與其承認小孩的日本國籍,每月直接付錢的人還是 比較多。但說是付錢,通常他們只付了第一個月和第二個月,之後幾乎都沒了消息。 我們訪問完之後,回家的路上,前往搭乘 LRT,轉了一次車,回到 Quiapo 再回到 住的地方。進入 LRT 之後,我們首次接受包包的審查。在菲律賓,前往銀行,商家 或是捷運站時都會有警衛檢查包包。因為菲律賓治安很差,發生了多起恐怖份子事件 的緣故。 另外我們進入 LRT 的入口要前去搭車的時候,看到窗外有許多孩子在屋頂上放風 箏。這些人家所住的地方,土地權很有可能在某位地主的身上。 到達 Quiapo 之後又從那裡走回住的的地方,今天晚上 8 點― 10 點有開反省會。 2/6(五) 參觀 OWWA 及 POEA
OWWA 跟 POEA 都是為了 OFW 而成立的政府機關。早上我們在 Carriado 搭乘 LRT, 再走路 30 分來到目的地。因為政府機關不能拍攝也不能拍照也不能採訪,所以我們 只在那裡參觀了一下就前往對面的中華料理吃飯了。 在 OWWA 有專門的老師在教 OFW 廣東話和台語,我想這可以說是一種讓 OFW 在海外工作時快速習慣當地語言的一種方 式吧! 另外,在 OWWA 的牆上貼有招募日本護士的海報,液晶螢幕上也播放著海外工作的 相關情報。從這點可得知菲律賓政府在也積極的宣傳去海外工作的相關情報。 中午吃完飯後走出店門口的時候,才發覺下雨了。在下雨之中再走 30 分鐘去搭 LRT 也不太方便,所以我們決定搭乘公車。我們所搭乘的公車兩旁有寫著日文的標 語,所以我想這台公車也是從日本來的吧!我們下了公車之後,走路前往 POEA。一 進去裡面就看到有很多人去申請工作。 POEA 入口處右邊方向有看到許多提供服務的單位。譬如說去申請工作機會必須住 宿,他們有提供優惠的住宿方案等等。在前往 POEA 的路上也有人在發汽車貸款等等 的傳單。 我們照理說是沒辦法採訪的,但在偶然的機會下,老師們有機會進到二樓辦公室,採 訪了在裡面工作的人。 參觀完 POEA 之後,我們有了自由活動的時間,因此就在 Megamall 隨意的逛逛。下 去 5 點時大家集合在一起,在那邊舉行感想會。感想會結束之後就在那邊吃飯,吃完 後又到書局晃了一下。大概在晚上 8 點的時候搭了 LRT 回到住的地方。 2/7(六) 參觀紀念 館,教堂, 去 PAROYA 跟華人教會 的青年團契 吃飯 早上我們前往黎薩紀念館參觀,之後到附近的教堂參觀。午餐則是在附近的購物中心 吃。下午去貧民區的 PAROYA 去發糖果給小朋友。那邊小孩子非常多,一給他們糖果 他們就都很高興。之後, Grace 帶我們去那邊的學習中心參觀之後就驅車回到住處。 晚上則是去和青年團契吃飯交流。 2/8(日) 參加馬尼拉 教會及華人 教會的禮 拜,參觀美 軍墓地,去 mall 唱歌, 在上官先生 今天在馬尼拉教會及華人教會參加禮拜,下午去美軍墓地參觀。之後前往購物中心和 華人教會的年輕人一起去唱歌。晚上則去上官先生家吃飯。吃完飯後就在那邊玩了一 下乒乓球。今天也很感謝 Richard Temple 為我們開車。回到住處後,晚上 11 點左右 開了反省會。
2/9(一) 訪問 SMC, 跟 Grace 一 家人吃飯 早上 11 點從住處出發,走到 Quiapo 去坐車,在那邊搭吉普車前往 SMC。 SMC 位於 新馬尼拉地區。我們搭乘吉普車,大約經過 20 分後到達了第 13 街,從那走了約 10 分 鐘就到達了目的地,因為我們太早到了,所以就先進去打聲招呼,之後就去吃飯。中 餐依舊是在速食餐廳解決。吃完中餐回到 SMC 準備聆聽負責人為我們介紹 SMC。 SMC 跟我們目前為止所去拜訪過的 NGO 團體有些不一樣,他們擁有相當龐大的組織, 這個組織遍佈各地,觸腳有伸及歐洲及亞洲。雖然在菲律賓的據點是最近才成立的, 但卻是最常活動的一個區域。他們先前有向 CCOFW 要求,要更加嚴格的審視那些前去 日本的工作 OFW,他們所擁有的 Entertainment 簽證。隔天據說還去跟 CCOFW 開會。 聽完負責人的介紹後,那邊的工作人員為我們做整個辦公室的介紹。還有另一位工作 人員 幫我們介紹有關小孩子的相關情報。他們去各家庭找一位做採訪,將實際狀況記錄 下來出版成冊。 結束在 SMC 的訪問之後,我們就搭吉普車回到住處了。之後跟 Grace 相約,搭 LRT 去韓國料理店吃飯。回去是搭吉普車。 2/10(一) 早上去 Grace 家吃 飯,搭下午 1 點 25 分的 飛機回台灣 早上 9 點左右去 Grace 家吃早餐。 Grace 跟我們分享她將來打算進行兒童教育的相 關事工,10 點左右吃完飯,照了團體照,回去住處前有人去換錢,有人去超市買名 產。我們大約在 9 點左右與 Aarron 傳道拍照,之後就帶著自己的行李,坐上上官先生 及 Richard T emple 為我們開的車,前往機場。我們搭乘下午 1 點 25 分的飛機回到 台灣。
旅 旅旅 旅ののの始の始始まり始まりまりまり 東海大學日本語文學系碩士班の 2 年次の必修単 位科目である活動計劃も,第 1 期生による立ち上 げが行われた 2006 年度から数えると 2008 年度で 3 年目を迎える.今年度の「東アジア歴史と人の 移動プロジェクト」の実質的な活動メンバーは碩 士班の日本籍の 2 年生が 2 名という状況であっ た.この 2 名は両者とも台湾における外国籍住民 に関わることがらを研究テーマとしたいという希 望もあり,東アジア歴史と人の移動プロジェクト に参加してくれたのだと思う. 正直に告白すれば,2007 年度末の時点では,私 はこの東アジア歴史と人の移動プロジェクトへの 参加をやめようと思っていた.本学系の活動計劃 の大切な理念であるはずの「人と人との協働」 に,教員である私自身が躓いてしまっていたので ある.