38 シンポジウム 論 考 投稿原稿 会務報告 大会報告
Ⅰ.はじめに
著者は前任校で 3 年次と 4 年次の演習を毎年担当し た。テーマは「公共部門の経済・経営と市民社会」と して,貧困・格差の問題と低所得世帯の子どもたちへ の教育支援を担う公共部門や NPO(非営利団体)・ NGO(非政府組織)の役割について学ぶ授業内容とし た。授業の一環として,学生は「読む力」と「書く 力」を鍛錬するために事前にレポート課題に取り組み, 授業時にレポートの執筆で得た知識や感想・意見を自 由に討論する時間を十分に与え,参加者の「話す力」 を養うように努めてきた。しかし,参加者全員が毎週 出席し,レポート課題を提出することや他のゼミ生前 で自分の感想・意見をはっきり述べることを達成する ことは難しい。 この状況は筆者の教育現場に限らない。Benesse 教 育情報サイト(2005)では「大学教員が痛感する学力 低下の内容」について,(1)自主的に課題に取り組む 意欲が低い,(2)論理的に考え表現する力が弱い, (3)日本語力・基礎科目の理解が不十分,以上の 3 点 を紹介している。これらの課題に対して,前任校では 1 年次から 4 年次まで演習を設置し担当教員によるき め細かい指導を行い,特に初年次の演習では学生の学 習リテラシーやグループ学習によるコミュニケーショ ン能力の向上を図る授業を展開していた。 3 年次の演習においては,基礎的素養を備えた学生 が専門知識を身に付け卒業研究に取り組むことになり, ここで本格的に学士力を養うことになる。経済学でい えば,経済学系教育基準検討委員会(2004)が掲げた 「学士課程の経済学教育の目標」を達成できる専門的 知識を学習できる演習内容とすることが求められる。 この目標として, [1]広範多岐の経済活動を分析し,対処する方法を 与え,職業人あるいは社会人の教養の一部を形 成すること [2]職業上必要な,現実の経済現象について特定の 問題を設定し,分析,対処する能力を獲得させ ること [3]研究者,政策担当者,企業内外の経済専門家を 育成すること の 3 点を挙げることと同時に,同委員会では以下の 5 つ([a]〜[e])の素養や能力を習得することが望ま しいとしている。 [a]日本および諸外国の歴史や文化の観点から,ま たグローバルな観点からも,現代社会の抱える 諸課題を総合的に洞察できる能力 [b]豊かな人間性と社会人としての高い倫理観の もとに社会的貢献をなし得る精神 [c]豊かな現実的感覚とともに,自分自身を生涯に わたって開発し,向上させる能力 [d]現代社会の諸問題を解決するために,因果関 係を追究し,政策上の意思決定とこれに対する 自主的な評価を確かなものにする能力 [e]日本語・外国語による表現能力およびコミュニ ケーション能力 以上の社会の教育機関への期待や要請に応え,グ ローバル人材育成に取り組み,大学教育がかかえる課 題を解決する一助となるべく試みとして,筆者は 2010 年と 2011 年の 9 月中旬にフィリピンにおけるス タディツアーを実施した。学生がこれらの素養や能力 を習得するには時間を要するが,著者はスタディツ アーを実施することで学生自らの経験や体験を増やし, 彼らが経済活動のグローバル化に即応し,自ら学ぶ姿 勢を育むことを期待する。次節ではスタディツアーと 経済教育,Ⅲ節でフィリピン・スタディツアーの内容 をそれぞれ説明し,終節でスタディツアーの効果を述 べる。フィリピン・スタディツアーと
経済教育
The Journal of Economic Education No.32, September, 2013Philippines Study Tour and Economic Education
Sasaki, Kenichi
佐々木 謙一(北海道教育大学旭川校)
The Japan Society for Economic Education
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Ⅱ.スタディツアーと経済教育
