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中国語文法の歴史的なうつりかわり : 『論語』から 『駱駝祥子』まで

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

中国語文法の歴史的なうつりかわり : 『論語』から

『駱駝祥子』まで

西山, 猛

九州大学大学院言語文化研究院 : 准教授 : 古代漢語文法、近世漢語文法、日中対照言語学

http://hdl.handle.net/2324/18272

出版情報:中国文学講義 : わかりやすくおもしろい, pp.268-277, 2002-05-11. 中国書店 バージョン:

権利関係:

(2)

       らくだのシャンツ        一﹃論語﹄から﹃騎駝祥子﹄まで一

西山 猛

﹁中国語﹂って何? ﹁漢文﹂って?

 ︵○△年六月︑大学一年前期の﹁中国語学一般講義﹂の授業⁝⁝⁝︶

 みなさんの中には︑外国語のカリキュラムで中国語を履修している人も多いかと思いま

す︒ところでみなさん︑中国語を学び始めた時︑ひょっとしたらこんな疑問が浮かびません

でしたか?

  〜〜あの﹁漢文﹂ってのは︑﹁中国語﹂とどんな関係にあるの?〜〜

 そうです︒今日は︑みなさんご存じの﹃論語﹄を始めとする﹁漢文﹂が︑今皆さんが学ん

でいる﹁中国語﹂とどんな関係にあるのかを︑特に文法項目についてみなさんと一緒に考え

るというのがお話の内容です︒最後までよく聞いておいてください︒ 現存最古の﹃論語﹄定州漢墓竹簡の複写図

(3)

中国語の大まかな流れを見てみよう!

 みなさんが学んでいる﹁中国語﹂や﹁漢文﹂は︑専門家の間ではふつう﹁漢語︐﹂と呼ば

れます︒この漢語の文法事項がどのように変遷していったかを時代に沿って時期区分︑と代

表文献を列挙すると左のようになります︒

︻古代漢語︼

 ︿太古漢語﹀股〜西周⁝⁝⁝甲骨文・金文

 ︿上古漢語﹀春秋戦国〜漢⁝⁝⁝﹃謬・﹁史記﹄

 ︿中古漢語﹀魏晋〜南北朝⁝⁝⁝﹃捜神記﹄・﹃坦調新調﹄

︻近代漢語︼

 ︿早期白話﹀唐〜元⁝⁝⁝敦煙変文・﹁ ロ三 耳糸一一一臣言﹄

 ︿明清白話V明〜清⁝⁝⁝﹃翻梅﹄・﹃紅楼夢﹂

︻現代漢語︼

 ︿現代漢語﹀民国〜現在⁝⁝⁝老舎﹃難邸邦﹄・今の中国の現代小説など

今回はこのなかの傍線を引いた作品に沿って

にしましょう︒さあ始まりです! ﹃論語﹄から

﹃論語﹄の﹇どこ﹈はドコにある?

 ではまずみなさんも書名を耳にしたことのある らくだのシャンツ﹁騎駝祥子﹄まで見てゆくこと

﹃論語﹂を見てみることにしましよう︒ ▽現代漢語は︑さらに地理的な広がりから見れば︑七つほどの方言があると言われています︒北京などで使用されている﹁官話﹂︑上海などの﹁呉語﹂︑長沙などの﹁湘語﹂︑南昌などの﹁鞘語﹂︑アモイなどの

﹁閲語﹂︑梅県などの﹁客家語﹂︑香

港などの﹁奥語﹂︑です︒このうち

上海語︵呉語︶や広東語︵奥語︶や

台湾語︵閏語︶は日本でも音声付き

テキストが本屋さんで容易に手に

入ります︒

▽この時期区分はあくまでも今回

のお話のためにわかりやすく簡略

に示したもので︑定説というわけ

ではありません︒いま時期区分に

ついて学界でさかんに議論がなさ

れているところです︒

(4)

