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仏教説話の伝播について

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Academic year: 2021

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(1)Title. 仏教説話の伝播について. Author(s). 竹ヶ原, 康弘. Citation. 国語論集, 17: 191-201. Issue Date. 2020-03. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/11236. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) 竹ヶ原. 康弘. ( 79 ). ・妻子の元にはしばらく(数年間)帰らなかった。 ・報酬として黄金三十両を得た。 ・帰路、通りがかった寺院の前で発心し、報酬全てを布施した。 ・無一文で帰宅した夫を妻が訴えた。 ・信 心 深 い役 人 が裁 いた結 果 、夫 の行 為 は賞 賛 さ れ、賞 を得 た。. 当該説話の粗筋は、本稿で扱う仏書のいずれにおいても右記の通 りである。一 方 、固 有 名 詞 や 一 部 の登 場 人 物 の言 動 については、仏 書ごとに差違が見られる。これらについては以下の各節で述べる。 以 下 、節 を変 え、当 該 説 話 が収 録 さ れた左 記 の仏 書 を対 象 に、 説話の伝播や 本文の変化について見てゆく。次に示す書名の下の括 弧内には使用テキストを記した。. 『大智度論』(『大正新脩大蔵経』釈経論部(上)第二十五巻) 『雑宝蔵経』(『大正新脩大蔵経』本縁部(下)第四巻) 『大荘厳論経』(『大正新脩大蔵経』本縁部(下)第四巻) 『経律異相』(『大正新脩大蔵経』事彙部(上)第五十三巻) 『法苑珠林』(『大正新脩大蔵経』事彙部(上)第五十三巻) 『 宝 物 集 』(二 巻 本 (北 海 道 大 学 附 属 図 書 館 蔵 二 巻 本 )、三 巻 本 (京 都 大 学 穎 原 文 庫 蔵 寛 永 二 十 年 刊 )、七 巻 本 第 一 系 統 (『 大 日 本 仏 教 全 書 』第 九 十 一 巻 芸 文 部 )、七 巻 本 第 二 系 統. −191−. 仏教説話の伝播について. 序 本 稿はとある一 説 話 の伝播 について整 理し、その作業を通じ、説 話が伝播する際の特徴について概観することを目的とする。 説話は、その程度を問わず、文字・文章が改変(あるいは編集)さ れつつ伝 承 さ れることが多 い。また、その改変 にも意図 的な改変 と、 偶発的な改変との差違がある。 『 今 昔 物 語 集 』に収 められた説 話 は、いくつかの先 行 説 話 を再 編 集したと考えられており、意図的な説話の改変・再編集の例として 『打聞集』 挙 げう る。また、平 安 後 期 に成 立 したと考 えられている は現 在 下 巻 のみが残 るが、本 書 に収 録 さ れている説 話 には誤 記 が 多 々 見 られ、口 承 による説 話 の伝 播 について検 討 す る際 の一 材 料 となっている。 ここまで説 話の本 文 の変化について述 べたが、一方で 「説話の説 得 力 」「 説 話 の正当 性 」を担 保 す るために、可 能 な限 り大 元 の文 章 を 使 用 しよう 、参 照 しよう とす る作 業 もあったはず である。そこで、 本稿ではインドから中国、そして日本へと伝わった、とある説話の本 文 を概 観す ることで、説 話が伝 わって行 く際 の特 徴 について検 討 し てみたい。本稿で扱う説話(以下、煩を避けて 「当該説話」と表記す る)の粗筋は以下の通りである。 1. ・とある絵師が他国の城に行き絵を描くことになった。. 2. 3.

(3) ( 80 ). (『新日本古典文学大系』 )) 『百因縁集』(名古屋大学中央図書館蔵小林文庫本。 請 求 番 号 / H) 『善悪因果』(架蔵). 7. 6. 婦 児 。 乃 以 与 他。 答 言 。 我 先 世 不行 功 徳 。 今 世 貧 窮受 諸 辛 苦 。 今 世 遭 遇 福 田 。 若 不 種 福 後 世 復 貧 。 貧 貧 相 続 無 得 脱時 。 我 今 欲 頓 捨 貧 窮 。 以 是 故 尽以 金 施衆 僧 。 大 官 是 優 婆塞 信 仏 清 浄 。 聞 是 語 已 讃 言 。 是 為 甚 難 。 懃苦 得 此 少 物 尽 以 施 僧 。 汝 是 善 人 。 即 脱身 瓔 珞 及 所 乗 馬 并 一 聚 落 以 施 貧 人 。 而 語 之 〔芽〕 言 。 汝 始 施衆 僧 。 衆 僧 未 食 是為 穀 子 未 種。 牙 已得 生 。 大 果 方 在 後身 以 是故 言 。 難 得 之 物 尽用 布 施 其 福最 多 。. 以下、前出の各仏書に収録された該当説話と、 『大智度論』収録 の該当説話の本文とを比較する形で作業を進めて行きたい。 次に 『 雑 宝 蔵 経 』に収 められた該 当 説 話 を見 てみたい。 『雑宝蔵 経』は中国北 魏の延興二 年(四 七二)に吉迦夜と曇曜とが共訳した 経典である。釈尊をはじめとしたインド仏教の関係者に関する説話 や因縁物語や譬喩物語が収録されており、これも 『大智度論』と同 じく 『今昔物語集』をはじめとした日本の仏教説話集に影響を与え ている。. −192−. 40. 4. 一、漢訳仏典所収の当該説話本文 本 節 では、五 世 紀 に漢 訳 さ れたとさ れる仏 書 を対 象 に、中 国 に おけるインド仏教説話の伝播について整理しておきたい。 まず 、 『 大 智 度 論 』所 収 の本 文 を提 示 しておきたい。 『大智 度 論』 は、竜樹 著、鳩摩 羅什が弘始六 年(四 〇四)から同七年に訳出 した とされる大乗仏教の論書である。サンスクリット原典もチベット訳も 現存しておらず、そのテキストの伝来には諸説存在する。 以下、 『大智度論』所収の本説話を引用する。