特集論文
観光をめぐる「社会空間」としてのデジタル・メディア
―メディア研究の移動論的転回
Digital Media as "Social Space" of Tourism:
Mobility Turn of Media Studies
遠藤 英樹
Hideki ENDO
立命館大学 文学部 教授
Professor, Faculty of Letters, Ritsumeikan University
キーワード:デジタル・メディア、モビリティ、社会空間、プラットフォーム、モノ Keywords : digital media, mobility, social space, platform, materiality
I. はじめに II. 現代の「社会空間」に影響をあたえるモビリティ 1. 現代の「社会空間」 2. モビリティの時代 3. モビリティの風景の乖離と融合 III. 「モビリティの時代」における「社会空間」としてのメ ディア 1. 「社会空間」としてのデジタル・メディア 2. 「プラットフォーム」への着目 IV. ツーリズム・モビリティを「現実」化する「プラットフォーム」 1. 観光現象に対する「プラットフォーム」の意義 2. 「承認」をめぐるInstagramにおける「社会空間」 V. モノが旅をするとき VI. むすびにかえて―宙吊りにする問い 要約: 私たちが他者と生をいとなむ「社会空間」はすべて、必ず何らかの時代状況との関わりにおいて形成されている。とくに現 代にあっては、人、モノ、資本、情報、イメージ、観念等がグローバルに国境を越えて移動する状況のもとで「社会空間」が 存在していることにより注意を向けるべきだろう。現代の「社会空間」はグローバルなモビリティの状況によって大きな影響 を受けながら形成されているのである。社会のモビリティを現出させていくうえで、「デジタル革命」を経たメディアが果たし ている役割は大きい。「デジタル革命」を経たメディアは「モビリティの時代」の中で形成され、社会のモバイル化をうながし ているのである。同時にそれは、「モビリティの時代」において、「社会空間」のひとつとして、多様な振舞い(パフォーマンス) がなされる舞台(settings)となっている。社会がモバイル化することによって、デジタル・メディアにおける「プラットフォー ム」を「社会空間」として表現される振舞い(パフォーマンス)や情報・イメージ・観念はこれまでと異なる位相のものへ生 成変化を遂げていく。同時に、そのことによって「プラットフォーム」は「社会空間」として、モビリティの諸現象を新たな ものへと誘い出しうながしもするのである。このことは特に観光現象において、明瞭に見てとることができるだろう。本稿で は観光の「インスタ映え」を議論の俎上にあげつつ、観光をめぐる「社会空間」もまた、デジタル・メディアと密接に結びつき、 そのことで観光のあり方を変容させるようになっていることを、ぬいぐるみの旅などの事例を通じて検討する。 Abstract:
All "social spaces" where we live with others depend on social backgrounds. Especially in the present age, "social spaces" are strongly affected by social backgrounds in which human beings, material, capital, information, images and ideas is moving and travelling globally beyond borders. These social mobilities have been formed by deep relationships with digital media following "digital revolution". Social mobilities are transforming the ways of platforms in digital media as "social space" where we express our performances, images and ideas, while platforms in digital media are transforming the ways of social mobilities. We can see this reflexive relationship very clearly in tourism. In this paper, with reference to specific cases including travels of stuffed animals, I will discuss how tourism has become closely connected to digital media and is being transformed.
I. はじめに 私たちは他者と関わりつつ、様ざまなことを考え、様 ざまな振舞い(パフォーマンス)を行いながら、多様な 意味づけ=状況の定義のもと「社会空間」を生きている。 その際、現代の「社会空間」は、デジタル・メディアと 密接に結びつくようになっており、そのことで、社会の あり方を変容させつつある。本稿では、これについて、 観光を事例に考察していく。 そこで、以下ではまず、現代の「社会空間」がモビリ ティの状況に大きく影響されていることを指摘する。次 に複層的で異質なモビリティのフローがたえずつくりだ されることで、「不均質に(heterogeneously)ねじれた 社会空間」が多様に形成されていることを述べる。その うえで「デジタル革命」を経たメディアが「モビリティ の時代」の中で形成され、社会のモバイル化をうながし ていると同時に、デジタル・メディアにおける「プラッ トフォーム」の要素が「モビリティの時代」にあって、「社 会空間」のひとつとして多様な振舞い(パフォーマンス) がなされる舞台(settings)となっていることを主張する。 これらをふまえて、観光の「インスタ映え」を議論の 俎上にあげつつ考察を深めていき、観光をめぐる「社会 空間」もまた、デジタル・メディアと密接に結びつき、 そのことで観光のあり方を変容させるようになっている ことを、ぬいぐるみの旅を事例に検討する。そして結論 として、観光というモビリティのもとで、これまでには あり得なかったものが生まれ始めていることを問題提起 として述べる。 Ⅱ. 現代の「社会空間」に影響をあたえるモビリティ 1. 現代の「社会空間」 私たちがみずからの生をいとなむ空間は、つねに社 会的なものでもある。これについて、社会学者のアー ヴィング・ゴフマンは「表局域(front region)」「裏局域 (back region)」という概念を用いて論じている(Goffman, 1959/1974 石黒訳)1)。 「表局域」とは人びとが不特定の他者に見られること を前提にして、その場にふさわしい役割を演じ振舞う「表 舞台」のことを意味する。それに対して、「裏局域」とは、 人びとが役割演技から解放され、くつろぐ「舞台裏」の ことを言う。たとえばレストランのウェイターにとって ダイニングルームは「表局域」であり、厨房は「裏局域」 となる。 厨房でリラックスしていたウェイターも、客がいるダ イニングルームへと一歩ふみだすと、仕事にのぞむ緊張 した面持ちになる。それはウェイターが「裏局域」から 「表局域」へと、空間を移行しているからである。この ように考えるならば、「表局域(front region)」「裏局域 (back region)」は物理的なものであるというよりも、社 会的に意味を付与されてはじめて成立するものであると 言えよう。 そのため物理的には同じ厨房であっても、そこに客が 迷い込んだとたん、意味づけ=状況の定義が変化し「裏 局域」ではなくなる。客が迷い込むことで意味づけ=状 況の定義が変わり、厨房という物理的には同じ空間も「裏 局域」から、ウェイターとして接客すべき「表局域」に なる。 大学における教室も同様である。教室は、教員にとっ ても学生にとっても「表局域」と言える。そこでは、教 員は教員にふさわしい役割演技を行ない、学生は学生に ふさわしい役割演技を行なう。