鳥取県・ 兵庫県北部 の綱引行事 について
A Study Of a Tug Of war in TOTTORI and the
Northern Part Of HYOGO Prefectures
体育教室 油 は じおウに 綱引は
,明
治期か ら今 日まで多 くの運動会で実施 されているばか りでな く,全
国的規模 の団体が 組織 され,正
式ルール を定 めて競技会 を開催 した りしている。 学校体育では,明
治期の戸外遊戯の教師用手引書 として出版 された「戸外遊戯法 一名戸外運動 法」 に21種目中第12番目の種 目として とり上 げ られ,そ
の緒言に「本書ハ現今欧米諸邦二行ハルル 戸外遊戯法の諸書二就 キテ其緊要 ノ部分 ヲ抄訳 シ傍 ラ平素余輩ガ教授セル各種 ノ方法中特二本邦ノ 習俗二適スルモノヲ克集 シテ編成 セルモノ」 と記 されているさユ 近代オ リンピックでは,190o年
のパ リーの第2回
大会で余興種 目として され,第
4回
ロン ドン, 第5回ス トックホルム,第
7回
アン トワープの大会で実施 された。 昭和3年
の全 日本陸上競技連盟制定の規則集 には,第
8章
雑種競技 第52条 綱引 として競技 規則が記 されている。 綱引行事 については,民
族学や民俗学で内外の 多 くの事例が報告 されている。例 えば,ハ
ンス・ ダムは東南アジア,オ
セアニァにおける分布 と農 耕儀礼 との関係 について考察 しているが,わ
が国 において も小野重朗が南九州地区の八月十五夜綱 引について詳細 に調査 し,八
月十五夜綱引が小正 月綱引 よ り古い形であ り稲作儀礼 というより八月 の節の儀礼 としての性格が強いと推論 していると 山口麻太郎 は,綱
引を時季,場
所,信
仰,綱
の形 式及び引 き方の四要素に分解 し比較検討 している。 松平斉光 は,村
落の二元性,地
域社会の双分化か ら綱引を論 じている。*l Athletics and FoOtball MOntague Shearman 1887に
は英国の最 も古いスポーッの 1つでFrench and Englishの 名 の もと学校対抗 で一般 に行 なわれ ていたが,その起 源 を発見す ることがで きなか った と ある。(写真 1) 博
不
ll 野油野利博:鳥取 県・ 兵庫県北部 の綱引行事 について 鳥取県及 び兵庫県北部 において
,現
在 もい くつかの綱引行事がみ られ る他,綱
引 はなされない も のの綱 を引 く地 区 とほぼ類似の藁で作 った蛇体 を引 き廻す行事 もあ り,過
去 になされた とい う記述 文書について も検討 し,実
施形態,実
施時期,実
施 の意味 などについて報告 したい。〔
1〕五月節供の綱引
(端午の節供
) 菖蒲・蓬・茅 を束 にして各戸の屋根 に上 げられているのを今で も見 ることがで きる。(写真 2) 五 月 は皐月つ ま り田植 え月であ って田植 え とい う祭 りのために清 く慎 しみ深 くす ご すべ き時 で あった。 その月の初 めにあた り 早 乙女 として田植 えの折 の主役 をはたす女 性 が,菖
蒲,蓬 ,茅
で葺 いた屋根 の下 に物 忌 み慎 しみの生活 をす る。 す なわ ち,香
り の高 さ,茅
の剣が魔力,厄
災 をは らい清 め の霊魂 の鎮 もりをもた らす とす るのである。 二 月節供 は女 の子が管理 す る傾 向 を強 くす るにつれ て,五
月節供 は男 の子 に傾 斜 して い つた と考 え られ,ま
た早 くか ら中国渡来 の節の祭 りが子供の厄払いに転換 したのだ写真2 と考えられている。殊 に菖蒲 は尚武 に通 う とし武家の中では勢んになった と考 えられ る。 〔1〕 ―
(1)鳥
