わが国の職業指導の成立と展開
著者
吉田 辰雄
著者別名
YOSHIDA Tatsuo
雑誌名
アジア・アフリカ文化研究所研究年報
巻
37
ページ
13(142)-20(135)
発行年
2002
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00009399/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.jaはじめに 1 明治期の職業論の捉えかた 2 アメリカの職業指導の草創期 フランク・パーソンズらの活動 3 大正期の職業指導 4 昭和期の職業指導 学校教育への職業指導の公式的導入 5 昭和の戦時体制下の職業指導 はじめに 平成 13年度に東洋大学の国内特別研究員とな り,いわゆる 1年間サパチイカルで研究に専念 できる機会を与えられた。そこでキャリアガイ ダンス・カウンセリング専攻の立場から,改め てわが国の職業指導がどのように誕生したか, 日本の進路指導の繁明期についての研究を行う べく,
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わが国の職業指導の成立と展開」のテ ーマに取り組んだ。世界的傾向として「職業指 導から進路指導へJ
,さらに「進路指導からキャ リア開発へ」という流れのなかで,わが国にお いても最近,キャリア教育,キャリア・デベロッ プメント,キャリア・カウンセリングといった ことが盛んに強調され論じられてきている。 今回,職業指導の成立過程を諜題にすること によって職業指導の理念と性格,方法・技術な どが, と守の様な変遷を辿って現在に至ったかを 明らかにすることにある。1
明治期の職業論の捉えかた 士 口田 辰 雄
のボケイショナル・ガイダンス (Vocational Guidance)を職業指導と翻訳して紹介したの が最初であると言われている。それ以前は,明 治期の文献を見ると,例えば,鶴田真容編「開 化諸職往来J
[明治 12年),渡辺修次郎著「就業 案内J
(明治21年)といったように,殆どの書 物が職業案内,就業案内といった内容で職業情 報を取り扱ったものである。この段階では職業 指導の範障に入る選職指導などは見あたらない。 入i
事宗寿がその著「現今の教育J
(弘道館, 大正 4年)のうちの第 6章職業教育の 1節で職 業指導を紹介している。そこでアメリカの職業 指導について次のように述べている。 「米国において職業指導ということが主張せ られ又実行されている。しかしこれは甚だ新し い言葉で,米国でも一般には近頃まで知られて いなかった。一一一わが国でも知られていないが, 著者は仮に職業指導 vocationalguidanceと訳 しておいた。その内容は児童をしてその職業を 選ぶ上に指導を与えるものである。単に職業の 紹介をするというものでなく,児童に自分の長 所と世間の職業とを知らせて選択の際に誤りな からしめる準備を与えるのである。すなわ児童 の研究,職業の研究,就職の手引,職業的教育 等の事項を含んでいるのである。」と,このよ うに記されている。 なお,同じ年に鈴木久蔵はミュンスターベル ヒ著の訳書「実業能率増進の心理」のなかで Vocational Guidanceを職業指導ではなく,職 業案内と訳している。 わが国に職業指導の用語が導入されたのは, 大正 4年 (1915年),当時,東京帝国大学教授 の入淳宗寿がその著「現今の教育J
でアメリカ - 13一(142)2
