『松浦宮物語』の女君 ──「月」を中心として─
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著者
市東 あや
著者別名
SHITO Aya
雑誌名
東洋大学大学院紀要
巻
50
ページ
1-12
発行年
2014-03-15
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00006521/
一.はじめに 『松浦宮物語』の主人公氏忠の恋には、 「月」の表現が深く関係し ているといっても過言ではない。 唐へ渡る前、菊の宴の果てた月の美しい夜に、氏忠は神奈備の皇 女に恋をする。 しかしその想いは皇女の入内によって破れてしまい、 氏忠は「山の端を出でつる月のすむ空のむなしくなりぬ我が恋ふら くは」 (注一) と和歌を詠む。その後、 遣唐使として渡った唐の地で、 弾琴する翁から華陽公主の話を聞き、月の出る夜に商山で公主に琴 を教わる。公主の死後は、幼帝に代わって政務をとる母后に想いを 寄せ、母后の化身である 簫 しょう の女と逢瀬を持つことになる。 物語の中盤に長く戦乱の場面が入ることもあり、氏忠と三人の女 君が対面している場面は多くない。しかし、それら対面の場面の多 く で は、 地 の 文 で 明 確 に「 月 」 が 描 写 さ れ、 「 月 」 が 出 て い る こ と が語られている。また、華陽公主と母后の二人は、華陽公主が「秋 の月のくまなき空に澄みのぼりたる心地」 (巻一 四〇頁) 、母后が 「みどりの空に澄み昇る月の影」 (巻三 一一九頁) と、 その姿を 「月」 にたとえて描写されている。簫の女のみ「月」に関する表現をされ ていないが、簫の女が母后と同一人物であることを考えると、物語 中 で 氏 忠 が 恋 を す る 三 人 の 女 君 す べ て が、 「 月 」 の 表 現 と 何 ら か の 関わりを持っていることになる。 先 行 研 究 で も、 『 松 浦 宮 物 語 』 の 女 君 と「 月 」 と の 関 係 性 は 多 く 指 摘 さ れ て い る。 神 尾 暢 子 氏 は、 『 松 浦 宮 物 語 』 の 女 君 四 人 は そ れ ぞれ「日本的特色を賦与される二名と、中国的特色を賦与される二 名 に 区 分 」 さ れ、 後 者 に 区 分 さ れ る 華 陽 公 主 と 母 后 は、 「 天 上 の 女 性であることと、美貌表現とによって、かぐや姫を想起させる」た め に、 「 月 」 に 比 喩 さ れ る 表 現 を 用 い ら れ た と 論 じ て い る( 注 二 )。 一方、安道百合子氏は、華陽公主と母后の二人は前世の因縁によっ て氏忠と恋をすることを許されていなかったこと、また華陽公主と
『松浦宮物語』の女君
──「月」を中心として──
文学研究科国文学専攻博士後期課程1年
市東
あや
の逢瀬は闇夜、母后との逢瀬は梅里の女(筆者注・簫の女)の姿の 時 に 限 ら れ て い た こ と か ら、 「 月 」 に 比 喩 さ れ る 表 現 を 用 い ら れ て いる時の女君たちは「因縁に逆らわない姿」であり、物語中に描か れる人間界での予期せぬ恋が、満ち欠けする「月」に象徴されてい るとした(注二) 。 このように先行研究では、華陽公主と母后が前世で天人であった こと、また現世で氏忠に関する使命を帯びていることと、物語中で 「 月 」 の 表 現 を さ れ る こ と に つ い て は 何 か し ら の 関 係 性 が あ る と 述 べられている。しかし、両氏が述べているのはあくまで華陽公主と 母后、また簫の女についてのみであり、神奈備の皇女と「月」との 関わりについてはあまり語られていない。神奈備の皇女は、神尾暢 子氏の論でいう「日本的特色を賦与される」女性であるが、その理 由を神尾暢子氏は簫の女と同じく「月に関わる美的規定がない」か らだとしている。しかし、かといって神奈備の皇女が、簫の女のよ う に「 月 」 に 関 わ る 表 現 を さ れ な い の か と い え ば、 そ う で は な い。 