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町村合併と地域社会 : 士別市を中心として

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Academic year: 2021

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(1)Title. 町村合併と地域社会 : 士別市を中心として. Author(s). 北村, 達. Citation. 北海道學藝大學紀要. 第一部, 10(1): 138-149. Issue Date. 1959-07. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/3696. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 第 lo 巻 第 1 号. 昭和34年7月. 北海道学芸大学紀要 (第一部). 町村合併 と地 域 社会 ー 士別市を中心として. --. 北. 達. 村. 北海道学芸大学旭川分校社会学研究室. Ton・ Kr ーAMURA : Consolidation of Towns and l lages and the Con・n・uni Vi ty. - Centering Around Shibetsu City - 次. 目 は し が き 1 合併前の旧町村 の概況と合併可 能条件 1 士 別 町 2 上士別村 3 多. 4 温根別村 11 村落共同体の解体と再編 111 都心地帯と農村地帯の交流 IV 士別新市の性格 あ. と. が. き. 寄 村. は. し. が. き. 0月, 町村合併促進法の施 行以来, 人口8千以下の小規模町村が合併の対象とされ, 全 昭和28年1 国一斉 に町村合併 が進められた, その後31年に合併促進法が新市, 町村建設促進法に切替えられ,. 0月までに全国で6 233 の町村が減少して, 新市町村が誕生し 自治庁が合併を促進した結果,33年1 ,. た, 即 ち 合 併 前 の市 の 数 は285, 1 901, 村 1 232とな っ た. , ,. 970, 村 7 640 で あ っ た が, 33 年 10 月 現 在, 市 の 数529, 町 町1 , ,. 町村合併の主たる目的が弱小規模の町村を整理, 統合する事に より, 消費的経費を節約し, 投資. 的経費を増大する事, 財政規模の拡大によ、 り, 資金を効率的に使用する事により, 終局的には住民 の福祉を増進する事にあった. 然し社会学的には, 地域社会の統合に伴って, 住民の生活圏が如何に変化してきたか, 地域社会. 内の諸集団が, どのように連帯, 統合したか, その結果集団運営がスム【スに行われているか, 集 団内の構成員の相互関係が緊密 になったか, 叉住民に統一ある共同意識が生み出され, 全体と して. の住民の福祉が図られているかと言う事は重要な問題である,. 特に町村合併により新市が形成された場合には, 都市部と農村部との有機的な結合か図られてい かねばならない, 町村合併が兎角行政の合理化と消費的経費の節減のみに重点をおいて, 地域社会. 内の諸問題を, 予め考慮に入れて行われなかったので, 集団選 営面でも混乱を生じたり, 却て住民 ・ に不便宜を与え, マイナスになっている面もある, 新明教授も此の点を指摘して, 「町村合併は画 38 - -1.

(3) . . 北. 村. 達. 期的な地域社会の再編成を目指したものである以上 .当然この目的を達成するために , , 理念的に も, 叉政策的にも, 地域社会の組織化にある程度 焦点をおいていなければならなかったのである , が, 実際にはこの課題が余り重視されておらず 叉これが考慮された場 合でも その把握の仕方が , , 1 )全国的に町村合併にみられる共通の問題点であろう 極めて皮相的であった」 と言われるが, , 然るにまがりな りにも, 府県での合併進行率は, 自治庁の目指す合併計画の1 0 0%を超えたが, 道内の進 行率は計画の55%であって, 未だ未合併町村が5 0ヶ町村に及んでいる, その理由と して , 本道の場合には, 府県と地域的条件が違っていて, 規模が広大なる事 交通事情が不便なる事など , により合併 しても経費の節減とならない事も予想される. 叉地域の広大は住民に統一的な共同意繊 を生み出し得ず, 住民生活の近代化も望み得ない点も考慮されるからである, 更に町村によっては 財政が比較的裕福で, 合併の必要がないとか, 「村意識」 が強く支配 している事も 合併の促進を , 阻んでいる原因と考えられる, 9年7月 1日, 旧士別町, 上士別村, 多寄村, 温根別村の4ヶ町村の合併により 士別市は昭和2 , 道内でも最も早く発足した新市であるが, 本稿では主として, 地域社会の組織化 即ち地域社会内 , の諸団体の解体, 統合の状況, 農村地域社会の変化, 都心地帯と農村地帯との交流等を問題とする. 事により, 新市の性格を明らかに したい, その前に合併は少くとも 歴史的 自然的 地理的 経 , , , , 済的, 交通的条件が満たされていなければならないが, これらの条件が充分に考慮されたであろう か, 各町村の合併前の概況と共に触れてみよう, 1 合併前の旧町村の概況と合併可能条件 1 士. 別. 町 f制図: 士 別 市 略 図. し > , ,一 , 文 o. へ. /全的 州. .. ,耐. 文. 内. ぽ艮. 搬. . . . 。 篭 。 F. .. き . 。. f , 期. . . . . . も /.ノ , ぐ. o - - - -o』. - 139. -. /.

