安全保障イニシアティブ「ビエンチャン・ビジョン」の提起―「法の支配」規範の精緻化と強化―
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(2) 116 (380). 横浜国際社会科学研究 第 24 巻第 3 号(2020 年 1 月). 経済協力会議(APEC)創設時 に,ASEAN に. の南シナ海問題(中国の南シナ海での軍事的台. イニシアティブをとろうとした通産省に対し. 頭)という安全保障環境の変化が,ASEAN 側. て, 「大東亜共栄圏」を想起させるとの理由か. に対中国ヘッジの必要性を生じさせたことを指. ら外務省が通産省を抑え,オーストラリアにイ. 摘する.第 3 節で,ビエンチャン・ビジョンを. ニシアティブをとらせて日本は黒子に徹した.. 受け入れるに至る ASEAN 諸国の「対日認識」. ビエンチャン・ビジョンの提起に際しては,外. の変化を観察し,第 4 節では日本国内の「平和. 務省から防衛省にそうした抑制的な働きかけは. 主義」規範の変容を考察する.第 5 節ではビエ. なかった .無論,時代が異なり,経済・通商. ンチャン・ビジョンの提起について規範の側面. 政策である APEC と安全保障政策を同列的に. から評価し,日本の対外的な安全保障政策への. 扱うことはできないが,経済分野で「大東亜共. 規範の作用を明らかにする.. 8). 栄圏」を想起させるとした「平和主義」規範の 規制的作用が,安全保障分野での日本の対外政 策(対 ASEAN 安全保障 イ ニ シ ア ティブ)に. Ⅰ 政策分析の枠組みとしての「規範」と「合 理的選択」. はまったく作用しなかったのである.日本国内. 日本には戦後一貫して平和国家としてのアイ. で,あるいは ASEAN 諸国には,かつての「大. デンティティが存在し,再び軍事大国とならな. 東亜共栄圏」を想起させるような日本の軍事大. いことを国際社会に誓い,外交・安全保障政策. 国化への懸念は消滅したといえるのだろうか.. を進めてきた.アジア諸国に日本が安全保障面. そして,日本国内の「平和主義」規範は,地域. で積極的な協力を行ってこなかった理由を,か. あるいは国際社会での平和を希求するうえで日. つての大戦での日本の占領統治をアジアに想起. 本の軍事的役割の拡大を許容する性格を帯びた. させるとする指摘や12),日本国内の法的枠組み. 規範へと変化したのだろうか.それとも,ビエ. や世論要因の制約から軍事面へ拡大することは. ンチャン・ビジョンに基づく防衛関与の急速な. 容認できないといった指摘がある13).こうした. 展開は,単に合理的な選択の結果であろうか.. 国内外の認識が日本政府の安全保障政策に規制. 既存研究 に は,日本 と ASEAN と の 政治・. 的作用として働いたことは否定できないであろ. 外交関係に関する研究や ,ASEAN を地域機. う.2015 年 に 成立 し た 平和安全法制 を 巡って. 構として多国間主義や制度論の視点から論ずる. も,法案を「戦争法」と呼び強硬な反対を唱え. 9). 10). 研究がある .一方で,日本の安全保障政策を. る国内アクターは存在したし,憲法 9 条の改正. 規範から分析した研究は少ない11).この意味で. に関しても未だ世論の多数が賛成するまでには. 本論文は,これまで様々な方法論で語られて. 至っていない.こうした状況を見ると, 「平和. きた日本の対外的な安全保障政策と日 ASEAN. 主義」規範は国民世論のなかに内面化され,作. 関係の研究を補足する位置付けにある.また,. 用してきたとする解釈は可能であろう.. 戦後,日本の安全保障政策を内側から規制して. 規範や理念などの観念的要素から国際構造の. きた「平和主義」規範に焦点を当てることで,. 変化を説明しようとするコンストラクティビィ. 規範が対外政策決定に及ぼす作用を再評価でき. ズム(構成主義)によれば14),規範,理念や認. る意味がある.. 識などが政策指導者の行為を拘束する(規制的. 本論 で は,日本 の ASEAN 諸国 に 対 す る ビ. 作用).同時に,内面化された規範は政策決定. エンチャン・ビジョンの提起についての分析. では所与の条件となり,政策指導者が国家の政. に,対外政策における合理的選択論を前提とし. 策を形成する際に,それを成り立たせるよう内. つつ,規範の側面から分析する.第 1 節で分析. 側から行為を方向づけるように作用する(構成. 枠組 み を 設定 し,第 2 節 で ASEAN に とって. 15) 的作用) .日本は ASEAN の掲げる「法の支.
(3) 安全保障イニシアティブ「ビエンチャン・ビジョン」の提起(浦上). (381) 117. 配」や「紛争の平和的解決」という規範を一貫. 戦期に存在したソ連の脅威に対し,日本の防. して支持してきた.日本が ASEAN にビエン. 衛力増強の必要性は高かったにもかかわらず,. チャン・ビジョンを提起したのは 2016 年 10 月. GNP 比 1 パーセント枠を設定するなど抑制的. のことである.もし,規範を共有することで協. であったし,冷戦後にあっても,北朝鮮の核開. 力が促進されるならば,日本と ASEAN との. 発 や 中国 の 軍事的台頭 に 応 じ て,日本 の 軍事. 安全保障分野での協力も促進され,日本の安全. 的役割の拡大はもっと早期に行われていたはず. 保障イニシアティブももっと早期に提起されて. である.それが自国の安全保障上の脅威であっ. いてもおかしくはなかった.ここからは,規範. たにもかかわらず,即座に法改正や防衛力増強. を支持あるいは共有するだけでは,安全保障. へと繋がらなかったのを見れば,政策の選択や. 分野での協力が深化されなかったことがわか. 決定を合理的選択のみで十分に説明することが. る.ビエンチャン・ビジョンの提起に至るまで. できない.国家が合理的選択を行うとする理論. には,日本側と ASEAN 側の両方にそうした. は政策決定に説得力のある説明を提供するもの. 政策選好をとる理由があったはずである.仮に. の,合理的選択を制約する要因はあったはずで. ASEAN 諸国が日本に軍事的な役割を期待した. ある.. としても,日本国内で「非軍事大国化」規範の. 国家の対外政策の形成は,物質的あるいは観. 作用があったとすれば,日本国内で政策決定行. 念的な要素の双方から組み立てられるものであ. 為を拘束したはずである.これを明らかにする. り,一方の視点のみからでは十分に理解できる. ためには,ビエンチャン・ビジョンを歓迎して. ものではない.本論では,分析枠組みとして,. 受 け 入 れ た ASEAN の「対日認識」に ど の よ. 国家が対外政策の決定においてまず合理的選択. うな変化が起きたのかを明らかにする必要があ. を行うという前提に立ち,対外政策決定への規. ると同時に,日本国内の「平和主義」規範が変. 範の作用の側面から分析し,日本の対 ASEAN. 容したのかを解明する必要があろう.2015 年. 安全保障イニシアティブの提起を明らかにす. に平和安全法制が成立した過程において,限定. る.. 的ながら平時でも集団的自衛権の行使を可能と し,集団的自衛権の憲法解釈を変更することが 国会全体を揺さぶりながらも成立したのは,日. Ⅱ ASEAN の対中国ヘッジ-南シナ海問題で の中国の軍事的影響力の拡大. 本国内の規範が以前とは異なるものになってき. ASEAN の構成国であるインドネシア,フィ. ていると見てもよいのではないか.ビエンチャ. リピン,マレーシアやベトナムは,中国との間. ン・ビジョンの提起には,規範が日本国内で対. で,南シナ海の南沙諸島と西沙諸島で領有権問. 外的な安全保障政策を規定する作用を果たした. 題を抱えてきた.南沙諸島は中国,台湾,ベト. のかが分析の対象となる.. ナム,フィリピン及びインドネシアが領有権を. 一方で,合理的選択論は,行為主体は利益の. 主張しており,西沙諸島では中国,台湾,ベト. 最大化を目指し,最適な行動選択を行うという. ナムが領有権を主張している.例えば,フィリ. 考え方に基づく理論である .この理論によれ. ピンは中国と南沙諸島近海で交戦し,中国によ. ば,行為主体である国家は国際システムのパ. る ミ ス チーフ 岩礁 の 占拠(1995 年)や,ス カ. ワー分布や国際レジームの枠組み,リスクや取. ロ ボー礁 で の 両国船舶 の 対峙(2012 年)な ど. 引費用,相手(国)の行動の予測,戦略的な計. があり,ベトナムは西沙諸島近海で中国公船と. 算をもとに,利益の最大化を図る最適な対外政. 武力衝突 し,そ の 後,中国 が 西沙諸島 の 西半. 策や行動を選択する17).しかし,合理的選択の. 分を占拠(1977 年)した.ベトナムは南沙諸. 視点のみから日本の安全保障政策を見れば,冷. 島海域でも中国と武力衝突し,その後,中国が. 16).
