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戦後における消費者金融の展開 ─金融技術・家計・ジェンダーの視点から─

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はじめに

本論文は,消費活動を支える金融である消費者 金融の歴史を,21 世紀初頭における隆盛の基礎 が築かれた 1960 70 年代を中心に,金融技術・家 計・ジェンダーという 3 つの視点から跡づけるこ とを課題とする. これまでの消費者金融史研究において,高度経 済成長期に消費者金融企業が急速に勃興した要因 は,利息制限法に代表される「高利貸」規制の不 十分さに求められてきた1).これに対して本論文 は,消費者金融企業の「主体的」な経営努力のあ り方と,消費者金融を利用する側の事情を明らか にすることで,消費者金融が隆盛を極めるに至っ た歴史的な背景を実態に即して明らかにする. 分析視角は副題に掲げた次の 3 点である.第一 に,消費者金融企業の金融技術に着目する.周知 のように,バブル崩壊後の長期にわたる不況下で, 消費者金融を利用した低所得層による多重債務が 社会問題として深刻化した2).しかし,考えてみ るとこれはかなり奇妙な事態である.本来,小口 の信用貸付は,利子収入が僅かであるにもかかわ らず,借手の信用情報を収集するために多額のコ ストを必要とする.そのため,情報の非対称性を 克服することが難しく,モラル・ハザードの発生 を避けることができない.したがって,個人,特 に低所得層を無担保の対人信用によって金融的に 包摂することは,極めて困難なはずである3).な ぜ 2000 年代の日本では,返済能力の極めて低い 人々に対する小口の信用貸付が,営利企業によっ て盛んに行われたのであろうか.その根拠を,業 者の「貪欲さ」や「非人間性」に求めるのではな く,金融技術的な「合理性」の観点からまずは検 討してみたい. 第二に,家計の視点である.伊牟田敏充は,か つて,昭和金融恐慌に関する研究を,①構造論的 アプローチと②経営史的アプローチとに分類した 上で,新たに③「預金者アプローチ」が必要であ ると指摘した4).確かにこれまでの金融史研究で は,金融機関そのものの経営史的分析とともに, 政府と金融機関,金融機関と企業,あるいは金融 機関間の構造的な連関について分析が深められて きた一方で,もう一つの経済主体であるはずの家 計についてはほとんど検討されてこなかった.そ こで,本論文では,伊牟田の「預金者アプローチ」 を拡張し,③ として金融史研究の「家計アプロー チ」を採用することで,消費者金融を利用する側 の実態にも踏み込んで検討を加えたい. 第三に,ジェンダーの視点である.本論文では 「家計アプローチ」を採用するものの,「家計」と いう概念には,主として家政学の立場から重要な 批判が提起されていることに留意しなければなら ない.たとえば,御船美智子は,かつて生活問題 は世帯・家族の問題として捉えられてきたため, 「家計や世帯内はブラックボックスとして,家計 内の経済的不平等を不問に付してきた」ことを指 摘している5).近年の消費史研究では,高度経済 成長期の核家族世帯における「財布の紐をにぎる 主婦の力」の「強力」さが強調されており6),実際, 戦後の都市核家族世帯における主婦の家政管理機

<大会報告>

戦後における消費者金融の展開

─金融技術・家計・ジェンダーの視点から─

小 島 庸 平

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能は,夫の外食費・飲酒費・交際費をもその管理 下に置くものであった7).しかし,そのことは, 主婦の側に家計管理責任を発生させることを意味 しており,主婦に対して場合によっては資金借入 の主体となることをも要請するものであった.社 宅に住む主婦を対象とした調査によると,家計に 不足が生じた際に資金を借り入れるのは,夫が 50 件に対して妻が 42 件で,借り入れ先として質 屋とした 8 件は全て妻からの回答であった8) 1947 年に改正されるまで,日本の民法には妻が 借財をする場合には夫の許可が必要であるとする 「妻無能力」規定が存在し(第 14 条第 1 項),夫 からの許可がなかった場合にはその契約を取り消 すことができた(同条第 2 項).戦前期の既婚女 性は,独立した法的主体として金を借りることは 許されておらず,この点に戦前と戦後の大きな断 絶があったのである.戦後の家計は,両性の関係 が取り結ばれる場として固有の歴史的性格を帯び ており,夫と妻との間で時に緊張を孕みながらも, 独特な性別役割に基づく分業関係が組み込まれて いた.そもそも消費者金融は,「サラ金」と呼ば れたことからも明らかなように,都市部のサラ リーマン男性と主婦という,高度経済成長期にお けるジェンダー秩序の基軸を担う世帯を主たる対 象として成長していった.そのことが持つ歴史 的・社会的な意味を,1930 年代から 80 年代まで を主たる対象として吟味してみたい.

Ⅰ 前史──「素人高利貸」の時代

戦前の俸給生活者は,定まった商圏・取引先と 店舗・工場を持つ中小商工業者と異なり,馘首の 危険と転居の可能性から,貸金業者にさえ貸付を 敬遠される存在であった9).そのため,生活防衛 のための資金の借入先は,主として親戚や知人・ 友人に依存しなければならず,ある種の信用制約 に直面していた10).そうした状況下で,中外商業 新報の主筆を務めた小汀利得は,1930 年 1 月の 金解禁以降,勤め人向きの「素人高利貸」が目 立って増加したとの観察を残している11).小汀の 言う「素人高利貸」は,食うものも食わず給料を 貯金し,それを周囲の同僚に融資することで,懸 命に利殖に励んでいたという.監視が容易で情報 の非対称性が小さな職場の同僚を相手に高利を 取って資金を貸し付けるという経済行動は,リス ク管理という金融技術面から見ても合理的であ る.大恐慌期には,俸給生活者が銀行等の制度的 な金融機関を利用することはほとんどなく,しか も預金金利は低下していたから,いわばサイドビ ジネスとしてより有利かつ確実な利殖を求める 「素人高利貸」が増大していたことには,十分な 根拠があったと考えられる. そして,敗戦を経た 1950 年代に入っても,「素 人にはサラリーマン金融がよい」といった形で, 現実の面接関係に根ざした戦前的な「素人高利貸」 が,利殖の有力な方法として相変わらず推奨され ていた12).この段階では,依然として金融機関は 消費者への融資を積極化しておらず,サラリーマ ンの資金借入は必ずしも容易ではなかったから, 戦前期と同様に「素人高利貸」にはなお活動の余 地があったと考えられる. ただし,戦前との断絶的な側面として,月賦を 通じた消費者与信の拡大という事態を指摘しなけ ればならない.満薗論文でも触れられたように, 1950 年代から普及が始まる耐久消費財は,かな りの部分が月賦を通じて購入されていた.第 1 表 によれば,事務・技術職と労務者の月賦利用率は 他の職業と比べると相対的に高く,事務・技術職 は労務者以上に耐久消費財の普及率が高かった. 戦前期には信用制約に直面していた俸給生活者= サラリーマン層への与信が,戦後に入ると月賦金 融の形で拡大していたのである.とはいえ,当時 の金融当局は,インフレに対する根強い警戒感を 抱いていたこともあり,1960 年代に入っても市 中銀行に対して生産金融を優先し,消費者に対す る自動車や住宅などの購入費に対する融資を抑制 するよう繰り返し求めていた13).こうした金融政 策の方針が,新たに登場した消費者金融企業に勃 興の余地を与えることになる.

