Title
沖縄県の障害児学校高等部卒業生の進路動向推移
Author(s)
谷口, 正厚
Citation
沖大経済論叢 = OKIDAI KEIZAI RONSO, 9(2): 133-161
Issue Date
1985-03-31
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/6748
沖縄 県 の障害 児学校 高等部 卒 業生
の進 路 動 向推 移
谷
口
正
厚
は じ め に 私は、 『沖大経済論叢 』第7巻第1号 (1983年3月)で本稿とほぼ同じ表 題の資料を紹介 したOそこでは資料の紹介を主な目的とし、解説は最小限にと どめたQ本稿ではこの資料を素材とし、そこではとり扱わなか った復帰前の資 料とそれ以後の 1981年度、 1982年度の資料を補足 して、沖縄県の障害児学 校高等部卒業生の進路動向推移についての考察を行ないたい。 現在、労働権保障の課題をは じめとする、学校卒業後の障害者の成人期対策 の確立は、日本における障害者間席のなかでもっとも大きな課題のひとつとな っているO課鴇の実現のためには関係者をはじめとする広範な国民の理解と運 動が必要である。そしてそのためには、多くの人々が実態を知 ることが必要で ある。 すでに、東京都では、毎年、東京都教組障害児学校部か ら、白書が毎年ださ れている。全国的な基本資料としては、文部省- 都道府県教育庁が作成 ・発行 している 『学校基本調査 』がある。 しか しこの資料は十分な内容を包括 してい ない。沖縄県でも共同作業所が数多く設置されてきて以後、これに関する資料 が欠如 している 『学校基本調査 』の限界はい っそう大 きくな ってきた。沖耗県 でも、障害児学校部による、生 きた具体的な内容によって裏ずけ られた卒業生 の進路動向白書の作成が望まれる。本稿は、障害児学校進路指導係の教員の協 力によってはじめてできあがったものである。今後、教組 自身によるより充実 した内容の白書が作 られるきっかけになれば幸いである。 -133-Ⅰ
障 害 児 学 校 卒 業 者 数 の 推 移 沖縄県で戦後最初に設置 された障害児学校は、視覚障害児と聴覚障害児を対 象とし、福祉 と学校教育の機能をあわせ もった 「沖縄盲唖学校 」 (1951年4 月認可、8月開校)が最初である。その後、 2度の変遷ののち、 1959年4月 に、学校教育のみの機能をもつ 「沖縄盲学校 」と 「沖縄ろう学校 」の2校が独 立 して設置 され今 日に至 っている。両校に高等部が設置されたのは、 1961年 であり、 1963年度 (1964年3月)に、最初の高等部卒業者がでた(
「沖縄 盲学校」5人、 「沖縄 ろう学校」10人)。 盲 ・ろう学校以外では、ハ ンセン病者のための療養所 「愛楽園 」 (本島北部) と 「南静園 」 (宮古)で、教育活動が行なわれていたのをうけて、 「澄井小 ・ 中学校」(1951年9月)、
「稲沖小 ・中学校」(1952年7月)が設立認可された。 ちえおくれ児 ・肢体障害児の養護学校は,戦後約20年の長 い空 白ののち、 1964年にな ってそれぞれ 1校が設置された(
「大平養護学校 」と 「鏡が丘養護 学校 」).高等部の設置は 「大平養葦学校 」が1968年 . 「鏡が丘養護学校 」が 1970年で、したが って第1期の卒業者がでたのは、それぞれ1970年度 (1971 年3月)I21人. 1972年度 (1973年3月)、9人である。 1970年度以降、養苦学校高等部の卒業者、とくにちえおくれ養護学校高等 部の卒業者が学校の増設とともに増大 し、 1981年度 (1982年3月)には、 障害児学校高等部の全卒業者の過半数を占めるようになった (高等部卒業者を だ したちえおくれ養護学校の数はこの年4校で、 1982年度に 6校に増加 し、 1984年度には7校になった)0 肢体不 自由養護学校の場合は、 1972年度以降、高等部卒業者数が増大する 傾向をたどったあと、 1970年代半ばか ら20人∼ 30人台を前後 している。 (図1- 1、 1-2)0 -134-図 1- 1 障害児学校高等部卒業者数の推移 (復帰前)
1)
r
学校基本調査J
(琉球政府文教局 )各年度版より 2) 図中の数字 は人数35-図
1-2
障害児学校高等部卒業者数の推移 (復帰後) 1 )r
