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保険関係の経済的構造

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保険関係の経済的構造

西

一  既にいろいろの機会に明らかにしたように、保険の本質は特殊の資本的機構にあり、しかもその機構は、契約上保険者 たるところの保険企業によって支えられる。この資本的機構は、保険企業にとっては、保険料の牧入と保険金の支出と に、表現せられるのである。  ところでこの牧支の均衡は、もともと偶然にさらされ、したがって保険企業に於いては、保険金の支払いに充分な保険 料の牧入を、つねに確保することが企てられる。そこに、この保険企業にとっては、企業危険︵げqω冒①。。。。ユ降︶が存在する のである。ここに於いて保険企業は、条件をひとしくする多数の加入者について、全体として大数法則の適用のもとに、 一定の保険金に対する保険料、すなわち保険料率の算定を精確ならしめる。このような貨幣的操作が、保険の技術過程を 形づくることになる。  かくして保険の機構にあっては、保険料と保険金との単磁の両面に於いて、偶然の支配を受ける。すなわち、この偶然 は、具体的に、保険事件と、保険料払込義務を終了せしめる事件との、いずれかもしくは双方に現われるのである。そし てこの偶然事件が、何びとについて起るかという人格に着目して、その人が被保険者と名づけられる。      保険関係の経済的構造      一

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     保険関係の経済的構造       二  もともと保険契約は、当事者たる保険者と契約者との間の双務給付の関係である。この給付が、法律的に有効に成立す るについては、特定の人格の存在を前提とし、これらのひとびとが、保険契約の関係者と名づけられる。いわば契約関係 者は、契約当事者が保険契約の形式的構成者たるに対して、その内容的構成者であるといえる。ここでとくに内容的構成 者というのは、右の給付関係が、単に給付そのことの行為としてではなく、契約としてて特別の性格を持つためには、そ の存在が必要とせられる、という意味である。  保険の契約関係のうち、保険金受取人は、すべての保険に不可欠ではない。ただ損害保険にあっては、彼は被保険者そ の人となる。したがって、保険一般を通じて実質的に問題となるのは、被保険者であるといえる。その場合に被保険者は、 生命保険にあっては、保険事件の発生すべき人を、そして損害保険にあっては、いわゆる被保険利益の主体を指すと、そ れぞれ老えられているのである。  ところで、この被保険利益の概念は、つねに明確であるとはいえない。あるいは保険の目的︵<①鼠。﹃臼量σqω。εΦぎ︶その ものを指し︵区。Φ巳αq’をこくゆ邑。冨同§σqω︻①。算一8c。”ω.㎝繰h.︶あるいはこの目的につきその主体が持つところの、価値関係 もしくは経済的処分関係、と考えられている ︵国記魯び興σq、く;<霞ω8冨毎口σq興Φ。プ計一。。O⊆。・ω﹄c。ひ”芝σ旨Φひ○こ≧一σq①8①冒① <興。。8冨賢づαqω冨冨ρ一〇悼Pω.一〇℃準鋤.︶。その場合には被保険利益は保険の対象であり、目的ではないとせられる︵芝σ﹃器さ 四.pOこωuc。01一︶。この被保険利益を一種の関係財とする見解は、今日最も支配的と考えられるが、それにあっては、被 保険利益は、具体的に、保険事件の発生によって保険金を請求し得る期待権、もしくは財産権であり、さらに進んで、財 産に対する利用利益たるものとせられる︵餌pO︶。 この期待権が、経済学的用語のもとに、商品説という、すぐれては いるが根本的な謬見を生むことは、既に述べたところである︵本誌、二六号その他︶。  このように、保険契約に於いて被保険利益が考えられるということは、他面から見ると、それが何らかの点で偶然性を

