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一般教育科目「地理学」における授業改善の試み-香川大学学術情報リポジトリ

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一般教育科目「地理学」における

授業改善の試み

新 見

泊 1.はじめに

大学設置基準の大綱化を契機として,大学教育における一般教育のあり

方を巡っては様々な議論が展開されている。こうした大学教育に関する理

念的・制度的な論議を深めるⅣ−‥方で,これを具現化させる日々の教育実践

についても検討が必要とされることはいうまでもない。

著者の大学教員として経験は10年余に過ぎなく,振り返ってみるほどの

教育実践もか−が,本稿では香川大学の一一般教育において担当してきた地

理学の授業での稚拙な授業改善の試み,言い換えれば失敗の連続を批判的

に捉え直してみたい。こうした検討の結果を踏まえて,今後の授業改善の

方向を探っていきたいと考えている。諸賢のご批判・ご叱正を賜れば辛い

である。 一・般教育でなされる授業については高校教育の繰り返しであるなどといっ

た批判や非難が多数あることは承知しているが,こうした批判に稗極的に

応え,学習主体である大学生にとっての−【■・般教育のあり方を論じることが

重要と考えている。このためには,′ト中・高と続く教育課程がどのよう

に展開されているのかを把握しておくことも重要であり,次章では,現行

の教育課程において地理は社会科のなかにどのように位置づけられている

か,また地理教眉の課題についても既幸田こ依拠しながら簡単に述べておき

たい(新見,1988)。 2.社会科地理と地理教育の課題 (1)社会科地理とはなにか 第二次世界大戦まで独立した教科であった地理は,戦後はアメリカの社 会科(SocialStudies)の流れを汲む社会科に含まれてきた。この社会科は,

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新 見 治 96 1980年代末における,小学校低学年での社会科廃止と生活科新設,高等学 校での社会科解体と地歴科・公民科の新設といった教育課程の改編によっ て大きく変質したといわれる。 別技(1992)は,その著書『世界の教科書は日本をどう教えているか』 において,「人間を知る」には,いろいろな教科の「総合的理解」が重要で あり,殻全科(SocialStudies)はそのために生まれ,発展してきたのに, 日本ではその根本が十分に理解されなかったと指摘する。そして,社会科 における地理や歴史の学習の意義について,次のように述べている(pp229 ∼230)。 「地理は山,川の名,都市名,産物の羅列ではなく,各地域の人々の現 在の生き方を教えることであー),歴史は人名や年代の羅列ではなく,やは り各地域での人間の過去の生きざまを教えることである。そして過去の生 き方が現在のそれにどうかかわり,変化してきたかのプロセスをみること が重要なのであるが,それには地理と歴史とを総合し,−一イ本化した見方が 不可欠となる。」 教科としての社会科は暗記科目であり,な・かでも地理は物産・地名・統 計を羅列した学習内容をもつ魅力の乏しい科目として,多くの大学生には 捉えられている。一一・■・方,「旅は好きか」と尋ねれば,ほとんどの学生は好き と答える。旅の好きな健由として,見知らぬ土地を訪ね,未知の出来事や 人々に出合うことをあげるものが多い。この「旅は好きだが地理は嫌い」 という学生の現状を,地坪学の研究と教育に携わる者としてどのように理 解すればよいのであろうか。 (2)地理教育の課題 地理教育における自然要素の理解は地誌の説明のうちに他の地域要素と 関連づけて具体的にされるべきと,千乗(1969)は述べ,地坪教育の目的 はそれぞれの土地に住む人々の今日の営みの姿を示す無数の素材の中から 本質的と思われるものを拾い出し,土地と関連づけて系統的に整理し,そ の姿を正しくとらえることにあると,推服(1980)は指摘する。 社会科地理に限らずに学習指導要領や教科書の内容を見た場合,この自

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一般教育科目「地理学」における授業改善の試み 97 然と人間の関係の理解という課題は学校教育のなかで重視されているよう に思われる。しかし,大学生の持つ自然地理に関する理解は概念的なもの にとどまり,とりわけ身近な地域の自然環境イメ、−ジが貧弱で,自然環境 観は未成熟であると著名は感じている。 こうした感想は,子どもの成長過程において不可欠な自然とのかかわり が希蒋になったという事実(椙山・田中,1992)のほかに,小学校では身 近な素材を扱い見方・考え方を重視するのに対し,中学校・高校では羅列 的な地理用語の説明と記憶が中心となり,これが児童・生徒の発達段階と 不整合であるという地理学習過程の問題(渋沢,1983;長崎,1985)とも 深く関係している。 この傾向は自然地理学習において顕著であり,しかもこれが人文地理的・ 地誌的な学習と関係づけられることは多くない。ある高校地理の教科書で は,自然地押に関する記述は全ペ、−ジの12%を占めるに過ぎないのに,索 引項目では37%にも及んでいる。科学的・論理的な思考を求める高校生に とって,用語を羅列する自然地理学習が魅力の乏しいものとして映るのは きう然なのかも知れない。 そこで,学習者の自然環境観の形成に寄与するという点を重視し,学校 教酎こおける自然地理学習の過程を次のように想定してみた。 小学校では,身近な地域の自然や様々な地増.的事象に接し,その具体的 なイメ、−ジを高める。中・高等学校では,地車削I勺知識を系統的に整理し, 自然環境と人間の関係を総合的に理解する。こうした学習過程においてフイ、− ルドワークの果たす役割は大きく,これを通して学習者の自然環境観の形 成に寄与し,さらに自然環境との望ましい係わりを求め自ら行動する能力 を背くむ。このためには,自然環境と人間の関係を把握するのに適した本 質的な素材を,地域のなかに見いだすことから始めなければならない。 (3)地理教育における水の教材化の意義 地理学のなかでも水文学や自然環境論を専門としている著者の場合は, この素材を水や環境に求めているが,地坪教育における水の教材化の意義 について簡単に触れておきたい(新見,1989)。

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新 見 治 98 地域の自然環境を構成し,形成する水は,資源としての,また生活文化 の基盤としての性格を持っており,環境,資源,災害だけでなく,生活文 化を考える素材としても位置づけられる。自然界ばかりか,社会をも循環 し,地域の自然現象と人文現象とのつなぎ手である水を素材とすることに より,地域イメ、−ジの深化と自然環境と人間の総合的埋.解が容易になると 考える。 社′会をはじめ,理科,技術・家庭などの教科で水は広く教材化されてい るが,教科間の関連づけは弱く,その総合的性格は十分に生かされていな い。殻†全科の教科書における水に関する記述は,「讃岐平野に溜池が多いの は寡両地域で水に恵まれないからだ」とか,「扇状地は河川水に乏しく畑地 や果樹栽培に利用される」といったように,ややもすれば環境決定論的で あり,水を生かし地域を創造してきた人間の主体的な活動の接いは不十分 である。 3.一般教育科目「地理学」における授業改善の意味 大学教育の意義が問われるなか,大学における地理学教育のあり方につ いても論議されるようになってきた。雑誌『地租』では,「大学の地理学教 育を考える」という特集(1988年4月)を組み,その現状と課題を探って いる。 一一一般教育について,浮田(1988)はその30年に及ぶ経験から,一・般教育 の地理学の講義は専門教育に比べてはるかにむつかしく,や−)にくいと述 懐している。その原因は,受講生の規模が大きいというよりも,学生側に 地理学の講義を聴きたいという積種的欲求が希薄なことにあるとする。マ スプロ講義がそれ自体いけないのではなく,マスプロ講義にふさわしい講 蕗法が工夫されていないことが問題であるとも指摘する。さらに,講義を 聴きたくない学生に単位で強制するのを止め学生の主体性に任せる必要が ある一・方,学びたい学生の欲求に応えられる制度が存在しないことが大き な問題であると指摘する。 受講生が多いマスプロ教育は,それだけ地理的なものの見方を普及させ

