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現代資本主義と「地域の価値」 水俣の地域再生を事例として

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はじめに――本特集の意図

現代資本主義の特徴は、資本蓄積の過程において、 物質的な生産・消費が後景に退くと同時に、非物質 的な生産・消費の重要性が増大しているという点に ある。これは「ポスト工業化」の延長線上にあるが (諸富2016)、とりわけ1990年代以降、人びとのコ ミュニケーションを通じた知識や情動の生産・消費 が価値生産の主軸になりつつある。そこでは、消費 者が受け身でなく、価値生産に能動的に参加する。 つまり、生産と消費を区別する意味が薄れ、両者は むしろ一体化する傾向がある。こうした資本主義の 変化は「認知資本主義」(cognitive capitalism)と 呼ばれる(山本編2016)。 本特集では、現代資本主義の変容が都市空間や地 域の経済・社会に与える影響、そしてそれにともな う政策的課題を検討する。その際のキーワードは「地 域の価値」である。 2014年に提起された「地方創生」政策などを背景 として、多くの論者が「地域の価値」(「地域的価値」 などの類似表現を含む)に言及するようになった。た とえば小田切徳美は、農山村における地域づくりの 目的について、環境、文化、地域の絆(社会関係資 本)などを「重要な地域的価値」と捉え直し、地域 に新しい価値を「上乗せ」していくことだと説明し ている(小田切2014、pp.70-71)。また山﨑朗は、地 域創生のカギが「地域の潜在的価値」の発見にある とする(山﨑・鍋山編著2018、p.12)。こうした文 脈とは異なるが、ダークツーリズムの研究者である 井出明も、「ダークツーリズムに関する研究や旅行商 品の開発は、決して地域に傷をつけるものではなく、 地域に新しい価値を見出すための契機となるであろ う」(井出2018、p.23)と述べている。 しかし、「地域の価値」という言葉は、はっきりと した定義が与えられないまま多用されているといわ ざるをえない1)。そこで、本稿ではまず、「認知資本 主義」論(とくにボルタンスキーとシャペロ、ネグ リらの議論)を手がかりとして、現代資本主義にお ける「地域の価値」の意味を明らかにする(第1、2 節)。そして、それを踏まえ、1990年代にスタート した水俣の地域再生の取り組み(「もやい直し」)の 意義を再評価したい(第3、4節)2)。 なお、本特集は、日本地域経済学会の共同研究プ ロジェクト「現代資本主義における地域の内発的発 展と『地域の価値』」(2018年1月~)による成果の 中間報告である。

1.現代資本主義の変化と特質

(1)資本主義の構造変化――批判の体制内「回収」と 新たな矛盾の生成 非物質的な生産・消費を前面に押し出し、資本主 義の構造変化をもたらした原動力は何か。ボルタ ンスキーとシャペロは、『資本主義の新たな精神』 (Boltanski et Chiapello 1999)においてその点を詳 細に検討している。この著作は、コンヴァンシオン 経済学とレギュラシオン理論を接合することにより、 人びとの行動を規定する倫理的基礎と、現代資本主 義におけるマクロの蓄積体制の変化との関連を明ら かにしたものである。 資本主義体制が生み出す矛盾は、人びとの価値観 や倫理と、経済活動とのずれを生じさせ、資本主義 に対する疑問視と批判を引き起こす。資本主義体制 に対する批判は、社会運動の形態をとることもあれ ば、オルタナティブな(たとえば環境配慮型の)商 品に対するニーズ増大のような形をとることもある。 資本の側は、これを体制維持と調和しうる範囲内で 構造改革のなかに取り込み、体制内に「回収」して いく。これは、批判のなかに見られる新たな価値観 を資本が部分的に取り込み内生化しようとすること 企画特集(1)

現代資本主義と「地域の価値」

現代資本主義と「地域の価値」

―水俣の地域再生を事例として―

除本 理史(大阪市立大学)

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を意味するから、その結果、資本主義は「新たな精 神」(何を「共通善」とするかという意味で倫理的基 礎ともいえる)をもつに至る。 資本主義体制は、19世紀末大不況~第2次世界大 戦、および20世紀末大不況~現在を大きな2つの画 期(移行期)として、歴史的に構造変化をとげてき た。これらの構造変化は、前述のように批判が回収 されていくプロセスだが、企業のみが主導するもの ではなく、新たな法制度が求められるなどの事情か ら、公共部門が大きな役割を果たす。 第1の移行期を経て第2次世界大戦後に本格的に 成立したのが、福祉国家体制である。第2次世界大 戦後の先進資本主義国では、労働生産性の上昇と国 内消費の増大がバランスすることで長期の経済成長 がもたらされた。これは「フォード主義的蓄積体制」 などと呼ばれる。 第2の移行期は、フォード主義下の労働編成と大 量生産・大量消費に対する批判の高まりによっても たらされた。画一的な商品の大量生産によって不足 を満たすというフォード主義の戦略は、生産拡大が 一定水準に達すると、消費者のニーズと衝突しはじ めた。物的消費が飽和状態に達したことで経済の好 循環が行き詰まるとともに、人びとの価値観やニー ズが大きく変化した。画一性、硬直性に対する批判 が沸き起こり、人びとは個性、差異性、商業化され ていない「本物性」(真正性、オーセンティシティ) を希求するようになったのである。 価値観やニーズの変化は、単に需要曲線のシフト をもたらすというだけでなく、体制批判として、企 業や政府の対応を誘発し、資本主義の構造変化を引 き起こす要因にもなりうる。ただし、批判の体制内 回収は、矛盾を緩和すると同時に、新たな形態の矛 盾を生み出すものでもある。 (2)「認知資本主義」への移行 第2の移行期にある現在、資本主義体制はどのよ うな方向に向かって進んでいるのか。「サービス経済 化」「ポスト工業化」を経て、1990年代以降、「認知 資本主義」と呼ばれる傾向が明らかになってきた。情 報通信技術に基づく新たな規模の経済、非物質的生 産に対する投資の増大、金融所得による需要増加な どによって、フォード主義体制に代わる経済の新た な「好循環」が生まれた(そして、少なくとも2007 年以降の世界的な金融危機までは機能していた)と される(山本編2016)。 この前段にある「サービス経済化」「ポスト工業 化」は、1970年代にはすでに明確になっていた。ハー ヴェイが指摘するように、第2の移行期に入りフォー ド主義体制が行き詰ると、資本は過剰生産力を吸収 するため、消費の加速化を推し進めた。具体的には、 大衆的消費における流行の動員や、サービス経済化 であり、いずれも商品を短命にすることで、消費の スピードアップを促すものである。サービス経済化 は、モノよりも寿命の短い(耐久性のない)商品で あるサービスに経済活動の中心が移行することであ り、資本の回転期間の短縮に寄与する(Harvey 19891999, pp.365-366)。 ここで、サービスが単なる「他人にしてほしい仕 事」であれば、これはモノと同じく使用価値(機能、 有用性)にすぎない。しかし、サービスは人間同士 のコミュニケーションをともなうのであり、そのプ ロセスを資本が包摂しようとしている点に、「認知資 本主義」の重要な特質を見出すことができる(Hardt and Negri 2004, p.150=2005, 上・p.248;山本編 2016)。以下では、本稿の主題とかかわって、この 特質について3つの点を指摘したい。 (3)非物質的な生産・消費の前面化――使用価値から 「差異」「意味」へ 第1は、非物質的な生産・消費が前面化し、生産・ 消費の対象が使用価値(機能、有用性)から「差異」 「意味」へと移行したことである。フォード主義的な 大量生産・大量消費が行き詰まり、人びとは画一的、 受動的な消費ではなく、自己の個性や差異性を能動 的に表現し、人間同士のコミュニケーションをもた らすような消費活動を追求するようになったのであ る。 現代の商品は、衣食住のような生存の手段、ある いは有用性という意味での使用価値ではなく、他者 と の 差 異 化 の 手 段 で あ る(Baudrillard 1970= 2015)。資本は商品の組み合わせ(パノプリ)によっ て流行のスタイルを示し、それを更新(ルシクラー ジュ)していくことで消費を加速する。流行という と「みな同じ」で、個性や差異性とは対立するよう に見えるかもしれない。しかし、流行のスタイルの なかでも、色などの多様性によって消費者は自らを

