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〈研究ノート〉ロバート・ウォルポールの公債政策 : 減債基金の成果を中心として

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74

〈研究ノート〉

   ロバート

         一減債基金の成果を中心として一

・ウォルポールの公債政策

仙 田 左千夫

 1721年4月,ロバート・ウォルポールは首相に就任した。弱冠44才。それに先立つ10年 間,すでにかれは議員や蔵相として存分の名声を博していた。多くの政敵は死亡または南 海泡沫スキャンダルに連座して姿を消した。それゆえ,以降,1742年2月にいたるまで実 に21年間の長きにわたって政権の座にありつづけたのである。「ウォルポールの時代」と 呼ぶにふさわしい。  ウォルポールの在任中,減債問題とからんでかれ自らが設立した減債基金の運用方法や その有効性をめぐって議論が喧躁をきわめた。1726年,ナサニエル・グールドは減債の事 実を指摘して基金を擁護した。翌年.ウィリアム・プルトネイはこれに反論,残高増加の 事実を示して基金の有効性に疑問を投げかけた。議論は混迷の感を呈したが,その理由の 一つは信頼しうる統計の欠如であった。現に各論者はおのおの独自の数字を羅列して自ら の立論の根拠としている。  小稿においては,主として「議会議事録」の統計によりつつ,かつ,これに最大の信頼 をよせながら,ウォルポール減債基金の有効1生を検討するとともに論者の所説に若干のコ メントを行いたい。 1 ウォルポール時代の長期債発行状況  ウォルポール財政政策の緊急の目的は,南海泡沫の後始未と既存の長短戦時債残高の削 減にあった。関税・消費税・2シリング地租からなる租税収入は,戦時の3分の1に縮少 した約600万ポンドの経常費を賄うに十分であった。この聞にあっても新規債の発行は随 時行われたが,それは低水準におさえることができたし,発行目的も多くの場合,短期債        1) の償還や泡沫事件後の南海会社新負債の償還におくことができた。公債残高削減の要件は  1) Dickson, P, G. M,, The Financial Revolution in England, 196Z p. 205.

(2)

       〈研究ノート〉ロバート・ウォルポールの公債政策  75 存在したといえる。新規債発行の子細はつぎの如くである。(第一表参照)。 1717 1718 1719 1720 Total 2, 913, 383     第一表(2−1) 1717−1720年:長期債発行額

長期債 短期債の長期債化その他債務の長期債化 Tota1

509, 127 5 6 1, 603, 987 8 IYi E 140, 884 6 3% 2, 253, 998 19 10% 437, 801 15 1 2, OOO, OOO O O 2, 437, 801 15 1 110,312 17 4 500,000 O 0 500,000 O 0 272,071 O 5 1,084,790 8 O 117,912 O 0       548,43465妬   585 71  3,134,105工9 3蒐 272,071 O 5 312,000 O 0          12, 069, 949 2  6 12, 654,e?.O 2 11     18 9 17,307,161 5  1 259,381 13 4% 20,479,926 17 2」〈{ (“History of the Ear工ier Years of the Funded Debt, from l694 to 1786”, Parl. PaPers,  Vol. LII, 1898, pp. 18−20.) 1717年 (1)509,127 5 6  〔3Geo. L, c 7〕によりTaliies of Sol.による長期借入。      1716年度経費不足分補填用。     (2)1, 603,98781%  〔3Geo.1., c 7〕によるArmy Debenturesの長期債化。      (一年後〔4Geo.1., c 10〕によって4 %ft期年金公債となる。)     (3)140,884 6 3%  銀行家公債および1711,1712年度富籔公債未払利子の長期債化。    (発行額合計)2, 253,99819工O% /718年(1)437,801151  〔3Geo L, c.7〕によりTallies of So1.による長期借入。      課税期間満了に伴う租税収入不足分捕填用。     (2)2, OeO,00000 〔3 Geo.1., c,8〕による国庫証券のイングランド銀行依存の      長期債化Q    (発行額合計) 2,437,801 15 1 1719年(1)110, 312174  〔5Geo L,c.1〕による無期年金公債。年利5%。経常費不      足分補填用。利払財源は一般基金。     (2)500,000 00  〔5Geo.1,c.3〕による富籔公債。当り籔にのみ年利4%に      飢えて10∼1,000ポンドの割増金を支払う。元利払基金は綜合基金。     (3)500,000 00  〔5Geo. L c,9〕による富籔公債。様式は前者に同じ。     (4)272, 071 05  〔5Geo.1., c 19〕による南海会社資本金増額に伴う新規無期      債544, 142010の半額。(あと半額は次年度)。     (5)1,084,79080 同上法律による1710年度富村年金公債(〔8Anne, c 4〕,32年      満期)の一部94, 329ポンド12シリング(11.5購買年数)を南海会社資本金に転換。     ⑥ 117, 91200 同上法律によるこれが利子1.25年分。     (7)548,43465%  〔6Geo. L, c,17〕によるArmy Debenturesの長期債化。      年利4%。     (8>5857 1 イングランド銀行によるPay Office不星分立替額の長期債化。    (発行額合計)3,134, 105193海

