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デュルケームにおける「科学的合理主義」(I) : その形成に関する社会学史的考察

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Academic year: 2021

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(1)Title. デュルケームにおける「科学的合理主義」(I) : その形成に関する社会 学史的考察. Author(s). 登石, 文夫. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. B, 社会科学編, 26(1): 13-23. Issue Date. 1975-09. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/4400. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 登石文夫:デュルケームにおける 「科学的合理主義」. デ ュ ル ケ ー ム に お け る 「科 学 的 合 理 主 義」 〔1〕. --その形成に関する社会学史的考察--. 登. 石. 目. 序 自然法と古典的合理主義 実証哲学の批判と継承. 夫. 文. 次. 社会学的 「間接実験」 結語にかえて. 序 す で に 度 た び指 摘 さ れ て い る よ う に, デ ュ ル ケ ー ム の 社 会 学 の 展 開 に お い て, 初 期 の 形 態 学 的 要. 因の重視, 決定論的傾向か ら, 『自殺論』 を軸にして, 「行為規範」 を主要課題とする後期におけ る観念偏重 へという変化・断層 がみられる。 しかしながら, 終始 「合理主義」 の影響が強くはたら 1). い て い た こ と は ま ち が い な い, デ ュ ル ケ ー ム に と っ て, 合 理 主 義 の 精 神 は 単 にフ ラ ン ス 社 会 の 集 合 表 象 であ る だ け では なく, あ ら ゆ る 科 学 の 根 本 に お か れ る べ き 原 理 で あ っ た。. 『社会分業論』 にもとづいて, 合理主義の成立を知識社会学的に説明するなら, 分業の発達にと もなう集合意識の非決定化, およ びその世俗化によるものである, 「環節社会」 では宗教的信仰と 絶対者の権威への志向を特徴とし, 意識は身のまわりの具体的な事物に関してま で集合的に決定さ れ, 限定されていた。 他方, 分業の発達 した状態では, 抽象的, 非人格的な概念による普 遍的な相 における思考 を特徴とする. さらに, 個 人の自由な意識の範囲 が拡大された結果と して, 理性に対 2) する信頼が確立さ れたと同時に, 反省意識に対する幻想と個人崇拝をも たらした. デュ ルケームは 純 合理主義」 あるいは 「せまい様式の合理主義」 とし デ がレト以来の古典的 合理主義に対して. よ単. て, 自己の 「科学的合理主義」 を区別する. 古典的合理主義の否定す べき側面は, 第一に, 事物を 単純な原理 に環元する 「せまい分析主義」 であり, 第二に, 「人間中心的仮定」 への固執である. 従来の合理主義の, 複雑な事物はいくつかの単純な原理から演鐸されうるという認識が, 超越的な 神に対する盲信に代る個 人化された神への信仰 ( 「人間の尊厳」 に 対す る崇 拝) と 結 びつ いて, ) 「社会界に対して彼が長い間我が物顔にしていた無限の権 議 をもた らすことになっ た. しかし, 「 合理主義における 「明 断な概念への礼讃」 , 知 識の 浄化」 への志向は, あらゆる科学の基礎要件で あり, しかも, 経験を軽視する傾向に もかかわらず, 理性的なものは現実の中に存在するという原 則も維持されてきた. そのため, 古典的合理主義は全くの超越的な空論に終始することなく, 経験 科 学 を も ま た 徐 々 に 発達 さ せ る こ と に な っ た の で ある. デ ュ ルケ ー ム は, モ ン テ ス キ ュ ー や ル ソ ー の 自 然 法 の 社 会 哲 学 か ら, サ ン‐ シモ ン と オ ー ギ ュ ス. ト.コ ントの 「実証主義」 社会学への 成立へと発展する流れを, デカ ルトに集約される合理主義の 精 神 の 社 会 現 象 へ の 適 用 と と ら え て い る。 さ ら に, ハ ー バ ー ド も ペ ンサーや J.S.ミ ル を も 批 判的に摂取 しつつ, 「科学的合理主義」 社会学の成立を宣言する. このことは, 自然法と実証主義 社会学 (有機体論, および功利主義社会学説) の成果をふまえて, 古典的合理主義の再生による社 13.

(3) . rデ ルケームにおける 「科学的合理主義 登石文夫: ュ 」. 会学の確立をめざすことであっ たといえよう. 本稿は, おもに 『自殺論』 以前に焦点を合せ, 合理 主義の精神を探りつつその社会学をささえる基本的範噂の形成をたどりたい. 註 1) 最 近, D. LaCapra が デ ュ ルケ ー ム に 対 しCart ized neo-kant iani zed and soci esi ani al sm と断定 して い l る. Domi l logi i IU 「 e Durkheim, soci ni c LaCapra st and Ph o osopher″ ni v , Emi . Press , Cornel , 1972 . p, 8, pp . 148~149,. 『 ls l 2)Emi l i i 3 si on du t ravai e Durkheim, De la divi oc a s , Par , 189 .(井原玄太郎, 寿里茂訳 社会分業 論』 上, 1957年, 理 想 社, 181 ~244頁, 参 照) 『 3) Emi l i e Durkheim, じEducot on moral e s , Pari , 1923 . (麻 生 誠, 山村健 訳 道徳 教 育 論』 2, 1972年, 明. 0頁) 治図書出版, 14 ,. 『 4)Emi hode soci l es de la met ol ogi e Durkheim, Les regl s que,Pari , (田 辺 寿 利 訳 社 会 学 的方 法 , 1895. 96 6年, 有隣堂出版2 3頁) の規準』 ,1 5)前掲書, 第一版序文, 4頁.. 1. 自然法と古典的合理主義. デュ ルケームは十八世紀の自然法の思想も 「単純合理主義」 の社会への適用であるとみなす。 そ れ は 前 世 紀 に お い て は, も っ ぱ ら 自 然 現 象 に 適 用 さ れ て い た も の で あ っ た, ル ソ ー に つ い て い え ば,. その 肯定す べき要素と否定す べき要素 が共存し, 矛盾 しあっているところの一典型をなしている. ルソーにおける社会原子論 と社会契約説は, 分析主義と 「人間中心仮定」 を意味し, 自然法の概念 は理性の中だけの合理性を意味するのみである。 しかしそれはまた, 自然法則と同様の 客観的な力 を 人 びと に 及 ぼす の で あ る. す な わ ち, 「ル ソ ー も ま た, 自 然 界の 法 に も 等 し い 必 然性 を も っ て あ. らゆる市民を支配する法, あたかも大自然の法にも似て, 個 人意志を屈 服せ しめうる力をそなえた 非人格的法を夢見ている. しかしながら, 同時に単純主義の偏 見によっ ても等 しく支配されている 6) 精神は, かく して解決不能の自家撞着に陥いる」.そ して, ルソーが社会を人工的な作成物とみなし て い る 面 を, デ ュ ル ケ ー ム は つ ね に 強く 批 判 して い る. デ ュ ル ケ ー ム は, モ ン テ ス キ ュ ー に つ い て の 論 文 を1892年 に, ル ソ ー に 関 して は1901~ 2 年 に,講 ) 義 で 発 表 して い ろ も っ と も, こ の 間, 約 十 年 の 隔 り が あ り, 両 者 に 関 す る 解 釈 に は‐デ ュ ル ケ ー ム. の社会学の展開に即応した問題意識が反映しているであろう し, 初期における形態 学的傾向と後期 に お け る 規 範論 的 傾 向 と い う 重 点 の 移 行 と 対 応 して い る で あ ろ う. こ の, フ ラ ン ス に お け る 二 人の. 