(4) 118 (382). 横浜国際社会科学研究 第 24 巻第 3 号(2020 年 1 月). ジョンソン南礁等を占拠(1988 年)するなど. に法的根拠がなく,国際法に違反するとして中. 歴史的な対立を抱えてきた18).中国は 1950 年. 国の主張を全面的に退けるものだった.中国は. 代から南シナ海で「九段線」と称する独自の主. この裁定を「紙くず」として受け入れず,急速. 張に基づく領有権を主張してきた19).南シナ海. に人工島の軍事拠点化を進めた.実効支配を既. で の 領有権問題 は,長年 に わ た り ASEAN と. 成事実化する「既存の国際秩序の変更の試み」. 中国との安全保障上の課題として存在し続けて. が露わになったのである.. きた.. 第 2 に中国の経済協力に伴う政治・軍事的な. も と も と ASEAN が ASEAN 地域 フォーラ. 影響力の拡大である.ASEAN 諸国は経済分野. ム(ARF)を創設した動機には,対話を通し. では中国との依存関係が高く,各国とも国内開. てアジア地域での米軍プレゼンスの重要性を. 発のため経済協力を受けて大規模なインフラ. 米国に意識させることや,台頭する中国を地. 開発などを進めてきた経緯がある.ASEAN は. 域的枠組 み に 組 み 込 み,協調的安全保障 の 規. 2002 年 に 中国 と 包括的経済協力枠組 み 協定 を. 範 を 通 し て 中国 を 社会化 す る こ と に よって,. 締結しており,カンボジアにとって中国は最大. 同国が現行秩序への挑戦者として台頭してし. の直接投資国であり 2 国間援助国でもある.ラ. まうことを防ぐことも期待の一つにあった20).. オスでも鉱山開発,不動産開発や発電インフラ. 2002 年に合意された中国との「南シナ海行動. などの分野で中国が最大の直接投資国となって. 宣言(DOC) 」はその好例であり,ASEAN に. おり,中国支援のもとでの衛星の打ち上げや鉄. とっての潜在的な脅威を「内部化」して共通の. 道建設計画事業 な ど が あ る.シ ン ガ ポール と. ルールや規範を構築しようとする取組みであっ. 中国との間では 2009 年に 2 国間自由貿易協定. た.ただ,DOC を法的拘束力のあるものとす. (FTA)が発効し,中国は同国にとって最大の. る「南シナ海行動規範(COC) 」の具体化は21),. 貿易相手国である.そのような折り,スリラン. ASEAN の呼びかけにかかわらず,中国側の消. カが経済協力として受け入れてきた融資の債務. 極姿勢によってまったく進展はなかった.. 返済が不可能となると,中国は同国のハムバン. 南 シ ナ 海問題 での中国の軍事的影響力の拡. トナ港を 99 年間租借してしまった24).このこ. 大 は,第 1 に,南 シ ナ 海情勢 の 急速 な 変化 で. とは,ASEAN 諸国に中国による大規模な経済. ある.中国は 2010 年に南シナ海での領有権を. 協力が,実は軍事的な影響力の拡大と密接につ. 「核心的利益」と呼び,翌 2011 年にはベトナム. ながりがあることを認識させることとなった.. の石油試掘船への攻撃やフィリピン漁船への. 第 3 に 中国 に よ る ASEAN の 一体性 の 切 り. 22). 妨害活動などにより地域での緊張を高めた .. 崩しともいえる政治・外交的な影響力行使の問. 2013 年以降,中国は南シナ海の南沙諸島と西. 題 が あ る.2012 年 7 月 の ASEAN 外相会談 で. 沙諸島とで急速な埋めたてを進め,人工島を造. は,議長国を努めたカンボジアが南シナ海の領. 成し た.当初 は 人工島の軍事的利用はしない. 有権問題 は ASEAN の 問題 で は な く 当事者間. と明言していたにもかかわらず,2016 年 2 月. での解決を望むとの立場を維持し,共同声明の. 頃には南沙・西沙諸島ともにレーダーや対空ミ. 採択ができなかった.中国はカンボジアへの外. サイルなどの配置が確認され,戦闘機の航行や. 交的な働きかけを通じて ASEAN に影響力を. 海軍艦艇の駐留が見られるようになった.2016. 行使 し た の だった25).2016 年 7 月 の ASEAN. 年 7 月には,スカロボー礁をめぐる対立でフィ. 外相会談でも,中国はタイ,ブルネイ,シンガ. リピンが国際仲裁裁判所に提訴していた裁定が. ポール,ラオスと 2 国間協議を行い,「南沙諸. 出された23).裁定は,中国が南シナ海に独自に. 島問題は当事者間で解決する問題」とする中国. 設定した九段線の内側を自国の領海とする主張. の主張を刷り込み26),カンボジアは南シナ海問.
(5) 安全保障イニシアティブ「ビエンチャン・ビジョン」の提起(浦上). (383) 119. 題に言及した共同声明への署名を拒否した27).. 帯」と「価値観の共有」を一貫して強調してき. ASEAN のなかでも,中国と南シナ海での領有. た.1977 年 の 福 田 ド ク ト リ ン は, 日 本 と. 権問題を抱えるベトナムやフィリピンと,領有. ASEAN を「対等な協力者」としたうえで,①. 権係争を持たないカンボジアやラオスは,そ. 軍事大国にならない,②心と心の関係を築く,. れぞれが対立または中立的立場をとり,南シ. ③インドシナと ASEAN との橋渡しの 3 原則. ナ海問題への対応という点で ASEAN の一体. を示し,軍国主義への回帰の懸念を払しょくし,. 性 は 弱 い.こ う し た 中国 の 影響力 の 行使 は,. 政府開発援助(ODA)を 中心 と し た 経済協力. ASEAN の一体性の切り崩しとも捉えられたの. を軸とする日本の対 ASEAN 政策を示したも. である28).. のだった31).. ASEAN 諸国にとって,中国が既存の国際秩. アジア諸国で民主化と経済成長が進むなか,. 序のなかで責任あるステークホルダーとなるの. 1980 年代後半 に は ア ジ ア 太平洋経済協力会議. か,あるいは中国を中心とした新秩序を構築し. (APEC)創設が浮上し,日本は APEC 創設に. ようとしているのかという懸念に対して,現実. 貢献することで対 ASEAN へのイニシアティ. に進行する事象は,後者を意味することを否応. ブをとった.しかし,外務省はアジア諸国との. なく突きつけられることになった.ASEAN 諸. 歴史的過去 を 念頭 に 置 き,APEC 創設 で 日本. 国に は,拡大 す る中国の軍事的影響力に対し. の積極姿勢を ASEAN がどう受け止めるかを. て,安全保障上 の リ ス ク ヘッジ を と る 必要性. 懸念 し た32).そ の た め,日本 は APEC 創設 で はオーストラリアに主導権をとらせる形をと. (合理的選択)が生じたのである.. り,日本は黒子に徹した33).東南アジア諸国に. Ⅲ ASEAN 側の「対日認識」の変化. は,そのイメージが薄れていったものの大東亜. 本節では,ASEAN 諸国が日本の安全保障イ. 共栄圏の残像が残っていた34).日本の政策選好. ニシアティブを受け入れるに至るまで,日本に. には,ASEAN 諸国に歴史的過去を想起させな. 対する認識(以下, 「対日認識」 )がどのように. い配慮が求められたのである.80 年代に,日. 変化してきたのかを考察する.. 本は ASEAN 諸国(マレーシア,インドネシア,. 戦後,日本 が ASEAN と の 政治・経済面 で. タイ,カンボジア,フィリピン,ラオス)にとっ. の関係構築に入った時期は 1970 年代であるが,. て最大の ODA 供与国となり,経済協力に加え. こ の 時期,ASEAN 諸国 で は 反日感情 が 吹 き. て,投資,人的交流の分野でも関係を強化して. 荒れていた.1974 年の田中首相による東南ア. きた35).日本の ODA は外務省と国際協力機構. ジア歴訪時にはインドネシアの反日暴動をは. (JICA)によって,社会インフラ整備など開発. じめ,各地で反日運動が起きていた.ASEAN. 協力 を 通 じ て ASEAN 諸国 の 経済発展 を 後押. 諸国 に は,戦後急速 な 経済発展 を 遂 げ た 日本. しした.1982 年には,日本企業も参加する形で,. に 対 し て「経済大国 は 必然的 に 軍事大国化 す. 貿易,投資,経済協力を組み合わせた支援を開. る」と す る 見方 や,日本 の 防衛費(70 年代当. 始し,ASEAN の輸出産業を育成し,中小企業. 時)が 全 ASEAN 加盟国 の 国防費総額 の 約 10. 育成,製品輸出開発,エネルギー問題の解決や. 倍に相当していたことから,日本の「軍事大国. 人材育成を行った36).. 化」を懸念した29).フィリピンのマルコス大統. 日本側の「軍事大国化への懸念」の払拭への. 領(Ferdinand Marcos)は,公 の 場 で 日本 の. 努力と経済を中心とした関係強化は,ASEAN. 30). 再軍備への懸念を表明するなどしていた .こ. 諸国の政策指導者レベルで徐々に対日認識の変. うした情勢のなか,日本は ASEAN との関係. 化として,日本の役割を評価し始める傾向が現. 発展 の 基礎 を 形成する観念的要素に「心の連. れ始めた.シンガポールの「日本から学ぶ」や.
