大正期教育行政論における非権力性論 : 教育行政の本質観に関して
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(2) . 北海道教育大学紀要(第一部C). 第 20 巻 第 1 号. 4年7月 昭和4. 大正期教育行政論における非権力性論 F一 教育行政の本質観に関 して 『一. 伊. 野. 津. 朋. 弘. 北海道教育大学函館分校教育学教室. ive r 鼠丁No : Non-power Theory in the Ad strat l nini Tom。hi ro l Theory of Education in the Taisyo Era.. 次. 目. 〔1〕 問題の所在 〔1 1〕 教育の 「公共性」 理解における大正期 の新傾向 1 ( ) 教育の国家的公共性 2 { ) 教育の市民的公共性 〔皿〕 教育の権力的利用とその反論. 1 ) 権力的教育行政と教育活動 (. 2 { ) 生活教育論とその非権力性. 3 ) 行政庁の学校管理権自制の要求 ( 〔 I V〕 教育行政の非権力性--美濃部達吉説 を中心に-- 1 ( ) 保育行政としての教育行政 2 ( ) 学校管理関係と私法規定の適用 〔V〕 おわりに. 〔1〕 問 題 の 所 在. 学校の教育活動関 係の学校事故事件に関 する被害生徒側からの損害 賠償請求訴訟は, 国家 賠償 法の適用をうけるか, 関係教師の民法上の不法行為責任を追求されるか, 裁判所の判例において 「公権力 ) も, 意見の分かれるところである1 , それは, 学校教育 活動が 国家賠償法 第1条にいう の行使」 に当たるとするか, 当たらないとするかの問題である, すなわち, 教育関係は, 国また は公共団体が公権力の主体として命令強制する, 権力関係, 公法関係であり, 個人相互間の関係 たる私法関係とそ の性格を異にするという見解が一方にある, また一方, 国または 公共 団体の教 育に対する関 係は, 公 権力の主体と しての関係は少なく, 教育企業としての営造物に対する管理 関係においてとらえる べきで, 私人の事業経営, 財産管理に類似する関係として, 私法の適用を ) 認む べ きだという見解もある2 . 教育行政法関 係の諸著作においても, たとえば次のようにのべ られている. 兼子仁 「教育法」 では, 「現行法が……教育主体の意思の優越性は著しく減退し, もはや教育は法的には権力作用 ) とのべる. 吉本二郎 「学校経営学」 3 ではなく, 非権力的な社会作用となったものと解される」 『学校教育に従事する公務員は, 公権力の行使にあたるものではない』 ことは, 明白に確 でも, 「 認されていなけれ ばならない. ……設置者管理主義の原則 (学教法5条) に従っ て管理されるが、 4 ) とのべている, 本来的目的としての非権力的活 動が維持されなければならない」 しかし, 教育行政の非権力的特質を認めながらも, 「教育行 政における一切の法律関 係が非権 - 13 -.
(3) . 伊. 津. 野. 朋. 弘. 力的なもので なければならないかの如く説くことは誤りである」 と し, 行政権の主体の優越的地 位を強調 し, 教育関係を特に 「一般権力関係」 及び 「特別権力関係」 において, 把握すべきだと ) いう考え方もある5 , その他, 学習指導要領に法的拘束力を認めるものと, 認めるべきでないとする論など以上の問 題に関 係がある. 要するにこれらは, 教育関係を公権力行使 としての権力関係, 支配関係におい てとらえる見解と, 私法関係, 平等関 係の適用の可能性とその非権力性を認める見解の相違 とい う こ と が で きる.. 一般に戦前の教育は, 権力関係において把握され, 教育関係法規はその権力関係を規定するも のであっ たともいえる. そ してその法規に忠実に準拠した, 官僚主義的教育行政が行 なわれたの である, しかし戦後は, 教育法制の変化により, 教育は 「学問の自由を尊重し, 実際生活に即し 自発的精神を義」(教基法第2条) う教育, そ して 「不当な支配に服することなく, 国民全体に対 し直接に責任を負っ て行なわれる」(教基法第10条) 教育が基本となり, 非権力性の原理が大きく 含められた ものと考える. これには, アメ リカの進歩的教育論あるいは民主的地方分権的教育行政論の影響も, 大きいと 考える, そ して, 文部省の性格もたしかに変えられた. 昭和24年相良惟一 「教育行政法」 におい ても, その非権力性について次のようにのべられている. 「教育行政は……警察行政の如く, 権 力の行使をその本質となさ ず, 命令強制にわたる事項 は例えば, いわゆる就学強制叉は学校閉鎖 6 ) と, 等の事項のみであり, かくの如き事例は比較的稀である」 しかし, 教育委員会法改正前後より, 国家の行政機能の増ブぐ化, そ して国家の教育関与の強化 とともに, 教育行政にお いて権力性論が次第に多くとり入れられるようになり, 他方, 戦後以来 の非権力性論も不調和的に併存 し, 混乱をきたしている現状ともいえよう, このよ うな諸条 件の なかで, ともかくも, 非権力性論の本質に接近するために, さらに戦前の教育行政論にさかのぼ っ て考察することが必要である. 特に, 大正デモクラ シーに関連する新教育論と教育行政論の中 に そ の 系 譜 を た ど っ て い く こ と に した い.. この非権力性論は, 欧米新教育の影響によるところももちろんあるが, 権力的教育行政の一般 的状況の中で, 教育の本質にさかのぼり, 教育行政の本質をとらえようとする努力の一環と して 日本的土壌に自然発生的に生まれたものと考えられるのであり, その意味にお いて極めて重要で ある. そ して, 一方における 権力性論との関係をいかにとらえ, 現実の問題と していかに考えて いくかは, 今後の大きな課題であると考える, このような意味におい て, 本論におい ては, 大正 デモクラ シーに関連する教育行政論と, その非権力性論をとらえることを主題と しようとするも の で あ る.. 〔口〕 教 育の 「公共性」 理解における大正期の新傾向 教 育 は す べ て の も の の 利 益 に な る と い う 意 味 で, 公 共 性 を も つ も の で あ る と い え よ う, しか し. 教育の 「公共性」 は, 極めて歴史的性格をもっ た概念であり, その理解の し方も歴史的条件によ っ て異なる. そ してその理解のし方が, 教育行政の権力性論あるいは非権力性論に大きな関係を も つ も の と 考 え る,. 封建的な社会体制の崩壊と市民社会の形成過程に, 自然発生的に成立 した教育制度は, 私的利 益をめざしたもので, 私教育制度の形をとっ て発展 していっ た. しかもその教育によ って市民と しての社会生活が充分に保障されるという意味で, 公共性をもつものでもあり, 同時に自然法的 - i4 -.
