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南アジア研究 第29号 007書評論文・小磯 学「小茄子川 歩『インダス文明の社会構造と都市の原理』」

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Academic year: 2021

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(1)南アジア研究第29号(2017年). 書評論文. 小茄子川 歩『インダス文明の社会構造と都市の 原理』 東京:同成社、2016年、vi+256ページ、9000円+税、 ISBN 978-4-88621-740-0. 小磯 学 本書の構成:インダス文明(前2600−1900年頃)を扱った本書は、下 記7章からなる。 序章 本書の目的と方法 第1章 都市はどのように考えられてきたか 第2章 都市を考えるための諸側面 第3章 モヘンジョダロの創出 第4章 ハラッパー式彩文土器の創出 第5章 インダス式印章の「発明」 終章 インダス文明の社会構造と都市の原理 著者及び受賞歴:小茄子川氏は東海大学文学部史学科考古学専攻課で 近藤英夫・北條芳隆氏らに、またインド・デカン大学院大学考古学科で ヴ ァ サ ン ト・シ ン デ 氏 ら に 師 事 し て Ph.D.(学位論文:Diversity of Harappan Civilization: A Case Study of the Ghaggar Basin with Special Reference to Seals)を取得した日本で数少ないインダス文明研究者であ る。同文明遺跡の発掘調査に従事するとともに、土器やインダス式印章 のモチーフと製作技術に関する論考によって新しい地平を切り開いてき た[小茄子川 2008a;2008b;2011;2012;2013など]。本書は主にこうした 分析に基づきつつ、この文明の中心的な都市であるモヘンジョダロがど のように創出され、文明が形成されたのかを考察するインダス文明都市 論・社会構造論となっている。 インダス文明を扱った概説書としては[辛島昇他 1980]やその後の情 報に基づく[近藤英夫 2011] 、さらには総合地球環境学研究所の長田俊樹 氏が立ち上げたプロジェクトの成果として多岐にわたる専門領域の研究 論集が知られるが[長田編 2013のほか多数の研究報告書が発刊された。長田 178.

(2) 書評論文. 小茄子川 歩『インダス文明の社会構造と都市の原理』. 2013;小西 2014参照] 、考古学的事象に限定した単著の研究書としては本. 書が日本初となる。 著者の論法は「古典的な発展段階的なものにとどまらず、むしろ構造 論的な視点が導入されているため、文明の特徴を大づかみにした社会変 動論としての議論の展開が見られる」点にある。そして文明の成立を 「地域的特徴をすでにそれぞれに備えた各地域同士が、多重的な互酬的 交換原理を働かせての結果」とし、 「必ずしもそこに、専制的・強権的 な王権・中央集権の存在を想定する必要は無」く、 「田辺明生氏らが提 唱する「南アジア型発展経路」に繋がる」可能性の指摘、さらにこの文 明を「孤立することなく、インド史の文脈のうちに位置付け」た功績か ら、第6回日本南アジア学会賞を受賞している[南アジア学会ホームペー ジ] 。. 本書の特徴:上記の受賞理由にあるように、本書に通底するのは、都 市・文明成立についての従来の進化論的・ 「発展段階的な枠組み以外は ありえない」 「暗黙の了解」や解釈、またはある集落が「比較的長い時 間をかけて徐々に都市的諸要素を整え、やがて都市が成立する」といっ た歴史的プロセスによって生じる「革新」への徹底的な批判である。そ れに対して本書の格子として重視されるのが、 「各地で展開する伝統地 域諸文化間の相互作用の活発化にともない、既存の特定の地域的伝統や 知識・技術的要素を組み合わせたり、再構造すること、あるいは中心の 組織化された知識と周辺地域の専門化された知識が融合すること、に よって短期間に生じる」 「発明」・ 「創出」という現象である。この「発 明」こそが新たな「伝統」として文明を特徴づけるハラッパー式土器や インダス式印章として結実したとする。具体的には、バロチスターン地 方からインダス平原各地に展開した先インダス文明期・移行期の諸々の 土器型式の彩文の中から「コブウシ(右向き) +植物文」が「デザイン システム」の上で選択され、前者が印章に後者が土器にと分解・再構造 1). 化されて新たに創出された(130頁)。 そして、こうした現象が起きた場が「既存の伝統文化という「しがら み」のないまっさらな土地に」 、 「既存の集落間関係に常設的な空間ある いは施設として新たに付加されたもの」として「創出された都市」モヘ ンジョダロであるとする(20、206、212頁など。3、4、5章)。 つまり既存の周辺社会が常設市場を必要として無からうみだされた 179.