華陽公主や母后のような、その美しさを「月」にたとえた「美的規 定」とは言えないにせよ、氏忠は月下の皇女に恋をし、入内によっ て触れることの叶わなくなった皇女を想って、皇女を「月」に例え た和歌を詠んでいるのである。簫の女と違い、神奈備の皇女もまた 「月」の表現と関わっているといえよう。ならば華陽公主や母后に、 前世の因縁と関わる「月」の表現があるように、神奈備の皇女にも また、何かしらの役割を持って「月」の表現がされているのではな いだろうか。 本論では氏忠と女君の恋にまつわる場面を中心として、物語内で 「月」 が登場すること、 また 「月」 にたとえられることの意味合いを、 今一度考察してみようと思う。 二.華陽公主 ‐眺める「月」 ‐ 氏忠が初めて華陽公主を見るのは、八月十四日の夜、月の光の下 でのことである。 前日に出会った翁に言われたように商山に登ると、 翁 の 言 葉 通 り、 そ こ で 華 陽 公 主 が 琴 を 弾 い て い た。 氏 忠 は こ こ で、 華陽公主から琴を伝授されることになる。 夜中にもなりぬらむと見ゆるほどに、 同じごと高き楼の上に、 琴の声聞こゆ。はるかに尋ね登れば、道いと遠し。これは鏡の ご と 光 を 並 べ、 い ら か を 連 ね て 造 れ る も の か ら、 屋 数 少 な く、 かりそめなる屋に人住むべしと見ゆれど、わざと木陰に隠れつ つ、楼を訪ね登れば、言ひしに変らず、えも言はずめでたき玉 の女、ただひとり琴を弾きゐたり。 ( 中 略 ) あ て に な つ か し う、 き よ く ら う た げ な る こ と、 た だ 秋の月のくまなき空に澄みのぼりたる心地ぞする に、いみじき 心まどひをおさへて、念じ返しつつ、かの琴を弾けば、よろづ の物の音ひとつに合ひて、空に響き通へること、げにありしに
多くまさりたり。 (巻一 三九‐四〇頁) 琴 を 弾 く 華 陽 公 主 の 美 し さ は、 「 秋 の 月 の く ま な き 空 に 澄 み の ぼ りたる」と「月」にたとえられている。公主が商山で琴を弾くのは 「 八 月 九 月 の 月 の こ ろ 」 で あ る か ら、 こ の 場 面 も 月 下 で の 出 来 事 と 思 わ れ る が、 「 月 」 と い う 表 現 が 出 て く る の は、 公 主 を 比 喩 し た も ののみである。華陽公主の美しさが、本物の「月」よりも氏忠を惹 きつけているらしいことに、ここで注目しておきたい。 二人はそのまま合奏し、氏忠は華陽公主に数々の曲を伝授される が、 や が て 公 主 は 琴 を 押 し や っ て 帰 ろ う と す る。 そ れ は、 「 月 の 明 け行」く頃のことであった。氏忠が商山に登ってから、ここで初め て景物としての「月」が登場する。 これも 月の明け行けば 、琴をおしやりて、帰らんとしたまふ 時に、悲しきことものに似ず、おぼえぬ涙こぼれ落ちて、言ひ 知らぬ心地するに、 公主もいたう物をおぼし乱れたるさまにて、 月の顔をつくづくとながめたまへる かたはらめ、似るものなく 見ゆ。 (巻一 四一頁) 氏忠と華陽公主は互いに想いを交わすが、公主は「月の顔をつく づ く と な が め 」、 氏 忠 と 和 歌 の 贈 答 を す る と、 九 月 十 三 日 か ら 残 り の伝授を行うと言い残して去ってしまう。九月十三日から五夜にわ たって、氏忠は再び琴を教わるが、ここでも華陽公主は「月も入り なむとする」時になると、和歌の贈答だけをして氏忠を帰してしま うため、二人が逢瀬を持つことはない。 琴の伝授が終了した最終夜、つまり九月十七日に、華陽公主は涙 に暮れる氏忠と再会を約す。この時も公主は「月の影をつくづくと ながめ」 、和歌を贈答しながら、自身も涙を零している。 暮 れ に は 契 り た が へ ず、 こ の 音 を 習 ひ 明 か し て、 別 る る 空、 琴に心を尽くしても、あまた夜を過ぎぬれど、なほ限りの度の 思ひはせきやらんかたなきに、琴の音も伝へはてぬれば、うち はへ涙にくれたる気色を、限りなくあはれと見たまふ。 暁近き 月の影をつくづくとながめたまふ ままに、涙のこぼるれば、 (巻一 四五頁) 華陽公主の氏忠への秘琴伝授は八月と九月の二回に分けて行われ ているが、共通点として、いずれも月夜に商山の楼で行うこと、月 の沈む時刻に別れること、公主が氏忠と和歌の贈答をしたり、氏忠 へ想いを寄せていることが物語中に描かれるのは「月の明け行」く 時や「月も入りなむとする」後に限られること、再会を約束する際 の華陽公主が「月」を「つくづくとながめ」ていることなどを挙げ
