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日本語教育における音声指導

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Academic year: 2021

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日本語教育における音声指導

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音声,言語教育,発音, コミュニケー シ ョン,多言語 ・多文化

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言葉 はお しゃべ りに坤 ま りお しゃべ りに終わ る。す なわ ち,言語か ら音声 は切 り離せ ないにもかかわ らず,或 いは余 りにも密着 し過 ぎているためか,言語教育 において音声指導は軽 く扱われ ている。僅か なが らも発音は問題 にされ るが , それ 以前 の音声 は殆 ど問題 にされ ない。「言葉 で嘘 をつ くことはで きても,表情で嘘 をつ くことはできない。」 と言 う 言葉 はあ るが,表情以上 に音声 は心 を表す と言え る。例 えば,非英語話者が英語で相手の心が分 かる,又 は非 日本語話 者が 日本語で相手の心が分か る為 に最 も重要 なことと言えば,音声 と文化理解であろ う。 本稿で は, 日本 におけ る音声 軽視 の事情, な らびに音声指導 の重要性 と効果的 な指導法を探 る。又,異文化 コミュニケー シ ョンを外 国語教育の基本 に据 え るな ら,表情 の無 い音声 による発信 は,情 の無 い心 と同 じで, 良い コミュニケー シ ョンの構築には結 び付か ない とい う事 を述べ る。

じ め に

音声はいわば水か空気のような存在であると言われ る。 水 も空気 もなけれ ば生 きてはいけないにもかかわ らず, 普段 はその存在 をほ とん ど意識 しない。 同様 に,普段 の 会話 は

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等 言語外 言語 と言われ るもの 以外 はすべ て音声が なければ成 り立た ないにもかかわ ら ず,音声 につ いてはほとん ど意識 しない。 日本人が外 国語 を 日本人 に指導す る場合 と, 日本人が 母語である 日本語 を外 国人 に指導す る場合 には,それぞ れ の困難があ る。 しか し,共通 している問題点は,両者 の指導 に効果的 な方法が ないというよ りも,読解 な らび に聴解 の指導 において, 日本人の指導者は文法や語桑 に 重点 を置 き過 ぎてい る。 また 「コミュニケー シ ョンのた めの言語教育」 と言いなが ら,

4

技能重視で,中心 とな る音声指導 はほ とん どない。 その事情 につ いては後程述 べ るが, は っき りしているのは, コミュニケーシ ョンの ための外 国語教育 は音声重視で なければ な らない とい う ことである。言語 は常 に人間の音 声であ り,文字は音声 言語 を記録す る補助手段 に過 ぎないとい う事実 を再認識 す る必要があ る。又,文法 に詳 しい学習者が 自然 な外国 語 を身 につけ るよ りも音声 に こだわる学習者が 自然 な外 国語 を身 につけ る方が速度 と して は優 るという事が外国 語学習者 を長年 に亙 って教 えてきての実感 である。 母親 の胎 内にいるときか ら慣れ 親 しんだ音 はかえ って 説 明 しに くい。 しか し,その音声 こそが言語そのもので あ り, 自然 な発話 に結 びっ くのは 当然であ る。外 国語学 習開始 の年齢 による差 は大 した こ とではない。言語指導 者 も学習者 もこの事 を まず認識す るべ きで あ る。

音声軽視 の事情

日本 におけ る音声軽視の事情は いろいろ考え られ るが , 次の4点 を主 な理 由と して挙 げた い。

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28 浦 上 典 江 1 日本語の発音はや さ しいという思い込み おそ らく日本語の音声を授業で勉強 したことがあると いう日本人はいないのではないか。それ に反 して,例え ばフランスの学校教育における音声指導は徹底 している。 また4種類の声調を持つ中国語や 5種類の声調を持つ タ イ語などで音声 を大切にす ることは言うまでもないこと であ り,多言語多文化の諸国においては,やは り音声の 重要性は意味や文法に優 るのである。即 ち, 日本人が音 声にそれほ ど気を使わ ないのは小松英雄が言うように1) 他の言語に比較 してそれ程複雑でないために 「世界の言 語の中で 日本語の発音が一番簡単だ」 と危険な思いこみ を して しまうためでもあろう。 井上史雄は 日本語の音声 の経済性 をあげ る

「発音 の区別 を習得す る基本的 な要 素は,その細分化である。つ まり幼児が同 じ順序で発音 の区別を細か くしてい ったときに, どの段階で発音の習 得は大体終わ ったと見 るかが言語によって違 うことにな る

.

