福建師範大学所蔵の明代契約文書
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(2) にわたるものである。. 文書は各地で処分または破棄され、消滅しっつあった。大学研究室で. が、必ずしも不動産. 大多数を占めている. に関するもの、菊・. 福師大歴史系収蔵契約文書分類表. 1. 28. 29. 60. 553■. 98. 1. 14. 39. 64. 686. 39. 0. 2. 25-. 28. 288. 同治. 46. 1. 0. 20. 22. 326. 光緒. 352. 99. 63. 121. 3. 田. 16. 98. 763. 12. 8. 17. 0. 3. 0. 10. 88. 169. 3. 17. 21. 101. 712. 14. 76. 248. 490. 4.750. 福建師範大学所蔵の明代契約文書. 一福師大所蔵原文書について. 内容的には土地改. は僅かな情報を頼りに、必死に省内で破棄された残有文書を探し求め. 関係とは限らず、人. 5?. ll. 一九五八年、福師大歴史系に福建地方史研究室が設置されるや、直. た。林祥瑞民ら三人は、噂を頼りに開清県造紙厳倉庫に、破棄され再. 身売買や経営権の継. 56. 5. 革関連の原文書であ. 利用のために持ち込まれた原文書の入った麻袋数箇を発見した。しか. 承に関するものもあ. 93. 0. ちに地元福建省関係の原文書の収集を決めた。. しながら、廃紙の回収は順調には進まなかった。大学側の意図は、土. る。これらは周氏の. 234. 15. 62?. るから、契約文書が. 地改革の成果を無にしようとする、反動的・反革命的な策動ではない. 分類に従えば、川田. 嘉慶. .5. 土地改革はすでに完了しており、提出された旧来の土地関係を示す. かとの警戒心からであった。たまたま徐発昌(元福師大外事弁公室主. 1,083. 19. 合計. 物山林. 86. 61. 38. 地典売文書. 77. 39. 324. 任)氏の姉徐星珠民らが工場倉庫の管理者であったため、彼女らの積. 乾隆. 1. 161. 82. 果園典売文書. 124. 4. 136. 726. 極的な協力をえて廃紙の回収に漸く成功したという。. 10. 73. 威豊. 281. ㈱房屋 愉地塘典. 16. 79. 117. 2,244. 地粗佃文書 典売文書. ㈲票拠(辛 例高利貸. 0. 166. 318. 民国. これらの廃紙の中には、福州地区の明清以来の貴重な契約文書類が 多数含まれていた。この廃紙回収の成果に触発され、歴史系教官・学. 売文書 形)文書. 1. 597. 8. 0 0. 生達はその後も省内の原文書収集のための努力を続けた.この結果、 現在までに福師大では四、七五〇点の原文書を収集することができた0. ㈲その他(痢・ 渡船・家具・家畜の. 8. 逆光. 38. これら原文書を地域別にみると、約半数は福州地区のものが占め、 なかでも侯官県・開清県に関するものが多いoその他南平・建隣地区、. 3. 19. 35. 宣統. 典売・合資経営産業. 26. 65. 0. 0. 順治. 寧徳・連江地区、光沢・郡武地区、青田・仙港地区、泉州地区等のも. 51. 殖正. 0. 0. 6 0. 0. 明. のもある。. 参照).. 児女の売買)に分け られる(表. 契約文書の殆んどは 白契であるが、若干. 康無. 清. 周玉英氏の集計によれば、最も古いものは明代建文三(一四〇こ 年のものであり、王朝別にみると明代1七点、清代四、〇ニー点、民 国七l二点となっており、清代乾隆年間のものが多い。年代的にみて 最下限は1九四九年の文書であるから、本収蔵原文書は約五五〇年間. 類別. 104 0. 0 0. 0. 6. その他. 合計 (8). 高利貸. 17 0 0 12 5. ㈱土. 文書. (7). (3)土地 (6)手形 租佃 (4)真裏 (5)箕莞 f1)異莞 (i)@曳慧. 王朝.元号別. 鶴見.
(3) 134. 百点余り収蔵されている。これらは清代中・末期、当該地方の地主の. 屋の売買文書・租佃文書・高利貸文書等も道光から光緒年間にかけて. は八六点を数える。また南平県の地主葉邦積に関する田地・山林・家. であるが、彼に関する田地山林の売買文書・粗佃文書・高利貸文書等. 合もある。例えば開清県の鄭宗子は乾隆から逆光年間に活躍した人物. いは某戸、さらには某地片に関するものがまとまって存在している場. た。それは単に某地区に多いというだけではなく、某県某都里、ある. 多い。これらの原文書はさきに特定地区に集中していることを指摘し. の推収単や契尾もみられ、清代のものには一田両主制に関するものも. 木従便買主放伐、責主十郎更無言説。今恐人言難信、放立離業出. 方彦誠前去掌管、且江十郎寸土不留、更無主佑之理、所有松杉等. 賠蔚銀童拾陸両、抵還買主無詞。自立契之後、其山地院倶付買主. 叔兄弟姪無干渉、亦不曽重張典掛外人財物。如有此情、別路良業. 其冥債紗就時交詑、別無留寄。所責山隈的係自己物業、輿房分伯. 就買、三面輿買主引進人議定、情患特上項山定償賓抄捌百貫文。. 上項舗後等山出責.今托得本里王文禄、引到本都方彦誠前乗出頭. 界。今録出東西南北四至明白。今且因薦年老日食映乏用度、遂婿. 屋後連及坑薦界、西至車石路、南室山頂、北至方宅直嵩・小坑薦. 代書人池九才. 中人王文禄. 立責契人江十郎. 衰文契乙紙、付輿買主永遠薦照者. 建文参年玖月. 此契亦是方顛兄弟轍 的老原契附. 西至馬鞍石・横岩・坪指・羅洋隔、直下泥坑下馬界、南至大江、. 嵩灘・舗後背、直上白岩長灘轡・腸勝岩・青坑隔、東重安仁漢ロ、. 侯官麻二十四都住人江十郎、承祖有山数競、坐落二十五都、土名. したときのもの.本里の住人王文禄を中人に立て、彼の紹介によって. 二十五都に所有する承祖および買得せる山地(税対象となる)を売却. 侯官県二十四都の住人江十郎が「寅年老日食映乏用度」によって、. 買によって売主が土地の所有権を失った例として引用されている.. 所蔵文書中最も古いもの。唐文基氏前掲論文でl部が紹介され、売. 北至措石分水境鵠界。又有山1隈、地名道者宕、東至坑連、上溝. 本都の住人方彦誠と三面議定して大明宝抄八百貫文で売却することが. いこと. 惚重掛(二重の取引き)典掛(典または他人の債務を帯びる). 本契では、川本地が本人の所有物であって同族の干渉を全くうけな. 茶、西至下膿、南至山頂、北至大漢.又原買得張三郎山1霞、坐. 至啓二部屋後薦界、北至横路犠頭宕.又有山1毘、土名横路林、. 約束されている。金銭の支払いは売契交付と同時である。. 押 押 押. あり方を知る上で貴重な手懸りを与えてくれるであろう。. 明代契約文書の紹介. 〕は筆者が付したものである。撞頭については配慮し. 原文書の配列は作成年代順とした。文中不鮮明の文字は□を付した0 文中右側の. 日. 落二十五都羅浪速・車石路、東至横路坑、西至江君婁山鳥界、南. 建文三年九月侯官県二十四都住人江十即売山白契. 〔. 係原質鄭元観輿房兄鄭二観山1院、土名羅漬又横路、東至方均大. 福建師範大学所蔵の明代契約文書. 鶴見. 二. なかった。. ①.