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76 1720年(1)272,07105  〔5Geo.1., c,19〕による南海会社資本金増額に伴う新規無期債     544,142010の残り半額。    (2)312,00000  〔6Geo.1., c. 11〕による新規無期債。利払基金は1ナンスに     つき6ペンスのWrought Plate税。(この中の129,750ポンドは1751年〔23 Geo, fi.,     cc.1&22〕により3%Reducedに併合される。)    (3)12,069,94926  〔6Geo.1., c.4〕により南海会社株式に転換された長期・有     期年金公債。    (発行額合計)12, 654,020211

       

123456789012345678901壌

搬珊珊m翅珊珊照照∬恰闇闇闇闇闇闇塒聡m鋼拠%

    第一表(2−2) 1721−1741年:長期債発行額 長 期 債   短期債の長期債化 その他債務の長期債化 500,000 O 0          99,361 16 O 41,731 19 1%       2, OOO, OOO O O L OOO, OOO O o 1,750,000 O 0 1, 125, OOO O 0  125,000 O 0  800,000 O 0  400,000 O O 600,000 O O 300,000 O O 6, 600, OOO O O 99, 361 16 O 2, 041, 731 19 1% Total  500, OOO  141, 093 2, OOO, OOO    o    o 1, oeo, ooo

   o

1, 750, OOO 1, 125, OOO  125, QOO  800, OOO  400, OOO

   o

   o

   o

 600, OOO

   o

   e

 300, OOO

   o

   o

8, 741, 093

010000000QOOOOOOOOOOO105000000000000QOOOOOO5

 1        1 (“History of the Earller Years of the Funded Debt, from 1694 to 1786”, Parl. PaPers,  Vol. LII, 1898, pp, 20−24,)

1721年500,00000

    山山登用。利払基金は国王の世襲収入。 1722年(1)99, 361160  〔8Geo.1., c 20〕     の未払分の長期債化。 (うち37,82151苑は1751年〔25Geo     ConSolsに併合。)    (2)41,731191%  同上3%利子7ケ年分の長期債化。    (発行額合計) 141, 093151% 〔7Geo. L, c.27〕による新規無期債。年利5%。シヴィル・リスト St. Christopher & St. Nevis Debenturers          皿., c.27〕  脈二よ り 3%

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      〈研究ノート〉ロ・ミート・ウォルポールの公債政策  77 1723年2,000,00000  〔9Geo.1., c. 6〕により先に廃棄された南海株式(7Geo. L, Stat.      2,Sec.2)を復活。 1726年1, OOO,00000  〔12 Geo,1., c 2〕による富籔公債。年利3%。国庫証券償還用。      利払基金は6ペンスPension Duty。(この公債は以後“1726年3%債’として知られ,      1751年の整理統合のさいもConsols, Reducedの何れにも算入されないで,1853年の      償還時(転換をふくむ)まで存続した。) 1728年 1,750,00000  〔1Geo.1., c.8〕によるイングランド銀行無期債。年利4%。南      海株式。国庫証券償還用および1728年度経常費用その他。 1729年 1,125, OOO O O  〔2Geo.9.,c.3〕によるイングランド銀行無期債1, 250,000ポン       ド中の一部。年利4%o南海株式償還用。利払基金は1714年度富籔公債基金の一部。 1730年125,00000 同上の残額。  1731年 SOO,00000  〔4 Geo, II., c.9〕による富籔公債1,200,00Gポンドの一部。年利3      %。1731年度経常費用。利払基金は塩税その他。 (1751年〔25Geo. fi .,27〕により3      %Consolsへ。) 1732年 4eO, OOO O O 同上の残額。ただし年利3.5%。管理は国庫。  1736年 600,00000  〔9Geo 9., c.34〕による無期債。1736年度経常費用。年XU 3%。利      払基金は減債基金。(1751年,3%Consolsへ。)  1739年 300,0GO O O  〔11Geo.互.,c.27〕による無期債。1739年度経常費用。年利3%。      利払基金は減債基金。(1751年,3%Consolsへ。)  1720年の南海計画による新長期債の創出は,当時として,いかに巨額のものであったか が明らかである。公債残高の飛躍的増大をもたらした事実が確認されねばならない。な お,短期債その他負債の「長期債化」は,1723年1こおける南海泡沫の後始未に関する最終 的措置を最後に,それ以降あとを絶っていることを留意しておきたい。       皿 ウォルポーール時代の長期債償還状況       1)  「減漬基金は最初の数年問は主として国庫証券の償還にあてられた」とハーグリーヴス (Hargeaves, L・)はいうが,くわしいことには触れていない。ディクソン(Dickson, P。       2) G.M)の掲げる国庫証券残高の推移によっても,これをしかと追認しえない。 ︶︶

12

Hageaves, L., The National Debt, 1930, p 40. (1716) 1717 1718 1719 1720 1721   国庫証券残高の推移 4, 561, 025 1729 2, 561, 025 1730 2, 561, 025 1731 1, 279, 738 1732 1, 919, 613 1733       1734 1, 919, 913 1735 1, 892, 124 2, 142, 031 1, 615, 2e2  788, 912 1, 545, 278 2, 066, 785 2, 140, 346