スタディツアーとは NGO の活動を実地に見学し体 験する旅行であり,参加者が開発途上国の貧困問題や 環境問題等を知り,NGO の活動からこれらの解決方 法を学ぶ体験・経験学習手法である。その原型は修学 旅行である[田中(2003)]。企画者は JICA(国際協 力機構),大学や地方自治体等,NPO の 3 つに大別さ れる[高橋(2008)]。大学においてスタディツアーを 行うことは,参加者を大学生に限定して教育活動に取 り組み,参加者の社会経済問題に対する関心を高め, 学習意欲の向上が期待される。 その準備においては,学生は書籍や DVD 等でフィ リピンの貧困について学習することはもちろんのこと, 航空券価格や為替レートの変動等にも関心を寄せるこ とになる。航空券価格が購入時期や空席数等により変 わることと,多くの国々の為替レートが国際収支,金 利や政治的要因等によって変動することを学ぶことに なる。航空券価格や為替レートの変動についての学習 は,「経済教育に関する研究会」が挙げた経済教育の 目的の一つである「合理的な意思決定を行う個人の育 成」にもつながる。実際に学生が開発途上国へ足を運 び,貧困問題にかんする体験的学習を行うことで,現 代経済社会に対する深い理解と政策的課題の検討・解 決の力となる経済リテラシーの習得に貢献し,OECD が定義する「キー・コンピテンシー(主要能力)」の涵 養に寄与し,知的基盤社会で生き抜く人々の教養とな る。 実際に,ESD 開発教育カリキュラム研究会(2010) が「 持 続 可 能 な 開 発 の た め の 教 育(Education for Sustainable Development : ESD)」 に か ん す る カ リ キュラム研究を進め,関係各省・教育機関・NGO・ 企業との間の連携の下でスタディツアーやワークキャ ンプ等の現場体験学習を実施し,地球的視野を持つ市 民を育成する参加型・対話型学習が広く実践されてい る[例:下羽(2005)]。経済教育においてはグローバ ル化への即応の為に学生が世界とつながる実践教育が 求められる。ESD と経済教育との関連について,山 根(2005)は,日本の経済教育が持続可能な開発を志 向し,人類益を基礎とする必要性を述べている。 ESDに加えて,2012年8月に中央教育審議会が取り まとめた「新たな未来を築くための大学教育の質的転 換に向けて〜生涯学び続け,主体的に考える力を育成 する大学へ〜」にかかわる内容であり,取り組む意義 がある。なぜならば,スタディツアーの教育活動の成 果は大学生に限定されず,小・中・高における ESD や幅広い年齢層を対象とする生涯学習事業の充実にも 貢献できることが予想され,参加者が「キー・コンピ テンシー」を含めた「生きる力」を育むことが期待さ れるからである。Ⅲ.フィリピン・スタディツアーの内容
以下の表 1 は,2010 年度と 2011 年度に実施した フィリピン・スタディツアーの旅程表である。参加者 数は講義参加者数と同数である。航空券購入について は,LCC(Low-Cost Carrier:格安航空会社)の早期 販売を利用した。両年度ともケソン市内の貧困地域の 視察・家庭訪問と廃棄物集積施設の見学を行った。各 年度の相違点は,2010 年度は国際稲研究所博物館の 見学や現地高校生との文化交流を実施し,他方,2011 年度はマニラ市内の貧困地域区への訪問を試み,毎晩 参加者が集い 1 日の体験や感想を自由に話す時間を設 け,貧困問題を考える時間を十分に確保したことであ る。以下では,視察地域と参加学生の感想を紹介する。 表 1 フィリピン・スタディツアーの旅程表 2010 年度 2011 年度 1 日目 出国(関西→マニラ) 出国(関西→マニラ) 2 日目 ・ケソン市内貧困地域 の視察と家庭訪問 ・同地区小学校の授業 見学 ・廃棄物集積施設の見 学 ・ケソン市内貧困地区 の視察と家庭訪問 ・同地区小学校の授業 見学 ・廃棄物集積施設の見 学 3 日目 ・フィリピン大学と国 際稲研究所博物館の 見学 ・高校で日本にかんす るプレゼンテーショ ン ・マニラ市内の貧困地 区の視察と家庭訪問 4 日目 ラグナ州(地域産業) の観光 マニラ首都圏の観光 5 日目 帰国(マニラ→関西) 帰国(マニラ→関西) 航空券 料金 1 名につき 27,934 円 1 人につき 31,815 円 参加者数 3 名 10 名 両地区の貧困地域は毎日数千トンのゴミが運ばれて できた大きな廃棄処分場があり,その周辺には低賃金 労働者,廃棄物を拾い生計を立てている人々(スカベ ンジャー)や資源ゴミ(プラスチック,ガラスや金属 等の有価廃棄物)の買取業者が数多く暮らしている。 The Japan Society for Economic Education40 シンポジウム 論 考 投稿原稿 会務報告 大会報告 実際に参加学生が現地の子どもたちに出会って驚くこ との一つとして,子どもたちの体が日本の子どもたち と比べて小さいことを挙げられる。