(4) 福建師範大学所蔵の明代契約文書. 外人財物(他人から金銭を授受する)等の不正のないこと、違反した 場合は、別地を代替としてさし出し、罰金十六両を支払うこと. ている。. 弟撒的老原契附」とあるから、売契文書には老原契(旧契)が付されて. なお本契では上手契には触れていないが、欄外に「此契亦是方顛兄. (1). 地に生えている松・杉等の木は買主が自由に処分できること等を約し. ㈲山. 年. 月. 日. 此契係是樟洋陳娘. 陳剣撒的原契附. Pコ■. 福州府. 開清県、万暦『福州府志』巻二東城. 至青坑烏界。山一臣地名坪石高、東宝王宅田、西至漢、南至夫人. 地名馬兜、東至漠、西至山高頂、南至牛路、柑換堀直下響遠、北. 留寄、所真山臣地競.各有四至明白、今釆錬出開寓干後o山1霞. 就買、三面議定、時債紗辞拾貫文o其紗随立契日乙完交芝.別無. 責。遂托得本里住人王順島中、引置到本都民人方墳・方員等前衆. 下山染競、未曽出責.今困乏銀戸門鹿用、情患特上項山隈轟竹出. 将祖原男山院接出数段、責輿本郷民人方銘去詑、更有原祖雑木遺. 坐産本都、地名安仁渓裏、馬兜等虚。干洪武十年有祖朱汝舟等、. 侯官解二十五都住人架定、承祖原買得王均額・呉添等雑木山数院、. 宣徳六年十月侯官県二十五都住人朱定売山白契. るために上手契を証拠として確認している。原契付きである。. 五十貫で売り渡すことになっている。売買が正当であることを明示す. によって、買手の侯官県二十五都の住人陳異観に時価により大明宝紗. 山・舎基は隣県の侯官県二十五都に所属し、本部の中人許三郎の紹介. 黄閏弟は「見戸門映乏宝抄応用」の理由によって承祖上(祖上とは. 自己山、西至方二郎舎基、南至自己山、北至堆岸自己山、東西四. 中馬界、南室山頂頭、北至三坑口.舎基乙所、坐落首聴。東空. 号白坂林、乙号襟頭、乙号坑角、乙号礁岸、東至坑、西至大管、. 坐落侯官嚇二十五都、土名商構。山乙号括換坪、乙号中心嵩、乙. 永楽年間開清県和豊坊十八都薙裡住人黄閏弟売山舎基白契. あるとなっていて契文と一致しない。. によれば十五・十六都にあり、『福州府志』によれば十六・十七都に. 県によれば、十八都は南郷安仁里に存するが、和豊坊は『八開通志』. 志』巻十五地理. 和豊坊と十八部との関係についてははっきりしない。弘治『八開通. 永楽 ③. 至分明、今来篤見戸門映乏賓紗臆用、情愚精白己山陸戟井舎基乙 所武競、意欲出責、托得本部許三郎前去引置侯官蘇二十五都陳異 観出頭就買、三面議定、時償賓紗伍拾貫文。其償抄値契日交領去 詑、別無領目。其山亦不重張典掛外人財物、係是責主抵当、不渉 買主之事。其山係是閏弟自己物業、有房分伯叔蓋無干渉、所有祖 上山契侯後取出不在所用、只患上手行契薦照。仲買主従便前去掌 管物業、其山舎基地轟行出責不留寸土、三面議定、各無反悔。今 立契乙紙、付与買主収執篤用者. 俗呼西坑裡山 立契人黄閏弟 中人許三郎. 押 押. 祖先を敬って輸したもので承祖の意)の山六号と舎基を売却している。. 開清. 鶴見. 閣清解和豊坊十八都聾裡住人黄閏弟、承祖上有山陸戟。舎基乙所。. いたものと思われる。. ②.
