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Microsoft PowerPoint - 安永住民がみた地震災害(冊子用)

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(1)

熊 本 地 震

吉 村 陸 太 郎

2016年6月25日

熊本県上益城郡益城町安永

住 民 が み た 地 震 災 害

001

これは、6月25日、

浦安市文化会館

で行われたシンポジウムで発表した

プレゼンテーションを、帰熊後、再編集したものです。

(2)

熊本地震を体験して

ごあいさつ

熊本・益城町に住む被災者の一人で、吉村陸太郎と申します。往年は地質関連技術者として、小さな会社 に携わっていましたが、15年ほど前に、趣味の登山や旅行に専念するため、専門書や学会誌の大半を処 分し、業界や学会から身を引きました。 ところが、今回、発生した熊本地震の震源地は我が家の直下、我が専門とは無縁ではありませんでした。  益城町に飯田山と呼ぶ、高さ431mの山があります。登山口から山頂まで歩いて1時間弱、登山者は 一日10人程度、脚力が衰えた高齢者にとって手頃な里山です。  以前、この山の頂上に手造りのケースを設置して、下のようなシオリを置いたことがありました。せっ かく我が町「益城」の山に来て頂いた町外の登山者に「登山記念」として持ち帰って頂くためでした。 3種類作ったシオリの内、飯田山豆知 識②地震と活断層とタイトルを付けた シオリで、地震に対する注意を促した つもりでした。しかし、シオリを作っ た自分さえ、これほどまで、すぐに地 震が到来するとは考えていませんでし た。 このシオリの文面を読んだ登山者も、 地震について真剣に考える人はほとん どいなかったと思います。

これは、6月25日、

浦安市文化

会館

で行われたシンポジウムで発

表したプレゼンテーションに、帰

熊後、加筆したものです。

002

(3)

シオリの文面

飯田山豆知識②

地震と活断層

 

2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地

震は、甚大な被害をもたらし、記憶に新しい出来事でした。これを契機に「活断層」の用語

が頻繁に用いられるようになり、原発運転再開のキーワードにもなったような気がします。

調べてみると、活断層とは、「将来も活動する可能性のある断層」と定義されているようで

す。将来のことは誰にも分かりませんが、最近活動した痕跡があれば活断層とされます。こ

こでいう「最近」とは,現代の地質・地形学の分野では,第四紀または第四紀の後期

(およそ

数十万年前以降

)を指します。飯田山の近くに「布田川断層」があります。この断層は飯田

山登山口のバス停付近の地下を東北東ー西南西方向に通っています。この断層の北側の地盤

が落ちて、穀倉地帯である益城平野の低地ができ、断層の南側が隆起し飯田山の山地ができ

たのです。地震の発生頻度は千年・万年の単位ですが近い将来かも知れません。震災に対す

る心構えを忘れずに。

 

003

(4)

熊本地震国際合同調査速報シンポジウム  プログラムの一部

(5)

はじめに

 熊本・益城町に住む、被災者の一人です。かっては地質関連技術者として、小さな会社に携わっ

ていましたが、15年ほど前に、趣味の登山や旅行に専念するため、業界や学会から身を引き、専

門書や学会誌の大半を処分しました。

 ところが、今回、発生した熊本地震の震源地は我が家の直下、我が専門とは無縁ではありませ

んでした。

 写真は震災前の我が家です。

005

(6)

前震 熊本地震(4月14日夜)

発生日時:2016(平成28)年4月14日 21:26頃

震源地(震源の深さ)及び地震の規模

・場所:熊本県熊本地方(北緯32度44.5分、東経130度

48.5分)、深さ約11km(暫定値)

・規模:

マグニチュード6.5(暫定値)

・益城町の

震度 7

14日の益城町の死者 2名

当初 本震とされ後に前震と修正された

  

2016年4月14日 寝床について、ウトウトし始めたとき、棚に積んでいた衣装ケ

ースが布団の上に落ちてきました。幼い頃から地震に対して敏感だったので、すぐに

地震と気づきましたが、これほどまでに強い揺れは初体験でした。様々の物が散在し、

屋内にとどまるスペースがないので、外に出て夜を過ごしました。

006

(7)

4月14日夜の

前震

我が家の様子

屋内の被災状況

明るくなってから見回すと本屋は健在  電気温水器は倒壊してました。

(8)

