要旨 本稿では、認知言語学の観点から、アイヌ語の場所表現(中川 1984)という文法現象 を人間の認知能力の一つである参照点能力(Langacker 1993)の観点から分析すると同 時に、場所表現の範疇にありながら先行研究では扱われてこなかったアイヌ語地名を意味 論的・形態論的に分析することで 5 つに分類する。その際、アイヌ語の特徴的な「知覚・ 行為に基づく場所概念の構築」を観察することができた。その上で Levinson(2003)に よる空間参照枠の概念を拡張し、新たに「経験参照枠」を空間参照枠の分類に入れること で、場所表現の特徴を通言語的に論じるための枠組みを提示する。 Keywords: 地名 参照点構造 アイヌ語 空間参照枠 1. 序論 「学校から帰ってきた」「祖母のところに遊びに行った」「ロンドンからパリまで電車で 移動した」「今日は一日中家にいる」等、空間的関係、起点から終点への移動、位置関係 などを言語的に表現する、いわゆる「場所表現」について、アイヌ語の場合は文法的制約 が日本語とは異なることが先行研究で指摘されてきた(知里 1956, 田村 1982, 中川 1984)。アイヌ語では通常、普通名詞(句)と場所を表す格助詞が共起する際には、 「家のところ4 4 4で」のように、必ず間に位置名詞(positional noun)を挿入する必要が あ る。 井 筒(2006) は Langacker(1991, 1993) に よ っ て 提 唱 さ れ た「 参 照 点 構 造 」 (Reference-Point Structure)という認知言語学の概念を援用し、特に所属形が用いられ る場合の場所表現についての説明を試みている。さらに井上(2016, 2018)は、参照点構 造からアイヌ語の場所表現全体に関する包括的な説明を行なっており、先行研究では扱わ れていなかった地名やその他の場所名詞などの表現までを含めた記述を行っている。 アイヌ語の場所表現、特にアイヌ語地名には、その場所で行なわれた経験的な行為をそ のまま名付けたような叙述的命名法が用いられているものが多い。そのためアイヌ語地名 は地域的かつ歴史的な「知覚の形式」としての概念構造が顕著に直接的に観察できると同 時に、様々な認知的動機付けの反映としての観察が可能である。
井上 拓也
—参照点構造の観点から—
本稿の第 2 節では、まずアイヌ語の場所表現における文法的な制約について概観する。 続く第 3 節では、アイヌ語の地名を意味的に五つに分類し、アイヌ語地名の持つ意味構造 を参照点構造から分析する。さらに第 4 節では、Levinson(2003)のいう空間参照枠に 対して、その場所における経験や行為に基づく空間把握を反映した「経験参照枠」という 分類を提案し、場所表現一般としての理論的位置づけを行う。 2. アイヌ語の場所表現における文法的制約 アイヌ語の普通名詞は、 (∼に) (∼へ) (∼から)などの方向や位置などを 表す格助詞と共起する際、 (∼のところ) (∼の上)などの位置関係を表す名詞、す なわち位置名詞を必ず後置しなければならないという文法的制約がある(田村 1982, 中川 1984)。以下、日本語の例との対比において、アイヌ語の場所表現の文法的制約について 概観する。 (1) a. 私は家に帰った。 b. ?? 私は家のところに帰った。 (2) a. ??cise ta hosippa =an. ??
家 に 帰る =1sg. b. cise ta hosippa =an.
家 ところ に 帰る =1sg. 「私は家に帰った」 アイヌ語は、(1) の日本語における場所表現の制約とは異なり、(2) のように、普通名詞 単独では格助詞を後続させることはできず、必ず位置名詞を伴わなければならない。日本 語では、(1b)のように「家」という場所的な概念を表す名詞に位置名詞を後置させると 不自然な表現となる。それに対して、アイヌ語では、 「家」のような場所的な概念を 持つ名詞が用いられる場合であっても、 「∼のところ」という位置名詞を用いなければ ならないのである。また、(2b)に見るように、「∼に」という格助詞が用いられる場合、 「∼のところ」という位置名詞を必ず使用しなければならないというのが、アイヌ語に おける場所表現の制約である。 この制約に関して、上の例とは異なり、アイヌ語の場所表現において位置名詞を省略で きる場合がある。それは、 指示詞を用いる場合(=(3))、 所属形を使う場合(=(4))、 そして (狩場としての山)などの一部の普通名詞(=(5))、そして 地名(=(6)) である。 と の名詞は特に「場所名詞」と呼ばれる(田村 1984)。
(3) cise ta hosippa =an.