しかし,私自身の心境を説明する機会をわ ずかながら得たことや,ある程度の時の経過が幸 いしてか,今となってはその経緯はぼんやりとし てしまっているが,2008 年度を迎えるにあたっ て,いわゆる「指導的」な立場の一人として東ア ジア歴史と人の移動プロジェクトの活動を続ける ことを,改めて決心したのである. とにかく,前年度の参加人数から大幅減となる なか(参加者の減少は私の不徳の致すところ.毎 年,頭の痛い問題でもある),今後の活動を行う 際に私たちに必要となることは何だろうか,と 3 人の台湾在住外国人が意見を述べ合うところから 2008 年度の活動は始まった. 議論のなかで,私が示したのが,次のような提 案であった. 私たちが台湾在住の外国籍住民,特にいわゆる 「外籍勞工(以下,「外勞」と記載)」として来 台する人たちと知り合っていくなかで,彼/彼女 らの台湾での生活の状況や,抱えてしまっている 問題もいくつか発見しつつある.彼/彼女らたち の抱える問題をさらに詳しく知り,かつ何らかの 対応策を彼/彼女らととに協同的に講じていくた めにも,彼/彼女らの出身地での生活について実 際に自分たちで感じることが必要ではないか.ま た彼/彼女らのために活動をする NGO/NPO の人た ちとの交流を行い,今後の私たちの活動の指針を 作るためのスタディ・ツアーを行ってみてはどう か. 私自身は大きな枠で言うところの「フィリピン 研究」の末席にいる研究者にすぎず,その意味で 緣起 緣起緣起 緣起 活動 Project 是東海大學日本語文學系碩士班 2 年級的必修科目,在 2006 年第一屆時成立,到 現在 2008 年已經邁入第三年了。實際參與今年 「東亞歷史與人們的移動 Project」活動的是碩士 班 2 年級的兩位日本籍學生,這兩名學生都希望 以台灣地區的外籍居民做為研究主題,故參加了 「東亞歷史與人們的移動 Project」。 說實在的,在 2007 年底時,我一度不想參加 這個「東亞歷史與人們的移動 Project」。「人與 人的協力合作」應是本系在活動計劃上的重要理 念,但身為教員的我卻已挫折於此。但是我沒有 什麼機會說明自己的心境,而且也很幸運地過了 一些時日,雖然整個過程仍是模糊而過,但到了 2008 年,我便下定決心要以所謂的「指導」立場 來持續運作「東亞歷史與人們的移動 Project」。 雖然去年參加人數大為減少(參加人數減少乃 是我領導無方所致,也是我每年都很頭痛的問 題),但是對於該如何進行今後的活動一事,在 我們三個住在台灣的外國人一起討論之後,就展 開了 2008 年的活動。 在討論的過程中,我提出了下面的提案: 我們在接觸住在台灣的外籍居民,尤其是以所 謂「外籍勞工(以下稱為「外勞」)」身分來台 的人們時,會逐漸了解他/他們在台灣的生活狀 況,並且發現一些他們所面臨的問題。為了更進 一步了解他們的問題,並且設法與他們合作來採 取某些因應對策,我們覺得有必要到他們的出身 地實際感受他們的生活,並且與那些為了他們而 展開活動的 NGO/NPO 進行交流,因此我們覺 得,為了設立我們今後的活動方針,應該進行一 趟學習之旅才行。 我本身不過是「菲律賓研究」這個大框架之下 一個小小的研究者,就這個意義而言,我擁有的 知識並不足以涵蓋所有住在台灣的「外勞」的出 身地的社會狀況及學術活動。但是,若設定在菲
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旅
旅
旅
「為他者行動」的多樣化學習之旅 東海大學日本語文學系・助理教授 松永稔也は台湾在住の「外勞」の全ての出身地域の社会状 況や学術活動をカバーするような知識はとうてい 持ち合わせていない.しかし,限定的ながらも フィリピンについてということであれば,数度の 渡航経験もあり,決して長いとは言えないが中期 滞在も行っており,新しい活動計劃メンバーと共 有できる知識もあるのではないか,との考えも あった. ツアー敢行の決意を前にいくつかの確認するべ きことがあった.まずは,フィリピンの治安や環 境について相対的に良くないということについて ある程度の認識が必要であるということ,また, ツアーには当然出費が伴うが,たとえ全額自己出 費となっても,意義ある活動と納得した上でツ アーを行うつもりがあるかどうか,の二点であ る.これらの点について 3 名が合意した上で,実 際にツアーに向けて話が具体的な方向へと進んで いった.後に,碩士班 1 年生二名の参加も決ま り,具体的なツアー実施に向けて,格安チケット の入手のための情報収集,現地訪問先の選択と担 当者への訪問依頼,ツアー予算の算定,など学生 たちの奮闘が始まった. このツアーでは,日文系プロジェクトの教学理 念に基づき企画当初より,多くの人に参加しても らえオープンなツアーを目指してはいた.しか し,どのように「オープン」にし,またどのよう に多くの参加者にとって有意義なツアーにする か,については定まらない部分もあった.そこ に,東海大學の教学理念に基づいた新たな発想を 加えてくれたのが黄淑燕老師であった.黄老師の ツアー参加によって,東海大學の国際化への貢 献,サービス・ラーニングへの取り組みといった 新たな方向性が加味され,新たに大学一年生 4 名 の参加も決まり,さらには碩士班の上級生も加わ り,総勢 11 名のグループが結成された.渡航前 の数度にわたる勉強会・ミーティングを経て,い よいよ 2009 年 2 月 3 日より 8 日間の旅がスター トしたのである. ツアー ツアーツアー ツアーででで接で接接した接したした「した「「他者「他者のために他者他者のためにのために行動のために行動行動行動するするするする」」」」 人 人人 人たちたちたち たち ツアー中は,毎日,毎時間,数え切れないほど 多くの方々に助けていただいた.