の書物は春秋時代に活躍した孔子の言動を中心に記録したものです︒時期区分としては上古

漢語に属します︒

 ところで﹃論語﹄のコトバ全体を見てゆくとすると︑皆さん途中で居眠りをしてしまいそ

うですので︑今回は﹇どこ﹂という疑問代詞︵疑問文で名詞の代わりに用いられる品詞︶が

どうなっているかだけを確認してみましょう︒

 ﹃論語﹄では﹇どこ﹈を表す語彙には﹁笑﹂﹁悪﹂があります︒例えば︑

黒門? ︵どこから来たのですか?︶︵﹃論語.﹂憲問︶

 ここで注意していただきたいのは疑問代詞の位置です︒上古漢語では﹁実+自﹂のように

﹁疑問代詞+動詞﹂と疑問隠詞が前置されるのが一般的です︵﹁自﹂はここでは﹇〜から来

る﹈という意味の動詞︶︒この事象は上古漢語の注目すべき特徴ですので︑きちんと把握し

ておきましょう︒

 上古漢語には一般的に﹇どこ﹈という語彙には他に﹁何﹂︑﹁安﹂などがありますが︵例え

ば﹃史記﹂大領列伝﹁若欲動之?﹂﹇お前はどこへ行こうとしているのだ?﹈︶︑﹃論語﹂には

そういった語彙はまだありません︒      ぶんげん みなさんが普通﹁漢文﹂と呼んでいるコトバは中国では一般的に﹁文言﹂と呼ばれていま

すが︑実はそれはこの上古漢語を基準に長い時間をかけて作られていったものなのです︒で

すからこの上古漢語の時代の文献をたくさん読めばいわゆる﹁漢文﹂が読めるようになると

言っていいでしょう︒  ▽三宝一三﹃論語正義﹄︵中華三局  一九九〇年︶に拠りました︒なお ﹃論語﹄には前漢の定州漢墓から見 つかった竹簡︵竹のふだ︶にかかれ た資料があるのですが︑かんじん のこの部分は欠けていてどうなつ ていたかわかりません︒

あま ぬ おセあ       ウト距賑閾鑛織購鱗班難.難鯛鋤

講書農真剣監罷︐

罐矧難雌叢畿酬皇室

−轍雛灘      瓢三一轟紐難嫡脾腫⁝釧端麗砺羅秘寵        罷・㎎

な     むけなれゆ  三時リ お りけ   ロ ロな

曝‡   L蚕

まにアリ まサリロせほロ セむアロエな  の  むま

輔慧⁝難⁝鱗騨等身繍

⊥騙鵬花守畑飛型難鶴餌二言

⊥難醜賜三曲弱旺融聾寵

−棚噸欝嚴鷹獣胴鵬早戸題握離門期⊥罹繊鰍鵬推囎匿一司門注︻セロロぶ ぬ子摩囎鵬衛有荷嵩圃魎刊田ゐ門習目二心劃倒有心胡菱畿匝旧離匿陰騙㎞

ド噺己而巳契倒剛㎞陞薩諸薩七五哺耐腐朽無猛深江

(5)

六朝時代の﹇どこ﹈はドコに行った?

 勲爵の次の時代を﹁六朝時代﹂あるいは﹁魏晋南北朝時代﹂と言いますが︑この時代の中

古漢語では﹇どこ﹈という語彙はドコにあるのでしょうか?      せ せっしんこ ごこでは南朝宋の時代に編まれた﹃世説新語﹂という書物を見てゆくことにしましよう︒

この書物は三国と両端の時代のさまざまな人物のエピソードを集めたものです︒

 ﹃世説新語﹂には﹇どこ﹈という意味では﹁安﹂などの語彙も見られますが︑一般には

﹁何﹂が用いられます︒そして﹁何処﹂﹁何所﹂のように﹁﹇何﹈+名詞﹂の形も出てきまし

た︒例えば︑

虎責中郎省慮在何庭?︵虎責中郎省はどこにあるべきだろうか?︶︵﹃世説新語*﹄言語︶

 ここでは疑問代詞︵+名詞︶は前置されていませんが︑前置されているものもあるようで

すので︵例えば﹃世説新語﹂文学﹁同率問何庭宿︒﹂﹇仲間はどこに泊まったのか尋ねた︒﹂︶︑

この時期は前置から後置への過渡期のようです︒

 もちろんこの時代にも上古漢語を継承した用法はあるのですが︵例えば﹃世説新語﹂言語

﹁上何在?﹂﹇陛下はどこにおられますか?﹈︶︑おそらく擬古的な用法なのでしょう︒

唐末からの白話では﹇どこ﹈はドウなった?

