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主観的社会指標のねらいと問題

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Academic year: 2021

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(1)Title. 主観的社会指標のねらいと問題. Author(s). 宇田川, 拓雄. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. B, 社会科学編, 35(2): 27-42. Issue Date. 1985-03. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/4463. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 主観的社会指標のねらいと問題点. 宇. 田. 川. 拓. 雄. S I. は じめ に. 最近, 満足度あるいは幸福度というものが生活状態や社会状態, あるいは生活の質のよしあしを 示す指標として次第に広く用いられるようになって来た.その使われ方は,社会発展のバロメーター としてGNPが使われているのと良く似ている. 各種の満足度調査によると, 我が国の国民の過半 数が現在の生活の色々な側面にかなりの程度の満足感を抱いている(注1) . このことは何を意味す るのだろうか. GNP (国民総生産) が経済学理論に支えられた学問的な測定, 分析のための道具 であるのに比べて, 満足度は未だに理論的概念としては確立されたものではない, 従って, 満足度 の解釈も様々 であっ て, 高い満足度は政府の政治がうまくいっ ていることの証なのか, 国民が真に 幸福 であることなのか, それともアンケート調査への回答者が気紛れに答えたもので, その数値は 実際には何の意味も持たないものなのか, はっ きりしないところがある. この論文では, 満足度とは何かということや, 満足度の測定や, それと深い関係を持つ社会指標 や社会計画との関連を考えてみたい. 満足度の意味はあいまいであるが, しかし満足度という人間 の主観的な回答はその内容を詳しく調べる価値はあると思われる.. S 2. 社会指標運動 満足度は, 今日では主観的社会指標と呼ばれる概念的な分析用具の一種と考えられており, 主観 lind i i i i ) と 対に t j 的社会指標 ( cator a vesoc ec sub vesocialindicator) は 客 観 的 社 会 指 標 (object なって社会指標を構成している(図-1) . 主観的社会指標が測定するものは対象, とくに環境に対 する人間の主観的な意識で, 満足感, 幸福感, 安心感, よろこび, 心配感, 懸念, 疎外感, 悲しみ ived we l l ing) と 呼 ば れ る こ と が 多 い be な ど で, こ れ ら は 一 括 して 知 覚 さ れ た 福 祉 (perce ‐ .. i li i t 社会指標 ( ) は一般的に言えば, 社会の状態を数値によって指し示すもの である a soc nd o r ca と定義できる. 社会指標という用語が広まり一つの専門 的タームとして定着したのは,1960年代に lindicator movemen i t ) 以来である. 社会指標運動と アメリカでおこっ た 「社会指標運動」 ( soc a J は, 社会指標の研究と社会指標の作成が流行となっ て広まった現象をいうが, そのブームを引き起 ) と いう 書 物 で こした直接の引き金は, レイモンド・バウァー編著の 『社会指標』 (Baue red. ,1968 ある. バウァーらは政府の依託を受けて, NASAによる宇宙探検が社会に及ぼす効果の研究を行 なった. その一番の成果が簡単にいえば 「我々は自分たちが今どのような状態にあり, 過去にはど のような状態であり,今後どんな方向に進んで行くのかを指し示す指標を殆んど持っていない」(同, 27.

(3) . 宇田川. 拓. 雄. 図-1 社会指標の構成 客観的社会指標 ;ノ・一 ド・データ ia lind i i ject ob vesoc cator. 社会指標 i l i i soc a nd cator. (社会状態の表示). (客観的側面の表示) 病院数, 医師数, 上下水道普及率,人口, 失業率, 持ち家率, e t c . 主観的社会指標 ; ソフト・データ ia li i ivesoc ject nd cator sub. (主観的側面の表示) 満足感, 幸福感, 心配感, 喜び,不安感, 誇り, 期 待, et c .. 第二章) という発見である. 彼らは, 指標体系の整備と, 真に必要 であるけれども今は利用不可能 なデータの収集を開始することを提案している. 宇宙探検事業は単に人間を月面に着陸させ, 無事 に 地球に帰還させるという仕事 を成功させるだけでなく, 社会全体に対して広く深い種々の波及効 tsociety)』 の 建 設 に 大 い に 寄 与 す る は ず の ea 果をもたらしブ 究極的にはいわゆる 『偉大な社会 ( gr . ものであると考えられていた, それを客観的かつ科学的に立証しようとしたところ, その目的に利 .国民が以 用 できる有効 なデータが殆んどなかったというわけである. 病院のベ ッ ド数はわかるが, 前より健康になったのか不健康になったのかを示すデータはない, 犯罪発生率は上がづているが, それは社会がより危険になっ たためなのか, 人々 が以前よりも犯罪に敏感になったため警察への通 報率が上がっ たことに原因があるのか, よくわからない. バウァーは宇宙探検が社会に与える影響を調べようとしたが, NASAの宇宙探検事業は広く解 釈すれば国家事業, 社会政策, あるいはその事業が遠く広い波及的影響まで考慮しているのであれ ば計画的社会変動, ないし社会計画と見なすことができ.る. すなわち, この問題は, 国家が社会に 対してなんらかの働きかけを行なっ たときの効果をどのように評価すれば良いのかという問題と結 びつく. 政府の行為は国民の福祉の向上を目的としているが, その政策はねらった効果をもたらし ているのだろうか. 社会指標はこのような疑問に答えるために, 社会状態を測定するための科学的 で客観的な測定及び分析のための道具として構想されたのである.. S 3. 社会指標の原型 今知られている限り では, そのような性格を持っ た社会指標, つまり 社会状態の測定の原型は ’ iaI Trends, ident t tee on Soc s Research Commi 19 33年に発表された 『最近の社会の趨勢』 (Pres 19 33 ) であっ て, この報告書は6人の 主として社会科学者からなる委員会によ って作成された. そ の6人の中に社会学者W. オ グバーンがいる. 彼は報告書では 一部分を分担して執筆しているだけ だが, この報告書の性格付けや作成の方法論についてきわめて重要な役割を果たしていた. 彼の主 l i 1982 ) 1 ) (注2) )[この報告書は] 社会の趨勢 ( soc a 張は次のように要約 できる (0gburn ,1982( .( 限定する d 2 ( ) 事実の客観的な記録に対象を t )の事実を研究する. 意見を研究するのではない. r en s . 3 )政策や行動の提言を行なうものではない. 何をどうするかは読者の 数値データが最も好ましい.( 4 )専門家だけ でなく 一般の読者も対象とする. 仕事 である.( オー グバーンは (社会) 科学と現実の社会現象の関係について次のように述べている. 28.