(4) . 町村合併と地域社会 日士別町は上川支庁の中央より箱々北部に位置 し, 東北方は多寄村に接 し西方は剣淵村及び温根 1 0戸移住 別村に接 し, 南方は上士別及び剣淵村と接 していた, 歴史的には明治32年7月 屯田兵の10 によって開拓の鍬が下さ れて以来, 水利に恵まれ, 土地が平担で, 地味肥沃であったため, 大正期 は農業が主体となり, 農業戸数の増加に伴 って, 商工業が発展し, 人ロも増加して, 大正4年に町 制を施行した, 主要農産物の変遷をみると, 大正初期まで薄荷は本道屈指の生産地であったが, その後亜麻, 豆. 類, 馬鈴薯に移行し, 第一次大戦まで澱粉生産高は全道の 4割を占めていた, 然るに戦後雑殻相場 2年以降水 田開発が進められて, 合併前には田 が崩れて, 各町村部落が疲幣す るに至って, 大正1 1900 ヘク タ 【 ル‘ 畑 3700ヘク タ ー ルと な っ た, 但 し農 業 人 口 は 4 ヶ町村中では, 最も少く, 全人 ,. ,. 3%に過ぎなかった, 口の2 士別町が 中心となり, 積極的に合併を進め得る可能な条件として は, 士別町が宗谷線の通過駅と して交通の要衡となっていたからである. 即ち多寄村を除き, 他の2 村の農, 林産物が, ここから. 積出されていた, 士別, 上士別間には森林軌道があって, ここを利用して, 朝日村からも生産物が 集荷されてきた, 事実, 合併前士別駅における貨物取扱量は宗谷線で第一位 を 占めていたのであ る, 第二に士別町は3村に対する経済的 センタ【であった, 即ち日甜工場, アスパラガス工場, 乳 業工場, 食品工場等, 農, 蓄産品の加工工場があったから, 生産物をこれら工場へ納入し加工され た, 叉農民は第3次商品, 高級品の購入のため, 士別中心街まで出掛けてきた, 第三に教育面にお いても, 道立士別高校があって, 旧3ヶ村の通学区域でもあった. 従って新行政区劃と経済圏, 教育, 女化圏とは一致 していた, この面から剣淵村, 朝日村も士別町との合併可能村で, 士別町 の当初の構想としては, この2村も考慮されたが, 余りに地域広大となるために除外されたので あ る,. 以上の条件を勘案 して, 士別町は合併資料を蒐集して,29年1 月より 「合併により強大な財政で 事業が運営出来る」 「税負担が軽くなる」 「国保事業が未加入村にも実施される」 「交通, 道路網 が整備される」 「学校, その他の施設が強化される」 「農業施設も充実する」 等の合併公約を掲げ. 00名を網羅 し て, 3 ヶ村に積極的に働らきかけたのである. 同時に町内にも議会, 各団体代表者1. て, 合併促進協議会を結成し, 町民の啓蒙に努めた, 町民も新市となる事により, 凡ての面で受け る利益が大きいと考えて, 圧倒的に賛成した, 2 上. 士. 別. 村. 上士別村は北方は士 別町, 東南方は朝日村, 西 方は剣淵村, 和寒町と接していた, 束南西の三方 は北見山系に属する山岳地に囲まれて袋状をな し, 山林面積が7割を占めて, 年産5万石の木材を 00ヘク タールの水田を造成し, 所謂 「上士別 2 出していた, 叉平担地は河川の便も良かったので1 , 米」 と称する良質の米を産 し, 丘陵地帯では馬鈴薯, 亜麻, アス パラガスを作っていた, 叉乳牛も 一部は村の小工場で 9年現在,290頭) 導入され (昭和2 , 酪農経営も盛んであった, これら生産物の 3%を占 加工されたが, 大部分は士別町へ出荷されていた, 農林業を主産業とし, 人ロも総人□の5. めていた, 士別町と上士別村との連帯, 分離関係をみれば, 大正2年までは上士別村は士別町に包含されて -に上士 いた が士別町より分村したのである, その理由として士別町発達史のあげているのは, 第ー. 別は地勢が東西に細長く, 士別駅まで出るのに極めて不便である事, 第二に村役場が東部の最遠巨 難にあって, 行政事務が停滞する事, 第三に関西人が主勢力を占めているために, 士別村と人情, 風俗の異なる事, 第四に上士別は農林業の発展が目ざましく, 分村しても, 財政上困難でない事で 2 )その後昭和2 4年には現在の朝日村を分村している, あった. - 140. -.

(5) . 北. 村. 達. 歴史的経過として, 上士別村は士別町から分村した村であったから, 両者は簡単に合併し得る如 く考えられるが, 現実に分村の理由が長く尾を引いていて, 今回の合併に際しても, 村内で賛成派. と反対派が対立して難航した訳である, 特に地域が東西に長いため, 住民が種々なる用件で中心街 に出るには不便であるし, 行政上も却て非能率化する事が, 一応考慮された, この点青森県弘前市. 5ヶ村の合併を計画したが, 11ヶ村にと どまった理由として, 石崎教授は 「合併都市はいたずら が1 にその地域が花大なだけでは, 行政の非能率化と共同社会としての人心融和難を招くのみである」. 3 )上士別村も東西l o km 1 と言っている. mに及ぶから, 合併後住民が支所で用件の足せない { , 南北22 と言う不利は免れない訳で 0 k 2 る市役所まで出向いて行かねばならない 時には, m以上も遠巨離にあ ある,. 上士別村が最後まで合併に反対 した経緯として, 村議会内の合併調査委員会では, 大体士別との 合併賛成が有力であったが, 合併理由が一般村民まで徹底しなかったので, 住民の意欲が合併まで. 熟成しなかった, 従って村内に合併賛成の愛村同志会と, 合併反対の愛村同志会と言う二つの相対 立した集団が生まれた, 反対派は 「士別との合併は住民の意志に反する」 地域の散慢, 花犬なる事 により行政能率が低下する」 「合併により都市偏重となり, 農林業が見捨てられる」 「市街地区が 0年の歴史が失われ 衰微する」 「人口も8千に近く, 村としても財政的に独立出来る」 「分村以来5 て, 村がなくなる事は淋しい」 「合併するなら士別とでなく, 分村した朝日村と再 び合併す べきで ある」 と言う事を宣伝して反対した, 従来から士別, 上士別間には経済的な連帯関係があったとは言え, 歴史的に士別から分村した経 緯が直ちに合併へ踏み切らせなかった訳である, 叉合併までの調査期間が短期間であったために, 住民の意志が合併に熟成しなかった事, 更に一部の住民間に 「あくまで村を守ろうとする村意識」. が根強かった事も紛糾を招いた原因となっていた, 要するに町村合併は種々なる条件を充分検討し た上 で慎重に行うべき事を, 士別, 上士別の合併で示唆 した訳である, 3 多. 寄. 村. 31平方粁, 人ロ 7 2 多寄村は東北方風連町に, 南方士別町に, 西方は温根別村と接し, 総面積6 ,. 4 520 人 で 4 ヶ町村中最小の村であった, 土地は平担で地味豊沃で, 米, 馬鈴薯を主作としていた, ,. 宗谷線の通過駅で交通も至便であり, 平和な小農村であったが, 人口8千以下の合併対象村であ り, 将来の村財政を検討すれば, 合併によって受ける利益は大きいと言えよう, 3年に風連町より分村したので 歴史的な関係をみれば, 多寄村は風連町と合併していたが, 昭和1 ある, 従って士別町の合併呼びかけに平行して, 風連町からも合併の誘いかけがあった, 特に風連 町寄り中多寄, 必誓, 真狩, 東陽の4部落へは, 風連町から直接出向いて茶菓の接待をして, 4部 落のみでも風連町側へ合併をさせるべく猛運動を行った, 然し多寄村の合併調査委員会では慎重を期して挙村一致の態勢を整え, 各部落毎に懇談会を開い. て合併の趣旨を説明し, 住民も合併後の利益, 効果に就いて検討をした, その結果 「絶対に村を割 らない」 「士別町は宗谷線で名寄町と共に将来性があるが, 名寄町は交通の要衝, 消 費都市として. の性格を有するに反し, 士別町は生産都市としての性格を有し, 農産物の加工面でも叉住民の経済 的, 文化的, 教育的依存関係の面でも, 士別との合 併の方が有利である」 との結論に達し, 挙村一 致で士別町との合併が定まったのである, 多寄村の場合上士別村のように村内で大きな問題が起き なかったのは, 村が小さいために合併に対する啓蒙活動を住民に徹底的に行う事が出来, 住民にも. 充分納得して貰う事が出来たからである, 従って歴史的な連帯関係では寧ろ 風連町との合併が予想 されたに拘らず, 実際に経済的, 文化的連繋は士別町と深かったので, これらの合併可能条件が充 分満たされた訳である,. 41 一 -1.