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差異化することができる。 こうして、個性、差異性、本物性の希求という批 判は、体制内に回収されていく。この欲求は、使用 価値の消費と違って量的な制限がなく、資本蓄積に とって好都合である。しかし、この批判は体制内に 完全には回収しえない。資本循環の内部に完全には 取り込むことができない領域を、あえて包摂しよう とするところに、現代資本主義の根本的な矛盾があ る。 非物質的な生産・消費の対象となる「差異」「意 味」は、非常に広い概念である。そこで、単なる使 用価値との違いをきわだたせるとすれば、次の2つ の特徴を挙げることができよう。①たとえ有用性や 機能が同一であっても、生産者や来歴などの付随的 情報がむしろ重要な意味をもち、それによって差異 化がなされる。②使用価値が時間とともに劣化して いくのに対して、消費対象の来歴や由来によって「差 異」「意味」が付与されると、それらは時間が経つに つれて評価を高める。来歴や由来などの説明は「物 語」として構成され、その裏づけとなる本物性(真 正性、オーセンティシティ)が重視される。これら の事柄は、とくに美術、工芸、アンティーク、歴史 遺産、観光などの領域にあてはまり、「豊饒化の経 済」と呼ばれる(立見2019、pp.189-196)3)。 使用価値を越えた来歴や由来をもたらす時間軸は、 資本の回転期間に収まりきらない。また、本物性は 資本がつくり出せるものではなく、むしろ外部から 与えられている。したがって、そもそも本物性に基 づく批判は、資本主義体制の内部に回収しきれない。 そのため、現実の経済活動においては、資本の循環 に包摂されているのか、あるいはそこからはみ出し ているのか、判然としない境界領域が広く存在する。 (4)生産・消費の一体化と価値生産の変容 第2は、生産と消費の一体化、および価値生産の 変容である。 「差異」「意味」は、人びとの主観から独立して「客 観的」に存在するものではなく、コミュニケーショ ン(対面だけでなく、さまざまな媒体による)を通 じて間主観的に構築される。つまり「差異」「意味」 は、生産者と消費者によっていわば共同生産される から、生産と消費の区別は曖昧となり、両者は一体 化する傾向がある(山本編2016、p.6)。 この一体性は、コミュニケーションそのものの商 品化において、典型的にあらわれる。とくに1990年 代以降、経営やマーケティングの分野で「経験」が 注目されているが、ここにもその傾向を見てとるこ とができる(Pine and Gilmore 1999=2005)。

「経験」とは、単なる「他人にしてほしい仕事」と してのサービスとは異なって、場合によっては自己 変革を促すほど受け手に強い影響を与え、かつ商品 として販売可能なサービス群である。たとえばフィッ トネスクラブの個人トレーニングのように、トレー ナーが顧客の状態を判断し、改善の方向性を与える。 顧客はその「意味」を理解し、トレーニングに励む ことで、自己変革を達成したという満足感を得る。 これらはコミュニケーションの商品化であり、顧客 も価値の生産・消費過程に能動的に参加している。 人びとのコミュニケーションにおいて「差異」「意 味」が共同生産され、同時に知識や情動も産出され る。これこそが現代における価値生産である。この 「価値」は、もちろん経済的・貨幣的価値に一元化さ れえない。しかし、資本はそれを内部に取り込むこ とで貨幣的価値の獲得を図る。 こうして現代における商品の付加価値は、消費者 が得る知識や情動の大きさによって左右されるよう になった。北川亘太のケーススタディによれば、あ るコンサルタント会社は、業務を通じて顧客の思考 枠組みがどう変化したのか(「差分」)を明文化する ことで、自らのサービスを価値づけるとともに、そ の価格を正当化するよう努めているという(北川 2019)。 (5)利潤獲得の現代的形態 第3に、以上の変化にともなって、企業の利潤獲 得の態様も大きく変わらざるをえない。その最大の 理由は、価値生産の場が、工場や事業場に収まらな い人びとのトータルな生活過程へとシフトしつつあ ることである。これは、資本が包摂しきれない領域 である。人間同士のコミュニケーションによる価値 生産は「直接的生産過程の外部」で行われ、「資本は その価値を部分的にしか捕獲することができない」 の で あ る(Hardt and Negri 2004, p.147=2005, 上・p.244)。「生きること」と「生産すること」の区 別が不明瞭になり、労働時間を価値の尺度と見なす のは不適切になる。

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たとえば書籍という商品は、書き手が何らかの「意 味」を読み手に伝えるコミュニケーションの媒体で あり、読み手が書籍を無料で入手したか、何らかの 対価を支払ったかは無関係である。書籍が商品とな るためには、著作権や再販売価格維持制度などの制 度的条件を必要とする。資本は、諸制度を通じて人 びとの「社会的生」から利潤を取得するという「寄 生的」性格を強めている。 書籍の価格は、“モノとしての印刷物の生産費”+ “原本(オリジナルの著作)へのアクセス権料”、と いう少なくとも2つの要素に分解しうる(野口2012、 p.25)。このうち前者の生産費は、リフキンが「限界 費用ゼロ社会」と呼んだように、技術の発達によっ て急速に低下しつつある(Rifkin 2014=2015)。し たがって、書籍の価格のうち後者の比重が大きくな りつつあるが、このアクセス権料は、上記のような 制度によって資本が貨幣的価値を引き出しているこ とを意味するのである(かつてのように印刷物を生 産する費用が相対的に大きかった時代には、この規 定はあてはまらない点に注意されたい)。

2.「地域の価値」とは何か

現代では、地域・場所・空間すらも非物質的生産・ 消費の対象となる。地域・場所・空間の「差異」「意 味」が、人びとのコミュニケーションを通じて、間 主観的に構築される。それにともない、知識や情動 が共同生産され、その一部は貨幣的価値の獲得にも 結びつく4)。本稿では、こうした一連のプロセスを 「地域の価値」という言葉で表現したい。また、より 狭義には、社会的に構築される地域・場所・空間の 「差異」「意味」を「地域の価値」と呼ぶことにする。 地域・場所・空間の「消費」は、新たな投資を呼び 込み、住民の構成を変化させるなどの影響を及ぼし、 それによって空間や地域のあり方を大きく変化させ ることもありうる5)。 (1)地域・場所・空間の「消費」 1990年代以降、さまざまな研究領域で地域・場 所・空間の「消費」というテーマが取り上げられる ようになっている6)。代表的な著作は、アーリの『場 所を消費する』(Urry 1995=2012)であろう。ま た、農村研究でも「消費される農村」「農村空間の商 品化/消費」というテーマが論じられてきた(Cloke 1993;立川 2005;田林編著 2013、2015)。 地域・場所・空間のもつ使用価値の中心的なもの は、一般的な労働手段としての土地(宮本1976、 pp.11-12)、つまり経済活動が行われるスペースとい う有用性であろう。他方、非物質的な消費は、この 有用性を越えたところにある「差異」や「意味」を 対象とする。 「場所の消費」について、アーリは次のように述べ る(Urry 1995=2012, p.4)。第1に、地域・場所・ 空間は、消費行為の「文脈」をつくりあげる場とな る。たとえば、製品の生産地や生産者の情報を表示 することは、製品を他と差別化し、当該製品を選択 する「意味」を与える。食事をする際にあえて地元 の食材を使う店を選んだとすれば、場所に基づく「文 脈」「意味」が、人をその選択へと導いたのである。 第2に、地域・場所・空間およびそれを構成する 要素そのものが、消費の対象となる。たとえば非日 常的な風景の「視覚的な消費」、学習に基づいた街並 みの歴史的背景や遺構の文化的価値の読み取りなど であり、いずれも「差異」や「意味」の消費である。 後者の例としては、貧困、労働災害、環境破壊など の暗いイメージをまとってきた近代の産業遺構が、近 年、文化的価値をもつ遺産として再評価され、観光 資源などとして活用されていることが挙げられる。こ れは前述の「豊饒化の経済」であり、同一の事物で あってもその「意味」を新たに定義することで、価 値生産の手段に転換しうることを示している7)。 「農村空間の商品化/消費」は、農村を対象とした 非物質的消費である。田林明はそれを次の4つの形 態に分類している。①農林水産物(食料だけでなく、 健康・美容食品のように審美性をともなう生産物も 含む)の供給、②都市住民の農村居住、③レクリエー ション・観光、④景観・環境の維持、社会・文化の 理解を通じた生活の質の向上(田林編著2013、p.9;2015、pp.4-6)。このように田林は、「商品化」と いう語感よりもかなり広く、関連事象を視野に入れ ている。 (2)地域固有性をめぐる「まなざし」 地域・場所・空間の「差異」「意味」とは何か。歴 史、文化、コミュニティ、景観・街並み、自然環境 といった「地域固有」とされる要素が、重要な位置 を占めるのは明らかである。本稿では、これらの要