アメリカの職業指導の草創期ー フランク・パーソンズらの活動 アメリカでは, 19世紀末から20世紀の始めに かけて,ソーシャル・ワ ク (SocialWork社 会 事 業 ) が 始 ま る 。 シ ョ ー 女 史 (Quincy Adams Shaw)がシピック・サービス・ハウス (Civic Service House市民厚生館)を創る。 パ ソンズ (Parsons,F.)は,鉄道の技師, 一介の労働者,高校教師,弁護士,本の編集者, 講演家,政治家などの経歴を有する人であるが, ボストン市のセツルメントで働いていた彼は友 人のアルパートソンと1905年,青少年の教養の 重要性に気づき,厚生館の中に,いわゆる勤労 青少年学院を設け,教養教育を行っている。ま た,青少年が職業を選択するには援助が必要で あると述べている。 パーソンズは, 1908年1月13日にボストンの 市民厚生館に職業局 (Vocation Bureau of Bos -ton)を開設した。これはショー女史 (Shaw, Q.A.)の財政的支援のよるものであり,世界 で最初の職業機関であるといわれている。した がって,パーソンズが,現在職業指導のシンボ ルと見倣されている。 彼の考え方は,社会主義,相互扶助主義に立 脚しており,さまざまな社会的弊害を発生させ る独占資本主義や私的自由競争の原理に反対し, 労働時間の立法化,児童労働の禁止,産業成長 の統制によって当時の米国社会を改良すべきで あると考えた。 そして,彼の死後,刊行された著書「職業の 選択J
(Choosing a Vocation, 1909年)は,職 業指導に関する世界で最初の体系的な書物であ るといわれている。彼はガイダンスについて, ①自分自身(適性,諸能力,興味,希望,才能, 欠点など)をはっきり知ること,②さまざまな 仕事の方向における成功,利益と不利益,給料, 機会及ぴ見込みの要件と条件の知識,③これら の二つの要因の聞の関係を正しく推論すること, の三つが必要であると述べている。 パーソンズの著書「職業の選択」は,アメリ カの社会に,はじめて職業指導とカウンセリン グを導入したいわば職業指導の古典である。こ の原稿は,彼の高弟であったラルフ・アルパー トソン(RalphAlbertson)により最後の仕上 げがなされ,彼の紹介,覚書がつけられ翌年 5 月1日に出版された。 パーソンズは,本書の冒頭で「人生における いかなる歩みも,夫や妻を選ぶことのほかは, 職業を選ぶほど大切なものはない。これらの重 要な問題は,注意深い科学的なやり方で各人の 適性,能力,興味,希望,資源,制限及びそれ ぞれの産業における成功の諸条件に対するそれ らの諸要件の関係に正当な注意を払って解決し なければならない」と述べている。これよりさ きに,パーソンズは,当時の社会改革派の雑誌 アリーナ (Areana.1908年7月)に彼が創設し た職業局の目的をつぎのように述べている。 「職業局は青年が一つの職業を選ぴ,それに対 して自分自身の準備をし,それへの就職口を見 つけ,能率的・成功的なキャリアを築きあげる のを助けることを目的とするJ
としている。 3 大正期の職業指導 ところで,わが国の職業指導運動は,アメリ カと同様に児童相談,職業相談の活動から始まっ たといえる。大正 6年に心理学者の久保良英が 東京府下目黒に児童教養研究所を設立する。そ こで教養相談のなかで選戦相談を行い,また, ほほ同じ頃に東京で医師であった三田谷啓が児 童相談所を開設して選職相談を行うなど,心理 学者や医者による職業相談が試みられている。 そして,わが国の公立の職業指導専門機関と して初めて,大正 9年に大阪市立少年職業相談 所が開設された。そこの主任を勤めた稲葉幹ー は,川本字之介著「職業教育の研究J
(大正 6 年刊)に刺激を受けて職業指導の道に入っていっ たと言われている。大正10年4月に職業紹介法 が制定されて,職業紹介事業も今までのような 慈善的,博愛的,貧民救済的な事業から,社会 政策的,産業育成的な事業へ,と性格を変えて いった。1
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-(14