(3) 南アジア研究第29号(2017年). 「都市」こそがモヘンジョダロであり、文明移行期か文明初期に短期間 で建立されたために先行する居住層が認められない(実際には地下水位 が高く十分な調査ができず、可能性にとどまる) 。そこは「無縁・商品 交換・市場」という性質をもつ、この文明「唯一のオリジナル都市」で あり、 「農村から都市へと発展するのではなく、都市が都市を創る」と する。これに対し他の主要な遺跡は先インダス文明期・移行期と継続す る長期間に及ぶ居住層が認められ伝統的地域文化が盤石に展開しており、 文明期になって「インダス文明遺跡」へと「都市化」される現象が見ら れるという(93−95頁)。 そして、 「商品交換を本格的におこなう常設の商取引の場つまり市場」 の必要性のために、モヘンジョダロの建立場所にはインダス川の古河道 とそれと並走するもうひとつの古河道との間の春先に洪水を起こす「危 険な氾濫原」があえて選ばれたのであった。 「既存の伝統文化という 「しがらみ」からの脱却が第一の目的であるので、その場は居住には不 向きな地であっても一向に構わない」とする(70、76、92−93頁)。従来 の「生産様式のみが重要視され」る「社会進化論に基づいた考古学研 究」とは一線を画し、モヘンジョダロを「商品交換と既存の互酬性交換 が併存・競存」 (213頁)の場とすることが、本書の核心となる見解であ る。 非常に魅力的かつ革新的な見解であるのは間違いない。ただいくつか の素朴な疑問点を提示しておきたい。 疑問点1. 「都市」と「都市化」について:多くの遺跡が既存の伝統 文化の上に文明が及んで「都市化」したために「伝統文化>ハラッパー 文化」という様相であるのに対し、 「ハラッパーに関しては例外的にハ ラッパー文化が非常に優勢」 (94頁)とあっさりと触れている(モヘン ジョダロは新たな「都市」として「創出」されたためハラッパー文化の みが見られる) 。しかし両遺跡は発見当初から非常に似通った特徴を もっている点が指摘され、20世紀半ばには2首都併存説や遷都説などが 唱えられていたほどである。これは決して「例外」などでは片づけられ ず、むしろそこにこそこの文明の特筆があると思われる。著者は「都市 は伝統的に存在した集落が変化・変容を遂げて成立するものではない」 ことを強調するが(93頁など)、 「しがらみ」のある伝統地域文化が強い ハラッパーが「例外的に」 「都市化」した理由を、創出された「都市」モ 180.

(4) 書評論文. 小茄子川 歩『インダス文明の社会構造と都市の原理』. ヘンジョダロとの関係のなかで説明しない限り、インダス文明の社会構 造論としては片手落ちであろう。 疑問点2. 「城塞」について:各々の地域拠点と考えられる主に大規 模な遺跡が「城塞」と「市街地」のふたつのマウンドないし区画からな ることは、この文明固有の特徴である。 「城塞」は通常「市街地」より も高く築かれ、後者に立ち並ぶ一般の住居とは異なる「穀物倉」 、 「大 学」 、 「列柱の会堂」 (名称はいずれも便宜的)などの特殊な構造をもつ 大型建物が集中している。いまだ用途不明ながら、この「城塞」こそがこ の文明にとってのジグラト(もしくは宗教的・政治的中枢)であったと 考えるのが自然である。 「城塞」と「市街地」が分離していようが一体化 していようが、 「モヘンジョダロと決して同一ではない」 (33頁)のでは なく、2つの区画を持つ点ではいずれも「同一」なのである。そしてこれ こそがこの文明固有の「社会発展の度合いを計測する「ものさし」 」(212 頁)ではなかろうか。評者はこの構造をもつ集落が「インダス文明の都 市」であったと考えている。そこにかならずしも従来の専制君主的な国 家論を持ち込む必要もない。 どのような人々がここを活動拠点・住まいとしていたかは想像の域を 出ないものの、少なくとも「市街地」とは一線を画す場であることは客 観的な事実である。そしてこの基本構造が各地の主要遺跡= 「都市・都 市化」した遺跡に踏襲されていることは、土器に見られる伝統地域文化 とハラッパー文化の割合(94頁)とともに重要な意味を持つはずである。 疑問点3.モヘンジョダロの「居住に不向きな」立地について:広大 な平野を流れるインダス川は洪水ごとに流路が移動してしまう暴れ川と して名高く、近現代のダムや灌漑水路の整備などによってある程度洪水 がコントロールされるようになってなお、ときには多くの集落が洪水で 覆われてしまう。これは中流域支流のラーヴィー川沿いに位置するハ ラッパーなども同様である。しかし居住に不向きでないどころか、そう した土地には今日も集落が営まれている。集落は高台に位置し、畑や周 辺の土地が水で覆われてもそれがもたらす新鮮な土壌は、まさにインダ ス川の賜物であったといえる。 「居住に不向き」というのはあくまでも 部外者の視点であり、現地ではそうした土地もまた恵みをもたらす土地 であったかもしれない。流路についてもモヘンジョダロが栄えていた 700年間変化しなかったのか、改めて検討が必要かもしれない。 181.

