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外科と救急 : 東京女子医大と共に36年8ヵ月

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最終講義

外科と救急

〔聾携55第繍63劉芳〕

一東京女子医大と共に36年8ヵ月一

東京女子医科大学 オリ ハタ

織 畑

第2外科学教室 ヒデ オ

秀 夫

(受付 昭和62年4月23日) 紹介 第2外科 鈴木 忠助教授 織畑教授の紹介をさせていただきます. 織畑教授は,昭和20年9月に東京帝国大学医学部を 卒業され,すぐに同大学第2外科学教室に入局されま した.当時の主任は都築教授であり,ここで肺結核を 主とする胸部外科に関して薫陶を受けられたというこ とです.その後,都築教授の後任の福田教授にも外科 学の薫陶を受けられました. 昭和25年7月に,東京女子医学専門学校(当大学の 前身)の外科に助教授として就任されました.それ以 来本日のテーマにございます,三十有余年にわたる本 学での生活が続いたわけです,本学に最初に来られた ときには,榊原任教授のもとで心臓外科学を修得され ました. 昭和30年10月に,東京女子医科大学の第2外科学の 講座主任教授となられまして,今日に至っています. この間に,心研の副所長あるいは当病院の副院長を歴 任されています.現在は,東京女子医科大学救急医療 センターの所長を兼務されています, 榊原教授の後に,中山教授から消化器外科学の薫陶 を受けておられます. 以上の経歴にございますように,基本としては救急 医学に非常に力を入れておられまして,それが同時に 現在の第2外科学教室の大きな特徴となっているわけ です.また,本日のテーマもそれに則ったテーマになっ ています.(昭和62年3月25日) 皆様お疲れかと思いますが,これが最後ですの でよろしくお願いいたします.永い間の皆様のご 援助で,こうしてきょう最終講義になりました. 私としては大変うれしく思っています.と申しま すのは,5年前に糖尿病を発見されまして一平田 先生の統計によりますと,一般に短命であるとい ノうことで内心非常に心配しながら養生にこれ励ん だおかげで,本日こうして最終講義に出られたこ とは大変大きな喜びです.この間,理事長先生, 学長始め大学の皆様に本当にお世話になりまし て,心から感謝申し上げます. 振り返ってみますと,36年8ヵ月と大変永い期 間でしたけれども,アッという間に過ぎた感じが いたします.私が東京女子医科大学一前は女子医 専でしたが一に来たときにはまだ28歳で,という のは計算してみて気がついたのですけれども,ず いぶん若かったなあと思います.ちょっと溝口先 生みたいなタイプだったと思うんですが,やや:丸 顔になったのは中年太りのころからですが,来た すぐのころは今と似たような,大分やせていたと 思います.そんなことで最近養生して,スッキリ して,手足の動きもよく,気持ちとしては大変若 返ったのですが,その分だけしわがふえて,何と なく年を取ったことは確かです. 永い間のことをいろいろ振り返って,一番印象 に残っていることは何かと考えてみますと,三つ ございます.一つは女子医学生の教育に尽くした ということ,2番目は,心臓外科の開発,そして その発展に尽くすことができたこと,3番目が救 急医療の充実・発展に尽くしてきたことです.そ れらについて主な点に触れてみたいと思います. Hideo ORIHATA〔Department of Surgery II, Tokyo Women’s Medical College〕:Surgery and emer−

