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ピラミュスとティスベにおける時況接続詞について

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(1)

ピラミュスとティスベにおける時況接続詞について

著者

伊藤 了子

雑誌名

年報・フランス研究

10

ページ

1-28

発行年

1977-03-25

URL

http://hdl.handle.net/10236/9086

(2)

ピ ラ ミ

ュス と

ィス ベ に お け る

時況接続詞 について

子 了 藤 伊 この テキス トは12世 紀後半 に ノルマ ンデ ィ出身の作者 によって作 られ た韻文 の作 品であ り

,バ

ビロンの相愛 の男女 ピラ ミュス とテ ィスベがいかに して「 永 遠 の夜」 の中に悲運の生涯 を閉 じたか を物語 ってい る

,い

わゆ る古代物語 のひ とつ であ る。全体 で

921行

か ら成 る短 い詩 であ るが

,そ

の構成 にはひ とつの特 徴 がみ られ る。 つま り語 り (r6cit)の 部分 と独 自

(mOn01ogue)の

部分 とが作 品の中ではぼ同 じ割合 を占め

,「

語 リー ピラ ミュスの独 自一語 リー テ ィスベの 独 自」が

4回

くり返 され たあ と

,語

りの部分 で終 ってい る。 しか もこの語 りの 部分 と独 自の部分 とでは作詩法が異 ってい るのであ って

,語

りは対韻の

8音

節 詩句か ら成 り

,そ

れ に対 して独 自は

2音

節 の同韻詩句 で始 ま る

8音

節詩句

3な

い し

4行

に よって書 かれ てい る。 た とえば

200-203行

(独自

)と 204-207行

(語り

)を

引用 す ると, Pasrrler

M'estuet errant; ne puis parler.

Or sui hetiez, or vueil plorer,

Or ai grant chaut,Or vueil trambler.》

・・Ains qu'il petist son duel fenir

Li prist la face a empalir; En lerlmes, en genlissement

(3)

ピラ ミュスとテ ィスベにおける時況接続詞について す く゛に も私は気を失 うに違いない, もう話す ことができない。 ああ楽 しい

/

ああ泣 きたい/ 暑い

/

寒い/」 彼が嘆 き終 らない うちに 顔は蒼白にな り始め 涙を うかべ, うめき声をあげなが ら 意識を失 って敷石の上に倒れて しまった。 この よ うに独 自の部分 と語 りの部分 は どちらも韻文で書かれてい るに もかかわ らず文体が当然異 ってい る。 それ は作詩法 の違 いだけに よる ものではないであ ろ う。つま り語 りの部分が書 きことば ない しは文学語 であ るとすれば

,

独 自 の部分 は よ り口語的で話 しことばの文体 に近 い もの と考 えることがで きるであ ろ う。 われわれの テキス トにおいては この文体 の相違 に一役買 ってい る もの と して時況節 をあげ ることがで きる。古 フラ ンス語 は古典 ラテ ン語か ら俗 ラテ ン 語 を経 てい くつかの時況接続詞 を受 け継 く゛と同時 に

,新

しい表現 を多 く創造 し たの この倉1造活動 は前文学期 (6pOque pr61itt6raire)か ら始 ま り

,13世

紀初頭 まで続 く。 と りわけ12世 紀後半 は作者の個人的 な思 いつ きや気紛れによって様 々の接続詞句が次 々に作 り出 され た。要す るに12世 紀 とい うのは多 くの同義語 が存在 し

,

しか も ひ とつの語(句)は 多義 であ るとい う特色 を もつ時代 であ っ た。 それ と平行 して12世 紀後半か ら13世 紀 い っぱいにか けて徐 々に論理的 な要 求が強 くな り

,古

フラ ンス語の終 りに近い時nJlには飾 りす ぎた形態素 を単純化 す る傾 向が 現 われ

,

あ らゆ る意味 での 整理lがな され るのであ る

(IMBS,Les

Propositions Temporelles en Ancien Fran9aiS, SOci6t6 d'Edition:Les]Bells (1) 1

Lettres,1956の

序文 よ り)。

以下

,わ

れ われの テキス トに用 い られてい る時況接続詞(句)を 個 々に取 り上 げ

,そ

れ らが語 りの部分 と独 自の部分 との文体 の相違の上に どの よ うに関与 し

(4)

てい るか に注意 を配 りなが ら検討 してみよ うと思 う。

*

まず

,

この物 語 の中 で用 い られ て い る ains que 1 911 ain90iS que l frll

COm l例

de ci que 1 91j

des que lイ

demendres que 1 911

entrues que 1 911 これ らの分 布状 況 を表 にす る と次 の よ う 表 I 時況接続詞(句)は次 の13種 であ る。

endementres que

la ou

quant

tant con tant que tres que に な る (表 1)。

1例

2例

3091J

3例

3例

2例

行 接続詞(句) 数

1行

1接

続詞的

)1数

│ 10

1-149 R6cit aln9ols que

des que tant con tresque 1 1 1 1 150-203 Pira]mus quant

204-220 R6cit alns que

221-306 Tisb6 quant 1 307-340 341-357 R6cit PirarrLuS de ci que quant 358-377 R6cit 378-401 Tisb6 tant que quant 1 1 408-498 1 Pirarrlus

(5)

ピラ ミュスとテ ィスベにおけ る時況接続詞 について

要 す るに独 自の部分 には

quant(30例

中 16例

), la Ou(2例

1例 ), tant

que(3例

3例

)の

3種

しか用 い られてお らず

,語

りの部分 では

tant que

を除 く全ての時況接続詞(句)が 使 われてい るのであ る。 次 に 個 々の接続詞 の検討 に移 るが

,

純粋 に 接続詞(句)別 に様 々の例 を取 り 上 げ

,そ

れ ぞれの場合の接続詞が どうい う価値 で用 い られてい るか を考 えてい く。 1。

quant

我 々の テキス トの

30の

quantの

なかで

,明

らか に時の価値 を持つ と思われ る

quantは

21例 あ る。

IMBSの

方法 に倣 って従節 の動詞が直説法現在

,単

純 過去

,複

合過去

,前

過去 の場合 に分 けて検討 しよ う。 一―直説法現在 は13例 あ る。 その うちの一例 は習慣的 行為 を示 す もので

,主

節 の行為 と同時 の関係 にあ る。 La nuit,

Quant je πι gづs dedenz mon lit,

Dont ε%グι que sorrline m'est delit

(v。 547-549)

夜 にな り

,寝

床 に横 にな るとき

眠 りは私 に とって快 い と思 う

次 の 例 で は 反 復 的 現 象 を表 わ し

, 2つ

の 行 為 は 同 時 に 起 こ って い る。

Et quant vOS ごοづ prendre, siプルιづ′.