(4) . 大正期教育行政論における非権力性諭 ) 権 利 と して の 把 握 さ え も な さ れ て い っ た? . i c 教 育 が, こ の よ う に 私 事 性 と 同 時 に 公 共 性 を も つ た め に, た と え ばイ ギ リ ス に お い て も Publ. ) 1 という名称をもちながら国家権力とは無関係の私立学校 が成り立ちえたのである8 choo s , しか し, 絶対主 義政権が成立し, 権力による思想統制な どの教育干渉が行なわれるように なると, 事 情はかわっ てくる, 教育の私事性の側面は後退し, 公共性の名において, 国家の役割と行政権の 拡大が強調されることになる. ところで, 日本の近代公教育は, 絶対主義的性格の明治国家のも とで発展するが, その 「公共性」 理解がいかなるものであったか, その検討からは じめることに す る, 1 ) (. 教育の国家的公共性. 明治5年の 「学制」 による公教育制度は, 「学問は身を 立るの財本」 であると して, その私事 ) しかし反面において, 国家富強をめざす国家のための教育という 性を尊重する形で出発した.9 考え方を 含んでいたことはいうまでもない, 特に, 国民代表的立法機関の要求と, 天皇中心の行 政府設立の要求 の妥協として, 明治憲法が成立した以後, 明治政府は議会的立法による拘束を最 少限度に 止め, 天皇中もの行 政府設立の要求を一元的に実現 していくことになるが, その過程に 国家組織 の人間的基礎が国家的教育に求められ, 国家権力の教育干渉があらわに行なわれること に な っ た の で あ る.. このような教育の国家主義 化とともに, 教育が個人の利益に関するもの, あるいは家庭におい ● て親が子供に与えるもの, というような教育における私事性の原則は, 次第にかげをひそめてい く, 「教育ハ単二人類各自 自生能ヲ成長セシメ, 以テ各自ノ要求 二適合セツムルノミラ本旨トセ l o ) とされ, あるいは, 教育は私的 ズ, 其主眼 ・国家生存ノ為二臣民ヲ国家的二養成スルニアリ」 な理由以上に, 「第一国家ノ発達二基ク理由, 第二国家自存ノ 必要二基ク理由, 第三国体保持二 ) によ っ て 行 な われ る べ き も の と さ れ て い っ た, l 基 ク 理 由」t. こう して, 教育における国家的利益優先の考え方が一般化し, 私事性をもっ た教育と しての理 解は後退する. そ して, 国家的立場からすべての国民に必要なものという意味での, 国家的公共 性にもとづく公教育の考え方がとられていくことになる, そこに, 教育における国家の役割は大 ・政権の強化がすすめられていくことになるので ある, きくなり, 国家権力の教育介入と, 行 この場合, 以上のような国家的 利益にもと づく公 教育は, 個人的利益に一致するという考え方 が, そ の前 提 に な っ て い る,. しか し, そ の 両 者 が 必 ず しも 一 致 す る と は 限 ら な い. た と え ば, 思. 想統制などを含む絶対主義的国家要求と, 市民的要求はしを しば矛盾する. その矛盾が解決され 生は得られず, 国家的公共性をもっ た教育であっても なければ, 政治的国家と市民的社会の一・体1 なかなか期待できなくなる. そこで明治政府はその矛 盾をいかに解決 していったであろうか, 明治政府は, 農民の解放が不充分なままであっ た前近代的村落共同体を, 権力的教育行政のし く み に く み 入 れ る こ と に よ っ て, 共 同 体 と 国 家 の 一 体 化 を は か っ て い っ た, そ して, 国 家 と 個 人. の矛 盾を解消 し, 国家的公共性にもとづく教育をおし進めていく ことができた. すなわち, 村落 共同体においては, 成員の主体的意識と行動を許さない社会的拘束力があり, 家及び共同体の和 のために, 自我をお し殺し, 出すぎた振舞をおさえることのできる人間の形成が要求される. そ の共同体が, たとえば明治22年の市町村 制の発足によって, 国の行 政組織の末端にくみこまれて 2 ) いっ た1 、孝一本の徳育を中核とす , 他方, 家族主義国家理論を背 景とする国家的教育要求は, 忠 る教育要求 として, 共同体の要求する徳育と矛盾するものではなかった, そこに共同体と国家の 3 ) 一体化, あるいは個人と国家の矛盾の解消が可能であったのである1 , - 15 一.
(5) . 伊. 津. 野. 朋. 弘. こ うして, 国家的立場からす べての国民に必要なものという意味での国家的公共性, 及びそれ にもと づく公教育の正当性が認められ, 教育への国家権力の介入が許容されることになる, 教育 における私事性の原則, ない しは私事性から出発 した教育の公共性は否定的となり, 絶対主義的 性格をもっ た国家権力が, 国家的公共性の名において, 権力的統一的教育をお し進めることにな っ た.. 2 ) 教育の市民的公共 性 { 日露戦争前後か らの資本主義経済の目ざま しい発展は, 商品経済の農村への浸透とともに, 村 4 ) 落共同体秩序の動揺崩壊を促すことになる1 . 特に, 第一次世界大戦による日本資本主義の飛躍 的発展にと もなう社会的矛盾の激化は, 大戦のもたらしたデモクラシーの風潮と相ま っ て, 社会 的矛盾の解決と社会生活の向上とに対する, 市民的自覚を高めていっ た. それは, 国家と村落共 同体と個人の一体 化を支える家族国家主義価値秩序の動揺でもある, こうした背景 の中で, 教育の分野におい ても, 新 しい傾向が生まれていっ た, 市民的自覚にも と づき, その生活に結びついた教育が要求され ていっ た. それは一方において, 国家的公共性に もとづく国家主義教育に対する疑問, あるいは, その権力性批判という形をとってあらわれる. そ して他方, 教育の本質にたちかえり, その私事性があ らためて自覚されていった. すなわち, 教育が個人的利益に関するもので, 且つ, それ がなければ社会生活が充分に保障されないという 意味で, 市民的公共性をもつものであり, また同時に, 個人的権利であるという自覚がなされて い っ た.. 1 5 ) に負うところが大き このよ うな新 しい傾向は, まず大正中期頃より発展 した 「教育社会学」 いといえよう. 教育が, 社会作用と して, 国家権力介入以前から存在したという, 教育社会学的 認識に関係がある. その代表的著作 「学校教育の社会化」 (田制佐重) は, 序文において 「教育 は其の本来の社会的意義を復活 し, 学校は其の本来の社会的使命に復帰せんとする機運は漸く熟 6 ) と のべ ている した の で あ る」1 .. 龍山義亮 「教育制度の研究」 においても, 「教育は必ずしも国家があっ て初めて 生じたもので ない. 何れの時代何れの社会にも教育の事実が存在して居っ たことを認めねばならぬ. 個人叉は 1 7 ) とあり, 非権力的社会作用と しての教育, 家庭の権利叉は義務として教育をなさねばならぬ」 あるいは個人の権利としての教育の把握がなされる. したがって, 公教育と しての学 校 の 性 格 は, 国家的公共性にもと づく公教育ではなく, 社会生活に密着し, 市民の要求から出発 した市民 8 ) 的公共性にもとづく公教育でなければな らない1 . 「学校は社会生活の進歩によっ て生じたもの であって, 或意味に於いては家庭教育の代理をなすものである. ……学校は家庭や社会と別に考 1 9 ) と 慮せらる べきものでない. 即ち学校は社会的に構成せられ, 家庭と協同す べきものである」 い う こ と に な る.. このよ うに教育が, 市民的生活に密着 し, 市民的公共性にもとづくものであるということは, 市民的意志の集合体と しての公教育の実現が期待されるということにほかな らない. したがって 2 0 ) べ 教育は, 「外部的勢力」 による統制である べきでなく, 「道徳を以て其の根本基調となす」 きであることが強調 される. すなわち, 市民的道徳を基礎とする社会的統制を助長するよ うな, 公教育の重要性が主張される. したが ってまた, 「今後の学校は, ……真の協働の理想を助長し, 且つ他の者と一致協力して 全体の為に価値ある事柄を成し遂ぐる 何等かの実地練習を与へなけれ 1 ) と, 協力の原理に立つ社会的統制の重要性 あるいはそのための徳育の重要性が主 2 ばならぬ」 , -1 6-.