代表的な自然法 思想家の社会考察の中に, デュルケーム自身の社会学を基礎づける諸原理の醸成を 見い だ し, フ ラ ンス 合 理 主 義 の 発 展 的 完 成 と して 正 統 づ け る 目 的 が あ っ た で あ ろう, ホ ッ プス を加 え て, 自 然 法 思 想 の 展 開 に 対 して 「三 人の 思想家すべてにとって社会は自然に付加 さ れ た な に か」 であ り, 「た と え 三 人の 思 想 家 が 社 会 と個 人 が 同 一 で な い と いう こ と に 同 意 して も,. 我われは社会なるものを自然に根づ かせようとする努力の増大を見いだすことができるデjと結論的 に 述 べ て い る. す な わ ち ホ ッ プ ス で は 自 然 状 態 と して の 戦 争 状 態 か ら 逃 れ る た め に 人 間 の 意 志 が 社. 会を形成し維持するの であり, モンテスキューでは社会の 一般的状態に適合した社会制度 (法) が つ く ら れ な け れ ば, そ の 正 統 性 は え ら れ な い も の と 意 識 さ れ, ル ソ ー の 「一 般 意 志」 の 概 念 は, 個. 人を超越し, 外在する集合的実在と しての社会の存在を暗示させる. る・社 会 学 の 源 流 を な す が, モ ン テ ス キ ュ ー を 本 流 に 位 置 づ け る. 両 者 は と も に 実 証 哲 学 に 先 行 す.. 『法の精神』 には 社会学の誕生に必要とした諸原理が含まれている それは 1 社会学の主題 , . , . を明示したこと. 『法の精神』 の主題は法の比較研究であるが, 法のほか広く諸制度全般を対象と している. 2. 古今東西の多 様な社会の具体的データーを収集し, 実証的な方法で考察をすすめた. 3, 類型と法則の概念があること. 類似点と相違 点か ら, 類 型 化 を 行 い, そ れ ら を 成 立 さ せ て い る 諸条件を比較考察して, 法則という 決定関係を把える. 4. 社会現象が現象間の必然関係として説 14.

(4) . 登石文夫:デュルケームにおける 「科学的合理主義」. 明さ れている. 5. 真の科学は単 なる技術と区別さ れね ばならぬが, 科学は技術を包含している。 モンテスキ ューの合理主義の精神は, 正常と異常の客観的診断を行なっ ている. これら五点に集約 『法 の 精 神』 の 継 承 的 発 展 と して 位 置 づ け る で き る. デ ュ ル ケ ー ム は, 自 己の 『社 会 分 業 論』 を, 意 図 があ っ た であ ろう, モ ンテ ス キ ュ ー の 社 会 類 型 は, 一 見ア リ ス ト テ レ ス を 踏 襲 して い る か の よ う な 統 治 形 態 の 分 類 と 9) 「独 創 的 な 体 系 をつ く り だ した」 こ と に な る そ れ して なさ れて い る が, デ ュ ル ケ ー ム に よ る と, .. は, 分類の 基準 を抽象的な国家概 念によるのではなく, 多様な社会について, 社会生活の全般的な 諸 条 件の 比 較 研 究 に よ り, 現 象 そ の も の の 中 に 見 い だ して い る か ら で あ る. こ の 点 が, 政 治 哲 学 か. ら社会学的 思考への決定的な移行を物語るのである. モンテスキューは社会分類の 基準として, 風 土的条件のほか, 社会の構成員の数 と配置, 交易形態などの相違を採用 したが, ここに社会類型の 分類としての 内実が存在する. デュルケー ムは, モンテスキ ューの因果概 念に, 極端な決定論と伝統的な目的因の混在を指摘す る. 「原初 的 理 性 があ り, 法 と は, そ れと さ ま ざ ま な 存 在 の 間 に あ る 関 係, ま た, こ れ らさ ま ざ ま ). な存在相互の関係であ ろ9 と定義するモ ンテスキ ューは, 社会の多様な存在様式が, 環境的原因に よ る 物 理 的 必 然 性 で 決 定 さ れ る 「法」 の 様 式 で あ る と 確 信 して い た こ と は ま ち が い な い。 デ ュ ル ケ 「 「 ー ム は, モ ンテ ス キ ュ ー の 一 方 に お け る 決定 論 の 存 在 に も か か わ ら ず, そ の 法」 観 念 に は 法 則」. 「 と「法律」とが明確に区別されずに混在したままである点を指摘するのである. 法」 が社会の 形態 によって異り, 社会形態は社会の規模によっ て規定さ れるという ように, 現象間に因果関係を追求 している場合は前者の立場 をとっ ているが, 立法家の役割の 重要性もまた決 して減少させているわ けではない, 社会生活を規制する ものとして 「法」 が最後の役割を演じ, 立法家が登場する. もち. 「 ろ ん, モ ンテ ス キ ュ ー の 見 解 に お い て は, 立 法 家 は 全く の 窓 意 で 法」 を 作 成 す る こ と は 許 さ れ ず,. 社会状態を正 しく洞察して, その状態の本質に適合した 「法」 を作成しなければならない. かく し. て 立 法 家 は, 人 びと に 社 会 が どの よ う な 目 的 に む い て い る か を 示 し, 毎 日 の 行 為 を 意 味 づ け し, 統 制 す る, した が っ て, 「法」 は, 立 法 家の 意 志 が 発 す る も の に ほ か な ら な い. モ ンテ ス キ ュ ー の 因 「 果 関 係の 観 念に お い て は, 期 成 因 の 認 識 も あ る も の の, 目 的 因 を 優 先 さ せ て い る の で あ っ て, 法」. は結局, 「法則」というより 「法律」 に帰着する. ここから, 法形式をとらない諸社会制 度 (道徳,. 「 慣 習, 宗 教 な ど) の 意 義 が排 除さ れる こ と に も な る。 「法」 は も の と もの と の 間 の 関 係 と いう よ. 「 り, むしろ, 諸観念における相互の関係」 という べきものになり, 社会の自然 (本性) が法をい. か に 発生さ せ た か を示 して く れ な い芋 こ と に な る. モ ンテ ス キ ュ ー に お け る 「人間 中 心 的 仮 定」 と いう べ き 目 的 因 を 排 して, デ ュ ル ケ ー ム は, そ の 決 定 論 的側 面 の み を 採 用 す る か に み え る. モ ン テ ス キ ュ ー に よ る と こ ろ の, 立 法 家 に よ る 本 質 判 断 と して は たさ れ る 価 値判 断 を, い か に して デ ュ ル ケ ー ム は 「科 学 的 合 理 主 義」 の 立 場 で 行 な おう と. するのであろうか. 当然それは, 立法家に代る科学者の任務である. 社会現象に対して, 科学的な 診断を 行う こと によ っ て, 社会の 「正常態」 と 「異常態」 の客観的判 断が可能でなけれ ばならな い。 と こ ろ が, こ の 可 能 性 も ま た, モ ンテ ス キ ュ ー の 考 察 の 中 に 存 在 し, そ こ か ら 発 展 的 に と り だ す こ と が でき る。 デ ュ ル ケ ー ム は, モ ンテ ス キ ュ ー が 「民 主 政一 が 小 さ な 規 模 の 社 会 での み 実 現 さ れ て い る と いう. 事実をふまえて, 規模の大きい社会への普遍化に否定的結論を下すところに, 価値判断に対する科 学 の 機 能 を 見 い だす の で あ る. そ して, 「規 範 を 定 め る こ と がな い と す れ ば科 学 の 機 能 は な ん で あ. ろうか, それぞれの 社会の最上の 法はその成員の福祉であり, 社会はその特殊な性格を自己防衛す る こ と な く 自 己 自 身 を 守 る こ と は で き な い か ら, そ の 社 会 が な に に 向 っ て 努 力 し, な に を 避 け る こ 15.