(v. 557)

そ して私 が あ な た をつ か ま え るべ き と き

,私

は失 敗す る。 一時的な事柄 で同時性 を表 わす例 もあ る

Biaus slre,

(6)

Quant vostre main vOus υ%θ′′Ocire. (v。 840-842) 殿 , あなたが御 自分の手で死の うとな さった とき 怒 りによって思い とどま ることがで きなか ったのですか 以上の

3例

と同様に主節 も従節 も直説法現在をとってお りなが ら

,純

粋な同 時の関係にはない ものがかな りある。たとえば

Quant υοづ′ parrrli le cOrs l'espee

F%グ′li li sans, si s'est pasrrlee.

(v。 821-822)

身体 に剣 が突 き刺 さ って い るの を見 ると,

彼 女 か ら血 の気 が失 せ

,気

を失 って しま った。

Atant frernist, ne puet plus dire, Et quant ses contes li γθηOαグ%ノ,

Tisb6 θθ%θ%θθ SOn cOrnPlaint:

(v. 500-502) そのとき彼の身体が震え

,話

すことができなくなる そして彼の話がとぎれると

ティスベが嘆き始める。

〔その他,v.644 voit;v.665 voit;v.819 apcr9oit;v.559.mc rendorm;

v. 676 est assasez〕

従節 の動詞

voirゃ

remanoir(=《

cesser,■nir》

)は

点括的完 了 (perfectif‐

ponctuel)の

相 を もつ動詞 であ り

,行

為が始 ま るや完了す るので

,従

節 の行為 が先行す ることが暗 に示 され るのであ る。 また

,ほ

とん どの場合

,主

節 によ っ て表 わ され た事柄が従節 の行為の 自然 な結果 であることか らもそれは裏付 けさ れ る。 しか しこれ らの例においては全 て従節 の行為の最後の一端 と主節 の行為 の初 めの一端 とが一致す るので時の関係 としては同時であ るとみな され る。先

(7)

ピラ ミュス とテ ィスベにおけ る時況接続詞について

行 の観念 はあ くまで暗黙的 なままで従節の動詞 の意味 だけに委ね られていて文

法 は全 く関与 していない (IMBS p。

337,338参

照)。

主節が単純過去 の場合 も全 く同 じであ る。

Quant Piralmus υοづι de s'arnie

Tant espirrrlent qu'el est perie,

Plusごθυづ%ι vers que feuille d'ierre,

Et γィルοづαづSι Come une plerre,

(v. 700-703) ピ ラ ミュスは恋 人 が この よ うな最 期 を遂 げ たの を知 る と 路 傍 の葉 よ り も青 く 石 の如 く冷 た くな った。 ただ しこの場合には単純過去 で表 わ され た行為が浮彫 りに され る。 そ してそれ は逆 の場合,従 節が単純過去

,主

節が直接法現在 で も同様 であ る

CMBS p。

349 参照)の

Quant Cl aproce du moricr Et υづι les mores noircoiier, Donques ε%グαθs estre esgaree

(v。 805-807) 彼女は桑の木に近づいて 桑が黒 くなるのを見たとき 心が騒 く゛のを覚えた 一一 単 純 過 去 は

3例

あ る。 Ja θγι αSSづ Sθ sus le marbre

(8)

Quant uns lions de la montagne,

…・・…………υグ%ι parrrli les prez,

(v. 652-660) 獅子が山か ら野原 にや って きた とき, 彼女はす でに大理石の上 に坐 っていた。 従節 の動詞 はそれ 自体が完 了相 を もってい る。一方

,主

節 の半過去 ertに よっ て表 わ されてい るのは「 坐 っていた」 とい う過去の継続的状態 である。 そ して 副詞

jaは

その状態が主節 の行為がな され る前か ら始 ま って続 いてい ることを 示 してい る。結局 ここでは二 つの事柄

,継

続 的状態 と点括的行為 とが一致す る 同時の関係 にあ る。 次 の例 では主節 も単純過去であ り

,直

接法現在―直接法現在 の場合 と全 く同 じ結果が生 じる。

Males erres et males estreine

Rθf%グ,

Amis,quant primes vos εθπ%づ.

(v。 530-532) 友 よ

,私

が 初 め て あ な た を知 った と き, 私 は虐 待 と苦痛 を受 けま した。 つま り

,従

節 の動詞が完 了相 を もち

,主

節 と従節 とは原因結果 とともに同時の 関係 にあ るとい うことであ るの 残 りの一例に関 してはすでに直説法現在 の ところで取扱 ったので, ここでは 省略す る。 ―― 複合過去 は

5例

あ る。古 フランス語 では原則 として過去分詞の助 けを借 り た複合形 によって完 了

(perfectum)を

表 わ した ことを思 い出そ う (IMBSo I).