学校基本調査j (沖縄県教育庁 )各年度版よ り。ただ し1977年度以降 については、沖縄盲学校専攻科卒業者に関す る資料が r学校基本調査」に記載 されていないため、沖縄盲学校進路指導係の資料 によって補足 している。以下、 本稿では、これと同 じ貴料にもとづ く場合は、 とくに注記 LTilいこととす る0 2 ) 1983年度に事業者数が亀嶋に増大 しているのは、 「風疹障害児」が柘等 部を卒業 した年であるためであ る(北城ろ う学校および沖織ろう学校の合計 236人のはば全部がそうである )0 -136-本稿は考察の対象を障害児学校高等部の卒業者としているが、ここで、参考 のために、障害児学校中学部と中学校の障害児学級の卒業者数およびその進路 動向の推移について簡単にみておきたい。 図1- 3は、盲・ろう・ちえお くれ ・肢体障害 ・病弱のすべての障害児学校の 中学部卒業者の数と進路を一括 して示 したものである。 1964年度か ら1966年 度までは卒業者がでたのは盲 ・ろう学校のみであ り、 1967年度に、ちえお く れ ・肢体不 自由養兼学校の第1期卒業者がでた (ちえお くれ養詳学校56人、肢 体不自由養護学校14人)。 中学部卒業者の進路動向の特徴は次の3点である。第1に、盲 ・ろう学校に ついては、大部分が進学で、とくに1974年度以降については、就勝者が1976 年度、 1980年度に各1人、無業者が1979年度、 1980年度、 1982年度に 各 1人でた以外すべて進学である。第2に、 1967年度にちえおくれと肢体不 自由養護学校の第 1期卒業者がでて、就取者と無業者の数 ・比率が増大す るこ とになったが、就職者は1969年度をピークに、無業者は1968年度をピーク に減少 していき、それにともな って進学率の増大傾向が生 じた。 1977年度は、 全卒業者の95パーセン トが進学 している。これに対応 して、復帰後の新設校 も含め、すべてのちえおくれ養護学校に高等部が設置された。 しか し、肢体不 自由養護学校については
、2
校の うち、那覇養護学校には高等部が設置 されず、 1984年度に分校か ら本校になった森川葺き学校 (病弱)に も高等部が設置さ れず、後期中等教育保障の問題を残す ことになっている. 第3に、一方では就職者の減少傾向はます ます進み、 1981年度以降はつい にゼロになるが、他方、無業者は、 1977年度を ピークとして増加傾向に転 じ、 とくに、 1981年度以降は全卒業者の23.3パ ーセン トと無視 しえない大きさ に達 している。この うち、施設入所者をのぞく在宅者は23人、 9人、13人と なってお り、 『学校基本調査 』か ら在宅者の推計が可能になった1977年度か ら 1983年度までの在宅者の合計は68人に運 している。 重度障害者の中学校卒 業後の進路保障の問題が1970年代末か ら大きな問題となってきているといえ よう (図1-4)0 -137-図 1- 3 沖縄県の障害児学校中学 部卒業 者の進路動向推移 卒業年度 5?人 100人 190人
紅-196456789 1970234567891 1980231 17 日 6125 ≠ \ 21 lJ4T27≠\
26 .日6135 丁ミミ≡≡≡ここここ 56 J 19 118 (93\
\ 61 122 i 36 119 / \ 52 E 36 J14f102 \/ /
65 119 ー10-44 \ 一一一二二二 82 】 28 1121122/
_
A
64 E 21 T10J95 \ \ / 76 1131192 \ \\ 83 [518196 一一ミ ミ羊 :ここ= 102 r9I61117 / / 100 L7i IllO / /メ 95 13日 10
0
一一二≡≡
ミ
ミ ⊆ 126 一_巧≡≡≡ ===日 91136 就職者 86 日 14 1101 48 339 乱_____コ」_到 110 1 34 1144 / 109 123 1132 \ 115 1 33 ー148 進 学 者 就職者 無業者等 1) 図中の数字 は人数.右 は しは合計。 2) 1980年度 に、卒業者、進学 者が多いのは,この年に
「風疹障害児」 が巾 学部を卒業 したためで あ る。 -138-図1-4 障害児学校中学部卒業者の進路
動向推移 (比 率)
同様の問題が、中学校障害児学級の卒業者について もみ られる。 『学校基本 調査 』に資料が記載 されている
1969
年度以降について、進路動向の推移を示 すと図1- 5のようになる。図1-5 障害児学級 (中学校)卒業者の 進路動向推移 (比 率 ) 卒業年度
1
9
6
91
9
7
0
≡
≡
≡
≡
EE
コ
1
9
7
5
1
9
8
0
1
9
8
3
1) 1980年度に進学率が高いのは、県下 3カ所の難聴学級で学んだ 「風 疹障害児 (72人 )が卒業したことによると思われ る(同年度の障害児学 級全卒業者数は220人である)0 その特徴は次の3点に要約 される。 第 1に、障害児学校中学部卒業者と比較すると進学者の比率は小 さいが、 1970
年代後半以降、その比率は増大傾向をたどり、1983
年度には、38.