4月14日夜の

前震

の翌日

 周辺の自噴水が注ぎ込む秋津川

の水が濁っているように感じました。

敷地内に発生した亀裂、累計で南北方向

に10数センチ拡がる力がかかったと判

断されました。

008

(9)

4月14日夜の

前震

の翌日 15日

300mほど離れたところは深刻な被害

隣近所の人が食べ物を持ち寄り、昼食。我が家の近隣は被害が軽い。

地震発生直後に、火災が発生した所もあった。

009

(10)

4月14日夜の

前震

の翌日

家から

500m範囲の家屋や石垣の損壊

(11)

益城町の地震に対する認識 ハザードマップ

益城町 防災(水防)

ハザードマップ に

は地震については

全くふれてなかった。

011

(12)

活断層の位置を示した文献

1991年発行  36050円

活断層の位置を示した文献

 『日本の活断層』

1989年発行  49440円 分布図 1・/20万を縮小 分布図 1/5万を縮小

文献

 『九州の活構造』

布田川断層 確実度Ⅰ 危険度B      右図 A 木山断層   確実度Ⅱ 危険度(記載無) 右図 B

012

2冊の資料が発刊されていましたが、残念ながら、活用されていなかったようです。

いずれも、布田川断層と木山断層の位置は明示されています。

(13)

熊本で出版された地震に関する資料 熊本市周辺地盤図

熊本県地質調査業協会が、2003年に編纂した「熊本市周辺地盤図」には、ト

レンチ調査の例などと共に、活断層・地震の指摘がある。

013

この資料は熊本県や熊本市の公共機関の一部には配布さ れていると思います。 地震災害は、予測できないと思われていますが、熊本の研 究者が協力すれば、災害を防ぐことはできなくても、減災は 可能だと思います。

(14)

熊本で出版された地震に関する資料 熊本市周辺地盤図

木山断層の位置が明示されている。益城町で激しい被害をもたらしたのは木山

断層だと考えるが、地震発生から今まで、

報道機関で木山断層の言葉は無い。

(15)

中部九州の活断層・リニアメントの分布

阿蘇火山の生い立ち(渡辺一徳)より

熊本ー大分構造線上の活断層  (渡辺一徳)氏の資料を引用

(16)

地震発生後、吉村陸太郎作成

016

地震発生後、吉村陸太郎が昔の知識を頼りに作成した平面図です。二つの断層が、東北東ー西南西の方向に存 在しています。北にある断層が木山断層、南落ちの正断層、この断層の北側が益城台地です。 南にある断層が布田川断層、北落ちの右横ずれ正断層で、この辺りで雁行しています。木山断層とふた川断層 の間が、低地帶(沖積面)です。布田川断層の南側が飯田山などがある山地です。ピンクの楕円で囲ったあたり が特に被害の大きかったところです。

被災地平面図

(17)

被災地の地質構造断面図

吉村陸太郎作成

017

これも、吉村陸太郎が昔の知識を頼りに作成した断面図です。二つの断層が、この紙面と直行方向に

存在しています。北にある断層が木山断層、南落ちの正断層、この断層の北側が益城台地です。

南にある断層が布田川断層、北落ちの右横ずれ正断層です。木山断層と布田川断層の間が、低地帶

(沖積平野)です。布田川断層の南側が飯田山などがある山地です。

(18)

参考 熊本で発生した過去の地震 

明治・熊本地震

  

(明治)熊本地震

(1889年)

 通称:金峰山地震

発生日時 

1889年(明治22年)

7月28日 23時45分

震央 熊本県熊本市付近

 北緯

32.8度 東経130.7度

震源の深さ:ごく浅い

規模: マグニチュード(

M)6.3

最大震度:不明

津波:なし

地震の種類:直下型地震

死者:20名

熊本では、約130年前の

地震の記録があります。この地震を体験した人

は、現在、存在しないとおもいます。

018

(19)

明治以降の主な被害地震

阿蘇火山の生い立ち(渡辺一徳)より

019

(20)

(熊本地震)本震  4月16日未明

発生日時:2016(平成28)年4月16日 1:25頃

・場所:熊本県熊本地方(北緯32.8度、東経130.8度)、深さ約

10km

・規模:マグニチュード7.3

・益城町の震度 7

 16日までの熊本県の死者 41名

当初 余震とされ、後に本震と修正されました。

 14日の地震の後、停電が続き、屋外で車中泊、15日の昼間は、散乱物を

片付け、夜更けになって、停電が回復したとの情報に、屋内に戻り、ウト

ウトしかけたところ、ドスンと激しい縦揺れ、ともかく屋外に逃れました。

(熊本地震)本震の概要

020

(21)

4月16日  

本震

の夜が明ける

熊本市方面を見ると電気がついたのか?