ることが出来る。華陽公主は氏忠へ想いを寄せながらも、氏忠へそ の 想 い を 表 す の は、 決 ま っ て 月 の 入 り 方、 「 月 」 を「 つ く づ く と な がめ」ながらと決まっているようだ。 十月三日、 約束した通り 「月の入りなむとせん時」 (巻一 四七頁) に、氏忠と華陽公主は禁中で再会する。ここでの華陽公主は既に自 らの死期を悟っており、これが二人の最後の対面となる。 げに 月の入るほどいたうも待たれず 、出でおはしたるさまか たち、なかなか かの月影よりげにめでたき を見るに、涙は先に 立ちて、回廊の石の壇に、ただ時のほど、赤き扉をひきたてた れ ば、 い と 暗 き に、 う ち に ほ ひ た ま へ る 御 衣 の に ほ ひ な ど は、 なべての香にしみたるにもあらず、ただ世の常ならずなつかし う、限りなき御けはひ、見ても飽かぬに、かたみにとりあへず こぼるる涙にくれつつ、何事も聞こえあへず。思ひ入りたるさ まいみじきに、女も現し心失せはてて、 (巻一 四九頁) 八月、九月に商山で会っていた華陽公主は、氏忠に対して「おぼ し 乱 れ 」 た り、 氏 忠 を「 限 り な く あ は れ と 見 」 た り は し て い た が、 そ の 度 に「 月 」 を「 つ く づ く と な が め 」、 再 会 を 告 げ て 別 れ る の み であった。しかし、この場面での華陽公主はただ氏忠と情を交わす だけでなく、氏忠に琴を伝授するという役割を捨て、氏忠に恋をす る「女」として描かれている。 八月十四日や九月十七日との違いは、華陽公主が「月」を「つく づくとながめ」てはいないことと、今までにはない匂いに関する描 写があること、公主が地の文で「女」と書かれていることである。 こ れ ら の 違 い の 要 因 と し て は、 ま ず 氏 忠 へ の 琴 の 伝 授 が 終 了 し、 華陽公主が前世の使命を果たしていることと、 十月三日の対面が 「赤 き扉をひきたて」た暗い部屋で行われ、月が見えない状況下であっ たことが関係しているのではないかと思われる。 つまり、それまで前世の因縁に従い、氏忠にただ琴を伝授するの が 役 目 で あ っ た 華 陽 公 主 は、 役 目 と し て 氏 忠 と 関 わ っ て い る 間 は 「月」の表現と共にあり、 月が沈む頃にその役目を終え、 「月」を「つ くづくとながめ」ながら氏忠と想いを交わしていた。そしてその使 命 を 終 え た 十 月 三 日 に は、 「 赤 き 扉 を ひ き た て 」 て 完 全 に 月 を 遮 断 した状況を作り、その空間でようやく一人の女君として氏忠との恋 に身をゆだねたのである。華陽公主が氏忠との「昔の契り」に関し て、どれほど「月」を強く意識していたかが、ここから察せられる であろう。 三.母后 ‐排除される「月」 ‐ こ の よ う に 華 陽 公 主 の 氏 忠 へ の 恋 は、 「 月 」 が 沈 む、 あ る い は 見 えなくなることを契機として発露しているのではないかと思われる が、 母 后 も ま た、 「 月 」 を 排 除 し た 環 境 で の み 氏 忠 と 恋 を す る 女 君
