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農村発展と農業技術の展望 : タイと韓国を中心として [Rural Development and Innovation of Agricultural Technology]

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東南 アジア研究 17巻2号 1979年9月

造 *

RuralDevelop- entand lmnovation ofAgricultural Technology

Ke

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o

T sucHIYA

*

Tbisarticlepresentsananalysisortherelati on-ship between ruraldevelopmentand thei nnova-tion oragrlCulturaltechnology,which fわcuseson KoreaandTllailandandusesS.Tobata'stheory. Thefundamentalfactorofruraldevelopmentis the innovation or agrlCultural technology・ In Asian countries, the response to the "Green Revolution

,

"

whichisthetypicalpatternofi nno-vation ofagrlCulturaltechnology,isdifrTerentfor eachcountry. ThemostsuccessfulAsian country in adoptlng the "Green Revolution" is Korea

,

whiletheleastsuccessfulisThailand. Themain reasonforthesuccessfuladoption inKoreaisthat goveltnment has acte(1 as the technologlぐal

ア ジアの 低 所 得諸 国 の

1

0

億 を 越 え る人 々の う ち ,約 半 数 が極 貧 の 状 態 に あ る 。 これ らの 国 々で は大 半 の 人 々が農 村 に居 住 して い るの で ,農 村 を いか に発 展 させ るか ば貧 困 問 題 の 解 決 に と って 重 要 な課 題 で あ る。1) ァ ジア の *九 州 大学農 学 部, 熱 帯農 学 研 究 セ ン タ ー (兼

任);Faculty ofAgriculture and Institute of TropicalAgriculture,KyushuUniverslty 1) 世 界 銀行 『世界 銀行 年次報 告 1978。1978年,

pp.47-50.

i

nnovator and as the "entrepreneur who bears norisk

,

"

andtheKoreanfarmerhasbeenableto changeeasilytobecomethe"meremanager"due to governmental initiative. However,ln Other developlngCOuntriesin Asia,governmentcannot actasthe"entrepreneur

,

"

for reasonsincluding the difBculties of expanding the international marketfわrnew products,and poor capltalfわr -mation. Theexperienceorruraldevelopmentin Koreaisvery attractiveto developlng COuntries. However,itisvery difhcultto transfer thisexI perience to other developing COuntries without reforminggovernmelltalandfarmers'functionsin thosecountries.

じ め に

農 村 発 展 に は ,工 場 誘 致 に よ る雇 用 機 会 の 創 出 ,家 屋 の 新 築 ,上 水 道 や保 健 施 設 の 設 置 , 栄 養 改 善 ,農 村 電 化 な どさ まざ まな側 面 が 考 え られ るが ,最 も重要 な課 題 は農 業 の技 術 革 新 を 中心 と して ,農 業 生 産 性 や農 業 所 得 を 向 上 させ ,貧 困 や 失 業 問 題 を 改 善 す る こ とで あ る。 この 場 合 , ひ とつ の 契 機 にな るの が , フ ィ リピ ンの 国 際稲 研 究 所

(

I

RRI

)

で育 成 さ れ た 稲 の 高 収 量 品種 の 普 及 に よ る農 業 所 得 の

増大 ,いわゆる 「

緑の革命.の可能性の問題

(2)

L尾 :農 村 発展 と農業技術 の展望 で あ る。2) これ に対 す る ア ジア の 諸 国の 反 応 は ま ち ま ちで あ る,, 「緑 の 革命 . の最 も成 功 した 国 と 目され るの は韓 国で あ り,比 較 的 関連 の 薄 い の が タ イで あ る。 もち ろん1975年 まで は米 の 輸 入 国 で あ った 韓 国 と,恒 常 的 に米 の 輸 出 国 で あ る タ イ と は 「緑 の 革 命 . に 対 す る取 り組 み方 も異 な る 。韓 国 は国 際 稲 研 究 所 の 高 収 量 品種

I

R

系 統 の 増 産 お よ び それ に必 要 な栽 培 環 境 の 整 備 に 取 り組 ん で お り, タ イ は 現 地 改 良 品 種 に竜 点 を お いた 栽 培 環 境 の 整備 を 行 な って い るが ,双方と も広 い意 味 の 「緑 の 隼 令 . を 遂 行 しよ う と して い る と考 え られ る。3) 小 梅 で は タ イを 中心 とす る 東南 ア ジアの 開 発途 上 国 と 韓 国 との 比 較 研 究 を 行 う こ とに よ って 「農 村 発 展 と農 業 技 術 の 展 望 .を 考 え て み た い。 従 来 の 農 村 発 展 理 論 は西 欧経 済 学 の 影 響 が 強 く,農 村 発 展 の 担 い手 の 分 析 が 弱 か った 。 シ ュ ム ベ ー タ ー (J.A.Schumpeter) の 影 響 を 強 く受 けて い る と は いえ , 日本 で 開 花 した 東 畑 精 一 の 『日本 農 業 の 展 開過 程 。 で 用 い られ て い る理 論 を 援 用 して ,農 村 発 展 と 農 業 技 術 革 新 の担 い 手を 中心 に 問 題 の 分 析 を 行 な って み た い。4) まず 東畑 理 論 か ら述 べ て み よ う。 ⅠⅠ 東 畑 理 論 と兼 業 発 展 論 東 畑 精 一 が 二日本農 業 の 展 開過 程 。 で 用 い た 理 論 的 フ レー ム ワ- クは ,大 正期 か ら1935 年 ごろ まで の期 間 に お いて , 日本 農 業 の 展 開 の担 い 手 は米 作 農 民 や地 主 で は な くて , 政 府 ,加 工 業 者 ,大 商 人 , 若 干の 農 耕 民 で あ る と規 定 した こ とで あ る。 以 下これ を も う少 し 詳述 して み よ う。 1 束 畑 理 論 (1) 農 民 一 単 な る業 主 常 識 的 に は 日本 農 業 の 展 開 の担 い 手 は ,耕 作農 民 や地 主 と考 え ら れ よ う。 し か し東 畑 は , この考 え 方 に は賛 成 しな い .。 「耕 作 農 民 は一 定 の 田畑 に対 し一 定 の 時期 に一 定量 の 労 力 や 肥 料 を 投 じて 収穫 を 得 之 れ を 或 は地 主 に 2)「緑の 革命.の定義は斎藤一夫 によれば 「米麦 雑穀のいわゆる 高収量品種の 開発普及 を推進 力 とす る LLr界の発展途上地域の 食糧増産 と農 業進歩の新 しい動 きを意味す る_」o (斎藤一夫 「『緑の革命。 の潜在力 と展望. 川野重任編著 『世界の食糧 ・日本の食糧。 泰流杜, 1978年, p.122.) 3)斎藤一夫 「東南アジア米輸出諸 国の農業発展. 『東南アジア研究。1978年, 15巻4号,p.499. 納 めた り租 税 に 当て た り或 は 自家 で 消 費 した り して 具 の 生 活 を 継 続 し.,5)特 別 の 事 情 が な い限 り,年 々歳 々 同様 な こ とを 繰 り返 して い る。 した が って 農 民 の 経 済 活 動 は ,一 種 の反 復 的 な 軌道 にの って 営 まれ て お り,む しろ本 能 的 ,反 射 的 な もの にな って い る。 東畑 は , この よ うに耕 作 農 民 は 「頭 を 要 し て .創 造 的職 能 を 営 む 企業 者 的 な経 済 主 体 で はな く, シ ュム ベ ー タ ーの 言 葉 を 借 りて 「単 な る業 -_i.(;) と名 付 け るの が 最 も適 切 で あ る と述 べ て い る。 4)束畑精一一 日つ日本農業の展開過程。 は基礎経済 学全集第8巻 として1936年1月に東洋 出版社 よ り出版され, その増訂版 は1936年6月に岩 波書店よ り出版 された。 また 軒昭和前期農政 経済名著集3。 として1978年12月農 山漁村文 化協会よ り復刻されている。 本論文 に おける 引用文 はすべ て復刻版による。 なお 同書には -1二屋圭造の 「解題」がある。JosephA.Sc hum-peter.rm eoriederWirtSChaJltlichenE7uWic

k

-Lu喝.2,Aufl,1926.(塩野谷祐一, 中山伊知 郎,東畑精一典訳 F経済発展の理論 L,T。 岩波書店, 1977年。) 5)東畑精一 『前掲書。p.66. 6)東畑精一 bl前掲書。pp.67-68. 341

(3)

東南 ア ジア研究 17巻 2号 これ に対 して 地主 の役 割 は どうか 。 明治初 期 に は,地租 改正 によ る金納租 税制度 の確 立 な どによ って ,地主 や 自作農民 は価格経 済の 過程 に巻 き込 まれ ざるを え なか った 。 このた め一 部の地 主 や 自作 兼地 主の イニ シア テ ィブ に よ って ,新 技術 の採用 ,品種 改良 ,増 産 な どが行 わ れ , H本農 業 が展 開 して きた。 しか し,1897年 を境 に して ,わ が 国 は米の 輸 出国か ら輸入 国 に転 じ,外 米が輸 入 された が ,外米 は内地米 とは異 な る商 品で あ り,か くて 内地 米 は東畑 の いわ ゆ る 「自然 的独 占. の地 位を確保 したた め地 主 は 「動 かす もの . か ら後退 して 「単 な る業 主 .な い し 「単 な る 地 主 .の地 位 に堕 して い った 。 米作農民 と地主 が 「単 な る業主 .で 日本 内 地 の農 業 を 「動 かす もの.で な い とす れば , 「これを動 か す もの. を 米 作農民 や地 主以外 に求 めな けれ ばな らな い。それ は と くに畑 作 の原料農 産 物 の加工 業 者 に求 め られ る。大 麦 な どの原料農 産物 を消費す る加工 業 は大規 模 な企業者 に よ って 営 まれて い る。 「自己の加 工 行程 に最 も適 合 して いる様 な原 料を獲得 す る為 に 自 らイニ シア テ イヴを と って農 産物 の 種 子 ,種苗 ,種卵 等 を農民 に供 給 し其 の生産 技術 を も屡 々指導 した り或 は指 令 した り し, 最後 に 其 の 購 買 を 独 占 せ ん とす るの で あ る.07) それ 以外 に大 規模 に 口本農業 を 「動 かす も の」は,日本 の政府 で ある。これ は,日本政 府 が種 々の 国営事 業 ,公共 事業 の主体 た る意 味 で直接 的な企業 者 で あるの みでな く,政府 の 間接 的な イニ シア テ イヴによ って民 間事業 が 初 めて な され る とい う意味 を含 めて で あ る。 この さい政府 の用 い る手段 は補 助金 や低利資 金 で ある。 また見方 をかえ れば ,米 穀統 制法 の運 用 は政府 が最大 の米穀 商人 で あ る こ とを 示 して い る。 た だ ,政府 が 日本農 民 を動 かす 7)東 畑 精一 vl前掲 書。pp.80-81. 方 法 は私 企業 とは異 な って お り,政府 は経済 Ⅰ二の 「危 険 (利 潤及 び損失 の可能 性) を負

