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先端社会研究所紀要 第13号☆/2.矢崎

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Academic year: 2021

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Title

明治時代における女性と「不幸の共同体」 : 婦人雑誌の投書から検

討する

Author(s)

Yazaki, Chika, 矢﨑, 千華

Citation

関西学院大学先端社会研究所紀要 = Annual review of the institute for

advanced social research, 13: 17-34

Issue Date

2016-03-31

URL

http://hdl.handle.net/10236/14347

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1

.はじめに

本稿では、明治時代後期において人びとがどのようにして「不幸」を受け入れていたのかについ て考えていく。明治時代後期、日清・日露戦争を経たとはいえ、社会変動期において人びとの多く は貧しさと困難の中にあった。そのような中で、人びとは雑誌上で投書を通じて「不幸」を語り合 っていた。困難な状況下で互いに「不幸」を語り合うことは大きな意味をもっていたと考えられ る。なぜなら、人びとはそれぞれの「不幸」についての語り合いを通じて「自分だけが『不幸』な のではない」ことを確認し、自身の「不幸」を受け入れていたからである。本稿では、女性雑誌の 投書を分析していくが、それは当時の女性たちの声を手掛かりにして、明治後期という時代におけ る人びとの「不幸」を受け入れる実践を資料にもとづいて明らかにするためである。そして、その 実践が人びとにとってもっていた意味について考察していく。 ────────────── *関西学院大学大学院社会学研究科大学院研究員

明治時代における女性と「不幸の共同体」

−婦人雑誌の投書から検討する−

千 華

* " 要 旨 " 本稿では、明治時代後期において人びとがどのようにして「不幸」を受 け入れていたのかを考察する。これまでの研究で対象とされてきたのは、立身出世や良妻 賢母といったものにコミットできていた人びとであった。それに対して、本稿はそのよう なものにコミットできる可能性の低い人びと──とくに女性──を研究するものである。 明治時代後期の貧困や病気などの困難が常にある状況下において、どのようにして共同性 が保持されていたのか。それは、そのような状況下にありながら、「不幸」を受け入れる という実践を通して達成されていたと考えられる。そこで、本稿では、当時の人びとの実 践の残滓である婦人雑誌の投書を分析の対象とする。女性たちは、雑誌上でお互いに「不 幸」を語り合うことを通じて、自分たちの「不幸」を受け入れていた。「不幸」の語り合 いは他者と自身とをつなぎ、彼女たちを同じ現実を生きている「われわれ」として観念さ せる機能を果たしていたと考えられる。「われわれ」という意識は、同じ言語で同じよう な表現方法を習得することから生じる。女性たちも個々別々の「不幸」を同じような形式 で語っていた。このような「われわれ」という概念から生じる連帯は「不幸の共同体」と して捉えられることが示唆される。 " キーワード " 投書、ナラティヴ、不幸、共同体

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当時の男性たちにとっては「立身出世」(竹内 2005)を代表とするように、個人をアイデンティ ファイするモデルストーリーがあった。それに対して女性たちには、「良妻賢母」(小山 1991)と いうロールモデルがあった。しかしながら、「不幸」な状況下にある人びとにとっては「立身出世」 を目標としたり、「良妻賢母」にならったりすることは困難であり、ましてやそれらを実現するこ とは不可能に近かっただろう。 何かしらのモデルストーリーやロールモデルにコミットできていた人びとの周辺で、それらを利 用することもできなかった人びとがどのようにして社会あるいは他者とのつながりを維持していた のか、ということはこれまであまり論じられていない。本稿は、そのようなつながり──ある種の 連帯──からはみだしていたと思われるかもしれない人びとに関する研究である。 分析の対象とする投書のやりとりでは、「不幸の比較」が行われている。本稿では、その「不幸 の比較」という行為に着目する。先行する投書で、投書者自身の不幸が語られる。それに後続する 投書では、先行する投書より「不幸」であることが語られる。まさに不幸自慢が行われているよう に見!え!る!のである。 しかしながら、「不幸の比較」が行われていることは事実であるとはいえ、「不幸」とは原理的に は比較不可能なもののはずである。なぜなら、自身が「不幸」であると感じてそれを語れば「不 幸」であるというように考えられるからである。例えば、家族の死と経済的な困窮あるいは病など は個々別々に生じている「不幸」であって、それらを客観的に比較することのできるも!の!さ!し!はな いはずである。それでも、結果的には「不幸の比較」は可能になっているように見える。では、そ の「不幸の比較」はどのようにして可能になっているのであろうか。そして、それは何を意味して いるのだろうか。 ここからは、まず分析の対象と方法を提示(2.)したあと実際の分析に入っていく。本稿では、 投書をナラティヴとして捉える。3.では、ふたつに分類される投書を「不幸を並列化するナラテ ィヴ」と「不幸を序列化するナラティヴ」として、その特徴を確認する。また、それらのナラティ ヴの接続の終了を見る。そして、4.では「不幸」を受け入れる形式にはある特定のパターンがあ ることを指摘し、当時の制度とナラティヴとの関係について考察する。5.では、「不幸」を語るこ とを可能にした状況に触れ、最後に「不幸」に関するナラティヴの接続が果たした機能について考 察を行う(6.)。

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.分析の対象と方法

2.1 分析の対象 まず、分析の対象について説明したい。そのために、これから取り上げる投書が書かれていた時 代背景を簡単に確認しておく。前近代社会──江戸──では、ムラや藩を越えるような横断的コミ ュニケーションは厳しく禁じられていた。明治初期では、民権運動に参加することもできず、宗教 的燃え上がりもない大部分の人びとは、貧困などの問題に対して、すべての責任を自らの努力の不 足とみなす意識を深化・拡大させていた(吉原 1985)。この時点では人びとが相互につながるとい うことは見られなかった1)。その後、交通網の発達や教育制度の拡充などによりコミュニケーショ