1)同じく大正 10年8月に神田橋に東京市中央職 業紹介所が設立され,その内に性能診査少年相 談部を設置し,そこで就職希望の少年の精神検 査を実施するなどして彼らを適職について考え, 方向づけるための相談を実施した。 大正 14年に東京府少年相談所の開設と,相つ いで主要都市に職業相談や性能検査を行う相談 機関が設立されている。 これらと並行して,大正 7年に東京市芝区労 資協調会館内に産業能率研究所の設立,大正 10 年に倉敷紡績会社が大原労働科学研究所を開設, 大正 12年に労資協調会が産業能率研究所を開設 するなど,産業能率研究,精神測定,児童相談 研究と実践などが活発に進められるなどして職 業指導の科学化に貢献している。。このように, 少年職業紹介の質的向上を目指したり,作業の 能率化や合理的な職業選択方法についての研究 がおこなわれ始めたのである。 大正 12年頃から小学校で職業指導が活発に行 われるようになる。大正 13年には東京の赤坂高 等小学校をはじめとして,東京や大阪,その他 の都市でも高等小学校で職業指導が体系的,組 織的,計画的に行われるようになった。 また大正 12年の関東大震災後,乱立した職業 紹介事業は,量的にはかなり普及したが質的な 面は極めて不満足で,労務の需給関係は梗塞し て失業は深刻であり,従って反動的に職業紹介 事業の不信を招き,正に行き詰まり状況に陥っ ていた。この不信を取り戻す一策として,大正 14年 7月 8日付で次にかかげる通牒を発した。 この通牒は,東京府少年職業相談所の事業方 針と英国の少年職業紹介所制度を参照し立案さ れたものと言われているが,当時わが国の紹介 所の分布が未完成なので,全国小学校との連絡 は不可能だったから,各府県と合議の上,連絡 担当の小学校を定め,これを通じて学校を職業 紹介所との両機関が栢互に連絡提携し,かつ啓 蒙普及に努めることを積極化するにあった。こ の通牒は,わが国の職業指導の歴史において, 政府の構想を公式に表明した最初のものであり, 特に職業紹介所側の職業指導を促進するのに大 きな力となったのである。大正 14年 7月 8日 (社発一部第275号)付けの「社会局第二部長・ 文部省普通学務局長より,各地方長官・中央職 業紹介所事務局長宛,少年職業紹介に関する件 依頼通牒
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によると, 少年の職業紹介に関しては,特にその性質及 び能力の最も適応すべき職業につかせることは, 職業指導上極めて緊要の事であり,かっ将来失 業の機会を少なくする上においてもその効果は 少なくないものと認められ,ついては,小学校 卒業後直ちに就職しようとする者に対しては, 各自の性質及び能力につき最も精通する小学校 と,職業の状況に通ずる職業紹介所と,相互に 連絡を保ち提携協力して以て適切な職業を選択 指導するようにしたいので,右記のような施策 を講ずる等,相当の指導をすることとした。 1 少年の職業選択指導のため,小学校教員, 職業紹介所職員,医師その他と密接な連絡を はかり,必要なる場合には,これらの者で組 織する委員会を設置すること。 2 小学校は,小学校卒業後,就職しようとす る者につき必要なときは,卒業前の本人の学 業,体格,性質その他,参考となるべき事項 を職業紹介所に通知すること。 3 職業紹介所は,各職業別により労務需給の 状況及び人数を小学校に通牒すること。 4 求職少年の父兄会等を開催し,求人の性質, 能力に適する職業の選択につき指導をするこ と。 5 職業選択につき指導した結果,その職業に 就職したるものに関し,職業紹介所は,時々 その就職後の状況を調査しこれを関係学校に 通報すること。 と述べている。中央職業紹介所事務局長は, この通達に基づいて,さらに東京,大阪,名古 屋の 3地方職業紹介事務局長に対して, 7月25 日付「少年職業紹介に関する施設要領」を,翌 年 2月10日付「少年求人求職者取扱並びに就職 後の指導保護に関する要領」によって,詳細か っ具体的に指示している。1
