塩
野
宏
会
員
︵平成一九年九月一二日 提 * 出︶基本法について
Ⅰ
はじめに
筆者は、かつて、制定法における目的規定の存在理由、機能等に つき考察を加えたことがあり、日本法のように目的規定が制定法に 必ずといってよいほど置かれるのは、必ずしも普遍的現象ではない こと、目的規定の持つ説明機能、啓発機能については評価すべきと ころがあるが、それに機械的に頼ることは制定法の解釈方法として も必ずしも適切ではないことを指摘した。その過程で、日本法にお ける目的規定の問題性が、基本法においても見られることに言及し た ︵1︶ 。 本稿では、このような経緯から、目的規定研究の延長として、日 本 で 数多く制定されている基本法について 、 主として法的見地か ら、その独自性と普遍性を検討することとする。 基本法と言う名前の付く法律で、よく知られているのは教育基本 法であるが、本稿末尾の別表・基本法一覧︵以下、別表と略す︶に 掲げてあるように、実にさまざまな基本法が、各分野で制定されて おり、その数は三〇法律を超えている︵0番号を附した教育基本法 ︵ 昭和二二年 ︶ は全部改正 、 農業基本法 ︵ 昭和三六 年 ︶ は廃止され ているが、基本法制の発展過程における重要性に鑑み、記載してあ る ︶ 。 そ の内容は法律名を見れば一般人でもおおよその検討が付く ものがほとんどであるが 、 地理空間活用推進基本法 ︵ 平成一九 年 ︶ になると、表題を見ただけでは、関係者以外には、理解困難であろ う。 このように日本では基本法はいわば花盛りの状態であるが、かね て日本法がもって範としてきた欧米諸国の制定法でこれに直ちに対 基本法について 一応するようなものは見当たらない。 さらに、日本法に焦点を絞って見た場合でも、基本法の適用を巡 る訴訟事件は教育基本法を除き法学界の注目を浴びるようなものは これまでのところ登場していない状況にある。言い換えると、現実 に、基本法がどれほどの役割を果たしているものか定かでない。 しかし、だからと言って、法律学としてはそのような基本法に目 配 り する必要はないと言い切ってよいかどうかは問題で 、 そこに は、日本法の特別の事情としてどのようなものがあるのか、基本法 の隆盛現象には、普遍的なものは全くないのかは、十分研究の対象 となりうるものである ︵2︶ 。
Ⅱ
基本法の概況︱外形から見た︱
一 基本法の概念 基本法については法令上の定義規定は存在しない。法律実務的に は、内閣法制局関係者の執筆にかかる法律用語辞典、法令用語辞典 などで、一つの項目として取り上げられているが、これも定義とい うよりは特色を列挙したものである。 もっとも、 国会の質疑の中で、 衆議院法制局職員の答弁があり 、 それによると 、 ﹁ 国政の重要分 野 について進めるべき施策の基本的な理念や方針を明らかにするとと もに、施策の推進体制について定めるもの﹂とされているが ︵3︶ 、この ような内容を持っている法律は基本法という名前の法律以外にもあ るので、これも定義とまではいえないものである。 ただ 、 基本法と名づけられた法律には 、 ある程度共通性が あ る 、 あ るいは 、 共通性を持つように立法政策上の運用がなされており 、 これについては改めて論ずることとしたい︵後出Ⅲ参照︶ 。 二 基本法の用語 法律上の基本法と言う用語例については二つの点を取り上げてお く。 一つは、日本法に多くの用例があることは別表に見られるとおり であるが、これは、戦後の現象で、明治憲法下ではこのような用語 例 は な か っ た よ う で あ る 。 ま た 、 外 国 法 で は 、 ド イ ツ に は 、 Grundgesetz für d ie Bundesrepublik Deutschland ︵ ド イ ツ連邦共和国基 本法︶があるが、これは、具体的には、ドイツ連邦の憲法を指すも のであって、日本の基本法とは性質が異なる。ほかの欧米諸国には 基 本 法 と言う名前を持った法律は存在しないもののごとくである 。 ただ、内容的には、ある程度基本法と対応が可能な法律も欧米各国 に見られる︵後出Ⅵ参照︶ 。 これに対して、東アジアには基本法と言う名の法律を制定してい るところがある。 台湾がそれで、 教育基本法、 原住民族基本法など、 日本学士院紀要 第六十三巻 第一号 二漢字国であるので、日本と全く同じ用語例となる。韓国では、法令 用語はハングルで統一されているが、日本語に直訳すると基本法に 該当する表題を持つ法律、たとえば、教育基本法、在韓外国人基本 法などかなり多く制定されている ︵ 韓 国 、 台湾の状況について は 、 後出Ⅵ参照︶ 。 韓国、台湾の基本法は日本の教育基本法よりも制定年が後になる ので、法令上の用語例としての基本法は、日本の教育基本法が世界 でも始めてと言うことになりそうである。日本人の発明と言ってよ かろうと思われる。ただ、誰が実質的名付け親であるかは、明確で はない。 三 基本法の専属管轄 基本法の用語との関係で触れておく必要があることとして、ある ことを法律で定めるに当たり、基本法という形式でなければならな いのかどうかという問題があるが、その意味における基本法の専属 管轄は存在しない。言い換えれば、すでに存在する基本法たとえば 少子化社会対策基本法が、単に、少子化社会対策法という名前であ っても、法律としては十分成り立つ。他方、基本法と言う名前が付 いていなくとも、基本法であるといわれることがある。たとえば独 占禁止法は、経済法の基本法であるとされる ︵4︶ 。同じく、国家公務員 法、地方自治法についても基本法たる地位或いは性格が語られるこ とがある ︵5︶ 。この種の基本法論はいわば実質的基本法を対象とするも のであって、本稿のような、形式的意義での基本法分析とは異なる ものの、共通する論点もある。 四 展開 別表の示すように、基本法の制定は教育基本法をもって嚆矢とす るが、 昭和二〇年代はその後に続くものがなく、 昭和三〇年になり、 民主、自主、公開の三原則を謳った原子力基本法が制定された。こ の頃までは基本法は、高い理念を掲げる特別の意味を持つ理念法と 言うことであったかとも思われる。その後、農業基本法、中小企業 基本法、林業基本法、のような産業基盤整備の基本法が制定されて いるが、戦後復興に取り残されたとも言える諸利益にこたえた政策 立法が登場しているのも時代の反映と思われる。さらに、現在の環 境法の前身である昭和四二年の公害対策基本法のように、経済の高 度成長の過程で生じたひずみを象徴するものとして広く国民一般の 注目を浴びたものがある。この間、昭和時代の約四〇年間に制定さ れた基本法が一〇に満たないのに対し、平成を迎えると急増し、と りわけ、この一〇年の間に、二〇以上に及ぶ状況になっていること が注目される。 それぞれの基本法の制定の動因はさまざまであるが ︵6︶ 、ごく大雑把 にいえば 、 基本法が当初 、 教育基本法にお け る 平 和・民 主・文 化、 基本法について 三