取県気高郡気高町宝木 (写真3) 宝木の綱引は,古
町 と新町 とで綱 を引 き,宝
永年間 に亀井武蔵守が石見国津和野 に移封 されたあ と鹿野城下か ら移 って きた人たちが新町 を作 ってか らの行事 であるとされている。旧暦 5月 5日 (現 在 この日に近い 日曜 日)の前 日に村中の家 は「菖蒲屋根 をひ く」といって,屋
根へ菖蒲1本
,蓬
(根 のついた もの)1本
,茅
4, 5本
を束 にした ものを上 げてお く。 5日 の早朝 に14歳の後見人,13歳
の頭,12歳
の小頭 と呼ばれる組織の役員が (以前 は前 日か ら後見人の最年長宅 に泊込 んでいた り村 はずれに仮小屋 を立てて忌み こもった とい う 伝承 もあ り,こ
の行事の本来的な意味が うか がえる)中
心にな り屋根の上の菖蒲 な どの束 を集め綱作 りの準備 をす る。綱 は大人の手で や ぐらを組 み小縄 を16本1束にし, 3束
をよ り合わせ30m程
の綱 にされ る。(今は機械縄 を 用い細 い)集
め られた菖蒲等の東 はこの綱の 先端に とりつけ頭綱 とする。綱 には一尋毎 に 1.5m程の小綱がつけられ持ち手 となる。綱が 出来上が ると,古
町は,応
神天皇他二柱 を祀 る母木神社 に,新
町は相撲取 りであった両国 梶之助の墓に参詣する。孝
写真3鳥取大学教育学部研究報告 人文 。社会科学 第 35巻 参拝が終 わ ると
,古
町,新
町それぞれの区内の各家 を訪れ る (以前 は,初節供,新 婚,新
築の家な どであった)が,小
旗 を持 ち,小
綱 を手 に して,綱
の頭 を庭 まで持ち込み「エィ トー,エ
イ トー」 とはや しなが ら綱 を蛇のようにうね らせて,地
面 に叩 きつけるのである。各家庭か らは祝儀が出 さ れ,こ
れが この日の経費 となる。 綱引行事 は昼 す ぎ古町・ 新町の境界あた りの路上 で行なわれ,両
町の綱の尻 っぽの方 を結 びつけ る。勝負は場所交誉 しなが ら3回
行 なわれ るが,以
前 は青年 と子供,又
は青年同志が引 き合 った と 伝 えられている。頭綱 は海 に流 し,胴
は海岸での相撲 の上俵にされることもあった。 〔1)―
(2)鳥
取県東伯郡三朝町三朝 (写真4)
旧暦 4月 8日の濯仏念の日の花湯祭に実施 され ていたが,昭
和23年以後 日時が一定 しない と温泉 の浴客誘致の宣伝 に不便なことか ら, 5月
8日 の 夜 とした。 綱 になる葛 は一ヶ月程前か ら集められ,1週
間程 河水 につけ,綱
にする。薬師小路 を境界 に西側 を 下 とし雌,東
側 を上 とし雄 を作 る。西側 を半畑 , 東側 を村通 りと呼ぶが,綱
作 りは「綱が らみ」 と いい綱引前 日の年前から年後 にかけて長 さ150m, 胴 回 り1.5mも あ り,先
端 を「壺口」とぃゎれ る輪 にす る。夕刻にな り綱引場所 に「綱出 し」 とぃゎ れる綱 を中心 に引 き寄せることがなされ10時 30分 か ら本番 となる。最初 に綱引が無事行なわれるよ う神官の御祓があ り,雌
雄 の綱 は相当な時間 をか けて揉み合 い絡 み合いがなされ,雌
綱のよ り大 き い輪の中に雄綱の小 さい輪 を通 し,通
した雄綱 の 中に貫棒 を差 し固定 し結合 させる。この貫棒 を「梓 木」とよび,長 さ1.15mの樫 の本でで きてぃる。(写 真 5) 雌雄 を結合 させ ることは綱引その もの と同様 に重要な事で, 男女の象徴的結合 を意味 し,豊
年が将来 され るとい う観念 をあ らわす ものである。 勝負の分岐点 である中湯前に緑門を作 り大提灯 を掲 げ,雌
雄 の綱が結合 された ときこの灯が点滅 され これを合図に浴客・観 光客数千人が引 き合いに入 る。区か ら総指揮者一人,役