ここでその全て の方の名前を挙げることはできない.以下ではほ んの一部の方々のみ触れさせていただく.このこ とは,私の感謝の度合いの差を意味するものでは ないことを,ご理解いただきたい. 黃老師を通じて知り合いとなった貴格教会, Manila Friends Church の陳光道牧師とその奥方 であり牧師でもある Grace 牧師そしてお二人のご 律賓的話,由於我已有數次到菲律賓的經驗,而 且也在那裡待了一段說長也不算長的時間,因此 勉強說得上具有能夠與新的活動計劃成員共享的 知識。 在正式出發之前,有很多事情必須先行確認。 首先是菲律賓的治安與環境並不太好,這一點要 有某種程度的認知才行。另外,此行當然會有花 費產生,要先讓自己有「即使是自己全額負擔也 是值得參加的活動」這樣的想法才能來談此行之 事。我們三人對於這兩點都已達到共識,因此開 始討論活動內容。後來有兩位碩士班 1 年的學生 也決定加入,故更具體地展開準備工作,例如學 生們開始收集如何購買便宜機票的訊息、選定當 地欲參訪的對象並進行連絡、以反計算此行的預 算等等。 本次學習之旅乃以日文系 Project 的教學理念為 依據,目標是讓比當初預定的成員更多的人參 加。但是要「公開」到何種程度、要有多少人參 加才是有意義的學習之旅呢?這個部分並沒有定 案。此時,以東海大學的教學理念而加入新想法 的是黃淑燕老師。由於黃老師加入了本次的學習 之旅,為我們增加了「對東海大學的國際化做出 貢獻、服務與學習的理念」這種新的方向性。於 是又有四名大學一年級的學生決定參加,另外碩 士班高年級學生也參與這次活動,組成了十一名 成員的團體。在出發之前,歷經了數次的讀書會 及會議,終於在 2009 年 2 月 3 日展開為期 8 天 的旅行。 在旅行中接觸到 在旅行中接觸到在旅行中接觸到 在旅行中接觸到「「「為他者行動「為他者行動為他者行動」為他者行動」」」的人們的人們的人們的人們 在旅行中,每天、每小時都得到數不盡的人們 的幫助。在此雖然無法將他們的名字一一寫出 來,但容我介紹其中以下幾位,以示我的感謝之 意。在此雖然沒有提及所有朋友的名字,但這並 不減我心中感謝的程度。 我們透過黃老師認識了貴格教會、Manila Friends Church 的陳光道牧師及其牧師太太 Grace 牧師、以及其他教會人士,他們在這次旅程當 中,為我們打點了所有生活上各個細節,例如在 菲期間的各種生活注意事項、住宿地點、飲食注
家族をはじめとした教会関係者の方々には,ツ アー中の生活のあらゆる面において全面的にお世 話になった.滞在中の生活諸注意事項,フィリピ ン滞在中の宿泊場所,食事の際の注意点,各訪問 先への道順,休日の過ごし方などあらゆる面で本 当にお世話になりっぱなしであった. Grace 牧師は,マニラでの社会活動にも熱心に 取り組んでいる人であり,その活動の一部を共に するなかで,牧師の「いついかなるときも常に他 者の立場に気を配ること」「全ての人々がより良 い人生を送るために共に行動すること」に真摯に 取り組む姿に感銘を受けた.私自身,宗教的な素 養や宗教生活に馴染みのない「無宗教人」である が,そのような立場を超えた次元でも,人間とし て人生の先輩として本当に尊敬でき,また見習う べきところを多く持つ大変魅力的な人物であっ た.Grace 牧師とご家族の協力があったからこ そ,今回のツアーは計画当初以上の素晴らしい 「成果」を得ることができた.この点は,どんな に強調しても強調し尽くすことはできない. 私たちのフィリピン訪問の目的の一つは,フィ リピン国内外において弱い立場に置かれている 人々に対して積極的に援助や擁護を行い,そうし た人々の福利厚生のために活動する NGO/NPO 組織 を訪問し,その組織の活動理念や活動内容につい て学び,将来的に私たちがこうした組織の人々と 協働する道を探る,ということであった.これま で台湾国内においても NGO/NPO 組織と交流を図り その活動の在り方や活動の理念について触れる機 会を持ってきた. 今回のツアーをとおして複数の NGO/NPO 組織の 人々と接する機会を持ち「他者の立場・他者の苦 境への共感と擁護」の姿勢に改めて共感を覚え た. 例えば,海外移住労働者の擁護を目的とした NGO/NPO 組織のメンバーは,「今困っている人々 を助けること」を重視しながらも,そうした「傷 口を広げない・塞ぐだけ」の対症療法的な対応の みにとどまることなく,政府・議会・行政へのロ ビー活動,労働者の実態を明確に把握し世に知ら しめるための調査・報告・出版活動,コミュニ ティ全体で移住労働にまつわる問題を解決しよう とする試みなど,「傷を作らない」ための予防医 療的・根治療法的な取り組みを行っていた. フィリピン人と日本人の間に生まれた子供たち の認知問題にとりくむ NGO 組織である JFC Net-work のメンバーである河野尚子さんからは,国際 児の抱えるさまざまな問題,親子関係の難しさ, 法的認知に関わる問題点,新国籍法の影響など, たくさんのことを教わった.現在,ご本人は大学 院にて論文執筆中でもあり,社会的な問題に現実 的にどのように関わるのか,「現場」に関わるこ 意事項、拜訪機關團體的路線、假日的安排等, 在各方面都受到他們妥善的照顧。 Grace 牧師相當熱心於馬尼拉的社會活動,在 與他們一同參加的活動裡,我感受到牧師那種 「無論何時何地都應考慮別人的立場」、「為了 所有人能夠過更好的生活而一起行動」這種真摯 的態度,真的令我極為感動。我本身是沒有任何 宗教信仰或宗教生活的「無宗教人」,在超越宗 教的次元上,她是一位值得尊敬的人生導師,也 是值得我們在各方面應該好好學習的一位極具魅 力的人。