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持ち、したがって、契約の当事者に危険負担をなさしむべき、評価し得べぎ財たることを意味する。それは、やがて偶然 事件を損害の概念に結びつけることとなり︵国ず村①口ぴφ﹃ひq鴇 笛・ 僧.○・︶、 その意味で被保険利益は、危険の概念を離れ得ないの である。このような被保険利益の主体こそ、被保険者にほかならない。・つまり被保険者は、本来偶然もしくは損害を前提 としてのみ、その性格が明らかにせられることとなる。  ところが生命保険では、この考え方は当てはまらない。もっとも、ここにも人格上の損害という概念を導入する見解が ないわけではないが︵<αq﹁囚齢すここく①琶6ゲ醇巨α。。。器。9じdα・ρ≡o匂ω・8ひ︶、それは明らかに、精神上の慰安を物質⊥の 損害墳補と混同した結果である︵小島昌太郎、綜合保険学、三四一頁︶。いまは、 詳しくこれに触れない。そこでは被保険者 は、単純に、偶然事件の発生すべきそ㊨人というほかなくなる。その場合でも、なお、偶然事件と保険事件とは実質的に 同じものとして、無条件に考えられているのである。 二  ところで、保険の法律的考察に於いては、この点についての反省は、余りなされていない。まことに奇妙ではあるが、 事実はそうである。しかし、私見によれば、およそある現象が、法律的観点から考察せられるか、経済学的にとり上げら れるかは、もとよりその対象の性格によって定まるにしても、むしろ、その学問が拠るところの立場の相違にもとつく。 経済学的考察に於いては、保険という現象は、保険企業と、これをめぐる加入老とによって形づくられるところの、経済 的機構としてとり上げられ、それが保険の本質をなすものであるが、いま法律的考察では、それを形式的に、保険者と契 約者との双務給付の関係と見るのである。、  さて、右に述べた被保険者と被保険利益との関連は、経済学的には、加入者に於ける保険の効用そのことにほかならな      保険関係の経済的構造       ・       三

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     保険関係の経済的構造      諾 い。この効用を可能ならしめる抜術は、多数の加入者から成る保険の機構によって実現せられ、それの主体が、保険者た る保険企業を指すのである。このような加入者と保険企業との一体としての結びつぎは、法律的には、保険者と契約者と の間の、個々の対立として現われるであろう。いまこの対立に於いて、当事者の一方たる契約者について、被保険者が考 察せられ、進んで被保険利益が問題とぜられるのである。  このように考えて来ると、損害や危険に直接結びつくと見られる、被保険者や被保険利益の概念は、経済的本質たる保 険機構、とくにそれを人格的関係の立場から名づけられる保険関係にとっては、必ずしも本質的なものとはいえない。つ まり保険者を、いわゆる被保険利益の主体と考えたり、彼に於ける保険の目的や、それについて成立する利害関係を問題 とすることは、むしろ経済学的老察の本筋から外れているといえる。  既に触れたように、法律的考察のもとでは、被保険者は、保険事件が発生すべき人、もしくは被保険利益の主体である が、その意味で、危険をはらむその人である。しかるに経済学的考察のもとでは、この関係は問題ではなく、その危険は、 むしろ保険企業の立場からは、保険金支払いの責任を果すべき事件、進んでいえば、保険金支払いの可能性を意味するこ ととならざるを得ない。したがって、ここでは、必ずしも偶然の要素を含むとは見がたいのである。  いまわれわれが、あらゆる種類の保険を通じて観察するとき、保険金の支払いは、もとより多くの場合偶然にもとつく が、必然事件によってもひき起される。そして他方では、保険料の受販りの終了が、偶然によることも必然によることも ある。後者の顕著な例を、いわゆる確定日払保険︵日①きヨ<①邑9巽§ひq︶に見出すことができる。そこでは、被保険者の概 念は、根本的に変えられざるを得ないであろう。いまは詳しくは触れない。  このように、偶然が、保険金の側に現われようとも、保険料の側に現われようとも、保険企業にとっては、保険料と保 険金との交流の機構は、偶然なくして成立しない。この機構に於いて、偶然事件の発現する人が、いうところの被保険者