(6) 120 (384). 横浜国際社会科学研究 第 24 巻第 3 号(2020 年 1 月). マレーシアの「ルック・イースト政策」が代表. の国際平和協力法の成立により,国連 PKO な. 的な例である.特に,1981 年に就任したマハ. どへ自衛隊派遣が可能となった.東南アジア諸. ティール首相が積極的に進めた「ルック・イー. 国は,日本の軍事大国化に対する懸念から,日. スト政策」は,日本の経済発展を模倣すること. 本の自衛隊派遣はあくまでも国連の枠内で,平. によりマレーシアの近代化を図る目的で採択さ. 和維持活動に限定されるべきとの条件を付した. れたものであり,日本企業の誘致や合弁企業化. 上で,同法の成立を評価した41).宮沢ドクトリ. の奨励だけでなく労働意識の変革や教育政策の. ンは,自衛隊の海外派遣による安全保障面での. 変更(日本への留学)までも含む総合的なもの. 役割の拡大と平和国家としての貢献への理解. となったことから,日本と ASEAN に与えた. を ASEAN 諸国に求めたものだった.1990 年. 37). インパクトは強かったといえよう .1984 年. からの 10 年間で,日本の対 ASEAN 諸国への. に安倍外相は ,「域内諸国間の経済面での協力. ODA 供与は約 240 億ドルにのぼり,経済,貿. 関係を長期的に安定したものにする上で(略),. 易,民間投資に加え,青年交流などの人的交流. 特 に 文化・教育等 の 分野 で の 協力・交流及 び. や文化交流も進んでいた.既に,日本のファッ. 青少年などの人物交流を強化することが重要」. ション,J ポップ,ア ニ メ な ど ポップ・カ ル. と 述 べ38),人的・文化交流 を 推進 し た.1980. チャーは ASEAN 諸国 で 広 い 世代 か ら 人気 を. 年代以降,日本の伝統文化,コミックなどサブ. 博していたし42),インドネシアやマレーシアで. カルチャーもアジア諸国で人気を博すようにな. は日本製品の品質や技術力が高い評価を得てい. り,日本に関する理解が進んでいった.こうし. た43).. た ASEAN 側に生まれてきた対日認識の変化. 2000 年代 に 入 る と,小泉首相 が 日 ASEAN. は,1974 年の反日運動などを振り返れば劇的. 関係 を「対等 な 協力者」か ら「戦略的 パート. と言っても過言ではなく,ASEAN 諸国の日本. ナー」へと引き上げた44).ASEAN では史上初. に対する認識は,確実に変化し始めたのであ. め て の 日本 ASEAN 特別首脳会議 が 東京 で 開. 39). る .1990 年 6 月に行われたカンボジア問題. 催 さ れ た.2005 年 の 首脳会議共同声明「日本. に関する「東京会談」は,日本とタイの共同イ. ASEAN 戦略的 パート ナーシップ の 深化・拡. ニシアティブとして実現した.カンボジア問題. 大」で は,「日本・ASEAN 包括的経済連携構. の政治的解決で,タイ政府が日本と協力する選. 想」やテロ組織の活動や海賊など国境を越える. 好をとった背景には,1985 年のプラザ合意以. 問題を含めた安全保障面での協力構想が示され. 後,堰を切ったように流れ込んだ日本の投資が. た.2002 年 の「ASEAN 諸国 に お け る 対日世. ASEAN 諸国 の 経済発展 を 軌道 に 乗 せ た こ と. 論調査」によれば,日本を「信頼できる」又は「ど. が,タイのチャチャーイ首相のインドシナ政策. ちらかというと信頼できる」とした回答は,タ. で日本との協力を促進させた要因の一つとする. イ,ベトナムを除く全対象国において 8 割以上. 40). 指摘もある .. となり(タイでは 67%,ベトナムでは 72%) ,. 1990 年代に入ると,日 ASEAN 関係は,徐々. マレーシアを除く全対象国で 5 割以上が「日本. に安全保障分野での日本の役割に対する理解へ. は平和愛好国としての立場を堅持し,軍事大国. と広がり始めた.1993 年の宮沢ドクトリンで. とはならないだろう」と回答している45).2007. は, 「アジア太平洋の平和と安定の強化のため,. 年に開始した「21 世紀東アジア青少年大交流. 域内の政治・安全保障対話を促進し,将来の安. 計画」で は,政治,経済,社会,文化,歴史,. 全保障の新秩序づくりに日本が積極参加する」. スポーツ等様々なテーマのもと,ASEAN 諸国. と 安全保障 に 関 し て,日本 と ASEAN 諸国 の. から約 3 万人以上が日本を訪れ,教育・研究機. 協力が盛り込まれた.日本国内では,1992 年. 関,文化遺産,先端・伝統産業や地方自治体等.