1
パ ーセ ン トと卒業者中最大の比率を占めるにいたったことである。第2に、この進学 者の比率の増大は、就職者の比率の減少とともに生 じている。就職者の比率は、1983
年度で27.1
パ ーセン トとまだ一定の水準を維持 してはいるが、その比-1
4
0-率の減小幅は非常に大きい (1970年度では72.3パ ーセン トであった)。 第 3の特徴は、無業者の比率が一貫 して大きいことである。その累積数は1969 年度以降917人、同 じ期間の全卒業者数2555人の35.9パ ーセン トに達 して いる。 障害児学級における卒業者の進路保障について も大きな問題があることがこ こに示されている。生徒の障害の重度化を一因として就職の道がますます困難 になるなかで、高校進学への要求が強まるが、その要求にみあった進学 ・就学 形態が保障されていない結果、卒業後の無業者が累積 していくとい う構 造的変 化が生 じている。注1) そして学校現場、教育行政、労働行政が、こうした実 態の変化に対応 した対策をとりうる体制を作 っていないとい うことが教研集会 などで指摘されている。障害児学級の場合は、障害児学校とちが って、各学校 に少数 しか障害児学級担当者が配置されていないため、障害児の問題が学校全 体の問題として位置づけ られにくい 。そうすると、あ らゆる問題が学級担任の 肩にかか り、過重負担となるOまた、担任が異動すれば、実践の成果が蓄積さ れない等々と。また、障害児学級のみにとどまらず、 「普通学級 」で教育を受 け、卒業する障害児 も今後増大するであろうことを考えると、学校全体の問題、 行政の問題として、実態にみあ ったとりくみができる体制を作 っていくことが 今、強く求め られているといえよう。
I
I
高 等 部 卒 業 者 の 進 路 動 向 推 移 (1) 1983年度卒業著 の進跨動 向の概鴨 1983年度の沖縄県の障害児学校高等部卒業者は377人であ り、前年度127 人に対 して約3倍になっている。いわゆる風疹障害児- 1964- 5年 に 沖総で流行 した風 疹 に 妊娠中の母親が曜患 したことによって生 まれた障薯児 で、その大部分が聴覚障害児となり、一部に白内障、心疾患等の障害あるいは それらとの重複障害を もった障害児が生 まれた- の大部分がこの年に高校を -141-卒業 したためである。ろう学校高等部の例年の-卒業者は10人か ら30人のあい だであるのに対 し
、1983
年度は、236
人に遷 した。同 じ1984
年度の、沖縄 県を除 く全国のろう学校高等部卒業者は834
人であり、沖縄県 1県でその28.
3
パ ーセ ン トを占めた。 この年の全卒業者を一括 してその進路を示す と図2-1
の ようになるO就職 が最大で232
人 (61
.5
パ ーセ ン ト)であるが この うち185
人が聴覚 障害 者 である (就職者全体の79.
7
パ ーセ ン ト)。その次に多いのが無業者であること が注 目される。注2)図 2- 1
1983年度 障害児学校高等部97
人 で、全体 の25
.
7パ ーセ ン トを占める。 この うち、施設 ・ 医療機関への入 所者が32
人(
8.
5
パ ーセ ン ト)、民 間作業所が8人 (2.1パ ーセ ン ト)であるが、 民間作業所 8人 その他の無業者(
2.
1
%)
すなわち在宅者 が57
人 (15.
1
パ ーセ ン ト)と 高い比率を占め 卒業者達箱船向 13人 (3.4%) 35人 (9.3%) 無業者計 97人 (25.7% ) てい る。次に、 1) 民間作業所については、各障害児学校の 教育訓練機関へ 進路指導係からのききとり調瓦 の入学者が35
人(9.