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素を地域固有性と呼ぶことにする8)。 地域固有性は、地域住民の長年にわたる生産・生 活の営みの蓄積として形成されてきたものであり、そ れ自体、消費の対象とされる必然性はない。しかし、 商業化されていない「本物性」を希求する現代の消 費者にとって、地域固有性にふれることは大変魅力 的な「経験」でもある。他方で資本は、消費者がこ れらに容易にアクセスできるよう条件を整えること により、「経験」を商品化し利潤を獲得する9)。 「豊饒化の経済」が示すように、ここで商品化され るのは、地域固有性に関する来歴や由来の「物語」、 その本物性が消費者に伝達され、知識や情動が産出 されるプロセスである。これは観念の世界で閉じる ものではなく、人びとの空間的移動やモノの消費を ともなうことが多い。歴史遺産における観光のよう な例がわかりやすいであろう。 地域固有性にそそがれる「まなざし」は多様であ る。立川雅司は、農村に対する地域外からの「まな ざし」として、都市からの「消費的まなざし」と行 政の「政策的まなざし」を挙げた(立川2005)。こ れ以外にも企業の「まなざし」があり、さらに地域 固有性の保全など、課題解決のための「積極的コミッ トメント」がありうる。後者には、当該地域の産品 の購入のように、商品形態を通じたコミットメント もあれば、地方への移住や「農村回帰」のように、資 本主義体制内に完全には回収しきれない、より「ラ ディカル」な価値観の転換と行動も含まれる。 (3)「地域の価値」の社会的構築 前節で述べたように、非物質的な消費は生産過程 と不可分であった。地域・場所・空間の消費におい ても、その「差異」「意味」が一方的に発信されるの ではなく、地域内・外の諸主体と「まなざし」がそ れらを集合的に構築する。 都市社会学者のズーキンは、ニューヨークを事例 として、地域に関する由来の「物語」が社会的に構 築 さ れ て い く プ ロ セ ス を 描 い た(Zukin 2010= 2013)。彼女は、前述した本物性という意味ではな く、地域に関する由来の「物語」という意味で「オー センティシティ」という言葉を用いている。たとえ ば、スラム街であったニューヨークのハーレム地区 では、1990年代以降再開発が進んだが、こうした動 きに先鞭をつけた人たちは、1920~30年代のハーレ ム・ルネサンス(アフリカ系アメリカ人による文化 運動)を参照して、ハーレムの「オーセンティシ ティ」を再構築した。その言説が地域内・外の共感 を呼ぶことによって、地域に関する集団的な表象を つくりあげる。 地域の「オーセンティシティ」が不特定多数の人 によって各種メディアやインターネットで発信され、 社会的に流布していくことで、当該地域に人が集ま り店舗進出や街区の再開発が進む。「オーセンティシ ティ」の消費は、新たな投資を呼び込み、住民の構 成を変化させ、空間や地域のあり方を大きく変化さ せるのである。前節での議論にしたがえば、これは 次のように解釈しうる。現代では地域に関する由来 の「物語」が社会的に構築され、それにともなって 知識や情動が共同生産される傾向が強まっている。 再開発や店舗進出は、そのなかで生み出された価値 を資本が利潤として、あるいは公共部門が税収等と して捕獲しようとする試みである。 地域の「オーセンティシティ」は、異なる民族性 や経済的利害を背景として、多様に定義・主張され る。広く支持され、受容される「物語」を構築する こと、そして自らの政治的・経済的利害をそのなか にたくみに織り込むことが、マイノリティの権利主 張に力を与え、あるいはビジネスの基盤を強固にす るのである(本特集の内田論文は、「オーセンティシ ティ」の概念を検討し、それに基づいてまちづくり の現代的動向を論じている。こうしたジェントリ フィケーションはしばしば社会的な格差や排除を生 むが、本特集の松永論文は、工業都市から文化都市 への転換において社会的包摂を追求してきたトリノ の事例を紹介している)。 ズーキンの議論から次のことが示唆される。すな わち、由来の「物語」としての「地域の価値」は集 合的に構築された表象であるが、地域内・外の諸利 害を反映して複数の「物語」が生まれ、ときに対立 しあう。次に述べるように「負の記憶」をめぐる表 象も、複数の集団の間で分裂する傾向がある。地域 外からの関心が高い一方で地域内の発信が弱ければ、 「地域の価値」の定義が外側の力によって大きく左右 されることもありうる。 (4)「負の記憶」から「地域の価値」へ 地域の歴史には「負の記憶」も含まれる10)。ここ