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にほかならぬのである。  しかるに法律的考察のもとでは、被保険者と危険との概念は、実は保険契約者の側からとり上げられ、したがって、い わゆる保険の効用に着目していると逢えられる。その場合には、彼が保険契約上持つところの利害関係が、問題とならざ るを得ないのである。そしてその関係が、まさしく被保険利益と老えられている。ただその利益関係が、何について生ず るかという点に着目するとき、それが保険の目的と名づけられる。  このように、法律的考察で、保険の目的を問題とすることは、それが損害の概念に結びついた結果である。この考えの もとでは、被保険利益は、損害発生のいわば媒体とせられる︵たとえば、加藤由作、被保険刹益の構造、三九頁︶。 つまり被保 険利益は、保険の目的について偶然事件が発生した場合に、これを経済学上の概念としての損害に導くところの、媒介を なすと老えられている。  この見解によると、保険の目的が、被保険利益を媒体として損害を具体化し、その損害が、保険金によって墳補せられ ることになる。いま損害が保険金によって墳即せられるということは、既に、保険の目的が金銭的に評価されることを意 味し、し允がって被保険利益が、評価し給べぎ利害関係として、価値関係を指、している︵<∞qピ国溺惑署魚σq℃︾こζ。窪興ロ① 国箕a。匹旨σQωげ①ωヰΦゴロσq雪巨図①。巨紆ω<巽。・一号①円琶σq。・<¢﹃欝σq・・℃一露α︾ω・旨馴加藤、前掲︶。 この点で被保険利益が、保険の目 的そのものと一般に解せられる︵ζ巷①。・℃︾こく①邑筈禽§σQω壽ω①p田鼠b一蕊Pω.遭⋮国冨①震≦蝕αqbpρ○●ω.鱒。。o.︶。  さてここに注意すべきは、このような保険の目的は、損害保険では不可欠ではあるが、生命保険ではこれを考え得ない。 これについては、生命﹁保険の場合にも、既に触れたように、保険の目的が人の生命そのものであると、考えられることが ある。しかしこのことは、およそ人の生命が、もともと金銭的に評価し得るとした謬見にすぎぬこと、もはやいうまでも ない。      保険関係の経済的構造       五

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     保険関係の経済的溝造      六  このように見ると、単に損害保険のみならず、生命保険をも含めてひろく保険をとり上げる場合に、被保険者を被保険 利益の主体とすることは許されがたいであろう。これは、保険を効用の側からのみ説明することが、本質的に不可能であ るという、何よりの左証である。保険の本質は、あくまでこれを経済的機構として理解すべく、その場合には、この効用 の他面たる保険の技術過程を、進んで明らかにせねばならないのである。 三  かく見て来ると、被保険者は、経済学的概念として修正せられなければならぬし、それは、法律的概念のそれと根本的 に異ること、また当然である。そこでわれわれは、いま用語上の混同をさけるために、経済学的には、これを単に加入者 (凶甯?ォ。①び爵臼︶と呼び、被保険者の呼称を、もっぱら法律的にのみ限ることが、むしろ適当と考える。ただこの加入者 を、文字通りぎωロ雷昌。Φぴ口遣手と解すると、保険を商品として考察し、したがって相手方たる保険企業を、この商品の販 売者と見ることになるが、いまは、その意味でこれを用いていないこと勿論である。  この加入者は、保険契約の立場から見ると、いうまでもなくまず契約者であるが、それがまた、法律的概念としての被 保険者たることがあろう。しかし、いまはそのことが問題ではない。保険企業は、彼と、このような多数の加入者との結 びつきに於いて、保険料と保険金との交流の機構を支えることになる。  この保険企業が、法律的概念としての保険者であることは、いうまでもない。法律的解釈による保険契約は、この保険 者と契約者との間の、相互給付の関係とせられるのである。ただこの関係の内容に立入ると、被保険者や被保険利益の概 念が成立する。ところで、経済的概念としての加入者が、法律的概念としての契約者たるか被保険者たるかは、問題外で ある。これは、一見理論のあいまいを意味するようであるが、実は決してそうではない。

