• 検索結果がありません。

海外ニュース 北タイの仏教説話―タイ国所伝 paññāsajātaka 調査報告並びに関連する仏教説話紹介―

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "海外ニュース 北タイの仏教説話―タイ国所伝 paññāsajātaka 調査報告並びに関連する仏教説話紹介―"

Copied!
7
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

冒割冒亀荷冒雷︵五○のジャータカ︶は、東南アジア諸地域、ミ ャンマー、タイ、ラオス、カンボジアなどに流布する仏教説話 ① の集成である。説話がジャータカ形式︵現在物語・過去物語・ 人物の結合︶を厳格に踏襲していることから、疑経ジャータカ ② ︵シ冒日弓冨ご割騨富︶と呼ばれることもある。それらは、南方 上座仏教に伝承された五四七話からなる所謂﹁五○○ジャータ カ﹂とはまったく異なり、また、北方に伝承され発展してきた ﹁本生経類﹂とも異なるものである。このパーリ語で書かれた 、昌曽負蜀愚曾は、ビルマ文字、クメール文字、ダム・ランナー 文字、モン文字などの東南アジア各地の文字で貝葉に刻まれ、 各地の寺院で保存され伝承されてきた。 一方、タイ王室から贈られたとされる南方仏教貝葉写本の一 ③ 大コレクション︵大谷貝葉︶が、大谷大学図書館に存在する。 その中の一つに曾菖自国胃画ざが含まれていたことから、本学 ④ での曾創目鼻冒曾研究の端緒が開かれたと言うことが出来る。

海外ニュース

北タイの仏教説話

lタイ国所伝曾割目倉荷冒曾調査報告 並びに関連する仏教説話紹介I

清水洋平・村西弘行

これまで、、昌司鼠討冒雷の現地調査は通算三回となるが、今 回の調査日程は以下の通りであった。 ◎二○○四年八月三○日∼九月五日バンコクにおける 各專門家との討議、現地調査。 ◎九月六日∼八日チェンマイにおける各専門家との討 議、現地調査。 ︵調査メンバーは、東方研究会研究員田辺和子、大谷大学任 期制助手清水洋平、大谷大学博士後期課程村西弘行の三名 である。︶ ○八月三一、Rバンコク・弓呉○房目冒口︵通称乏曾勺弓︶寺 院一℃胃、巨四冨弓宮島巨筥巴︵も胃四留旨号四目白目匡葛里︶長老 ⑥ と以下の事項について懇談した。 1.長老より、重鼻而冒寺院所蔵のタイ王室版、§爵蔦荷蔦亀 貝葉写本と大谷版貝葉写本との相互比較における読解協力の申 し出と、将来における校訂出版の勧奨を受けた。 2.第一回目調査の折、祠冒四巨煙冨弓宮号ご幽巨氏のご好意に より、未整理のままの膨大な量の貝葉写本を保持している三里 宛四・冨の旨富国日寺院の冨菖園昌国亀宮貝葉写本も併せ調査・撮 影を行った。今回、その折に収集した同寺院が所蔵する、§︲ §菖荷旨雷貝葉写本の取り扱いについて質疑を受け、資料的価 値を検討中の旨を回答した。 ⑦ ○九月一日∼三日“弓冨陸蝕日go冒罰第一回目調査から引 き続きご助力頂いているフランス極東学院︵国司同e研究員の ⑧ ]四β巨の旨の副匡o圃呉女史から、我々が今までに行った校訂作業 45

(2)