せ ざ る企業者 .8)で あ る。 官 吏 もまた個 人 的 に も全体 的 に も政策遂 行 に対 して危 険を負担 しな い シス テムにな って い る。 わ が身 に危 険 がかか らな い ときに は , 人 はやや もす る と無 関心 とな り緩慢 とな る も の で あ るが ,農 林行 政 が 「敏 活 た り得 な い し 且つ 急所 に触 れ るに い さ さか迫 力 的 で はな く 実状 に照応せ ず して 机上 的 ,紙 上 的の傾 きが 強 い.9) の は このた めで あ る , と束畑 は述 べ て い る。 加工 業 者 や大商 人 は農 業の発 展を積極 的 ・ 敏 活 に推進 す るが ,多 くの場 合 ,利 潤追 求 が 優先 して農 民 の幸福 や厚 生 に直 接 に結 び付か な い. した が って一 部農 民 は困難 に直面 し, 政府 はその対策 に追 われ る。 また多 くの論 者 が対策 の みを求 め るの で ,政府 の 「企業 者. と して の 役割 はます ます 敏活性 を欠 くよ うに な る。 政府 によ る この対策 の ひ とつ で あ る補 助金 に関連 す る問題 点 は, 次 で 取 り上 げ よ

う。

(3) 付加 資本 一 日本 農 業 を 「動 か す も の .の必要条 件 東畑 によれ ば , 日本農 業 を 「動 かす もの . は政府 ,加工 業者 ,大商 人 な どで あ る。彼 ら は多元 的に見え るが ,結 局 は付加 資本を 有す るか 香 か に よ って , 日本農 業 を 「動 かす も の .か 「単 な る業 主. か に分 かれ る とい う。 まず農 民 につ いて 考えて み よ う。 一千万 人を 越 え る農 民 は 自由競 争 の波 に洗 われて お り, 資本 蓄積を可 能 にす るよ うな利 潤 の生 まれて くる余地 が あ って も,それ らは発 展 の創造者 で あ る加工業者 に帰属 して しま う。 さ らに農 民 の 中 に は多額 の負債 や その高利 子を払 わ な くて はな らな い者 も多 く, 自然 的 ,突発 的災 薯 や家 庭 的不 幸 の た めの支 出 も必 要 とな る。 8)束 畑 精 一 F'前 掲 書。p.113. 9)東 畑 精 一 『前 掲 書。p.117.

(4)

土屋 :農村発展 と農業技術の展箪 このた め 資本 蓄積 が 難 し く, 「単 な る業 主. に と どま らざ るを え な い。 地 主 が 「単 な る地 主 . に転 落 し去 って い る こ とはす で に述 べ た が , rそれ は 彼 等 が農 業 展 開の た めの投 資 ,資本 作用 の 付加 を 為 さな い こ とを 意 味 して ゐ る.。10)それ は ,地 主の 小 作 料 収 入 が 固定化 し恒常 化 して しま って ,潤 費 の節 約 以外 に新 た な投 資分 の 出所 はあ りえ ず ,農 業 展 開 の担い 手 とはな りえ な いた めで あ る。 農 民 や地 主 自身 か ら付加 資 本 の提 供 が で き な い とす れば ,それ は農 業 外 か ら提 供 され な くて はな らな い。 した が って ,行 政 的色彩 の 強 い資 金 供 給者 と して の 政府 と,付加 資 本 を 持 つ こ とが で きる前貸 し資本 家 と して の加」二 業 者 や大 商 人 とが 日本農 業 を 「動 か す もの. とな りうる。 また , 農 民 が 「単 な る業 主 ., 地 主 が 「単 な る地 主 . に と どまるか ぎ り,発 展 を創造 す るた め に政 府 や農 業 団体 の代 行機 関 が必 要 で あ った 。 そ こで政府 の農 業補 助金 の 中の あ る額 は常 に地 方 官 庁 や 団体 の 増設 , 人 員 の拡 張 に使用 され , した が って農 業 補 助 金 の大 きな 役 割 は 「補 助 金 中の人 件 費補 助 で あ る.。 これ で は 「民 間 団体 白身 も亦 官庁 と な り., 農 業 団体 は政府 の 農 業 政策 に対 す る よ き批 判者 にな る こ とが妨 げ られ て い る。 ま た農 林 省 が無 理 を承 知 の うえ で事 業 を な そ う とす る こ とにつ いて は ,補 助 金 が 「一 種 の 賠 償 金 に外 な らぬ し,且 つ 右 の情 熱不 足 の為 め の支 出で あ る場 合 が実 に多 いの で あ る.,11Jと 東畑 は述 べ て い る。 2 東畑 理論 の 開発途 上 国へ の適 用 性 東 畑理 論 は約40年 前 に発 表 され た もの で あ るが ,現 代 の 日本農 業 を 考 え る場 合 に も驚 く ほ どうま く適 用 で きる。 これ はす で に別 の 機 会 に述 べ た の で省 略す る こ とに して ,12) 開発 途 上 国の農 村 発 展 を考 え る場 合 の適 用 性 につ 10)東畑精一 Fr船掲書CCP.131. ll)東畑精一 ■.'前掲書。pp.148-153. いて 考 えて み よ う。 東畑 は第

2

次 大 戦 前 の 日本農 民 を 「単 な る 業 主 . と して 規 定 した o 「単 な る業 二t:_」 が 戦 前の 日本農 業 に固着 して い る理 由 と して 次 の

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点 を あ げて い るo第

1

は F一日本農 上引 ま商 品 経 済 ,貨 幣経済 的訓練 の 機 会を持 ち得 る こ と が少 い.1…り こ とで あ る。 第2は ,数 百 万人 も い る農 民 は完 全競 争 の状 態 に あ り,生産 物 の 価格 形 成 者 に はな りえ な いの で ,価格 の変 化 現 象 に は 「運 命 的 ,消極 的 で あ って ,之れ を 自 ら動 か し得 る もの との 自覚 や気 塊を持 ち得 な い.14- こ とで あ る。第

3

は 「経 済 的展 開過 程 の 創造 に は新た に付加 資本 を必 要 とす る。 -- とこ ろが わ が農 民 の大 多数 は蓄積 した る 資 本 に乏 し く,

1

つ 又 之れ を 自 ら信 用 形 態 と し て 捜 得 す べ き 機 会 と 能 力 と に 欠 けて を る.15) こ とで あ る。 開発途 上 国の農 民 につ いて は ,東 畑 が 「単 な る業 主. の存 在 理 由 と して あ げた上 記

3

点 が その まま あて は ま り,彼 らの 機 能 を 「単 な る業主 ー」と して規 定 して もほぼ 間違 いな さそ うで あ る。 も しそ うだ とす れ ば ,政府 や農 業 団体 ,加工 業 者 ,大 商 人 な どが 「農 業 を 動 か す もの 」 とな らざ るを え な い。 束畑 は 「単 な る業 主 . に関連 して 戦 前 の 日 本農 民 , と くに東 北地 方 の よ うに経 済 生 活 に 近 代性 の少 な い農 民 は ,非 生 産 的 な負 債 につ いて の 高利 子 を支払 わ ざ るを えず , 自然 的 ・ 突 発 的 な災 害 や 家庭 的不 幸の た めの支 出を 余 儀 な くされ , しば しば単 純 再生産 も不 可能 で あ る と し, さ らに 「元 来 , 自然 に対 す る経 済 の保 険施 設 す ら完備 され て ゐ な い農 業 社 会 に 於 て 高利貸 借 や利 子 奴隷 を排 除 しよ う とす る の は無 理 で あ る。 斯 様 な事 情 が農 民 の農 業 投 過程。農 山漁村文化協会,1978年,pp.4-31. 14)東畑精一 前掲書。p.76. 15)東畑精一 -r」前掲書。pp.76-77. 343

(5)

東南 ア ジア研究 17巻 2号 資の 付加 を為 さ しめ得 な いの みな らず ,屡 々 農民 を縮 小 的再 生産過 程 に赴 か しめ るの は当 然 で あ る。 発 展現 象の な い所 ,利 子 は高利 と な って働 き労働 所得 や地 代 に喰 ひ込 む 寄生 的 作用 を営 む.16) と述べ て い る。開発 途 上 国の 多 くの農 民 は,負債 や 高利子 に悩 まされ ,早 純 再 生産 さえ しば しば 困難 とな る。 まさに束 畑理 論 その もの で ある。 以 l二の よ うに束畑理 論 は開発途 上 国に お け る農 村 発 展論 に は良 く適 用 で きる。 タイを 中 心 とす る東南 ア ジアの 開発途 上 国 と韓 国を対 象 と して ,東畑 理論 によ って 分 析を試 みて み よ う。