由於得到了 Grace 牧師及其家人的協 助,我們這次的旅程才能獲得比原先預期更好的 「成果」,關於這一點,不論我如何述說,也是 難以表達完全的。 我們這次到菲律賓的目的之一是,訪問那些積 極援助及維護菲律賓國內的弱勢族群、為這些人 的福利而努力的 NGO/NPO,我們想要學習其組 織的活動理念及活動内容,對我們將來設立的這 種組織該如何進行人與人之間的協力合作之道找 尋方向。我們也希望與台灣國內的 NGO/NPO 組 織進行交流,我們會將這些活動方式及活動理念 與他們分享。 在本次的學習之旅,我們接觸到很多的 NGO/ NPO 組織,真實地感動於他們「對他者的立場及 他者的苦境所做的共鳴及維護」的態度。 舉例而言,以維護海外移住勞工權益為目的的 NGO/NPO 組織所做的是,重視「協助目前正受 困苦的人們」,但是並不只是侷限在這種「堵住 傷口、不使其擴大」的對症療法,而是採取「不 要受傷」預防醫療式的根本治療方式,明確地掌 握對於政府、議會、行政的游說行動及勞働者的 實際狀況,並且為了廣為世人所知而進行調査、 報告、出版活動,希望能夠解決整個共同體的移 住勞工問題。 JFC Network 這個 NGO 組織是在處理菲律賓人 與日本人所生的孩子的認定問題,其中的成員 河野尚子小姐為我們做了很多說明,例如國際兒 的各種問題、親子關係的困難點、法律認定的問 題及新國籍法的影響等。她本人正在攻讀研究 所,目前正在寫論文,她從理論面來審視實際的 經驗,提到如何實際地處理社會問題、在「現
とで生じる苦労,それでも「現場」に関わること の大切さ,意味,そしてそれらの経験を理論面か ら考えていくこと,について貴重なお話を聞くこ とができた. 多くの組織において,資金面の苦しさなどその 組織運営上の苦労があるにもかかわらず,メン バーたちの表情は熱意にあふれ活き活きとしたも のであった.私たちもつい話し込んでしまい予定 面談時間を超えるケースも多々あった. フィリピンの若者たちとの交流も貴重な経験で あった.当日は時々小雨も降る天気であったにも かかわらず 5 名のフィリピン大学の学生がフィリ ピン大学キャンパス内の広場で私たちを迎えてく れた.海外移住労働についての意見,家族との関 係,大統領選などフィリピン政治の今後の行方, 将来の夢などフィリピンの若い世代の人たちの意 見を耳にすることができた.また,台湾とフィリ ピンの若者たちの共通点と相違点についても発見 することができた.アニメやアイドルなどは国境 や世代を越える共通の話題であることが再認識で きた. 連絡窓口になってくれた Tomo-Kai(友会)の代 表 Julius は,当日忙しいにもかかわらず最後ま で私たちとの交流に参加し,意見交換のため積極 的に発言をしてくれた.台湾からの訪問者のため に貴重な時間を割いて交流のための準備を行い, 私たちを快く出迎えてくれたことにあらためて感 謝の念を表したい.私たちと彼/彼女らの交流 が,私たちにとってのみではなく彼/彼女らに とっても意義深いものであったということを切に 希望したい.そして今後,例えば台中を舞台にし てフィリピンや台湾,日本といった様々な「東ア ジア」の人々が集い,東アジアと世界の話題・課 題・問題について議論する機会を持つこと,そこ で,この若者たちと改めて語り合うこと,そうし た「場作り」に向けて活動を継続していきたいと 考えている. 空港と宿泊地までの往復を助けてくれた二人の Richard,いろいろと助けてくださった上官さ ん,ツアー最初期の移動を助けてくれた乗り合い バス(ジープニー)のドライバー Angelo,Aaron 牧師,Myra 牧師,Brother Jack,貴格教会の皆さ ん,Parola 地区のたくさんの人たち.全ての人た ちから,「他者の境遇を想像することの大切さ」 と「他者のために何かをする」姿勢を教えられ た.私たちのツアーはその意味で本当にスタ ディ・ツアーであった. 今後 今後今後 今後のの活動のの活動活動活動にに向にに向向向けてけてけて けて 8 日間にわたるツアーを無事に終えたこと, 場」第一線的辛苦、以及「現場」第一線的重要 性及意義,這些都是相當寶貴的訊息。 大多數的組織都因資金面的不充分而造成組織 營運上的困難,但是成員們的表情仍然那麼熱 情、生動。我們在拜訪時,也不知不覺地愈談愈 多,往往超過了預定的時間。 另外,與菲律賓年輕人的交流也是寶貴的經 驗。雖然當天下著小雨,但是 5 位菲律賓大學的 大學生仍然在菲律賓大學校園內的廣場迎接我 們。從這些年輕人口中,我們聽到了他們對海外 移住勞動的意見、與家人的關係、總統大選等菲 律賓政治在今後的走向、將來的夢想等菲律賓年 輕世代的意見。在其間,也可以發現台灣年輕人 與菲律賓年輕人的共同點與不同點。我們再次認 識到,動漫與偶像是能夠跨越國境及世代的共通 話題。 負責連絡的是 Tomo-Kai(友好會)的代表 Julius,雖然當天他很忙碌,但是仍與我們交流到 最後,並且為了與我們交換意見而積極地發言。 他為了我們這些來自台灣的訪問者而挪出寶貴的 時間來準備交流事宜,並且以愉快的心情歡迎我 們的到來,在此向他表達我們的謝意。但願我們 與他/她們的交流,不論是對我們或對他/她們 而言都是極具意義的活動。希望將來有機會能夠 以台中為舞台,讓菲律賓、台灣、日本等各種 「東亞」人士聚集於此,針對東亞與世界的話 題、課題、問題來進行討論,並且能與年輕人再 次好好交流。我們將朝向「創造這樣的機會」來 持續進行活動。 協助我們在機場與下榻處之間移動的兩位 Richard、為我們提供很多協助的上官先生、在此 行第二天協助我們移動的共乘式公車(吉普車) 司機 Angelo、以及 Aaron 牧師、Myra 牧師、 Brother Jack、貴格教會的所有朋友、Parola 地區 的人們、以及所有所有的人們,都讓我們了解到 什麼是「想像他者的境遇之重要性」及「我們能 為他者做什麼」這個問題。在這個意義上,我們 此次的旅行成就了真正的學習之旅。 今後的活動今後的活動今後的活動 今後的活動 歷時 8 天的學習之旅終於平安地結束了。我們