もしそうではなく、学生 が何の脈絡もなくギターを片手にライブ演奏をはじめて しまうならば、講義そのものが成立しなくなるだろう。 しかしながら授業もなく、教室に誰もいない場合には、 音楽好きの学生ならギターをつまびいているときもある かもしれない。そういうときには、同じ教室であっても、 そこは学生にとって「表局域」ではなく、まるで自室に いてギターを練習しているかのような「裏局域」となる。 「表局域」「裏局域」以外にも、私たちは多様な意味づ け=状況の定義を行いながら、「社会空間」を生きている。 ゴフマンの言うように「社会空間」は、私たちが他者と 生をいとなみ、様ざまな振舞い(パフォーマンス)によっ て演技を行なっている舞台(settings)なのである。た だしゴフマンはミクロな対面的相互作用のもとで見いだ される「社会空間」を問題としており、ある時代状況の 中で形成されるような「社会空間」について議論するこ とはほとんどなかった。そのため、「社会空間」が、時 代状況と関わりないかたちで論じられる傾向があった。 ゴフマンにあっては、どのような時代状況であっても、 ミクロな対面的相互作用のもとで見いだされる「社会空 間」がまるで同じものであり続けるかのように、議論が 展開されていたのである。 だが「社会空間」はすべて、必ず何らかの時代状況と の関わりにおいて形成されているはずである。とくに 現代にあっては、人、モノ、資本、情報、イメージ、観 念等がグローバルに国境を越えて移動する状況のもとで
「社会空間」が存在していることにより注意を向けるべ きだろう。現代の「社会空間」はグローバルなモビリティ の状況と無関係では決してないのだ。それは、モビリティ の状況によって大きな影響を受けながら形成されている のである。 2. モビリティの時代 ピーター・エイディーによれば、「世界が移動にさら されているということを私たちはもはや無視することは できない」(Adey, 2017, p. 1)。彼は次のように言う。「こ れまでないほど、世界はいま移動にさらされている。移 動は遍在していると言っても良いのかもしれない。すな わち、私たちはほとんどいつでも移動を経験しているの である。ナイジェル・スリフト(2006)によると空間 でさえ、こうしたモビリティに特徴づけられている。『あ らゆる空間はつねに移動のもとにある』と彼は書いてい る。もちろんアンソニー・ギデンズ(2000, p. 1)が語っ ているように、モビリティそのものはとくに『新しい』 ことではない。しかし、確実に『新しい』ことが世界で 生起しつつあるのだ」(Adey, 2017, p. 1)。 ジョン・アーリは、こうしたモビリティの特徴を「モ ビリティ・パラダイム」として以下のように整理してい る(Urry, 2007/2015 吉原・伊藤訳, pp. 74-86)。 (1)あらゆる社会関係は、多かれ少なかれ「離れて」い て、スピードが早く、緊密で、多かれ少なかれ身体的な移 動に結びついた多様な「つながり」を有している。歴史的 に、社会科学は地理的に近接したコミュニティにあまりに 焦点を当てすぎてきた。それは、同じ場所に存在している 多少なりともフェイス・トゥ・フェイスな社会的相互作用 に基礎づけられたものである。しかし今や、人びとや社会 集団の多くの結びつきは、地理的に近接していることに基 礎づけられているばかりではない。 (2)こうしたプロセスは、人、モノ、資本、イメージ、 情報などの相互に関連するモビリティから成り立ってい る。たとえば、それは以下のようなものである。 ・観光、仕事、移民、避難のための人びとの身体的な旅。 ・プレゼントや土産を贈ったり受け取ったりするだけでは なく、生産者、消費者、小売業者への「モノ」の物理的な 移動。 ・様ざまな活字メディアや映像メディアのもとで現れ移動 する、場所や人間のイメージを通じて生じる「想像的な」旅。 ・伝言、書物、手紙、電報、ファックス、携帯電話等によっ て交わされるメッセージを通じた、コミュニケーションの 旅。 (3)モビリティは誰にとっても同じで均一的なのでなく、 年齢・ジェンダー・人種・階層等と結びついており、不均 一なものである。 (4)あらゆる社会関係は地理的に「離れて」存在するよ うになったからと言って、フェイス・トゥ・フェイスな関 係がなくなるのではない。時に、特定の期間だけ、フェイ ス・トゥ・フェイスのつながりがなされることがある。 (5)現代のモビリティには、人、モノ、資本、イメージ、 情報等の複雑な組み合わせ(アサンブラージュ)がみられ る。 (6)現在の統治のあり方は、一カ所の領域にのみ関係し ているのではなく、「領域」を越えて横断するモバイルな 人びとに関係するものである。 (7)社会科学は、「自然」や「モノ」の世界から切り離さ れ独立した社会領域として社会生活を扱ってきたが、こう した視点がここでは挑戦にさらされることになる。 (8)こうした関係を分析する際に決定的なのは、「アフォー ダンス」という概念である。たとえば自動車と飛行機とい うテクノロジーは、異なるモビリティの経験を人びとに提 供(アフォード)するが、そうした環境と人間の関わり合 いが重要となる。 (9)モビリティは二酸化炭素を排出するエネルギーを用 いるため、炭素基盤社会を問題とせざるを得なくなる。 (10)モビリティのシステムは、多様な空間の範囲やスピー ドで人、モノ、情報を流通させるプロセスをめぐって組織 されている。 (11)これら多様なモビリティのシステムやルートは時間 をかけて残っていくものである。 (12)モビリティのシステムは、コンピュータ制御された 自動車も含めて、次第に専門的な知識がなければ手が出せ ないものになっている。 (13)「非モバイル」な物質的世界の相互依存的なシステ ムや、とくにすぐれて非モバイルなプラットフォーム(道 路、ガレージ、駅、空港、港)は、モビリティの経験を形 成するうえで不可欠である。 以上のようなグローバルなモビリティは現代におけ る私たちの生を変容させ、それらがいとなまれる舞台 (settings)となる「社会空間」に対しても大きな影響を あたえるだろう。アンソニー・エリオットとジョン・アー リはその著『モバイル・ライブズ―「移動」が社会を 変える』において、そのことを以下のように表現してい る。「人びとが今日みずからの生を営むあり方は、グロー
バルなモビリティ・プロセスのより広い変動に影響され、 それを映し出しているのである。さらに言えば、世界を さらに移動するようになること―炭素をエネルギー源 とする、人、品物、サービス、観念、情報の移動が加速 していくこと―は、生が営まれ経験され理解されるあ り方に影響をあたえるのだ。・・・(中略)・・・われわれが思 うに、モビリティーズに関する新たなグローバルな語り において、生は再形成され変容しつつある」(Elliott & Urry, 2010/2016 遠藤監訳, p. ⅱ)。 3. モビリティの風景の乖離と融合 ではモビリティは、いま、どのようなかたちで現れる ようになっているのだろうか。以下では、アルジュン・ アパデュライ『さまよえる近代―グローバル化の文化 研究』の議論に変更をくわえつつ、モビリティが現れる 際の風景として、「エスノスケープ」「マテリアルスケー プ」「ファイナンススケープ」「ガバナンススケープ」「イ マジナリースケープ」という5つの次元を示しておきた い(Appadurai, 1996/2004 門田訳)2)。 まず「エスノスケープ」とは、外国人労働者、観光客、 移民、難民など、人の移動から見えてくるグローバル社 会の現れ方である。次に「マテリアルスケープ」とは、 商品、工業原材料、生産機械、貨物など物質的なものが 多様な境界を越えて移動している事態を指している。 また「ファイナンススケープ」とは、グローバル資本 が国境を越えて移動し続けている事態を指す。さらに「ガ バナンススケープ」とは、地域や国家などの制度的な権 力・主権が国境を越えモバイルなものとなることで揺ら いでいく事態を指している。最後に「イマジナリースケー プ」とは、情報、イメージ、観念、思考の移動によって 見えてくるグローバル社会の現れ方を意味している。 これら5つのモビリティの風景(スケープ)はときに 相互に乖離し、ときに相互に融合し合いながら、複層的 なモビリティのフローをつくりだしていく。