(5) 132. 苗、北室長灘菅薦界。山豊臣、地名青坑、東至渓'南至馬兜虎常. たないであろうから、売契を作って買主に渡し永く証拠としたいとあ. によって喪失してしまった。今後一部が発見されたとしても役には立. 即将己分口□、意欲出棄o遂托中人引就安仁挨表弟劉陣薩出頭就. 坐落本都、土名庵裡、四至明白、亦輿林塘共分。己扮各得1半、. 坐産本部、土名坂林、東西四至明白、輿族兄林塘共分。又山萱戟、. 侯官麻二十五都民林恩聴、因思戸門無銀磨用、情患将祖上山童競、. 劉氏始祖置有山場田慣契稿簿. 弘治十四年七月十五日侯官県二十五都民林思聴売山自契. 嵩、北至土壁、小坑鵠界、山童隈、地名四斗、東至上稚岩頭山、 西至漢、南至娘廟、長灘限、北至直寓、林四奇堀田坪、三坑烏界. 山善炭、地名滴裡、東至凌八郎黄隔寮山、西至欄環山、南至曲坑 讃、北至王十郎唐竹坑鳥界.山重臣、地名火焼寮、兼至渓井狽堀 山、西至燕弛、百丈塔、南至自著坑、北至前櫨、石橋仔烏界。山 善殴、地名燕池、東宝火焼寮山、南空白薯坑山頂、西至本山直上 嵩頂分水薦界、北空地耐郎炭堵菅山薦界.其山大小片殴、1完轟 絶出責、更無寸土起留。所有山隈的係自己承祖物業、並未曽重張 典掛他人財物。〔前〕項染契因兵去失無存、向後検出片文隻字不. 永遠篤照者。 立鳶契人朱定 中人王順 知見人王貴. 押 押 押. る。. 堪行用、[缶針開、只芸立蓋離業文契乙紙、付輿買主収執、、其銀随文交足、別無留寄。其. ④. 紙、付輿劉仲種馬照者. 山圭競、坐落土名坂林、東西南北各口室山頂. 山萱戟、坐落土名庵裡、東西南北各室山頂 弘治拾辞年七月十五日立契人. い入れたり佃権を獲得した場合、契約文契をあつめて保存した簿冊。. れたもの。契稿簿は騰契簿・抄契簿とも呼ばれ、家族が歴年田土を買. これは売山文契であるが「劉氏始祖置有山場田域契稿簿」に収めら. 中人在見. 林思聴. 分叔伯争佑不明、係是責主出頭抵当。今恐人言難信。親立文契乙. 山四至之内但有屋基等件、自責之後、任従買主前去管業o知育房. ]. 礼に山地を売却したものQ親属間の売買である。途中文面がはっきり. の度「戸門無銀応用」により、中人を立て表弟(父方の従兄弟)劉仲. 民林思聡は族兄の林塘と本都所在の承祖の山地を分割相続した。こ. 押 押. 宣徳陸年拾月. 此原契係是方額撒的 老契附. 朱定の先祖朱汝舟が浜武十年に承祖の山地の1部を売却した.現在 雑木山七号が朱走のもとに残されている。この度「乏銀戸門応用」に ょり、本里の住人王順を中人に立て、彼の紹介によって本部の民人方 壌・方員等に山七号を就売した。代価は時価によるものとし大明宝抄 辞拾貫文である。本地は先祖代々の土地であり、重張・典掛・他人財 物等に関与したことばかってないo但し、前項七号の契約文書は兵乱 埠見. 福建師範大学所蔵の明代契約文書. 五. 日.
(6) 131. 福建師範大学所蔵の明代契約文書. しないところがあるが、宝妙ではなく銀による支払いが行われている。. 正徳五年九月侯官県二十五都住人林塘等売山白契 侯官嚇二十五都住人林塘等、祖有山善戟、坐落□口□、土名板林、 内載四至明白、又有山乙鍍、坐産土名庵裡。標載四至明白。其山 輿兄思聴共分、各得乙半。本房乙半亦輿親叔林鑑共分乙半。今因 戸門無銀磨用、輿弟林漠等相議、托中人引進本都民劉仲檀家出頭. 自責之後、任従買主前去管業、如有房分子孫宰佑、係責主出頭抵. 就買、三面言議、責託償銀砕両正、其銀随交足、別無留寄o其山. 当。有力之日備本取購。今恐人言難信'親立文約乙紙、付与仲穫. これは本来の意味の売ではなく典に当る。親属間の典であるが、同族. は就買となっているが、契文中に「有力之日備本取瞭」とあるから、. により、本都の住人である表弟劉仲礼が銀四両で就買している。本件. 弟と相談して本都にある山二号を売却した。中人林秋(同族)の紹介. 押 押 押 押. から異議が出た場合は売主が責任をもって事に当るとなっている。林. ⑥. 嘉靖三年十月侯官県二十五都大著住人方南売山地自契. 立嚢契人方額. 男方廷宜. 中人高茂時. 同中人丘文大. 方顛は男(息子)方廷宜と相談して税役負担の過重と手元不如意、. 嘉靖参年給月. 親立嚢契乙紙、付輿買主永遠牧執薦照者。. 他人財物、的係自己物業、輿房分叔伯兄弟無干。今恐口説無想、. 粗。侯大造之年、聴従聴割嘗差、喪主不敢阻当。亦未曽重張典掛. 日、随文交足、永無留寄。其山地自責之後、任付買主前去掌管牧. 使用.其山大小片隈倶載前項古契、四至繰壊明白.其償銀立契之. 劉世管習管、三面言議、轟絶棄出時債係銀悪雨. 不便。情感輿男方廷宜相議、抽出巳下山地、托中引到安仁漠. 載松村雑木等樹。因島戸役浩重、無銘磨用、亦且路途隔遼、照管. 漠婁井大湊上下等虚、堂弟方菟共分。方顛分下鹿得山地萱半、内. 侯宮野1+五都大著住人方額、承祖有山大小童拾或髄、坐落安仁. ′■ヽ. 売価は銀二十両である。当該物件は古契(老契のことであろう)に. とある.. 数里。而造耕時、朝出暮席。専草亦如之。. 四郷之田、依山者多、平地者少。民所耕之田、輿所居之虞、相隔十. 康紀州『崇安県志』巻一風俗の条に、. たことは珍らし-はなかった。例えば. で劉世栄等に山地を売却したもの。福建では耕地が居住地と離れてい. 山地が遠方で管理に不便なることを理由として、中人を立てその紹介. 押. 薦照者 山乙競、坐落土名坂林、東西南北各室白山頂. 立契人林堂 同弟林漢. 中人林秋. 林舞. 塘の塘と林堂の堂、および板林の板と坂林の坂とは何れも音通である0. 日. 鶴見. 山乙戟、坐落土名庵裡、東西南北各室白山頂 正徳伍年玖月. 日. 林塘(林思聴と族兄弟であろうか)は「戸門無銀応用」により、兄. ⑤.