テキストは 『大 正 新 脩大蔵経』を使用した。本文中の注は 〔 〕内に傍記した。漢字は現 在 通 行 の字 体 に改 めた(以 下 、 『 大 正 新 脩 大 蔵 経 』からの引 用 には 全て同じ処理を施した)。. (. ). 『雑宝蔵経』四二 乾陀衛国画師罽那設食獲 報縁 昔 乾 陀 衛 国 。有 一 画 師 。名 曰 罽 那 。三 年 客 作 。得 三 十 両 金。 欲還帰家。而見他作般遮 于瑟。問維那言。一日作会。可用幾 許 。維 那 答 言 。用 三 十 両 金 。得 一 日 会 。即 自 念 言 。由 我 先 身 不種福業故受此報 。傭力 自活。今遭福田。云何不作。即語維 那。請為弟子。鳴椎集僧。我欲設会。設会已訖。踊躍歓喜。即 便 帰 家 。既 到 家 已 。其 婦 問 言 。三 年 客 作 。銭 財 所 在 。其 夫 答 言 。我 所 得 財 。今 已 挙 著 堅 牢 蔵 中 。婦 時 問 言 。堅 牢 之 蔵 。今 在何許。夫言。乃在僧中。婦時慊責。即集親里。縛其夫主。詣 断 事 人 。而 作 是 言 。我 之 母 子 。貧 窮 辛 苦 。無 衣 無 食 。而 我 夫. 8. 388.1. 『大智度論』巻第十六第十一 譬 如大 月 氏弗 迦 羅 城 中有 一 画師 。 名 千 那。 到 東方 多 刹 陀 羅 国 。 客 画 十 二 年得 三 十 両 金。 持 還本 国 於 弗 迦 羅 城 中。 聞 打 鼓 作 大 会 声 。 往 見 衆 僧 。 信 心 清 浄 即 問 維 那 。 此衆 中 幾 許 物 。 得 作 一日 食 。 維 那 答 曰 。 三 十 両 金 足 得 一 日 食 。 即 以 所 有 三 十 両 金 付 維 那 。 為 我 作 一 日 食 。 我 明 日 当来 。 空 手 而 帰。 其 婦問曰。十二年作得何等物。答言。我得三十両金。即問三 十 両 金 今 在 何 所 。 答 言 。 已 在福 田 中 種 。 婦 言 。 何 等 福 田 。 答 言 施与 衆 僧 。 婦 便 縛 其夫 送 官 治 罪 断 事 。大 官 問。 以 何 事 故 。 婦 言 我夫 狂 痴 。 十 二 年 客 作 得 三 十 両 金 。 不 憐 愍 婦児 尽 以 与 他 人 。 依 如 官 制 輒 縛送 来 。 大 官 問 其 夫 。 汝 何 以 不 供 給. 9. 5.

(4) 久 処 貧 窮苦 傭作得銭 財 不 用 営 生 業 以 施甚 為 難 雖 復有 財 富 資 生 極 豊広 若 不 善 観 察 不 能 速施 与 遠 観 察後身 知施有果報 勇 猛 能捨財 離於慳 塵 垢 有 是 行 法 人 持施 使 不没 時 彼 画 師 聞 此 偈 已 歓 喜 踊 躍 。著 其 衣 服 乗 此 鞍 馬 便 還 其 家。 時彼家人見著盛服乗馬至門。謂是貴人。心懐畏懼。閉門蔵避。 画師語言。我非他人是汝夫主。其婦語言。汝是貧人於何得是 鞍馬服乗。爾時其夫以偈答言 善 女 汝今 聴 我 当随 実 説 今 雖 捨 施 僧 施 設 猶 未 食 譬如未 下種 芽 茎 今 已 生 福 田 極 良 美 果 報 方 在 後 此 僧 浄 福 田 誰 不於 中 種 意 方 欲 下種 芽 生 衆 所 見 時婦聞已得浄信心。即説偈言 如 仏 之 所 説 施僧 得 大 果 如 今 所 布 施 真得 施 処 所 敬心 施少水 果報 過大海 一切諸衆中 仏僧最第 一 開 意方 欲 施 華応 已 在前. 同書は一 ~二世紀頃に馬鳴菩薩によって編纂されたと伝えられ、 譬喩・伝説など九十種の説話を集成している。これも鳩摩羅什が訳 したとされる。 『大智 度論 』収録 の説 話と 『雑宝 蔵経 』『大荘 厳 論経』所収の説 話 とを比較すると、以下のような差違が確認できる。. 別表1、 『大智度論』『雑宝蔵経』所収該当説話比較. 乾 陀衛 国. 羯那. 弗羯 羅衛国. 『雑宝 蔵 経 』 『大 荘 厳 論 経 』. 罽那. 『大智 度論』 千那. 大 月氏 弗迦 羅 城. 三年. 絵師の出身地. 東方多刹陀羅国. 十二年. 絵師の名 出向いた期間. 石 室国. 出向いた場所. −193−. ( 81 ). 主。得財余用。不担来帰。請詰所以。時断事人。問其夫言。何 以爾 也。答言。我身如電光不久 照曜。亦 如朝露須 臾 則滅。由 是恐 懼。深 自念言。縁 我前身不作 福 業。今遭窮苦。衣食困乏。 故因見彼弗迦羅城 中。作 般遮会。衆僧清浄。心 生歓喜。敬信 内 発 。即 問 維 那 。得 幾 許 物 。供 一 日 食 。維 那 答 言 。得 三 十 両 金 。可 得 供 一 日 。我 三 年 中 。作 所 得 物 。即 与 維 那 。使 為 衆 僧 作 一 日 食 。時 断 事 人 。聞 是 語 已 。心 生 歓 喜 。憐 愍 其 人 。脱 己 衣服瓔珞及以鞍馬并諸乗具。悉施罽那。即分一村落。而賞封 之。華報如此。其果在後。 両書の他に、 『大荘厳論経』巻第四の二十二話に収録された当該 説 話も存在す るが、これは、ここまでに紹介した両 書と比較す ると、 画師が絵を描くために要した期間が記されない、偈が挿入される、 最 終 的 には画 師 の妻 が信 心 を起 こす などと内 容 に差 が見 られる。 『大荘厳論経』巻第四 二十二話 我昔曽聞。弗羯羅衛国有一画師。名曰羯那。有作因縁詣石室 国。既至彼已詣諸塔寺。為画一精舎得三十両金。還帰本国会 値諸人造般遮于瑟。生信敬心。問知事比丘。明日誰作飲食。 答 言 。無 有 作 者 。復 問 。彼 比 丘 一 日 之 食 須 幾 許 物 。答 言 。須 三 十 両 金 。時 彼 画 師 即 与 知 事 比 丘 三 十 両 金 。与 彼 金 已 還 帰 于家。其 婦問言。汝今客作為何所 得。夫 答婦言。我得三十両 金用施福会。其婦聞已甚用忿恚。便語諸親称説夫過。所得作 金尽用施会。無有遺余用営家業。爾時諸親即将彼人。詣断事 処而告之曰。銭財叵得役力所獲。不用営家及諸親里。尽用営 設於諸福 会。時断事官聞是事 已。問 彼人言。竟為爾不。答言 実爾。時断事官聞是事 已 生希 有想。即便讃言。善哉丈夫。脱 己衣服并諸瓔珞及以鞍馬。尽賜彼人。而説偈言. 10.