3
パ ーセ ン ト)、進学が13
人(3
・
4
パ ーセン ト)となっ てい る。 これを東京都の場合 と比較 してみよう。ただ し、沖縄県の場合は1983
年度 は大量の聴覚障害者が卒業 した特別な年であるので比較の対象と して1982
年ニ
ー
1
4
2-度をとる (図
2-2
、図2-3)
。 図2-2 1982年度韓害児学校卒業者連結動 向 (東京都) 1)r
障害 児学校卒業生の進路実態 と課風 (東京都 障害児学校教職員組 合、 1983年10月)1982
年度の沖縄県 と東京都を比較すると次の よ うな特徴が指摘 で きる。 第1に、就職の比率は沖縄の方がやや高い こと,第 2に、東京都では、 自治 体行政の対策 による、沖縄 にはない多様 な進路- 福祉作業所 、生活実習所 、 福祉適所訓練 センターなど- が保障 されてい ること、第3に、近年の沖縄県 での共同作業所のあいっ ぐ開所 を反映 して、東京都の比率 に近い民間作業所へ の入所者があるが 、第4に、施設への入所者 も含 め無業者が沖縄県の場合圧倒 的に多 く、なかで も在宅者の比率の大 きさが とくに 目をひ くこと、であ る (乗 京都の資料 ま、 『障害児学校卒業生の進路実態と課題 』、東京都障害児学校数 -143-職員組合発行
、 1983
年10
月、による。以下、東京都との比較を行な う場 合 には本資料 による)0 図2-3 1982
年度障害児学校高等部卒業奮進緒動向 1) 民 間作業所 については図 2- 1と同 じ 賀料 にもとづいてい るO 次に、この進路動向を、障害別に、時期をさかのぼ って変化の推移 もみなが ら考察 してみよう。 62) もえお くれ者、 肢体障 害者 の進籍動 向(
彰
大量 の在宅障害者 の発生 と累積 ちえお くれ者、肢休障害者の卒業後の進路問題 で もっとも大 きな問題は、卒 業後、在宅生活を強い られる障害者が大量に発生 して きていることである。さ きにみたように、卒業後の在宅者は1983
年度57
人、1982
年度3
0
人であっ たが、その うちちえお くれ者は1983
年度17
人、 1982
年度17
人、肢体障害-1
4
4-者の場合は1983年度10人、 1982年度12人である。 1983年度の場合は視 覚障害者が10人、聴覚障害者が20人と数が多いが、これは、それぞれ特殊な 事情によるものであり (これについてはあとで述べ る)、 例年は両者あわせて 在宅者はゼロか1名という状況であった。 この在宅者の数を同じ障害をもつ卒業者全体に対する比率でみると、ちえお くれ者の場合1983年度19.5パーセン ト、 1982年度20・5パ ーセン トであ り、肢体障害者の場合、 1983年度43・5パ ーセン ト、 1982年度60パ ー セ ン トであ り、肢体障害者の場合とくに比率が高い。 在宅者の推移を図2-4、図2-5によってみてみよう。ただ し、ちえお く れ者については、適切な資料がないため、施設入所者等を含む無業者の合計と この合計か ら施設入所者を除いた数の2つの指標をとった。 (図2- 4) この、 無業者合計か ら施設入所者を除いた数は、 1980年度まではほぼ在宅者と一致 するものだが、 1981年度以降は民間作業所への入所者 も含んでお り在宅者の 実数とは一致 しない。 ちえおくれ養護学校の進路指導係か らのききとり調査によれば、民間作業所 への入所者は1982年度13人、 1983年度8人であ るか ら、これを除いた在 . 宅者の実数は1982年度17人、 1982年度18人である。民間作業所の設立に より在宅者の発生が未然に防止されているがなおかなりの在宅者がでてい る。 ちえおくれ者、肢体障害者のいずれの場合にも、 1970年代の後半か ら無業 者が増大 してきている。また比率でみると肢体障害者の場合がとくに高い。 こうして、累積 した無業者 (施設入所者を除く)の数は、 1978年度以降に 限 ってみても、ちえおくれ者の場合130人、肢休障害者の場合63人、合計で 193人に達 している。これに加えて、一度就職 したのちに離職するケース も多 く、さらに、さきに簡単にみたように、障害児学校中学部卒業後の無業者(1978 年度以降で73人)、 中学校障害児学級卒業後の無業者 (同 じく368人)お よ び中学校 (障害児学校中学部を含め)を卒業 して就職 したのちに離職す るケー ス等を含めると、膨大な数の学校卒業後の無業者の存在が確認 されて くる。上 の基準で確認できるものだけでも634人になる。 -145