(6) . 町村合併と地域社会 4 温. 根. 別. 村. 温根別村は西南北方は空知支庁の幌加内村に接 し, 東方は和寒, 剣淵, 士別, 多寄村に隣接して k kmで, 上士別村同様南北 に細長い地勢であった, 面積231 いた. 東西9 n l 99平方粁で4ヶ , 南北24 . 町村中最大の面積を有していた, 全 面積の75%は山林原野で, 中央部は平担な農耕適地帯であっ 357人, そ の うち68%は 農 林 業 人ロ の 純 農 村で あっ た た, 米, 馬鈴薯を主作とし, 人ロ 4 , , クロ ー ム, 銅, 砂金等の地下資源もあるらしいが, 未だ開発の段階に至っていないし, 面積に比して人口 が少いので, 村財政も苦 しく, 早晩合併しなければならない運命にあった,. 然し歴史的に温根別村は昭和2年まで剣淵村に属 していて, 剣淵村が母村であった関係から士別 町からの合併呼び かけに平行して, 剣淵村からも合併の申入れがあった これに対して村議会では , 合併調査委員会を作って調査研究すると共に, 各部落毎に懇談会を開いて住民の意見も聞いた, そ の結果成る程巨離的には温根別 村は剣淵村に近かったが 山越えしなければ剣淵市街に出られなか , った, 全体と して生産物の動き, 住民の動きをみても 士別町との依存関係が強かったので 剣淵 , , 村との歴史的連帯関係があったに拘らず, 士別町との合併に踏 み切ったのである, 以上述べてきた如く士別町を除 き, 各村に多少とも反対はあったが, 4 ヶ町村は2 9年4月 1日に 新市として発足する事になっていた, 然し多寄, 上士別の両村は温根別村を除外して 3ヶ町村で , の合併を決議 した, その真相は人口3万以 上で市制を施行する場合の要件として 道条例で市街地 , の連担戸数が6割以上なければならないと規定しているが, 温根別村を加えると, 中心市街地の運 担戸数が6割を割ると言うことにあった. この点は特例として是認される事になっていたのである が, 温根別村を除外する実には, 4ヶ町村中で最も貧乏村であるため温根別村を加えると村づくり のために, 却て他の3ヶ町村の負担になる事が除外した理由であった, これに対 して道庁, 上川支. 庁が仲介, 斡旋に入って漸く7月 1日に 4ヶ町村の合併が成ったのである, 要するに町村合併は歴史的, 地理的, 経済的, 交通的諸条件が充分満たされて行われなければ , 真に住民の福祉増進は図られない, その点で士別町と3 ヶ村との間に深い歴史的連帯関係があった. とは言えない, 叉地理的にも 「村を割らない」 事が, 旧村間で充分了解さ れていたので, 南北にの み長く, 後述する如く行政上の不便となったので, この点も充分に考慮されたとは言えない, 只新 行政圏と経済 圏とは合併前より一体化 していたので, 経済的条件は合併によって充分満たされた訳. である, 交通条件も士別中心街と旧3 村との間には, バス, 軌道の便があって連絡していたが, 合 併後更に交通的条件は一層改善された, 29年7月合併当時4ヶ町村の面積, 人口, 戸数を成表す れ ば次の如くである. 第 1 表. 町. 村. 別. 士. 別. 町. 上 多 温. 士. 別 寄. 根. 面 積 停 滞). 村 村. 別 村. 67 231 , 231 990 ,. 面. 積. %. 東西 ①. 南ゴ郎) ト 平方粁人口. 鰹8. 16. 268. m. 222. 109. B. 85. 375. 4 2一 -1. 12. 24. 145人 47 67.