その例とし て、2015年以降に多くの難民がヨーロッパ諸国に押し 寄せた「欧州難民危機」を思い浮かべてみよう(墓田, 2016)。シリア、イラクをはじめとする中東諸国、リビア、 スーダン、ソマリアをはじめとするアフリカ諸国、アフ ガニスタン、パキスタンなどをはじめとする南アジア諸 国、コソボ、アルバニアをはじめとするバルカン半島西 部の国々で起きた内戦、戦争、宗派対立、テロ、紛争の ために、120万人を超える人びとが難民となった。この ような事態を前にして、国家の主権や制度が脅かされる のではないかと感じた人びとによって、移民や難民の移 動を規制・排除するべきだとするイデオロギー(考え方) が、国を越えてネガティブなかたちで現れるようになっ ている。まさに反グローバリズム的なイデオロギーが、 アイロニカルなことに、グローバルな形態で流通するよ うになっているのである。すなわち、ここには「エスノ スケープ」と乖離しつつも、「ガバナンススケープ」と「イ マジナリースケープ」が相互に融合するかたちで、モビ リティが現れるようになっていると言える。 またEUからの離脱をかけて2016年に行われたイギリ スの国民投票のことを思い浮かべてもよいかもしれない (村上, 2016)。国民投票にさきだち、当初イギリスは現 実的な判断を行ない、急激な変化を避けるため残留派が 勝利するだろうと予想されていた。しかしながら、最終 的に勝利したのは離脱派で、その結果イギリスはEUから の離脱の手続きを進めていくことになった。 離脱派をささえた人びとは、イギリスの「伝統的価 値観」を温存したいとする高齢の人びとや、低所得者 層・スキルの低い労働者階級に比較的多かった。彼らは グローバル資本による恩恵に浴することができず、増加 し続ける移民の流入やEUへの巨額の拠出金のため自分 たちの権利が脅かされているのではないかという懸念・ 考えを抱いていた。そうした人びとの間で、「エスノス ケープ」「ファイナンススケープ」「マテリアルスケー プ」が融合することで形成されていたEU圏のフローに対 し、「ガバナンススケープ」と「イマジナリースケープ」 がはっきりと乖離してしまっていることを明示したこと で、Brexitは決定されたのである。 もちろん、同じイギリスでも残留派においては、事情 は異なっている。そこでは、「エスノスケープ」「ファイ ナンススケープ」「マテリアルスケープ」「ガバナンスス ケープ」「イマジナリースケープ」が相互に乖離してお らず、すべて融合し合っている。このように、たとえ同 じイギリス国内においてであっても、モビリティの5つ の風景は様ざまなかたちで乖離と融合を繰り返し、複層 的な異質なモビリティのフローをたえずつくりだしてい るのである。そうして、「不均質に(heterogeneously) ねじれた社会空間」が多様に形成されているのだ3)。
Ⅲ. 「モビリティの時代」における「社会空間」としての メディア 1.「社会空間」としてのデジタル・メディア 社会のモビリティを現出させていくうえで、「デジタ ル革命」を経たメディアが果たしている役割は大きいと 言える。「デジタル革命」とは、メディアの仕組みがデ ジタル・テクノロジーを用いた仕組みに移行することを 意味するにとどまらず、メディアがデジタル・テクノロ ジーを用いることによって、そのテクノロジーを支えて いた社会システムを大きく変えてしまうことをも意味し ている(石田, 2016)。まさに「デジタル革命」を経た メディアと、社会システムは再帰的な関係にある。 たとえば音楽を例にあげるならば、現代の音楽聴取の しかたはスマートフォンから音楽配信アプリにアクセス し、ストリーミング配信されたデジタル音源を聴取する という方法が一般的になっている。こうしたテクノロ ジーが音楽市場を変え、人びとのライフスタイルにもイ ンパクトをあたえ、ウォーキングやランニングをしたり、 飛行機、電車、自動車に乗って移動したりしながら、< モバイルに聴取するもの>へと音楽のあり方そのものを 変えてしまっているのである。 映像においても同様である。かつてアナログ・テレビ によって放映されビデオテープに録画されていたもの が、デジタル・テレビによって放映されDVDやBlu-rayに 録画されるようになった。そして現在では、ウェブを通 じてスマートフォンなどでモバイルに動画を視聴できる ようになっている。これによって映像ビジネスも影響を 受け、そうしたビジネスを通して私たちのライフスタイ ルそのものも大きく変容するようになっている。モバイ ル決済などに代表されるようなフィンテックもまた、金 融市場を変えると同時に、それによって人びとのライフ スタイルをよりモバイルなものへと促し誘導している。 「デジタル革命」を経たメディアは「モビリティの時代」 の中で形成され、社会のモバイル化をうながしているの である。同時にそれは、「モビリティの時代」において、「社 会空間」のひとつとして、多様な振舞い(パフォーマン ス)がなされる舞台(settings)となっている。その具 体例として、アメリカ合衆国でトランプ政権における移 民政策をめぐり人びとの意見がわかれ揺れ動いているこ とを考えてみてもよい。 アメリカ合衆国は、中南米諸国をはじめとする国々か ら多くの移民がおしよせるようになったため、それを制 限する政策をうちたてている。トランプ大統領の支持者 たちは、移民が自分たちの働く場所を奪い、権利を侵害 しているという考えのもと、大統領の移民政策を支持し ている。彼らにあっては、「エスノスケープ」が、「ガバ ナンススケープ」や「イマジナリースケープ」と乖離し てしまっているのである。それに対し、移民を制限する 政策に強く反対する人も存在している。そこでは、人、 モノ、資本、情報、イメージ、観念等がグローバルに移 動することこそがアメリカ合衆国では重要であると考え らえている。 その際、トランプ大統領の移民政策を支持する者も、 それに異を唱える者も、SNSをはじめとするデジタル・ メディアを舞台(settings)として自分たちの考え、信条、 振舞い(パフォーマンス)を表現するようになっている のである。SNSは、移民政策をめぐって異質な意味づけ =状況の定義を多様に孕む「不均質に(heterogeneously) ねじれた社会空間」となっている。 いまやSNSはマスメディアとはくらべものにならない ほど、人びとのパフォーマンスにとって「切実な」舞台 (settings)なのだ。だからこそトランプ大統領は、既存 のマスメディアを「フェイクニュース」をつくりだす (城(2016)をもとに筆者改変) 表1 メディアの「デジタル革命」におけるいくつかの具体例 アナログ デジタル化 デジタル革命 文書作成 紙、鉛筆 ワープロ、パソコン クラウド・コンピュー ティング 音楽 レコード、テープ CD、DVD、レーザーディ スク 音楽配信 映像 フィルム、ビデオテープ、アナログ・テレビ DVD、BD、デジタル・テレビ 映像配信 金融 店頭取引 電子取引 フィンテック
勢力であると攻撃し、twitter上で政治的な振舞い(パ フォーマンス)を行なおうとし続けているのではない か。これまで「社会空間」といえば、厨房とダイニング ルーム、教室と自宅といったように物理的な空間とつね に結びつくかたちで考えられることが多かった。しかし ジョシュア・メイロウィッツ『場所感の喪失―電子メ ディアが社会的行動に及ぼす影響』の議論にあるように、 現代社会において、物理的な場所性から遊離したSNSな どのデジタル・メディアは「社会空間」として大きな 役割を帯びるようになっているのである(Meyrowitz, 1985/2003 安川・高山・上谷訳)。「虚構」の世界をつ くるデジタル・メディアがあってはじめて、私たちの「現 実」の社会的世界は成り立っているのであり、その点で 「現実」と「虚構」はそもそも対立概念ではあり得ない のである。 2. 「プラットフォーム」への着目 上記のことを考える際、デジタル・メディアが有する 「プラットフォーム」の要素に着目することが重要とな るだろう4)。 メディアは、①コンテンツ、②デバイス、③インフラ ストラクチャー、④プラットフォームの4つの要素で成 立している(田中・石崎・竹内・澁谷・石田, 2014, p. 17)。まず「コンテンツ」とは、メディアによって受発 信される情報の内容を言う。次に「デバイス」とは、テ レビ受信機、携帯電話、スマートフォンといったメディ アのマテリアルな装置のことを意味する。