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ンの状況が変化した。活字文化の浸透は、それまで語ることのなかった人びとが語ることを可能に し、マス・メディアを利用して人びとは他者とつながるようになった。これから分析していく資料 は、日露戦争後に書かれた投書であるが、これらはそのような状況を受けて現象と化した第二次投 書ブーム2)の頃に書かれたものである。日露戦争後、資本主義の発達に伴って都市への人口流入と 新中間階層の誕生が起こり、それらを背景にして新たな生活上の知識を提供する雑誌が数多く出版 され読者が広がっていった(日本近代文学館編 1982 : 127-30)。 これらのようなマス・メディア空間へ直接参加できるかどうかの条件として、最低限のリテラシ ーを身に着けているかが問題となるであろう。義務教育の就学率は、明治 33(1900)年には 80% を超えており、そのうち女学生は、明治 33(1900)年では 1 万、明治 38(1905)年には 3 万を突 破している(岡 1981 : 29)。明治後期から大正時代にかけての数々の女性向け雑誌の創刊は、女子 教育の普及が背景としてあったことが可能にしていたと言えるだろう。 本稿で分析する資料は、『家庭之友』と『婦人世界』の 2 つである3) 『家庭之友』は、「数多く出された家庭誌の中にあって、中心的な役割をもった模範の家庭誌」 (浜崎 2004 : 194)である。その中にある「読者消息」という投書欄を取り上げる。『家庭之友』は 上述したような知識を提供するものであったが、その読者層は主婦層だけではなく広く青年男女層 に及んでいたとされる(日本近代文学館編 1982 : 129)。発行部数は不明である。 また、『婦人世界』は、「いうまでもなく明治−大正−昭和と三大にわたって 27 年 5 か月も生き 続けた女性誌の優等生」(浜崎 2004 : 161)と言われる。この雑誌は、新たに世帯を預かることと なった主婦たちによって支持されており、創刊時(明治 39 年)の総刷部数は約 23 万 6,500 部であ るという記録がある(実業之日本社社史編纂委員会編 1997 : 33-4)。この雑誌に掲載されている 「通信」という投書欄を取り上げ、とくに「身の上話」というタイトルの連載に注目したい。 以上二つの雑誌を取り上げるが、その理由はこの 2 つの雑誌で「不幸」に関する投書のやり取り が確認できたためである。『女鑑』、『少女界』、『少女画報』、『女学世界』、『女子之友』、『女子文 芸』、『女子文壇』、『新家庭』、『なでしこ』、『婦女雑誌』、『婦人くらぶ』、『婦人之友』、『ムラサ キ』、『をんな』(『なでしこ』の改題)と調査を行ったが、同じような「不幸」についての投書のや り取りは発見されなかった。投書のやり取り自体は行われているものがあったが、それは現在で言 う「文通」を行いたいといった趣旨のものであった。 投書を分析の対象とする理由は、本稿が民衆史の発想を取り入れているためである。民衆史は、 日本では歴史学の中で第二次世界大戦後に展開されてきた領域のひとつである。色川[1977] (1991)は、それまでの歴史学が支配層の視点から取り組まれてきたことに触れながら、民衆の歴 史が「価値の低いものとして切り捨てられてきた」(色川[1977]1991 : 14)ことを批判的に回想 ────────────── 1)これまでの調査で、明治初期の女性雑誌において投書のやりとりは確認されなかった。そもそも、明治初 期には女性雑誌というジャンル自体が少数しかなかった。 2)第一次投書ブームは日清戦争後に起こり、軍備拡張のための課税の強化や地租増徴に対する不満や抗議を 主とした投書が中心であった(吉原 1985)。第二次投書ブームの状況から遡及的に考えると、第一次投書 ブームは人びとが投書という行為になじむ契機になった点は指摘しうる。 3)この二つの雑誌の当時の詳細な発行部数は不明であるが、投書には投書者の居住地について記載があり、 それは全国各地方であることから、全国的に読まれていたと思われる。

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している。そして、民衆という生活者の水準から歴史を見ることを提案する。 さらに、色川[1977](1991)はこれからの女性史には新たな視点が必要であると述べている。 それまでの女性史は革新的な活動を行ってきたエリートに注目してきた。もちろん、そのような歴 史の叙述のあり方も重要である。しかしながら、色川はエリートが稀な存在であり、日本で多数を 占めていた非エリートの女性の考えを代表していないと指摘し、近代女性史を書き直す必要性を訴 えている(色川[1977]1991)。このように女性史の書き直しを訴えているが、その書き始めにあ たっては大正時代が起点に置かれている(色川[1977]1991)。本稿は、色川が提案した生活者の 水準に視点を置くという発想と同様の立場を取る。しかしながら、本稿と色川との違いは、色川が 描こうとした大正時代より以前の時代──明治後期──の資料を読み解きながら分析・考察を行う 点である。 日本における近代化をめぐる論考において、明治時代の女性向け雑誌を分析する場合、雑誌の創 刊および読者の拡大が活発であった大正初期が注目されてきた4)。大正初期は、上述した新中間階 層が大きな広がりを見せ、さらにはその層の生活問題が個々の家族が対応すべきものから政治的な 課題へと移行していったという背景がある(小山 1999)。その劇的な変化が起こる直前の明治後期 を射程として据えることで、それらの問題がどのようなかたちで浮上してきたのかを論じることが 可能になる。 2.2 分析の視点と方法 そこで、まず本稿の視点を説明する。「不幸」を研究した代表例として見田(1965)の「不幸の 諸類型」を挙げることができる。そこでは、新聞に投稿された身の上相談の内容から当時の社会の 不幸の根源を探る試みがなされていた。それに対して、本稿は「不幸」がどのようにして語られ他 者の「不幸」とつながっていくのかを分析し、その「不幸」を介したつながりについて考察する点 で独自の視点をもつ。 その「不幸」を介したつながりを可能としたものとして「接続」という概念から分析・考察して いく。「接続」とは、一次的には、先行する投書に応答がなされることで、先行する投書と後続す る投書とがつながっていくことを指す。 さらに本稿においては、投書に現れる語りをナラティヴとして扱う。なぜなら、ナラティヴと は、「出来事や経験の具体性や個別性を重要な契機にしてそれらを順序立てることで成り立つ言明 の一形式」(野口 2005 : 6)であり、本稿で分析する投書の形式と合致するからである。投書をナ ラティヴとして扱うことにより、ナラティヴ自体がある特定の現実──「不幸」──を作り出しな がらそれを受け入れることにつながることが理解可能になる。 本稿の分析の方法は、構造的ナラティヴ分析である。ナラティヴ分析には、ナラティヴの何に焦 点を置くかによっていくつかのスタイルがある5)。構造的ナラティヴ分析は、ナラティヴの内容に ────────────── 4)大正 6 年の創刊から長らく発行のある『主婦之友』への注目があげられる。植田(1986)および寺出 (1994)参照。 5)Riessman(2008=2014)は、ナラティヴ分析の代表的なものとして「テーマ分析」「構造分析」「対話/パ フォーマンス分析」「ヴィジュアル分析」を挙げている。