(5) 金の在所. 法会の食事代. 法会 福田中の種. 三十両. 大会. 衣 服 ・瓔 珞 ・. 堅牢の蔵. 三 十両. 般遮于瑟 福会の施し. 三十 両. 般遮于瑟. 衣服・鞍馬. 大 官 の絵 師 への 瓔 珞 ・ 馬 ・ 一 聚 具・ 一村落. 鞍馬・諸乗. 本 節 では、この両 書に収 録 さ れた当該説 話 について確 認 しておき たい。 まず『経 律異相』収録の当該説 話から見ておきたい。 『経 律 異 相 』 は中国梁の宝 唱が天監十五年(五一六)に撰 述した仏 書である。経 と律 とに散 説 さ れている諸 事 項 を十 四 に分 類 して抜 粋 した一 種 の 百 科 事 典 であり、これも先 に挙 げた 『 大 智 度 論 』と同 様 、日 本 の仏 教説話集に影響を与えている。 テキストは 『 大 正 新 脩 大 蔵 経 』を使 用 した。漢 字 は現 在 通 行 の字 体に改めた。. 『経律異相』第十一卷千那傭画得金設会為婦所訟五 羅施 イ 大月氏弗迦羅城。有一画師。名曰千那。往来東方多刹施羅国。 客画経十二年。得三十両金持還本国。遇見衆僧信心清浄。即 問維那。此衆 幾物得作一日食。答曰。可 用三十両 金。画師併 付 維 那 。乞 営 一 食 。我 明 日 当 来 。空 手 帰 家 。婦 問 。十 二 年 作 得 何 等 物 。答 曰 。得 三 十 両 金 。已 種 福 田 。付 僧 設 会 。婦 縛 夫 以 送 付 官 。具 陳 上 事 。官 問 。不 給 婦 児 而 以 乞 他 。画 師 答 曰。 我 先 世 無 福 貧 窮 常 辛 苦 。遭 遇 衆 僧 是 良 福 田 。若 復 不 種 善 後 世復貧。貧苦相続無得脱時。是故併施衆僧。其断事人是優婆 塞 。即 脱 瓔珞及所乗 馬并聚落以 施画師 。謂之曰 。汝施衆僧。 芽イ 衆僧未食。是為穀子未種而牙已生。而大果在後出大智論。. 続 いて、 『 法 苑 珠 林 』所 収 の当 該 説 話 を引 用 す る。本 書 は唐 代 に 『 経 律 異 相 』などに範 をとって道 世 が著 した仏 書 である。本 書 は多 くの説 話 を採 録 し、また、各 篇 に 「 感 応 縁 」と名 付 けられた説 話 主 体の部分が存在する。. 『法苑珠林』巻第二十一福田篇第十優劣部第二. ( 82 ). 落. 12. −194−. 報償. 右記のような三者の差違 から考えるに、 『大智 度論』『雑宝蔵経』 『 大 荘 厳 論 経 』に相 互 の参 看 関 係 を見 いだす よりは、それぞれ別 な 漢 訳 であり、インドから中 国 に伝 来 した経 典 に該 当 の説 話 が含 ま れていたと考えるべきであろう。 以上 、三 種の漢 訳 仏典 に見られる当該説話 を紹 介し、仏書ごと に本文に差違が生じていることを確認した。以下、節を変え、隋・唐 期の仏書における当該説話を見てゆく。 『経律異相』『法苑珠林』所収の当該説話本文 二、 前 章 において 『 大 智 度 論 』『 雑 宝 蔵 経 』『大 荘 厳 論 経 』に収 録 さ れ た当 該 説 話 を比 較 した。結 果 、三 者 の間 に細 かな文 章 の違 いや 固 有名詞の差違が見られるが、大枠においては同源の説話と考えられ ることを確認した。 仏 教が中国に伝 来(伝 承では後漢明帝期。西暦五 十七年~ 七十 五 年 )して以 来 、幾 度 かの仏 典 漢 訳 がなさ れ、また、仏 教 理 解 のた めに様 々 な仏 書 が編 纂 さ れたが、中 国 では仏 教 を理 解 す るために 様々な仏書が編纂された。本節で扱う『経律異相』は経と律とに分 散 している諸 事 象 を整 理 した書 籍 であり、また 『 法 苑 珠 林 』は仏 教 の諸 事 象 を分 類 し、項 目 別 の概 観 を可 能 にした仏 書 である。両 書 には様 々 な説 話 が採 録 さ れた。日 本 に伝 わり、日 本 の仏 教 説 話 集 にも多大な影響を及ぼしたと考えられている。 11.