そして「イン フラストラクチャー」とは、新聞や雑誌などを輸送す る交通機関、光ケーブル、電波、衛星回線、Wi-Fiをは じめとする、情報を流通させる装置のことを言う。最 後に「プラットフォーム」とは、メディアのコンテン ツ、サービス、商品が集積され、やりとりされるための 枠組や土台となる環境を指す(Lessig, 2006/2007 山形 訳)。Googleなどのウェブサービスも、Facebook、twit-ter、InstagramなどのSNSも、Amazonや楽天などのネッ トショッピングサイトも、料理のレシピや動画を集めた クックパッドもウェブ上のプラットフォームに位置づけ られる。 私たちはメディアについて研究しようとするとき、つ い、そこで表現されているコンテンツに目を向けてしま いがちである。そのコンテンツの背後にあるメディアそ のものには、あまり目を向けようとはしない。スマート フォンでやりとりされるメールのことを考える場合にも メールのコンテンツは意識するが、そのコンテンツを発 信する土台そのもの、メディアそのものを意識すること はあまりない。 しかしながら、たとえおなじコンテンツであっても、 メディアそのものは情景、風景、雰囲気といった、コン テンツ以上の何かをメッセージとして伝えているのでは ないか。待ち合わせの情景もそうである。待ち合わせも、 携帯電話が登場することによって、「いまどこ?」とお 互いに携帯電話でやりとりしながら居場所を確認し合う かたちへ一変し、私たちもそれをとりたてて意識するこ となく当たり前だと思うようになった。メディアは人間 の無意識レベルにまで深く入り込み、コンテンツ以上の 何かをメッセージにして、私たちにもたらす。 このように主張したのが、カナダ出身のメディア研究 者マーシャル・マクルーハンである。恋愛の情景として は同じであっても、公衆電話でやりとりされる情景と、 スマートフォンのLINEなどでやりとりされる情景では まったく違うものにみえる。そのことをとらえて、マク ルーハンは「メディアはメッセージである」と主張する (McLuhan, 1964/1967 後藤・高儀訳)。コンテンツ以上 にメディアそのものの特性に着目しようとする、彼の議 論は非常に示唆に富むものであろう。 だが、その場合、彼はメディアの「デバイス」や「イ ンフラストラクチャー」などの側面に目を奪われ過ぎ ているように思える。私たちの思考や振舞いに大きな影 響をあたえると同時に、それらを表現している、デジ タル・メディアのあり方を考えるうえで、AI(Arti�icial Intelligence:人工知能)テクノロジーを利用したGoogle のウェブサービスや、Facebook、twitter、Instagramなど のSNSといった「プラットフォーム」が、「デバイス」や 「インフラストラクチャー」以上に重要となりつつあるの 図1 メディアの諸要素 (筆者作成)
ではないか。それは物理的な実体を伴っているわけでは ないが、そこを舞台(settings)として無数の人びとがつ どい相互作用を行なっている(濱野, 2015, p. 20)5)。デ ジタル・メディアの「プラットフォーム」に着目するこ とが、「モビリティの時代」における現在の「社会空間」 を考えるうえで必要不可欠なのである。 Ⅳ. ツーリズム・モビリティを「現実」化する「プラッ トフォーム」 1. 観光現象に対する「プラットフォーム」の意義 そのことは、観光を事例に考えることでより明瞭にな るだろう。 人、モノ、資本、情報、観念、技術等のモビリティは、 いまや観光や旅を抜きに考えることができなくなっている。 世界の観光状況をみると、世界中で海外を旅行する人 びとの数は2011(平成23)年にはじめて10億人を突破 し、その後も伸び続けている(図2)。国土交通省『平成 30年版・観光白書』で記されている直近の10年間の国 際観光客数の推移をみると、2008年(平成20)年で9 億3千万人であった国際観光客数は、2017年(平成29) 年には13億2千万人となっている(国土交通省, 2018)。 国連の「世界人口白書」によれば世界人口は約70数億人 と推計されているから、それにもとづくならば、世界人 口の約6分の1の人びとが延べで海外を旅している計算 になる。日本でも海外旅行者数は、2017(平成29)年に は1789万人と毎年1500万人以上の日本人が海外に渡航 している。訪日外国人観光客の数も右肩上がりに伸び、 2017年(平成29)年では2869万人と毎年数字を更新し ている(国土交通省, 2018)。 観光は、こうした人の移動ばかりではなく、土産物や スーツケースをはじめとするモノの移動も含んでいる。 また、人びとは観光情報誌やウェブ、スマートフォン等 といったメディアを用いて、情報やデータを検索し、観 光地に関する多くのイメージを持って観光へ出かける。 それゆえ、情報、データ、イメージの移動も生じている。 さらに観光地において様ざまなモノや事柄を見聞きした り経験したりすることによって、記憶を形成し、思い出 へと変えていく(記憶、あるいは思い出の移動)。他に 観光は、旅行代理店、航空産業等の交通業者、ホテル等 の宿泊業者をはじめとする諸産業と結びついて成立して いるがゆえに、当然のことながら資本の移動を伴う。 モビリティを考察するうえで、観光は不可欠なのであ る。これについて、ミミ・シェラーとジョン・アーリは 「ツーリズム・モビリティ」という概念を提示している。 彼らは次のように言う。 われわれが「ツーリズム・モビリティ」について言及する のは、明白なこと(観光がモビリティの一形態であること) を単に述べるためだけではない。そうではなく、様ざまな モビリティが観光を形づくり、観光がパフォームされる場 所を形成し、観光地をつくったり破壊したりするといった ことに焦点を当てるためなのである。人やモノ、飛行機や スーツケース、植物や動物、イメージやブランド、データ 図2 2008年度から2017年度までの国際観光客数の推移 (国土交通省『平成30年版・観光白書』 p. 4をもとに筆者作成)
システムやサテライト、これらの移動すべてが観光という 行為へと結びつく。
(Sheller & Urry, 2004, p. 1)
ところで、観光客が観光地を訪れようとする際に、重 要となるのがメディアの役割であろう。彼らは旅の情報 や観光地のイメージをもって観光に出かける。そうした 情報やイメージによって、どのような観光地が選択され るのか、どのような観光行動が行われるのかが変わって くることも少なくない。訪日外国人観光客の場合も同様 である。彼らが接するメディアが提示する情報やイメー ジは、日本のどういう場所を訪れるのか、そこでどのよ うな観光行動をするのか、そして土産に何を買うのかを 大きく左右するのである。 国土交通省『訪日外国人の消費動向平成29年年次報告 書』によると、日本を訪れた外国人観光客が「出発前に 得た旅行情報源で役に立ったもの」のうち、回答数が最 も多かったのが、「個人のブログ」(31.2%)であった。 ついで「SNS」が21.4%であり、それに対して「ガイド ブック」14.6%、テレビ番組9.4%である(国土交通省, 2017)。これをみるとガイドブックやテレビの役割が観 光において弱まりつつあることがわかるだろう。かつて は、こうしたメディアが果たす役割は大きいものであっ た。観光客が『地球の歩き方』や『るるぶ』などガイドブッ クというモノを手にして旅行する光景が、よくみられた ものである。あるいはテレビというモノから発信されて くる番組が、観光情報やイメージを与えてくれていた。 だがいまや、観光において大きな役割を果たしつつあ るのは、ブログ、SNS、動画共有サイトなどのデジタル・ メディアにおける「プラットフォーム」なのである。そ のとき「デバイス」や「インフラストラクチャー」と しては、スマートフォンであろうとWi-Fiであろうと何 でもかまわない。そこが重要なのではなく、「プラット フォーム」こそが重要なのである。デジタル・メディア の「プラットフォーム」を舞台(settings)=「社会空間」 として、みずからのイメージ、考え、振舞い(パフォー マンス)を表現することが、観光において不可欠なもの となっているのである。 2. 