開発 途上 国にお け る農 村 発 展 と技 術革 新 1 「緑 の革 命 . と農業 の多 角化 ア ジアの諸 国で は,稲 の高収量 品種の導入 を基礎 と して 大規 模な農 業 生産 の拡 大 が行 わ れて きた が ,

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5

年 に は生産 の伸 び は鈍 化 して , 「緑 の革命 . につ いて の悲観論 が強 ま って きた。 そ こで農業 を多 角化 し,今 まで 不十 分 に しか使わ れて いなか った土地 ,労 働 を よ り集 約 的 に用 い ,農 業生産 を増 加 し,農 業所得 を 向上 させ よ うと す る 研 究 や施策 が

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年代 に は盛 ん に行 わ れて きた。17) もちろん , 「緑 の革 命 _」 は この よ うに悲観 論 ば か りで はな い。 楽観 論 もある。 少 な くと も一 時 的 に は楽観 論 が あ った はず で あ る。 ア メ リカや ス ペ イ ンな どが米 の作 付 け制 限を し たの は 楽観論 を 前 提 と して お り, そのた め

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2

年 の食 糧不足 の一 因 と もな った。 この こ とは東南 ア ジアの諸 国で も例外 で はな い。 と くに 最近 の 韓 国 に お ける 稲作 技術 の進 展 -「緑 の革命 . の成功 一一を み る と 楽観論 も否 定 で きな い。 楽観論 を 前提 とす るな らば ,米 の過 剰 が到 来す る こ と も予想 され るので ,多角化 の必 要 性 は次 の よ うに考 え られ る。 まず 第1に ,米

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)

東畑 精一 『前 掲 書。p.

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.

17)Dana G.Dalrymple. "Survey of Multiple Cropplng inLessDeve一opedNations

,

''Ec 0-7WmicResearchService,U.S.Departmentof Agriculture,Washington,D.C.,October, 1971. の輸 出国 は米 に代 る代替 輸 出作物 に注意を 向 ける。第 2に ,輸入 国 にお いて は米 の供給 は 十 分保証 され るの で ,他 の作物 に力 点 が おか れ な ければ な らな い。第

3

に ,台湾 の例 にみ られ るよ うに , 自給 自足 国で は 「緑 の革 命 . と多 角化 とは直接 の 関係 はな いが ,経済成 長 の紘果 ,工 業化 ,都市化 が進 み ,食 品の消費 構 造 が高度化 して ,需 要面 か らの農 業 の多 角 化 が必 要 とな る。 この よ うに考 えて くる と, 「緑 の革 命 . ほ楽観論 , 悲観論 いず れを とっ て も農業 の 多角化 に大 きな影響 を 及 ぼ して い る。 さ らに技 術 的 に も, 「緑 の革命 」 は農業 の 多 角化 と密 接 な 関係 が あ る。 緑 の革 命 の主 体 を な す高収量 品種 は成 育期 間 が 短

い。

時 に よ って 成 育期 間を これ までの

1

,

/

3

に も短縮 し, 一 気 に二毛 作 , 三 毛作, 四毛作 す ら行 な っ て ,

1

年 中耕作す る こ とが可能 で あ り,今 ま で遊休 の ま まだ った農業 労働 を活用 して 食糧 増産 を可能 にす る ことが で きる。 例えば

1

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年 の 「農 業 の多角化 . に関す る 国際会議 に提 出 された フィ リピンの リブ レロ ウ

(

A.

R.Librero)の論文 によ る と フィ リピ ンの バ タ ンガス地 域の典型 的な農家 は1年 の うち ,

7.

4

カ月 (兼業 を含 めて ) しか働 く機 会 がな く残 りの 4.6カ月 は収入 を あげ られ る 職 がな い とい う。18)作物 によ って はその状態 は もっと悪 くコ コナ ツ 栽 培の農 家 で は

1.

7

カ 月 しか働 けな い とい う。 も し,農 業 が多角化

(6)

土屋 :農村発展と農業技術の展望 して トウ モ ロ コ シ ・野 菜 な どが 米 に組 み合 わ され るな らば ,ヘ ク タ ー ル 当た りの 労 働 時 間 は米 の6.3カ月 か ら米 ・ トウモ ロ コ シ11.6カ 月 , 米 ・野 菜12.0カ月 , 米 ・ トウモ ロ コ シ ・野 菜

11.

8

カ月 とな り,労 働 時 間 は米 の み の 単 作 に比 較 して 倍 増 し,- クタ 一一ル 当た り純 収 益 も米 単 作 の67ペ ソか ら,最 大 の 米 ・ トウ モ ロ コ シ ・野 菜 の516ペ ソ と約8倍近 い増 加 にな って い る 。 他 の ア ジア 諸 国 に お け る1977年 の 多 角 化 率 は世 界 銀 行 の 調 査 に よれ ば , イ ン ド ・パ キ ス タ ンで 全 耕 地 面 積 の 約10-15パ ーセ ン ト, バ ング ラデ シ ュで 約40パ ー セ ン トにす ぎず ,瀬 音既の 発 達 して い る台 湾 の 約90パ ー セ ン トと対 照 的 で あ る。19) ァ ジ了 に お け る農 業 の 多 角 化 は ,農 業 生 産 や農 業 所 得 の 増 大 ,農 村 失 業 者 の 減 少 の た め に不 可 欠 の 条 件 で あ り,ひ いて は農 村 の 発 展 に役 立 つ。 2 「緑 の 革 命 . と雇 用 問 題 稲 の 高 収 量 品種 は在 来種 に比 較 して よ り多 くの労 働 の 投 入 が 必 要 で あ る。 国 際稲 研 究 所 の 調査 に よれ ば 去 1の よ うに 韓 国 , フ ィ リピ ン , タ イ , イ ン ドネ シア ,バ ング ラデ シ ュ , イ ン ド,パ キ ス タ ンの 各 国 に お いて ,そ れ ぞ れ 高 収 量 品種 の 労 働 投 入 量 は在 来種 に比 較 し てlo,28,44,ll,42,16,18パ ー セ ン ト増 とな って お り ,そ れ だ け雇 用 機 会が増 大 した こ とにな る。 しか し問 題 は高 収 量 品種 の 普及 効 果 は階 層 に よ って 異 な る こ とで あ る。 イ ン ドで は

4

パ ーセ ン トの 大 農 が31パ ー セ ン 1、の 面 積 を 所 有 して い るの に,51パ ーセ ン トの 零 細農 はわ ず か に8パ ー セ ン トの 土 地 を 所 有 し

18)AidaR.Librero. "AgriculturalDiversif i-CationandDevelepmentinthePhilippines," HachiroFukazawa(ed.),Diverstjicationand Developmeni of Agriculture,Institute of Developing Economies,Tokyo,1974,pp・ 73-90. 19) 世界銀行 『世界 開発報告 1978d 1978年。 表 1 稲の高収量品種 (HV)と在来種 (TV)の 労働投入量 liil 名 午 (日)HV (日)TV HV/(% )ノTV 韓 国 1974 139 126 110 フ ィ リ ピ ン 1966と1975 110 86 128 タ イ 1972 117 81 144 イン ドネシア 1970 287 258 111 バングラデシユ 1970 194 137 142 イ ン ド 1968と1970 92 79 116 パ キ ス タ ン 1972と1973 58 4() 118 (注) 年次が 二つ あるのはHV とTVの 作 付 け年。 年次の早い方がTV。

(出所) AdelitaC.Palacpac.WorldRiceStaiis -tics.TheInternationalRiceResearch lnstitute,1977,p.119. て い る にす ぎな い。 した が って ,大 農 に比 較 して 零 細農 の 受 け る利 益 はわず か で あ り,棉 対 的 に 富 め る者 は ます ます 富 み ,貧 しい者 は ます ます 貧 し くな って 所 得 分 配 の 不 平 等 性 は 増 大 して い る 。 この よ うな 事例 はパ キ ス タ ン につ いて1959年 と1970年 の 閲 に高 収量 品種 が 普及 した た め ,所 得 分 配 の 不 平等 が 増 大 した と報 じられ て い る こ とに もみ られ る。20) また 「緑 の 革 命 .や 多 角化 の 進 展 に よ り土 地 純 収 益 の 増 大 を 認 識 した地 主 が ,農 業 の 機 械 化 を 行 い , 自分 自身 が 経 営 を 担 当 し,小 作 人 を 土 地 か ら追 放 して い る地 域 が イ ン ド,パ キ ス タ ンに み られ る。 この よ うな地 域 で は , 農 業 の技 術 革 新 は小 作 人 の就 業 機 会 を か え っ て 狭 め ,雇 用 問 題 を 激 化 させ て い る。 タ イで は都 市 と農 村 の所 得 格 差 が著 し く, 1975年 の 統 計 に よ る と ,最 も貧 困地 帯 で あ る 東 北 部 はバ ン コ クに比 較 して

1

人 当た り国民 総 生 産 で12.4パ ー セ ン トにす ぎな い。 この よ 20)逸見謙三 「緑の革命- 十年余の経験. もつ国 際 協力。1978年9月号,pp.36-39は高収量 品種の導入によ り,地域 間の賃金な らびに所 得格差は拡大傾 向にあると指摘 している。 345

(7)

東 南 ア ジア研 究 17巻2号 うな 低所得 は失 業 問題 と表裏 一体 にあ り,坐 国平均 で は約62パ ーセ ン トが失業 ,また は半 失業 の状態 に あ り,乾期 に は東北部 で89パ ー セ ン ト,北 部で82パ ーセ ン トの農 民 が失業 状 態 に あ る。 農 業 の多 角化 に よ る 低所 得 の解 潤 ,失業者 の減少 は,1977年 か ら始 ま った第 4次虚 業発 展5カ年 計画 の重要課 題 とな って い る。21)