原子力基本法における平和・民主・自主といった戦後改革を象徴す る理念を掲げることを主眼とすることから、農業基本法をはじめと する産業政策立法へと比重を移し、時代を進めると、国のより具体 的政策、国民の要望にこたえる時の方策へと傾斜していく、つまり 世俗化の過程をたどったものと整理することができる。言い換えれ ば、基本法という法形式の多目的利用が行われるようになったこと と、その内容の標準化が行われるようになったのである。このこと は、内容から見た基本法の特色に現れているところである︵後出Ⅲ 参照︶ 。 五 議員立法と内閣提出法律案︵閣法︶ 外側から見た基本法の特色として、別表に現れているものとして は、議員立法と閣法の比率が均衡していることがある。日本の立法 過程の特色として指摘されていることの一つに、法律は多くが内閣 提 出 のものであり 、 成立を見た議員立法の数は少ないことがある が、別表による限り、基本法に関してはこの評価は必ずしも当って いない。このことは、基本法がある特定の省の事務に属しない、つ まり個別の省では法案の提出がスムースに行かないと言う面と、関 係グループが所管の官署に出向いても積極的に対応してくれないの で、国会議員に直接働きかけるといった面があるかも知れない。な お、別表に見られるように、全会一致で成立したものも散見される が、そこには、大方の国民の要望にこたえるという基本法の世俗化 と共通するものがあるように思われる。これに対して、理念の対立 が持ち込まれる場合、たとえば、改正教育基本法などは、そうでは ない︵ただし、●印のすべてが、いわゆる与野党対決法に当るわけ ではない︶ 。
Ⅲ
基本法の特色︱内容からみた
一 前置き︱別表の解説 ここで、内容からみた基本法の特色とは、具体的な実質的な内容 ではなく、法的な性格からみたものを指す。 これにもいろいろな分類の仕方があるが、基本法に定められる事 項で特色あるものを別表に掲げ整理してある。特段工夫を凝らした ものではないが、整理の趣旨について簡単に指摘しておく。 そこに掲げた項目のうち、前文の次の理念から施策までは、条文 見出しをそのまま用いている。ただ、基本法に定められている条文 見出しをすべてカバーするものではない。たとえば目的規定はすべ ての基本法にあるが、制定法に目的規定を置くのは、日本法の通例 であるので省いてある。定義規定も基本法の特色ではないので除い てある。逆に、罰則規定は、行政法令に普通に見られるが、基本法 日本学士院紀要 第六十三巻 第一号 四にはまれなので、その特色を示す意味で掲げてある。なお、項目の うち審議会等とあるのは、基本法の実施との関係で、審議会など特 別の行政機関が設立される場合を指している。権利とあるのは、条 文上、国民の権利に触れているものがある場合であるが、当該権利 の法的濃度はいろいろである ︵ 後出七頁 ︶ 。 実施法とは 、 当該基本 法を実施するために個別法が制定されることを基本法自身が定めて いる場合を指している。 次に、個別基本法において、理念規定・責務規定・施策規定の見 出しをそのまま用いている場合は○、これらの見出しを用いてはい ないが、内容等から対応性の判断可能な場合は□、対応する条文が ない場合は×としてある。△は、論争の対象という意味で、○×と いう表記では適切でない場合には、内容を記してある。なお責務規 定の項目で、○に ︵努力︶ とあるように注記が付記されているのは、 見出しは責務とあるが 、 条文自体では責務の文言ではなく 、 ﹁ 努 め なければならない﹂ ︵消費者基本法七条︶ 、 ﹁努めるものとする﹂ ︵少 子化社会対策基本法六条︶としていることを示している。 二 規定内容︱全般的傾向 基本法という法形式について、始めから、内容のカタログが決ま っていたわけではない。昭和二二年制定の教育基本法では、別表で 責務規定が□になっているように、責務規定と銘打った見出しは付 けられていない。また、各条の規定の名宛人も必ずし具体的ではな く、教育に携わる者すべてに及ぶような規定も散見される。平成一 八 年 の 改正教育基本法に見られる計画に関する規定も存在しない 。 昭 和 三 六年制定の農業基本法も政策目標を掲げるのが中心である 。 責務という言葉が、国、地方公共団体事業者、国民のそれぞれに分 けて明確に規定されるようになったのは、昭和四三年の消費者保護 基本法︵現行消費者基本法︶からであると思われる。 要するに、教育基本法制定の時点で、基本法という法形式とは内 容的にどのようなものであるかなどという法制的な一般論なしに出 発し、その後も、原子力基本法、農業基本法などそれぞれの時点に おける重要な 政策課題に対応して逐次内容を豊富なものとして行 き、消費者保護基本法以降にある程度標準的カタログが出来上がっ たということができる。 三 規定内容の性格 次に、基本法の規定内容を通常の法律と比較しながらその特色を みてみよう。 ① 啓蒙的性格 基本法が啓蒙的性格を持つことは、犯罪被害者等基本法やものづ くり基盤技術振興基本法の前文によく現れている。前文を持たない 基本法でも、目的規定の中で、国民の関心を高める趣旨の文言がち 基本法について 五
りばめられるのが通例である。一般的に言って、成文法典の制定が 単 に 現状の追認にとどまらず 、 新たな秩序の創造を目指すときに は、国民に対する啓蒙的メッセージを背景に持っているということ ができる。基本法の場合には、それが、前文や目的規定の中に示さ れる。基本法のほとんどは、国民の権利義務に関する規律、つまり 法規を内容とするものではないので ︵ 後 出 ⑤ 参 照 ︶ 、 啓蒙 的な性格 がより強く示されることとなるわけである。 ② 方針的性格︱非完結性 基本法は自己完結的な法典ではないことを通例としている。基本 法の掲げる理念、価値、方針を実現するための法制上、財政上の措 置 が 別の法令等によりなされることを前提としており 、 このこと は、別表の実施法のカテゴリーに見られるように、ほとんどすべて の基本法でわざわざ明記していることに現れている ︵7︶ 。実施法に関す る定めがないのは、災害対策基本法のように、例外的に自己完結的 内 容を持っているものに限定されている 。 その意味では基本法は 、 いわゆる一般法ではない。 これに対して、 一般法としての民法典は、 権 利義務の体系としては自己完結的で 、 民法はその点からすると 、 ここでいう基本法ではないし、地方自治法、国家公務員法も同様で ある。 ③ 計画法的性格 別表に見られるように、ほとんどすべての基本法で、計画の策定 を政府に義務付けている。教育基本法も昭和二二年法では計画につ いて触れていなかったが、平成一八年法では、教育振興基本計画の 策定を政府に義務付けている。実は、計画という現代に重要な行政 の行為形式についてその根拠を予め法律で規定しなければならない かどうかは、行政法学上、法律の留保論の一場面として、議論の存 するところである ︵8︶ 。ただ、方針的性格を持つ基本法では、そのよう な法律論とは別に、基本法で定められた理念や方針の具体化の手段 として、 計画の策定を予定するというのは、 自然な発想と思われる。 さらに、興味深いのは、たとえば、犯罪被害者等基本法の基本計画 に盛られた事柄が、刑事訴訟法等の改正法案となった、つまり、法 律が計画の母体であるが、その計画が法律の母体となるという現象 が見られることである。 ④ 省庁横断的性格 基本法に見られるいまひとつの特徴は、省庁横断的性格を持って いるものが多いことで、これは議員立法が多いこととも関連してい る。別表の審議会等のカテゴリーに︵内︶とあるのは、審議会或い は本部という基本法で設置が予定されている行政機関が内閣府に属 していることを表している。内閣総理大臣や、内閣府の職務権限は 複雑であるが、ごく大雑把に言えば、縦割りの個別省庁で処理する 日本学士院紀要 第六十三巻 第一号 六