(9)

ピラ ミュス とテ ィスベ にお け る時 況 接 続 詞 につ い て La pucele est trois fois paslnee,

Et quant ele s'θ sι γθ′θυθθ

Andeus ses mains vers le ciel ′θ%′ f

(v. 307-309) 乙 女 は三 たび気 を失 った,

そ して再 び起 き上 が る と 両 手 を天 に 向か って差 し延べ た Lune, fontaine, prez, rrloriers,

Nuit pale,

Qui enSeigne me fels male,

Quant S%づ づSs%θ de la sale, (v。 854-857) 私 が 部屋 を 出た と き凶兆 を示 した 月 よ

,泉

,草

原 よ

,桑

の木 よ

,白

い夜 よ

2例

と も主節 の動詞 は単純時制 (tent:直接法現在 《歴史的現在》

,feis:単

純 過去

)で

あ り

,従

節 の動詞 は完 了相 を もってい る上 に複合形 に よって完 了の意 味が 明示 され てい る。特 に第

2の

例 に関 して読者 は

,主

節 の行為がな され るの は従節 の行為が完 了 した後す こ しの時間が経過 してか らの ことであ ることをす でに知 ってい る。 したが って これ らは

,複

合時制一単純時制 の対立 に よって先 行一後行 の関係が は っ き り現 れ てい る例 であ るとい え る。 主節 の動詞 も複合過去形 であ る例が一つあ る。

Et quant il θSι des prez osSπ Z

Et Pyralmus i θsι υθπ%Z,

(v. 680-681)

それ 自身完了相を もつ動詞

issir,venirが

,

ここでは さらに文法的に も完了

の意味が与えられている。「獅子は野原か ら出て行 った→ そこにはいない」,

(10)

か ったので

,獅

子が去 った後 に ピラ ミュスがや って きた とい うことで

,従

節 の 事柄 は主節 の事柄 に先行す る。

Ja eStOit dusqu'au mur venue,

Quant une gaite l'α bθttι;

(v。 642-643) 見張番が彼女を見たとき, すでに彼女は壁の ところまで来て しまっていた。 この例 で は

,主

節 の動 詞 も従 節 の動 詞 もそれ 自身 が完 了の意味 を伴 い

,両

者 は 文 法 的 に も完 了 の意 味 が表 わ され て い る。 しか し大過 去 で表 わ され た主節 の行 為 の方 が従 節 の行 為 に先行 す る こ とは副詞

jaに

よ って強 調 され て い る こ とか ら も明 らか で あ る。 と ころが,

Ja ert la gent toute endorrrlie,

Quant Tisb6 s'ιsι αθsαυα%θづθ. (v. 624-625) テ ィスベが行動を開始 したときには 人々は皆すでに眠 っていた 主 節 は半過 去 に よ って過 去 の継 続 的状 態 を表 わ して い る。 そ して従節 の行 為 は その設 定 され た状 況 の 中 で行 なわれ るの で二 つ の事 柄 は 同時 の関係 に あ る とい え る。 ― ― 前 過 去 は一 例 しか な い。 Quant∫犠 づSS%θ de la sale Et ele devaloit l'eschale

(v。 632-633)

彼 女 は広 間 を 出て 階 段 を下 りて行 った

(11)

10

ピラミュスとティスベにおける時況接続詞について 二つの行為の時間的関係 は明 らかであ る。主節 は半過去 に よって過去の進行中 の動作 を示 し

,従

節 の前過去 は主節 の行為が始 ま る前 に従節 の行為がす でに完 了 してい ることを表 わ してい る。 これ は複合過去形 の

2例

とと もに

,複

合時制 ― 単純時制の対立 によって先行一後行の観念が明示 されてい る例 であ る。 以上 で時 の観念 を表 わす

quant 21例

の分析が終 ったわけであ るが

,結

局純 粋 な同時性 を示す

quantは 6例

だけ

,動

詞 自体 の もつ完 了相 によって 先行性 が暗示 され るがつま りは同時制 を表 わす

quant ll例

,複

合時制―単純時制 の 対立 に よ って 先行一後行の観念が 前面 に 押 し出 され てい る ものが

3例

であ っ た。 したが って文法的要素 よ リアスペ ク トの方が数 において勝 り

,そ

の ことは 我 々の物語が事柄 や行為 の時間的 な順序 よ りむ しろ描 くことを重視 した もので あ ることを意味す ると考 え られ る。 次 に「 時」以外の観念 を表 わす と考 え られ る

quantの

例 を見 てみ よ う。 plais quant jc plus pens et rrleins voi

(v. 230)

私が考 えれ ば考 えるほ どわか らな くな る。

Quant jC plus plaing et meins me vaut. (ve 186)

嘆 けば嘆 くほ ど空 しい。

voiは

pensの

,vautは

plaingの

結果 であ る。 その上,plus…。

meinsは

一 種 の進 行的減退 と もい え る結果 を表 わす要素 であ り

,

さらに二 つの節 を結 びつ けてい る

etは

主節 の行為 を浮彫 りに した り

,主

節 が従節 の結果 あ るいは進行 であ ることも明確 にす る役割 を もった副詞 であ る

(IMBSo p.57参

照)。 した

が って時の観念 よ りも結果の方が強調 され ることにな る。 ところで,

(12)

C'est torz,

Quant ele est morte et ne sui morz; (v. 737-738) 彼女が死んで私が死んでいないなんてまちがっている ここでは主節 の事柄 と従節の事柄 とは対立の関係にあるが

,だ

か らとい って同 時性が失 われて しま ってい るわけではない。 (その他,v。 742;v。 428-429)

quantが

純粋 に原 因の意味 を表 わす例 もあ る。 Quant en jOieル%θs SθυγθZ Et mort sο夕γzιS αιSαssα770b′θz, Sevlaus

Que nOus θο%ノグι%gπθ uns seulz tombiaux,

(v. 885-888)

私たちが喜びか ら引き離 され,

死んで離ればなれになって しまったか らには 私たちが一つの墓に収め られ るよう埋葬 して下 さい

主 節 の動 詞 se宙

ausは

sevrerの命 令 法 で あ り

,命

令 法 に よ って表 わ され る事 柄 は未 来 に属 す る。 一 方 従 節 の fumes sevrezは 未 来 や未 来 に完 了す る行 為 を 表 わす もの で は な く

,「

我 々は喜 びか ら引離 され て しま った」 とい う 事実 を示 す。 そ して

,今

独 自 して い る ピ ラ ミュスは テ ィスベ が す で に死 ん で しま って い る と思 い込 ん で い る上 に

,

自分 も死 に つ つ あ るの で

,従

節 の第

2の

動 詞

mOrt

somesは

彼 に とって はす で に確 立 され た事 実 で あ る。 結 局

quantは

過 去 の事 実 と未 来 の事柄 とを結 びつ け る こ とに な り

,そ

2つ

の事柄 は原 因 と結 果 の関 係 に あ るの で

,時

の関係 が後 退 して しま って い る。 この例 で は過 去 の事実 と未 来 の事柄 とい うよ うに時 の関 係 が こん な に も明確 で あ るの に