と言 う。2)日本語 の場合,

5

つ の母音音素の区別 ができた段階で発音が習得できたといえるが, フランス 語だと,鼻に息を抜 く母音 も含めると,母音を10数個 も 区別す るまで習得できたとは言えない。英語では11個の 母音 と3個の2重母音の習得をもって良 しとす る。 タイ 語では短母音が9個,長母音が 9個, 2重母音が 3個, 合わせ て21個の母音を習得す る必要がある。 また, 日本 語の子音は12個の音素の区別ができた時点でほぼ発音上 の問題はな くなるが,母音 と同 じく,他の言語では 日本 語よりかなり多い子音の区別ができなければならない。 例えば極端 な例ではあるが,アフ リカ南部のブ ッシュマ ンが話す クン語には子音が100個あると言う。3) 日本の小学校教員は1年時に幼児発音をなくす ことが できればそれ以上の指導は しない。母語の中に,他の言 語の発音に近いものをもたなければその発音は難 しくな る訳だが, 日本人にとってたい した苦労をせず に 日本語 が習得できれば,外国語の発音の習得に関 して, または 外国人の 日本語の発音 に関 して寛容 というか無関心 にな る。 それは安易 な外来語容認 とも関係 している。 S.P.Corderは,外国語学習者の言語は interlanguage であると言う。 それがtargetlanguageと完全に一致す ることは,targetlanguage社会での学習,年齢,環境 を十分考慮 しても難 しい。片山嘉雄は 「英語教師の,そ して英語教師のための英語学的研究の対象は第一にはこ のinterlanguageではなかろうか。そ して,英語教育の 音声指導 も伝達の具 と してのinerlanguageの教育 とい う見地か ら考え られ るべきである。 このような目的論 ・ 言語観が確立 され るならば音声面か らの英語教育の大半 は既 に為 されたのも同然である。」 と,昭和55年発行の ・ 「あ したの英語教育-80年代への展望

-」

の中で述べ, 英語教育に関わ る教師に英語の音声についてさらに深 く 理解す る必要性 を説いている。4)しか し,25年近 く経 っ てもいまだに音声教育が軽視されているのは残念である。 2 音韻組織が単純である -日本語の音節はキ ャ行 などの物音 を含め ても111個で あるが,英語 はTrinka (1966)によれば3203種,楳垣 (1976)によれば3860種,個数で言えば, 3万個以上 も あると言 う。 比較的少 ないと言われている中国の北京語 で も魚返善雄氏によれば411個である。5)数が少ない理 由 は色々あるが,結局 1で挙げた音素数の少 なさと,音節 を作 る音素の組み合わせ方の単純 さであろう。 これ を外 国語学習の基準にさえ して しまいがちなために,音声に 対す る関心が希薄になり,無頓着 にもなるのである。 日本語の音節の少なさは, 日本語のモーラ言語 と して の特徴 と一致す る。例えば, このモーラ言語 としての特 徴 を英語の発音 に用 いると,blackや springな どの 1 音 節語 が各 々 「ス プ リング (5モー ラ)」,「ブラック (4モー ラ)」となる。Bloch (1950)が 日本語 の発音 について,「もっとも,際立っ一般的な特徴は,スタカー ト的な リズムである。」 と言 っているが,筆者の知 る外 国人は不思議 なことに,国籍 を問わず誰 もが,「日本語 はダ ッダ ッダ ッダ ッという感 じ」 と異 口同音に言う。 ま た, 日本人が気に しない異音 (音素に対す る音環境の様 な.もの)に興味を持つ。 一般的に 日本人は特別 な事情が 起 きない限 り言葉の響 きに対す る音感について訓練の必 要 を感 じないが,それはここにも原因があ り,それが音 声軽視の理 由の一つかも しれ ない。 3 文字の多さ 日本語の文字の種類の多様 さは,世界の言語の中でも 格別である。かたかな,ひ らがな,漢字, ローマ字のほ かにも,国字,造字,当て字,絵文字がある。 しかも, 漢字 も訓読み系列 と音読み系列を 日常的に使い分けてい

(3)