 唐代終わりごろから︑現在わたしたちが学んでいるいわゆる﹁中国語﹂のもととなった近       はくわ代漢語となります︒特に唐末五代から宋元のコトバを早期白話.と呼ぶことがあります︒こ ▽徐震堰著﹃世説新語校箋﹄︵中華三局︑一九八四年︶に拠りました︒なお﹃世説新語﹄には樋代の写本があるのですが︑ここの部分は収められていません︒また﹃四部叢刊﹄所収の刊本の文字も念のため確かめました︒▽原始白話・古白話とも呼ばれます︒また明代白話小説を本格的白話の成立と考え︑この宋元時期の文献を白話とは呼べないという考え方もあるようです︒

(6)

の時代のコトバは用法が安定せず︑またどの文献が本当に宋元に成立したかなどの問題もあ

るのですが︑そういったことを語り始めますと︑ゼミ室に移動して先輩や先生方と討論︑と       だいとうさんぞうしゅきようしわなってしまいますので︑今回は露営に成立したとされる﹃大唐三蔵取経詩話﹂と呼ばれる作

品にしぼって︑﹇どこ﹈という語彙を見てみましょう︒この書物は後に﹃西遊記﹄に発展し

ていったお話で︑三蔵法師やサル行者︵孫悟空︶が登場します︒

 ﹃大唐三蔵取経詩話﹂にも﹁何﹂一つで﹇どこ﹈という意味を表すこともあるようですが︑

一般には﹁世説新語﹂に見られた﹁何処﹂が一般的で︑その他に﹁何所﹂や﹁何処所﹂など

の表現も見られます︒そしてもう一つ面白い表現があります︒それは︑

未知此中毒悪所在︒︵ここはどこだかわかりません︒︶︵﹁大唐三蔵取手詩話*﹄第九︶

       びん この﹁所在﹂は﹇場所﹈という意味で︑明清の白話小説や現代方言の昔語によく見られる

のですが︑この作品にもこのように用例があります︵﹁此中﹂は﹇ここ﹈という意味で﹇こ

のなか﹈という意味ではないことにも注意︶︒

 またこの作品には﹁那﹂という語彙も現れます︒それは︑      孟.  ▽劉堅・蒋紹愚主編﹃近代漢語語法 資料三編︵三代巻︶﹄︵商務印書館︑ 一九九二年︶所収﹁大唐三蔵取経詩 話﹂に拠りました︒またそのもとと なった大倉文化財団所蔵宋版の影 印本の文字も確かめました︒あと 二つの用例も同様です︒

讐蒔鯛躯       薦 農 昂 霞 鱈

百万程途糞壷邊?︵遥かなる道のりはどこへ向かうのか?︶

       ︵﹁大唐三蔵取経詩話﹂第二︶

進軒燈渚墨取籟糊嘆謹

      ∵

         rh︑−融L・︑㌦ ﹁

ここの﹁那﹂は後に﹁区明﹂と書かれる語彙で﹇どの﹈という意味です︒実は以前は

(7)

﹇どの﹈という意味の時も﹁那﹂と書いていて﹇あの﹈という意味の﹁那﹂と表記上は区別

がありませんでした︒この区別を始めたのは後で述べますが百年前ぐらいのことです︒また

ここでは﹇どこ﹈という意味では﹁那辺﹂が使われていますが︑現在用いられている﹁邨

里﹂︵梛裏・邨裡︶も唐末五代には︵例えば禅宗の語録﹃祖堂集﹄巻雲玄沙和尚﹁到着裏?﹂

﹇どこまで到ったか?﹈︶すでに使われていたようです︒

 またこの時期には︑現在の﹁什広﹂の﹁什﹂にあたる﹁甚﹂を用いた用例も現れます︒例

えば︑

甚処精霊? ︵どこの妖怪だ?︶︵﹃大唐三蔵取経詩話﹄第六︶

 このようにこの時期は語彙や文法項目が統一されていないようで︑読む方もたいへん骨が

折れます︒なかなか読みにくい作品が多いのがこの時期です︒

明清の白話小説では﹇どこ﹈は﹇あそこ﹈とおんなじってこと?