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Ⅱ 高度経済成長期の団地金融とサラリー

マン金融

1 団地金融の生成と消滅 1960 年代は,現在も名の通った消費者金融企 業が次々と設立された時期である.第 2 表には, その創業者たちの属性と経歴を整理して掲げた. まず,消費者金融勃興の先駆けとなったのが,い わゆる団地金融である.団地金融とは,文字通り 団地居住者を対象として無担保で資金を貸し付け る消費者金融の一種で,団地・社宅の主婦層を主 たる融資の対象としていた.団地金融の創始者で ある森田国七は,1951 年に神戸製鋼へ入社後, 副業として同僚約 100 人に有利子で貸付を行い, 54 年に神戸で森田商事(森田クレジットセン ター)を設立して独立し た人物である14).また, 東京で団地金融を始めた 田辺信夫も,都内の貿易 商社に勤務しながら貯蓄 に励み,無利子で会社か ら借り入れた結婚資金を 転貸して得た利得などを 原 資 と し て,1960 年 に 東京で日本クレジットセ ンターを設立した15).前 節で触れた「素人高利貸」 的な性格を強く引き継ぐ人々が,団地金融を生み 出したのである. 団地金融を始めた契機として,田辺は,「テレビ, 冷蔵庫はもちろん,どの家庭も調度は完備し,文 化生活をエンジョイしているかのように思われた が,逆にその反動で家計に無理が生じ,さりとて 質屋のノレンをくぐるのは,団地マダムのプライ ドが許さぬ事情」を知り,「電気製品や家具の月 賦の最上客が団地マダムならば,現金という名の 商品も必ず売れるはずだ」とひらめいたとい う16).森田もまた,「御存知でしょうか?現金の 月賦販売を」,「現金という名の商品を月賦で販売 する」といった惹句を用いて訴求を行ってお り17),田辺と同様に「現金の月賦販売」といった 表現を用いていた.質屋利用を「恥」とする心性 を持ち,すでに月賦購入に馴染んだ主婦層を顧客 として積極的に取り込もうとした点で,森田と田 第 2 表 主要消費者金融企業の創業者 No. 氏名 企業名 生年 出身地 学歴 職歴 創業年 消費者 金融 開始年 1 森田国七 森田 CC 1930 熊本県 川内工学校 農業・製塩業→神戸製鋼 1951 1956 2 田辺信夫 日本 CC 1922 ― 早稲田大学 貿易商社 1960 1960 3 木下政雄 アコム 1910 兵庫県 神戸工学校 呉服店・質屋経営 1948 1960 4 神内良一 プロミス 1926 香川県 木田農学校 北海道開拓→農林省技官→福祉法人職員→金融業 1962 1963 5 浜田武雄 レイク 1938 鹿児島県 牧園高校 自衛隊→日本 CC 1964 1964 6 武井保雄 武富士 1930 埼玉県 深谷商学校 酒類商→パチンコ店→闇米行商→金融業 1966 1966 7 福田吉孝 アイフル 1947 京都府 西院中学校 金融業 1967 1967 出所: 森田国七『人生何に賭けるか』森田商事,1984 年,16 17 頁,「金が貯まる秘訣教えます!」『婦人生活』20(1),1966 年 1 月,日外アソシエーツ 編『日本の創業者―近現代企業家人名辞典』日外アソシエーツ株式会社,2010 年,プロミス『有価証券報告書』1994 年,アイフル㈱『有価証券 報告書』1998 年,溝口敦『武富士サラ金の帝王』講談社,2004 年,9 10 頁,『東商信用録』1983 年版,1605 頁,「無担保でどうぞどうぞ―サラリー マン金融」『アサヒグラフ』1967 年 3 月 24 日号,24 頁より作成.  注:表中の「CC」はクレジット・センターの略. 第 1 表 主要耐久消費財の職業別・月収別月賦利用率(1964 年 5 月時点) 世帯数 (件) 普及率(%) 月賦利用率(%) 冷蔵庫 洗濯機電気 テレビ 冷蔵庫 洗濯機電気 テレビ 全体平均 914 77.8 86.7 96.6 37.4 29.2 38.7 職 業 自営農林漁業 12 75.0 100.0 100.0 11.1 16.7 8.3 会社・団体経営者 45 86.7 91.1 100.0 15.4 12.2 20.0 事務・技術職 334 83.5 90.7 97.0 40.1 31.7 41.0 労務者 184 64.1 78.8 95.7 43.2 31.0 49.4 個人営業 278 80.9 87.8 97.5 36.4 28.7 33.9 月 収 5 万円未満5−15 万円未満 260193 60.875.6 77.387.6 93.996.9 50.748.6 36.139.3 54.952.4 15 万円以上 431 90.2 91.9 98.2 27.8 21.0 23.9 出所: 上田昭三『大阪市および周辺 9 市の消費者に対する消費者賦払信用調査』関西大学経済政治研究所, 1966 年,18,20 22,26,38 40,44 頁より作成.