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 そもそも、保険が経済学として問題にせられる点は、貨幣、とくに資本としての保険料と保険金との、交流そのことで ある。いまその交流が、特殊の形をもって行われる点で、その機構が、私に於いては、保険の本質と考えられる。ただ、 この機構が保険企業によって支られ、かっこの企業をめぐる多数のひとびとによって構成せられるという点で、これを保 険関係として理解するのである。  本質としての機構は、資金の交流という、いわば実体に着目した概念であるが、いまこの交流に参与する人の結びつぎ という、いわば形式に着目するとぎ、その機構が、保険関係として老えられる。そしてその場合にも、着目点に実体と形 式との差はあれ、いずれも経済学的老察たるを失うものではない。  しかし法律的老察のもとでは、本質としての経済的機構を意味する右の保険関係は、個別的な人の関係として捉えられ ている。それが保険契約である。ここに於いて、個々の保険契約が全体として保険関係を形づくる、と見ることができよ う。いま、このようにいえばとて、前者の集合が直ちに後者を意味するのではない。それは、全く立場を異にする観察の 結果である。したがって、同じ.ことがらも、これを法律的に保険契約として見る場合と、経済学的に保険関係と見る場合 とば、それぞれ意味が異るこというまでもない。  それゆえに、法律的概念として契約者たる人、もしくは被保険者たる人が、保険籾と保険金との授受の関係に置かれる という抜術的側面に於いて、彼が目指すところの経済生活の確保がなされるという点に着目して、経済学的に、加入者と 名づけられるのである。この加入者が、法律的考察のもとで、契約者ならびに被保険者として、同一人たるか別入たるか は、いまは問題でない。  その結果として、この加入者が保険に於いて持つところの被保険利益も、この場合の診察としては全く別のことになる。 法律的概念としての保険金受取.人についても、また同様のことがいい得られよう。この加入者が、現実に保険料を払込む      保険関係の経済的構造       .七

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     保険関係の経済的構造      八 人たるか、保険金を受取る入たるか、さらにまた、保険に於いてどのような利害関係を持つかを問題とするのは、私見に よれば、既に法律的に、契約そのものの内容をとり上げたことにほかならない。  いま保険契約は、このような内容を持つところの、給付の双務関係という形式的結合である。その場合に、この形式に 参与する人が、保険の当事者と名づけられ、これに対して内容に参与する入が、契約関係者と呼ばれる。保険関係は、こ れらの契約当事者と関係者によって形づくられ.るところの、全体としての結びつきであり、そこに於いて、経済学的に成 立するところの、資金交流という実体に対して、それを形式的に観察したものと見ることができる。  ところでここに注意すべぎは、右の如く考えるからといって、保険を契約として見ることそのことを、もとより誤りと するわけではない。ただ保険の本質を機構に求め、とくにこれを保険関係として捉えるところの経済学的考察と、これを 契約として観察するところの法律的考察とは、考察の性質を異にするというにとどまる。その場合に、被保険者につい て、ももともと法律的概念を持つものから、経済学的概念にこれを修正するとせば、それは、保険料の払込みと保険金の 受取りとのいずれを問わず、保険の機構に偶然が発生すべき、加入者と見るほかはない。ここに於いて、保険関係は、こ の多数の加入者と、彼らがとりまくところの保険企業との間の結びつきとして、理解せられるのである。  保険関係のこのような構造から見れば、被保険者を被保険利益の主体とすることも、また、彼について保険の目的を考 えることも、全く不必要なことといえる。ここに必要なことは、いわば形式としての保険関係を、いわば実体的に機構と して成立せしむべぎ、保険料と保険金との、資金の交流そのことである。  もとよりζの資金交流は、加入者の側では、その経済生活の確保に起因し、また彼らの生活確保の意図が、彼らにとり まかれた保険企業の操作によって、実現せられることになる。いま前者の考察が保険の効用を、後者の考察が保険の技術 をそれぞれ意味する。それを明らかにすることが、私に於いて保険の本質論を形づくるのである。