3

開発途 上 国政府 の役 割 (1) 農 地 改革 台湾 は農 業 の 多角化 の最 も進 ん だ 国で あ る が ,開発途 上 国が台湾 の経験を 学 び ,それを 直 ちに 自国 に移植す る こ とはで きな い。 台湾 農 業 を と りま く社 会 ・経済 的条 件 は多 くの 開 発途 上 国 とは異 な り,す で に1947年 に農 地 改 革 も行 われて い る。 台 湾 の 自作農 は農地 改革 前 の1946年 に は全農 家 の30パ ーセ ン 1、で あ っ た が ,農 地 改革後 の1949年 に は60パ ーセ ン ト に増大 して い る。 農地 改革 が 旧小作農 の積極 的負担 を 伴 うこ と な くして 行 わ れ た 場 合 に は ,直接 的 にその 所得 を ふ や す。 した が っ て ,他の条 件 に して 同 じな ら,その消費 水 準 は高 ま り,消費 内容 は高度化す る。それ に対 応 した農 業 生産 や農業 の多 角化 が必 要 とな っ て くる。 また ,農 地 改革 に必 要 な援 助措 置が 伴 う と,農 民 は土 地 に対 す る地 位 が保証 され るた め ,掘 り抜 き井戸 ,揚水 ポ ンプ ,動 力耕 うん機 に対す る長期 的な資本投 下を 行 うよ う にな る。 これ は多 角化 を促進 し,単 位面 積 当 た り収量 や労力 の利用 を増大 させ る。 この よ うに農地 改革 は多 角化 の促進 に役立 って いるが ,ア ジアの諸 国で は農 地 改革 の行 われて いな い国が多 い。 ス リラ ンカで は1958 年 ,小 作解 放 が始 め られた が ,農 地 改革 の行 21)DivisionofAgriculturalEconomics,Ministry ofAgriculuture and Cooperatives.Thai -land'sFourthFive-YearAgriculturalDevell opmenlPlan.a.E.252012524Guidelines.

1977,p.1・ われ たの は1972年 か らで ある。 イ ン ド,パ キ ス タ ン,バ ング ラデ シュで は1970年代 にな っ て 初 め て 農 地 改革 を 検 討す る よ う に な っ た 。22) 地 主制度 に さ まざ まな 幣害 が生 じて い るた め農地 改革 が必 要 とされ るが遅 々 と して進 ま な い。例 え ば (ヨ フィ リピ ン での 小 作慣行 は刈 り分 け小 作 で ,半 分 け方 式を とって い るた め小作 人の 負担 は重 い。 この一 般 的な方 式 は,地 主 が肥 料 や農 薬の よ うな投 入費用 を 前払 い し,収穫 時 に は彼 の取 り分 で ある収 量 の50パ ーセ ン ト に加えて ,現 物 で この前払 い分 を 回収す る と い う。 フィ リピンは1963年 ,農 地 改革 令を施 行 した 当時 ,全 国稲 作農 家 の40パ ーセ ン ト, 主 生産地 の 中部 ル ソ ンで は65パ ーセ ン トが小 作 人 で あ った が,1971年 まで に ,刈 り分 け小 作農 のわず か

5

パ ーセ ン トが多少 有 利 な地代 契約 で もって 定額 借地 農 にかわ った にす ぎな か った。1972年以 降 フィ リピ ンは戒厳 令下 に あ る。戒厳 令 とい う特殊事 態 の下 で は農 地 改 革 が進 展 しそ うだが ,地主 の抵 抗や よ り基本 的 に は ,土地 台 帳 さえ完備 して いな い地 域 が 多 いた め,1976年6月 まで に約半分 の小 作農 が 自作農 にな った にす ぎな い。 イ ン ドネ シア につ いて も土 地 台 帳の な い地 域 が多 く,農 地 改革 の進 展 が 困難 で あ るの は同様 で ある。 ④ タ イで は, 全利 用度 地面 積 の うち 自作 地83パ ーセ ン ト,小作地13パ ーセ ン ト,その 他

4

パ ーセ ン トとな って お り,ア ジアの他 の 諸 国 に比較 す る と,小 作地面 積 が少 な く,農 地紛 争 はあ ま りな い と考 え られて きた。 しか し小 作地 面積 は 地 域 的 に か な りの 相違 が あ り,中央平原 で は小 作地 が35パ -セ ン トで あ る。1973年 の民 主 政権 移行 後 は,(イ)農民 意 識の変 革 ,(ロ)輸 出 プ レ ミア ムによ る低米 価 , (-) 農 家 の消費 パ ター ンの変 化 によ る小 作 22)滝川勉 「東南アジア土地制度論. F'ァジア経 済。1978年,pp.86-97.

(8)

L屋 :農村発)露と農 業技術 の展 亡.II 表2 高収量品種導入に伴 う地:l三と小作人の分け前 (インド) 生 産 量 「完 売

「 「J

在来種に対する高収量 高収量品種 耗 来 種 品種の増加率 (% ) 5,727 2,720 211 3,818 1,360 281 1,909 1,3('0 140 993 384 】 259 662 192 345 331 192 172 3,156 1;168 270 1,578 1,168 135 墓 前 前 用 ナ け 費 算 換 類 EP 十人 jJ 軍 挿 粗 前 前 分 分 け け 用 用 分 分 督 純 費 の 純 の の 人 の 人 士 作 主 作 地 中 地 中 純生産における小作人の純分け前

(lliJT所) TheInternationalRice Research Institute. ChangesinRiceFarming inSelectedjlreaSQf 11sia.TheinternationalRiceResearch

の 負 債 の 増 大 , (こう 第 2次 産 業 の 発 展 に よ る不 在地 主 の 増 加 な どに よ り小 作 料 ,地 代 が 増 加 し,小 作 問 題 が 激 化 しつ つ あ る 。 この た め1975年3月 に 農 地 改 革 法 を 施 行 し, 政 府 に よ る農 地 買 い 上 げ費 用 と して24倍 バ ー ツ (約240億 トリ) の 財 政 支 出案 が提 案 され た に も か か わ らず ,地 主 層 の 反 対 に あ い ,予算 と し て 同 会 で承 認 され た の はわず か1倍 バ ー ツに す ぎな か った。 農 地 改革 は遅 々 と して 進 まな い 。23) ・⑥ イ ン ドで 国際 稲 研 究 所 が 行 な った 調査 で は表

2

の よ うに費 用 ・総 収 量 と も在 来 種 に つ いて は ,地 主 ・小 作 人 に よ って 折 半 され て い るの が 普通 で あ った 。 しか し,高 収 量 品種 にな る と費FfJ・総 収 違 と もに地 二I ii2′/3, 小 作 人1//3の 分 け 前 とな り, 純 生 産 に対 す る小 作 人 の 純 分 け前 は

28

パ ーセ ン トにす ぎな くな っ た 。 また 高 収 塵 品種 の 普及 と と もに地 主 は定 額 の賃 貸 料 を とるの を や めて ,定率 にす る傾 向 が あ る 。 この た め生 産 財 を 増 投 して 生産 を あげて も小 作 人 の 利 益 に はな らな い。 開発 途 上 国の 農 地 改 革 は以 上 の 例 にみ られ 23)上尾圭造 「li1-1時解決 を迫 られる タイ 農業. F'農業 と経済11977隼11nr, hstitute,1975,p.66. る よ うに , その 必 要 性 は 痛 感 され な が ら も 遅 々 と して 進 まな い。 次 に 述 べ る台 湾 ・韓 困 ・日本 の 農 地 改革 の 経 緯 を みれ ば 判 明す る よ うに ,通 常 の 手段 で は農 地 改革 は成 功 しな い と考 え られ る。台 湾 に は農 地 改 革 記 念 館 が 設 け られ , また 開発 途 上 国 の農 地 改革 研 修 セ ン ター に もな って い るが ,台 湾 の農 地 改革 が 成 功 した の は台 湾 の 支配 階 級 が 土 地 を 持 た な い 中 国大 陸 か らの 渡 来者 で あ った特 殊 事 情 を 考 え な けれ ば な らな い 0 線 国の 農 地 改革 は 1948年8月 に 成 立 した が , 北 朝 鮮 は す で に 1946年3月 に農 地 改 革 を 実 施 して お り, この 宣 伝攻 勢 に対 抗 す るた め の政 治 的布 石 で あ っ た。 日本 の農 地 改革 は 占領 下 とい う特 異 な 状 況 下 で や っ と成 立 した 。 開発 途 上 国 の農 地 改革 が 困難 だ とす れ ば , これ に代 る もの と して 刈 り分 け小 作 制度 や 小 作料 の 改 善 が必 要 とな る 。 しか し,開発途 上 国 の 政 府 は地 主 階級 に支 配 され て , この 改 善 策 さえ極 めて 消極 的 にな らざ るを え な いの が 現 状 で あ る。

(2)

濃 蘭 施 設 国 際稲 研 究 所 の 高 収 量 品種 は短 程 で あ るo 草 丈の 短 い 品 種 は ,洪 水 に弱 い o 長 い 間 ,水 347

(9)

東 南 ア ジ ア研 究 17巻 2号 表3 両アジア ・東南アジアにおける米の生産状況 (1974/75) 国 名 米 の 収 量 -1尊概 面 横 率 米 の 2期 作 率 高 収 量 面 接 率 (t/ha) (% ) (% ) (% ) 東南アジア 2.3 29 10 26.7 ビ ノレ マ 1.8 17 1 6.4 イ ン ドネ シ ア 2.8 47 19 40.3 マ レ ー シ ア 2.7 77 50 37.5 フ ィ リ ピ ン 1.7 41 14 61_5 タ イ 1.8 ll 2 6.6 ベ ト ナ ム 2.7 15 5 29.9 南アジア 2.1 37 6 26.3 バングラデシュ 2.0 16 10 14.8 イ ン ド 1.8 40 5 28.4 ネ ノ ヾ - ル 2.1 16 0 18.0 ノヾキ ス タ ン 2.3 100 0 39.3 ス リ ラ ン カ 2.1 61 25 67.1

(出所) AdelitaC.Palacpac.

