室町幕府初期の権力構造の研究
著者 山田 敏恭
URL http://hdl.handle.net/10236/11615
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論 文 内 容 の 要 旨
山田敏恭氏の学位請求論文である「室町幕府初期の権力構造の研究」は、近年の室町幕府研究の成果を踏 まえながら、室町幕府初期における政治史の再検討を試みたものである。成立期の室町幕府は、将軍である 足利尊氏と弟の直義による二頭政治を反映して、官制体系が二元化していたとされている。尊氏は主従制的 な支配権、直義は統治権的な支配権(世務)を掌握しており、それぞれに該当する機関がその配下に帰属し たという理解である。やがてこの関係は14世紀半ばに起こった観応の擾乱によって、尊氏の執事高師直・師 泰兄弟が殺害され、直義もまた同じ道を歩むことによって、表面上解消されるにいたる。山田氏は、特に第 一部「室町幕府初期の権力構造と幕政関与勢力」において、その時期の幕政に関与する勢力を①足利宗家、
②足利一門、③譜代被官、④官僚層(奉行人、一部評定衆)、⑤外様大名に分類し、そのそれぞれについて、
顕著な足跡を残す人物に着目し、個々の勢力の全体像とその幕府との関係を追求しようとする。さらに、第 二部「室町幕府初期の権力構造と観応の擾乱」では観応の擾乱時における尊氏・直義と武士との関係を取り 扱っている。以下、第一部・第二部各章および補論の内容を要約する。
第一部・第一章「鎌倉期から南北朝期の高氏・南氏・大高氏の基礎的研究」では、鎌倉期以来の足利氏の 有力被官であった高一族を検討している。高一族は二頭政治期に幕府の執事として権勢を誇った師直を中心 として、幕府の軍事面のみならず内政面でも重要な役割を果たした。ただ、鎌倉期に遡ると史料の限界もあ り、これまで研究が手薄であった。山田氏は『清源寺本高階系図』を手がかりに、高氏歴代に関わる文書を 丹念に調べ、有力庶子家が惣領家から独立していたことを明らかにしている。第二章「足利家時置文再考」
では、足利家時置文の伝来過程を検討している。この置文は、弘安年間に自害したとされる尊氏・直義兄弟 の祖父家時が、三代後に子孫が天下を取ることを誓約した文書であり、『難太平記』の記述によってよく知 られている。虚実のあわいにあるこの文書の伝来過程を追うことで、山田氏はまず、高氏の惣領の系譜を確 定し、さらにこの文書が表舞台に登場させられる事情を推測する。この文書は義持執政下に醍醐寺に収めら れるが、それを山田氏は怨霊対策と結論付けている。第三章「南北朝期における上杉一族」では、高氏とな らんで、鎌倉期以来の足利氏の有力被官であり、幕府開創後も幕政に重きをなした上杉一族について考察し ている。上杉氏は扇谷家・宅間家・山内家・犬懸家の四家に分かれるが、山田氏はその歴代の人物を個々に 取り上げ、さらに四家の相互関係を追いながら、上杉一族の政治的動向および一族結合について検討してい る。第四章「足利直義の軍事力の形成と展開」では、二頭政治期に直義の編成する軍事力の中核を担った細 川顕氏・山名時氏・足利直冬について考察し、もともとは独自の武力を持たなかった直義の軍事力編成の実
氏 名
学 位 の 専 攻 分 野 の 名 称 学 位 記 番 号 学位授与の要件 学位授与年月日 学 位 論 文 題 目
論 文 審 査 委 員 (主査)
(副査)
山 田 敏 恭
博 士(歴史学)
甲文第131号(文部科学省への報告番号甲第462号)
学位規則第4条第1項該当 2013年3月2日
西 山 克 北 村 昌 幸
市 澤 哲
(神戸大学大学院教授)教 授 教 授
室町幕府初期の権力構造の研究
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態を浮かび上がらせる。第五章「斎藤利泰」では、幕政の実務を担当した奉行人である斎藤利泰を考察して いる。室町初期に奉行人として幕政の実務を担った人物の研究は史料上の制約からほとんど行われていない。
山田氏は斎藤利泰関係史料を丹念に集め、奉行人から最後は評定衆にまで至った利泰の実像を捉えることに 成功している。
第二部第一章「観応の擾乱における足利尊氏と足利直義」において山田氏は、観応の擾乱で敵味方に分か れた尊氏・直義それぞれの軍勢催促をキーワードにして、貞和五年の師直のクーデターでいったん幕政から 排除された直義が、なぜ幕府中枢に返り咲くことができたのか。また勝利したにもかかわらず、なぜ簡単に 没落してしまったのかを検討している。去就の自由をもつこの時期の武士を編成するために、どのような軍 勢催促を行うのが有効であるか、またそこで何が対価=恩賞として提示されるかは、きわめて重要な問題 である。それは戦後処理の問題に直結している。山田氏は、伊予の守護級の武士河野通盛などを事例として、