,

とい うよ りむ し ろ それ 故 に

quant自

体 は時 の観 念 よ り原 因 を表 わす こ とに な るの で あ るが, 同様 に現 在 ― 未 来 とい う時 の差 が 明 らか で あ って

quantが

譲 歩 を表 わすJllが あ る。

(13)

ピ ラ ミュス とテ ィスベ にお け る時況接 続詞 につ い て

Quant assambler ne poons ヽ Mors n /1S'OS J01ndra, ce m'est

(v。 875-876) 私 たちは生 きてひ とつにはなれ な くと も 死が私 たちを結 びつけ`てくれ るで しょう。 この よ うに

quantと

い う接 続 詞 は様 々な意 味 で用 い られ て い るが

,結

局 qu_

antの

意 味 を決 定 す るの は文脈 や他 の文 法 的 な要 素 で あ る とい え る。 我 々の テ キ ス トで は

,quantが

時 以外 の観 念 を表 わ して い るの は全 て独 自の部 分 に お い て で あ る こ とが特 色 とな って い る。 独 自の部分 に み られ る特 色 が も うひ とつ あ る。 それ は反 復 の副 詞 の問 題 で あ る。

quantに

よ る従節 が主節 の前 に置 か れ る と き

,主

節 の頭 に反 復 の副 詞 を伴 って い る例 が 少 なか らず あ った (例 :Quant ie me giS dedenz mon lit,αοπ′

cuit que somme m'est delit,v.548-9)。 我 々の テキ ス トで使 用 され て い る

の は

dont,donques,si,etの 4種

で あ り

,そ

れ らの果 す 役 割 は 《la conjOnc‐ tion quant 6tant 61oign6e du verbe principal d6terrrlin6 par elle, on

reprend devant ce verbe l'id6e temporelle qu'elle exprilneo L'adverbe

forme coΠIIne unC sorte de relais en cours de phrase, a l'usage d'esprits

peu habitu6s a la subordination.》

(IMBS.p。

51)`であ る。

この補 強 構 文 は13世 紀 に話 しこ とばの影 響 を大 い に受 けた散 文 文学 の 出現 に よ って急 増 した。 我 々の テ キ ス トで は補 強 構 文 10例 の うち

2例

が語 りの部 分 に,

8例

が 独 自の部 分 に用 い られ て い る。 この事 実 は独 自の部 分 の方 が散 文 的

,話

しこ とば的 で あ る こ とを裏付 けす る もの で あ ろ う。

2. com

古 フラ ンス語 の

quantと

comが

同義 であ ることは一般 に知 られてい るが,

(14)

ピラ ミュスとテ ィスベにおける時況接続詞について

13

は ひ とつ し力>ない。

(Ene)

Voit la guilnple come il la touche E)'ores en autres a sa bouche,

rv. 817-818)

彼女は彼が立て続けに彼女の ヴェールを口に押 しあてているとき そのヴェールを見 る。

その ほか に

comが

時 況 接 続 詞 と して用 い られ て い るの は

tant comと

い う言 い ま わ しに お い て だ けで

,そ

の他 の

comは

「 感 嘆 」 (18例

),た

とえ

(7例

), 方 法

(3例

)を示 す もの で あ る。 われ われ の唯 一 の時 況 接 続 詞 と して の

comが

語 りの部 分 に存 在 す る とい うこ とは

,「

文学 の 言葉 が古 典 ラテ ン語 や教 会 ラテ ン語 の保 護 を逃 れ一 層話 しこ とばに近 づ くにつれ て

,時

況 の

comは

まれ に な るが

,少

な くと も書 き こ とばの慣 用 か ら消 え さ りは しなか った」 とい う

IMBS

(p。 118)のこ とば に比 して み た と き

,わ

れ われ の テキ ス トの語 りの部分 が書 き こ とば的 で あ り

,逆

に独 自の部 分 が話 しこ とば に近 い こ とを証 明す る もの で あ る とい え る。 3。 la ou

la ouは

最 古 の テ キ ス トで は場 所 の接 続 詞 と して用 い られ て い るが , Chan‐

sOn de Roland以

来 《a10rs que》 とい う意 味 の時 況 接 続 詞 と しノて独 立 した も の で

,

従 節 の 動 詞 が 単 純過 去

,半

過 去

,現

在 の とき 同時 性 を表 わす

(IMBSe

p。 187)。

Biaus slre,

Petit vous puet espargnier ire,

Q%α%ι VOStre main vous vuelt ocire.

(15)

ピラ ミュス とテ ィスベにおけ る時況接続詞 について

14

二αοπ ]e voi que il souspire!

(v. 840-844) い としい殿/ あなたが御 自分の手で死の うとな さった とき 怒 りの気持があなたを思 い とどま らせ ることがで きなか ったので しょうか。 ああ

,私

の 日の前 であのお方が苦 しんでお られ るときに ど うして私 は怒 りの ことな ど言え るので しょう

/

この我 々のテキス トの

la ouは

明 らか に同時性 を表 わす もので

, IMBSの

い うよ うに従節 の動詞 は直説法現在 であ る (従節 の動詞が半過去 であ る もうひ と つの例

, v.894-897に

関 して も同様 。)。 この

la ouは

中世 の間中時況の

quantや

com

と共存 し

,

同 じ一節 で

quantが

くり返 し用 い られ るよ うな 場 合に

,表

現 を多様 にす るために使用 され ることが よ くあ ったが

,こ

こにあげ た例が そ うであ る。

4。

endementres que

Endementres que ele doute,

Si a tenue droite route,

(v. 811-812) 彼 女 は不 安 な気持 を抱 きなが ら

ま っす く゛道 を進 ん で行 った。

この接続詞句は写本

Aで

dementres queで

表 わ され てい る。 それ は 《pen‐ dant que》 の意味 を もつ接続詞

(dum《

pendant que》

+inter,intra《

dans

l'espace de》 十副詞 の

S)と

して用 い られていたが, この

dementres力

>ら

もはや もとの ラテ ン語 の

dumと

い う要素が ひ と日でわか らな くな ったので具体 的 な価値 が弱ま った。 それ を補強す るために用 い られ たのが

,《

pendant ce

temps》 とい う意味 を もち

,主

節 の行為が位置す る時の空間 を示 すen_であ る。 そ して

endementres queと dementres queは

非常 に早 くか ら共存 してい

(16)

ピラ ミュス とテ ィスベにおける時況接続詞 について

15

た (IMBSe p。 291-303)。

5。 entrues que

entrues queは

《pendant que》

,《

jusqu'a ce que》 の意 味 を表 わす接 続 詞 で あ るが

,外

見 か らは分 析 不 可 能 で

,

したが って語 源 は わか らな い (IMBS。

p。 295-296)。

Entrues qu'il lnuert bese la guilnple.