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山般教育科目「地理学」における授業改善の試み 99 る好機となりうるという他の意見もある。著者についていえば,香川大学 における地理教育の現状と改善について考察するなかで,一・般教育につい て若干検討した経験がある(新見ほか,1987;新見,1988)。 大学における一山般教育の意義については様々な見解があるが,著者ほ学 習者自身が自らの学習・研究能力を開発するという側面を重視したいと考 えている。一一・般教育で学習者の視点を重視するのは,教科学習のなかで得 た体系的な知識は,学習者の生活のなかで検証されて初めて生きた知識と な−)うるという総合学習の考え(丸木・行田,1990)に賛意を示すからで

あり,これは先にあげたSocialStudiesやWor・1dStudies,さらに開発教

育や環境教育とも通じるものである。 後述するように,著者は担当する授業の目標を,当初自然地理学や水文 学に関する知識の伝達に置いていたが,受講生の授業内容の理解や主体的 な取り組みに不十・分さを認め,何らかの授業改善を行う必要性を感じろよ うになった。ちょうどその頃(1982年),香川大学教育学部の教員と学生を 対象にした授業認識に関する調査の実施と分析に携わる機会を持った。こ の時の調査結果は,おおよそ次のようなものであった。 教員は,撲業の充実のためには,学生自身の授業への積極的な取り組み がもっとも重要であり,続いて適正な授業規模や最新の研究成果を取り入 れることが重要であると考えている。−】・方,学生は,興味ある授業テーマ を設定することが授業の充実のために最も墓要だと考えており,学生自身 の授業への積極的な・参加も垂紫だと認めている。しかし,適正な授業規模 や最新の研究成果の取り入れなどは余り重視していなかった。こうした傾 向は,授業の実態やその改善に関する他の調査でもほぼ同じであった。 自らの研究の素材である水を授業の素材にして,学生の求めるような面 l’1い授業,興味を持ち積極的に参加してくれるような授業は,どうすれば 叶能なのか。こうした授業が展開できれば,担当者自身にとっても魅力的 なものになると思われた。このように,著■者は最初から地理教育のあり方 に本質的な検討せ加えようとしたわけではなかった。自らの担当する投業 の活性化を模索するなかで,この間題に眼を向けざるを得なかったという

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新 見 治 100 のが偽らざるところである。 著者は学習者の自然環境観の形成に少しでも寄与することを期待して, その後彼らの授業への主体的な参加を促すための幾つかの試みを行った。 しかし,それらは科学的検討を欠いた思いつきの連続であり,はたして授 業改善に成果があったのかとなると甚だ心許ない限りである。 以下,授業形態の違いを考慮して,講義科目,続いて演習科目の順に, 授業内容の変遷と授業改善への取り組みを把握してみたい。 4.諸表科目「地理学」における授業改善の試み (1)講義テーマとその概要 第1表は,著者が1980年以来担当してきた,講義科目のテ、−マとその概 要である。 第1表 講義科目「地理学」のテーマと概要(1980∼1992年) 授業題目 開講年次 単位 備 考 日本の自然環境 1980∼1983年 2 1983年4単位 水と地域社会 1984∼1987年 2 1985年休講 水の地理学 1988∼1992年 2 継続予定 これまでに担当した講義科目は,「日本の自然環境」(1980∼1983年),「水 と地域社会」(1984∼1987年),そして「水の地坪学」(1988年以降)の3つ であるが,これらの授業内容の変遷を簡単に把握しておきたい。 a.「日本の自然環境」(1980∼1983年) まず,一・般教育修学案内に記された1981年と1983年におけるこの授業の 概要を次に示す。 日本の自然環境(1981年)地理学B 2単位 前期 口本の自然環境について,地形・水又・気候に焦ハをあて概観する。テキストと しては,中野翫卜小林国夫:「日本の自然」ほ;・波新=il!二)を用いるが,次に掲げる ものを参考書としてあげておく。

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【…般教育科目「地理学」における授業改善の試み 101 貝塚爽平:「日本の地形」(岩波新ilり,新井 正:「日本の水」(三省畳),高橋 沼郎:「日本の天気」(岩波新=il‡二) なお,人間活動にともなう自然端境の改変・破壊の現状などについても,ふれる つもりである。 日本の自然環境(1983年)地理学A 4単位 前期 現代のl】本人は【i絹■のく‡三も引こおいて自然を認識することが少なくなり,これはわ が国古来の自然観∼自然と人間は有機的に統一されるもの,自然から自分を区別し ないという態度・−の喪火ともみなされている。しかし,現代人として四季の移り変 わりには心を動かし,災害にあえは自然の偉大さを強く感じ,また旅にでれば自然 の多様性・地域性を言忍識させられる。 この講義では,わが国の自然環境の地域性を,地形・水文・気候に焦点をあて概 観するととともに,そこに生活する人間と自然環境のかかわり合い一生活・災普・ 窮境の改変など}について貝体的事例をあげ紹介する。 参考文献として次のものを紹介しておく。(文献省略) この文章からわかるように,この講義は日本の自然環境に関する概論的 性格の強いものであった。1980−1982年には2単位の授業,また1983年に は4単位の授業として実施した。このため授業内容に多少の変化があるが, 次に1983年における講義ノートと授業の記録からその内容を示してみたい。 はじめに−一風土・自然環境− 1巾 ‖本の地形一地表の形態一 変動儲と日本列島,日本列島の地体構造,火山地形・地震,気候変化と地形, 山地・平野・海岸の地形 2.日本の水一水資源と水利用【 E】本の水収支,日本の河川,日本の湖沼,日本の地▲ト水,地域社会と水利用 3..日本の気候一気候と生活− モンスーンとFゴ本の四季,気温・降水・風,気候変化・異常気象,都市の気候 4.人間活動と自然環境の変化 (この阻ま,時間的制約から扱えなかったことが多かった)

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新 見 治 102

b.「水と地域社会」(1984∼1g旧年)

この講義は,それまでの「日本の自然環境」のなかから,「第2章日本の

水」の内容を取り出し,これに必要な内容を加えて再構成したものである。

1984年の授業概要に示すとおり,人間社会の地域性・歴史性を水とのかか

わり合いにおいてとらえること,すなわち水をキ、−ワードとして地域社会

の多様性を理解するという点を強調した。

なお,この講義の内容と構成は,これに続く「水の地理学」と大きく変

わるところはないので,次で示す−ことにしたい。 水と地域社会(1984年)地坪学D 2tii位 前期 水は我々の諸活動を支える基礎的資源であると同時に,大気,土壌と共に人間の 生存の場である地球環境を構成する重要な要倭でもある。それゆえ,水利用をめぐっ ては水資源の開発と水環境の保全が重要な課題として認識されている。この講義で は,人間社会の地域性・贈史件を水とかかわり合いにおいてとらえてみたい。水の 地誌(水文誌)であり,水の文化史であると同時に,水資源論の展開をも目指した い。 参考文献として,次のものを紹介しておく。(文献省略) c.「水の地理学」(1988年∼現在) 1988年には,それまでの「水と地域社会」という題目を「水の地理学」 に改めた。これは,地理学は水をどのように理解するのかという学問の方 法や特色を強調したいという理由からであった。 地理学は自然地理学と人文地理学に,さらに自然地理学は水文学・地形 学・気候学などの個別の自然科学として分化・発展し,環境という地理学 の基本的概念の希薄化が指摘されている。こうした現状にある地理学の現 代的意義を聞い潰したいとの意図もあって,地理学の古くからのテーマで ある自然と人間の関係の解明を,水を素材に取り組もうというものであっ た。 以下に,1987年における授業概要とその構成を示す。