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先ほどの紹介にありましたように,私が東大の 第2外科で都築教授の指導を受け,さらに福田教 授の指導を受けていたころに,榊原教授が戦後し ぼらく中国の方に抑留といいますかおられて,そ れから帰ってこられて,医局で研究を始められた ときに,私はその下でいろいろ教えていただきま した.そのころは炎症をやっていたのですが,先 生が昭和24年に女子医大の教授で移られまして, その翌年,私にも助教授で来ないかということで, 私は二つ返事でまいった次第です. そして早速,今までやったことのない講義とい うことをやらされまして,それまでは試験を受け るときに徹夜をしたことはないのですが,講義を するその準備のために,前の日にちょっと疑問を 感じて本を読み始めるとあっちの本こっちの本と 読むうちに夜が明けてしまうことがときどぎあり ました.そのときに初めて隅々といいますか,眼 光紙背といいますか,とにかく本を一生懸命読む というチャンスが与えられて,非常に勉強になっ たことを思い出します.講義というのは学生のた めにやるのですが,実は講義をする人のために非 常に役に立っているということを痛感した次第で す, また,いま麻酔科の教授をされている岩淵先生 (故人)や看護短大の外科を担当している千葉先生 はいずれも外科に入局された方ですが,その方々 が学生の当時に私が講義をしたのですが,講義は 講義として,それ以外に非常に感じたのは,年に 1回学年旅行があるわけです.その人たちと一画 に山を歩き野を歩き,ともに語り合ったという印 象が大変に強く心を打っていまして,その後私が 医学教育に,特に女子医学教育に一生懸命になっ た最大の動機だと思っています.そういう意味で, 教壇だけではなくてそれ以外のチャンスにおいて 学生と教授あるいは教師,教職の人が話し合って 心を通じ合うことは大変に重要なことだと思って いますし,先ほどの菊地先生のお話でもそういう ものがあらわれたかと思う節が多々ありますし, 私どももあの中で似たような:こともやっていたと 思い返しています.そういうわけで,これからも そういうコミュニケーションの充実にはぜひ努め させていただきたいと思っています. ここで特にお話ししたいのは,私は昭和32年に 東京都の社会保険支払い基金の審査委員を依頼さ れました.それはたまたま女子医大で心臓外科が 発展して,心臓外科に堪能な人に入ってほしいと いう依頼からですが,健康保険というものがその とき初めてわかったのですが,仕事の内容という のは請求書を見てそれを適当に削るということ で,始めは大したことはないなと思いながら,教 わりながらやっていたのですが,月に1回協議会 というのがありまして,そこには請求額の非常に 多い一主として大学ですけれども,そういうとこ ろがら症例が出まして,その内容についていろい ろと協議といいますか批判がされて,例えば輸血 を10本してあるとそれを8本に削るとか,ペニシ リンが100万単位してあるとそれを50万単位に削 るというような,とても想像もできなかったよう なことが平気で行われていたわけです. 私,当時若いせいもありましたし,心臓外科を 非常に一生懸命やっていて熱意にあふれていたこ ともありますし,医学教育に熱心に取り組んでい たこともありまして,こういうことをほっておい たのでは絶対にいい医者は育たない,まじめに一 生懸命やる医者は損をするし,適当にやって点数 を上げれば収入も上がる,とても,いい医者を育 てる方法ではないと,非常に恐れたわけです.そ れで行くたびに,協議会があれば反対をする.そ の中には私に教わった先生もおられたものですか ら,多分私の意見に賛成してくれるに違いないと 思ったのですがそうは問屋が下ろさない,法律と いうものはまず守るべきものであるという建前と いうか,そういうものが通っているわけです.し たがって,いかにそれが誤りであっても,適当に 誤りを大きくしない程度に実行していくのが正し いといいますか,一番利口な方法であるというこ としか結論は得られない.そうこうしているうち に,制度を変えるのは一朝一夕ではもちろん無理 でしょうが,10年20年たつかもしれな:い.こうい う間に医者自身が悪くなったらどうするのかとい う大変大きな恐れを感じまして,何が何でもそう いう制度で負けないような医者をつくりたい.そ 一348一