その 家 に 帰る =1sg. 「私はその家に帰った」 (4) = cise ta hosippa =an.
1sg.= 持つ 家 に 帰る =1sg. 「私は自分の家に帰った」 (井筒 2006:18‒19) (5) un k= arpa. 山 に 1sg.= 行く 「私は山に行った」 これら ∼ の例文では、 「家」は (3) では「自宅」もしくは「先行文脈で言及され た家」、(4) は「話し手の家」という形で解釈される定表現(definite expression)となる (北原 2006)。 一方で、 のアイヌ語地名は、以下の(6b)のように後続する位置名詞は省略可能で ある。 (6) a. or un hosippa=an. 札幌 ところ に 帰る =1sg. 「私は札幌へ帰った」 b. un hosippa=an. 札幌 に 帰る =1sg. 「私は札幌へ帰った」 3. 参照点構造に基づくアイヌ語地名の分析 この節では、井上(2016, 2018)のアイヌ語の場所表現における制約についての参照点 構造(Reference-Point Structure, Langacker 1993)に基づく分析を紹介し、これに基づ いてアイヌ語地名の意味構造を分析し、「空間的区別と動作的なものの両方を参照点とす る構造を持つ」として包括的な説明が可能になるということを示す。
3.1 参照点構造に基づく場所表現の分析
Langacker(1993: 5)は、「参照点能力(reference-point ability)」を「ある概念を喚起 した上で他の概念に心的接触を果たすための能力(the ability to invoke the concept of one entity for purposes of establishing mental contact with one another)」として位置づ けている。また、参照点能力に基づく概念構造である「参照点構造」とは、言語の意味構 造において、近接するものを参照点とし、そこを経由した上で、ターゲットとなる事象を 指示するという構造である。その構造は図1のように示すことができる。この構造におい て、認知主体(Conceptualizer = C)はまず何らかの形で際立っている(際立ちの高い)
要素である参照点(Reference point = R)に注意を向け、参照点によって喚起される潜 在的な目標(Target = T)の集合である支配域(Dominion= D)の中から目的の概念で ある目標がひとつ選択される。この認知的な注意の流れを心的経路(mental path、破線 の矢印で示す)と呼ぶ。また、山梨(2000)は、参照点能力の機能について以下のように 説明している。 一般に、探し求めている対象は、常に我々の身の回りの世界に直接発見できる状態 で、あるいは直接手にとることができる状態で存在するとはかぎらない。状況によっ ては、何らかの間接的な手がかりをヒントにし、ある経路をたどっていくことによっ て、はじめてターゲットとしての対象に到達していく。 人間の注目すべき認知能力の一つは、ある対象を探索のための手がかりとして参照 しながら、ターゲットに到達していくことができる能力である。この種の能力は、一 般的な認知能力のなかでもとくに重要な能力として注目される。(山梨 2000: 85‒86) 認知言語学の観点からアイヌ語の場所表現における指示詞を伴う名詞句や所属形の名詞 を分析した井筒(2006: 32)によれば、「所有表現というものすべてに共通しているのは、 一方の存在(われわれが所有者と呼ぶ存在)が他方の存在(所有物)との心的接触のため の参照点として喚起されるということ」であり、アイヌ語の人称接辞は、「動詞と名詞の いずれに付く場合も、それら動詞や名詞の指示対象と心的接触をするために用いられる参 照点として機能する」という。
R
D
T
C
図 1 参照点構造(Langacker(1993:6)を参考に作図)井上(2016)は、この参照点構造からの説明を、アイヌ語の場所表現全体に関する説明 にも適用している。すなわち、アイヌ語の場所表現は意味構造として、よりアクセスのし やすい際立った存在にまず言及することで目標としての場所概念を指示する、という参照 点構造を持つとして分析できるとしている。 これに関連して、山本(2013)によれば、支配域が提示される際、「位置特定」や「所 有格表現」あるいは「連想」という様々な支配域において、潜在的な目標(T)の集合が 決定されるという。例えば、「位置特定」という支配域では、上・下・左・右といった空 間位置関係が潜在的な目標の集合となる。