DOI: http://dx.doi.org/10.14947/psychono.34.13
言葉を学ぶ脳
―遺伝子と社会をつなぐ架け橋―
萩 原 裕 子
首都大学東京大学院人文科学研究科言語科学教室
Brain that learns language:
A bridge between genes and society
Hiroko Hagiwara
Department of Language Sciences, Tokyo Metropolitan University
One of the key issues in current cognitive neuroscience is how language acquisition and brain development co-occur in early childhood. In this sense, a systematic observation of functional brain development in both first (L1) and second/foreign (FL) language is crucial. Using ERPs and NIRS in the cohort study of Japanese school-aged chil-dren, the process of word learning has been clarified. The results include similarities of the brain responses between L1 and FL, the important role of the right hemisphere in the initial stage of learning, and cortical sex differences emerged with proficiency. The necessity to investigate genetic factors combined with language and brain is also pointed out to elucidate more fine-grained characteristics of language learning in each individual.
Keywords: language learning, foreign language, brain development, Event-related potentials (ERPs), functional Near-infrared Spectroscopy (fNIRS), genetics
1. は じ め に 「言語と脳」は古くて新しいテーマである。古くは, 脳損傷による失語症の研究から脳の異なった部位が別々 の機能を担っていることが明らかになり,近年ではさま ざまな脳機能イメージング技法の開発により,それを支 える神経ネットワークの存在も示され,言語機能の神経 基盤は解明し尽くされたかのように見える。しかしその 一方で,子供が母語や外国語を学ぶプロセスの神経基盤 の解明は緒に就いたばかりで,いまだ多くの謎に包まれ ている。本稿では,脳イメージングで明らかになった脳 の発達的変化を概観した後,筆者の研究室で行った言語 習得のコホート研究を紹介し,今後の課題について検討 する。 2. 言語習得を支える脳の発達的変化 さて,学童期の言語習得の背景にはどのような神経機 構の発達的変化があるのだろうか。近年,解剖学的研究 と磁 気 共 鳴 画 像 法(Magnetic Resonance Imaging, MRI) 等を用いた神経画像研究の進展により,脳を多角的に調 べることができるようになった。特定の領域のみならず 脳のネットワークという観点からも多くの情報が得られ ている。脳のネットワークは神経線維を介してニューロ ンが繋がる構造的結合と,機能的に関連があるとされる 領域間の関係性の強さをみる機能的結合がある。構造に
ついては,Gogtay et al. (2004)が,構造MRIを用いて4
歳から21歳までの脳の灰白質の発達を調査した。構造 MRIは脳内部のさまざまな組織の大きさや厚みを三次元 画像として映し出す。その結果,後頭葉と頭頂葉に比べ て前頭葉と側頭葉は発達が遅く,さらにウェルニッケ野 を含む上側頭回後部周辺の領域が他の連合野と比べて最 も発達が遅いことを明らかにした。同じく構造 MRIで 176名の灰白質の密度を大規模に調査した研究でも,左 Copyright 2015. The Japanese Psychonomic Society. All rights reserved. Corresponding address: Department of Language Sciences,