(6) . 大正期教育行政論における非権力性論 張される. このような社会的統制の主張は, 教育に対する権力的統制の自制の要求につながるも の で あ っ た こ と は い うま で も な い.. また, 以上のような教育要求が, 市民の社会生活を保障するための教育要求で ‐あると いう意味 で, 教育 が市民の権利であるという発想があっ たことは, すでに前述のところであるが, 次のよ うにものべ られている. 為藤五郎 「教育の社会性」 によると, 「教育を受けるということは, 個 人にとってはたしかに権利として存在しなければならない. ただその個人の属する社会の立場か らみれば, 個人に教育を受けさせるためには, 財力及び労力の負担を当然予期しなければならな いが故に, 教育は個人にとっては権利であり, 国家にとっては義務であらねばならぬ形式になっ ている. 教育が個人にとって義務であるかの如く 考えることの, いかに根本的の間違いであるか 2 2 ) とある. 教育は個人の権利であり, 国家はそれを保障する義務がある とい は云うまでもない」 う考え方がとられるのである. この権利としての教育論には, 「教育の自由」 論が付随して展開される場合が多い. 教育は, 個人的利益に関係があり, 私事性をもつものと して発展するが, また市民すべてが要 求するもの という意味で, それが市民の権利であり公共性をもつものということになる, こういう教育 の本 質における私事性の尊重と しての私教育の自由ということに 関連 して, 「教育の自由」 論が展開 さ れ て い っ た も の と 考 え る こ と が で き る, た と えを , 「帝国憲法は言論の自由, 信教の自 由 居 , 住移転の自由を認めながら, 教育の自由ということを挙げていないが, しかしそれは成文にする 2 3 ) とあるように, 自然権的教育把握をもと には余りに明白のことであるがためであろうと思う」 に した 自 由 論 が の べ ら れ る の で あ る.. 教育についてのこのような憲法解釈は, 大正デモクラ シーの一環と して, 当時の行政法学上か なり一般化していたものと考えられる, 特に, 明治末頃より, 政治体制の基本的あり方をどう理 解するかという点をめ ぐって, 上杉慎吉と美濃部達吉の両氏を中心とする憲法論争 のあったこと は 周 知 の と こ ろ で あ る. そ して, 美 濃 部 説 が, 大 正 デ モ ク ラ シー に 連 続 す る こ と は い う ま で も な. い. 彼の 「日本行政法」 (明治42年) によると, 「自由権」 に関 して, 「憲法中二特二明言セラ レタルト否トハ此ノ点二於 テ何等ノ関係ナツ, 婚姻ノ自由, 教育, 学問ノ自由, 営業ノ自由ノ 如 キ, 憲 法 中 二 明 文 ナ キ モノ ト 雌 モ, 其 ノ 法 規 ノ 根 拠 ナ ク シ テ 制 限 セ ラ レサ ル コ ト ハ, 憲 法 中 ノ 列 4 ) と ある 記 ア ル モノ ト更 二異 ル 所 ナ キ モ ノ ナ リ」2 ,. 大正3年 「日本行 政法」 も, 昭和7年 「行政法撮要」 等も, 同様の趣旨を以て 「教育の自 由」 についてのべ られている, 「教育行政研究が主と して現行法規研究であり, その法規研究が, 法 2 5 ) という, 戦前の一般的状況の中で 以 規の批判的研究ではなくて, その正当化解釈であった」 , が 一側面をにな 大正デモクラ 上のような憲法解釈 , シーの い, 教育行政論に新 しい傾向をうなが して い っ た の で あ る. た しか に 美 濃 部 説 の 立 場 は, 「日 本 は 何 よ り も ます 近代国家の近代的なら. しめる本質的要素である市民的自由の確保をまず必要とするのであり, 従っ て行政法学 の任務は 立法論と してはむろんのこと, 解釈論の範囲においても, すでに存在する官僚的法治主義の行政 法の中に, 市民的自由を基本原理とする法理論を, できうる限りもち込まなければならぬとする 2 6 ) であったのである. この立場からの教育行政論の展 開は後述す るが, 「教育の自由」 説 立場」 が, 市民的自由を基本原理とする法理論の憲法解釈へのもち込みであっ たと理解することは容易 な こと で あ る,. 以上要するに, 教育への国家権力介入以前にたちかえり, 非権力的社会作用 として教育を把握 し, 且つ, 市民的要求にもとづく自然法的権利, あるいは市民的公共性をもつものと して把握す - 17 -.