(5) 南アジア研究第29号(2017年). 疑問点4.モヘンジョダロの人口について:上記と関連して、この 「都市」があえて「創出」された「市場」であったとしても、少なく見 積もっても「25,040人」 (90頁)の人口を養うに十分に適した土地で あったといえる。また著者は「居住以外の目的で使用された建物」が「定 住していない人々が一時的に利用・宿泊する集合住宅やキャラバーン・ サラーイなど」 (90頁)として都市人口の流動性を想定している。しかし 各々の建物の使用形態が定住なのか一時的なのかを判断するデータと術 は現状ではない。これらの建物をたとえば独身者向け住宅と解釈するこ とも可能であり、 「現代都市と同様に居住以外を目的とした建物が数多 く存在していた」 (88頁)とする根拠は不明である。つまり、解釈如何に よって社会構造の理解がまったく異なってしまうことになる。 また、入口の内部に小部屋が並ぶ住居の可能性が高い建物が密集する モヘンジョダロの構造からは、 「市場」を想起させるような大きな広場 の類はない。しいていうならば、幅約 9 m の大通りが青空市場であった 可能性は高い。ただそれを裏付ける証拠もない。 疑問点5.周壁について: 「城塞」と「市街地」をもつ集落の多くは 周壁によって囲まれている。守るべき外敵の不在と武具の乏しさから、 その機能については洪水対策や家畜の囲い出しへの対策、権力の誇示な どが指摘されている[Kenoyer 1998] 。モヘンジョダロのみ周壁が未確認 であり、著者の「市場」説からの説明が必要であろう。少なくとも「居 住に不向きな」ほどの氾濫原であるならば、周壁が必須ではなかろうか。 この遺跡の建物の大半に焼成煉瓦が用いられていることも関係している のかもしれない。 疑問点6.文明社会の基本的力学について:著者は「おもりや印章を 有する商品交換」と「両遺物をともなわない既存の互酬性交換」に各々 特徴づけられる空間が併存・競存するかたちで二重構造化していると説 くが(207頁) 、これらはいわば「都市(的) 」と「村(的) 」な場であっ て、わざわざ強調し注意を喚起する必要はないように思われる。さまざ まな確執を抱えつつも都市と村が一体化しているのが都市社会(正確に は「都市+村」社会) =文明であって、すでに20世紀半ばに著者が批判 するチャイルドらの主張でもあったはずである。核心を突いているがゆ えに古くなることのない指摘であり、破棄する必要もない。したがって、 インダス文明における「都市+村」社会全体の考察が必要であることは、 182.