Tokyo Metropolitan University, 1–1 Minami-Osawa, Ha-chioji, Tokyo 192–0397, Japan. E-mail: [email protected] 本論文の執筆者である萩原裕子氏が 2015年7月10日 に逝去されました。萩原氏は,言語脳科学の先駆者と して,まさに領域を架橋する研究を進めてこられまし た。心より故人のご冥福をお祈りいたします。
半球上側頭回後部が他のどの領域よりも最も発達が遅 く,30歳頃まで発達し続けるとしている(Sowell et al., 2004)。 言語習得には言語野のある左半球のみならず右半球も 重要な役割を担っている。5歳から32歳の103名を対象 にした研究では,白質はおおよそ25歳くらいまで成長し 続けること,測定した白質経路の中で脳の前方と後方を 繋ぐ上縦束の発達的変化が最も著しく,特に8歳から14 歳の間で著しく変化することが報告されている (Lebel & Beaulieu, 2011)。10歳前後は,まさに生涯を通じて脳の 発達が最も著しい時期といえよう。興味深いことに,代 表的な言語野であるブローカ野とウェルニッケ野をつな ぐ神経線維は「弓状束」といわれ,チンパンジーやマカ クにはない,3種類の太い連続した神経束から成り立っ ている(Rilling et al., 2008)。上縦束の一部は弓状束と重 なっており,言語処理において重要な役割を担っている ことがわかる。 一方,脳の機能的結合についてはFair et al. (2008)の 興味深い研究がある。7∼9歳の子どもと,21∼31歳の 大人のそれぞれ48名に対して,安静時,つまり自然で 何もしない状態での脳の機能的結合 (resting-state func-tional connectivity) をMRIで調べた。その結果,大人で は,脳の前方にある内側前頭前野と後方にある帯状回後 部および背側頭頂領域とが機能的に強く関連しており ネットワークを形成していることが明らかになった。一 方7∼9歳の子どもでは,左半球と右半球との横のつな がりが,前頭葉上部,海馬傍回,背側頭頂領域でそれぞ れ強かったが,大人に見られるような内側前頭前野と海 馬傍回,帯状回後部,背側頭頂領域,および前頭葉上部 と背側頭頂葉領域といった,脳の前方と後方の繋がりは ほとんどみられず,ネットワーク自体がまばらで希薄で あった。このことは,脳の機能的ネットワークは半球間 のつながりが初めに形成され,年齢が上がるにつれて変 化し,9歳を過ぎた頃から脳の前方と後方をつなぐネッ トワークが本格的に形成され始めることを示唆してい る。年齢と脳のネットワークの形成は,いつ頃,どのよ うにして言葉を覚えるのかという観点から非常に重要で ある。例えば,前頭葉と頭頂葉,後頭葉,側頭葉のよう な,脳の前方と後方のネットワークがしっかり形成され ていない7歳前には,9歳以降に強い結合が形成された 後よりも,読んだ文字を脳内で処理するスピードは遅い と思われる。このことは,年齢にふさわしい効果的な外 国語学習方法とは何かを考える上での手がかりにも関係 してくる。 3. 学童期の言語習得の神経基盤 3.1 母語の語彙処理の神経基盤 従来より,言語発達のプロセスは行動の観察や実験に よって明らかになったが,近年,事象関連電位(Event-related Potentials, ERP)の言語研究が盛んになり,その 手法が乳幼児や子どもにも用いられている。子どもが単 語の意味を理解しているかどうかを調べる方法として一 般的に用いられているのが,「絵と単語の照合課題」で ある。視覚提示された絵と聴覚呈示された単語の内容が 一致しているか否かを調べるのだが,不一致の場合,刺 激提示後約400ミリ秒を頂点として陰性波が現れる。こ れは意味的な逸脱時に現れるN400成分であり,意味処 理を反映する指標となっている。ドイツ語を母語とする 幼児を対象とした研究では,19か月児で,音声刺激提 示後約 300ミリ秒から1300ミリ秒の間でN400に類似し た成分(Friedrich & Friederici, 2004),また14か児では約 400∼600ミリ秒の間でN400に類似した陰性成分が観察 されている(Friedrich & Friederici, 2005)。興味深いのは, 月齢が上がるにつれてN400成分の開始潜時が早まって いる。これは語彙の意味処理の速度が速くなっているこ とを意味する。 そこで,日本語の基本単語の処理が脳内に定着して大 人と同程度の速さになる年齢は何歳頃かについてERPを 用いて調べた。日本語の基本語彙80語について絵と単 語の照合課題を用いて,日本人小学生の7歳児グループ と9歳児グループそれぞれ40名を対象に,2年を経た2 時点の追跡調査を行い,大学生にも同じ課題を実施した (Ojima, Matsuba-Kurita, Nakamura, & Hagiwara, 2011)。そ の結果,7歳児グループの1年目では単語音声の提示後 約 260∼290ミリ秒で不一致条件の波形が一致条件の波 形から分離したが,2年後の9歳になると180∼240ミリ 秒になり,N400開始潜時が2年前よりも平均で約70ミ リ秒早くなった。