(4) . 主観的社会指標. 「…科学が依拠する決定論 〔出来事はその生起に先立って決定されているとする考え〕 の立場か ら言えば, 行動を起こすための最も賢いやり方は, 人間の意志の力だけを基盤とするのではなく, 最初, 何が起こりそうか を知り, しかる後にその起こりそう なできごとを修正する行動を計画す ) る こ と であ る.」 (0gburn .128 ,p. バウァーが人間の起こす社会変動を考えているのに 対して, それより約30年前のオ グバーンは, 社会変動の方向の修正を人間が行なうと考えていたという意味でややマイ ルドであっ た。 あるいは オ グバーンの時代ではそれが常識的な考えであったのかもしれない.. S 4. 社会指標と経済指標 このオグバーンの時代 ( 193 1960年代) の間に, 今日の社会指標の性 0年代) とバウァーの時代 ( 格付けにとって大変重要な社会変化がアメリカ社会で生じていた. よく知られているようにアメリ カの1 93 0年代は大恐慌の時代 である. 当時政権の座にあったフー バー大統領は, 科学の力を信じて おり, 技術を持っ. た専門家が政策の立案やその実行に大いに寄与できると考えていた。 彼は当時の アメリカ社会がどんな状態にあるのかを知ろうとし, それを調べ るための委員会の設立を命じた. この委員会の報告書が前述の 『最近の社会の趨勢』 である. フー バー大統領は不況に対しては, 古 典経済学の教科書どおりの政策をとっ た. つまり彼は均衡財政政策をとり, 景気に対しては極力政 府の介入を避けようとした. 社会計画とは反対の方向に進んだのである. 結果は失敗で, 景気は回 復せず, 作成の遅れていた 『最近の社会の趨勢』 は, 彼の任期切 れに辛うじて間に合って発表され た の であ る.. フー バーに代わっ て政権を担当したルー ズベルト大統領は, 自由放任的なアメリカの政治経済の 伝統的なやり方に反して, 国家が積極的に社会の動きに介入する政策をとり成功した. 彼のやり方 は粉れもなくケイン ズ的 であっ た (注3) 37年には完全に立ち直っ ていたとい 。 アメリカ経済は19 われる. エコノミストたち が続々と中央官庁に採用されケイ ンズ経済学に 基づいた新 しい政策を 次々に立案し実行していっ た. その結果は目覚ましいものであっ た(ガルブレイ ス,『回想録』 , (訳) 1 9 83 , 5~9章) . そこ で「経済学は自然科学と同じように, 客観的に経済現象を説明 できると同時 に, 失業の解消やインフレの抑制などさま ざまな経済的・社会的目標を達成するための政策を理論 的に導き出すことができると考えられるようになっ た」(日本経済新聞社編, 『資本主義, 1 983 』 . ,p 1 87 ズ経済学の最大の貢献は 「 ) 人間の理性によ て経済はある程度コントロー ケイ ン ルできる 」 っ . ). こ の 見 解 は マ ルク ス や シ ュ ン ペ ー タ ー が 資 本 主 義 は こと を 証明 した こ と であ っ た (同 書, p .178. 人間のコントロールの及ばない自然史的過程と見たのと大きな違いである. こののち経済学は一大 発展をとげ,ケイン ズ革命は1 95 0年~196 0年代にその全盛期を迎える.この経済学の成功は経済の 分野に於ける社会計画の成功を意味すると考えられる. 実はその蔭には19 30年代から1940年代にかけて, アメリカ では経済統計の 整備, 拡張が著しく 進んでいたという事実があり, それが経済分析と経済報告の基盤となる正確で大量のデータを提供 していたのである. そしてアメリカでは最終的には経済分析や経済報告を専門的に扱う委員会が作 ion tmen t of Heal th, Educat ら れ, 政 府機 構 と して 機 能 す る よ う に な っ た の であ る (U.S. Depar , l fare 1 9 0 7 グバ 趨 ) ー 『 社 会 当 完 成 た 統 オ ン 最 近 の 勢』 時 し ば か り 経 済 計 の の の は の and We v p , ,. .. IBureauofEconomic Research,1929) i t 報告書である『合衆国における最近の経済的変化』(Na ona にならったものだが, この報告書を作成した委員会は大統領になる前のフー バーの発案になるもの 29.

(5) . 宇田川 拓 雄. であっ た. フー バーは科学知識を利用した政治を試みようとして, 経済統計や経済報告などの準備 を整えたが 「誤っ た」 経済学理論故にそれをなしえず, 次のルーズベ ルトがその狙いを実現したと いう こ と が でき る だ ろ う.. 以上が経済指標に基づいた社会計画の例 である. 社会指標はこれを社会的な要素について行なお うとする試みであるとみることができる.. S 5. 経済指標から社会指標へ 195 0年代, 1 96 0年代は経済学の 全盛期 であっ た. つまりある 意味で経済学が社会変動をコント ールしていたのである ロ . しかし, 1960年代にはアメリカ社会には暗い影が忍び寄っていた. 経済 指標をにらんでの景気のコントロールがうまくはいっていたが, 他方 でそれだけではすまないよう な事態が出現してきていた. アメリカは大変豊かになっ たが, 経済的な富の増加は, 必ずしも人々 の幸福を増進させるものではないことが益々強く認識されるようになっ た. 当時アメリカ社会は, i i ) u rbanc r s s 犯罪の多発, 麻薬, 人種問題, デモの頻発, 都市地域の崩壊 ( , 環境汚染, 豊かな社 会の中に於ける貧困の存在の発見, などにより大きく動揺しており, 社会指標はもしかしたらこれ らの問題を解決してくれるものとして期待され,その期待が社会指標の研究や作成のブームとなり, 同じような悩みを抱える先進諸国にも広がっ たのである. (注4) 「社会指標運動」とは, 経済学者たちが試みて 成功した企てを, 今度は非経済的な要素に対して, 政治学者, 社会学者, 政治家, 官僚, 統計学者, 心理学者, 経済学者, つまりは社会指標の研究・ 開発に携わる人々 が再び試みようとする一連の行動をいう. 貨幣の量 (ドル) 単位で測定される膨 大な分量の各種様々 な経済統計は, 定期的に収集され, 国家の公式のデータ・ ブッ クに載せられて いて, 自由に利用することができる. 社会問題が山積になっているのは, 社会が変化し, より複雑 になって, もはや経済的要素の監視 (モニタリン グ) だけでは, コントロールが効かなくなってき たため であり,今後は社会的要素の監視によるコントロールを行わなければならない.これらの人々 は多かれ少なかれこのような考えを持っていたと推測 できる.. S 6. 「社会報告」 をめ ざして 経済統計, 経済指標, 経済報告と社会統計, 社会指標, 社会. 図-2 経済指標と社会指標の関係. 報告とはパラレルな関係にあると考スること力 できる (図一 2) . つまり, 各種の経済統計から経済指標が作成されそれは場 合に よ っ て は G N P の よ う に 一 個 の 数 値 に ま と め ら れ る こ と も. ある. 公式の経済指標は最終的には経済報告の形でアメリカの 場合大統領に対する報告書となる.大統領は経済報告及びそれ以 外の様々な条件や彼自身の信念に 基づいて, 政策を立案し実行. 劃. 経済統計 経 済繍. 社会統計 社会 繍. 経済指標. 社会指標. 経済報告. 社会報告. する.ここで特に 重要なのは経済報告と実際の政治の間には広い裁量の余地があることであって,経 済統計の系列と平行的なものと考えられる社会統計の系列においても,完壁な社会指標が作られたと してもそのことはただちに完全な計画 社会,あるいは管理社会の到来を意味するものではない.後に 述べるように社会指標研究者の考えでは, 社会指標は 「啓蒙」 の目的, つまり判断の材料に用いる 30.

