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東京医科歯科大学教養部研究紀要第 42 号 :13 36(2012) 十二の遍歴の奇譚集 にこめられた三つのオマージュ ガルシア = マルケスと映画 政治 詩作 渡辺 暁 Resumen: Las historias en Doce cuentos peregrinos de Gabriel Gar

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東京医科歯科大学教養部研究紀要 第42号抜刷 2012年3月

渡辺 暁

『十二の遍歴の奇譚集』にこめられた三つのオマージュ

――ガルシア=マルケスと映画・政治・詩作――

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『十二の遍歴の奇譚集』にこめられた三つのオマージュ

――ガルシア=マルケスと映画・政治・詩作――

渡辺 暁

Resumen:

Las historias en Doce cuentos peregrinos de Gabriel García Márquez se tratan de la vida de los latinoamericanos que radican en Europa. Aparte de este tema común, el libro que se publicó en 1992, el año de V centenario del “descubrimiento” de América, del cual dice el autor que es la mejor recopilación de cuentos que ha publicado, está lleno de homenajes a las personas que García Márquez siempre ha respetado. Varias veces aparecen personajes con nombres actuales de los elogiados, como Cezare Zavattini, el guionista más destacado del cine italiano, Miguel Otero Silva, el escritor venezolano, y Pablo Neruda, el poeta chileno que ganó el premio Nobel. En el caso de Borges, quien García Márquez admiraba y de quien recibió gran influencia, a pesar de la diferencia en estilo, la manera de homenajearlo es más sútil: se menciona su nombre en una conversación, y también se utilizan varias palabras tomadas de uno de sus poemas más famosos, “Ajedrez”. Además de estos homenajes al cine y a la poesía, el tema de la política se escucha como bajo continuo en toda la obra, y los héroes en este aspecto no sólo son hombres conocidos como Buenaventura Durruti, el político anarquista de la época de la guerra civil española cuyo nombre aparece en uno de los cuentos, sino el pueblo que apoya a estos líderes resistiendo al autoritarismo, y la gente que llega a Europa escapando de la dictadura de sus países de origen, luchando para sobrevivir en esta tierra lejana. En otras palabras, con este libro el novelista García Márquez rinde homenaje a los que respeta, en las esferas del cine, la poesía, y la política.

Summary:

In the prologue of Doce cuentos peregrinos (Strange Pilgrims) Gabriel García Márquez declares that the book is the one he likes most among his own collections of short stories, citing the internal coherence among pieces. In this paper I analyzed three of those stories and the prologue (which almost seems like a fiction, too), and focused on the way in which García Márquez paid tribute to persons he admires: Cezare Zavattini, the influential Italian scenario writer; Pablo Neruda, Chilean poet, and Jorge Luis Borges, who gave García Márquez great influence, despite remarkable difference in their styles. Apart from those masters of film and poetry, he mentions the name of several politicians such as Buenaventura Durruti, prominent anarchist at the time of the Spanish Civil War. At the same time, in the text appear several nameless people fighting for the freedom under authoritarian regimes, and others who went into exile fleeing from dictatorship in their native countries in Latin America. In this way, García Márquez expresses his admiration towards unsung citizens who resisted to the tyranny in those countries. My conclusion is that García Márquez’s satisfaction is based not only on the

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reasons he quotes, but also because he could weave into the text his homages toward people the novelist respects in the three domains he always loved and was sometimes involved in: film, poetry, and politics.

Este ensayo es dedicado a Yasushi Ishii. Entonces no tuve ya ninguna duda, si es que alguna vez la tuve, de que el santo era él. (La santa)

はじめに

 ガブリエル・ガルシア=マルケス(Gabriel García Márquez:以下、文献表記の際はGGMと 略記)はラテンアメリカ文学「ブーム」の中心的な作家であり、『百年の孤独』をはじめとす る多くの長編小説で知られるが、その活動の場は文学の世界にとどまらない。ジャーナリスト として文筆業のキャリアをスタートさせたこと(GGM 1995, 1999a, 1999b)、そして『百年の 孤独』で有名作家となる以前には多くの映画の制作にも携わったこと(石井 1988)は、よく 知られている。ガルシア=マルケスは、記者時代に政治腐敗を追求する多くの記事を書いたの みならず、有名作家となってからもキューバのカストロと非常に近い関係にあったこと(エス テバン・パニチェリ 2010)や、そしてチリの軍事クーデターに激しく抗議し、ピノチェトが 退陣するまでは作品を発表しないと宣言したこと(Stavans 1993: 65)にも見られるように、 政治に非常に強くコミットしていた。  本稿で取り上げる『十二の遍歴の奇譚集』は、ガルシア=マルケスが1992年に発表した連作 短編集である。舞台も話の内容もさまざまであるが、ヨーロッパのどこかに住むラテンアメリ カ出身者を主人公とする点は共通している。また、それぞれの短編は仕上げの段階では同時並 行で書き上げられたものの、執筆開始時期や書かれた形式は様々で、長期間にわたるガルシア= マルケスの制作の傾向や思考が色々な形で反映されている点も、一般的な短編集とはかなり異 なっている。  周知のとおり、この年はコロンブスによるアメリカ大陸「発見」500周年にあたり、世界に とって、そして特に新大陸「征服」の当事者であったスペイン語圏の国々にとって特別な年で あった。この数年前から、1492年のできごとをヨーロッパ人によるアメリカ大陸の「発見」と みなすべきなのか、それとも良くも悪くも、アメリカ大陸の住民たちとヨーロッパ人との「出 会い」と見るべきなのか、をめぐる「発見」概念についての論争が繰り広げられていた。また この年のノーベル平和賞にはグアテマラの先住民運動家リゴベルタ・メンチュウが選ばれ、新 大陸への航海基地であったセビリアでは万国博覧会が開かれた。そのような年に、ラテンアメ リカを代表する作家ガルシア=マルケスが「ヨーロッパに住むラテンアメリカ人」を共通の テーマとする短篇集を世に出したのは、決して単なる偶然とはいえないだろう。  本稿のねらいは、この『十二の遍歴の奇譚集』を分析し、そこにどのようなガルシア=マル ケスのメッセージが込められているのか、を探ることである。筆者が着目するのは、映画・政 治・詩作の三点である。先述のように、ガルシア=マルケスが映画に深い関心を寄せていたこ

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とは知られているし、さらにラテンアメリカ諸国の政治に関して、積極的に発言し、様々な形 で参加していたことも知られる。これら二つの、比較的よく知られた側面に加えて、散文作家 であるガルシア=マルケスは、実は詩作にも強い関心を持っていたことが様々な発言から推測 される。短編集の中に見られる彼のこうした詩作へのあこがれを示した箇所を指摘し、彼の詩 作への思いがどのように反映されているのかを考えていく。  本稿は4つの部分からなる。続く第1節では、本書の概要を説明し、序文に描かれた本書の 成立過程を分析して、彼が序文で語る成立の経緯が、どこまでが真実でどこからがフィクショ ンか、を入手可能な資料を元に推定する。第2節では、「ラ・サンタ(La Santa)」、「夢を貸し ます(Me alquilo para soñar)」、「マリーア・ドゥス・プラゼーリス(María dos Prazeres)」 の三編に焦点をあて、これらの短編にどのような意図や、先人へのオマージュが込められてい るのかを探っていく。第3節では以上の議論を、他の短編にあらわれる表現や趣向とも合わせ て、作者の映画・政治・詩作への思いについてまとめる。第4節では、ガルシア=マルケスの 序文にならい、もともと中南米の社会科学的地域研究を専門にする筆者が、どのような経緯で この論文を執筆するに至ったのか、その過程を述べ、社会科学と文学のあいだをつなぐような 研究の可能性について考えてみたい。なお、本書には旦敬介(1994)による優れた翻訳が出て いるが、題名も含め、引用の際には筆者自身の訳を使うことを、予めお断りしておく。 第1節 著者自身による序文のフィクション性  ガルシア=マルケスを世界に知らしめたのは、なんといっても『百年の孤独』であるが、彼 はその後も『族長の秋』、『迷宮の将軍』のようなラテンアメリカの政治と歴史を題材にした長 編、ガルシア=マルケス本人が最高傑作と位置づけるジャーナリスティックな中編『予告され た殺人の記録』、そして近年映画化された『コレラの時代の愛』や『愛その他の悪霊について』 といった中長編小説を書いてきた。その一方で、彼は「エレンディラ」をはじめとする多くの 短編小説を書き、それらを集めた短編集も出版しているが、この『十二の遍歴の奇譚集』には 特別な思いがあるようで、序文で「自分が書きたかった短編集に一番近い本(16)」と語って いる。  この作品を読み解くために一番の手がかりは、「序文:なぜ十二なのか・なぜ遍歴なのか・ なぜ短編なのか(Prólogo: Porqué doce, porqué cuentos, porqué peregrinos [sic])」と題された、