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関心を向けながらも、「ナラティヴの形式に着目することで、言葉の指し示す意味だけから学べる 以上の洞察を加えることができる」(Riessman 2008=2014 : 149)。 ナラティヴを形式として捉えるならば、それには何かしらの構造が存在することを意味する。本 稿における分析として構造的ナラティヴ分析がもっとも適していると考えられるのは、構造の骨組 みとなるナラティヴの中の言葉と言葉遣いが、それそのものの意味だけではないものを示している からである。なぜなら、ナラティヴとは「人びとの思考や行為のみならず自己の構築においても重 要な働きを行っている」(Mattingly 1998 : xi)と考えることができるからである。つまり、私たち はナラティヴを介して社会とのつながりを持っているのであり6)、ナラティヴは、文字が表面的に 示す意味を指す以上の働きを担っているということである。 次に、分析の方法について詳細になるが先に説明しておきたい。分析においては、投書の中で使 用される接続詞と程度を表す副詞の役割に注目する。接続詞に注目する理由は、接続詞がナラティ ヴの編成において大きな意味をもつからである。自身のナラティヴを他者のナラティヴと接続する 語り方の特徴が接続詞の使用される場所から明らかになる。また、程度を表す副詞に着目する理由 は、ある特定の副詞が文中の出来事を強調する働きを担っているからである7) とくに、「ばかり」や「少しも」といった通常の副詞と、「実に実に」といった畳語副詞のふたつ の副詞の使用に注目して分析していく。同一の単語の繰り返しからなる複合語のことを畳語と言 い、その畳語の中でも副詞の働きをするものを畳語副詞と呼ぶ8)。このように副詞と畳語副詞を見 ることによって、ナラティヴの中で力点が置かれている箇所を中心的に分析する。なぜなら、出来 事を修飾する副詞が巧みに使用されることで、その出来事はたんなる出来事ではなく、それ以上の 強烈な意味をもつものとして立ち上がってくると考えられるからである。

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.分析

以下ではまず、投書のやりとりは、それぞれの「不幸」を起点として接続されながら可能になっ ていることを確認する。先行する投書における出来事の意味づけは、後続する投書の接続のあり方 によって当初の意味から変化していくこと、出来事の意味づけの変容は、その「不幸」を受け入れ ることと密接に関係していること、また、ナラティヴの接続は延々と続くわけではなく終わりがあ ること、接続を可能にするナラティヴの編成にも終了させる編成にも形式的な特徴があることなど も確認する。 これから分析するナラティヴは、その編成上の特徴から「『不幸』を並列化するナラティヴ」と 「『不幸』を序列化するナラティヴ」に分けることができるが、この 2 つのナラティヴは結果的に果 ────────────── 6)ナラティヴは、相互行為により形成される側面を持つこともこのことを示している。井上(2000)は、ナ ラティヴ(物語)の構成や理解が他者との相互作用によって可能になることを論じている。 7)「完全に」「本当に」「みんな」「いつでも」といった副詞を含む言葉が使用される言語編成については ECF (Extreme Case Formulation)(Pomerantz 1986)として知られている。ECF には、以下の三つの機能がある。 (1)非同情的な聴取を予期してもっとも強力な事例を提示する、(2)当該現象の原因を提案する、(3)当

該行為の正当性(不当性)を訴える、の三つである(Pomerantz 1986 : 227)。 8)䋩(2001)を参照。

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たす機能については同様であることが指摘できる。この機能については後述する。 3.1 「不幸」を並列化するナラティヴ まず『家庭之友』でのナラティヴの接続を分析する。とくに、ここでは先行する投書に対する同 情的態度の提示が強調されているナラティヴ──「不幸」を序列化するナラティヴ──を見てい く。紙幅の関係で最初の投稿の全体を載せることができないので9)、概略を説明する。この一連の ナラティヴの接続がはじまる最初の投書は「傷める家庭」というタイトルである。この「傷める家 庭」の最初の投稿では、ある男性が肺結核にかかり転地療養し具合がよくなってきた頃に今度は妻 が同じ病にかかってしまい、子どもたちを老母や乳母に預けざるを得なくなった状況が細かく記述 されている。そして、その後はこの家庭の状況がほぼ毎号近況報告のようなかたちで掲載されてい る。 この投書に対する応答は、3 件掲載されている。以下は、そのうちのひとつである。ここでは、 「傷める家庭」の投書者に対する同情の言葉が長く記されている。 ①読者消息に御掲載になりました傷める家庭、涙と共に拝見致しました。御心中実に"!御察し 申します。私共でも数年前愛児を失ひまして、まだ其涙さへ乾かぬ同じ年の暮に、良人は突如 喀血致しました。其時の驚きと悲しみは今思い出してもつらう御座います。一月ばかり自宅に て静養の上、海浜に天地して半年ほど療養致しました。(中略)何よりも"!御養生が大切と 存じます。凡てを神様にお任せになつて、お心のどかに御養生遊ばしたなら、必ず早くお治り になる事と存じます。何卒"!御大事に遊ばして下さいませ。(中略)御二方様の御全快を遥 に祈て居ります。(大磯より)10, 11) 〔『家庭之友』明治 41 年 10 月 3 日 5(7)〕 上記の投書では、「実に"!」「何よりも"!」「何卒"!」といった畳語副詞が目立つ。これら を用いることで、同情的態度を強調して提示している。これらの畳語副詞が使用されているところ は、先行する投書の投書者に対する同情が語られている部分である。愛児の死と夫の喀血という自 身の置かれた「不幸」が語られてはいるが、その部分には畳語副詞は用いられていない。この投書 ①で畳語副詞が用いられているところは、投書者への同情が記されている部分に限られている。つ まり、この投書①での強調点は同情的態度を示すことであるように見!え!る!。 その一方で、2 行目「まだ其涙さへ乾かぬ」の「まだ」と「さえ」という副詞によって、子ども の死がいかに受け入れがたいものであったのかが表現されている。さらに、同じ 2 行目の「突如」 という副詞によって、子どもの死に加えて見舞われた夫の病(先行する投書者と同じ病)という状 況も強く印象づけている。 つまり、この投書①では自身の「不幸」を語りながら同情的態度を示すことが行われているので ────────────── 9)1500 字ほどにも及ぶ長い投書である。 10)これ以降、下線のひかれている部分は分析の際に注目した言葉であり、筆者によるものである。 11)旧字体は新字体に改めている。■は、読み取り不可能な文字を表す。