参加学生は,貧し い住民が生きるために最低限必要な食料を十分に確保 できないことに加えて,生ゴミ等の腐敗により発生し たメタンガス等によって病気を患ってしまう生活環境 であることを理解する。 この過酷な生活環境の下で,貧しい家庭の子どもた ちが継続的に就学することが困難であり,その結果と して各種教育機関における就学年数が少なくなり,定 職を就くことができない。また,通常の学齢と実際に 通っている生徒の年齢は必ずしも一致しないケースが 多く,一度就職してから再び学校に戻ったりする事例 が見られる。いわゆる児童労働や貧困の悪循環の問題 を視察することもできる。この問題を解決しなければ, ミレニアム開発目標の一つである「2015 年までの初 等教育の完全普及」の達成は困難である。 また,視察地域の教育施設建設は急激な人口増加に 伴う需要増に追いつかず,そのために限られた教育施 設を活用し,小学校では奇数学年の児童と偶数学年の 児童が午前と午後に入れ替って授業を実施している。 1 クラス 60 〜 70 名の児童が学び,学力別によるクラ ス分けを行っている。教育施設(Teaching room)だ けでなく学校運営上必要となる教科書(Textbook) や教師(Teacher)も足りないという「3T 不足」の 問題が依然として改善されていない。 当該地区の視察を実施した学生はここで貧困問題に 目の当たりにし,現地の人々の説明から貧困の現状を 学ぶ。すべての子供たちが就学できることを目的とし た社会政策が国レベルで実施されているが,十分な効 果を得られず,彼らの就学支援や健康状態と収入の向 上のために多くの NGO 団体が活動していること学ぶ。 現地の子どもや親へのインタビューにおいては,すべ ての親は子供を学校に通わせて安定した職業に就いて 欲しいと思い,子どもたちもまた学校に毎日通いたい という意志をもち,とても元気に勉強に取り組む姿を 見ることができる。表2では2011年度に参加した学生 が,ケソン市内貧困地域視察後の感想文として取り上 げた内容を列挙した。 表 2 ケソン市内貧困地域での感想 学 生 内 容 男子 1 ゴミの処分方法,低就学率,衛生問題 男子 2 衛生問題,低就学率,廃棄処分場 男子 3 児童との交流 男子 4 児童との交流 男子 5 児童との交流 家庭訪問でのインタビュー 男子 6 児童との交流 家庭訪問でのインタビュー 男子 7 衛生問題,住宅の狭さ 女子 1 児童との交流,低就学率 女子 2 児童との交流,低就学率,家庭訪問でのインタ ビュー 女子 3 低就学率,子供の学習意欲の旺盛さ この地域における感想として,半数以上の学生が児 童の交流や低就学率を題材として取り上げた。児童と の交流については,児童たちが貧困であるとは思わせ ないほど元気で明るいこと,積極的に児童と交流でき てとても嬉しかったこと,子供たちからパワーをも らった等の感想があった。低就学率については,その 数字に驚かされたことと政策の必要性や NGO の役割 を感想として書き綴っていた。 一方,マニラ市貧困地域については,表 3 で整理し た。家庭訪問でのインタビューについての感想を述べ る学生が 6 名と一番多く,次に多いのは青年会へのイ ンタビューであった。前者については,家庭の経済的 理由から児童労働を強いられた若者が事故にあったこ とについての感想を,後者については,青少年非行の 実態とその改善策についての感想を,それぞれ述べて いた。参加学生が感想をもつことは I 節の経済学系教 育基準検討委員会(2004)が挙げた「学生が習得すべ き素養・能力」([a]〜[e])を育むきっかけになるも のである。 表 3 マニラ市内貧困地域での感想 学 生 内 容 男子 1 近隣地区との生活環境の差,住民の暮らし 男子 2 家庭訪問でのインタビュー,青年会へのインタ ビュー 男子 3 家庭訪問でのインタビュー 男子 4 生活環境 男子 5 青年会へのインタビュー,青年会との交流 男子 6 生活環境 男子 7 家庭訪問でのインタビュー 女子 1 青年会との交流,家庭訪問でのインタビュー 女子 2 家庭訪問でのインタビュー,青年会へのインタ ビュー,貧困の連鎖 女子 3 家庭訪問でのインタビュー,青年会へのインタ ビュー
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