一方,1年目で9歳児のグループは開 始潜時が約 195∼235ミリ秒で2年後の11歳になっても 200∼230 ミリ秒とほとんど変わらず,これは大人の約 200ミリ秒と同じであった。つまり9歳で大人とほぼ同 じ処理速度になるのである。このことは,母語の基本単 語は 7歳から9歳の間に脳内の処理速度が速くなり,9 歳以降になって定着することを示唆している。この7歳 から9歳の間にみられる脳反応の変化は,上縦束や弓状 束が発達する時期,および機能的ネットワークの前方と 後方のつながりが強くなる時期と符合している。言い換 えれば,この時期の単語処理の加速化は,神経系の発達 に支えられた反応と推測される。
3.2 外国語習得と母語獲得の類似性 そこで,まず,そもそも母語と外国語の処理には違い があるのかどうかについて,英単語の脳内処理について 調べた。語彙の獲得は文法の習得に向けての基盤となる もので,外国語学習では極めて重要である。脳計測実験 で用いた英語の語彙は日本語の基本語彙80語と同じ意 味の語彙である。英語と日本語のテストと質問紙調査と 脳計測実験に3年間継続して参加した322名のデータを 解 析 し た (Ojima, Nakamura, Matsuba-Kurita, Hoshino, & Hagiwara, 2011)。対象者は1年目(1回目)の英語テスト の成績により,低得点グループ(100点満点中 45点), 中得点グループ (59.5点),高得点グループ(92.9点)の 3グループに分け,それぞれのグループにつき1年目と3 年目(2回目)の脳波を比較した。低得点グループでは 1年目は何も観察されなかったが2年後には広範囲の陰 性波が見られ,中得点グループは1年目で広範囲の陰性 波が現れて 2年後にはN400が出現した。高得点グルー プでは1年目ですでにN400が認められ,2年後には後期 陽性成分 LPCが出現した。後期陽性成分(Late Positive Component, LPC)とはN400が現れた後の時間帯に陽性 方向に傾いている波形のことで,ここでは絵と単語の不 一致に気づいた後,それを修正,修復しようという処理 を反映していると考えられる。まとめると,① 広範囲 の陰性波,② N400, ③ LPCが,各グループにおいて習熟 度が上がるにつれて①から③の順番で現れている。面白 いことに,幼児の母語の語彙習得過程についての同種の 研究でも,これら3つのERP成分は①から③の順番で現 れたとの報告がある。さらに興味深いことは,高得点グ ループの脳反応をみると,英語でみられたN400とLPC が母語である日本語でも同様に観察された。つまり,広 範囲の陰性波→N400→LPCという脳反応が母語と外国 語で同じパターンを示したのである。これらの脳反応の 変化は英語の習熟度そのものの変化を反映しているとい える。 これらの結果は,外国語学習の脳反応は母語の発達に みられる脳反応と同じプロセスを辿ることを示してい る。外国語が上達すればするほど母語の脳反応に似てく るのである。人間の言語獲得のプロセスは,日本の英語 教育のような外国語教室でのフォーマルな学習環境でも, アメリカでの移民が経験する第二言語の日常生活でのイ ンフォーマルな環境と同じような脳の変化をもたらすと いえよう。今後は,脳のネットワーク形成との関係で, 効果的な学習方法や時期についての研究が望まれる。 3.3 単語処理における左右半球の役割 一般に,右利き成人の言語機能は左半球が担っている といわれているが,発達途中の子どもの脳ではどのよう になっているのだろうか。脳機能計測装置の中で,近年 注目を集めているものに近赤外光脳機能計測装置 (near-infrared spectroscopy: NIRS)がある。NIRSは脳血流の酸 素化状態の変化をとらえるもので,特に大脳皮質の活動 の場所を特定できるメリットがある。ある程度の体動に も耐えられる仕組みになっており,子どもにも安全で計 測時の負担も少ない。
Sugiura et al. (2011)は,fNIRS (functional NIRS)を用
いて6∼10歳の小学生484人に対して,日本語と英語の 高頻度語と低頻度語を用いて,単語復唱時の脳活動を調 べた。内容の詳細は原著を参照していただきたいが,注 目すべき結果として,音韻処理と意味処理に関する左半 球と右半球の役割の違いが明らかになった。まず,ウェ ルニッケ野周辺では脳の活動に半球差がなかったのに対 して,角回,縁上回,ブローカ野では言語刺激の種類に よってそれぞれの半球が異なる反応を示した。具体的に は,日本語でも英語でも,高頻度語に対しては右半球よ りも左半球の角回の活動が統計上有意に高かった。一方 低頻度語に対しては,左半球よりも右半球の縁上回の活 動が統計上有意に高かった。つまり,耳慣れた高頻度語 の処理は左半球の角回が司っているのに対して,あまり 馴染みのない低頻度語の音韻処理には右半球の縁上回が 深く関与していることが明らかになった。