これを検討している。第二章「南北朝期の軍勢催促と武士の参陣」では、南北朝期の軍勢催促と武士の参陣 をめぐって、その恩賞として有効であった①所領諸職、②官位、③大義名分という三つの視角から考察して いる。特に②官位については南朝を支えるイデオローグであった北畠親房と、幕府側の中心人物であった直 義の恩賞政策を比較検討し、なぜ恩賞として官位が用いられるのかを考える。また③大義名分では、対後醍 醐天皇、対尊氏のような、天皇・将軍に抵抗する論理について考察を加えている。
最後に補論「南朝の研究」では、南朝の政治面や軍事面で重要な役割を果たした人物の個別研究が必要と の認識のもとに、政治面はもちろんのこと、公家大将として実質的に南朝の軍事面も支えていた二人の貴族
―洞院実世と四条隆資について、関係史料を網羅的に集め、鎌倉期・建武新政期・南朝帰属期にわけて彼ら の生涯を追っている。その叙述は詳細をきわめ、今後の南朝研究に資するところが大きい。
論 文 審 査 結 果 の 要 旨
本論文が扱っている室町幕府初期の権力構造については、先駆的な佐藤進一氏の官制体系研究から、引き 続いて多くの研究が蓄積されてきている。そうした分厚い研究蓄積に対して、山田敏恭氏が個性を主張しう るとすれば、その対象が人物であるという点であろう。山田氏は、室町幕府初期の二頭政治を支えた高一族 や上杉一族の惣領・庶子家の当主を丹念に追い、その実像を浮かび上がらせることで、当時の武士の実態や 幕府の権力構造に迫ろうとしている。室町幕府の成立を予言する足利家時置文のような特異な史料も、高一 族や直義の実像の輪郭を明確にするために、検討材料として選ばれていると思われる。また中世社会におい て、一組の人物と人物が取り結ぶ関係を考察しようとする際には、戦時下の軍勢催促は究極の素材となる。
山田氏は、将軍尊氏・弟直義・直義の養子で尊氏の実子直冬、あるいは南朝のイデオローグ北畠親房など、
多様な政治的立場にいる人物群を取り上げ、その軍勢催促の戦略を明らかにすることで、政治史の流れを補 強しようとしている。そうした人物史が最も精力的に語られるのは、南朝の洞院実世と四条隆資の場合であ る。そうした人物像の輪郭を従来以上に精力的に明らかにした点で、本論文は重要な成果をあげたと言える だろう。
しかし本論文が様々な欠点を抱え込んでいるのも事実である。最も大きな欠点の一つは、タイトルが「権 力構造」の研究であるにもかかわらず、実際には幕府の構造が人物史から構成されているのみで、正面切っ て権力構造が扱われていないことである。個別に書きためた論文の編集であるため、こうした齟齬が生じた かとも思うが、改善されるべきであろう。
また、もう一つ大きな欠点は、結論が予定調和的に導き出されていることであろう。たとえば14世紀半ば の観応の擾乱は、室町幕府初期の時代を画する紛争であったが、尊氏党(高師直・師泰兄弟を中心とする)
と直義党(上杉重能ら)の争いが、曲折を経て、最終的に尊氏の勝利に終わったことを私たちは知っている。
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山田氏の考察は、その結果から予定調和的に組み立てられている。つまり山田氏の結論は結果から照射され ている。
また、山田氏の時代観は比較的古い研究水準によって構成されている場合がある。たとえば高一族・上杉 一族の研究で標準として使用されている惣領制の概念は、実態にそぐわない再検討の必要な概念である。高 一族・上杉一族の史料を追うかぎり、惣領・庶子とされる個々の家は、惣領制的な強固な紐帯を持っていた ようには見えない。惣領制という標準を使用するかぎり、これは惣領制の解体と理解されるのであるが、そ の惣領制の概念そのものへの検討がじつは必要なのである。ひたすら関係史料を拾い続けるのも重要である が、一般理論の批判的な摂取にもっと敏感であるべきだろう。
さらに、史料の扱い方にも問題がある。特に『太平記』諸本の特徴を意識せず、流布本を基本にして特異 な異本を組み合わせるのは問題である。国文学の『太平記』研究の水準を学んだうえで、あらためてその描 く社会や時代と対峙する必要がある。
以上のような問題点に関しては、2013年2月19日に実施された公開審査会でもいくつかの批判が提出され た。質疑は多岐にわたったが、多くは山田氏の今後の研究課題として残されたと言える。しかし山田氏の関 係史料を博捜する飽くなき意欲からみて、それらの課題はいずれは克服されるものであろう。また克服され なければならない。膨大な室町幕府研究、南北朝期研究に分け入る山田氏の今後が期待される。
本論文審査委員3名は、論文の審査ならびに公開審査会での口頭試問の結果により、山田敏恭氏が本論文 によって博士(歴史学)の学位を受けるに値すると判断し、ここに報告する。