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一般教育科目「地理学」における授業改善の試み 103 水の地理学(1g92年)地理学E 2単位 前期 水は,それ自体が人間の隻存の場である地球のく自然環境を構成する重要な要素〉 であると同時に,く自然環境を形成する要因〉でもある。・−一方,水は,地表面付近に 最も く豊富〉に存在する く資源〉ではあるが,その分布は時間的・空間的に著しく 〈偏在〉 している。しかし,すべての水はく水循環〉で結ばれており,水は数少な いく更新可能な・資源〉 となっている。さらに,水は地域の人々の生産や生活と探く 係わ−),く地域の文化を別追する基盤〉でもある。 この講義では,水をキーワード(鍵)として,自然環境と人間との関係を総合的 に,地理学的に把捉してみたい。水の地誌(水文誌),水の文化史,水資源論の展開 を目指したい。授業は配布する70リントに従って進めるが,テキストやスライドな どを利用しな・がら,只体的なイメージが湧くようにつとめたい。 地理学の研究や学習においてフィールドワークのもつ意義はきわめて大きく,こ の講義では,受講者自身が■フィールドワークを通して作成した〈課題〉の提出を求 めています。 0… はじめに 人間の謝舶力(/巨存・隼塵.・消普・文化‥〉 と水 1り 水の循環と水収支 地昧トの水の総兢,水循環の概念,地球の水収支 2。水利川の歴史 八代の抑【l文明,都市の発展と水,乾燥地城の水,rJ木の水利用変 3.‡一本の水文環境 l】本の水収支,ll本のill川し11本の湖ほし しl本の地卜水 4.′i三成i一里助と水利用 水Iil稲作と水,⊥業丼逓と水 5..消畑舌動と水 都1fj溝動と水,家庭/トi.1と水 6小 牧変された水又環境 都ポ水文才‥,水の汚決と下水道 (2)授業の実態と改善の必要性 第2衷には,講義科圭一】の実施状況の概略を示した。大学教員としての経

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10j 新 見 治 第2表 講義科目「地理学」の実施状況(1980∼1992年) 年次 題 目 受講生 テキスト 資料配布 課題提出 1980年 日本の自然環境 1981年 日本の自然環境 1982年 日本の自然環境 1983年 日本の自然環境 1984年 水と地域社会 1985年(休 講) 1986年 水と地域社会 1987年 水と地域社会 1988年 水の地理学 1989年 水の地理学 1990年 ホの地理学 1991年 水の地理学 1992年 水の地理学 86名 ? 78名 教 21枚 85名 教 14枚 167名 (参) 24枚 93名 (参) 16枚 ○

160名 教 26枚 0

134名 教 27枚 0

167名 (参) 25枚 0 187名 (参) 26枚 0

215名 教 24枚 0

238名 教 22枚 0

227名 教 21枚 ○

注)受講生とは成績評価対象者であり、受講手続きをしながら 途中で履修を取りやめた者は除外している。 験が浅い初期に担当した「日本の自然環境」と題する講義においては,受 終生数も100人をこえる程度で受講生の視点を強く意識することもなかった ので,そこでの授業改善の方法は,受講生の理解を肋けるための講義内容 の充実・精選,テヰストの利用,資料の配布,スライドなどの視聴覚機器 の利用などが主体であった。配布資料は20枚程度で,投業計画と授業を進 めるに参考となる図表や文章を羅列的にまとめたものであった。 このほか,1981年からは受講生自身の自然観や環境観を探るアンケ・−ト 調査の実施も試みるようになったが,その目的は受講生白身の生活や身近 な地域を思い浮かべることによリテーマへの関心を喚起することであり, その後の授業の展開に役立てることであった。 また,1982年の試験に際して次のような設問をし受講生の授業に対する

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−【一般教育科目「地理学」における授業改善の試み 105 評価や意見を求めたのも小さな工夫であった。こうした試みは,この年に 教員と学生を対象とする授業認識調査を担当したことが直接の契機となっ ている。ただ残念なことに,この結果は現在手元に残っていない。 この授業についての,あなたの意見などを聞かせてください。評価の対象にはい たしません。 A)授業の内容に興味がもてましたか?(番号を選んでください) 1興味がもてた 2 やや興味がもてた 3 やや興味がもてなかった 4 興味がもてなかった 5 どちらともいえない B)あなたの授業へのとりくみは?(番号を選んでください) 1良かった 2 やや良かった 3 やや悪かった 4 意かった 5 どちらとい−えない C)その他,投業でとりあげてほしかったこと,授業改善への意見,苦言,反省 など,何でもいいですから,余白に自由にかいてください。 1984年から「水と地域社会」という題目の授業を設けたのは,概論的な 体系的知識の伝達を目指す授業のあり方に授業者として疑問と限界を感じ, 授業担当者自身の学問観を強調しながら,受講生の関心を喚起しやすい授 業内容とその方法を探してみたいと考えたからであった。 教科書や参考書を指定し学習の−・助とするとともに,配布資料について は単に図表を羅列するのではなく,講義内容についての簡単な説明と参考 文献のリストを加えた,講義ノ、−トふうのものに改めた。 また,授業への関心を喚起するためのいくつかのアンケート調査も試み るとともに,受講生の主体的参加の機会をつくり成績評価の−・助ともする ために,1984年からは課題の掟出を求めるようになった。この課題の提出 は,この授業の特色として現在も継続している。 授業改善やユ大の視点を成績評価の段階においても取り入れる必要を感 じ,相対評価や絶対評価ではなく,形成的評価や総合的評価を行おうとし

た。そのため,試験の内容も知識を問うものから考えるものに改めた。た

だし,こうした改善の試みは,一・方で授業へ・の取り組みを多少おろそかに

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新 見 拍 106 しても,課題さえノ提出すれば試験も易しいから単位修得は大丈夫との意識 を−・部の受講生に生んだことも否定できない。教員の一一〉−一一一方的な思いや努力 だけでは授業の充実や改善は図れないこと,そして授業は教員と学生の出 合いの場であるとつくづく感じ,大いに反省しているところでもある。 (3)受講生に対するアンケート調査とその教材化 ′受講生自身の自然観や環境観を探るアンケート調査を実施してきたこと を述べたが,まずその概要を眺めてみたい(第3表)。 第3表 講義科目「地理学」に.おける受講生対象の調査(1984一一用g2年) 水環境.;思識(1981∼1989年)水のつく言葉・イメージ(1984年) 河川環境評価(1986∼1988年)水道普及率は何を語るか(1987∼1992年) ため池に関する調査(1989∼1991年) 都苗の水文環境保全に関するユニークなアイデア(1990∼1992年) 最初の試みは,受講生の自然環境・ 水環境認識や知識の現状を,アンケ、−・ ト調査(1981∼1989年)によF)把握することであった。 その目的は,受講生自身の生活や身近な地域を思い浮かべることによ−) テーマへの関心を喚起するとともに,その後の授業のなかで教材として役 ☆.てることであった。なお,この調査は全国の数大学で継続的に実施した ので,大学生の持つ水環境認識の地域性を示す何校かの環境認識地図を作 成することができた(新見ほか,1982;安原ほか,1983;新見ほか,1985; 新見,1986)。 このほか,水のつく言葉・イメージを尋ねる調査(1984年),身近な河川 環境を評価す−る調査(1986∼1988年),わが国の水道普及率の地域差が何を 語るかを問う調査(1987∼1992年),ため池に関する調査(1989∼1991年), 緋苗化と水文環境の保全に関するアイデア(1990∼1992年)などを実施し てきた。これらの結果を整理し柁業の中に教材としてフィードバックした ところ,受講生は思いのほか関心を示してくれた。また,著者自身が持ち 続けてきた誤った認識に修正を迫るような結果さえも得ることができた。 このうち,「わが国の水道普及率の地域差が何を語るか」を問う調査は,