(ve 785) 彼 は死 ん で い きなが らヴ ェール に 口づ けす る。

写本

Bで

は la ou, 写本

Cで

et quantが

entrues queの

代 りに用い られ

ていることか ら, ここ‐での entrues queは 《jusqu'a ce que》 よ りも《

pendant

que》 の意味で用い られていたと推測 され る。

6. tant con と tant que

tant conは

主節 の事柄 の継続 と従節 の事柄 の継続 とが一致す ることを意味

す る (=《aussi longtemps que》 )。 また継続 の中での局限 (=《pendant que》)

の意味 で用 い られ ること もあ った (IMBSo pe 301-302)。

Tant con lor aez fu contraire

A ce qu'Amours requiert a faire

Et il furent dedens dis ans, Fu assez lor licence grans E)'aler ensamble et de parler, D'esbanoier et de joer.

(v。 71-76)

愛の神の 目論みには 余 りに も幼 く

(17)

16

ピラ ミュスとテ ィスベにおける時況接続詞について 一緒に出かけた り

,遊

んだ りす ることが許 されていた。 これ を図示す ると次のよ うにな る。 従 節 年齢 が障害 であ る 10歳 以内であ る 主節 十分許可 されてい る 従節 の状態 と主節 の状態 とは量的 に一致す るので

,

ここでは

tant conは

《aussi lOngtemps que》 の価値 を有す る。次の例 で も同 じであ る。

Baise la bouche par grant cure, Tant cOn sens et vie li dure. Tant cOn li dure sens et vie Se demonstre veraic aΠ lie.

(V. 916-919) 彼女に感覚 と生命があるか ぎ`り

心をこめて彼の くちびるに接吻す る。 彼女に生命 と感覚があるか ぎり 彼女は真の恋人であることを示す。

と ころで

,最

初 の例 (v。

71-76)の tant conは

写 本

Oで

tant queに

って い る。

TOGEBYが

, tant comは

《aussi longtemps que》, tant que

は 《

jusqu'a ce que》

を意味するといっているように, tant queは 古フラン

ス語では 《

jusqu'a ce que》

の意味で用いられるのが普通であった

(cfo MЁ

NARD p。 125,MOIGNET p。

237)。 われ われの テキス トでは

tant comが

《aussi longtemps que》 を意味す ることはすでに確認 した とお りであ り

,

し たが ってその ヴァ リア ン トの

tant que

も意味の上 では 《aussi longtemps

(18)

ピラ ミュス とテ ィスベにおけ る時況接続詞 について

17

que》 でなければな らない。一般に中世において

tant queが

《aussi long‐

temps que》 あるいは 《pendant que》 の価値で用い られ ることがあるのであ ろ う力〉。

IMBSに

よれば 《c'est donc bien sur le modё le des conjonctions

de comparaison ou du moins en meme tempS qu'elles, que les locutions

compos6es de com(e)temporel ont remplac6

εο%(θ)par g%θ》p。 318)

そ して比 較 の表 現 の 中 で

com(e)が

queに

とって 代 られ て い る最 古 の例 は 12世紀 (1130年 頃)に 作 られ た作 品

CorOnemenz Loolsに

あ り, 13世紀 の Au‐

cassin et Nicoletteや その他 の作 品 に も認 め られ る と述 べ て い る。 そ うす る

とわれ われ の テ キ ス ト

Piramus et Tisb6が

作 られ た と推 定 され る12世紀 末 に は す で に

tant com(e)の

com(e)が

queと

入 れ 代 った もの

,

つ ま り

《aussi longtemps que》 ,《 pendant que》 の 意 味 の

tant queが

存 在 して い た とい え る。し力>し

MENARD力

れヽって い るよ うに 《Tant que est trёs rare au sens de “pendant que'' car depuis toujours en ancien fran9ais, tant que signifie “jusqu'a ce que" et il y avait risque de confusion》 (p。 215)

である。

われわれのテキス トの中のほかの

tant queは

どのよ うな意味で用い られて

いるのであろうか。

Pertus, tant par estes estrois! Chaillous, se vos aouvrissois

Seul ια%J

Q%θ nOS i01SSOns en parlant!

(v. 469-472)

裂 目よ

,何

とおま えは狭 いのだ/

石 よ

,私

た ちが話 を して楽 しむ間 だけで も

開いては くれ ない ものか/

(19)

18

ピラ ミュス とテ ィスベにおけ る時況接続詞 について

件が付 されてい る。 nos joTssons en parlantは 「 私 た ちが話 を して楽 しむ」 とい う意味 であ る。 この

tant queが

《jusqu'a ce que》 でぁれ ば

,主

節 に よ って表 わ され る継続的状況「 開 く」の終点の限界が joissons「 楽 しむ」 とな り,

開 いてい ることの意味が な くな って しま う。 開いてい ることと楽 しむ ことは同 時 であ って

,そ

の継続時間の長 さは一致 してい るはずであ る。 したが って この

tant queは

《aussi longtemps que》 の 意味 で 用 い られてい る もの と思 われ

る。

壁 に対 す るピラ ミュスの訴 えは続 き

,

くり返 され る。

Masiere,

Tant par estes cruels et flere!