2009 年 3 月 16 日に東海大學において一般公開の かたちで報告会を行ったこと,本報告書を無事発 行したこと,これらの経験や活動が今後の東アジ ア歴史と人の移動プロジェクトの活動の大切な滋 養分となるということ.これらは,小さな事から 大きな事まですべて,多くの個人,組織,団体の 協力,共同活動,協働,無くしては実現し得な かったことである. 私たちは,本ツアーを通して「他者のために活 動すること」を実践する人々の姿に接することが できた.今後求められるのは,私たちの置かれた 立場や可能な範囲・能力などを見極めつつ,ツ アーで得た経験を私たち自身のこれからの活動実 践に組み込んでいくことである.その意味で,こ のツアーは一度きりの活動では有り得ない. 今回のツアーをきっかけにして,内容を精査, 調整しながら同様のツアーを継続的に行う,また 台中というホームベース(拠点)に足をしっかり と置きながらさまざまな人々との多元的交流の 「場所」を作り・広げていく方策を練る,この拠 点から情報を発信する活動,さらに多くの人たち との協働に向けて広報活動を心がけること,など 様々な活動を発展・継続することによって,東海 大學の掲げる国際性への貢献という理念を実現す ることに私たちも十分に関わっていくことができ る. 以上挙げたような活動を行い,少しずつでは あっても進展を見せることで,ようやく私たち は,ツアーで出会った人たち,協働のきっかけを 与えてくれた多くの関係者にお礼を述べ,恩を返 すことができるのである. これまで私は,自身の研究という目的でフィリ ピン滞在を行ってきた.今回のツアーは,少々大 げさな表現ではあるが「自分以外の人たちの安全 に対する責任を 100%背負う」という覚悟を持っ て臨んだ初めてのフィリピン滞在であった.9 名 の学生諸氏には最後まで元気に参加してくれたこ とに感謝するとともに,今後も大切な仲間とし て,一緒にいろいろなことを学びながら活動を共 にできることを期待したい. 「責任を 100%背負う」と言いながら,黄淑燕 老師がいてくれたおかげで様々な困難を乗り越え ることができた.私の不徳ゆえにフィリピンで出 会った仲間にもそして老師にもいろいろなご迷惑 をかけてしまった.出来の悪い後輩にエールを送 り続けてくれている老師にも感謝します. 在 2009 年 3 月 16 日於東海大學舉辦了公開發表 會,本報告書也順利地印行了。對於「東亞歷史 與人們的移動 Project」活動而言,這些經驗及活 動將成為滋養其成長的重要養分。不管是小事或 大事,若沒有這麼多的個人、組織、團體提供協 助、共同活動或協力合作,都將無法實現。 透過本次的學習之旅,我們得以認識那些實踐 著「為他者行動」的人們,我們將來要做的,是 看清楚我們所處的立場及可能達成的範圍和能 力,將此行得到的經驗活用在我們將來要實踐的 活動裡。就這個意義而言,這個學習之旅將不是 只辦一次就結束的活動。 我們以本次學習之旅為開端,更仔細地調查及 調整內容,以此來持續進行相同的學習之旅,並 且確實地將基地(據點)設置於台中,設法創造 各式各樣的人們能夠進行多元交流的「場所」, 然後予以推廣下去。設法從這個據點向外發出訊 息、朝向「與更多的人協力合作」的目標來進行 宣傳活動等等,將各種活動予以發展、並且持續 下去,這樣一來,我們也可以與東海大學所掲示 的「對國際性做出貢獻」這樣的理念之實現產生 關連。 對於此行認識的人們、為我們提供合作契機的 眾多相關人士們,上述這些活動若能一點一滴地 有所進展的話,就意味著我們能夠答謝及回報他 們的幫助了。 我之前是為了做研究而待在菲律賓的,而本次 之行,若以較誇張的說法,是我第一次抱持著 「對我自己以外的所有人的安全承擔 100%的責 任」這樣的覺悟來到菲律賓的。對於 9 名學生都 能很有精神地參加到最後,真的心存感謝,而且 心中也期待大家在今後也能成為重要的伙伴,一 起學習、一起活動。 雖然我說要「承擔 100%的責任」,但是由於 黃淑燕老師的同行,讓我們得以渡過各種的難 關。由於我的不才,對在菲律賓的朋友及黃老師 帶來了各種的麻煩,而老師卻持續地聲援我這個 不才的後輩,在此致上我的感謝之意。
いきなり記憶が薄れていく。
2月3日、夜7時過ぎにマニラ到着。師母と共 に Richerd UY 丁と Richerd Temple(華僑の上官 さんのうちの運転手さん)が迎えに来てくれた。 謝碧齢師母はきれいなさばさばした人で、二人の リチァードは痩せた優しい人だ。車で40分か な、泊まる所 QUIAPO 駅チャイナタウン BINONDO に着いた。Aaron という CAVIDE 生まれのフィリピ ン人のパスターがいた。ハンサムな 21 歳の神学 院卒業生だ。 4 日朝初お出かけ。朝ごはんを向かい側のパン 屋で済ませようとする私。とにかく入って。台籍 女子の学生たちもついでに入って、適当に買って 食べた。偶然 Richerd UY 丁がそこを歩いていた ので、換金の第一旅行社の場所へ連れて行っても らった。そして QUEZON CITY へいざ出発。 BINONDO から歩いて QUIAPO 駅を潜り、ジプニーを 師母が捕まえてくれて、QUEZON まで乗った。600 ペソ。いきなりラッキーと思った。次の日の予約 もした。QUEZON の UP なのに、100 多くの 700 ペ ソにしろと言われた。運転手は奥さんが香港の OFW だと言った。