著者自身による説明的な序文である。そもそもガルシア=マルケスがこの作品集を構想したの は、バルセロナ滞在中にある夢を見たことがきっかけであった。それは自分の葬式の夢であっ た。めったに会えない旧知の仲間たちがつどい、祭りのような雰囲気の中で自分自身も大変楽 しい時を過ごした。しかし、埋葬が終わって参列者たちが帰っていくので自分もついていこう とすると、「お前だけはここに残らなきゃだめだろ(《Eres el único que no puede irse》)」と友 人の一人に言われ、「死ぬということは、もう友人たちと一緒にいられないということなのだ」 と悟る(11-12)。この夢をきっかけとして、ガルシア=マルケスはいくつかの掌編の構想を集 めはじめる。手元にちょうどいいノートがなかったため、息子たちの学校のノートに書き付け られた構想メモは64編分集まり、彼はそれをもとにして短編を二つ書くが、3つ目で早くも挫 折してしまう(12-13)。その後、メキシコに引っ越した時には机の上にあったはずのノートを なくしてしまった彼は、半狂乱に陥る。64の草案のうちなんとか思い出せたのが30編分、さら にはそれらの題材を、短編集ではなくて新聞のコラム(nota de prensa)に転用したり、映像

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Buen viaje, señor presidente ジ ュネ ー ブ カ リ ブ の 某国

LázaraとMaría dos Prazeres

La santa ロー マ コ ロ ンビ ア・ア ン デ ス 山 地の トリ マ村 OP4: 277;* OP5: 199, 329 Milagro en Roma オ ペ ラ 歌 手 リ ベ ロ・ シ ル バ / チ ェ ー ザ レ・ ザ バ ッ テ ィー ニ 語り手 が 作 者 自 身 を 連 想さ せ る

El avión de la bella durmiente

パ リ →NY 作者 自 身( ? )+ 謎 の 女性 OP5: 379. 語り手 が 作 者 自 身 を 連 想さ せ る

Me alquilo para soñar

ハ バ ナ・ウ ィ ー ン ・バ ル セ ロ ナ コ ロ ン ビ ア・ カ ルダ ス OP5: 545 短篇集 出 版 の 直 前にT Vド ラ マ 化 ネ ル ー ダ 夫 妻( + ボ ル ヘ ス ) 語り手 が 作 者 自 身 を 連 想さ せ る

《Sólo vine a hablar por teléfono》

サ ラゴ サ → バ ル セ ロナ メキ シ コ OP5: 130 María de mi corazón 実話 を 映画化 ? Espantos de agosto ア レ ッツ ォ 作者 自 身 + 妻? OP5: 67 ミ ゲ ル・オ テ ロ = シ ル バ 語り手 が 作 者 自 身 を 連 想さ せ る

María dos Prazeres

バ ル セ ロナ ブ ラ ジ ル・ マ ナ ウス

Yo soy el que tú buscas(?) LázaraとMaría dos Prazeres

Diecisiete ingleses envenenados

ナ ポリ コ ロ ン ビ ア・ リオ ア チ ャ G. Bermejo (1971: 29)? 『 予告 さ れ た 殺人 の 記録 』等 の 登場人物 Tramontana バ ル セ ロナ → カダ ケ ス ア ン テ ィー ル 諸島 ? OP5: 609

El verano feliz de la señora Forbes

イタリ ア の ある 島 作者 の 息子 た ち? 元 々 短編(但 し 88年 に 同 名の映 画 発 表 ) 著者 の 息子 た ち? 二人 の 男 の 子

La luz es como el agua

マド リ ード コ ロ ン ビ ア・ カ ルタ ヘ ナ Guibert (1971: 43) 著者 の 息子 た ち? 二人 の 男 の 子

El rastro de tu sangre en la nieve

マ ル ベ ー ヤ; マド リ ード → パ リ コ ロ ンビ ア 表1 各短編の制作・発表の過程と特徴 * Obr as per iodísticas (ジャーナリズム作品集)の略。数字は巻数ならびにページ数。 地 理 的特 徴 元 々 の 発 表 形 式 登場人物 短 編 の タ イト ル 舞 台 ( ヨ ー ロッ パ ) 新聞記事 主人公 の 出 身 地( 中 南米) 映 像 登場 す る 実在 の 人物 他の短 編 等 と の 連関 ・共通点等 イン タビ ュ ー(名前 は イン タビ ュ ーし ア ー ) 元 々 短編

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作品の原作に転用したり、という経緯を経て、最後にやはり短篇集としてまとめよう、と考え るに至ったときまで残っていたのが、本書に収められた12編であった(14-15)。  このように本書は、ガルシア=マルケスのヨーロッパと中南米をまたにかけた遍歴の中で生 まれ、そして作品たち自体も様々な形式の間を、そして机とゴミ箱の間をさまよったことから 『十二の遍歴の短編』集と命名された、というのが作家自身によるタイトルの説明である(なお、 旦敬介による翻訳のタイトルは『十二の遍歴の物語』であり、これが日本語訳としては最も自 然であると思われるが、本稿では後述するようにperegrinoという言葉に「奇妙な」という意 味もあることをふまえ、あえて『十二の遍歴の奇譚集』という訳を用いる)。  しかし、このガルシア=マルケスの言葉は、どこまで真に受けて良いものであろうか?本書 について書かれた最新の論文で、ファンデンベルゲ(Vanden Berghe 2009)がすでに、この 序文自体もフィクションに近いことを様々な角度から指摘している2。これにならって、まず 序文についての再検討を行ってみたい。  ガルシア=マルケスは、まず序文の冒頭で「現在の形式になる前、このうちの5つ(ずつ) はもともと(それぞれ)新聞のコラムならびに映画の脚本で、一つはTVドラマシリーズであ った。もう一編は15年前の録音されたインタビューで私が語った内容で、相手の友人(amigo) が書き起こして出版したものをもとに、今回あらためて書きなおした(11)」と語っている。 これらの短篇が、本当にそのようにして発表されたものかどうか、検証してみたところ、結果 は表の通りであった。映像作品については、必ずしも入手できないものも、そして内容が大幅 に変わってしまっているものもあるので不確実なところもあるが、確実に映像化されているの は、「ラ・サンタ(映画の題名は「ローマの奇跡」)」「電話をかけに来ただけなの(同じく「我 が心のマリア」)」「フォーブス夫人の幸せな夏」の中編映画三編に加え、TVドラマ化された「夢 を貸します」である。バルセロナの地下社会と性愛をテーマにしている点から、「マリーア・ ドゥス・プラゼーリス」と、中編映画「お前が探しているのは俺だ(Yo soy el que tú buscas)」の関連を見ることができるが、いずれにせよ本当に映像化されたものの脚本が、実 際に5編あるのかどうかは、確認できなかった。また、映像化された「ラ・サンタ」、「夢を貸 します」、「電話をかけに来ただけなの」を含め、少なくとも6編の作品が新聞のコラムとして 発表されていた。インタビューで語った内容を元にしているのはおそらく「光は水のよう(La luz es como el agua)」であるが、この内容については、1971年にギベールというアルゼンチ ン出身の女性研究者によるインタビューの中に含まれていた(Guibert 2006: 42-44)。ガルシア= マルケスが語るように本書刊行の15年前、つまり1977年前後に、男性の友人に同じ内容を語っ た可能性は否定できないが、今回筆者は確認することはできなかった。また、巻頭作である「大 統領閣下、よい旅を」と「十七人の中毒にかかったイギリス人」については、関連するコラム も映像も、今回調べた限りでは確認できなかった。ただし後者については、ガルシア=マルケ スは別のインタビューの中で、コロンビアのボゴタの近くの村で毒の入ったパンが売られ、多 くの死者が出た事件についてフィクションを書きたい、と述べているので、このエピソードに 着想を得た可能性は否定出来ない(González Bermejo 2006: 29)が、いずれにせよ序文と矛盾 することにかわりはない。  とにかく、ガルシア=マルケスがいう通りに、それぞれの短編が1つの映像作品あるいは新 聞のコラムに対応している、と考える必要はないであろうし、またそう考えてしまうのは危険 であるとも言える。むしろ、それらの数字は、マコンドに「4年11 ヶ月と2日」にわたって雨 が降り続いた、とする『百年の孤独』の記述のように、具体的な数字を出すことによるさまざ