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TheInternationalRiceResearchInstitute,

1977,p.36,p.104. につ か って い る と稲 が生 き残 れ な い か らで あ る。 この た め に港 概 排水 施 設 は必 要 不 可 欠 で あ る。 しか し,表

3

の よ うに マ レー シア で は 77パ ー セ ン トの農 地 が潅 漑 され て い るが ,他 の 東南 ア ジア諸 国 で は平 均34パ ーセ ン トだ け が港 概 され て い る にす ぎず , また タ イで も乾 期に准 概 の で き る の は全 体 の 水 田面 積 の

11

パ ーセ ン トにす ぎな い。 この よ うに乾 期 に港 概 面 積 が 少 な いの は次 の 諸 理 由 に よ る。 (∋ 新 幹 線 水 路 は雨期 に お け る港 概 水 が流 下 す るよ うに計 画 され て お り ,乾期 に 自然 流 下 に よ り末 端 まで 配 水 す る こ と は不 可 能 で あ る。 新 分 水 の た め に は堰 を 増 設 しな けれ ば な らな い。

(

末 端 の港 概 水 路網 が 施 工 され て い な い た め ,乾 期 に は幹 線 水 路 に隣 接 した 圃 場 以 外 は港 概 で きな い 。 (む 末 端 の 藩 政 水 路網 を 施 工 す るに は圃場 の 区画 整 理 が 先 行 しな けれ ば な らな い 。 一 般 に 開発 途 上 国 で は港 概 の必 要 性 (また 洪 水 常 襲 地 帯 で は洪 水 防御 ,沿 岸 や 乾 燥 地 で は塩 害 防 止施 設 な どの 設 備 の 必 要 性 ) が 強 調 され な が ら,財 政 支 出 や農 民 の 費 用 負 担 に制 約 が あ る こ とな どで

,

湛概 施 設 の 整 備 は期 待 どお りの成 果 を 収 めて い な い所 が 多 い。 ま し て 高 収 量 品種 の栽 培 に は ,間 断 港 瀧 な どの 集 約 的 な管 理 が必 要 で あ るが ,そ の た め に不 可 欠 な 排 水 路 の 確 保 な ど望 む べ くもな い状 態 で あ る。 い ま タ イ につ いて み る と

,

濯概 の 整 備 は農 業 発 展 の基 本 的条 件 で あ る と して

,1

97

2

年 か ら始 ま った 第

3

次 農 業 発 展

5

カ年 計 画 で は , ダ ムや 幹 線 水 路 の 建 設 を 減 少 して ,末 端 用 水 路 網 の整 備 や農 場 レベ ル の 圃 場 整 備 事 業 に重 点 が おか れ る こ とにな った 。 しか し事 業 の 進 行 状 況 は あ ま りか ん ば し くな く

,1

97

6

年 で末 端 用 水 路綱 の 整 備 され た もの は全 潅 漑 可 能 面 積 の

3

8

パ ーセ ン トにす ぎず ,圃 場 整備 事 業 に な る と全 港 概 可 能 面 積 の

0.

3

パ ー セ ン トにす ぎな い。 筆 者 と ブ リ ー ダ ー ・プ ラ ブル ッチ ョ ッ プ (Preeda Prapertchob) が タ イ東 北 部地 帯 の

(10)

l二屋 :農 村 発展 と農業 技 術 の展 望 ノンワイ (Nong W a主)農 業 水 利 事 業地 区 で 行 な っ た 調査 結 果 に よ れ ば , 圃 場 整備 , 港 概 ,天水 田の 各地 区の 収 量 はそれ ぞれ1ライ 当た り

3

7

0,3

20

,

2

3

0

キ ロ グ ラムで あ り,圃 場 整 備 事 業 の 効 率 が良 い こ とを 示 して い る。 ノ ン ワイ 地 区の 港概 施 設 の 完 成 した の は

1

9

6

9

年 で あ り,湛概 面 積 は

1

9

6

8

年 の

8,

6

3

0

ラ イか ら

,1

9

6

9

年 の

51,

1

4

7

ラ イ- と約

6

倍 に急 増 した が ,乾期 作 物 の 作 付 け率 は

,1

9

7

4

年 の

8.

4

2

パ ーセ ン トを 別 にす れ ば

2

パ ーセ ン ト前 後 で あ るにす ぎな い

。1

9

7

4

年 の作 付 け率の急 増 は乾期 作 物 の 普及 キ ャンペ ー ン,展 示農 場 や 普及 員 ,地 方 公 共団体 な どの推 進 の 力 に よ る (表

4

)∩ 表4 ノンワイ農業水利 事業地区の乾季作物作付 け状況

(出所) RoyalIrrigation Department. Nan Pong Irrigation ProjectUnpublished Data.Thailand.

同 じタ イ国 内で も中央 平原 の チ ilナス ー ト (Chanasutra)圃場 整備 事業 地 区 の場 合 に は,

RD

系 統 の作 付 け は

,

圃場 整 備事 業 が 始 ま る 前 の

1

9

6

8

年 に は皆 無 で あ った が

,1

9

7

4

年 に は

28

パ ーセ ン トに達 して お り, ノ ンワイ地 区 と 対照 的 で あ る024)これ は ノ ン ワ イ地 区 で は幹

24)SomchartKolnate.LabourProblems0 fDou-bleCroppingatChanasutrLan,d Consoli da-LionProjeclS.MasterThesisofThammasat Universlty

,1

9

7

6

.

線 水 路 が完 成 して い るが末 端 の 圃場 整 備 が不 十分 で乾期 の水 利 用 は必 ず しも十 分 で はな い た めで あ る。 また ,か りに圃場 整備 が 完成 され た と して も次 の 諸 理 由に よ り乾期 作 は導 入 され に くい。 ・iI・ 農 家 の 低 所 得 1戸 当た りの 年 平均 所 得 は

3

万 円前後 で あ り,筆 者 らの調 査 結 果 に よれ ば

1

ライ 当た りの肥 料 な ど現 金 支 出 は

1

9

バ ー ツ (約

2

O

Oli]) 前後 にす ぎな い。 乾期 作 の稲 は短程 耐 肥僅 品種 で あ り,肥料 の 投 入 な く して は効 果 が あが らな い こ とがわ か って い て も,高価 な肥 料を買 う余 裕 が な い 。1ライ 当た りの 肥 料 の投 入 量 は約

5

キ ロで あ るO ⑨・ 教育 水 準 教 育 水 準 が 低 く,文 盲 者 が

3

2.

2

パ ーセ ン トもい る。 また農 業 改 良 普 及 員 も

2

0

0

0戸

1

人 とい った程 度 で は農 民 の 直接 指 導 まで 手が 回 らな い (農 家 に対 す る普 及員 の 数 は 日本 の約

1

/

1

0)。

耳 高 金 利 肥 料 や その 他 の農 業 資材 を精 米 業者 ,肥 料商 あ るい は私 的 な金貸 し業 者 か ら借 り入 れ る と ,年 利

1

2

0

パ ー セ ン トの 高利 を と られ る。 また農 業 協 同組 合 の年 利

1

2

パ ー セ ン トの 低利 資金 は組 合- の 加 入率 が 低 いた め十分 に利 用 で きな い。 耳 痛 票 虫 部 分 的 に乾期 の用水 利 用 に よ る栽 培 が行 わ れて も,それ らを 目が けて 病 害 虫 が集中 し, 収 量 は期 待 す る ほ ど あが らな い。 防 除費 用 に も事 欠 くこ とは ,上 述 の通 り で あ り,意 欲 的な農 家 の士 気 を 低下 させ る。 (jl・ 流 通 機 構 乾期 に部分 的 な稲 作 が行 わ れ て も,精 米 を して くれ る とこ ろが な い。 精 米所 の操 業 に は最 適 規 模 が あ り,少 量 で は精 米 の 引 き受 け手が な いた めで あ る。 また 貯 蔵 倉庫 も不 足 して い る. さ らに高 収 量 品種 は在 来 種 に比 較 して 味 が 悪 く,価格 も

3

0-

40

パ ー セ ン ト低 落 す る。 この よ うに開発 途 上 国 の農 業 開発 は ,単 に 技 術 的問 題 の みな らず 社 会 的 ・経 済 的 ・生態 学 的 な 問 題を 同時 に解 決 しな けれ ば ,その 成 349

(11)

東南アジア研究 17巻2号 采 を 期 待 す る こ とが で きな い。 事実 , タ イで も多 くの 技 術 指 導 や 技 術 援 助 が な され た に も か か わ らず ,1ライ 当た り収 量 は こ こ20年 間 約260キ ロ グ ラム (モ ミ)で あ り (表5), ほ とん ど変 化 はな く,生 産 量 の 増 大 は も っぱ ら 開 田 に よ って な され ,新 技 術 導 入 に よ る生 産 増 大 の 効 果 は比 較 的少 な い (新 開地 の 単 位 当 た りの 収 量 も平 均 な み で あ り,新 開地 の た め に平 均 収 量 が 落 ちて い るの で は な い) 。 単 位 当 た り収 量の 増 大 は1977年 か ら始 ま った 第

4

次 農 業 開発 計 画 の 最 重 要 課 題 の ひ とつ で あ る。25)