る。 この文字使用の多様 さのお陰で 日本には文盲がいな いか,極めて少 ないと言える。実際,アメ リカでは移民 も多 く,文字を読め ない,読 もうと しない人 々が多か っ たのが,e-mailや携帯電話 のメールで絵文字 な どを使 用す ることによって,活字への親近感が起 こり,文盲が 減 ってきたという。 日本では,文字の この多用が文字への注意の比重の偏 りをお こし,音声軽視の理 由の一つになっているのでは ないだろうか。 イエスベルセ ンや ブルームフ ィール ドが 「文字は言語 そのものの外 にあ って,言語の代用品にす ぎない。」 と 言う様 に,言葉は本質的,第一義的に音声言語であると 言える。一般論では文字言語は音声言語の具象化である とも言 う。 音声言語には文字 に現れ ない多 くの情報を伝 達す る機能がある。「音声 自体が文法項 目をもっている」 と,水谷6)や榎本7)は言 う。 反対 に多 くの情報を文字か ら受ける日本語では音声の必要性が少ないと言える。 もともとは漢字,ひ らが な,かたかなの使用 目的は決 まっていたが,最近はそれす らもかなり自由自在 に操 ら れるようになって,更に文字の情報伝達機能が発展 した。 言語を構成す る諸要素の中で,他の言語か らの影響をもっ とも受けに くい,す なわ ち変化 しに くいのは,音声構造 ではないだろうか。文法 もよ く影響を受けて変わ るし, 語柔は最 も変化 しやすい。音声が最 も変化 しに くいとい うことは 日本語にとって, どういうことなのであろうか。 第一項で述べてきたように,音声の組織が極めて貧弱 な ために, しかもそれが変わ らないために, どう しても漢 字やその他の文字の活用が重要 になって くるのである。 す ると,それで補われ るものだか ら,音声にます ます無 関心になって くるという,音声にとっては悪循環が繰 り 返 され るわけである。 鈴木孝夫は 「日本語 と外国語」において,次のように 述べている。8) 「さて文字 とは,紙の上に書かれた1種の図形であ る上, 目という高度の情報処理能力を備えた感覚器官 に訴える視覚情報である。 ところが表音文字は,た とえそれが理想的に機能 し た場合です ら,原理上,音声で弁別できる情報以上の ものを表す ことが ない。それだか ら表音文字 と称され るわけだ。 つ まり表音文字で書かれた言語を読むという作業は , 耳で聞いても区別できる範囲の情報を,視覚情報の形 に転位変換 して読んでいることなので あ り,言い換え れば,音を読んでいるわけである。中略 ただ し,音の組み合わせだけで効率 の良い伝達を行 える,恵 まれた音声の しくみを持っている言語の場合 ならば,すでに音声だけで伝達効率は充分 なのだか ら それを超えることのない, またそれ以外のものを付加 す ることもない表音文字を使 っても,別 に損だ とか, もったいないなどというわけはないのである。 しか し日本語は,さきに述べたように音声の面 と意 味構造の面で二重の制約を持つ,ある意味では宿命的 に恵 まれぬ性格を持 った言語 なのであ る。だか らこそ 文字を使 う場面で, もし音声の弁別能 力を超えないよ うな表音文字だけを使えば,言語全体 と しての伝達効 率は甚だ しく低い レベルに抑え られて しまう

。」

そ こに, 日本人の,そ して 日本語の特質があ って,結 局音声に対す る無関心が宿命付け られて しまっているの か も しれ ない。 3 聴覚型 (耳型)より視覚型 (目型)が多い。 日本人には5・7・5調の様 な独特の リズム感 とオノ マ トペの様 な音象徴 とも言える音感覚があるが,それ ら は音声 の感覚 とは言い難い。「音声」 と 「音」は違 うか らである。 ノ ックの音や足音や電話のベルは音声ではな い。た とえば人に近づいていることを示すためにわ ざと 足音を高 くす ると,それを言語外の言語であるとは言 っ ても音声 とは言わ ない。音声 とは人が 自分の感情 とか意 志 などを伝達す るために音声器官を働かせ て出す音だか らである。 したが って,周囲が うるさいときに,静かに して欲 しいという気持 ちを 「シー」と音 に出 した り,咲 払いを した りして伝えるのは音声と言え る。 日本語はもともとは動詞言語であると言われている。 そ して,語桑を構成す る音節をもって, じつに生 き生 き と しか も容易に,5・7・5または5 ・7・5・7・7 の リズ ムが生活に染み込んでいた。(能 の リズムは 2相 , 4柏,6柏,8柏があ り, 日本独自の物でないことが分 かる。) しか し, これは リズムであり,音声ではないので

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30 浦 上 典 江 本稿では扱わ ない。 オノマ トペは,基本的には音声によって,音や声や状 態を表すのであるか ら,象徴音あるいは象徴言語 と言え る。擬音語,擬態語,擬声語,擬情語を総称 してオノマ トペと呼ぶ。 日本語を外 国人に教えていていちばん苦労 す るのは外来語 とオノマ トペである。 日本人はオ ノマ ト ペを使 うとき,特別 なアクセ ン トを用いた り,音声に特 に気を使 うこともない。大体2,3モーラの音を2回単 調に繰 り返す事が多 く,音だけで微妙 な語感を出す。オ ノマ トペは フラ ンス語 のonoma-topoeeか ら借用 した 外来語でギ リシ ャ語のonomatopoiiaか ら来ている。ギ リシ ャ語の意味 は 「命名す る」 と言 う意味で,英語 の onoma-topeiaもここか ら来 ているが, 日本語の中には ヨーロ ッパ諸言語 とは比較 にならない程オ ノマ トペが豊 富に含 まれ ているという。 日本語, 日本文化 とよほ ど性 に合 っているということか。 9) 英語の音がそのまま単語になったようないわゆる音象 徴 と比べてみ ると, 日本語のオノマ トペは,音であ りな が ら,音でない, どちらかというと視覚的な色合いを持 っ ていることがわか る。 scream (きゃあきゃあ悲鳴をあげる, ぎゃあぎゃあ 泣 く) glitter (ぴかぴか光 る, きらき ら輝 く) glare (ギラギラ光 る) cough (こん こん咳をす る) roll (ころころ転が る, ぐるぐる転がる) cackle (け らけ ら笑 う) guttaw (げ らげ ら笑 う) 中津原子は英語 に上達す るには 「発音以前の声を問題 とす るべきである」 とかねてより,かなり強 く主張 して きている一人であ り,「言葉の 『響 き』 に対す る音感 に ついて 日本人はあまり訓練 されていない」 と言う。10) これは 日本人が 日本語で話 している場面を見 ると良 く わかる。イギ リス人やアメ リカ人 とはかなり違 うことが 多い。は っきり発表す るべ きときに,手で 口を覆 ってぼ そぼそ話す者,逆 に,小 さな集会でも喉の奥か ら絞 り出 す ような大声で演説す るもの,エ レベーターなど狭 い公 共の場で,外 まで聞 こえるほ どの大声で話す者,甲高い 声でキ-キーまくしたてる深夜放送のディスクジ ョッキー。 どれも聞いていると 「頭が痛 くなる」と言う人は少数で , あまり気に しないようである。 NHK教育テ レビの 「百語英会話」の外国人講師は, 日本語 と英語を交ぜ こぜに しなが ら番組を進めるのであ るが,彼の 日本語 を聞いていると,頭が痛 くなるほ どの テ ンシ ョンで話すのだが,英語のときはやや落ち着 いた 声で聞きやすい。 明るい声,弾んだ声,生 き生 き した声,澄んだ声, な まめか しい声,きれいな声,美 しい声,沈んだ声, ぎす ぎす した声,暗い声,刺のある声,怒気を含んだ声,鈴 を転がすような声,イライラ した声,人をイライラさせ る声,甘い声,楯びるような声,へつ らうような声など, 声の響きには色々あるが,なかなか声作 りは大変である。 持 って生 まれた声は簡単には変わ らない。最近テ レビに も度 々出演す る女性姿のよ く似合 う男性 タ レン トが声は あ くまでも男性の声であ ってもその響 きがいかにも女性 的で,「さすが !

と思 うことがた まにある。 なか なか 「声」は変え られ ないということか。 外山滋比古は努力 して声を変えることが出来た人の例 と して,イギ リスの元首相マーガ レッ ト・サ ッチ ャー女 史の例 を挙げている。 11' 「多 くの人に語 りかける政治家にとって,声がいかに 大切であるか,サ ッチ ャー女史も政治家 と して円熟す る 時期 になって,強 く感 じたのである。」 話す声を美 しくす ることは,手習いできれいな字 を書 くようになるのよ りもはるかに難 しいが, ことばの美 し さによ り深 くかかわ っているように思われ る。 母親や家族や周囲の者は乳児や幼児に話 しかけるとき, とてもやさ しい気持 ちで話 しかける。その声 と話 し方に は特徴がある。す こ し高めで,ゆっくりめである。 目上 や上司と話す ときも,やや高めである。年下や同僚 に話 しかけるときは少 し低めになる。 また,先生方言という のもあるようである。 昭和58年文化庁発行の 「言葉」 シ リ-ズ18「言葉 と音 声」 にたいへん面 白い座談会があるので,簡単には しょ りなが ら紹介 したい。12) 津島 「最近は音響分析,録音 なんかで記録できますけ れ ども,言葉に しろ人間の声に しろ,音 というものを ち ゃんと意識的にとらえて,それを普遍的な形で認識

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す るなり,相手に伝えるという姿勢が,少なくとも日 本語の話 し言葉 とか国語教育の中では欠けているので しょうか。 (中略)だか らある意味では,学校教育だ けの弊害かも しれ ませんね。結局そういう弊害が現代 日本の 日常社会に浸透 して しまったん じゃないかと思 うんです。」 野元 「そういうふ うに意識が低いということが も し悪 いことであるならば,それは どういう意味で悪いので しょうか。」 幸 田 「(前略)音声は,本来,精神や感情の伝達手段 であるわけです し,伝達機能 と同時にその働 き自体に も美 しさがあると思いますが,今それが 自覚 されてな いん じゃないかという気がす るんです。」 水谷 「発音に対す る関心 というのは,国によっていろ いろのようですね。 もちろん個人によっても差がある で しょうが。大 ざっばに言 って,欧米の人に くらべて わた しどもの方が音について関心がない。中国人など も, どっちか というと, ないほうだと思うんです。」 結局,文字 というのは,内容を別にす ると,いっでも どこでも,相手の都合に関係 な く,書 き放 しができる。 それに対 して, コミュニケーシ ョン,特に 1対 1のコミュ ニケーシ ョンを大切にす るところではそれはできないの で,いきおい,音声に注意深 くなるのであろう。 もっと も,イ ンターネ ッ トが これだけ普及す ると, どうなるか わか らない。ただ,インターネ ットも音声の 時代に入 っ たので,やは り音声は重要である し,音声 と生 き方は切 り離せ ないという事を忘れてはならない。 4 日本語の倹約性 「東京,行 く」 「ううん,行かない。」 「じゃ,やめようかな」 このように, 日本語では主語をよ く省略す る。 これ も 日本語か ら,音声への関心を奪 っているひとつの原因と 考え られ る。音声に気をっか う暇 もなければ,必要 もな い。ハワイの英語もアメ リカ本土より主語を省略す るが , 「それ はハ ワイに 日系が多いか らさ

。」

とアメ リカ人に 言われて,妙に納得 して しまったことがある。冗談だ っ たのか どうかは分か らない。 又, 日本のあいまい文化も,省略の一つの現象であり, 多 くを語 らず, したが って多 くの音声を使わず,語 り手 と聞き手の間には どよい認識をもた らす。ただ しその間 の情報 にギ ャップがあれば,当然深刻な問題 も発生す る のだが,今迄の 日本の狭い社会の中ではなんとか暗黙の 了承のもとに無事に,かつ平和的な調和が保たれていた。 しか しなが ら, これか らは,そうはいか ない。 最近はや りの 「おれおれ詐欺」 など, ち ょっと考えれ ば,何故ひ っかかるのだろうと,不思議に思 うが,弁護 士でさえ引 っ掛か ったというので話題にもなった。 日頃 か ら,家族 との会話を大切に し,その音声 にも注意 を払 うことの必要性を説いた社説も数社の新聞に掲載された。 悪質 な押 し売 りと言えば,昔は玄関に座 り込んです ご んだものであるが,最近は一般市民に執鋤 に電話を して 勧誘 し,「け っこうです。」 とか 「いいです」 を引 き出 す と言 う。 もちろん 「要 りません」という意味で言 った ものを,「よろ しい」 にす り替えて しまうのである。 こ れ も,強い調子で, きっぱ りと,主語, 目的語をは っき りさせ て断 ることに 日本人が慣れていないためである。

音声教育の重要性 と方法

言語は世界におよそ5000あると言われ る。勿論,言 語 であるか ら,5000全てに音声はあるが,文字を持つ言語 はごく僅かであるという。そ して,その文字 らしい文字 が初めて登場 したのは今か ら4000年鑑以前のエジプ トお よびメソポ タ ミア地方だ と言う

「余りに音声が当た り 前す ぎるか ら,おろそかにされ るのだ」 と言うのは,言 い訳に しかす ぎない。混迷を深める世界情勢だか らこそ , グローバル社会だか らこそ,美 しい音声 と, どこで も通 じる音声を身 につけて行 く必要があるのではないか。 大学の音声学のテキス ト以外に,一般 向けのテキス ト や参考書は多い。 しか し,音声指導についての参考書は なかなかみつか らない。音声学 と音声指導 の違いに関す る参考書も少 ない。ただ しリスニ ングの参考書には発音 のことが しば しば取 り上げ られ る。 たとえば,岩切信正はその著 「や っぱ りリスニ ング」 において,正 しい発音は基本中の基本であ り,正 しい発 音の知識 な くして,正 しい リスニ ングはあ りえないと言 う 。13)

(6)

3

2

浦 上 典 江 反対に,正 しい発音を身につけるには, くり返 し, リ スニングをす ることが必要であると言う音声学者もいる が,少ない

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は,音声面の正 しい指 導がなくては,総合的な英語力はつかず,そのための指 導に音声モデルの反復練習,モデルと学習者の反復の間 の差の指摘,学生 自身による発音の修正,その繰 りかえ しを強調す る。その繰 り返 しによって,学生は,モデル の音を分析的に聞 くことができるようになる。 さらに, 自分の音声を反省的に聞き取れ るようになると言う。 た しかに, リスニングの構成要素は複雑である。分析 と修正が必要である。 さらに,一般常識や知的水準まで が問題になる。受け身的な働きではない。分析 と総合力 を必要 とす る能動的な働きなのである。 しか し,聴覚能 力や発音能力の前に,発生の練習を行 うことで,その問 題は幾分なりとも,解消され る。言い換えれば, リスニ ングと発音習得の間に境はないと言うことで, もっと重 要 なのはいかに して良い音声を身につけるかということ である。 その方法 と して,斎藤孝14)や中津僚子のか らだを揺さ ぶる練習方法は非常に効果がある。音声 というのはやは り原始的かつ本能的伝達手段であるか ら,身体的なもの と して単純にまず把え,それか ら現代人にマ ッチ した方 法を考える。 外国語の習得だか らといって,妙に緊張す る必要がな いのは当然だ し,緊張 していては肺に十分な空気が届か ないか ら,良い声を出す こともできない。 自然体で体を 揺 さぶ る練習, しかも目をつむ って体を左右,前後に揺 さぶる。確かに人が見ていない所ではできても,教室の 中ではや りに くいかも しれない。 ましてや成人の場合は 恥ずか しさでかえ って緊張 して しまう。 それ なら,方法 を教えて誰 も見ていない家庭ですることをすすめればよ いだけのことである。 また,最近は,園弘正雄 など,音読の効果をとりあげ る者が多い。15)音読は,発声,発音,文法,語嚢,その 他,言語にかかわ るすべてをふ くんでいるか らである。 先に名前を挙げた斎藤孝は音読 こそ王道であると言い, 英語 自己学習法の千田潤一や,英語教育改善に取 り組む 谷 口賢一郎 も音読の大切さを強調す る。 ここか らは具体的に 日本語の音声の練習に入 る。水谷 信子が言うように16),初期における音声指導は極めて重 要である。「外国人だか ら発音は少 しぐらい変でも構わ ない」 という考えは捨てないと,学習者も指導者も後で 泣 くことになる。その点では文法よりも重要である。 まずは,「あいうえお」の発声練習である。「あえいお う」でもどちらでも問題はない。アナウンサーや劇団の 俳優になるわけではない。母音がすんだ ら当然,子音 も 行 う。音素だけではなく,異音 も行 う。 できるだけ,幅 広 く,さまざまな音を出す。 口をはっきりと明けること も必要である。外国人の 日本語習得者で,「まるで, 日 本人みたい」と周囲を驚かせ る者が多いが,彼 らは一般 の 日本人の口元をとことん観察 して,ボソボソとした発 し方を体得す るのである。 しか し,これが,先 々までも 有効であるワケではないということにも気が付いてくる。 この発音の方法は, ごく少人数の 日本的な身内的な社会 では通 じるが大勢の人への働 き掛けや重要 なことの伝達 には向かないということも体得 してくるのである。それ で,やは り,それぞれの音素と異音の発声練習を 1.生の教師の口元をよく観察させ る。図を書いても 良い。 2.具体的な顔 と体の動作をともなって リズ ミカルに 練習させる。かなりオーバーに練習 した方がよい。 次に単語であるが,あまりアクセ ン トのないオノマ ト ペを,場面をイメージしなが ら, またはイメージさせ な が ら練習す る。先にも述べたように,オノマ トペと外来 語は外国人にとって,その意味を理解す る最大の難問で ある。 したが って,オノマ トペはイメージの練習には, 余 り余計な負担をかけずに有効性を出す効率的なことば とも言える。そのイメージをか らだを揺さぶ りなが ら思 い浮かべ,思い浮かべ なが ら練習す る。 次は簡単なセ ンテンス。 セ ンテ ンスと言 っても,例え ば,「けっこうです」を,やはりいろいろな場面をイメー ジ しなが ら,さまざまなイン トネーシ ョンで表現す る。 ジ ェスチ ャーを添えた り,「いいえ」や 「もう」を添え てもよい。 音の高さだけではなく,次は強さの位置を変える。さ らに,それ らを複数に した り,複合を行 う。 全て意味が 変わ って くる。 これ は,「際だ ち

「際だたせ

「卓立

「プロミネ ンス

「文アクセ ン ト」 などと呼ばれ るもの である。音の長さ,音色,ハ リも変えるとよい。

(7)