(5) . 登石文夫:デュルケームにおける 「科学的合理主義」 1 2 ). と を 当 然 と す る か を 決 定 す る に は そ の 特殊 な 性 格 を 説 明 す る だ け で十 分 で あ る と 述 べ て い る , 」 , モ ンテ ス キ ュ ー が 『法 の 精 神』 で 目 的 と した の は 理 想 的 な 規 範の 考 察 で は な か っ た そ れ ぞ れ の , .. 社会は, その形態的状況に 合わせて固有の存在様式をとらざるをえず 個々の原 因状況と それに , , よっ て決定される制度との必然関係を, 類型的に把握した . しか し, モ ンテ ス キ ュ ー の 限 界 は, 彼 の 類 型 が 本 質 的 にイ デア であ る と こ ろ に 存 在 し した が っ ,. て異常性は, イ デア的類型を撹乱する偶 然性 (立法家による判断の誤りとして生ずる) に帰せられ る. 社会現象をすべて現象間の必然的関係として把 握する立場から デュ ルケームは 異常性を単な , る偶 発的な変奇形態とはみなさない. 異常性もまた 「社会種」 に内在する原因によっ て説明されな け れ ばな い の であ り, し た が っ て そ れ は 正 常 性 を も た ら して い る 原 因 と 密 接 な 関 係 で 生 じる す , . なわち, デュ ルケームは, 正常性と異常性を同じ社会的環境のもと で生じる 盾 の 両 面″ の よ う に と ら え る の で あ る が, そ の 量 的 な バ ラ ン ス が 問 題 な の であ る 犯 罪 は そ れ が一 定 の 割 合 で 発 生 し . ,. ている 限り, 社会的統合に寄与 しているのである から, 社会学的見地か らは異常とみなすことはで きないの である. 異常性と診断しうるのは, 逆に社会的統合を弛緩させる傾 向にま で達 した段階 で. 『 あろ. そ れ では, 法 な どの 社 会 制 度 が い か な る 意 味 で 自 然 (正 常) な の で あ ろ う か こ れ は デ ュ ル ケ , , 「進 化」 と 「機 能 の 概 念 が 必 要 で あ る ー ム がモ ンテ ス キ ュ ー か ら 浮 上 さ せ た 諸 概 念の ほ か に 」 , .. モンテスキ ューに欠如している歴史的視点を加えるとともに, 社会現象の非人格的性格を明確にす る ため に, 「科 学 的 合 理 主 義」 の 基 本 的 範噂 と して 導 入 した の である ところ で この両 概念は明 らか , .. にコ ントとスペンサーの 有機体論 を糸鯵承するもの であり, そのより 厳密な実証性 を加 味さ せたもの である .. 結局, デュ ルケームによる社 会の正常性と異常性の判断基準は 次の三視点におかれているもの , と 思 わ れる.. 1. 社会は形態学的原因 によっ て決定され, それらが変化す れば 社会もまた変化せ ざるをえな , い, だが, 社会的環境はゆ っくり変化するのが常であっ て, 急激な量的変動は正常性 を示すもの で はない. 2. 変化はすぐ前の段階の継承的変容としてなされ, 連鎖は究極の起源にまで遡り 現在 , の形態は起源における性格を保 存する. この連鎖を切断す れ ば混乱が残るだけ である 3 社会の . . 諸制 度 は, そ の 有 用 性 に よ っ て 決 定 さ れ な い が, 成 員 の 福 祉 に 役 だ た ね ば な ら な い そ の た め 人 は , .. 制度を 「善一 と意識し, 限りない愛情をささげる. この機能的, 統合的条件を欠如 した社会は正 常 と は い え な い. 註6) 前掲 『道徳教育論』 下, 1 49頁. 7) 前 者 はLat hesi i nt s. 仏語訳はA . A1engry に よ る. Mont esqui i eu :sa partdans l e- af ondat on des sci i i t ncespol 1 9 0 1 encedessoci asci ~ quesetdel et 2年にボルドーにおける et esデ1973 最後の社会学の講義は . 「社 会学 説 史」 Hi st oi ri nessoci ol ogi re des doct iン トは ・La quesであ り, ル ソ ー がとり あ げら れ た. プ1 Cont と 両 は ま 方 め られ は rat soci 前 者 alde Rourseaur l917 キ ビリ ェ で の 訳 M t ュ o n e s eu et Rou‐ , qui . , 用 sseau ol e f ogi s esqui eu and Rouseau , pr6curseurs de la soci o , Pari , 1953 . 引 は, Mont , rerunners of soci ology v chi gan Press . of Mi , The Uni , か ら 訳出. 8) op t . ci . , p.137. 9) op i t c , . , p. 35 . 10) モ ンテ スキ ュ ー 『法の 精神』 中 央 公論 社, 1972年, 369頁 . 11) op t . ci . 64 . ,p .. 12) op t . ci . . 17 ,p . 『社 会学 的 方 法の 規準 第3 章 79-112頁 参 照 13) Cf t . op . ci . . 44一49 , pp 』 . およ び, , , .. 16.