蓑 5

タイの米の作付け血債 ・収量 ・総生産量

(出所) Division of Agricultural Economics,

M inistryofAgriculturaland Cooper a-tives.AgriculturalStatisticsofThai -land.1977. (3) 肥 料 の 増 投 政策 開発 途 上 国の 食 糧 増 産 に は ,涯 概 施 設 や 農 地 改革 が 必 要 不 可 欠 で あ る。 これ は 当 然 政 府 が行 うべ き こ とで あ るが , しか し, これ に は か な りの年 数 もか か る 。 また か りに ,農 地 改 革 が な され , 港 概 施 設 が整 備 さ れ た と して ち, タ イの事 例 につ いて 述 べ た よ うに ,十 分 な 肥 料 の投 下 ,肥 料 の 補 助 金 政 策 ,金 融 組 織 の確 立 ,農 業 改 良 普 及 組 織 の確 立 な どが 伴 わ

25)DivisionofAgriculturalEconomics,M inistry ofAgricultureandCooperatives,RoyalThai Goverment.Thailand's Fourth Five-Year AgriculturalDevelopmentPlana.E .2520-2524Guidelines.1976. な けれ ば 「緑 の 革 命. の成 果 は あが らな い 。 これ らは いず れ も政 府 の 役 割 で あ る。 まず 施 肥 量 につ いて みて み よ う。 東 南 ア ジ ア の諸 国 で は施 肥 量 は少 な い。26)1974年 につ いて み る と , 日本 に比 較 して 施 肥量 は タ イ約

1

/

3

0

, フ ィ リピ ン約

1

/

1

5

で あ り,韓 国 ,台 湾 を 除 けば 東南 ア ジア各 国 の施 肥 量 は きわ めて 少 な い。 これ は肥 料 価 格 が 高 く,逆 に米 価 が 安 いか らで あ る。1976年 につ いて み る と ,尿 素 肥 料 価 格 の モ ミ価 格 に対 す る倍 率 は , タ イ で

4.

0

8

倍 , フ ィ リピ ンで

3.

5

5

倍 で あ り,肥 料 の 増 投 は困難 で あ る。 高収 量 品種 の小 麦 につ いて もま った く同様 で あ る 。 アザ ム (K.M.Azam)の 行 な っ た 1972年 西 パ キ ス タ ンの 調査 に よれ ば,27) 肥 料 の 増 投 は階 層 間 にか な り格 差 が あ り,肥 料 を 用 い た 農 民 は 保 有 地 6エ ー カ ー 以 下 が6.9 表 6 アジアにおける尿素肥料価格 とモ ミ価格 (1976) 回 名 (価格尿素肥料

U.

S二/ kドル) モ ミ価格g / k(

U.

Sg

.

ドル)尿素肥料価格モ ミ価格 バングラテ一ンユ 0.117 0.061 1.93 ビ ル マ 0.032 0.018 1.81 中 国 0.621 0.105 5.90 台 湾 0.211 0.269 0.78 イ ン ド 0.415 0.074 5.61 イン ドネシア 0.414 0.167 2.48 日 本 0.395 0.741 0.53 韓 国 0.533 0.354 1.51 フ ィ リ ピ ン 0.521 0.146 3.55 ス リ ラ ン カ 0.239 0.142 1.68

(出所) AdelitaC.Palacpac.WoTldRiceStati5 -ticS.The InternationalRiceResearch lnstitute,1977,p.71. 26)土屋圭造 「世界の食糧危機 と肥料問題. 『東 洋 経 済 - 資 源 総 特 集。1974年, pp.64-70. 27)K.M .アザ ム著,深町宏樹訳 「西パキスタン における緑の 革命の将来」 r''のびゆ く農業Ll, 417弓・,1974年,pp.2-31.

(12)

L屋 :農 村11:.展 と農業技術 L7)根 里 パ ー セ ン ト

,6-

1

2.

5

エ ー カ ーが

1

7.

7

ペ- セ ン ト

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1

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エ ー カ ー が

1

6.

6

パ ー セ ン ト

,1

5

エ ー カ ー以 Lの 階 層 で

2

0

パ ー セ ン トで あ った。 この 理 由 は ,港概 設 備 の 不備 と肥料 購 入 資 金 の 不 足 で あ る と報 告 され て い る 。 この よ うな 施 肥 量 不足 の 対 策 は次 の 諸 点 に求 め られ る。 (争 闘発 途 L国 , と くに ア ジア モ ン スー ン 地 帯 の 農 民 は , 従 来 施 肥 慣 行 は な く, した が って 細 か い施 肥 技 術 に欠 けて い る。 表 層 に 施 用 され た 基 礎 窒 素 は脱 窒 作 用 で効 力 を 失 う の で , 施 用 後 撹 拝 す る 必 要 が あ る。 ま た , 高 収 量 品種 の 栽 培 に は 当然 追 肥 が必 要 とな る が ,追 肥 もほ とん どな され て い な い 。施 肥 効 果 を あ げ る に は

3

要 素 や微 量 要素 の 適 JIミE%施 肥 が 必 要 とな るが , これ に は きめ 細 か い指 導 や ,そ の た め の 普及 組 織 の 確 立 が 必 要 と な る 。 '21 開 発 途 (A.国 に お いて ト分 な 施 肥 が な さ れ な いの は ,肥 料 の経 済 効 率 に対 す る 農民 の 無 知 ,土 壌 検 査 の 施 設 や 肥 料販 売 所 の 不足 , 普及 事業 や農 業信 用 事 業の 未 発 達 ,流 通 機 構 の 未 整 備 な どに もよ るが ,施 肥 最 の 少 な いの は ,さ き に述 べ た よ うに

肥料

価 格が 高 く,栄 価 が 安 い こ とで あ る。 そ の た め米 価 の 引 き上 げが 必 要 で あ る こ とは い う まで もな い が ,東 南 ア ジア諸 国 で は どち らか といえ ば 低 米価 政 策 が と られ て きた 。台 湾 の 米 価 は政 府 に よ り 低 く押 え られ て きた

(

1

9

7

3

年 まで農 民 に肥 料 の人 手が 容 易に で き る よ う 肥 料 と 米 の バ ー タ ー制 度 が あ った し,そ の 後 は肥 料 に 対 す る 補 助 金 政 策 が と られ て い る

)-

, マ ッ シ ュ ル ー ム , 大 豆, 玉 ね ぎ に対 して も保 証 価 格 が あ り,低 米価 政 策 が そ れ らの 作 物 を 相 対 的 に有 利 に して 農 業 の 多 角 化 が進 展 し て き た -) ま た ,重 い地 組 の一 部 は土 地 改 良 な どの 農 業 構 造 改 善事 業 の 財 源 とな って い る 。 フ ィ リピ ンで は ,モ ミに 関 す る最 低 価格 保 証 は

1

97

2

年 か らあ った が ,実 際 に は機 能 して いな か -,た(,・そ こで 機 構 改 隼を 行 い ,従 来 , 栄 , メ イ ズ局が 担 当 して いた 業務 を 農 業 資 源 省 内 に新 設 した 穀 類 局 に移 した 。 稲 の 作 付 け 現 前

(5

月 と

1

0

月) に は

1

朋 作

・2

期 作 の 最 低価 格 保 証を 行 い ,収 穫 され た モ ミの 農 家 受 け取 り価 格 が そ れ よ り

卜回

る場 合 に は政府 が 直接 買 い入 れ る こ とに した (最 低保 証 価格 は

1

9

7

4

年 と

7

5

年 で そ れ ぞれ キ ログ ラム 当た り

0.

7

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ペ ソ と1

.

0

ペ ソ)。 しか し, 自由価 格 はそ れ を 卜.回 り,政 府 の 買 い入 れ 最 は市 場 供 給 量 の う ち

,1

9

7

0

0.

7

パ ー セ ン ト,最 高の

1

9

7

5

3.

6

パ ー セ ン トで あ り

,1

9

7

5

年 まで の

5

カ 年 -平均 は1

.

2

4

パ ー セ ン トにす ぎな か った。28) タ イが

1

9

6

0年以 前 に採 用 して いた 米 の輸 出 時 に お け る プ レ ミア ム制 度 は

1

9

71

J

f

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iに 国際 米 価 が 低 落 した た め に一一一一一

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,1972 /rF・に 国 際 米価 の

騰 と と もに

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0

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パ ー セ ン トの // レ- ド

A

に 対す る プ レ ミア ム は トン

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1

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バ ー ツ ,他 に輸 lLti税

5

5

0

バ ー ツ).-、この プ レ ミ ア ム総 額 は 196675

間 , 国家 財 政 の

1

'

'

均 10パ ー セ ン トを古 め

,

国 家 の -i三要 財 源 とな り , また 農 業構 造 改 善事業 の 財 源 とな った 〔) プ レ ミア ム制 度 に は , 財 政 収 入 に対 す る貢 献 ,回 内物 価 の 引 き 卜げ と安 定 な どの メ リ ッ トが あ る反 面 ,農 家 庭 先 価 格 の 引 き 卜げ ,農 民 に 対す る二重課 税

,

低 米 価 に よ る米 の 消 費屋 の 増 大 な どの デ メ リッ トが あ る。米 の 庭 先 価 格 の

]

lき

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は トウ

:

tロ コ ン, ソル ガ ム ,入 り., ケ ナ フ な どの 米 との 競 合 作 物 を 増 床 さ せ ,農 業 の 多 角化 を 進 展 させ た 。 (;i、・ 高 米 価 政策 は消費 者 価 格 や 財 政 支 出の 問 題 が あ り ,開発 途 上 国 は採 用 しに くい面 が あ る 〔ノそ こで ,残 され た 可能 な施 策 は ,肥 料 に対 す る 補 助金 政 策 で あ る。補 助 金 に よ る施 肥 量 増 大 は生 産 効 率 を大 幅 に 上昇 させ るの で ,

281AsianProductivity Organizati on."Econom-ics()fFoodGrainI)istributi()n,"Asian P rり-(Tuctilr恒 ()rganizこlti,jn,1976,pp.19620ir).