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辺は共通していた. その際,金融技術の観点から重要なのが,団地 金融の著しく簡略化された信用審査である.当時 の団地では,入居者に対して一定の所得条件が課 されるなど厳しい選考が行われていたため,一定 以上の支払能力のある人びとが集住していた.そ うした特性を利用して,団地金融業者は信用審査 を団地の入居審査によって部分的に代替し,審査 コストを節約することができた18).外形化された 基準に基づく簡略な審査手法は,迅速な融資を望 む人々の需要にリスクを抑制しつつ応えることが でき,当時としては金融技術上の「革新」といっ てもよいほど画期的なものであった. これに加えて,「団地生活者の競争心とか,虚 栄心とかいうものが利用できること」もまた,団 地金融のメリットの一つであった19).個々の家計 が付き合っている範囲で平均的な消費水準が上昇 し,生活様式が変わってゆくのに追随し,歩調を 合わせてゆかなくてはならないという,高度経済 成長期に特有な「義務感」とでもいうべき発想20) を捉えて,団地金融は急速に発展していったので ある. ただし,団地金融の貸付対象は団地の主婦層で, しかもその借金は「夫に内緒」であることが要求 された.その理由は,「夫が承知なのはその家全 体が困っているから」と説明されている21).夫に 内緒にできる程度の金銭の不足であれば,貸倒れ リスクが低いと判断されていたのであろう.しか し,「夫に内緒」だと家計に変動が生じた場合に 協力が得られず,返済が行き詰まりかねない.入 居審査をクリアしたとはいえ,固有の収入を持た ない団地の主婦による内密の借入は,それなりに リスクの高いものであったから,団地金融業者は 現金配達のため訪問した際の実地観察に基づき, 次のように融資の可否を判断していた. 「担保も何ももらわないでどんどん貸したわけですが, ただ最初は家賃の領収書を見せて貰います.毎月きち んと家賃を払っている家庭なら安心ですね.二,三ヶ 月ためて払っているようなのはおことわりまします. 慣れるとカンでわかりますね.玄関が乱雑なところは おことわり,あがってみてステレオとかテレビとか極 端に新しいところは敬遠します.月賦の支払いに追わ れていますからね.それから極端に家具などの悪いと ころも,収入が悪い家ということでおことわりしま す.」22) ここからは,玄関の様子や家具の状況といった 居住環境を実地に観察し,さらに「カン」を加味 して与信判断が下されていたことが読み取れる. このことは,現実の面接関係と「カン」に依存し なければならないという素人高利貸の限界を,団 地金融もまた共有していたことを示唆している. さらに,後発の同業者が多数現れる中で,「現金 の出前」を行う団地金融は「電話一本で夜おそく 銀座から郊外の団地まで二,三万円を届けるほど のサービス競争だ」23)と言われるように,競争が 加熱する中でコストの増大に直面していた24).以 上のような高リスク・高コスト構造から,団地金 融は 1970 年前後の時期には徐々に姿を消すこと になる. 2 サラリーマン金融の発展と利用者 団地金融にかわって急速な成長を遂げたのが, サラリーマン金融である.再び第 2 表を見ると, 1960 年代に次々と創業した消費者金融業者たち は,非サラリーマンの職種を転々とした後,金融 業を経て独立した者が多く,脱サラして創業した 「素人高利貸」的な団地金融業者たちとは,明ら かに異質な経歴を持つ人々であった.さらに,当 初のサラリーマン金融は,貸付の対象を東京・大 阪などの大都市の中心部に所在する上場企業の会 社社員等に絞り,事務系男女社・職員,つまり自 ら収入源を持つホワイトカラー本人に限定し た25).その信用審査は,「役所なり企業の入社試 験がすなわち当社の貸付調査である」26)というよ うに,勤務先という属性が顧客の全信用情報を織 り込んでいると判断し,大胆に融資を実行すると いうものであった.こうした貸付方法は,団地金 融と同様,金融技術上のかなり思い切った「革新」 であったと考えられる. 以上のようなサラリーマン金融の利用者は,「訪 れる客は男性七割に対し,女性は三割以下」で, 「主婦自身の信用度はまずゼロ」というように,

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文字通りサラリーマン男性を中心とし,勤め先を 持たない主婦は排除された27).借入資金の使途と しては,「男性はやはりマージャン,競馬などの かけごとの資金,ゴルフや旅行,酒その他レ ジャー費」が多かったとされている28).こうした 非生産的な資金使途は債務不履行のリスクが高い ものと想像されるが,にもかかわらず消費者金融 企業の側は,「サラリーマンにとって酒,マージャ ン,デートなどに使うお金は健全資金なんです. 借金して遊ぶくらいのサラリーマンでなけりゃ, 出世しませんよ.だから,うちの会社は正々堂々 と遊ぶお金を,だれにでも,どうぞお使いくださ いといって貸すんです」29)として,「つきあい」の ための飲酒費やそしてギャンブルも含む非生活費 目的の浪費的な借入を「前向き」として歓迎して いた30).以下に引用する記事は,サラリーマン金 融を利用する側の典型的な事情を,かなり明瞭に 物語っていると考えられる. 「(ボーナスは…引用者)まず雲散霧消というところで すね.やっと買った分譲住宅の割賦が六万円,娘のピ アノがこれも割賦で二万円,飲み屋のツケ三万円,上 司や取引先,親類へのお歳暮二万円,その他,生活費 の赤字とか正月の支度,保険など払ったら,ちょうど パーになりましたよ.(中略)忘年会はいっぱいあるし, クリスマスはくるし…女房に相談したって もうない わよ の一言ですからね.部下に対する体面もあるし, ノー・プレゼントでは父親の権威も失墜するだけです よ.(中略)実際,私の常識では サラ金 はこわいもの, レッキとしたヤツは利用しないもの,という感じだっ たんですが,こんど借りてみて,実に合理的で,あり がたいと思いましたよ.これで年末も気が軽いし,だ いじなヒューマン・リレーションもうまくいきます. 返済?それはひと月以内に OK,自社の持株に臨時配当 が出るというんでね.」31) この記事からは多くの事実を読み取ることがで きるが,次の 2 点を指摘するに留めたい.第一に, 夫からの交際費要求に対して,妻が「もうないわ よ」と言い放っている点である.数値のある 1972 年時点で,妻が家計を管理し,夫が小遣い の支給を受ける比率はサラリーマン世帯全体の 80.0%となっており,しかも 75 年 84.7%,78 年 92.2%と増大する傾向にあった32).家計と経営が しばしば未分離とされる農家と異なり,この時期 の都市部におけるサラリーマン家計では妻が家計 全般を担い,職場の交際費はそれとは切り離され た夫の小遣いから支出することが求められた.財 布の紐を握る妻の力は,夫に対して交際費の追加 的な支出を拒否できる程度には「強力」であった といえよう. この点をより立ち入って検討するため,やや時 第 3 表 職業別公団住宅入居世帯主のこづかい収支(1978 年) 管理職 専門・技術職 事務職 現業職 円 % 円 % 円 % 円 % 収入総額 79,152 100.0 51,689 100.0 57,291 100.0 49,113 100.0 うち借金 1,387 1.8 633 1.2 353 0.6 660 1.3 支出総額 86,685 100.0 51,799 100.0 57,263 100.0 49,391 100.0 交際費 12,403 14.3 5,049 9.7 6,673 11.7 6,172 12.5 贈答・諸会費 4,480 5.2 1,697 3.3 2,825 4.9 2,403 4.9 酒代 3,838 4.4 1,660 3.2 2,095 3.7 2,248 4.6 外食代 2,568 3.0 1,002 1.9 842 1.5 771 1.6 レジャー費 10,987 12.7 8,526 16.5 11,108 19.4 8,991 18.2 レジャー用品費 1,612 1.9 1,347 2.6 1,794 3.1 1,028 2.1 ゴルフ 3,075 3.5 1,466 2.8 2,786 4.9 2,064 4.2 パチンコ 622 0.7 1,191 2.3 1,041 1.8 1,195 2.4 麻雀 1,723 2.0 778 1.5 1,582 2.8 870 1.8 借金返済 1,302 1.5 517 1.0 244 0.4 590 1.2 収支(対収入比) −7,533 −9.5 −110 −0.2 28 0.0 −278 −0.6 調査対象者数(人) 119 206 156 100 平均世帯主勤め先収入(千円) 267 221 215 211 出所:国民生活センター調査研究部「世帯主こづかい実態調査集計結果表(資料)」『国民生活研究』18(4),1979 年,78 79 頁より作成.