(6) 書評論文. 小茄子川 歩『インダス文明の社会構造と都市の原理』. 従来通りの自明の理である。さらに「既存のものの取捨選択とダイナ ミックな相互の再編が、あらたな変化・変動を生んでいく」という視点 もまた、都市論として従来のものに修正を促すものとはいえない。 疑問点7.交易活動について:モヘンジョダロを創出するだけの交易 の場としての動機が十分に説明されていない。著者は「インダス文明社 会と西方世界との交易については重視していない」 (215頁)とするが、 メソポタミア文明の粘土板文書に交易相手として登場する「メルッハ」 の交易品目からはそれが(正確にどこを指すか不明ながら) 「インダス 方面」であることは確かである。インダス文明遺跡から外来系遺物が乏 しいという「謎」は残るが、一方で点数は限られるもののインダス式印 章と封泥がメソポタミアから出土している事実は、インダス文明との交 易とその商人が直接訪れ「駐在」していたことを示す紛れもない証であ る。とくに長樽形の紅玉髄製ビーズが「インダス・ブランド」として需 要が高かったことは出土品から疑う余地はない。そうしたペルシア湾岸 を含む西方[後藤 2015] 、さらに中央アジア方面との交易こそがモヘン ジョダロの成立基盤であったはずで、この都市が市場として創出された のであればなおのこと、その成立の背景の説明は必須と思われる。 都市の成立過程は多様であり、著者が指摘するようにかつての従来の 一元的な理解では収まりきらないのは間違いない。一方で、インダス文 明のように権力構造を裏付ける資料が乏しく長文の史料が欠如(いずれ にしても文字が未解読)している場合には、遺跡の規模・形態・分布や 出土遺物などの状況証拠から社会構造や統治の実態を推測しなければな らない。それはこの文明の発見当初から変わらぬ隔靴掻痒的な現実であ る。しかしだからこそ、客観的な物的証拠を丹念に集め、そこから何が 語れるのかを注意深く検証する必要がある(著者の「デザインシステ ム」の考察など) 。ただ理論に当てはめるように解釈を急ぐ必要はなく、 ましてや仮説をデータの上位に置くことは避けねばならない。事実は既 成の理論より遥かに奇なり、であったかもしれない。 本書にはすでに上杉彰紀氏による書評があり[2017]、その視点に評者 も基本的に同調するものであることを記しておく。. 183.

(7) 南アジア研究第29号(2017年). 1. 「角+植物を冠する人物」の文様は「ハラッパー式土器の彩文からは完全に捨象され」「例 外は存在しない」 (199頁)とあるが、グジャラート州パードリー出土の大型の甕に角をつ けた人物像が描かれた例が存在する[鎌田 2001]。地域文化の中で残存・受容されたもの であったとしても、インダス文明を構成する精神的理念を裏付けるものとして重要と考え る。. 参照文献 上杉彰紀、2017、 「書評:小茄子川歩著『インダス文明の社会構造と都市の原理』」、『考古学 研究』 、63(4) 、82−84頁。 長田俊樹、2013、 『インダス文明の謎 長田俊樹(編) 、2013、 『インダス. 古代文明神話を見直す』、京都大学学術出版会。. 南アジア基層世界を探る』、京都大学学術出版会。. 鎌田博子、2001、 「史料紹介 パドリ出土ハラッパー式土器の有角神像」、『古代文化』、53(3)、 159-162頁。 辛島昇・桑山正進・小西正捷・山崎元一、1980、『インダス文明. インド文化の源流を成す. もの』 、 (NHK ブックス375)、日本放送出版協会。 後藤健、2015、 『メソポタミアとインダスのあいだ:知られざる海洋の古代文明』、筑摩書房。 小茄子川歩、2008a、 「都市と伝統の創出. 彩文土器からみたインダス文明の成立と展開」、. 『考古学研究』55(1) 、61−81頁。 小茄子川歩、2008b、 「コート・ディジー式土器とハラッパー式土器. ハラッパー式土器の起. 源に関する一考察」 、 『古代文化』60(2)、70−83頁。 小茄子川歩、2011、 「右向きのモチーフが刻まれたインダス式印章. ハラッパー文化の多様. 性に関する一考察」 『西アジア考古学』12、15−32頁。 小茄子川歩、2012、 「先インダス文明期における印章の基礎的研究:クナール遺跡出土資料 の検討を中心として」 『オリエント』55(1)、22−35頁。 小茄子川歩、2013、 「彫刻技術に基づいたインダス式印章の分類」『オリエント』56(1)、35− 54頁。 小西正捷、2014、 「書評:長田俊樹『インダス文明の謎. 古代文明神話を見直す』」、『南アジ. ア研究』26、156−163頁。 近藤英夫、2011、 『インダスの考古学』同成社。 南アジア学会ホームページ、 「2017年度(第6回)日本南アジア学会賞の受賞者発表」、jasas. info/award/winner/ Kenoyer, J. M., 1998, Ancient Cities of the Indus Valley Civilization, Oxford University press, Karachi.. こいそ まなぶ. 184. ●神戸山手大学教授.

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