(6) . 登 石 文 夫: デ ュ ルケー ム にお ける 「科 学 的 合 理 主 義」. 2. 実証哲学の批判と継承. サ ン‐ シモ ンとコ ン ト に よ る 実 証 哲 学の 登 場 を デ ュ ル ケ ー ム は 「デカ ル トの 哲 学 を の ぞく フ ,1 , 4 ). ランス哲学の全歴史上, 他に比類なく重要性を有す」 と述べている。 この理由はもちろん 合理主 , 義の発展として実証哲学が位置づ けられるから である デュルケームが実証哲学の誕生を画期的な , でき ごと と み な す の は, 二 つ の 理 由 が あ る 第 一 は 実 証 哲 学 が 哲 学 が 形 而 上 学 に と どま っ て い . , , る こ と を や め, 自 ら が 実 証 的 と な っ て, 断 片 化 して 発 達 して き た 諸 科 学 を 統 合 した こ と で あ る さ . ら に, もう 一 つ の 理 由 は, 社 会 学の 確 立 で あ る す な わ ち デカ ル トのphys iqueの 社 会 現 象 へ の 適 用 .. である.「社会物理学 (社会学)」 が組織された諸科学の環の中にくみ込まれたこと である 超自然 . 的な思考に終始しがちな古典的合理主義による社会哲学が, 自然諸科学との結合によって 経験科学 , と して の 基 盤 が与 え ら れ, そ の こ と に よ っ て 人 類 が 遠 大 な 展 望 を切 り 開く こ と が で き た の で あ る , .. デュルケームは, 実証哲学には19世紀以降の 思想家達が使用する基本的概念のすべて が萌 芽的に. 含ま れ て い る と み な して い る. そ して そ れ ら は, コ ン ト に よ る も の で は な く サ ン‐ シ モ ン に そ の , アイ デア の す べ て が あ る と 指 摘 す る こ と を 忘 れ な い し か しな が ら 両 者 を 比 較 す る な ら コ ン ト , . , の 態 度 に こ そ, 「科 学 的 合 理 主 義」 に か なう も の が あ る とみ な して い た こ と は 明 ら か で あ る デ ュ 。 ルケ ー ム によ る と, コ ン トは 「常 に 理 論 的 な 作 業 が 事 の な り ゆ き に 影 響 を も た ら す こ と が で き る し , そう で な け れ ばな ら な い と 確 信 して い た に せ よ, 科 学 の 一 般 的 な 諸 問 題 を 提 起 す る た め に 他 の い , 1 5 ). っ さ い の 事 がら の 前 に, 学 問 的 な 成 果 を 産 出 せ ね ば な ら な い こ と を 理 解 して い た.」 と述べ, その 学. 問的忍耐, 主知主義的態度を評価している. と こ ろ で, コ ン ト自 身 は, 実 証主 義 社 会 学 の 先 駆 者 と して モ ン テ ス キ ュ ー とコ ン ドル セ を あ げ , て い る. この 二 人の 思 想 家 は と も に, コ ン トに よ る 「形 而 上 学 的 段 階」 に 属 して い る が ル ソ ー と ,. いう典型的な 「形而上学」 とは別の方向, 実証主義社会学の方向を切りひらいたのであっ た コ ント . は, モンテスキ ューに対しては, 歴史的視点が欠如 していること (諸段階の必然的継起を無視 した こと) , 統治形態のような二次的事実を重視しす ぎたこと, さらに, 統治形態を決定す る風土等の要 因は, 文明の自然の進歩に対しては二次的要因にす ぎない, などの批判的 見解もみられる . レイ モ ン. ア ロ ン が, 「モ ン テ ス キ ュ ー の 主 題 で あ る 決 定 論 と コ ン ドル セ の 主 題 で あ る 人間 精 , 1 7 ). 神進歩における必然的, 継続的段階とを結合すれば , われわれはコ ントの中心観念へと到達する」 と 表現しているように, コントの社会学の中心観念, すなわち 「三状態の法則」 によって 人間精神 , それ自体が自然法則の中にくみ入れられたのである. 社会の過去における歴史的傾向を精査して , ひと た びこ の 法 則 が 把 握さ れ た な ら ば, ひ た す ら そ れ に 従 っ て い く だ け で デ ュ ル ケ ー ム の い わ , , ゆる 「人間 中 心 的仮 定」 か らく る 重 い 負 担 か ら 人 類 が 解 放 さ れ る こ と が でき る で あ ろ う こ の こ と .. は, 自然科学と同様の客観性を有する社会学の完成によって可能となるの である . 「決定論」 と 「進歩」 の観念は ともに近代の合理主義の必然的所産 であるといえよう つまり , , . 客観的世界には, 理性が開示できない神秘性 はなにも存在するはずがな いという信念は 現象間に , おける因果決定論をもたらした. また, 人類の知識の不断の累積的増大にしたがっ て 人間による , 人為的操作可能な領域 が不断に広がっ ていく であろうという確信, すなわち 「進歩一 の観念が生ず るの も ま た 必 然的 で あ る. 『社 会 学 的 方 法 の デ ュ ル ケ ー ム は, コ ン トの 「進 歩」 史 観 に 対 して は, き わ め て 否 定 的 で あ る , 「 「 規準』 では, 三 状 態 の 法 則」 に 対 して, こ の よう な 進 化 の 存 在 がよ し仮 定 でき る に せ よ, そ れ がは た して 実 存 す る か どう か は, 科 学 が 成 立 し た 後 で な け れ ば確 か め る こ と が で き な い だ か ら 人 . は, か か る 進 化 を一 つ の 物 と して で は な く, 精 神 に つ い て の - 概 念と して 設 定 す る の で な け れ ば , 17.

(7) . 登石文夫:デュルケームにおける 「科学的合理主義」 研 究 の 対 象 そ の も の と す る こ と が で き なし智 と 述 べ, さ ら に, 1903年 に は, コ ン Hこ対 して 要 約 す 1 9 ) れ ば, 次の よ う な 批 判 を して い る. 1. コ ン トの 進 歩の 法 則 は, 現 実 の 過 程 で あ る 連 続 と 成 果 の 認. 識がなく, 逆に現実の認識に対 して規準と して拘束力となる. 2. 「三状態の法則」 は人類全体に 貫徹する単一の法則とされるので, 多様な社会的類型の存在 を捨象して しまい, 実証的研究を否定 する. 3. コ ントは社 会を自然現象とするが, 知的進歩が社会的諸事実 を決定するなら, 社会学的 説明と他の科学の説明とは一致せず, その結果社会学はイ デオロギー に転化せざるをえない. デ ュ ル ケ ー ム は ま た, コ ン トの 進 歩 の 法 則 に 対 して, 次 の よ う な 解 釈 を して い る, 「コ ン トの 観. 点からすれば (ここが肝要であるが) , もしも, 社会的諸事実が, 純粋な個 人的現象と区別されるの であれば, それはなによりも人類の 発展的進歩があるからである. すなわち, 各世代の業績がそれ を残 し, それに続く÷世代の業績に 参 入さ せ る よ う に な る か ら で あ る. 進 化 は 卓 抜 的 に par excel- lence 〉 社会的事実である, しかし , 彼の説明では, 社会動学はあの連続性も, あの成果もいずれ ) も 示 して い な 竺, 「三状態 の 法 則 は, デ ユ ル ケ ー ム に は, コ ン トの 先 入 観, あ る い は, 社 会 の 歴史を一瞥 して 「想像」 し た 大 ま か な 定 式 化 に す ぎな い, と こ ろ が, い っ た ん コ ン ト に よ っ て 定 式 化されたなら, あらゆる科学に対 して絶対的基準となり, 科学の結論を先どり し, 規制するものと. な っ た. コ ン トの 実 証 精 神 の 二 つ の 前 提 と して, い わ ゆ る 「唯 一 の 絶 対 原理」 と しての 「相対主義」 ,. すなわち, 社会現象間の恒常関係の確定という 経験主義的方法の 採用とともに, 「合理的予見」 の た め の ( 構 想 的 合 理 主 義″と も いう べ き)「想 像」 も ま た 重 視 さ れ て い た. デ ュ ル ケ ー ム は モ ン テ ス. キ ューに対しては, 現象間の決定関係によって社会分類を行なっ たものの, 目的因を前提としたた め, 類 型 は 社 会 の 実 態 を 超 越 して, 立 法 家 に よ っ て 洞 察 さ れ るイ デア へ と 回 帰 し た と と ら え る が, コ ン トに 対 して も, 進 歩 の 法 則 が, 経 験 的 基 礎 よ り 「想 像」 の 優 位 に よ っ て い る た め, テ レ オ ロ ジ ー ヘ と 転 化 した と み な す の で あ る. 他 方 デ ュ ル ケ ー ム は, モ ンテ ス キ ュ ー の 社 会 の 自 然 的 本 質 把 握. における決定論とともに, コ ントの進歩の 観念を, 歴史的変動面に対 して, より実証性 を有する, しか しな が ら, よ‐り 無 彩 色 な 「進 化」 の 観 念 と して 受 け つ ぐの で あ る.. 