「承認」をめぐるInstagramにおける「社会空間」 すなわち、デジタル・メディアにおける「プラット フォーム」が、観光というモビリティを一層、身近で「現 実」的なものにしているのである。近年、話題となるこ とがあった「インスタ映え」も、その一例であろう。観 光客はスマートフォン等を用いてInstagramへ写真を投 稿することによって、観光の状況についてパフォーマ ティブな装飾をほどこし、非日常性を演出しようとする。 Instagramは写真・動画共有SNS投稿アプリの名称であ るが、人びとは、こうしたアプリに写真を投稿し、様ざ まな国の友人たちから「いいね」を獲得しようとする。 写真や動画は投稿されることで世界中に拡散され、「い いね」という友人からの評価は世界中から得られること になる。Instagramがそうした舞台(settings)=「社会 空間」になることで、「承認」の内実は大きく変えられ ていく(遠藤, 2018)。 これまで「承認」として考えられていたものは、ど のようなものであったか。これについて、フランクフ ルト学派第3世代を代表する社会哲学者の一人であるア クセル・ホネットは「愛の承認」「法の承認」「連帯の 承認」の3つに区分して議論を展開している(Honneth, 2003/2014 山本・直江訳; 藤野, 2016)。 第一に「愛の承認」とは、具体的には親子や兄弟など 家族、恋人や夫婦、友だち同士によってなされる承認の 形式である。私たちは誰もが「かけがえのない存在」と して、家族、恋人、夫婦、友だちをはじめとする「親密 な他者」から承認されることを必要としている。そうし てはじめて、私たちはこの社会を生きることができるよ うになるのである。 第二に「法の承認」とは、法や権利のもとで一人ひと り自由と平等を享受できる存在として扱うことを中心と した承認の形式である。どのような国に生まれようと、 どのような宗教を信じていようと、どのような性であろ うと、経済的にどのような状況で生まれてこようと、私 たちは不当な差別を受けず、法や権利によって承認され ることが大切である。「愛の承認」のもとでは、一人ひ とりが「特別な存在」=「かけがえのない存在」として 扱われるのに対して、「法の承認」のもとでは、誰もが「同 じ存在」=「平等な存在」として扱われることになる。 第三に「連帯の承認」とはどのようなものか。これは、 人びとが、共通する価値観や目標をもつ共同体のもとで、 その共同体からどの程度評価されるのかを中心とした承 認の形式である。会社のなかで一生懸命に働き、業績 もあげているという自負がある場合、人は自分のことを 正当に評価してもらいたいと望み、経済的な報酬や仲間 からの称賛を得たいと思うだろう。「連帯の承認」とは、 こうしたものを意味する。 以上の「愛の承認」「法の承認」「連帯の承認」といっ た「承認」を得ようと、私たちは現代社会において人と
関わり、あがき、闘争し続けているのだと、ホネットは 主張する。たとえば現代社会で後を絶たない「子ども虐 待」も、「承認をめぐる闘争」として考えることができる。 親から虐待をうける子どもたちは、誰よりも親密である はずの相手から「愛の承認」を得られなくなっている。 しかしそれだけではなく、そこには貧困問題なども絡み 合っている場合もあり、その意味では「法の承認」が「子 ども虐待」を生みだす原因ともなっている。また虐待の 問題を抱える家族は地域社会の共同体から排除されてい ることも少なくなく、その点では「連帯の承認」も大き く関連している。それゆえ私たちが「子ども虐待」に向 き合うということは、「愛の承認」「法の承認」「連帯の 承認」をめぐって様ざまな戦いを行っていくことを意味 しているのだ。 ジェンダーやセクシュアリティをめぐる差別、学校に おけるいじめなども同様である。もしそうだとすれば、 ホネットが主張するように、「承認をめぐる闘争」は社 会を読み解くうえで鍵となるものであると言えよう。だ がホネットの議論にあっては、社会の変容とともに、「承 認」のあり方そのものが変わってしまうということにつ いては考えられていないように思われる。社会の変容の なかで、これまで省みられることのなかった「インスタ 映え」といった振舞い(パフォーマンス)が、「承認」 として新たに認識されるようになるのである。 では、Instagramへの写真投稿などで「承認」されて いるものは何か。一体、人びとは、そこにおいて何を 「承認」されようとしているのか。それは、「非日常性 のパフォーマティブな装飾(performative decoration of extra-ordinary life)」の成否ではないか。自分たちがパ フォーマンティブな装飾をほどこし、非日常性を演出す ることができていることを「承認」してもらおうと、人 びとは写真を投稿するのである。 だからこそ人びとは、投稿したときに少しでも非日常 性を感じられるような場所へと移動し写真を撮影する。 たとえばロンドンのキングス・クロス駅の事例を見てみ よう。この駅は、映画『ハリー・ポッター』シリーズで 主人公ハリー・ポッターがホグワーツ魔法魔術学校に向 かう列車に乗車する駅として用いられた場所である。映 画の中でハリー・ポッターは、実在しないプラットフォー ムである9と4分の3番線から列車に乗るのだが、『ハ リー・ポッター』ファンの観光客たちがこの駅を見に来 ようと世界中から訪れるようになった。そこで、この 駅には実在しないはずの9と4分の3番線が実際につくら れ、隣に『ハリー・ポッター』グッズを売るショップが 建てられるにいたっている。いまこの場所へ行くと、多 くの観光客たちがショップのスタッフから『ハリー・ポッ ター』ゆかりのマフラーをまいてもらい、ショップのス タッフと一緒にポーズを決めパフォーマンスを行い、写 真を撮っているが、そこで撮られた写真は様ざまなアプ リを用いてデジタル加工をほどこすことを前提とされ、 Instagramなどに投稿される。 このように考えるならば、「非日常性のパフォーマ ティブな装飾(performative decoration of extra-ordinary life)」こそが、Instagramへの写真投稿における「承認」 図4 キングス・クロス駅における 観光客たちのパフォーマンス (2017年08月16日 筆者撮影) 図3 キングス・クロス駅 (2017年08月16日 筆者撮影)
の内実となっているのだと言えよう。Instagramへの写 真投稿においては、「非日常性のパフォーマティブな装 飾(performative decoration of extra-ordinary life)」がデ ジタル・テクノロジーを前提として行われ(デジタル・ テクノロジーの加工技術こそが、観光客のパフォーマン スを誘い出しているのかもしれないのだ。写真をめぐる パフォーマンスとテクノロジーの相互作用については、 Larsen & Sandbye, 2014; 前川, 2016も参照してもらいた い)、テクノロジーとパフォーマンスの結節点において 情報の移動(写真投稿)や人の移動(非日常性を感じら れる場所への移動)といったモビリティが生まれ「承認」 と結びつくにいたっている。 ただし、その際には、「リアルな日常性」があって、 それとは別に「非日常性のパフォーマティブな装飾(per-formative decoration of extra-ordinary life)」が行われて いるのではない。そうではなく、「非日常性のパフォー マティブな装飾(performative decoration of extra-ordi-nary life)」こそが、もはや私たちにとって「リアルな日 常性」となっているのである。こうした「承認」を「空 虚な承認」としてではなく、私たちにとってある種「切 実な承認」としてとらえて、その位相を明らかにするこ とがもとめられるようになっているのだ。このことは何 度でも強調しておいても良いだろう。 これに対して社会学者の宮台真司は、Instagramへの 写真投稿において得られる「いいね」は結局のところ、「空 虚な承認」に過ぎないと否定的に語っている。彼は、「実 際より見栄えのいい、多少ウソが入った写真を投稿して でも、ネットで『いいね』を欲しがる『インスタ映え』 の現象は、社会からの承認が欲しいのに得られない、と いう不安の埋め合わせです」と朝日新聞の記事の中で述 べている(朝日新聞, 2017)。しかし、そのように否定 的に述べるだけでは、「非日常性のパフォーマティブな 装飾(performative decoration of extra-ordinary life)」こ そが、もはや私たちにとって「リアルな日常性」となっ ていることを認識できないままとなるのではないか。