(6) . 主観的社会指標 べ き も の であ る.. t ‐ r 社会統計の整備を提案した バウァーの『社会指標』に続いて『社会報告をめ ざして』 (U.S .Depa l l ion fare ) と い う 小 冊 子 が 政 府 の 報 告 書 と して 発 表 さ れ, そ th mentofHea ,1970 ,and We ,Educat. のなかで, これからアメリカ社会が持たなければならない社会報告はどのよう なものであるかにつ いて, その骨子が述べられている. 一番の外枠として25個の指標とその それぞれの現在の水準と近 x and x ) い将来 (5年以内) の目標の水準とが掲 げてある ( pp .i 。 その項目をみると, 乳児死亡 率, 医科大学一年生の数, 3~5歳児の就学率, 週平均労働時間, 浴室ないしシャワーのある家の 比率など, 全ていわゆるハー ド・データである. この報告書の枠組みに従っ て, アメリカやカナ ダ で以後, 定期的に公式の経済統計と同じように公式の社会指標がデータ・ ブックとして発表される. ようになる. t t i ry ry oflndus s (Amer can Bureau ofthe Census , . Canadian Mini ,76 , 79 ,1973. Tradeand Commerce ). そ の 性 格 は オ グバ ー ン の 主 張 どお り, 客 観 的, 科 学 的 な も ,1974 ,77 ,80. ので, 事実を記述し, 新聞の見出しになるようなハデな話題を取り上げたのではなく, 社会の現状 と変化の趨勢をできる限り正確に報告しようとしている.従来の経済統計がそう であるのと同 じく, 00ページ以上, カナ この 「社会指標」 も具体的な政策上の提言は行なっていない. アメリカ版は5 ダ版は40 0 ペー ジ近い大著で, カラーの図表や グラフを数多く含んでいて, いわば情報公開ないし, 大衆の啓発を念頭においている. これもオ グバーンの 主張に合致している. なお, 日本でも 『社会 ) 指標』は作成されているが(国民生活審議会, 1974 , 一般読者の啓蒙のためという配慮に乏しくこ れは社会指標にとっ て重大な欠点 では ないだろうか.. S 7, 社会指標と満足度 この日本版 『社会指標』 に社会指標と満 足度の関係について次のような文がのっている。 「…社会指標そのものは必ずしも幸福の水準や満足の水準を測定し得るものではないが, その 作成のねらいは最 終的には幸福, あるいは満足の基礎となり得ると 思われる客観的諸要因のセッ トを提示し, それへの同意を得ることによって間接的に社会的な満足度の最大化を図ろうとする ) ものであり, その点でそれは満足度というものに最終的には帰っ てくることになる. …」(P .35 これが社会指標と満足度との関係, あるいは国の政治と満足度との関係についての我が国におけ る解釈の代表と 思われ, その解釈ももっ とも であるが, 社会指標の研究や満足度の研究の流れか ら 1 )(為政者が) 客観的諸要因 見ると, まったく問題がないというわけではない. 上記の引用文では( 2 )満足感が社会指標の, あるいは社会政策や社会計画の最終 の操作により満足感の最大化を図る,( 的な目的と考えられる, という2点が述べられている. 社会指標と満足度との関係や, 社会指標作 成の究極的な目的についての理解はこれで妥当なのだろうか. 社会指標と満足度の関係はそれほ ど単純なものではないし, 社会指標の目的や, その使い方につ 1 ) いてもこの日本版社会指標の執筆者たちの考え方はやや狭いものであると思われる. すなわち,( よ て満 2 題がある ( ) 客観的要因の操作に 社会指標の最終的な目的と考えるのには問 っ 満足度のみを . 足度を操ることは極めて困難であり, たとえそれにある程度成功したとしても我々の社 会が以前に もまして幸福な社 会になるという保証はない. この論文の最初に も述べたとおり社会指標や, 特に満足度もその中に含まれる主観的社会指標は 未だ研究が十分 に進んではいない分析・測定のためのツールであり, 日本版社会指標は不 十分な研 究を基にしたややせ っかちな結論に立って作成が計画されているように 思われる. 社会指標に関す 31.

(7) . 宇田川. 拓. 雄. るこの種の理解は日本版社会指標に限らず広くみられる(注5) . 以下 で主観的社会指標や満 足度と は何なのかを簡単に見てみよう.. S 8. 主観的社会指標の研究 満足度ないし主観的社会指標の研究は,当初は社会計画とは殆ど無関係に始められたよう である. 近頃では主観指標といえば生活満足度のこと であると決ま っているようなところがあるが, この生 活満足度つまり 「生活全般に対する満足度」 も最初は多数の質問項目の一つで, それもごく簡単な 測 定尺 度 で し か な か っ た. グー リ ン, ベ ロ フ, フ ェ ル ドの 共 著 で あ る 『ア メ リ カ 人 は 自 分 た ち の 精 fand Fe ld G i, Verof ) と いう 報 告 書 の も と に 神的健康を どの よ う ,1960 .な も の と 見て い る か』 ( urn. なっ た調査で用いられた質問が満足度調査の原型と考えられている. 「いろいろな事柄をあわせて考える,と, あなたはこの数日間 どんな調子でしたか, あなたはと ”Tak ltogether, h i i ngt ng sal ても幸福 ですか,幸福 ですか,それともあまり幸福 ではない ですか」( how t hingshave beenthese days?. ’ ’ Areyouveryhappy ) .15 ,happyornottoohappy?) (p. この調査が満足度調 査の原型であるというのは, それが初めて一般の人々 を対象としたサンプリ ン グ調査 で, 従来ならば, 哲学や倫理学や宗教のテーマであっ た幸福の問題を取り上げたからであ る. グーリンらは人間の心の奥底にま でかかわる幸福の問題を, 牧師や精神分析家や心理学者では ない普通の調査マンが対象者に直接尋ねるというかたちをとるこの調査の成否を大変気に掛けてい た. そして, 研究グルー プは, 調査に先立っ て調査予定地をまわっ て歩き, 各地で調査マンを集め て特別の講習会を開催し調査の主 旨の徹底を図っ た, という記録が残されている. 結果はどう だっ たかといえば, 懸念していたほどの反発はなく, イ ンタビュ ーは概して友好的な零囲気のうちに進 められ1~2時間で終わり, 人々はむしろ喜ん でイ ンタビュ ーに回答する傾向がみられたと報告さ れて い る ( p .8).. この調査 プロジェ クトには3人以外にも多数の人々 が参加しており, その中では特に 心理学者や 精神分析家の名前が多く 見られる. これは紛れもなく精神的健康の研究であり, 精神医学的な立場 での治療体制の整備の為の資料作りを目指していた. その意味でこの研究は学問的でかつ実践的で あるが, 実践的とは社会計画に役立てるという意味ではなく, 心理的なトラブルに陥っている人々 を専門家として援助, 救済するという意味である. 彼らの関心は, 次のようなものである. 人々は日常生活でどんな種類のトラ ブルに遭遇し, それ は どんな形で表われているのか. 心理的な苦痛や心配感, 不安や不満足感, あるいは身体的な病的 な兆候として表われているのではないか. そのようなとき, 彼らはどのように してそれを克服して いるのか. 宗教, 友人, 家族に頼っ ているのか, それとも専門家の助けを求めて専門的機関の門を 叩くのか. 我々専門家は人々のニー ズに十分応えるだけの窓口を彼らが利用 しやすい形で用意して い る だろ う か.. 32.