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6 四  右で明らかなように、保険関係は、本質としての保険の機構を形づくる基礎であり、また、資金交流の実体を盛るべき 形式でもある。これをとくに形式というのは、この機構を形づくるところの、保険企業と加入者との結びつきという点に 着目してのことである。いまこの結びつきについて、保険企業を問題とすることなく、もっぱら加入者のみをとり上げて、 彼らの人格的結合に着目するとき、社会学的考察としての保険の集団性が成立するであろう。すなわち保険団体である。 これについては、既に数回にわたって触れるところがあった︵本誌、第三五・三八・四五号その他︶。  ところが、これに対して法律的考察は、この結びつきを個別的に、保険者と保険契約者との間の、給付の双務関係とし て捉え、この関係の内容をなすものとして、保険金受取人・被保険者・被保険利益などを問題とする。このような考察か ら、保険契約の概念が成立するのである。  さて、保険に関する右のような経済学的・社会学的ならびに法律的の三種類の考察は、その対象に於いて異るというよ りは、考察そのものの立場に於いて異るのであるから、それぞれの理論がたがいに関連し、実質的に影響を受けること、 また当然であろう。ただ私見としては、保険の本質は、あくまで経済学的老察によってのみ明らかにせられ、それを機構 と見るという限りに於いて、これと社会学的ならびに法律的考察との区別を、明らかにしょうと試みたのである。  この社会学的考察のうちには、 保険の協同社会的性格を強調する有力な見解があることは、既に触れた︵前掲、第三八 号︶。この見解にあっては、加入者が保険団体に対して持つ存在は、いわば部分構成体が、全体としての構成体に奉仕する という観念のもとに於いてのみ、考え得られるとする。そしてこの考え方が、法律的老察に於いて、保険契約そのものに も反映して、契約の非任意性が問題Zせられることがある。

     保険関係の経済的構造       ,九

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     保険関係の経済的構造       一〇  いま非任意性を問題とする見解では、保険契約に於いて、契約自由もしくは方式自由がかつて説かれたのは誤りであり、 国民生活は、つねに公益に合致すべきことが要求せられる、と主張する︵たとえば野津務、保険契約法論︶。’もとより、従来 とても、公序良俗に反する保険契約は、もともと無効とせられたが、その公益概念の内容については、社会的推移が多分 に認められるというのである。いわゆる保険法の厳絡性も、またこの点から論じられなければならなくなる︵前掲、一九頁 以下。同氏、保険法に於ける信義誠実の原則、一四四頁以下参照︶。  いったい、社会学的考察に於いて、保険集団の協同社会的性格を強調する見解は、現実の構造分析を保険団体について 試みるというよりは、むしろ当為的観察の立場で、いわば政策的目的を帯びて、さらに進んでいえば、その理想型として の性格を論じたのである。しかるにその傾向が、右の法律的考察に於いても、またこれを窺うことができる。  われわれは、今日、保険に関して法律的規定が示す範囲では、保険契約は、もともと任意の契約としてこれを理解し、 とくに公益に反すると認められる場合のほかは、右の一般的法律規定は、個々の契約をもって、任意にこれを変更するこ とを妨げないのである。その場合に、とくに契約の非任意性を問題とするのは、現実の法的秩序を分析するというより は、むしろ立法的立場の理論に傾くといい得る。  保険に於いて、契約の任意性が否定せられるのは、私見によれば、保険の、抜術的基礎に着目して、被保険者が形づくる いわゆる危険団体の、正常な構成の維持という点にのみ捉われた結果である。いうまでもなく、保険の効用は、特定の技 術過程によって満足せしめられ、個々の保険契約は、たしかに一面では、ここに成立の基礎を持っている。このような点 から、保険企業は、この技術の運用担当者として、一定の条件を加入者に求めるであろう。この条件の基本的なものが、 保険契約者に於いては、いわゆる信義誠実︵下話ロ⊆民9磐ぴ窪︶の原則として考えられるのである︵Ω①Φ<①。。鴇O.F響三①〒 ﹃臼σq頴こ園①o窪ωω。ゲロ雪除①。。く①目ω言げ葭8p一〇ωドω二ひ℃刈O℃三α⋮寓蓉ドρ閃こ〇一①即Φ。げ箭箕①oず§αqαoω幻蝕。プ。・﹃q①艮。窪ωQ無α①ヨO①甑葺¢