の一人である。母后は華陽公主の死後、唐の国で起きた反乱を契機 として氏忠と関わりを持つようになる女君であるが、その身分ゆえ に、表だって氏忠と恋をすることは叶わない。氏忠と対面していて も、華陽公主のように「月」を「つくづくとながめ」て去ってしま うのである。 とすくよかに奏しなせど、 心のうちはさまざま乱るらむかし。 「さりや、 その理りを知ればこそ、 とむるしがらみもかひなけれ」 とて、物をいとあはれとおぼして、 十四日の月の、雲間を分け て 澄 み 昇 る 空 を、 つ く づ く と な が め た ま へ る 御 か た は ら め ぞ、 なほ似るものなくきよらなる。 (巻二 八二‐八三頁) 氏 忠 に 対 し て 思 う と こ ろ が あ り な が ら も、 「 月 」 を「 つ く づ く と ながめ」るのみで氏忠に応えない母后の姿は、琴の伝授の後、同じ ように「月」を「つくづくとながめ」て別れてしまう華陽公主のそ れとよく似ている。 また華陽公主と同様に、母后も「月」のない状況を作り出し、そ の空間でのみ、匂いを頼りにして氏忠と逢瀬を持つ。それが簫の女 である。氏忠はふとあくがれ出た先の梅里で簫の音を聞き、その家 に い た 簫 の 女 と 契 り を 交 わ す が、 「 山 の 端 出 づ る 月 の 光 」( 巻 二 八五頁)に惹かれて歩き回っているにもかかわらず、氏忠と簫の女 との対面の場面に、 「月」は一切登場しない。 やうやう更けゆく空、物の音は澄みまさりて、言ふよしなき 梅 の に ほ ひ に 立 ち 出 づ べ き 心 地 も せ ね ば、 や を ら 滑 り 入 れ ど、 驚く景色もなし。奥深ければ、さやかにも見えず。恐ろしうさ へおぼゆれど、身にしむにほひをしるべにて、近う寄れど、見 入 る る さ ま に も あ ら ず。 「 声 を 尋 ね て、 月 に 誘 は れ つ る 」 よ し を言へど、 いらふることなし。いとどしきにほひの懐かしさに、 袖をひき動かし、手をとれど、驚き怪しむ気色もなし。け近き にいとど心は乱れて、やをらかき寄すれば、いとなつかしきけ はひにて、うちなびきぬ。 (巻二 八七頁) 簫の女は姿が 「さやかにも見え」 ないほど奥まったところにおり、 氏忠は香りを頼りに簫の女のもとへ近付いていく。また、逢瀬の終 わ っ た 後 も、 簫 の 女 は「 昼 は、 い と 便 な き と こ ろ に て 」( 巻 二 八八頁)と氏忠を早々に帰してしまうため、氏忠は簫の女のはっき りとした姿を知らないままである。月夜にも関わらず締め切った部 屋の中、闇の中での男女の語らいは、華陽公主との最後の場面と重 なるものがあるように思われる。 また、氏忠はこれ以後も母后と思われる女性と夢うつつに逢瀬を 持つが、ここでもやはり「月」は物理的に取り払われている。三度 の 逢 瀬 は、 一 度 目 と 三 度 目 は 雨 の 降 る 夜、 二 度 目 は 月 夜 で あ る が、 そ の い ず れ も 氏 忠 が「 戸 を 引 き 立 て 」、 締 め 切 っ た 室 内 で 行 わ れ て
いる。 A.雨降り暮らして、いと暗き夜の空を、なほ開けながらながめ 出でたれど、愁へやるかたなきに、例のところせうにほひく る風のまよひも、いとど心騒ぎする。奥の方にぞ人のけはひ すれば、うれしきにも心はまどひて、 戸は引き立てつ 。 (巻二 一〇二‐一〇三頁) B.いざよひの月の山の端出づるより、また入るまでやとながめ たるにぞ、思ひの外にしるき風のにほひにも、いとど心迷ひ のみまさりて、こよひぞ 戸は引き立つる 。 (巻三 一一二頁) C.例の夕暮は、 いづこをはかとなく、 浮き立つ心のみまさりて、 ながめゐたる空の気色さへ、少し曇たはしく、村雨うちそそ ぐよひのまに、ほのめきそむる郭公の初音は、いづれの国境 にも変らざりけり。 ほととぎすなれをぞ頼む村雨の古里人は問ひも来ぬ世に ただしばしばかりに晴れゆく星の紛れに、例の 戸を押し立つ る 。影は見えねど、いとしるきは、なかなかなることのみ多 かり。 (巻三 一一三‐一一四頁) A、 B、 C の い ず れ の 例 で も、 氏 忠 が 物 思 い に ふ け っ て い る と、 ふと嗅ぎ慣れた香りと共に簫の女が部屋にやってくる。そして氏忠 は簫の女との逢瀬を喜びながら「戸を引き立て」るのである。 「月」 が出ているのはBの例のみであるが、AとCの例にもそれぞれ「い と暗き夜の空」 、「影は見えねど」とあり、逢瀬が簫の女の姿が見え ないほど暗い場面で行われていることを示している。 