自家発電なのか明かりが見えた。

夜明け前、隣人同士無事を確か

め合う

多くの橋では、道路面と30~50cmの段差ができ、自動車は通行不能となった。

021

(22)

4月16日  

本震

後の状況

側溝と道路の間が開き(南北方向

に引っ張る力が働いた結果)

町立体育館で不自由な避難

生活を送る人。

マンホールが浮き上がって、自動車走行

の妨げとなる。

町立体育館で食料供給の列

に並ぶ人。

022

(23)

震災後の自宅、食堂兼寝室となった車庫と車中泊の自動車

狭い我が家は幸運にも建物の損壊を免れたが、室内に家具や家財が散乱し

た上、度重なる余震が怖く、車庫と車内が生活の場となった。

(24)

4月16日  

本震

の後の悲劇

一階に寝ていたお年寄りが、逃

げられず無くなった家

二階の窓から、犬を入れる自

衛隊員

消防隊・警察官・自衛隊に、民間

の救助犬も動員した救助活動

もむなしく救助できなかった

救助犬は生存者の発見はできる

が、死者の発見はできないそう

である。

024

(25)

4月16日  

本震後

自噴井の湧水が一旦止まり再び出始める

我が家には、40年前に掘った深井戸があり、生活用水には、町の上水道では

なく、地下水を使っている。

今回の地震の影響で益城町内の多くは、停電・断水が続いた。この地下水は、

町の水道が使えるようになるまで、約一ヶ月間、近所の方々の生活用水とし

て役立った。

 ここの地下水は16日の本震の後、一度、自噴が止まり落胆したが、すぐに自

噴が復活し、26日に量ったところ自噴量は毎分120リットル、一般家庭の蛇

口の10~30本分位であった。

025

(26)

熊本の地下水について

熊本市や益城町は大変地下水の豊富なところです。「熊本市の上水道は100%地下水を利用

している」と云われてきました。

阿蘇山や阿蘇西麓に降った雨は、主に阿蘇火砕流堆積物を通り、台地上の降雨や田圃の浸透

水を加えて西に向かって地中を流れ、益城町や熊本市などで湧きだし、著名な公園となったり、

上水道水として使用されています。

地下地質構造から見れば

阿蘇火砕流堆積物

の存在が大きな役割を担っています。

阿蘇火砕流活動は、阿蘇カルデラができたときの活動で、4回の火砕流活動がありました。流

体として流れた火砕流は本州まで達し、吹き上がった火山灰は偏西風に乗って、世界中を回っ

たと思われます。

火砕流堆積物は空隙が多く、地下水が貯まりやすく、移動しやすい地層で阿蘇西麓一帯の地

下に存在しています。また、1回目と2回目の火砕流活動の間に益城町赤井集落付近にあった

赤井火山から噴き出した

砥川溶岩

は岩石中に空隙が多く、この溶岩の中に存在する地下水を

汲むため多数の井戸が掘られています。

026

(27)

自宅敷地内の地下水関係概念図

益城町には町の上水道利用と井戸利用の家がある。上水道利用者は、本管断絶のため、断水が長引いた。上水 道利用者と井戸利用者とも、敷地内の配管が切れ、屋内に給水不能となった家は少なくなかった。

(28)

自宅敷地内の配管が切れたため屋内の蛇口が使用不能

井戸の湧き水からホースで引き生活用水に利用していた。

(29)
(30)

4月17日  本震の翌日 

1km 範囲程度の状況を見て回る 1

救援物資の食料をもらうため、避難所に行ったついでに、町の様子を見ました

(31)

4月17日  本震の翌日 

1km 範囲程度の状況を見て回る 2

(32)

4月17日  本震の翌日 

1km 範囲程度の状況を見て回る 3

(33)

4月17日  本震の翌日 

1km 範囲程度の状況を見て回る 4

(34)

4月17日  本震の翌日 

1km 範囲程度の状況を見て回る 5

救援物資配布所となった町役場駐車場

救援物資配布の列に並ぶ被災者

役場は完全業務停止、伝達は黒板で

(35)