(5)

 78       3)  ブリスコ(Brisco, N. A.)は減債基金による「最初の償還は1719年目行われた」とする が,同様に子細について言及していない。  議会議事録によれば減債基金による最初の償還は1723年であって,このときの償還額は 120万ポンドを超えている。長期債に関するかぎりそれ以前における償還の記録は見当ら ない。この間の減債基金がいかなる状態におかれていたか,いま明らかにしえない。「そ の他の方法による償還ないし残高削減」は継続的に行われているが,金額は比較的僅少で ある。償還状況の子細は以下の如くである。(第二表参照。) 1717 1718 1719 172e Total    第二表(3−1) !717−1720年二

減債基金に・る償還 舘戯画図る償還

      34,576 15 9Yi o o o 長期債償還額 10,000 O 0 33,000 O 0 12, geo o 0 34, OOO O 0 13, olo o e 37,090 O 0   280 8 5% 174,857 4 3% 合 計 77,576 15 9」・i 46,900 O O 50,100 O 0   280 8 5% 174,857 4 3% (‘‘History of the Ealier Years of the Funded Debt, from 1694 to 1786”, Parl. PaPers, Vol. LII, 1898, pp. 19−21.) 17/7年(1)34, 765    (2) lo, eoo    (3) 33,000    (償還額合計 1718年(1)12,900    (2) 34,000    (償還額合計 1719年(1)13, 01e 159%  1711,1712年富籔公債および銀行家公債 00  1713年シヴィル・リスト富籔公債 00  1714年富籔公債 77,576 15 9>5) 00  1713年シヴィル・リスト富船公債 00  1714年富籔公債 46, 900 O O ) 00  1713年シヴィル・リスト富籔公f責 1722 1723 1724 1725 1726 1727 1728 1, 919, 913 1, 819, 913 1, 756, 113 1, 470, 013 1, 680, 709 2, 067, 720 2, 453, 065 1736 1737 1738 1739 1740 1741 (1742) 1, 760, 391 2, 369, !75 2, 643, 700 2, 168, 555 2, 241, 400 2, 263, 347 2, 506, 858  (Dickson, P. G. M. The Financial Revolution in England, 1967, pp. 526−27.) 3) Brisco, N. A,, The Economic Policy of Robert WalPole, 1907, p, 40.

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      〈研究ノート〉ロバート・ウォルポールの公債政策  79     (2)37,090 00  1714年富籔公債    (償還額合計 50,100 00) 1720年    280 85%  1711,1712年富籔公債および銀行家公債の南海株式転撫こさい      しての誤差部分    (償還額含計  280 85%)          第二表(3−2) 1721−1728年:長期償還額

       減雌金による償還認惚議齢る償還 合 計

  1721 12, 460 0  0

      7, 040 O 0        13,395 0  0 32,895 O O

  lr,722 12, 550 0  0

      5, 360 O 0        14, OOO O 0       2, OOO, OOO O O 2, 031, 910 O 0

  1723 13, 500 0  0

       82,985 O 0        12, 500 O 0

       1,204,786 3 4」・sl 1,313,771 3 4」5

  1724 13, 770 0  0

        95, 640 O O 113, 015 0 0         235,297 18 4          2,5iO O 0        14, OOO O O 474, 232 18 4

  1725 13, 770 0  0

       11,500 0  0 25,270 O 0

  1726 14, 330 0  0

       soo, ooo o e s14, 330 o 0

  1727 15, 670 0  0

        198,958 8 3         376,704 12 8>/2

        72,559 14 0 663,892 14 11」・{1

  1728 2, 260 0  0

         16,490 1 9          58,300 O 0         543,122 5 e          65, 395 O O 434, 605 e  O          16,768 19 3」・fg

        578,000 O  O 1,714,941 6 O>5

  Total 3,464,533 2 8Y{1 3,306,71e O O 6,771,243 2 8Yfl  (“History oi the Earlier Years of the Funded Debt, from 1694 to 1786,” Parl, PaPers,  Vol. LII, 1898, pp. 21−23.)

(7)