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れは大学でつくってくれないと,今までのように 大学では講義を聞いて,卒業してから医者になる 勉強をすればいいんだというようなことは言って はおれないのではないかという感じを強くもった わけです. その前にいろいろ段階はありますが,最終的に 従来のポリクリと臨床講義の時間を,各科教室の 医局に入って患者を診ながら勉強するという,今 でいう病院実習で,2∼4週間,各科を回って行 うという案をつくって,提案したわけです.たま たま教務委員をしていましたので,教務委員会で も一生懸命説明し教授会でも何回か説明し,いろ いろのご意見もあって難しい点もありましたけれ ども,結局いい医者をつくるということに皆さん の合意を得て,当時の学長の久慈直太郎先生の断 で昭和36年4月に実行に移されました.そういう ことで,それに沿って徐々に体制もつくられ,現 在に至っているわけです.私としては,これによっ て,大学における教育の目標はいい医者をつくる ことであるという本質的なものがっくり上げられ たという点で大変うれしく思い,その充実のため に尽くしてまいりました. そして,もう二十数年たっているわけですけれ ども,果してどこまでいくか,これからもそれを 見守っていきたいと思いますが,1やや光明といい ますか曙光があらわれつつあります.例えば高度 先進医療については,患者負担でやってもよろし いという形になったわけです.確かに個人負担は 増えるかもしれませんが,今までの医療制限にあ る程度の穴があいたことは確かで,今後さらに一 層よくなることを期待しています. これに関連して卒後の教育も非常に重要だと思 いまして,私は常々それに関心をもっていまして, いつも若い教室の人に言っていることは,患者を よく診なさいということです. これは以前から思っていましたけれども,特に 痛感しています.“病人をよく診よ.病人はよく診 る者にはよく教えてくれるが,診ない者には教え ない,病人こそ最高の師”という言葉です. 次に心臓外科のことですが,私が初めて心臓の 手術を見たのは昭和26年のことで,これは榊原任 先生とお兄さんの亨先生お二人の協力のもとに手 術されたのですが,それを見て大変感激した次第 です.けれどももっと感激したのは,第2例のと きに一これも亨先生が執刀されたのですが一亨先 生は戦争前に日本の中で最高の心臓外科を目指さ れた方で,これが中国の方にも知られていて,第 1例は台湾から来た少女でした.第2例は肺動脈 狭窄で,右の心臓の壁(心室壁)にメスで切開を すると並1がピューッと出るわけですが,それを軽 く左の人さし指の先でプッと押さえて,その中に 子宮口の拡大に使っているヘガールの拡張器を スッと入れて,狭いところを拡張するという手術 をされたわけです.今までそんなことは見たこと もないので,さすがは心臓外科医だなとぴっくり しましたし,手際がいいのにつくづく感心した思 いがあります.といって榊原任先生が手際が悪い ということではありませんで,幸いにしてこうい うよき指導者とともに,任先生が弟さんでもある のでよく教えていただきながら,それ以後任先生 が常に執刀して手術が進められ,日本で第一例と いうのが続々とふえたわけです.最初のこの2例 の成功は,日本の最初の例として広く宣伝されま したし,それをきっかけに東京女子医大の名も上 がって患者もふえたという感をつくづく深くして います. その後,私どもは主として研究,榊原先生は主 として手術という両者相侯って進んでいったわけ です. 写真1はしぼしば教室で見るとてもほがらかに 笑っている榊原先生の姿で,こういうときぽかり ならぽいいのですが,ときどき怒られると大変す ごい顔になるので,若い先生はこういう顔をあま り知らないと思いますのできょうお見せした次第 です. 写真2はご子息からいただいた榊原先生の肖像 です.これには先生の書かれた“みも知らぬ人が 描きし我が姿似るも似てあり絶妙の筆”という句 が添えられています.私も,部屋に飾ってあって しょっちゅう見ていますが,大変年相応の時期で, 円満なお顔です.若いころよりはずっと円満で, 特に患者に接するときにはこういう顔でした.

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弊「’1@ 、駕・雨鱒獅 騨紳醐腿㈱副 写真1 病院内の榊原f千教授のスナップ 写真2 榊原任教授肖像画 我々に接するときは,こういう顔はなかなか見ら れなかったかもしれませんが,そういう意味では 非常に親しみのあるお顔だと思います. そういうことで心臓外科にいろいろと携わって おりますが,中でも一番記憶に残っているのは低 体温法でした.心臓を手術する場合に,体温を下 げて血流遮断時間一血流を止めても元に戻り得 る時間が,体温が下がるとだんだん延長してまい りますが,それを利用するわけで,アメリカです でに成功していて,日本でどうかというときに, ただまねをしては危ないというのでまず動物実験 から始めました.始めはちょうど冬で,雪を持っ てきて犬を冷やして,今度は部屋でストーブの前 写真3 氷水槽でビニールに包んで全身表面冷却と陽 陰圧人工呼吸 に置いてということもやったのですがうまくいか ないのです.死亡率も高いということで,これは ちょっと難しいと.いろいろ検討しているうちに, やっぱり呼吸運動が弱くなるのがわかりました. この場合には氷水につけて,温めるときにはお湯 につけるという方法で,その二二酸素による人工 呼吸をやって行いましたところ,全部助かりまし た.こういう確実な方法が発見できたので,これ を臨床にも応用したわけです. 最初の例は小さい子供さんでしたが,この写真 3ではその後少し改良されて大きなおけを使って いますが,要するに氷水の中に体を浸して一麻 酔の人が小田原ちょうちんのようなものを押した り引いたりしますが,あれが陽圧と陰圧をかける 呼吸袋でして,絶えず人工呼吸をしながら冷やし たわけです.こういうふうにして冷やして,開胸 して心臓に入る血液をとめて,そして心臓を開い て中の手術をやって,めでたく成功しましたが, そのとき榊原先生が「君,もとに戻るかねえ」と 大変心配そうでした.というのは心臓の動きが非 常にゆっくりですし,反応が非常に鈍いものです から,そう思われたのに違いないのですけれども, 我々実験しているグループとしては絶対の自信を もっていまして,その患者さんも無事に治ってい 一350一