(7) 130. よって「四至保坂明白」とあるから、売買に際して売手、買手、中人 の三者が立ち合いのもとに老契によって四至や所在を確認したもので あろう。売却と同時に佃戸に対する収粗権が買主に移譲されることが 明記されている。. 牲乙隻.. 立嚢契欧成書. 一田坐産四都賓漢、田名上下銀棲等虚、載租穀捌石辞斗、佃戸 鄭ロロ、田牲乙隻。 万暦伍年四月二十日. 中人港初自. 林若臣. 立責契欧成吾、原有承組閣分民田数競、坐産開清蘇二部凍上、貢. 『中国史研究』一九八二年第四期)がすでに全文を紹介している。開. 唐文基氏(前揚論文)・林祥瑞氏(「福建永佃権威困的初歩考察」. 張爾字. 壊里、前坪、四都賓渓等虞、年載粗穀武拾陸石玖斗、毎石平秤染. 清県昇平坊一甲の欧成吾は二・四部に土地を所有している.急用がで. (1五三. 「侯大造之年、聴従収割嘗差」とある。本契は嘉靖三年十月の作成 であるから、嘉靖元(1五二二)年の次の大造の年嘉靖十1 二)年の過割を侯って税役を負担することとなる。. 拾伍肋算、派根乙石陸斗武合正、本色辞升六合伍勺、業在昇平坊. きたため中人の辞初自の紹介により唐家へ売却した。売価は七十九両. 大道益. 1甲欧成書名下、自従掌管無異.今因急用、托中済初白引到春慶、. 万暦五年四月二十日間清県昇平坊欧成吾売民田白契. 三面言議、本日責詑債銀染拾玖雨紋唐正、其銀即日交足明白、其. いる。なお計開には各田の坐落と佃戸名、小作料額、冬牲が明示され. 紋庸銀である。税金は唐家が、責任をもって納めることが明記されて. 万暦九年十二月初二日侯官県二十五都住人劉堅夫売山白契. 田即藤倉家前去合佃掌業、向後永無言轟取購之理。其根准倉収入. 花 花 花 花 押 押 押 押. 本家式分、林宅得乙分。内契参張撒付堂弟執照無詞。今欲有意、. 付興銀主前去納税収粗管業、不敢阻昔。其山林宅原買三分之一、. 時償係銀萱南参鏡整。其銀随交託、別無留寄。其山自責之後、就. 欲出棄。遂托中人引就本族堂弟劉撞虞出頭承買、三面言議、得託. 都樟洋林宅山参戟、土名坐落坂林・庵裡・西坑裡、四至明白、意. 侯官蘇二十五都住人劉堅夫、烏因無銀鷹用、自情患婿租父買得本. 唐家杢戸了納根差、不相負累.此係自己承組閣分物業、輿房分伯ている。 ⑧. 叔兄弟井無干渉、亦未曽重張典掛他人財物等情。如有来歴不明、 係成吾出頭抵嘗、不得負累買主、其原契載有別都別項田業、不便 交付、今欲有患、立責契乙紙烏照。. 田坐産襟上、田名後寮橋、載粗各陸石正、佃戸陳三耕作、田 牲1隻。 一田坐産雲壊里、田名長花犠、魚池後武虞、載組敷砕石正、佃 戸羅戦耕作、田牲乙隻。. 親立文契乙紙、付興銀主篤照者、. ・t=. 一田坐産前坪、田名洋頭、載粗穀捌石伍斗、佃戸夏五耕作、田. 福建師範大学所蔵の明代契約文書. 鶴見. ⑦ 計開 l.
(8) 129. 更省租契乙紙存在何方. 立又字人江湛. 樹係是分定物業、輿門房伯叔兄弟人等各無干渉。係是前言己定、. 之類。其樹即興姪於己丑年起火管業、且湛不敢争占之理。所責前. 之日、眼同中見入等l頓交収足詑、無欠升合、亦無貨物準折債負. 内雷兄江朝宗連薦業、嘗三面言議、定時値償穀参担郷桶正、立字. 即目上至青天、下至清水烏界。且湛要穀使用、憎際立字出責輿族. 崇安里十三苗民江湛、承父分授得白菜樹武株、坐落竹葉、拝観後、. [果]. 万暦十六年八月甑寧県崇安里十三図民江湛売白果樹自契. 本部の住人劉撞に売却したもの。買主劉撞は⑧の買主でもある。. が、「路途窯遠、看管不便」なるにより、中人王子鈴の紹介によって. 隙取・陳別の先租が②の売主である黄閏弟より山地七号を買得した. 押 押 押. 福建師範大学所蔵の明代契約文書. 山善競、坐落坂林、東南至下寮港山頂、西北至襟頭山頂 山善耽、坐落庵裡、東至溌頭、南至遷竹岩、西至上庵、北重任 産坑、. 立契人劉堅夫. 山乙競、坐落西坑裡、東至中心嵩、南至山頂、西重石蛇尚、北 至紅菰嵩 高暦玖年拾式月初二日 中人劉葬夫. 万暦十1年八月初七日侯官県二十五都樟洋住人陣取同姪陳釧売 山地白契 侯官蘇二十五都樟洋住人陣取同姪陳釧、承敵買得黄閏弟山地染戟、 土名坐落商聴、桔換坪、中心嵩・白坂林・襟頭・住産坑、堆岸東. 各無恢悔、今欲有患、故立責契薦照用。. 今収得前償穀参担正、立宇島照. 中人江全. 建寧府. 崇安里緩着十六、在府城北四十五里。」とある。. 花押. とあるから、土地付きの出売とも考えられる。江湛は穀物を必要とし. 界」とあり、二本の銀杏の木から雨水が落ちてくる範囲を境界とする. 甑寧県. 花押. 至坑、西至大轡、彰隣島界。南室山頂頭、北至大江.四至明白、. 陳 陳 陳 河 釧 銑. 親書. 白果樹(銀杏)二株の売買であるが、「即目上至青天、下至清水薦. の条に「星禽郷. 郷都. 今見路途窯達者管不便。意欲出棄、托得中人王子鈴、引到本都安. 嵩暦拾陸年捌月. 日. 崇安里に関しては『八開通志』巻十五地理. 契. 仁渓劉撞出頭承買、三面言議、償銀式繭正。・其銀随契交詑、別無 留寄、其山付輿買主任従前去掌管、不得阻嘗、亦不得重張典掛外. 其山向後不得争端. 人財物。其山不明、棄主之事、買主無干。有租契併轍契武紙、付 輿買主収執薦照者。 [清文]. 不渉陳家之事、自十乙年起 寓暦拾豊年八月初七日. 立契人陣取. 其山近蒙□□辞十徐畝、税紗以蓄収割入戸、逐年劉家了納完官、. 押 押. ⑳. 押 押. 鶴見. 劉竪夫が山地三号を堂弟劉撞に売り渡したもの。同族間の売買であ. ⑨. る。.