4月17日  本震の翌日 

1km 範囲程度の状況を見て回る 6

(36)

4月17日  本震の翌日 

1km 範囲程度の状況を見て回る 7

町役場駐車場に設けられた支援物資配布所の状況

(37)

4月17日  本震の翌日 

1km 範囲程度の状況を見て回る 8

被災状況

(38)

4月17日  本震の翌日 

1km 範囲程度の状況を見て回る 9

被災状況

(39)

4月17日  本震の翌日 

1km 範囲程度の状況を見て回る 10

被災状況

(40)

4月17日  本震の翌日 

1km 範囲程度の状況を見て回る 11

県道商店街の被災状況     上はパチンコ屋さん

(41)

4月17日  本震の翌日 

1km 範囲程度の状況を見て回る 12

県道商店街付近の被災状況

(42)

4月17日  本震の翌日 

1km 範囲程度の状況を見て回る 13

被災状況   

(43)

4月17日  本震の翌日 

1km 範囲程度の状況を見て回る 14

被災状況   

(44)

有り難かったボランティアの活動

震災直後から、避難

所で食料の配布

があったのでしば

しば利用した。

これは、埼玉から見

えたボランティア

グループ、金銭

的に支援する企

業があって、調

理・配膳などは

地元の学生と協

力する体制で食

料を供給してく

れた。

食料供給

自転車で回る高校生のグループ。壊

れた本棚やテーブルなどの解体

を依頼した。

清々しい態度に少なからず感動した。

自転車には「熊本学園大付属」と

のステッカーが貼ってあった。

044

(45)

  益城総合グランドのテント

アルピニストの野口健氏の支援で、100張りほどのテントが張られ、被災者に利用され

ました。

4月30日撮影

(46)

  益城総合グランドの車中泊の車列とトイレ

4月30日撮影

(47)

  応急危険度判定

建築の専門家が見えて、応急危険度判定をして行きました。判定結果は、「危険無し」 

緑色のチラシが貼られました。両隣とも緑色でした。これは建物に対する判定で、約1

週間後に実施された敷地に対する判定は「要注意」黄色の判定でした。

(48)

我が家の応急危険度判定結果

これの判定は、応急的に実施されたもので、当面の居住の可否を示すもので、

り災証明などとは関係ないそうでした。

家の壁に貼られた調査結果  建物は

「危険無し」

「危険無し」

地盤は

「要注意宅地」

でした。

 

048

(49)

熊本城   新聞記事

熊本城の被害は、地元紙「熊本日々新聞」で大きく報道されました。 

5/8朝刊

熊本城は、加藤清正が中世城郭を取り込み改築した城で、江戸時代は熊本藩細川家の居城であった。明 治の西南戦争の戦場となり戦争の直前に大小天守や御殿など本丸の建築群が焼失した。現在の天守 は1960年の再建。

049

(50)

熊本城   5月14日     1

長塀の上の石垣の破損   

(51)

熊本城 (立入禁止)  5月14日     2

「熊本城」と記した石碑が45度回転して見えたが、地震のせいではない?  

 

(52)

熊本城   5月14日     3

石垣の崩壊 後方右端が大天主  

(53)

熊本城 (立入禁止)  5月14日     4

城内の崩壊跡、立入禁止のため、近づけず詳細不明   

(54)

熊本市中央区 6月3日   入院中の病院の屋上から

雨漏り防止用の青いビニールシートが目立つ

シートを被っていることは、屋根瓦の被害だけで済んだのか?

(55)

震災ゴミの仮置き場となった旧小学校跡地

収集業者も一般住民も利用したが、3時間待ちの車列ができた。

(56)
(57)

水前寺成趣園 6月5日     1

16日未明の「本震」後に、熊本市の観光名所・水前寺成趣園(じょうじゅえん、

水前寺公園)の池の水が減り、「池の8割ほどの範囲で底が露出した」と聞い

て6月5日に見てきました。

左が入口で頂いたチラシ       右がこの日に撮影した写真

チラシの写真とこの日の写真を較べる限り、湧水量は復活している?