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餌Φ。。<①邑畠曾§σqω器畠童bd価二=29ω●謹第拝節’︶。  しかし、この信義誠実の原則は、保険契約に於いてのみとなえられるべではない。およそ法律が、社会生活に於ける行 為の限界を定めるとすれば、この信義誠実ということ、したがって、行為の主体に善意が存在すべきことは、法のすべて の領域に妥当すべき、いわば高次の原則である。この原則が、保険契約にあっては、いわゆる保険誠実︵>qロ匂Q①パq聴ロコN帥HΦ二︶ として、告知義務︵O①匿昌N翼δ塁勺告。ぼ︶の形に於いて、契約者に要求せられるにすぎない。  かくしてこの告知義務は、保険関係としての保険機構を成立せしめるための、技術的な基礎をなすものとなる。すなわ ち、保険者たる保険企業は、いわゆる保険要素の同質性の原則︵9§鎚。。勉貯野壷国。日。αqΦ昏酔葺伽。ψく①邑9①讐鱈も・げΦ。。無難窃︶に よるところの、危険の測定を精確にし、保険料と保険金.との総額に於ける均衡という技術的基礎に立って、契約者たる加 入者との間に、いわば取引を行う。それが保険契約である。この危険測定が充分であり得るため、告知義務が要求せられ、 それによって、危険団体の正常な構成が期待される。 五  さて保険の給付、すなわち保険金の支払いが妥当になされるためには、個々の、しかも多数の保険契約について、一様 に、右の技術的基礎が必要とせられる。そこで、保険契約の締結に当っては、保険者に於いて、まずその内容を定め、契 約者が、これに対して包括的承諾を与える、という方法がとられるのが常である。いわゆる保険約款これである。このよ うな、契約者に於ける拘束の関係を説明するため、保険契約は、しばしば付合契約︵8巨箪叶輿巴げ㊦忽。ロ︶であると考えられ ている。  しかし、われわれは、このことから直ちに、保険契約の非任意性を導き出すことができるであろうか。私見によれば、      保険関係の経済的構造      一一