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一般教育科目「地理学」における授業改善の試み 107 ′受講生の水と生活と環境への関心を喚起するに適したものであったと考え

ている。その概要についてはすでに報告したことがあるが(新見,1989),

ここでは具体例を示しながらやや1帖寧に紹介してみたい。

1887年横浜に日本最初の近代水道が誕生してから100年が経過した今日,

l=】本の水道普及率は90%を超える水準に達している0最初の授業で,水道

普及の状態を表した地図(第1図)を示し,次のような質問をすることに

している。 第1図 水道普及の状態(1982年現在)

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新 見 治 108 戦後の日本における水道普及は,都市部においては勿論のこと,農村部において も著しいものがあります。「水道統計」によれは,全国の上水道・簡易水道などの水 道普及率は92%を超えています。しかし,水道普及の状態を,図AやBにおいて眺 めれば,明瞭な地域的差異が存在しています。また,図CやDに見られるように, 水道普及率の極めて低い市町村も数多く存在しています。ところで,こうした日本 における水道普及の現状を示す4枚の図は,あなたに何を語りかけますか。思うと ころを自由に書いてください。 この質問に対する回答には,大きく次の5つのタイプがある。 ①水道普及率分布にみられる地域的特徴を記述するだけのもの。 ②水道普及率の低い地域や水道施設のない市町村が存在することに対する 驚きや疑問を述べ,この理由を説明しようとするもの。 ③水道普及率の低いことに対してマイナスのイメージを持ち,地域間題・ 社会問題との認識から政治や行政の貧困を指摘するもの。 ④水道普及率の低いことに対してプラスのイメージを持ち,自然環境がす ぐれているから自然水の利用が可能であると指摘す−るもの。 ⑤その他の回答。たとえば,現在の水利用の要を知りたいなど。 こうした回答のうちから代表的なものをいくつか選び資料せ作成し,次 回の授業において配布し紹介する。 この調査を始めた1987年においては①・②・③という回答が多く,④の 卜il答はごく稀にしかみられなかったが,1992年には①や②は依然多いにも かかわらず,④という回答が目立って増えてきている。これは,1980年代 末から急速に地球環境問題がマスコミで取り上げられるようにな−),おい しい,安全な飲み水に対する社会の関心が高まってきたことと関係してい るのであろう。 しかし,こうした小縮尺の日本地図にみられる水道普及率の分布から結 論を導くことは余㌢)に短絡的であり,地域における水と生活の実像に迫る フィールドワークの意義を強調して,それ以後の授業につなげていく。 その後の授業においては,水道普及率の低い地域における水利用の事例

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山L般教育科目「地理学」における授業改善の試み 109 として,環境庁の名水百選に選定された秋田県六郷町,福井脾大野市,愛 媛頻西条市などの水都をあげ,これらの地域では豊富で水質的にも優れた 地下水や湧水を各家で利用し,あえて公共の水道施設を必要としない状態 にあることを説明する。その−・一・方で,工業や消雪用地下水の過剰開発によっ て井戸がれや地盤沈下が発生したところもあり,住民と自治体は白からの /冊iと環境にかかわる問題として地下水管理のあり方を模索していること にも触れる。 また,1991年からは,第1回目の授業(ガイダンス)に際して,次のよ うな質問をすることにした。 ①地即は好き?②・受講の理由・動機「私はなぜ今ここにいるのだろう?」 ③この投業に期待するもの,希望するもの,その他いま書きたいこと。 この結果は取りまとめ次の授業において報思する。ちなみに,1992年に おける項目①と②についての回答は次のとおりであった。 「地坪は好き?」に対しては70名の回答者のうち56名(80%)が「好き」 と答えたが,この高率は第1回目の授業は1年次生に向けてのガイダンス 時間と位置づけられ,受講に意欲の薄い学生は欠席しがちだからである。 これだけの地理好きの受講生がいることは,授業担当者を勇気づけるとと もに,大半の地理嫌いの受講生にいかに地理のおもしろさを語るかという 不遜な考えさえ持っていた,自分の偏狭さを気づかせることでもあった。 受講の理由・動機については,地理好きが大半であったこともあって, 水という題材に関心があるとか,フィールドワークが面白そうというよう な相槌的な理由が多かった(第4表)。 受講を正式に受け付ける第2回目の授業には多くの学生が殺到し,不本 意ながら受講制限をせざるをえない状態となった。しかし,第3回目の授 業においては早くもバブルは弾け,その後の授業は平穏のうちに進むこと になった。 な・お,授業中に実施したアンケ・−・トの結果や授業に関する連絡,さらに

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新 見 治 第4表 卜水の地理学」受講の動機・理由(1992年) 受講の動機・理.由「私はなぜ今ここにいるのか?」(複数回答) 110 「地理好き」 「地理きらい」 1年 2年+? 計 1年 2年+? 計 地理が好き・とりたかった 水に関心がある おもしろそう・興味がある フィルドワ・−クが面白そう 先輩友人のすすめ・噂 単位がとりやすい 他にとりたい科目がない 単位がほしい・単位必要 他がいっぱい・溢れたから なんとなく 授業の形や内容を知るため

1 4 4 1 2一 l l一l l

一l t 一 一一 t 一一一 一

1 34 1 2一 11一1 1

7 118155 101 1211 4

4 3 4 1 2 1 1 1一1 3

1315114 8一一11一1

受講生からのメッセージを掲載するものとして,1991年から次のような内

容の「水の地理学・レポー・ト」を作成・配布している(1991年はNo・3,1992

年はNo4まで)。こうして授業において配布する資料のなかで,受講生の声

や考えを伝えるものの割合が次第に高まるようになった。

□1992年 No.1 ガイダンス時のアンケート調充結果 No2(D「飲み水の水源・水の味・ミネラルウォータ・−」 ②「水道普及率は何を語るか」(抜粋紹介) ③「パフ’■ルの原因とそのゆくえー一・大学生の心理とネゴ動【・」 No.3 ①「湯水のように使う」の意味するものは? (診「蛇口」の意味するものは? ③受講生の動向 No.4 ①「都市の水辺環境復活」のためのユ・ニークなアイデア (診「日本は水に恵まれているか?」 ③課題提出やアンケート調充へのl亘1答状況