卒業 1970 1 2 3 4 19 75 6 7 8 9 1980 1 2 3 年度 1) 1970年度∼ 1976年度 については大平兼謙学校 r学校要覧い こよる。 2) 1978年度については. r学校基本調査J と大平未詳学校 r学校要点J の数字が大 きくずれている。後者 にもとすけば、 1979年度の無業者合計 は32人で卒業者63人に対 して50.8パーセ ン トになる。 -1
46-図2-5 在宅者の推移 (肢体障害者) 卒業 1970 1 2 3 4 1975 6 7 8 9 1980 1 2 3 年度 1) 1972年度∼ 1977年度 については、鏡 が丘養護学校進路指導係の資 料 による。 そ6)他 は r学校基本調査Jによ る。 -147
⑧ 坤 大 す る民 間作業 所 へ の入所 者 沖縄県では、 1981年11月に 1カ所、 1982年に4カ所、 1983年に 3カ 所、 1984年に1カ所の合計9カ所の民間作業所が設立 ・運営されている(1985 年3月)。 その設立経過 ・運営の実態はさまざまであるが、小規模で通所によ る障害者の働 く場という共通点をもってお り、その多くが、不十分な行政の援 助の中で苦 しい経営を強い られなが ら、これまで放置されてきた在宅障害者に 働 く場を保障 しようとい う目的の もとで運営されている。 『学校基本調査 』か らは、共同作業所への入所者の数は確認できないが、各学 校の進路指導係の資料にもとづ吋は、 1983年度では、ちえおくれ養護学校の 卒業者の うち8人が、同 じく1982年度では13人が民間作業所へ入所 してい る。このほかに、年度途中か らの入所 (施設入所者あるいは就職者か らの異動) 1981年度 卒業者の卒業時点での入所、および1980年度以前の過年度卒業者 の入所などがあ り、共同作業所への入所者は1985年4月現在で141人 と な っている (表
2- 1
県障害福祉課調べ)。 この3- 4年間に、在宅障害者を なくすために共同作業所の果た してきた大きな役割がわかる。 しか し、運営基 盤の脆弱 さは深刻である。 さらに、就職 ・施設入所への道をとざされた障害者 が今後毎年新たに発生するが、それ らすべての障害者を受けいれる体制 も確立 されてお らず、行政の援助が緊急に必要とされている。 -148-表2- 1 心身障害者小規模共同作業所設置状況 施 設 名 (経営)設 置主 年 月 日設 置 職 員 (85.現 員4) 科 目 女23 男 7 作業訓練線香組み立て 1 那覇市精神薄弱者 親 の 会 56.ll.28 職員2人 30 箱の組み立て 育成会授産所そてつ 非常勤5人 その他 女 12 男 14 割 りは しの袋詰ドリンク剤箱詰 2 若 竹 共 同 作 業 所 作 る 会 57.4.ll 職員4人 26 車の洗車.タオルの箱詰ワックス 女13 男 7 作業訓練公的建物の清掃 3がじゆまる共同作業戸 ′′ 57.ll.1職員3人 20 割 りば しの袋詰は りこ人形作 り 女11 男 2 割 りば し袋詰ウエースの販売 4 ひまわり共同作業所 〟 57,6.19非常勤職員12人人 13 古紙回収農園部 女 5 男 5 運動広場の清掃(委託)ヤギ飼育 5 読谷か りゆ し学園 〟 57.4.4 職員2人 10 人形作 り.セメントの花鉢 .サトウキビ作り 女 5男 8 花 き園み立て 芸 .箱の組 6いしなぐ共同作業所 作 る 会 58.7.28職員3人 13 割 りば し詰ウエース作 り 女 6 男 5 コンプのビニール詰 7糸満福祉共同作業所 をささえ る会 58.5.1ランティ職員1ア人ボ1 ll 箱の組み立て 女 1男 4 8 那 覇 福 祉 作 業 所 理 事 会 58.ll 職員3人 5 貸 し鉢 .花 き園芸 9 み ど り の 里 ′′ 56.4.1施設長の職員 1人 農業 .陶芸 女 5 男 8 (資料 沖縄県生活福祉部障害福祉課 ) -149
-③ 施 投 へ の入所者 も坤 大 施設への入所者 も増大傾向をたどってきた。 1978年度以降、 11人、 9人、 8人、 32人、 30人、24人と、とくに1980年代に入 って著 しく増加 した。 (図
2-4)0