(7) . 北. 村. 第 2 表 士. 別. 戸数 数. 総 商 工. 業 業. コ F 3 971 , 610. 業. 260 1 , 49. 運輸通信業. 375. 金. 融. サ ー ビ ス 業. 560. 公 務 自 由 業 農. 林 そ. の. 町. 人 口. % 形. 産 業 別 戸 数, 人 口 上 士 戸数. 戸 22 165 100 1 261 , , 3 448 16 108 ,. 2 120 10 , 3 2 ,03 14. 村. 別. 人. 人. 6 9763L3 , 278 1. 達. 口. 多. 」 〆 戸数 影. 人. 7 812 100 , 713 9. ; 三 2 7 61. 寄 人. 村 ロ. %. 人. 4 520 loo , 379 8 5 . 293 6 5 . 」 46 I. 温 根 戸数. 易 28. 別 村. 人 口 人. 4 357 ,. 162. 45. 3. 55620 1 , 5 20 0 .. 38. 252 3. 39. 363 8. 3. 16. 108. 725 9. 65. 382 9. 23. 132. 215. 7. 69. 414. 19. 111. 171. 952 4. 37. 236 3. 29. 189 4. 69. 420. 饗…. 927. 728. 2 775 61 ,. 486. 11. 4 i6553 ,. 457. 業 他. 5 09723 , 64 0 5 ,. 2 965 ,. 8. 2 27 0 .. 6. 18. 118 2 27 0 5 .. 2 17. 3 12 0 . 81 1 7 .. lo 13. 彰. 58 79. 1 村落共同体の解体と再編 1 農村社会と都市社会とが統合, 合併した場合には, 農村における村落共同体 が如何に解体して, 都市社会に再編されていくかは重要な問題であるが, この節では士別市における旧農村社会に焦点 をあて , 果して村落共同体が崩壊しているか否かを追求していく, 合併により旧村の諸団体が統合されていくが, 第一に旧村役場は支所として数人の職員を残して. 市役所に統合された, その際退職希望者の外は職員に犠牲者を出さなかった, 農業協 同組合はその 侭残置されたが, 新たに士別町に農業団体連絡協議 会が出来た, その他農民同盟連絡協議会, 連合. 消防団, 青年, 婦人会の連絡協議会が発足した, 3%, 多寄村61%, 温根別村66%) を抱 然し士別新市の如く圧倒的に多数の農業人口 (上士別村5 えている農村社会を合併した所では, 自然村の崩壊の上に直ちに新しい都市社会は形成されない, 即ち農民の主たる生活の場である部落に累積された諸集団を通して生み出された共同意識が, 新市. 発足と 5 1 kmも { m~20 ・共に薄れて都市近代意識に高められていくとは考えられない, 士別中心街より1 ok 隔たり, 旧村市街からも1 m以上も離れた農村部落では, 農民の主たる生活の場は部落内の集団で ある. 農民の吉凶時に近隣相互で協力して扶助し合い, 生産面でも農具の貸借, 労力の交換を行う 所の最小の集団たる近隣集団は組織的集団として農民の生活を支えている, 新市発足と同時に, 行政の円滑なる浸透を図るために従来の部落会を廃し, 全市を62公区に分け て公区長をおき, 村行政は公区長と言うパイプを通して部落民に流し, 叉部落民の種々なる要求も 公区長を通じて市役所へ連絡させようとした, 然 し現実に広大な農村部落において 62の公区長で ,. は役場の連絡事項も住民に完全に徽底せず, 不便なため, 1公区は大体2つに分れて 2 0人 , 総員1 の部落行政員によって市役所と部落民間の事務連絡が行われている, 2つに分れている公区の範囲 が旧部落会の範囲で, 依然として部落常会も開かれているし 冠婚葬 祭 諸行事の取決め 日常生 , , , 活の規制も行っている, 農事実行組合は農業協同組合の下部組織として, 直接農民の経済生活を左右しているが, この組 織は合併前と変らず, 1公区は大体3~4の実行組合に分れていて, 組合長は農民と農協との間に 立って, 肥料, 種子の購入, 病虫害駆除, 作況報告 供出督励等 農事万般の連絡 担当の任に当 , , , っている, 叉 実行組合の範囲で農具の貸借, 労力の交換を行っている所もある, 43 - -1.