現存の社会制 度の研究において, その起源をた どること (発生的方法を用いること) の重要性を, 近親相姦のタ ブーの起源に関する研究で次のように述 べている, 「一つの 慣 行とか制度, あるいは 一 つ の 法 律 の 規 則 を 本 当 に よ く 理 解 す る た め に は, で き る 限り 最 初 の 起 源 に ま で遡 っ て み る こ と が 必 要 で あ る, と い う の は, そ う した 制 度 と か 規 則 が 今 日 と っ て い る 形 態 と そ れ が過 去 に と っ て き た 形 と の 間 に は 緊密 な 結 びつ き があ る か ら で あ る. も ち ろ ん, そ れ ら は 途 中 に お い て い ろ い ろ 変 化 し て き て い る か ら, そ れ ら を 最 初 に 生 ぜ しめ た 原 因 も 変 っ て き て い る. しか し, そ う した 諸 々 の 変 化 ) 2 1. 自 体 も ま た そ れ ら が 起 源 に お い て あ っ た 状 態 と は 無 関 係 で は な い か ら で ある」. ture) を 解 明 す る と い う こ と は, 社 会現 象の 実 証 的 デ ュ ル ケ ーム に と っ て, 社 会 の 自 然 (本 性na. 研究を基礎に, 歴史を遡 っ て, 社会的事実の起源におけるなりたちを明らか にし, そして, その変 化における決定関係を追跡すること を通 して, その不変的な側面 G車続性) と段階的側面 (歴史性) を 把 握 す る こ と な の で あ る. そ れ は, ち ょ う ど一 本 の 木 の 幹 か ら 枝 が 分 れ る よ う に 展 開 す る と こ ろ の, そ れ ぞ れの 社 会 の 進 化 の コ ー ス を 把 握 し, 「社 会 種」 を 定 め る こ と で あ る. デ ュ ル ケ ー ム は,. 西欧的 「夫婦家族」 の 起源を求めて, 「トーテ ム氏族」 の家族的制度にまで遡り, 「トーテム氏族」 → 「母系家族」 → 「父方母方家族」 → 「夫婦家族」 、 「男系未分化 家族 → 「家父長家族 」 」 2 2 ) 「 ム氏族 トーテ 原初的 それは という, 段階的進化の過程を考えていた. 」 の家族制度が, 社会圏 , の拡大 (人口の量的, 動的密度の増大がもたらす) に従っ て, 形態変化をとげた過程である. この ような, 「夫婦家族」 の起源的, 歴史的類型としての重み を考慮しないいかなる家族理論も, その 18.

(8) . 登 石文 夫 : デュ ルケ ー ム に お け る 「科 学 的 合理 主 義」. 自 然に到達 する こ と は でき な いの である . コ ン トの 社 会 有 機 体 論 に お い て は, 社 会 が個 人 に 対 して 独 立 して い る の は 優 越 す る 精 神 で あ り , ,. それは諸個 人を統合すると同時に, 「知的進歩」 にともなっ て社会進歩をもた らす 『社会分業論 』 . でデュルケームは, 社会変動 (分業の発達) の原因に関する論説をとりあげて 批判を展開する中 , 2 3 ). に, 「知 的 進 歩」 に も 及 ん で い る. そ れ を ふ ま え れ ば コ ン トに 対 して 次 の よ う な 断 定 を下 して い , る も の と い え よう. コ ン トの 「知 的 進 歩」 の 事 実 は 独 り 歩 き す る 独 自 の 法 則 性 を 示 す と さ れ る が , , そ れ は ま た, 個 人 に 所 属 す る 理 性 の 進 歩 で あ っ て 結 局 進 歩 へ の 意 欲 に 依 存 して い る とぅ い べ き , ,. である. とすれば, 個 人の 「快楽の追求」 ,を社会変動の原因とする功利主義と同様に, そこに究極. 原 因 を 見い だす こ と が で き, 社 会 原 子 論 の 残 岸 を 認 め ざる を え な い し た が っ て コ ン トは 社 会 を . , 自 然 物 と して 取 り あ つ か っ て は い ず, 窓 意 的, 虚 偽 的 な 意 識 と して の イ デオ ロ ギー に ほ か な ら な い , コ ン トの 優 越 す る 精 神 に 対 して, デ ュ ル ケ ー ム が 代 置 す る の は 集 合 的 に 実 在 す る 観 念 と して の ,. 「集合表象」 「集合意識」 である これらは 「社会の魂 として 諸規範 宗教 世論など の社会 」 , . , , , 的事実に内在し, 個 人表象, 意識を外から強制的に規定する そして, デュ ルケーム が生物学にお , けるものと概念的には同一と して持込む 「機能」 は, 個人を社 会に統合するための媒介的概念とな. 「社 会 生 活 は 非 常 に 多 く の 現 象 を 網 羅 して い る. デ ュ ル ケ ー ム が社 会 は 自 然 で ある と いう と き , , 2 4 ) る の で, 頭 脳 によ っ て こ れ ら す べ て を 考 慮 に 入 れ る こ と は 不 可 能 で あ る」 と いう 意 識 が 背 後 に あ る 。 「存 在の た め の 必 然 的 条 諸 制 度 が意 識さ れ な い 原 因 に よ っ て 決 定 さ れ る の で あ れ ば そ れ は ま た , , 2 5 ) 件」(ラ ドク リ フ ・ ブラ ウ ン→ H. ア ル パ ー ト) を 具 有 して い る の も 自 然 と 考 え る の は 当 然 で あ っ た で あ ろう. 社 会制 度 が存 在 す る の は, 人為 的 に 作 成 さ れ る か ら では な い に も か か わ ら ず 人 が そ 。 , れ に 対 して 敬 意 を 払 い, 「善」 意 識 を い だく の は な ぜ だろ う か デ ュ ル ケ ー ム は こ の 問 い に 対 し . ,. ては, 制度が社会生活の中で有用な機能をはた しているから であると答える 有用性とは もちろ , . ん功利主義者のよう に, 個人の欲望 の充足ではなく, 社会 (生活) の存続のための有用性である . 諸制度の中でも法は成文化され, 布告されるため, 人為的作成物とみなされやすいが それは本来 , 自然に形成された慣習の中に起源を有するのであっ て, 社会の自然に忠実 である場合にのみ有効な 「機能」 をはた しう る す なわち 「機能 は 「存在の ための 必然的条件 であ て 決定的原因ではな 」 っ , 」 , , い と は い え, 進 化 の 把 握 は 過 去 に 限 ら れ る の で, そ れ は 最 も 重 要 な も の に な っ て い る と い え よ う . デュ ルケームの有機体概念である 「特種綜合su igeneris」 を 構 成 して い る 諸 要 素 は, 相 互 に 有 機. 的連帯を保ち, 諸個 人の社会生活の全体を保障Lていなければならない 社会はそれ自体 形態学 , , 的要因に規定されつつ, 連続と効果の所産であるとともに, 統合的条件を保持する 。 l 註1 4) Emi i l e Durkheim, Le s oci al sm Pari can s i e Durkheim, Soci , al sm and , A1 , 1928 . 引 用 は, Emi sa i l nt ‐Simon ow Spri ngs o , , Yel . 105 , ohi , 1958 ,p , より 訳 出, 15) op 1 0 t 8 p , ci . . , ,. 16) コント 『社会再組織に必要な科学的作業のプラン』 霧生和夫訳, 世界の名著36 97 0年, 11 0 , 中央公論社, 1. ~115頁, 参照. 17) R, Aron 『 n Current n soci si ol ogi caI Thought , Mai , NewYork , 1965 .(北川 隆吉 他 訳 社 会 学的 思考の 流 れ』 工, 法政大学出版局 1 4 9 7 年 0 9頁 ) , ,1. 18) 前掲 『社会学的方法の規準』, 4 9頁, 19) E, Durkheim, P . Fanconnet , 1903 -97 . 465- , pp ,. .. Soci l ol ogi e et Sci ence soci al esr Revue phi osophi que . 55 , 19 , vol. 20) op, ci t . . 470 ,p . ,i 21) E. Durkheim, La Prohi bi i t on de 1 ncestet ses ori nesr gi. Annee soci o. ogi que . L P・ , vo1. 1. ( J ノ ・関藤一郎訳編 『デュルケーム家族論集』, 1 2 97 , 川島書店, 31頁) .. 22 l l i ) Cf 1, 1950 er ol ogi e s . , A, Cuvi , ManueI Soci . 574 , Pari ,1 ,p .. 2 3) 前掲 『社会分業論』 下, 9-3 6頁, 参照.. 19.

