大阪女学院大学国際共生研究所シンポジウム
『公正で平和な世界へ1国際共生の意義と役割』
司会: 黒澤満
大阪女学院大学教授
パネリストと報告タイトル:
佐々木寛新潟国際情報大学教授
「『国際共生』概念の積極的な意義について」
干葉 眞国際基督教大学教授
r共生の多様な意味合い」
奥本京子大阪女学院大学教授.
「過程としての国際共生:紛争転換の視点から」
日時:
会場1
2011年10月31日(月)18
大阪女学院大学 第一会議室
30∼20 30
大阪女学院大学国際共生研究所シンポジウムの概要 研究所所長 黒澤 満 1.テーマ『公正で平和な世界へ:国際共生の意義と役割』 2.シンポジウムの趣旨および目的 「国際共生」という概念は、公正で平和な世界を達成するためにどういう意味で有効な 概念なのか、またどのような役割を果たせるのかを明らかにしたい。 3.議論の範囲 「共生」という用語は広く使用されているが、ここでの議論は「国際共生」に限定する。 これは国家間関係だけではなく、国際社会または世界社会のその他の主体をも取り入れた 関係を対象とする。 4.具体的な議論点 1):「国際共生」は外国語ではどういう言葉が適切か。なぜぴったりあてはまる外国語 が存在しないのか。 2):「国際共生」は、これまでの「国際協力」「国際協働」「国際共存」「国際共同」「国 際調整」などの概念とどう異なるのか。 3):「国際共生」という用語を用いることによって、国際社会または世界社会における どのような新たな現象や行動を説明することが可能になるのか。 4):「国際共生」の概念を用いることによって、より公正でより平和な世界を構築する 上で、どのようなメリットがあるのか。
2011.10.31. 大阪女学院大学国際共生研究所シンポジウム『公正で平和な世界へ:国際共生の意義と役割』
「国際共生」概念の積極的な意義について
佐々木寛(新潟国際情報大学) はじめに一「3・11」によって明るみになった次元について 1. r国際共生」概念と比較すべき他の概念 Intemationa1Coexistence.(国際共存) ex冷戦期「共産主義との共存」 Intemat1ona1A駅eement (国際同意) cf treaty(条約),prot㏄o1(協定),covenant(盟約) Intemationa1Cooramat1on(国際調整) eK「国連人道間題調整事務所」(0CHA) Intemationa1Cooperation*(国際協調・国際協力・国際協働)cf競争・覇権・単独行動主義e凡。ooperat1ve secur1ty r協調的安全保障」,r日本国際協力機構」(Jエ9A)
IntematIona1Partnersh1p/Co11aborat1on(国際協働・国際共同) 共通の目的。機能的役割分担。 Intemat1ona1Ass1stance/Aid/Suppo廿 (国際協力・国際支援) ∼ 「国際共生」概念におけるアクターの多元性と包括性∼
2.2つの『共生」(kyose1)概念一〈Symbiosis〉と〈Con㎡㎡汕ty>
※「共生」=①「二種の違った生物が一緒に住むこと」 (『新明解国語辞典』) ②「生あるものは、互いに、その存在を認め合って、ともに生きるべきこと」 ●Symb1os1s “共棲” 共通の「危機」の認識 ●Convivia此y “共歓’’“協生” 「自律的で創造的な関わり合い(I.イリイチ) 「周辺」からの視点3.東アジアにおけるr国際共生」の条件
〈危機〉から「共生」へ I.植民地主義と歴史認識問題・冷戦構造の残存と体制問題・アメリカの東アジア政策と軍事化 ■.リスク共同体としての東アジア・エネルギー間題と東アジア・経済共同体としての東アジア 皿.ネオ・リベラリズムを越えて・越境するローカルな「市民社会」・多元的地域主義(多文化共生)◆ケース・スタディ①:東アジアの領土問題を考える ◆ケース・スタディ②:東アジアの核問題を考える おわりに一生きとし生けるもののr共生」 人間や環境が織りなす〈総体>としての歴史の次元(Eブローデル) 〈主要参考文献> ●黒澤満編著 『国際関係入門一共生の観点から』 東信堂 2011年 ●千葉眞「東アジアにおける和と共生の実現のために」村上陽一郎・千葉眞編『平和と和解のグラ ンドデザインー束アジアにおける共生を求めて』 風行杜 2009年 ●ヨハン・ガルトゥング「補論・『共生』(kyosei)概念について」村上陽一郎・千葉眞編『同上』 ●佐々木寛編著『東アジア<共生〉の条件』 世織書房 2006年