の問題点に示唆をいただき、更に今後の校訂作業のあり方につ いても教示を受けた。その他、固司両○の曾曽園急冒亀曾に対す る研究の蓄積や両司両○所蔵の曾割創昌ミ圏貝葉写本目録デー タの活用も討議した。︵また、一日は国立図書館、二日はトンブ ⑨ リー地区にある乏鼻出○届詞目目四国日寺院をそれぞれ訪れた。 国立図書館では田辺氏招来の旨葛尉ミョ圏雷貝葉写本マイクロ フィルム照合番号の確認作業を、弓曾国o侭”自国目国日寺院で は第二回調査時国晨○国鼻女史と共同作成した同寺院所蔵の貝 葉写本目録を僧院長に贈呈した︶。 ○九月四日“バンコク一貝葉写本研究家目もの扇晶匠巨侭と 面会。過般出版された曾笥冒言冒雷訪骨営号○鷺ミミ員︲ ⑩ 国、風轌旧さ曽曽の目口吻胃の障昌○口以降の研究の動向などについ て質問があり、和訳の計画があることを告げた。 ○九月五日亜チェンマイヘ移動。 ○九月六日︾チェンマィ・両司両○の巨四凋巨巴9口言,所長 ロ﹃.Fo日切の、冨昌の並びに北部タイ地域の写本研究家口局 シロ鼻○房︲困○鴨吋閥旨囚に面会。北タイ地域に伝承される 曾創身鳥冒雪について、現在の状況も含め、意見を伺った︵詳 細後述︶。午後、チェンマイ大学タイ学部タイ文学専攻の ロ:日嗣○○邑四呂品且eこ教授に面会の機会を得て、タイ文学 の観点から見た盲獣劉ミミ自首に関する地域性について意見を 伺うことが出来た。 ⑪ ○九月七日︾g冨艮の氏のご案内により、終日ランプーン地 ⑫ 域の寺院調査に従事した。 勺①言①扁氏は、著書の略歴欄が語るところによれば、ラオスの 吟遊詩人たちの中で育ち、パリ・ソルボンヌ大学で極東学博士 号eogの旨2国且①め両〆恩日①︲9吋貝巴のめ︶および人文科学国 家博士号eogの目白両国冠の旧の胃の、2mgのロ。①“出口冒巴ロロ①印︶ を受けた後、タイ言語および文化を研究分野とし、現在はフラ ンス極東学院チェンマイ支部の研究メンバーとして、北タイ地 域に居住するタイ族命冨ロゞ胃のロ︺国巨自︾旧巨①など︶の古典文 学を︵保存という観点も含めて︶研究している。同地域は一四 世紀から一六世紀にかけて独自の物語文学が花開いた歴史を有 しており、その成果を、それら民族文学を現地語・中央タイ語・ フランス語・英語を併記した編纂を行い、公刊して広く世界に 開示されることに努めておられる。 ここでは、同氏より寄贈を受けた編著書を中心に、その概要を 紹介する。 [被寄贈図書] $電︾尋、汽言、§届§員ミ、回目5口“ロ臣侭︻四日。一︶、幽侭︲ 丙○戸。 以上の日程に従い、各専門家から曾菖目ミミ愚曾研究に関し て種々の意見を聴取し得たこと、併せて現地に出向けたことか ら、関連ある国内では得難い研究文献や原典写真資料などを手 にすることが出来た。特に、前述の醒口画旦の︲幻品①H思旨①H氏 と面識を得たことは貴重であったように思える。本報告では、 そのことについて詳述したい。 16

(3)