(6) 又 智 度論云。如大月氏弗迦 羅城中。有一画師。名曰千那。到 東方多剎 施羅国客。画十二年得三十両金。持還本国。於弗迦 羅城中聞打鼓作大会声。往見衆僧。信心清浄即問維那。此衆 中用幾許物得作一日食。維那答曰。用三十両金足得一日食。 即 以 所 有 三 十 両 金 付 維 那 。為 我 作 一 日 食 。我 明 日 当 来 空 手 而 帰 。其 婦 問 曰 。十 二 年 作 得 何 物 。答 曰 。我 得 三 十 両 金 。即 問。金在何所。答言。已作福田中種子。婦言。何等福田。答言。 施与衆僧。婦便縛其夫送官治罪 。断事大官問。以 何事故。婦 言 。我夫狂痴。十二 年作得金三十両。不憐愍 婦児尽以与他。 依 如 官 制 取 縛 将 来 。大 官 問 其 夫 。汝 何 以 不 供 給 婦 児 乃 以 与 他。答言。我先世 不行功徳。今世貧窮受諸 辛 苦。今世遭遇福 田。若不種福後世復貧。貧貧相続無得脱時。我今欲頓捨貧窮。 以 是 故 尽 以 金 施 衆 僧 。大 官 是 優 婆 塞 信 仏 清 浄 。聞 是 語 已 讚 言 。是 為 甚 難 。勤 苦 得 此 少 物 。尽 以 施 僧 。汝 是 善 人 。即 脱 身 瓔珞。及所乗馬并一聚落以施貧人。而語之言。汝始施衆僧衆 僧未食。是為 穀子未種芽已得生。大 果方 在後耳。以是故言。 難得之物尽用布施。其福最多。 『 経 律 異 相 』・『 法 苑 珠 林 』所 収 の当 該 説 話 を比 較 す ると、 『大 智 度論』と 『法苑珠林』とが極めて近い関係にある。別表1を参照する と、 『経律 異 相』所収の説 話は 『大智度論』の抄出と考えられ、固 有 名詞が共通しているものの、文章には差違が多く見られる。これは、 『経律異相』を編纂する際の要約によるものであろう。 以上、 『経律異相』『法苑珠林』の両仏書における当該説話の受容 について確 認 してきた。両 書は日 本の仏 教説 話 の出 典 として重用さ れ続け、院政期から鎌 倉期といった仏教説話の編 纂が盛んであった 時代を過ぎてから編纂された 『三国伝記』にも影響を及ぼした。 以 下 、日 本 の説 話 集 に採 録 さ れた当 該 説 話 を見 ることで、説 話 13. −195−. ( 83 ). の伝播、あるいは変化について考えてみたい。. 三、日本における当該説話の伝播 前 章 では原 始 仏 典 から隋 ・唐 代 の仏 書 への説 話 の伝 播 について整 理 した。 『経 律異相』『法苑珠 林』は日 本に早くから伝わり、仏 教説 話集の題材となったと先に述べた。本節では 『宝 物集』に収録された 当該説話と、室町 末期から江戸期に成立したと考えられる仏書に 採録された当該説話を見てみたい。 まず 、 『宝 物 集 』に採 録 さ れた当 該 説 話 を見てみたい。 『宝物集』 は一巻・二巻・三巻・七巻といった写 本系統が存在しており、本文の 違 いが大 きい。以 下 、二 巻 本 (北 海 道 大 学 附 属 図 書 館 蔵 二 巻 本 )・ 三 巻 本 (京 都 大 学 穎 原 文 庫 蔵 寛 永 二 十 年 刊 )・七 巻 本 第 一 系 統 (『大 日 本 仏 教 全 書 』第 九十 一巻 芸文 部)・七巻 本 第二 系統 (『新 日 本 古 典 文 学 大 系 』 )の本 文 を引 用 す る。七 巻 本 第 二 系 統 以 外 の 本 文 には私 に句 読 点 を施 した。また、漢 字 は現 在 通 行 の字 体 に改 めた。. 二巻 本 (北海道大学附属図書館蔵二巻本。下三十七オ~同ウ) 天 竺 にゑしあり。伽 毘 羅 城 にしや う よう をえて行 ぬ。妻 子 た ちゐにまつ程 に、世 の中 を過 わひて、ゑしのかへるをたのみて、 おほくの人 の物 をかりてつかひて月 日 ををくりけるに、ゑし十 二年といふに、金を三十両えてかへるに、道のほとりに堂のあり けるに、仏に薄ををさんとて金をすすむるひしりあり。ゑしお もひけるは、家にもちてかへりてはたた今生のたからにてあらん す れ。仏 にまいらせて、生 生 世 世 のたからになさ んと思 ひて、 此金を仏にまいらせける。手をむなしくして家にかへりけるに、 妻 子 よろこひて、何 をかもちてかへりきたるととへは、ありのま. 40.