員 が東 西か ら十人 ずつ出て整理 にあたる。 勝負は五分程度で終 ることもあるが,ま
れに三十分 にも及ぶ ことがある。 現在の綱引 は「花湯祭 り」の行事 として実施 されているが, 平井重義の調査 で は,古
老談話 などか ら旧暦5月 5日に行われ た行事であ り,綱
の材料 も菖蒲,蓬
,茅
と藁で直径4,5寸,長
さ が ャ4 !i iザ
み
:韓
Ⅲ
導ヽヽ
塚∵ti( 写真4 写真5
油野利博 :鳥 取県・ 兵庫県北部の綱引行事 について 3∼
5間
の一本綱 で,村中を ドス ン,ドスンと打 った り引いた リー晩中の行事 として勝負を行 ない, 朝になってみ ると厩の ようであった という。現在の葛 を使 った綱 と実施形態 に違 いはあるが,村
中 を打った り引いた りす るこの綱引 は本来の意味 を伝 える重要 な事項である。 それでは,何
時頃か ら藤蔓 を使 った綱 になったか特定で きないが,先
の平井の調査や二朝町誌(昭 和40年1月)に
よれば,明
治6年
頃,当
時倉吉で行われていた蔓で引 き合 うジンショか ら藤井周三 郎が ヒン トを得て山か ら藤蔓 を持 ち帰 り綱 を作 った とされ る。又,明
治22年頃,藤
蔓が不足 した も のか強 さを増すため,モ
ガレ竹 を綱の中に入れ太 くし補強 した ことが記 されている。 三朝や今 は廃絶 している倉吉の綱引の ことを「 じん しょ」「 じん しょう」「ジンショ」「陣所」「ネ申 緒」「ネ申所」 と呼 ばれた り記 された りするが,語
源 は明 らかでな くい くつかの説がある。 (イ)倉
吉市史 (昭和48年11月)に
よれば「 この行事 は旧幕時代 に盛んであったが,そ
の中心場 所が堺町の荒尾家陣所前 (陣屋)で
あつた ところか らこの名 になった」 と記 されている。 (口)大
因伯36巻
2月 号 『困伯 の古寺巡 り「三徳寺詣 (―)」』三朝の「 ジンショ」 と二徳寺 に は,「ジンショ」は神所で神仏混合時代 に神 にささげるもので,奈
良などで もいわれ,行
われる行事 に対 してい うので東伯郡の東部,こ
とに三徳信仰 と結 びつ けられ る。東大寺では二月堂境 内の守護 神の社 を練行衆が参拝 して回るの を神所 といい,三
朝の山の神,鎮
守神 に対 して仏徒の礼拝 を神所 とよんだのではないか……。 (ハ)大
阪毎 日新聞紙上 昭和11年5月30日に神緒 とある。 〔1〕 ―(3)兵
庫県美方郡浜坂町久谷 (写真6) ひ と月後 れの 6月 5日 に端年の節供行事 として「菖蒲綱引 き」が行われる。 6月 4日の夕刻,各
戸が菖蒲,蓬,茅
を3, 4本束 にして屋根 に上 げるが,5日
の年後小, 中学生 と若者が竹サオを使 って集め,藁
と屋 根 に上 げた菖蒲,茅
の他 に不足分 を刈 ってお き材料 とす る。 長 さ20m,太
さ15cm程の綱 を6本
作 り,石場 つ き歌のハヤシに合わせ「エイ トー,エ
イ ト ーJの
掛声 と共 に地面 に打 ちつけなが らより 合わせ, 3本
の綱 を若者が跳び交 いなが ら二 ツ組 に編 み,出来 た2本
を継 ぎ合せ直径30cm, 長さ40m程
の綱 にしこれに直径5 cm程のロープ を添 えて補強 し綱作 りを終 る。子供たちはも っぱら材料 を運 び手渡 しの役 目であるが,大
人 と子供 の絶好 なふれ合いの場である。 綱引 は夜8時
頃 より村内の路上で子供 と若者 に分れて引合 うが,子
供組 に母親,祖
父母が若者組 に壮年が加 わ り,祝
唄 を7つ唄いなが ら地面 を綱で打 ち叩 きなが ら最後 の7つ目の終 りを合図 に引 き合いに入 る。 7回勝負が行 なわれ最後の7回目は若者が勝つ ことで この年の豊作が約束 される とい う。 写真6鳥取大学教育学部研究報告 人文 。社会科学 第 35巻 〔1〕 ―