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期が下るが第 3 表には団地に居住する夫の 小遣い収支を調査した結果を掲げた.本表 を職種別に見ると,赤字幅が最も大きいの は月収が最も多いはずの管理職であったこ とにまず目が止まる.管理職の場合,交際 費支出が他の職種の約 2 倍となっており, レジャー費の絶対額は必ずしも多くはない が,「つきあい」と推測されるゴルフ・マー ジャンが高い比率を示していた.こうした 交際費関連支出に圧迫されて,赤字幅が収 入総額の 10%に迫るほど大きくなってお り,それを補填するために借金への依存度 も相対的に高かった.先に引用した記事中 の「部下に対する体面」や「父親の権威」 といった表現からもわかるように,小遣い 制の制約の下で管理職・父親としての役割期待を 背負う中年男性たちは,「だいじなヒューマン・ リレーション」を維持するコストを,消費者金融 によって賄おうとしていたのである. この点に関連して重要なのが,第二に,「情意 考課」を特徴とする日本の人事制度である. 周知のように,高度経済成長期以降の人事査定 は,仕事実績の秤量のみならず能力と態度・性格 の判定を経て,ともすれば全人格的な評価に及ぶ という「情意考課」が主流であった33).長期間の 企業内競争にさらされたサラリーマンは,すでに 見たように,中年男性としての「体面」を維持す るため,不定期に発生する「つきあい」に必要な 資金を,小遣い制という妻との緊張関係の下で用 意しなければならなかった.その際,仮に職場の 同僚や社内の組合・共済会などから不用意に資金 を借り入れ,それが上司の知るところとなれば, 資金管理能力の欠如した人間として査定に悪影響 を及ぼしかねない.そうしたリスクを避ける上で, 職場の人間関係から切り離された消費者金融企業 を利用することには,借入を周囲に秘匿できると いう点でも大きなメリットがあった34).消費者金 融企業は,かかる中間管理職を中心とするサラ リーマン層の独特な資金需要を把握することで, 急速な成長を遂げていくことになる. ただし,第 4 表を見ると,石油危機までの時期 に業界トップであるアコムとプロミスの貸付残高 が急増しているにもかかわらず,従業員や支店数 は貸付残高ほどには増えていなかった.このこと は,店舗網拡大のための投資が限られ,増大した 資金はほぼ貸出に振り向けられていたことを推測 させる.実際,この時期の銀行や信用金庫・組合 等は,新興の消費者金融企業に対する貸出に極め て慎重であったため,消費者金融企業は低コスト 資金の調達に苦慮し,ほとんどの業者は零細多数 の個人金主から少額の資金を高利でかき集めなけ ればならなかった35).こうした資金調達上の隘路 をいかに突破するかが,消費者金融企業のさらな る発展にとって最も重要な課題となっていた. この点,1970 年代半ばまでの最大手であるア コムは,業界 2 位のプロミス以下とは大きく異な る位置にあった.すでに繊維問屋兼質屋として一 定の地歩を築いていた同社は,68 年に初めて資 金借入を行った際には明石信用金庫・三井銀行三 宮支店と取引を行っており,第 1 図に示したよう に,1967 年の東京進出に際して金利をかなり引 き下げることできた.さらに 72 年からは幸福相 互銀行天満橋支店・三菱信託銀行とも取引を開始 している36).同社は,母体企業の信用力を背景に, 低コストの銀行資金を調達し得る点で大きな優位 性を有していた. これに対してプロミスは,初発の段階では主と して神内良一の出身地である香川県高松市周辺の 親戚・知人等から資金を借り入れており,調達資 第 4 表 アコム・プロミスの年次別貸付金残高と従業員数推移 年 アコム プロミス 貸付金 残高 (百万円) 従業員 数 (人) 店舗数 (店) 貸付金 残高 (百万円) 従業員 数 (人) 店舗数 (店) 1960 1 9 1 ― 1962 6 21 1 2 ― 1964 36 33 4 17 9 1 1966 94 65 4 47 13 1 1968 301 69 6 116 31 6 1970 712 96 11 359 48 7 1972 1,837 155 16 1,183 117 12 1974 4,687 311 33 3,690 244 24 1976 11,833 398 45 10,852 405 45 1978 22,339 498 69 27,084 572 64 1980 56,115 619 93 59,048 698 76 1982 203,746 2,360 395 262,587 2,378 187 1984 217,818 3,170 470 244,604 3,326 491 出所:各社社史より作成.

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金の金利は年利 30%という高利で,自殺でも有 効な生命保険に加入して金主の勧誘・説得に当た るなど,「尺取り虫のごとく」「まるで地をはう資 金調達活動」を展開しなければならなかった37) プロミス以下の大多数の消費者金融企業にとって は,資金調達上の隘路を突破することがさらなる 発展を図る上で最大の課題となっていたのであ る.