(7) ( 84 ). 道のほとりの堂に仏に箔を押んとて、金を勧る聖あり。絵師思 ひけるは、此金を持 帰ては、只今生一旦の宝にてこそあらんず れ。仏に参らせて、生〃世〃の宝と成んと思ひて、此金を皆仏 に参 らせてげり。家 に帰 りければ妻 子 悦 て、汝 帰 て返 さ んす ればとて、多く人の物を借たる也。何をか持て帰りけるぞと問 ば、有 のまヽに語 りけるを、妻 聞 て大 に怒 を成 て、我 借 し物 を 何 として返 弁 す べき。定 て借 主 共 の為 に、まどはかさ れなんと す。一人まどふべきにあらずとて、検非違 使に告て公に申しけ れば、事 の有 様 を召 問 れけるに、有 のまヽに申 ければ、心 大 き なる者 なりとて、罪 はせられず して、頓 て綸 旨 を下 し、一 国 の 守護になされにけり。. 七巻本第 二系統巻 六 (『宝物集 閑居友(新日本古典文学大系 )』) 天 竺 に絵 師 ありき。伽 毘 羅 城 より請 用 を得 て行 ぬ。けふけふ とおもふほどに、十二年ををくる。絵師が妻子待かねて、絵師 帰てかへさんとて、人の物をおほくかりてげり。絵師、十二年と 云に、金 三十 両をえて帰りける道に、堂の有けるに、仏に箔を おさむとて、金をすゝめけるに、 「家にもて行たらば、今生の宝 にてこそあらんず れ、仏 にまいらせて、生ゝ世ゝの宝 をなさ ん」 と思 ひて、三 十 両 ながら仏 にまいらせてげり。家 にかへりたれ ば、妻子よろこびて、 汝帰りてかへさんとて、おほく人のものを 借りたり。なにかもて来」ととへ ば、ありのまゝにかたりければ、 妻 子 、大 に怒 をなして、面 あかく、息 あつくして、 我 、今 生 を 主 の為 にまどはかさ れなんとす 。一 人 まどふべきにあらず 」と て、検 非 違 使 につげて、公 に申 ければ、事 の有 様 をめしとはれ けるに、ありのまゝにぞ申 ければ、 心 おほきなるものなり」と て、罪はせずして、一国の主になされけり。. −196−. まにかたりけるを聞 て、此 ほとたのみまちつるかひもなく、今 ははやまとひものに成 ぬとかなしみなけくを、おほやけに此事 をきこしめして、心 おほきなる物 なり、国 のつかさ しるへしとて、 国のかみになし給へり。今生の利生かくのことし。後生のうつた へおもひやり給ふへし。 三巻本 (京都 大 学 穎 原文 庫 蔵寛 永二 十年 刊。十八 丁ウ~ 十 九丁オ) 天 竺 に絵 師 ありけるか、他 国 に久 しくゐけるに、妻 子 立 居 に まちけれともかへらす。男の帰るをたのみに、人の物をかりてつ かひ世 ををくり、年 月 をくらしけるに、十 二 年 といふに、こか ね三十 両えて帰 りけるか、道のほとりにてらありて、仏に薄を おさんとて金をすゝむるひしりあり。絵師思ひけるは、此金を もちて帰 りては、たゝ今 生 一 たんの宝 にてこそあらんす れ。仏 にまいらせて、後 の世 のたからとなさ んと思 ひて、此 金 をみな さゝけて、家に帰りける。妻子よろこひ、なにをか持て帰りたる そといへは、ありのまゝにかたりけるをきゝて、此ほとたのみまち つるかひもなく、いまははやまどひものになりぬとなけくを、お ほや けきこしめして、心 の大 なるものなり、国 のつかさ しかるへ しとて、やかて綸旨を下されたり。今生にさへかくのことし。ま して後世のうつたへ思ひやり給ふへし。 七巻本第一系統(『大日本仏教全書』第九十一巻芸文部) 巻六 天竺の絵師金を仏に供する事 天 竺 に絵 師 ありけるが、迦 毘 羅 城 より請 し用 を得 て行 ぬ。今 日 〃〃と思程に、空く十二年を送けり。絵師が妻子立居に待 かねて、男 の帰 を頼 に、人 の物 を多 く借 てつかひ世 を送 り、年 月 を暮 しけるに、十 二 年 と云 に金 三 十 両 を得 て帰 りけるが、. 40. 「. 「. 「.

(8) 『 宝 物 集 』は多 くの写 本 系 統 が存 在 しており、各 系 統 ごとの本 文 異 同 が著 しいが、当 該 説 話 においても先 に挙 げた二 巻 本 ・三 巻 本 ・ 七 巻 本 第 一 系 統 ・七 巻 本 第 二 系 統 の間で異 同 が多 く見られる。一 方 、説 話 としての大 筋 は共 通 であり、 『 大 智 度 論 』以 下 の当 該 説 話 が絵 師 が三 十 両 を寄 進 した理 由 を法 会 の際 の食 物 としていた部 分 が、 『宝物集』では仏像に金箔を貼るためと改変された点が目立つ。 また、妻 が訴 え出 た先 の役 人 を、 『 大 智 度 論 』と『 法 苑 珠 林 』が 「 大 官 」、 『雑 宝 蔵 経 』が 「 断 事 人 」、 『大 荘 厳 論 経 』が 「断 事 官 」、 『経 律異相』が 「官」としているが、 『宝物集』の二巻本・三巻本は 「おほや け(公 )」、七 巻 本 は両 系 統 とも「 検 非 違 使 」としており、日 本 的 な 語 句 に置 き換 えることでの説 話 理 解 の一 例 として位 置 づけられよ う 。この 「大 官 」を 「 検 非 違 使 」と置 き換 える改 変 は、以 下で扱 う 小 林本『百因縁集』においても見られる。 小林本『百因縁集』については別稿にて簡単な考察を行ったので、 そちらを参看されたい。以下、本文を引用する。 小林本『百因縁集』第二十七話 昔有一人絵師。得請行伽陽城。有妻子有二人。是置於家行去。 妻 子 一 年 侍 之 不 見 。二 年 侍 不 来 。十 二 年 云 得 金 卅 両 還 来 於 途中。修善根所至道心俄発。問一人僧云。此寺以何等重物修 善 問 。