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一L般教育科目「地理学」における授業改善の試み 111 (4)受講生の課題作成への取り組み 次に,受講生の課題作成への取り組みと課題作成の意義について,具体 的に検討してみたい。第5表は,各年における課題の内容を示したもので ある。 第5表 講義科目「地理学」における課題の内容(1984∼1992年) 1984年 水についての自由形式のレポート 5∼10頁 1986年 「私の知ってる名水三選・悪水三三」選」 7頁以_上 1987年 「私の逮んだ水三景−よい水,ふつうの水,想い水」 6頁以上 1988年 「私の選んだ水三景」/「居住地の環境を探る」 8頁、以上 1989年 「7jく辺の環囁カルテ」 5兵 1990年 「池を訪ねて」 6真 1991年 「水との出会い」(本形式) 5枚以上 1992年 「オリジナル・ブソクレソトをつ〈る−−1992夏・水との出会い」 5枚以上 1984年の「水と地域社会」で,初めて課題の提出を求めた。それは,「こ の授業において知ったこと,また自分の専攻との関連を考えながら,水に ついての自由形式のレポ、−トを提Ⅲしなさい。」というものであった。 ㍑拇された課題(レポート)は教員が読み,これを評価したのちに学生 に返却するという過料をとるのが一一般的である。しかし,これでは課題は 成績評価の−・ヰ段としての佳苗づけしかなされず,しかも受講生の努力も 教員との間での小さなやりとりのなかで消えてしまう。そこで,提出され た課題を一受講隼.相万.に評栖することにした。すなわち,受講生はまず他人 が作成したレポートを読み,その内容を理解した後に所定の用紙にある次 の項l」について評価する。次に,自分の作成したレポ、−トについて,でき るだけ客観的なl恨で同様の評価することを求めた。 汀課題.設定の適切さ(抑11帥1興味)二∑.課他に即した内容(適切な資料,論理性) ③合体的な印象 ④コメント(すぐれた予,イく卜分なハなど)

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新 見 治 112 作成されたレポートは,他人からの評価用紙と自己紳価周紙,さらに教 員の簡単なコメントを添えて受講生に返却することにした。 このような工夫はしてみたものの,提出されたレポートは既存の文献資 料に依存したものが多く,フィールドワー・クを基本とする地坪学のレポー トとしては不満の残る内容であった。 このような反省にたち,1986年からは,素材を身近な地域のなかに求め, 自らが調査・観察し作成するというレポ、−トを求めることにした。しかし, わずか2単位の投業において過剰な負抑となる課題を課すこともできない ので,矧時間で作成でき,しかもある程度の野外活動を伴い,かつ楽しめ る内容の課題を設定する必要があった。 「私の知ってる名水三三/選・悪水三選」(1986年後期)や「私の選んだ水三 ;東」(1987年前期)が,そうした趣旨にもとづいて試みた課題である。 「私の知ってる名水三選・悪水三選」は,休みを利用して受講沼三=身が 身近に「水のあるよい風景」「わるい風景」をそれぞれ3つ発見し∴敵影し た写真にコメントを添えて提出するレポートであった。これは現境庁の「名 水百選」にヒントを得たものである。我々が日常生溝の場で接する多くの 水は名水とは呼べない姿の水であり,名水たけでなくそのパロディとして の悪水をも探そうというのがこの課題であった。 「私の選んだ水三景」は,身近な地域に「よい水」「ふつうの水」「わる い水」をそれぞれ1つ発見し,報㌣,=するものであった。ここでは,「よい・ わるい・ふつう」という主観的な価値基準のなかで,作成者がどのような・ 発見と主張をするかに期待した。この課題名も,かつてのテレビの人気芥 組にヒントを得たものであった。こうした,−■見悲ふぎけのような課題か 示された時の受講生の反応は,斯きとか不叶解さを示すなど複雑であった。 受講生によって選定された「名/ト・悪ノJく」,「よい水・わるい水・ふつう の水」は非常に多様であった。写真技術には善し悲しがあるにしても,い ずれの作品からも撮も杉名の′払いが十分に伝わってきた。水のある風景を撮 るという他愛ない行為のなかで,受講性は多くのことを感じたようだった。 その特徴を祥列してみれば,次のようである。

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→叔教育科目「地理学」における授業改善の試み 113 ①「名水・よい水を探すのは簡単だ。悪水・わるい水は雉しい」「恵水・わ るい水を探すのは簡単だ。名水・よい水は難しい」「ふつうの水を探す−の は難しい」と,感想は様々であった。 ②「名水・悪水って何」「よい水・わるい水・ふつうの水って何」「その基 準は何」「水のきれい・きたか−をいうの」「周りの景観・風景との調 和・不調和をいうの」「もっと別のとらえ方があるのでは」と,自らの 水を見る眼を閃い帝すようになった。 ③「名水・よい水は自然の水だ」「名水・よい水は地域の人々と関係の深い 水だ」「悪水・わるい水には人間が関与している」「水は本来よい水だ」 「たとえ汚くても名水もある」と,自らの水を捉える視点を定めるよう になる。 ④身近な地域に今まで気づかなかった水の存在を発見し,水以外の自然や 人々の暮しを知るなかで,驚き・喜びさえ感じた人もあった。水を離れ た視点の広がりがあった。 ⑤このような課題が大学生に受け入れられるものか,当初は不安であった。 しかし,扶骨.されたレポートには,「私は‖……考えた」「伐は‥‥・思った」 「私は…1したい」なと,l′l」の見解や意志を述べる表現が多く,かな り能動的に.収り組めたと.酔価できる。そして,何よりも手受業苦‖身,数 多くの未知の「/Jくのある風ぷ」を知り,楽しく読むことができた。 ⑥受.淋/上のl称じ、は水そのものから,水と他の要素を組合せた水景へ,また その連続である河川へ,さらには流域へと,すなわち「点−→線→I而」と 拡人していった。また,仙人レベルでの焙件的な.認識から,地域レベル の理牲的で地胡「〃杓な.甘識へと展関していく棟J’が認められた。これが, 町外科ツとしての地理サの持つ教習力なのであろうか。 その後も,「ノjく辺の瑞境カルテ」「池を訪ねて」ろご・どのテ、−マで同様の.収 り糾みをしてきたが,薄い川紙にノリ:ヱ■ミニを粧った.粗題かはたして返却後どの ような描いをうけるのかが景になってきた。.課題を小脾イ・・のかたちで作成 すれば,根宥の可絶件も■1Jjまり,なおかつ「本をつくる」ことでより楽し めるのではないかとノU、い,1991隼からこれを尖施した。なお,1992年にお

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新 見 治 114 ける課題作成の要領は次の通りであった。 水への関心と判!解を深めるには,一受.,椚イ】身が身近な水環境を.乱れ,想い,考え るチャンスを糾つことがイ川J欠であるとの硯・■(かレ),独創的な.猟超の提=を求めま す。/卜勺三は,次のような邦題にしました。 【.課題】オリジナル・■71ノクレノトをつくる T1992夏・水との=会い−・t〔ニー(1(二〕〔〕−−英 【形.1て】Ⅰう5サイズ,刺ヲJ\,5杖以lなど 【柴イ′f】フィールドワー・ク(野外での勅彗亨・聞きJlくり)を伴っていること。 γ点いlズいイラストなどを汗‖Jし.ヴィジュアルなものがよいなど。 夏休みを利目して作成した課題を9J川友初の授業の際に才ム川=ノてもらい, 投業のまとめのなかで優れ美作.■−ご∫を紹介する。さらに,.式頗時には,次に ホすような教ぷ.の筒中なコメントを付して課題を返印する。 これはとl‡を妃張るばかりのきれいな装J‘のブソクレソトや,いったい 何¶を費やした♂)だろうかと一里、う超力作も・f揖I一.されるほどである。.姐題は 作成イ引こ返却するので,概要(ノゾユ■と・匝lを添えて)を㍑目してもらい,こ れを保存することにした。 lミ)ミ)2夏・小とク)け一会いに′)いて 1i)!)2.()!) この㍑業では,三..針γ=勾イ)1潮rlくノち・情動を適して小職現に軋ミを】「車ナてもノ)え ればと願い∴オリジナル・フ′クレ/卜をつくるl!)∼)2夏・′Jくとの.¶会い レい う川和要のル、.御題を作成してもりし、ましたっ この伸に 一川=ノかな・いl礼j⊥本∴=)()2夏・リjくとの=会し、 の囚糾ま多彩で,い ずれも興味深いものてした∴1リ土1・イラスト・絶ちど技術rl引こもすぐれ,作収ポの 意欲が伝わってくる附り−,も数多くありました。 様々な′jくとの川会し、 「呵に/jくを.訪ねて」.ル松・l■・巾=・徳=∵‡’Jチ敷・1主山.てテな・ヒ 「川を‖んねて」 行来川・御坊‖巨イ封川い抑lい描鉢谷川などク).心配近郊 の朝川1ク)ほか,,li野川・川ノノ=I卜■け猥川・旭川なビ