(13)

東 南ア ジア研究 17巷2[,」 肥料購入 に対す る補助金政策 は財政支 出の効 率面か らも望 ま しい。 マ レー シアで は高収量 品種の普及のた め , 1971年 まで肥料 に対す る補 助金制度があ り当 初市 価の50パ ーセ ン ト,その後 は30パ ーセ ン トを政府が負担 して いた。 現在で は,肥料 は 農協を通 して販売 され ,煉 素の

CI

F

価格 が 330マ レー シア ドル 以上 にな る と政府が補助 金を 出 して いる。 また , フィ リピンで は米 と トウモ ロコシに 使用 され る窒 素肥料 に対 して ,政府 は補助金 を支 出 して いる。1975年 における疑 素の輸入 価格 は50キ ログ ラム当た り130ペ ソで あるが , 米 と トウモ ロコシの生産者の購入価格 は80ペ ソで あ り,政府 は尿 素50キ ログ ラム当た り50 ペ ソの補助金を支 出 して いる。 この よ うな肥 料 に対す る補助金制度 は,東 南ア ジア各 国が 何 らかの形 で採用 して いるが ,今後 とも,維 持 して い くべ き重要 な施策 で ある。 (弟 肥料 に対す る金融的な援助 も必 要で あ るO開発途上 国で は一般 に肥料の購入 は,肥 料商 人な どか らの前借 りによ って 行われて い るが ,その金利 はきわ めて高 いo タイで は肥 料の90パ ーセ ン トが地方 間屋 ,小売商な どの 商人ル ー トで流れ,10パ ーセ ン トが農業協 同 組合のル ー トで販売 されて いる。農業協 同組 に合な どか らの短 ・中 ・長期借 り入れ資金の 金利 は年12パ ーセ ン トだが ,大部分 の農家が 前借 りして いる肥料商の場合 に は,1作物期 間の金利 が20パ -セ ン トとい う高利 で ある。 また , フィ リピンの農 業経済局の 調査 によ れ ば , 全農 家の1/4が 営農 資金 の 前借 りを 行 な って お り,その半分以上が個 人の金貸 し 莱 ,地 主, 親戚 ,知 人 な どよ り成 って いる。 米作農家 で はその割合 は高 く,米生産地 の 中 部ル ソンで は45パ ーセ ン トの農家 が前借 りを 行な って いる。 金利 は年20-40パ ーセ ン トだ が ,数年前の60-190パ ーセ ン トに比較 して著 し く軽減 された。 これ は,農村 にお ける銀行 な どの近代 的金融機 関の発達 およ び貸 し出 し 金利 に上限を定 めた結果 で ある。それ に して も農業 生産の特殊性 を考えた場 合 ,あま りに も高い利子率 といわねばな らない。低利の購 入資金 が借 りられ るよ うに農林金融組織の整 備 が必 要で ある。 農村 にお ける高金利 の理 由の ひ とつ は,開 発途上 国で は,土地台 帳がな く,土地権利の 登記 もしば しばな されて いないた めで ある。 そのた め ,小農 は担保 能力 がない。収穫物の 先取 り特権を あたえ るな どの土地担保 の代替 手段を考え るべ きで ある。 ⅠⅤ 韓 国におけ る農村発 展 と技術革 新 1 韓 国における 「緑 の革 命」 韓国政府が1978年11月22日に発表 した米の 107-ル 当た り収量 は,前年 比3.5パ ーセ ン ト 減 の474キログラムで ある。 これ は白米 ベー スで あるので ,これを 日本式の玄米 ベ ースに 換算 ,修正 してみ る と526キ ログ ラムにな る。 EI本 政府 が発表 した 同年10月15日現在 の10 アール 当た りの予想収量 は前年比4.3パ ーセ ン ト増の498キ ログ ラムで ある。 日本 は好天 352 に恵 まれ,作況指数 は108といわれ,平年作を

8

パ ーセ ン トも上回 る大増収 であ ったO 逆 に 韓 国で は春 の干ばつ によ って北部地方 で は凹 植えが20日か ら1カ月 も遅れ ,8月 中旬か ら 9月 下旬の約40日間 は梅雨 のよ うな長雨 が続 いた。 また曇天 も多 く, 日照量 は平年 の半分 以下 で ,穂首 イモチ病 な どが発生 した に もか かわ らず , 日本 よ りも高 い生産を あげて いる。 こう した稲作生産力の 向上 は近年 にな って起 こった もので ある。

(14)

土屋 :農村発展 と農業技術の展望

1

1

0

ア ール 当た りの 米 の収 量 は ,表

7

の よ う に 日本 で は

1

970

年 の

442

キ ログ ラムか ら

1

97

8

年 の

498

キ ログ ラム- と約

1

3

パ ーセ ン ト伸 び た にす ぎな いの に , 韓 国 で は同 じ期 間 に

353

キ ログ ラムか ら

521

キ ロ グ ラム- と約

48

パ ー セ ン トも収 量 が伸 びて い る。 韓 国農 業 に は新 しい稲 作 の技 術革 新- 「緑 の革 命J が起 こ って い る。 韓 国 に お け る食 糧 自給率 は

1

962

年 の

93

パ ー セ ン トか ら

1

97

8

年 の

68

パ ー セ ン トに急 減 し て い る。 しか し, 稲 に限 って み る と 「緑 の革 令 . は一 応 成 功 した か にみえ る。 これ は図 1 の よ うに稲 の 高 収量 品種 の 育成 が 大 き く貢 献 して い る。 韓 国 で は 北 朝 鮮 との 緊 張 問 題 も あ って , 食 糧 の 自給 問題 は 最 大 の 課 題 で あ る。 まず 米 の 自給 を達 成 す る た め に , 韓 国 の農 業技 術 陣 はその総 力 を あげて 高収量 品種 「統一 _」の 育成 ・普 及 に取 り組 ん だ 。「統 一 . は国 際 稲研 究 所 の

I

R8

. (イ ン ド型 ),台 湾 の 「命 中在 来 1号.(イン ド型), 日本 の 「ユー カ ラ 」 (耐冷 性 日本 型 ) を 交 配 した もの で あ る。 イ ン ド型 と 日本 型 の 交 配 は 「不稔 ー_,問 題 を 生ず る し,穂 垂型 にな るの で , 日本 で はあ ま り研 究 され な か った が ,韓 国 で は この 交 配 研 究 を 大 胆 に推 進 し,高収量 品種 の 育成 を 見 事に成 功 させ た C, 表7 日本 と韓 国 の 水 稲10ア ール 当 た り収 亀 の 比 較 (1966 78) (単位 :kg) 区 分 1966 1967 19( 韓 国 白 木 323 297 28 韓 国 玄 米 355 326 30 日 本 玄 米 400 453 44 (LLi所) 韓 国農 村 振 興 庁 資 料 。 339 330 337 334 373 353 370 367 435 442 41 1 456 1 9 9 史 U 4 0 5 9 7 3 3 4 386 433 494 42 4 476 543 481 427 478 1 一 JJ L(. 7 0 5 3 4 4 4 1 8 7 2 9 4 5 4 1950

55

60

65

70

71

72

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7

4

75

76

77 78

(往) 高 収 量 品種 普 及 前 :1950-71年 (22年 間 ) 二- 85kg,年 平均 4kg増 加 。 高収量品種普及後 :

1

9

7

2

-

7

8

年 (

6

年間)

-1

4

0kg

,年平均

2

3kg

増加。 (出所) 韓 国農 村 振 興 庁 資 料 。 図 1 韓 国 に お け る稲 の10ア ール 当 た り収 竜の推 移 (白米 , kg) 353

(15)

東1、㌢1'ァ ジ ア 研 37itJJ 17XLJ*2号 「統一 .系 品種 は1972年 度 か ら 普及 に移 さ れ, 表

8

の よ うに 初 年 度 で早 く も普及 率 は 15.9パ ー セ ン ト と作 付 け首 位 の 品種 とな っ た。 初 年 度 は冷 害 に よ り収 量 が減 少 した た め ,次 年 度 に は普 及 率 は減 少 した が ,その後 は順 調 に普 及 し,1975年 度 に は22.9パ ーセ ン ト とな り, こ の年 念願 の 米の 自給を達 成 し た。1977年 度 に は普 及 率54.6パ ーセ ン ト,10 ア ール 当た り収 量543キ ロ グ ラム と 世界 第1 の 高水 準 とな った。1978年 度 は普 及 率 はさ ら に伸 びて76.5パ ーセ ン トに達 した。29) 表8 「統一.系品種の作付け面積と10アール当 た り収量 年 度 作付け面積(ha) 作付け面積

(

%)

1た り収量Oアール当(kg) 1971 2,750 0.2 501 1972 187,471 15.9 386 1973 121,179 10.4 481 1974 180,916 15.2 473 1975 274,102 22.9 503 1976 533,192 43.9 479 1977 660,101 54.6 553

(

出所) 韓 国農村振興庁資料。 この よ うな急 激 な普及 に は ,冬 の 間 フィ リ ピ ンで種 子 の増 殖 を行 い ,育種期 間を 大 幅 に 短 縮 した こ とが大 い に責 献 して い る。 冬季 間 , 国際協 力 に よ って 外 国で 育種 す る方 法 は ,大 豆 , トウモ ロ コシに も採 られ , トウモ ロ コシは- ワィ ,大 豆 は台 湾 で 増殖 されて い る。 在 来 種 に比 して 大豆 は37パ ーセ ン トの単 位収 量 増 , トウモ ロ コ シは250パ ーセ ン ト増 の高 収量 品種 の 育成 に成 功 して い る。30) 29)金寅換 『韓国の線色革命。農村振興庁, 1978 年,p.197.日韓農業共同研究団 『韓 国農業の 現 状 と技 術 的 課 題 こ。1977年, p.ll.

30)0紡ceofRuralDevelopment.RuralDeLlelo p-mcnlProgr'uninKorea.7978.