僧 云 。金 有 三 十 両 修 云 ヘリ。此 絵 師 取 出 金 。献 仏 供 養 僧 。空 手 還 本 宅 。時 妻 悦 云 。何 物 持 来 速 子 共 食 ヨト云 。男 答 云 。金 三 十 両 有 生 々 生 々 世 々 不 失 納 蔵 云 ヘリ。妻 云 。蔵 何 在 蔵 云 。男 云 還 ツル路 貴 仏 僧 御 坐 。已 奉 供 養 。其 実 不 失 蔵 云。 時妻腹立云。冬夜糸寒汝今来思。夏日温苦吾男今来見待。然 経 十 二 年 来 此 如 得 王 。闇 如 得 燃 思 。已 汝 何 卅 両 金 十 五 両 作 善根。残 十五両不持来乎。其故為養子 共。多借 人 物置 也。吾. 14. ( 85 ). 男 来 速 返 約 束 。汝 来 極 無 情 無 益 也 云 闘 諍 。抑 汝 訴 官 申 令 処 獄 云 。妻 訴 検 非 違 使 処 尤 道 理 也 云 。又 男 何 問 其 亦 件 供 養 之 由陳申。又是道理也。乍二人極哀也云。男令得乗馬女懸無価 宝 珠 脱 衣 令 得 。又 国 王 聞 食 此 事 。垂 哀 譲 国 位 給 云 ヘリ。是 則 修善根。諸天加護有加様果報得也。. 小 林 本『 百 因 縁 集 』における当 該 説 話 の本 文 は、ここまでの各 仏 書 ・説 話 集 の折 衷 のよう な特 徴 を持っており、その出 典 を特 定 す る ことは困 難 である。また、 「 已 に汝 何 ぞ三 十 両 の金 を十 五 両 にして 善根 を作 し、残 る十 五両 を持ち来たらざ る(已汝 何 卅両 金 十五両 作善根 。残 十五両 不持 来乎)」と妻が夫に迫る部 分は、本稿で扱う 他の仏書・説話には見えない文である。恐らく、説教の場において聴 衆の興味を引くために成された改変なのであろう。 もう 一 つの史 料 は、架 蔵 本 であるが、 『 善 悪 因 果 』と題 名 が表 紙 に直接に書かれた一史料である。二 〇一九年六月に古 書肆より購 入 し、著 者 架 蔵 となった。本 文 の検 討 を現 在 進 めている所であるが、 大 本で全 体 で三 十 八 丁 (袋 綴 )の和装 本である。ただし後 半 三 丁 は 後 世 に足 さ れたものらしく、紙 の寸 法 がそれまでと異 なる。序 文 ・ 跋文はなく、表紙には他にも 「豊前羅漢 寺 略縁記」の書き込みがあ り、三 十 五 丁 表 に 「 暦 応 元 年 ニ昭 覚 禅 師 此 山 ニ来 リ玉 フ」の文 が見 える。蔵印や署名等は見られない。 足された紙 に記された説話には宗祇と宗長(原文「宗チヤウ」)の 名 が見 え、後 半 三 丁 は少 なくとも宗 祇 ・宗 長 の生 きた時 代 よりも 後 に書 かれたものと考 えられるが、それ以 前 の部 分 が書 かれた時 代について推測する材料は乏しい。 本書は 『善 悪 因 縁 』と題 さ れてはいるが、 『大 智 度 論 』から採 録 し た説 話 が多 く見 られ、本 稿 の題 材 となっている当 該 説 話 も採 録 さ れている。以 下 に本 文 と該 当 部 分 の写 真 とを掲 載 す る。漢 字 は現. −197−.

(9) 17. ナリ. −198−. ( 86 ). 智度論ニ 見 ヘタ リ. 架蔵『善悪因果』 15 丁裏・ 16 丁表(著者架蔵。著者撮影). 写真1. 在 通 行 の自 体 に改 めて句 読 点 を施 した。送 り仮 名 は本 文 に組 み込 み、捨仮名と判断された字は省略した。合字はそれぞれ読み替え、 汚損で判読が困難な文字は 「〓」とした。 架蔵『善悪因縁』( 丁ウ~ 丁ウ) ナ △迦羅城ノ中ニ一リノ画師アリ。千那ト云。多刹陀羅国ニ行テ モフ 画クコト十二 年ニシテ、黄 金 三十両ヲ儲ケ得リ。ステニ本国ニ還 ルニ、弗迦羅城ノ中ニヲイテ鼓ヲウチ大集ヲナス声ヲ聞テ、行テ ユイ 衆僧ヲ見テ信心清浄ニシテ、即維那ニ問フ。此衆中イクバクバカ リノ物 ヲ以 テ今 一 日 ノ食 トシ玉 ヘルヤト。維 那 ノ云 、三 十 両 ノ 金 ヲ以 一 日 ノ食 トスルニタレリト。即 画 師 モウケ得 ル所 ノ三 十 フ ヨ 両 ノ金 、ミナ維 那 ニ付 与 〓 テ、我 カ為 ニ衆 僧 ノ一日 ノ食 トナシ 玉 ヘト云 テ施 シ、空 手 ニシテ我家 ニ帰ル。其 婦 問 テ曰 、十二 年ノ 間タ労作シテ、何 物ヲカ得 タルト。夫 云、我三 十両 ノ金ヲ得タ リト。婦 ノ云 、其 金 ハ今 何 レノ処 ニカアルト。夫 ノ云 、今 日 皆 衆 シハリ シ 奉行 モトニ送 リテ云 、罪 ヲ 僧ニ布施セリト。婦即其夫ヲ縛 吏官 ナ ノ リ タヽシ、事ヲ決断センコトヲ望ム。大官曰ク、何ヲ以ノ故ニ角イマ キヤ ウ チ シムルソト。婦ノ云、我夫ト狂癡ナル者ナリ。十二年労苦シテ黄 サイ 金 三 十 両 ヲ得 タリ。然 ルヲ妻 児 ニアタヘス、悉 ク以 他 ニ施 シヌ。 ツレ 故ニ縛将来ルト云。大官夫ニ問フ、何ヲ以カ妻子ニ供給セスシテ、 他 人 ニハアタヘタルソト。夫 カ云 、我 前 生 ニ功 徳 ヲ行 セス。故 ニ今 世ニ貧ニシテ、諸ノ辛苦ヲウク。今世ニ施サスンハ、後世又貧ナラ ンコト決セリ。貧々相続セハ得脱ノ期ナカラン故ニ、今頓ニ貧ヲマ ヌカレント欲ス。是ヲ以金ヲ衆僧ニ施ストナリ。大官元是五戒ノ 清信士ニシテ、仏法ヲ信スルコト深重ナリ。依テ画師カ語ヲ聞テ、 讃 シテ云 、勤 苦 シテ少 物 ヲ得 、コトコトク僧 ニホトコス。汝 チハ是 善人ナリト云テ、即身ノ瓔珞ヲヌキ、及ヒ所乗ノ馬等ニイタルマ テ悉 ク画 師 ニタマハリヌト。是 以 按 スルニ、布 施 ノ華 報 ステニシカ 16.