 明代の後半ぐらいから白話小説が豊富に現れるようになって︑近代漢語は完成を見たよう

です︒もちろん清代になると︑北京語で書かれた小説や︑清末には中国江南地域の中心地の      かんとん蘇州で用いられている蘇州語で書かれた小説さえ出てくるようになります︒今では広東語で

書かれた小説を香港で購入することもできます︒

 そういった地理的な広がりは︑また次の機会にお話することにして︑明清の白話小説の中

で﹇どこ﹂という語彙がどうなったかを見てみることにしましよう︒

(8)

 明代の白話小説は﹃水溜伝﹄や﹃西遊記﹄など皆さん聞いたことのある小説も多いかと思

いますが︑今回は﹃金瓶梅﹄という作品を見てみることにしましよう︒この作品は明代の万

暦という時代に刊行された﹃丁番梅詞話﹄とも呼ばれるもので︑西門慶という商人とその奥

さんたちを中心とした物語です︒

 ﹃金瓶梅﹄では﹇どこ﹈という意味の語彙は︑擬古的な表現は別として︑ほぼ﹁替玉﹂

(「゚裡﹂︶に統一されているようです︒例えば︑

叔叔︑伽如今在那里居住?︵おにいさん︑あなた今どこにお住まいなの?︶

         ︵﹃金瓶梅.﹄第一回︶

 ここでみなさんはひょっとしたら﹁里﹂という字が気になるかも知れません︒ふつう中華

人民共和国やシンガポールで用いられる感化字では﹁邨里﹂と書きますが︑いわゆる台湾な

どでの旧字体では﹁邨裏﹂・﹁梛裡﹂と書くのが常識です︒そういうわけでみなさんの中に

は﹁この﹃里﹂って字はこの五十年ぐらいの問に省略表記になったんじゃないの?﹂と思っ

ている人もいるかも知れませんが︑実は明代くらいから特に白話小説ではこの﹁里﹂という

表記も行われています︒

民国になってやっと﹁区明﹂が﹁那﹂から独立したってことか!

 みなさんの中には﹁あれ︑凡︑﹇どこ﹈って中国語の授業で確か﹁邨几﹄って習ったよなあ︒﹂

と思っている人もいるかも知れません︒ ▽劉本棟校注﹃金瓶梅﹄︵三民書局

一九七〇年︶に拠りましたが︑この

テキストでは旧字体に統﹁してい

るため﹁那裏﹂となっていますの

で︑万暦刊本を確かめて﹁那里﹂と

しました︒

(9)

 また﹁さっき﹃鄭﹄が﹃那﹄から区別されたのは百年前っていってたけど︑もっと詳しく

知りたいなあ︒﹂と考えた人もいるでしょう︒最後にその二つのことを話しましょう︒

 まず︑﹁邨几﹂という語彙は北京の言葉とよく言われますが︑会話の部分が北京語で書か

れているとよく言われる清代乾隆時代の﹃紅楼夢﹂にはこの語彙はありませ ▽﹃略駝祥子﹄︵人民文学出版社︑一九五五年︶に拠りましたが︑﹁β嘲﹂という表記になっていることを雑誌﹃宇宙風﹄乳牛のもので確かめました︒