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まな演出効果を狙ったものであり、この短編集自体が様々な形式で発表されたものを含んでい る、という程度に考えておくほうが自然であろう3

 ところで、文学研究者の間でのこの本の評価、特にラテンアメリカ出身の文学研究者による 評価は、必ずしも高くはない。メキシコ出身で現在アメリカで教鞭をとるイラン・スタバンス (Stavans 1993: 76)は “Gabo in Decline” と題された、ガルシア=マルケスの「衰え」をテー マとした論文――といっても他の作品を批判することにより、『百年の孤独』がいかに比類な き本であるかを相対的に引き立たせている、と好意的に取ることもできるのだが――の中で、 本書を「平凡な1974年以降に書かれた短編のコレクション(“unremarkable compilation of tales written from 1974 on”)」と切り捨てているし、雑誌Hispaniaに掲載されたヘナロ・ペレ スの書評は、「これらの遍歴の短編の最大の価値は、それがスペイン語文学の魔術的リアリズ ムの『族長』によって書かれたことである」としており、その重要性を最低限にしか認めてい ない(Pérez 1994)。  その一方で、翻訳が出版されたときに日本のメディアに出た書評には、好意的なものが多かっ た。鼓直(1994)は、独立した短編として発表された際に自ら翻訳した「雪の上に落ちたお前 の血の跡」を中心に取り上げ、コロンビア人の女性主人公が血を流す様子が、ヨーロッパに滞 在することで生命力を吸い取られていくラテンアメリカの人々の姿を象徴していると指摘した が、このほかにも歴史家の阿部謹也(1994)が、この短編集に描きこまれたヨーロッパの自然 に注目すべき、とした書評を発表している。同書をとりあげた丸谷才一と沼野充義の対談(1994) も含め、これらの書評の関心の中心は、それまで常にラテンアメリカを舞台として作品を書い てきたガルシア=マルケスが、ラテンアメリカを離れて(登場人物はラテンアメリカ出身者で はあるものの)どのような作品を描くか、という点に集まっていた。  しかし、この作品には他にもさまざまな次元があると考えられる。まず第一に、すでに述べ たように多くの作品がこの短編集に収められる前に新聞記事や映画の脚本として発表されてお り、そのうちのいくつかは現在出版されているジャーナリズム作品集や、発売されたビデオな どを通して見ることができる。そのため、これらの文章とその他のフォーマットの作品の違い を通して、ガルシア=マルケスの制作の過程を追体験することが可能となる4。また、この本の もう一つの特徴として、彼が好んだと思われる文学・映画作品や人物に、文中で比較的わかり やすい形で敬意を表している点が挙げられる。例えば、飛行機で隣席にに座った女性が、飛行 中眠り続ける様子を描いた「眠れる美女の飛行機(El avión de la bella durmiente)」は、明ら かに川端康成の「眠る女」を意識して描かれており、実際に川端の名前も書き込まれている5。 これは最もわかりやすい例であるが、彼が影響を受けた作品へのオマージュやは、その他の短 編にもさまざまな形で書き込まれているが、以下の議論で、こうしたオマージュがどんなとこ ろに顔を見せているのか、そしてこうした作品内での工夫が、どのようなガルシア=マルケス の思想・思考を反映しているのかを、考えていく。 第2節 3つの短編 2.a 「ラ・サンタ」あるいは「ローマの奇跡」  「22年後、私はマルガリート・ドゥアルテと再び出会った。」という一文で始まる「ラ・サン タ」の舞台は、1960年代のローマである。映画を学ぶために当地にやってきて、当時最先端の

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映画実験センターで勉強する語り手の「私」と、テノール歌手のラファエル・リベロ=シルバ の二人のコロンビア人は、大使館から紹介された同胞、マルガリート・ドゥアルテと知り合い、 同じ下宿に住むことになる。アンデスの山奥出身のマルガリートの娘は幼くしてなくなったが、 後年、墓地の移設のため掘り出した彼女の遺体は、埋葬されたときそのままの姿で、まるで眠 っているかのようであった。この「奇跡」のローマ教皇庁による認知と娘の列聖を求めて、彼 はローマにやってきたのであった。しかし、教皇庁の役人には冷たくあしらわれ、教皇に会お うとしても群衆の中の一人として一言話すのがやっと、就位したばかりの新教皇に知り合いの つてで拝謁の約束を取り付けたと思ったら、たった1ヶ月前に就位したばかりの教皇は急死し てしまい、手続きは全く進まない6。それでも人がよいマルガリートは、列聖を求めて辛抱強 く活動を続ける。  マルガリートの請願活動が進展を見ない一方で、彼を取り巻く脇役達が巻き起こす様々な騒 動とローマの季節の移り変わりが物語を進めていく。テノール歌手のリベロ=シルバは、作者 と共にローマの娼婦達と友情を育くんだり、公園の池の中の島に住むライオンと歌を通じて交 感したりする。ある日明け方の練習で、姿の見えない女性とオペラ『オテロ』の愛のデュエッ トを歌うが、あとからその声の主が歌姫マリア・カニーリアであったことを知り、気絶しそう になる。ペンションの女主人とその姉は、3人のコロンビア人をはじめとする下宿人達に食事 を提供し、イタリア語を教える。そして短編の後半には、語り手の通う映画学校の「マエスト ロ」として、イタリアの脚本家、チェーザレ・ザヴァッティーニが登場する。ザヴァッティー ニはイタリア映画の黄金時代を支えた人物で、ヴィスコンティやデ・シーカなどの名監督に脚 本を提供し、監督以上に有名とも言われた人物である7。  マルガリートは、チェロのケースのようなトランクに入った娘の遺体とともに、毎日精力的 に請願活動を行う一方で、こうした周囲の人々と交流する。いつもならテノールの美声を聞け ばおとなしくなる公園のライオンは、マルガリートに向かって仲間に呼びかけるかのように普 段とは違ううなり声を上げる。リベロ=シルバはマルガリートの孤独を癒やそうと、知り合い の娼婦を差し向けるが、娘の遺体を見せられた彼女は驚きのあまり裸のまま部屋を飛び出して しまい、走り去る彼女を見た下宿屋の女主人の姉は、ナチス占領時代にこの家で殺された女性 の幽霊が出たと勘違いする。会食中にマルガリートに会ったザヴァッティーニは、彼を主人公 に是非映画を撮ろうと盛り上がるが、その話もすぐに立ち消えとなる。  マルガリートのローマでの最初の1年間を共にすごした語り手「私」は、22年後に再びロー マに戻ってトラステベレの下町でマルガリートに再会し、4時間にわたってカフェで話し込む。 別れの挨拶をかわした後、足を引きずって立ち去るマルガリートの後ろ姿を見たときに、死後 も生前の美しい姿をとどめる娘ではなく、辛抱強い請願を続けてきた父親こそが聖者だったの だ、と「私」が悟るところで物語は終わる。  この父親=聖者という結末は、短編の中でもさまざまな形で匂わされている。ローマの下町 でマルガリートが「私」を呼び止めたとき、その声は「彼岸(más allá)」から聞こえてきたよ うだった、と書かれている。これも、彼がすでに聖なる存在となっていることと関連するだろ うし、第4節で詳しく論じるように、主人公マルガリートが女性に近い存在として、つまり娘 と一心同体であるかのごとく描かれていることが、注目される。なお、この下町の狭い通りが 入り組んだ迷路のような風景を、彼は「ラビリンス」にあたるlaberintoではなく、dédaloとい う耳慣れない言葉を使って表現している。Dédaloとはもともとギリシャ神話のダイダロスのス ペイン語名であり、ダイダロスがクレタ島のミノタウロスの神殿を設計したことがこの「迷宮」