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「一億教帝科目「地理学」における投業改善の試み 115 「池・湖を‖んねて」 満張池をはじめとする溜池や児島湖など 「水の追を知る」 −小松甘水道資料部や各地の水.迫や卜水迫 「れノーくを,.力ねて」 岡l】tの雑則の冷泉やわが家の名水(ル戸水)など 「ふるさとを歩く」/■どものころ過んだふるさとの川・池など このほかにも,水.i::休馳,夏休みに出合った滝,混.帆i上且私 湖ろと .㈲裁ではl明き彼の一受.溝′巨ですが,水との‖会いというl雅的な溝助のなかで多 くのことを感じられたようです。 心が洗われるきれいな水や,カ酎二なるほヒiリれた水のなかに,/卜まで某日‘かなかっ た水と八IJりのかかわりを発見した人も多かったようでれ また,ふるさとのI‘】然や 人々の兆しの肯壬再現兄し,感動せぷえた人さえありました。 」言葉川、−1月Il身,「人知の多様な水の姿」を架しく加りました。深謝。なお∴1りJ の勅違いかり才支英においてイ帖】.の緋介ができませんでした。お詫びします。 地び叔叔の境域問題が人々の閃′じ、を集め,人と」昔墳との新しい関係が求められ ていますが,現境川題の解決には道遠し√というのか現夫です。 圧牲見場をイりffてるには,まず仙人仙人か強し、愛γi=(■且い入れ)を感じるよう ち・車物せ,lい■)の綿状を通して杓つことが人切です。 これかJ)も,地城を歩き,さまざまな雅兄をしたいものです−。 ′リーユ■!を蹴るために/Jく辺をパ〟ね,少しでも水の〟在と地域の関ゎリを意識 してもらえたらという里糸1は・アイデアから州発したレポートの作成は,現 /lニこのようなかたちの.深越に変化した。小手尤の.】ニー.火のように感じること もあるが,楽しんで能動的に.課題に取り組む・1i刊三が数多く存在することを みれば無ノよ味な試みとも.捏、えない。 こうした・一揮守パの.猟超へのi三体的な耽り組みは,彼ら【!1身の自然現境観 の形成にとって,またとかく理念而たけが強調されがちな環境教習にとっ ても意義あるものと考えている。それは,廿賂鎧境の保全を進めるには, まず各人が強い愛着を感じ守り続けたいと願う自然−■巨象を持つことがイ諭J 欠だからである。l′j然瑞磁と人l言ijの閻イ系をl′Ⅰら考える契機を提供する意味 からも,/卜後ともこうした課題を探求して寺】きたい。

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新 見 治 116 5.演習科目「地理学」における授業改善の試み (1)演習科目の特色とその意義 杏川大学−−一一・般教育部の報告書(1984)によれば,香川大学の教員は演習 科目の意義と実情,さらにその改善について次のように認識しているとい つ。 まず,−一L般教育における演習利目の意義に関しては,7つある選択肢の うち,「マスプロ授業と違って,教官と学生とが身近に接し,親しく授業を 進めることができる」,「学生が受動的に講義を剰ナるだけでなく ,能軌的 に授業に参加し,調査研究や対話・汁誠などによる知的探究の過程を実践 し,知識の獲得を確実にすることができる」,「学生l′†ら調査研究し,発衣 し,;、J試することが論理的思考力,言謝l勺表現能力を養うのに役立つ」とい う3つの墳Iほ高く評価する。しかし,′、習くの刺青については,全体とし て満足すべき状態ではか−と認識し,能軌「lくノ探究への動機づけ,学性の関 越意識の喚起,学生の準備不足の克服.レポ1−ト発表,対話・.砧議の指導 などに指導上の困難さを感じると回答している。 こうした現状を改善する方法としてホされた12の選択肢のなかでは,教 !.ミは「1利卜巨【与りの学年数をさらに少なぐする」(44%),「学fl:にとって関 心あるテ、−マの設定し,受講叶能にする」(36%),ト、㌢:/巨の鉦=l勺研究に基 づく対話・.トJ誠に重点をおく」(30%)を重視していた。 これに対し,や/f三は「学隼にとって関心あるテーマの設定し,′受掛り能 にする」(72%),「′、ノ:′トニの什=桐汗先に基づく対話・.け.栽に牒け.くをおく」(57%) など′、召攣署−の授業へのさi三体的な参加戊・・り能とする改善の方はが強く望まれ るとし,教j.iが首〉1仙こあげた「ト軒‖㌍ハのノア‥/‡‡数をさらに少なくする」 は19%にとどまっていた。l亜紀の胡査競−i米は,肺述の教育、揮ロの教j.i・てiモ /巨を対象とした胡査においてもみられた特徴である。 121演習のテーマと授業の実態 弟6衣は,普者が1980年以来抑、11してきた満習利Iiのテ・−マおよびサブ タイトルとその概要である。また,第7衣および第8表には,演習ヰ=jの ′夫施状況と課題の内容を示した。

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ーー般教育科目「地理学」における授業改善の試み 117 第8表 演習科目「地理学」のテーマと概要(1980∼1992年) 授業題目 開講年次 単位 備 考 人間と環境 1980−1988年 2 1983・1985年休講 地図とその利川 1982∼1983年 2 地域を見るl†戊 1989←1992年 2 継続予定 「人間と環境」のサブタイトル 1980年 なし 1981年 なし 1982年 都l肯環境 1984年 環境改変の歴史と現査1986年 災害 1987年 環境地図をつくる 1988年 都前の自然環境(環境地図) 第7表 演習科目「地理学」の実施状況(1980∼1992年) 年次 題 【ヨ ′受講チト テキスト 配布翻斗 課題 発表 試験 18子与 一 ?

0 0 0

16手; 教 ?

0 0 0

29名 ? ?

0 0 0

51名 教 ?

0 0

1980年 人間と環境 1981年 人†7与ーと環境 1982年 人間と環境 地図とその利用 1983年 地図とその利川 48手与 教 ?

0 0

21名 教 ?

0 0 0

1984年 人間と環境 1985隼(休 講) 1986年 人間と瑛境 1987年 人間と環境 1988年 人間と環境 1989年 地域を見る眼 1990年 地域を見る眼 1991年 地域を見る恨 1992年 地域を見る眼 0 0 0 0 0 0 0 ? 5 5456 教 教 教 教▼ 政 教 教 父日 々¶ 名 奈H 余日 奈H 奈H 3 7 4 7 3 4 0 2 2 2 11 2 2 3 0 0 0 0 0 0 0