○国謎汽きき苫屋ミミミ、︵己望︶は、同氏が一九八二年から一九 八五年にかけてビルマ・シャン州尻冒の巨口8宮口葛の僧院を中 心に収集した貝葉ないしは折れ本写本、数にしておよそ一三○ 部、二七一文献のカタログである。先に述べたように四つの言 語で短い内容解説が付されている。暫定的な分類として、文献 には民話ジャータカ含○房司国富︶、仏教教義田二注言里︹一○○︲ 胃旨の︶、仏伝︵罠の○筐]の切巨臣冨︶などの粗い種別が施されてい る。 序文で同氏は、尻目の巨の文学は、今まであまり紹介されるこ とがなかったのであるが、閨巨gP目三四︶の文学とは同根であ り、加えて、国匡目文学の伝承がビルマやアュタヤとの戦いの 中で壊滅的な打撃を受ける一方で、観言の口のそれは、いささか その難を逃れていることから比較的に保存状態が良く、く目昌 ではその文献の由来が不明のものも、更に調査が進めば同定し うるものもあり得ると、その期待を述べている。その意味では、 ﹄や④﹄誹弔さ琴S葛巨言ミ画ミミ珂の匡邑尋○篇祠moo丙○①日口の旧旨巳蔚具 ○言四口、︾畠巴. 胃④④堕辛函忌一sご回琶巷ロ︵もpす﹂融酔皀雪○○○m巴○口﹂の一︾○︷時四冒堅①g﹂ ○巳匿穴昌ごロ画皀昌︹旨閉融吊竺匡ごく胃目彦煙︻国旦四m]ト ロ○ぐの日匡の旨④④望司胃異口呂計5国函CCP戸畠目、夛自&︻拓 勺匡匡尉彦①H︾○巨凹ロ”︾烏閏. 己B“目詳弓迂討乏狩琴嘗﹃︲PPO弓巴①︶巨旨四目匡四侭三豐ご胃臼 もH冒威口頭○ヶ賦国ね戸畠巴. ○殆さ言ミ亀量員邑蒼ミ具后巴︶は、母尽目に広く膳炎している世界 創造神話である。ただ、民族に深く根ざした口承神話と、およ そ一三世紀から一四世紀にかけて入ってきたであろう書写経典 を読むことから得られる仏教教理、その両者が人々のイマジ ネーションの中で新たに融合した結果、実に不思議な物語に変 身していることに特徴がある。もちろん、仏教の教義には原則 として、宇宙生成論は存在しない。その意味では、民族アイデ ンティティーの象徴ともいえる民族固有の神話に、異文化であ る仏教の教えがどのように受容されてゆくかを知る上で、編著 者が原文のランナー語をまず中央タイ文字に忠実に変換し、タ イ国の人々が近縁語として読みうる形にしたうえ、加えて外国 人のために、仏訳・英訳を添えた本書は貴重である。物語全体 は三章に分かれており、第一章は、シ副騨“〆○且昌冒に仏陀が この帛さ言曽負言員画曽ミ﹃[始源の物語]の教説を語るところから 始まり、ざ侭胃言侭Q亀曽尊信普忽と、震爵、§曽爵薑黒員と 呼ばれる女性と男性の存在田の旨巴が世界を創ったことを述 べ、大地や生き物や人間がどのようにして生じたかを説き、ま た黄道の十二星宿や十二支がどのように出来たかを語って民族 固有の神話物語が色濃く残る部分である。第二章は、生まれた はない。 よるくの目:巳閏であるため、その各々へのアクセスは容易で 究にとって無視し得ないものであろう。ただ原本は現地文字に 同氏が現在所蔵しているこの一大収集は今後の北タイ文学の研 FJJ 40土

(4)