(10) 架蔵『善悪因果』 16 丁裏・ 17 丁表(著者架蔵。著者撮影) 本 書 に収 録 さ れた当 該 説 話 は、 『 大 智 度 論 』に収 録 さ れた当 該 説話を訓読した上で一部を改変している。また、 『大智度論』に見え た 「福田」関係の文が消され、 「布施セリ」と表現が変更されている。. 写真 2. あるいは、本 書 の編 纂 者 が 「 福 田 」の意 をとれなかったのであろう 。 他は 『大智度論』の本文との関連性が高く、 『大智度論』収録説話 の原態を可能な限り残しつつ、説 教の場 に用いう る文章 に改変した ものと考えられよう。 寺 院 、あ るいは僧 侶 が説 教 用 の手 控 えとしてそれぞれの 『因縁 集』を持っていたとされるが、本書もそうした手控えの一つに位置づ けられるのではなかろうか。本書については今後稿を改めて論じたい。. ( 87 ). 15. 結 以 上 、絵 師 が僧 に三 十 両 を施 して妻 に訴 えられた説 話 について 見てきた。インドから中国に仏典が伝わった時点で当該説話が伝来 していたことを 『大智度論』をはじめとした仏典から確認したが、説 話の形は三者三様であった。 一 方 、隋 ・唐 代 の仏 書では 『 大 智 度論 』の説 話 が参 照 さ れ、 『経 律 異 相 』では抄 出 、 『 法 苑 珠 林 』ではほぼそのままの引 用 がなさ れた。 『 経 律 異 相 』『 法 苑 珠 林 』は日 本 でも 広 く受 容 さ れたが、 『宝物 集 』では先 に挙 げたよう な改 変 が見 られた。室 町 末 期 ~ 江 戸 初 期 成立と考えられる小林本『百因縁集』は説教の場での変化が見られ るが、江戸末期までに成立したと考えられる架蔵『善悪因縁』では、 『大智 度論』『法苑珠林』に近 い文章を和様に改 めて採録 したらしい と考えられる。 『善悪因果』を編纂 した人物がいつの時代のどのような人物であっ たかは判 然としないが、 『大智度論』か 『法苑珠林』、あるいは両書に 近い仏書を訓読して 『善悪因果』に採録した事実からは、編纂者(あ るいは、その元となった仏書の編纂者)の 「原典に準拠しよう」とした 姿勢を窺うことが可能であろう。 仏教説話はその必要に応じて形を変えて伝承されることについて、 意 図的な例として 『今 昔物語集』や『宝物集』、また、偶発的な例と. −199−. 16. 17.

(11) 第三十二号所収。二〇〇五年、北海学園大学人文学会)。 ・三 巻 本 :宝 物 集 研 究 会「 京 都 大 学 穎 原 文 庫 蔵 寛 永 二 十 年 刊 『 宝 物 集 』翻 刻 」(『 宝 物 集 研 究 』第 三 集 。二 〇 〇二 年 、宝 物 集 研究会)。 ・七 巻 本 第 一 系 統 :『 大 日 本 仏 教 全 書 』第 九 十 一 巻 芸 文 部 四 (一九七二年、鈴木学術財団編)。 ・七巻本第二系統:小泉弘・山田昭全校注『宝物集 閑居友(新 日本古典文学大系 )』(一九九三年、岩波書店)。 5、書誌データーは以下の通りである。 書名:外題(原表紙打付書)『善悪因果』。 巻数:一巻。三十八丁。 書写年:室町末期~近世初期か。 書型:大本(縦二四・七糎、横一七・三糎)。 注記 :表紙には書名以外に 「豊前羅漢寺略縁起」の書き込みが 見える。三十八丁の内、後半は後代に継ぎ足されたもの らしく、紙のサイズが異なる。 6、 『大智 度論』は、 『国 訳一切経』釈経論部に書き下し文が掲載さ れている。以下、読解の便に供するため、引用する。 譬 へば大 月 氏 の弗 迦 羅 城 中 に、一 画 師 あるが如 きは、千 那 と 名 け、東 方 の多 利 陀 羅 国 に到 り、客 として画 くこと十 二 年 に して、三十 両の金を得、持て本国に還る。弗 迦羅 城の中に於て、 鼓 を打 ちて大 会 を作 す 声 を聞 き、往 つて衆 僧 を見 、信 心 清 浄 にして即 ち維 那 に問 ふ、 「 此 の衆 中 にて、幾 許 の物 か一 日 の食 と作すことを得 るや」と。継 那は答 へて曰く、 「三十両金にして、 一日の食を得るに足る」と。即ち有す る所の三十両の金を以て 維 那 に付 し、 「 我 が為 に一 日 の食 を作 れ、我 は明 日 当 に来 るべ し」と空手にして帰る。其婦問ふて曰く、 「十二年の作は何等の 物を得たるか」と。答へて言く、 「我三十両の金を得たり」と。即 40. −200−. ( 88 ). しては 『打聞集』を挙げた。小林本『百因縁集』の本文変化については 別稿に私見を述べたが、架蔵『善悪因果』は、これらの説話集とは異 なり、原 典 の文 を和 様 に改 め、一 部 の語 句 を置 き換 えて採 録 した 点 に、説 話 の伝 播 の一 特 徴 である 「 正 当 性 を担 保 す るための営 為 」 に加 え、 『 宝 物 集 』の各 本 や 小 林 本『 百 因 縁 集 』に見 られた、 「説話 を理解するための営為」の双方を見ることができよう。 注 1、 『今 昔物語集(新日 本古 典文学大系 )』(今野達 校注。一九 九 九 年 、岩 波 書 店 )の 「 出 典 考 証 」には、 『 今 昔 物 語 集 』の編 纂 者 による説話の再構築以外にも、出典元となった国書が存在したの ではないかとの見解も記されている。 2、中島悦次校注『打聞集(改造文庫第二部第五百二編)』(一九四 二年、改造社出版)「解説」の 「3 用字の事」(十三頁)参照。 3、無 住『 沙 石 集 』は無 住 自 身 が幾 度 も本 文 を改 訂 したため、本 文 が異 なるいくつかの版が存在 す る。拙稿「『沙 石集 』における漢 籍 由 来 の説 話 について」(『 解 釈 』六 十 三号 所 収 。二 〇 一 七 年 、解 釈 学会)では、 『沙石集』のとある説 話の固 有名詞の変化 から、無住 が可能な限り文章の原体に近づけようとしていたと指摘したが、 これも本文中に記したような 「説 話の説得力」「説話の正当性」を 無住が求めた故と考えられよう。 4、二 巻 本 ・三 巻 本 ・七 巻 本 第 一 系 統 ・七 巻 本 第 二 系 統 の語 句 は、 小 泉 弘 ・山 田 昭 全 校 注『 宝 物 集 閑 居 友 (新 日 本 古 典 文 学 大 系 )』(一 九 九 三 年 、岩 波 書 店 )の 「 宝 物 集 解 説 」を参 照 した。二 巻本 ・三 巻本 ・七巻 本 第一系統 ・七巻本第二 系統については以 下 の通りである。 ・二巻本:追塩千尋・北海道説話文学研究会「北海道大学附属 図 書 館 蔵 二 巻 本『宝 物 集 』翻 刻 」(『北 海 学 園 大学 人文 論集 』 40. 33.