また人称代名詞を参照点とする所有表現におい ては、潜在的な目標は「彼」の「所有物」の集合となるという。 (2b)の普通名詞 「家」は位置名詞 「∼のところ」よりも相対的に際立ちの高い 概念であり、参照点になりうると考えられる。そして名詞句 「家(のところ)」は 話者が目標とする場所概念であるといえる。したがって、(2b)の場所表現は 「家」 を参照点、 「(その)家」という名詞句を目標とする参照点構造を持つといえる。 このような参照点構造を用いた説明は、位置名詞を用いた他の例にも適用できる。 (7) a. hoka ta 炉 先(位置名詞) に 「炉の先の上座に」 b. kotan ta 村 上(位置名詞) に 「村の上手に」 c. cise ta 家 中(位置名詞) に 「家の中に」 (7) のように位置名詞を伴う例では、 「炉」 「村」 「家」という普通名詞が 参照点(R)を表しており、 「炉の先」 「村の上手」 「家の中」 という名詞句が目標(T)を表す。このように位置名詞を用いる場所表現では一般的に、 普通名詞が参照点(R)を表し、位置名詞を含む名詞句が目標(T)となる場所概念を表 す、という参照点構造を持つといえる(井上 2016: 11)。 一方で、アイヌ語の場所表現において位置名詞を用いず、所属形を用いる場合や指示詞 を用いる場合も、井筒(2006)や山本(2013)の述べるように参照点構造を持つといえる。
(8) a=kotanu ta 1sg.= 村(長形) に 「私の村に」 (9) kotan ta この 村 に 「この村に」 (8) のように所属形が用いられる場合は、 =「私」がより際立ちの高い所有者としての 〈私〉を参照点(R)として明示化し、 「私の村」という名詞が(T)を表して いる。また、(9) のような指示詞が用いられる場合は、例えば近称指示詞 によって明 示化される〈会話の場〉が 参照点(R)となり、 「この村」という名詞句全体 が目標(T)となる場所概念を表す。 指示詞は、ある空間を別の空間から何らかの形で区別するという機能を持つといえる。 佐藤(2008)が述べている通り、アイヌ語の指示詞の体系は、〈会話の場〉あるいは〈私〉 を中心とした指示の体系を表している。アイヌ語の指示詞は、 「ここ」・ 「そ こ」・ 「あそこ」というパラダイムを前提としてはじめて意味をなす。すなわち、指 示詞が共起することで、指示詞の体系全体が概念領域として想定され、そのなかで概念形 の普通名詞が表す存在を目標とする概念として捉えることが可能となるのである(井上 2016: 13)。 3.2 アイヌ語地名の特徴 アイヌ語の地名は以下のように形態素に基づいて分析することができる。 (10) a. sat -poro -pet
渇いた - 広い - 川 「札幌」 b. inkar -us -i 眺望する - いつもする - ところ 「遠軽」 c. kot -ne -i 窪 - である - ところ 「琴似」 このように、アイヌ語の地名はその土地が持つ特徴をそのまま素直に描写したようなもの が多い。この点から、アイヌ語地名は単純に固有名詞としてではなく、そのなかに概念構 造を含む「テキスト」として分析することが可能である。つまり、アイヌ語地名は固有名 詞であっても形態素分析が比較的容易であるため、上で述べてきたような参照点構造を用 いて、考察することが可能である。アイヌ語地名は、形態素の示す意味構造の中に上に見
た他の場所表現と同じような概念構造を見いだすことができるのである。 3.3 アイヌ語地名の分類 本稿では、「北海道環境生活部総務課アイヌ施策推進室アイヌ語地名リスト」(以下、 「アイヌ語地名リスト」と呼称)の 1059 例の地名を対象に、形態的な意味に基づいて分類 を行った。「アイヌ語地名リスト」には、秦檍麻呂、上原熊次郎、松浦武四郎、永田方正、 知里真志保、更科源蔵、山田秀三、萱野茂などによる地名解が併記されており、本稿にお ける意味構造の分析の参考とした。なお、「アイヌ語地名リスト」が引用している書籍お よび資料文献は本稿の末尾に示す通りである。 本稿では、アイヌ語地名を形態的に分析した際の修飾部の内容から判断し、五つに分類 した。一つ目は地点の特徴を示すものであり(色・形状・場所)、アイヌの人々がその地点 を指し示すときに、誰が見てもそうだと理解でき、目標として認識できたものを、地名を つけるときに使用したと考えられる。二つ目は生活の上で有用な生活資源の所在を示した ものである。その場所に生えている植物(ウバユリ・蕨・楡など)や、その場所を通り道に したり、あるいは生息したりしている動物(鮭・鱒・ウグイ・鹿・熊など)などである。