例えば 「す① い② ま③せ④ん⑤」で練習す ると,際立 たせが① の場合 と② の場合とでは,話 し手の意識 も相手 の印象 も確実に違 う。他にも

,

「あ りが とう

「さような ら

「しつれい します

「わか りま した

「け っこうです」 「いいえ, ちがいます

「はい,そうです」等で練習す る。それ らの言葉に 「ね,よ,か」等終助詞をつけると おも しろい。オーバーなジェスチ ャーをつけて,感情表 現がわかると練習が弾み,初級 レベルか ら日本語の心が 理解できるようになる。 日本語の リズムや母音 ・子音 の 無声化 も体得できる。 意味や文法の説明は質問され ない 限 り行わ ない。 また,母語別の問題がある。主に英語,韓 国語,中国 語, タイ語 を母語 とす る学習者の問題点 と注意点を整理 してお く必要がある。それ らの母語の干渉による発音上 のまちがいは,個人への注意でな くクラス全体への注意 と して,集中的に練習す る。なおこれについてはNAFL の 日本語教師養成通信講座 Dに詳 しい説明があ り,大変 参考になる。17) その次は,音読である。 人が今ほ ど音声にたい して,乱雑 というか,無神経 に なる前は,学校教育でも確かにもっと音読をさせていた。 ヨーロ ッパ諸国等においては,今でも音読は重視 され て いる。 しか し, 日本のように一斉にとにか く読 ませ ると いうのではない。美 しい音声を大切にす るのには,なに が必要かを考えて見ればす ぐわかることである。 音読 も,やは り,身体 を軽 く動か しなが ら行 うと美 し い声を出 しやす い。そ して,全身で音読す るのである。 教材は次の順序が効果的である。 1,50音- 2,挨拶- 3,単語- 4, 日常会話 (単文 -複文)

- 5

,詩 ・歌

- 6

,標語

- 7,s

p

e

a

c

h・e

s

s

ay

意味は大 ざっばで良い。 4, 5, 6などは,音声,音読 のイメージか ら解釈 させ るのも良い。何 より大切 なこと は,楽 しく行 うということである。以前は朗読 と言う言 葉が使われた。音読 と言うより朗読 と言 った方が楽 しい。 むやみに 「大 きな声を出 して !」 とは言わず,美 しい音 声に注意を向けさせ る。

長谷川清は英語教育改革への構想 と して, 自ら音声教 青にこだわ った授業を実施 して音声教育の重要性を確認 した。18)筆者 も大学での英語音声学や リスニ ングの指導 を通 して一般的 な日本人学生の音声への無関心 さを痛感 し,言語教育における音声の重要性と,その調査 ・研究 も行 った。19)20) 外国語や 日本語をかなり学習 してもなかなかネイテ ィ ブと同 じ発音がで きるようにはならない し,ネイテ ィブ と同 じくぺ らぺ ら (

?

)話せ るようになる必要 もない。 ネイテ ィブと心地 よ く話せ気持 ちが伝わればよい。そこ に音声教育の意義がある。 田中望や金田一春彦,な らびに西尾珪子は, 日本語教 育での能力教育に,早 くか ら,疑問を投げかけ,警鐘を 鳴 らしていた。筆者 もこの点には最大の注意を払 う必要 があると思う。 理 由は次の数点である。21)22) 1 日本の従来の教育は上か ら下への発想が多か った。 コミュニケーシ ョンのための言語教育にそれは無 駄である。 2 強者,弱者の発想が,無意識にで も働いて しまう。 日本 とアメ リカや ヨー ロ ッパなど, 日本 とアジア 諸国の間に,力関係 の上下があるかのような錯覚 を起 こして しまう。 3 特に 「弱者への支援,救済」と言 う言葉,あるい は,そのような意識の元に 「日本語はこうあるべ きだ。」 という既成概念で,形 だけを押 しつけ, 遂には 日本への同化を 目標 として しまう。 要す るに, 日常生活での,発声,音声,発音等に最大 限の注意を払 って,適正な音声表現を習得 し,より良い コミュニケーシ ョンを構築す るように教師も学習者も努 力す るべ きだということである。 さらに,音声が文法や語秦 に くらべて変化 しに くく, 外国の影響を受けに くいと言うのは,そ こに,個人や, 国や,地方の個性があるということではないか。そ して, それを,それぞれが 自分の体を通 して,外へ表現す るこ とができる。音声は,個性であ り,アイデ ンテ ィテ ィー なのだ。そういう意味で,音声 には独創性があ っても良 いのではないか。 もちろん音声 には,水谷信子が言うよ うに,音声の文法 というものがある。 しか し 「こうでな ければならない」 という絶対的 なものではない。 また,