(12) ち問ふ、 「三十両の金は今何所にか在る」と。答へて言く、 「已に 福 田 の中 に在 つて種 ゑたり」と。婦 の言 く、 「何 等 の福 田 ぞや 」 と。答 へて言 く、 「衆 僧 に施 与 せり」と。婦 便ち夫 を縛 して官 に 送り、罪を治め、事を断ず。大官問ふ、 「何事を以ての故ぞ」と。 婦 の言 く、 「 我が夫 は狂 癡 なり。十 二 年 、客 となりて作 り得 た る三十両金を、婦児を憐愍せずして、尽く以て他人に与へたり。 依 つて官 制 の如 く、輙ち縛 して送 り来 れり」と。大 官 其 夫 に問 ふ、 「 汝 は何 を以 てか婦 児 に供 給 せず して、乃 ち以 て他 に与 ふ るや 」と。答 へて言 く、 「 我 は先 世 に功 徳 を行 ぜざ りしより、今 世 は貧 窮 にして諸 の辛 苦 を受 く、今 世 に福 田 に遭 遇 せり。若 し福 を種 ゑず んば、後 世 復 た貧 ならん。貧 と貧 と相 続 して脱 す ることを得 る時 なし。我 今 頓 に貧 窮 を捨 てんと欲 す 、是 を 以ての故 に、尽く金を以て衆僧に施せり」と。大官は是れ優婆 塞 にして、仏 を信 ず ること清 浄 なり。是 語 を聞 き已 つて、讃じ て言 く、 「 是 は甚 だ難 しと為 す 、懃 苦 して此 少 物 を得 たるに、 尽く以て僧に施す、汝は是れ善人なり」と。即ち身の瓔珞を脱 し、及び乗 る所の馬并に一聚落を以て貧人に施 し、之に語って 言く、 「汝始めて衆僧に施すに、衆僧 未だ食せず。是れ穀子未 だ種 ゑず して、芽 已 に生 す ることを得 たりと為 す 。大 果 方 に 後 身 に在 るべし」と。是 を以 ての故 に言 ふ 「 得 難 き物 を尽 く用 ひて布施すれば、其の福最も多し」と。 7、 『国史大辞典』同項。藤田宏達執筆。 8、 『集英社世界文学大事典』、 「雑宝蔵経」。岡田真美子執筆。 9、注1書、 「出典考証」。 、 『総合仏教大辞典』、同項。 、 『日本国語大辞典』、 「経律異相」。 、 『日本国語大辞典』、 「法苑珠林」。 、池 上 洵 一 校 訂『 三 国 伝 記 (上 )』(一 九 七 六 年 、三 弥 井 書 店 )、 13 12 11 10. 「解説」の 「四 伝承関係の問題点」(十三頁)参照。 、追 塩千尋 ・北海 道説話文学 研究会「名古屋大学附属 図書館蔵 小林文庫本『百因縁集』上 巻翻刻」の 「 出典・類話」で、当該説話 についての簡単な説明を行った(『北海学園大学人文論集』第六十 八 号 掲 載 予 定 。北 海 学 園 大 学 人 文 学 部 、二 〇 二 〇 年 三 月 刊 行 予定)。そちらも参照されたい。 、袴 谷 憲 昭「 道 世『 法 苑 珠 林 』の 「福 田」文 献 」(『駒 澤 短 期 大 学 研 究 紀 要 』第 三 十 二 号 所 収 。二 〇 〇 四 年 、駒 沢 短 期 大 学 )に、 「福 田」についての考察が存在し、 「福」を 「田」の様に取り囲んでいる場 所 、とさ れる。なお、本 論 文 には、当 該 説 話 の語 句 についてサンス クリット語 の注が付 さ れており、当 該 説 話 について理 解 す る際 に は一見されたい。 、和田恭幸「説 教と通俗仏書」(『國文學』第四十九巻五号所収。 二〇〇四年、學燈社)。 、 『 法 苑 珠 林 』には 「福 田 篇 第 十 」という 巻が存 在 しており、本 書 を通読して内 容を理解していたならば、あるいは 「福田」の語句を 残した可能性があろう。このように考えた場合、 『善悪因果』の著 者が参看した仏書は、 『法苑珠林』ではなく、 『大智度論』、あるい は 『大智度論』を元とした別な仏書であったのではないか。 (たけがはら やすひろ/北海道教育大学釧路校非常勤講師). ※成稿にあたり、小枝駿氏(大東文化大学職員)の助力を得た。 記して御礼申し上げる。. −201−. ( 89 ). 14. 15. 16. 17.

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