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でいう「歴史」は、固定的に書かれた事実としての 歴史だけなく、人びとの「記憶」を含む。記憶は、単 に私的なものではなく、他者と共有されれば集合的 記憶となり、社会的な性格を帯びる。 多くの犠牲をともなう戦争、自然災害、公害や大 事故などは、多くの人に記憶され、意味付与(出来 事に対する解釈)がなされる(竹沢2015)。それら が関連する地域と結びつけば、当該地域の歴史の一 部を構成する。 これらの「負」の出来事を、忘却するのではなく 記憶しつづけるために、関係者は遺構を保存し、モ ニュメントやミュージアムを設置するなどの取り組 みを行ってきた。また、ダークツーリズムといわれ るように、それらの地を訪れる人も少なくない。そ の大きな理由として、「負の記憶」が人権や平和と いった普遍的価値を逆説的に(つまりそれらの侵害 や破壊を通じて)提示していることが挙げられる11)。 こうした普遍的教訓を示す出来事や遺構などは、「負 の遺産(ヘリテージ)」と見なされることもある。「負 の記憶」の継承と学習は、「地域の価値」を新たに構 築し、また不断に更新していく。 自然災害などと異なり、加害‐被害関係の存在す る問題では、被害の隠蔽や加害の正当化が行われや すいため、「負の記憶」の解釈や意味づけがとくに鋭 く問われる。一般に、被害者サイドに比べて、加害 者サイドの社会的・経済的影響力のほうが大きい。 それによる解釈の一面化を避けるためには、地域内・ 外の多様な立場から、意味づけの過程に関与するこ とが求められる。もちろん被害者の立場も一様では ないのだから、多様な意見が表出されることが望ま しい。 たとえば、戦後の広島市は、当初、原爆被害を前 面に押し出して復興予算の獲得をめざしたが奏功せ ず、「平和都市」建設という論理へと方針転換した。 「原爆」から「平和」への焦点移動は、原爆を投下し たアメリカにとって好都合であったため、その支持 を得て1949年に広島平和記念都市建設法が実現し た。これにより復興が加速する一方、被爆者に対す る援護施策は進まなかった(松尾2017)。 「平和」という言葉は、被害の隠蔽だけでなく、原 爆が終戦と平和をもたらしたという言説を通じて、加 害の正当化にも利用された。これとは反対に、反核 平和運動の側は、原爆によって脅かされるものとし て「平和」を位置づけた。後者の意味づけは、原爆 被害を前面化するものではあったが、被害当事者の 感情と必ずしも一致するわけではなかった。ともあ れ、「平和」という土俵をある程度共有しながら、そ の意味づけをめぐる綱引きが展開されるようになっ た(直野2015、pp.71-97)。 こうして広島市は、立場の違いを越えて共有しう る「平和都市」という「地域の価値」を打ち出すに 至った。しかし、共有されうるからこそ「平和」の 意味は多義的である。そこには分立する複数の集団 的な表象が包摂されており、それらの対立は実際の 空間編成にも影響を与える。広島の原爆ドームは 1996年、世界遺産に登録されたが、それまで長い間、 遺産として保存を求める声があがる一方、忌まわし い記憶を呼び起こすものとして撤去を望むという意 見にもさらされつづけてきた。つまり、原爆の爪あ とを残す遺構に、どのような意味を付与するかをめ ぐってコンフリクトが続いてきたのである(濱田 2013)。 「負の記憶」は完全に過ぎ去った出来事ではなく、 今も被害救済の課題が残り、あるいは問題が継続し ているというケースが少なくない。そうした場合、 「負の遺産(ヘリテージ)」という積極的な意味づけ に対する被害者からの反発もありうる。 もちろん「負の記憶」の意味づけは、単一の見解 に収斂している必要はない。しかし、異なる意味づ けが分断されたままであるということは、地域社会 の分断を意味する。したがって、1つに収斂する必 要はないが、「異なる人々の記憶が相互に語られ、聞 かれるテーブル」(松浦2018、p.160)が存在するこ とが望ましい。地域内・外の諸主体がそうしたテー ブルにつくことによって、分断された記憶はしだい に社会的・公共的性格を帯びていくであろう。

3.水俣「もやい直し」の先駆的意義と到達点

(1)「もやい直し」以前の地域社会 これまでの理論的考察を踏まえて、以下では1990 年代初頭に始動した水俣「もやい直し」の現代的意 義と課題について検討する。 水俣市で「もやい直し」という表現が初めて公式 に用いられたのは、1994年の水俣病犠牲者慰霊式に おける吉井正澄・水俣市長(当時)の式辞において であった。「もやい」という言葉は、船と船をつなぐ、

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あるいは人びとが寄りあって共同で物事を行うこと を意味し、市民の間でも日常的に使用されているが、 吉井はこの言葉に次のような象徴的な意味を込めた。 すなわち、水俣病事件を契機としてバラバラになっ た市民の心を一つにつなぎとめ、市民が共同で助け 合いながら地域社会を支え、みんなで「まちづくり」 を進めようというものだ(山田1999)。 水俣市は、公害を引き起こしたチッソの「企業城 下町」である12)。かつて舟場正富は、水俣病「公式 発見」(1956年)当時の、チッソによる「地域支配」 の実態を明らかにした。そこでは、就業構造・所得 構造における独占的地位、土地や用排水などの占有・ 利用(地域資源の支配)、水俣市行財政への多大な影 響力行使などが、各種の統計・資料を用いて具体的 に指摘されている(舟場1977)。 1960年代前半、チッソは子会社(チッソ石油化 学)を設立し、生産の中心を水俣から千葉県の五井 に移していった。1968年には、水俣病の原因物質で あるメチル水銀を生成する水俣工場の製造設備が閉 鎖された。チッソは雇用吸収力や市財政への貢献度 を低下させながらも、地域資源への支配を続けた。 1973年、水俣病第1次訴訟で原告勝訴の判決が出 され、補償協定が締結された。認定患者が増加して 補償金支払額が大きくなっていったため、チッソの 資金繰りは急速に悪化した。水俣病患者は生命や健 康を侵害されたことへの償いとして、チッソに補償・ 救済を求めたが、多くの市民は、企業が衰退して生 活がおびやかされることを懸念し、深刻な対立が生 まれた。 こうして、地域社会の「秩序」はひとたび動揺し たのだが、1977~78年には、国も乗り出して再び 「秩序」形成へと転じた(水俣病センター相思社 1994;同編2004、p.90)。この時期、患者認定要件 が厳格化されるとともに、チッソ金融支援の開始、水 俣・芦北地域振興計画の策定などが進む。これらは いずれも、チッソの破綻を回避し、「地域経済・社会 の安定」を図るという狙いをもっていた(閣議了解 「水俣病対策について」1978年6月20日)。 以上の方策による「地域経済・社会の安定」とい う枠組みは、国だけでなく、熊本県、水俣市、チッ ソ、およびチッソ「城下町」の市民という広範な主 体の利害に沿うものであった。こうして、水俣病問 題の解決に背を向けつつ、「秩序」安定を図るという 地域社会の枠組みがつくられた(水俣病センター相 思社1994)。 (2)「もやい直し」の先駆的意義 この枠組みが動揺をはじめるのは1990年代である。 その背景には、産業構造転換にともなう地域経済に おけるチッソの地位低下、水俣湾の公害防止事業(ヘ ドロ埋立)の完了、国家賠償等請求訴訟の政治解決 への動き、といった一連の出来事がある(除本2016、 pp.140-144)。これらは、従来の地域社会の枠組み を変化させ、水俣病をまちづくりの前面に押し出す ことを可能にする条件をつくった。 こうしてはじまった「もやい直し」の意義は、地 域社会の安定と対立するものと見なされてきた水俣 病を、地域固有の「価値」と捉え直し、まちづくり の前面に押し出すことによって、地域社会統合を進 めようとした点にある(除本2016、pp.145-150)。吉 井正澄は、当時のことを次のように回顧している(吉 井2016、p.74)。 水俣の個性とは、他の地域が真似の出来ない水 俣独特の価値である。水俣には、誇れるものが沢 山ある。温泉もそうである。だが、市の周辺にも 有名な温泉はいくらでもあり、温泉は水俣独特の ものではなく水俣の個性と言い難い。個性探しは 難航した。やがて、「水俣病」に気付く。「世界に 類例の無い」と言われる水俣独特のもので個性で はないかと。 だが、水俣病は、水俣を悲劇に追い込んだ張本 人である。多くの市民は「水俣病は口にもしたく ない」という。水俣病は、個性は個性でも、強烈 なマイナスの個性であり、市民から嫌悪されるの は当然といえよう。しかし、そのマイナスの個性 をプラスの個性に価値転換する、その過程が「新 しい水俣づくり」であると考えた。忌み嫌われた 水俣病と真正面から向き合うことにした。 このように「もやい直し」の狙いは、「負」の出来 事に地域の「個性」という積極的意味を付与するこ とによって、「地域の価値」を構築しようとするとこ ろにあったと解釈しうる。この点で、現代の地域づ くりの動向を先取りしていた。 しかし、水俣市はチッソの「城下町」であり、市