(4)兵
庫県美方郡温泉町湯 (写真7, 8)
6月 6日の夕刻「湯村温泉まつ り」の折,お
んせん橋の東詰め,湯
村温泉会館の本通 りで「菖蒲 綱引き」が行われる。 温泉 まつ りは湯村温泉の開祖 とよばれ る瑾覚大師を しのんで稚児行列 もみ られる。 昭和54年に30年ぶ りに復活 した もので,綱
は手縄 を 200本1束に し3東
をよ り合わせ中に菖蒲,逢 ,茅
を入 れ込み長 さ80m程
に して春木川か ら東西にし,上・下に 分 ける。 上・ 下の綱 は4時
す ぎの綱引 きが行 なわれ るまで蛇 が とぐろを巻いた ように懺 と共に置かれ るが,綱
には l m50cm程 の手縄がつけられ運び出す時や引き合 う際の 持手 となる。綱の先端 を株 といい上 。下の綱 を男結び に結び合わせ ることを「株締 めJと
い う。 勝負は1回で14名の委員 と3名の責任者の立会いで 指揮 され,地元の者 はそれぞれの出身地側で綱 を引 く。 〔1)―
(5)兵
庫県美方郡村岡町和 田 (写真9,lo)
旧暦 5月 5日 の行 事であったが現在6 月 5日 夕刻 よ り「 し ようぶ綱引 き」 とし て実施 されている。 前 日の 4日 に屋根 にあげた菖蒲,蓬
, 茅 と藁 とケャキの枝 を 5日 の昼すぎよ り 持ちより,お
宮の境 内で青年,壮
年,高
齢者,子
供たちによ り綱作 りがなされ る。綱 はケヤキの枝 を縄で束ね芯にして,そ
の まわ りに藁, 菖蒲,蓬,茅
を混ぜlo本の綱 を作 り,「よいさ,よ
ぃさ」の掛声でよ りをかける。綱 の頭 は,芯
のケ ヤキの枝 を曲げて蛇頭 を作 り,直径30cm,長 さ80m程
の ものを作 った こともあるとい うが今 は小型化 されている。綱か ら細 い引綱 を出 してお く。 お宮の境内で作 られた綱 は道路 まで引ずって出されるが,和
田地 区が下で隣村の入江地区が上 に 分かれ対立 し,以
前 は地区総 出で夜中まで競われた こともあった とぃぅが,今
は大人 が2, 3回
引 き合 った後子 ども同士が引 くことになる。 この地 には,綱
引の発生 を考 えさせ る伝説があ り,池
の大蛇 を藁人形 にモグサ (蓬か ら作 る)を
詰めた もの を飲 ませて退治 したが,そ
の後地 区に不幸が続 き,た
た りと考 え碑 を立 て毎年大蛇 をな 写真7 写真8油野利博 :鳥 取県 。兵庫 県北部の綱引行事 について ぞ らえた「ショウブ綱」を作 った とい う。又
,あ
る年,綱
を作 ることを止 めた ら火事が出,ま
す ま す綱作 りを止める訳 にはいかな くなった とい う。 五月節供 の行事 としての綱引を現在実施t していないが過去 に実施 された という地 区 とその特徴 を文献等によってみると次のよ うである。 (1〕 一a鳥
取県倉吉市倉吉 倉吉町誌 先に三朝の項でふれたが,菖
蒲綱,菖
蒲 引 きとも称 され,割
竹や藤蔓 を組 み合せ る 中に菖蒲 をより込み,大
掛矢で締 め込み, 壷口の径二尺二三寸長 さ百四五十間,周
り 六尺五六寸位の巨大 さで,綱
の随所 に引綱 と称す る三二尺位 な蔓の支粁が出,隆
盛時 代 には,各
商店の荷造 り綱 を利用 した こと もあ り,壺口に清 めの大綱一尾 を締 め込み, 神酒 を供 え,神
主の祓の式 を挙 げた ことも あるという。壷口の雌雄の結合 は栓木で結 びつけ,勝
負が長 び くにつれて声が衰 える と屋上か ら水 をまき力付 けた とい う。 〔1〕 一b
鳥取県鳥取市未恒 (旧気高 郡末恒)因
伯民談 〔1)一C
鳥取県気高郡気高町瑞穂 因 伯民談 第3巻 7号