●Char1es L.G1aser,五∂血。棚2ノ皿θψy of血后θL㎜8血〇四∂ノ此心血。8.肋θZo喫。 o〆0bψρθ血あ。η2刀ゴ Cbψθ醐血。〃,Princeton U11iversity Press,2010一
○Pau1H皿st,脆r2刀a月。閉H皿肋θ2仰0弧加エァ’独θ8ね后θ,M肪虹アCb嬢地。左2刀♂血加㎜2血。皿∂ノ
卵8加〃,Po胱y Press,2001.(佐々木寛訳『戦争と権力一国家、軍事紛争と国際システム』岩波書店 2009年)
●John PauI Lederach,万舳8月θ〃ピ8α8ね〃劫此児θoo掘。必a血。〃〃皿〃dθゴ筋αθ血的Umted
Institute of Peace,1997.
●Fernand Braude1,〃〃〃㎜狙一Z郷”0η胆力r Z脳40冴Z那∬0㎜刀τ
Z㎜π脳6珂F1ammanon,1986.(神沢栄三訳『地中海世界』 みすず書房 2000年)大阪女学院国際共生研究所主催シンポジウム
「公正で平和な世界へ:国際共生の意義と役割」2011年10月31日(月)
18:30.20:30 千葉 眞(ICU)報告「共生の多様な意味合い」
I.はじめに・国際共生研究所の掲げる「国際共生」の課題への共感
・国際基督教大学(ICU)でも2003・2008年にわたり21世紀COEプログラム
「『平和・安全・共生』研究教育の形成と展開」→そのなかでいくつかのプロジェクトが「共生」概念の研究に携わる
私たちの発見のいくつか
①「共生」にはいろいろな訳語が可能である。例えば、英語ではCOe虹StenCe,
symbios1s,I1v1I1g togethe4cohab1tat1on,conv1v1ahtyなど。上記のICUの
COEプログラムでは、「共生」の訳語としては英語の。onvivialityを使用。
Convivia」ity→自他の存在の独自性を承認しつつ、相互にコンヴィヴィアルな仕
方(喜びと存在を共有する仕方)で関係性を構築し、協働していく意味でよい
と判断した。②しかし、やはり日本語の「共生」を十全に表現する英語の単語はないことが
分かり、妙08θゴという言葉を外国語文献においても使用し、説明することにし
た。(ky6seiとすべきだったかもしれません。)③上記のCOEプログラムとの関連で数多くの国際会議を開催。その結果、「共
生」はアジア言語圏においてはフィリピンや中国など、多くの国の言語が日本
語の「共生」と対応する用語をもっていた事実が判明。E.&,韓国では「相生」 (sangsaeng)、r共生」(kong・saeng)、中国では「共生」(go呼sheng)。E.g.,Ak1hiro Chiba,ed.,8庇a広θ喫。肋刀皿あ8of刀aαoa血。”力r Ob”㎡向2五ξ7∠〃∠8壷,児ξρorC o〆Cカθク別ナa Ob皿8ロノ広a右。〃ノ脆θ血〃8;2006.③また英語のConVi杭a1ityはスペイン語のConViVenCiaとの関連で馴染み深
い概念で、スペイン語圏の研究者には好評。Cf,convivia1ityを社会科学の概念
として使用した最初の研究者の’人は、メキシコ出身のIvan I皿。hであった。
また東ヨーロッパ語圏の人々にもConViVia1ityは大変好評で、これに対応する
用語があるとのことだった。④ただし、ConViVia1ityの場合、陽気な協働性のあり方や生の祝祭性を示す言
葉として重要なことが分かったが、同時にその英語の用語のもつニュアンスと
して、宴会やパーティーなど、人々の飲食を中心とした和合が意味されること