このように氏忠と簫の女の逢瀬が締め切った暗い室内で行われる のは、無論母后が立場上姿を見せて正体を晒す訳にいかないという こともあるだろう。しかし、華陽公主はそのような必要がないにも か か わ ら ず、 氏 忠 と の 最 後 の 対 面 で 同 様 に 部 屋 を 閉 め 切 っ て い た。 このことと、華陽公主と母后の対面の場面における共通点の多さを 考えると、母后もまた、氏忠との恋の場面では「月」を意図的に排 除していたのではないかと考えられる。 「 月 」 に た と え ら れ る よ う な 美 し さ を 持 ち、 氏 忠 に 想 い を 寄 せ ら れるが、自分が氏忠と恋をするときには「月」がないところで行う という一連の流れが、 母后と華陽公主に共通して行われている。 「月」 を象徴とした恋でありながらも、その恋の表面化するときには、二 人の女君は「月」を排除しようとするのである。 それにはやはり、氏忠と華陽公主、そして母后に前世からの因縁 があることが深くかかわっていると考えられる。華陽公主が氏忠に 琴を伝授したのは、 氏忠に 「人の国に琴の声を伝へ広むべき契り」 (巻 一 三六頁)があったからで、公主も「この琴の音を伝へ、かくま で な れ ぬ る も、 契 り の な き に は あ ら ず 」( 巻 一 四 六 頁 ) と 前 世 の 因 縁 を 認 め つ つ、 「 こ の か た に 乱 れ あ ら ば、 か な ら ず 身 を 滅 ぼ す べ き 我 が 身 な れ ど 」( 巻 一 四 七 頁 ) と、 自 分 が 氏 忠 と の 恋 に 乱 れ た
ので自分は死ぬのだと語っている。華陽公主が氏忠に琴を教えるこ とは前世から定められていたことであるが、氏忠と恋に落ちること は本来あってはならないことだったと読み取れるだろう。 また母后も、物語終盤で簫の女の正体を明かした時、また自分た ち の 前 世 に つ い て も 告 白 す る。 氏 忠 の 前 世 は 天 童 で、 「 阿 修 羅 の 化 身を打ち砕くべき」 (巻三 一二三‐一二四頁) 使命を授かっており、 母后は天衆として、その阿修羅の化身が起こした「乱を治め、国を 興 す べ き 」( 巻 三 一 二 三 頁 ) 使 命 が あ っ た。 そ し て そ の 使 命 を 見 事果たした氏忠に母后は恋をするのだが、それは「ただ思ひ分くと ころなき心軽さばかりに、咎を仰せられん」 (巻三 一二五頁)と、 天帝から罪を負わされるであろうことだったと語っている。このよ うに、氏忠との恋は、華陽公主にとっても母后にとっても、本来す るべきではない予想外の出来事だったのである。 安 道 百 合 子 氏 は、 前 世 の 因 縁 と「 月 」 と の 関 係 に つ い て、 「 天 界 の者を人間界に下ろすことで、予期せぬ恋愛をさせ、その恋を満ち 欠けする月に象徴させて描いているのではないだろうか」と論じて いる(注三) 。「月」が場面中に照っている時は、女君が恋とは関係 なく前世からの使命を果たしている時であり、逆に女君が氏忠に心 乱れている時は「月」が排除された状況が設定されていたというの である。 しかし、 ただ象徴ととらえるにしては、 二人の女君は明らかに 「月」 を意識している。氏忠との逢瀬に至らず退出する直前には、華陽公 主も母后も、必ず「月」を眺めている。また、華陽公主が最後の対 面 に 禁 中 の 締 め 切 る こ と が 出 来 る 空 間 を 選 ん だ の も、 母 后 が「 月 」 を排除した簫の女という姿を生み出したのも、 彼女たち自身が「月」 を意識し、 それを排除しようとした能動的な結果ではないだろうか。 そう思うと、華陽公主と母后にとっての「月」は、ただ心の乱れ を表すだけではなく、氏忠と恋をしてはならないという、前世の因 縁からくる戒めのようなものだったのではないだろうか。心が揺ら ぎそうになる時に「月」を「つくづくとながめ」ることによって自 らを律していたが、ついに氏忠への恋を抑えきれず、身を滅ぼすこ とも覚悟で氏忠と逢瀬を持つ。その意識が、最終的に因縁の戒めの 象徴である 「月」 を排除することとつながったのではないだろうか。 四.神奈備の皇女 ‐注視されない「月」 ‐ 華陽公主と母后に関わる「月」については、前世の因縁の象徴で あり、氏忠に恋をしてはならないという戒めの意が込められている のではないかと思われる。では、神奈備の皇女についてはどうであ ろうか。 神奈備の皇女と氏忠との恋に関わる「月」は二例、菊の宴が果て た後の場面と、 皇女の入内が決定した後に氏忠が詠んだ和歌である。 ここでは、菊の宴の場面について考えてみたい。 菊の宴が果てた後、氏忠は神奈備の皇女の御簾の中に和歌を差し