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という意味の起源であるが、文学愛好者であればダイダロスと聞けば、ジョイスの『若い芸術 家の肖像』と『ユリシーズ』の登場人物、スティーブン・ディーダラスを思い浮かべるであろ う8。このような形でちょっとした言葉遣いの中に、ガルシア=マルケスは20世紀の文学に多 大な影響を与えたアイルランド人作家への敬意を込めているのである。  この作品は、この短編集に収められた他のいくつかの作品と並んで、「ローマの奇跡9」とい う題で映画化された脚本を元にしたものであり、ザヴァッティーニらの登場と合わせて、ガル シア=マルケスの映画への思いが最もよく反映されたものである。なお映画では、この奇跡を 政治的な得点稼ぎに利用しようとする、コロンビアの外交官への不信感が描かれ、また最後の 場面で娘が生き返るなど、短編とは内容にかなりの差異がある。 2b 予知夢を見る女性の遍歴

 「夢を貸します」の原題、“Me alquilo para soñar” は、直訳すれば「夢をみるために私を貸 します」という意味である。主人公はその題名どおり、予知夢の特技を生かして、留学先の ウィーンである裕福な商家に専属占い師として雇われていたコロンビア人の女性、通称「フラウ・ フリーダ」である。「ラ・サンタ」と同じく、語り手はガルシア=マルケス本人を思わせる「私」 であるが、物語は34年後のハバナで津波に襲われて大破した車の中から、蛇の形の指輪をした 女性の遺体が発見されるところから始まり、「私」は数十年前にウィーンで出会った、同じよ うな指輪をしていた女性のことを思い出す。「予知夢など信じない」と口では言っていた「私」 だが、いざフラウ・フリーダに「あなたの夢をみたわ。ここにいると悪いことが起きるわよ」 と言われると、不安でいてもたってもいられなくなり、這々の体でウィーンを後にする。その 後、バルセロナに住んでいた「私」は、船旅の途中に同地に寄港したチリの詩人、パブロ・ネ ルーダと昼食をとったレストランで、彼女と17年ぶりの再会を果たす。床屋のエプロンのよう な巨大な前かけをしてシーフードの大皿を平らげたネルーダは、作者の家で昼寝をし、フラウ・ フリーダが自分の夢を観ている夢をみた、と「私」たちに語る。詩作のヒントを得たと喜ぶネ ルーダに「私」は、それはまるでボルヘスの詩ですね、と口走り、詩人を落胆させる。そして その夕方、ネルーダを見送りに行った船着場で、彼と偶然同じ船に乗りあわせたフラウ・フ リーダが、「あの詩人が私のことを夢見ている夢をみた」と言うのを聞き、「私」はその対称性 に愕然とするが、それは予知とは関係のない、つまりフラウ・フリーダにとっては何ら意味の ない夢であった。  このようにあらすじを書いてしまうと、とりとめのない話にも聞こえるが、ネルーダのバル セロナ来訪のエピソードが、もちろんどこまでが実話でどこからがフィクションかはわからな いとはいえ、前述の食事の光景から古本探しまで事細かに描かれているところ10、そして、強 がりをいう割に、いざ予知夢で災いを予告されるとすごすごと引き下がる「私」の滑稽な様子 など、ユーモアあふれる小品であり、また次節で詳しく述べるように、ガルシア=マルケスの ラテンアメリカの詩人たち、ネルーダとボルヘスに対する敬意が伝わってくる文章である。な お、この作品を元に、予知夢を見る女を主人公とした6回分のTVドラマシリーズが作られて おり、その製作過程は一冊の本にまとめられている(GGM 2003; 邦訳はGGM2002)11。 2c 娼婦「マリーア・ドゥス・プラゼーリス」と市民戦争の爪跡  「マリーア・ドゥス・プラゼーリス(悦びのマリア)」はバルセロナに住む老いたブラジル人

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娼婦の物語である。物語は、死を予感させる夢をみたマリーア・ドゥス・プラゼーリスのア パートを、若い葬儀屋が訪ねてくるところから始まる。幼い頃、故郷マナウスを襲った大洪水で 墓地が流されたことを鮮明に覚えているマリーア・ドゥス・プラゼーリスは、モンジュイック の丘にある高台の墓地の一区画を買い、遺品が知り合いに行き渡るように分配を考え、そして 花を植えるなどして、時間をかけて自分の墓を整備していく。共同墓地の入り口には墓碑銘の ない三つの墓があり、それらはスペイン内戦で犠牲となったドゥルーティをはじめとする三人 のアナーキストたちのものであった。彼女はマドリードで戦死したドゥルーティの葬儀に参加 したことを回想し、彼らへの供養として警備員の目を盗んで無名の墓石に名前を書き込むとい う、一種の抵抗活動を繰り返すようになる。昔なじみの客の中では唯一、カルドーナ老伯爵だ けが訪ねてきていたが、それまで触れられることのなかった政治的立場の違いが鮮明になった ある日、彼らの関係も終わりを迎える。文中には「カタルーニャの自由万歳」と壁に書いたが ために銃殺されてしまう若者も登場し、かつて共和派の最後の牙城であり、独自の言語カタ ルーニャ語の使用を抑圧されるなど、権威主義への反発と自治への思いが強かったバルセロナと いう場所における、フランコ独裁末期の時代の空気が描きこまれている。  墓地の手配や遺産の分配など、死の準備をほぼ終えたマリーア・ドゥス・プラゼーリスにとっ て、残った唯一の心配事は、飼い犬「ノイ(=カタルーニャ語で「若い男」の意)」の行く 末と、そして墓参りに来る人間が皆無だという孤独感であったが、愛犬「ノイ」に墓参りの道 順を教えこみ、同じアパートに住む少女に彼の世話を託して、これで自分はいつ死んでも大丈 夫、と胸をなでおろす。もちろんこの後にどんでん返しがあって、彼女は墓地からの帰り道、 大雨に降られて立ち往生していたところを救ってくれた、自分の孫のような年齢の若者と恋に おち、そもそも死のお告げだと思った夢は、人生初の恋の到来を予告するものだったのだ、と 悟るところで物語は終わる。  この短編の興味深い点は、彼が好んだ(と思われる)様々な有名な文学作品を連想させる表 現が、様々な場所で散見されることである。まず、題名ともなっている主人公の名前、マリー ア・ドゥス・プラゼーリスにしても、マリアは聖母マリアあるいはマグダラのマリアであると 同時に、マルカム・ラウリーの『火山の下』最終章に出てくる娼婦の名前であり、ポルトガル 語のプラゼーリスは英語で言うpleasureであり、『ファニー・ヒル』という名でも知られる Memory of a Woman of Pleasureを意識していると見ることができる。『火山の下』はガルシア= マルケスが「最も多く読み返した小説」と語る作品(Binns 1984: 8)であり、後者は娼婦を主 人公とした小説として最も有名なものの一つである。