(9) 128. たので族兄江朝宗と穀物三担郷桶で取り引きをしている。康無『崇安. 立契烏照。 計闘士名. 上演・門前洋粗米参石正、佃戸謝三. 県志』巻一風俗の条に「栢二斗五升鳥1桶、四桶篤1藻、毎一叢納糧 四升」とあるから、翫寧県でも1担郷桶が二斗五升であるとすると、. 粗米参石正、佃戸余六 高層参拾玖年五月. 合計七斗五升となる。なお売買契約は十六年八月に成立しているが' 己丑(十七年)の年、すなわち翌年から管理権が移ることになってい. 万暦十六年十月黄尭鼎売山自契 立章山契人黄尭鼎、租有税山室所、坐祉十五都香山院地方、土名. 立真山契人黄尭鼎. 沙姑坂. 立薫契張仕経. 中人燕金鳳. 在見黄以賢. 開清県の鼻に「漬水. 其田自賠之後、任□銀主管業牧粗、不敢阻当。如有来歴不明、且. 家甘允、正行交易、亦無准折債負之類、井無重張典契外人財物。. 償花銀童拾辞雨整、立契之日、l頓交牧足詑、無久分厘。均係l一. 遂得本里張畝福進前額賠薦業.嘗同中見三面言議、定時値士風契. 国妖少銀両度用、情患婿本田托申出賠。先間房門人等倶各不受、. 至明白、原計苗米萱拾参集、避還施宅苗谷式捨石染斗。且必堕島. 聴、即目上至楊宅、下至陳宅、左至坑、石室坑烏界。今来倶出四. 高陽里二者民人陳必堕、承父遺下有脱禾田1毘.坐藩士名謝坑嘗. 天啓七年二月建甑県高陽里二図民人陳必堕賠脱禾田自契. 佃戸名・粗額が記されている。. 之日照契取購」とあるから、売契となっているが実際は典契である。. ら親族間売買であろう。紋広銀による売買との指定がある。「備有力. 漠在県西十四都。源出尤渓。」とあるから、上演とは演水の上流の意. 十四都上演については『八開遺志』巻五地理. 花押花押花押. 正、其銀随契交足.其吉地各四周萱丈武尺、聴張造墳管祭o自費. 蓋印. で、本契は開清県十四都の民田売契と考・与bれる。房億(姪)とあるか. 洋頭・境港尾等虞。有吉地墓穴、嚢輿界院張虞、乗出山償銀津南. 日. 之後、親房弟億言説、係章主轟鼎知音、不干買主之事。今欲有愚 立葉山契乙紙、付張薦照。 高層十六年十月. 中見人余七官. 県は特定できないが福州地区から出た基地の売買文書である。. 万暦三十九年五月張仕経売民田白契. 其銀即日当面交足、其田即聴億合佃収租管業、知納根差。其田係. 送嚢房億口月口□烏業、三面言議、得託時償紋庸銀辞拾式両正、. 前洋、沙姑坂等虞.年載軽米陸石正、民苗正耗米伍斗.今因乏用、. 立棄契張仕経、承租置有民田式戟、坐産十四部上演地方、土名門. 花押花押. 己物業、輿革帯叔伯弟億無干o並未曽重張典掛他人来歴不明情由、. 鶴見. 知育等情、甘当治罪。自責之後、不敢言壷.倫有力之日照契取柵.. E?. 日. 福建師範大学所蔵の明代契約文書. ⑬. ⑪ ⑫. る。.
(10) 127. 福建師範大学所蔵の明代契約文書. 依口代字人李世明. 在見人黄推仁. (蓋癖印)為中人謝官職. [銘]. 立契人陳必堕. 必堕自用出頭抵当、不渉銀主之事。向後取墳之日、銀契南柏交付。 今恐難患、立契付興銀主収執烏照o 天啓染年式月. 崇禎拾陸年拾式月. 派、坐産開清念武都王竹地方、土名王竹坑、鹿項坪等虚、上至長. 崇禎式年十一月. 孫景龍虞商議、即日得詑山償銀染南正、水九. 管業了納根差、不敢阻嘗。此田並未重張典掛他人財物、如有不明、. 晦新鹿嚢出時償紋銀染拾嚢両正、其銀即日交託。其田即聴男禽佃. 零.其粗谷毎石在他郷例平秤捌拾肋o今因喪事乏用、托親向母男. 拾陸石正、係佃戸王t・羅七耕作。年照解派毎□臆納秋根銀伍分. 口開墾、計費銀参百飴南、巳経六載。今鼻骨等慮成効、内樽出式. 年商・基礎・出水轡・山頭瀧等虞.於崇禎参年在閲清解給帖示報. 予・義弟孫l惰・1擢等山場墓所、坐産開清野1+都度井・長菅・. 立責契甥翁景粋、於崇禎式年用銀辞拾両正、買得母男孫養予・省. 崇禎八年七月翁景粋売山自契. は純度九五%の銀の意でいわゆる紋銀をさす。. 送還契である。微州では退契・退還契といい、もとの売り手が買い. は不明の部分も存在するが、出賠とあるから後述のように1田両主制. ら収集されたものであるから、建寧府甑寧県のものであろう。本契に. 高陽里薗十、圃初以地近改。山日高陽。」とあり、本契は南平地区か. 願寧県の集に「温柔郷. 代字人呉曽唯(花押). 余貴泉(花押). 中見李可林(花押). 同億翁爆(花押). 立退還翁君常(花押). 今欲有愚立退還契乙紙、又敷付還孫家責契乙紙、共成式紙付執薦. 山苗係孫家自行完納。不得負累翁家之事、両家允愚、各無反悔。. 五.其山折着通還孫家子孫永遠統掌残業、輿翁無干白旗之後、其. 不便、携向原山主. 四至界限分明、年載山常襲分正、付孫家催回完納。素因隔遠掌管. 洋隔烏界、下至渓薦界、左至牛柵烏界、石室長樹林・大坑烏界、. ⊂=). 戻すときの契書である。坐産は開清県二十二都王竹とある。水九五と. 在見人鹿其徳(花押). 交銀人張租福. 立批契人陳必堕. 田一膳共去銀式繭捌鏡、共成式拾南整、批此鳥照。. 今収得余振宇□得原契償紋銀萱拾染繭式鏡外、又出代還西谷井造. 花押花押花押花押. 余正魁(花押). 日. 鶴見. 立送還契翁君常同侶翁感、於寓暦年間、父手置得孫家頂掌税山乙. 崇禎二年十1月翁君常同姪翁感送還契. 大吉. 日. 高陽里については『開音』巻十三方域志. 日. 照。. ⑮. 文契 にともなう田面梅の売契ではないかと考える。. ⑭.