(7) 安全保障イニシアティブ「ビエンチャン・ビジョン」の提起(浦上). (385) 121. で,意見交換やワークショップ参加,ホームス. ASEAN 諸国の参加者からは「南シナ海で武力. テイや伝統文化の体験等を行っている46).. 衝突が発生したとき,日本は助けにきてくれ. 経済協力,貿易,投資,科学技術,人材育成,. るのか」といった意見が出された52).これは,. 文化などの分野での連携強化に加え,安全保障. ASEAN 諸国にとって,日本がかつて自分達を. 面での協力は徐々に具体的な支援活動へと拡大. 「蹂躙した国」から,危機の際に「味方となっ. していった47).ASEAN と日本は,まず国際テ. てくれる国」へと認識が変化していることを端. ロや国境を越える犯罪といった「脅威」を共有. 的に示すものであろう.かつて日本の軍事大国. し た.と り わ け,マ ラッカ 海峡 で の 海賊問題. 化 へ の 懸念 を 持って い た ASEAN は,日本 の. は,同海峡が世界全体の海賊事件の 6 割が発生. 軍事的役割の拡大を期待するところまで認識が. している場所であると同時に,中東から日本へ. 変化したのである.. の石油輸入の 95% が通過する海上輸送路(シー. 2013 年 12 月の日 ASEAN 特別首脳会議では,. レーン)としての戦略的重要性から,ASEAN. 「法の支配」や「民主主義」といった規範の共. 諸国と日本の脅威認識は一致した48).そして具. 有が確認された.首脳会議では,「日 ASEAN. 体的な協力は「国際テロリズムとの戦いにおけ. 友好協力に関するビジョン・ステートメント」. る協力に関する日 ASEAN 共同宣言(2004 年) 」. が採択された.安倍首相は日本のアイデンティ. により,ASEAN 諸国の海上法執行機能を向上. ティを「平和国家」と し,i)政治 と 安全保障. するため,日本の海上保安庁と JICA が支援を. (平和と安定のパートナー),ii)経済と経済協. 担った49).フィリピン,マレーシア,インドネ. 力(繁栄 の パート ナー),iii)新 た な 経済・社. シアに対しては,要員派遣と機材等の供与を組. 会問題(より良い暮らしのためのパートナー),. み合わせた海上保安機関との連携訓練や能力構. iv)人と人との交流(心と心のパートナー)の. 50). 築支援を行ってきた .. 4 つのパートナーシップを示し,ASEAN と共. 同時に,ASEAN 諸国は,自衛隊の海外派遣・. に あ る 日本 を 強調 し た.経済面 で は ASEAN. 活動も受入れてきた.自衛隊の国際緊急援助活. に お け る 日系企業数 は 10,000 社 を 越 え,日本. 動として,インドネシア(スマトラ沖大地震お. にとって ASEAN はアジア地域で最大の投資. よびインド洋沖津波(2005 年) ,ジャワ島中部. 先となっていた53).安全保障面では「積極的平. 地震(2006 年) , パダン沖地震(2009 年) ) , フィ. 和主義」を 掲 げ,安倍首相 は 日本 と ASEAN. リピン(台風災害(2013 年) )やマレーシア(マ. と の 防衛担当大臣会合 の 開催 を 提案 し,翌. レーシア航空機消息不明事案(2014 年) )があ. 年 11 月,ASEAN 史上 で 初 め て と な る「日. り,カンボジアや東ティモールでの自衛隊の国. ASEAN 防衛担当大臣会合」が 開催 さ れ る に. 連 PKO への参加も,アジア地域での日本の安. 至った.ASEAN が こ う し た 呼 び か け に 応 じ. 全保障分野 で の 貢献 と し て ASEAN 諸国 は 支. たことは,対日認識が変化した証左といえよ. 持した.テロ対策特別措置法によるインド洋上. う.2014 年 の「ア ジ ア 安全保障会議」に お い. での米軍等艦船への給油活動(2001~2007 年). て54),安倍首相は, 「太平洋とインド洋を法の. や イ ラ ク で の 人道復興支援活動(2003~2009. 支配が貫徹する世界の公共財とすることの共通. 年)についても,国際社会のなかで一定の役割. の利益」に言及し,「日本は ASEAN 各国の海. を果たしているものと評価した.. や空の安全を保ち,航行の自由,飛行の自由を. 2011 年 9 月 に 東京 で 行 わ れ た「共通安全保. 保全しようとする努力に対して支援を惜しまな. 障課題 に 関 す る 東京セミナー」では,日本と. い」と安全保障分野でより積極的な支援を行う. ASEAN は 対話 の 時期 を 過 ぎ,具体的 な 協力. ことを表明した.そして,2016 年の第 2 回日. の段階に入っているという認識で一致した .. ASEAN 防衛担当大臣会合での稲田防衛相によ. 51).
(8) 122 (386). 横浜国際社会科学研究 第 24 巻第 3 号(2020 年 1 月). るビエンチャン・ビジョン提起へと繋がってい. あろう.ARF は対話の場として地域的安全保. る.. 障の基盤として「民主主義」や「人権」といっ. 日本独自 の 安全保障 イ ニ シ ア ティブ の 提起. た規範をアジア諸国に伝搬する制度として活. には,経済,対テロ,科学技術,防災,教育・. 用されてきたからである.ASEAN 諸国の多く. 人的交流,健康など多くの分野での日本の対. は,ARF の 設立当初 に は 米国 が ARF 内 で 人. ASEAN イ ニ シ ア ティブ ─ 「包括的経済連携構. 権や民主化問題に触れることを内政干渉にあた. 想(2003 年)」,「国際テロリズムとの戦いにお. ると反発してきたが,2000 年代に入り,こう. け る 協力 に 関 す る 日 ASEAN 共同宣言(2004. した規範は地域共通の目標として徐々に認知さ. 年) 」 , 「 ASEAN 防 災 ネット ワーク 構 築 構 想. れ60),今日では共有する価値としての意味を持. (2011 年) 」 ─なども55),その下地になっていた と思われる.1970 年代以降,およそ 50 年余を. つに至っている.. かけて政治・経済・文化など多岐の分野にわた. Ⅳ 日本国内の「平和主義」規範とその変容. る支援と協力の積み重ねを経て,ASEAN 諸国. 日本国内 の「平和主義」や「非軍事大国化」. の対日認識が変化し,徐々に日本の「軍事大国. といった規範は,戦後から一貫して日本政府が. 化」への懸念が衰退してきたことが指摘できよ. 保持し,国民世論も支持してきたものであり,. う.日本は ASEAN 諸国に対して「自由」 「民. 安全保障政策に内側から規制的作用として働い. 主主義」「法の支配」など規範を繰り返し訴え. てきた.これは冷戦の終結や,9.11 同時多発テ. 続け,共有してきた.既存の国際秩序が長年共. ロなど安全保障環境上の大きな出来事に遭遇し. 有されてきた規範によって支持基盤が与えられ. ても,一長一短に日本の防衛力強化を指向した. ていることを見れば,ASEAN 諸国の対日認識. り,対外政策に軍事的オプションを用いること. の変化によって,日本との安全保障協力の強化. がなかったことからも,「平和主義」や「非軍. は ASEAN 側には選択肢として机上に乗った. 事大国化」といった規範が政策形成を内側から. のである.. 規制するよう作用してきたといえる.. 2016 年 に,日本 が 集団的自衛権 の 憲法解釈. 日本は戦後,一貫して専守防衛の方針を堅持. を変更 し,平和安全法制を成立させたときも. し,日米同盟を外交・防衛の基盤として安全保. ASEAN は こ れ を 支持 し た56).ASEAN7 か 国. 障政策を組み立ててきた.自衛隊と日米同盟と. を対象とした対日世論調査によれば,9 割以上. をめぐる根本的な立場の相違は,憲法 9 条に照. が日本を「信頼できる」又は「どちらかという. らして違憲とする主張と,国際法上,自衛権が. と信頼できる」と回答し,ASEAN 諸国に日本. すべての国に認められる限り,必要最小限度の. との関係に関して肯定的なイメージが広範に. 防衛力(自衛隊)は違憲ではないとする立場と. 定着していることが示された57).積極的平和主. に 分 け ら れ る.冷戦期,1960 年代 に 日本社会. 義についても,「ASEAN を含むアジア地域の平. 党は自衛隊を憲法違反とする立場から「非武装. 和構築に役立つ」とした回答が 9 割を占めた58).. 中立」を揚げ,日米安保体制を批判し61),憲法. ASEAN 諸国のなかで日本の「軍事大国化」へ. を維持するという意味で,自衛隊を戦前への復. の警戒感はほぼ消滅したと言え,ASEAN 諸国. 古の象徴とみなしていた62).. は日本の安全保障分野での役割拡大を積極的に. 自衛隊が違憲か否かという議論に変化が生じ. 歓迎したのである59).. 始めたのは,1990 年に発生した湾岸危機およ. ASEAN 諸国と日本との規範の共有という点. びその後の日本の対応が契機であった.日本. では,ASEAN 地域フォーラム(ARF)も補助. は 湾岸戦争 で 130 億 ド ル の 資金拠出 を し な が. 的な役割を果たしたことを特筆しておく必要が. らも,国際社会からの評価を得られず, 「小切.
(9) 安全保障イニシアティブ「ビエンチャン・ビジョン」の提起(浦上). (387) 123. 手外交」,「一国平和主義」と いった 戦後日本. の認めるもの」とし,従来の社会党の「自衛隊. 外交に対する前例のない批判を招いた63).日本. は憲法違反」とする主張をあっさりと転換し,. 政府をはじめ日本国内では,湾岸危機以降,国. 自衛隊を合憲と明言したのである68).社会党党. 際の平和と安定に「人的協力」を行う法的枠組. 首による自衛隊合憲の認識は,その後の国内で. 64). みの必要性について検討が始められた .1991. 同党の支持率の低下を招くとともに,自衛隊違. 年 4 月に社会党や共産党などが反対するなか,. 憲論を衰退させる契機となった.. 日本政府はペルシャ湾への掃海艇部隊の派遣を. 国際平和協力法の成立や,自社さ連立政権で. 閣議決定した.派遣の根拠は自衛隊法 99 条(機. の 村山首相 に よ る 自衛隊合憲 へ の 認識 の 転換. 雷の除去)であり,掃海艇部隊派遣への反対意. は,少なくとも,その後の「平和主義」や「非. 見は,掃海艇派遣が自衛隊の海外派兵に当たる. 軍事大国化」などの規範がそれまでの「自衛隊. とするものや,機雷の除去が憲法の禁止する武. 違憲」や「海外派兵」とは異なったものへと性. 力の行使に当たるとするものだった.これらの. 質の変容をもたらした. 「平和主義」の維持に. 批判に対して海部首相は ,「憲法の認めていな. 変わりはなくとも,自衛隊違憲論が衰退して. いのは戦争と武力の威嚇,武力の行使を認めて. いった反面で,国民世論の自衛隊への支持は高. いないわけであり,輸送航海路に遺棄された機. まったからである.こうした変化は ,「平和主. 雷を除去し,航路の安全を確保する行為は武力. 義」や「非軍事大国化」など規範が内面化され. の行使ではない」とした65).1992 年に国際平. ていても,その性質が少しずつ変容してきたこ. 和協力法をめぐる国会審議では,社会党などは. とを示すものである.. 自衛隊の国連 PKO 派遣を「海外派兵」と呼び,. 冷戦終結によってその存在意義を模索してい. 法案採決には牛歩戦術をとって反対し,社会党. た日米同盟も再定義が行われた.「日米安全保. と社民連両党は議員全員が辞職願を提出して本. 障共同宣言」(1996 年)では,同盟の基礎とし. 会議での法案採決を阻止しようとした.同年 1. て「自由」「民主主義」「人権」など「価値の共. 月に国際平和協力法は成立したが,国内の世論. 有」が 強調 さ れ た69).1997 年 の ASEAN 首脳. 調査でも反対が賛成を若干上回り,同法に賛成. 会議の場で橋本首相は,「日米安保体制は地域. する者のなかでも PKF 本隊業務の凍結に賛成す. の安定及び経済的繁栄の維持のための一種の公. る者が,それに反対する者の 2 倍強を占めた66).. 共財の役割を果たす」とし70,日米同盟に初め. 世論調査からは,たとえそれが国連の枠内の活. て「公共財」という表現を使って日本の果たす. 動であっても,武力を行使することは受け入れ. べき役割を語ったのである.. られなかったことが看取されよう.. 1999 年 の 周辺事態法 の 成立 に よ り,自衛隊. カンボジア PKO への自衛隊派遣を経て,そ. の活動領域は領空・領海の外側へと拡大した.. の活動がメディア報道されることによって , 日. 同法は朝鮮半島有事を想定し,日米同盟のなか. 本国内では自衛隊の国際活動のイメージがはじ. で米軍への後方支援などを自衛隊の役割として. めて具体的に理解された.冷戦後に再生した国. 規定したものだった.これに対する国内での批. 連体制下を柱とする「世界新秩序」のなかで安. 判は,周辺事態法に基づく自衛隊の活動が集団. 全保障にも積極的に貢献できる国家を目指すべ. 的自衛権の行使に抵触することや武力行使と一. 67). きとする「普通の国」論なども現れた .そして,. 体化 す る と し て,憲法第 9 条 に よって 認 め ら. 自衛隊違憲論が大きく衰退していく契機となっ. れないとしたものだった71).「平和主義」規範. たのは,社会党の主張の変化である.1994 年. は,自衛隊の違憲性を主張するものから,国連. に連立政権として首相に就任した社会党の村山. PKO など国際貢献の必要性を認めつつ「集団. 首相は,所信表明演説において「自衛隊は憲法. 的自衛権の行使」や「武力行使との一体化」の.
(10) 124 (388). 横浜国際社会科学研究 第 24 巻第 3 号(2020 年 1 月). 可否へと争点は移っていった.. を見ると,まず,海賊対処,対テロ,災害対応. 9.11 以降,日本は 2001 年に米国の対テロ戦. などの非伝統的安全保障分野での脅威を共有す. 争支援で「対テロ特別措置法」を制定してイン. ることから始まった76).海洋安全保障の分野で. ド洋へ補給艦を派遣し,2003 年には「イラク. 海上保安庁や JICA による ASEAN 諸国への支. 復興支援特別措置法」を制定した.共産党や社. 援は行われていたものの,自衛隊の役割を拡大. 民党は,イラクで戦闘状態が続いていたことか. させることには繋がらなかった77).冷戦終結や. ら,戦闘行為に巻き込まれかねない状況での自. 9.11 テロも大きな変化であったが,一足飛びに. 衛隊派遣や活動が集団的自衛権の行使に抵触す. 日本が安全保障分野でアジア諸国と関係を強化. るとして反対した72).一部の議員は「平和憲法. することへと対外政策の変更には進まなかった. 73). をないがしろにしている」と批判した .これ. のである.ここには,ASEAN 側の対日認識や,. に対し,小泉首相は ,「国際社会の平和と安全. 日本国内の「平和主義」や「非軍事大国化」と. を守るため,国際的なテロリズムの防止及び根. いった規範が,政策形成に内側から規制的作用. 絶に向けた国際社会の取組に協力するため全力. として働いたことが指摘できよう.. 74). で取り組む」との談話を発表し ,9.11 テロか. 2018 年 に 内閣府 が 行った 世論調査 で は,自. らわずか 6 ケ月後には自衛隊派遣のための「対. 衛隊に「良い印象を持っている」とする回答は. テロ特別措置法」を成立させた.迅速ともいえ. 89.8%に上り,自衛隊の海外での活動を「評価. る小泉首相の政治的イニシアティブの背景に. する」とする回答は 87.3%(「大いに評価する」. は,湾岸戦争で 130 億ドルを拠出しながらも国. 36.7% ,「ある程度評価する」50.6% の合計)と. 際社会から評価されなかった苦い経験と,普遍. なっている78).国内世論は,約 9 割が自衛隊の. 的規範を価値として再定義された日米同盟,人. 存在と国内および海外での役割を支持している. 的貢献を通じて国際的役割を果たそうとする政. ことが示されている.日本国内の「平和主義」. 治的選好をとったと解釈することは妥当性を欠. 規範は,地域・国際社会での安定や平和への貢. くものではないと思われる.. 献に,一定程度の軍事的役割の拡大を許容する. 2006 年 の 日米首脳会談 で の 共同文書「新世. 性格を帯びたものに変化してきたと解してよい. 紀の日米同盟」では ,「共通の脅威に対処する. と思われる.「平和主義」規範と自衛隊の存在・. のみならず,自由,人間の尊厳および人権,民. 役割・活動とは対立するものとしてではなく,. 主主義,市場経済,法の支配といった中核とな. 海外での活動を含め,国際社会での役割を許容. る普遍的価値観を共に推進していく」とし,日. する性質を帯びるようになったといえるもので. 米同盟 は「ア ジ ア 太平洋地域 の 平和 と 安定 に. あろう.. とっても必要」とした.共有する価値を前面に 出した日米同盟には,抑止機能のほかに地域安. Ⅴ ビ エンチャン・ビジョン-既存の「法の支 配」規範の精緻化と強化. 定化機能があるとされ75),一連の再定義の過程 で,単なる 2 国間同盟から,いわばアジア地域. 本節では,ビエンチャン・ビジョンを安全保. および国際社会の安定化のための国際公共財と. 障上の日本の対外政策として,規範の側面から. しての役割が付加された.日米同盟では,アジ. 考察する.そのため,同ビジョンの概要と,こ. ア地域での物理的なパワーの面で均衡を図るの. れがもたらす安全保障上の意味を明らかにした. みならず, 「法の支配」や「民主主義」など普. うえで,規範の対外政策への作用を明らかにす. 遍的な規範が安全保障上の守るべき対象となっ. る.. たことを意味する.. ビエンチャン・ビジョンは,地域の安定化と. 日本 と ASEAN と の 安全保障分野 で の 関係. 国際安全保障環境の改善において,ASEAN 全.
(11) 安全保障イニシアティブ「ビエンチャン・ビジョン」の提起(浦上). (389) 125. 体の能力向上へ日本の主体的イニシアティブを. ビエンチャン・ビジョンを受け入れるに至っ. 明文化した.このことに表れているように,同. た ASEAN 側の対日認識の変化は,「軍事大国. ビジョンには, 日本が安全保障政策面において,. 化」の懸念から,「心の連帯」や「価値観の共. とりわけ東南アジア諸国にどう関与をしていく. 有」を 認知 し ,「対等 な 協力者」「信頼 で き る. かを示した点で意味がある.. パートナー」としての認識を経て,2000 年代. 2014 年のアジア安全保障会議の場で,安倍. 以降は「戦略的パートナー」として政治・外交. 首相 は ,「ODA,自衛隊 に よ る 能力構築支援 ,. 関係 は 発展 し,こ の 過程 で ASEAN の 対日認. 防衛装備協力など支援メニューを組み合わせ,. 識は大きく変化してきた.2000 年代に開始さ. ASEAN 諸国が海を守る能力をシームレスに支. れたテロや海賊といった非伝統的安全保障分野. 援」することと,それまで個別のプロジェクト. で の ASEAN 諸国 へ の 支援 も,日本 と の 安全. として整理されてきた ODA,能力構築や防衛. 保障分野での協力へと ASEAN 側の選好をと. 装備・技術移転などの支援を包括した,より強. る素地となっていたと考えられよう.2013 年. い関与(engagement)を表明した79).2016 年. 以降に顕著となった中国の南シナ海での人工. の 第 2 回日 ASEAN 防衛担当大臣会合 の 場 に. 島造成 と 実効支配 に よ る 軍事的影響力 の 拡大. 臨むに際して,防衛省内では稲田防衛相の指針. は, 「既存の国際秩序の変更の試み」という安. の も と で,日本独自 の 対 ASEAN へ の 安全保. 全保障環境 の 変化 と し て ASEAN に 安全保障. 障協力イニシアティブを提起することを検討し. 上の対中国へのリスクヘッジをとる必要性に. た.その政策メニューを検討するなかで,既に. 駆られたことは第 1 節で論じたとおりである.. 個別に実施されている政策を包括的に束ね,イ. ASEAN の対日認識のなかで日本の軍事大国化. ニシアティブとして整理することとした80).ビ. の懸念がほぼ消失したとき,現行秩序の安定を. エ ン チャン・ビ ジョン の 提起 は 2016 年 だ が,. 図 り た い ASEAN 諸国 に とって は,日本 と の. 実務上,能力構築支援,防衛装備・技術協力,. 安全保障面で協力を進めることが選択肢のひと. 訓練・演習などは,それぞれが個別の政策とし. つとなり得る条件が整った.つまり,ASEAN. て,それ以前から既に進められていたものだっ. 側には合理的選択を制約する要因が解消された. た.同ビジョンは,それまで個別に行われてき. ことを意味する.対日認識が変化した ASEAN. た諸政策を 5 つの分野(①規範の強化,②能力. 諸国 は,2016 年 に 日本 が 集団的自衛権 の 憲法. 構築支援,③防衛装備・技術協力,④訓練・演. 解釈の変更や平和安全法制を成立させた際に. 習,⑤人材育成・学術交流)に整理・包括した. も歓迎と支持を表明したのである.ここには,. 安全保障イニシアティブとして明文化した.こ. 1992 年の国際平和協力法の成立に対して ,「自. れにより,同ビジョンは ASEAN に対して安. 衛隊の活動はあくまで国連の枠内で」としたよ. 全保障政策を推進していく準拠として,一貫し. うな条件付き支持ではなかった.. た政策指針を与えることとなった.従来,安全. 第 13 回アジア安全保障会議の場で,安倍首. 保障の個別的政策は「防衛計画の大綱(防衛大. 相は「海における法の支配の 3 つの原則」を訴. 綱) 」等に基づいて進められてきたが,同ビジョ. えた81).これは,①国家はなにごとか主張をな. ンが防衛大綱の上位概念として確立されたこと. すとき,法にもとづいてなすべし,②主張を通. の意味は大きい.地域の安定化と国際安全保障. したいからといって,力や,威圧を用いないこ. 環境の改善を推める上で,5 種類の政策を状況. と,③紛争解決には,平和的収拾を徹底すべし,. によって組み合わせることで選択肢を増やし,. というもので,これは「法の支配」規範に「原. 柔軟でより強い関与を進めることが可能となっ. 則」として加えることで,南シナ海の現状変. た.. 更への試みに対抗力を強めようとしたもので.
(12) 126 (390). 横浜国際社会科学研究 第 24 巻第 3 号(2020 年 1 月). あ る.安倍首相 が 南 シ ナ 海情勢 の 変化 を「既. ASEAN 双方がビエンチャン・ビジョンに安全. 存の国際秩序とは相容れないもの」と認識し,. 保障上の利益を見出したといえよう.. ASEAN との安全保障関係の強化を重視してい. 日本国内をみると,2016 年にビエンチャン・. ることを周知していた稲田防衛相は,ASEAN. ビジョンを提起したとき,日本の国会内では,. 諸国への積極的な支援を日本が主導して進めて. 共産党から「他国の軍隊を育成していくことに. いく必要性を強く認識していた82).そのための. なる…(略)アメリカの役割の肩代わりをして. 対 ASEAN への政策をどのような形にすれば,. いくというのは憲法 9 条の理念に全く反する」. ASEAN 側が受け入れることができるか防衛省. との批判が見られた84).批判はこれのみで,同. 内部での検討を重ねた.日本が ASEAN と共. ビジョン発表当時の国会は,治安情勢が悪化す. 有してきた「法の支配」規範を,どのように安. る南スーダン国連 PKO での自衛隊の武器使用. 全保障政策として具体化し得るのか,前述の 3. の話に目が向いていた85).外交防衛委員会で同. 原則も念頭に置いたうえでイニシアティブの具. ビジョンの目的や活動内容への言及は見られた. 体化へ防衛省内で指針を示した.既存の「法の. ものの,メディアや世論も含めて ASEAN 諸. 支配」規範は,ASEAN 憲章にも見られるよう. 国 へ の 防衛関与 を「軍事大国化」や か つ て の. に,もともとは人権や自由,民主主義の基礎を. 「大東亜共栄圏」と結びつけることもなかった. なす前提として用いられることが多かった.安. のである86).日本国内の「平和主義」規範は内. 倍首相の提示した「海における法の支配の 3 つ. 面化されてはいるものの,国会や世論も,日本. の原則」に対比させ, 「法の支配」規範を貫徹. 独自 の 安全保障 イ ニ シ ア ティブ を「軍事大国. 4. 4. するため, 「自由で開かれた海洋」 「航行の自由」. 化」や「大東亜共栄圏」と結びつけることはな. 「海洋の安全保障に関わる国際法の履行」とに,. かった.内閣府世論調査(2018 年)で,世論. 規範が国際秩序のあり方を方向付けるよう 3 つ. の 87.8%が自衛隊の海外での活動を「評価する」. に具体化し,精緻化を図った83).いわば,既存. とし,自衛隊の存在の違憲性を問う主張が大き. 規範を精緻化することで,その再構築を行っ. く衰退した代わりに,国内および海外での役割. た の で あ る.再構築 さ れ た「法 の 支配」規範. への支持が既に広範に定着していることを示し. は,南シナ海での現状変更の試みへの明確な対. た.. 立軸となりえるものだった.これを日本と安全. 「平和主義」規範は,自衛隊の海外での活動. 保障面での協力を進めることを選択肢の一つと. を反軍国主義や軍事大国化と見做すものではな. し て 持って い た ASEAN に 対 し て,第 2 回日. く,地域・国際社会の平和や安定への貢献に一. ASEAN 防衛担当大臣会合の場において,ビエ. 定の軍事的役割を許容する性格を帯びたものに. ンチャン・ビジョンとして提起した. ここには,. 変化したことを示すものであろう.「平和主義」. 国家の政策を形成する際に,それを成り立たせ. 規範が地域の安定化や国際安全保障環境の創出. るよう内側から行為を方向づけるように作用す. のために自衛隊の役割拡大を容認するものに変. る規範の構成的作用が働いていたことが分か. 容したことは,日本国内での対外政策決定への. る.ビエンチャン・ビジョンの提起は,再構築. 規範の規制的作用に変化をもたらしたことを意. さ れ た「法 の 支配」規範 を ASEAN と の 共通. 味する.. 目標として正当化することで初めて可能となっ たのである.「法の支配」 ( 「自由で開かれた海. おわりに. 洋」 「航行の自由」 「海洋の安全保障に関わる国. 本論 で は,日本 の ASEAN 諸国 へ の 防衛関. 際法の履行」 )という精緻化された ASEAN と. 与の拡大について,何故日本独自の安全保障イ. 共有する規範を守るべき価値としたことで,日. ニシアティブとしてビエンチャン・ビジョンの.