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4 昭和期の職業指導一 学校教育への職業指導の公式的導入 上述のように,大正10年代の職業指導運動に 関連した動きに呼応するかのように,学校教育 における職業指導の重要性の認識も高まりをみ せ,東京市赤坂高等小学校が職業指導の導入実 践して以来,市内の小学校で職業指導が行われ るようになった。文部省でも大正 11年より職業 指導講習会を開催するなど啓蒙活動を開始して いる。また,昭和 2年 4月に「少年職業指導協 議会」を開催し,学者や教育者から少年職業指 導に関する意見の聴取を行っている。 上述のような実践活動の成果を踏まえて,文 部省は職業指導を正式に学校教育に導入するこ とを決め,昭和 2年11月に「児童生徒ノ個性尊 重及職業指導ニ関スル件
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(昭和2
年11月2
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日 文部省訓令第20号)を司11令の形で通達してい る。これによると 「学校ニ於テ指導生徒ノ心身ノ傾向等ニ稽ヘ テ適切ナル教育ヲ行ヒ更ニ学校卒業後ノ進 路ニ関シ青少年ヲシテ其ノ性能ノ適スル所 ニ向ハシムハ時勢ノ進歩ト社会ノ推移トニ 照シ淘ニ喫緊ノ要務ニ属ス随テ学校ニ在リ テハ平素ヨリ児童生徒ノ個性ノ調査ヲ行ヒ 其ノ環境ヲモ顧慮シテ実際ニ適切ナル教育 ヲ施シ各人ノ長所ヲ発揮セシメ職業ノ選択 等ニ関シ懇切周到ニ指導スルコトヲ要ス其 ノ如クシテ国民精神ヲ啓培スルト共ニ職業 ニ関スル理解ヲ得シメ勤労ヲ重ンスル習性 ヲ養ヒ始メテ教育ノ本旨ヲ達成スルニ至ル モノナルヲ以テ自今各学校ニ於テハ左ニ掲 クル事項ニ就キ特ニ深ク意ヲ用フヘシ 1 児童生徒ノ性行,智能,趣味,特長, 学習状況,身体ノ状況,家庭其ノ他ノ環 境等ヲ精密ニ調査シ教養指導上ノ重要ナ ル資料トナスルコト2
個性ニ基キテ其ノ長所ヲ進メ卒業後ニ 於ケル職業ノ選択又ハ上級学校ノ選択等 ニ関シテ適当ナル指導ヲナスコト 3 学校ハ前掲ノ教養指導等ニ関シ父兄及 保護者トノ連絡提携ヲ密ニスルコト」 となっているO わが国の学校進路指導は,この昭和2年の訓 令をもって進路指導の出発点としているのが一 般的見解となっている。また,この~1II令が契機 となって全国各地の学校で広く職業指導が実践 されるようになっていった。また,昭和2年に 東京市職業指導研究会を母体として大日本職業 指導協会が設立され,この協会がわが国の職業 指導の普及,発展,向上に大きく貢献すること になる(現在の倒日本進路指導協会である)。 当時の大日本職業指導協会設立趣意書(昭和 2年 6月10日)によると 「逸近の教育思潮は知識偏重の伝統的傾向を 排し,教育をして常に実際生活と密接なる 関係を保ち,社会並に産業上の要求に合致 し,一般的陶治と共に職業的陶治を完うせ しむべきことを高調するに至った。 更に世界の大勢を通覧するに,特に大戦 後の各国は物的勢力の善用にもまして,人 間能力の一層重要なることを体験し,適材 を適所に按配し,極りなき職業の分化と職 業の盲目的選択とより起こる失業転職の機 会を除き,以て産業能率の増進を計り,且 つ思想、を善導する国策を樹立せんとしてい る。之れ実に科学的研究に立脚せる職業指 導の運動であって,各国は着々としてその 実績を挙げつつある。 翻って我が国の現状を見るに各所に入学 難,失業,転職等及びこれに伴う思想悪化 がある。これ皆職業的陶冶の指導の不徹底, 人間能力利用の無視,職業指導組織の不振 に起因するものである。 然るに近時文部・内務両省に於ては,こ こに着目する所あり,職業指導網の大成を 図り教育の方針を一変せんとする機運に向っ た事は吾人の大いに意を強うする所である。 然し是は独り政府当局にのみ委ぬべきもの でなく,民間に於ても此の思想、を助長し其 の普及発展に努力しなければ職業指導組織 有終の美をなすことは望み難い。吾等慈に - 16 -(139)考うる処あり斯道の研究家,及び実際家を 中心とする大日本職業指導協会を組織し我 が国情に適応する科学的職業指導組織の基 礎を樹立し職業的陶治の思想を振起し,此 の組織をして混然たる社会,教育産業界の 指針たらしめる事を期する次第である。 事業は頗る緊切,目的は極めて遠大,吾 人微力と雄も若しそれ同人祖国愛の熱情を 緯とし,民族活動能率増進のために共鳴せ らるる各位の援助を経とし,此の事業を大 成せしめん事に努力するならば,行詰らん とする各方面現下の窮状を打開する上に貢 献する所決して勘少ではあるまい。 きれば教育者は勿論,識者賢者は奮って 本会の趣旨に賛同せられ,或は直接に本会 の事業に携はり,或は間接に其の事業を援 助せられ,以て本会目的達成の上に協心裁 力せられん事を切望する次第である。