QUEZON の Center for Migrant Advocacy(CMA) の番地に着いた。中に子供がちょっと頭を出して くれたが、私たちを相手にしてくれなかった。ち らほら遊んでいた。大人の男性がいるが、まった くわれわれを無視。なんだかよく分からない。本 当にここでいいのか?向かい側に立っていた男性 が話しかけてくれて、声を出して呼び出してくれ た。左側にある建物の中から、女性が出てきて、 待っていた、と。やれやれ。 スタッフ 4 人のちいさな NPO だが、喋りはプロ だなと思った。広報、OFW 関係の法律のロビー活 動を中心に事業をやっているといっているが、さ すがだ。お金かかりそうな印刷物がいっぱい並ん でいるが、実際ロビーに行ったときはどういう仕 事振りを見せるのだろう。フィリピンの学生運動 が盛んなときに学生をやっていたので、かなりの 運動家かもしれない。ビルマの自由運動を応援す るため、ビルマに渡ってビルマで入獄したことも 経験しているそうだ。 午後は KAKAMMPI。オフィスとはあまり思われな いようなところで、物もあまり片付いていなく雑 記憶突然變得模糊不清。 2 月 3 日晚上 7 點過後抵達馬尼拉。師母以及 Richerd UY 丁和 Richerd Temple(一位我們所認識 的華僑,上官先生,他的司機)前來迎接我們。 謝碧齢師母是位美麗又爽朗的人,那兩位 Richerd 都是瘦且親切的人。搭車約 40 分鐘左右 吧,我們抵達住宿的地方,QUIAPO 站的中國城 BINONDO。Aaron 是個出生於 CAVIDE 的菲律賓 人牧師,是位帥氣的 21 歲神學院畢業生。 4 號清晨,正想要前往對面麵包店解決早餐的 我,想說先進去看看再說。此時台籍的女學生也 順便進到麵包店裡面,隨意買了麵包來吃。途中 恰巧看到 Richerd UY 丁走在街頭,於是請他帶我 去兌換菲幣的第一旅社。緊接著我們前往 QUEZON CITY。從 BINONDO 走路穿越 QUIAPO 站,師母為我們攔到一台吉普車直達 QUEZON。 600 披索,突然間,我覺得我們很幸運,次日也 預約了那台吉普車,但明明就是到 QUEZON 的 UP(菲律賓大學)卻要收我們 700 披索。幫我們開 車的司機說他的妻子是香港的海外勞工。
我們到達 QUEZON 的 Center for Migrant Advo-cacy(CMA)。裡面的小孩雖有稍微探頭出來,卻 不理我們。他們到處玩著。雖有看到成人的男 性,但他完全地忽視我們。完全摸不著頭緒,心 想真的在這裡嗎?站在對門的一位男性幫我們詢 問,出聲幫我們叫裡面的人。於是乎從左側的建 築物當中,走出一位女性,口中說著「我等了你 們好久」。呼!還好,心裡如此想著。 這是間只有 4 個工作人員的 NPO,解說的口吻 卻讓人感受到他的專業性。最主要的活動是從事 宣傳及海外勞工法律相關的遊說活動,真不愧是 專業的團體啊!!事務所裡有看到很多看似很花 錢的印刷品擺設在那邊,實際去遊說時呈現何種 工作的狀況呢?因為在菲律賓學生運動興盛時期 還是個學生,所以她或許可稱得上屬一屬二的運 動家。據說她還曾經因為支持緬甸的自由運動而 前往當地,甚至還有入獄緬甸的經驗。 下午去了 KAKAMMPI。這是個不太讓人能聯 想到是個辦公室的地方,東西也不太整理,放得 到處都是。這個地方最主要是在做培力的工作。
フィリピンスタディーツアー
フィリピンスタディーツアー
フィリピンスタディーツアー
フィリピンスタディーツアー
菲律賓學習之旅 黃淑燕
多におかれている。主に OFW のエンパワーメント をやっている。OFW が残した家族のケアーや、 OFW に行って帰ってきてから、家族との関係にギ クシャクが出てきたときの相談や、家族を見守っ ているはずの旦那が浮気をして、どうすればいい のか分からないという女性のケアーもしている。 フィリピンは米不足だから、米作りの教育もやっ ている。このようないろいろなことを雑談風に 言ってくれたのは、そこら辺にいそうな普通のお ばさん風の Fe さん。英語は朝の人ほど堪能では ない。が、ラジオ番組を持っている。ラジオ番組 でさまざまなインフォメーションを広めている し、さまざまな相談も受けている。ラジオはいい メディアだと。ちょっとぎこちない英語のしゃべ り方からは、タガログ語であろうラジオでのしゃ べりぶりはちょっと想像しにくかった。
QUEZON には小さな NPO がたくさんある。Fe さ んによると、それぞれ関心事が違うから、大きな NPO じゃなくて、別々にやりながら、互いに連携 をよくしたほうがやりやすいと。うん、なるほ ど。今朝の人のように何かを主張することによっ て仕事をしているのではなくて、行動で OFW に接 しているような感じの人だ。考えや目のつき所、 うん、彼女もやはりプロだ。そういえば、今まで なぜか全部女性だった。 お話をしてくれている間でも、男の人が来てサ インをもらっていた。FE さんの短い髪がさらさ ら。今朝ヘヤーサロンにでも行ってきたのかなと 眺めながら漠然と考えた。 二日目(5 日)に UP。最初に本屋に寄った。本 は専門ごと部屋ごとに分かれていた。台北にある マンションの一室を借りるあの本屋を思い出す。 私たちが入ってきても頭も上げないおばさんが最 初の部屋の右奥の方に座っている。そして次の部 屋には男の人が。勝手に見回って本を一冊手に 持ったが、どこで買えるのか分からないぐらい、 商売っ気がなかった。結局、おばさんのところ だった。渡しても一言も言わずにただ計算してい る。一冊だけなのに、定価もあって割引も別にな いのに、計算しておつりを出すのに、5 分はか かった。誰が言ったっけ?台湾ではフィリピンの 外労は口達者で働かないから評判が悪い、と。こ れってステレオタイプの強化!?
