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[講演要旨]『日本三代実録』仁和三年五月廿日条の地震記述について—出羽国府周辺で起きた自然災害の検討—

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Academic year: 2021

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(1)歴史地震 第26号(2011) 110頁. [講演要旨]『日本三代実録』仁和三年五月廿日条の地震記述について ―出羽国府周辺で起きた自然災害の検討― 松岡祐也(東北大学) §1.はじめに 嘉祥三年(850)に出羽国で発生した地震の初 出は『日本文徳天皇実録』 (以下『文徳実録』)で あるが,より注目されるのは『日本三代実録』 (以 下『三代実録』 )仁和三年(887)五月廿日条の記 述であろう.ここには,出羽国府移転の討議があ ったことが記されているのだが,その移転の理由 として嘉祥三年の地震が挙げられているのである. この地震についての先行研究は極めて少ないが, 言及しているものを見ると,必ず『三代実録』の 記事を引用している. 今回は,『文徳実録』『三代実録』の地震記述を 再検討することで,史料から嘉祥三年の地震の被 害がどこまで分かるのかを明らかにすることを目 的とする. §2.出羽国府の位置について 仁和三年時点での出羽国府がどこに所在してい たのが,これまで様々な説が唱えられてきた.萩 原・他(1989)は城輪柵と広野新田付近(いずれ も山形県酒田市)を比較し,広野新田付近の都合 が良いとしている.だが,広野新田付近に比定し た場合,討議にある国府に近い「高敞」の地の比 定が難しくなる. 現在では遺跡の発掘調査が進んだ結果,城輪柵 を比定するのが定説となっており,嘉祥三年時点 の国府も城輪柵であろうと考えられている. §3.『三代実録』の地震記述の再検討 嘉祥三年の地震については, 『三代実録』の国府 移転の討議から,従来はこの地震による国府周辺 の地形変化が指摘されてきた(津波を指摘する人 もいるが,否定する意見に賛同である). しかし,この討議は地震発生から 37 年も経過 したものである. 『文徳実録』嘉祥三年十一月廿三 日条(地震から約 1 ヶ月)では全く触れていない ことが,37 年後の記録に表れるというのは少し不 自然ではないだろうか.そもそも『三代実録』で. は, 「嘉祥三年」をどの部分までを含むのか. このことを考えるために,嘉祥三年から仁和三 年までの間に起きた災害を確認する必要があると 思われる. §4.出羽国府周辺での自然災害 史料に記録されている限り,出羽国における大 きな出来事は,貞観十三年(871)の鳥海山噴火 と天慶二年(878)の天慶の乱の 2 つである. 鳥海山噴火について, 『三代実録』には「自山所 出之河、泥水泛溢」とある.これは仁和三年の討 議にある「既成窪泥」に対応するのではないか. そう考えると,仁和三年の討議には嘉祥三年の地 震についてあまり記述がないと見ることができる. §5.おわりに 嘉祥三年の地震について, 『三代実録』の内容に ついて検討を加えたが,史料からは被害の範囲ま で読み取ることができない.しかし,払田柵(秋 田県大仙市)の外柵がこの地震で損壊したと指摘 する人もおり,遺跡の発掘調査から被害の範囲を 特定することができるかもしれない. 図:城輪柵等主要城柵の位置. 参考:萩原尊禮編,1989, 『続古地震』 ,東京大学 出版会. - 110 -.

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