(7) . 伊. 津. 野. 朋. 弘. る, 新 しい傾向が生まれた, しかもその公共性の故に, 国家が公教育制度と して, その普及のた めの条件整備の責任を負わなければならないというように, 教育行政論は展開されていく. それ .については後述するが, ともかくも, 国家的公共性にもと づく権力的行 政と してでなく, できう る限り非権力的助長行政と して, 教育行政を把握しようとする傾向が生まれていっ たのである. 〔m〕 教育の権力的利用とその反論 1 ( ) 権力的教育行 政と教育活動 明治公教育体制は, 前述のように, 国家目的国家利益を優先させ, それへの服従が個人の利益 に通ずるという, 国家的公共性の考えにもと づくものであった. したが って, 議会的立法による 拘束は最少限度に止められ, 官僚的法治主義の行政法の中で, 行政権は極めて強大なものであっ た. そ して学校教育は, 国家権力の強い関 与や規制をうけながら発展 してい った. こうして教育は, 国民の意志いかんに かかわらず, 国家的意図による行 政行為と考えられ, そ 7 ) の権力関係と しての教育関係を規定するものが教育法規と考えられた2 , した がって学校の管理 関係も, 権力関係を規定 する法規にいかに準拠するかという, 法規万能の考え がとられていった。 0年代のはじめ以 降導入された特別権力関係の 理 論 が あ このような権力関係の軸と して, 明 治3 8 ) る2 . すなわち, 教師を準官吏と規定 し, 準官吏たる教師の勤務関係, 及び学校営造物の利用関 係に, 特別権力関係理論が適用されていった. こうして, 学校は行政末端組織としての役割をも たされ, 教師は法令執行的行政官としての役割をもたされていっ た, こういう明治教育行政の理 論と現実の中で, 教育は国家の私物化され, 正 しい意味での公共性は失われていった. 天皇を頂点と し学校の教師を底辺とする官僚機構の一環と して, 学校が末端行政をにない, 教 師の教育活動 が権力関係において行なわれたために, 学校教育の中には官僚主義としてのさまざ まの問題が生まれてい った. 法規万能主義, 形式主義, ごう慢, 尊大, 情実主義等の具体的あら 9 ) われをみることもで きる2 , 特に, 教師の教授活動は, 法規的に規定された教育内容, 国定教科 書を, おちこぼれなく 一律に詰め込む活動となっ た. そこには創意や自主的判断をはたらかす余 地はなく, 詰め込んだ量をはかることによ っ て, 教育活動の成果を 評価す るようになっ て い っ た.. 月新教育運動は, こういう詰込主義・画一主義に対する批判を含んでいたことはいうまで 大正1 1 もない. 「教授の殆ど凡てをあげて考査の為になす, 今や世をあげて考査試問の弊に中毒しつつ あり. 而 して社会は, 一時的而器械的記憶の結昌の印せられたろ答案をみて, 学校の成績を云々 3 0 ) というような 批判がある. 生活つ づり方の創始者の一人といわれる芦田恵之肋が, 詰込教 す」 1 ) 育による学力の 「剥落」 という問題を提起 したことは, 同様な意味をもつことであった3 , 2 ) 生活教育諭とその非権力性 { 国家的利益が個人的利益に優先し, 国家的必要にもと づく権力的教育が, 以上のように して, 明治公教育体制において行なわれた. それは, 家族国家観を背景とする徳育を通しての思想統制 i という意味を含み, 教育の権力的利用であっ たともいえよう, しか し, 大正デモクラシーの風潮 に伴う市民的自覚の高まりは, 国家的公共性にもとづく公教育と, 市民的公共性にもと づく公教 育要求との分離の自覚をうながすものであった. 生活に密着 した生活教育の要求は, 市民的公共 性にもと づく教育要求であるといえるのであり, したがってその生活教育論の中には, 国家的教 育要求との矛盾ない し分離の事実の指摘が含まれるのである.. - 18 -.
(8) . 大正期教育行政論における非権力性諭 そもそも, 教授・学習の過程は, 教師の指導性と学習者の主体性との相互緊張関係ない し矛盾 関係が, 思考活動をうなが し, 諸概念が整理統一されることによって, 成立するものであると考 える, 生活指導に関 しても, 同様な図式を考えることができる, すなわち, 認識と いうことが , 一方が何かを与え, 他方がそれをうけるという形で成立せず, 与えられたものと子供の現実的生 活認識との対決において, 可能であるということ である. こういう教授・学習過程の本質から 考 えても, 権力的詰込的教育が効果的なものでなく, またその学力が 「剥落」 の運命をもつこと も, よく理解できるところである, したがって, 市民的生活現実を もとに, .主体的認識をうながすよ うな教育が, 要求されていっ たのである. まず, 大正中期以降の種々の生活教育 論は, 国家的教育要求にもと づく権力的教育に対する反 論を含みながら, 展開されていった. 大正中期の文芸教育論が, 生活教育論の要 素をもっていた ことはいうまでもないが, その代表的人物である片上伸は, 「政府は国民を信じない. 国民は政 治を信じない. そ こには争いがあり不信があり, 高圧的禁断があり一時的の弥縫がある, ……僅 かの非逮によ って子弟の生活が, 従ってまた教育の力が, その根本から覆えされたかのように大 3 2 ) と, まず国家と国民との分離を指摘する そ して, 市民的教 騒ぎして, 危険呼ばわりをする」 . 育要求が, 国家的教育要求によって否定されることの指摘もなされる, そ してさらに, 徳目的 「断片的の表面的の実際生活の指 針を露骨に与える」 にす ぎない修身科 的道徳教育の無意味さをのべ, 「複雑な人間生活の殆んど予期 しがたい, さま ざま の境遇事情に 適応 して, 自己の道徳感情を正 しく表現していくことのできるために必要な, 根本の力を豊富 に 3 ) ための, 生活的道徳教育の重要性を主張するのである 3 する」 , 「児童の村小学校」 を主要な活躍の舞台と した野村芳兵衛も, 「教育が自分を育てたと云うよ りも, 境遇が自分を育てたと云う方がどれだけ妥当か知れません」 という告白によ って, 国家的 「公教育と民衆の生活意識との爺難の指摘」 をまず行なう. そ して, 新教育の原理たろ 「『協力意 志に立つ教育』 の旗印のもとに」 , 「支配」 原理に立つ 「『旧教育を埋葬する』 という 宣 言 を す 3 4 ) したが のである て彼は る」 っ , 「生活訓練と道徳教育」 において, 「人間生活の上に自治組 . 5 ) としての教育活 3 織を建設する力」 を育てることをめざし, 「学級の協同自治という組織活動」 動の重要性をのべるにいたる. これは, 「学級会」「児童組合」「自習団」「自治団」 などの名称を もっ て行なわれた, 大正自由教育の総決算ともいえる, 教育論の展開であったわけである, また, 綴方教育の中から生活指導理論を作りあげていった, 多くの綴方教師の場合も同じであ 謂織の詰込教育の否定からはじまり, 子供の生活の向上と結びつけられた る, 国定教科書によるラ ) 6 教育理論が, 彼等の生活の中から生み出されていくことになる3 . たとえば, 田中豊太郎 「生活 創造綴方の教育」 では, 「第一には純な生活へと導いて行きたい, ……第二には真剣なる生活へ と導いて行きたい, 真剣なる生活とは妥協を許さない生活である, 自分の支持している 道理に対 して, 自他ともに妥協を許さない生活である, 自己の心に映じた具体的事象・物象に対して, ど 3 7 ) とのベ, 共同体的社会に埋没しが ちな自我の自覚を促 し, こまでも見詰めていく生活である」 生活の向上をはかる市民的教育が意図される. そ してこれが, 生活綴方教育 運動と して発展して い く こ と は, 周 知 の と こ ろ で あ る,. さらに, 昭和5年に結成された 「郷土教育連盟」 の創立者である尾高豊作は, 「諸々の学科整 備の中に児童青年が苦悶しつつある 『国家』 的学校を して, 何とかモッ ト昔ながらの生活的な教 育, 而も昔には思いも寄らなかっ た児童中心的な協同社会に接近させ ることは出来ないか」 との べ, さらに 「学校におい て学科教材の取次人という役目を背負う瞬間から, 何時の間にやら 『国 - 19 -.
(9) . 伊. 津. 野. 朋. 弘. 民教化』 とし ・う看板に身を隠して, 一個の官吏叉は公吏と化する. 何故 彼等はその教 える土地の 子供達やその親達と共にお互いレニ悩みとし苦しみと し, 叉は楽 しみとする日常生活 の体験を共に 9め と, 行政官と しての役割しかもたない教師, あるいは, 子供の生活に しようと しなかっ たか」 結びつかない教育に対する批判を行なう. 以上のように, 当時の生活教育論は, 生活から遊離し公共性をなく した, 国家的教育とその権 力性を批判 し, それに制限を加え, 教育を生活化することによ って, 大衆的教育としての本質と, 市民的公共性をとりもどそうとする主張であったといえる, したがっ てそれは, 行政庁の学校管 理権に対する制限と, 学校の自律性の主張につながるものであった, 圏. 行政庁の学校管理権自制の要求. 以上のように, 権力的教育行 政における教育が, 市民的公共性としての本質をそこなうことに なるということから, その本来的意味における社会作用と しての非権力性に注目 し, 教育行政に おいてもその非権力性が主張され要求されていくことになる, まず, たとえば, 「教育者対被教 育者の関係は, どこまでも 『教育の関係』 でなければならぬ. ……法律に 基 づく権力の関係でも ない, 随っ て強 制という条件より一切解放せられた一つの関係でなければならない」という論がな ) ることへの 3 9 され, 「教育それ自身の活動にまで, 国家組織運転 の一形式たる強制を取り入れ」 , い ま し め が な さ れ る.. こういう教育の非権力性の主張も, もちろん国家と教育行政の存在を否定しようというのでは ない. 教育の公共性を維持しなが ら, 教育普及のための条件整備の責任をもつものは, 国家にほ かならない. 織田寓 「教育行政及行 政法」 においても, 「自由的・民衆的」 とに矛盾しない限り において, 「国家力教 育ヲ以テ其ノ行政事務ノー端トスル」 ことの必要をの べ, 「然 しトモ国家 力教育ノ方針二関シテ有スル 所ノ 勢力ハ, 決 シテ無限ノ モノ ニ非ス. 其女ロ同ナル程度マテ干渉シ 4 0 ) と, 教育行政の権力性に対する制限の必要 得ヘキカハ, 最モ慎重二之ラジ セ究セサルヘカラス」 を 明 ら か に し て い る.. 以上のような, 教育を非権力的作用としてとらえる考え方は, 学校教育の自律性と, 行政府に 対する学校管理権自制の要求とを生んでいっ た, 学校教育の自律性の要求は, 行政の論理にした が う権力関係としての教育から独立した, 専門的職業としての教職の 自覚が前提となる. そして その要求がさらに, 行政庁の学校管理権の自制の要求につな がるのである. 「役所の仕事の如きは, 大部分の仕事が器械的の活動で事足りる. ……即ち組織的にまた分業 的にやればよいのだが, 教師は自分 が 計画者であり立案者で あり実行者であらねばならぬ, …… 教育という一種の創造を遂行するためには, 無限大の人間として資格があっても, これを用 うる 4 1 ) と, 行政的活 動とはちがい, しかもその に余地がないということはない. それだけ生命的だ」 活動から独自性をもっ た, 専門的創造的活動としての教育活動についての強 調がなされる. した がっ て, 教師の 「自由研究・自由実験・自由活動」 の重要性が問題とされる, そして 「教職をし 4 2 ) ことの必要が主張される. て専門的職業化せしむる」 このように教職の独創性専門性の自覚を前提として, 学校の自律性の主張を 生み, 一方におい 4 3 ) 概念を生み, さらに ては, 従来の法規万能主義 「学校管理」 概念と異なる新しい 「学校経営」 は, 行政庁の学校管理権の自制の要求となっ てあらわれるのである. たとえば, 「視学や校長は 往々教師に絶対服従を強制すること があるが, こは頗る誤れる態度である, 教師が玖ロ何に経験と 素養とに乏しくも, 兎に角, 教師と校長叉は視学とは, 教育に関する専門家なるが故に, 両者の 0- 甲2.
(10) . 大正期教育行政諭における非権力性論 協働は極度に 必要である, 而して教師の経験が豊富になり在職期が長くなるに従い, 次第に其の 4 4 ) る べき 自由の範囲を広め, 単に上官の発する教授命令を遂行することを真の協働と考えしめ」 で な い と す る.. また, 龍山義亮も, 教育行政の民衆化についてのべ, 「官僚的教育を排して民衆的教育を 運用 4 5 ) とし, さらに 「教授訓練の方針や其方法の具体的事項につきては, 自由に せしむ べ きである」 之を定め, 叉は行なうことを得るものと解するのが適当で, ……彼是と監督者叉は管理者が干渉 4 6 ) と し て い る そ し て 「従 来 の 如 き 強 制 が ま し い こと を 言 い, 叉 は な す こ と は 慎 む べ き で あ る」 .. 的法令は出来るだけ減減し, 指導的の法令即ち標準を示して之に準拠せしむるものに改むる」 べ 4 7 ) べき きこと, あるいは 「視学制度の改正」 , 「中央集権制を軽減して地方分権制を多く加味す」 こと な どを 提 案 し て い る,. このように, 教職の専門性の自覚にもとづく, 学校教育の自律性の主張が, 教育の官僚主義批 判というような形において, 行政庁の学校支配権に制限を与える べきだという主張を生んでいっ た の で あ る.. 〔 l v〕 教育行政の非権力性. -- 美濃部達吉説を中心に -- 1 ) 保育行政としての教育行政 (. 行政法学における美濃部説 の立場は, 市民的自由を基本原理とする法理論を, 官僚的法治主義 の行政法の中に, できうる限り もちこもうとする立場であったことは, 前述したところである, 当時の教育関係法規は, 国家的必要にもと づく教育という立場から, 権力関係公法関係において 規定きれ ていたが, その中にも同様にできうる限り, 市民的自由を原理とする教育論及び法理論 を も ち こ む こ と が, 彼に よ っ て 意 図 さ れ て い っ た,. たとえば, 彼の憲法解釈における 「教育の自由」 説もその一例といえよう. すなわち, それが 本来は憲法に規定される べき権利であり, しかし 「成文にするには余りに明白のこと」 のために 規定されないものという解釈である, このように, 教育が市民的必要にもと づくものという立場 から, 市民的権利として把握され, 市民としての私教育的自由の原理によ る, 憲法解釈がなされ たのである, こうして, 市民的自由の原理をもとに, 教育における権力的国家作用をできうる限 り制限することの必要性と, その非権力性がのべられていくのである. しかし, もちろん, 教育において国家あるいは教育行政の役割が否定されるわけではない. 教 育は市民すべてに要求されるものという意味で, 公共性をもつものであり, その公共性の 次に教 育は国家あるいは公共団体によ って 保障されるべきである, しかもその公教育における行 政の非 権力性が, 彼によ っ て主張されるのである. たとえば, 昭和7年 「行政法撮要」 によると, 「教 育二関スル国家ノ作用ハ, 権力ヲ以テ命令シ強制スルコトニ非ズツテ, 主トシテ国民ノ福利ノ 為 二健全 ナル教育施設ヲ完成スルコトニ存ス. 此ノ 目的ノ為二国家 ハー面二於テ目ラ教育施設ヲ維 4 8 ) とあり, 国家あるいは公共団体による教育 持経営 シ, 叉イ ・公共団体ラシテ 之ヲ負担セシムル」 行政が, 教育普及のための条件整備の責任を負 うべ きで, 且つ, その行 政は非権力的なものでな ければならないというので ある. とこ ろで, このよ うな彼の教育行政論は, 彼の行政法総論の中でどのように位置づけられるも のであったか, 彼は, 明治42年 「日本行政法」 以来の諸著作におい て, 行政法の 「各論」 をすベ 1 一2 二 .-.
(11) . 伊. 津. 野. 朋. 弘. て, 「警察行政」 と 「保育行政」 の二つに分けている. そして, 「警察法力権力ノ行使二関スル l t ur 法ナルニ反シテ, ……企業ノ経営保護二関スル公ノ行 政作用ノ全体 ハ, 之ヲ保育行 政 (Ku 4 9 ) とする. 教育行政は, 交通通信, 運輸, 衛生, 水利, 勧業, 社会政策等の行 p日ege) ト謂フ」 政とならんで, 保育行政に含めて考えられるので ある. .この保育行政は, 社会公共の利益を公の団体によ って, 保障し充足するための行政であり, 市 民的利益の保護の手段であるともいえる, 「国家叉ハ公共団体力, 社会公共ノ 為二権力ノ行使ヲ 本質トナサザル事業ヲ経営 ツ物ヲ管理 シ, 事業ノ経営ヲ他人二特許シ, 其ノ特許シタル事業ヲ監 督シ, 私人ノ事業ヲ保 護奨励 シ, 及ヒ此等ノ目的ヲ達スル為二其ノ補助手段トシテ, 人民二負担 ヲ 課 ス ル 作用」 を 保 育 と い う の で あ る. そ し て ま た, 「保 育 ハ 主 ト シ テ 福 利 ノ 目 的 ノ 為 ニ ス ル モ. ) のであり, 非権力的行政というこ 5 0 ・助長行政ト称セラル」 ノ ニシテ, 随 テ保育ノ ・屡福利行政叉ノ とを本質とするのである. ところで, この 「保育の作用」 として, 「公企業の経営」「公物の管理」「公企業の特許」「私企 業の保護」 「公用負担」 の五項に分類されるが, 教育の事業は 「公企業の経営」 として位置づけ 5 1 ) とし ・公共団体力社会公共ノ利益ノ 為二経営スル非権力的事業」 られる. すなわち, 「国家叉ノ ての教育ということになる, こうして教育行政は, 非権力的な福利行政あるいは助長行政として, 国民の福祉の助長を基本とした行政であり, 国家的公共性の立場から, 権力的に国民の方向づけ をするものとしての考え方は否定されていった. 龍山義亮 「教育制度の研究」 においても, 「教 育行政は, ……幸福を増進せしむることを目的と する助長行政の部に入れて, 国民の身体知識及 び道徳の発達助長を目的とす る行政と 解している. 積極的の助長行政の中には保健行政や交通行 政や感化救髄行政等もあるが, 教育行政は更に此等よりも一 層積極的の性質を帯びているもので 2 ) と, 同 じ よ うな 見 解 が と られ て い る, あ る」5. 1 学校管理関係と私法規定の適用 { 2 以上のよ うに, 教育は国または公共団体が社会公共の利益のために, 経営管理する非権力的事 業ということになる が, 行政主体の学校管理権については, その際いかに理解 したらよいか, 従 来の学校管理は, 行政主体が学校に対して行なう公権力の行使と考えられたことはいうまでもな く, したがって行政庁は学校営造物に対して, 包括的支配権をもっという立場 がとられたのであ る. 国家主義教育のもとで, 権力関係としての教育関係を規定する教育法規の立場において, そ れは当然であるといえよう. 3 ) という語は, 「公企業」 という語に しかし, 美濃部行 政法論においては, 法令用語上営造物5 テ 類するものであり, あるいは, 営造物は公企業の 「設備」 であり, 「公ノ行政ノ主体ニョリテテ ハ ル ル 事業 ニ シテ, 権 力ノ 行 使 ヲ 本 質 ト ナ サ ザ ル」 企業 と い う こ と に な る, し た が っ て, こ の 「公 企 業ノ・権 力 ノ 行 使 ヲ 本 質 ト ナ サ ザ ル モノ ナ ル ラ 以 テ, 其ノ 実 質 二 於 テ ハ. 私人ノ事業 ト異ルコトナク, 髄テ共ノ法律上ノ地位二於テハ私人ノ事業 ト等 シク, 私法規定ノ適 5 4 ) るものとなる. 警察作用が, 公権力の行使の作用であり, まったく 用ヲ受クベキ傾向ヲ有ス」 公法的特 色を有するのに対し, 公企業としての教育の管理については, 以上のように, その法律 関係は私法関係に類するのであり, そのために私法 規定の適用をうけるというのである. 美濃部説の一つの特 色とし て, 「公法私法の実定法上の区別を承認しながらも, それを最少限 度に止めて, かえっ て 可能な限り, 私法原理と私法規定とを憲法行政法上の関係にもちこもうと ) があげられる. すなわち, 国家と国民との関係が, 平等な法主体者相互の関 5 5 努 力されたこと」 - 22 -.
(12) . 大正期教育行政論における非権力性論 係であるという, 市民法的法律関係を, 権力関係としての公法関係の中に導入しよ うとしたので ある, それは, 市民的自由を基本原理とする法理論を, 官僚的法治主義の行政法の中にもちこも うとする, 彼の基本的立場に通づることである, こうして, 学校管理 が公法的な公 権力の行使の関係としてのみでなく, 教育企業の管理関係と して, 私法の適用を受けることの必要性がの べ られる. したがってたとえば, 「官立叉ハ公立ノ 学校′ ・……校舎其ノ他土地ノ工作物ノ設置叉ノ ・其ノ職員ノ 職務上ノ ・保存二級症ア ル ニ因り, 叉ノ 不法行為ニョリ, 他人二損害ヲ加ヘタル場合二於テ ハ, 民法ニョリ損害賠償ノ責任 ヲ生ズベク, 5 ) とい う こと に な る す な わ ち 学 校 6 少 ク トモ 此ノ 限 度 ニ 於 テ ハ 民 法ノ 適 用 ヲ 受 ク ル モノ ナ リ」 , ,. 事故における被害生徒側の損害賠償訴訟では, 私法規定の適用をうけるために, 民法上の不法行 為責任が問われるということになる, このように, 学校管理関係が権力関係でなく, 教育企業の管理関係であると解釈され るという ことは, 学校の自律性を認めようとする立場でもあり, 学校の内在的管理権の存在と, 行政庁の 学校管理権自制の要求とを, 基礎づけるものであるといえよう. 明治時代の法令準拠主義 学校管 理に対する, 大正時代の新しい学校経営論の登場は, 以上のような行政法論を背景とす るもので あると考えられるのである, 〔V〕 おわりに 明治国家における権力的教育行政の一般的状況と, 大正デモクラシーに伴っ ておこっ た, 市民 的自由を基本原理とする新しい教育論や行政法論との対比において, 後者における教育行政の非 権力性論を考察してきた, ひとつには, 教育の 「公共性」 理 解に関する大正期の新傾向の中に, その非権力性論をとらえ, さらには, 権力的詰込教育あるいは教育の国家的利用の反論としての, 生活教育論の権力性批判をみてきた. そしてさらには, 美濃部達吉説を中心に, 市民的自由を原 理とする行政法論における教育行政論と, その非権力性論を考察してきた. すなわち, 教育関係 を公権力行使としての権力関係・支配関係においてとらえる一般的見解の中で, 私法関係・平等 関係の適用の可能性とその非権力性を認める見解の発生の事実をとらえることができた. そして これは, 権力関係の完全な否定としてでなく, 教育の公共性の故に, その行政的保障の必要性を 認める中で, できうる限り非権力性を認 めようとする見解であったことはいうまでもない. このような非権力性論は, 教育の本質にさかのぼり, 教育行政の本質をとらえようとす る, 当 時の多くの教師や研究者の考え方の中に, 自然発生的に生まれたものであったといえよ う, そし てそれは, 教育行政法の正当化的解釈を中心とした官僚的教育行政研究からではなく, 教育の事 実の認識から出発した現場的発想による教育行政論として生まれたものともいえるのである, こ ういう意味で, これは極めて重要な問題であるといえる. さて, この非権力性論は, 戦後教育法制の変 化によっ て, 大きく表面化することになる, しか し, 昭和3 0年前後より, 国家の行政機能の拡大と国家の教育関与の強化にともない, 非権力性論 の極端な後退あるいは権力 性論との不調和的併存という現象もあらわれ, 混乱の現状にあるとも いえよう, そういう中において, 非権力性論の重要 生の認識と, 公法的権力関係に私法関係・平 等関係をどの程度に 適用すべきかについての考察は, 今後における極めて重要な課題であるとい える, 特に教育行政の各分野, たとえを 学校管理や学校経営などの分野に関しても, そのような 考察を加えていくことが必要であると考える.. -2 3-.
(13) . .伊. 津. 野. 朋. 弘. 〔註〕 1968 1) 兼子仁編 (1964 ) 「クラブ活動および学校行事 )「教育裁判判例集」 東大出版, 155頁, 高塚泰次郎 ( 等における学校管理上の問題点と今後の進め方」 (大阪府高校生活指導研究会) において, 二つの意見に 関する判決例があげられている, 7頁, 2) 原竜之助 ( 1966 )「公法関係における私法規定の適用」(行政法講座第2巻) 有斐閣, 42-45頁, 196 6 兼子仁 ( )「教育法」 有斐閣, 195頁, 3) 兼子仁 同上, 94頁, 4 3頁, ) 吉本二郎 (1966 )「学校経営学」 国土社, 5 1一123頁, 5) 今村武俊 (1 966 )「教育行政の基礎知識と法律問題」 第一法規,9 6) 相良惟一 ( 194 9 )「教育行政法」 誠女堂新光社, 2頁, 7) 共同討議 「公教育の本質をどのようにとらえるか」(教育学研究第27巻第4号)18頁, S) 梅根悟 「ヨーロッパ的公教育恩想についての若干の補説」(教育学研究, 同上)2 0頁, 9)「学制」 の 「被仰出書」 によると, さらに 「学問は土人以上の事とし, 国家の為にすと唱ふる……皆惑へ るの甚しきものなり」 とある, 10) 小林歌吉 (明治33年)「教育行政法」3 1頁, 11) 有吉忠一 (明治3 3年) 「小学教育制度」 2頁, その他, 松本順吉 (明治33年)「教育行政法要義」( 72頁) や, 松浦鎮次郎 (明治45年)「教育行政法」(5 16頁) も同趣旨である, 12 ) 福武直, 綿貫譲治 「組織と人間」(近代日本思想史講座, 6, 筑摩書房,1960 ) の 「底辺における共同体 的な組織」 の項参照, 13 ) 磯野誠一, 富士子 「家族制度」(岩波新書)「家父長制家族制度の道徳を, 近代的な義務教育の制度を通し て, 全国民に普及することをもって, 国家的な統一をはかると共に, 国民が近代的な市民に成長すること を防ごうとした, ……」 4頁, 1 4) 国民生活のあり方を天皇が示すという形での 「戊申詔書」 (明治41年) の燐発, 社会教育の組織化を通し ての道徳教育の強化政策等との関連において考えることができる。 15 ) 関係図書として, 建部遜吾 (大正4年)「社会学と教育」 , , 市川一郎 (大正10年)「教育の基礎たる社会学」 野瀬寛顕 (昭和4年)「学校社会学」 岩井竜海 ( 昭和5年 )「教育的社会学」 , 田制佐重 (昭和7年)「教 , 育的社会学」 , 渡辺富三郎 (昭和7年)「学級の社会学的研究」 , 為藤五郎 (昭和6年)「教育の社会性」 な どがある, 16 ) 田制佐重 (大正10年)「学校教育の社会化」 序文, 17) 竜山義亮 (大正15年)「教育制度の研究」 4頁. 18) 土田杏村 (昭和3年)「現今教育学の主問題」 で 「教育制度の原理」 に関して, 「教育の社会性は, それ が単に個人的になされず, 最初は家庭に於いて, 次ぎには或る社会集団により経済的に支持せられつつ, その集団に於いて一律になされる事により, 明らかに示される事を私は既に述べた. 教育はかくして, 社 会的に必ず一の制度を持たなければならぬ」( 95頁) とのべている, 1 } ≦ ) 竜山, 前掲書, 37一3 8頁, 20 ) 旧制佐重, 前掲 「学校教育の社会化」2 15-6頁, なお, このことに関して, 「訓育の社会化」 という一章 も設けられている. 21) 田制, 同上, 42頁. 22) 為藤五郎 (昭和64 F)「教育の社会性」70頁, - 23 ) 為藤, 同上, 42頁, 24) 美濃部達青 (明治42年)「日本行政法」2 62頁, なお, 織田菌 (大正5年)「教.百行政及行政法」 でも, 「教 育ノ自由」 なる一節を設け, 「教育ノ自由力我憲法二規定セラレサルコト, ……教育ノ自由ナキモノト思 々 惟スヘカラス, ……憲法ノ保障ノ有無二拘ラス立憲国家ノ原則トシテ, 各人ノ ・個人自 i自由ヲ保有セサルヘ カラス, 例ヘハ労働ノ自由, 営業ノ自由, 契約ノ自由二等就キテハ我憲法二規定ナシト難モ, 決シテ其自 由ヲ否認セルニハ非ス. 教育ノ自由亦然リ」 とのべ, 続いて 「教フルノ自由ノ ・各人力自由二己ノ思想若ク ハ信仰ヲ他人ニ伝フル所以ニ シテ, 学ブノ自由ハ, 各人力自由ニ己ノ好ム人二就キテ其思想若クハ信仰ヲ 受クル所以ナリ. 雨 ・言論ノ自由ト信教ノ自由トラ規定シテ, 思想及信仰ノ自由ヲ保障スル以 iシテ我憲法ノ 10 1 【 上ハ, 教育ノ自由モ亦目ラ保障セラ レタリト調フコー ・ヲ得」( 5一6 1 ) とのべている. 25) 宗像誠也 (1954)「教育行政学序説」34頁, 26 ) 鵜飼信成 (1953 73頁, )「行政法の歴史的展開」1 2 7 「 旧法制においては ) 兼子仁, 前掲 「教育法」 , , 法的には教育と教育行政との区別なく, 教育固有の原理が 十分生じなかったため, 教育法は, 教育行政に適用された行政法たる『教育行政法』としてのみ存在した」 3-4頁. 28 ) 拙論 「明治教育行政官僚制の成立--特別権力関係理論の導入問題を中心に--」(未発表).
(14) . 大正期教育行政論における非権力性論 2 9) 拙論 「明治教育行政の対立概念としての学校経営--その歴史的一考察--」 (日本教育行政学会第2回 大会発表) , 30 ) 雑誌 「千葉教育」 大正4年2月, 「猪丘一家言」 (白鳥生) . その他, 「学力比較と称して優勝旗の授与」 (雑誌 「千葉教育」 大正6年3月, 「児童の学業成績考査」 ,) を行なうという記事, または 「地方小学校教 育に於いて比較考査の平均点の最高な学級の受持教員を金十円なりを以って質賜する……」 (大正10年6 月 「社会民衆の猛省を促す」) という記事もある, さらに, 芦田恵之助 「読み方教授」 でも, 比較試験に よって 「成績順に学校名が公表され」 ることへの批判がのべられている (緒言,13頁 大正5年) , , . 31) 勝田・中内共著 ( 1 964 )「日本の学校」 岩波新書, 1 40頁. 32 ) 片上伸 (大正9年)「文芸教育論」 3-4頁, 33 ) 片上, 同上, 22一2 3頁. 34) 磯田一雄 「野村芳兵衛の生活教育思想」 4巻第1号, 5 9-6 0頁. , 教育学研究, 第3 35) 野村芳兵術 (昭和7年)「生活訓練と道徳教育」 小序 . 36) 芦田恵之肋 (大正5年) 「読み方教授」 で, 学力の剥落現象を問題にし, さらに 「教科及び課程等も児童 の日常生活に比して甚だしき懸隔がある」( 19頁) とのべている, 峰地光重 (大正1 1年)「文化中心綴方新 教授法」 においては, 「もの知り」 の批判として, 「知っては居るが, それが少しもその人の魂を豊かにし て居ない場合が多い」 というような言葉をもって, 「生活指導」 概念の説明が進められる. 6 5-72頁, 3 7) 田中豊太郎 (大正1 5年)「生活創造綴方の教育」252頁, 38 ) 尾高豊作 (昭和8年)「現実郷土から理想郷土へ」 雑誌 「教育」 No 1 .13 , 「社会科教育遺産の検討」58- 59頁.. 39) 為藤, 前掲書, 65-66頁. なお, 続いて 「教育の関係,それは何であるか, ……吾々の信ずる学校生活は, 生徒及び教師の自治によって, 一‐ 切の外部干渉を不要ならしめ, 進んでは, それ自体の集団的干渉を不要 ならしめんことを期する」( 66頁) とのべている. その他, 土田杏村 「現今教育学の主問題」 (昭和3年) でも, 同様な趣旨をもって, 教育の非権力性や教育行政の独立性が論じられている 98頁, 1頁. .10 . 40) 織田菌 (大正5年)「教育行政及行政法」9 1一94頁, 竜山, 前掲書でも, 「国民の教育に対し, 一定の方針を樹立して之によって教育を受けさす必要あること は勿論である. ……熱 ;し此の法令は必ずしも強制的のものでなければならぬという訳でない, 消極的に取 締監督の程度」( 49頁) であるべきだとし, なお, 「強制教育に対する反対は極端なる国家主義に対して起 1頁) とものでている. ったものであって, 正当なる国家主義に対するものでない」(5 41) 為藤, 前掲書, 16 7-8頁, 42 ) 田制, 前掲 「学校教育の社会化」3 3 3頁, 43) 細論, 前掲 「明治教育行政と対立概念としての学校経営」 , 4 4) 田制, 前掲書, 3 16頁. 45) 竜山義亮, 前掲 「教育制度の研究」19頁. 46) 竜山義亮 (昭和7年)「教育行政原論」10 5頁, 4 7) 竜山, 前掲 「教育制度の研究」22頁, 48) 美濃部達吉 (昭和7年)「行政法提要」 下巻下冊, 4 93頁, 49) 美濃部, 同上, 37 0頁, 50) 美濃部, 同上, 17 9-18 1頁, 1) 美濃部, 同上, 大正13年, 1 5 17F t -7年, 182頁. 召ヰ - ,H 5 2) 竜山, 前掲 「教育制度の研究」14頁. 53) 美濃部, 前掲 「提要」 大正13年, 1 23頁, 「日本行政法各論」 大正14年, 7 7頁, 54) 美濃部, 前掲 「撮要」 大正13年, 138頁, 5 5) 鵜飼, 前掲書, 115頁. なお, 美濃部 (明治42年) 「日本行政法」 でも, 「公法ノ特色ヲ以テ権力関係二在 ・候令其し自身ニ於テハ誤ニ非ストスルモ, 大ナル誤解二導クノ虞アリ 公法上ノ関係ノ りトイフノ ・決シテ . 事実上ノ権力服従ノ関係ニハ非ス シテ, 私法上ノ関係ト等シク, 法律上ノ権利義務ノ関係ナリ 国家ト臣 , 民トハ相互二権利ヲ有シ義務ヲ負フノ主体ニシテ, 其ノ権利タリ義務タルノ本質二於テハ墓モ私法上ノ権 利義務ト異ルコトナツ」( 229頁) とあり, 一貫してそういう考えがとられている , 56) 美濃部, 前掲 「柵要」 昭和7年, 202頁,. - 25 -.
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