Ⅲ 高度経済成長の終焉と消費者金融

1960 年代後半から 70 年代にかけて本格化する 資本自由化の進展は,資金調達難に苦しむ消費者 金融に大きな影響を与えたが,それは正負相反す る 2 側面を持っていた.正の側面としては,資本 自由化によって消費者金融企業が外資から資金を 調達することが可能になった点が挙げられる.た とえば,プロミスは 1970 年代初頭に外国人個人 投資家からの資金導入に成功しているが38),こう した外資導入を通じた金利負担の抑制は,資金調 達に苦しむ消費者金融企業にとって悲願ともいう べきものであった. しかし,その一方で,資本自由化は外資系消費 者金融企業の日本進出を可能にするという負の側 面をも有しており,国内外の同業者間での競争激 化が予測されたため,業界関係者は強い危機感を 抱いていた.とりわけ石油危機後の消費者金融各 社は,低利の外資導入を模索しつつ,一層の規模 拡大を図ることで,外資への対抗力を確保しよう と急ぐことになる. こうした条件下で,消費者金融企業が金融機関 との取引を拡大する契機となったのが,1972 年 のアコムによるローン債権担保化の成功であ る39).消費者金融企業の有する債権の担保価値が 認められたことで,第 5 表に見られるように,プ ロミスも段階的に信金・信組,地銀・相銀からの 融資を拡大し,80 年代に入ると外銀・都銀・生 損保といった大手からも資金を調達するに至っ た.また,80 年代初頭に業界トップに躍り出る 後発の武富士も,1979 年から取締役を受け入れ 第 1 図 アコム・プロミスの年次別貸付利率推移 出典: 各社社史より作成。 30 40 50 60 70 80 90 100 110 19 67 年 1月 19 67 年 7月 19 68 年 1月 19 68 年 7月 19 69 年 1月 19 69 年 7月 19 70 年 1月 19 70 年 7月 19 71 年 1月 19 71 年 7月 19 72 年 1月 19 72 年 7月 19 73 年 1月 19 73 年 7月 19 74 年 1月 19 74 年 7月 19 75 年 1月 19 75 年 7月 19 76 年 1月 19 76 年 7月 19 77 年 1月 19 77 年 7月 19 78 年 1月 19 78 年 7月 19 79 年 1月 19 79 年 7月 19 80 年 1月 19 80 年 7月 19 81 年 1月 19 81 年 7月 19 82 年 1月 19 82 年 7月 19 83 年 1月 19 83 年 7月 19 84 年 1月 19 84 年 7月 アコム(東京) 法定上限金利109.5% アコム102.2% 73.0% 91.25% プロミス102.2% 73.0% 54.75% 47.45% 39.5% 73.0%

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た東京相互銀行をメインバンクとし40),急速に規 模を拡大していく. こうして資金調達の隘路を突破した消費者金融 企業は,さらに新たな金融技術を導入することで 1970 年代を通じて一層規模を拡大していった. とりわけ,信用情報を企業間で共有することによ り,信用審査が部分的に集団化されたことは重要 である.消費者金融企業各社は,1960 年代まで 顧客の信用情報を共有していなかったため,悪意 の債務不履行が多発し,消費者金融企業にとって 深刻な問題となっていた41).そこで,1969 年に 日本消費者金融協会が組織され,72 年には同協 会が中心となってレン ダーズ・エクスチェンジ 社が設立されている.同 社の設立により,利用者 の信用事故情報が個別企 業の枠を超えて共有され るようになり,いわゆる ブラック・リストに載っ た者への融資を事前に拒 絶できるようになった. このことが,債権回収の 確実性を向上させ,消費 者金融企業による与信対 象の拡大にも直接寄与す ることになる. 実際,石油危機後の消 費者金融企業は,資本自 由化が進む下で外資上陸への危機感を一層募らせ ており42),プロミスは,規模拡大を通じて利率を 年 73%に引き下げるため,1973 年の社内目標に 「求めるすべての人にサービスを」として,与信 の大幅な緩和を掲げていた43).こうした規模拡大 の一環として,それまで勤務者本人に限定してい た貸付先を主婦層にまで拡大し,大手各社は「奥 様ローン」(プロミス,1974 年)・「ご家庭ローン」 (アコム,1976 年)などと銘打って女性向け商品 を次々に売り出していった.信用事故情報を共有 したことで債務不履行による損失が減少した分, 新たなリスクをとってそれまで未開拓であった主 婦への貸出に進出したのである. この点を確認するために作成したのが第 6 表で ある.1982 年時点で「家計関係」を目的とする 借入は主婦以外の職種では 3 分の 1 程度から半分 以下の比率に留まっているのに対して,主婦は 93.8%と圧倒的に多く,中でも「家計上のやりく り」が 35.4%と最も高かった.さらに,大手 4 社 の 場 合,66.7% が 家 計 関 係 の 貸 付( 全 体 で は 49.3%)となっており,「家計上のやりくり」は 33.3%でこれも全体の 19.6%より高かった.総じ て二度の石油危機を経た 1980 年代前半の大手消 費者金融企業は,主婦による生活費目的の「後向 き」な資金需要に対して,積極的に融資を行う姿 第 5 表 プロミスの借入先別借入金残高推移 年 借入金残高(百万円) 内訳(%) 個人 事業会社 生保損保 信金信組 都市銀行 地銀相銀 外国銀行 1964 22 100.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 1966 44 97.0 0.0 0.0 3.0 0.0 0.0 0.0 1968 95 94.5 0.0 1.2 4.3 0.0 0.0 0.0 1970 411 28.7 45.1 0.6 25.6 0.0 0.0 0.0 1972 1,093 0.0 61.0 0.6 15.2 0.0 23.2 0.0 1974 2,764 6.1 51.8 0.6 28.7 0.0 12.8 0.0 1976 7,745 1.8 62.8 0.6 17.1 0.0 17.7 0.0 1978 20,987 1.2 55.5 0.6 17.7 1.2 22.6 1.2 1980 66,031 0.0 43.3 0.6 5.5 0.6 9.1 40.9 1982 280,654 0.0 39.0 20.7 1.2 10.4 10.4 18.3 1984 269,771 0.0 31.7 34.1 0.0 15.2 3.7 15.2 1986 209,913 0.0 27.4 36.6 0.0 22.0 4.3 9.8 出所:プロミス社史より作成. 第 6 表 職業別・企業規模別借入金使途(1982 年) (単位:%) 職業別 企業別 会社員 自営商工業 公務員 自由業 主婦 大手4 社 全体平均 分布(N=677) 64.5 10.6 8.7 3.1 7.1 家 計 関 係 冠婚葬祭関係費 4.6 4.2 3.4 10.4 2.5 借金返済 5.5 2.8 1.7 4.8 8.3 8.3 15.4 病院事故などの医療関連費 3.7 5.6 10.2 4.8 4.2 2.5 家計上のやりくり 7.1 6.9 3.4 4.8 35.4 33.3 19.6 入学金寄付金などの教育関連費 4.1 5.6 1.7 4.8 8.3 0.8 ショッピング 5.9 4.2 10.2 19.0 18.8 25.0 8.1 出産関連費 4.2 転居・増改築関係費 3.0 4.2 4.8 0.3 その他 0.2 2.8 1.7 4.8 4.2 小計 34.1 36.1 32.2 47.6 93.8 66.7 49.3 レ ジ ャ ー 関 係 飲食などの交際費 15.1 2.8 20.3 9.5 16.7 14.3 旅行・帰省 13.0 8.3 11.9 14.3 2.1 8.3 8.4 ギャンブル 6.6 2.8 6.8 9.2 趣味・娯楽・スポーツ 15.8 5.6 13.6 4.8 8.3 11.5 その他 0.9 小計 51.4 19.4 52.5 28.6 2.1 33.3 43.4 その他 14.1 44.5 13.6 23.8 4.2 0.0 4.7 出所:『昭和 58 年度消費者金融白書』1983 年,45,65 頁より作成.