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ます. そういうことで,その後の症例についても,実 験をして絶対大丈夫ということがわかってから, それを臨床に応用するということを必ず行いまし たので,成績が非常によかったと思っています. もう一つの特徴は,榊原先生は大変に勇猛果敢 といいますか,非常に急ぐ方でして,グズグズす るのは多分おぎらいだつたと思います.それに反 して私は,熟慮慎重というタイプであまり急がな いのです.こういう全く逆のタイプがよくうまく いったと思うのですけれども,お互いに平和を愛 し真実を尊ぶという点では共通していましたし, 先生は十分人なつっこいというか本当に和気あい あいと,いろいろなことを家族同様にやっていた だいたということもあって,研究グループも大変 熱心に一生懸命にやってくれたということで,心 臓外科が非常に発展したように思います. 心臓外科に引き続いて,実は心臓手術をやって いる間心臓を見ていますと,よく動いているとい いのですけれども,何かの加減でゆっくりゆっく りになると思わず手が出て押したくなるのです. 実はそれが心臓マッサージであったわけです.昔 の教科書にも,一応心臓マッサージが出ています けれども,それはちょうど肩をたたくと同じよう に心臓のところの胸壁をたたくという意味での マッサージで,我々が心臓手術をしたときにはっ きりと認めた,手で圧迫して内容を押し出すとい うものではなかったと思います.そういうわけで 心臓マッサージの実態は,心臓のポンプ作用を助 けるということがはっきりわかりまして,停まり かかってくると手に握って圧迫して血流を盛んに してあげると,その心臓はまたもとに戻るという 事実もつかんでいます. そういうことで,そのとき心臓マッサージが 我々としては一番手近な非常に重要なものであっ て,例えば停った心臓を手でマッサージしている と,始めはダラリとしていて非常につかみにくい わけです.でも我慢して,何とかしてたまってい る血を流すようにしているうちに,シューッと収 縮運動が始まると,「あっ,しめた/」と,その収 縮に一致してさらに圧迫すると,大変効率よくた まっている血液が動脈に流れて行くということ で,補助心臓マッサージというのをそのとき痛感 した次第です,そういうわけで心臓の手術と同時 に,実は救急というものに関係の深い心マッサー ジの基礎的勉強を,また実際の勉強をしていた次 第です. ちょうど昭和40年ごろに心祝ができまして,榊 原先生はじめ心研の方々が移った後,中山恒明先 生と私たちが残って,一般外科・消化器外科を中 心にやっていましたが,そのころ中山先生から消 化器外科,特に食道・胃・腸という面での独特の ポイントを教えていただいて,大変役に立って, いまだにそれが大きく力になっています. その当時初めて一般外科というものも独立しか けたわけですが,さらに2年たって,消化器外科 が新しい建物ができて移ったときに,昭和43年か らですが,初めて独立した一般外科となりました. その中では,私どもが従来やっていた肺外科,小 児外科,それから一般の腹部外科・消化器外科を 含めた一般外科,さらに救急外科も非常に力を入 れた次第です.いろいろの研究があるのですが, その中でも救急一般に通ずる心マッサージについ て,きょうはお話ししてみたいと思います. 私は東京消防庁に関係していまして,そこでも 救急の場合の心マッサージを習得するように一生 懸命勧めたわけですが,救急隊が行ってからでは 間に合わない,というのは3分30秒という限界の 間で心マッサージが始まれば,大変蘇生率は高い のですが,それを越すと助かりにくくなるという 事実もあって,ぜひ近くにいる人に心マッサージ, 心肺蘇生法をやってほしいということになったわ けです.そんなわけで,一般の人に教えないと蘇 生率は向上できないということがはっきりしてま いりました.そこで私どもは,救急医学会におい ても,一般人のための救急蘇生法教育を重視して, 現在救急法教育委員会の委員長を私務めていまし て,その主たる目標が「一般人の救急蘇生法教育」 です.そういうことで心マッサージについてはお 話ししたいと思います. 実は,昭和35年6月に,新生児で腹部外科の後 呼吸が悪くなりまして,いわ砂る前胸壁を圧迫す