(11) 126. 係甥之事o此外山場凡己経開墾併未成効者、寸土皆属甥業、中有 崩陥係甥自備己銀補葺、黄不得私自修整、致有言説.其田不拘年. (花押). 斗式拾斗、交納劉家牧草完納根差、其田的係園分物業、蓋栄樹典. 南廉、遮年冬成同在小暑倉原敬組、婿習名下田内、自粗米割出粗. 役乏用r仝叔商議、済本田白米、托中妻輿劉家烏業、得託紋銀津. 年収子粒白米辞拾斗。習輿叔各待式拾斗、歴年分収無異。菟因湊. 立薫契陳習軒o承組閣分名下輿叔秀軒公共民田乙号、土名番裡、. 崇禎十一年二月初八日陳習軒売民田白契. 契である。葬祭の費用を工面するための典売である。坐産は開清県二. 「其田不拘年限、聴甥備銀以契面取購」とあるから、内容的には典売. 給帳とは望帳のこと。親属間で取交された開墾田の売契であるが、. 在見兄翁観l. 張化聖(花押). 中見親林貫王(花押). 立責契甥翁景粋(花押). 羅七粗拾式石正. 限、聴甥傭銀以契面取購、不得執留o今欲有俵立責契乙紙、付執. 崇禎捌年染月. 佃戸王1租拾砕石正. 開. 他人財物。如有来歴不明、係習知嘗輿劉無渉。侯有力之日備本取. 紙、付牧薦招者。. 責契陳習軒(花押). 原佃謝廷河、今新佃戸鄭十観、住白古洋地方 崇禎拾童年式月初八日. 在見叔陳秀軒(花押). 中人張伯周(花押). 売契とあるが内容的には典売契であり、福州地区のものである。. 崇禎十三年十二月呉書使売山白契. 立責契呉書使、承祖有税山乙所、坐落大樟地方、土名瓦嘗高等虞、. 陳啓周虞薦業。三面言議、得乾. 左重責構・適職行頭直上、右至坑仔頚、上至嵩頂、下室田園界。 四至明白、今因乏用、托中葉輿. 山償銀式南正、水九五色、頂九三平、其銀即日交足、其山付輿陳. 家受税、栽挿樹木、永遠管業。其山西乙分係陳家理納、不得負累. 呉o向後不得言壷取購之理.山内備有告地、仇聴買主造墳愛妻、. 聴従其便、呉家不敢異言。其山係是自己物業。輿別房伯叔兄弟無. 干、恐有来歴不明、係薫主出頭抵当。不渉買主之事。今欲有意立 葉栗乙紙鵠照。 崇禎拾参年十二月. 立棄契呉書使. 中人林汝金. 在見謝三使. 代字謝玉使. 福州地区の売契である。「水九五色頂九三平」とは「純度95%の銀. ⑰. 薦照 暁、如不取購、任従買主掌管収税.今欲有患立棄契原契承佃共参. 福建師範大学所蔵の明代契約文書. 鶴見. 日. 日. 計 衰契 十都。. ⑱.
(12) 三. 福建師範大学所蔵の明代契約文書. B. の九割三分」の意であろうか。(「模準銀を論ずるに平〔秤量〕と純分 〔成色〕の両方から見る必要がある。」〔『支那経済全書』第六輯 九頁、東亜同文会、l九〇八年〕. 若干の考察 以上紹介したように十七点の明代売契文書は何れも土地関係文書で ある。これを地域別に分類すると、福州府侯官県七件(①③④⑤⑥⑧. (⑪⑯⑰)、建寧府甑寧県二件(⑩⑬)となっていて圧倒的に福州地区. ⑨)、開清県五件(②⑦⑫⑭⑮)、その他の福州地区(県は不明). が多い。内容的には民田に関するもの四件(⑦⑫⑬⑱)、山地に関す るもの一三件(白果樹を含む)で山がちな福建の状況を反映している。 売契の形式には精疎の相違はあるが、内容的にははゞ同質のものと いえよう。. 次に最近多くの原文青史料が公開された徽州府の売契と比較するこ とによって、それぞれの文書の特長を考えてみよう.福建の売契『建 (2). 文三年九月侯官県二十四都住人江十郎売山自契』①(以下A)と、徽州 の売契『洪武二十九年祁門謝堂友売山赤契』(以下B)とを較べてみ よう。. A・B二つの売契形式は、順序に多少の異同はあるが概ね類似して いる。但し細部に関して見れば若干の相違がある。と-に「土地の所 在」「土地の四至」「面積」についてである。. 号号号). 四三. 三件. 「八保」(徽州では. 「土地の所在」に関しては、Aでは都、坐落・土名が記されている が、Bでは、都のはか、坐落には里甲組織である. 里を保という)が記載され、土名のはか、当該地片記載の経理冊(負 鱗冊)字号が記されている。「土地の四至」については、Aでは具体. 雲量撃墓誓 裏芸萱萱毒 A. 鶴見. 警藁.壷葦蛮妻妾嘉蓋 売. 契. 内. 答.