80 1721年     (1) 12, 460     (2) 7, 040     (3) 13, 395    (償還額合計 1722年(1)  12,550     (2) 5, 360     (3) 14, OOO     (4) 2, oeo, ooo    (償還額合計 1723年(1)  13,500     (2) 82, 985     (3) 12, 500     (4) 1,204,786    (償還額合計 1724年 1725年 1726年 (1) 13, 770 1・)(1器1 (3) 235,297   (減債基金) (4) 2, 510  債基金) (5) 14, OOO (償還合計 (1) 13, 770 (2) 11, 500 (償還額合計 (1) 14, 330 (2) 500,000      無期債    (償還額合計 514, 3300 1727年  (1)    15,670   0  0     (2) 198,958 O O      期借入の南海株式非転換分(減債基金)     (3) 376,704 12 8S      債化の南海株式非転換分(393,194     〈4) 72,559 14 O      Nevis Debenturs未払分の長期債化(99,361    (償還額合計663,89214 1728年(1)  2, 260 00     (2) 16, 490 1 9      債化の南海株式非転換分の残部(減{責基金)     (3) 58,300 O O    00 1713年シヴィル・リスト富籔公債    00 1714年富籔公債    00 1719年第2富籔公債の南海株式非転換分  32,895 O O)    00 1713年シヴィル。リスト富籔公債    00 1714年富籔公債    00 1719年始2富籔公債の南海株式非転換分    00  〔7Geo.1., Stat.2〕による南海株式廃棄分  2,031,910 O O)    00 1713年シヴィル・リス1・富籔公債    00 1714年富籔公債    00 1719年第2富籔公債の南海株式非転換分    34% 1711,17!2年富籔公債の南海株式非転換分(減債基金)  1,313,771 3 4Y5)    00 1713年シヴィル・リスト富麗公債    O Q  1714年富籔公債    0 0  1714年出惜公債(減債基金)   184  〔1Geo. L, c.19〕による政府部局債の南海株式非転換分    00  〔5Geo.1.c.1〕による政府部局債の南海株式非転換分(減    00 1719年第2富籔公債の南海株式非転換分 474,232 18 4)    00 1713年シヴィル・リスト心血公債    00 1719年第2富籔公債の南海株式非転換分  25,270 O O)    00 1713年シヴィル・リスト富麗公債    00 1721年〔7Geo. L, c.27〕によるシヴィル・リスb債償還用        e)        1713年シヴィル・リスト富籔公債        1717年〔3Geo.1., c 7〕によりTallies of Sol.による長        1717年〔3Geo.1., c.7〕によるArmy Debenturesの長期       14 5%)の一部(減債基金)        1722年忌SGeo.1., c.20〕によるSt. Christopner&St.        16 0)の一部(減債基金)        119i)        1713年シヴィル・リスト富籔公債        1713年〔3Geo. L, c.7〕によるArmy Debenturesの長期        1719年第正富籔公債の南海株式非転換分

(8)

〈研究ノート〉ロバート。ウォルポールの公債政策  81 (4) 543,122 50 1719年〔6Geo。 L, c.17〕によるArmy Debenturesの長期  債化(548,43465%)の一部(減債基金)

(・)(、ll:19−188膿紐::::§飛圭鶉四四(灘齢)

(6)  16,768193% 1722年〔8Geo.1,c,20〕によるSt. Christopher&St.  Nevis Debentures未払分の長期債化(99,361160)の一部(減債基金) (7> 578,000 00 1709年国庫証券のイングランド銀行無期債化(1,775, 027 17  10%)の一部(減債基金) (償還額含計 1,714, 94160%) 1729 1730 1731 1732 1733 1734 1735 1736 1737 1738 1739 1740 1741 Total   第二表(3−3) 減債基金による償還 1,197,027 17 10」・{f   3, 44s?i   3, 382  500, OOO  725, OOO   1, 065  10, 561  27s, eeo    182 2, OOO, OOO    l48

0700190809

1 1 e e o o 8」6 e ユ% 0 3% 1, ooo, oeo o 0

   17 8 9K

/, ooo, ooo e 0 1,000,000 O O 7,715,8?u7 11 10Y6 1729−1741年:長期債償還額 その他の方法による償還   A ないしは残高削減       口 456 4 2 1,000,000 O O 1, OOO, 456 4 2 計 1,203,852 14 11Y6 ],236,626 IO 8」・{1 275,182 8 1>5 2,eOO,148 9 3%     o o  o 1, OOO, 473     0     0 1, OOO, OOO 1, oog, ooo 1, OOO, OOO     o     o 8, 716, 283

20000000

1 16 11」/4 0 0 0 0 0 e o oJ6 (“History of the Earher Years of the Funded Debt, from 1694 to 1786”, Parl. PaPers  Vol. LII, 1898, pp. 23−25.) 1729年(!)1, 197,027!710% 1709年国庫証券のイングランド銀行無期債化(1,775,02717      10苑)の残部(減債基金)     (2)  3,44210 1 1719年〔6Geo L, c.17〕によるArmy Debenturesの長     期膨化の一部(減債基金)     (3) 3,382 7 O       1722年〔8Geo.1,c.20〕 Nevis Debentures未払分の長期債化(99,36116 々こよるSt. Christopher&SL O)の一部(減債基金)

(9)