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o 図1 新生児開腹手術後の低酸素ショック時の一夕式 心マッサージの初経験(昭和35年6月) る従来の人工呼吸をやりましたが,どうしてもチ アノーゼがよくならないでだんだん脈が悪くな る,とてもだめだというときに,図1に示します ように,片手を背中に,片手をちょうど心臓のあ たりに置いて,ちょうど心臓マッサージの要領で 1分間に60回か70回くらい頻回に圧迫したわけで す.そうしますと脈が触れるようになってきまし て,これはしめたというので気管内にチューブを 挿管して,純酸素の人工呼吸を加えましたところ, 完全に蘇生できたわけです.そういうことから, これを人工呼吸雄心マッサージとして研究を始め たのですが,その後で文献が届いて,見ますと, ちょうど同じころに,アメリカですでに大人にも こういう方法をやって成功をしていました. それが図2に示します,現在行っている胸骨を 圧迫する心マッサージです.この方法ですと,大 変に手軽に,出血もな:いし,だれでもできる.し たがって迅速に血流再開が可能ですし,大変に助 かりやすい.前には開胸していたものですから, 手術中では助かりますが,手術をしていない病室 その他ではまず助かりませんでした.ところがこ の方法が開発されて実行したところ,どんどん助 かる例がふえて,大変に気を強くしました.ぜひ これは一般に広げるべきだということでいろいろ 努力して現在に至っているわけで,今ではお医者 さんは勿論,皆さんご存じでしょうが,ただ実際 にやるというチャンスは少ないと思います.人形 で実行していないと,ちょっと自信がもてない方 があるかと思います.これを一般化するには,,ぜ ひ人形がほしいというので,日本でも人形をつ 、

図2 胸骨圧迫心マッサージ 成 犬 10∼15kg 脱 血 (大腿動脈) 脱 血 終 了 (循環血液量の40%〉 心マッサージ犬 30分間 非心マッサージ犬 勾 還 血 (大腿静脈) 図3 出血ショックに対する心マッサージの実験方法 %窪1。・ 麓 器 量 δ50 量 却\._・∼

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H 分・ゆO

lf 51015202530 60

難 _。心。。サー。犬 ⊥ (還血糊) 騨 ・一・非心。。サー。犬蓋 図4 出血ショックに対する心マッサージの実験 大動脈収縮期圧の変動 くってこれを広めつつありますし,この大学でも 2年前から入学のオリエンテーションでみんなに 教えています. 実はこの方法は,出血ショックにも有効である ことが言えます.犬を出血させて血圧が下がって いるとき,30分間心マッサージした犬を比べて, その後でとった1血液を戻して,その経過を見まし た(図3). 血圧は脱血によって50%以下に下がります.心 臓マッサージをした方は上でやや高いですが,し ない方は少し低い血圧で,30卜して血液をもとに 戻しても,マッサージした方は上昇しますがしな い方は上がらない(図4). 一352一