入れ、その手を捕らえて想いを述べる。それは「月」の出る夜のこ とであった。 風荒らかに吹きて、御前の梢残りなく散るに、 木の間の月さ し出でて 、内外一つににほへる黒方のたぐひなきに、人の心も えんなり。皇女も世づきたる御心こそならひたまはねど、なべ て人に似ずきよらなるさまにて、しばしば参りたまふを、おほ かたにもいとあはれと見たまへば、わざとならねど、御いらへ などもほのかにのたまひ交すに、夜もやや更け行くに、御琴の 音を、いみじう思ひしみたることにて、せちにそそのかしたて まつれど、いたうおほどきて、さしたまはするに、およびて御 手をとらへつ。 (巻一 一八‐一九頁) 氏忠は、木の間からさし出る「月」と、黒方の香りに心を奪われ る。 木 の 間 か ら さ し 出 る「 月 」 は 無 論 心 尽 く し の「 月 」 で あ る が、 神奈備の皇女が黒方の香りをさせていることにも注目したい。女君 と香りについては、 華陽公主が 「うちにほひたまへる御衣のにほひ」 、 母 后 が「 ゐ ざ り 入 ら せ た ま ひ ぬ る に ほ ひ と ま り て 」、 簫 の 女 も「 思 ひの外にしるき風のにほひ」など香りと共に描写されており、氏忠 との恋に不可欠なものとなっているように思われる。 しかし神奈備の皇女は、華陽公主や母后のように、氏忠に対して 心 揺 れ て い る ら し い 時 に も、 「 月 」 を「 つ く づ く と な が め 」 た り は しない。 「月」はただの景物としてそこにあり、女君の香りと共に、 男女の恋を照らすだけのものとなっている。少なくとも、神奈備の 皇女が唐の二人の女君のように、特別「月」を意識しているように は見えない。 それは、神奈備の皇女が、物語中で華陽公主や母后のように前世 からの使命などを課されていないからということがあるだろう。二 人のように前世からの因縁を持たない神奈備の皇女は、逆に使命に 縛られることも氏忠との関係を制限されることもないため、その象 徴である「月」を「つくづくとながめ」ることもないのである。 こ の よ う に 神 奈 備 の 皇 女 は、 母 后 や 華 陽 公 主 と 違 い、 「 月 」 を 特 別なものとして意識してはいない。だが、それは神奈備の皇女だけ に固有の行動という訳でもないようだ。恋や前世の象徴として女君 に意識されていない「月」の例がもう一つある。氏忠が日本へ帰っ た後、泊瀬寺で修法を行い、転生した華陽公主と再会する場面であ る。 いつしかと泊瀬に詣でて、かの法を行ふに、なにの違ひ目か あらん。 月明かき夜 、山の峰に大きなる槻の木の陰に、琴の声 の聞こゆれば、ただひとり急ぎ降りて見たまふ。 泊瀬のや斎槻が下に照る月のひかりを袖に待ち受けて見る 思ひ入る契りし引けば泊瀬なる斎槻が下にかげは見えけり (巻三 一三三頁)
月の夜、氏忠と華陽公主は山で琴の音を頼りに再会する。この華 陽 公 主 の 和 歌 は、 『 万 葉 集 』 二 三 五 三 番 歌「 泊 瀬 の や 斎 槻 が 下 に 我 が隠せる妻あかねさし照れる月夜に人見てむかも」を踏まえている と 言 わ れ て い る が( 注 四 )、 そ れ を 踏 ま え て 解 釈 す れ ば、 こ の 和 歌 は明らかな恋歌である。 転 生 す る 前 の 華 陽 公 主 は、 こ の よ う な 和 歌 を 詠 む 時、 必 ず「 月 」 を「 つ く づ く と な が め 」、 自 ら の 使 命 を 意 識 し て い た。 