Que n'aOvrez par ma pro五ere, Tαπι 9%θ besier puisse la chiere,

La bouche,

La cui douceurs au cuer me touche P (ve 487-492) 壁 よ, 何 とお前 は残酷非〕首な ことよ 。′ い としいひ との唇 に や さしさが私の心 に触れ るそのひ とに 接吻す ることがで きるあい だ ど うして開いて くれないのだ 私が頼んでい るのにP ここで も

tant queの

用法は先の例 と全 く同 じである。条件は「話をす る間」 とい う時間の継続 よ りもさらに縮小 されてはいるが

,欲

求の方はつの り「(せめ て

)い

としいひとの唇に接吻す ることができる間」に代 っているだけである。 今度は ピラ ミュスに代 ってテ ィスベが 自分の愛の苦 しみを語 り始め

,夢

の中 で会 ったピラ ミュスが彼女に語 ったことを現実の

,壁

のむこうにいるピラ ミュ

(20)

ピラミュスとティスベにおける時況接続詞について

19

スに話す。

《Tisb6,

《Li dieu nous ont arrlonest6

《Que issons fors de la cit6

《Tα%ι g%θ puissons estre assanb16.》

(v. 571-574) ァィスベよ,

わたしたちが一緒になることができるまで 町の外に出よと

神がわたしたちに告げられた。

puissons estre assanb16は (両家 の親 が許 して)「 我 々が一緒 にい ることが で

きるよ うにな る」 とい う意味 に解釈 で きるので

,こ

tant queは

「 その とき まで∼」 とな り 《jusqu'a ce que》 を意味す ると考 え られ る。

以上

3例

の うち第

3の

例 だけが本来 の

tant queの

価値 《jusqu'a ce que》 で用 い られてお り

,ほ

か の

2例

は 《aussi longtemps que》 を意味す る もので あ る。 なお

,こ

れ らの

tant queは

独 自の部分 だけに用 られ

,語

りの部分 では 使 われ ていない。語 りの部分 では 《aussi longtemps que》 はtant conに よっ て,《jusqu'a ce que》 は

tres que,de ci queに

よ って表 わ され, きわめて 明確 に区別 されてい る。

7. des que

des queは

語源的 には出発 の観念 《a partir du moment ot》 を意味す る。 12世 紀 に もその価値 は維持 され るが

,12世

紀 以後 まれ にな り

,《

d6ja au mO_

ment》 あ るいは 《depuis que》 の意味 で用 い られ ることが多 くな る。 (IMBS。

p。 376-387)

(21)

20 ピ ラ ミュス とテ ィスベ にお け る時 況接 続 詞 につ い て Et il choisirent escient

Et lor aez s'aert el cours Ou naturc conceit amours, Lores nes lesse plus garlre

(v。 123-127)

そして彼 らが青年にな り 意識が 目覚め

愛にふさわ しい年齢に達す るや もはやそのときか ら愛の傷は治 らない。

この

des queは

写 本

Oと

Bで

puis queと

な ってい る。

puis queは

語源 的 には 《aprёs que》 を意味 したが

,前

置詞 や副詞のpuisの価値変化 に と もな い

,徐

々に 《depuis que》 の意味へ と片寄 ってい く。 その動 きは1100年 頃 に発 し

,12世

紀以後主節 の否定の動詞 とと もに発達 し

,13世

紀 には 《aprёs que》 を押 しのけ る。 この

puis queは

《d6ia 10rSque》 の意味の

des queの

代 り をす ることは糸じ対ないが,《 depuis que》 ,《a partir du moment oふ》 の des

queに

代 ることはあ る (IMBSo p。 357)。

したが ってわれわれのテキス トの

des queは

《a partir du moment ot》

か 《depuis que》 θ)ど ちらか であ る。 《depuis que》 はet si ne fui onques

Si liee αθs g%θ je fui nee.「 私 は

,fLま

れ て このか た これ ほ ど うれ しか った ことはない」 ⊂MBSo pe 382よ り

)の

よ うに空間の最後の限界が暗示 され ると きの出発点 を示す ものであ り

,わ

れ われの例では最後の限界 を暗示す る ものは 何 もないので 《れpartir du moment oふ》 の価値 を もつ とい うことにな る。

8。 ains que, ain9oiS que

ainsは 《avant,plut6t,plus t6t,(ne)・ …jamais,mais》 を意味 し,一eis,

(22)

ピラミュスとティスベにおける時況接続詞について

21

テキス トで

ainsが

単独 で 副詞 として 用 い られてい るのは

6例

あ るが

,《

a‐

vant》 を意味す る ものは全 くない。

ein9ois(1例

)に

ついて も同様 であ る。

しか し接続詞句 にな ると明 らかに純粋 な時の観念 を表わ してい る。

Aincois qu'il eussent set ans Toucha Arrlours les deus enfans

(v。 13-14)

7歳に もな らない うちに 「 愛 」 が彼 らに触 れ た。

Ains qu'il peust sOn duel fenir Li prist la face a empalir;

(v. 204-305) 彼 が嘆 き終 えな い うちに

彼 の顔 は蒼 白 に な り始 め た。

我 々の テキス トでは

ains queと

ain90iS queは ひ とつずつ共存 してい るが,

中世 の初 めには

ains queが

大半 を占め

,ち

ょうどわれわれのテキス トの作 ら れ た ころよ り少 し後の12世 紀末頃ain9oisがその強力な ライバル とな り

,13世

紀 には五分五分

,14世

紀 の散文文学か らは短 いains queが追放 され る

(IMBS.

p。 466)。 われ われのテキス トには この

2つ

の接続詞 のほかに 《avant que》 を表 わす 接続詞 はない。 冨Jtt avantも 前置詞

devantも

場所 の観念 を表 わ してい る。 しか し一般 には

avantは

12世紀後半か ら完全 な時の価値 を もつ よ うにな り , 現代 フラ ンス語 と同 じ用法の

avant queが

大勢 を占め るよ うにな るのは 14世 紀か らであ る (IMBSo p。 466)。 9。 tresque tresとい う形態素 は ラテ ン語の transと 同様 出発点 と到着点 に達す る動 き

(23)

ピラ ミュスとテ ィスベにおけ る時況接続詞について

を同時 に示す ものであ るが

,tres queと

い う接続詞 は普通 《jusqu'a ce que》 の意味 の到着点 を示 し,《 depuis que,dёs que》 の意味 の出発点のみを表 わす

ことは非常 にまれ であ る (IMBS.p。

389-391,MENARD p.217,291)。

De tel sajete et dc tel lance

Navra Amours en leur enfance

Le jovenciel et la meschine, Tresque la mort lor fu voisine.