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と述べている。 増田幸一(昭和2
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年)は,このように大正末 期から昭和初期にかけて職業指導が学校と社会 で発達した理由として,①産業能率増進の運動 の活発化 ~社会生活における安全の保持 ③ 教育における個性尊重 ④心理学応用部門の発 展⑤上級学校への入学難現象の対策 などを あげている。 わが国の職業指導は,児童・生徒の個性の尊 重を重視するとともに職業指導が学校教育のな かに明確に位置づけられたことは確かであるが, 職業指導は,当初からそのなかで進学指導を含 んでいたことは注目に値する。 その理由としては,大正から昭和にかけて義 務教育以降の上級学校への進学者の増加に伴い, 中等教育の拡充が図られてきたが,入学難現象 といった試験地獄がみられたため,入学準備教 育の弊害を除去するために「中学校入学者選抜 法改正J
(昭和2年)をおこなったが,その解 消は図られなかった。 こうした入学難現象のため,小学校は選職指 導と並行して進学指導の必要性が高まり,職業 指導調査協議会の答申「尋常小学校ニ於ケル職 業指導実施要領」にあるように,I
児童及ビ父 兄ニ対シテ学校ノ系統,種類及ピ内容ヲ知ラシ メ,特ニ職業ト学校トノ関係ヲ明カニスル」こ とが求められている。このように学校教育にお いて児童・生徒の伺性に基づいて適切な職業や 学校を選択させる指導が促進されるようになり, 職業指導が当初から進学指導を含んでいたこと になる。 5 昭和の戦時体制下の職業指導 小学校の職業指導の内容としては,尋常小学 校と高等小学校とは,それぞれ指導内容を若干, 異にしているが,全体的には, ①職業精神と職業知識の啓発授与 ②性能検査(知識,体力,性能,作業等に関 する検査),環境調査,職業分析,求人開 拓,求人調査の諸項目にわたる適職選定 ③就職後の補導など となっている。そして,この小学校の職業指導 の指導原理といわれるものは,個性の尊重と選 職の自由を建て前としながらも実際においては 適材適所主義をとっていたのである。 昭和13年 4月には法律第55号をもって国家総 動員法が公布され,さらに職業紹介法が改正さ れ,適材適所主義も国家主義的色彩の強い労務 需給調整の立場に立たざるを得なくなっている。 このことは,昭和13年10月の厚生省・文部省の 「小学校卒業者ノ職業指導ニスル件」の訓令に みるように,一層の職業指導の強化徹底を図る ことと,学校卒業後の児童の職業の国家的要請 への適合を求めているのである。 小学校卒業者の職業指導ニ関スル件(昭和13 年10月26日厚生省・文部省訓令第 l号)による と 「小学校卒業者ノ職業指導ニ関シテハ教育機 関及職業紹介機関ハ有機的連絡ヲ保持シ学 校ニ於テハ平素ヨリ職業精神ノ j函養ニ努メ 個性及環境ヲ調査シテ児童ノ適職ニ関シ指 導ヲ行ヒ,職業紹介所ニ於テハ卒業期ニ於 ケル児童ニ対シ学校ノ協力ヲ求メテ其ノ適 職ノ相談,就職ノ斡旋及就職後ノ補導ヲ行 17 -(138)フコト極メテ肝要ナリ 嚢ニ昭和 2年11月文部省訓令第20号ヲ以 テ職業指導ニ関シヨ