こ れらは、その場所に行けば個々の生活資源が得られることから、アイヌの人々の生活習慣 に組み込まれた形で成立した地名と考えられる。三つ目は空間的な位置関係であり、これ はもともと目立つ地形に言及した上で位置関係(∼の端、∼の傍など)を伴って指示する 地名である。四つ目はこれに関連し、もともと存在する地名を参考に名付けられた地名で ある。五つ目は、「何かをするところ」という文化・日常生活に関わるもの、あるいは伝説 や伝承に基づくものであり、アイヌ語地名に特徴的な名付け方といえる。「アイヌ語地名リ スト」の中で紹介されている地名解の中には、解釈の揺れや信ぴょう性の低いものなども 含まれるが、妥当な解釈が定めにくいものは本稿の分類からは除外することとした。 本稿では、修飾部からみえてきた五つの特徴をそれぞれ A ∼ E とし、それらに基づい てアイヌ語地名を以下のように分類した。 (11) アイヌ語地名の5分類 A. 様態(大小、色、匂い、自然の特徴などによって修飾されているもの) B. 動植物(魚や鹿、あるいは植物等が多く生息するところと表現されるもの) C. 位置関係(「崖の端4」や「丘の麓4」などといった他の地形に対する位置関係) D. 小地名(「大きい方の4 4 4 4 4幌別」など、既存の地名から派生したもの) E. 習慣的行為/経験(弓を作るなどの日常的な行為、あるいは伝説・伝承によ るもの)
3.4 アイヌ語地名の参照点構造に基づく分析 地名は、基本的には修飾部が参照点(R)となり、被修飾部すなわち - 「∼もの(川)」、 - 「川」、- 「∼ところ(川など)」などの名詞化接辞が接続した名詞句全体が目標(T) となる場所概念を表していると考えられる。ここでは具体的に 3.3 節で行った分類それぞ れついて、参照点構造に基づいて分析していく。 3.4.1 A. 様態(場所の特徴を参照点とするもの) 以下の例は、その地形の様態(大小、色、匂い、自然の特徴などによって修飾されてい るもの)を元に、その場所を他の空間から区別しているといえる。認知意味論によれば、 環境の中の事物や生物の持つ属性は、我々の身体的・文化的な活動と相対化されるもの で、「いかなる生き物とも無関係に客観的に存在する属性はない」という(Lakoff 1987: 59, 深田・仲本 2008: 104)。つまり、このような場所の特徴自体が認知的に際立ちの高い 参照点となり、目標となる場所概念を指示している、という分析は認知言語学的にも妥当 であるといえる。 3.4.1.1 A-1 特徴(物理的特徴、色、匂い、…) (12) a. -nay 赤い - 川 「振内」 b. -nu -i 匂い - 持つ - もの 「富良野(富良野市)」 (13) a. -pet 大きい 川 「幌別」 b. -pet 小さい 川 「本別」 c. - -pet 親 川 「士別」 (12a‒b)の例では、 「赤い」、 「匂いのある」といった特徴が参照点となり、 「赤い川」 「匂いのある川」という名詞句がそれぞれ目標となる場所 概念を表している。ここでの認知的際立ちは単なる特徴ではなく、「あの4 4川」というよう に定性を帯びた特徴である。 一方で、(13a‒b)の「大きさ」の例で言えば、これは大小という比較対象、それも実
際に環境に存在する比較対象を参照点にしていると考えられる。つまり、一般的に「大き いという性質を持つ川」という意味ではなく、大小異なる川があるうちの大きい方、とい う意味で用いられているということである。もっとも、本流と支流という関係性が明確な 場合は(13c)のように -「親(の)」という接辞が用いられ、 「親の川」̶ 「子の川」という対立関係で表されることが多いようである。 3.4.1.2 A-2 様態(~のようなところ) (14) a. -i 窪地 - のようである - もの 「琴似」 b. -sir 箕 - のような - 山 「無意根山」 これらの例では、 「窪んでいる」や 「箕のような」といった見た目の特徴 が認知的際立ちの高い参照点となっており、 「窪んでいるところ」 「箕 のような山」が目標となる場所概念を表すといえる。 3.4.1.3 A-3 動態(~しているところ) (15) a. 逆戻りする 川 「幌加内」 b. -nay 山奥 - 入っている - 川 「真駒内」 これらの例では、 「逆戻りする」や 「山奥に入っている」といった見かけ 上の川の動きの特徴が認知的際立ちの高い参照点となっており、 「逆戻りする川」 「山奥に入っている川」が目標となる場所概念を表すといえる。 3.4.1.4 A-4 存在(~があるところ) 以下の二つの例では、 「砂浜」や 「滝」といった存在そのものが認知的際立ちの 高い参照点となっており、それぞれ 「砂浜がついている川」 「滝があ る川」という場所概念が目標となっているといえる。