が多く、学問的専門用語として定着させることに躊躇する傾向がみられた。
⑤しかし、全般的にみると、「共生」もConViVia1ityも、世界で十分に使用可
能な重要な用語であることが判明した。II.「共生」の多様な意味合いとグラデーション
・ 「共生」の概念は定義上、意味が曖昧であり、人文科学や社会科学の概念と
しては使用し難いという批判がある→しかし、r共生」の多様な意味合いとグ
ラデ』ションは、むしろこの概念の強みと特質を示しているともいえる。
この30年程の日本での議論で浮かび上がってきた3つの「共生」モデル
①寛容モデル
・1980年代に日米間の貿易摩擦問題が加熱するなかで、著名な建築家であっ
た黒川紀章氏は「共生」という用語を相互の共存共生としての寛容な棲み分
けの意味で使用し始めた→他者の文化や伝統を相互に承認し合いながら、そ
れぞれの神聖な文化的価値の領域(SanCtuary/聖域)には踏み込まず、相互
に棲み分け、相互の価値を尊重する態度としての「共生」→これは、後にマ
イケル・ウォルツァーが展開した「寛容」論一相互のCo・eXiStenCeの模索
_ときわめて類似した考え方であるので、「寛容モデル」(消極的平和)と
名づけたい。E.g.,黒川紀章『共生の思想』(徳間書店、1987年)。M1chae1
Wa1zer,0η%ゐ〃〃θ(New Haven:㎜e U㎡versityPress,2004).
②会話モデル
・法哲学の分野でリベラリズムの考察を進めてきた井上達夫氏によって提起
された「共生」の理解→通常の「会話」という営みのなかに「共生」の本質
的な要素があるとする→異なる人々や集団のなかに自発的で喜ばしい相互交
流の場をもつこと、フェアプレーで喜ばしき交流に参加すること、必ずしも
何らかの目的を実現しなくてもよいとする→「会話モデル」と名づけたい。
E.g、,井上達夫『共生の作法 会話としての正義』(創文杜、1986年)。③共通性モデル
・ 「共生」はここでは、種々の集団間の交流と協働、自然環境と人間社会との
公正かつ建設的な共通性の関係の構築などを意味する→今日、たびたびスロ
一ガンとして提起されるものとしては、「人類と自然との共生」、「異文化間や 異民族間の共生」、「男女の共生と共同参画」、「健常者と障害者との共生」な
ど→つまり、異質な主体間の相互の個体性の尊厳を尊重し、その上で公正な
連帯を模索する「共生」の規範概念(積極的平和)。E.g.,吉田傑俊・尾関周二編『共生思想の探求_アジアの視点から』(青木書店、2002年)。
・こうした3つのモデル、3つのグラデーションは、「共生」概念の多様さと幅
の広さを意味し、この概念の強みと特質といえるのではないだろうか。いず
れのモデルも、具体的な状況に応じて、紛争解決や平和構築にとって重要。
Cf。,ヨハン・ガルトゥングのコメント「共生とは寛容に加えて会話であり、それらに加えて共通性であるとい
う。さらに共生は、生に反するものや不調和や暴力を脱して、より高
次のレベルの共なる生活へと発展していくものであるという。日本の
平和研究は、共生を導きの灯とすることによってその包含する諸種の
豊かな意味合いを汲みとることができ、戦争と暴力からの解放にどと
まらず、より積極的な平和を追求することにおいてよい方向をたどり
つつある。積極的平和は、これまでより不十分な形でしか展開されて
いないが、日本はそれに取り組むための豊かな伝統と聖域、良質な会
話と共同プロジェクトを有している。」(村上陽一郎・千葉眞編『平和と和解のグランドデザイン 東アジアにおける共生を求めて』ICU
21世紀COEシリーズ第10巻、風行杜、2009年)、309−310頁。Cf,
Johann Gaユtung,“Toward a餌ana theory ofnegative ana positive
peaCe,”mλ0欄〃刀舳騨伽此脇θ〃児θω”批痂0がλ0腕㎜皿8
Kyose1』刀幽8Cλ曲2,ed−s.Yb1chiro lM1urakam1and−Thomas J.