昭和12年7月 裸で海に持っていき海水につけてか ら上 ジョー と下ジョー とに分れて引き合 う。 こ の綱を海につけるまで海水浴はできないと いわれ,綱
引後,綱
は松の木に吊るしてブ 写真10 ランコにした とい う。 綱 は村 をまわって藁1把又 はお金 を2銭
か3銭
集 めて来 る。それで若 い者が脊節旬の菖蒲や茅 を 所々にはさんでなって くれる。 〔1〕 一d
鳥取県気高郡気高町姫路 古老談話 よ り 〔1)一
e
鳥取県気高郡気高町中郷 因伯民談 第 4巻6号
(1〕 一f
鳥取県八頭郡用瀬町用瀬 郷土研究紀要 第1輯
昭和14年3月 町内各家から藁 1把 集め, 1月
もかかって若い連中がなう。そして直径 1尺,長
さ2町
の縄を作 り節旬の当日町を2分
して大善寺 より上 を上組、下 を下組 とし,午
後か らはじめて,勝
負がつかず 夜に入ると酒を飲んだ連中が出てケンカするなど大変な騒 ぎとなる。勝 った組の方が繁昌するとい つ 。 明治30年頃ケンカが原因で中止,禁
止された。 (1〕 一g
鳥取県八頭郡河原町河原・袋河原 因伯民談 第3巻 7号
,郷
土研究 民風調査 (風 写真9鳥取大学教育学部研究報告 人文・社会科学 第 35巻 習史
)河
原尋常高等小学校 昭和8年
10月 河原 と袋河原で ショー ビキ縄 を引 く,こ
れ は一軒 か ら一把ずつの真 を出 して節旬の晩 になって袋 河原が河原 に挑戦 する。河原の と袋河原の と綱 をつなぎ合せて河原の村中から引っぱった。大てい 袋河原が勝 って綱 をとって戻 った。〔
1〕一
h
鳥取県八頭郡佐治村
囚伯民談
第 5巻 1号
「 しょうぶ綱」という。
4日の晩
,蓬 ,菖
蒲を屋根にさす。五日村の子供が集めて綱とする。
〔ユ〕一
i
因伯の奇習
因伯人情 と風俗
因伯史談会
大正
15年11月五月節旬の菖蒲縄
5月
5日の夜に菖蒲綱 というものを引く
,俗
にこれを「あんかけ」とぃう。
〔
1〕一
j
鳥取県岩美郡岩美町田河内
東浜史誌
昭和
34年7月菖蒲を集めて引綱を作 り綱引きをした。又
,新
嫁を座 らせ,そ のまわりを菖蒲綱でぐるぐる巻い
た りした とい ぅ。 〔1〕 ―k
鳥取県岩美郡岩美呼小羽尾 東浜史誌 節句の日の年後屋根に上げた茅を竹の狭みで子供達が集めてお宮で大 ぐち綱を作 り綱引をする。 初節旬の家をヤッサィ,ヤ
ッサィの掛声でこの縄をかついで廻 り祝儀をもらう。最後は「宮さん勝 つた。ヨナゴさん負けた」といって半分に絶ちお宮の木にかけ終る。宮さん:八幡宮,ヨ
ナゴさん: 伊与長大明神を祀ったイヨナゴが訛ったもので,大
羽尾 と小羽尾の中間にヨナゴさんという島があ り,こ
の島が両部落の境界 となっている。 〔ユ〕-1
鳥取県岩美郡岩美町大羽尾 東浜史誌 〔1〕 ―m
鳥取県岩美郡岩美町陸上 東浜史誌 〔ユ〕―n
兵庫県養父郡八鹿町八木字下八木 但馬の民俗 年中行事 (二)昭
和48年 3月後
尋
遭
忌
ビ
昴
gま乞
を
[χ
二
焔
華
響
を
有
:ぇ
Fず
節
句
は
じ
め
の
男
児
の
家
に
飾
り
つ
け
て
祝
儀
を
も
ら
い
〔1)一
〇 兵庫県養父郡村岡町日影 但馬の民俗 〔1)一
p
兵庫県養父郡村岡町福岡 但馬の民俗 村行事 として区長の指図で新婚家庭を祝ってまわ り,後
で綱引きをした。いずれ も70年近 く昔の ことである。 「但馬の民俗」には端年の節供行事 として「尻はり」が紹介されている。これは子供の行事 とし て五 日の早朝屋根から取 りおろしたショーブで「尻はり」を作 り夜になるのを待って2組
に分れた 子供達が,互
に尻 を叩き合って「尻ぶち」といった。八鹿町八木に現存する他,八
鹿町米里,天
子 , 八鹿,養
父町広谷,養
父市場,堀
畑などで行われ大正の終 り頃に絶えたという。〔
H〕八朔の綱引