〇一 l 一一一一

汗)′受講fl三:とは成絞評価対象者であり、受講手続きをしな・がら途小で履修 を.収りやめた者は除外している。

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新 見 治 第8表 演習科目「地理学」の課題の内容(1984∼用92年) 118 発表安旨とレポー・ト 発衣要∵旨とレポート 発表要旨とレポ、−ト 地図と地形模型の作成 地図と地形模型の作成 発表要旨とレポート 1980年 人間と環境 1981年 人間と環境 1982年 人間と環境一都市環境一 地図とその利用 1983年 地図とその利用 1984年 人間と環境一環境改変の歴史− 1985年(休 講) 1986年 人間と環境一災害− 1987年 人間と環境一環境地図− 1988年 人間と環境一都市の自然環境岬 1989年 地域を見る眼−モンスーンアジアー 1990年 地域を見る恨−モンス、−ンアジアーーーー 1991年 地域を・見る眼−モンスー・ンアジア∽ 1992年 地域を見るIl艮−モンスーンアジアーーー 発表要旨とレ甘−ト 環境地図の作成 環境地lヌlの作成 発表要旨とレポート 発表要旨とレポート 発表要旨とレポート 発衣要旨とレ甘−ト これまでに抑、11した溝漕げl11は,「人肌と場境」(1980∼1988年),「地図 とその利川」(1982∼1983年・),そして「地域諸兄る11艮」(1989年以降)の3 つである。まず,これらの授業囚容の変遷を明日1に把握しておきたい。 a.「人間と環境」(1980∼1988年) これは途中で2年・の休講はあるものの,1980∼1988年・の7川に漉り聞設 した投業であった。 この持業は,人間と現墳という経で津‖=:して捕われるべき,きわめて 人きなタイトルをもつ。初めの頃は,受.滞/巨か興味を杓っている■拉頃につ いて文献を利川して湘ベレジュメを作成し,これに基づいて発衣するとい う投業形態をとっていた。しかし,これでは総花的で牧子射こなりやすいの で,1982年からは特定のサブテーマを定めてテキストを利川しながら進め る授業形態に改めた。サブテーマは,都市環境,拐境改変の雁史と現イ11 災害,提境地図,都市の自然現境などであった。また,H・業のなかで約ii;

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一・般教育科目「地理学」における授業改善の試み 119 な実習や作業を行うようにした。 次に,1982年と1987年における授業の概要を掲げておく。 人間と環境(1982年)地理学S2 2叩位 後期 この授業では,人間と々・の存在の基盤をなす自然環境のかかわりあいを多面的に とらえることを試みる。本年は,特に「都市環境」をlトL、に考察を加えてみたい。 この授業への参加者は,地理学の授業ということにこだわらず,各自の専攻する学 川分野からこのテーマ8こ接近することを求められる。 投薬においては,おおむね次に掲げる項lほとり扱うが,その他必要に応じて加 えることがある。また,実習・作業などをとり入れたい。 l小 郡硝環境をとらえる 一つの視∴’.( 往きている系としての都1†j,都††川磯雄 2.現代【1本の都寸りとと都市間題 NrIK市民大学「都rrjと人IⅢ」(柴H徳衛,1982)をテキストに 3.都市環境を考える NHKブソクス「裏側からみた都rh」(川添 登,1982)をテキストに 仁.都甘空聞と瑞境政策を考える 香川県高松膏を例にして 人間と環境 ▼環境地図をつくる−(198丁年)地理サS2 21iモ.付 後期 Il本経済の急速な発展と共に,我々の眼前に秘めて深刻な社会問題として発場し た「環境川題」への関心は時の経過と北に希薄化してきているのが実情である。「公 .F;:」や「現境閻魔」を取り.Jげるまでもなく,人知は長〈て,糾いその歴史のなか で,深く「i然環境とかかわり合い,自然環i蛸を改変することで自らの/=.1を拷んで きた。 この持薬では,人間とそのイ川三基盤をなす自然現場のかかわり合いを多面「佃こ, 総介「畑こ理解することを.試みる。・受誹者は,地理学の授業ということにこだわらず, 裾てiの専攻とする祁り分野からこのテーマを撲近することを強く求められる。 本件は,環境を和解するための千枚として職域に関する情報を地図上に衣現した 「現境地囲」を素材とし,その利川のしかた−,,・見る・読む・使う−−と環境地図の作 成を中心にすすめてみたい。

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新 見 治 120 b.「地図とその利用」(1982∼1983年) この授業では,地図を見る・硫む・使うという作業を通して,地理学の 面白さと有用性を体験してもらうことを期待した。1983年における授業の 概要は次の通りであるが,地図を使った作業や地形模型の作製は概ね好評 であったようだった。ただし,当時は演習科目の受講調整もー卜分でなく, 50名近い受講生を抱えることになり,演習本来の姿に近づくのは困難であっ た。しかし,地図の作成はきわめて有意義な課題であるので,別の機会に 活かしたいと考えていた。 地図とその利用(1g83年)地理学S1 2里村 後期 わずか200円程度で人宇できる地形図はパ紬車ハイキング・オリエンテーリング といった野外スポー・ツ・レクリエ・−ションに親しむ人々にとっては不‖J火のもので ある。また,地図を手にしての旅はその粍をいっそう発しいものにしてくれる。こ のほか,各秤の野外における調査・研究や,地域計画・都l†㍍汁画といった什■拝む地 lツlなしでは考えられず,地医Ⅰはわれわれの/ト■i吾のあらゆる而で利別されている。 地形世=こ代衣される各椰の地匝=ま「l絆報の宜伸」であり,この授業では地lズlの歴 史∼附界観の変遷∼を概観したあと,地図の基本である地形匝lの利用 −「見る」・ 「.iノ亡む」・「使う」を実l弊におこなう。 参考文献として次のものを紹介しておく。(文献名略) c.「地域を見る眼−−モンスーンアジアーー」(1989∼1992年) この緩業では,人間と環境という地理学本来の課題を,特定の地域に対 象を追究したいと考えた。国際化や地球環境の問題がマスコミを中心に声 .たiに叫ばれるとき基礎研究の意義を閃いなおすこと,また講義科目同様に 地埋学の方法を強調すること,そして教育学部に新設された総合科学課程 人間文化コーースの−・一領域として地域傾城が誕生したこともあって,地域と いうキーワードにこだわってみようと考えた。さらに,文献中ノじ、の調べ学 習でも,ある程度は受講生の能動的な活動は可能なのではないかと考えた からでもあった。 次に,1992年の柁業概要を示しておく。

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一般教育科目「地理学」における授業改善の試み 121 地域を見る眼←一モンスーンアジアー(1992年)地理学S2 2甲・位 後期 人体としての地球は小さな存在であるが,地表における勲と水の分布の地域的差 異く暑熱一寒冷,乾燥一湿潤〉が多様な自然環境を尊んでいる。人間は地域の自然 環境と深くかかわり合いながら,固着の生溝株式(文化)をつくりあげてきた。地 理(地理学)を学ぶ意義の■つは,自然環境と人間の関係を的確に把捉し,望まし い地域の姿を探求することである。 この投業では,各地城における自然環境の特質と,これと密接に関係する人々の ′=.Tiを頁体伸二把握してみたい。さらに,自らの地城を見る脹を問い消したい。受 .溝く=ま,地理学の授業ということにこだわらず,自らの関心に従ってこのテーマに アプローチされたい。 本作は,丼熱・湿潤で特徴づけられる「熱帯のモンスーンアジア」をとりあげ, この地域の人々の牲清が自然環境といかに深くかかわっているかを知る。誤解・偏 兄や断片的な一l甘報が未整理のまま錯綜し,われわれがこの他城に対して持つイメー ジは概して貧困である。すなわち,渦潤熱滞アジアに対しては後進地域とか,ユキ ゾチソクな楽園はかいうように, カに偏ったイメ、・・−・・ジを持ちがちである。この授 業は,自然環境・鮨史・経済・社会・文化などに関する受講生白身のレポートを中 心に進められる。 演習科目への受講生の出席状況は特に出席の確認をしなくても概ね良好 で,しかも授業への能動的な関わりの意欲も比較的高いので,講義科目に 比べて授業改善には取り組みやすかったといえる。 次に,「人間と環境」と「地域を見る限」について,いくつかの年におけ る実践記録を中心に述べてみたい。 (3)「人間と環境」における授業改善の試み 71妬こ及ぶすべての投業内容を振り返る余裕はないので,ここでは,環 境改変の歴史と現在,災害,環境地図を中心に検討してみたい。 a.「環境改変の歴史と現在」(1984年) この年は『環境問題と他界則(入場,1979)をテキストにして,これを 分耕・紹介しながら授業を進めた。環境問題は人間の歴史と同時に存在し たこと,そして現代の環境問題も不可避な運命的なものではなく,人間が