 これに加えて作品の冒頭、葬儀屋の青年が彼女を訪ねてくる部分には、いくつかの耳慣れな い、そして文脈の中で不自然とも思える単語が出てくる。これらの単語(sesgados [sesgo], encarnizados [encarnizada], tenue)は、ホルヘ=ルイス・ボルヘスの「チェス(Ajedrez)」と いう詩で、チェスの駒を説明するのに用いられている形容詞であり、おそらくはこの詩を意識 した言葉遣いであろう12。これら三つの単語に加え、葬儀会社の若者のジャケットの柄がチェッ ク(a cuadros)になっているのも、チェス盤の市松模様をイメージさせる。ガルシア=マル ケスとボルヘスは、作風において一見対照的とも言えるが、ガルシア=マルケスがボルヘスに 敬意を抱いていたことは事実であり13、ゴンサレス=エチェバリーアは『百年の孤独』へのボ ルヘスの影響を指摘している(González Echevarría 1972, 1984)が14、ガルシア=マルケスは 本作において、このような形でボルヘスへの敬意を表現しているのである。

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3. 本書にこめられたオマージュ ――映画・政治・詩作――  前節で見てきたように、本書には様々な形でガルシア=マルケスのメッセージが込められて いる。それらを大きくまとめれば、彼が好きだった映画、関わり続けた政治、そして憧れた詩 作に関わるもの、と分類することができるだろう。ただし、これから見ていくように、これら の要素、特に映画と政治、政治と詩作は、かなりの部分、重なるところもある。そこでこの節 では、これらのオマージュの内容を分析するための手がかりとして、登場人物の名前をはじめ とするさまざまな要素を分析し、それらがどのようなメッセージを含んでいるのかを考察して いく。 登場人物の名前と実在の人物の登場  ガルシア=マルケスの小説に出てくる登場人物の名前は、周到に考えられている。たとえば 巻頭作の「大統領閣下、よい旅を」には、主人公である大統領に出会った同郷の副主人公が、 誇らしげに自分の名前を名乗るシーンがある。 「私、オメロ・レイ(Homero Rey)と申します。」 驚いた大統領は、握手した手を離さずに言った。 「それはそれは(¡Caray!)。素晴らしい名前だね」 オメロは、少し緊張がとけた様子で続けた。 「最後まで聞いてください。私の名前はオメロ・レイ=デ・ラ・カーサです15。」  この場面に象徴されるように、登場人物の名前にはさまざまな含意が込められている。たと えば「ラ・サンタ」の主人公、マルガリート・ドゥアルテであるが、マルガリートという名前 は確かに実際にも散見されるものの、マルガリータという女性の名前として使われる方が圧倒 的に多い。さらに苗字のドゥアルテは、ラテンアメリカの政治史を語る際には欠かせない、ア ルゼンチンのペロン大統領夫人、エバ(通称エビータ)の苗字である。つまりこの名前は、名・ 姓ともに、女性に非常に縁のあることがわかり、マルガリートが女性的な存在であること、つ まり娘の「ラ・サンタ」との同一性をにおわせていることがわかる16。マリーア・ドゥス・プ ラゼーリスについては、その名前に様々な含意があることは、前節で触れた通りだが、「夢を 貸します」の主人公の名前も、メキシコの最も有名な女性画家、フリーダ・カーロを意識した ものだろう(なお、彼女の父は写真家で、ドイツからの移民であった)。フラウ・フリーダの 予知能力を、フリーダ・カーロの描いた多くの幻想的な自画像と関連付けること、つまり夢を 一種の映像作品のたとえであるととらえることも、全く的外れでもないだろう。  取り上げた作品以外でも、「十七人の食中毒になったイギリス人」の主人公であるプルデン シア・リネーロの名は、同じの苗字の『予告された殺人の記録』の主人公の母親、プラシダ・ リネーロ、そして『百年の孤独』で初代ホセ=アルカディオ・ブエンディーアに殺されたプル デンシオ・アギラールの二人を思い起こさせる。プルデンシアは夫の死後、ローマに巡礼に行 く途中のナポリで食中毒事件に遭遇するのだが、『予告された殺人の記録』を読んだ読者には、 それはまるで同書の主人公、サンティアゴ・ナサールの鎮魂のための巡礼であるかのように感 じられる。プルデンシアという名が『百年の孤独』をかつて読んだことのある読者に死を連想

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させるのは、言うまでもないだろう17。逆に「大統領閣下、よい旅を」の主人公の大統領は、『族 長の秋』の主人公と同様に、最後まで匿名のままである。ラテンアメリカの多くの失脚した独 裁者を代表する存在という意味では、名前を出さないほうが適切だとの判断であろう。  実在の人物たちも、この作品の重要な登場人物である。ザヴァッティーニやネルーダ、そし て川端の登場が、それぞれの作品にさまざまな意味付けを与えているのは前述の通りである。 「マリーア・ドゥス・プラゼーリス」に登場するアナーキストのドゥルーティの名前は、フラ ンコ体制への抵抗の象徴である。また、こうした人物たちほど物語に影響を与えるものではな いが、「大統領閣下、よい旅を」にはカリブの代表的知識人エメ・セゼールや、ピアニストのル ビンシュタイン、そしてモーツァルトの名前が登場するし、「八月の幽霊」の舞台はベネスエラ の作家ミゲル・オテロ=シルバが所有するイタリアの古城である。こうした作家や芸術家の登 場は、ガルシア=マルケスの彼らへの敬意の表れであると言えるだろうし、ルビンシュタイン やモーツァルトの場合には、彼の音楽への思いを表したものであることは、想像に難くない18。 作中における他言語の使用とスペイン語の多様性  本書の中ではヨーロッパの複数の国を舞台としていることを反映して、様々な言語が飛び交 っている。『大佐に手紙はこない』を “Mierda” の一言で締めくくったことに代表されるように、 ガルシア=マルケスは俗語を多用することで知られるが、外国語のまま出てくるフレーズの多 くはそうした俗語や、日常的に使われる表現であり、またスペイン語話者が読めば、スペイン 語との類似性から意味が想像できるものがほとんどである。  イタリアを舞台とする「ラ・サンタ」には、脚注にまとめたようにイタリア語のフレーズが 頻繁に登場する19。“Bravo” のような、日本人にも親しみのある表現はスペイン語でも使われ るし、その他についても脚注のイタリア語とスペイン語の対比を見れば、その類似性は一目瞭 然であろう。比較的分かりにくいのはオテロのアリアの題名の中のogniという単語(英語でも 接頭辞として使われるラテン語起源のOmni =全てに同じ)とMai sentito(聞いたことはあり ません)という表現であるが、前者は意味がわからなくても支障はないし、後者は文脈から判 断できるだろう(ただし、スペイン語話者は「すみません」を意味する “Lo siento” の意味に 取るかもしれない)。「マリーア・ドゥス・プラゼーリス」の舞台、バルセロナも、本来の地元 の言語はスペイン語ではなくカタルーニャ語であり、「ラ・サンタ」でのイタリア語ほどでは ないにせよ、いくつかカタルーニャ語のフレーズが文中に使われているほか、重要なキャラク ターである犬の名前も、前述のとおりカタルーニャ語で「若者」の意味である20。その他にも、 マリーア自身も多少ブラジル・ポルトガル語の訛りが残った、しかも古典的なカタルーニャ語 で遺言状を口述する場面が出てくるほか、最後に登場する、スペインの他地域の出身と見られ るマリーアの運命の恋の相手も、最初は不自由なカタルーニャ語(catalán difícil)で彼女に話 しかけ、それから母語のスペイン語(castellano)に切り替える。ドイツ語はラテン系の言葉 とはかなり異なるため、オーストリアで物語が始まる「夢を貸します」にはドイツ語はほとん ど出てこないが、主人公の名前に「フラウ」という敬称がつけられ、文中で「早口言葉 (trabalengua)」と呼ばれる、響きの面白さを生んでいる。  もうひとつ注目すべきは、スペイン語の様々なバリエーションが時としてコミカルな形で登 場していることである。「夢を貸します」の中で、バルセロナのランブラスの遊歩道を散策す るネルーダは「チリの隠語」で売られている小鳥たちに話しかける。もちろんネルーダは隠語