(v. 43-46) 「愛」はこの青年 とこの乙女がまだ幼いころ

このような矢 とこのような槍によって傷を負わせた その傷は彼 らが死 と隣 り合わせになるまで治 らない。

この

tresqueは

写 本

Oで

は si que,写本

Aで

dusqueに

よ って表 わ され て い る。

dusqueは

ラテ ン語 の前置 詞

usque(=《

jusqu'a》

)が

出発点 を示 す形 態

素 inde_あ るい はde一 に よ って補 強 され て で きた接 続 詞 で 《jusqu'a ce que》

の価値 を有 す る (IMBSo p。 446)。 si queは意 味 論 的 に は曖 味 な言 い まわ しで,

《avant que》 ,《 jusqu'a ce que》 ,《 de maniёre que》 の いず れ か の意味 で用 い られ る もの で あ る。 結 局

,以

上 の

3つ

の 言 い まわ し

tresque,dusque,si

queに

共 通 な価 値 は 《jusqu'a ce que》 で あ り

,文

脈 と一 致 す るの もこの意 味

だ けで あ る。

も うひ とつ の例 に は ヴ ァ リア ン トが ないが そ こで も

tresqueの

価 値 は 《jus_ qu'a ce que》 で あ る こ とが 文脈 か ら明 らか で あ る。

Tresperce soi parrrli le nanc

Tresque de l'autre part del cors

Fet aparoir l'espee fors.

(v. 782-784) 剣が体の反対側に現れ るまで

(24)

自分の腹 を刺 し貫 いた。

10。 de ci que

この

de ci queは

先 に示 した

si queが

時代 の傾 向に したが って

,出

発点 を示すdぃ に よって補強 された形 であ り同様 に 《jusqu'a ce que》 の価値 を も

てフ。

La crevace n'ert gaires grans

Et fut celee par rrlout d'ans, De ci qu'Amours la nst trouver,

(v. 321-323) 裂 目は小 さか った

そ して「愛」がそれを発見 させ るまで 長年隠 されていた。

この

de ci queは

写本

Cで

は tant que, れ てい るが

,こ

れ らはすでに吟味 したよ う 味す る言 いまわ しであ る。

先行性 と法

写 本

Aで

dusqucに

よ って 示 さ

にどちらも 《

jusqu'a ce que》

を意

われわれのテキス トには

, 1)《

avant que》 の意味の

ains que,ain90is

que; 2)《jusqu'a ce que》 (=ant6riOrit6 avec aboutissement a un terrrle)

の意味 の

tresque(ヴ

ァ リア ン ト

:si que,dusque), de ci que(ヴ

ァ リア ン ト

:tant que,dusque),tant queと

い う先行性 を 表 わす 接続詞が あ っ

た。 さて ここで

,

これ らの接続詞句に導かれた従節 の中の動詞に直説法の もの と接続法の もの とが あ るのに気づ く。

《avant que》 を意味す るains que, ain90is queは どち らも接続法 を とっ

(25)

24

ピラミュスとテ ィスベにおなる時況接続詞について

続法 (puissons)を とってい るのに

de ci queと

tresqueは

直説法 (fist,

fu,fet)を

とってい る。

ains que,ain9ois queの

後 に接続法が くることは古 フラ ンス語の一般 の傾 向 と一致 して い る (IMBSo p.519。

MENARD,p。

152,218)。

IPIBS は 《desque, tresque, truesque peuvent exprilner la post6riorit6 avec l'indicatif, le terrrle d'une dur6e avec le subjonctif, valeur de “jus‐

qu'a ce que"》 (p。300)と 唱える人がいると述べているが

,少

な くともわれわ

れのテキス トでは そ うい う事実はなか った。 しか し接続詞 自体の意味は 同 じ

《jusqu'a ce que》 であって も

,法

が異なっているか ぎり, どこかに何 らかの 相 違 が あ る は ず で あ る。

MOIGNETに

よ れ ば 《Aprёs les locutions qui signi‐ fient

jusqu'a ce que"。 n a le subjonctif quand le procё s dont le conl‐

mencement marque le terme de procё

s principal est pens6 comme

sづ 22oクノθ2,Oθπι夕οSSづわJθ,一-1'indicatif s'il est pr6vuク γοbαb′θ ou pos6 `∬ θειづ/》

(p.237),ま た

TOGEBYは

tant queに関 して次 の よ うに述 べ て い る:《

Tant

que‐+1'indicatif s'emploie A propos d'actions passё eso Tant que‐ 十1e

subjonctif se dit a propos d'actions futures。 》 (pe 209)の

われ われ の テ キ ス トの例 を も う一 度 見て み よ う。

De tel sajes et de tel lance

Navra Amours en leur enfance Le jovenciel et la rrleschine, Tresque la rrlort lorノ%VOiSine.

(v. 43-46)

La crevace n'ert gaires grans

Et fu celee par mout d'ans, De ci qu'Amours laメ sι trover,

(26)

どちら も

,作

者が過去 の事が らについて語 ってい る部分 であ る。 1)で は作者 は この物語の外 にお り

,物

語全体 を遠 く離れ た作者 のい る現在か ら見 てい る。 し たが って

,

この物語 は始 まったばか りで

,読

者 は二人の主人公が死 ぬ こと (相 対的未来

)は

まだ知 らないが

,作

者 の 目にはす でに過去 の事が らなのであ る。 2)で は

,1)と

異 な り

,裂

目がすでにテ ィスベによって発見 され た ことが前 に語 ミれ てい るので

,そ

れ は読者 に とって も周知 の事実なのであ る。 Tresperce soi parnli le flanc,

Tresque de l'autre part del cors Fθι aparoir l'espee fors.

(v. 782-784)

主節 の動詞 も従節 の動詞 も直説法現在 であ る。 これは歴史的現在 であ り

,進

行 しつつ あ る事実 として扱 われてお り

,作

者 の 日に も読者 の 目に も腹 を突 き抜 け た刃先が見 え るはずであ る。 ところが,

Li dieu nOus ont amonest6

Que iSSons fors de la cit6

Tant que夕%づ SSοπS eStre assanb16.

(v。 571-574) これ は作 中人物 ピラ ミュスの ことばで

,視

点 は ピラ ミュスにあ る。彼に とって estre assanb16は 未来の ことで単 な る可能性 で しかない。 そ して接続法の表わ す可能性 の観念 を強調 してい るのが puissons(〈

pOoir)と

い う半助動詞 であ る。 また

,未

来 に関す る事が らであ って も

,直

説法が用 い られ ることがあ る(Ja,

par JeSu,le fiz Marie, Ne gerrai mais dedenz maison Tresque li trois

felon Jαγγθ% En avront la mort recete. Tristan de B6rolll v。 1000-1004) ので

,未

来 の行為 に関 して述べ るときは接続法 であ る

(TOGEBY)と

は言い き

(27)

26 れ な い。 ピラ ミュス とテ ィスベにおける時況接続詞について

*

以上 で我 々のテキス トの時況接続詞 の価値 はほぼ明確 にな った。 13種の時況接続詞 を意味別 に整理す ると次の表 Ⅱのよ うにな る。

独 自の部分に用 い られてい るのは

quant,la ou,tant queの

3種

だけであ り,

語 りの部分には

tant que以

外 の12種 が存在す る。 例数 の最 も多 い

quantは

一般 に同時性 の観念 を表わ し,さ らに対立

,条

件 の観念 を示す接続詞 であ るが,

われ われのテキス トにおいては

quantは

語 りの部分では時間の観念 しか表 わ さないのに対 し

,独

自の部分では時間の観念以外 に も対立・原因0譲歩 の観念 を表 わ してい る。 また

,tant queは tant comの

ヴァ リア ン トとしての

1例

を 除 いて 独 自の 部分 にのみ 用 い られ

,

そ こでは 古 フラ ンス語 におけ る tant 表 Ⅱ

面吾

1

独 自 卜JI寺 1生 quant la ou cnderrlcntrcs quc entrues quc

tant con(=《aussi lengteⅡLPS que》)

quant la ou tant que 先 行 性 alnz que alncols que de ci que

tres que tant que

後 行 性 des que, quant quant

quant

¨

quant 工 立 歩 対 譲 原

l qu耐

(28)

ピラミュスとテ ィスベにおける時況接続詞について

27

queの

一 般 的 な意 味 《jusqu'a ce que》 を表 わす こ と もあれ ば

,非

常 に まれ な 《aussi longtemps que》 を意 味 す る こ と もあ る。 一 方 語 りの部 分 で は 《jusqu'a ce que》 は de ci que, tresque に よ って「, 《aussi longtemps que》 は tant

comに

よ って表 わ され て い る。 結 局

,独

自の部分 で は

quantと

tant queの

2つ

の接 続 詞 は 多義性 を発揮 し

,

他 方 語 りの部 分 で は

quant=com,la ou=

endementres que=entrues que=tant con; ainz que=ain9ois que; de ci

que=tresque;des que=quantが

示 す よ うに 同義 性 が 特 色 と して 挙 げ られ る。 多義性 も 同義 性 も 12世 紀 に お け る時況 接 続 詞 の 一 般 的 な特 色 で あ るの だ が

,わ

れ われ の テ キ ス トで は それ らの特 色 を独 自 と語 りとい う

2つ

の部分 が分 け持 って い る とい え る。 その ほか

,時

の観 念 を表 わす

comは

お もに書 き こ と ばの 中 に残 され た もの で あ るが

,そ

れ が われ われ の テキ ス トで は語 りの部 分 だ けに用 い られ て い る こ と

,そ

して話 しこ とばの特 色 で あ る反 復 の副詞 が独 自の 部 分 に多 い こ とが

,わ

れ われ の テ キ ス トの独 自・ 語 りとい う

2つ

の部分 の それ ぞれ の 特 色 と して あ げ られ る。 この よ うに 時 況接続 詞 の用 法 は 語 りの部分 と 独 自の部 分 とで は非 常 に異 な って お り

,そ

れ ぞれ の示 す特 色 は書 きこ とばの特 色

,話

しこ とば の特 色 とつ なが る もの で あ る。 註 (1)以下著書名に関 しては参考書 目を参照のこと。

(2)ただ し我々の分析が全面的に

Paul IMBSの

論文Les Propositions Temporelles

en Ancien Francaisに 基いていることを断わっておきたい。

(3)Tristan de BEROULに

も直説法 とともに用いて 《jusqu'a ce que》 の価値を有

す る tresqueが ある。 Ja, par Jesu, le ■z L〔arie,

Ne gerral mals dedenz malson

Iンθsg%θ li troi felon larron

Par quoi'st destruite Yseut ta druc En αυγοπι la mort receue.

(29)

28

ピラ ミュス とテ ィスベ にお け る時 況接 続 詞 につ い て

(v。 1000-1004)

Ainz,pus li soir qu'il en issirent I`γιsg%ι l'ernlite et el les υづγθ%ι,

N'out les eulz essuiez de lermes;

(v。 2491-2493)

テキ ス ト:PIRAMUS ET TISBE Les Classiques Francais du MOyen Age,6dit6

par C.DE BOER,Paris 1921.

参 考 書 目

PYRAME ET THISBE: Verhandelingen der Koninklijke Akademie van

Wetenschappen te Amsterdam. 6dit6 par C.DE BOER,1911。

Paul IMBS:Les Propositions Terrlporelles en Ancien Francais ttα Dι ノθγπグ%α‐

ιづοπα

%Moπ

θπ′(Soci6t6 d'Edition Les Belles Lettres, 1956).

Philippe MENARD:Manuel du Francais du Moyen Age(SOBODI).

G6rard MOIGNET:Grammaire de l'ancien francais,(6ditions Klincksieck).

Knud TOGEBY: Pr6cis Historique de Grammaire Francaise(Akademisk

Forlag,1974).

BEROUL:Le Roman dc Tristan,6dit6 par Ernest MURET(Les Classiques lrran9ais du RIOyen Age, Paris, 1974).

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