 82     (償還額合計 1, 203,8521411%) 1730年(1) 500, 000 00 1718年〔3Geo.1.c.8〕による国庫証券(2, OOO,000ポンド)       のイングランド銀行無期債化の一部(減債基金)     (2) 725, OOO O O  〔3 Geo. H.,16〕によって償還される南海貿易資本(1,0eO,      000ポンド)の一部(減債基金)      (3)  1,065 10 1719年〔6Geo. L, c.17〕によるArmy Debenturesの長      期債化(548,43465%)の一部(減債基金)     (4)  10,561 98% 1722年〔8Geo.1.c.20〕によるSt. Christopher&St.       Nevis Debentures未払分の長期債化(99,36116 G)の一部(減債基金)     (償還額合計 1,236, 626108%) 1731年目(1) 275, 000 00  〔3Geo ll ., c、16〕によって償還される南海貿易資本(1, OOO,       000ポンド)の一部(減債基金)      (2)   182 81% 1719年〔6Geo L, c,17〕によるArmy Debenturesの長       期債化(548,43465%)の一部(減債基金)     (償還額合計 275, 18281!6) 1732年 (1)2, OOO,OOO O O 南海会社資本((4)南海貿易資本1,000,000,(m)旧南海年金1,000,       000) G減債基金)      (2)   148 93% 1719年〔6Geo. L c.17〕によるArmy Detenturesの長       期層化(548,43465%)の一一部(減債基金)     (償還合計 2, OOO,148 9 3%)  1734年(1)1, eOO, OOO O O  〔6 Geo。1., c.25〕による旧南海年金(減債基会)      (2)   17 89% 1719年〔6Geo. L, c 17〕によるArmy Debenturesの長       期債化(548,43465%)の一部(減債基金)      (3)   456 42 同上の残部     (償還額合計 1, OOO,473 1211%)  1737年   1,000,000 00  〔9Geo ll.,c.34〕による新南海年金(減債基金)  1738年   1, OOO, OOO OO  〔10 Geo.!l,, c.17〕による旧南海年金(減債基金)  1739年   1, OOO,000 00 1718年目3 Geo.1., c.8〕による国庫証券(2,000,000)のイ       ソグラソド銀行無期債化の一部  1723年以降20年代後半より30年代初頭にかけては屈辱基金がもっぱら作動し,減債に相 当の成果を挙げたことが明らかである。この間「その他の方法による償還ないしは残高削 減」は行われなくなっている。  30年代半ばから後半にかけては事情が異ってくる。とりわけ!733年以降は南海年金を除 いては償還が行われなくなっている。債権者側の態度の変化,それに伴う「流用」政策の       4) 展開が償還措置を消極化したことが事実によって明らかである。  4) ハミルトンは1717−28年の間における償還額を6,648,000ポンドとしている。 (Hamilton, R.,   An inqzairy concerning the Rise and Progress, the RedemPtion and Management   of the National Debt o∫GTeat Britain,!813, pp,96−97.)因みに,第二表(3−1),

(10)

〈研究ノート〉ロバート・ウォルポールの公債政策  83 ff 債権者側の状況変化  減債基金の初年度(1717年)収入が324,455ポンドであったことについての諸家の見解は      D 一致している。しかし,その後の収入状況についての認識は論者によって異っている。た とえば,ブリスコによれば1717−1726年の10年間における平均収入額は577,614ポンドで  2) ある。これにたいし,・・一グリーヴスのかかげる同じ時期の数字は平均およそ984,700ポ        3)ンドであって,かなりのへだたりがある。だが,いずれにせよその後減債基金は増加の一 途をたどる。1727年夏にはイングランド銀行並びに南海会社依存の公債利子が5%から4       4) %へ引下げられ,377,38!ポンドの節約が可能となって減債基金に繰入れられた。/728年        5) 4∫」8日,下院は麹色基金が年額120万ポンドに到達したことを確認している。  1732年.3%債ははじめて額面価格を回復し,翌1733年の前半には額面をやや上回っ 6) た。この年ウォルポールは減債基金をして経常費(current Servlce)に充当する旨の大胆 な流用政策をはじめて採用した(第IV節参照)。その論拠は巨額に達した減債基金を前にし       7) て「公債権者の態度は完全に変った」とする認識である。曰く。 「いまやかれらにとって        8) は誰が一番先に支払われるかでなくて,誰が一番最後に支払われるかが問題なのだ。」  (3−2)による当該期間の償還額は6,946,100ポンドである。   ブリスコは!719−1727年(ミクルマス)の閥に6,626,4G4ポンドが償還されたとする。同様に,  第二表(3−1),(3−2)による当該期間の償還額は5,106,683ポンドである。また,ブリス  コはこの聞の新規発行額は3,927, 988ポンドとし,それゆえ公債残高の純減少額は2,698,416ポソ  トであったとしている。(Brisco, N. A., Tlte Economie Polic), ofRobert WalPole,1907,  p.4b)囚みに,第一表(2−1)e(2−2)によればこの職こおける新規発行額は,「長期債」  のみであれば3,466,454ポンド,「長期債化」をふくめた全額では15,788,125ポンドである。 1) Hargreves, L., The Nationalエ)ebt,1930, p 24.;Brisco, N. A.,7「勿Econom∫c Policy  of Robert WalPole, 1907, p. 40. ; Sargant, W. L , An APology for Sinfeing Funds, 1868,  p, 34. ; Sinclair, jT., The Eistory of the PubJic Revenue of tlie British EmPire, 1785  −89, Vol, 1, p. 485. 2) Brisco, N. A., ibid., p. 40. 3) Hargreaves, L,ibid,, p 24. & p. 40. 4)Brisco, N, A., ibid., p.61.これに関してハークリ・一一ヴスの掲げる数字は402, 205ポンドであ  って相異を示しているQ (Hargreaves, L, ibid,p40.) 5)Brisco, N. A., ibid., pp.61−62.プライスによればエ727−32年の間における減債基金の『z均  収入額は121万2,000ポンドであった。(Price, R。 Observations o7z Reversionary f)aym.  ents, 1771, Vol. 1, p. 307.) 6) Dickson, P. G. M., The Einanial Revolzttion in England, 1967, p. 210. 7),8)Hargreaves, L, ibid., p.55.!・一グリーヴスは別のところでつぎのようにも表現してい  る。「いまや公債権者間の唯一の競争は,だれもが償還の過程で最後の一人になりたいというこ

(11)

84  こえて1735年Jウォルポールはいう。「減債基金は成三期に達し,その額は年間120万ポ ンドを超える。いまやそれはすべての公債所有者にとって脅威と化した。信用が高度に維 持され,低利が定着し,すべての債券の市場価格は額面価格を上回っている。このような 状況下においては特権会社も個人所有者も早々に元本の償還をうけようとは思わない。減 債基金の作動によって年々100万ポンド相当の貨幣をしぶしぶ受取らなくてはならない,        9) というのが共通の認識となった」と。  かくて,減債基金の経常費への流用策は恒常化のきざしをみせ,議会の関心もこれを 「てこ」とした租税の軽減問題に向けられることになる。 IV 減債基金の流用  減債基金はその設立をゆるした法律〔3Geo.工。c.7〕によって「余剰金は17!5年12月 25日以前に起債された国の債務や負債の元本および利子を支払うために充当・留保もしく       D は利用するものとする。……他のいかなる目的にも使用されてはならない」ことになって いた。しかしながら,減債基金が巨額となるにつれ,その侵蝕すなわち「流用」に関する 財政当局の思惑が生ずる。債権者側の事情の変化がこれを加速する。そして,事実,それ は極めて早い時期に現実化している。すなわち,1722年,法律〔8Geo.エ., c.20〕によ       2) り国庫証券100万ポンド発行のさいにその利払抵当基金として用いられた。ついで1724年, 法律〔10Geo.1., c.20〕により金貨の減価によって生じた国庫の損金補填のため15,144        3) ポンド19シリングが基金から引出された。  とである。」(Hargreaves, L., ibid., p 39,)同じ1733年,一国会議員が郷里の友人達にあてた  手紙(ALetter from a Memb6r of Parliament to his friends in the country)はいう。  「いまや4%債の市場価格は額面価格以上にある。したがって4%南海株式の所有者はひきっづ  きこれを保有すべきである。もし現金で支払を受けても,新投資によって同じ所得をうることは  できないと思われる。」(Dickson, P. G. M., ibid., p.211.) g) Walpole, R., Some Consideraions concerning the Publick Funds, the Publick  Revenues and the Anmial SzaPPIies, 1735, p. 56, in Hargreaves, L,, ibid,, p, 45 &  Dickson, P. G, M, ibid., pp,210−11.ブリスコはいう。「公債権者が償還を好まないのは,  かれらがこれによって,他のいかなる方法によるよりも高い利子を受取っている,という事実に  よる。」 (Brisco, N, A., ibid., p.65.) 1) Hargreaves, L,, The National Debt, 1930, p, 25. 2) Hargreaves, L., ibid., p, 40. ; Brisco, N, A., The Economic PoJicy of Robert WalPole,  1907, p, 62. 3) Hargreaves, L. ibid,, p, 40.;Brisco, N. A., ibid. p. 62.;Grellier, J. J., The History  of the National Debt, 1810, p, 142. ノ

(12)