(9) . 登石文夫:デュルケームにおける 「科学的合理主義」 24) Mont eu and Rousseau esqui , 42 . ,p. ‐111, ol l ogy . 104- s Soci . pp . 107, Cf ,p e Durkheim and hi , 1939 2 5) Harry A1pert , NewYork , Emi. 3. 社会学的 「間 接実験」. 『 社会現象相 互の間に, 因果の必然関係 を確定する・方法を, デュルケームは 社会学的方法の規準』. 「 「 の 最 終 章 で 論 じて い る. デ ュ ル ケ ー ム の 方 法 は 「間 接 実 験」 と して の 比 較 法」(= 共 変 法」 ) に. よる一対一の因果関係の確定である. コントでは, 社会学は実証哲学を構成する諸科学のう ちで, 「 最も複雑な 現象を対象とするので, 観察, 実験, 比較などあらゆる方法が適用され, とりわけ 歴 史的方法」 が重要性をもっ ている. コントに決定的な示唆をうけた と 思わ れる J.S,ミ ル は, 社 の 「歴史的方法=逆の演緩法」 を採用 した. デュ 会学における 「実験的方法」 を断念して, コント , 「 「 ル ケ ー ム は コ ン トか ら 「比 較 法」 を 受 け つ ぎ, J,S.ミ ル の 実 験 的 方 法」 の 中 か ら 共 変 法」. を 復 活さ せ る の で あ る. J.S. ミ ル は 『論 理 学 体 系』 の 中 で, 「コ ン ト 氏 が 新 し い 歴 史 学 派の 中 に あ っ て, 歴 史 か ら 導 い た あ ら ゆ る 一 般 化 を こ の よ う に 人 生 の 法 則 と 結 び つ け る こ と の 必 要 性 を知 っ て い た た だ 一 人の 人 2 6 ) で あ っ た」 と コ ン ト か ら の 示 唆 がい か に 大 き か っ た か を 自 ら 物 語 っ て い る. こ のイ ギリ ス 経 験 主 義 の流れに依 拠し, ベンサムの弟子である J.S.ミ ル と コ ン ト と の 出 会 い を どう 説 明 した ら よ い で あ ろ う か.. たしかに, コ ントは本体, 究極原因など形而上学的目標の 追求を拒否して, 現象間の恒常関係の 確 定 と して の 「相 対 主 義 の 原 理」 を 対 置 して い た. しか し J.S.ミ ル に は 楽観的 な 合理 主 義的信 念である進歩の 観念にう らずけされた歴史の 「普遍法則」 は存在しな い. J.S.ミ ル は 歴 史 的 変 化 の 一 般 的傾 向 を 「経 験 法 則」 と して と ら え, そ こ に 動 か し が た い 重 み を 付 与 さ せ て は い る が, そ れ 自 体 他の 法 則 に 還 元 でき ぬ 「普 遍 法 則」 と して で は な い の で あ る. そ れ は, 功 利 の 原 理 と して の 「人(間)性 の 法 則」 に 還 元 さ れ な け れ ばな ら な い も の で あ る.. J.S.ミ ル は, 究 極 的 法 則 である 「人(間)性の普遍法則」→「中間公理」 としての 「性格学の法 則」 → 「統 計 法則」 や 「歴 史法則」 などの全体的 「経験法則」 という順序で, 社会現象が成立し. て い る も の と 考 え て い た. 個 人 レ ベ ル に お け る 「普 遍 法 則」 に よ っ て, 全 体 レ ベ ル に お け る 一 般 的 傾 向 が 説 明 さ れ な け れ ば な ら な い. 個 人 レ ベ ル に お け る 多 様 性 を 前 提 と して, こ の 作 業 を 進 め る こ 「人間 の 行 動 と 感 性 と の 法 則 との 途 方 も な い 困難 を, J.S.ミ ル自 身が 次の よ う に 述 べ て い る.. が十分知 られていると仮定すれば, 原因が与えられた場合, それから生ずる傾向をもっ た社会的結 果の 本 性 を, こ れ ら の 法 則 に よ っ て 決 定 す る の は, 特 別 困 難 で は な い, し か し, 問 題 が 多く の 傾 向. を合成すること, 多くの共存す る原因の集合結果を計算することであるときには, そ してまた, 特 に, 当面の場合に, 何が現実に 起るかを予 言しようと企図 して, この場合に 存在するあらゆる原因 の 影 響 を 評 価 して, 合 成 しな け れ ば な ら な い 責 め を引 き 受 け て い る と き に は, わ れ わ れ は 人 間 の 努 2 7 ) に 対 して 展 望 を ひ ら か せ た 力 を 越 え た 仕 事 を 進 め よ う と 企 図 して い る わ け で あ る」 . この 困 難な企図 「 の は コ ン ト で あ っ た の だ ろう か. J.S.ミ ル は コ ン ト の 社 会 静 学 か ら 具 体 的 演 経 法」 を ひ き 出. し, 社会動学領域における 「歴史的方法」(「逆の演経法」) の採用で, これを行なおうとする. 族 「 ) →社 コ ントの社 会静学では, 全体の精神を優 越さ ,せつつも, 個 人 (男・女) → 家 ( 中間項」 「 会という, 「上 向的」 かつ累積的に社 会有機体の構 成が論 じられており, 個々の 細胞」 の共働に よ っ て, 有 機 体 全 体 の 生 命 が 脈う っ て い る か の よう に 説 明 さ れ て い る. す な わ ち, 全 体 の 優 位 の 前 提 と して, 全 体 を 存 在 さ せ て い る 各個 別 の 一 定 の 特 質 が あ′る と い え よ う. し た が っ て, J.S.ミ. ルが社会静学においてのコ ントの方法 を採用 して, 「具体的演経法」 を適用するの は必ず しも無理 20.

(10) . ・「科 学 的 合理 主 義」 登 石文 夫: デ ュ ル ケ ーム に お ける. では な か っ た で あ ろう。 「物 理 的 合 成」 と いう メ カ ニ ズム で 全 体 の 合 成 的 調 和 が生 じる。 「逆の 演 樽 法」 の 適 用 につ い て も 基 本 的 に は 同 様 で あ る コ ン トの 「三 状 能 の 法 則 に お い て 」 . , 人間 の失廿性 が進 歩 す る に 従 い, そ れ に 対 応 して 社 会 の あ ら ゆ る 側 面 の 変 化 が生 ず る。 こ の よ う に,. 人間性の特質と, 歴史的な社会的特質との相関的関係に, コ ントの視点が向けられて いたものと,. J.S。ミ ル は 受 け と っ て い る の で あ る. す な わ ち, 「こ の 歴 史の 一 般 化 は 歴 史の 示 唆 と, 人 間 精. ’ この両者の共働から導かれた高度の科学的証拠をもっ ているよ 神の構造から誘導された確率との, ) 8 2. う に 思 わ れ る」 と 述 べ て い る.. と こ ろ で, テ ュルヶームは, 『社会分業論』 での功利主 義説における社会変動 原因, 「快楽を求. め, 苦痛をさける」 人間の自然な傾向, を拒否する. それは欲求の際限のない増大をもたらすのみ であ る. デ ュ ル ケ ー ム は 人 間 の 幸 福 を, 一 方 で は, 肉 体 的 な 「健 康」 状 態 に ほ か な ら な い も の と す る。 こ. れは明らかに, ルソーの 「自然状態」 における, 環境と人間の諸欲求の充足における均衡状態を念 頭 に お い て の 謂 い で あ ろう。 ま た 同 時 に, 「個 人の み が 自 己の 幸 福 を 評 価 す る こ と が で き る. 彼 が 2 9 ). 幸福 だ と 感 じて い れ ば 幸 福 な の で あ る」 と 述 べ, こ の 点 で は, カ ン ト主 義 を 思 わ せ る 観 念 的 な 言 い. 方をしている。 かく して, 人間の幸福は, デ がレトの, 「心身ニ元論 ふき 踏襲して考えているので 3 0 ) あるが, 続いて 「大多数の人々 が生命を死よりも一般的に望ましく思う」 という, 経験的一般性を 根拠にして, 社会化され, 一般化 した精神的側面を優越させつつ両 者 を一 致さ せ, 次に, 社 会 的 「幸福の様式」 の実在を論じるの である 。 その社会特有の環境に規定された 「幸福の様式」 は, 個々 バラ バラな感情ではなく, 社会的に- 般的な感情, すなわち 「集合 (共同) 意識」 である. その社会に共通な原因に規定された 「幸福の 様式」 が存在するのであれば, その規定する力の強度を量的に表現することは困難ではない. ここ で, デ ュ ル ケ ー ム は, ケ ト レー の 「平 均 人」 の 理 論 に も と づ き, 「平 均 的 幸 福」 の 概 念 を も ち 込 ん でく る, す な わ ち, デ ュ ル ケ ー ム は 「一 般 的 か つ 共 通 の 原 因 に 因 由 す る 幸 福 だ け を 残 して お く た め. に, 個人的原因に因由する幸福を諸個 人の幸福から除去するならば, その結果得られた残余の部分 はまさ しくわれわれのいわゆる平均的幸福である。 そこでこの平均的幸福は同時に増減することは 不可能である. この量は, 社会の平均類型, すなわちケトレーのいわゆる平均人の単一性及び同一 3 2 ) の 実 在 性 を もっ て い る」 と 述 べ て い る.. ケトレー自身は, 「社会物理学」 についての記述の中で, 「天体を支配する諸法則と同様に固定 した同様の不動的な諸法則を見い出します. われわれは物理学の諸現象--そこ では人間の自由意 志は全然消えて創造者の働きのみが害されないで優勢の地位におかれる--へ帰るでありましょう. 3 3 ). そ れ に は社 会 物 理 学 な る名 称 を 与 え る こ と が でき る と 考 え ま した」 と 述 べ, ま た, 「平 均 人」 に つ 3 4 ). いて 「恰も 物体における重心と同じ地位を社会において占める」 仮想上の人間と定義している, デ ュ ル ケ ー ム は, 後 の 『自 殺 論』 で は ケ ト レー の 「平 均 人」 の 理 論 を 批 判 して い る が, 『社 会 分. 業論』 においては, ケトレーの 「社会物理学」 を, 社会的な因果決定論として解釈し, 「平均 人」 に対しては, 社会的に規定された類型を示すものと解しているのである. 社会現象を単一な統計的 な 量, す な わ ち 「平 均」 と して と ら え, ケ ト レー の い わ ゆ る 「重 心」 が予 定 調 和 的メ カ ニ ズム で 成 立す る の で は なく, 社 会 環 境 の 中 に そ の 発 生 因 があ るの で あ れ ば, 統 計 的 デー タ の 比 較 に よ っ て, その 対 応 関 係 を 探 る こ と が可 能 と な る. こ こ に, J.S.ミ ル が社 会学の 研 究方 法 か ら排 除 した 「共 変 法」 が デ ュ ル ケ ー ム に よ っ て 復 活 さ せ ら れ 単 一 原 因 の 探 究 方 法 と して 採 用 さ れ る 前 提 が , , でき あ がる.. 「 「 J.S.ミ ル で は, 「共 変 法」 は他の実験的方法である 「差異法」 , 一致法」 , 剰余法」 ととも 21.