(16) -nay 砂浜 - 付いている - 川 「歌志内(砂川市)」 (17) -pet 滝 - ある - 川 「層雲別川(東川町)」 3.4.2 B. 動植物(魚や鹿、あるいは植物等が多く生息するところ) B に分類される地名は、「動物の住む」ところや「植物が群生している」ところ、ある いは「∼が採取できる」などの特徴が認知的際立ちのある参照点として扱われているとい える。このような情報は、もちろん狩猟採集民族であるアイヌにとっては重要な情報であ り、際立ちの高いものであったといえる。例えば、(18)では、 「センの木が群 生している」 「椴松が群生している」 「鹿が(それに沿って)登る」と いう動植物に関する情報がそれぞれ際立ちの高い参照点として機能している。そして 「センの木が群生するところ」 「椴松が群生している山」 「鹿がそれに沿って登る川」が目標となる場所概念を表しているといえる。 (18) a. -i センの木 - 群生する ところ 「愛牛(浦幌町)」 b. -nupuri 椴松 - 群生している - 山 「風不死岳」 c. -pet 鹿 それに沿って登る 川 「幾寅(南富良野町)」 3.4.3 C. 位置関係(「崖の端」や「丘の麓」などといった他の地形に対する位置関係) 位置関係では、もともと存在する地形が参照点となり、地名全体で表される概念が目標 となる場所概念となる。特にアイヌ語の場合は、「身体概念を基盤とする地形の概念化」 が大きな手がかりとなる。アイヌ語において川の位置関係を表すのによく使われるのは身 体部位名詞であるが、アイヌ語の地名の多くは、身体のメタファーという観点から分析が 可能である。 (19) a. -nay 肋骨 - 川 「ウトナイ湖(苫小牧市)」 b. sir 大地 あご 「篠津(江別市)」
(19a)の「肋骨の川」とは、「この湖を水源とする川に両岸からいくつもの小河川が合流 するさまを、 背骨と肋骨にたとえた命名である」(山田 2000: 127)という。この場合は背 骨にたとえられる本流が参照点であり、肋骨にたとえられる小河川が目標となる場所概念 となる。また(19b)の例も、〈山〉が生き物のように捉えられている、という観点から の分析が必要となる。この場合は、丘陵が平野部に突き出た様子を「(山の)あご」とた とえているのであり、丘陵が参照点、突き出た部分が目標となる場所概念となる。
以上のような例は、Lakoff and Johnson(1980)の概念メタファー(conceptual metaphor) の観点からすれば、身体部位を起点領域、地形を着点領域とするメタファー写像であるとい える。ここで言うメタファーとは単なる修辞的な表現というよりも、実際の空間的位置を把握 するための方略であるといえる。 知里(1956)の「川に對する古いアイヌの考え方 1」の中では、次のように紹介されて いる。「古い時代のアイヌは、川を人間同様の生物と考えていた。生物だから、それは肉 体をもち、例えば水源を「ペッ・キタイ」(pet-kitay 川の頭)とよび、川の中流を「ペッ・ ラントム」(pet-rantom 川の胸)とよび、川の曲り角を「シットク」(sittok 肘)とよび、 …「やせ細った川」と訳すべきである」(知里 1956: 40‒41)。このように、川は、海から 立ち上がって陸へと這い上がる生物のように考えられていたという。それゆえ河口は 「口」ではなく「陰部」であり、水源は「頭」と表現されるのである。 また知里(1956)は、「山などでも、事情はまったく同じである。アイヌの古い考え方 からすれば、山もまた生物である。生物であるから、それは肉体を持つ」と述べている。 山も同じように、「頭」=山頂、「鼻」=平野部に出ている部分、「あご」=平野部に出てい る切り立った崖、「腹」=山の中腹、「下腹部」=山の麓、のように、身体部位名詞と地形 とが対応している。「このように、山は肉体をもち、頭も鼻も首も顎も胸も腹も尻も具え、 それらの形状にもとづいて種々の地形語や地名が生じているのである」(ibid.: 49)。この ように、アイヌの人々は身体部位の位置関係や、あるいは人間の身体の特徴を指すのと ちょうど同じように、山の地形を理解しているということがわかる。 まとめると、アイヌ語の地名の中で、特に川や山における位置関係を表すものには、身 体的な位置関係のメタファーに基づく参照点構造が存在するといえる。つまり、〈生物の 身体〉という概念を参照点として川や山の位置や様態が指定されるということである。 3.4.4 D. 小地名—他の地名を参照点とするもの 以下の(20)に示す地名は、元となる地名(大地名)と比較して相対的に小地名と呼ば れる。この場合、大地名が参照点であり、小地名によって表される概念が目標となる場所 概念となっている。