Schoenbaum(Che1tenham,UK and No廿hampton,MA,USA:
Eaward E1ga42008),p.105. III.おわりに ・ 「共生」の平和イニシァティヴが実現される場としての東アジア:
和解と平和構築の実現のために
・2011年3月11目の東日本大震災とその意味:
「エコロジー」と「共生」の価値規範に基づく将来の日本・東アジア・世
界の制度構想
大阪女学院大学国際共生研究所シンポジウム
2011年10月31日(月)午後6時半∼8時半
大阪女学院大学第1会議室 全体テーマ「公正で平和な世界へ:国際共生の意義と役割」 大阪女学院大学 奥本 京子過程としての国際共生 ∼紛争転換の視点から∼
【1】さいしょに:国際共生研究所の小さな試みから *ひたすら、痛みのあるところからの「声」に、耳を傾けることの意味1)2011年6月17目、研究所主催、難民支援NG0,R蛆IQ,H氏とW氏
「国際共生」の意味とは、痛みのあるところに一緒に居るということ一耳触りのよ い「連帯」や「共生」といった概念が幻想に過ぎないかもしれないという現実を認識 しながらも一それ自体を指すのではないか。㎜IQの例にならえば、社会の痛みに 対する取り組みの「方向性」、そして「過程」それ自体を指すのではないだろうか。 2)2011年10月21目、研究所主催、RAWAと連帯する会、マラライ・ジョヤ氏 My goa1abroad has a1ways been the same as when I am ms1de A竈gha㎜stan:toumte peopIe and to bui1a power to destroy the dommat1on ofthe war1ords and the
Tahban,㎜砒。en“heo㏄upat1㎝ofourcoun姉Myw1sh1sthat伽sm悔mat1om1
so1ia㎞蚊w皿bui1d stren餉h and um敏and that when peop1e beoome awa記,they㎡皿㎡se1ike a stom that bri㎎s the tmth.0ne voi㏄→r even many ko1a悔d
vo1㏄srispower1ess.ButwbeI1weweaveo㎜vo1ces㎜do皿e出血togeth叫we
ca−nb㏄0me1■11bre曲1〕1e.