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     保険関係の経済的構造       一二 保険契約がいわゆる付合契約であり、契約者に於いて、実質的に包括的な承諾が与えられ、彼自身の意志が完全に働き得 ないにしても、それは、単に、契約の有効な成立についての、保険者と契約者との間の、社会的な勢力関係にすぎないと いえる。進んで卜えると、この勢力関係のもとに、契約者が、この契約を選ぶに当っての創意は、これを妨げ得ないはず である。この場合は、いわば保険の要素に対する契約者の発言権が少い、というにとどまる。  このような事情は、ひとり保険契約にのみ限られない。それは、根本的には、今日の経済組織を支える常則であるとい える。もろもろの取引は、もとより需要と供給との結びつきであるが、しかもそれは、供給の側から規制される。もよよ り、最終的には、需要の側からの修正が働くにしても、まず供給の側からの申出によって、それが成立する。その供給に 於いて、もろもろの産業部門に、それぞれの企業経営が見られるのである。  かくして国民経済は、もろもろの企業によって支えられる。そして、それらの企業経営を支えるものは、それぞれ固有 の技術過程にほかならない。その意味で、企業は、それぞれの技術過程に必然的に要求せられる生産費が、個々の価格の 成立について、根源的に働くのである。いま、保険契約をいわば取引と老えるならば、保険料は、それに於ける価格と見 られること、改めていうまでもない。保険商品説の理論的当否は、いまは問題の外に置かれる。  この場合に、右の生産費は、それぞれの技術過程に於ける諸要素が、これを決定する。需要は、供給を通して、価格の 形で、それを受け入れるかどうかを、みずから定めるであろう。供給に対する需要の側からの修正は、その点に見られる ことである。この修正についてのいわば弾力性が、公共事業や独占的諸産業に於いて小さいこと、改めていうまでもない。 保険に於ける付合契約というのは、このような事情の一つの表現と考えられるべきである。  重ねていえぽ、契約の付合性が、鉄道運送やガス・電気の供給契約に於いて顕著であることは、もとよりこれら事業の 公共性に由来するが、むしろ経済的に、企業の経営が、資本的に大規模に行われ、したがって独占性を多分に有すること

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に原因する、と考えられる。この経済的事情が、個々、の契約に反映して、契約の付合性が認められるにすぎないのである。 その場合に、われわれは、契約の非任意性ということを、無前提的に是認することはでぎないであろう。保険事業も、ま たこれから漏れるものではない。  ところで、保険にあっては、その供給の側に於いて、さらに特殊の技術過程が、右の事情に加わる。保険の技術が、も ともと大数の法則という数学的基礎の上に成り立ち、一方では保険集団の無限の拡大が、他方では危険の同一性が、本来 的に要求せられる。保険料の合理的な算定は、その上にのみ可能なことである。  もとよりこの要求は、いわゆる危険の混合という形で、具体的に満足せられるということが、全くないわけではない。 しかしその場合でも、危険の同一性という原則は、根本的には貫かれている。保険の経営が組織的となり、危険の種類が 大となれば、むしろこの原則は、さらに強く意識せられるというべきである。たとい危険の混合が現実に行われ、いくつ かの保険が兼営せられることがあっても、それは、他の事業に見られるような製品の分化や、他の業種の兼営とは、同一 に論ぜられるべぎことではない。  一般に、製品の分化や長点の兼営は、利潤の源泉を増加し、これを確保しようとする努力としてなされる。それは、技 術的に直接に連関し、その点で転換の容易な過程にまず現われ、次第に他の過程に及ぼされる。そしてそれらめ過程は、 企業として最大の利潤を実現し得るように綜合されるのである。しかもこの場合には、それぞれの技術過程の単位につい てのみならず、さらにそれらを綜合する企業として、この最大の利潤を挙げるべぎ最適の規模への接近が、つねに企てら れる。  いま保険に於いては、この最適規模についての観念は、どうであろうか。一般の産業では、一定の技術水準を予想する 限り、経営は、規模が大きくなるほど有利であると考えられる。最適規模もまた、この関係に於いて、おのずから決定せ      保険関係の経済的構造      二ご

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     保険関係の経済的構造       一四 られるであろう。しかるに、保険にはこのことが全くない。保険は、いわば多々ますます弁ずるものとして、その規模は 無限に拡大される、と考えて差支えない。保険集団が、不特定多数の加入者によって形づくられ、大数法則がそれに於け る計算の基礎となるというのは、まさにこのことである。  このことは、換言すれば、保険がもともと固有の技術過程を持っていることを指す。したがって、この技術過程を満足 せしめる要素が、大数法則的計算を可能ならしめるものとして、とり上げられるのである。したがって、この抜術過程の 担当者としての保険企業は、これらの要素を契約に盛り込んで、それを加入者に求めることになる。契約の付合性は、実 は、このような経済的本質がもたらすところの、勢力関係と見るべきである。契約は、もともと経済的本質の一つの形式 であるが、そのことを離れては、付合性の意味は理解せられがたいであろう。 占