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(jerga =英語のjergon)で話しかけているわけではなく、チリのスペイン語がいかに他地域の 人間にとって分かりにくいかを、ユーモアを交えて書いているわけである。「ラ・サンタ」では、 マルガリートのスペイン語の変容が、ローマでの彼の月日を物語る。ローマに到着した当初は、 「(自分の母語である)アンデスのスペイン語と同じくらい言葉の少ない、簡単なイタリア語 (italiano fácil = easy Italian)を話していた(59)」。しかしさかのぼって、短編のはじめに描 かれた、22年ぶりに「私」と再会した彼のスペイン語は “español difícil (difficult Spanish: 55)” であった。この二つの部分の対比を考えると、後者の “difícil” は、「難解な」というよりは「複 雑な」とでも解釈すべきであろう。無口で込み入った話はしなかったマルガリートは、ローマ での請願活動の間に様々な知識をたくわえ、それにしたがって彼の話す言葉も変化していった のであり、22年間の月日は彼の肉体の衰えと同時に、言葉遣いの変化によっても表されている のである。 言葉あそびと「白と黒」のモチーフ  前節で述べたように、「マリーア・ドゥス・プラゼーリス」の最初の部分には、ボルヘスの「チェ ス」という詩を連想させるいくつかの言葉が埋めこまれている。ところで、チェスというゲー ムからは様々な連想が働くが、その一番簡単なものは、白と黒の二つの色、そしてその二つの 間の戦いというイメージであろう。この「白と黒」というテーマは、カリブ海沿岸で育った ガルシア=マルケスにとって、人種間の関係を考える上でも重要なキーワードである。ブラジ ル人のマリーア・ドゥス・プラゼーリスはムラータ(黒人と白人の混血)として描かれている が、そのような人種間の混交や、白人と有色人種の間の対立は、ヨーロッパ対ラテンアメリカ の対立の縮図とも読むことができる。「ラ・サンタ」に出てくるオペラのアリアは「オセロ」 であり、モーロ人のオセロと白人のデスデモナのカップルによるデュエットであるが、これも 「白と黒」の間の関係を連想させる。  このチェスなどを通じた「白と黒」のモチーフは、さらにこの本の中で出てくる様々な戦い の隠喩ともなっている。ボルヘスの詩は中世イスラムの詩人、オマール・ハイヤームの詩を本 歌取りし、人がチェスの駒を動かすように、人の運命は神が、そして神の運命はそのまた上の 神が決めているのだ、という一見決定論的、しかし究極の決定要因であるはずの運命あるいは 絶対神のいない構造を持った世界観を表わしており、ボルヘスが文学の世界の無限性を表現し た代表例として扱われるが、筆者には、ボルヘスの含意はそれだけではないように思われる21。  この運命と戦争という「アヘドレス」の二つのテーマは、この短編にとっても重要なモチー フである。当初マリーア・ドゥス・プラゼーリスは、夢のお告げに従って自分は死ぬのだ、と 考えていた。しかし、それは運命のいたずらで、彼女は実は夢のお告げを見誤っていたのであ る。主人公を操っていたはずの神がさらに上の神に操られたのか、夢で本当に予告されていた のは、真実の愛の到来であった。チェスのもう一つの側面である戦争は、すでに述べた市民戦 争の記憶、そして内戦の結果生まれたフランコ独裁体制への抵抗という、この短編のもう一つ の重要なテーマにつながっているのである。 詩作と映画へのオマージュ  散文作家として最もよく知られるガルシア=マルケスが、詩作そして映画に対する強い思い

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入れを抱いていたことは、よく知られている。映画については「私と映画は仲の悪い夫婦のよ うなものだ(Taylor 2010: 160)」とうそぶいており、また自分自身でも多くの作品の制作に参 加し、また小説もその多くが映画化されているのは周知のとおりである(ただし『百年の孤独』 だけは絶対に映画化を許可しない、とも述べている)。他方、詩作に関してもし一つだけその 証拠を挙げるとすれば、ノーベル賞受賞後の晩餐会での「詩に乾杯(Brindis por la poesía)」 と題して行った挨拶が最適であろうが(GGM 2010: 31-33)、自伝『人生は語るために(Vivir para contarla)』でも、若い頃のさまざまな詩にまつわる話が取り上げられている。本書でもそ の思い入れは、すでに見たようなネルーダやボルヘスに対する敬意によって伝わってくるが、 ほかにも詩作や映画への思いが伝わってくる箇所や、本書と映画とのかかわりについて、重要 と思われる点をいくつか補足しておきたい。  まず、ガルシア=マルケス自身の、「もしも自分が詩人であったら」という詩人への憧れを 感じさせるのが、「ラ・サンタ」の最後の部分である。ローマの下町、トラステベレの街角で 筆者を見つけたマルガリートは、「詩人のお兄さん、こんにちは(Hola, poeta.)」と声をかける。 これをガルシア=マルケスの、自身も詩人でありたい、という気持ちを反映したものと読むこ とも可能であろう22。また、「夢を貸します」の中で、フラウ・フリーダの予知夢の話を聞いた

ネルーダに、「真実を見通せるのは詩だけだ(Sólo la poesía es clarividente)」と発言させてい る点にも、筆者の詩作に対する敬意が見られる。  本書と映画については、すでにザヴァッティーニの登場やいくつかの作品が映画を元にして いることなど、多くの関連を指摘したが、もう一つだけ興味深い点を付け加えておきたい。巻 頭作の「大統領閣下、よい旅を」には、ヨルバの王族の末裔に当たるラサラ・デービスという 女性が登場する。筆者のカリブ海の女性の一種の理想像の反映であろうが、彼女は「頭が良く て性格が悪く、しかし優しい心を内に秘めた女性」として描かれている23。この作品と「マリー ア・ドゥス・プラゼーリス」を続けて読むと、この黒人女性のラサラとマリーア・ドゥス・ プラゼーリスが、まるで同一人物のような錯覚におちいる。もしこれが映像作品であったと仮 定すると、同じ女優が二つの役を演じているような感覚を覚えるのである。ほかにも、著者ガ ルシア=マルケスを彷彿とさせる語り手が登場する作品が5編、作者の息子たちをモデルにし ているかのような、二人の男の子が主人公となって登場する作品が2編あるなど、内容的な連 続性はあまりなくとも、似たような「キャスティング」の作品はいくつも見られる。こうした 点は、映画の手法を短編集に生かしたものとも言えるのではないか。 文学者と政治  「マリーア・ドゥス・プラゼーリス」に断片的に描かれたスペイン市民戦争と、その後のフ ランコ時代を始め、本書には様々な形で当時の政治の影響が見え隠れするが、ガルシア=マル ケスはそうした政治的な状況を、作品の背景として非常にうまく使っている。たとえば「夢を 貸します」の舞台はウィーンであるが、キャロル・リード監督に映画化されて有名になった、 グレアム・グリーンの『第三の男』に象徴されるように、混沌としていた第二次世界大戦前後 のウィーンは、わらにもすがる気持ちで予知夢を求める中産階級の家族を登場させるにはうっ てつけの舞台である。  政治的な背景が織り込まれているのは、舞台設定だけではない。登場人物たちもそれぞれの ライフ・ヒストリーを背負っている。もちろん代表的な例は、「大統領閣下、よい旅を」に登

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場する、政争に敗れて亡命したカリブのある国の元大統領であり、彼は『族長の秋』の主人公 の陰画のような存在であり、多くの失脚した政治家の末路を代表する登場人物である。ただし、 ここでガルシア=マルケスが愛情を持って描いているのは、どのような形であれ歴史に名を残 す政治家たちではなく、むしろ彼らを支持する名もない人々である。アルゼンチンの映画、『タ ンゴ――ガルデルの亡命』に描かれているように、軍事政権の時代、政治に少しでも関わった 多くのラテンアメリカの人々が、弾圧を逃れて国外へと亡命した。それは「大統領閣下、よい 旅を」の場合で言えば、大統領の元支持者で、今はジュネーブで働く出稼ぎ労働者のオメロ・ レイであり、彼とその妻ラサラは貧乏な生活を強いられているにもかかわらず、子供たちのた めの貯金を取り崩し、諦観と共に大統領の旅費を工面する。  「マリーア・ドゥス・プラゼーリス」にも、市民戦争当時のアナーキストの指導者、ドゥルー ティの名も登場するが、読者の心に残るのは、外国人娼婦のマリーアも含めた民衆が彼らを支 持した様子や、「カタルーニャ万歳」と壁に書いて逮捕・処刑されてしまう無名の若者のこと である24。その意味で、モンジュイックの墓地の入り口にある3人のアナーキストの墓に名前 が書かれていないにもかかわらず、マリーア・ドゥス・プラゼーリスをはじめとする市民たち が、それぞれが誰の墓かを知っていたことは、民衆の体制への抵抗姿勢(Scott 1985)を象徴 しているといえるだろう。  最後に、作家と政治の関係について簡単に補足をしておきたい。キューバのカストロ主席と の友情や数々の政治的発言で知られるガルシア=マルケス本人、そして自身も共産党員であり、 国会議員や外交官も務めたネルーダについては、政治との関わりについてすでに多くのことが 語られているので、ここではもう一人のラテンアメリカの有名作家であり、本書の影の登場人 物であるボルヘスの、政治との関わりについて一言述べておく。ボルヘスは政治から距離を置 いていたことで有名だったが、バルガス=ジョサがいうように、彼は政治が嫌いではあったが 無関心ではなかった。むしろ彼の政治嫌いは、フアン・ペロン大統領への反発からくるもので あった。妻のエビータの人気もあって民衆の圧倒的な支持を得、ラテンアメリカのポピュリズ ムを代表する存在ともいえるペロン大統領であるが、彼の政治手法には一部にファシズムの影 響が見られ、また実際外交的にも枢軸国側に近かった。ボルヘスはこのようなペロンの政治姿 勢を嫌悪したが、これに加えてボルヘスは、ペロンが政権の座につくと同時に図書館員の職を 失い、さらには家族が投獄されるという憂き目にあった。こうしてボルヘスはペロンへの反感 を強めると同時に、政治そのものに対して距離をおくようになっていった(Vargas Llosa 1999)。そして数十年後、ペロンを引き継いだ妻イサベルの政府がクーデターで倒されると、 ボルヘスはその知らせをもたらした知人を抱きしめ、涙したという。(ABC, 18 de mayo de 2007)  こうしたポピュリズムへの反感は、アルゼンチンの軍事政権への支持表明、そして隣国チリ で独裁者ピノチェト将軍から勲章を受けるという、にわかには信じがたいような行動へとつな がった。しかし、この時のピノチェトは彼にとって、共産主義からチリを救った英雄だったの である。多くの人々が当然と考えていたノーベル文学賞をボルヘスが受賞しなかったのは、お そらくこの行動のためであったと言われる。その後、軍事政権によるさまざまな人権侵害が明 らかになるにつれて、ボルヘスは両国の軍政から距離をおくようになり、フォークランド紛争 後はついに母国から逃亡するかのようにスイスに居を移し、そこで亡くなった(Kovacs 1977; GGM 1980)。

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4. フィールドワークとしての文学研究――この論文の執筆過程について――  これまではテキストの読解を中心に議論を進めてきたが、ここでガルシア=マルケスの序文 にならって、本稿が生まれた経緯について述べておきたい。このように調査の経緯を記すのは、 地域研究や人類学の研究書においては比較的よくある手法であるが、この節では、この論文の 制作と筆者の思考と行動の過程をたどることを通して、社会科学的地域研究と文学研究の接点 を探ってみることにする。 授業での読解と文学研究者の指摘  筆者はもともとメキシコの民主政治やアメリカ合衆国への移民を中心に、主にフィールド ワークを通して同国の現代社会について勉強している、ラテンアメリカ地域研究者である。日本 で担当している授業は主にスペイン語であり、そのうちの一つが東京大学教養学部での「スペ イン語中級(第三外国語)」という授業である。この授業では、現地の新聞記事や日本で出版 されている中級向けの教科書など、いくつかの教材を試したもののなかなか適当なものが見つ からず、同じく東京大学でスペイン語を教える、歴史家・地理学者の前田伸人氏に相談したと ころ、「ラ・サンタ」の講読をすすめられた。スペイン語の文章として、学生に取って多少難 しいところはあるが、やはりよく練られていて内容も面白く、構造さえつかめてしまえれば変 に意地の悪いところもない上に、内容も豊かで教える側の筆者にとっても刺激になる、すばら しい教材であった。それ以来、序文をはじめ本書の他の作品にも手を広げ、本稿で扱った二つ の文章もとりあげた。特に「マリーア・ドゥス・プラゼーリス」は、バルセロナの地理が克明 に描かれ、さらにはスペイン市民戦争への言及も随所に見られるため、もともと社会科学系の 地域研究が専門の筆者にとっては、最適なテキストとなった。なお、学生は第三外国語として 中級の授業をとろうというだけあって、スペイン語の知識はそれほど多くないものの語学に対 して大変熱心な皆さんで、納得するまでは妥協を許さない、厳しい読者でもあった。本稿でみ てきたような作品の読みに筆者が到達できたのは、ガルシア=マルケスの魅力的なテキストに 筆者が刺激を受けたことに加えて、学生の皆さんが真摯な学習態度で授業に臨んでくれたおか げである。  2010年3月、市ヶ谷のセルバンテス文化センターで、ベネスエラの文学研究者グレゴリー・ サンブラーノ氏の新刊出版記念の会が催された(Zambrano 2009)。日本で研究を行うラテン アメリカ出身の文学研究者による、スペイン語の文学作品を日本語へと翻訳した学者・翻訳家 へのインタビューをまとめた大変面白い試みで、筆者はサンブラーノ氏と個人的に面識があっ たことに加え、その直前に自分が携わった『火山の下』(ラウリー 2010)の翻訳が出版された こともあって参加した25。会場にはインタビューを受けた翻訳家の一人で、ガルシア=マルケ スの『予告された殺人の記録』をはじめとする、多くのラテンアメリカ文学作品を翻訳してき た野谷文昭氏が来ていて、出版記念会の終了後にお話をする機会を得た。  野谷氏との会話は、氏の私の発言への反論から始まった。この研究会の席上、筆者は『火山 の下』の翻訳の経験を下敷きに、「現在のラテンアメリカ文学研究者は、グレゴリー氏のよう な現地の研究者との交流や、実際に現地に行く機会が豊富にあって恵まれている。そうした機 会を十分に活用して、良い研究者・翻訳者を目指していくべきではないか」と述べたが、この 発言の途中から、野谷氏の表情が険しくなっていったのが見てとれた。終了後に予想通り野谷 氏に頂戴したのは、「私は1年2 ヶ月ほどしか現地にいたことはないが、よい翻訳をすることと

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現地経験とは、必ずしも関係しないと思う」とのご意見であった。

 これに対して筆者は、まず自分の(少々不用意な)発言について、確かに現地に行くことは よい翻訳のための十分条件でも必要条件でもないかもしれないが、自分が携わった『火山の下』 の翻訳については、英文学の作品である『火山の下』の翻訳に、舞台であるメキシコを研究す る筆者が加わることで、翻訳をより良いものにできたと思う、という旨の釈明を述べた。その 後話題は授業で取り上げた「ラ・サンタ」に移り、その中に ‘el café bien conservado’ という一 節があって訳し方が難しかった、という話をすると、野谷氏はその表現の翻訳には直接は触れ ず、「ガルシア=マルケスの作品の中でコーヒーといえば、自分は『大佐に手紙は来ない』の 冒頭、貧窮した老大佐がコーヒーの缶に残った最後のひとさじをかき取るシーンを思い出す」 との答えが返ってきた。  その後野谷氏に「これから鼓さんに会うんだけど、一緒に来る?」と誘っていただき、別の 場所に移動して、日本におけるラテンアメリカ文学翻訳の先駆者にして、現在も精力的に活動 されている鼓直氏にお会いした。この本についてのご意見をうかがったところ、短篇集の最後 の作品、「雪に落ちたお前の血の跡」をご自分でも訳された話、そしてこの短篇が、ヨーロッ パという異郷で生命力を吸い取られていく様を描いたものであり、そのテーマは短篇集全体に 共通しているのではないか、という話に加えて、Doce cuentos peregrinosという題名、特に peregrinoという言葉について、単純に遍歴あるいは巡礼という意味だけではなく、「奇妙な」 という意味があるということを、指摘してくださった。つまり、この短篇集が「ヨーロッパに 住むラテンアメリカ人の物語」を表向きのテーマにする一方、「奇妙な物語」の集まりである ことは、タイトルのperegrinoという言葉がすでに暗示していることになる(なお、peregrino の語源であるラテン語のperegrinusは、もともと「外の人間・異邦人」という意味であり、そ れが転じて旅人や遍歴そして巡礼者を意味するようになったのである)。  日本におけるラテンアメリカ文学翻訳の双璧とも言える両氏からは、このcaféとperegrinoの 二語の例にみられるような、一つ一つの言葉へのこだわりを教えていただいたことは、筆者に とって僥倖であった。「マリーア・ドゥス・プラゼーリス」の冒頭に、ボルヘスの詩に使われ た語句が埋めこまれているのに気づいたのは、彼らのこうしたご指導によるところが大きい。 バルセロナでの「フィールドワーク」  これまで述べてきたような、作品そして文学研究者との出会いに恵まれたこと、そして何よ り独自の魅力をたたえているにもかかわらず比較的知られていない本書について、専門外なが ら論じてみたいという意図から、筆者は2010年の冬頃から本稿の想を練っていたが、地域研究 者として論文を書くのなら、やはり作品の舞台となった土地を訪ねた上で書きたい、との一種 の義務感から、2011年の8月末から9月にかけて、「マリーア・ドゥス・プラゼーリス」の舞台 であるバルセロナを訪れた26。「マリーア・ドゥス・プラゼーリス」の舞台となるグラシア地区 は、元々はバルセロナ市とは別の小さな町であったが、バルセロナ市の拡大によってその一部 となった。カテドラル(聖家族教会ではない)や港がある旧市街から、文中にも登場するパセ オ・デ・グラシア(Paseo de Gracia: ただしカタルーニャ語ではPasseig de Gràcia)を真北に 行ったところにある27。ガルシア=マルケス自身も、このグラシア地区に一時期住んでいた

(Martin 2008: 333)。細い通りが縦横に走る下町で、マリーア・ドゥス・プラゼーリスが隠居 してこの地区に住んだ、という設定が非常にしっくりくる街並みであった。地区の中心となる、 現在では「ビラ・グラシアの広場」と呼ばれる時計台のある広場では、多くの人々が、マリー

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ア・ドゥス・プラゼーリスが作品の中でそうしたように、テラス席でコーヒーやワインを楽し み、その脇では子供たちが時計台を背にサッカーに興じていた。  墓地のあるモンジュイックの丘は、旧市街の西側にある。古い建造物としてはモンジュイッ クの城が、そして最近の建造物としてはミロ美術館やオリンピック・スタジアム他のスポーツ 施設、そして病院などが建てられている。墓地があるのは、丘の中でも街に面した側のほぼ反 対側、南から南西にかけての斜面である。墓地が造成されたのは1880年代で、バルセロナの裕 福な市民たちが故人を偲ぶために建立した、多くの立派な墓が残されている。敷地総面積65万 平方メートルの広さ以上に、丘の上に墓地が連なっていく様子は壮観である。ドゥルーティを はじめとする三人の政治活動家たちの墓は、丘の南西側に位置し、今ではもちろん墓碑銘に名 前が刻まれ、彼らに敬意を表する人々が備えたと思われる花などが所狭しと並んでいた28。グ ラシア地区との距離は、直線距離であれば6キロ程度だが、街の中心を経由し、丘の南側から 行くしかないので、実質的には10キロ以上はある。また、墓地の入口は高速道路に面しており、 周辺には人家や商店はほとんどない。現在でもバスは30分に一本しかなく、筆者も帰りは午後 の太陽の下、高速道路の出口の脇にあるバス停で、心細い気持ちでバスを待った。おそらく現 在墓地の前を通る片側二車線の高速道路は、おそらく後に整備されたものだろうが、人気がな く、大通りを車がスピードを出して駆け抜ける状況は、当時もさほど変わらなかったであろう と想像される。もしこんなところで大雨に遭遇したら、マリーア・ドゥス・プラゼーリスなら ずとも「奇跡さえも不可能」と思うほどの孤独を感じたことだろう。  なお、バルセロナの風景は「夢を貸します」にも一部登場する。作中に出てくる、ネルーダ がイセエビを二匹たいらげたというシーフード・レストラン(作品ではCarvalleirasとなって いるが実際にはCarvalleira)も、港の近くで健在だったほか、彼らが食後散歩したランブラス (Ramblas)と呼ばれる目貫き通りでは、小鳥売りの他にも大道芸人やアイスクリーム屋など も軒を連ね、多くの市民や観光客で賑わっていた。  ガルシア=マルケスが初めて住んでから約40年以上、そして作品が書かれてから約20年を経 ても、作品の舞台としたバルセロナはその当時の面影を残していた。実際に足を運んでわかっ たのは、筆者が当初考えていたとおり、ガルシア=マルケスは実際の情景をかなり詳しいとこ ろまで、短編に織り込んでいたことだった。筆者は夏の終わりの数日間を調査にあてただけで あり、数年間ここで暮らし、様々な季節の表情を経験したガルシア=マルケスの製作過程を追 体験したとは言いがたいが、それはグラシア地区の庶民的な雰囲気や墓地との距離感、そして ランブラスを歩く人々の楽しげな雰囲気など、作品に反映された情景を垣間見ることができた ように思う。  ただし、フィクションにおいては当然のことであるが、様々な要素が作品のために書き換え られていることも事実である。墓地の入口のすぐそばにあるというアナーキストたちの墓は、 比較的入口に近いものの、実際には5分くらい登ったところにあった。政権交代後に移葬され たという可能性もあるが、おそらくはもともとこの地にあったものと思われる。またマリーア・ ドゥス・プラゼーリスは、近所のサン・ジェルバージ(作品中ではスペイン語読みでサン・ヘ ルバシオ)の墓は洪水で水に浸かる可能性があるのでモンジュイックに墓を買った、とあるが、 実際のサン・ジェルバージ墓地はバルセロナの街を見下ろす、ガウディの作品として有名なグ エイ(Güell)公園の近くにあり、海岸からはかなり離れている。地理的にはむしろモンジュ イックと同じく19世紀に開発がはじまった、海岸に近いポブレノウ墓地を念頭において書かれ たものと思われるが、おそらくはポブレノウよりもサン・ジェルバージの方が、言葉の響きと

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