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勢に転じていたのである. こうした変化は,石油危機後の 1974 年頃から 顕著になったという点でアコム・プロミス両社の 社史の記述は一致しており44),1970 年代後半に は「大幅ベアが続くことを前提に借りた住宅ロー ンが払えなくなり,サラ金に融資を求めてくる, といった後ろ向き融資の増加とともに,回収不能 のこげつき融資も増えた」と言われている45).実 際,日本消費者金融協会の調査によれば,大手各 社の貸倒率は,対総収入費で 2.3%(1977 年)か ら 4.5%(1980 年)にまで上昇していた46).この 水準は経営を脅かす程のものではなかったが,融 資残高が拡大する中で貸倒率が増えるということ は,消費者金融からの借入によって破産あるいは それに近い状態に追い込まれる人々が増加してい たことを意味している.実際,消費者金融企業が 与信対象を主婦も含む広範な範囲に拡大させてい く過程で,1975 年 5 月には毎日新聞が「『サラ金』 をつく」と題する連載記事を掲載し,翌年 5 月に は大平正芳蔵相がサラ金規制を表明,1977 年に 入ると返済に行き詰まった債務者たちによる自 殺・心中・家出が相次ぐに至った47).同年 10 月 には大阪で「サラ金被害者の会」が結成され,木 村達也・木村晋介・宇都宮健児といった弁護士た ちが先頭に立って消費者金融を相手どった訴訟や 運動が展開されている.こうして消費者金融に対 する世論の厳しさが増していったことが,1983 年の貸金業法による消費者金融規制強化へとつな がっていくのである. 最後に,本稿の分析視角と関わって「サラ金被 害」が拡大する過程で借金に苦しみ,家出・自殺 を選択した男女が,ともに当時の支配的なジェン ダー規範に強く拘束されていたことを指摘してお きたい. まず女性について.1978 年の借金を原因とす る家出・自殺人数を見ると,家出した 1,349 人の うち主婦は 196 人(14.5%),自殺者 180 人のう ち主婦は 11 人(6.1%)であった48).調査方法と 年次が異なるので単純な比較はできないが,第 6 表の消費者金融の利用者に占める主婦の比率が 7.1%であったのと比較すると,家出の比率が倍 以上であるのに対して,自殺はやや少ないという 傾向を看取することができる.過剰な債務を背 負った主婦は,自殺の衝動を抑制しうる程度には 理性的な状態を保ちながらも,家出に走るリスク が相対的には高かったといえよう.借金を苦に家 出をしたある主婦は,家族に向けて次のような手 紙を書いている. 「多額の借金を残した事も申しわけありません.前に話 をした時に,あんなにこれだけかと言われたのに,額 が大きすぎて,とても言えませんでした.結果的には, 言わなかったのがもとで,ふえることになりました. 自分ではどうにも出来ない事もわかっていたのに」49) 21 世紀に入ってからの調査であるが,宮坂順 子は,多重債務問題を「家族には言えない・言い たくない」相談者の比率は,男性 19.9%に対して 女性 35.3%,多重債務問題を契機に「別居や離婚 の話が出ている」相談者の比率は,男性 13.5%に 対して女性 23.3%であったと報告している50).女 性の方が婚姻解消のリスクが高く,多重債務問題 を言い出しにくいという構造があり,そのことが 貸金業法制定直前の時期に認められた上の手紙に もよく表れている.この女性は,手紙の末尾で, 「こんなわたしなんか,妻として,母親として資 格なんかないのです.みんなのそばにいない方が いいのです」とも書いている.多重債務という家 計管理責任からの逸脱が,妻・母親としての「資 格」喪失という自己否定に直結するものとして認 識されており,そうであるがゆえにこの女性は 「家出」を選択しなければならなかった.いわゆ る「家族の戦後体制」の下での家計管理責任の重 さが,女性の多重債務問題を深刻化させる一因で あった. 次に男性について.先にみた 1978 年の借金苦 を理由に自殺した 180 名のうち,男性は 90%に 当たる 162 名を占めており,男性は女性以上に自 殺を選択する可能性が高かった.このことは,当 該期における男性性の問題とも決して無関係では ない.1980 年代の多重債務による自殺者のなか には,事前に生命保険に加入し,保険金が下りる ようになる契約後 1 年が経過するのを待って命を 絶ったと思われる例が少なくなかった.この事実

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に注目した NHK 取材班は,これを「13ヶ月目の 自殺」と呼んでいる.同取材班によれば,保険金 で債務を整理するよう遺書を残し,債権者会議の 前日に自殺した夫を持つある妻は,夫に対する心 境を次のように語ったという. 「ありがたかったです.債権者の人からも銀行や同業者 の人からも『男の中の男やったなあ』とほめられました. (中略)あの人は予科練でしたもんね.最後は死んでも 私らのためになろうとしたんです.潔くて勇気のある 人でした」51) この話を聞かされた「13ヶ月目の自殺」未遂者 である男性も,「遺族の方の気持ちは,正直なと ころだと思う.私だってあのように思われたいと いう気持があったからこそ,自殺を考えたんです からね.潔い日本男子でありたかったんですよ」 と述べている52).これらの発言には,戦争の記 憶やナショナリズムとも絡み合いながら,自死を 選択する際の男性性にかかわる意識が顔をのぞか せている.多重債務に陥った男性がしばしば自殺 を選んだ背景には,家族に迷惑はかけられないと いう「家長」としての責任意識とともに,潔さや 自己犠牲,「男らしさ」といった男性に固有のジェ ンダー規範が色濃く影を落としていた.借金苦に よる自殺に男性が多いことの理由を考える際に は,こうした男性にのしかかる固有の性規範の問 題も無視しえない重要性を有しているといえよ う.