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新 見 治 122 過去の歴史に学ぶことによって解決しうるものであることを学んだ。 この授業の終盤において,開発をめぐる仮想シンポジウムを持ち,それ ぞれの立場から意見を述べ,討議を深めたらどうだろうかと考えた。後に なって,こうした学習方法をデイベー・ト(debate)とよぶことを知った。 テーマとしては,当時注目されていた「湖沼の水資源開発と水環境保全」 を設定し,シンポジウム開催の準備作業として次のような質問を受講生に 発した。 「問 題」 あるi耶Ilの_l一流に棚Aが,また卜浦には人祁硝牒=ミがある。湖Aの措‖榔こは小小 都市群・_1二場群があり,これから排.【11される汚水の為に湖水の汚染が進寺▼j一している。 また湖水の開発・利用をとの意見も強い。・・友 下流の人都市闇Hでは,都市側漣 や二1二業用水の;プ.;要が激相し水不uが,またこのための水資源開発の必変性がさけば れている。この地域でも水の汚染が著しい。 このような状況にあって,現/卜洲Aを貯水池化して卜凍の人郁l=瑚Hの水資源を 僻†某するという言†画の実施が検.汀されている。水資源の閏究と水場境の保全という よJ立する課題に軌「liしているわけである。 それぞれ,開発推進派,開発l肌l=派の二万∴場から,この=服勘こついて意見をのべな さい。 ′受講生のそれぞれに,開発推進とl阻止の2つの立場から意見と根拠を書 いてきてもらい,これを生理し資料を作成した。 続いて,この資料を配布して,開発推進の論理と開発阻1lの論理を抽出 する作業を行った。その結果が第2図に示してある。 開発推進の論理としては,「大都市の経済発展の為には湖沼の水資源開発 は必要だ。そして水資源開発は湖沼の環境保全にも役立つ。一一・石二鳥。」が 得られた。【一一・方,開発阻.汁.の論理は,「水環境の破壊は人間に良くない影響 をもたらす。」というものであった。 次に,水資源開発と環境保全の争点を明確にするとともに,それぞれの 息見を述べる人がどのような地域や集団に属しているかを考えてみた。そ

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¶一般教帝科目「地理学」における授業改善の試み 123 ロ 開発推進の論理 「大都市の発展の為にほ湖沼の水資源開発は必要だし,湖沼の環境保全にも 役立つ。一石二鳥。」 ロ 開発阻止の論理 「湖沼の水環境の破壊は人間に良くない影響をもたらす」 第2図 開発推進と開発阻止の論理(1984年「人間と環境」)

して,_L流の水源地と下流の需要地での地域的な対立に,行政(開発),行

政(環境保全),事業所,工場,住民といった立場が加わって,それぞれの

.倫理で問題にかかわっていることが理角卒できた。推進派,阻止∴派の役割を

決め,次回のシンポジウムに向けて論理の補強につとめるよう依輸した。

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新 見 治 124 仮想シンポジウムでは,受講生はいずれかのグル・−プに属し,基調報告 と討議をおこなった。初めての試みであったので,進行役は教員がつとめ ることにした。すでに述べられた意見と大きく異なるような意見の開陳も なかったが,相互にどこが論理的に弱いかなどは明確になった。坪なる思 い付きからの試みで,方法的にも問題はあると思われるが,いつかは発展 させてみたいと考えている。 b.災害(1986年) 1986年の「災害」の授業は,次のように展開した。 ①ガイダンス ②自然災害論 ③テキスト『災害の科′判 を.;ンー亡む ④発衣会 まず,「ガイダンス」では受講生に自」紹介メモを作成してもらい,この 内容を含めた受講生リストを作成・配布した。これは,比較的少人数の演 習利牒では教員と受講生の間だけでなく,受講生棚方の交流が大事と考え たためである。「投薬でも友達をつくろう」という趣旨であった。これはそ の後も継続しており,この演習を通して友人関係が成立することもしばし ばあるようだ。 次の「自然災害論」では,準備した資料に従って自然災害について概観 した。そして,7い=こわたってテキストを輪.流するとともに,大束水害訴 .肯判決批評なる論文を紹介したり,「あなたの災害観を探る」というアンケー ト調査を実施するなどした。『災害と11本人』(広井,1986)を参考にして, rl本人の持つ独特な災害観を探る㈹単な調査票を作成し,その回答から日 本人が科学的な災害観をもっているように見えながら, その探屑には,天 謎論・天恵論,遵命諭,精神論があることを碓認した。 この時は「私からの災害報告」と題して,受講隼出身が身近に体験した り,見聞した災害や,各椰の資料に基づいて調べた具体的な事例について, 1∼2枚のレジュメを作成してもらった。そしてこれを印刷配布し,座長・ タイムキーパー・コメンテーターなどの役割を分担して,学会形式の発表 会を開催した。ただし,発表会は2コマしか確保できなかったので,発表

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一・般教育科目「地理学」における授業改善の試み 125 時間は1人わずか5分となり,教員・学生とも無念という感じであった。 ところで,この授業が始まって間もない1986年11月に三原山が噴火し, マスコミで詳細に報道された。そこで「新開記事にみる伊豆大島噴火災害」 というテーマで, 毎rjの朝日新聞においてどれだけの鼠の記事が扱われ, その内容がどう変化して行くかを調べてみた。紙上での記事の面接(cm2)を 計測し,その時間的変化をみたところ,初期は頻繁にしかも火山活動や災 宵状況に関する記事が多かったのに,次第に生活に関連する事項が多くなっ た。そして,災害復興に向けての取り組みが報道され,まとめの記事が掲 械されると,1987年1月卜旬には新聞紙上から忽然と姿を消した。しばら くしたのち,週刊誌や科学雑誌で特集が組まれ−▲一件落着となった。この過 程は,今回の雲仙火山災害でも同様である。 c.「環境地図をつくる」(1987年) 環境地図をテーマとするにあたっては,1982∼1983年に実施した「地図 とその利用」での経験と反省がいかされた。 「地図とその利用」では,地図を見る・読む・使うとし、う作業をとおし て地図の利用法とその有用性を体験してもらった。しかし,方法の修得だ けでは物足りなく,なにか具体的なテーマで成果を生み出せないものかと 考えていた。−一L方,「人間と環境」では,どうしても文献中心の調べ学習と なってしまうのでもっと受講生の能動的な清朝を増やしたいと考えていた。 そこで,環境,人間,地図,能動的な活動を結び付けるものとして,「環 境地図の作成」をとりあげた。この授業の流れは次のとおりであった。 ①環境地図とはなにか(診環ぢ芝地図を探す ③環喘地図のつくりかた (む糧境側l刈をつくる ⑤環境地図展(紹介) まず,例年どおり自」紹介を含めた受講生リストを作成・配布した。環 境地図をつくるといっても環境地ヒ削こ対する理解が受講生にない状態では, どうしようもないので,しばらくの間は環境地図について理解を探める必 要があった。

参照

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3 学位の授与に関する事項 4 教育及び研究に関する事項 5 学部学科課程に関する事項 6 学生の入学及び卒業に関する事項 7