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民の間には水俣病事件に対する複雑な感情が今も根 強く残っている。市長が「もやい直し」を宣言した からといって、ただちに価値転換が進むわけではな い。また、水俣病患者からすれば、水俣市行政は、被 害者救済に背を向けてきた「加害者側」であり、そ れに対する反発もあったであろう。 水俣市が1990年3月に策定した地域個性形成推 進プログラムは、次のように述べている。「現在、水 俣には経済の活性化及び住みよい社会環境の整備、 さらには水俣の風土・人材資源を再編成し、活力あ る水俣を創造しようとする『進展のベクトル』と、近 代工業化・産業主義の中で生じた水銀公害、環境汚 染、水俣病、社会的犠牲を忘れてはならないとする 『保全のベクトル』が含まれている。そのどちらもが、 水俣に大切な要素であり、一方をないがしろにする ことはできない。そして、水俣の将来に向け、これ ら両ベクトルが同じ軸の上に重なり合い、水俣の歴 史を大切にしながらも明日の水俣を目指す市民の具 体的な活動へつながることが望まれる」(熊本県水俣 市1990、pp.62-63)。 これら2つのベクトル(「進展のベクトル」と「保 全のベクトル」)は、対立する住民意識をあらわして いる。こうしたなかで、「もやい直し」の取り組みは、 どのようにして水俣病事件に積極的意味を与え、2 つのベクトルを重ね合わせて、地域社会統合を図ろ うとしたのか。そのキーワードは「環境」であった。 水俣市は、ごみ分別の徹底やリサイクル産業の誘致 など、「環境モデル都市」の取り組みを進めた。 しかし、花田昌宣が懸念するように、「環境問題」 が前面に出ると、「水俣病」が後景に追いやられてい く恐れがある(花田2017、pp.221-222;除本2016、 p.158)。市民の間に、水俣病を避けて通りたいとい う意識が強ければなおさらである。では、「もやい直 し」始動から30年近くを経た現状はどうであろうか。 (3)「もやい直し」の現在 2016年12月~2017年1月に実施された水俣市民 意識調査がある(植原n.d.)。このなかで「平成6年 から、水俣病問題を踏まえて地域に住む人々の間の 絆(きずな)をつなぎなおし、地域社会の雰囲気を より良くする取り組みが様々な立場の人により始め られました。この取り組みを知っていますか ?」と いう設問に対し、「よく知っている」「まあまあ知っ ている」が38%、「あまり知らない」が39%、「まっ たく知らない」「わからない、答えたくない」が23% という結果だった。 1999年に実施された別の調査では、「もやい直し」 という言葉を聞いたことがあるという人は87.3%で あった(向井2004、p.236)。単純に比較できないが、 「もやい直し」の取り組みは過去の出来事となり、風 化しつつあるといえよう。 たしかにこの30年で、市民の間の対立構造を緩和 するという点ではかなり前進があった。水俣市で民 間の産廃処分場計画が明らかになった際、2006年6 月に市、市議会、自治会長会、商工会議所、複数の 患者団体、支援団体など50以上の団体による「産廃 阻止! 水俣市民会議」が発足し、計画を中止に追い 込んだ(産廃記録誌編集委員会編2009)。こうした 広範な共同行動は、「もやい直し」がなければありえ なかっただろう。 しかし、水俣病事件に積極的意味を与え、まちづ くりの前面に押し出すという点では、「もやい直し」 は道半ばで失速したように見える。その一端は、 1999年に実施された前出の調査から垣間見ることが できる(向井2004)。約20年も前の調査だが、「も やい直し」が始動してから約10年の時点の市民の意 識を明らかにしている。 この調査で、「あなたは水俣病のことをだれとでも わだかまりなく話せますか」という設問への回答は、 「わだかまりなく話せる」が35.7%、「多少わだかま りはあるが、話せる」が39.3%、「まったく話せな い」が6.2%、「わからない」が14.5%、無回答が4.2% であった。前二者を合計すると多くが「話せる」よ うにも見えるが、「多少わだかまりはあるが、話せ る」と「まったく話せない」を合わせて45.5%がわ だかまりを感じているとも見ることができる。 調査では、水俣病という病名の変更に対する意見 も尋ねている。この回答とわだかまりとのクロス集 計を見ると、わだかまりが強い人ほど、病名を変え てほしいという意見が多い。病名の変更は、水俣と いう地域と水俣病事件とを切り離そうとすることだ から、水俣病に対する市民の間での複雑な思いが、水 俣病事件に積極的意味を与え、地域固有性と捉える のを難しくしていることがわかる。 水俣にUターンしたある女性が2014年の時点で次 のように書いている。「帰郷して七年。水俣での年数

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を重ねれば重ねるほど、『水俣病』は水俣外で語られ ることは多くても、まだまだ水俣内で語られること は限られた人、限られた場所、ということを強く感 じています。/公式確認から六〇年近く経っている 今日さえ、水俣の中にある水俣病はまだまだ根強く、 水俣市民が全マうマから向き合っているとは言い難い場 面に出くわすことも少なくありません。『水俣をよく したい。でも、水俣病はもういいやろう』という呑み 会の席での同世代の言葉もずっと頭を離れません」13)。 「負の記憶」を忘れようとする住民意識は、「企業 城下町」の構造が残存していることと結びついてい ると考えられる14)。分社化直前のチッソの従業員数 は市内最大の670人、チッソ関連(チッソが大株主 になっている企業)を含めると1500人を超えていた (水俣市2011、p.9)。水俣市の地域経済におけるチッ ソの地位は、最盛期よりも著しく低下したとはいえ 一定の水準を保ちつづけている(表1、表2)。水俣 市の地域経済は、1990年代半ば以降、長い間苦境に 立たされており、とくに2000年代以降、「ITバブル」 の崩壊により電機・電子産業の従業員数が減少する 一方で、液晶事業が好調だったチッソが相対的に雇 用を維持してきたという面がある(寺床・梶田2016)。 チッソ「城下町」の住民意識が維持されているのは、 このためであろう。 (4)水俣病特措法とチッソ分社化 「企業城下町」の意識が根強い一方で、当のチッソ は分社化を進め、すでに事業を子会社に譲渡してい る。2011年1月、チッソの子会社としてJNCが設立 され、3月末に同社へ液晶などの事業が譲渡された。 チッソの分社化は、2009年7月に成立した「水俣 病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別 措置法」(以下、特措法と略)に基づいている。分社 化は本来、チッソが経営再建策として追求してきた もので、被害の補償・救済とは無関係である。しか し、加害責任を負うチッソに資力をつけさせなけれ ば補償・救済を行えない、という論理に基づいて、分 社化が特措法に組み込まれることになった。 分社化の目的は、チッソの収益事業を水俣病関連 債務から切り離すことにある。すなわち、水俣病関 連債務の返済をになう親会社と、事業会社とにチッ ソを分割して、親会社は事業会社の株売却益で補償 と債務返済を終わらせ、いずれ清算・消滅すると説 明された。残る事業会社(JNC)は、水俣病の加害 責任とは無関係となる(除本2010)。 JNC株売却後は、チッソの清算が可能になるため、 被害補償の主体が消えるのではないかと懸念されて いる。また、チッソは否定したが、特措法の審議過 程で、事業会社が水俣から撤退するのではないかと いう見方も各方面から示された。 2018年にはJNC株売却の動きが浮上した。同年 5月の水俣病犠牲者慰霊式後、チッソの後藤舜吉社 長(当時)が「被害者救済は終わっている」と発言 し、JNC株売却に意欲を示した。同年2月の選挙で 前職を破った髙岡利治・水俣市長も、売却に前向き だとされる。 ただし、JNCの液晶事業は、近年の中国メーカー の台頭などもあり、業績が低迷している。そのため、 2019年6月のチッソ株主総会では、木庭竜一社長が JNC株上場・売却は困難との考えを示した。また、 同年8月には、JNCの子会社サン・エレクトロニク 表 1 水俣市の産業別域内総生産(2016 年度) 表 2 水俣市の化学工業 (百万円、%) 第1次産業2次産業3次産業 水俣市 1,058 (1.2) 29,141 (34.0) 55,489 (64.8) 熊本県 209,429 (3.5) 1,502,439 (25.4) 4,198,504 (71.0) 出所:熊本県「平成28年度市町村民経済計算」より作成。 (百万円) 年 製造品出荷額等 粗付加価値額 1980 16,990 3,306 1985 21,424 7,562 1990 21,191 9,127 1995 23,070 10,902 2000 25,610 11,760 2005 25,344 7,436 2010 62,063 11,630 2015 44,788 10,630 2016 43,033 15,487 2017 40,508 14,909 出所:工業統計調査、経済センサスより作成。