おわりに

最後に,分析視角と関連させながら要旨をまと め,その後の展望を簡単に述べておく. 第一に,金融技術について.高度経済成長期に 勃興した団地金融とサラリーマン金融は,ともに 外形的な指標を利用することで審査コストを節約 し,即時融資を実行するという,ある種の金融技 術の革新を実現した.そして,1970 年代以降に 進む集団的な信用情報管理が,低利化と外資系消 費者金融企業を駆逐する前提となった53)が,その ことが主婦層を含む広汎な人々を顧客として包摂 することを可能にした.消費者金融企業は,金融 技術の発展によってリスク管理能力を向上させた 分だけ,新たな顧客を拡大するべく与信緩和を進 めていたのである.武富士創業者の武井保雄は, 90 年代半ばに次のように述べている. 「大企業では社員が困ったときにはお金を貸すような制 度があって,それで救済していると思うんですね.と ころが,従業員二〇人,三〇人程度の企業にはそうい う救済制度がないんです.ここに,私ども消費者金融 の存在価値があると思います」54) 一貫して規模拡大を追求し,金融技術を洗練す ることに努めてきた消費者金融企業にとって,い わゆる「失われた 20 年」の中で企業の福利厚生 が劣弱化したことは,巨大なビジネスチャンスの 到来を意味していた.消費者金融企業による金融 技術の革新という「主体的」な経営努力に基づく 規模拡大が,冒頭で述べた公的扶助を消費者金融 が代替するという事態の一つの歴史的前提となっ ていたのである. 第二に,家計とジェンダーについて.高度経済 成長期のサラリーマン家計は,近代家族に特有な 性別役割分業と,ホモ・ソーシャルな企業社会で の情意考課とを背景に,独特な資金需要を形成し ていた.この時期のサラリーマン男性は,長期的 な人事評価に直面する中で,「体面」や「権威」 を維持しながら交際費を支出しなければならず, 父親であり部下を持つ中年男性にとって,妻から 支給される小遣いの不足分を補填する上で消費者 金融は重要な存在となっていた.そして,1973 年の石油危機後に賃金の上昇率が伸び悩むと,家 計管理責任を担う主婦に「やりくり」のための借 入需要が発生する.大手消費者金融企業はかかる 動きを敏感に把握し,企業間で共有された信用情 報の利用によるリスク低下を背景に,主婦向けの 生活費資金の融資を積極化させていった.稼ぎ主 である夫と,家計管理責任を担う妻は,それぞれ の担う役割期待を充足させるために消費者金融を 利用しており,消費者金融企業はそうしたサラ リーマン家計の独特な資金需要を巧みに捉えてい

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たのである.そのことが多重債務問題にも強く反 映し,自殺や家出を選んだ男女は,それぞれが当 該期に特有なジェンダー規範に強く拘束されてい た.消費者金融企業の飛躍的な発展は,単に法的 な規制が不十分だったことだけによるのではな い.高度経済成長期以降のサラリーマン家計を基 軸とするジェンダー秩序や企業の人事制度,ひい ては日本社会の歴史段階的な性格にも深く関わる 問題として認識されなければならない. 注 1)渋谷隆一編『サラリーマン金融の実証的研究─歴 史・現状・立法』日本経済評論社,1979 年. 2)たとえば,日本弁護士連合会編『検証日本の貧困と 格差拡大』日本評論社,2007 年,10 頁では,次のよ うに報告されている.「フルタイムで働いても家庭を 維持するだけの収入を維持することが困難であった 横山さんが最初に頼ったのは,公的扶助ではなくて 消費者金融であった.横山さんにとっては,消費者 金融のみが自分の窮状を救ってくれる存在だったの である」. 3)非匿名的な人的関係を持たない企業体による小口信 用貸付の困難については,ベルトーラ・ジュゼッペ ら編『消費者信用の経済学』東洋経済新報社,2008 年を参照. 4)伊牟田敏充『昭和金融恐慌の構造』経済産業調査会, 2002 年. 5)御船美智子「女性と財産の距離と家族共同性――妻 と夫の財産をめぐる構造とジェンダー・バイアス」 『法社会学』51,1999 年,207 頁. 6)ヘレン・マクノートン「蒸気の力,消費者の力── 女性,炊飯器,家庭用品の消費」ペネロピ・フラン クス/ジャネット・ハンター編,中村尚史・谷本雅 之監訳『歴史のなかの消費者─日本における消費と 暮らし 1850 2000』法政大学出版局,2016 年,86 頁. 7)中鉢正美『家族周期と家計構造』至誠堂,1971 年, 71 頁. 8)国民生活研究所『主婦の生活構造に関する調査』 1963 年,113 頁 9)小島庸平「戦前日本の都市家計に対する小口信用資 金の供給主体――1930 年代の東京市を中心に」『経済 学論集』80(1・2 合併号),2015 年. 10)小島庸平「都市家計によるリスク対応と資金貸借」 加瀬和俊編『戦間期日本の家計消費――世帯の対応 とその限界』東京大学社会科学研究所,2015 年. 11)小汀利得『漫談経済学』千倉書房,1932 年,270 頁. 12)倉橋武雄「上手なサラリーマン金融のやり方」『野 田経済』7(2),1956 年 2 月,65 頁.なお,倉橋は, 東京都金融業組合事務局長を務めた人物である. 13)「市銀の消費者金融,好ましくない 山際日銀総裁 語る」『朝日新聞』朝刊,1960 年 4 月 7 日付,および 「消費者金融 市銀の動きが再燃」『朝日新聞』朝刊, 1962 年 12 月 1 日付等を参照. 14)森田の経歴については,森国七『人生何に賭けるか』 森田商事,1984 年,「無担保でどうぞどうぞ」『アサ ヒグラフ』1967 年 3 月 24 日号,24 頁を参照. 15)田辺の経歴については,「金が貯まる秘訣教えます!」 『婦人生活』20(1),1966 年 1 月,「アイデアで掴ん だサラリーマン金融―クレジット・センター田辺信 夫」『オール生活』19(7),1964 年,朝日新聞社会部 編『サラ金』朝日新聞社,1979 年,26 28 頁を参照. 16)前掲「金が貯まる秘訣教えます!」,246 頁. 17)前掲森田『人生何に賭けるか』,32,42 頁. 18)倉橋武雄は,団地金融の利点として,団地の「入 居者はいちおう月収何万何千円という条件があり, 選考も厳しいから,この点では試験ずみ」として, 信用審査を団地入居審査で代替できる点を挙げてい る(倉橋武雄『貸金業の儲け方──こうして儲けよう』 有紀書房,1965 年,114 5 頁). 19)前掲倉橋『貸金業の儲け方』,115 頁. 20)中村隆英『日本経済─その成長と構造第二版』東 京大学出版会,1980 年 215 頁. 21)前掲「金が貯まる秘訣教えます!」,246 頁. 22)前掲「金が貯まる秘訣教えます!」,246 頁. 23)「こげつくサラリーマン金融」『朝日新聞』朝刊, 1967 年 2 月 22 日付. 24)アコムの社史では,自社の成功と団地金融業者と を対比させて次のように述べている.「当時の先発金 融業者で,東西の横綱と言われた『日本クレジット センター』(東京)と『森田商事』(神戸)は『団地 金融』と称し,お客さまに現金を持参する外販を主 としていたが,質屋出身の丸糸(現アコム…引用者) は従来どおり店頭で融資し,お客さまを待つスタイ ルを継続.結果的にそれが人件費の抑制につながり, 成功の一因ともなった」(マルイト株式会社『マルイ ト・アコムグループ 80 年史創業期編』2016 年,94 頁). 25)プロミス株式会社編『プロミス 30 年史Ⅰ』1994 年, 171 頁. 26)同上,246 頁. 27)「サラ金のお客さん採点法」『読売新聞』1971 年 3 月 30 日付. 28)「サラリーマン金融の裏話」『毎日新聞』1967 年 8 月 3 日付. 29)「サラリーマン金融の泣き笑いブーム」『週刊読売』 26(22),1967 年 5 月,30 頁. 30)たとえば,レイクを創業した浜田武雄は,「明日の 米を買う金は絶対に貸すな」という方針を掲げており, 「サラリーマンが前向きな目的のために使うお金を貸 すという姿勢はとにかく徹底していました」と言わ れている(STP プロジェクト編『理解されないビジ ネスモデル消費者金融』時事通信社,2008 年,6 7 頁).