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ある。むしろ、自身の「不幸」について語ることが、先行する投書に対して同情を示すことの正当 性を保証している。つまり、自身の「不幸」について語ることは、他者の不幸に対して同情すると いう行為を行うことができる資格があるということを示しているのである。 この投書①の場合、同情的態度を示すだけではなく、「家族の死」「病」という「不幸」を接続点 にしてナラティヴが展開されている。たんに同情的態度を提示するのではなく、「家族の死」「病」 という出来事を重ねることを通じて、ナラティヴの「接続」が可能になっているのである。 加えて注目すべきは、2 行目の「私共でも」の「でも」である。「も」という助詞は、先行する 投書とこの投書①がある特定の現実(「不幸」)を共有するもの同士であると認識していることを示 している。このことから、他者と自身がつながりをもつものとして想像されていることが確認でき る。 つまり、「不幸」を並列化するナラティヴとは、自身の「不幸」を語りながら、他者の「不幸」 に同情する正当性があることを示す機能をもつナラティヴであると言える。 そして、この投書①という応答によって、先行する投書で語られている「不幸」が同情されるに 値する状況として肯定されているのである。「同情」というつながり方は、「不幸」を受け入れるた めのひとつの実践の形式であることを指摘できる。 3.2.「不幸」の比較 3.2.1 「不幸」を序列化するナラティヴ 次に取り上げるナラティヴは、「不幸」の比較が行われているように見えるナラティヴ──「不 幸」を序列化するナラティヴ──である。 ②記者様、今年こそは久し振りに兄も帰って来て(兄はまだ私等が皆郷里に居る時分福知山の二 十聯隊へ下士候補生を志願して、漸く昨年十二月に満期となって帰つたのです)楽しいお祝を 致さうと思つて居ましたのに、可愛い妹は楽しんで待つて居た兄の戦話しも聞かないで、とう とう彼の世の人となつてしまひました。生ある者は必ず死ありと申す事ございますが、私は実 に僅かの間に姉妹三人を亡くしたのであります。世に不幸な人少なくないでせうが、頼みに思 つて居た姉と妹を、昨日と今日という間に失つた私の身の上も不憫ではありますまいか。(大 阪 菅野隆子) 〔『婦人世界』明治 41 年 3 月 1 日 3(3)〕 この投書②では、軍隊に行っていた兄を待っていた妹が亡くなったこと、そして妹が亡くなる前 後に姉も亡くしていることが記述されている。自身の身の上を「不憫」と表現し、「実に」という 副詞を用いることでその「不幸」の絶望感が強調されている。「今年こそ」という表現も他者(読 者)へいかに妹がその日を待ちわびていたのかを強く印象づけ、出来事(妹の死)の不条理さを訴 える機能を果たしている。 また、4 行目の「居ましたのに」の「のに」という逆説の接続詞は、それまでの「不幸」ではな い日常が突如破られたことを印象づける。この接続詞は、そのような「幸せ」な日常から「不幸」

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な現実へという物語的展開の起点として機能している。 この投書②に対する応答が、次号に掲載されている。そこでは、投書②に同情を示す言葉を述べ ながら、自身の身の上の方がより「不幸」であることが訴えられている。父が亡くなり、兄もなく なったという内容である。そして、投書②の投書者に対して、兄が生きているのなら幸せではない かと問いかけるのである。 ③大阪の菅野隆子様の御身の上に御同情申上げます。ああ思ひ出しても涙の種。私は今より七年 の昔、私の父はたつた一日の病で不帰の客となつてしまひ、ついで一人と頼む兄もこの世を去 つたのでございます。兄は生存して居れば、今年二十歳になるのですが、今は父もなく兄もな く、ただ母と妹と三人して、日日にわびしき日を送って居ます。あなたはそれでもお兄様がい らつしゃるからお仕合せですが、私は兄がほしくてなりません。(大阪 山内はる子) 〔『婦人世界』明治 41 年 4 月 1 日 3(4)〕 この投書③の登場によって、投書②は「程度の低い不幸」となってしまっている。なぜなら、姉 妹の死と兄の死が比較され、兄の死の方が受け入れがたい「不幸」であるとされているからであ る。そして、自身の生活は「ただ」「わびしい」ものであり、投書②の状況は兄が生きているとい う点から考えれば「不幸」どころか「仕合せ」(幸せ)なのである。 先行する「不幸」な身の上に関する語りに描かれる「不幸」は、それが掲載された時点では必ず しも比較の対象になるようなものではない。その先行する「不幸」に関するナラティヴは後続する 「不幸」に関するナラティヴの登場によって、はじめて比較されることになるのである。 また、同じ号に、投書②に対するもうひとつの応答がある。この応答でも、投書③と同様に父と 兄の死が語られており、投書②において兄が生きていることが強調されている。 ④菅野隆子様の御身の上のお話を承はりまして、私は涙がこぼれました。けれども、菅野様、決 してそんなに御落胆なさいますな。あなたはお兄様がありますから結構です。私どもは、父に 別れ、兄に別れ、今はただ老母と、他に嫁げる一人の姉を心細くも便りにして居るのでござい ます。(伊■ 大西きくゑ子) 〔『婦人世界』明治 41 年 4 月 1 日 3(4)〕 この投書④は、投書③とほとんど同じ語りの構造を持っている。投書④でも、同情的態度を示し つつ、自身のより「不幸」な身の上を語ることが行われている。とくに、この投書の中でより強調 されているのは「けれども」以降の語りであり、それは自身の「不幸」についてである。 また、この投書③と投書④というふたつの投書には共通する大きな特徴がある。それは、先行す る投書(②)における姉妹の死という「不幸」な出来事を「兄の生」という内容に再構成するとい うものである。この再構成という言語的実践が示しているのは、「不幸」に関するナラティヴはあ る特定の視点から語り直すことが可能であるということである。つまり、「不幸」とは、語り方に よる意味づけの可変性をもつと言える。