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スの工場閉鎖が発表されている。こうしたなかで、水 俣市の地域づくりの方向性があらためて問われてい る。

4. 「地域の価値」をどう再構築するか

(1)水俣病事件と「地域の価値」 前節で見たとおり、水俣市は1990年代に、公害の 教訓を踏まえ「環境モデル都市」の方針を掲げた。し かし「環境」が前面に出ると、「水俣病」が後景に追 いやられていく恐れがある。加えて、今では環境問 題への取り組みはごく当たり前になり、水俣固有の 「価値」が見えにくくなっている。あらためて「もや い直し」の理念に立ち返るべきではないか(除本 2016、pp.136-167;同2018)。 水俣病事件の普遍的意義(ないし教訓)とは何か。 これにはさまざまな捉え方がありうるが、第1に、他 の「負」の出来事と同じく、生命の尊厳や人権といっ た普遍的な価値を逆説的に示していることがある。 水俣市出身の民俗学者、谷川健一が強調したように、 それらを単なる抽象的概念にとどめてはならない(谷 川2006、p.40)。賠償・救済制度の枠内に収まらな い被害の全体像を捉えるとともに、細部をていねい に掘り起こしていく必要がある。石牟礼道子が『苦 海浄土』(石牟礼1969)で描いたように、水俣病の 被害は、人間と自然が一体となった民衆の暮らし、自 然のなかで生かされてきた人びと、そうしたかけが えのない「個」のトータルな破壊であり、金銭によ る賠償では到底償えないものである。 第2の意義は「もやい直し」を通じた復興過程に かかわっている。水俣病事件は「負」の出来事のな かでも災害に区分され、さらに社会経済システムに 起因するという意味で「社会的災害」(宮本2007、 pp.126-129)という特徴をもっている。30年にわた る「もやい直し」の経験を踏まえれば、その困難や 課題を含めて、社会的災害からの復興に関するさま ざまな知見(いわゆる「復興知」)を豊かにくみ出し うるという普遍的意義も有している。 井出明も指摘するように、福島の復興モデルを考 えるうえで、水俣の地域再生は参照すべき前例であ る(井出2012、p.28)。水俣でも福島でも地域のな かで深刻な分断が起きているが、水俣ではその修復 に取り組んできた長い経験の蓄積がある。行政や住 民など、人びとの記憶として散在するそれらの経験 を記録し、集成し、発信していくことは、「復興知」 の創造であり、新たな価値をつくりだす取り組みで ある。 少なくともこの2つの普遍的意義があるからこそ、 毎年、多くの人びとが水俣を訪れるのであろう。し かし、新潟水俣病があるように、水俣病事件がはら む普遍的な問題提起は、必ずしも水俣の地との関連 性を有しない(谷川2006、pp.39-40)。 したがって、それを水俣という地域へと結びつけ る作業が必要なのであり、その主体は誰よりもまず、 水俣に暮らす人びとでなくてはならない。住民の経 験と記憶に基づいて、水俣病の被害とそこからの回 復の「物語」を集団的に紡ぎ出していくことが、地域 固有性を豊かにするとともに「地域の価値」を再構 築する15)。語られた経験が集合的記憶となり、地域 の歴史のなかに織り込まれていくからである。それ らの記憶は、単に過去に属するのではなく、将来に 向けた普遍的意義も有しているのである。 以下では、そうした「価値」の対外的発信を進め ている2つの取り組み(修学旅行誘致、有機農産品 の加工・販売)について述べたい。いずれも、患者 支援などを行う水俣病センター相思社(以下、相思 社)を源流とする。これらの活動は、水俣市の地域 経済のなかで量的には大きな位置を占めないが、現 代資本主義の動向を踏まえれば価値生産の最前線に あると考えられる。 (2)公害・環境学習と水俣市の観光政策 相思社の機関誌『ごんずい』に「水俣病で飯が食 えるのか ?」という記事が掲載されたことがある(遠 藤責任編集2006)。これは1994年3月17日に行わ れた水俣研究会の記録(当時は非公開)を要約した ものだ。水俣研究会は、水俣市役所の吉本哲郎らが 中心となり「若手の市民有志」に呼びかけてはじまっ た任意の研究会で、相思社のメンバーも参加してい た。行政と患者・支援者16)が歩み寄る1つのきっか けとなった場である(山田1999、p.38)。 当日の研究会では上記のテーマに関するディベー トが行われた。そこで「食べられる」側の提出した アイデアは「①環境産業の誘致、②出版物や情報の 出前、③公害学習、④観光の目玉にする、⑤修学旅 行誘致、⑥環境のフィールドミュージアムにする、⑦ 広島・長崎のようにする、⑧環境立市、⑨リサイク

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ル産業の誘致、⑩補償金と年金で暮らす」というも のであった(遠藤責任編集2006、p.22)。 雑多な意見が出されているが、ここでは、「公害学 習」「修学旅行誘致」が「観光」と並んで貨幣所得を もたらす経済活動だと見なされている点に注目して おきたい。現代資本主義の動向を踏まえれば、これ は、水俣病事件を地域固有性と捉え、貨幣所得の向 上と地域再生に結びつけようとする先進的な見解 だったと評価しうる。 2017年の水俣市の観光入込数は約51万人(市の 人口の約20倍)である(表3)。このなかで、水俣病 を学ぶための訪問客はどれぐらいの割合を占めてい るだろうか。それを直接示す資料はないが、水俣市 立水俣病資料館の入館者数が参考になる(ただしか なり漏れがあるはずである)。2017年度は4万1250 人で、このうち約4割は「水俣に学ぶ肥後っ子教室」 (熊本県内のすべての小学5年生が水俣市を訪問)に よる小学生の入館者である17)。 前記の「水俣病で飯を食う」という問題意識のも とに修学(教育)旅行誘致を進めてきた老舗が環不 知火プランニングである。2017年度受入実績を見る と、教育旅行が2292人、視察研修が622人(うち地 域内宿泊がそれぞれ925人、73人)である。オフ シーズンであればさらに受け入れることは可能だが、 施設の制約もあり、スタッフ3人でできるところま ではおおむね対応しているようである。水俣病の学 習を観光振興と結びつける努力は、これまでのとこ ろ支援者とその系譜を引き継ぐ人びとの範囲にとど まっている。相思社なども同様の活動をしているが、 さらなる広がりが期待される(相思社の2017年度受 け入れは570人)18)。 一方、水俣市の政策では、公害・環境学習と観光 が別々の領域に分離されている。市の計画を見ると、 観光振興は「地域経済の柱」とされ、湯の児、湯の 鶴温泉の振興、道の駅みなまたの整備などが主な施 策となっている(水俣市2014など)。水俣市の観光 入込数(表3)では、湯の児地区の落ち込みがとく に大きく、これらの回復が課題になっているのは理 解できる(「その他地区」の日帰客のみ増加している が、宿泊をともなわないため、地域経済効果は相対 的に小さい)。しかし、観光政策と水俣病学習との関 連は明瞭でない。 水俣市の地域固有性を踏まえて、対外的にアピー ルする「物語」をつくりあげた事例として、『水俣 堂々』という300ページ以上に及ぶ書籍がある(熊 本県水俣市企画・監修2017)。ただし、水俣病事件 の取り扱いは非常に小さい。また、この書籍を作成 したのは、水俣市から委託を受けた東京の広告・宣 伝物制作会社である。水俣市内にも関連の知見や技 術をもった人材はいるので、地域内の主体がこうし た宣伝媒体やコンテンツを作成する体制づくりをめ ざすべきであろう。 水俣病の学習を通じた知識や情動の生産は、現代 的な価値生産であるが、相思社のケースでは、訪問 客のガイド料、機関誌購読、物販、寄付などの形態 で貨幣的価値の獲得にもつながっている。平井京之 介が相思社スタッフによる訪問客への語りについて 述べるように、受け手に強い情動を与える「物語」 は、文字や写真でなく、対面のコミュニケーション によって伝達され、聞き手が自分自身を捉え直し、場 合によっては主体的行動を起こすような作用をもも たらす(平井2012)。 このようなコミュニケーションは少人数でしか実 現しないから、広がりをもたせるには多くの語り手 が登場しなければならない。幅広い住民が水俣病事 表 3 水俣市観光入込数(1998 年、2017 年) (人) (A) 1998年 (B) 2017年 B/A (%) A-B 湯の児 地 区 宿泊 123,666 38,025 30.7 85,641 日帰 253,661 75,479 29.8 178,182 計 377,327 113,504 30.1 263,823 湯の鶴 地 区 宿泊 12,622 6,046 47.9 6,576 日帰 22,557 18,154 80.5 4,403 計 35,179 24,200 68.8 10,979 その他 地 区 宿泊 49,166 39,054 79.4 10,112 日帰 257,295 333,602 129.7 ▲76,307 計 306,461 372,656 121.6 ▲66,195 宿泊計 185,454 83,125 44.8 102,329 日帰計 533,513 427,235 80.1 106,278 総 計 718,967 510,360 71.0 208,607 注: 1998年は出所資料中で観光入込数が最多の年。▲は 負数(観光入込数の増加を示す)。 出所: 「水俣市観光入込数(昭和57年~平成29年)」(水 俣市経済観光課提供資料)より作成。

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件と向き合い、その普遍的意義を読み取ろうとする ことが「地域の価値」の再構築につながるのだが、こ れは前述のようにハードルの高い課題である。こう した取り組みを広げるには、やはりチッソ「城下町」 の住民意識が相対化されなくてはならないだろう。 地元出身の思想家である谷川健一が、水俣市におけ るチッソの存在を相対化するとともに、水俣病事件 の普遍的意義を強調していることは非常に示唆的で ある(谷川2006)。 (3)「産消提携」のゆくえ 教育旅行は単なる観光とは違って、訪問者の側に 主体的に学ぶ姿勢が求められ、現地側も学習や研鑽 が必要とされる。訪問者の間でも大きな差があるか ら、初歩的な学びを求める訪問者を含め、どう無理 なく水俣病事件の核心へと導いていくかが、課題の 1つである19)。その点で、次に見るように「食」と いう普遍性の高い入口の設定は重要である。 1990年に相思社からスピンアウトした「ガイアみ なまた」は、夏みかん(甘夏)の加工、販売などを 手がけている。有限会社の形態をとっているが、複 数の家族による「共同体」というイメージである。 甘夏を生産するのは「生産者グループきばる」で、 前身は1977年に結成された「水俣病患者家庭果樹同 志会」である。患者の多くは漁師であったが、海の 汚染と健康被害のために漁業で生計を立てることが できなくなり、甘夏生産に転換した。当初はあまり 問題意識もないままに農薬や化学肥料を使用してい たが、相思社のメンバーが販売のため東京の生活ク ラブ生協を訪れた際、「公害反対運動をしているのに なぜ農薬に無頓着なのか」と問われ、患者たちは減 農薬・有機栽培に取り組みはじめた(柳田1988、 pp.69-90)。そのため「きばる」は「被害者が加害者 にならない」というスローガンを掲げている。 「きばる」メンバーの樹園地は、水俣市、芦北町、 津奈木町、天草市にまたがる。これら2市2町の夏 みかん生産量は6310tであり、このうち「きばる」 のシェアは394t、6.2%である(2017年収穫)20)。 甘夏の大口取引先は、上記の経緯から長い付き合 いがある生活クラブ生協である。その生産者交流会 で、「きばる」メンバーが水俣病について語りながら、 共同購入を促す。減農薬栽培であるため、安心して 皮まで食べられるというのもセールスポイントの1 つである。 類似の有機栽培品と比較して、価格が安いわけで はないので、購入する側から見れば、水俣病にかか わる甘夏の由来の「物語」が付加価値になっている という面がある。生活クラブ生協が減農薬・有機栽 培に転換するきっかけをつくり、共同購入が患者の 生活再建を支えてきたというストーリーは、交流会 の参加者に強い情動を与えるようである。甘夏の購 入という行為は、そのストーリー構築に自ら参加す ることを意味する。 「ガイアみなまた」の取り組みは、有機農業におけ る生産者と消費者の連帯(産消提携)の一事例と見 なせる。有機農業運動の研究では、生産、加工、販 売にかかわる諸主体のネットワークが地域内で形成 され、地域自給圏をつくりあげてきた事例が高く評 価されている(桝潟2008)。 しかし、前述したように、患者救済に背を向ける 地域社会の構造が長く続いてきたため、「ガイアみな また」は、首都圏など水俣市外に販路を求めてきた。 この点では、「きばる」の生産物を地域内で普及して いくこと、そのために当面は地域内の加工・販売業 者などと連携していくことが課題となろう。水俣病 にかかわる由来を付加価値として、「きばる」の甘夏 やその加工品が地域内・外で販売されるようになれ ば、これは「もやい直し」の1つの実践と見なせる。

おわりに

本稿では、まず前半で、現代資本主義の構造変化 とその特徴を「認知資本主義」論の観点を踏まえて 明らかにした。そのなかで、地域・場所・空間の「消 費」と「地域の価値」が焦点化する理由についても 述べた。 現代では、住民が自らの地域について学び、「地域 の価値」をどう理解して発信するかが地域づくりに おいて重要な意味をもつ。国の「地方創生」政策な どもこの傾向を加速している。どのような制度や ルールで地域固有性を保全するか。誰が「地域の価 値」を商品化するか。それによって誰が利益を得て、 その利益がどのように分配されるか。そこに、行政 や企業を含む地域外の主体がどうかかわるか。「地域 の価値」をめぐる諸主体の相互作用、それを通じた 制度構築が、地域発展の軌道に対して影響を与えて いく。これらは、地域的な政治経済システムにかか

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わる政策論的課題である(この点については、本特 集の佐無田論文で論じられる)。 本稿の後半では、現代資本主義の動向を踏まえて、 「もやい直し」の意義を再評価するとともに、水俣市 で行われてきた実践のなかから、水俣病事件を地域 固有性と捉えつつ「地域の価値」を再構築するため の手がかりを探ろうとした。 その先駆的な事例として、「もやい直し」初期に教 育旅行誘致が提案されたが、その後も支援者を越え る広がりは見られない。また、水俣病患者と支援者 が生業再建のためにはじめた有機農業の取り組みで も、これまでは地域内でのつながりをつくることが 難しかった。水俣における集合的記憶の分断をつな ぎ直していくことが必要であり、その意味でも「も やい直し」は未完の課題である。

付記

本 稿 は、JSPS科 研 費19K12464、19H00614、 17K00694による研究成果の一部である。 1) 筆者も、公害被害や原子力災害からの地域再生を論じ るなかで、「地域の価値」を再構築することの重要性を 述べた(除本2016)。そこでは、長期継承性と地域固有 性という2 つの要素を掲げたものの、「地域の価値」と は何かについて理論的な掘り下げが必ずしも十分ではな かった。なお地域固有性については、池上惇の「固有価 値」(池上2003)、宮本憲一の「地域固有財」(宮本2007、 p.82)などから示唆を得ている。 2) 本稿は、除本(2019)を下敷きにして大幅に加筆を施 したものである。本稿後半は、2018 年 1 月~2019 年 8 月に熊本市および水俣市で実施した聞き取り調査、資料 収集等から得られた知見に基づく。その一環として、「も やい直し」始動期に関し、熊本県水俣振興推進室長を務 めた森枝敏郎氏から聞き取り調査を行った(2018 年 3 月 および6 月)。 3) ボードリヤールやハーヴェイが論じた流行の動員は、時 間にともなう価値増加がないという点で、②の性格を欠 いた「差異」の商品化といえよう。 4)後述のように、地域・場所・空間の「差異」「意味」は、 地域固有の文化、景観などを含む。文化経済学における 価値概念について論じた阪本崇は、「市場とは異なると ころで行われる人々の相互作用のなかで、〔文化的〕価 値がいかに形成されてゆくのか、そして、専門家による 判断がそうした相互作用の中に関わりうるのか」という 視点が重要だとする(阪本2016、p.53)。本稿もこの立 場に近いが、加えて、市場の外側で形成される価値の一 部を、企業が利潤として捕獲しようとする現代資本主義 の動向を重視している。 5) こうした動向は、ジェントリフィケーション研究におい ても、その現代的形態の1 つとして注目されている(藤 塚2017、pp.13-14)。 6) 地域・場所・空間の「消費」は観光だけではないが、主 要な形態の1 つである(Avdikos 2015, p.117)。そのた め本節では、大橋(2010)などによる観光理論のサーベ イを参照した。また、地域経済学の観点から文化観光を 論じた文献として、後藤(2018)がある。 7) 大橋昭一は、観光が従来の「経済的価値」を越えた 「価値創造性」をもつと論じているが(大橋2010、 pp.20-24)、その内容は必ずしも明確ではない。この論点には、 本稿で試みているように「認知資本主義」論を踏まえた 検討が有効であると思われる。 8) 田村明は、「地域の価値」を次のように 13 分類し、さ らにその要素を列挙している。①気象、②自然、③人文 的自然風景、④構築物、⑤ストリート・ファニチャーと 移動物、⑥イベント、⑦景観、⑧雰囲気、⑨人間、⑩飲 食物、⑪特産品・地域産業、⑫物語・事件、⑬独自の方 法(田村1999、pp.58-60)。これらは本稿でいう「地域 固有性」の要素の一覧と理解することも可能である。 9) ハーヴェイは、こうした事象を「集合的象徴資本」

(collective symbolic capital) に基づくレントの獲得とし て論じている(Harvey 2012 = 2013, pp.155-190)。こ の概念を援用した事例研究として、アテネのジェントリ フィケーションを扱ったAvdikos (2015)、スペインの海 産 物 の 原 産 地 表 示 を 扱 っ たMacías Vázquez and Alonso González (2015a, b)がある。これらとは別に、 フランスではテロワールに基づく「準レント」の産出 に関する経済地理学的研究がある(須田・戸川2013; 須田2015)。 10) 「歴史」と「記憶」をめぐる議論については、ホロコー ストの想起について論じたAssmann (2016 = 2019) な どを参照。 11) 「人間の尊厳という価値は、人間の尊厳を極限まで破壊 することから勝ち取られたのだから、この価値の肯定的 な有効性は、その否定的な由来に結び付いたままだ」 (Assmann 2016 = 2019, p.77)。

(14)

12) 1950 年代当時の社名は新日本窒素肥料株式会社で、 1965 年にチッソ株式会社と改称された。本書では、改 称前の時期を含めチッソと表記している。 13) 相思社『ごんずい』第 135 号(2014 年)p.4。 14) 加えて、地域外からの偏見・差別がいまだに根強く、水 俣市出身者が出身地を明らかにできない、といった状況 が解消されていないという点も、指摘しておくべきであ ろう。 15) 富樫貞夫は、この点について、水俣病患者1人ひとり の「再生の物語」を紡ぎ出していくことを提起した(水 俣病センター相思社編2004、p.142)。「再生の物語」と は、患者たちが人間としての回復、「魂の救済」を実現 していくプロセスを意味する。 16) 本稿で「支援者」とは、水俣病患者の支援者をさす。 17) 水俣市立水俣病資料館提供資料、および熊本県からの 聞き取りによる。 18) 環不知火プランニングについては、同「受入実績」 https://www.kanpla.jp/blank-5(2018 年 11 月 8 日 閲 覧)、および聞き取りによる。相思社の受入人数は、相思 社への照会により得た。 19) この点は、本事例に限らず、ダークツーリズムの持続 可能性に関する一般的課題でもある(井出2013、p.153)。 20) 「平成28 年産熊本県果樹振興実績」および「ガイアみ なまた」提供資料による。除本(2019)における数値の 誤りを訂正した。 【参考文献】

Assmann, A. (2016) Das neue Unbehagen an der Erinnerungskultur: Eine Intervention, 2. Auflage, C. H. Beck(安川晴基訳(2019)『想起の文化―忘却から 対話へ―』岩波書店).

Avdikos, V. (2015) “Processes of Creation and Com-modification of Local Collective Symbolic Capital: A Tale of Gentrification from Athens”, City, Culture and Society, 6(4), pp.117-123.

Baudrillard, J. (1970) La Société de Consommation: Ses Mythes, Ses Structures, Edition Denoël(今村仁司・塚 原史訳(2015)『消費社会の神話と構造[新装版]』紀伊 国屋書店).

Boltanski, L. et Chiapello, E. (1999) Le Nouvel Esprit du Capitalisme, Gallimard(三浦直希ほか訳(2013) 『資本主義の新たな精神』上・下、ナカニシヤ). Cloke, P. (1993) “The Countryside as Commodity: New

Spaces for Rural Leisure”, in Glyptis, S. (ed.) Leisure and the Environment: Essays in Honour of Professor J. A. Patmore, Belhaven Press, pp.53-67.

遠藤邦夫責任編集(2006)「水俣病で飯が食えるのか ?  ディベート―水俣の12 年間を振り返る―」『ごんずい』95 号、pp.19-22。 藤塚吉浩(2017)『ジェントリフィケーション』古今書院。 舟場正富(1977)「チッソと地域社会」宮本憲一編『公害 都市の再生・水俣』筑摩書房、pp.38-97。 後藤和子(2018)「観光と地域経済―文化観光の経済分析 を中心に―」『地域経済研究』第34 号、pp.41-47。 濱田武士(2013)「戦争遺産の保存―原爆ドームを事例と し て ―」『 関 西 学 院 大 学 社 会 学 部 紀 要 』 第116 号、 pp.101-113。 花田昌宣(2017)「被害の現場に身を置くということ―水 俣学の構築の経験から―」花田昌宣・久保田好生編『い ま何が問われているか 水俣病の歴史と現在』くんぷる、 pp.217-234。

Hardt, M. and Negri, A. (2004) Multitude: War and Democracy in the Age of Empire, Penguin(幾島幸子 訳(2005)『マルチチュード』上・下、NHK ブックス). Harvey, D. (1989) The Condition of Postmodernity,

Basil Blackwell(吉原直樹監訳(1999)『ポストモダ ニティの条件』青木書店).

Harvey, D. (2012) Rebel Cities: From the Right to the City to the Urban Revolution, Verso Books(森田成也・ 大屋定晴・中村好孝・新井大輔訳(2013)『反乱する都 市―資本のアーバナイゼーションと都市の再創造―』作 品社). 平井京之介(2012)「語りのコミュニティ―水俣『相思社』 におけるハビトゥスの変容―」平井京之介編『実践とし てのコミュニティ―移動・国家・運動―』京都大学学術 出版会、337-363 頁。 井出明(2012)「東日本大震災後における東北地域の振興 と観光について―イノベーションとダークツーリズムを 手がかりに―」『運輸と経済』第72 巻第 1 号、pp.24-33。 井出明(2013)「ダークツーリズムから考える」東浩紀編 『福島第一原発観光地化計画』ゲンロン、pp.144-157。 井出明(2018)『ダークツーリズム―悲しみの記憶を巡る 旅―』幻冬舎新書。 池上惇(2003)『文化と固有価値の経済学』岩波書店。 石牟礼道子(1969)『苦海浄土―わが水俣病―』講談社。 北川亘太(2019)「主体の変容を価値づける装置」『季刊経

参照

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