(8) . 主観的社会指標. S 9. 精神医学から社会心理学へ 1965年 の ブ ラ ッ ド バ ー ン と キ ャ プ ロ ヴィ ッ ツ に よ る 『幸 福 に 関 す る 研 究 報 告』 (Bradburn &. Cap l i t ) は グーリンらの研究を受け継ぎ, さらに研究の焦点を絞り, 幸福感の研究という ov z ,1965 ことを前面に出しており, 精神医学的色合いは減ってより社会心理学的になっ ている。 彼らは社会 での活動状況, 結婚及び家庭生活, 職業, コミュニティ への参加, 身体的健康状態, 自分の精神状 態についての主観的な評価 (どんなことに関心があるのか, 心配感, 願望, 生活の満足感と不満感 のあるなしやその程度) の6つのトピックス相互の関係を重点にしてアンケート調査を行なっ てい る.. この研究の目的は, 幸福を人間の心理の深層において探ることではなく, インタビューによる幸 福に関する自己評価の研究を行なうことであっ た. 幸福の原因を捜すことが目的なのではなく, 自 分は幸福 であるという自己評価が人々の間に どのように分布しているのかを明らかにすることが目 的であって, 究極的には定期的にアメリカ国民の社会心理学的心理状態を測定することを目指して いた. さらにこの自己診断的な幸福感の分布力や性や年齢といっ た個 人の属性 ごと でどのように異 な っ て いる の か に も 関 心 が 向 け ら れ て い た.. この研究から 「主観的な幸福感に関する2要因説」 が導き出された。 彼らは幸福感の変動を様々 な変数で説明しようと試みた. そこで提出さ れたのが 「感情の相対的バランス」 によって幸福感は ing)と「否 i i t 規定されるという考え方 である. すなわち, 我々は様々な「肯定的な感情」 ( vefeel pos ing)と を 感 じて い る が, 定的感情」(negetivefeel. こ の 二 つ の 感 情 は 互 い に 独 立 して 全 体 的 な 幸 福 感. に影響を及ぼしていると考えられる. いくら悲しいことが多くてもそれを補って余りある楽しい事 柄があれば人は幸福感を感じることができる. 逆にいえば, 悲しみが多いからではなく喜びが少な 7 ) いから我々は不幸なのである。 ( p .5 ブラッ ドバーンとキャ プロ ヴィ ッツのこの著作は本調査に先立つ予備調査の報告書であって, 本 調査の集計, 分析の結果は1969年に ブラッ ドバー ンの単独の執筆による 『心理学的幸福の構造』 969 ) で発表された. 内容的には前の著書と大きく変わるところはないが, 理論的に (Bradbu rn ,1 より整備され, また中心的な用語が感情 (フィ ーリング) から情緒 (アフェ クト) に代わっている。 この本の中で彼は心理学的幸福の概念についてかなりわかりやすく説明している. 「…ある人は楽々と日常生活を送り, 他の人は様々 な困難に直面する. 何かに失敗したり, 他 人にトラ ブルや苦痛を与えたり, しくじっ たという気持ちや, 自分は不幸な人間だという気持ち や, 心配感に悩まされ, あるいは体の調子がすくれなくなる人もいる. どんな人でも人生におい て, 何等かの困難には遭遇するものだが, ある人は短時間でそれを通過 し, 他の人はいつも, 若 しくは長期間苦しまなければならない. …この苦しみの強さとその持続期間の長さの[人ごとの] t 相違は, 社会の中でランダムに分布しているのではなく, [性, 年齢, 階層, 人種e c .による]各 社会集団によってそれぞれ固有の度合いで分布していると考えられる。 その苦しみの強さと持続 時間の長さの相違は, 各人の性格のせいだけによるのではなく, その人が置かれている環境の特 5 ) 徴によっ ても規定されていると考えられる。 …」 ( ‐ pp .4 つまり, 例えていえば, 心理学的な幸福感もお金と同じように社会に均等に配分されているもの でも, またその人の心理学的な性格の違いだけである人に多く, 他の人に少なく分配されているも の でもなく, その人が所属する様々な社会集団やその人の社会学的特徴 (社会的地位, 職業など) や, 生物学的な特徴 (年齢, 性別) に応じて配分されていると考えることができる. もしブラ ッ ド 33.

(9) . 宇田川. 拓 雄. バー ンのこの指摘が正しければ, 幸福研究は倫理学や精神医学の問題というよりはむしろ社会心理 学や社会学の問題であるということになる.. S IO.. l f t ) 主 観 的 福 祉の 自 己申 告 ( ‐ repor se. ブラッ ドバーンによれば幸福の問題は過 去何世紀にもわたって倫理学, 神学, 政治学, そして経 済学上の問題として考えられてきており, それが心理学の問題 であると考えられるようになったの はほんの最近のことである. アメリカにおける幸福研究の 歴史をひもといてみると, 幸福は最初, 9世紀には自由放任的に経済活動を行なうこ 独立戦争の頃は, 政治の上での権利として考えられ, 1 とであり, やがて人間が社会に対して心理的に順応すること であると考えられるように なったので 8 ある( ) ‐ pp .6 . 第二の重要点は幸福の問題をアンケート法で対象者に尋ねることの妥当性について である. 幸福の問題がこれま で心理学で余り取り上げられなかっ た理由の一つはフロイ ドの影響で あると考えられている. フロイ ドの学説が自己申告による人間の心理状態のレポートの妥当性を疑 わせたのである.フロイ ドによれば人間の心の奥底には強力な無意識の力が潜んでおり,それを我々 は自覚できない. 心理とは第三者, つまり医師や精神分析家の助けを得て初めて本人が理解できる ものなの である. 人間心理の自己診断は過度の自己防衛や, 過度の自己批判ゆえに全くあてになら ないものである. つまり人は他人に 自分 の置かれている状態が良くないものであることを知られる のを恐れて, 「自分はとても幸福だ」と答えるか, あるいは自分の境遇に批判的になり「私はとても 不幸だ」 と答えるかもしれない. その答えは全くあてにならないのでは ないか. ブラッ ドバーンの分析の 基本になっているのは, 我々は自分の精神の状態を自分で判 断し診断で きる, そしてその状態を正確に他人に伝えることができるという前提である. ブラッ ドバーンは次 の よ う に 述 べ て い る.. 「…自己申告された幸福感は, 自己防衛や自己批判によっ てもたらされる答え以 上の何物かを 確かに測定しており, 〔幸福感の自己申告から〕妥当性と信頼性のある尺度を構成できるという 確 ) 実 な 証 拠 が あ る.」 (Bradburn ,8 ,1969 ,p. この尺度の妥当性の検証については, 他の様々な心理状態の測定尺度や, 専門家による診断との 一致の事実が挙げられている. 心配や不安や懸念といっ た心理的に悪い状態を測定する尺度におい て高い値を示す人は自己診断尺度では低い測定値を示 している. また専門家の診断で心理的に安定 らのことから, 人々の自 してい良い状態にあると診断された人の自己診断値は高い値である. これ, 己診断はかなり正確 であると考 えられるのである. たとえ人々 が自分の心理を正しく自覚することが可能だとして, 彼らが正しくそれを他人, この 場合インタビュアーに伝えるものなのだろうか. ウソをついて, 他人に受け入れやすい答えをした り, また我々は一般に幸福 であらねばならぬという 先入観を持っ ているから, 本当はそれほど幸福 ではないのに幸福だと答えているのではないだろうか. この疑問への答えは次のとおり である. も しも対象者の中にウソをついている人がいるとすれば, 質問に対する答えに規則的な変動は観測さ れないはずである. ところが答えは身体的な健康の状態, 経済的豊かさ, 社会への適応の度合い, 友人のあるなしやその数, 結婚生活にうまくいっ ているかどうか, といった事柄についてのデータ の変化に応じて規則的に変化しており, 我々はその変化を常識的, 直感的に理解できる. たとえば 健康で金持ち で友人が多く 夫婦仲が良い人はそう でない人より もより大きな幸福感を感じており, この事実は十分納得 できる. このことから, 対象者は事実を述べ ていると考えて良いの ではなかろ 34.