Instagramへの写真投稿によって、「承認」が世界中 にパンデミックに拡散するようになっており、そうし た「承認」で目指されているのが「非日常性のパフォー マティブな装飾(performative decoration of extra-ordi-nary life)」の成否である。「モビリティの時代」におい ては、実は、それこそが「リアルな日常性」のもとで なされる社会的「承認」に他ならないのだ。「非日常性 のパフォーマティブな装飾(performative decoration of extra-ordinary life)」とは別に、「リアルな日常性」がど こかにあるわけではなく、それ自体がそのままで、私た ちにとって「リアルな日常性」なのである。したがって、 Instagramへの写真投稿によってなされる「承認」は決 して「空虚な承認」なのではない。それは、私たちが社 会を生きていくうえで「切実な承認」に他ならないので ある。 Ⅴ. モノが旅をするとき このように、社会がモバイル化することによって、 Instagramという「社会空間」で表現される振舞い(パ フォーマンス)や情報・イメージ・観念はこれまでと異 なる位相のものへ生成変化を遂げていく。同時に、その ことによってInstagramという「プラットフォーム」は「社 会空間」として、ツーリズム・モビリティの諸現象を新 たなものへと誘い出しうながしもするのである6)。 それがどのようなものなのかを浮彫りにするために、 以下では、「プラットフォームとしてのメディア」によっ て「現実」化される、モノのモビリティに注目してみる ことにしよう。この具体的な事例の一つに、東京ディズ ニーリゾートにおける「ぬい撮り」がある。 「ぬい撮り」とは、ぬいぐるみを主役に撮影し楽しむ ことを言う。東京ディズニーシーでは、「ダッフィー」 「シェリーメイ」「ジェラトーニ」「ステラ・ルー」といっ たキャラクターが人気を博しているが、観光客は自分が 所有するキャラクターのぬいぐるみとともに旅をし、そ れらをわざわざ持ち込み、ディズニーリゾートで「ぬい 図5 プラットフォームとモビリティの再帰的関係 (筆者作成)
撮り」することを楽しんでいる7)。そこでは、ぬいぐる みにパフォーマティブなポーズをつけさせ、デジタル機 器を用いて、その写真をSNSにアップすることが、主た る観光目的の一つとなっているのである。 そうした観光では、人のモビリティが前景化されてい るわけではない。そうではなく、デジタル・メディアを 通じInstagram、twitter、Facebookをはじめとする「プラッ トフォーム」に、撮影したモノのパフォーマンスの写真 をアップロードすることで、モノのモビリティが前景化 されるようになっているのである。こうした状況の中、 ディズニーリゾートでは、ポーズをつけやすく「ぬい撮 り」がしやすいぬいぐるみが販売されるようになってい たりする。 同様の事例として、ぬいぐるみ専門の旅行代理店の事 例を挙げることができる。現在、旅行代理店の中に、人 の旅行をコーディネートするのではなく、人が所有する ぬいぐるみの旅行をコーディネートする会社が現れてい る。そこでは、顧客が所有するぬいぐるみを預かり、ス タッフが一緒に旅先をまわり、宿泊や食事を行う。そし て、ぬいぐるみがまるで旅を楽しんでいるかのような写 真を、デジタル機器を用いてSNSにアップし顧客に見せ るというサービスを行っている。このようにデジタルな 「プラットフォームとしてのメディア」によって「現実」 化されるモノのモビリティが、現代の観光においては生 じている。 そうした回路を経てはじめて、「喜び」「楽しさ」といっ た、観光に不可欠である「情動」もまた、誘発されるに至っ ている。モノの旅がデジタル・デバイス上のInstagram、 twitter、Facebookなどの「プラットフォーム」を「社会 空間」として表現されることが観光の目的となり、それ を通じてはじめて、ぬいぐるみを所有する人の楽しさ、 喜びなど情動的な部分が満たされていくのである8)。 その際、観光の「主体」となるのは、人間ではなく、 ぬいぐるみというモノである。モノこそが、ツーリズム・ モビリティの「主体(subjects)」なのである。ブルーノ・ ラトゥールによれば、近代においてモノ(あるいは自然) は、人(あるいは社会)から切り離されて、人が働きか ける単なる対象=客体とされてきた(ラトゥールはこれ を「純化」と呼ぶ)。しかし実は、その背後で、人(社会) とモノ(自然)は深く絡まり合いながら、相互に、「主体」 として、すなわち「行為者(エージェント)」としてネッ トワークで結びつけられてきたのだと言う(ラトゥール はこれを「翻訳」と呼ぶ)(Latour, 1991/2008 川村訳)。 旅するぬいぐるみも、単に人が所有する対象=客体で あることを超えて、エージェンシー(行為者性)を帯び た主体となって、人びとの情動を生み出しているのでは ないか。人びとの情動は、人の主体的行為の産物として あるのではなく、人とモノが織り成すハイブリッド(混 淆的)な産物としてあるのだ。 これについては、ラトゥール自身が挙げている逸話も 分かりやすいだろう。それは次のようなものである。ホ テルのルームキーを持ちかえってしまう顧客があとを絶 たないことに業を煮やしたホテルの支配人がいた。鍵を わたすときに「フロントに返却してください」と、口頭 で注意したり、そのことを書いた札をつけたりしたもの の、うまくいかない。そこで支配人は、キーチェーンを つけることにした。キーチェーンをつけてポケットに入 れていると、顧客はポケットが気になってしまい、フロ ントに戻すようになったという逸話である。ここで見て とれることは、ルームキーを返すという行為を引き起こ 図6 ぬいぐるみの旅 (TABIZIN, 2014) 図7 ぬいぐるみの旅 (TABIZIN, 2014)
したのは、顧客たち自身ではなく、キーチェーンという モノなのである(Latour, 1993)。 とはいえ、「人びとの情動が人とモノのハイブリッド (混淆的)な産物である」というのはまだ正確な言いま わしではないのかもしれない。より正確に言えば、人間 は、その情動を誘発される「対象(objects)」に過ぎな くなっているのだ。観光の「主体」となるのは、人間で はなく、ぬいぐるみというモノなのである。もしそうな らば、ぬいぐるみの旅では、モノこそがツーリズム・モ ビリティの「主体(subjects)」なのだと言えよう。 デジタル・メディアの「プラットフォーム」のもとで、 ぬいぐるみの移動というマテリアルスケープが、人の移 動というエスノスケープを切り離し、これを無化しつつ、 同時に観光産業、メディア産業によるファイナンススケー プや、行政、地域社会によるガバナンススケープと相互 に融合し合い結びつきながら「社会空間」を形成し、モ ノを中心とする様々なモビリティの「ライン」(Ingold, 2007/2014 工藤訳)を現出させているのである。そし て、モノ、資本、権力間の布置連関のもとで、人びとの 情動のフロー(イマジナリースケープ)を創りだしている。 そこでは、「情動」をもつ「主体」として呼びかけられる ほど、人びとはより「客体」化していくのである(Althusser, 1995/2010 西川・伊吹・大中・今野・山家訳)9)。 Ⅵ. むすびにかえて―宙吊りにする問い 以上みてきたように、物理的な場所性から遊離した SNSなどのデジタル・メディアは、「モビリティの時代」 の中で、異質な意味づけ=状況の定義を多様に孕む「不 均質に(heterogeneously)ねじれた社会空間」として成 立している。そこにおいて表現される振舞い(パフォー マンス)や情報・イメージ・観念は、これまで社会には なかったような位相へと生成変化を遂げ、まさにそのこ とを通じモビリティの諸現象も新たなものへと誘い出さ れ、うながされる。このことは観光という移動、すなわ ちツーリズム・モビリティにおいて濃厚にみてとれる。 