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姉妹の死と兄の死を比較することは原理的には不可能である。当人にとって「不幸」であると意 味づけられ語られる限りにおいて、それは「不幸」であるはずである。しかしながら、姉妹の死と 兄の死が比較可能であり、兄の死の方がより「不幸」であるかのように見!え!る!のである12) 「不幸」を並列化するナラティヴは、自身の「不幸」を語ってはいるが、それを先行する投書と 比較することに比重が置かれておらず、同情的態度を示すことが強調されている。それに対して、 「不幸」を序列化するナラティヴは、自身の「不幸」を先行する投書における「不幸」より「不幸」 であることを強調することに比重が置かれている。このナラティヴは、「不幸」を並列化するナラ ティヴと違って、先行する投書のナラティヴで語られている「不幸」を比較することを通じて同情 が可能になっている。 3.2.2 同情の受容 ここでは、「不幸」を序列化するナラティヴに対する応答がどのように受け取られていたのかを 確認する。投書③と投書④に対する投書者の反応について見ていく。 次の投書⑤は、投書②の投書者の妹と名乗る女性からの投書であり、投書②の投書者(姉)が亡 くなったという内容である。 ⑤去る三月の通信欄の身の上話に記者様はじめ皆様の御同情にあづかり、お慰めのお言葉をいた だきました■の隆子は、皆様のおやさしきお心を非常に感謝してをりましたが、二三ヶ月前か らブラブラ病13)になりました。私は一生懸命に看護の手をつくしましたが、その効なく、九月 の末にとうとう亡き姉妹のあとを追つて、帰らぬ旅の人となりました。ああ、天はなぜかう私 にばかり無情なのでせう。わづか八ヶ月の間に姉と妹とを失つてしまつたのですもの。私は、 世のはかなさをシミジミと感じて、さびしく悲しく暮らしております。(隆子の妹) 〔『婦人世界』明治 41 年 11 月 1 日 3(13)〕 この投書⑤からは、「皆様のおやさしきお心を非常に感謝してをりました」というふうに、投書 者が投書③④を自身の「不幸」を批判するものとしてではなく、はげましの言葉として受け取って いたことが読み取れる。 「不幸」を序列化するナラティヴが「はげまし」として受容されていたことは、「不幸」を並列化 するナラティヴも序列化するナラティヴも「不幸の受容」を促すという同じ機能を果たしているこ とを示している。「不幸」を序列化するナラティヴは「あなたより『不幸』である」という内容で あるが、そこには現状を耐えている様子が描かれている。つまり、これは「不幸」を受け入れると いう実践を見せる行為である。 それに加えて、「不幸」を受け入れるためには、その状況に対する他者からの承認が必要となる。 ────────────── 12)当時の家制度を考えれば、男性(父や兄)の死は大きな問題であろう。この点については、5.で詳しく 論じる。 13)ブラブラ病とは、慢性病(長患い)のことを指す。肺結核を指すこともあったが、ノイローゼや恋わずら いもこの中に含まれていた(山崎 2000 : 2118)。

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その他者の承認が「接続」に現れる同情の言葉である。「不幸」を並列化するナラティヴは、その 内容全体において同情が示されており、承認そのものとして捉えられる。「不幸」を序列化するナ ラティヴは、内容的には先行する投書(「不幸」)への批判であるが、それもまた、はげましという 同情の言葉であった。これら 2 つのナラティヴは、先行するナラティヴへの同情であり、それを契 機として「接続」が可能になっているということである。 つまり、「接続」は何かしらのかたちで「同情」を述べることで可能になっており、それによっ て「承認」の獲得が保証されているのである。「接続」がなされることにより、先行するナラティ ヴが「不幸」として遡及的に承認される結果となるのである。そのように承認されることによっ て、「不幸」は受け入れられていると考えられる。 3.3 ナラティヴの接続の終了 次にナラティヴの接続の終了を見たい。 投書⑤が掲載された次の号に、その投書に対する応答が掲載されている。ここでも、先行する投 書⑤に対する同情を示しながら、自身の方がより「不幸」であることが訴えられている。先行する 投書⑤に対して「不幸」は「前世の因縁」としてあきらめることをすすめながらも、自身の「不 幸」については多くの嘆きの言葉で語っている。それでも、この投書⑥の「前世の因縁」という言 葉は「あなたより悲惨であるが私は受け入れている」ということを示しており、「だから、あなた も受け入れられる」という「はげまし」であると考えられる。 ⑥隆子様のお妹■様。承はればお気の毒様なことですが、何事も前世の因縁とおあきらめあそば せ。私も只今は実の父母がなくなりまして、継母の手に育てられてをります。実母は私が三歳 の時になくなり、父は十二歳の時に中風にかかり、十五歳の時になくなりました。私は十二歳 の時に小学校を卒業いたしましたが、それからは、毎日毎日継母に叱られて家の内で働くばか り、また裁縫のことさへ少しも知りません。父が死亡しまして後は、少し言ひまちがひをいた しましても、顔を掻かれたり背をたたかれたりしまして、今日までそれはそれは悲しい辛い月 日を送つてまゐりました。本などを読みますのも皆母には内所でございます。実につらいこと ばかりで、生きた心地はございません。私ほど無学なものは世の中にございますまい。実に情 けなくて、この世がいやになりました。(神戸 豊子) 〔『婦人世界』明治 41 年 12 月?日 3(14)14) この投書⑥では、程度を表す副詞が多用されていることが確認できる。「毎日毎日」「ばかり」 「さへ」「皆」という副詞を用いることで、この投書⑥に対する非同情的態度がとられにくくなり、 また「これ以上ない不幸」として提示されているように見える。 実際に、この投書⑥によって投書⑤の投書者は自身の「不幸」を受け入れるという結果になって いる(投書⑦)。そのように「不幸」が受け入れられた理由は、この投書⑥の投書者の暮らし(投 ────────────── 14)発行日判読不能のため「?」の表記としている。