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31)「サラリーマン金融は借りて安心か」『週刊現代』 10(51),1968 年 12 月,130 頁. 32)室住眞麻子『世代・ジェンダー関係からみた家計』 法律文化社,2000 年,140 頁. 33)熊沢誠『日本的経営の明暗』筑摩書房,1989 年, 53 4 頁. 34)前掲「サラリーマン金融の泣き笑いブーム」,30 頁. 35)「インタビュー日本消費者金融協会会長浜田武雄氏」 『朝日新聞』夕刊,1977 年 4 月 5 日付. 36)前掲『マルイト・アコムグループ80年史創業期編』, 108 頁. 37)前掲『プロミス 30 年史Ⅰ』,196 7 頁. 38)プロミスは 1970 年 6 月に英国籍インド人 N.S.Hoon と合弁で子会社を設立し,その後も 71 年のドル・ ショックを契機に外国人投資家への融資を積極的に 呼びかけている(前掲『プロミス 30 年史Ⅰ』319 320 頁,347 348 頁). 39)前掲『マルイト・アコムグループ80年史創業期編』, 108 頁. 40)帝国データバンク『帝国銀行会社要録』,同『帝国 銀行会社年鑑』各年を参照. 41)1963 年刊行の金の借り方に関する指南書では,次 のように述べられている.「今日業者相互の連絡は非 常に緊密になって来たとはいっても,大森での不義 理が八王子のすみまでツツ抜けに聞こえてしまうと いう程徹底してはいないから,あまり気に病む必要 はない」(倉橋武雄『小口金融の上手な借り方』実業 之日本社,1963 年,96 頁). 42)プロミスのある店長は,次のように書いている. 「(外資が)近い将来日本へ上陸し,平然と日本で金 融業者として営業する時がくる.日本の業者が年利 102.2%ならば,外国企業はその莫大なる資本力で年 利を 80%あるいは 70%に下げても収支が合う.その 時になって外国企業と太刀打ちするためにはどうし たらよいか?」(プロミス株式会社『プロミス 30 年 史Ⅱ』,20 頁.原史料は社内報 1973 年 1 月号). 43)前掲『プロミス 30 年史Ⅱ』,2 頁. 44)前掲『プロミス 30 年史Ⅱ』,56 頁,およびマルイ ト・アコムグループ社史編纂委員会編『マルイト・ アコムグループ 50 年史事業編』1991 年,100 頁を参 照. 45)「消費者ローン乱戦──銀行も 殴り込み 」『読売 新聞』1978 年 2 月 14 日. 46)日本消費者金融協会『昭和 52 年版サラリーローン 白書』1977 年,57 頁,同『昭和 55 年版消費者金融 白書』1980 年,50 頁を参照. 47)「今年(1977 年…引用者)ほどサラ金が話題になっ たことはない.借金苦から逃れようとした自殺,心 中や家出が年の瀬まで続いた.だが,まだ社会問題 化してきたばかり.今のままではこの傾向は来年も 変わらないだろう」(「根が深い サラ金地獄 ── 生 活費借金 半数にも」『読売新聞』1977 年 12 月 30 日 付). 48)警察庁「貸金業の利用に関連を有する利用者の自 殺・家出状況調」全国サラ金問題対策協議会『サラ 金被害の現状と対策──サラ金白書』1980 年,111, 116 頁より算出. 49)主婦 D 子(33 歳・現在蒸発中)「家出をした妻の 手紙」『サラ金白書』1982 年,43 44 頁. 50)宮坂順子『「日常的貧困」と社会的排除』ミネルヴァ 書房,2007 年,133 頁. 51)NHK 取材班・斎藤茂男編著『NHK おはようジャー ナル夫たちの憂うつ』日本放送出版協会,1986 年, 108 109 頁. 52)同前書,109 頁. 53)紙幅の制約で詳細は省略するが,1977 年以降に次々 と日本に上陸した外資系消費者金融企業 11 社は,最 終的には1社を残して全て撤退した.その理由として, 日本で外資系消費者金融の経営に当たった W. ホリエ は,国内業者の反対により信用情報機関にアクセス することができなかったことを第一の要因として挙 げている(ホリエ・Y・ウィルフレッド「外資系消費 者金融会社の日本上陸」STP プロジェクト編『理解 されないビジネスモデル消費者金融』時事通信社, 2008 年,88 91 頁). 54)『投資新聞』1996 年 1 月 1 日号(長野修三『消費者 金融業のすべてがわかる本』山下出版,1996 年,121 122 頁より再引用). (筆者・東京大学)

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