○魯旨ご§ミ︵己麗︶は、ビルマ・シャン州○宮の掲目巨侭にある 言巴国口○吊国屋冒の僧院長の副目巴四長老から、思旨の︺、氏が 一九九二年に譲り受けた写本に基づき編纂されたもので、同氏 の編集の定番となった、原本の現地語版、中央タイ文字版、仏 語抄訳、英語抄訳から構成されており、北タイの諸民族間に共 通に伝承する典型的なタイ族の[疑経]ジャータカである。長 短さまざまの版があり、弓百斤から巨甸冒宍までのものがある。 本編は﹃而言丙︵書写59年︶のものを編集している。特に、 の乱目巴四長老は、︻宮①ロのあまたある民話ジャータカの中で、 腎旨昌菖国は重要な位置を占めていることから、その出版を強 く希望され、原本提供の親切を施していただいたと祠のEの﹃氏 は付記している。また、異本として、の宮”品巨巴の三里弓冨 犀己開の僧院長ンロ自烏シ目国号四日目○長老が○亘の長弓匡品 ことに成功したのである。 を見事に融合し、万物の起源に関する全く新しい物語を著わす える世界創造の神話と﹁苦の減﹂という仏教教理の二つの考え 僧であったろうと思われる原作者は、このようにして民族が伝 て説かれ、ついに悟りを開くに到るまでが語られる。おそらく が徐々に世俗からの出離へと進む過程が仏教の教理を織り交ぜ る。第三章は、ある男の何阿僧祇にも渡る輪廻転生を描き、彼 の別、世の無常等などを学ぶ姿が描かれ、仏教色が加わってく かを述べ、無数の阿僧祇劫を経巡って後、ようやく善悪・苦楽 人間がその後どのようにして少しずつ物事を知り分けて行った から将来した貝葉写本︵書写ごg年︶や、チェンマイ大学の社 会研究所GOO巨幻①い①閏。匡口の胃巨の︶所蔵のマイクロフィルム 収集には、禺巨目文字による弓働昌且国︵g賦晶幻巴︶の写本︵書 写扇ら年︶と言禺巨四の尻昌︵巨四の思侭︶の写本︵書写扇総 年︶があり、耐匡の文字による騨言ご§冒昌寒圏と題されるF目品 刃四冨晶由来の写本も同氏の手許に保持されており、後々の研 究者に公開することを表明しておられる。 ジャータカの内容は、英語抄訳にしたがえば、王子として生 まれた留両ぐ“自画は布施を常に心がける人物である。一方、 国目画く四貝の森に住む牛の王ご切菩富国茜の食べ落としたパイ ナップルの実を、偶然に口に入れた篤信の女zm掲尿房巳画く島 は懐妊して、父のない娘己日日且目角を産む。父親の居る娘た ちから散々蔑まれたロョョ“烏雪国は森へ父を探しに出かける。 ついに牛王の父に会い、森の宮殿に一緒に住むこととなる。と きに、王子が森に狩に出かけて彼女に遭遇し、そのまま相思相 愛の夫婦となって牛王の宮殿で暮らすこととなる。時が経て、 王子は自分が布施を出来ないことを悔やみ、牛王の許しを得て、 娘を連れて都に帰る。都の人々は大歓迎し、王は王子に王位を 讓る。新王は都に布施所を作り、布施に精を出す。の丘四く9局 は、世の中に永続するものは無く、人は遅かれ早かれ死に赴く ことに思いがっのり、自らの肉体を布施してでも悟りに至りた いと望む。帝釈は年老いた婆羅門に変身し、彼に肉を乞い、ま たときに夜叉に変じて彼に眼を求める。布施をなす都度、 砕両く目目に智慧が生じ、帝釈は早晩彼の望みは叶うであろう 48

(5)