(13) 124. 売却の理由. 売買の形式. 売買価格. 年老日食映乏用度. 出売(松・杉を含む). 宝紗八百貫文. 土地と代金引き替え 重張・典掛・外人財物 房分伯叔兄弟姪無干渉 別地代替、罰銀l六両. 無紗用度. 転売.(山地骨・苗). 時価宝抄三千五百文. 上に同じ 不曽輿家外人重複・典売・. 価抄二串. 来脚契轍付. では当該地片を魚鱗冊ないし同類の簿冊との関連のもとに示すことは、 (与). すでに宋代以降定着していた。すなわち、南宋『淳祐二〓二四二) (4). 年休寧李思聴等売田、山赤契』に当該地片を示すのに「梨字」、『廷祐 (I,,). 二年祁門江子先売田、山赤契』にも「唐芋1千四百四十九号」、元代. 『至大元年祁門洪安貴等売山赤契』でも「塞字号」とあってこれらは. 何れも魚鱗冊ないしは同類の簿冊で使用された字号である。このよう. (to). な慣行が当該地方で行われたことは、微州府において長年にわたって. 経理冊ないしはそれと同類の簿冊が綿密に作成維持され、かつ必要に. 応じて閲覧・確認できることが前提とならなくてはならない。. これに対して福建の売契は、客体となる土地の面積に関しては何ら. 触れるところがなく、今日の吾々の白からみると疎略な感じさえする0. しかしながら、「今鋳出東西南北四至明白。--今托得本里王文禄、. 引到本都万彦誠前乗出頭就買、三面輿買主引進人議定」とあるから、. 買手は土地売買において、中人・売手と三者立ち会いのもとに田至・. 地積・地味等を吟味した上で売価を決定したのであろう。時代は下が. るが滋賀秀三氏によれば、清代薙正年間においても福建省打棒道では. に記された四至を証拠として裁く」例をあげておられるから、明代の. (7). 「山場の境界争いでは第一に契界、すなわち梅原を証する何らかの証文. 状況はこれ以後も依然として継続していたことになる。なお売契に面 (8). 積が記されず、四至のみが記されている例として天野元之助氏は海南. 四至、土地の面積・形状等は明確にならないこととなる。Bは明かに. でも「照依経理」とあるから、従ってBは経理冊と照合しなければ、. 回で所有権の全てを売り渡すことは困難であったとされる。従って名. は実際上大きな区別はない」とされ、清代になると土地の出売は、一. 次に売と典との問題をみてみよう.唐文基氏は前揚論文で「売と典. 島の例を報告している。. 経理冊との関連のもとに売契が作成されており、徽州の日常的な社会. 目上は売と輸しても、実際上は典であり、売と典との間には明確な境. 福建師範大学所蔵の明代契約文書. 鶴見. 生活の上で経理冊が重要な役割を果していたことが窺える。この地方. の指標となる税糧・生産高等についても記されていない。Bではここ. とあるだけである。「面積」については、Aには記載がなく、それら. 的に四至が記載されているが、Bでは具体的記載はなく「照依経理」. 記載なし。但し「方額兄 弟撒的老原契附」との欄 外記載あり. 交易. 土地と代金の 受渡し 違反条項の 確認. 上手文書 来脚契. 罰則.
(14) 123. J2 \. 福建師範大学所蔵の明代契約文書. 界線はなかったといわれる。. とあり、⑫⑬⑱は何れも「売」・「売契」となっているが、それぞれ. ⑧(劉竪夫-堂弟劉撞)、⑩(江湛-当兄江朝宗)、⑫(張仕経-. 田両主制の施行を明言するものはないといわれた.しかしながら、最. 事実である.唐文基氏はさきに福師大所蔵の明代史関係史料には、1. 尾に重ねて「輿房分伯叔兄弟姪無干渉」、「如有房分子孫学佑、係嚢主. 族先買を記載するものはむしろ少い。しかしながら責契の大部分が末. ることが多かったことを示すものであろう。楊国梼氏は明清時代福建. 出頭抵当」等の文言を記載していることは、個人の所有地であっても、. (c・). 右の史料によれば、陳必堕は父より譲り受けた脱禾田1霞を所有し ており、毎年主家の施宅へ酉米(苗は地租、米は白米)十三幕〓纂 はl石)、宙谷(谷は籾つきの米)に換算すれば二十石七斗を支払っ. にはいってからも「開清県の習慣によれば財産を典売する時は業主の. では族内に先買権のあったことを強調しており、二十世紀の二十年代. (10). に同族への売買が行われるということではない。同族に買い手のない. しかしながら楊氏もいわれるように、同族先買権があることは直ち. 親族に先買の権がある」と述べている。. 賠したいと願った。先ず宗族、宗族に相談したが買い手が見つからな. 場合は族外取り引きが行われるが、本契約を見ている限りでは後者の 方が多い。. の取引き相手が判明する事例は八例ある。その中岡里内妻買が一件⑬、. 次に責買がどこの地域の人々と行われているかをみてみよう0相互 佃田之名目賠、賠島田皮、買島田骨。田興業耕種、亦止書酋之数、. となっている。具体例が僅少にすぎるが、楊氏がいわれるように「一. 同部内妻買が五件③④⑤⑥⑨、土地の坐落附近の人の買得が二例①② 実、而主家寛不知田之所在o. 而併不及田之蛙横。錐主家換陪、亦聴個人自相授受、佃去別租無. 賠に関しては、康幣『崇安県志』巻一風俗の備に、. 四両である。. いので、本里の張粗福に売却することとした。売価は俗例に従い銀十. ていたo今回「映少銀両応用」の理由によって、中人をたて本田を出. (ll). 同意する書翰を頂戴した。. 近になって『天啓七年二月建甑県高陽里二図民人陳必堕陪脱禾田白契』. そのような慣行のあったことが知られる。しかし契全体からみれば同. 房門人等倶各不受⑬」「仝叔商議⑱」「輿弟林漠等相議⑤」等があり、. 同族尭買を示す.W契上の文言としては、「典男方廷宜相議⑥」「先問. 房姪)、⑮(翁景粋1母男孫晦新)がこれに当る。. 六例である。④(林思聴1表弟劉仲礼)、⑤(林塘-表弟劉仲礼)、. 次に売買の対象をみてみよう。十七例のうち同族・親族間の売買は. 陳必堕の保有する田面権が売買されたのであろう。. とあり、「賠鳥田皮、買島田骨」とあるから、賠とは田皮の譲渡をさし、. tZ). 責質するときには家族・族人等の同意をえないと後に紛争のもととな. 福建地方において明代から一田両主制が行われていたことは周知の. 力之日備本取購」とあるから事実上「典契」であったことは間違いな. 「有力之日照契取療」「其田不拘年限、聴甥備銀以契面取得境」「侯育. ⑤は「就買」という語が使用されているが、「有力之日億本取暁」. 契を検討すると同様のことがすでに窺える。. 唐文基氏の指摘は主として清代をさしたものであったが、明代の売. 鶴見. ⑬に注目され、この史料が一田両主制に関する史料であることにほゞ. O.