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書の内容)だけにあるのではない。その暮らしを巧みに語っている、その語り方自体が問題なので ある。 確かに内容は悲惨なものである。しかしながら、その事実を事実のままに列挙するのではなく、 程度を表す副詞を多用しながら表現しているという、その方法こそが他者に「不幸」の受容を促す ことを可能にしていると考えられる。 上記の投書⑥に対して、投書⑤の投書者(妹)から応答がなされている。この投書⑦でもって、 一連のナラティヴの接続は終了する。 ⑦神戸の豊子様のお身の上を承はりまして、実に実にお気の毒に存じます。しかし、あなた様の 仰せの通り何事も前世の因縁でせう。また幸福の来ることもありませうから、御辛抱あそばし て下さい。私は数人の姉妹を失ひましたけれども、まだ実の父母もをります。兄も弟もをりま す。あなたなどに比べればどれほど幸福だか知れません。深く御同情申上げます。(大阪 亡 隆子の妹) 〔『婦人世界』明治 42 年 2 月 1 日 4(2)〕 ここでは「不幸」の原因は、投書⑥で言われているように「前世の因縁」にあることに同意がな されている。「運命」(第 3 巻第 7 号)、「前世の因縁」(第 3 巻第 14 号)、「世の中の運」(第 4 巻第 4号)、「天命」(第 4 巻第 7 号)と言った言葉は、ナラティヴの接続を終了させる。「不幸」の原因 が自身では動かしがたいものとして語られることで接続はなされなくなる。というのも、これらの 言葉が「不幸」の原因として置かれることで、出来事の意味づけの転換が困難になるからである。 このような運命論的思考は、自身の置かれている状況──「不幸」であること──を受け入れる ということを意味している15)。つまり、意味の転換の終わりを表す印としてこれらの言葉は機能し ているのである。 しかしながら、この投書によりナラティヴの接続が終了したのは、たんに「前世の因縁」という フレーズが用いられたからだけではない。ここでは、先に見た意味づけの転換が起こっていること に留意しなくてはならない。姉妹の死を経験しつつも、父母や兄、弟が生きていることが語られ、 その視点から自身の身の上を組み直すと、「幸福」として捉えることができるというように出来事 の意味が再構成されているからである。 「不幸」に関するナラティヴの接続は、動かしがたざるものを「原因」と置く──外在化する ──か、意味づけの転換──「不幸」から「幸福」へ──が可能になったとき終了する。というの も、どちらの場合も、そこで語られている「不幸」を他のかたちのナラティヴとして再構築する必 然性が低くなるからであり、そこで語られているナラティヴを肯定する実践であるからである。い ったん肯定されてしまえば、他にもありえるはずのナラティヴの生成は起きにくくなるのであ る16) ────────────── 15)竹熊ら(2005)は、困難な状況に対峙した際、「のさり」という言葉(方言)が運命を受け入れるための 役割を果たしていることを論じている。 16)この点に関しては、ナラティヴ・セラピーにおいてドミナント・ストーリーを変容させることが困難で ↗

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4

.「不幸」を受け入れるということ

4.1 「接続」への参加の形式 次の投書⑧は、他者の「不幸」に関するナラティヴを読むことを通じて自身の「不幸」を受け入 れていることがわかりやすいかたちで表明されている事例のひとつである。この投書⑧は、先の投 書③と投書④への応答である。 ⑧大阪の山内はる子様、伊予の大西きくゑ子様、あなた方が菅野隆子様を御慰め遊ばした御言葉 を拝見致しまして、私は思はず暗涙に咽びました。私もつひ先月半ばに愛知専門医学校に在学 中の兄を失ひました。最早卒業間近と毎日楽んで居た甲斐もなく終に帰らぬ旅につかれたので す。私はただ明け暮れ世の中のはかなさを嘆いてをりましたが、今お姉様の御身の上を承はつ て、私は快く諦めをつけました。(遠江国 溝口順子) 〔『婦人世界』明治 41 年 5 月 1 日 3(5)〕 この投書⑧でも、投書③と投書④を「はげまし」として捉えていることが示されている。そし て、そのような他者への「はげまし」を自身への「はげまし」として考えることを通じて、自身の 「不幸」を受け入れるということが可能になっている。そして、それはこの接続に参加する人びと がひとつながりの社会にいることを実感としてもっている可能性を示している。 他者のナラティヴと自身のナラティヴをひとつのつながりとして理解する──観念する──こと が可能になるとき、自身の「不幸」がたんなる状況ではなく特別な意味をもつ現実として構築され る。他者のナラティヴを自身には関係のない出来事として捉えるのではなく、自身の状況と引き比 べながらひとつのナラティヴとして語ることが可能になるとき、ナラティヴを介して自身と他者が つながっていくのである。他者(の状況)と自身(の状況)がひとつのつながりをもつ現実として 理解されるとき、そこにはナラティヴを介した「接続」が存在している。その「接続」は、たんな る文章上の意味合いでのつながりではなく、想像的な──観念的な──つながりをも意味してい る。 また、自身の「不幸」をたんに受け入れるだけではなく、受け入れたと表明することにも大きな 意味がある。この表明があることによって、先行するナラティヴもまた「不幸」として意味が遡及 的に確定されるからである。 つまり、ナラティヴの接続は先行するナラティヴと後続するナラティヴとのたんなるつながりで はなく、それぞれのナラティヴの意味を確定させるために必要なものであり、他者と自身との想像 上のつながりを生じさせる機能をもつものとして捉えられるのである。 「不幸」を並列化するナラティヴと「不幸」を序列化するナラティヴは、その内容において強調 する点が異なっていることで区別した。しかしながら、ナラティヴの中で何を強調しているかは実! は!問題ではない。もっとも重要であるのは、ナラティヴの形式である。なぜなら、「不幸」を並列 ────────────── ↘ あることを想像すると理解しうる。ドミナント・ストーリーを破壊し、新たなナラティヴを生成すること の困難と重要性については、浅野(2001)および Epston(1998=2005)を参照されたい。

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化するナラティヴも「不幸」を序列化するナラティヴも、接続という側面から考えれば、共通の形 式をもっていることが指摘できるからである。それは、どのナラティヴにも必ず同情の言葉が記述 されている点である。「涙と共に拝見致しました」(①)、「御同情申上げます」(③)、「涙がこぼれ ました」(④)、「お気の毒」(⑥⑦)「暗涙にむせびました」(⑧)、これらはみな同情を示す言葉で ある。このように同情の言葉が述べられているのは、それが「接続」に参加する形式であるからで ある。 先述の「不幸」を序列化するナラティヴの分析では、先行する投書に対して自身の「不幸」を語 っている部分を中心に検討したが、このナラティヴにも同情の言葉が必ず語られている。「不幸」 の比較は、この「接続」への参加の形式──同情を示す──に従うことで可能になっていると考え られる。 同情を示すことが「接続」への参加の形式であることは本稿で取り上げていない他の投書からも 指摘できる。「思はず涙に咽びました」(第 3 巻第 8 号)、「御同情致します」(第 3 巻第 8 号)、「お 気の毒に存じます」(第 3 巻第 9 号)。これらは、自身の「不幸」と先行する投書における「不幸」 とを必ずしも並列化も序列化も行っていないナラティヴの一部である17)。このようにして同情を示 すという「約束」──ある種の「儀礼」──を守ることを通じて「接続」が行われている。 この序列化も並列化も行わないナラティヴは、その端的な同情の言葉の後に「私も『不幸』を抱 えている」という言葉が省略されていると考えることができる。これまでの分析で見てきたよう に、他者の「不幸」に対して同情する資格があるかどうか、あるいは、その正当性があるかどうか は、自身の「不幸」を語ることで可能になっていた。つまり、同情の言葉を述べることが可能であ るということは、言葉として語られてはいない自身の「不幸」が存在していることを示しているの である。 この自身の「不幸」に関するナラティヴの「省略」が可能であるのは、そこに「信頼」があるこ とが想定される。それは、自身の「不幸」を語りはしないが、「お互いに『不幸』であることを知 っている」ことが読み取れるからであり、それこそが文章上だけの「接続」ではなく、まさに他者 ──社会──との「接続」を可能にしているのである。 そして、このように共同で反復して同じ行為を行うということを通じて、人びとの間につながり が生じていたのではないだろうか。このような参加の形式がとられることによって、人びとは自分 たちを同じ現実を生きている「われわれ」として観念することが可能になっていたと考えられる。 4.2 制度に関する語りの不在 「不幸」を受け入れるという実践に加えて検討しなければならない問題がある。それは、制度に 関する語りの不在である。 投書③と投書④では、兄と父の死が語られていた。当時の家制度を念頭におくと、家族における 「男性の死」は非常に重要な意味をもつものであったと考えられる。とくに、戸主あるいは戸主を 後継するはずのものが亡くなるということは、家の存続に関する大きな問題を家族に突きつける。 ────────────── 17)「不幸」に関する投書で、同情の言葉が掲載されていないものはほとんどない。ほぼ全ての投書に同情の 意を示す応答がなされている。