UPTomo-kai (Philippines-Japan Friendship Club) 菲日友会。友の会の学生たちに会うため、 警備員の人に松永さんが場所を聞いた。あっち こっちを回って、やっと。皆で、運動場の横にあ る角亭に座り、思い思いに話をし始めた。私は二 人の学生にいろいろお話を聞いた。 對海外勞工的家人進行關切照顧,為那些海外勞 工回國之後與家人之間相處產生摩擦時提供諮 詢,他們也針對那些照理說應該要保護家人的丈 夫卻搞外遇而不知該如何是好的女性進行關切。 在菲律賓因為米的產量不足,所以也在教授如何 栽植稻米的工作。替我們做雜談式說明的是一個 在那一區域隨時都有可能出現的一個很普通的歐 巴桑,Fe 女士。她所講的英文並沒有像早上我們 所去拜訪的那個機構的人來的流利。但擁有自己 的廣播節目,那個廣播節目中有很多種資訊在流 通,接受各方的諮詢。她說廣播是個很方便的媒 體。聽著她那說那一口不太流暢的英文來看,很 難想像她在那似乎是用塔加路語廣播的說話方 式。 QUEZON 有很多小小間的 NPO 機構,依 Fe 女 士的說法來看的話,她說因為關心的事情都不太 一樣,所以不經營那種大型的 NPO,而是各自的 團體各自去推行一些事業,各個機構彼此做聯繫 的話會比較好運作。原來如此,我心想。她跟早 上那個依著所主張的方向來工作的人不ㄧ樣,感 覺她是個用行動來跟海外勞工接觸的人。論想法 及所關心的點來看,我想,她果然也是個專家。 話說回來,我們目前所接觸到的不知怎麼的,都 是女性。 第二天(5號)到了 UP(菲律賓大學)。去到 那邊,先去了書店。即使我們進去書店裡面了, 依舊連頭都沒抬的櫃檯歐巴桑就坐在一進去的那 個房間的右後方。另一個房間裡的櫃檯人員則是 一位男性。我任意的逛了一圈,拿了ㄧ本書,卻 不知道要在哪裡結帳,感覺他們完全沒有要做生 意的感覺。結果結帳是由歐巴桑來結的,將書拿 給了她,她ㄧ句也不吭聲,只是做著計算的動 作。只有一本書而已,書上面有寫著定價,沒有 打折,她在結帳找錢時卻還是可以花 5 分鐘。我 忘了是誰說的,有人說在台灣,因為菲律賓的外 勞說的比做的厲害,所以評價很糟。今天遇到這 個狀況莫非又更加強化了我的刻版印象了!?
接著去 UPTomo-kai (Philippines-Japan Friendship Club) 菲日友會,為了和友會的學生見面,松永 老師問了學校的警衛。我們到處走來走去終於看 到友會的學生了。大家坐在操場旁邊一個涼亭下 各自隨意的聊起天,我和兩位學生聊了很多。 Trisha 的專門是心理學,是嵐的成員二宮和也 的粉絲。親戚 6 個家族中,除了自己家以外(在
Trisha は心理学専攻で、嵐のニノのファン。親 戚 6 家族のうち、自分のうち以外(フィリピンで 医者)の 5 家族が海外に出ている。叔父がアラビ アの空港でお仕事。ほかの家族は大体アメリカ。 ふん、高級 OFW ってことかな。一番得意な言葉は カタログ語と英語。そしてなぜか第一言語は英語 といっていた。家族が上手にしゃべってほしいか らなのか、家では英語をしゃべっているそうだ。
Ura は鉱業専攻。お父さんは OFW。最初に OFW をやったのはおじいさんで、船員だった。それで 家族全員も全部船員 OFW の道に入った。フィリピ ンでは鉱業はある意味新しい事業で、金、煤、 ニッケルなどがある。これまで鉱業をやってこな かったのはすごくお金がかかるから、それに土地 の問題だとか。で、今は環境保全のことを掲げて 反対する人が多いので、やはり問題が多い。なる ほど、土地—-この最古で最大の問題はどこにでも 大きく影を落としているね。そして、アメリカの 影響なのか、フィリピンはいろいろな意味で教育 的に、観念的には「進歩」している。言っている ことだけはもっともらしく聞こえる。が、すごく 根本的なところで、土地という最古の問題に引っ かけられてしまう。 二人とも卒業したら、OFW になりたいと言って いた。 ちゃんとした OFW になるためには大学は卒業し ていなければならない。 この国では OFW ってやはりかなり幸せな人たち という位置づけだろうね。国土の半分の土地を持 つ 10 数家族の人たちはとんでもないお金持ちだ ろうが、残りの人たちは恒産なしのもろもろ庶 民。そして頑張って英語をマスターできた人、い い教育を受けた人はいい国の OFW になれる。この 国の中産階級になっていく。国の政策にあってい る国家事業なので、特定の人たちに収奪されな かった残りの国家資源もおのずとこの塊に集約し てくる。そして、周りにはさまざまな民間事業が 集まる。例えば NGO や NPO もそのなかの一環とな る。 NGO や NPO はプロジェクトベースだから、国の 政策方向にあったプロジェクトでないと、お金に ならない。すると運営していけない。OFW を支援 する NGO、NPO はフィリピンでは 1000 以上にもな るというが、それにはそれなりの理由があるはず だ。恒産がないが、OFW にもなりたくない、いい 教育を受けた人たちは、例えばこういう国家事業 関係の支援をする NPO や NGO を作る。 菲律賓當醫生),其餘 5 個家族都到海外去了。 她的叔叔在阿拉伯的機場工作。其餘的家人大部 分都在美國。嗯!意思就是說他們是高級的海外 勞工了吧!我心想。她最擅長講塔加洛路語和英 語。不知為何,她說她的第一語言是英語。不知 是不是因為她的家人希望她英文講的流利的緣 故,在家中似乎是講英文的。 Ura 的專門是採礦業,父親是海外勞工,最先 開始做海外勞工的是她的爺爺,是位船員。而且 她的家人全員都選擇當船員。在菲律賓,礦業在 某種層面上是種新的事業,有金礦,煤礦,鎳礦 等等。從以前到現在沒有開發礦業的原因是因為 很花錢,以及土地問題。而且因為環境的問題浮 現,因此反對的人很多,因此問題還是很多。原 來如此,土地-這個最古老最大的問題點不論到 哪裡都會留下深刻的影響。另外,不知是不是因 為受到美國的影響,菲律賓在某種層面上在教育 方面及觀念方面都很「進步」。光只是說,聽起 來好像很有道理,不過在最根本的地方,土地這 個自古以來就有的問題總是會牽扯在其中。 這兩個人都說畢業後想去當海外勞工。 為了成為正式的海外勞工,必須從大學畢業。 海外勞工在這個國家果然是被定位為幸福的人 吧!擁有菲律賓國土一半土地的 10 多個家族, 都是些沒什麼大不了的有錢人,剩下的那一些人 們是些沒有恆產的普通平民。那些努力學好英文 的人,接受過好的教育的人,才能成為好的國家 的海外勞工。成為這個國家的中產階級。因為這 是符合國家政策的國家事業,所以那些沒有被特 定的人們剝奪走,殘存的一些國家資源也集中在 這個區塊中。而這個區塊的周圍聚集了許多民間 事業,像 NGO 或 NPO 就是其中的ㄧ環。 因為 NGO 或 NPO 是屬於專案性質,若不是按 照國家政策的方向來走,就無法攢到錢。這樣一 來就無法繼續經營下去。援助海外勞工的 NGO、NPO 據說在菲律賓有 1000 個以上,這些 團體的成立一定有它的理由。雖然沒有恆產,卻 又不想成為海外勞工的這些接受良好教育的人 們,或許會成立支援國家事業相關的 NPO、 NGO。 下午去到(Maligaya House)日非國際兒機構。為 我們做說明的是日本人河野尚子。 我從以前到現在所接觸到經營 NPO 的人,如 菲律賓人,日本人,韓國人(首爾基地村的
午後はマリガヤハウス(Maligaya House)日菲国 際児の組織に行った。お話しをしてくれたのは日 本人の河野尚子さんだった。 今まであった NPO をやっているフィリピンの 人、日本の人、韓国の人(ソウル基地村の人)、 台湾の人(素素や曾建軍)なんだかそれぞれ違う 特質を持つ。CMA や Kakammpi の人はとにかくプロ 系。人の目を見詰めて情熱に満ちたうまいしゃべ り方をする。そしてマリガヤハウスの河野さん は、プロは感情的になってはいけないんだとても 思っているのか、仕事ができるのよ風に冷たく あっさりとものごとを述べる。韓国の基地村の人 はじっくりクライアントの苦境を述べる。どんな にクライアントが彼女らの支援が必要かを言う。 そして素素たちは目に情熱を込めて自分のやりた いことを語る。常に起点に立ち、あうたびに新し いこれからがある。
Philippine Overseas Employment Administra-tion(POEA)、雑多のすごさに驚かされた。大き な駅かと思われる人の多さだ。ニコラスも言って いたが、昔のヨーロッパの港などでは、アフリカ の奴隷を輸入するのにものすごいにぎわいを見せ ていたが、ここでは、自分の国民を国民英雄とし て、労働者として送り出すために大変な忙しさを 見せている。 一階で撮影していたら、撮影禁止だと言われ た。なんとなく回って、警備のいるところを避け て、二階へ。やはり入り口に警備の人がいたの で、三階へ。いない!ラッキー!入っていった。 なんと、エージェント専用フロアだった。掲示板 の横の柱の蔭で警備員の人が、30 代の男二人にお 金(紙幣)をもらっていた。こっちに向いている 男の二人は微笑を口元にこっちをちらちら見てい た。へえ~、そんなもんかな? 掲示板の左横に 40 代以上の男の人一人が立っ ていた。暇そうなので、エージェントかと聞いて みた。はいと言われ、どこの?香港。ハウスキー パーを毎月 20 人以上送っている。今度の不景気 には影響されていない。どこから?台湾から。台 湾からたくさんの人が Lay off されて帰ってきて いるよ。この上の階で抗議している。へえ~。な んとなく回って、ある部屋へ入った。入ったら、 向こうで登録するのよ、と言われた。あ、はい、 と出てきて、親切な職員がついてきて、ここだ よ、とわれわれを連れていく。(いいのに…) えーと、私たち、そうじゃなくて、台湾から来た もので、OFW について※#%、うやむや言ってい たら、あ、じゃ、こちらへと、いきなり、中に通 された。ちょっと年の行った白い服のマダムにな 人),台灣人(素素跟曾建軍),這些人似乎擁 有各自不同的特質。CMA 和 Kakammpi 裡的工作 人員,就是一整個很專業。她們是屬於看著對方 的眼睛,充滿熱情,說話方式非常專業的人。而 Maligaya House 裡的河野小姐,不知她是否認為 身為一個專業的人不能表現自己的情感情緒還是 怎麼的,像是要告訴人家她自己看起來是很會做 事的人,因而用著冷漠且俐落的語調闡述著事 情。韓國基地村的人則是慢慢地闡述那些委託人 的苦境。她們說非常需要幫助那些委託人。而素 素她們則是眼中充滿熱情的闡述著自己想做的事 情,她們經常立一個起點,下次遇到她們的時候 又看到了新的起點。
Philippine Overseas Employment Administration (POEA),人潮之洶湧讓人驚訝。那裡的人之 多讓人誤以為是在一個很大的車站裡。Nicholas 也說,以前的歐洲港口因為要輸入大量非洲的奴 隸而非常熱鬧,在這裡,把自己的國民當成英 雄,為了送勞工出去而非常的忙碌。 我們在一樓攝影時,警衛提醒我們這裡禁止攝 影。我們到處去晃了ㄧ圈,避開有警衛的地方, 來到二樓。看到二樓入口還是有警衛,就又到三 樓去了。ㄧ上去發現三樓沒有警衛覺得很幸運, 就走了進去。三樓似乎是仲介商專用的樓層。在 公佈欄的旁邊柱子後方竟看到警衛從 2 個 30 歲 左右的男性那裡收受金錢(紙幣)。面向這邊的 那兩位男性嘴角帶著笑意,眼睛發花的看著這 邊。我心想,難道是那回事嗎? 公佈欄左側站著一位約略 40 歲的男人,我看 他好像沒什麼事,我就問他是不是仲介商。他說 是。我又問,哪裡的?他回說:香港。每個月會 送 20 個人去香港當家管。他們並沒有受到這次 不景氣的影響。他問了我們從哪裡來,我回答 說,從台灣來。他就跟我們說,在台灣有很多人 因為被裁員而回到菲律賓。那些人在這棟樓的上 面樓層進行抗議。是喔!!,我說。接著,我們 又隨意晃晃,晃進去某個房間。進去之後,有人 說,要登記的話是在對面。我說,喔知道了!就 從那個房間走了出來。那位親切的職員,跟上我 們的腳步,帶著我們去到登記的地方,跟我們 說:在這裡。我心想,其實可以不用這麼麻煩 的。接著,我們就跟他說,我們不是來登記的, 是從台灣來的,要調查有關於海外勞工的事 ※#%等等之類的,這樣含糊帶過的說之後,他