八朔 とは旧暦八月朔 日の ことで,八
朔節供,タ
ノ ミの節供,馬
節供な どともい うが,稲
作 に関す る行事が行われる。 〔H〕 ―(1)鳥
取県西伯郡淀江町福岡 (上淀)(写
真11,12) 旧暦八月一 日の行事 であったが,近
年 9月 1日 か ら人手不足のため九月の第 1日 曜 日に地区の天 神垣神社境内で各戸 か ら集め られた藁で直径30cm、 長 さ60m(以
前は100m∼
150mも あった と伝 えら れる)の
綱 が編 み上 げられ,頭
部 は老練 な技術 を要 し高齢者 によって作 られる。綱 は「 クチナフ」油野利博 :鳥 取県・ 兵庫県北部の綱引行事 について と呼ばれるが
,以
前 は天神垣神社 に合〒Eされた村 の南方山下 にあった大宮神社で行われた とい う。 出来上 った「クチナ ワ」 は境内の荒神 さんの まわ りを「石垣 に当んなよ―」 といって3周す る。 回 り終 ると頭部 は胴部 と切 り離 され神社 に奉納 され るが,胴
部 は村 に持ち出され路上 で,上
と下 に 分れ「 これか ら勝負」の声で綱引がなされ る。上手 は青年,下 手 は村人 とその客の対立 とした ことも あ り,勝
負は3回
行われ,上
手が勝 てば豊作,下
手 な ら凶作 とされた こともあるとい う。 綱引の後 の綱 を使 うと不幸 を招 くとして地蔵 さんの脇 の穴地 に捨て られる。 荒神の信仰については,日
本民俗事典 (大塚民俗学会編)に
よる と①屋内の火所に祀 られ,火
の神・ 火伏せの神 としての性格 をもつ 三宝荒神の信仰 ②屋外に祀 られ,屋
敷神,同
族神,部
落神 といつ た内容 をもつ地荒神の信仰 ③牛馬の守護神 としての荒神の信仰の 3つ に大別できるとし,部
落単位で祀る荒神はウブスナ荒神 とかヘ ソノオ荒神 と呼ばれ,作
神ひいては生活全般の守護神 と考えられ, 山麓に祀 られる形が多い。鳥取,島
根,岡
山県などでは牛馬の守護 神 としての荒神信仰が盛んであるが,そ
の信仰的中心は伯者大山で あった と考えられる。 〔H〕 一a
鳥取県西伯郡淀江町今津 成人大学講座 淀江町の 年中行事調査ノー トより 農家 より藁を集めて縄をない上 と下に分かれて綱引をした。 〔H〕 一b
淀江汗入史綱 成人大学講座 より この日の行事 として綱曳が村の勇者十人三組に分れ,長
さ数十間 の太綱 を曳合って行なわれた。(この綱曳は西 日本共通の行事であっ たが)そ
の勇壮 さにおいて稀 といわれた。 しか し明治期に入って早 く廃れた。〔
Ⅲ〕申 し上げ祭・幣祭
,荒
神祭
の藁蛇
荒神・ 水神 を祀 り1年
間の収穫 を報告 し感謝 する祭礼である。 〔Ⅲ〕―(1)鳥
取県西伯郡淀江町五軒屋 (写真13) 稲作収穫後の12月上旬頃,先
に述べた淀江町 福岡の八朔節供 と同様 な「クチワナ」 さん とよ ばれる雌の蛇体 を日吉神社境内にある荒神 さん に奉納 する。その年の新東で腹部 を丸めて大 き く妊娠の状態 をまねた長 さ8m,太
さ40cmも ある藁蛇 は,日 吉神社の神官の作 る幣 を頭 に飾 る。幣 は 各家に小 幣を2本
づつ持 ち帰 り水神 さんにまつる。大幣 は部落 の湧水場所 などに立 て水 による災が ないように祈 る。 写真12 写真H
鳥取大学教育学部研究報告 人文・ 社会科学 第 35巻
87
奉納 された「 クチ ヮナ」 は神社裏 の荒神木 (カエ デの木)に
まきつ ける。次 に記 す浜地 区の「 ク チ フナ」(雄)が す で に巻 きつ けてあ るので,そ
の下方 に五軒 屋 に向かせ て まきつ けることになって い る。〔
Ⅲ〕―
(2)鳥
取県西伯郡淀江町浜
、