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令ヲ発シ,学校ニ於テ 実施スベキ処ヲ示シタルモ,更ニ今次職業 紹介法ノ改正ニ伴ヒ教育機関ト職業機関ト ノ、相侯テ一層職業指導ノ強化徹底ヲ図リ学 校卒業ニ於ケル児童ノ職業ヲシテ国家ノ要 望ニ適合セシムルコトヲ期セザルベカラズ 今ヤ未曾有ノ非常時局ニ際シ国民ハ全能 力ヲ発揮シ時難ノ克服ニ遭遇スルノ要アリ。 須リ叙上ノ趣旨ヲ体シ其ノ実効ヲ収ムルニ 格段ノ力ヲ致スベシ」とある。 また,昭和 14年に職業指導強化運動が起こり, 就労気風,勤労精神の高揚が叫ばれ,同年に国 民職業能力申告令が公布されて国民はすべて自 己の職業能力を理解していることとなり,同年 7月に国民徴用令が公布されると,国民はその 職業能力により徴用されるなど,職業指導は一 段と国家主義的色彩を帯びてくるのである。 昭和16年第二次世界大戦が開始されたが,こ の年にそれまでの小学校が国民学校となり, 「国民学校ニ於ケル職業指導ニ関スル件通牒j により,I
高度国防国家体制に即応シ職分奉公 ノ精神ヲ国民陶治ノ根底ニ培ヒ以テ学校ニ於ケ ル職業指導ノ振興ヲ図リ進学及選職ノ指導ヲ通 シ皇国ノ道ノ修練ニ欠クコトナカラシム」と指 示され,職業指導は完全に国家の要望に合った 形で国家体制のなかに組み込まれ,個性の尊重 はまったくその姿を消してしまうのである。 昭和 17年12月に文部次官通達の形で「国民学 校に於ケル職業指導ニ関スル件」が出され, 「職業指導ハ,全学年ヲ通シテ各教科ノ授業ニ 即シテ,職業トノ関連ニ留意スルトトモニ,特 ニ初等科第6学年ニ於テハ教科以外ノ時間ヲ使 用シテ之ヲ行ヒ,高等科ニ於テハ実業科ニ増課 シテ第1学年ヨリ之ヲ行ヒ,其ノ指導ハ学級担 任訓導之ニ当タルヲ本則トスル」と明示してい る。このように,昭和 17年になって職業指導の 時間の特設がようやく認められるとともに,こ の措置によって,先の大日本職業指導協会は国 民学校用の職業指導教科書を編纂し,それが各々 の国民学校で使用されるなどしている。 以上のように見てくると,昭和 12年頃までの わが国の学校職業指導は,理想、を高く掲げ,児 童・生徒の人格の尊重の上で実践されたように 思えるが,現実には高等小学校での職業教育と 密接に結びついたものが殆どであり,中学校に おいては受験準備教育が主体であって,職業指 導は言うに及ばず進学指導においても個性を尊 重した指導は殆どおこなわれなつかたように思 えるのである。 そして,昭和 12年以降の学校職業指導ともな ると,国家的要請に沿った形で生徒の労働力を 配分するといった職業への配置指導といった色 彩が濃厚で、あったということができる。こうし た傾向は,昭和20年の第 2次大戦の終戦まで続 いたのである。そしてわが国は戦後の教育の開 始と共に,民主主義に基づく新しい教育理念や 教育内容に大きく改革されて,職業指導も装い を新たにし,文字通り新しい職業指導として新 たな展開を見ることになるのである。なお,戦 後の職業指導,進路指導の変遷と展開について は次回の論文に詳細に掲載する予定であるが, およそ次のようである。 戦後の新教育における職業指導の位置づけや 変遷を概観してみると,先ず昭和 22年に日本国 憲法,教育基本法,学校教育法が相ついで制定 され,これによって教育制度や教育の理念や性 格,指導内容も大きく改革された。職業指導も 民主主義の原理に基づいて,新しい職業指導の 形で行われることとなった。 日本国憲法では,I
何人も,公共の福祉に反 しない限り,居住,移転及び職業選択の自由を 有するJ
(第22条),I
すべての国民は,勤労の 権利を有し,義務を負うJ
(第27条)と規定し ている。また,教育基本法では,第1条の教育 の目的について「教育は,人格の完成を目指し, 平和的な国家及び社会の形成者として,真理と 正義を愛し,個人の価値をたっとび,勤労と責 任を重んじ,自主的精神に充ちた心身ともに健 康な国民の育成を期して行われなければならな い」と明記している。学校教育法は,これらの - 18一(137)精神を受けて,学校種別ごとに教育目的,教育 目標を定めている。 また,昭和22年に制定された職業安定法は, 「第2条(職業選択の自由)何人も,公共の福 祉に反しない限り,職業を自由に選択すること ができる」というように,憲法に保障された職 業選択の自由,勤労権の確率を具現化した形で 示している。 前述の学校教育法のなかに,新制中学校およ び新制高等学校における職業指導に関連する教 育目標を明示しているが,それを受けて文部省 は,昭和22年に「学習指導要領一般編