ことに適している事務が増えてきていることを示すものとしても理 解すべきものと思われる ︵9︶ 。 ⑤ 法規範的性格の希薄性︱権利義務内容の抽象性・罰則の欠如 以上に指摘したことを裏返して言えば、基本法の内容は、権利・ 義務に関する規律に乏しい、言い換えれば法規範性が希薄であるこ とを示している。法規範は通常、ある要件を定め、その要件が充足 すれば一定の効果が生ずるという構造をとるが、基本法の定めのほ とんどはそのような構造をとっていない。 別表に示されているように、権利規定を含む基本法もないではな い。ただ、原子力基本法及び災害対策基本法の権利規定は、被災者 に対する損失補償に関するもので、基本法一般に通ずるものではな い。消費者基本法には、消費者の権利、障害者基本法には、障害者 の 権 利 、 男女共同参画社会基本法には男女の人権が謳われている が、ここから直ちに具体的な権利が発生するような要件・効果規定 はなく、どのような権利が発生するかは実施法に委ねられることに なる。また、犯罪被害者等基本法は、その目的として犯罪被害者等 の権利利益の保護を掲げる︵法一条︶と共に、基本理念として﹁す べて犯罪被害者等は、個人の尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわ しい処遇を保障される権利を有する ﹂ ︵ 法三条 ︶ と定め る が 、 こ こ か ら 直ちに処遇に関する具体的権利が生ずるわけではない 。 そ れ は、実施法の定めに委ねられることになるのである︵なお、責務規 定の規範性が問題となるが、これについては後出Ⅳ二参照︶ 。 もっとも、基本法が現行法の解釈運用にあたり、全く意味のない 存在であると、即断することはできない。たとえば、災害対策基本 法は、別表に記載してあるように、罰則も用意されている。その意 味では、災害対策基本法は、基本法の名前は持っているが、基本法 の標準から外れるところがある。 教育基本法にも例外的要素がある。教育への不当な支配禁止の原 則を定めた改正前の教育基本法一〇条一項の定めがそれで、具体的 には、いわゆる学力テストの教育基本法一〇条違反が問われたこと がある。当該事件に関する最高裁判所大法廷判決においては、学力 テスト自体は一〇条違反とはされなかったが、教育に対する行政の 介入の仕方によっては、一〇条違反として、当該行為が違法となる 場合があるとされたのである︵最高裁判所大法廷判決昭和五一年五 月二一日刑集三〇巻五号六一五頁 ︶ 。 その意味では 、 法規範とし て 機能することが考えられる ︵ 10︶ 。環境基本法が具体の環境訴訟において とりあげられることもある。 ただ、一般的にいえば、規範性をもつ条文は基本法の中ではまれ である。個別基本法の条文で、権利について言及されていても、そ こから直ちに具体的権利が生じているというほど、成熟したもので 基本法について 七
はないことは、先に指摘したとおりである。 四 まとめ︱基本法と通常法の異同 以上に、基本法の内容的特色を取り上げてきたが、基本法に定め る諸規定が、通常の法律と異なった別の性格をもったものであるわ けではないことに注意する必要がある。 啓蒙的規定は、通常の法律でも法第一条の目的規定の中に込めら れていることがしばしばである 。 たとえば 、 情報公開法第一 条 の ﹁ 政 府の活動を国民に説明する責務が全うされるようにする ﹂ と い う文言がまさにそれで、これを契機として、日本で説明責任という 言葉が広く流布するに至ったところである。 消費者契約法は、法体系からすると消費者基本法の実施法的なも のであるが、そこでも、消費者及び消費者の努力を謳った規定が置 かれている ︵ 法三条 ︶ 。 計画に関する規定も基本法以外の法律に 見 られる。たとえば、国土形成計画法は、法律そのものが全国計画以 下の国土形成計画策定を目的とするものである。 逆に、基本法と銘打つ法律でも、災害対策基本法のように罰則を 伴っているものもある。その意味では、基本法の特色は、通常法と 比較して相対的な違いが認められるという具合に理解するのが正し い。言い換えると、通常の法律は、要件・効果を定める規律を中核 とし、まれに、責務規定その他の規定がおかれるのに対し、基本法 では、責務規定など、非法規的な定めが一堂に会しているところに 特色があるのである。 唯一、基本法という名前の法律についての共通の規定と思われる のは、実施法に関する規定である。国家公務員法、地方自治法等の 一般法においても、当該法分野のある特定事項について、法律の中 で、特別法の制定を予定しているものがある。たとえば、国家公務 員法は、退職年金制度について基本原則を定めると共に、具体的な 制度は別に法律で定めることとしている ︵法一〇七条︶ 。 しかし、 こ れは、完結的な法律の一部を補うもので、当該法律全体が実施法を 予定しているものではない。これに対して、基本法における実施法 は当該基本法全般に予定されているところに特色がある。この種の 実 施 法 が明文で予定されていないのは別表に示されているように 、 原子力基本法、災害対策基本法、中央省庁等改革基本法、特殊法人 等改革基本法、国家公務員制度改革基本法の五法律であるが、この う ち 原子力基本法は 、 個別条文で別途法律によるとする定めが多 く、実質的には実施法の制定を前提とした法律と解することができ るし 、 行政組織改革に関する三つの法律は 、 その実現のために は 、 個 別 設置法等の改正等を必要とするので 、 自足完結的法律ではな い。その意味では、実質的な例外は、災害基本法のみであって、実 施 法の存在をもって 、 基本法の共通的特色としてよいと思われる 。 日本学士院紀要 第六十三巻 第一号 八
その意味では、法律実務上に意味をもち、したがって実定法学の対 象となる国民の具体的権利義務に関する規定は、実施法をまたなけ ればならないわけで、このことが、基本法について法律学者があま り関心を示してこなかった理由の一つと考えられる。
Ⅳ
法解釈上の諸問題
基本法の解釈問題としては、個別基本法の個別条文が検討の対象 となりうることはいうまでもないが、ここでは、基本法に共通する 解釈問題を取り上げることとする。 一 法体系上の位置づけ 一般的に言って 、 国の成文法は 、 憲法 を頂点とし 、 法 律 、 政 令 、 省 令 という段階的構造をもつ 。 それぞれが上位と下位の関係に立 ち、下位の法令は上位の法令に違反し得ないものとされるが、基本 法は、この段階的成文法体系のどこに位置づけられるのかが問題と なる。 ① 基本法性格論議︱教育基本法 基本法の位置づけが論ぜられてきた典型例が、教育基本法である が、そこには、いくつかの異なったアプローチがある。その最も初 期の学説が田中二郎の﹁教育憲法論﹂である。すなわち、昭和二二 年の教育基本法制定過程に深く関与した田中二郎は、同法の制定直 後に解説的論考を表し 、 ﹁ 教育基本法は 、 教育勅語に代るべき教 育 宣言的な意味と、教育法の中における基本法即ち教育憲法的な意味 とを兼ね有するものといへよう﹂とし、教育憲法の意味に関しては これを敷衍して、 ﹁他の法律には異例ともいふべき、 前文を付し、 憲 法の教育に関する諸条項に關聯し、それを敷衍するとともに、更に 他の教育法等 に対する架橋的な一般的原理的規定を設けてゐるの は、本法が教育法の中における基本法即ち教育憲法ともいふべき地 位を占めてゐることを示すものといへよう。本法は教育憲法として の 他の關係法令の制定を豫定しているのであって 、 本法の意義は 、 それらの法の構想を併せ理解することによって、はじめて正しく理 解することができるであらう ︵ 11︶ ﹂としている。この文章は、基本法制 における実施法の重要性を指摘したものであって、これは、後の基 本 法 に通ずるものであることはすでに指摘したとおりである 。 他 方、憲法、教育基本法、実施法との優劣の関係について法律解釈上 具 体的にどのような意味を持つかについては 、 触れられていない 。 教育基本法制定後間もない時点においては、実施法の整備に関心が 置 か れ 、 法技術的解釈論議には関心が及ばなかったものと思われ る ︵ 12︶ 。 その意味では、 教育基本法は理念的性格を色濃く持っているが、 政策実現の手法としての位置づけを当初から与えられていたことに 基本法について 九も留意しなければならない。 次に登場したのが、有倉遼吉の主張する﹁準憲法的性格論﹂であ る ︵ 13︶ 。ここで準憲法的性格とは、内容的意義と形式的意義の二つに区 分される、前者は、教育基本法の内容が、憲法規範の確認乃至具体 化の意味をもつので、基本法の改正は憲法上の限界を持つことを意 味する。そして、有倉によれば、教育基本法︵改正前︶は、そのよ うな規定を持つものと理解される。これに対して、後者、形式的意 義の準憲法的性格とは、基本法がその形式的効力においても、他の 教 育 法令に優越する性質を持つことを指摘するが 、 これについて は、論者も字義通りに介することには消極的である。ただ、教育基 本法における実施規定 ︵ 法一一条 ︶ に着目し 、 ﹁ 施行法に よって本 法を破ることはできない ﹂ 、 つまり 、 教育法規の内容が基本法に 抵 触 する場合には 、 ﹁ 基本法を優越せしめることのほうが国家意思に 適した解釈﹂であるとされる。この考えによれば、施行法はその限 りで無効となるが、それが、改正法の形をとる場合には、改正法の 内容的違憲性を問題とすることになると思われる。この有倉の準憲 法論は、教育委員の公選制の廃止など、教育基本法の精神に反する 動きへの対抗理論としての性格を持つものであった。 準憲法的性格論は、新たな教育法令に対する防御的なニュアンス の濃いものであったが、兼子仁はこれを﹁基本原理的法律説﹂と把 握 した上で 、 解釈論を包含する教育基本法性格論を展開している ︵ 14︶ 。 すなわち﹁教育基本法は内容上、憲法と一体的に、現行教育法の基 本原理を規定しているのであるから、教育基本法上のかかる法原理 は当然、他の法律をふくむ教育法規の解釈・運用において貫かれ具 体化されていかなければならない ﹂ と し 、 ﹁ 教育基本法所定の基 本 原理が同時に憲法原理であると条理解釈される場合がありうるので あって、このような場合には、教育法所定の原理を貫く解釈をおよ そ な しえない法律は 、 同時に憲法違反とならざるを得ないであろ う﹂と述べる。 教育憲法論、準憲法的性格論、基本原理的法律説のいずれも、基 本法という法形式をもって、憲法と通常法の中間にある、いいかえ れ ば 、 通常の法律よりも優位にあると明言しているわけではない 。 ただ、憲法との密接な関係のあること、実施法の存在が前提とされ ているところに、基本法一般にも通ずるところがある。 ② 基本法性格論議︱一般 教育基本法をめぐる法体系上の論議を参照して、教育基本法の後 継者となる個別基本法のあり方との関係で、次の点を指摘しておこ う。 まず、基本法の展開過程に現れているように、その対象は大きな 広がりを示している 。 したがって 、 憲法との関係も一様ではな い 。 日本学士院紀要 第六十三巻 第一号 一〇
い ず れ も憲法的価値の実現に奉仕するものということはできるが 、 男女共同参画社会基本法のように、個人の尊厳と法の下の平等とい う憲法的価値に直接結び付いている例もあるし、環境基本法は、現 代社会における最高の価値の一つである環境の保全に奉仕するもの であるといえる。他方、エネルギー政策基本法や、ものづくり基盤 技術推進法、地理空間情報活用推進基本法のように、当該基本法の 施 策 の推進の重要性には理解が得られるとしても 、 憲法との距離 は、比較的遠いものもある。その意味では、教育基本法との関係で 語られている教育憲法論、準憲法論、基本原理的法律説のいずれも その射程範囲はあまり広くない。ときに、当該基本法の反現行憲法 的価値が語られるのも ︵ 15︶ 、基本法の特色であるとも言える。また、基 本法と憲法との関係といっても、つまるところは、個別基本法の条 項と個別憲法条項との関係である。その点からすれば、基本法以外 の通常の法律においても憲法的価値と密接な条項は少なからず存在 する。たとえば、地方自治法に定める国と地方公共団体の役割分担 の原則︵法一条の二︶が憲法原理である地方自治の本旨︵憲法九二 条︶の唯一の具体化であるとなれば、役割分担原則違反の特別法は 憲法違反であると言えるかどうか、と言う形でも問題になるのであ って、基本法独自の問題ではない ︵ 16︶ 。 次に、基本法制に特徴的な実施法の存在と、本体たる基本法との 関係であるが、実施法は、本体たる基本法の価値、理念、施策等を そのまま実施することを通常とするので 、 実施法の制定 ・ 運 用 は 、 基本法の趣旨・目的に即して行うものと解するのが素直である。そ れは、実施法本体にとどまらず、実施法の下位法規、行政規則にま で及ぶ 。 その意味では 、 準憲法論が 、 ﹁ 施行法によって本 法を破る ことはできない ﹂ としているのは首肯しうるところがある 。 ま た 、 本法と実施法のこのような関係に着目して、菊井康郎は、基本法の 優越説を展開している ︵ 17︶ 。すなわち、実施法律が基本法の内容に沿っ て いるかどうかについて疑義をもたれるような場合について 、 ﹁ こ のような場合には、当該基本法の内容・精神に適合させることをそ の制定の趣旨としている以上、問題の実施法律の規定は、できるだ け、基本法の目的・趣旨に沿うように解釈されることが要請されな ければならない。・・・このような場合には、後法は前法を打ち破 る力を持つという、いわゆる後法優先の一般原則は、安易に働かせ てはならないと見るべきであろう﹂としている。実施法つきの基本 法というシステムを前提とする限りにおいては至当な説明と思われ る 。 ま た 、 この基本法優越説は 、 憲法との関係に触れる ことなく 、 専ら、本法と実施法の関係として処理しているので、その射程は基 本法全般に及ぶものといえる。ただ、そのことの故もあって、基本 法優越説においては 、 ﹁ 基本法に対して修正 、 適用除外をほどこ す 基本法について 一一
ことを否認する力までも持つものではない﹂とされるので、優越説 は別の限界を持っている。その意味では、かかる現象をもって、基 本法の優越的地位という表現を与えるのが適切かどうかという用語 の問題は残るように思われる。 一般的にいって、個別基本法のカバーする範囲は広いので、基本 法の定めと抵触する個別法律が、基本法の実施法であるのか基本法 の適用除外法令であるのか区別のつけ難いものがあり、優越説に見 ら れるように 、 この区別に固執することはあまり生産的ではない 。 法令等の制定過程において、基本法との整合性の有無、ない場合の 合理性の有無が論議されていることが重要であるが、法律のレベル に関する限りでは、制定された以上は、後法は前法を破るという原 則は基本法と実施法の間でも働くものと解される。憲法との距離が 遠い基本法では、この議論は当然のこととして理解されようが、事 柄の本質は、憲法との距離が近いところでも同じである。 そこで、より端的に、基本法の実務上の解釈運用の指針性が指摘 されているところである。この点は、教育基本法の意義に関する内 閣法制局長官の国会答弁に見られる。 すなわち、 ﹁教育基本法も、 国 法の形式としましてはあくまでも法律でありまして、その形式的効 力におきまし ては他の法律と異なるものではないと考えておりま す。ただ、基本法という形式の法律の特色といたしまして、国政に おける重要な分野につきまして他の個別法律の解釈、運用に当たっ ての指針を示すといった役割をこの教育基本法も有しておりますこ とは明らかでありまして、この趣旨は、御指摘の最高裁判所の昭和 五一年のいわゆる旭川学力テスト事件判決におきましても、教育基 本法における定めは、形式的には通常の法律規定として、これと矛 盾する他の法 律規定を無効にする効力を持つものではないけれど も、一般に教育関係法令の解釈及び運用については、法律自体に別 段 の 規定がない限り 、 できるだけ教育基本法の規定及び同法の趣 旨、目的に沿うように考慮が払われなければならないというべきで あると判示されておりますところだと考えております﹂というので ある ︵ 18︶ 。解釈指針論といえよう。これは、内閣法制局長官の答弁であ るので、 ここでの解釈・運用の主体は、 一応行政府に限定されるが、 いずれにせよ、基本法の定めは、行政府との関係では、対外的効果 を及ぼすものとするのが、 政府見解として示されている。 それでは、 さらに、政府以外の名宛人、とりわけ、国民との関係では基本法の 規定をどのように理解すべきであろうか。それが、後に検討される 責務規定をめぐる問題である︵後出二参照︶ 。 ③ 基本法改正手続限定論 基本法性格論議そのものではないが、同種の問題を提起している ものとして、基本法の改正手続のあり方を巡る論議がある。具体的 日本学士院紀要 第六十三巻 第一号 一二
には、中央省庁等改革基本法が想定している郵政公社と異なり、郵 政事業の民営化までを意図する法案の政府による提出は違法である という主張に見られるものである 。 すなわち 、 藤田宙靖によれ ば 、 当該改革基本法の中には政府が今後も体制を維持すべきものとして いるものがあり、これと異なる体制をとるには、改革基本法の改正 を必要とするとともに 、 政府は提案権を持たない 、 なぜなら 、 ﹁ そ う い った法律案を政府が提案したとすれば 、 政府のその行為自体 は、基本法違反の行為であり、法的に許されないことになる筈であ る ︵ 19︶ ﹂からである。 この基本法改正手続限定論は、省庁改革という当該改革基本法に 特有の問題であるが、基本法制に共通する面も持っている。 すなわち、当該改革基本法は実施規定を持たないが、具体の省庁 の改廃は、個別設置法令に委ねられるので、その意味での不完全立 法であることには変わりはない。ただ、この場合は実施法で如何な る省庁が設置されるかは、すでに基本法で決まっているので、実施 法の選択に余地がないところに特色がある。したがって、更なる組 織改正が試みられるときは、省庁の再編に関する限りは、基本法の 内容的改変に直ちにつながることになり、ここに、実施法の段階で の判断余地の広いその他の基本法と異なるところがある。また、そ れゆえに折角の新組織がみだりに廃止されないように歯止めをかけ たいという誘引が強まると言うことにもなり、その趣旨が郵政公社 条項︵法三三条一項六号︶に表れていると見ることができる。 ただ、問題は、このことから基本法に抵触する爾後の立法過程を 拘束する法的効力が、基本法に備わっているか否かにある。 この点に関しては、基本法と抵触する法律の違法・無効論は準憲 法論等の諸理論においても、主張されなかったところであるし、改 正手続限定論も、 政府提案権を否認するにとどまっている。 そこで、 問題は、政府提案権の否認に焦点が当てられることになるが、この ような議論は基本法という名前が付けられていてはじめて成り立つ ものではない。 したがって法律論としては内閣の法案提出権を制限する法律の制 定が認められるか否かになる。内閣の法案提出権の憲法上の根拠に つ い ては諸説のあるところであるが 、 多数説及び政府の公定解釈 は、憲法が予定しているものと解しており ︵ 20︶ 、問題となっている基本 法も政府提案にかかるものである。そこで、政府の法案提出権が憲 法上認められていることを前提とした上で、法律によって政府の憲 法上の権限を制限できるかどうかが問題となる。この場合、憲法上 は、議員立法が原則であり、それを補充するものとして閣法がある と す れ ば 、 法律でそれを制限することも憲法の禁ずるものではな く、完全な立法裁量に委ねられることになる。しかし、そのような 基本法について 一三
原則を日本国憲法から読み取ることはできないので、立法による政 府の法案提出権の制限は認められないと言う結論が導き出されるの が自然である。これに対して、特別の場合には提案権を国会に留保 することが認められると言う見解もありうるかも知れないし、上記 の改正制限論は、このような立場に立つものと解されるが、郵政事 業の経営形態論議が、政府の憲法上の提案権を制約するに足る合理 性を有するものであるとは言い難い。それは、議員立法と政府提出 法案の制度的役割分担論ではなく、極めて政治的な事情を背景とし ているものと推測される。さらに政府の法案提出権の制限論議につ いては、憲法改正発案権についてかねて指摘されているとおり、政 府の代わりに議員に提案を依頼することも可能であり、現に、通常 の制定法のレベルでは、この種の政府依頼型乃至は準政府立法型法 律の存在も紹介されているところである ︵ 21︶ 。その意味では、実益のあ る議論ではなく、政治過程の効果を狙ったものである。もっとも論 者によっても、制定されてしまった以上は、当該基本法違反の法律 も無効ではないとされているので、政治的効果も限時的なものにと どまる。 ④ まとめ 準憲法的性格論、 基本原理的法律説、 基本法優越説、 解釈指針論、 政府提案制限論のいずれも、後法は前法を破るという法原則自体を 正面から否定するものではない。同じく議会の多数意思で決定する 法律という形式について、時間的ではなく内容的に優劣をつけるこ とは困難である。ただ、そのような枠の中で、基本法の特色を反映 させるべく上記のごとき基本法解釈論が展開されるところに、基本 法制の持つ独特の魅力が内在するように思われ、当該個別基本法へ のコミットの程度・方法により魅力の強弱が左右される点も興味深 いところである。 二 基本法と責務規定 ① 問題の所在 基本法の特色として、責務という言葉が極めて頻繁に用いられて いる点が特徴的である。まず、別表から明らかなように、ほとんど と言ってよいほどに、 条文見出しに責務が掲げられている。 それも、 政府、関係事業者のみならず、国民についても責務が謳われている ことがある。ただ、条文の内容を検討すると、政府、地方公共団体 の責務は、文言として﹁責務を有する﹂と、そのまま記述されてい るのに対して、国民の責務は、条文の中身としては﹁・・するよう 努めるものとする﹂と言う具合に責務の言葉自体は用いられていな い例が多く ︵ 別表参照 ︶ 、 これに対応して 、 条文 見出しも ﹁ 国民の 努力 ﹂ とされていることもある ︵ 高齢社会対策基本法 五 条 ︶ 。 こ れ らは努力規定と総称することもできる。 日本学士院紀要 第六十三巻 第一号 一四
ところで、条文見出しや本文における﹁責務﹂は、法令用語であ って、それは﹁本来は、責任と義務の意。責任と同義で用いられる 場合や、責任をもって果たすべきという意味で用いられることもあ る ︵ 22︶ ﹂と説明されている。 このように、責務規定は、その名宛人、つまり政府、地方公共団 体 、 事業者 、 国民に 、 あることをなすべき義務を課すも のである 。 条文本文では 、 責務ではなく 、 ﹁ 努めるものとする ﹂ とい った努力 規定の表現がなされているのは、結果の責任まで求めている趣旨で は ないこと 、 義務の程度を緩和する趣旨であることが伺われるが 、 義務を課していることには変わりはないので、努力規定もその限り では責務規定と同義に解してよいであろう。 もっとも、当該責務規定から、直ちに関係者に具体的な行動義務 ︵ 受益者に具体的権利 ︶ が生ずるものではないと解されてい る 。 法 律の留保にいう根拠規範であるとするには、責務要件の定めが広範 に過ぎる。逆に、私人が責務規定に対応した行動をとらなかったか らといって、直ちに、国が強制措置を取ることはできない。その意 味では 、 責務規定は 、 訓示的な規定であるというのが妥当であ り 、 かつ、立法者意思にかなうものと解される ︵ 23︶ 。 責務規定の存在は 、 基本法特有なものではないが 、 責務規 定 が 、 法の掲げる理念ないし目的の実現のための重要な手段として掲げら れていること、 義務の内容が極めて広範であること、 名宛人が政府、 地方公共団体、事業団体のようないわば特定の組織ないし集団にと どまらず国民一般に対しても及ぶことがあること、基本法が数を増 すごとに範囲が無限定に拡大していることに基本法制の特色が見ら れる ︵ 24︶ 。 責務規定については、これまでも、その法定化の意義が問題とさ れてこなかったわけではない。むしろ、現在の責務規定のいわば先 駆けとなった教育基本法の教育目的規定、それと一体となった教育 方針規定に関しては、同法の改正問題とも関係してその評価に変遷 が見られ、責務規定の検討に際しての興味ある素材を提供している ので、その状況を見ておくこととする。 ② 教育基本法における論議 すでに、教育基本法案に関する国会の審議過程でもこの問題につ いて議論がなされていたことが注目される。すなわち、教育基本法 案 の審議に当った貴族院本会議において澤田牛麿議員は 、 法案に 、 ﹁この法案は法案じゃなくて、説法ではないか﹂ 、 ﹁説教ではないか﹂ と疑問を呈し 、 結論として 、 ﹁ 法律で以てさう云ふことを決めな け ればならぬと云ふことは何處にあるのであるか、それは私は日本国 民を侮辱した観念ではないかと、甚だその點に付いて疑を持つので あります ﹂ と述べていた ︵ 25︶ 。 この指摘に対して 、 後 に 、 田中二郎は 、 基本法について 一五
教育基本法の性格について 、 ﹁ 全體が 、 他の法律には異例ともい ふ べき道徳的、倫理的な規定の色彩を濃厚にもってゐる﹂ことを率直 に 認めたうえで 、 ﹁ 教育の根本理念とか方針とかを詔勅の形式によ るにしろ、法律の形式によるにしろ、これを一定するといふことに ついてはおそらく異論が挿まれるであらう。 それは、 根本において、 教育者自らの自覚と反省とに俟つべきものであるかも知れない。併 し、わが国における過去の教育を支配した偏狭な国家主義的な傾向 をはっきりと拂拭し是正するために、新憲法の精神に則った教育の 根本理念なり方針なりを明示する必要の存することは否定し得ない であらう。・・・国民自らの総意の表現として、これを定めること が、民主主義の精神に合する方法であるといふ意味において、法律 の形式の形をとったことが是認せられるであらう﹂と反論したので あった ︵ 26︶ 。道徳的、倫理的規定を法律の形式で定めることを民主主義 で正当化することができるかどうかの基本問題は、深められること なく経緯したが、ここには、責務規定の法律への導入が積極的に語 られているというよりは、教育の理念の変革という戦後改革の至上 命題を闡明にする形式の探索の結果の跡がうかがえるのである。 その後、法的性格論議とは別に、教育目的規定、教育方針規定を 含め、教育基本法は、いわゆる説教批判とは方向を異にし、憲法と の密接な関連性とともに、教育法の基本原理を明らかにしたものと されるようになった。たとえば、兼子仁は、教育目的の法定化の問 題性を自覚しつつも、制定当時の立法理由に加えて、教育基本法が 教育改革立法であること、日本国憲法自体が一定の教育目的を持っ て いることを理由に 、 ﹁ 教育基本法が定める教育目的が現行教育法 の基本原理﹂であるとしていた ︵ 27︶ 。これは、教育目的規定︵そしてお そらく教育方針規定も︶が、一定の法効果をもつものという理解を 示しているものと解される。しかしその後、兼子は、教育目的規定 法定の歴史的必要性を認める一方で、 ﹁人間教育の目的である以上、 それが教育基本法に規定されたからといって教育内容を具体的に拘 束しうるわけではない﹂とし、教育目的規定も訓示規定にほかなら ないとするようになった ︵ 28︶ 。 今般の教 育基本法の改正につながる論議の過程で教育目的の意 義・内容が問題となったが、教育目的規定、教育方針規定の訓示規 定的理解がより明確に論ぜられるようになった。すなわち、成嶋隆 は 、 ﹁ 教育の理念 ・ 目的や 、 その具体的方法とい った事項を 、 国 家 の定める強制力規範である法によって規律することは、教育の条理 に反する﹂という前提に立って、教育目的規定、教育方針規定の存 在そのものに疑問を呈した上で、目的条項を歴史的制約を帯びた条 項として、裁判規範ではなく、 ﹁宣言・訓示規定﹂と解している ︵ 29︶ 。 教育目的規定、教育方針規定の訓示規定的把握は、当該条項の消 日本学士院紀要 第六十三巻 第一号 一六
極的理解の上に立った解釈論であるが、さらに、一歩を進めて、市 川 昭午は今日の価値多元的社会では 、 ﹁ 社会に共通する教育目的が 成立するとは限らない ﹂ と し 、 ﹁ 教育について国民の間にさまざ ま な考え方がある以上、法律で規定することは適切でない﹂というの である 。 ま た 、 ﹁ 国 家 ・ 社会の主体的な担い手の育成を目 指す教育 であればあるほど理念や道徳を法律に掲げることを控えるべき﹂と 述べ、さらに、教育基本法の教育目的規定、教育方針規定を教育政 策の理念、教育政策の方針とすべしとして、改正条文案を添えた具 体的提言をしている ︵ 30︶ 。 以上に瞥見した教育基本法における目的規定、方針規定に関する 法的把握の変遷は、教育基本法の独自性を示すものであるが、責務 規定一般に共通する問題を提起している。 すなわち、もともと、教育目的及び教育方針規定は立法関係者に おいて、厳密な法規範として構想されたものではなかった。その意 味では、現今における宣言規定、訓示規定論は、立法者意思への回 帰ということになろう。むしろ、この種の規定に法原理としての資 格 が 与 えられたことは立法者意思とは離れた解釈論的操作である 。 かかる解釈論的操作が行われたことは、戦後改革法としての教育基 本法への強い期待と、他方において、法律の構成自体が、未整備で 解釈の余地を残したことによるのであろうと思われる。その意味で は、その後基本法の規定類型が整備され、類型としての責務規定が 独立したので、国民の責務規定は、言うところの訓示規定としてよ り正確に位置づけられることとなり、責務規定が法規範として位置 づけられることはなくなったといってよい。 しかし、教育目的規定、教育方針規定の訓示規定的理解は、立法 者が国民に対して、強制力はないけれども一定の作為不作為を義務 付けることを容認する結果となっていることに注意しなければなら ない。ここに責務規定の有する問題性が存在する。 ③ 責務規定の問題性 日本では、行政指導が広く行われ、これが私人の活動の自由を実 際以上制約するものであることから批判の対象とされてきた。行政 指導と比較すると、責務規定、とりわけ、国民に対するものは、そ れによって具体的個人に直接働きかけるわけではないので、行政指 導よりもよりソフトで、しかも法律の定めそのものなので、現代の 立 憲 民主国家に適合的であるという見方もできそうである 。 し か し、行政指導は、少なくとも法形式的には相手方に義務を賦課する ものではなく相手方たる国民の自由な判断を前提とした上での行政 機関の要望である。これに対して、責務規定は、端的に国民の義務 を定めるもので、国民の自由に対する侵害は概念的には大きなもの がある。 基本法について 一七
責務規定は 、 国民に直接拘束的な法効果を及ぼさないという点 で、適用範囲の確定に関し厳密性が要求されない。他方、そのこと は、必ずしも十分に自覚されずに適用範囲が拡大していく可能性を 持つ。また、責務規定の対象が国民であっても、国民を実際上拘束 するものではないこと、つまり法律論としては細かな議論をする意 味が無いことから行政法学者を始め実定法学者は、これまで、責務 規定にあまり注意を払ってこなかったように思われる ︵ 31︶ 。しかし、基 本法の対象の拡大は、立法権者が、国民の生活に幅広く、理屈の上 では、それも家庭生活から精神生活にまで立ち入って、国民に対し て義務を課することを認めることを意味し、それは一部現実化して いる ︵ 別表参照 ︶ 。 そして 、 このような事態が 、 日本 においてはそ れほど違和感なく受け入れられ、むしろ当たり前のようになってい ることが注目されるのである ︵ 32︶ 。 さらに、たしかに責務規定は、単独では法的効果を有さない。し かし、国家対私人であれ、私人間であれ、場合によっては国対地方 公共団体であれ、具体の権利義務関係の紛争に際して、責務規定に 対する名宛人の対応も考慮要素の一つとして扱われる可能性がある ことにも注意しなければならない ︵ 33︶ 。
Ⅴ
立法権と基本法
基本法においては、要件・効果を定める法規以外の責務・施策・ 大綱・計画・組織に関する規定が置かれるのが通例である︵別表参 照 ︶ 。 一 方 、 日本国憲法四一条に定める立法については 、 これを実 質的意味に捉えるのが通説である。そこで、責務規定等の諸規定が 実質的意味の立法の範囲に入るかが問題となる。 実質的意義の立法について、立法実務では、権利を定める規律及 び行政組織に関する定めを法律事項として、専ら国会の定めるもの としている︵委任は認められる︶ので、法規・組織規定以外の責務 規定等は立法に当たらないこととなる ︵ 34︶ 。これに対して、学説は区々 であるが、実務の法律事項論に対抗するものとして、一般的抽象的 法規範の定立を立法と把握する考え方が広義のそして有力なものと されているところである ︵ 35︶ 。ただ、ここでいう一般的・抽象的法規範 が如何なる内容・範囲を持つものかは、必ずしも明らかでない。 実質的意義の立法に関する以上の状況を前提として立法権と基本 法の関係について、次の点を指摘しておく。 第一に、従来の実質的法律概念論議は、これに該当しない規定類 型を法律の形式によって定めることについては、特に触れるところ 日本学士院紀要 第六十三巻 第一号 一八がないが、国会の権限の範囲を超えるものではないとしているもの と思われる。立法実務において、法律事項外の諸規定を含む個別基 本 法 の中にもいわゆる閣法があることから明らかである ︵ 別表参 照 ︶ 。 学説上の一般法規範説は 、 政府の施策の方向性を明らかに す ること、 事業者、 さらには国民への啓発を試みること自体をもって、 立法の範囲とすることまで予定しているとは思われないが、その範 囲を超える法律の制定について如何なる態度をとるかは、明らかで ない。 第二に、内容が立法の範囲を超える法律の制定の憲法上の根拠に 関しては立法実務も学説も特段の説明を加えてこなかったが、近年 の憲法学説において、競合的所管事項の観念によってその許容性が 自覚的に認められ、その根拠は、憲法四一条前段の最高機関規定に 求められているところである ︵ 36︶ 。 第三に、しかしながら、上に指摘したことと関連するが、競合的 所管事項領域の析出は、当該領域において、行政権が全く同等の活 動をすることを認めるものではない。基本法の規定類型に相当する 事項を、閣議決定等により定めることができるとしても、それは政 府内部に効果を持つにとどまり、立法府、司法府に対して、規範的 効果を及ぼすものではない。事業者や国民に対する関係でも、たと え責務規定のような体裁を整えているとしても、行政指導にとどま るものと解される。つまり、競合的所管事項についての法律は、ま さに形式的な法律であることによって、行政機関の行為形式とは異 なった性格をもつのである。 第四に、競合的所管事項の観念は、当該事項が国家作用の範囲内 であることが前提とされている 。 そこで 、 最後に残る問題とし て 、 現在の基本法の規定類型は、国家事務の範囲にとどまっているので あろうか、とりわけ、国民に対する責務規定についてこの点を論ず る余地があるように解される 。 本 稿 Ⅳ で検討したことに鑑みれ ば 、 立法過程において、安易に国民に対する責務規定を導入することは 避けなければならないし、対象事項の如何によっては、多数決によ って、国民に訓示することが国会の権限の範囲内であるかどうかの 吟味が必要であると思われる。 そこで、この点を次に比較法的見地を含めて考察してみよう。
Ⅵ
基本法の歴史性と普遍性
一 各国の状況 基本法は 、 その出発点となった教育基本法の生立ちから見る限 り、日本における歴史的産物であるといえるが、比較法的見地を加 えると、これにはいくつかの留保が必要である。 基本法について 一九① 韓国・台湾 明確に基本法と銘打った法律は、韓国及び台湾にもある。その内 容としても理念規定、責務規定を持っていることで、基本法が世界 に類例のないものというわけではない。 すなわち、 韓国においては、 日本語の基本法に対応する語を題名中に含む法律は三〇を超えてい るが、その中には、教育基本法、科学技術基本法、消費者基本法な ど、日本の基本法と類似の名称を持つものもある。日本法にはない 最近の基本法として、在外韓国人基本法︵二〇〇七年︶がある。こ れら基本法の具体的内容はさまざまであって、基本法︱実施法とい う日本の基本法制に対応するものもあるが、そうではなく、既存の 個別法が散在し、これらの体系的整備が必要である場合に、関連法 令を括る基本法が後で制定されることもあるとされる。いずれにせ よ、基本法が特別の所管を持つことは、日本と同様にないとされて いる。 韓国の基本法には、国、地方公共団体、事業者、さらに国民の責 務 ︵任︶ 規定も見られる。たとえば、環境政策基本法 ︵一九九〇年︶ は、その第六条で﹁全ての国民は健康で快適な環境で生活する権利 を有する。全ての国民は国家及び地方自治団体の環境保全施策へ協 力しなければならない。全ての国民は日常生活により生ずる環境汚 染、環境毀損を減らし国土及び自然環境の保全のために努力しなけ ればならない﹂ としている。また、青少年基本法 ︵二〇〇五年︶ は、 青少年の権利と責任︵五条︶ 、家庭の責任︵六条︶ 、社会の責任︵七 条 ︶ 、 国家及び地方自治団体の責任 ︵ 八 条 ︶ に付 き定めるが 、 家 庭 の責任条項は﹁家庭は青少年育成について一次的責任を負うことを 認識し、暖かい愛と関心を通じて青少年が個性と資質を基にして自 己発展を実現し国家と社会の構成員としての責任を果たす後継世帯 として成長しうるよう努力しなければならない﹂とある ︵ 37︶ 。 台湾にも基本法が制定されている。その数は、日本や韓国と比較 すると少ないが 、 科学技術基本法 ︵ 一九九九 年 ︶ 、 教育基本法 ︵ 一 九九九年︶ 、環境基本法︵二〇〇二年︶ 、通訊傳播基本法︵二〇〇四 年 ︶ 、 原住民族基本法 ︵ 二〇〇五年 ︶ の五法律を数えるこ とができ る。責務規定があることも日本や韓国と同様である。すなわち、教 育基本法第二条は 、 ﹁ 人民為教育權之主體 。 教育之目的以培養人 民 健全人格、民主素養、法治觀念、人文涵養、強健 體魄及思考、判 斷與創造能力 、 並促進其對基本人權之尊重 、 生態環境之 保 護及對 不同國家、族群、性別、宗教、文化之瞭解與關懷、使其成為具 有 國家意識與國際視野之現代化國民。 為實現前項教育目的、國家、教育機構、教師、父母應負協助之責 任 。 ﹂ と定める 。 また環境基本法四条 は ﹁ 第 四 條 國民 、 事業及各 級政府應共負環境保護之義務與責任。 ﹂としている ︵ 38︶ 。 日本学士院紀要 第六十三巻 第一号 二〇
このように、日本法の基本法制にそのまま対応する外国法の例も あるが、その範囲が日本、韓国、台湾等の東アジアに限られている こと、いいかえれば、韓国、台湾は日本法を含め外国法制の導入に 積極的であるという面と、日本の基本法的内容とりわけ、国民の責 務規定を導入することに違和感がないことに注目する必要がある。 ② 米・独・仏 これに対して、欧米では、法律のレベルでは、基本法という言葉 はないし、内容的に言って、全体として日本の基本法に対応するの は見当たらない。しかし、必ずしも一様ではない。すなわち、アメ リカには基本法という名前を持った法令は無いようである ︵ 39︶ 。政策法 ︵ policy act ︶ という名前のついた連邦法が複数制定されているが、 日 本の基本法に見られるような内容的特色を有するものではない。ち なみに 、 日本の教育基本法の英訳に 、 Basic A ct on Education ︵文 部 科 学 省 訳 ︶ が あ る が 、 ア メ リカ法には Basic A ct という概念がそも そもないので 、 これで英訳したことになるかどうか疑問である 。 Fundamental Law o f E ducation という訳もある が ︵ 40︶ 、 そのままではアメ リカ人に意味が通じないのは同様である。しかし、たとえばアメリ カ 環 境政策法 ︵ NEPA ︶ においては 、 環境保護に関する政府の持続 的 責任を謳い 、 さらに ﹁ 議会 は、・・・ すべての人 ︵ each person ︶ が 、 環境の保護および 向上に寄与するべき責任 ︵ responsibility ︶を 有するこ とを確認する ︵ recognize ︶す る﹂ ︵ §101(c) ︶ としているよ うに、アメリカでも制定法上に、政府関係機関の政策の理念、政府 の責務、さらには国民一般の責務について規定している例がないわ けではないことに注意する必要があ る。た だ、 NEPA もそうである が 、 当 該 制定法の中に個別規正措置が定められているという意味 で、方針的性格、非完結性を特徴とする日本の基本法制と異なると ころがある。 ドイツ法は憲法典以外に原則的には通常の法律とは異なった組織 法、方針法、計画法のようなカテゴリーを知らない。その例外とし てドイツ連邦基本法七五条一項に定める枠組み 法 ︵ Rahmengesetz-gebung ︶ があるが 、 これは 、 ドイツの連邦制 度に由来するもので 、 大学法、官吏法等の領域で、連邦が大枠を定め、その枠の中で各ラ ン ト がそれぞれの官吏法 、 大学法を制定するというものであるの で、日本法における基本法とは対応関係がない ︵ 41︶ 。ただ、個別法の体 裁をとっているが、条文のなかで基本的原理を定めていたり、多く の実施を下位の委任命令等にゆだねている法律があり、これを基本 原 則立法 ︵ Grudsatzgesetzgebung ︶ 、 基礎立法 ︵ Grundlagengesetzgebung ︶ と分類している学説もある ︵ 42︶ 。いずれも日本の基本法のような法令用 語ではない。一方、たとえば社会法に関する法典である、社会法典 ︵ Sozialgesetzbuch 1975 ︶ で は 、 社 会法典の課題を掲げ ︵ §1 ︶ 、 社 会 基本法について 二一
諸権利 ︵ Soziale R echte ︶ を例示すると共 に ︵ §2(1) ︶ 、 当該法典各条 項の解釈原理として 、 ﹁ 社会諸権利は可能な限り広 く ︵ weitgehend ︶ 解すること﹂ ︵ §2(2) ︶ と定めるなど 、 通常の法令と異なった定めを 置いている例も見られる ︵ 43︶ 。 ヨーロッパ法でも日本法との部分的対応が見られるものとしてフ ランス法がある ︵ 44︶ 。 すなわち 、 ま ず 、 憲法自体 で 、 組織法律 ︵ loi d e organique ︶というカテゴリーがあり、これについては制定改廃に 際 し て 通常とは異なった手続が用意されている ︵ フランス憲法四六 条 ︶ 。 ま た 、 計画について も憲法上 、 loi d e p rogramme ︵ 計画法律 ︶ の観念があり ︵ 同憲法三四条六項 ︶ 、 これにより 、 国の経 済的社会 的活動の目標が定められることとされている ︵ 45︶ 。 さらに、フランス法で、日本法に対応するものとして、制定法レ ベルであるが、 loi d ’orientation ︵方向付け法律又は進路指導法律︶ と いうカテゴリーがある 。 これは 、 憲法上には明文の定めはない が 、 特定の社会的・経済的領域の新しい基本政策を定める法律について 題 名 と し て 用 い ら れ て い る ︵ 46︶ 。 た と え ば 、 教 育 に つ い て も loi d’orientation sur l’éducation (1989) が定められ 、 日本では教育基本 法 とも訳されているところである ︵ 47︶ 。そのほか、農業に関する方向付け 法律 ︵ loi n ° 2006−11 du 5 janvier 2006 d’orientation agricole ︶ 、 学 校 の 将来のための方向 付けおよび計画法律 ︵ loi n ° 2005−380 du 23 avril 2005 d’orientation et d e p rogramme pour l’avenir de l’école ︶ 、 都 市 お よ び 都 市改造のための方向付けおよび計画付け法律 ︵ loi n ° 2003−710 du 1er août 2003 d’orientation et d e p rogrammation pour la ville et la rénovation u rbaine ︶ 、裁判制度のための方向付けおよび計画付け法律 ︵ loi n ° 2002 − 1138 du 9 septembre 2002 d’orientation et d e programmation pour la justice ︶ 、 国内治安のため の方向付けおよび計 画付け法律 ︵ loi n ° 2002 − 1094 du 29 août 2002 d’orientation et d e programmation pour la sécurité intérieure ︶ 、 森林につい て の 方 向 付 け 法律 ︵ loi n ° 2001 − 602 du 9 juillet 2001 d’orientation sur la forêt ︶な ど その数は多い。加えて、計画法律や計画付け法律と方向付け法律が 合 体 しているところも 、 日本法と比較すると興味深いところであ る。 フランス法における制定法の特別のカテゴリーの内容については 必ずしも厳密な分析はなされていないが、多くの場合は、国及び地 方公共団体の責務ないし政策の基本方針が掲げられているにとどま り、また、これら方向付け法律が通常法に優越するかどうかといっ た類の日本で見受けられるような議論も行われていないごとくであ る。 なお、 フランスにおいても、 ドイツと同じく、 基本的な法典で、 原則さらには、国民の義務について言及が見られる。すなわち、環 境法典 ︵ Code de l’environnement ︶ は 、 環境保護の基 本原理を定め 、 日本学士院紀要 第六十三巻 第一号 二二