( 先の五軒屋地 区に先 ん じて行われ「 クチナワ」の頭 と男性のシ ンボルは大 き く作 られる。五軒屋地区 と同日であって も先行 され 木 に巻 きつけて地 区の方向に向かせ る。 〔Ⅲ〕―(3)鳥
取県西伯郡西伯町大字法勝寺 法勝寺宿 は部落が八組 に分かれ組 ごとに11月下旬,各
農家か ら 1人ずつ出て,組長宅か又 は適当な広場 に新真を持ち寄 り十数mの
藁蛇 を作 る。28日に神官 を先頭 に して組の男たちが この藁蛇 を担 ぎその後 に多 くの氏子が随 う。長田神社 に到着するとそこで厄払 いが行 なわれ,終
ると藁蛇 を境 内の大 きな松の根元に巻 きつけ神 官が祝詞 を奉 した後 で直会 をす る。 〔Ⅲ〕―(4)鳥
取県西伯郡西伯町大字八金 12月10日に各戸か ら新東を2,3把
ずつ持ち寄 り十m余
りの蛇体 を作 り,神
官 を先頭 に して役の者が輪 に した蛇体 を背負い熊野神 社の荒神祠 に向い祠の後の松 の木 に頭 を空に向けて巻 きつける。 他 に西伯町では,落
合神社,馬
佐良,笹
畑,小
原 に類似の行事写真13 があることが報告 されている。 〔H〕 ―
(5)鳥
取県西伯郡淀江町中西尾 (写真14) 旧閏年の旧暦2月 2日 を縁 日としたが現在2 月中に行なわれ昭和59年は 2月12日に実施 され た。 各戸か ら持 ち寄 った200束の真で長 さ15m,胴
回 り25側 ,雄のシンボル をつけ,頭部 はlmも
あ る蛇体が作 られ る。東蛇 は若者が担 ぎ1軒
毎 に 家内安全,五
穀豊 じょう,牛
の家畜小屋で豊産 を祈 り,最
後 に氏神 の宇田川神社の社裏 にある 荒神木 に巻 きつかせ奉納 する。 〔Ⅲ〕―(6)鳥
取県西伯郡淀江町富繁 (写 真15) この地区 も前記中西尾地区と同様, 4年
に1 度旧の間年の旧暦 2月 1日 に行われていたが,近
年 は旧暦 2月 1日 に近 い日曜 日に実施 され昭和59 年 は新暦 の閏年であったが 3月 4日 に行われた。地区の17戸か ら持 ち寄 った藁で長 さ12m,胴
回 り1m程
の蛇体 が作 られ,地区内の17戸を回るが,女性 を見 ると,藁 蛇の男根 をぶ りかざ して追 う事 を例 とし,女
性 は家の奥 にか くれ るのであるが,複
数の女性 に対 しては蛇体 を女性 に向けて引 き合 うこ とがあるという。ね り歩いた後,以
前 は八幡社のコガの木 に巻 きつけていたが枯れたため,地
内に ある公民館前のアオキに巻 きつける。 写真14油野利博 :鳥 取県・ 兵庫県北部 の綱引行事 について 〔Ⅲ〕―
(7)鳥
取県西伯郡大山町赤松 (写真16) 旧F・l年の豊作祈願 として旧暦2月 2日 に行われてきたが, 日に実施 される。 67戸から藁25束ずつ区長宅 に持 ち寄 り100人余 りが4時
間が か りで作 る東蛇 は,長
さ30m,胴
回 り9m,重
さ1ト ン,首
の あた りに13個のコブを作 り頭部 に地 区内の特別 な幣串をたて る。 1653年承応2年
に赤松地 区が大飢饉 に見舞れ多 くの死者が 出た時 (この年 は全国的な凶作であった)神
子が現れ氏神の 日吉山工宮 に藁で作 った大蛇 を奉納すれば救われると告げた 伝説によるが,地
区に来た婿 さんが藁蛇の男性 のシンボルを 担 ぎ子孫繁栄 を願 い 日吉山王宮 目指 して練 り歩 く。後尾 を持 つ者に進行方向 と反対 に引いた り,藁
蛇 に乗 った りして前に 進むのを阻止す る動作がみ られるのである。 近年人手不足のため 2月 末 日頃の 日曜 ま とめ 綱引の実施時期,綱
引 き回 しと綱引 き,綱
引 きの形式,綱
の形状,綱
引の意味 について分類 す ると次のように考 えられ る。(1)時
期 による区分 ① 端年の節供の行事 旧暦五月五 日の「菖蒲綱引き」など ② 八朔の節供の行事 旧暦八月朔日の「クチナワ」 さん③