ま た、 琴 を 弾くことも前世の因縁に基づいていたため、月夜に琴を弾いている 間は、氏忠との恋を表に出すことはなかった。そのどちらにも属さ ないこの場面は、華陽公主が転生によって、前世の因縁から解き放 たれたことを意味していると思われる。 五.おわりに 以 上、 『 松 浦 宮 物 語 』 に 登 場 す る 三 人 の 女 君 と「 月 」 に つ い て、 比 較 検 討 し な が ら 述 べ た。 『 松 浦 宮 物 語 』 で 描 か れ る「 月 」 は、 主 人公氏忠と女君たちの前世からの因縁と使命を象徴し、使命を果た す前の女君、すなわち華陽公主と母后にとっては、氏忠との関係に おいてその使命を常に意識させ、氏忠と恋をすることのないよう戒 める役割をも果たしていたと思われる。だからこそ華陽公主、母后 とも、氏忠との恋の場において「月」を排除しない空間を設定した の で あ り、 女 君 た ち で 唯 一 前 世 の 因 縁 を 持 た な い 神 奈 備 の 皇 女 や、 使命を果たし転生した後の華陽公主は必要以上に「月」を意識する ことがないのである。 ま た、 女 君 の 登 場 し な い 場 面 で も、 「 月 」 は 氏 忠 と 女 君 た ち の 恋 に関わっている。それは、氏忠を女君のもとへ導き、女君に恋をさ せる役目もまた「月」が担っているということである。 氏忠は、 物語中の恋に関わる節目では、 必ずと言っていいほど 「月」 に導かれている。たとえば、氏忠が己の「人の国に琴の声を伝へ広 むべき」使命と、華陽公主の存在を知ったのは、楼で琴を弾く翁に 話を聞いたからであるが、その老人と出会うことになったきっかけ は、 「月」の綺麗な夜にあくがれ出たことであった。 八月十三日の月くまなく澄みのぼりて 、三十六宮まことに残 るくまなくおもしろきに、夜はことなる召しなくて参ることな し。陣の兵いつくしう九重を守り、出で入る人をもきびしく問 へば、わざと分け入ることもせず。 い と ま あ る 心 地 し て、 例 の ひ と り な が め 臥 し た る に、 心 は 三千里の外にあくがれて、住みなれしかたの恋しさも、いとど 紛 る る か た な け れ ば、 た だ、 人 一、 二 人 を 具 し て、 ゆ く へ も な く道に任せて出づれば、 (巻一 三三‐三四頁) 外へ出た氏忠は、八月十三日の「月」をしるべに道をたどり、弾
琴する翁に出会う。ここで翁の話を聞いたことで氏忠は華陽公主の 存在を知り、翌日華陽公主に会うために商山に昇ることになる。す なわち、この場面で氏忠が「月」をしるべに翁と会ったことが、間 接的に華陽公主との恋に繋がっているのである。 また、母后との恋でも、氏忠は「月」に導かれ、あくがれ出た先 で簫の女を見つけ、逢瀬を持っている。 夕べの空にながめわびて、なにとなくあくがれ出でぬ。いた く高きにはあらぬ山がかれる里の梅のにほひ、外よりもをかし きあたりを分け入れば、松風はるかに聞こえて、 山の端出づる 月の光 、暮れはつるままに、浮き雲残らず空晴れて、さえゆく 夜のさまに、物のあはれまさりて、はるかなる林の奥を尋ね行 けば、我が国に篳篥とかや、なつかしき声としも思ひならはざ りしものにや、ところからは似るものなく聞こゆ。 (巻二 八五頁) ここでの「月」は、あくまでも美しい夜の景色であり、ただの景 物であるように思われる。しかし、簫の女と対面した氏忠は、簫の 女 に 向 か っ て「 声 を 尋 ね て、 月 に 誘 は れ つ る 」 と、 「 月 」 に 誘 わ れ てきたことを述べている。氏忠の言う 「月」 が景物としての 「月」 か、 あるいは「月」に比喩される母后を暗に意味したものかは解釈の分 かれるところであろうが、いずれにせよこの「月」が、氏忠と簫の 女の逢瀬を可能にする役目を持っていたことは確かである。 このように、氏忠にとっての「月」は、前世の因縁を持つ女君た ちと氏忠を引き合わせるという点で、女君たち同様前世の因縁の象 徴となっている。しかし、氏忠は女君たちのように「月」を戒めと して意識することはなく、むしろ恋を成就させるための導き役とし て機能させている。 