2 セ マ ウル運 動 「緑 の革 命 . は , 高 収量 品種 の 育成 の み に て は成 功 しな い

高収 量 品種 はぜ いた くな 品 種 で あ り,

概 施 設 や豊 富 な肥 料 ,農 薬 を必 要 とす る。 開発 途 上 国 で は , これ らが不 十 分 で あ るた め ,なか なか普 及 しな い。 しか し韓 国で は涯概 事 業 が進 み,1976年 で用 排水 の整 備 され た水 田面 積 は85.1パ ーセ ン ト,耕 地 整 理ず み面 積 は46.3パ ーセ ン トに達 して い る。 肥 料 , 農 薬 も 自給水 準 に 達 し, 肥料 生 産 は 1976年 に は85万 トン と1961年 の3万 トンを大 幅 に上 回 って い る。 また農 薬 生産 は1961年 の 196トンか ら1976年 に は24,952トン とこれ も 大 幅 に増 大 して い る。 冬 季 間農 家 に対 す る学習運 動 もさか ん で あ り,全農 家 に対 して 「統一_」系 品種 の栽 培 法 につ いて講 習 会 を行 い,1977年12月 か ら1978

3月 の4カ月 間 に282万 人 の農 民 が 参 加 し て い る。行 政 的 に も 「統 一 .系 品種 の 大量買 い付 け ,検 査 等 級 の優遇 ,高米 価,1976年 ま で行 われて きた 多収 穫 農 家 - の褒 賞 制 の 実施 な どの支 援 を行 な って い るの が 「緑 の革 命 . の成 功 の- 因 とな って い る。 --方 普 及 組織 と して はセ マ ウル運 動 (新 し い村 づ くり運 動 ) と合 体 した集 団栽 培 組 織 が 強力 に推 進 され て い る。31) また部 分 的 で は あ るが10- クタール,30戸 を1団地 と して ,栽 培暦 に よ る技術 協約 と共 同作業 計 画が樹立 さ れて い るO新 品種 の種 f増 姫 を か ね た農 家 実 証試 験 も集 団栽 培 団地 で優 先 的 に実施 され る の で ,新 品種 の 導入 ・普及 も迅 速 で あ る。 セ マ ウル運 動 は1970年4月 に朴 大 統 領 の施 策 と して 始 め られ た。 これ は農 民 の精 神 開発 によ り,各 自に潜在 す る力量 を 引 き出 し,財 政 的 に豊 か でな い韓 国 が安上 りの農業 ,農 村 開発 を 展 開す る とい う 目的のた めで あ った 。 31)農林水産省国際企画課 『「韓国の農政 ・畜産事

(16)

土 屋 :農 村 発展 と農業 技術 の展 望 表 9 セ マ ウル 運 動 に よ る環 境 改 善 事業 推 進 実 績 区 'JjL 農村 基 幹 道 路網 部落 遣 拡 張 農 道 開 設 m m 農 村 基 礎 衛 生 施 設 簡 易 給 水 (部 落 ) ,t七・ 同 井 戸 (千 個 所 ) 共 同 洗 濯 場 (個 所 ) 下 水 溝 改 補 修 ( km l 共 同 浴 場 (個 所 ) 農 村 住 宅 お よび 福 祉施 設 部 落 集 会 所 ( 棟 ) 屋 根 改 良 (千 棟 ) 小 河 川 改 補 修 ( km ) 農 村 電 化 お よび 通 イ■調 も設 電 京 (千 戸 ) 1率076年 セ業 マ ウ ル実 績 総 Jji 端 5l 1LJH1年 ま て、r)目標 1_lL)7 LI‖.7tj(--) 二Li,二bLi 1,2ニ28 42,6とちG 4Lj,167 3,86() 15.Ut15 27,599 1 113 1,092 2,140 58,302 71.O2O 1,178 ll,716 H,65′4 251 6,623 36,14:i 2,7()1 20,752 l 35,6(〕バ 36n 1,988 2,42H 238 .r:),576 17,239 235 2,34(〕 2,759

(

L

L

IJ.所) 韓 国農 水 塵 取 1977年年 次 報 告 に よ る。 表 1〈) 韓国 にお け る 稲の 高収 量品 種 に よ る所 得 増 金 紬 ウォン) (ウォン) (1,000ha) (憶 ウォン) 主''.0こう,:i 24,1()2 187.5 150.(i 18,630 5tr:).89日 121.2 225.8 23.64() 7(),920 18().9 427.6 37,050 111,15日 274.1 1,015.5 24.07() 72.21() 533.2 1,283.4 L42,673 128,()19 〔う60.1 2,816.4 (IqJ.所) 韓 国 農 村 振 興 庁 資 料 o 当初 は綿 密 な 計 画 の も とに 実 施 され た わ けで はな い が ,初 期 の 事 業 が 成 功 した た め徐 々 に 事 業 が ふ く らん で い った。 セ マ ウ ル運 動 は ,勤 勉 , 自助 , 協 同 の

3

精 神 が 支 柱 とな って い る 。近 年 まで 韓 国 の 農 民 は ,労 働 蔑 視 の 風 潮 が 強 く,農 民 の 生 産 意 欲 は低 く, 農 閑期 に は 酒 と 賭 博 に 耽 る者 が 多 か った。 この 幣 害 を と り除 き

,

日助 や 協 同精 神 で 協 同 社 会を 建 設 しよ う と した もの で あ る。32) セ マ ウル 運 動 は政 府 の 財 政 的支 援 ,農 民 精 神 の 高揚 もあ って ,

1

97

0-

7

6

年 の 間 に表

9

の 32)李 正 雄 才一韓 国の 緑 の革 命.n 国際経 済 新 聞社, 1973年,pp.3-60.

3

5

5

(17)

東 南 ア ジア研 究 17巻 2号 表11 農家 と都市勤労者の所得 年 度 農 家 所 得 郡 市 勤 労 者 所 得 比

(ウォン) (ウォン) (%) 1970 255,804 381,240 67.1 1971 356,382 451,92() 78.9 1972 429,394 517,440 83.0 1973 480,711 550,200 87.4 1974 674,451 644,500 104.7 1975 872,9こう3 859,320 101.6 1976 1,156,254 1,151,760 loo.4 1977 1,432,800 1,405,100 102.0 (出所) 韓 国農村振興庁資料。 よ うに部 落 道 拡 張 ,簡 易 給 水 ,共 同井 戸 ,共 同洗 濯 場 ,部 落 集 会 所 ,屋 根 改 良 な ど農 村 環 境 の 整 備 事 業 や農 道 開設 ,小 河 川 改修 ,早 水 害 お よ び病 虫 害 対 策 な どの 共 同事 業 が 進 み , 新 しい村 づ く りが 行 わ れ た。 稲 の 高 収 量 品種 が 普 及 した た め ,高 米 価 政 策 とあ い ま って ,表

1

0

の よ うに

1

97

8

年 で 稲 の

展 1 開発 途 上 国 の 展 望 農 村 発 展 と農 業 の技 術 革 新 を ,束 畑 理 論 に 基 づ いて ,開発 途 上 国 と韓 国 の事 例 を 中心 に 分 析 した。 東 畑 の 理 論 に よれ ば ,第2次 大 戦 前 の 「日本 農 業 を 動 か す もの」は,政 府,加 工 業 者 ,大 商 人 な どで あ り,農 業 協 同組 合 な ど の農 業 団体 は政 府 の 別 動 隊 にす ぎな か った。 この 場 合 , 政府 は 「危 険 を 負 担 せ ざ る企 業 者 . と して 性 格 づ け られ ,農 業 発 展 の た め の 新 技 術 の 結 合 者 の 役 割 を 果 た して いた 。一 方 農 民 は 「単 な る業 主 . にす ぎず , 政 府 , 加 工 業 者 ,大 商 人 な どに よ って 「動 か され る も の 」 で あ った。 この 束 畑 理 論 は ,現 在 に お いて さえ 日本 農 業 の 展 開過 程 を 的確 に と らえて い るが ,韓 国 や 開発 途 上 国 の農 村 発 展 過 程 を 考 え る場 合 に 高 収 量 品種

0.

3

- クタ ール栽 培 農 家 で在 来 種 に比 較 して57,375ウ ォ ンの 増 収 とな り ,国全 体 で は

1,

7

83

億 ウ ォ ンの 増 収 とな って い る 。 この た め表

1

1の よ うに

1

974

年 以 降 は農 家 所 得 が 都 市 勤 労 者 所 得 を 上 回 って い る。 韓 国 の農 村 発 展 は 「緑 の 革 命 .を 中心 に して 一 応 成 功 して い る と考 え られ よ う。33) 里 も良 く適 用 で き る 。農 民 が 「単 な る業 主 . で あ る こ とは 日本 ,韓 国 ,開発 途 上 国 と も変 り はな い。しか し,日韓 両 国の 農 民 に は政 府 の イ ニ シア テ イヴ に よ って 動 か され う る条 件 が あ るが ,開発 途 上 国 の農 民 に は ,技 術 的 に も , 33)桜井活 「韓 国経済における農業の地位. ロァ ジア経済。1978年7月,pp.33-48,農家所得, 都市勤労者所得の平均値 についてはよ り詳 し い吟味が必要 とされ る。韓 国の経済発展につ いては, 日本では全 く正反対の評価が をされ ている。た とえば隅谷三善男 D韓 国の経済。 岩波書店,1976年では朴政権の独 裁的政治体 制が批判 され,経済発展のあ り方その ものに 対 して強い批判が 夜されてい る。 これに反 し て渡辺利夫 「韓 国の輸出志向的工業化政策 と 所得分配.原覚夫 Fpァジア経済の発展構造。 劫草書房,1977年, は韓 国の輸出拡大政策 は 韓 国の生産要素の賦存状況 を最 も正確 に反映 した もの で, 社会的公平 を実現す る方途で あった としている。

参照

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