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(試案), 「学習指導要領職業指導編J
(試案)を提示し, つづいて昭和 24年に「中学校・高等学校職業指 導の手引」を発行し,職業指導の指針を示した。 そして中学校の職業指導は,教育課程に「職 業科」が新設されて教科として位置づけられ, 昭和 24年には「職業・家庭」の教科の中に位置 づけられるのである。また,昭和 28年に「学校 教育法施行規則等の一部を改正する省令」によっ て,職業指導主事が設けられた。その後,この 職業指導主事の制度は,昭和46年には進路指導 主事に改称されることとなった。 なお,昭和 32年に職業指導という用語に代わっ て「進路指導」の用語が公用語として登場した (それ以来,学校教育において進路指導の用語 が使用され今日に到っている)。昭和 33年の教 育課程審議会の答申や,中学校学習指導要領に おいて,それぞれ進路指導の用語が使用され, 進路指導が教育課程の用語として位置づけられ るのである。 一方では,この時期に職業指導は大きな転換 を迎えるのである。昭和33年の中学校学習指導 領域の改訂により,I
職業・家庭科」が廃止さ れて,それに代わって「技術・家庭科」が設け られ,従来,職業・家庭科で取り扱われた知識・ 理解の指導としての職業指導(職業情報・啓発 的経験といった職業指導に固有な活動)は教科 からはずされてしまった。 職業指導は,進路指導と名称を変えて学級活 動の中で計画的に実施されることにる。昭和44 年の中学校学習指導要領の改訂,昭和46年の高 等学校学習指導要領の改訂により,進路指導は 教育課程の全体において行うこと,全教育活動 を通して指導することが強調された。そして教 育活動全体を通しての進路指導を,さらに補充, 深化,統合する場として特別活動としての学級 指導(ホームルーム)を中心に展開されること となった。この考え方や方針は,現在の新学習 指導要領にも引き継がれている。 平成元年の学習指導要領の改訂では,I
生き 方の指導」としての進路指導が強調され,また, 今回の平成1
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年の中学校学習指導要領の改訂, 平成11年の高等学校学習指導要領の改訂では, 「生きる力を育む」教育を強調している。そこ では,新たに「ガイダンスの機能の充実」を進 路指導とのかかわりをもたせている。 戦後の新しい教育制度のもとで開始された新 しい職業指導も進路指導と名称を変えただけに とどまらず,その後の大きな教育改革の流れに 沿って変化がみられるのである。すなわち, ①進路指導の位置づけとしては,教科として の職業ないし職業指導から,学校全体の教 育活動としての進路指導へ ②進路指導の指導内容としては,職業につい ての知識・理解の指導から,個々の生徒の キャリア発達の援助へ ③進路指導の指導領域としては,職業的教科 の領域から,特別活動または教科以外の教 育活動へ ④進路指導の担当者としては,職業科担当教 師から,学級・ホ ムル ム担当教師およ び進路指導主事へ といった変化がみられる。また,最近,進路指 導という言葉に代えて「キャリア教育」や「キャ リア開発J
という用語が盛んに使用されてきて いる。 以上のように,戦後の職業指導を概観するこ とができるが,このような,わが国の戦後の職 業指導,進路指導の変遷とその特徴,時代背景 などについて,次の論文で改めて詳述すること にする。 19 -(136)引用・参考文献 岩間英太郎他「わが国における進路指導の成立と 展開」日本進路指導協会平成10年 小林達夫著「進路指導の理論的基底の研究」風間 書 房 昭 和54年 国分康孝監修「現代カウンセリング事典」金子書 房 2001年 行田忠雄「進路指導の沿革について