(20) a. pon 小さい - 発寒川 「中の川(札幌市)」 b. -putu 札幌川 - 口 「伏古川口(札幌市)」 このような例は、アイヌ語においても地名という名詞(句)が独立したカテゴリとして存 在するということを示す重要な例である。ともすればアイヌ語の地名は形態的に見れば普 通名詞句と同じであり、固有名詞としてはっきり区別することはできないが、位置名詞の 共起が必須でないことに加え、この小地名の存在が固有名詞としての地名の存在の証明に 大きく関与しているのである。 3.4.5 E. 習慣的行為/経験を参照点とするもの 「アイヌ語地名リスト」のデータのうち、空間的、あるいは地形的な特徴といったもの が修飾部に表れていない例を収集したところ、いずれも、「いつも∼するところ」などの 日常的な行為を表すものとなった。本稿ではこれらの地名を形態的な特徴によりさらに3 種類に分類した。
3.4.5.1 E-1 我ら(a=/ci=)— V(2 項動詞、3 項動詞)— ところ(-i/-p あるいは場所を 表す名詞) 人称接頭辞 = は 1 人称複数の除外形であり、一方で = は「一般に人が∼するもの」 を意味する語を形成する。 (21) a. -pet 我ら = 飲む - 川 「飽別(阿寒町)」 b. -ru 我ら = 通る - 道 「釧路(釧路市、釧路町)」 (21)の例に見られる動詞( 「飲む」 「通る」)はいずれも日常的な行為を表しており、 それが参照点となっている。そしてその行為が行なわれる場所そのものが目標となってい る。また = や = などの人称接辞が使われていることによって、暗にその土地が我々の ものであると所有関係を主張する表現であるともいえる。
3.4.5.2 E-2 V(2 項動詞)—us「いつもする」—ところ(-i/-p あるいは場所を表す名詞)) この分類は 「∼をいつもする」という動詞が形態的に含まれている例である。 (22) a. -i 泳く - いつもする - 所 「良瑠石(北檜山町)」 b. -to 越冬 - いつもする - 湖 「リヤウシ(網走市)」 これらの例も、 「いつも泳ぐ」 「越冬をいつもする」という語句の表す経験 が参照点となっており、地名全体で目標の場所概念を指示している。いずれの例にしても 「いつもする」という習慣的な動作を表す が用いられている。 3.4.5.3 E-3 目的語相当名詞—V(2 項動詞)—ところ(-i/-p あるいは場所を表す名詞) この分類は、(23)の例のように主要部が無いものや、特定の動詞、とくに日常の生活 で行なわれやすい動詞( 「作る、刈る」など)を含んでいる。 (23) a. - -pet 釣り針 - 作る - 川 「虻田(虻田町)」 b. - -p 茅 - 刈る - 所 「霧多布(浜中町)」 E の分類はすべて、次の図 2 のように定式化することができる。すなわち、参照点とな るのは、その場所で行なわれる動作や文化的行為であり、そして地名全体で表されるのが 目標となる場所概念である。 図 2 において、[ap-ta]で示される動詞句が参照点(R)を表し、[[ap-ta]-pet]で示さ れる名詞句=地名が目標(T)となる概念を表す。 ここまで見てきたように、アイヌ語地名は、他の場所表現における普通名詞と位置名詞 を用いる場合、あるいは所属形や指示詞を用いる場合と同様にこのような参照点構造を持 つといえる。
図 2 経験・行為を参照点とする概念構造
D
R
T
C
<釣り針を作る>
[[ap-ta]
R-pet]
T<釣り針を作る川>=虻田
4. 経験に基づく場所の特定—「経験/行為参照点構造」 今まで見てきたように、アイヌ語の場所表現は、空間的な参照点構造だけでなく、土地 における経験と行為の参照点構造が存在するといえる。そこで本稿では、新たに「経験/ 行為参照点構造」を次のように定義する。 (24)「経験/行為参照点構造」は、特定の経験や行為そのものが、目標の概念となる 場所の参照点となるような概念構造である。 「経験/行為参照点構造」を概念構造に持つ言語形式は、典型的には「- ところ」や「-とき」といった関係節的な言葉を伴う。例えば、日本語において「ご飯を食べるところ」 という言語表現では、〈ご飯を食べる〉といった行為を参照点として、〈ご飯を食べるとこ ろ〉を目標とする場所概念とする参照点構造があると考えられるが、それだけではなく 「ご飯を食べるところ」は、「いつもご飯を食べるところ」という解釈、つまり、一回限り ではなく、日常(慣習)的な行為を表すと考えられる。