ん︒この語彙はどうもその後の道光という時代に︵例えば﹃児女英雄伝﹄第七

回﹁像那見走畦?﹂﹇お前はどこに行くんだい?﹈︶現れたようです︒ただし

﹁那里﹂という語彙がその時消滅したというわけではなく︑例えばその後の民

国時代に書かれた魯迅﹁阿Q正伝﹄の発表当時のテキストを見ますと︑﹁那

里﹂・﹁那裡﹂という表記になっています︒もちろん今でも﹁蚕齢﹂は用いられ

ている語彙です︒

 では次に︑ ﹇どこ﹈という意味の﹁邨﹂の字がいつ﹁那﹂から区別されて表

記されたかについてお話ししましよう︒民国期の一九三〇年代に老舎の

らくだのシヤンッ﹁騎駝祥子﹂が発表されましたが︑発表当時の掲載雑誌の表記を見ますと︑例

えば︑

tLSI,

酪駝祥子︵長篇小糎

  O一〇

 摩已輝磨嵐一冒二十ゆ去7可叉不随躍了﹁鯉鰭耶脅駈 艮匹層詫■瞳贋世鼻口雪曇O・口固.只鱒下7●己的一

 瞳O︒償忌瞳上的一〇塵蝿﹁聴皇i︸窟椿聞蟻︐節催虐

 用幽雪麗槻憎貿鯉働一下︐資少亀¥中群督0胃.不寛む

 邑寮的u 砲命隆一鯉隅的︐ 可母墜犀働的一隆脅有醗慶研

 兜?愉齢禰壷磁糧匹門口︐慮鋤岨糧坦越晒駈麓宥静腰用

 ︐胃爵甚邑艮齢硬画・瞬皿経痴見累小凶取爵︐

 陰穐9噂腫丁嘘楽︒動陣腸駝娩力睡︐懐不大q唖御﹁可

 邑■苓伯鴨1圃錫摩幽顧画︐嬉触餓近けロ﹁恥駝 藝ロ軸立6傘p管口不博緬翻寵論﹄罰筆不睦● 埆

 ●﹇瞳君︐璽i︻可取確8建了︐仙5﹁儲コ■丁9マ不曾罰則亀

 直甲︐■︐置1鱈会﹁肥見一. 一岨9・娼邑韓r・聴雌−1・塞︒内Ω驚薗丁的−燈

 庭革快的・ 不但肴蟹ゑ●盤壷奮小心葡墨5晶︐鱒喧銅

 滑・一陛肥窟︐一片見詫・葛町励腫亀誘卿了璽︐嘘賃鋒

 丁驕.騎曜鮪曾髄叢罵億鴨上・題一監︐◎気・嚇燦 &竃■騰一

     の白襲來的? ︵どこから来たんだい?︶﹁騎駝祥子︑﹄三︶

 このように︑民国期になってやっと﹁匹曙﹂という表記になったこと︑また

﹁邨里﹂に代わって北京を中心に使われていた﹁郷几﹂がだんだんとその後

﹁普通話﹂のスタンダードになっていったことがわかります︒

子詳鴎駿

木柵・没有木門・没有門槙・群子心中一動−琵房i財圭;木柵而没門止一養騎駝二巴兇!好肥・他就在損兇休息曾見唱・菖二有個好機會把騎駝打螢出監鳴一

 ﹃色一色!色!﹄三子脳弓駝椚脆下;劃於調動騎劇的ロ號・他只暁﹃色・色・﹄是表示脆下;他根得意的態用出來・特意敬村人椚明白他並非是外行︒騎駝椚其脆下了︐他自己也大大方方的坐在一株小柳樹下︒大家看他

他也籍大家;他知道只有這様縷足以減少村人的懐疑︒  坐了一會見・院中出來個老者・藍布小掛傲着懐・瞼上役亮︐一丸便知道是郷下財圭︒摩打撃了主意:

 ﹁老潜︐水現成肥?喝碗一﹄

 ﹃剛μ!一老者的手在胸前嵯着泥捲︐打量了群子一眼︐

細細看了看三匹騎駝︒﹁有.水一脇見來的?﹄ ﹃西邊!﹄鮮子不敢脱地名︐因爲不準知道︒

 ﹃西邊有兵騎?﹄老者的限釘住騨子二軍二一

 ﹃敬大兵裏了去︐剛逃出口る﹄

 ﹁戸口1騎駝出西ロ没什麻⁝険磁呪?﹂

(10)

今週のまとめと宿題      塾

 それでは今日お話ししたことをごく大まかに黒板にまとめてみましょう︒

︿上古漢語﹀

悪 何

︿中古漢語﹀

何処 何

何所 ︿早期白話﹀何処何所在

那辺

那裏甚処 ︿明清白話﹀那里那几

    奪

 ではこれで授業を終わります︒今週の宿題も黒板に書いておきました︒

ですが︑これで終わりにします︒ では五分ほど早い

︻今週の宿題︼﹇どこ﹈という意味の漢語の語彙を授業で挙げた以外の三つの書物から用例

       を十例探し出し︑現代日本語訳をつけること︒どの時期の書物でも可︒ ▽参考文献太田辰夫著﹃中国語歴史文法﹄︵朋友書店︑一九八一年︑朋友学術叢書本︶太田辰夫著﹃︵新訂︶中国歴代口語文﹄︵朋友書店︑一九九八年︑新訂本︶

太田辰夫著﹃︵改訂︶古典中国語文

法﹄︵汲古書院︑一九八四年︑改訂

本︶牛島徳次著﹃漢語文法論︵古代編︶﹄

︵大修館書店︑一九六七年︶

牛島徳次著﹃漢語文法論︵中古編︶﹄

︵大修館書店︑ 一九七一年︶

志村良治著﹃中国中世語法史研究﹄

︵三冬社︑ 一九八四年︶

(11)

大倉文化財団蔵﹃大唐三蔵取経詩話﹄第二回﹁行程遇猴行者処﹂

汲古書院︶︒宋学の版本で西遊記物語の現存最古のもの︒ ︵写真提供上の﹃取経詩話﹄を活字化したもの︵校録は江藍生塗︑﹃近代漢語法資料彙編宋代巻﹄一九九二年商務印書館︶︒なお︑この

第二回は三蔵法師が猴行者︵孫悟空︶と出会う場面を描く︶︒

 ﹁

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∫π庸1ナi;il.