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しかし、投書③も投書④も家族における「男性の死」がもたらす困難を制度上の問題と結びつける ことなく語っている。そこでは家族における「男性の死」は、戸主や戸主の後継者の死としてでは なく、あくまでも「家族の死」であり個人的に対応すべき事柄として捉えられているように思われ る。 つまり、「男性の死」とは制度的な問題としてというよりは感情的紐帯が裂かれたという心情的 な問題としての意味合いが強いように考えられる。明治 20∼30 年代にかけてそれまでの「家族」 とは異なるものとして「家庭(ホーム)」の概念が登場し、この言葉には家族間の感情的紐帯とい う意味合いが含まれている(牟田 1996)。つまり、家族の死を心情的側面から理解するということ は、この「家庭(ホーム)」の実践であると考えられる。 そのように考えられる一方で、「男性の死」が心情的問題として現れているというふうに単純に 考えることはできないようでもある。なぜなら、それらの投書に接続する投書⑦では、父と弟が生 きていることに焦点化することで「不幸」を受け入れることが可能になっていたからである。投書 ⑦における「あなたに比べればどれほど幸福だかしれません」という表現は、単純に家族との感情 的紐帯が失われていないことを示しているのではない可能性がある。父と弟が生きているという事 実は、家の存続を意味し、そうであるからこそ自身の「不幸」を「幸福」へと転換させることが可 能になっているとも考えられるからである。 たんに、家族の死を心情的問題として捉えるのであれば姉妹を亡くしたという事実にも共感でき るはずであるし、またそのようにして語り、接続することも可能であったはずである。しかしなが ら、そのようには語られず「不幸」が「幸福」へと転換していることを考えると、家制度の問題が 語りの背後で影響していることも可能性として考慮しなくてはならないだろう18)

5

.「不幸」に関する語りを可能にしたもの

これまで見てきた投書のやり取りを可能にしたものとして「出版資本主義」と「出版語」の成立 を挙げることができる。アンダーソンは、「出版資本主義こそ、ますます多くの人々が、まったく 新しいやり方で、みずからについて考え、かつ自己と他者とを関係づけることを可能にした」 (Anderson 1991=1997 : 63-4)と述べている。マス・メディア上で他者とつながるということは、 現代ではそう珍しいことではない。しかしながら、明治時代後期において、血縁・地縁以外の人び ととつながることは非常に近代的で貴重な体験だったと思われる。この近代的な環境を利用してナ ラティヴの接続は可能になっていたのである。 そもそも、個人的問題を投書する理由は、その個人的問題である「不幸」について整理して語 り、受け入れるためであったと考えられる。そして、その行為の影響の及ぶ範囲は語り手だけでな く読者をも含んでいた。読者はそれらの一連の投書を読むことを通じて、さまざまな「不幸」の存 在を知り、それを共有していたと思われる。 また、そのように「不幸」を共有可能にするのは「出版語」であり、明治時代後期においてそれ ────────────── 18)制度のありようと個人のナラティヴとの関係性についての詳細な考察は、今後の課題として別稿で論じた い。

(16)

は「言文一致」である。「言文一致」は、その登場まで自身を語ることが困難であった女性たちに も自己を語る道を作った19)。このような「出版語」の成立は、「不幸」を語る形式とそれへの応答 の形式を定式化した。同じ言語あるいは同じ言語で同じような表現を用いることが可能になったこ とで、それまでつながることのなかった人びとと人びとが「接続」したのである。 投書のやりとりというナラティヴの「接続」は、このような了解に見られるように、ばらばらに 見える個人をある種の連帯に統合する働きを担っていたと考えられる。なぜなら、たんに文章上の つながりに見えていたものがそれ以上の機能を果たしていたこと、つまり、他者──社会──との つながりを意味していたからである。

6

.結語

以上、これまでに見てきたように、人びとは「不幸」に関するナラティヴを接続させることを通 じてそれを受け入れていた。この「接続」とは文章上のつながりだけではなく、社会とのつながり をも含む二重の「接続」という機能を担っていた。「不幸」の受容は、「接続」への参加の形式であ る「同情」の言葉の記述あるいは自身の「不幸」に関する語りの省略という(他者からの)承認と いう「接続」の二重の機能によって可能になっていた。 並列化や序列化というかたちで「不幸」を接続させながら語ることを通じて、人びとは「自分だ けが『不幸』なのではない」ことを実感し、その「不幸」を受け入れながら生きていくすべを模索 することが可能になっていたのではないだろうか。 明治時代以降、大きな戦争へと傾いていく中で、「(近代)国家」という血気盛んで積極的な連帯 にコミットできなかった人びとは女性に限らず少なくなかったはずである。「立身出世」「良妻賢 母」「富国強兵20)」、「不幸」な状況下にある人びとにとってこのような思想は遠くの出来事のよう に感じられていたのではないか。これまで見てきた「接続」によるつながりは、積極的な連帯への 参与が困難であった人びとによる消極的な連帯であったかもしれない。しかしながら、そのように 消極的に見える連帯があったということ、そして、その消極的連帯が結果的に果たした機能が重要 である。 ナラティヴの「接続」は、積極的連帯やモデルストーリー、理想的なロールモデルにコミットで きなかった人びとを観念上つなぐ役割を担っていたと考えられる。ばらばらの個人をひとつの「想 像のつながり」として観念させることがナラティヴの「接続」の機能であり、接続することを通じ てひとつの連帯が生まれていたと考えられる。 「不幸」を受け入れながら人びとがつながっていく。そのようなつながりは「不幸の共同体」を ────────────── 19)この点に関しては詳しく考察する必要があるが、ここでは前田[1973](2001)を手がかりにして簡単に 触れておく。前田は、近世小説のジャンル(人情本)の対象が婦人読者であることを指摘している。そし て、人情本(為永春水の作品)は円朝の口演速記に近いものであった。この円朝の口演は、二葉亭四迷が 言文一致体の参考としたものである。これらの状況から、女性はのちに言文一致体と呼ばれる文体に親し みやすかったことが考えられる。 20)この思想を支えた背後に「不幸の共同体」が機能していた可能性があることが考えられる。なぜなら、 「不幸の共同体」は当時の貧しさを肯定する意味が含まれている可能性があるからである。