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浦 上 典 江 最近はかつてなか った程,主に若者達 によって文法や比 較的変化 し難い筈の発音 までもが変化 させ られ, コンビ ニ表現や半疑問等,新 しい待遇表現が生 じてきた。それ を乱れ としてとるか,変化 と してとるかで,言葉のアイ デ ンテ ィテ ィーも異 なって くる。人に伝える為に言葉 を 創 り出すのな ら,「その言葉 は生 きている」 ということ ができる。水谷修の言葉 を借 りて言えば 「ことばが 自分 一人だけのものではなく,社会共有の財産であ り,相手 に通 じなければそれはもはや言葉ではないという観点に 立 って言うならば, まず 自分の言語行動を鏡に映 して反 省す ることが何 よ りも必要 なのではなかろうか。

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)

外国語 日本語 を問わず,音声指導を通 してきちんと し た挨拶 など,よ り良い言語習慣 を身につけてい くことに よ って,初めて国際的に通用す るコミュニケーシ ョンが できると言えるのだと思 う。

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)小松英雄 :「日本語の世界

7」

中央公論社

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1

)

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p3-4

,

3

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1

2

)井上史雄

:

「日本語は生 き残れ るか∼経済言語学 の 視点か ら

-」PHP

新書

(

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0

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) p

p1

1

7

-1

2

4

3

)町田健

:

「言語学が好 きになる本

研究社

(

1

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9

9

)

4)中教 出版英語科編集部

:

「明 日の英語教育」中教 出 版

(

1

9

8

0

) p2

3

5)安藤貞雄 :「英語の論理 ・日本語の論理 一対照言語 学的研究」大修館書店

(

1

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8

6

) p

p1

1

2

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1

8

6

)水谷信子 :「心 を伝 え る 日本 語講座 」研究 社 出版

(

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9

9) p

p1

1

2

-1

2

1

7)榎本正嗣

:

「日英語 話 し言葉の音声学」玉川大学 出 版部

(

2

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0

0

) p3

8)

鈴木孝夫

:

「日本語 と外国語」岩波新書

1

0

1(

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9

9

0

)

p

p1

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6

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6

9

9

)田守育啓 :「オノ マ トペ擬音 ・擬態語をたの しむ」 岩波書店

(

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0

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)

1

0)

中津原子 :「未来塾 って,何 ?-異文化チ ャレンジ と発音」朝 日新聞社

(

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) p

p

7

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3

l

l

)

外山滋比古

:

『ことば』は 『こころ

」講談社

(

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7

)

p

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3

4

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5

1

2

)

文化庁編集

:

「言葉」 シ リーズ 「言葉 と音声」文化 庁 (

1

9

8

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) p

p6-l

l

1

3

)

岩切 良信

:

「や っぱ りリスニング」ベ レ出版

(

2

0

0

1

)

p

3

1

1

4)

斎藤孝

:

「か らだ を揺 さぶ る英語 入 門」角 川 書店

(

2

0

0

3

)

1

5

)

囲弘正雄

:

「園弘流 英語 の話 しかた」たちばな出 版

(

2

0

0

0

)

1

6

)

水谷信子

:

「日本語教師養成通信講座

3-1

日本語教 授法

Ⅰ(1)

アル ク

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) p

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7

1

7

)

大坪一夫監修

:

「日本語教師養成通信講座

D-

1日本 語の音声

(1)(

2)

アルク

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1

9

8

7

)

1

8)

長谷川清

:

「英語教育で何 を教えるのか-英語教育 -教育変革への視点 と構想

)

高文研

(

1

9

8

8)

p

p

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6

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9

)

浦上典江

:

「コミュニケーシ ョンのための英語教育」 中国短期大学紀要第

3

1

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9

9

) p

p

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0

7

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2

0)

Uragami,Fumie: "Forelgn Education for

SustainableDevelopment"chugokugakuen

J.(

2

0

0

3

) PP5

1

-5

6

2

1

)

田中望 :「日本語教育のか なたに-異領域 との対話」 アル ク

(

2

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)

2

2

)

金田一春彦 :「日本語セ ミナー二 日本語の しくみ」 筑摩書房

(

1

9

8

2

)

2

3)

水 谷修

:

「話 しことば と 日本人」創拓社 (

1

9

7

9)

p.

2

2

4

2

4

)文化庁編 :日本語教育指導参考書 「音声 と音声教育」 文化庁 (1971)

2

5

)

音声文法研究会編

:

「文法 と音声

I

」 くろ しお出版

(

2

0

0

1)

2

7

)

町田健編

:

「日本語音声学の しくみ」研究社

(

2

0

0

3

)

2

8

)

松崎寛,河野俊之

:

「よくわかる音声」アルク

(

1

9

9

8

)

参照

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