たとえば観光によってつくられる「情動」はいまや、 デジタル・メディアの「プラットフォーム」の中、人の モビリティを抜きに成立することができるのである。ぬ いぐるみの旅を撮影しInstagramにおいてやりとりをす るという事例でみたように、デジタル・メディアの「プ ラットフォーム」のもとで、モノを中心とする様々なモ ビリティ(マテリアルスケープ、ファイナンススケープ、 ガバナンススケープ、イマジナリースケープ)が繋がり 結びついていく。そのとき、人の移動(エスノスケープ) がなくても私たちは楽しんだり喜んだりできるようにな るのである。 現在私たちは観光において、デジタルなAR(Augmented Reality:拡張現実)技術を用いて、アニメの聖地でキャ ラクターと一緒に記念撮影することができるようになっ ている。またAIを搭載したロボットがフロント係やコン シェルジュとして働いているホテルもある。そのことを ふまえて、次のような情景を思い描いてほしい。アニメ 聖地でARを用いてキャラクターと記念撮影をするぬい ぐるみの写真、AI搭載のロボットからホテルのチェック イン手続きを受けているぬいぐるみの写真、これらを顧 客が自宅の部屋の中にいながらInstagramで見ていると いう情景だ。「ぬいぐるみが楽しそうにしている」と顧 客が情動を誘発されながらひとり部屋の中にいて微笑ん でいるとき、これまでにないような新たなことが生まれ 始めているのではないか。 デジタル・メディアの「プラットフォーム」を舞台 (settings)=「社会空間」としつつ、AR、AIというデジ タル・メディア技術を用いて、観光の風景(ツーリズム スケープ)を表現できるようになっている以上、これは、 あり得る情景だ。だが、それは果たして観光と言えるの だろうか。それは、もはや観光とはいえないものであり、 「観光の終焉」を告げるものではないのか。 他方で、もしかすると、それは人のモビリティが無化 した状況さえ観光状況とする「観光の徹底」と言えるの かもしれない。「観光の終焉」という名の「観光の徹底」 が、デジタル・メディアの「プラットフォーム」を「社 会空間」とすることで表現され始めている可能性もある だろう。この状況が一体何を意味するのか。その答えは 安易に書いてしまわないでおきたい。いまは、それに代 わって、以下の問いをもって本稿を「宙吊り」にしたま ま終わることにする。 ―ならば、そもそも観光とは何なのか? 付記 本稿は、JSPS科学研究費17H02251「現代社会におけ るツーリズム・モビリティの新展開と地域」(研究代表者: 神田孝治)の助成を受けたものである。
注 1) よく知られているように、ディーン・マキァーネル は観光をめぐる社会空間について、「表局域」「裏局 域」という概念を用いて考察を展開している(Mac-Cannell, 1999/2012 安村・須藤・高橋・堀野・遠藤・ 寺岡訳)。 2) アパデュライが示しているのは、「エスノスケープ」 「テクノスケープ」「ファイナンススケープ」「メディ アスケープ」「イデオスケープ」である。「エスノス ケープ」「ファイナンススケープ」についてはⅠ章 3節で述べた通りである。そして「メディアスケー プ」と「イデオスケープ」は、本稿で呈示した「イ マジナリースケープ」に相当する。その中でもとく に「メディアスケープ」は、新聞、テレビ、ウェブ 等のメディアを通じてポピュラー・カルチャーをは じめ、様ざまなイメージや表象の移動によって見え てくるグローバル社会の現れ方を意味している。ま た「イデオスケープ」とは、イメージの中でも特に イデオロギー的な価値観や世界観が国境を越えモバ イルなものとなることで揺らいでいく事態を指して いる。それ以外に、アパデュライは「テクノスケープ」 を挙げているが、これは、機械技術的なものであれ、 情報技術的なものであれ、テクノロジーが多様な境 界を越えて移動している事態を指している。 3) 宮台真司の言う「島宇宙」という概念は、「不均質 に(heterogeneously)ねじれた社会空間」があちら こちらに出現している事態を表現したものだと言え る(宮台, 1994)。 4) スコット・ラッシュも、2018年6月22日(金)に 立命館大学衣笠キャンパス平井嘉一郎記念図書館カ ンファレンスルームで開催された講演のおりデジタ ル・メディアが有する「プラットフォーム」の要素 に着目し、「プラットフォーム資本主義」論を展開 するに至っていた。 5) 本稿が述べる「プラットフォーム」とは、ローレン ス・レッシグや濱野が言う「アーキテクチャー」と かなりの程度重なり合っていると言える。とはいえ デジタル上に形成されている「社会空間」の意味合 いをより強く表現しようと、ここでは「アーキテク チャー」ではなく、あえて「プラットフォーム」と いう言葉を用いる。 6) 社会のモビリティとデジタル・メディアとの関係に おいても、再帰性をみてとることができる。その意 味で「再帰性」(中西, 2013)という概念は、「モビ リティ」「デジタル・メディア」「プラットフォーム」 「モノ」「情動」といった概念と並んで、現代の観光 を論じるうえで重要な概念となる。 7) 「ダッフィー」とは東京ディズニーシーで売られて いるグッズとして非常に高い人気を誇るテディベア のぬいぐるみであり、「シェリーメイ」とは「ダッ フィー」のガールフレンドという設定のテディベア のぬいぐるみである。また「ジェラトーニ」は薄緑 色のネコの男の子で画家を目指していて絵を描くの が得意という設定のぬいぐるみで、やはり東京ディ ズニーシーのオリジナルキャラクターである。「ス テラ・ルー」もまた東京ディズニーシーオリジナル のキャラクターであるが、このぬいぐるみはラベン ダー色のウサギの女の子でダンサーを夢見ていると される。 8) メディア研究の移動論的転回あるいは観光論的転回 は、今後、さらに「情動論」を組み込んでいく必要 があるだろう(伊藤, 2013;北野, 2018)。 9) 本稿はこの点で、アレクサンダー・ギャロウェイに よる「脱中心化以後のプロトコル」に関する議論と も通底する(Galloway, 2004/2017 北野訳)。 参照文献
Adey, P. (2017). Mobility (second edition). Oxford, UK: Routledge.
Althusser, L. (1995). Sur la reproduction. Paris, France: Universitaires de France. [西川長夫・伊吹浩一・大 中一彌・今野晃・山家歩訳(2010)『再生産につ いて』(上)(下)平凡社]
Appadurai, A. (1996). Modernity at large. Minnesota, US: University of Minnesota. [門田健一訳(2004)『さ まよえる近代』平凡社]
朝日新聞(2017, 12月7日)「『いいね』のために」(朝刊), 15面.
Elliott, A. & Urry, J. (2010). Mobile lives. Oxford, UK: Routledge. [遠藤英樹監訳(2016)『モバイル・ラ イブズ―「移動」が社会を変える』ミネルヴァ 書房] 遠藤英樹(2011)『現代文化論―社会理論で読み解く ポップカルチャー』ミネルヴァ書房 ―(2017)『ツーリズム・モビリティーズ―観
光と移動の社会理論』ミネルヴァ書房 ―(2018)「モバイル=デジタル時代のパンデミッ クな『承認』―越境するパフォーマティブなデ ジタル写真」高馬京子・松本健太郎編著『越境す る文化・コンテンツ・想像力―トランスナショ ナル化するポピュラー・カルチャー』(pp. 191-202)ナカニシヤ出版 藤野寛(2016)『「承認」の哲学―他者に認められる とはどういうことか』青土社
Galloway, A. R. (2004). Protocol: How control exists after
decentralization. Massachusetts, US: MIT Press. [ 北
野圭介訳(2017)『プロトコル―脱中心化以後 のコントロールはいかに作動するのか』人文書院] Giddens, A. (1990). The consequence of modernity.