申し上げ祭・幣祭・荒神祭の行事
米収穫後の
11月下旬から旧暦
2月にかけての綱引
き回 し 鬱)綱
引 き回 し と綱 引 き①
綱引き回し
(担き上げ
)の
み
蛇体 を担 ぎ上 げた り,引
きづ った り,地
に叩 きつ け るな どして各戸 を回 る・もの ② 綱引 き回 し (担き上 げ)と
綱引 き 綱 を引 き回す ことにも意味がみ られ るがその後の 綱 を引 き合 うことが重視 され るもの③ 綱引きのみ
写真
16綱を引き合うことと勝敗が重視されるもの
は)綱
引 きの形式 による区分 ①l本
綱の もの 最初 か ら1本
で引 き合 つた り,引
きづつた りす る時 に双方 に分かれるもの 〓 等 写真15 ぉ` ふ手 写真16
鳥取大学教育学部研 究報告 人文 。社会科学 第 35巻 ②
2本
の綱 を結合させるもの 綱が2本
作 られ,結
合 させる部分又は結合 させることが大 きな意味を持つもの は)綱
の形式 ① 蛇体 と頭 綱の一方の端が蛇体の頭であ り,そ
の頭に意味のあるもの ② 蛇体 と性的シンボル 傷)綱
の材料 ① 菖蒲・蓬・茅を使 うもの ② 藁だけで作 られるもの(6)綱
引 き回し・綱引の意味 ① 除災祈願 綱 を引 き回す こと,引
きづ ることな どでその地の厄払い,病
気除 けの意味が とれるもの 招福祈願・豊作祈願・ 豊作感謝 年 占・ 作 占 綱引の勝敗で豊凶を占うもの 遊戯 綱 を引 くことにそれ程 の意味がな く綱 を引 くこと自体が目的化 され,勝
敗 を競 う競技 と なる 観光行事 競技化 された ものが見せ る,参
力日させ るという行事 になった もの ② ③ ④ ⑤ 以上 の事柄 を表示すると 〆/,厄
払い 。病気除 け´ガ 年占 綱 を引いて回る綱引 →
(結
合)
→ 綱引ゝ
ヽ祝福・招福
豊作祈願
↓←遊戯化
豊作感謝子孫繁栄
競技 牛馬 の豊産
`
4観
光行事 鳥取地方の端年の節供の綱引について尚
軍
″
菖
蒲
ヽ
橡
負
音
奈
蒼
:こ
こ
?写
蚕
g宴
星
聾
蕎
ぞ
誓
憲
豊
髯
嫁
埋
冒
晉
ご
笞
亀
葎
享
ξ
審
雪
ご
壕
つた。武家 に対する庶民 は,武
家の行事 をまね る もののそのエネルギー を 祭 とい う形で現わ し,そ
の祭の中には皐月行事本来の菖蒲 を取 り入れた勝 負を競 う綱引行事 とした と考 えられ る。 あ とが き 本稿 を終 えるにあたって,こ
の紙面 を借 りて,綱
引行事取材 に協力 いただいた浜坂町,米
村寛義 氏,岡
坂峰雄氏,大
田光夫氏,尾
崎毅君,淀
江町,角
昌之氏,大
山町,鷲
見寛正氏 に深謝 いた しま す。9o
油野利博 :鳥 取県・ 兵庫 県北部 の綱引行事 について参 考 文献
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谷垣佳蔵 但馬の民俗 年中行事 〔二〕但馬文化協会 昭和48年3月 石川幸生編著 図説綱 引 き競技 ハン ドブ ック黎明書房 昭和59年 鈴木敏夫 徳川幕府諸法令 に見 られ る庶民の遊戯統制 について 北海道大学「教育学部紀要」第35号 1980. 3 今村嘉雄 祭事 スポー ツに関す る基礎的研究 専修大学体育学研究 1973 岸野雄三 日本 のスポーツ と日本人のスポーツ観 体育 の科学 V01.18 Nol 1968 東浜史誌 東浜史誌刊行委員会 昭和34年7月 J・ ホイジンガ 高橋 英夫訳 ホモ・ ルーデ ンス 中央公論社 昭和46年MONTAGUE SHEARMAN ATHLETICS and FOOTBALL LONGMANS,GREEN,AND C0 1887
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