A

 右のようにして、保険契約の有効な成立のためには、一定の技術的基礎が要求せられ、かつそれがために、いわゆる信 義誠実の原則にもとづいて、契約者に告知義務の要求が可能であるとしても、そのことを以て、直ちに、契約そのものの 任意性を否定することはできない。保険契約は、もとより保険関係の個々の取引として結ばれるが、それは、実は、その 実体をなすところの、経済的関係の表現である。  この経済的関係に於いては、人はさまざまの社会的勢力に影響せられながち、なおそれぞれみずからの創意にもとづい て、保険の効用を具体的に満たそうとする。その限りに於いて、個々の保険契約の承諾についても、この創意を否定し得 ないのである。いまもし、この契約に於いても、なお加入者の充分な創意が働き得ないとするならば、それは契約そのこ との問題ではなく、むしろ進んで、それが拠って立つところの、経済的関係の問題であるといえる。つまり、保険の本質

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は、法律的考察として、契約の面からはこれを明らかにすることができないのである。  ところでこの経済的関係は、国民経済に於ける一つの産業として、有機的なまとまりを示すところの、特殊の経済的関 係を意味する。もとより国民経済のすがたは、それに影響しそれに支配せられるところの、国の政治的立場によって、お のずから具体的に定まるであろう。産業構造は、このような奥行ぎを持つものとして理解されるし、特殊・の産業部門とし ての保険の機構も、またこの点から考察せられるのである。このような性格を持つ国民経済を、一群の学者は国民協同体 として捉え、保険をその部門構成体として考えたことについては、既に述べたところである。  いま、たとい保険がそう考えられるとしても、その点から直ちに、保険契約の非任意性が雪ぎ出されるとすれば、それ は理論の混沌・飛躍というほかない。われわれは、これらのいずれもが、範疇を異にし、観察の立場を同じくしないこと を、くれぐれも明確にすべきである。社会学的考察はもとより、経済学的考察と法律的のそれとは、つねに載然と区別せ られなければならない。  このように見ると、保険に於ける契約の任意性を否定するのは、概念の混同と、理論の飛躍を示す以外の何ものでもな い。信義誠実の原則も、経済的関係としての保険関係の協同社会的性格も、それぞれ全く別個のことであり、無反省にこ れらを結びつけることは許されがたい。保険の本質が、その特有の技術過程にもとつくこと疑いをいれないが、その技術 過程を深︽分析することなく、直ちにそこから、契約の右のような性格庖導くことは、いうまでもなく理論の欠如を示し ている。その場合には、保険契約が、本質としての経済的関係の一つの形式であるという、最も根本的なことへの洞察が 忘れられているのである。  法律関係としての個々の保険契約は、これを経済学的に全体として見る場合に、保険関係として理解される。その結果 として、保険契約の性格は、保険関係そのものの性格によって規定せられること、おのずから明らかである。もとより保      保険関係の経済的構造      ’一五       /

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     保険関係の経済的構造       一六 険関係と保険契約とは、概念としては別個のものであるが、しかもそれらの性格が相互に不可分的に関連すること、改め ていうまでもない。そういう関連が、保険の技術的特徴に由来するとしても、そのことに眼を奪われて、保険契約の性格 とくに非任意性を論ずることは、やはり誤った考え方というべきである。  われわれは、数度の機会を重ねて、保険集団について、その社会学的考察と法律的考察とに触れて来た。それらのいず れも、経済学的考察とは根本的に別のことであり、保険そのものの本質は、特殊の技術過程を持つところの機構としての み明らかにせられる。そしてこの機構を、いまここでは、保険関係と名づけたにとどまる。その構造についての問題は、 つねに経済学的に明らかにせられるべきである。

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