Cambridge, UK: Polity Press. [松尾精文・小幡正敏 訳(1993)『近代とはいかなる時代か?』而立書房] ― . (2000). Global capitalism, London, UK: New
Press.
Goffman, E. (1959). The presentation of self in everyday life. New York, US: Doubleday & Company Inc. [石黒毅訳 (1974)『行為と演技―日常生活における自己 呈示』誠信書房] 墓田桂(2016)『難民問題―イスラム圏の動揺、EUの 苦悩、日本の課題』中央公論新社 濱野智史(2015)『アーキテクチャーの生態系―情報 環境はいかに設計されてきたか』筑摩書房 Hannam, K., Butler, G. & Paris, C. M. (2014). Developments
and key issues in tourism mobilities. Annals of
Tourism Research, 44(1), 171-185.
Hannam, K. & Knox, D. (2010). Understanding tourism: A
critical introduction. London, UK: Sage.
Honneth, A. (2003). Kampf um Anerkennung: Zur
mor-alischen Grammatik Konflikte. Frankfurt am Main,
Germany: Suhrkamp Verlag. [山本啓・直江清隆訳 (2014)『承認をめぐる闘争―社会的コンフリ
クトの道徳的文法』法政大学出版局]
服部桂(2018)『マクルーハンはメッセージ―メディ アとテクノロジーの未来はどこへ向かうのか?』 イースト・プレス
Ingold, T. (2007). Lines: A brief history. Oxford, UK: Routledge. [工藤晋訳(2014)『ラインズ―線の 文化史』左右社] 石田英敬(2016)『大人のためのメディア論講義』筑摩 書房 伊藤守(2013)『情動の権力―メディアと共振する身 体』せりか書房 伊藤さゆり(2016)『EU分裂と世界経済危機―イギリ ス離脱は何をもたらすか』NHK出版 城浩明(2016)「日本におけるデジタル革命第3回『デ ジタル化』と『デジタル革命』の違い」最終閲覧 日2019年1月6日, https://www.eyjapan.jp/indus-tries/technology/column/2016-04-25.html 北野圭介編(2018)『マテリアル・セオリーズ―新た なる唯物論にむけて』人文書院 小林啓倫(2013)『今こそ読みたいマクルーハン』マイ ナビ 国土交通省(2017)「訪日外国人の消費動向平成29年 年 次 報 告 』 最 終 閲 覧 日2018年9月17日, http:// www.mlit.go.jp/common/001230775.pdf#searc h='%E5%B9%B3%E6%88%9029%E5%B9%B4 %E7%89%88+%E8%A8%AA%E6%97%A5%E 5%A4%96%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E3%8 1%AE%E6%B6%88%E8%B2%BB%E5%8B%9 5%E5%90%91' ―(2018)『平成30年版観光白書』最終閲覧日 2018年9月17日, http://www.mlit.go.jp/statistics/ file000008.html 久保明教(2018)『機械カニバリズム―人間なきあと の人類学へ』講談社 久保田晃弘・きりとりめでる編著(2018)『インスタグ ラムと現代視覚文化論』ビー・エヌ・エヌ新社 Larsen, J. & Sandbye, M. (2014). Digital snaps; The new face
of photography. London, UK: I. B. Tauris.
Lash, S. & Urry, J. (1994). Economies of signs and space. London, UK: Sage. [安達智史監訳(2018)『フロー と再帰性の社会学―記号と空間の経済』晃洋書 房]
Latour, B. (1987). Science in action: How to follow scientists
and engineers through society. Massachusetts, US:
Harvard University Press. [川崎勝・高田紀代志訳 (1999)『科学が作られているとき―人類学的
考察』産業図書]
― . (1991). Nous n'avons jamais ete modernes:
Essai d'anthropologie symetrique. Paris, France: La
Decouverte. [川村久美子訳(2008)『虚構の「近代」 ―科学人類学は警告する』新評論]
―. (1993). La clef de Berlin et autres lecons d'un
amateur de sciences. Paris, France: La decouverte.
Lessig, L. (2006). Code version 2.0. New York, US: Basic books. [山形浩生訳(2007)『CODE VERSION 2.0』 翔泳社]
MacCannell, D. (1999). The tourist: A new theory of the
leisure class. Los Angeles, US: University of California
Press. [安村克己・須藤廣・高橋雄一郎・堀野正人・ 遠藤英樹・寺岡伸悟訳(2012)『ザ・ツーリスト ―高度近代社会の構造分析』学文社]
前川修(2016)「デジタル写真の現在」『美学芸術学論集』
12, 6-33.
McLuhan, M. (1964). Understanding media: The extension
of man, New York, US: McGraw-Hill. [後藤和彦・高
儀進訳(1967)『人間拡張の原理―メディアの 理解』竹内書店新社]
Meyrowitz, J. (1985). No sense of place: The impact of
electronic media on social behavior, Oxford, UK:
Oxford university press. [安川一・高山啓子・上谷 香陽訳(2003)『場所感の喪失―電子メディア が社会的行動に及ぼす影響』新曜社] 宮台真司(1994)『制服少女たちの選択』講談社 森健・日戸浩之(2018)『デジタル資本主義』東京経済 新報社 村上直久(2016)『EUはどうなるのか―Brexitの衝撃』 平凡社 中西眞知子(2013)「再帰性の変化と新たな展開―ラッ シュの再帰性論を基軸に」『社会学評論』64(2), 224-239. 難波功士(2011)『メディア論』人文書院
Sheller, M. & Urry, J. (2004). Tourism mobilities: Places to
play, places in play. London,UK: Routledge.
Stiegler, B. (2004). De la misère symbolique 1: L'époque
hyperindustrielle. Paris, France: Ěditions Galilèe. [メ
ランベルジェ, G.・メランベルジェ真紀訳『象徴の 貧困 1―ハイパーインダストリアル時代』新評 論] 須藤廣・遠藤英樹(2018)『観光社会学 2.0―拡がり ゆくツーリズム研究』福村出版 TABIZIN(2014)「 ぬ い ぐ る み が 観 光 地 を 巡 る! ウ ナギトラベルのぬいぐるみ専用ツアーがすご い 」 最 終 閲 覧 日2019年1月6日, https://tabizine. jp/2014/02/19/6134/ 田中洋・石崎徹・竹内淑恵・澁谷覚・石田実(2014) 「2020年のメディアとコミュニケーション」『AD
STUDIES』Special Issue Vol. 50, 6-21.
Thrift, N. (2006). Space. Theory, culture and society, 23, 139-146.
Urry, J. (1990). The tourist gaze: Leisure and travel in
contemporary societies. London, UK: Sage. [加太宏邦
訳(1995)『観光のまなざし―現代社会におけ るレジャーと旅行』法政大学出版局]
― . (2000). Mobile sociology. British Journal of
Sociology, 51(1), 185-201.
―. (2007). Mobilities, Cambrige, UK: Polity Press. [吉原直樹・伊藤嘉高訳(2015)『モビリティ―
ズ―移動の社会学』作品社]
Urry, J. & Larsen, J. (2011). The tourist gaze 3.0, London, UK: Sage. [加太宏邦訳(2014)『観光のまなざし[増 補改訂版]』法政大学出版局]