幽蔑−熟諸照・・籾蔓︑ ︐︑㍗鍛糧肯嚇電

  

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︐︑.

1

π変営蛭匙蕩灘攣欝欝藩・

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我今来莇勿弓取煙推 +六国多再禍難

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﹁ 7 .功逮.丁︑.誓.倒

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大唐三鯨取鰹詩話3

大唐三畷紅潮鋳繕上

行糧遇嫉行者慮第二

  傅行六人︐駆血起行.法師緬日田躍動百天︐巴途百萬2各人趨.一小師感繕.行鉦一四已家︐偶

於一日午縛︐見一白衣舞オ礎正東而寒︐便娩釦幽︑﹁萬榔ρ萬杷一瓢尚今柱何露︐莫不二碍往酉天取

翅否﹂油卿合旗日..﹁貧鮒尾勅﹂属東土乗生崇有簾敏﹁最門経也.﹂勇オ日4顎角生前用畢雪腹続∂噸

日蝕難5此罰著去︐千苑通塞.﹂法噂云..﹁怖麺阿得釦︐﹂鋤オ84我不赴瑚人︐我凸藁山2雲綱八翼

四千銅駁餓綴劉盤王.我呉楽駒和一蹴鰹.此去百萬穐途︐経迅三十六団︐拶宥禍醸之慮.﹂法師醒

日..﹁果自動此2二世有司.束土衆生︐獲火利益.一富煙a呼唱盤行看.

  円行七人︐次日同行︐左右伐日.段行者乃田詩日..

  ﹁冒瓦費途帰郷逢︐今來佐馳大師前.

  一心祝隠蟹π教︐隅往百天羅足山.﹂

三壷漫師絢西日オ

  ﹁虻n前生窟窃絵2今朝三王大明繭双.

  大瑠三配融経39       =三竃

 蒙  儂  O

前途若到妖魔慮︐璽贋神通斌傷醜.﹂

人大開天王富窮三

  漉師行程漫水之次﹂岡験行者日4一年餓銭凶行奢各日..﹁九度見黄何溜ご強節不畳失笑︐大生慢

疑・遂事く汝年爾少︐何得蔓綴︻言﹂行者日..﹁我年2小﹂歴過世代萬千︐知得棲師前生衙下金繭天上

発途中遇害.法餌曽釦醗夢死雄缶﹂飼臼..﹁不釦.﹂行竃日4和働蓋縁雷日偽注棄全7遵縁未晦致

見如此︹己ご法知日..﹁汝若晶丸度見黄河蔵︐曽釦天上勉府蹴否﹂行者寄日..﹁阿有不如.﹂鹸鯵国日..

﹁天上今日育甚事﹂行者日..﹁今日北方融汐門大莞天王水晶宮設費瞬﹂法鱒日..﹁借汝厩尭2岡往赴二

七﹂行者教奪獣行m日︑行者作注︐曳久之閃︐総始協錫搬行七人都在北方大島天王官了︒且見番二

千座︐懸条萬種︐鼓渠瞭暁︐*愈畜鋳..五百量湊︐眉循口伴︑郁曾富中︐堵傭償法.偶熱一障凡人氣︐大

梵天王同日..﹁今日隠田有凡人欝無﹂尊老答日︑﹁今日下腕大唐口内3有鱈玄勢蟹行七人赴水品野︐是

致有欝人氣.一欝時圏重三置漢日︹巳..﹁氏人三生出世︐佛放例全.一便鑓下昇誌図引賛薩庫鋸鉦ρ箭上

ホ琴座.強弓上之不得.琢漢目ε﹁凡岱肉身︐上之不得︐山上尻昏座.﹂一上層縄.■漢両日.︐﹁今日謝

師判官﹂師善簿口囲﹂玄日日︑﹁目口堺得︐無鰹臨画︒﹂謹漢日..﹁曾講^慈華鰹跳己﹂三富日.︐哨此赴小

事.﹂雷晦五百尊者︑大発王﹂千銘人︐群系謄慈.玄発一気窮説ノ翔幾注水﹂大闘玄妙.衆皆誘駅3不

可島繊.寿腿欝行.憂湊日︒.﹁師魯甫遡往西天取蓬︐属佛酪未全3常被深沙神俸華︐損害性命.令日

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