このように、この形式の中で現れ る行為は、習慣的行為といえる。また、「ご飯を食べたところ」というように「食べた」と いう形で表れる時は経験と解釈される。以上のことは、次のようにまとめることができる。 (25)「VP- ところ」という形式で現れる行為 VP は日常(慣習)的行為もしくは経験 である。この定義は、アイヌ語地名において動作動詞が含まれている場合、ほぼ慣習的に解釈され るという事実とも整合する。 また、以下の日本語の例のように、〈場所における経験〉によって〈場所〉を特徴付け る方法は日常会話の中においても一般的に行なわれているといえる。 (26) a. 吉田南総合館 216 教室 b. 前期、F 先生の授業を受けた教室 (26a)の「教室」と(26b)の「教室」は同一のものを指しているものとする。このと き、前者は半ば事務的で、かたい文章の中で出現する表現であるのに対し、後者の経験に 基づく表現の方が日常会話の中で出現しやすいと考えられる。このような例も、経験/行 為参照点構造によって説明できる。つまり、(26b)に示される〈前期に F 先生の授業を 受けた〉という経験は、(26a)によって特定される〈(中立的な)教室〉という概念より もアクセスしやすい情報である。従ってこの経験自体が参照点となり、〈(あの)教室〉を 目標とする場所概念とする参照点構造が存在するのである。このように、通言語的に(少 なくとも日本語とアイヌ語においては)何処にあるかを特定しにくい空間を指示する時 に、経験を参照点とする参照点構造が用いられるということである。 4.1 空間参照枠(Levinson 2003)の再定義 空間参照枠とは、言語によって表現される空間の参照枠である。参照枠とは、物体の位 置を特定するために使用されるシステムのことであり、言語によって異なる参照枠が用い られている。参照枠には三つのタイプ、すなわち内在的参照枠、絶対的参照枠、相対的参 照枠が存在するが、それぞれの参照枠はひとつの言語の中で複合的に利用されることもあ る。 内在的参照枠は、物体に既に方向性が内在しているときに用いられる空間関係(前後な ど)に基づく参照枠である。例えば、「猫が家の前にいる」という表現の意味を考えると、 通常家は通りに面している方、あるいはポーチが付いている方が前と捉えられるため、常 識的には「猫は家の入口かポーチに居る」ことを表していると考えられる。 絶対的参照枠は、東西南北や緯度・経度などの絶対的な指標による空間関係に基づく参 照枠である。例えば、「猫が家の南側にいる」という場合は、話者の位置や家の要素など とは独立に、東西南北という絶対的な基準に基づく空間関係を表している。その他にも、 海側/山側、河川の上流/下流などといった自然環境を絶対的参照枠として用いている言 語も存在する(バリ語、日本語神戸方言、高知方言など)。
相対的参照枠は、話者、物体、基準となる物体の三項からなる参照枠である。物体の位 置は、話者と他の物体の相対的な位置関係によって表現される。「猫が家の左側に居る」 という場合は、猫と家と話者の三項が参照されてはじめて猫の位置が特定される。 4.2 空間参照枠の再定義 さて、この空間参照枠を言語表現の中に見られる空間把握の方略として考えるならば、 当然、アイヌ語の地名の例で見てきたような、経験や行為、知覚に基づく空間参照も含め るべきである。本論では、Levinson(2003)で述べられている空間参照枠に、さらに下 位区分としての「経験参照枠(experiential frame of reference)」を位置づけることがで きる(図3)。また、今まで空間参照枠とされていたものは、すべて幾何学的な形状や座 標形、位置関係に関わることなので、本論では幾何学的参照枠(geometrical frame of reference)と再定義する。 図 3 空間参照枠の系統図
空間参照枠
幾何学的参照枠
相対的 絶対的 内在的
知覚
行為
経験参照枠