(15) 122. _LV. (S). B. 般的な農民の章買はほとんど郷内で行われる」との事実に近い結果と なっている。. おわりに. 福師大歴史系福建地方史研究室は、福建地方の国立大学として、当 該地方の歴史を明かにすることば重要な使命であり、同時に地方史料 の蒐集・保存は地方大学の責任であるとの1致した認識のもとに発足 した。. 当時、大学は組織的に未整備であり、経済的にも苦しい状況におか れていたが、高遠な使命観のもとに原文書の蒐集が進められた。その 後も、唐文基・周玉英民らを中心とした少数の人々によって精力的に 原文書の整理・分類が行われ、陳一琴学長以下の良き理解者にも恵ま れ、出版・公開にむけて着々と準備中である。関係者各位の毒力に敬. (3). 現取引以前の権利関係萱不す旧契。老契ともいう。. 花山文芸出版社、一九九一年序。. 中国社全科学院歴史研究所収蔵整理『徽州千年契約文書』宋元明編 第一巷. 洪武二十九年祁門謝壁友完山赤契. 拾都謝菱友於上年間、用債買受得本都窪ヂ租名下山地参号.坐落本保.. ・土名棲布峯o係経理吊字二千参百七十四号・二千参百七十五号・二千. 参首七十六号.畝歩四至照依摩理。今為無砂用度.情患牌前項所買参. 号山地骨併苗轟敦。立契稗貫。輿堂姪謝則成名下、面議、時価賓砂参. 仔任官文。其妙音日収足。其山地一軒男椿永遠管業。赤費之先、即不. 曽輿家外人重複典責交易、如有来歴1切不明、並長安人之嘗、不干男. 人之事、日成之後、二家各無悔易。如有先悔者、甘有償妙二串、輿不. 見人謝再興. 謝壁友. 偉人用o依依此文鳥始.所有来脚契字、随時撒付.今恐無題立此文実 篤席。 洪武二十九年七月初六日. (2)掲書に同じ。 (3)に同じ。 (3)に同じ。. 契 三年.. 1九九五年o. 『法学協会雑誌』九二-1、1. 「海南島土地安男慣行と同族先買権の問題」『東方学報』京都一九五. 九七五年.. 「清代の司法における判決の性格」2. 『新しい東アジア像の研究』三省堂. 相見尚弘「中国の土地台帳『浜武魚鱗図冊』をたずねて」中村義編. 押. 意を表するとともに、実現の一刻も早からんことを願っている。 (ほ). 元来、福建では契約文書の発掘・研究には博衣凌氏以来の伝統があ (Z). り、それらを基礎とした地方史研究が最も盛んな地方である。しかし ながら、明代に限ってみれば契約文書の存在は僅かしか知られていな. (5). (4). 本稿は福師大所蔵の契約文書について整理・分類状況を報告し、明. (6). (7). 代関係の契約文書に取って具体例を紹介し、若干の意見を付した。少 い史料からの類推もあり誤りも多いことと思う。御教示預ければ幸い である。. 貴重な史料の閲覧に際して最大限の便宜をはかって下さり'且つ懇 (8). 押. 蛋. ○. 切丁寧に御教示頂いた唐文基・周玉英先生に心から感謝申し上げる。. 福建師範大学所蔵の明代契約文書. 卑見. \3I屯F].
(16) 福建師範大学所蔵の明代契約文書. いるように思われる。 「楊国積数授を囲んで. 土地文書に関する討論会. 」名古屋大. ㈲史料⑬によると、田皮主が所有する納税責任を持たない田をさして. ば脱禾田とは稲の収穫後の田をさす。. 期によって売育苗・亮禾穂等の区別があるといわれる。この例に従え. 脱禾田についてははっきりしないが、糾広東地方では稲の成長の時. 鶴見. 1九四三年.. 1五八・1六1号、一九五. 九八七.岸本美緒「明津契約文書」滋賀秀三編甲甲国法制史基本資料 の研究』東大出版会、1九九二年o 楊国禎「晴代関北土地文書遷編」3(『甲国社会経済史研究』. は万暦年間のものであるといわれる0. 年)によれば、この地方で蒐集された明代原文書のうち最も古いもの. 1九八二. 博衣凌・楊国楯主編『明清福建社会与郷村鍵済』虞門大学出版社、1. 『史学雑誌』六二-六、一九五三年。. 二・一九五三年。山根幸夫「福建省永安県の土地関係文書について」. 福建郷土史の研究」川・価『歴史学研究』. 『福建佃農経済史叢考』福建協和大学、1九四四.田中正俊「戦時中の. 大雅堂 0)に同じ。. 民国司法行政部篇『支那民事慣習調査報告』(上)清水金二郎・張源祥. 学『東洋史研究報告』一九八六年。. -. (9). (1). (1). 共訳 (1. (10) (1 1) (12). 3). (1. フL<.
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