x 〈研究ノート〉ロバート・ウォルポールの公債政策  85  1727年,決定的ともいえる基金の侵犯がはじまった。同年7月3日,ウォルポールは法 律〔1Geo.皿., c.1〕によりジョージニ世へのシヴィル・リストを年額80万ポンドとし, その不足分10万ポンドを以降毎年,総合基金の余剰すなわち減債基金から繰入れることと  4) した。  1729年,つぎの侵犯が起った。同年ウォルポールは法律〔2Geo.■., c.3〕により125 万ポンドの公債を発行(うち125,000ポンドは翌1730年発行)したが,その利払基金として減       5) 債基金をあてることとし,新税賦課の必要はないものとした。  1730年,間接的形態での基金にたいする侵犯が起った。すなわち,同年,東印度会社依 存公債の利払財源たる血税を廃止しスタンプ税を自由財源としたが,同時に相当分を綜合 基金の余剰すなわち減債基金から支払うこととしたのである。ところが翌1731年,塩税を 復活し,法律〔4Geo.■., c.9〕により新規の証悟公債120万ポンド(うち40万ポンドは翌       6) 1732年に発行)の利払財源としたのである。  1733年,ついに経常費への「流用」がはじまった。「この年以降減債基金は減債のた        7) めの有効手段であることを止めた。」同年2月23日,法律〔6Geo. ll., c,25〕により地租 軽減による経常費不足分補填のため50万ポンド(地租1シリング相当分)が減債基金から     8) 支出された。 4)Hargrea▽es. L, ibid,, pp.40−41.この点について,シヅペン(Mr. Shippen)はいう。「か  かる操作は公債の漸次償還のための神聖な準備金たる減債基金を侵害するものであるQ本来の  目的をはなれて眼前の目的のために基金を転用することは冒濱以外の何物でもない」と。彼にと  っては,尊敬するウォルポールが自ら設立した減債基金を自らの手で破壊することに納得がゆか  ないのである。(Brisco, N. A., ibid., pp’62−63.)かくて1727−1760年にわたる在位中,ジ  ョージニ世は減債基金から396万ポンド以上の支払をうけた。(Sinclair, J., The Hlistory of the  Public Revenzte of the British EmPt’re, 1785−89, Vol. ll ,, pp, 63−64.) 5) この事例はブリスコの指摘するところであるが(Brisco, N, A., ibid., p.63.),ディクソン  (Dickson, P. G. M., The Finαncial Revolzatioz{in England,1967, pp。206−07)も議会  議事録(ttHistory of the Earlier Years of the Funded Debt, from 1694 to 1786”, Parl,  PaPers, Vol. LII,1898, p,22.)もこのような叙述をあたえていない。 6)Dickson, P. G. M, ibid., pp.206−07.;Brisco, N, A., ibid., p.63.この点についてハーグ  リーヴスは異る叙述をしている。「ウオルポールは二年後の1732年に塩税を復活し,これを利払  財源として5G万ポンドの新規長期債を発行した」と。(Hargreaves, L., ibid,, p.44.)ハミル  トソも同様主旨のことを云っている。 (Hamilton, R., An fnguiry concerning the Rise  and Progress, the RedemPtion and Present State, and the Management of the  National Debt of Great Britain, 1813, p, 97.) 7) Hargreaves, L., ibib., p, 47. 8)地租は1727年ポンド当り2シリγグから4シリングに引上げられたQ時の政府は地租と棄芽梯

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 86  翌1734年にも同じく経常費不足補填のために120万ポンドが減債基金から支払われた 〔7Geo.」., c.12〕。1735年にはさらに100万ポンドが流用された〔8 Geo.■。 c,11〕。 以降,1738年には150万ポンド〔1!Geo.∬., c,27〕。1739年には50万ポンド〔12 Geo.1[ ., c.19〕。1740年には100万ポンド〔13Geo.∬,c.23〕。1741年には100万ポンド〔14 Geo.        9) ff・, c.41〕。合計670万ポンド。  さらに減債基金を利払基金とする新規起債が行われた。1736年に60万ポンド〔9Geo.1L, c.34〕。1739年に30万ポンド〔11Geo IL, c.27〕。1742年に80万ポンド〔!5&16 Geo.        10) ■・,c.19〕。合計/70万ポンド。 む  す  び  1726年,ナサニエル・グールド(Nathaniel Gould)は一著を世に問うて,1717一ユ724 年の間に公債残高は2,106,149ポンドだけ減少していると主張し,ウォルポール減債基金       t) の有効性を是認せんとした。第三表(2−!),(2−2)からこの立論ははなはだ無理で あることが明らかである。  1727年,ウ■リアム・プルbネイ (William Pulteney)は同じく一著を送り,1716− !725年の問に公債残高は770万ポンド増加しており,減債基金はなんら有効な機能を演じ         2) ていないと論断した。第三表はこの結論部分にのみ同意を与えるもののごとくであるが, 数字には著しい運庭がある。  を除いては他に自由な財源を持ちあわせず,しかもこの両税とて平時においてすら財政需要を賄  うに十分ではなかった。追加的財政需要を充たすためにはこれら両税の税率引上げをもって対処  した。しかるに地租の引上げは地主層の反擾を招く。翌1728年,ウォルポールははやくも地租を  ポンド当り三シリングに引下げた。ついで1730年にはニシリングに,1731年には一シリングに下  落させた。地租一シリングの引下げは約50万ポンドの減収を意味した。これを埋め合わせる最:も  簡便な方法は減債基金の一部を流用することであった。(cf. Hargreaves, L,ibid., pp.40−  41; Grellier, J,, ibid., p. 175,) 9) Sargant, W, L, An APology for Sinfeing Funds, 1868, p. 34.; Hargreaves, L, ibid.,  pp. 40−41. & pp, 44−46 ; Brisco, N. A., ibid., pp. 67−68, & p. 70.; Hamilton, R., ibid,,  p, 97. 10)1750年,さらに100万ポンドが同様手法で借入られている。(“History of the Earlier Years”..  ibid., p 26)。なおブリスコによれば同期間におけるこの種の借入額はやや異って180万ポンド  としている。1736年一60万ポンド。1738年一50万ポンド。1739年一50万ポンド。1740年一20万ポ  ソド。合計180万ポンド。(Brisce, N. A ibid., p.70) 1) Gould, N., An Essay on the Pzablicle Debts of lhis Kingdom, 1726, p 25. 2) Pulteney, W,, A State of the National Debt, 1727, p, 7.