(11) . 登石文夫:デュルケ .-ムにおける 「科学的合理主義」. に, 社会学の方法としては不適当とされている. この理由は, 多数の原因の直接的, 間接的な作用 の 結 果 と して の 社 会 現 象 の 研 究 に お い て は, 諸 原 因 を 個 々 に 制 御 す る こ と は 不 可 能 だか ら で あ る.. 多数の原因の錯綜的, 合成的結果である社会現象の生起においては, 一つの要素と他の要素との量 的な比例的関係はありえず, 共変関係が恒常的な法則性として認定 しうる安定性をもつことはあり え な い。. デュルケームの社会学, すなわち 「科学的合理主義」 の立場は, 実験科学なの であっ て, 「共変 法」 を用 い て 「間 接 実 験」 に よ れ ば, 自 然 科 学 に ひ げ を と ら な い 研 究 が 可 能 であ る. デ ュ ル ケ ー ム は, J s ミ ル の 複 数 原 因 説 に 対 して, 「犯 罪 は 極 め て 異 っ た 諸 原 因 に よ っ て 同 じ よ う に 生 ぜ せ . .. ‐ならば, 人は或いは極めて多数の諸 しめられる……というよう な精神 でもっ て実験的推理を行なう 事 実 を巧 み に 結 びつ け る か も しれ な い. し か し, 人 は 明 確 な 諸 因 果 関 係 を, 決 して 獲 る こ と が で き な い であ ろう. す な わ ち 人 は た だ, 暖 昧 な ま た 不 確 定 な 一 群 の 諸 前 件 に, 間 違 っ て 決 定 さ れ た 一 つ 3 5 ). の 後 件 を 漠 然 と 充 当 しう る に す ぎな い で あ ろ う」 と 批 判 す る. そ して, 「同 一 原 因 に は 同 一 結 果 が. 対応する」 という原則を対置 している. 社会現象の諸要素間の量的な 「共変関係」 の探索から, 単 一原因の確定のプロセスが社会学的実験である. 単 一 の 原 因の 確 定 に よ っ て デ ュ ル ケ ー ム は, た と え ば, 人 を 犯 罪 (あ る い は 自 殺) に 駆 り た て る 原 因 が 唯一 しか あ り え ない と 主 張 して い る の で は な く, 必 ず 人 を 犯 罪 や 自 殺 に 向 かわ せ る 単 一 の 原. 因が存在すると主張しているのである. 犯罪あるいは自殺を結果する原因が多数認められるなら, それぞれに対応する自殺の原因論的分類ができる. 不明確な多数の共変関係が認められる場合には, そ れ ら か ら 共 通 な 要 素 を 析 出 し な け れ ばな ら な い. デ ュ ル ケ ー ム は, 『自 殺 論』 に 掲 げ て い る (第 3 6 ). 1表) において, 自殺の類型を整理している中で, 各類型の混合形態が存在することを示している. 5 した が っ て, 現 実 に は 多 数 の 自 殺 原 因 の 圧 力 を 受 け る こ と が あ り う る わ け で あ る. こ の 意 味 で は, 同 じく 合 理 的 に 構 成 さ れ る M. ウ ェ ー バ ー の 「理 念 型」 に 似 て い る と いう こ と も で き よ う. ウ ェ ー バ ー の 「理 念 型」 は, 行 為 の 主 観 を た どる 「思 惟 実 験」 で 構 成 さ れ る と こ ろ の, 現 実 に は 存 在 し な. い純粋型であるのに対して, デュ ルケームの因果律は社会現象間の 「比較実験」 によっ て, 機械的 3 7 ) に決定される関係である. デュルケームは社会現象が一見無秩序なカオスを呈していても, その根底には確実に不変的な合 法則性が存在するもの であると確信 していたの であっ た. 理性における合理性は現実の 中に存在す るという, 伝統的な合理 主義者の信念がここにあり, 不明確な要素を払拭して露呈する, 浄化され た知 識としての, 確定的な関係を求める原則が, 一対一の因果律である. 合理的操作である再構成 のためにも, 社会現象の錯綜した関連のままの認識であっ てはならず, 一義的な概念による決定的 法 則 と して 把 握さ れ る 必 要 が あ っ た. 47頁. 95 9年, 1 註2 6) ミル 『論理学体系』 W, 大関将-訳, 春秋社, 1 27) 前掲書, 114頁. 28) 前掲書, 16 9頁. 29) 前掲 『社会分業論』 下, 23頁. 30) デュルケーム に おける心身二元論 は, 『自殺論』 において社会学的領域と心理学的領域の分離として明瞭 i 91 2) の方法に関する コメ ン ト Le Dual になるが, 知識社会学の労作 『宗教生活の原初形態』 (1 sme de l a i t t na ons soci ure humai ne et ses condi alesダ1914 , でそ の 立 場 が表 明さ れて い る.. 31) 前掲 『社会分業論』 下, 24頁. 3 2) 前掲書, 27頁. 2年, 10 3 3) ケトレ 『道徳及び政治的科学へ応用された確率理論に就ての書簡』 高野岩三郎訳, 栗田書店, 1 94 0頁, 3 4) ケトレ 『人間について』 高野岩三郎校閲, 岩波書店, 1 939年,34頁. 3 5) 前掲 『社会学的方法の規準』, 1 76頁. 22.

(12) . 登 石 文 夫 : デ ュ ル ケー ム に お ける 「科 学的 合 理主 義」. 3 6) E, Durkheim, Le Suicide, 6tude de sociologie, Paris,1897. (宮島 喬 訳 『自殺 論』 世 界の 名 著47, 中央公論社, 1 968年, 2 61頁) .. ″ 37) ア ル パ ー トは デ ュ ルケ ーム の 因果 律を 詳 しく 検 討 して し ば し ば使用 して い る mecani que の 語 を, me‐ l i l cal cani cal y と 解 釈 す べ き であ る, と いう 見解 を して い る. デ ュ ル ケ ーム は実 際 y と いう よりmechanist の 社 会現 象の 分 析にあ た っ て は, 「原因と 諸 条 件」 と い っ て い る よう に, 第一 原 因の ほ か に, 一 定の 価 値 体 系を考慮 し, 原 因は価値 体 系の 枠 を通 して しか効 果を およ ぼ しえ な い. さ ら にア ル パ ー トは, デ ュ ルケ ー ム が 非 人格的な 原 因およ び機能 の 概 念だけに こ だわ っ た の ではなく, 人格的な 意 志の 力 も無 視 して い な か っ た と して, ウ ェ ー バ ーのverst sを相互補 完的 に用 い る こ と が できる と いう 楽観的 な 見解 を して い ehen analysi 7 9-1 る. (Cf H A 1 73.) デ ュ ルケ ー ム 的 立 場 とウ ェ ー バ ー 的立 場 と の 関係につ い i t t c e r o . , . , . p , p , pp \Rei \ ゞ l 力 f he Soci I Cri i て は, P. Bergar & S P l b i i t cat ol ogi ca ousness e on and t u r que of Consci g . . , Hi st ory and Theory , pp, 196-211. に 論 じる よ う に, 社 会 的 存在の 客 観性 と 人間の 主 観 , voL 1v , 1965. 性との相互規定的なメカニズムをとらえる視座の確立が必要であろう.. 結語にかえて デュルケームの社会学における合理主義的諸範噂の 形成を, 初期段 階を中心に, 総論的にとりあげ て き た. さ ら に, 『自 殺 論』 以 降 に お け る 展 開, お よ び 詳 細 な 各 論 的 検 討 が必 要 であ る が, こ れ ら につ い て は, 続 稿 では た し た い. 一 応, デ ュ ル ケ ー ム に お け る 合 理 主 義 的 様 式 を, 次 の よ う に 要 約 でき る であ ろう.. 分析理性--古典的合理主義におけるような, 現象を究極の単位に還元する単純な分析主義 では なく, ものの綜合性の認識と, その綜合を構成 している諸要素の分析, および決定関係の確定. す なわち, 社会現象間における因果関係 (効果と機能) の把握. 批判主義--盲目的信仰, 形而上学的 前提を批判 して, 実証主義を徹底させること. あらゆる不 明確, 非決定性を一掃し, 現象を整合的な思 考方法で説明すること。 しかし, 理性は個 人によっ て 働かしぇても本質的に社会的である。 集合意識の枠内での, その統合的機能を前提と しての批判は 有効 であ り, そ の 枠 を 超 え る 場 合 は アノ ミ ー の 原 因 と な る.. 診断--進化段階における多様な社会類型の, その本性に照応した正常性の確定. 異常性 (病理 性) をもたらす原因の究明. 再構成--分析さ れた諸要素を相互に比較し, 明確な概念的把握と法則的に確定された諸関係を もとに, 再び綜合的な姿をとりもどすこと. 自然法思想における, 白紙の上の設計図と してでなく, またコントの進歩史観による構想として でもなく, 諸法則にもとずき行為を統制 し, 病因をとり除 き, 正常態をとりもどす方向性を確立する. 社会的再統合のための道徳的条件を整えること. (1975年 3 月2 7日) (本 学講 師 ・ 釧 路分校). 23.

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