図2-4 施設入所者の推移 卒業 1978 年度 1979 1980 1981 1982 1983 施設設置は復帰後の振興開発計画の福祉部門の最大の柱であった。成人施設 に限 ってみると、 1970年代は じめに身休障害者授産施設が、 1970年代半ば か ら1980年代にかけてちえおくれ者更生施設が、 1980年代に入 って、身体 -150-障害者重度授産施設、身体障害者療護施設、ちえお くれ者授産施設があいっい で設置 され、 1984年6月 1日現在で、 28カ所に1670人の障害者 (但 し、 法定定員)が生活 し、あるいは労働 している。 注3)しか し、それで もまだな お、施設入所を希望 して 自宅待機中の障害者が少なか らずい る状態である. 同時に、施設の現状は様々な問題をかかえている。沖耗県の場合 も、施設の 大部分が定員50人あるいはそれ以上の大規模な収容施設である。最近発表 さ れた全国社会福祉協議会の授産事業基本問題研究会の報告では、将来の発展方 向として、 「通所利用を中心に考えること
」
「利用者の障害を特定 しない こと」 「利用定員の基準を小 さくす る方向で見直す こと 」と思い きった改革の方向が だされている。障害者 自身の地域のなかでの社会的交流 ・社会的活動 も含めた、 障害者の発達を保障す るものとして、施設はどうあるべ きかが今後 ます ます大 きな問額 として問われて くることになろう。④
ます ますむつか し くな る一般就職 1983年度卒業者の うち就職者は232人で全卒業者の61.5パ ーセ ン トと高 水準であ った。 しか し、ちえお くれ者の場合は87人中35人で就職率は40.2 パ ーセン トであ り、肢体障害者の場合においては23人中ゼ ロであ った。 ちえお くれ者の場合、就職率は過去比較的高水準であ ったが、 1970年代半 ば頃か ら低下傾向が定着 し、50パ ーセ ン トを割 るところまですすんだ。それ で も、東京都と比べ ると沖縄県の場合はまだ相対的に高い水準である (東京都 の場合、 1979年度44.6パ ー-セン ト、 1980年度39・4パ ーセ ン ト、 1981 年度37パ ーセン ト、 1982年度32・8パ ーセ ン トである)0 肢体障害者の場合はとくに就職が少なく、 1977年度以降の就職者は、0人、 0人、1人、2人、1人,2人、0人と極めて少ない。 この ことか ら、肢体不 自由者の進路保障の問題は特に深刻だといえる。民間 作業軒について も、過年度卒の肢体障害者が入所 してい るところはあるが、現 役の卒業者の在宅をなくす もの と しては現在の ところ機能 しえていないOむつ か しいのは、脳性マ ヒなどの上肢障害を もった障害者の労働権保障の問題であ る。沖縄県では、コ ミュニケーシ ョンも、移動 も自由にできる- その意味 -151-図
2…5
就職率の推移 1970 1 2 3 4 19 75 6 7 8 9 1980 1 2 3 1) 1976年度 までについては、大平養葎学校 r学校要左」各年度版、鏡が 丘養護学校進路指導係覚料 によってい る。 1977年度以降 は r学校基本調 査J 各年度版によ る。 2) I979年度 については大平養護学校 r学校要覧」 と r学校基本調査」の 数 が大幅に異 なってい る。 前者 によれば1979年度の就職率は49.2パ ー セ ン トである。 -152-で最重度ではない -- 障害者の就職 も困難であ り、む しろ、近年の肢体不 自 由養葦学校卒業後の在宅者の多 くはそのよ うなケースであ るといわれてい る。 したが って、自治体や民間企業で、障害者にあわせて職場 と職務を改善 ・開発 すれば一般就職 も可能と思われるが沖耗県の現状はそ うな っていないところに ひとつの問題がある。 (3) 捜賞障害者 - 1983年度 の進路動 向にみ られ る洋 間窟 視覚障害者については、これまで、高等部卒業者のほとん どが専攻科に進学 し、専攻科卒業者のほとんどがは り、灸、按摩 、マ ッサ ージ、指圧 などの甥療 の分野 (病院、診療所就職あるいは 自営業)に進むとい う傾向 を と って き た (図2-6)。 図中の 「その他 」の大部分が、進学のための準備 とか 目の治療 のためとか具体的な 目的を もった ものであ り、ちえお くれ者 、肢体障害者の場 合のいわゆる在宅 とは質的に異なる。 しか し、 1983年度には、専攻科の卒業者が 22人 と非常 に多数 であ ったた め、専攻科卒業者については卒業半年後の1984年 9月現在 で 7人の在宅者-就職準備者が残 った。ただ し、これ までも、例年、卒業 したあとで就職の決 ま るケースも多 く、 1983年度だけ就職決定が遅れたわけではない。 1983年度 卒業者の卒業 1年後でみると、さらに4人の就職者が決 まったが、開業 (自営 業)準備中の者 も含めて3人が末就業状態にある (以上沖絶盲学校進路指導係 の資料による)0 さらに、 1983年度には、高等部卒業者 9人のなかか ら 3人の無業者 (重複 障害者)がでている。 視覚障害者の進路問題については、全国的に も沖縄県で も次の ような問題が 指摘 されている。 第1に、視覚障害者の職業と して伝統的な理療の分野が長い歴史の中で開拓 されてきたが、それ以夕十の職種への視覚障害者の進出が極 めて困難であ り職業 選択の 自由が制約 されている。加えて、この分野への晴眼者の進出、無資格者 の進出によ って視覚障害者の就職が圧迫 されて きてい ること。第 2に、障害が -153
-凶2-6 視覚 障害者の進路動向推移 (1972年度∼ 1982年度) ⊂ コ 就 職 卒業年度 f= :
_
j 自校専攻科への進学[
二二
]
他 ・・ ′′ 大学 ・短大への進学 -154-E
≡∃
社会- -Ej
その他重度化するなかで、理寮の資格を取得することが困難なケース も現れてきてい ること。第3に、重複障害などのさらに重い障害者の卒業す るケース も現われ はじめていること。 理廉の分野への就取保障を柱としなが ら、新 しい職業分野の開拓、重度障害 者のための特別な対策をすすめる等、多様な進路保障のとりくみが求め られて いる。 (4) 腰鷺簿害者- 増大す る本土 大企業 での生産工程労働者 聴覚障害者の進路動向の推移を図2-7、 2-8でみると、ほとんどが就職 であるが、 1970年代に入 って、無業者、施設への入所者、在宅者、進学者な どがでている。大部分が就職するという基調は変 らないが、やや多様化の傾向 がみ られる。そのなかでも、少数ではあるが、重度重複の障害者の進路保障を どうするかとい うことが、ひとつの新 しい問題となっている。 236人の卒業者をだ した1983年度の進路動向をみて も就職者の比率(78.4 パーセン ト)が高い (図2-9)。 戦後のろう学校設立以来20年 間の 全卒業 者296人 (1963年度∼ 1982年度 )の8割に達する数の卒業者を1983年 度1年間でだ したわけだが、学校 ・行政の積極的なとりくみの中で、マスコ ミ にも大きくとりあげ られ、また、大企業が聴覚障害者の雇用に積極的蛮勢を示 すとい う動向 もあって、県外希望者については全員希望 した職種、地域に就職 が決まったといわれている。 - 155
-図2-7 聴覚障害者の進路動向推移 (1963年度∼ 1976年度) 1963 1 9
閲
⊂=
コ 就 職 4 i1
[
二二
号 粍 5 9 因巨∃
進 学 6 ・2 ー 7 9 l 8 Il l 9 ・3 l 197021 Il 一 17 E■ ■ 冴 3 4 5 6 EJ 重 囲 2 20 巨 ∃1
27 22巨∃
卒業年度 -156-図
2-8
聴覚障害者の進路動向推移(1977
年度∼ 1982
年度)1977
891980
17I
□
就 18 進1
153 匿調
田
教 青社会1
・5員
1 2l
l
15-
荏 111 7 この就職者を産業別、地域別にみると図2- 10のように、製造業が就職者 全体の92.
4
パ ーセン トを占め、 しか も、製造業の県外就職が1
46
人 で、 就 職者全体に対する比率で も78.
9
パ ーセン トを占めている。県外就職の比率が 高いのはこの年だけの特徴ではなく、1982
年度は就職者7
人全員が、 1981
年度は15
名全員が県夕十就職 である。 この傾向は、復帰後に本格的にな り、最初は愛知県、岐阜県の中小企業で木 材加_I_、紡績 、縫製関係が大部分であ ったが、 1
978
年頃か ら本土大企業か ら の求人が出は しめて大企業への就職が増大 し、1981
年度の県外就職16
人 中1
2
人が大企業への就職であ った。注 4)1983
年度に、卒業者の就職対策では大 きな成果をあげたとはいえ、卒業後 -就職後の対策においては大 きな問題を残す こととな った。北城 ろう学校が廃 校となることによって、北城ろう学校の卒業者 (宮古、八重山の分校 も含めて150
人)の就職後の相談および実態把握の体制が確立 されなか ったか らで あ る。-1
5
7-図2-9 1983年度 聴覚障害者進路動向
施 設 ・医療機関4人 (1・7% ) 進学 3人 (1.3% )
1984年の沖教組、高教組中央教研集会では、沖縄 ろう学校か ら、 同 校 の 1983年度卒業者のなかの就職者の うち県外就職者31名 中7名が、県内就職 者4名中 1名が、半年後の1984年10月現在 で離職 していることが報告され ている。 卒業時点での無業者 (施設入所者を除 く在宅の無業者)20人とい う数 も決 して小 さい とはいえず 、 これに加えて、就職後離職するケース もかなりの数 にのぼることが予想 される。また職場のなかでの人間関係 ・労働条件の実態を 明らかにすることも重要である。聴覚障害者の卒業後の実態の把握は緊急の重 要課題となっている。 お わ り に 学校卒業後の障害者の成人期対策は現在のところきわめて不備である。1976 年の雇用促進法の改正以来、障害者を雇用する事業主に対 しては様々な助成措 置が制度化 されてきている。 しか し事業主の義務とされてい る障害者雇用の最 低率は民間1.5パ ーセン ト、官公庁非現業1.9パ ーセン ト、現業1.8パーセン トと低い水準にすえおかれたままになっている。 沖縄県では、県庁などが、いわゆる障害者の別枠採用制度を実施 して1.9パ ーセン トの最低雇用率を達成 したが、市町村では1・62パ ーセン ト (1983年 6月 1日現在)と低い。民間企業の場合 も、最近雇用率が上昇 して全国平均並 みにまで達 したが1.21パーセン トと最低雇用率の1.5パ ーセン トにもまだは ど遠い。県庁の場合 も、最低雇用率に達すればそれでよしとして別枠採用制度 の実施をみあわせる方向に進んでいる。 1980年3月の身体障害者実態調査によれば沖縄県の身体障害者の就業率は 26・5パーセン トであ り、全国平均の32,3パ ーセン ト、沖縄県の一般の就業 率55.1パーセン トと比較 して も非常に低いO最低雇用率1.9パ ーセン トの目 標を達成すればそれでよいとい う現状ではなく、 『沖縄県障害者対策長期行動 1
計画』 (1983年3月、沖縄県)で も述べてい るよ うに、 「雇用率達成後は さ らに雇用率の ア ップを図 ることが必要であ る 」 (同上書17ペ ージ). 事業主に対す る対策 に比べて、障害者に対す る直接の対策は不備 である。と くに、障害者の立場にた った専門的な相談 ・指導機関の確立 ・充実が必要であ るが、現状は障害児学校進路指導係の教員の過重負担 によ ってある程度 カバ ー されてい るとい う状態であ る。 在宅 障害者に対す る対策は さ らに不備 であ り、その実態 さえ把握 されていな い。共同作業所 に対す る助成制度の確立 ・強化が緊急課題 である。 1979年養護学校義務制実施以来、沖縄県で も、就学猶予 ・免除は きわめて 少数 にな り、重い障害を もった子 ど も達 も学校教育の中に受けとめ られて きて い る。 1987年度 には義務化の年 に小学校に入学 した障害児が中学を卒業する。 訪 問教育 で学んでい る最 も重い障害児 たち も含 めて、この子 らに卒業後 どうい う進路 ・人生 を保障す るのか とい う問題が 目の前に提起 されて きてい る。 来年 (1986年)は国際障害者年中間年 (障害者の10カ年行 動計画期 間中 の後半5年間の初年度)であ る。 1981年のEl際障害者年初年度は、沖縄県で は、行政主導ペ ースでと りくみが進 め られた。 きたるへ き中間年は、障害者お よひその関係者 自身の国際障害者年 と してと りくむ ことが強 く望 まれてい る。 h壷後に、沖縄 昏17-'校の山iU親一幸先/I.、大、Ij・遵讃学校の東手相 ,:.I.・TT
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Eをはじめ として、障害児学校進路指導係の諸先生方に御 協力ll'iいたことを記 して感謝いT: します。 注 1) 障害児学級の担任、生徒、父母と障害児学校との情報交換 ・交流か弱いという 条件もあるが、障苫児学級の朋場からIも 障害児学級の卒業者Iこと-'て、
「'ii-'校」 の授業はむつかしすぎ.rt.-Ij校での障害児学級ははと^,ど設即されておらず、障'.it 児学校はやさしすぎるということで、適切な進学先がないという声かだされてい る。 2 ) 民間共同作業所-の入所者を無業者とす るのは問題であるが、 ここでは、授席 -160-施設への入所者を無業者に分類 してい る r学校基本渦査J にな らって、それとの 比較の便宜上、無業者に分類 した。 3) このほか23ヶ所の聴別養謙老人ホームがあ り、総定員は 1845人である。 4) この項は r沖縄の特殊教育史J(沖絶県教育委員会発行、 I983年 3月 )に よる. 207- 8貢参札 但 し、同音によれば、 198 1年度の就故者は17人、 うち 16人が県外就職 とな1ている。 -161