この結果は, 左角回は意味処理,右縁上回は音韻処理に関与している ことを示している。一方,ブローカ野ではすべての種類 で右半球の活動が有意に高かった。音声は,分節的特徴 とリズム,アクセント,イントネーションなどの超分節 的特徴に分けられるが,左半球では分節的特徴の処理, 右半球では超分節的特徴の処理が行われている可能性が 高いと考えられている。新しい言葉を学ぶ際には,外国 語のみならず母語でもこの超分節的特徴の処理機能が重 要であり,左半球に加えて右半球の縁上回および右半球 のブローカ野に相当する部位が,新しい単語を覚えると いう言語習得の初期に重要な役割を担っているものと考 えられる。 興味深いのは,音声分析が進むと語彙の習得が進み, それに伴って脳活動が右半球から左半球へ移行すること を示している。音の入力のごく初期段階である聴覚野付 近では言語の種類によらず「音声」として処理され,さ らにウェルニッケ野,角回,縁上回,ブローカ野という 高次な脳機能を担う場所へと処理が進むにつれて,より 「言語」に特化した処理へ移行していくのである。
3.4 脳活動にみられる性差 次に,前述のfNIRSを用いた単語復唱課題参加者のう ち,復唱の正確さが70%以上という条件を満たした392 名を,男子190名と女子202名に分けて解析した。その 結果,英語の習熟度によって男女の脳活動に明らかな違 いがあることがわかった。男女それぞれを高習熟度グ ループと低習熟度グループに分けてそれぞれの脳活動を 比較したところ,男子では,高習熟度グループは低習熟 度グループに比べて左右両半球の前頭葉,側頭葉,頭頂 葉の全言語領域で有意に脳活動が高かった。習熟度が上 がるにつれて脳活動も高くなるのである。特に著しく変 化があった脳の領域は両半球の角回と縁上回だった。一 方女子では両グループとも同じ程度の活動,もしくは男 子とは反対に高習熟度グループは低習熟度グループに比 べて,両半球の角回と縁上回とブローカ野で脳活動がや や低い傾向がみられた。復唱の正確さは男女ともに同程 度で男子の脳活動は高くなっているにもかかわらず,女 子の脳活動は何もしない状態よりも単語を復唱するとき のほうがさらに低くなっているのである。 この結果はいろいろな解釈が可能だが,一つには,外 国語を習い始めの頃は発音や文法などを意識して学ぶ が,上達するにつれて意識しなくてもすむ自動的な処理 へと変化する。脳の生理的な作用として,作業記憶に負 担をかけるような負荷の高い認知課題では脳活動が高ま るが,負荷が少なくなると脳活動が低下することが知ら れており,男子の場合,高習熟度グループでは正確に復 唱することに労力を費やす一方で,女子の高習熟度グ ループの場合はすでに音韻処理は自動化されていて,効 率よく作業が行われたために脳活動が低下したのではな いかと推測される。 4. 今後の課題 数百名単位で子どものコホート調査をしていると,大 人と比べて子どもの脳活動は個人差がとても大きいこと に驚かされる。そもそも言語発達や学習は,個人差の著 しいものであり,集団としての平均像を捉える現在の脳 科学の手法では,一人ひとりの言語発達の神経基盤をみ ることはできない。本来,学習とは極めて個人差のある 行為だが,現在の脳科学では個人の多様性を評価するこ とはできない。 その限界を突破する一つの方法に,分子生物学,つま り遺伝子の研究がある。ゲノム科学の分野の進展は目覚 ましく,2003年にヒトの全ゲノムが解明されたことによ り,環境により遺伝子発現が変化するというエピジェネ ティックスの研究も進み,ヒトの個体差が注目されるよ うになった。これまで取り上げられなかったヒトの病気 以外のいろいろな特性・個性がゲノムの個人差で語られ るようになる日も近いと思われる。言語の学習の領域で は,まずは言語活動と脳活動に加えて,高次機能に関わ る遺伝子多型(一塩基置換: SNP)の解析を同時に行う ことで,言語に関連した遺伝子かどうかを判別する。そ してその結果にもとづいて,個人ごとに効果的な学習方 法を考案できる可能性がある。とりわけ外国語学習や母 語発達は将来の発展が期待される分野である。今後,言 語と脳と遺伝子をつなぐ包括的な研究が望まれる。 5. お わ り に 子どもの言語習得は,脳の言語機能の局在化と同時 に,脳全体のネットワークの形成が進むプロセスでもあ る。機能が脳に定着するためには一定の時間がかかるこ とを考えると,年齢と同時に習得のプロセスに注目し, 言語に共通したプロセスを領域およびそれらを結ぶネッ トワークとの関係で捉えることが重要である。また,集 団の平均像とともに個人の多様性を捉えることも必要に なってくる。今後,脳計測技術の改良や遺伝子解析技術 などの応用により,言語習得の脳科学・遺伝学的研究が 進むことを期待したい。 引用文献
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