氏忠にとっての「月」が恋に関するものである理由は、恐らく神 奈備の皇女への恋にあるのであろう。神奈備の皇女との恋の場面に 出 る「 月 」 は、 『 松 浦 宮 物 語 』 本 文 中 で 初 め て 登 場 す る 月 で あ る。 また、成就しないまま終わった神奈備の皇女への恋を氏忠が意識し 続けていたことは、初めて見た華陽公主の美しさをたとえた文「古 里にていみじと思ひし神奈備の皇女も、見あはするに、鄙び乱れた ま へ り け り 」( 巻 一 四 〇 頁 ) に も あ ら わ れ て い る。 氏 忠 は「 月 」 によって前世から因縁のある女君に出会うと同時に、日本での初恋 の記憶から、出会った女君に恋をするのである。 氏忠と恋をすることの罪を自覚しつつ、その象徴である「月」を 排 除 し て ま で 結 ば れ る こ と に な っ た 華 陽 公 主 と 母 后 と の 恋 の 裏 に は、意識せず「月」と共にあった神奈備の皇女との恋が功罪として あったものと思われる。
注 一. 物 語 本 文 は す べ て 小 学 館『 新 日 本 文 学 全 集 』 か ら 引 用 し、 巻 数 と 頁 数 を 表 記 し た。 ま た、 必 要 に 応 じ て 笠 間 書 院『 鎌 倉 時 代 物 語 集 成』を参照した。 注 二. 神 尾 暢 子「 松 浦 宮 の 唐 土 女 性 ― 月 光 と 女 性 美 ―」 (『 学 士 国 文 四五号』二〇〇二年三月) 注 三. 安 道 百 合 子「 『 松 浦 宮 物 語 』 の「 つ き の こ ろ 」 ― 弁 少 将 の 恋 と 春 の月・秋の月―」 (『古代中世国文学 七号』一九九五年八月) 注四.注三に同じ。 注 五. 小 学 館『 新 編 日 本 古 典 文 学 全 集 松 浦 宮 物 語 無 名 草 子 』 脚 注 よ り。
Ladies in "the tale of Matsuranomiya":
focused on “the moon”
SHITO, Aya
Ujitada, The hero of "the tale of Matsuranomiya", is deeply involved "the moon" in Scene of his love. For example, his first love to Princess Kannabi, begins under "the moon" On the day of the Banquet. And after that, he makes a passage to China as an envoy, fall in love with other ladies, Princess Kayo and the Emperor’s mother.
Under these circumstances, only Princess Kayo and the Emperor’s mother have permissions that results from their previous life, and also metaphors using "the moon". So, Most of previous research, deal with that two ladies mainly.
But the other ladies, Princess Kannabi and the lady who played a Chinese bamboo flute, are also related with "the moon". I think "the moon" is related to all love in "the tale of Matsuranomiya".
So in this paper, I think about the ladies and loves in "the tale of Matsuranomiya" from an aspect of the expression "the moon".