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示唆している。この「不幸の共同体」は、何かに連帯を求めていたがそれを実現できなかった人び とにとってのひとつの「救済」のあり方だったのではないだろうか。 ナラティヴが接続されるということは他者から承認されたという証である。それは、「不幸」な 生のあり方を肯定するものである。たとえ理想とは離れていようとも、そのようにして生きること を互いに認めていく実践が、この「不幸の共同体」を成立させているのである。 本稿では、「不幸」に関するナラティヴの接続を分析することによって「不幸の共同体」という つながりを見出した。しかし、この連帯に参与しない、あるいは構造的に排除されている人びとに ついては十分に考察することができなかった21)。こうした人びとの「不幸」の受容については今後 の調査で明らかにしていきたい。 謝辞 本稿は、関西学院大学先端社会研究所 2014 年度リサーチコンペの研究助成を受けて実施し た調査成果の一部である。 参考文献

Anderson, B. 1991 ‘Imagined Communities : Reflection on the Origin and Spread of Nationalism(2nd.ed)Verso(= 1997、白石さや・白石隆訳『増補 想像の共同体──ナショナリズムの起源と流行』NTT 出版)。 浅野智彦、2001『自己への物語論的接近──家族療法から社会学へ』勁草書房。 浜崎広、2004『女性誌の源流──女の雑誌、かく生まれ、かく競い、かく死せり』出版ニュース社。 井上俊、2000『スポーツと芸術の社会学』世界思想社。 色川大吉、[1977]1991『民衆史──その 100 年』講談社。 実業之日本社社史編纂委員会編、1997『実業之日本社百年史』実業之日本社。 小山静子、1991『良妻賢母という規範』勁草書房。 ────、1999『家庭の生成と女性の国民化』勁草書房。

Madigan, S. & Epston, D. 1995, ‘From Spy-chiatric gaze to communities of concern’, Friedman, S. ed. The Reflecting

Team In Action The Guilford Press(=2005、小森康永監訳「『スパイ−カイアトリックな視線』から関心コ ミュニティへ」『ナラティヴ・セラピーの冒険』創元社)。

Mattingly, C. 1998, Healing dramas and clinical plots : The narrative structure of experience CAMBRIDGE UNI-VERSITY PRESS. 前田愛、[1973]2001『近代読者の成立』岩波書店。 見田宗介、1965『現代日本の精神構造』弘文堂。 牟田和恵、1996『戦略としての家族──近代日本の国民国家形成』新曜社。 日本近代文学館編、1982『復刻日本の雑誌 解説』講談社。 野口裕二、2005『ナラティヴの臨床社会学』勁草書房。 岡満男、1981『婦人雑誌ジャーナリズム──女性解放の歴史とともに』現代ジャーナリズム出版会。 Pomerantz, A. 1986, ‘Extreme Case Formations : A way of legitimizing claims’ Human Studies 9 : 219-229.

Riessman, C. 2008, Narrative Method for the Human Science, SAGE Publications(=2014、大久保功子・宮坂道夫 監訳、『人間科学のためのナラティヴ研究法』クオリティケア)。 䋩燕、2001「畳語副詞の意味──成分の意味とのかかわり」『同志社大学国文学』54 : 112-102。 ────────────── 21)主に読み書きができない人びとがこれにあたると考えられるが、『婦人世界』第 4 巻第 7 号には弟に読み 書きを教えてもらいながら雑誌を購読しているという記述が見られる。本稿では女性によって書かれたも のを対象として分析してきたが、このような事例から考えれば、女性によって作られている言説空間にも 間接的に男性の関与があることがわかる。

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竹熊千晶・日高艶子・松尾ミヨ子、2005「苦難な状況を受け入れることを支える言葉『のさり』」『看護研究』 38(4):53-63。 竹内洋、2005『立身出世主義』世界思想社。 寺出浩司、1994『生活文化論への招待』弘文堂。 植田康夫、1986「ジャーナリズムにおける婦人雑誌の地位と役割」『近代庶民生活誌 第 9 巻』三一書房。 山崎光夫、2000『日本の名薬』東洋経済新報社。 吉原功、1985「社会変動とコミュニケーション」『コミュニケーション社会学』サイエンス社。 『婦人雑誌』第 3 巻第 1 号−第 7 巻第 14 号 『家庭之友』第 1 巻第 2 号−第 6 巻第 8 号 (原稿受付:2015.11.26 掲載決定:2016.2.17)

(19)

Women and the Community of Misfortunes in the Meiji Era :

Cases of Women’s Magazines

YAZAKI, Chika

(Kwansei Gakuin University)

Abstract

This paper examines how people accepted their misfortunes. Previous works focused on

people who identified themselves with model stories such as ‘success in life’ or ‘dutiful wife

and devoted mother’. In contrast, this paper aims to focus on women who couldn’t identify

themselves with them. How the social solidity created among women empowered them under

situations which placed them into poverties, sickness and other difficulties in the late Meiji era?

The one answer to this question can be traced in their practices of accepting their misfortunes.

Therefore, this paper analyses narratives from correspondence columns on women’s magazines.

Women accepted their misfortunes through sharing voices in magazines, and they shared and

compared their misfortunes with others’ in magazines. They firstly exchange the sympathy to

other’s misfortunes, and then they compare their situations with others’. They were connected

with others by the articulation of narratives about misfortunes and could imagine ‘we’ who

shared same realties through these practices. Women narrated their different misfortunes by

cre-ating and sharing a common format. The image of ‘we’ indicates the acquisition of the common

languages and ways of the representation. It implies that we can understand this creation of

so-cial solidity as the ‘community of misfortunes’.

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