T㎞smovementwearewea㎜gmustcome丘。mstmgg1esmeveWcomerofthe
wor1d:o㎜=vo1㏄of resistance m A壇han1stan,the cr1es of agony of the chi1dren of
Paユestine,the tears br democracy denied in Burma,the young丘eedom・1ovhg students of Iran,the stmgg1e of men ana women in Turkey丘。m whom I hear
1nsp1二nng stor1es of bravery ana courage1n the血。e of bornb1e tor6ure and kiuings 1n the T口rkish pnsons,the enaeavours of Vさnezue1a,Chi1e,Cuba,Bo1i刊a and− prog工essIve movements1工。ther A【nencan natIons,the丘ght of Afdcan peop1e br justan冊ee soc1et1es.Oursu脆mgs−andenemes−are仇e same,Andouリ。y
anahapPmess1sthesame
*講演会/ワークショップのスタイルについて 1)講演者(特に紛争の当事者)にとって、自身の語りに十分耳を傾けられる状況を 確保することは、平和・人権・生命といったテーマの性質上、特に必要 2)講演者にとっては、語りを聞かれた後に、如何なる反応が返ってくるかを知りた いであろう(無視される存在として長年生きる当事者であればなおのこと) 3)聴衆にとっては、湧き上がる疑問や感想の共有という自然な欲求を、安全な場に おいて満たすことができることは、学びの観点から重要 4)「場」が、打ち上げ花火のための場ではなく、「つながる市民」としての意識を再 認識し、次の行動を顕在化させる場としたい 5)一連の過程を経て、双方向に関係性が築かれた場合、それは平和の創造の具体的 一例となる ==>「国際共生」とは、社会の痛みに対する取り組みの「方向性(空間軸)」、そして「過 程(時間軸)」を指すもの ==>ここで浮上する課題 1)当事者の声といったとき、「(紛争)当事者」とは誰か、そして「われわれ」は誰か。 2)「方向性」一や「過程」とは、如何に意識化・明示化・顕在化することができるものか。 【2】暴力と平和の概念 直接的・構造的・文化的暴力/平和及び消極的・積極的平和i 暴力 直接的暴力(DV) 構造的暴力(SV) 文化的暴力(CV) 平和 直接的平和(DP) 構造的平和(SP) 文化的平和(CP) 消極的平和
DVの不在
SVの不在
CVの不在
(NP) (休戦・砂漠・墓場) (搾取の不在・ (正当化の不在・ 構造の不在) 文化の不在) 積極的平和DPの存在
SPの存在
CPの存在
(PP) (協力) (衡平・平等) (平和の文化・対話) 平和 NP+PP NP+PP NP+PP 一般に「平和」に対置されるのは「戦争」である。この発想では、問題が国際政治の枠 組みに限定され、嬢小化される倶れがある。「暴力」に対して「平和」を対置することによ って、より大きい枠組みの中で、思考することが可能になる。また、このことは、紛争のあり方をより深く捉える視野を提供する。暴力・平和概念の捉え方におけるダイナミズム が、人間社会の多様な関係性を扱うことを可能にし、暴力を否定し平和を肯定するにあた り、紛争をどう扱うかという論点が肝要であることを浮かび上がらせる。 紛争の概念と紛争転換
蒜
紛争の可視化/顕在化できる部分 紛争の潜在的な部分 平和学・平和ワークにおける紛争(コンフリクト)とは、複数の当事者から成る集団に おいて、個人内(複数の考え方)・個人間・グループ間・国家間・地域問等の多様なレベル において発生する。当事者は、それぞれに目標を保持しており、これらの目標間に矛盾が あるとき、そこには紛争が存在する。そして、こうした紛争から暴力が生起しうる。 紛争という現象を、二層を意識して分析・対処する。第一に、既に表面化している直接 的な対立の部分、すなわち可視化できる矛盾の部分を認識する。そして、第二に、それが 生起するより大きなコンテクストの部分、すなわち未だ可視化できない潜在的な要因を探 知する。