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さらに経過を見ますと,対照のマッサージをし なかった5頭は全例死亡,術中2頭が死んで,残 り3頭は4時間以内に死亡しています.しかし マッサージした方は2時間から10時間までに5頭 死にましたけれども,そのほかの5頭は全例,長 期生存という形で,翌日以降も生きたという大き な差があります(図5).例えば輸血がでぎないと いう場合には,ちょっとしたことですが,この補 助心マッサージが行われていたら助かるのではな いかということが実験的に証明できたと思いま す. また呼吸性のショック,つまり呼吸ができなく て窒息あるいはそれに近い状態で心停止になるよ うな場合に,従来では人工呼吸だけだったわけで すが,心マッサージを加えたらどうかということ で実験したのが図6です.一定量の空気だけを吸 わせると,低酸素のために12分くらいのところで 呼吸停止が起こりますが,それから2分くらいの ところで動脈圧がゼロか頸動脈の血流量がゼロと いうところで,このときにはまだ心臓は動いてい るのですが,人工呼吸だけのグループと人工呼吸 脱血終了後,心マッサージ,還血における生存時間 実験開始後 i時 間) 0∼2 2∼4 4∼6 6∼8 8∼10 10以上 対 照 群 @(頭 数) 4* i80%) 1 i20%) マッサージ群 @(頭 数) 2 i20%) 1 i10%) 1 i10%) 1 i10%) 5** i50%) 死亡例:心停止(心室細動を含む) *2例は還血前に死亡 艸剖検の為致死 図5 出血ショヅクに対する心マッサージの実験 一実験後の生存時間

慶湊

A群

B群

12’5” 12’30” 呼 吸 停 止 2’10” r54” 動三 四喬

人工呼吸 人工呼吸 +補助心 マッサージ 蘇生率 68.8 % 93.3 % 図6 進行性低酸素状態に対する人工呼吸単独と人工 呼吸の補助心マッサージ併用との効果の比較 プラス補助心マッサージのグループを比較する と,蘇生率は,人工呼吸だけでは68.8%,補助心 マッサージを加えたものは93.3%と,非常に大き な差があります.このように呼吸がとまった段階 では,呼吸がとまっているのだからまず人工呼吸, それから脈がなけれぽ心臓マッサージというのが 本には一応書いてあって,まさにこれは歴史的事 実に従っているのは確かですが,現実的事実とし ては,呼吸がとまっているときは心停止が近いの でほおっておけないので,必ず人工呼吸と心マッ サージを同時に行うべきであると.もし人手がな けれぽ,まず人工呼吸気心マッサージといえる心 マッサージを先にやった方がいいと,私は思って います. 例えば図2のように,一人でやる場合を考えま すと,心臓マッサージはこのようにやるわけです が,口があいているわけですから,口をつぶらな いで,大きな口をあいて助けを呼ぶというように して2人でやれば,助かる率はもっと増すのでは ないか.特に心臓は戻っても脳が戻らない例があ りますので,脳を早く助けるという意味でも,ま ず血液を流すことが,大変に価値のあることだと 思っています. 私が心臓外科で習った,また研究したことが, 救急の場合にも大変に役に立って,いろいろの面 で人を助けるということで力をつけているのです が,これを一般の人に徹底して教えるというのは 容易なことではなくて,昨年も自動車の免許取得 時に,そういう救急法の教育を蘇生法を含めて やってほしいという要望書も出したり,中学・高 等学校でも正式に教科の中で蘇生法の実習を図っ てほしいという要望も出していますが,これから ますます続けたいと思っています, 最:後に,結びも兼ねて一言申し上げたいのです が,それは私自身が先ほどもちょっと申しました が,ちょうどお正月でしたけれども,たまたまト イレに行っているときFに隣に内田先生がおられた ものですから,一応近眼でしたので度を少し軽く していただきたいと思って,「目の度が合わなく なったらしいので,ちょっと診ていただきたいと 思っています」と言ったら,「今日ちょうどいいか

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らいらっしゃい」というので行って診てもらいま した.ただそのとき一言,「右の目が,めがねを外 して辞書を見たとき,真ん中がちょっと見にくい」 と言いましたら,「それでは眼底を診ましょう,明 日いらっしゃい」と言われたので,行かないわけ にもいかないので翌日行ぎました.お正月でいっ ぽい食べていたのですが,全然用意がなかったの はこっちの手落ちですが,行って診ていただいた ら,これは糖尿病らしいというのですぐ平田先生 の糖尿病センターに回されまして,血液を調べた ら412の血糖だと.これはほっておくと目がつぶれ ますよと言われて,初めて糖尿病というのを知ら されたわけです. 幸いにしてそのとき先生が「今すぐ薬を使って もいいけれども,使うと出血して目が見えなくな る人がいるから,とにかく入院して,薬を使わず に徹底して食餌療法でやりましょう」と言われる ので,こっちはピンピンしているのにどうして入 院するのかと思いましたけれども,とにかく入院 して1,400カロリーで毎日暮らしたわけです.やる ことがないものですから,でぎるだけ早く下げる にはどうしたらいいかと工夫してみますと,血糖 のもとは食べ物であると思って,冷蔵庫があった ものですから,1回忌食事を半分に分けてタッパ ウエアに入れて,それを1時間ないし1時間半く らいおいてから半分食べるということを実行しま したところ,たちまち血糖が低くなってというか, 1回で食べればこう上がるのが二つに分けるもの ですから低い山が二つになるのは当然考えられる ことで,多分そうなるだろうと思ってやったとこ ろが,そのとおり近い値が出で,2ヵ月と言われ たのが1ヵ月で退院できたわけです. その後養生してつくづく思いましたのは,半年 くらいしたら足のしびれがよくなるし,いろいろ 良いところが出てきて,ゴルフのやりすぎだと 思っていたのが実は糖尿病のせいだったというの はそのときわかったのです.我ながら,いかに自 分の病気,特に成人病といわれるものは自分では わからないものかというのがっくづくわかって, 紺屋の白袴といいまずけれども,医者が自分でわ からないくらいですから,まして一般の人はもっ とわからないだろうと想像されます. 最近私の知り合いとか親戚で,ちょっとぐあい が悪いので調査をしてもらいたいという調子で来 た人には実は手遅れの癌があって,一所懸命努力 したのですが結局再発してしまったとか,あるい は手も下せない状態だった例もあります.そうい う方々を見るにつけ,また自分の経験を振り返る につけ,いわゆる成人病というのは自分で気がつ いたときには手遅れだという感を大変深くもった わけです. そういうわけで,私は定年になりまして今後メ スは使わない,使わない方が安全だと思いますが, そういうこともあって,何をやるかというときに こういう人たちのことを考えて,ぜひ健康なうち に相談をしてもらう,そして最小必要限度の検査 をして,もし何でもなければ何でもないですよと 言って帰すというふうにしたいと思ったわけで す.ときどき,患者さんに,胃の検査で胃カメラ で診てもらって,なかなか胃炎が治らないのです が,どういうわけですかと聞かれます.カメラで 見ると大抵みんな「gastritis(胃炎)」と書いてあ るのです.これを見る患者さんにとっては,いつ までも治らないということで不安なわけです.聞 かれた私も,それは胃炎(言えん)だということ で笑い話になってしまうのです.今の健康保険で は,診ると必ず病名がつくのがあたりまえでつか ないということはあり得ない.何々の疑いという と,我々はそんなのは心配ないと言いたいわけで すが,患者さんの方は,何々の疑いというともう 病気のような気がするのですね.こっちの検査で 何々の疑い,こっちの検査でまた何々の疑い,疑 いぽかり続いて心配はふえるばかりじゃないか と.あるときある先生に紹介した患者さんが,「私 の方にこういう病名がついているのだけれどもど うなんでしょうか」と聞かれるのです.先生には 怖くて聞けないのでしょうが,関係のない私には 聞けるということで,つくづく一般の人が,素直 に安心して聞けるという体制が今の日本にはな い.これは健康保険のせいなのか何のせいなのか, 原因は別として,現実にはあるわけです. 私もその体験がありますので,ぜひ安心して相 一354一

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談のできるそういう医者にな:りたいし,もしそれ ができないとしてもそういう人をつくるように努 力していきたいと思って,今後は健康相談に力を 尽くしてみたいと思います. 長い間皆さんのご援助で,こうして無事元気で 定年までまいりましたことを大変感謝申し上げま すとともに,これからますます本学の発展,また 皆様のご健康とご発展をお祈りして,私の最終講 義を終わらせていただきます. どうもありがとうございました.(拍手)

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参照

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