一 方 で、 非 幾 何 学 的 参 照 枠 で あ る 経 験 参 照 枠 は、 土 地 の 持 つ 知 覚 の 可 能 性 (perceptive)と主体的行為に関するもの(active)である。知覚には、対象物の価値や属 性を表したものが含まれる。一方、行為には、対象物で行う行為や対象物に対する行為な どを含む。これらは相互排他的な分類ではなく、それぞれが影響し合っているといえる。(27) a. 列の先頭に彼が立っている。 b. あの木の右側に猫がいる。 c. ビルの南側に車を停める。 (28) a. あの人がたくさん集まっているところに彼がいる。 b. 私たちが昨日ご飯を食べたところで彼が立っている。 (27a)は「列」という方向が定まっている概念に対して「彼」のいる場所を特定する内在 的参照枠、(27b)は「木」を参照点として「右」という相対的な関係性によって「猫」 のいる場所を特定する相対的参照枠、(27c)は「ビル」を参照点としながら「東西南北」 という絶対的枠組みの中で「彼」のいる場所を特定する絶対的参照枠である。一方で、 (28a)は「人がたくさん集まっているところ」を知覚的な参照点とすることで「彼」のい る場所を特定する知覚参照枠、(28b)は「私たちが昨日ご飯を食べた」という経験・行 為を参照点として「彼」のいる場所を特定する行為参照枠の例である。 経験参照枠は、知覚や行為を参照点としているために、その参照枠が示す空間的な境界 線を明示しにくい。経験参照枠は知覚や行為が明確な境界線を持たないという点で非幾何 学的な参照枠といえる。また、幾何学的参照枠は視覚的な区別が用いられるが、経験参照 枠は、五感に加えて知覚・行為の可能性で区別されている。さらに、場所と対象物と話者 の三項を考えたとき、幾何学的参照枠が、場所と対象物との位置関係により注目するのに 対し、経験参照枠は場所と話者との所有関係などといった抽象的な関係性にも注目する。 4.3 経験参照枠の指示詞・所属形との関連性 下の(29)の例に見るように、経験参照枠は指示詞や所属形と共起する、あるいはそう した解釈が成り立つ可能性が高い。例えば次のような例である。 (29) a. 彼は席に座っている。 b. 彼は公園にいる。 c. 彼は家にいる。 d. 彼はいつもご飯を食べる席に座っている。 (29a)の場合、「席」で表される場所は「彼の4 4席」であり、所属形が省略されていると考 えられる。(29b)の場合は、英訳すると となる通り、「ある公園」では なく「あの4 4公園」という解釈の方が自然に成立すると考えられる。さらに(29c)や (29d)では「家」や「いつもご飯を食べる席」というのは定性と所属形の両方に解釈す
ることが可能である。このように、日本語の場所表現では経験参照枠において指示詞や所 属形が暗示される。 このことは、アイヌ語の場所表現において、指示詞が用いられる場合や所属形が用いら れる場合に位置名詞が省略されるという現象と関連している。すなわち、図3の分類でい えば、アイヌ語の場所表現は空間的参照枠を用いるが、その場合に位置名詞を用いる場合 は幾何学的参照枠であり、それ以外の指示詞や所属形、場所名詞、地名が用いられる場合 は非幾何学的参照枠、すなわち経験参照枠を利用しているとまとめることができるのであ る。 以上のように、経験参照枠は、通言語的な場所表現の特徴を包括的に論じる枠組みとな りうることが示唆される。また、経験参照枠を用いた場所表現では定性・習慣性の解釈が 現れやすいという特徴と結びついているということを指摘することができる。 5. まとめ 本論では、アイヌ語地名の分析を元に、空間的参照枠の再定義を行った。さらに、これ に基づいて、他の地名も分析が可能であることを示し、意味・形態的特徴に基づく分類に より、アイヌ語の地名をまとめなおすことができた。これにより、アイヌ語の場所表現の 全体を参照点構造という統一的な観点から説明することが可能となった。さらに、通言語 的な観点から空間参照枠に経験参照枠を導入することにより、これまで見落とされていた 知覚・行為を参照点とする空間参照枠に基づく表現と、定性・習慣性の解釈という特徴と の結びつきが示唆された。 今後は、より場所表現のデータの数を増やすことで、人間が場所をどのように指示する のか、という方略について記述をより精緻にしていく必要がある。そして、「V するとこ ろ」などといった表現と地名などの固有名詞との連続性とその境界線についても今後明ら かにしていきたい。 参考文献 知里真志保(1956). 『地名アイヌ語小事典』札幌:北海道出版企画センター . 深田智・仲本康一郎(2008). 『概念化と意味の世界̶認知意味論のアプローチ̶』東京: 研究社 . 井上拓也(2016).「アイヌ語の場所表現に関する記述的研究 : 認知言語学的観点から」『言 語科学論集』22, pp. 1‒23. 井上拓也(2018). 「アイヌ語の場所表現に見られる定性に関する考察̶英語の weak definite との比較を通して̶」『KLS 38: Proceedings of the 38th Annual Meeting of
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政協会 .