しかし、湧水量は季節変動、年変動、人為的な影響があるので、単純ではない。

隣接する出水神社も含めて、石塔や石垣の倒壊や石塀の損壊があった。

057

(58)
(59)

橋梁と下水道施設の破損

相対的に橋が持ち上がり、路面が下がっ

たため渡れなくなった橋、秋津川の架

かる全ての橋が同様の被害を受けた

が、道路側に盛り土をして、応急的に

通行可となった。

059

(60)

今後、危惧される災害は洪水

 5月4日、左の写真に示す土嚢が自宅の前に積まれました。目

的は洪水対策、事業主体は熊本県でした。 このころは、倒壊家屋の解体や撤去、および震災ゴミの処分のた め車両の通行量が多く、道路の復旧を優先すべきだと考える人 も少なくありませんでした。 土嚢を積んで、ビニールをかぶせた程度の対策で洪水が防げる とはとても思えませんでした。

熊本は、過去、何度も水害を経験した洪水常襲地域、しかも、熊本地震により、地盤が沈下

していると考えられます。これから梅雨、益城町住民にとっては、防水堤などの洪水対策が

望まれます。

洪水対策の土嚢積み

秋津川

060

その後、このような土嚢は、秋津川両岸に積まれ、木山川にも積まれました。もし、この土嚢積みの

効果があるとすれば、それ以前に、排水不良で、堤内は冠水の危険が大きいと考えられます。現に、

住民のどなたかが土嚢に隙間を作ったり、パイプを差し込んだりされているところを見受けます。

(61)

危惧されていた洪水がきました

6月21日

 6月21日、梅雨前線が停滞し、熊本県は大雨となりました。

「数十年に一度と云う豪雨」と報道されていました。 夜中の0時すぎ、川の水位が上がり、道路に水がたまりました。この地に住んで40年、初めての経験でした。 益城町のほぼ全域に避難勧告がでました。勧告に慣れてしまった近所の住民で避難施設に移る人はありません でした。 暗闇の中で土嚢の効果は分かりませんでした。

061

なお、土嚢積みの効果もむなしく、自動車の冠水被害を受けた住民は少なくありませんでした。

(62)

夜が明けると、水位は下がっていました

 夜が明けてから、川を眺めると、水位は下がり、

なにごとも無かったように流れていました

 漂着物の状況を見て回って、洪水時の水位は

道路面スレスレで、路面を越えることは無かった と判断しました。

062

(63)

気になる、「川内原発」の問題

 6月12日夜、余震がありました。益

城町の震度は1だったそうで。寝てい

た自分は気がつきませんでした。ラジ

オの情報によると、八代市の震度は5

だったそうです。益城町と八代市の直

線距離は35km、距離が近いのに震度

が大きく異なるのが気になりました。典型的 な直下型地震が、熊本から南南西へと震 源が移動しているようです。延長線上に川 内原発があるのが気になります。

063

(64)

気になる、「川内原発」の問題   2

 右図は6月16日 

熊本日々新聞朝刊

から引用しました。

2ヶ月前に益城町に

あった震源が北北

東の由布院に移動

し、その後、南南西

の八代から芦北方

面に移動しつつあり

ます。

064

(65)
(66)
(67)

震災後、出版された熊本地震写真集

5月24日 地元 熊本の新聞社「熊本

日日新聞」より、左のような本が出版

されました。

空中写真やドローンで撮影した写真など

専門家でないと撮影できない写真も

あります。

価格は1冊千円でした。

067

(68)

ステッカー

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震の後

日本中、自動車は背後に「頑張ろうニッポン」のステッカーを貼って走っていましたが

今回は、こんな姿は少ないようです。

そこで、そこで思い付いたのは下のようなステッカー

自動車の背面ガラスやリュックの背後に貼って行動しています。

   

068

(69)

吉 村 陸 太 郎

 これは、2016年6月25日、千葉県浦安市文化会館で行われた「熊本地震国際合同調

査速報シンポジウム」 で発表したプレゼンテーションに、加筆し、ビデオファイルとして編

集したものです。当初、講演資料用にパワーポイントで作ったものを、ビデオファイルに再

編集してみると、自らの地震体験記の形になったような気がします。

「熊本県上益城郡益城町安永住民がみた地震災害」

はひとまず終わりです。

 我が家は、地震の直撃を受けた割には、建物の損傷は少なく、地盤の変状や陥没が少

しあっただけで、ほぼ、元の生活に戻っています。

 しかしながら、住む家をなくし、仮設住宅にも入れず、厳しい生活を余儀なくされている

人が、益城町にも、熊本市にも、他の市町村にも、沢山いらっしゃいます。一日も早い復

興を願っています。

069

編集・印刷・製本

2016年7月末

参照

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