(8) . 町村合併と地域社会 上士別, 多寄, 温根別の旧3ヶ村の村民に現在最も関心を有している集団を記入させた結果は, 第3表の如くである, 第 3 表 部落単位 旧村単位. 市範囲. 農民の所属し, 或は関心を有する集団. 実行組合, 部落会, 氏子集団, 無尽講, P,T,A, 同期会, 単位青年会, 婦人会, 公民館 分館, 青年学級, 労農研究会, 書道, 俳句, 美術研究会, 旅行会, 納税組合 市役所支所, 農業協同組合, 農業共済組合, 森林組合, 酪農組合, 稲作研究会, 公民館, 土功組合, 土地改良区, 連合青年会, 連合婦人会, 成人学校. 市役所, 青年団体連絡協議会, 婦人団体連絡協議会, 青少年問題協議会, 社会福祉協議会 防犯協会, 民生委員会, 交通安全協会, 納税委員会, 連合消防団, 連合P.T.A, 農業団 体連絡協議会, 農業改良相談所. 第3表によれば, 部落単位の集団としては, 部落会, 農事実行組合の外 に, 氏神に結びつく氏子 組織があって, 氏神祭が盛大に行われている, 祭は農民にとって大きな慰安, 娯楽となっている, 青年, 婦人にとって, 部落単位の青年学級, 青年会, 婦人会は, 教養獲得の場, 慰安, 娯楽の場と なっていて, 彼等の生活に密接に結びついている, 旧村, 市範囲には, 種々なる連合団体, 協議団. 体が結成されているが, これには部落の代表者が出席する場合が多く, 最も小さな部落の諸集団が 農民の直接面接集団として関心が持たれている, 任意的な団体たる納税組合, 営農研究会, 書道, 俳句の研究会, 同期会等 も夫々部落単位の集団と して, 活溌な活動をしている, 自然これら集団の. 構成員に部落共同意識を生み出す結果になっている, ●れるのは 次に旧村単位の集団として注目さ , 農業協同組合, 農業共済組合等の経済的団体であ る, これらの団体が合併されずに, 元の侭独立しているのは, 旧村が純農村で地域的に広範なため. に, 旧村農民にサー ビスを提供するために好都合なためである, 特に農協と農民との関係は密接不 離で, 春の資金借入, 肥料購入から始まって, 秋の生産物 出荷まで, 農民の一切の経済的欲求が農 して, 到底合併は不可能であ 協を通して満たされるので, 「我が村の農協」 と言う観念が強く支配,. った, 士別中心街には農業団体連絡協議会が結成されて, 各種農業団体の横の連絡を図り, 強力な 農業施策を全市に反映させようと企図したが困難であり, 協議会自体部落の農民に直接関係を有し ていない訳である, 農民の生産面, 消費面の大部分の経済的欲求は, 旧村市街の農業協同組合, そ の他の経済的団体によって満たされている訳である,. 公民館は農民の女化的欲求を満たす場として, 大きな意義を有していたが, 合併後どのように統 合されたのであろうか, 合併前には各村市街地に独立の公民館が設置されていて, その下に公民館. 分館が部落の小学校におかれて活溌な活動を続けていた, 合併により旧士 別町公民館を中央公民館 日上士別, 温根別, 多寄公民館を副鮒とした. 中央公民館で一括して行事予定表を とし, その下に[ 作り, 予算を取って, 一貫した活動を行う事にした, 然し実際には中央公民館の指令が統制的とな り, 旧公民館の予算も減額され, 一貫した活動も地域的に広大なるために不可能となり, 住民の不. 日に復して, 4公民館夫々独立して, 単独の予算の下で独立の 満も大きくなったので, 32年度から1 行事活動を行う事になった, 従って各公民館相互間 に何らの連絡調整も行われる事なく, 公民館の 統合は全く無意味なものとなった訳である, 公民 館活動は地域社会の住民感情の緩和, 市民意識の. 育成等に大きな役割を果していかねばならないに拘らず, 現状では不可能 となっている, このよう に合併による団体の統合, スムースなる集団運営などが不可育巷な事は, 地域が広大である事にもよ るが, 未だ旧村意識が根強く残っている事にも原因があろう, 森林組合, 酪農組合, 稲作研究会等は指導行政の一環として作られた組織体で, 組織を作る事に 44 - -1.

(9) . 北. 村. 達. よって補助金も受けられるし, 農民にも利益を供与している訳であるが, これらの団体も合併以前 と同様に存置されている. 任意的, 自主的な組織として旧村毎にあった連合青年会, 婦人会も合併 して, 単位青年会, 婦人会の統合体として活溌な活動を続けている, 合併によ 後もその侭の組織と・ り更に全市的に協議体が出来, 組織が複雑となったが, 協議会自体は代表者の集まりで, 部落の青. 年, 婦人全体には余り関心がない訳である, この事は全市的に結成されている諸団体にも言い得る 事である, このように合併によって行政新市が形成されても, 実質的に部落及びむらの構造は, 集団分析の 結果, 目立って変化していない. 即ち容易に村落共同体は解体 していかない, 但し北海道の村落は. 本州の水田農村の如く, 封鎖的な村落共同体として把握されないから, 村落共同体の残存のあり方 が本州の場合と異なる訳である, 即ち宮城県白石市の合併後の調査において, 田原氏は 「行政上の 変化;地域社会の形式的拡大という事は, 実質的な ミむら の構造に一指だに触れる事が出来なか 」 本州では封鎖的な部落共同体が解体されずに, その侭残されている場合 った」 と言っているが,4 が多いのである, 本州の水田村落では, 山と水との共同所 有と共同利用, ゆいの組織を通じて, 部 落が生産共同体として把握され, 更に日常生活上の共同組織体が累積して協力扶助し合い, 組織体. が同族結合をなしている場合もある, 従って合併によってこれらの強固な組織は簡単に解体されな い で い る,. 士別新市の場合, 旧村部落では日常の生活共同組織体が残存している事は前述した通りで 更に , 水田地帯では生産面の組織体が残っ ている所もある, 然し本州農村部落と異なり, 上下的同族結合 の弱 い事, 集団運営が比較的民主的なる点で, 村落共同体的強制が弱いと言えよう, 然し拘束力が 弱いとは言え, 尚旧部落, 旧村内の諸集団が優位性を占めて, 農民の生活を支配している事は確か であり, 市範囲の諸団体には, 関心 ・を示 していても, 名目的であり, 常時接触している集団でな. く, 叉部落全員包含的でもない, その点で, 村落共同体の解体は進行していないと言えよう, 1 都心地帯と農村地帯の交流 1 1. ここで問題 とするのは合併による新市発足に伴い, 都心及び旧市街地の変化, 都心と農村地帯と. の経済的, 文化的交流, 農村の都市化等である, 鈴木教授によれば, 「都市は社会的交流の結節的 機関 (交通, 通信, 統治, 治安, 教育, 宗教, 娯楽, 販売, 技能機関) の集まっている集落社会 )旧士別町は合併前よ で, 結節的機関が多く 集まれば, 集まるだけ都市度が高い」 と言われるが,5 3 り, 他 の ヶ村に対する上級都市として, 各種機関が集合 していた, 然し他方旧3村も夫々独立の村として役場があり, 役場所在地は市街地を形成し, 各種商店, 小. 工場, 飲食店, 農協, 映画館, 旅館等が一応完備していたので, これらの機関は村内部落民の日常 欠くべからざる経済的, 文化的, 慰安, 娯楽的欲求を満たしていた, 合併により旧村市街地は都心 (士別町市街) と同様に発展していくとは考えられない, 当然旧村市街地の衰微となって表われて. くる, 具体的には旧村役場廃止後旧村市街地に支所 が設置された, 然しその支所の主たる機能は住 民の出生, 死亡, 転出, 婚姻届等の戸籍上の事項と税金の徴収を行う程度であって機能は縮少され た, 従って部落内で土木, 建築事業の必要が起っても態々中心街の市役所まで出かけていかねばな らなくなった, 従来旧市街地の業者に対 して行われた事業の請負, 需要品の発註もなく な っ た か ら, 商工業者にも大きな打撃を与える事になった, このような旧市街地の衰微が予想されていたか らこそ, 上士別村では士別との合併に強く反対 してきたのである, 事実合併後上士別市街地では搾. 油工場閉鎖, 料理店2軒閉店, 木工場 1軒閉鎖, 1軒が合併され, 各商店の売上も全般的に減少し ている, 多寄市街地の造材業, 土建業者は土則市街地へ移転し, 商店街も火の消えたよようにさび 45 - -1.

(10) . 町村合併と地域社会 れた, 温根別市街でも呉服商, 飲食店各一軒が閉店 している. このような旧市街地衰微の現象は役場その他の官公署の移転により, 職員が都心地帯へ移動し,. 消費人口が減少した事も大きな原因となっている, 叉都心と農村地帯を結ぶ道路, 交通網の整備に より, 旧村民を都心へ吸引する度数を多く した事も有力な原因となっている. 即ち士別中心街と多 3時 寄市街間では列車連行の外に, バ スが12往復して最終23時まである. 士別, 上士 別間もバスが2. 0往復している, 士別, 温根別間は19時まで7 往復している, 従って旧村市街地の農民が中心 まで1 市街へ出掛ける回数は合併前より増えている. 調査の結果合併前月平均1~2回士別市街地へ出掛. けて行ったが, 合併後は2~5回となっている, 但し旧村市街地より遠巨離にある兼内地区 (上士 別市街より2里) 白山, 伊女地区 (温根別市街より2~4里) 住民は合併前は1~2回, 合併後も. 1、3回で, それ程変化していない. これはバス賃が高価なためである, 即ち士別市街より多寄市街 0円, 上士別市街, 温根別市街まで1 20円であるが, 兼内地区までは1 60円, 伊女地区まで まで往復8 0円を要し, 遠巨難では経済的負担が大きいからである は27 , ここでも遠巨離地区と中心街との経 済的, 女化的交流が妨げられる結果となっている.. 旧村民が士別中心街へ出掛けていく 目的の第一は買物である, 買物の場合も茶菓子, 酒, 煙草, 魚類の第一次生活必需品, 文房具, 荒物等の第二次生活必需品は部落の雑貨店, 行商, 農協等で購 入し, 農耕用品, 種苗, 金物, 呉服, 洋服, 玩具類の第三次 生活必需品は旧市街地商店, 農協或は 土則中心街で購入し, 医薬品, 陶器, 運動用具, 電気器具, 時計, 眼鏡類の第四次生活必需品は殆 んど都心まで出て購入 している, 即ち毎日の生活の更新に欠く事の出来ない商品は最寄りの店で購 入し, バス賃をかけても尚安い商品, 高価な賛沢品の購入の場合には, 士別中心街まで出掛けてい る, 次に部落民は市役所の用件で中心街まで出掛けて行く. これは前にも述べたように支所の機能 が縮少したので, 物品の発註, 代金の支払い, 道路補修, 橋梁改築等の土木工事, 学校建築等の接. 捗のために出掛ける回数が増えたからである, 叉病院に出掛ける回数も増えている, 多寄, 温根別 市街には市立病院の分院が出来た ,が, ここでは医師が少いので, 重病の場合には自然, 専門医の揃 っている士別まで行く 事になるのである, 叉旧市街地区周辺で都心と近巨離にある農村部落では,. 青年男女が中心市街における各種の文化, 娯楽的儀おしとか, 映画観覧のために出掛ける回数が増 加してきた. 旧市街にも映画館はあるが, ここ では週, 2 ,3回より上映しておらず, 叉自由に好き. なものも選択出来ないので, 自然暇な時には慰安, 娯楽的欲求を満たすために中心街へ出掛けて行 く、事 に な る の であ る,. 以上のように都心と農村が漸次経済的, 文化的に交流する事により, 農村は都市化されていく が, 目立って変化した点をあげてみよう. 第一に青年男女は外面的な服装が派手に都市化されてき. た許りでなく, 性格的にも内攻的, 消極的態度から自由な進取, 積極的な態度と行動をとるように なってきた. 家族その他の集団内でも自由に発言 し, 民主的な運営を行うようになった, か る傾 向は部 落民自身にも表われてきている, 合併前都心へ出掛ける回数も少く, 自然視野も狭く自閉的. で, 都会人に対 し劣等感を抱いていたが, 都心へ出掛ける回数が増えて都会人と接触したり, 会 議, 打合せ等で話合いの機会も多くなるにつれて, 都会人と対等に物が言えるようになり, 民主的 となってきた, 自然, 都市の生活様式も農村部落の生活の中に採り入れられるようになってきた.. 例えば婚礼の披露宴も派手に行われて, 夜中まで飲み放題と言う生活慣習も, 2合瓶と折詰と言う 簡素な披露宴に変ってきたし, 住, 食の生活も合理的に改善されてきた, 次に農村辺地の教育の振興が図られてきた事も事実である, 即ち教官の人事交流を通じて優秀な 教官が部落の学校に赴任 してくるようになったし, 全市的に各教科毎に小, 中学校夫々2人の指導. 員をおき, 各学校からの要請により出張指導も行うので, 辺地にも新教育が注入されるようになっ 46 - -1.

(11) . 北. 村. 達. た, 叉全市の学校を網羅してス ポーツ大会, 音楽コンクール, 美術展覧会も開かれるので, その機 会に農村部落の児童にも競争意識を植えつけているし, 児童達も都心に出掛けて新しい施設に触れ. る事にもなって社会的常識も高められてきた, 自然, 親達も熱意を以て子供達の学習指導に当り, 上級学校への進学意識も高まり, 全体として農村教育の振興が図られてきたのである. 都心と農村地帯 の相互交流によって旧村にプラスを高らした反面において, マイ ナスの面も表わ れてきている, 即ち合併により一層農村振興を図る事を公約されていたが, 市の予算は農村地帯よ り都心に偏重して使われている, 士別中心街は舗装され都市としての形態を整備しっ ある, 中心. 街と旧村市街地間連絡の幹線道路もよく整備, 補 修している, 然し幹線道路以外の旧村道, 農道の 補修は見捨てられている, 危険な橋梁も放置されている, 旧村時代には地域的にも狭くよく纏ま り, 役場も村内をよく見廻って住民の要望に応えていたが, 地域的に広範になったために市役所も. 全体的に目が届かないのが現状である, 教育予算も建築予算は増えているが, 旧村辺地校の需要費. は却て減少している, 社会教育活動費も士別の中心で行う行事費に食われて, 旧村では却て減少し 00 戸もある事は市としての体面上問題である, 上水道も温根別, 上士 ている, 無電燈戸数が未だ7 別までは伸びず都心周辺のみとなっている, 貧農, 救農対策にも手が打たれていないので農民にと. って大きな不満となっている, 以上の旧村に対するマイ ナスは都市部 と農村部とが有機的に結合せ ずに都心偏重政策より起っている現象である, IV 士 別 新 市 の 性 格. 00以上の新市が誕生したが, これら凡ては従来の旧市と同列の格位で 町村合併により全国的に2 考えられない, 新市のうちには単に田舎町とそのヒンターランドたる村落とを合体して, 行政規模. のみ拡大して人ロが増加した事によって市となったのが多い. 従来の社会学, 地理学の概念からす る都市は, 少くとも都市的職業に従事する人口が多く, 市街地面積が市の面積の大部分を占めてい た, 然るに新市では都市的職業に従事する人口が全人ロの半数にも満たず(例へば青森県,黒石市, 五所川原市, 長野県, 飯山市, 栃木県, 真岡市等) , 生産額も農産額が優位を占めていた, 従って 「 「 ダメ都市 山岳都市 なる悪口呼ばりもされる訳で 」 「農産都市」 コエ 」 , 士別市もこの例に洩れ な い,. 新市が誕生するまで, 市となるべき要件として, 地方自治法第8条第1項は下記の各号を具備す る事になっていた,. 1 人 口 3万以上を有する事, 2 当該普通地方公共団体の中心の市街地を形成している区域内にある戸数が, 全戸数の6割以 上 で あ る事,. 3 商工業その他の都市的業態に従事する者及びその者と同一世帯に属する者の 数が, 全人口の 6割以上である事,. 4 前各号に定めるもののほか, 当該都道府県の条例で定める都市的施設, その他都市としての 要件を具えている事,. 854人 で 人 口3 万以上の市たる要件に これらの規定に照 して士別市の場合は, 合併当時の人口 38 , 4 5 該当する, 然し士別中心街地区の連担戸数は %であって, 到底6割に達していない. 士別市の場. 合中心 ・となる旧士別町市街地の外に, 旧上士別, 多寄, 温根別村も夫々市街地を形成 し, 都市産業 これらの地区は各々独立していて士別中心街地区の戸数と連担 に従事する戸数が密 集していたが,.. していなかったので, 全体的に6割を割る事になったのである, この事が当初温根別村を士別との 合併から除外する原因となったのである, 中心街地区内戸数が全戸数の 6割を割っている実例とし ‐- 147 -.

(12) . 町村 合併 と地域社 会 )次に第3号 の 非農 て, 鈴木教授の調査にか る陸前高 田市, 遠野市, 土佐清水市も同様である,6 0%対 業人口が全人口の6割以上を要するが, 士別市発足当時の農業人口 対 非農業人口の比率は4 60%であって, 非農業人口が辛うじて6割を超える 程 度で, 従って農村をバックとした 「農産都 市」 と呼ばれる訳である, 然し第4号の当該都道府県の条例で定めている都市としての要件を どの 程度具備しているかが問題である, 即ち道条例の市制施行の要件としてあげている事項は下記の如 く で あ る.. 1 支庁, 税務署及び公共職業安定所 等 の公署が5以上設置されている事 2 学校教育法第4章に規定する高校が2以上設けられている事. 3 公私立の図書館, 博物館, 公会堂 公民館叉は公園等の文化施設を2以上有する事 , 4 公営叉は私営の上水道, 軌道叉はバスの施設を有する事. 5 銀行, 会社, 工場及びその規模が他市に比して遜色がない事 6 病院, 診療所, 劇場, 映画館等の施設が相当数設けられている事 7 商工業その他都市的業態に従事する者, 及びその者と同一世帯に属する者の数が最近5ヶ年. において増加する傾向にあり, 且つ将来市として発展する要件を有する事 8 町村住民の担税力及び財政状況が道内他市に比較 して遜色のない事 士別新市をこれらの条項に照してみれば, 第一に士別中心街には士別簡易裁判所, 検察庁, 法務. 局出張所, 営林署, 税務出張所職業安定所等5以上が設置されている, 第二に高校は士別, 上士別 6000 高校の2校がある, 第三に公民館, 図書館各 1 , 公園6を有し, 図書館の蔵書数は , 冊あ り, 叉公園は慰安, 休憩場として充分設備されている, 第四に公営の上水道は合併当時給水世帯540戸 であったが, 毎年給水世帯を増加している, 叉交通機関 として名士バス株式会社, 士別軌道株式会. 社がある, 第五に金融機関として北海道銀行, 拓殖銀行, 相互銀行の支店, 士別信用金庫がある, 会社, 工場として日甜工場, アスパラガス工場, 雪印バター, 森永乳業, 坂栄養食品会社のほか,. 農林産加工会社及び商事会社があって他市に比して遜色はない, 第六に中心街に各科を揃えた市立 総合病院と保健所の外に開業医が8軒ある, 映画館, 劇場は2軒ある, 第七に商工業等の都市産業 従事者が将来増加するかである. この点は農, 林, 畜産工業は市内及び周辺の農村をバックとして. 隆盛の傾向にあり叉農村に対する商業, サービス業も増加傾向にあるから, 自然これらの従事者も 0万円あり, 合併 増える可能性がある. 第八の市の財政状況は合併当時各町村よりの引継赤字7 57 ,. 300万円の退職金を支払い, 更に28 時1 , , 29 年の冷害, 水害による凶作のため徴税成績不振で, 遂 0年3月 末までに1億3千5百万円の赤字を作って財政再建団体に指定され, 政府より特別の資金 に3. 的援助を仰がなければならなくなった, 然しその後合併による特別起債も認められたし, 農村地帯 の豊作による農民の担税力も増して市の再建が進んできている,. 以上の考察を通じて士別新市は4つの田舎町とこの田舎町に経済的, 文化的, 娯楽的に依存 して いる自然村とを包含して出来た行政都市である, 従って運担戸数の点から, 都市産業従事人口の点 から都市としての格位に欠ける事は事実である, 然し道条例の市たる要件に照し, 都市を社会的交 流の結節的機関の集まっている集落社会と称するならば, 士別市の都心地帯は役場, 学校, 商店の みの集まっている単なる市街地とは異なり, 各種の都市的機関が集中している, これらの 諸機関を 旧3村の農民が利用 している許りでなく, 剣淵, 朝日, 和寒の町村民まで利用 しているので, 隣接. 町村に対する中心的地方都市としての機能を 果している. 只 士 別新市を内部的に精細に観察すれ. ば, 中心街と旧村市街地は都市的構造を有しているが, 中心街から遠巨難にある農村部 落は未だ自 然村として強固な社会的統一が図らている, 従って将来自然村が崩壊し, 農村部と都市部とが有機. 的に連帯し, 村落の都市化が進められる事が, 新市が都市としての構造と性格を有するための要件 48 - -1.

(13) . 北. 村. 達. である, そのため に農村地帯が部落内の殻に閉じ込められた生活より脱却して 政治的にも経済的 , にも簡便に都心へ直結し得る事, 凡ての面で都心から農村地帯へサービスを提供し得る事が肝要で. ある, 都都間の円滑なる交流は差し当て都心, 農村部落の連絡道路を完全に整えていかねばならな いし, 低廉なバス賃で部落より都心へ出られる交通的条件も満たされなければならない, 農民自身. も家族内でも集団生活の面でも民主的, 近代的生活を展開していかねばならない 依然として家族 , 制度的意識が根強く部落意識に支配さ れ, 非民主的生活が続けられる 限り 部落は何時までも封鎖 , 的な殻から脱却出来ず, 新市建設の意味がないからである, 現在士別新市 は都市部と農村部との有 機的連帯による統一 あるコミュニティを形成する段階に至っていない, あ. と. が. き. ▽までを通じ士別市の合併前の各町村の概況から合併可能 な地理的 歴史的 経済的 交 1より1 , , , 通的条件を検討し, 合併後の村落共同体の解体状況と都 都間の交流状況をみる事により新市の性格 を 明 ら か に して き た,. 士別市は出発点たる合併統合の際に, 既に旧村にかなり強い反対もあって難航した これは町村 , 合併においては地域社会の広範になる事から合併後当然予想される難点が見のがされていたからで ある, 例えば合併により行政の能率化が図られるよりは, 却て非能率化した事である, 従って人ロ 稀薄な本道の場合には, 全国一律8千以下の人口の村を直ちに合併対象村とする事は, かなり疑問. である事を裏書きしている, 合併の結果村落共同体は直ちに解体していかない, 本道の農村部落の共同体組織は, 府県農村部 落の如き生活の凡ゆる面の共同化が要請され, その結果強い共同の社会意織を生みだすまで至って いないとは言え, 士別市の旧村の如く歴史的にも古く, 中心街より僻遠にある農村部落においては. 日常生活面, 社会生活の側面においてかなりの共同体組織がみられた, 新市となってもか が崩 壊していくまでには相当の年月を要するだろう,. る組織. 然し都心地帯と農村地帯間の交通網, 道路網は整備されっ あり, 郡部間の経済的 女化的交流 , はかなり進んできている, 今後都心と農村部とが緊密に連帯し地域社会内諾集団の再編と統一が進. み, 諸団体の運営がスムースに行われ, 農民の生活が近代化していけば, 町村合併の社会学的目的 は達せられようが, 士別市の現段階では, それに達するまでかなりの時を籍さねばならないだろ う,. 註. i ) 2) 3) 4 ) 5 ) 6). 新 士 石 田 鈴 鈴. 明 正 道: 別 町 編: 崎 宜 雄: 原 音 和: 木 栄太郎 : 木 栄太郎 :. 「地域社会の組織化」 (社会学研究第1 1号所収)2-3頁. 「士別発達史」38一39頁, 「市町村合併と弘前市」 60頁, 「町村合併と村落構造」 (社会学研究第16号所収)59一60頁, 「都市社会学原理」2 2頁, 44頁, 「前掲書」4 30一432頁,. 附記 この論文は昭和32年度北海道科学費 による研究の一部であり, 現地調査は33年2月より4月の間に行 われた. 調査法は役場その他諸団体における資料調査と, 旧村民に対 し質問紙による記入調査法を採 用 した,. 一 149 -.

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参照

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