(13) 安全保障イニシアティブ「ビエンチャン・ビジョン」の提起(浦上). (391) 127. 提起が可能となったのかを規範の側面から明ら. 防衛省・自衛隊に一貫性のある政策指針と準拠. かにした.. が与えられた.強化された「法の支配」規範を. 第 1 節 で,規範 と 合理的選択 に よ る 分析枠. 前面に掲げ,対象国に応じて能力構築支援や防. 組みを提示し,第 2 節では,ASEAN 側の対日. 衛装備・技術協力など異なる手段を組み合わ. 認識 の 変化 を 観察 し た.ASEAN 諸国 の 対日. せた政策立案が可能となり,ASEAN との安全. 認識 が 徐々に 変化 することによって,日本の. 保障協力を後押しした.これによって ASEAN. 軍事大国化 や 戦前への回帰といった懸念が既. 諸国に対する自衛隊の防衛関与の拡大をもたら. に消滅していることが明らかになった.同時. したのである.. に,ASEAN 諸国の対日認識の変化は,既に日. ビエンチャン・ビジョンを受入れた ASEAN. 本を安全保障上の懸念ではなく,戦略的パート. 諸国は,強化された「法の支配」規範そのもの. ナー(味方となってくれる国)として認知して. が守るべき価値となり,これを守ることに利益. いることも明らかになった.第 3 節では,ビエ. を見出している.規範の強化が,国際社会へ自. ンチャン・ビジョンの提起を事例に,日本の対. らの政策の正当性を示すことを可能とするから. ASEAN への安全保障政策の決定を規範の側面. である.安全保障上の利益を共有する国を選択. から考察した.考察の結果,戦後から維持され. した防衛関与は,中国が既存の国際秩序を変更. てき た「平和主義」規範は少しずつ変容を遂. しようとする「現状変更者」である限り,国際. げ,地域の安定化や国際安全保障環境の改善の. 秩序の基盤である規範を強化して対抗軸とし,. ためであれば,自衛隊の役割拡大を容認するも. 主張し続けること自体に安全保障上の利益を見. のに変化してきたことを明らかにした.日本国. いだせる.. 内においてビエンチャン・ビジョンへの反対意. ビエンチャン・ビジョンを事例として考察し. 見や批判が起こらなかったことからは, 「平和. た結果,日本の安全保障政策を内面から拘束し. 主義」規範が内面化されていても,同ビジョン. てきた「平和主義」規範は,規範そのものは維. を「軍事大国化」とは見なしていなかったこと. 持されていても,その性質が変容した結果,政. が 分 かった.こ れ は,2000 年代以降 の 自衛隊. 策決定への規制的作用も変化した.ビエンチャ. の活動内容や地域的な拡大を見ると,日本国内. ン・ビジョンの提起は,その規範の変容が安全. の「平和主義」規範が,地域・国際社会での安. 保障分野での対外政策決定への構成的作用とし. 定や平和への貢献に,一定の軍事的役割を許容. て作用した.. する性格を帯びたものに変容してきたと解され. ま た,2016 年 9 月,稲田防衛相 は ワ シ ン ト. る.第 4 節 で は,日本 が ASEAN と 共有 す る. ンの「戦略国際問題研究所(CSIS)」で講演を. 既存の「法の支配」規範を細分化・精緻化し,. 行 い,海上自衛隊 と 米海軍 の「共同巡航訓練」. より強化された「法の支配」規範として再構築. を通じて南シナ海での活動を強化する方針を明. することで提起され,これを ASEAN が受け. らかにした87).日米同盟の地域安定化の公共財. 入れたことを明らかにした.. としての性格を活かしながら,より物理的な軍. ビエンチャン・ビジョンは,従来,それぞれ. 事的プレゼンスも用いて ASEAN 諸国との関. 個別に並列して行われてきた諸政策を 5 つの分. 係を維持・強化し,南シナ海問題に関与してい. 野(①規範の強化,②能力構築支援,③防衛装. く方向に向かったのである.ビエンチャン・ビ. 備・技術協力,④訓練・演習,⑤人材育成・学. ジョンは,日米同盟の側面では日本の役割分担. 術交流) に整理・包括し, 安全保障イニシアティ. をアピールできるという点では合理的な選択. ブとした.同ビジョンによって,包括的な対外. だったのである.. 安全保障政策の立案と決定に上位概念を与え,.
(14) 横浜国際社会科学研究 第 24 巻第 3 号(2020 年 1 月). 128 (392). 注 1)国連 PKO へ の 自衛隊派遣 は,2017 年 5 月 に 国連南 スーダ ン 共和国 ミッション(UNMISS) での施設部隊が撤収したことで部隊派遣が終了 した.2019 年時点では UNMISS 司令部に 4 名 の要員を継続的に派遣している.平成 29 年版 『日本の防衛』,385 頁. 2)平成 29 年版『日本の防衛』,378 頁. 3)同掲書. 4)英国では「防衛関与」とは ,「国防アセットや 戦闘任務 に 至 ら な い 各種活動 に よ り,影響力 を 獲得 す る こ と」と 定義 し て い る.Ministry of Defence and Foreign and Commonwealth Office, International Defence Engagement Strategy,2013.また,オーストラリアでは「防 衛関与」の 目的 を,①豪州国防軍 の 能力強化, ②豪州の地域的およびグローバルな影響力の生 成と維持,③能動的で効果的な安全保障パート ナーシップの生成,④国際安全保障の強靱性の 強化としている.Australian Government Department of Defence, 2016 Defence White Paper, pp. 119─121. 5)平成 29 年版『日本 の 防衛』資料 50 お よ び 平 成 30 年版『日本の防衛』354 頁より筆者集計. 6)稲田防衛相 に よ り 表明 さ れ た ビ エ ン チャ ン・ビ ジョン は,海外 の メ ディア で も 報道 さ れ た.Prashanth Parameswaran, ‘Japan Reveals First ASEAN Defense Initiative Withʼ Vientiane Vision’, The Diplomat, November 26, 2016, <https://thediplomat.co m/2016/11/ japan-reveals-first-asean-defense-initiativewith-vientiane-vision/>, also, Catharin Dalpino, ‘Both Push and Pull: Japan Steps Up in Southeast Asia’, Comparative Connections, Vol. 19, Issue 1, Center for Strategic & International Studies(CSIS), May 2017, pp. 123─128. <http://cc.pacforum.org/2017/05/ push-pull-japan-steps-southeast-asia/>, accessed March 20, 2019. 7 ) C h a i w a t K h a m c h o o , ‘J a p a n ’s R o l e i n Southeast Asean Security: Plus ca Change…’, Pacific Affairs, Vol. 64, No. 1,(Spring, 1991),pp. 12─14. also, Bhubhindar Singh, ‘Japan-ASEAN Relations: Challenges, Impact and Strategic Options’, S. Rajaratnam School of International Studies (RSIS) , Singapore, September 12, 2017, pp. 96─97. 8)稲田朋美元防衛大臣 イ ン タ ビュー,衆議院議 員会館,2019 年 2 月 6 日. 9)例 え ば,山影進「ASEAN の 安全保障機能 と アジア太平洋の広域安全保障」,山本吉宣編『ア. ジ ア 太平洋 の 安全保障 と ア メ リ カ』 ,彩流社, 2005 年,179─202 頁.須藤季夫「日本外交にお けるASEAN の 位置」 , 『国際政治』第 116 号, 1997 年 10 月,147─164 頁 . 10)大矢根聡「東 ア ジ ア 地域協力 の 転回─多国間 主義 の 視点 に よ る 分析 へ」 ,大矢根聡編『東 ア ジ ア の 国際関係─多国間主義 の 地平』 ,有信堂, 2011 年,3─24 頁.竹田 い さ み「序章 多国間主 義の検証」 , 『国際政治』第 133 号,2003 年 8 月, 1─10 頁.高原明夫「東アジアの多国間主義─日 本 と 中国 の 地域主義政策─」 『国際政治』第 133 号,2003 年 8 月,58─75 頁.高埜健「東南アジア における多国間主義─地域安全保障の観点から ─」 , 『国際政治』第 133 号,2003 年 8 月,76─92 頁.菊池努「アジア太平洋地域のメカニズムと プロセス─ APEC・ARF を中心に─」,『国際政 治』第 114 号,1997 年,176─193 頁. 多国間協力 の 視点 か ら の 研究 と し て,西川 吉光『覇権 と 地域協力 の 国際政治学』 ,学文 社,2007 年,129─182 頁.国際レジーム論から ASEAN に言及した研究として,山本吉宣『国 際 レ ジーム と ガ バ ナ ン ス』有斐閣,2008 年, 225─248 頁.制度論による研究として,田中明 彦「 「地域」形成 の メ カ ニ ズ ム」 『東 ア ジ ア 共 同体と日本の針路』 ,NHK 出版,2005 年,14─ 27 頁.湯澤武「東 ア ジ ア の 多国間制度 と 地域 秩序の展望─現状維持装置としての地域制度の 役 割 ─」 『国 際 政 治』 第 158 号,2009 年,10─ 24 頁.また,安全保障を構造的に捉えアジア 太平洋地域について論じた研究として,神保 謙編著『ア ジ ア 太平洋 の 安全保障 アーキ テ ク チャ─地域安全保障の三層構造』 ,日本評論社, 2011 年,4─50 頁.コンストラクティビィズム か ら ASEAN を 研究 し た 文献 と し て,湯川拓 「ASEAN 研究におけるコンストラクティビィ ズム的理解の再検討─ 「ASEAN Way」概念の 出自 か ら ─」 『国際政治』第 156 号,2009 年, 55─68 頁 . 11)先行研究として,ナショナリズムの視点から 日本外交を論じた研究に,中西寛「序論戦後日 本外交 と ナ ショナ リ ズ ム」 『国際政治』第 170 号,2012 年 10 月,1─14 頁.加藤博章「ナショ ナリズムと自衛隊─一九八七年・九一年の掃海 艇派遣問題を中心に─」同掲書,30─45 頁など がある.合理的選択論による研究として,畠山 京子「国内規範と合理的選択の相克─武器輸出 三原則を事例として─」 『国際政治』第 181 号, 2015 年 9 月,115─128 頁 . 1 2 ) A m e l i a L o n g , ‘J a p a n ’s P r e s e n c e a n d Partnerships in South Asia’, Australian Strategic Policy Institute(ASPI) , February 3, 2016, <https://www.aspistrategist.org. au/ japans-presence-and-partnerships-in-southeast-.
(15) 安全保障イニシアティブ「ビエンチャン・ビジョン」の提起(浦上). asia/>, accessed March 11, 2019. 13)Sandra R Leavitt, ‘The Lack of Security Cooperation between Southeast Asia and Japan: Yen Yes, Pax Nippon No’, Asian Survey, Vol. 45, No. 2, March/April 2005, 228─230. 14) 「構成主義」の 体系的 な 理論 の 代表的 な も の と し て,Alexander Wendt,Social Theory of International Politics, Cambridge University Press, 1999, Helen V. Milner, eds., Political Science: State of the Discipline,W.W. Norton & Company, 2002. およびデイヴィット A. ウェルチ(田所昌幸監訳) 『苦渋の選択─対外政策変更に関する理論』 ,千 倉書房,2016 年などがある. 15)大矢根聡 「コンストラクティヴィズムの視座 , と分析─規範の衝突・調整の実証的分析へ─」 , 『国際政治』第 143 号,2005 年 11 月,126 頁. 16) 国際政治学 の 合理的選択論 に つ い て は, Andrew H. Kydd, International Relations Theory: The Game-Theoretic Approach, Cambridge University Press, 2015.が理論的概説を提示している.現実 主義(リアリズム)の立場で合理的選択論に基 づく研究として,Glenn H. Snyder,“The Security Dilemma in Alliance Politics”, World Politics, Vol. 36, No. 4, 1984, pp. 461─495., James D. Fearon, “Ratioalist Explanations for War”, International Organization, Vol. 49, No. 3, 1995, pp. 379─414. などが ある. 17)合理的選択論による政策決定の分析手法に関 する参考として,飯田敬輔 ,「序論 国際政治に お け る 合理的選択」 , 『国際政治』 ,2015 年 9 月, 1─14 頁.及び,Michael E. Brown, Cote R. Owen, Lynn-Jones M. Sean and Miller E. Steven, Rational Choice and Security Studies: Stephen Walt and His Critics, Cambridge, 2000. などがある. 18)ASEAN 諸国,特に,インドネシア,マレー シア,フィリピン,ベトナムと中国との南シナ 海での領有権に関する歴史的な対立について は,Joshua P. Rown,‘The U.S.-Japan Security Alliance, ASEAN, and the South China Sea Dispute’,Asian Survey, Vol. 45, No. 3,(May/ June 2005),pp. 416─426 を参照. 19)上野英詞, 「南シナ海仲裁裁判所の裁定:その 注目点と今後の課題」 ,笹川平和財団,2016 年. <https://www.spf.org/oceans/analysis_ja02/ b160901.html>,2019 年 1 月 14 日アクセス. 20)湯澤武 ,「東アジアの多国間制度と地域秩序 の展望─現状維持装置としての地域制度の役割 ─」,『国際政治』第 158 号,2009 年 12 月,17 頁. 21)中国 と ASEAN は 2002 年 11 月 に「南 シ ナ 海の係争当事者の行動宣言(DOC)」に合意し た .「南シナ海行動規定(COC)」は DOC を具 体化した拘束性のあるものにしようとする交渉. (393) 129. である . 22)Jihyun Kim,‘Territorial Disputes in the South China Sea: Implications for Security in Asia and Beyond’, Strategic Studies Quartely, Vol. 9, No. 2,(Summer 2015) ,p. 119. 23)スカロボー礁をめぐるフィリピンと中国の対 立の詳細およびフィリピンが提訴に至る経緯 について, 「スカロボー礁を巡るフィリピンと 中国 の 対峙」 , 『海洋安全保障旬報 2012 年 4 月 11 日~ 4 月 20 日』 ,笹 川 平 和 財 団,<https:// www.spf.org/oceans/ana lysis_ja01/a120411. html>,2019 年 1 月 16 日アクセス. 24)Jonathan E. Hillman, ‘Game of Loans: How China Bought Hambantota’, Center for Strategic & International Studies (CSIS) , March 2018. <https://www. csis.org/analysis/ game-loans-how-china-bought-hambantota>, 2019 年 2 月 4 日アクセス. 25)Jihyun Kim, p. 124. 26)Japan in Depth, 2016 年 8 月 1 日 . <https:// japan-indepth.jp/?p=29345>, 2019 年 2 月 28 日 アクセス. 27)Reuters, ‘ASEAN deadlocked on South China Sea, Cambodia blocks statement, July 26, 2016. <https://www.reuters.com/article/ussouthchinasea-ruling-asean/ase an-deadlockedon-south-china-sea-cambodia-blocks-statementidUSKCN1050F6>, accessed March 4, 2019. 28)Jihyun Kim, pp. 123─126. 29)井原伸浩 ,「 1970 年代の東南アジアにおける 非経済的 な 日本イ メージ の 悪化要因」 , 『言語文 化論集』 第 XXXVIII 巻, 第 1 号,131─135 頁. <https://nagoya.repo.nii.ac.jp /?action=repository_ action_common>,2019 年 4 月 24 日アクセス. 30)同掲書. 31)外 務 省 ホーム ページ.<https://www.mofa. go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol 64/ index.>,2019 年 3 月 4 日アクセス. 32)船橋洋一, 『ア ジ ア 太平洋 フュージョン ─ APEC と日本』 ,中央公論社,1995 年,102 頁 . 33)同掲書,88─93 頁. 34)高原明夫 ,「東 ア ジ ア の 多国間主義─日本 と 中国の地域主義政策─」 , 『国際政治』第 133 号, 2003 年 8 月,66 頁. 35)Sandra R Leavitt,pp. 228─221. 36)石川幸一, 「ASEAN 産業高度化 へ の 日本 の 支援」 , 『日・ASEAN の 経済連携 と 競争力』 , 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア経済研究 所,2003 年,116 頁. 37)須藤李夫, 「日本外交 に お け る ASEAN の 位 置」 , 『国 際 政 治』 第 116 号,1997 年 10 月, 157 頁. 38)ASEAN 拡大外相会議における安倍外務大臣.
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