この二層の分析は、紛争が暴力化している場合は、その表面的な暴力の側面だけ に注目するのではなく、暴力の様々なあり方を認識し、可視的な武力紛争が終ったからと いって、問題が解決したとは考えない。それどころか、場合によっては、却って武力紛争 の表面的終結によって問題の本質が隠蔽される危険性があると考える。 紛争転換は、矛盾を顕在化する作業となる。平和ワーカーと呼ばれる調停役は当事者間 を媒介し、’見、矛盾するように見える諸目標であっても、時間をかけて当事者の目標や 必要を探り当てる手助けをする。その介入の過程を道して、平和ワーカーは、当事者が保 持する複数の目標における相互の共通項を発掘・調整し、当事者全員にとっての新たな目 標を設定することであり、その目標に向かって平和的な紛争転換を実現することである。 「転換」概念は重要である。平和ワークにおいては、「暴力」概念に対置する「平和」の ダイナミズムを認識し、暴力を否定し平和を構想するためには、その間に存在する「紛争」 を如何に捉え、それを如何に平和的に転換するかが重要となる。暴力概念の拡張によって、 平和や暴力といった対概念の関係性をより深く説明することが可能となり、また、平和や 暴力という概念の基礎には、常に「紛争」概念が存在すると認知されることになる。そし て、紛争概念により、平和を創造するワーク自体が、スタティック(静的)なあり方から、 よりダイナミック(動的)なあり方へと転換していく可能性が生じる。==>平和を求める作業において、「結果」や「状態」ではなく、「方向性」や「過程」そ れ自体を、「国際共生」と呼び、その「方向性」や「過程」を模索するにあたり、平和的手 段による紛争転換の概念は示唆を与えるであろう。「国際共生」とは、ダイナミックで有機 的な関係性の創造の「方向性」や「過程」であるとしておきたい。 【3】「当事者」、「平和ワーカー」、「われわれ」の関係 平和ワーカー/紛争ワーカー(peace/conf1ict worker)==〉平和ワークを行う者 平和ワーク==>国際政治ではほとんど語られることのない、市民社会・NG0を基盤とし た非暴力介入活動で、紛争当事者や介入者(外部の当事者)が行う平和を求める作業 紛争転換・非暴力介入といった平和ワークの分野において: 平和ワーカー=>「介入者」 平和ワークの第一の主体=>紛争当事者 紛争の現場に介入し調停の仕事を司る者=>「外部の当事者(011tsidep的)」 => 徐々に「当事者」と成る。 平和ワーク==>介入者(外部の当事者)と、紛争転換の過程における平和ワークの第一 の主体である紛争当事者とが、共に担うべきもの 平和ワーカーの仕事とは何か: 紛争転換の現場においては、問題の矛盾を顕在化する作業が重要である。平和ワーカー/ 紛争ワーカーと呼ばれる調停役は当事者間を媒介し、一見、両立しないように見える諸目 標であっても、時間をかけて当事者の目標や必要を探り当てる手助けをする。その介入の 過程を通して、平和ワーカーは、徐々に紛争の根本部分に深く関わる。その仕事は、当事 者間の複数の目標における共通項を発掘・調整し、当事者全員にとっての新たな目標を設 定し、平和的な紛争転換を実現することである。 ==〉国際共生(方向性や過程を指す)という平和ワークの担い手は、r平和ワーカー」で あり、それは「われわれ」である。そして、紛争当事者も徐々にわれわれと共に平和ワー クを担うようになる。そうして、国際共生は、「声」を発しようとする当事者と、聴こうと する介入者が一緒になって模索しようとするその過程を指すようになるのである。 【4】小田実の「共生」論から
1)rわれ・われ」を考える 小田実『9.11と9条小田実平和論集』(東京:大月書店,2006)513’514. 小田実は、「市民とは何か」の項において、「仕事に職業と技能の意味を込めて職能と言 うなら、現代社会では、会社員も教師も役人も工場労働者も農民も新聞記者も商店主も医 者も専業主婦も、それぞれ職能をつうじて働き、生計をたてるとともに社会を形成、維持 している」とした上で、そのような現代社会に問題があるとしたら、本来は各人が職能を 通じて解決できるはずのところ、そうはなっていないことであろう、と指摘している。そ してその理由は、問題そのものが、各個人の職能の枠組みを越えて、「重なり合い、結びつ いて、社会に大きく広がって」いるからだという。