(10) . 主観的社会指標. うか. また一般的に, 人は質問に対してより高い幸福度の方向に答える傾向があるとしてもここで 問題になるのはその絶対的な数値でなく, 全体に於ける相対的な分布であるからこれも幸福の自己 評価を測定尺度として用いることの妨げになるとは思われない. 従っ て, 自己申告による幸福感の 測定の妥当性は他の意識調査の尺度と比べて何等劣るところはないといい得るのである. ( ) p ,36 ブラッ ドバーンの結論は, 肯定的感情と否定的感情のバランスが幸福感の大きさを決定するとい うものである. 幸福と感じるか不幸と感じるかはその人の肯定的感情と否定的感情のバ ランスによ るのであって両者の差し引きの結果がプラスならばその人は幸福を感じる. また社会構造との 関係 では社会経済的地位の高い人ほど肯定的感情が大であって, 従っ てより幸福である可能性が高くな ると述べている. (お金は喜びを増すことはできるが, 悲しみを減らすことは できない. 金持ちが必 ず幸福とは限らない が, 金持ちほど楽しいことに恵まれやすいので, 二つの感情の差し引きの結果, 6 金持ちほ ど幸福感じる確率が高い. ( )) p .22 . ブラ ッ ドバーンにおいても グーリンらと同じく, 幸福測定と社会計画とを結びつけて考えてはい ないが, 最後のペー ジにこの本の出版の前年に出版されたバウアーの 『社会指標』 について言及し ており, この二つがなんらかの形で結びつくき ざしはある. つまりどんなに社会計画とは関係の薄 い心理的あるいは社会心理学的な幸福研究といえども, 人間にとって最も重要なものの一つである 幸福問題に関する研究を続け, そしてそれに関する客観性の高い信頼 できるデータや知識が集積さ れれば, それを社会計画に利用 したいと考えるのはある意味 で必然的かもしれない。 そのような利 用は可能であると研究者たちは考えているのだろうか.. SI I . 社会変動の人間的意味 l l& Conver 1972 年 の キ ャ ン ベ ルと コ ン バ ー ス の 編 著 に よ る 『社 会 変 動 の 人 間 的 意 味』 (Campbe ‐ 1 2 9 7 S h l d d M d ( ) )は 年 ー 1 9 6 8 の シ ドン と よ 社 会 変動 ル ム ア に る『 の 指 標』 ( ( ) se eds e o na n r o o e e s ェ , ,. 1 968 ) の姉妹編 で, 後者がいわゆる客観的データ, ないしハー ド・データを用いて社会変動を何ら かの指標 で表示するときの問題点を論じているのに対して前者は主観的データ,ないしソフト.デー タを用いる際の問題点を論じている. 社会変動の人間的意味の研究とは, 社会変動が人間の生活や 幸福に具体的に及ぼす影響は どんなものなのかを研究するということである, この本では社会計画 との結びつきはもはや自明のこととされているように思われる.196 0年代の終わり頃にはアメリカ ではかなり社会指標や社会報告の研究や作成が進んでいたが, その過程で研究者たちは社会変動の 心理学的側面に焦点を絞っ た調査・研究がないことに気づいた. 「客観的データはより主観的な, そ れと平行する情報によって補足されてはじめて理論的にもまた実際に政策に役立たせるためにも有 意義である.」 ( )ことが指摘され, 社会変動の人間的意味の研究が着手されたの である。 この段 p .6 階では我々は人間が社会変動の方向を意図的に決める時代にいるのだという自覚に基づき, 舟の梶 を操るかじ取りに人間がなぞらえられ, 社会指標は海図に例えられて説明がなされている ( ) p .3 . A i h 1 9 4 『知覚された生活の質の測定方法の開発』 ( nd r ews & W t ey , 7)では, はっきりと社会計画 と主観的な幸福との結びつきが考察されているが, それは政府による人間の喜びや幸福の直接的な 操作を意図しているのかといえばそう ではない。 我々は確かに社会計画の時代に差し掛かっている のであり, 社会計画の設計や実行には主観的要素を考慮しなけ ればならないのも確かである. しか しそのことは直ちに, 社会計画において政府が国民の主観的な心の状態を操作することを意味しは しない. アン ドリューズとウイ ズィ ーの調査内容をみても, 主観的幸福の測定データと組み合わさ 35.

(11) . 宇田川. 拓. 雄. れている項目は, 政治によ って容易に変更できるようなもの ではない. つまり彼らは社会計画と主 観的幸福の関係の重要性は十分認識しながらも, 主観的幸福と個々の具体的な客観的な項目との関 係についての研究は行なっ ていないのである. 調査の主眼はミクロ・レベ ルでの項目間の関係で, 個 人の全体的な生活の満足感とその社会的な役割場面に於ける満足感の関係は どのよう であるのか が考察されている.. S 12.. ラ イ フ ・コ ン サ ー ン と 全 体 的 満 足 度. ア ン ドリ ュ ー ズ と ウ ィ ズィ ー の 研 究 は グー リ ン や ブ ラ ッ ド バ ー ン の 研 究 を 土 台 と し て, 満 足 度 と. は何か ではなく, 満足度をどのように操作化し, 実際の調査に使えるようにするかを研究したもの lopment ins t ) が 目 的 であ る. rumentdeve であ る. つ ま り 測 定 用 具 の 開 発 (. 「… [社会調査の] 質問紙やインタビュ ーの項目の中に含めるのに適切な数で, かつ十分に広 い範囲をカ バー し, 十分な妥当性を持ち, 様々な生活領域における知覚された生活の質を推定す ) るのに, 統計的に有効な方法」 p ,( .2 を開発するのが目的である. そしてこの領域満足度から人々の生活全般に関する満足度を推定する こ と が でき る と 考 え ら れ て い る.. 3個の 「生活上の関心」 (ライフ・コンサーン) 具体的にはこれま で行なわれた様々の調査から12 に関する項目をあっめ, それぞれに対して満足感を質問する. ライフ・コンサーンとは我々が 「気 に掛けている」 項目で, 例えば家族, 収入, 住居, などである. 回答を集計しクラスター分析にか け関連する項目ごとに幾つかの グループにまとめる. そして少数の領域指標を作成する. 職業指標 を例 に と る と, そ れ は 職 業 に 関 す る いく つ か の コ ン サ ー ン に よ っ て 構 成 さ れ て い る. そ の コ ン サ ー. ンの数は職業指標の構成の仕方で異なる. そのうちの一つをみると, それはその職業に対する満足 度, 同僚に対する満足度, 実際にしている仕事に対する満足度, 仕事の性質(労働環境, 労働時間, 仕事の量) , 仕事に必要な道具や情報や指導などに対する満足度から成っ ている.123個の項目は説 明変数として扱われ, 生活全体に対する満足度の変動に対する説明力の大きさが計算される. つま り彼らは全体的な満足度は個々 の領域満足度から成り立 っている, あるいは全体満足度は領域満足 度によ ってかなり規 定されると仮定し, その規定力の大きさを調べようとしているのである. 生活 全体に対する満足度こそが最も重要な満足度だが, 同時にこれは最もあいまいでと らえどころがな い. もしも全体の満足度と, 個々のより具体的な領域満足度との関係が明 らかになれば, 全体的な 図 -3. ア ン ドリ ュ ー ズ, ウイ ズィ の 7 段 階 尺 度 7. 6. 5. 3. 4 . De l ighted. 囚. nd ixed. 36. Unhappy. i i Neut l(Ne i i f i i f thersat ) ra s ed nor d s sat s ed. t 国 lneverthought abouti 国. Ter ibl r e. i Di i f s sat s ed. Sat i f i s ed. Doe ly to me s not app. 1 . ly M [ t os. l M [ t os y P1 eased. 2.

(12) . 主観的社会指標. 満足度を引き上げるのに影響力の大きいコンサーンは何かを知ることができるだろう. 結果はいず れの分け方(6領域から3 0領域まである)でも説明力は 50%前後であっ て, これは低い数値 である . その研究は1976年に単行本として出版された (Andr they )。 ア ン ドリ ュ ー ズ と ews & Wi ,1976 ウィ ズィ ーは目的変数の予測には失敗しているけれども, それは満足度の複雑さを物語るものであ ろうし, 主観指標 に関する多くの項目を整理し体系化した ことは評価される. 前頁に用いら れた尺 度を掲げる. この尺度はこれまでに工夫されたもののうち で最も包括的な尺度である(図-3) ( p . 18 ) .. S13 . 幸福感と満足感 同 じ1976 年 に 別 の グ ルー プ に よ る 研 究 が 発 表 さ れた そ れは キ ャ ン ベ ル コ ン バ ー ス ロ ジ ャ ー , . , l l 1 9 7 6 ス の 『ア メ リ カ の 生 活 の 質』 (Campbe ) そ こ 足 度に つ いて で 満 では ,Converse & Rogers , ,. の分かりやすいモデルが示されている. (図-4) ( ) p ,13 . この研究書の特徴は第一にアメリカにおける生活の質のモニタリング (監視) を行なうことを目 的としていること で, それは従って彼らの調査が今後毎年あるいは定期的に繰り返されることを意 味する. 第二に彼らは幸福と満足の違いに注目しこの二つを区別 している. この点でアン ドリュ ー ズらの研究よりも進んでいる. アン ドリュ ーズらは不幸感と満足感が同列に並んでいる尺度を用 い ていた. 概念的にも直感的にも幸福感と満足感が異なるものであることは容易に理解 できるが, こ れま では両方とも主観的な社会指標であるとして, はっ きりと区別されず, 場合によっ ては互換的 に使われていた. 調査データのうえでもこの二つは異なった動きをする. 例えば若者は自分 が幸福 だと答える率が高いが, 生活には不満 であることが多く, 逆に老人は 満足だが不幸なのである . 図-4. 主観的社 会指標のモ デル. 〔1〕. 〔4〕 →. 評価 さ れ た 属 性 →. 〔5〕 領 域満 足. 幸福感と満足感の どちらを目的変数とするかに ついては, 第一には政治に応用するには幸福度よ りも満足度の方が都合 が良いため, 第二にはこの研究の目的が各領域ごとの主観的な福祉 ( i sub e - c i t l l be i vewe ) と全体的な福祉との関係を明らかにすること であるために, 満足感を選ん でいる ‐ ng . 最初の理由は次のようなことを意 味する.政治は究極的には国民の幸福の実現をめ ざすものだが , 個々の政策は普通は国民の欲求を満足させ るべく立案され実行される 幸福感とは基本的には気分 . ないし感情 であっ て, それを社会 計画のガイ ドとするのはあまり実 際的ではない そこで満足度が . 選ばれた. 第二の理由は測定方法に関係する, 人々は自分がどれほど幸福かは答えることができるが 余暇 , 活動, 家庭生活, 生活水準, 職業, 結婚生活, 財産, 友人, 今住んでいる自治体 住居 自分の学 , , 歴, 近隣, この国に住んでいること, 健康, といった領域のそれぞれに どれほど幸福かを答えるの は, それらに どれほど満足かを答えるよりもより大きな困難を伴うと考えられる( 6 ) p .7 . 多数の- 37.

(13) . 宇田川. 拓. 雄. 般市民への面接調 査の形 で行 なうには満足度調査の方が良いと考えられる. さて, キャンベ ルらによれば(以下図-4参照) , , 各領域の満足感はその領域の客観的な属 性[1] b ] 評価さ 属性の評価 [ 基準 ] [ 3 た内的な 期待などとい 比較 願望 その属性の知覚 [a] っ , , , , , れた属性 [4] , の5つの プロセスを経て生じる. つまり, , その属性に対する満 足感の発生 [c] 人間は物理的な属 性を持っ たある客観的な環境 [1] に 生活しているが, 彼はその環境を主観的に ] と 自分の抱く内的な判断 知覚する [a] . そしてこの知覚された心理学的な生活空間の水準 [2 , の基準 [3] が比較され, 基準をうわまわっていれば満足を, 下回りていれば不満感が感じられる 屋があり [1] ) [5] の である ( p , 我々は .13 . 住居を例にとれば, まず物理的な存在としての家 その一部分を知覚しているに過 ぎない[2] . 他方我々は住居とはどのよう なものであるか, どのよ うなものであるべきかについて一定の内的な基準を持っている [3] . これと [2] との比較により 住居の質や特徴についての評価がなされ[b,4] ,最終的に満足感あるいは不満感が感じられる[c, 5] . (注6) [3] の判断の 基準は次のような複雑な要素からなっていると考えられる. 1, 願望の水準;究 極的に自分 が達成したいと 思う状態, 2, 期待の水準;近い将来に 達成できるだろうと思う状態, i t )の水準;もしも完全に公平な扱いがなされたならば, 自分がなした一定の努力に 3, 公平( equ y 応じて当然受け取っ てしかるべきと考える水準, 4, 準拠集団の 水準;自分が準拠している集団に 対して当然与えられるはずの水準, 5, 個人的欲求の水準;例えばどのく らいの貯金があれば十分 と思うか, どんな家なら快 適と感じるか, といっ た各人の好みの水準, 6, 個人的な価値観;自由, ) p 平等といっ た目にはみえない価値観. これらによって決まると考えられている ( .14 .. S14 . 主観的福祉と態度理論 主観的福祉は幸福感と満足感という少なくとも二つの要素からなっているという考えは, ア ン ド l l ) に お い て, 社 会 心 理 学 の 態 度 概 念 と 主 リ ュ ー ズと マ ッ ケ ン ネ ル (Andrews & Mackenne ,1980 観的幸福測定と を結びつけるに至っ た. 27 i ) l l be i ) の測定は, 基本的には態度の測定である.」 ( 「… 知 覚さ れ た 福 祉 (perce ved we P ‐ ng .1 「 頭で判断された 何かに対する人間の 認知とは 態度は少なくとも認知と情緒から成っている. , f rom 的で 「 f d 情緒は何かに対する感情 理性的な反応 ノ・で判 断 さ れ た ( ( )」 であり rom thehea , , 相当する. thehea t ) )」 反応である ( r p .127 . いうまでもなく認知が満足感に, 情緒が幸福感に 社会心理学の態度論によれば, 態度は対象を プラスーマイナス (支持する-支持しない) の心理 的な連続体の上に位置付ける評価 と考えられる. その評価は情緒的, 行動的, 認知的, という 3 つ f f t )は, 午きか嫌いかという気持ちであって, 対象に対 a ec の構成要素に分解できる. 情緒的要素( behav i ) は, 対象を支持する行動 を o r する気持ちや, 情緒的, 身体的な反応を含む. オデJ的要素 ( 傾向 過去の行為 する各人の行動の それに敵対する行動をとるかに関 とるか, , 将来の意図, 仮設 , 的状況で (もしも○○の状況におかれた なら…) どう行動するかという予想が含まれる. 認知的要 i t ) は, その対象が, その対象の価値と属性 を考えた上で, 望ましいものか, 望ましく 素( on co きmi ないかであって, それは対象についての信 念, 特徴の理解, 自己を含めた他の対象との関係を 反映 して い る.. つまり, ある対象に対して我々は一定の態度を構成しそれを保持するが, その態度は3つの要素 に分解して考えることができる. 情緒的に好きか嫌いか, その値打ちを考慮したときそれは好まし 38.

(14) . 主観的平会指標. く価値があるものとして評価するか価値がないと評価するか, そしてそれを支持する行動をと るの か敵対するのかである。 (注7) この考え方を領域満足度にあてはめて考えてみる. 例えばある人が自分 の住む町に対してプラス f f の態度をとっ ているということは, その人が感情的にその町が好き であり ( t ) a e c , その町を支持 するような行動を今とっ ている, または過去にとっ た, あるいは将来とるつもりである( i behav ) r o , そして, 理性的に判断してこの町には, あれこれといった良い, 優れた特徴があるから, この町は i ion) こ と に な る だ ろ う 望 ま し い 町 だと 考 え て い る (congn t .. これをもっ と具体的にいうと, その町を 「わが町, ふるさと」 と感じ, 情緒的な愛着を持ってお f f t i り( ) behav a ec ) o r , 近所付き合いをよくやり町の催しに積極的に参加 し( , 他の町と比べてみて この町には長所があるから (たとえば景色が美しい, 買い物が便利だ, 気候が良い, 人情が厚い) という理由で, この町に対して満足感を感じている, このようなときその人は町に対してプラスの 態度を持っているということができる. fect ion) の 3 つ の側 面 の そ れ ぞ れ に 関 して 対 態 度 に は こ の A (af t ), B (behavior ), C ( cogni. 象に向かうか遠ざかるかという十,-の方向性とその向きの大きさを考えることができる.そこで何 かが少し好きとかとても好き, やや満足とか大いに不満足という表現 が可能なのである. 3つの側 面を現実に完全に分離するのは難しいが, 概念的にそれぞれは互いに相互に独立した要素と考えら れる. だから頭では良いものだと知っ ていながら (認知的にはプラス) どう しても感情的に好きに なれない (情緒的にはマイ ナス) という場合が起こる のである。 しかしこの3つの要素は時間の経 過とともに同じ方向に向かっ て変化する傾向を持つ. 自分の住む町のように, 日常的に身近な対象 の場合, それに対してネ ガティ ヴな態度を長期間とり続けることは心理的な負担となるので, A, B, Cの3要素ともプラスの方向に傾きやすくなる. 「住めば都」とはこうした傾向を言い表わして い る の であ ろ う.. 態度の3つの要素の方 向がバラバラ であるような状態は現実に数多く存在しているだろうが, こ の状態は一種の 「心理的な不協和」 であり, 精神的なストレスを生じやすいと考えら れる。 大都市 近郊の新興住宅団地の住民がこれにあてはまるのではないか。 認知的には都会は様々の利便性ゆえ i i t に プラスと判定される ( cogn veには プラス) が, 情緒的にはむしろ自分の育った田舎の方に愛着 f f tは マイナス) を持っ ていて, 今いる町は好きではない( a e c , そして行動的には, 対社会的な活動 は都心部の勤務先 でのさま ざまな催しや行事, 人間関係に集中し, 自分の住む町に対する積極的な i behav lにはゼロ) 係わりはないに等しい( o ra . 地方出身 で大都市近郊の団地に住み始めた人で, 自 分のコミュニティ に対してち ぐはぐで一貫していない態度を構えているというケースは少なくない の では な い か, こ の 人は 決 して 幸 福 と は い え な い だ ろ う,. S15 。 「情け深い独裁者」 人間の理想の生活はどうあるべきかを論ずるのがこの論文の目的 ではないが, それを少なくとも 環境と無理なく調和していること, あるいはそれに対してネ ガティ ブな態度 を構成していないこと であるとすると, そのような姿を捉えるためには, 単に満足度のみを用いて人間の幸福の指標とす るのは不十分 であるといわざるをえない。 最近, 一つの目安として使われ始めている満足度は, 端的にいって, モノの豊かさと国民の欲望 の大きさとによって決まる指標 である(注8) 。 その数値は他より優れていれば, プラスになりやす 39.

(15) . 宇田川. 拓. 雄. い, つまり過去の水準や開発途上国などの水準を現在の 水準が超えていれば国民の満足度は上がり やすい. また国民の願望や期待の水準が一定のままに 止っ ていればなおさら満足度は高くなる. 国 民の9割が自分は中流階級だと信 じ, その状態に満足しているということは, 確かに現実の生活が 豊かになっ たことの現われであろう. しかしこのことはマ ズローの欲求のハイラーキ一説を参照す るま でもなく, 人間は本来的に常により高次の欲求の実現をめ ざす存在であるとする ならば, 満足 度の水準が高いままであるのは 一種の閉塞状況ではないのだろうか. 国民の大半が人生において長 い時間をかけて追及する, より困難で価値の 高い生活目標を持っ ていないことを意味するのではな いか. 他国の文化や生活の実情に疎く, 過去の苦しい生活のことは忘れやすく, モノの豊かさだけ を追い求め, 享楽的な生活を楽しんでいるようにみ える我が国にとっ て, 満足度指標はうってつけ の も の であ る の か も し れ な い.. キャンベ ルは満足度を政治に ダイ レクトに利用することが不適切 であることを比瞭を用いて説明 している. それは次のように 要約 できる. i ta to ) がいるとする. 彼は自分の支配する社会 entd r … 今 こ こ に 「情 け 深 い 独 裁 者」 (benevol c に 「最大多数の最大幸福」 という理想状態を実現しようと決心した. ただしここで 「幸福」 とは ivewe i l l be t 主 観 的福 祉 ( )つまり主観的な満足感を指すものとする. 彼は満足度調査の jec ‐ ng sub データを調べ, 収入の少ない人々ほ ど住居に満足である割合が高いことを知り, 直ちに政府の低 い家賃で住宅を供給する 政策を取り止めさせた. その代わりに不満感が最も大きい中産階級の住 宅の供給を命じた. また, 調査データには学歴の低いものほど現在の生活に対する満足度が高い 傾向が表われているので, 彼は全ての教育制 度を廃止し, 国民に今自分たちが暮らしているよう なタイ プ以外の暮らしがあることを教えないようにすることにした. 教育が満足感にとって悪い 影響を与えるのは, それが知識を増し, 欲望をかりたて, 現状に対しても っ と良い生活があるの ではないかと疑いの目を向けさせるか らである. しばらくの間は国民の中に, 別のタイ プの生活 があることを覚えている者が残っ ていて, 彼らの発言が社会的な不平不満の種となることもあっ た. しかし独裁者は彼らの反乱をう まく押えることに成功した. そして数世代が過 ぎたが, その 間いずれの政権も, 最初の独裁者の計画 を忠実に実行していた. その結果, 想像力に富む変わり 者がたまに, 世の中には別のタイ プの生活がありうるし, 自分たちはそちらの生活も選び得るの だと 発 言 して ト ラ ブ ルを 起 こ す 以 外, そ の 社 会 は 満 足 しきっ た 人々の 住 む 所 と なった. … l Converse & Roge ) (Campbel rs .117 ,148 ,1976 ,pp ,. 為政者が満足度の極大化 だけを目標として他の要因を全て押さえ込むということは現実にはおこ り得ない. 我々はすでに, 若者は生活に不満だが幸福感を感じており, 老人は不満はないが不幸であること を知 っている. 若者の特徴とでもいいうる不満感は, 創造力や活力のバロメーターであるとも考え られる. 情け深い独裁者が, 最大多数の福祉のために人間の進歩や新しいものへの欲求を押さえこ もうとするのは, 人間の幸福の意味をとり 違えた誤った行動 である. それは社会計画とさえ呼ぶこ とができない. 社会計画とは進歩や社会変動を停止させること ではなくそれをより良い方向へとコ ントロールすることであると考えられるからである. leta l ), 満 足 度 は モ ノ と 関 係 が 深く 政 治 と キ ャ ン ベ ル ら の 指 摘 す る と お り (Campbe .8 . ,1976 ,p. 結びつきやすい. 政策の立案やさらに社会計画に利用するには満足度が便利 である. モノは政治に よって改善したり新しく作っ たりすることが可能であっ て, 人為的にその質を高めることができ, 従っ て満足度の操作も不可能ではない. しかしどんな種類のモノ を, 全部で何個コントロールすれ ば良いのかと考えていくと, 実際に社会計画に 直接的に満足度を利用するのは不可能であろう. 40.

(16) . 主観的社会指標. キャ ンベ ルは主観的社会指標の政治への利用を, 間接的なものにすべきだと考えている つまり . , i l i 「大衆の啓蒙」 ( ) に 用 い る の であ る (p 497 cenl ). ア メ リ カ 社 会 は こ の 啓 蒙 ghtenment pub ‐ .496 についてはす ぐれた前例を持っ ている. 1920年代に行なわれた貧困に関す る社会学的な調査の結 果, 貧困問題についての一般の認識が変わり19 30年代から1 960年代にかけて問題解決のための法 案が議会を通過した. 同じように1930年代から1 940年代にかけて人種問題の調査・研究が行な わ れ, 195 0年代と196 0年代に人種政策の変更がなされたのである. 満足度はGNPの代わりにはならない. また我々は単に満足度だけでなく, 愛着 情緒 喜び , , , 悲しみ, 様々な過去の思い出や将来の希望や期待, 友人や隣近所の人々との付き合いや 家族 親 , , 族, 親子, 夫婦間の人間関係にももっ と目を向けるべき ではないだろうか 主観的社会指標のねら . いはまさにこれらの事柄の現状を詳しく正確に我々国民に知 らせること である また主観指標は . 人々のプライベー トな態度に関するデータを与えてくれるものであっ て 社会の物的 客観的な状 , , 態を教えてくれる客観指標と組み合わせて用いられて初めて有効な指標となりうる 主観的社会指 . 標はこのような使わ れ方をしたとき我々 が直面している数多くの社会問題を解決する手掛かりを与 えてくれるだろう. (昭和5 9年8月1 3日). )王. f 1 ( )c 9 4年6月18日の記事. 8 .たとえば, 朝日新聞, 1 f lme ( 2 ) オグバーンの方法論に関する覚え書きは最近発見されたものである. c 98 2 r .Bu ,1 ( 3 ) この政策はケインズの 『一般理論』 の出版に三年先立っていた. idman ( 4 ) Park & Se l f na sがこれまでに3回特集をしている. c .2 ,1978 ,p . 社会指標の研究や作成について An . Anna l s ,1967 ,71 ,76 ,. 5 1 97 9 ) では社会指標からはずされた ( ( 5 ) 意識調査を必要とする主観指標は 『新版社会指標』( ) ‐ pp .4 . 日本版 の社会指標の欠点は社会指標というものはどうあるべきか, どのように実践的に役立てていけばよいのかに ついての議論が十分になされていないまま作成をスタートさせたことに原因があると思われる. 政府内でも社会 指標や主観指標に関係する調査研究が複数の機関で毎年のように行なわれているが, それらのあいだの関係を明 確にする試みもなされていないようである. 方法的に体系化されていないため, 定期的に行なわれはじめた「社 会指標」 作成や 「国民 (生活) 選好度調査」 の内容も基本的なものを除いてその都度かなり変わっていて事実上, 時間的な変化の測定は困難になっている. 社会指標の概念そのものが未確定的である現在, 内容的な変更や改良 はある程度仕方がないだろうが, アメリカの例では変更は最小限に押さえられている. ( 6 ) むろんこのプロセスにはフィ ー ド・バックもある. 現実の水準が期待の水準よりも著しく低い場合, 人は期待 の水準を切り下げるか, またはやる気があれば唆 努力して現実を自分の期待に合うように改変しようとするかもし れ ない. ま た, フィ ー ド・ バ ッ ク・ ルー プに は いる の でなく, 大き な不 満 感を 感 じたまま そ れに 耐 え忍 ん でいる. こともあるだろうし, 別の対象からの満足でそれを代償しようとするかもしれない. f ( 7 )c 9 84 .宇田川拓雄 「地方都市の生活の質とコミュニティ ・リーダー」 ,1 . ( 8 ) その一例が小室直樹『東京都社会指標の研究開発』 97 6 ,1 , である. この研究はマクロ・レベルでの社会システ ム理論や均衡分析理論とミクロ・レベルでの心理学的な小集団の実験を直結しようとした. 彼の提案する社会指 標が一見して妥当性を欠くのは, 彼が社会指標の性質と経済指標の性質を同一視しているからであろう.. 41.

(17) . 宇田川. 拓. 雄. 参考文献 di i ia ISc 1967 7 2Soc毎朝 l i i landSoc ) α ( cのo7 s たγ A粥e“c t Ame i ence ca l ロ ー r can Acade yofPo ,SodαZ Gクメsα”〆 露Z l 3 1 3 3 A7 Z 7 7 o 2 7 2 α v s . , . ‐ C粥 川“8$ 〆 I Sc i 1971 i ) l i i l and Soc ( Amer i ence t a ca can Academy of Po , Sod餌 加ゐ“”のめ“ たγ DBり α〆”g l A7 2 7 2 α応 .393 . ,vo ZZ i 1976 ISc i な landSoc ia α霞加わっ l i i ) s/ Sの呪BSodα ( Ame i れ 劫e Se膨れ云 e t ence ca r can Academy ofPo , ,A粥e“煽 ぎ 1 4 3 5 A7 な 2 7 2α ,vo, . Z錫 及ばi餌わ郡,ヱ 1973 ) Ame ( i r can Bureauofthe Census ,2 ,3 ,76 ,79 ,Soc “Measurement i f i 1 1 ing d Wア t f Se 1 f Repor t r r Af ec 一Be 198〇 ve and othe e e 1 1( ー Andrews & Mckenne s o ) ; The , ’ ’ Sodメ ヱ l 8 た たの 尺 d Component o 肥 v o 7 s 8 鱒の 7 2 s . , , ’ ’ SocねZZ ” I i i dLi f fP ty l i M eQual ”燐cαわ鴛 尺8αのだれ 1974 Andrews & ▽i they( ) . , VO , , Deveopng easureso erceve 1 . i 粥 ” β劣 ‐ 1976 Andrews & Wi they( ) ,Sod餌 卿d mわ鴛 げ β - れg d Z 1968 S Bauer( 厳粛 の )( ) α ed o 7 s c o , T脳 SZ“‘〆”舵 q Bradburn 1969 ( )7 f p即効〆咽ば c錫 似β”βの“g lov i 1965 Bradburn & Cap tz ) Rq ( ) on o s s 7 2 品物の初β l llnd i l i lo thodo 7 s Re sの 姦 B1umer 1983 a cator” )”The Me ( y Soc ≦聾 ofEar .13 ,Sod粥 厳 粛cのo ,vo , M. , “ A L 1 6 ば d R 9 7 脳 メ l l C Z 於 Campbe ) f 伽 m〃 ( β @メ か q r oger s sean , onve 1974 ( ) Fe Canad ian Min i 7 sめeC加e Cαれαdα1 t t s ry oflndus sy ,3 ,2 ,77 ,80 ,Tradeand Commerce 4 1 9 8 h 訳 ) i 』( l br t 『 ) 回想録 e ガルブレイス ( john Kenneth Ga . , , l f d( 1960 in Gur )A伽e“c伽s %8 rof o Z脳” 肌eれねZ 猛8〆功 z ,Fe ,Ve. ) 『(第一回) 国民選好度調査』 6 0 1 9 72 経済審議会 ( , 『(第三回) 国民生活 , 『(第二回) 国民生活選好度調査』 ,7 ,8 選好度調査』. 1 4 8 )『社会指標』 国民生活審議会 ( 97 ,7 , 『新版社会指標』 )『東京都社会指槻の研究開発』 小室直樹 ( 197 6 ’ ’ Sodα ’Mode Z l l i i f i ti ng l t ‐Be on of we ec n Percept l l & Andrews 1 0 Mckenne 98 on and Af )’ s of Co≦鶏i , ,( I 上 z o 7 s 尺e s g“ z冗た 7 2αたα云 .8 , VO 1929 Nat iona IBureauofEconomi c Research(. 云盗 Ra ≠ Z s 初 云慶 び”i c C脳”ga ed s Q c靴Z Ec oれo粥Z. 』 ) 『資本主義, 19 83 19 83 日本経済新聞社編, ( . ’A Noteon Me 1983 hod,in B1umer( ) 0gbum ( t 1 9 33 ) . ,. ’ ITrends 1933 ia e s )Ra Pres ident t teeon Soc ( c eれ云SodαZ T惚”ぬ 初 物8 ひれ物d s加Z s Research Commi , メメ i s C蹴れg 1968 she l don & Moore ) f o ( ) ( o 7 sq B ed , 肋d m云 , l fare 1970 ion l ( ) U.S th 7d α SodαZ Rゆoガ tmentof Hea . . owα .Depar ,and We ,Educat. 4号. )「地方都市の生活の質とコミュニティ ・リーダー」 宇田川拓雄 ( 1 98 4 , 『人文論究』 第4. 42.

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参照

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