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(1716) 1717 17工8 1719 1720 Total 〈研究ノート〉ロバート・ウォルポールの公債政策  87    第三表(2−1)

 起債合計

2,253,998 19 10% 2, 437, 801 15 1 3,134,105 19 3>c1 12,654,020 2 11 20,479,926 17 2% 1717−1720年;長期債動態

償還合計

77,576 15 9」・E( 46, 900 O O so. leo o 0

 280 8 5%

!74,857 4 3

 未償還残高

29,493,388 1 4>{1 31,669,810 5 5% 34,060,712 O 6% 37, 144, 717 19 10% 49,698,457 14 3Y{1 (“History of the Earlier Years of the Funded Debt, from 1694 to 1786”, Parg PaPers, Vol. LII, 1898, pp 19−21)        第三表(2−2)

     起 虞合計

      エ

ー23456789012345678901由

田川翅隅田田田川州瑠照照田田瑠瑠瑠備備自照賢

 500, OOO  141, 093 2, eoo, oeo

   e

   e

1, OOO, OOO

   o

1, 750, OOO 1, 125, OOO  12s, oeo  seo, eoo  400, OOO

   o

   o

   e

 600, OOO

   o

   o

 .300, OOO

   o

   o

8, 741. e93

050000GOOOOOOOOOOOOOO5

 1        1[

 %      %

0100000000000000000001

ユ721−1741年:長期債動態

償還合計

 32, 895 2, 031, 910 1, 3. 13, 771  474, 232  ?“5, 270  514, 330  663, 892 1, 714, 941 1, 203, 852 1, 236, 625  ?“75, 182 2, OOO, 148     0 1, eOO, 473     0     0 1, ooo, eoo 1, OOO, OOO 1, OOO, OOO     o     o 15, 487, 526

  %   %嬉%渥%妬 翅

004400110U813011000000

O Qゾ

0031800146141089012⑪

n︶ 0 0

OGO18

木損:遍伐尚 50, 265, 56?u 48, 374, 746 49, 060, 975 48, 586, 742 48, 561, 472 49, 047, 142 48, 383, 249 48, 418, 308 48, 339, 455 47, 227, 829 47, 75.?., 646 46, 152, 498 46, 15.P., 498 45, 152, 024 45, 152, 024 45, 752, 024 44, 752, O.?.4 43, 752, 024 43, 052, 024 43, 052, 024 43, 052, 024

%%翅%%%%翅%翅%

340888888007

      1

 %%%%%%%%

777777777

14

X677712611112331010101010101010

(“History of the Earlier Years of the Funded Debt, from 1694 to 1786”, Parl PaPers, Vol. LII, 1898, pp. 21−25)  1728年(1月23日)召集のイギリス議会はウォルポール与党優勢のうちに幕をあけた。 2月22日,ウォルポールはレポートを提出し,1716−1728年(2月)の間に公憤残高は約       3) 270万ポンド滅少したとして.滅債基金の有効性を誇示した。2月28日,プルトネイは自  3) Hargreaves, L, The IVational D. ebt, 1930, p. 39.

(15)

 88 らの著作での立論を根拠にウォルポールの減債基金を論難したが,越えて3月4日,投票       4) の結果,243対77でウォルポールは信認され減債基金は擁護された。しかしながら,第三 表はウォルポールの主張が事実と相異していることを語っているように思われる。  以上の事例は1720年の南海計画による負債創出の事実を正しく位置づけていないことか ら生ずる混乱である。前例のない巨:額の無期債の出現によって,公債残高は飛躍的に増加 したのである。それゆえ,安易に減少を云々することは事実に反する。  ウォルポール減債基金の評価は彼の首相就任前とそれ以後とを区別して行うことが必要 である。首相就任は新南海負癖出現以後である。首相としての船出は5,000万ポンドを超 える公債残高とともにあったのである。  これを要するに,ウォルポール首相在任中の減債の成果は.その流用政策にもかかわら       5) ず奏功したとせねばならない。すなわち,新規発行額8,741,093151%にたいし償還額        6) は15,487, 526189であるから,差引き6,746,43337%だけ減少していることになる。        (1981, 2, 8.)

︶︶︶

45ρ0

Dictionary of IVational BiograPhy, Vol. XVI, p. 473 ; Vol. XX, p, 648. Dickson, P. G. M., The Financial Revolu彦ion勿England,1967, p.209. ウォルポー・ル首相在任中の償還額を負債の種類別に示せば以下の如くなる。

     負債種類      償還年度  償 還

1’ ?C株式非転換分(1720)       1721−28  2,560,792 2 南海株式廃棄分      1721    2,000, OOO 3 シヴィル・リスト債全額(1721)        1726     500,000       ネ4 St Christophers St, Nevis Debenturesの一部 1727−30   103, 272 5 陸軍証券全額(1719)      1728−34   548,434 6 南海株式,新旧南海年金      1728−38   6,500, OOO 7 イングランド銀行無期債       1728−39  3,275,027   Tota1       15, 487,526 践額37,82151%は,1751年3%Consols.へ吸収(25 Geo. ll., c.27)

400

06078

1   

11

額 5 0 0 0 5」6 0 10Y6 9 〈Cf. Dickson, ?. G. M,, The Financial Revolution in England, 1967, p. 210, Table 24.)

参照

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