と述べる。彼は世の無常を知り、息子の留彊且冨に王位を讓 り、森に入ることを決意する。妻のロ目白且自国も付いて行く

ことを願い、二人は間目四ぐ四目の森に入り出離波羅蜜

︵ロの廃冨日日、目国日Uに精進しようとする。帝釈は、く厨呂︲ 厨日日里呂ぐ目の閂。匡扇g︶に出家所を作るように命ずる。二人 は、瞑想と観想含冨く煙目.百日目昌訂口四︶に専念し、曽両ぐ自尽 は禅定を経て、証智︵号言副巴に達した。ご日日且9国も禅定 を得た。二人は出離波羅蜜を行じて、寿命を終えて後、共に兜 率天に再生した。世尊は言われる﹁私の教えを心に止めなさい。 そうすれば浬梁に到るであろう。清らかな心を持つ者は輪廻か ら永遠にとき離れるであろう。の且閨目gの教説を初めから終 わりまで聞く者、人々に声を上げて読み解く者、写して寺院に 奉納する者、あるいは花で経本を讃嘆する者は、財に恵まれ、 三福︵富裕、昇天、浬藥︶を得るであろう。曾両ぐ眉目の教説は、 かつて仏陀をとり囲むサーリプッタと一万の比丘に与えられて、 彼らのすべてが、阿羅漢の位に達した﹂と。 あらすじは以上の通りである。物語の下敷きとして、聖典ジ ャータヵのくののの自国国を思い起こさせると共に、東南アジア に広く伝播する曾号目印と冒go冨団の物語と似た話の展開 にも気付くところである。ただ、二人が森に出家する箇所より 以降は、仏教の修行に関して、かなり高次の内容になっている ことに驚かされる。もちろん単なる骨子のみでは、到底その評 判の実態がどこにあるかを窺うことは出来ないが、思盲①民氏は、 ︻旨①固の一般民話ジャータカに比較して、曽冒昌曽園は仏教教 ○日苛雪ぶ篇乏碕寄嘗︾︲︵59︶は、F煙○の古典文学の一つである㈲ 一般の作品が、四、○○○から一○、○○○個の韻文で構成さ れるのに比較して、本作品は短く八七四偶から成り立っている。 数において一二九偶の四行連句G2︶および二○三偶の二行 連句︵両目侭︶が見られるが、一部は不完全なものがある。ま た一五○の偶がペンの滑りか、意図したものか分からないが、 写経生の単なるミスとは思えない姿で失われている。しかし、 それはテキスト理解に不便を生じてはいないとも①言の局氏は述 べている。また、本作品のユニークな点は、詩作が新しく一九 世紀のものと考えられること、しかも詩作者は現東北タイの不 幸な時代︵’九世紀後半シャムとの抗争︶を反映して、生育地 で僧侶としての学を続けることが出来ず、やむなく切目鴨島 であると、もの旨臼氏は語っている。 番目に仏陀ゴータマに近い菩薩であるとして崇められてきたの くのめいg自画の前生であるの且陣白眉は、くのの困口国国に次いで二 ことを積徳の行としているとのことである。人々にとって 物語の場面を刺繍して数メートルにおよぶ幡を寺院に奉納する として描かれている事実を指摘することが出来る。また人々は、 は、○言の品目匡侭の寺院壁面にくの閉自国国の隣に続いて壁画 なことである。なお、付記するならば、この物語の評判の高さ ことが出来ないことは、現地語の理解がないことも含んで残念 添えられた英語が抄訳であるため、完全に原文の実際に触れる 理の詳しさにおいて、はるかに豊かであると指摘しておられる。 1Q エ ゾ

(6)

に移住し、ついに故郷に帰ることなく、かって村の夕べの集い に語られた詩作品を偲びつつ、あたかも自らが語り部であった かのごとくに、この望、弓冨、乏碕寄嘗、を追憶の中で作ったと 推定されることである、と屈巨禺氏は解説している。なぜな ら、他の門口○古典文学には決して見られない、詩作者自身の思 いやそれがどのような風景の元で語られているかなどが、物語 を中断して、しばしば挿入されているからであるという。 物語のあらすじは、王に二人の妃があり、一人に子が授かる が、もう一人の妃の陰謀で、生まれ出てきたのは烏︵司旨蔚 口両言茜刷白いヨタカ︶であった。異形のもの︵実は菩薩である が︶は、母と共に国を追われ、ある国の宮廷園の老守衛夫婦に 救われてそこに住むことになる。ある日、その国の王女が庭園 に遊び、急巨の己答言Hを見つけ、可愛さのあまり宮殿の自室に 連れて帰る。急宮司ロ侭9日は、夜に王子の姿になって王女と 愛を語る。そのうちに王女は懐妊し、王宮は大騒ぎとなる。父 探しが始まり、君巨のご侭耳閏は国王の前に姿を現すが、王のま すますの怒りの中、二人は追放される。ときに、隣国から王国 は攻められて国が滅びようとする。そこに尋言5口侭g冑は普 通の姿に戻って、一矢を空に放って敵を抑えてしまう。王はこ の勇敢な戦士がほかならぬ葛巨蔚口侭目閏であることを知って、 満足して王位を讓ると言う展開である。この概略では伝える術 がないが、葛冨①口侭匡冒が天界から妃の胎宮に宿るまでの筋道、 あるいは陰謀、追放、あるいは寝室での愛の語りは、多分に聞 く人々を幻想の世界へ誘い込んだであろうし、また話中への仏 教教理の折り込みにも、当時の仏教受容の姿を豊富に見ること が出来るのである。FmOの特異な作品である。 以上、勺①言の周氏より寄贈を受けた書物についてその概略を 述べた。ここで知り得ることは、一四世紀から一六世紀にかけ てランナー王国を中心に、︵同氏が名付けた︶いわゆる民話ジ ャータカ雷○房両国富︶の類が無数に作られたことである。同 氏はその数は数百に及ぶであろうと言っておられる。私たちが 研究の対象としている曾菖目邑曹園曾はこれらの豊富な土壌の 上に咲いた珠玉の物語集なのかもしれない。ただ注意すべきは、 の且画く自尽の例に見るようにそれのみで十分に独り立ちする物 語が、パーリ語では流通することなく、それぞれの土地の言葉 でその地の人々にはよく知られる一方、域外の人は知ることも なく、地方の寺院の中で独り伝承されている事実である。また、 もの言臼氏が収集された尻言の弓の折本写本群は、民話ジャータ カとでも称すべき現地語で綴られた物語が、各地に豊富に残さ れていることを示唆している。これらを総合して、およそ一川 世紀から一六世紀の三○○年間、北タイでは、あたかも紀元前 にインドで古典ジャータカの花が咲いたように、先学のタイ僧 侶たちは、人々への教化に使命感とあふれる情熱をもって、民 族にとって身近に感じられるようさまざまに工夫した創作ジ ャータカを盛んに作り出し、村の夕べの集いや祭祀の場で頻り に語ったであろうことである。それは長い仏教史の中で第二回 目のジャータカ・ブームとも呼べる観を呈したのではないであ 30

(7)

ろうか。民衆の教化と東南アジアの仏教を支えた在家による飽 くなき布施の伝統は、この時期に北タイで起ったジャータカ爆 発がその底流を形作ったのではないかと思えてくるのであった。 註 ①、§曽吻ミ目鼻亀の起源および年代については、ダムロン王子 弓目。①冒冒8掲詞且目戸9号︶がタイ訳初版本︵ら誤∼︶の序文 で述べているlこれらの物語はランナータイ古代王国の首都であっ た北タイのチェンマイに住んでいた僧たちによって集められ、整え られ、パーリ語で書かれたもので、編蟇の時期は一五世紀から一七 世紀半ばであるlとするものが大方の学者から受け入れられている ②管。Q菅言﹄閉ミ吾即§、畠ざ副習・︲爵具国晶負目ロ“胃&耳目.回 国○日q四口巨石・い]巴凰ゞ目医の祠巴昌目①×骨の○日のご︺FOp且○口︾]①酌興昌の、。 弓切.冒目が、国言蒼県酎電5sと称されるビルマ版を耐目印から 校訂出版︵ら閏︶した勺農本の英訳版] ③大谷大学側諜伽編﹃大谷大学図書館所蔵貝葉写本目録﹄大谷大学 図書館、一九九五。 ④総合的な研究成果として次の報告書がある。①平成一○年度∼平 成一二年度科学研究費補助金︵基盤研究︵B︶︵2︶︶研究成果報告 書﹃大谷大学所蔵パーリ語貝葉写本における旨菖冒ミョ圏曾の文献 的研究﹄大谷大学文学部、二○○一。②平成一三年度∼平成一五 年度科学研究費補助金︵基盤研究︵C︶︵2︶︶研究成果報告書﹁大 谷大学所蔵貝葉写本曾曽胃急鷺雷と他伝承の同名本との比較研究﹄ 東方研究会、二○○四。 ⑤第一回調査は、二○○三年三月二日∼一○日︵詳しくは、田辺和 子・清水洋平﹁パンニャーサジャータカ貝葉写本タイ王室コレクシ ョン報告﹂﹁パーリ学仏教文化学﹄〃、二○○三参照︶、第二回調査 は、二○○川年一月一四日∼二月二四日︵詳しくは、吉元信行・舟 橋智哉・清水洋平﹁タイ貝葉写本調査報告﹂﹃大谷大学真宗総合研究 所研究所報﹂“、二○○四、清水洋平﹁弓豐国○届毎冒自国日寺 院所蔵貝葉写本調査報告l副割胃言蔦画貝葉写本集成を中心にl﹂ ﹁パーリ学仏教文化学﹄鴫、二○○五。参照︶に実施した。 ⑥この席に、フランス極東学院白司両g研究員の旨。壱の]旨の 国三○函翼女史も同席された。 ⑦タイと近隣諸国の文化・芸術科学技術を紹介している機関で、出 版会社や図書館も併設している。 ⑧タイでは、貝葉写本コレクションにおいて、王室版と呼ばれるも のや寺院所蔵のもので学界に通用できるカタログ作成はなされない ままになっている。三蔵が作成された時は常に、詳細なカタログを 用意する習慣があったとは思われないので、種々の王室版や寺院所 蔵のものがどんな多くの写本を、どのように保持していたかが知ら れていない弓①耐門の匿旨ロ伽飼忌周ミミ震隷早回萬蒼鳶鼠営Qミ﹃旦 堕ミ再・mmp鴇呉︾9sも﹂乱こ。そのために、旨β巨①旨①副巨○い鼻 女史が、弓罠冠冒寺院をはじめとする寺院所蔵の貝葉写本のカタロ グ作成をしているのである︵前掲川辺[9sも.]ち]参照︶。 ⑨チャオプラャー川の西岸に広がる地域で、現在のチャクリー王朝 がバンコクに遷都する以前の一七六七年から一七八二年にかけて、 タークシン王により都が置かれていた。 ⑩巴︺旨四○国○m巨日○8.両目○﹃旨g艮︺旨一割目§蔦昌罪管営号 ○意ミ冒鳶量遣い群ミこ’早き島ミ§Q︺ず。言ミミミ頃ミ営喝営 汽寄置ご§︲陣専管Tl︶勺凹﹂巨四ロロmoH冒厨罰のの①冑号而5希鼻望︺旨国巨旦竺巨黒 ○○日頁の写①口凰ぐ①詞①の①禺○底冒切昌具①○冨巳口己ぐ①厨詳誤轡つ○吟 ⑪二世紀頃にロッブリー周辺からやってきたモン族が興したハリ プンチャイ王国の都があった町で、一三世紀後半にランナー・タイ 王国に吸収されるまで、北部モン文化の中心として栄えた。 ⑫弓異勺ご画昏臼爵号盲目目巴︵ワット・プラタート・ハリプンチャ イ︶、弓鼻の富日日胃塁畠︿三騨尻匡斥目﹀︵ワッーr・チャーム・ティウ ィー︿ワット・ククット﹀︶など他二ヶ寺。 51

参照

関連したドキュメント

話者の発表態度 がプレゼンテー ションの内容を 説得的にしてお り、聴衆の反応 を見ながら自信 をもって伝えて

2019年 8月 9日 タイ王国内の日系企業へエネルギーサービス事業を展開することを目的とした、初の 海外現地法人「TEPCO Energy

 英語の関学の伝統を継承するのが「子どもと英 語」です。初等教育における英語教育に対応でき

部分品の所属に関する一般的規定(16 部の総説参照)によりその所属を決定する場合を除くほ か、この項には、84.07 項又は

※ 本欄を入力して報告すること により、 「項番 14 」のマスター B/L番号の積荷情報との関

信号を時々無視するとしている。宗教別では,仏教徒がたいてい信号を守 ると答える傾向にあった

□ ゼミに関することですが、ゼ ミシンポの説明ではプレゼ ンの練習を主にするとのこ とで、教授もプレゼンの練習