であるから、結局は、「みんな集まって いっしょに問題を論じあい、知識、知恵を出し合い自分たちで解決をはかる」より他にな く、それこそが、市民運動であると解説する。 『りいどみい』第二号、r小田実を読む」発行、北野辰一他編、2011年3月。 小田によるrわれ=われ」の思想について: それぞれの努力が集まって、「われ=われ=われ……」の動きを形づくる。「市 民運動」って、実はそれなのよ。「市民運動」というものがどこかにあって、そこ に市民が入るのではない。市民それぞれがまずひとりの「われ」として動き、そ の一人ひとりの「われ」と「われ」がつながり合うことで、市民運動の形成、組 織される。 rわれ:われ=われ……」のつながりは、rわれ=われ=われ=われ:われ・…・・」 という具合にどこまでも拡がって、そのまま国境を越え、民族の別を越える。ま さに共生だね。 当然のこととして、違う価値観が出会う中で、衝突は起こるよ。双方の矛盾や 衝突を処理しこ「われ」と「われ」がうまく共存・共生していけるようにするのが 政治であり、そのための政治的技術が民主主義なんだ。(122) ここで、「市民」の意味することは、「国籍」を保持しているかどうかということ、また、いわゆ る「市民権」の有無といった範嬢の話としてではないだろう。「国家」の枠組を超えて、社会・ 世界における共生の問題を考えるとき、人(ひと)と人(ひと)の間にある平和的関係性を創り 出していくための方途を模索するためには、平和ワークという仕事の主体の役割は大きい。 小田実『「殺すな」と「共生」:大震災とともに考える』岩波ジュニア新書、岩波書店、1995。 小田は、市民社会運動家であり小説家としての視点から、平和・共生概念を語っている。「共 生」とは、co・existance(国際政治にでもふさわしいことばで大げさすぎる)やsymbiosis
(生物学的でアミーバ的)と翻訳するよりも、co−hab1tance ofa施rentva1uesとしたほう がふさわしいという。玉砕や特攻という究極の暴力的な生き方とは根本的に対立する生き 方を指す、共生という概念を根本的原理として、社会をつくり上げていくべきである。 「共生」==>平和ワーカーとしての市民(われわれ)が、共に生きることを考える。 2)「過程」としての共生を考える 小田実『「共生」への原理』小田実全集 評論10発行:講談杜、発売:復刊ドットコム、 2011。(1V「存在のことば」、「運動のことば」) p.183 「今日は、赤ちゃん、私がママよ」=>「存在のことば」的、権力的発想の歌 p.189名詞=>機会的にあまたの名詞を引きずり出して、名詞によって言いあらわされ る存在を固定してしまう p.192運動がスイ退におもむくと「運動のことば」もたちまち「存在のことば」、そして、 「体制のことば」になる。 p.194「言語活動領域」のどんづまりに来ている、そこでぶざまに苦しんでいるうちに、 ようやくはっきりしてきた=>r運動のことば」で考えてみるということ、名詞を 中心にして考えるのではなく、動詞から考えてみる。そこではじめてどんづまりが 破れる。すくなくとも、そのキッカケがつかめる。 p.195時間的ばかりではなく空間的にも開く。自由になって、「言語活動領域」にいろん な回路が生まれて来て、それらが少しは自由に動きぶつかりあって、振り幅がひろ がる。動詞を基本にして思考そのものを開いて行く。動詞で考えると、次に、「私は どうするのか」ということが入って来ます。 =二〉動詞を活用し、「運動のことば」を話すわれわれのあり方は、紛争転換の一つのキー ワードである「tranSend(超越)」地点を日指す過程における活動と連動する。 ==>国家間関係だけではなく、国際社会のその他の主体をも取り入れた関係を対象とす る「国際共生」を考えるにあたり、その概念は、公正で平和な世界を達成するために、有 効な概念である。「ひたすら声に耳を傾ける」ということは、公正で平和な世界の構築とい うゴールを目指す、その方向性そのもの、あるいは過程そのもの、であると考える。
・Johan Ga1tung,“Introduct1on:Peace by Peace血1Con趾。t Trans危rmat1on_the TranscenaApproach,”肋刀必。o必。f此mθ細a Og四地。后8伽曲θβEds.Char1es R Wbe1 andJohan Gaユtmg(AbIn鉢。n:Rout1eage,2007)14−32に掲載のTab1e2.3.Peace: