考古学ミュージアム主催講演会記録
博物館展示と昭和の時代
一記憶をたどる展示の試み−
福田匡朗l) ・中村友昭2)
1) 861̲O561 山鹿市鹿央町岩原3085熊本県立装飾古墳館
2) 891‑0144鹿児島市下福元町3763‑1 鹿児島市立ふるさと考古歴史館
司 会山本量恵!)
記 録別府佳祐2)
l)鹿児島国際大学国際文化学部
2)鹿児島国際大学大学院国際文化研究科
よく言われていました.私は新しい時代の歴史を研究して いるものですから,先生とよくそうした話をしていました.
100年経つと歴史になる.先生の言に従うと90年を経て,
昭和もそろそろ歴史の時代に入ってきたことになります.
昭和に生きた者として灌概深いものがあります.考古学 ミュージアムが昭和の展示について企画したこの講演会は 時代を先取りしたものといえましょう.
大学において, このような附属施設があることは貴重な ことでして,今後とも地域に根ざした博物館として活動し たいと考えますし, スタッフー同努力しますので,皆様に おかれましても, この考古学ミュージアムを支えていただ いて,国際大学の名物となるように, ご支援いただければ と思います.簡単ではございますが,挨拶とさせていただ きます. ありがとうございました.
司会(山本)
みなさんこんにちは.本日は考古学ミュージアム主催講 演会「博物館展示と昭和の時代」にご来場いただきありが とうございます.今回の講演会では,博物館の展示の中で も,身近な時代,人々の記憶に残る時代である「昭和」の 時代に焦点を当てて,展示の意義や魅力,展示の裏側につ いて迫ってみたいと思います.
それでは,最初に国際文化学部国際文化学科長の木村真 樹男先生にご挨拶をいただきたいと思います.
木村真樹男(国際文化学科長)
皆様こんにちは.国際文化学科長の木村と申します.本 日は考古学ミュージアム主催にお越し<ださりありがとう ございます. なぜ私のような門外漢がご挨拶をすることに なったかといいますと,考古学ミュージアムは,鹿児島国 際大学国際文化学部の附属施設ということになっていまし て,学科長として挨拶を, ということで担当することにな りました.本日は熊本県立装飾古墳館から福田先生,鹿児 島市立ふるさと考古歴史館から中村先生,お二人の講師を お招きして講演会を開催しますが,講演会のテーマは昭和 の時代の展示についてとなっています.皆様ご存じのよう に,今年で昭和の初年から数えると90年となります.私 は1945年,昭和20年の生まれで,昭和の時代に生きた,
といえるかと思います.私の恩師である村岡哲先生が,「歴 史というのは100年経たないと歴史にならないのだよ」と
司会
ありがとうございました.それでは,最初にお話しいた だく講師の先生をご紹介したいと思います.福田先生は,
九州大学大学院を修了され,平成26年4月より熊本県立 装飾古墳館で学芸員として活躍されております. ご専門は 考古学で,弥生時代から古墳時代の土器と集落を研究され,
論文など執筆されていますが.装飾古墳館では企画展や講 演会などイベントの運営も担当され,多方面で活躍されて おります.本日は,装飾古墳館での活動をご紹介いただく とともに,第二次世界大戦中にオーストラリアとの交戦で
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た環境を.展示の一環としてそのまま見せることがコンセ プトであると安藤さんは仰っているのですが, コンセプト をもとに装飾古墳館を設計されたそうです.
最近の状況ですが,平成25年度に.園路をリニューア ルしまして.舗装とかをだいぶ手直しをしました.古墳群 なども見学がだいぶ便利になりました.一度行かれたこと のある方は,久々に行ってみると道が締麗になっているこ
とが分かると思います.
スライドに少し円形状のスロープになっている場所があ ると思いますけど.実は本館隣にある岩原双子塚という前 方後円墳をイメージして.古墳と点対称の位置となるよう に建設されていますスロープを降りて本館に入って. さ らに地下にメインの展示資料である装飾古墳室があり.そ ちらにたどり着くような設計がされています. これが装飾 古墳館を上空から撮った空中写真です. ちょうどこのあた りに岩原双子塚という前方後円墳があります.国指定史跡 の岩原古墳群の隣に.博物館があるという.非常に景観に恵 まれた場所に私の勤務先があるといえます
それでは,業務の内容についてお話をしたいと思います.
現在は 三本立てでやっていまして,調査・研究,企画展 示教育普及です.今日のお話のメインになるのは,企画 展示になりますが.それ以外もいろんな業務をやっていま すのでこれを機にみなさんに知っていただきたいと思い ます調査研究ですが当館が装飾古墳を専門に扱って いる博物館と最初に言いました古墳には全国で数十万あ るといわれていますが,装飾古墳はわずか660ほどしかあ りません熊本県内には.全国で最多の195基装飾古墳が ありますご当地の鹿児島はどうかといいますと,残念な がら装飾古墳は確認されていません. また.実は当館は鹿 児島県とつながりを持ってしまして,鹿児島県から子供さ んがよく来訪されます.それはなぜかというと.熊本県の 北端に三井グリーンランドという遊園地がありまして.修 学旅行の時期に鹿児島の方がそちらを周る学校が多いよう でして. 当館は三井グリーンランドから車にて20分ほど で着きますので.帰りに当館に寄るというコースを設定し ていただいているようです.それで.修学旅行シーズンは 鹿児島市内から装飾古墳館にお越しになる方が多いようで す.
それでは, 当館ではどのようなことをしているかという と.県内を中心に装飾古墳の環境調査を実施しています 装飾古墳は,年中いつでも見ることができるわけではあり ません見学に適した時期があるということが長年の研究
■
福田匡朗氏(熊本県立装飾古墳館)
戦死された松尾中佐のご遺族とオーストラリアとの現住の つながりをテーマとした企画展についてご紹介いただける
とのことです.それではよろしくお願いします,
福田
ただいまご紹介いただきました熊本県立装飾古墳館の福 田と申します.私の勤務先では.普段.古墳時代の装飾古 墳のことを扱っておりますが,今日は昭和の時代について,
展示とからめてお話ししてほしいということでかなり悩ん だのですが,偶然私の館で昭和の時代.戦時中から戦後の 展示を毎年開催していたものですから,そのことも含めて ご紹介したいと思います.
今日は. 「熊本県立装飾古墳館の取組み−古代から昭和,
現代への交流へ−」というタイトルでお話しさせていただ きます.最初に熊本県立装飾古墳館についてご紹介したい と思います熊本県立装飾古墳館は.平成4年4月15日 に開館しました県立としては唯一,装飾古墳を専門に扱 う博物館です熊本県と県北の市町で古代の森協議会とい うのを構成していまして.本館が所在する山鹿市の鹿央地 区それから山鹿地区,それと江田船山古墳という有名な 古墳がある菊水地区それから山鹿市の菊鹿地区最後に 菊池市の菊池地区この5地区からなる.広域の史跡等を 守っていく協議会をつくっています.その中で. 中核的施 設として装飾古墳館を位置づけています
熊本県立装飾古墳館は.有名な建築家の安藤忠雄さんの 設計によるものです.安藤さんの造った博物館は.近つ飛 鳥博物館など大阪に結構ありまして、安藤さん自身は大阪 出身なので大阪でよく設計をされているのです当館のあ る鹿央地区には,前方後円墳がそのまま残っておりまして.
その他にも8基の円墳がありまして,古墳がそのまま残っ
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の結果,分かってきました.夏場の暑い時期や.冬の寒い 時期は.見学する人間にも優しくないですし.古墳にもあ まりよくないということが考えられていますでは見学・
公開に適した時期はいつかというと,古墳に影響の少ない 時期を選定するための環境調査を実施しています.主に年 間を通じた温度・湿度の計測を実施しています. また肉眼 観察で古墳の装飾部分に影響がないかどうか.確認してい
ます.
装飾古墳は全国で660か所あると紹介しましたがその 中でも色を塗るものや色を塗らずに線刻で線や文様を描 くものがあり.それらを総称して装飾古墳と呼んでいます.
スライド左側では熊本県内の装飾古墳の分布を示していま す.装飾古墳は.県の北側に分布が集まるのがお分かりに なるかと思います鹿児島県に近い球磨川流域にも分布が あります. スライド右側は全国の装飾古墳の分布ですが 九州が多く.熊本がその中でももっとも多いです.全国的
には.装飾古墳がない県もあり,ご当地鹿児島県は装飾古 墳がまだ見つかっていない場所です
のちほどお話をする企画展示にも関わりますが,企画展 示に加えて調査研究も行います.今年度は10月25日と 26日に県内l1か所の装飾古墳を一斉に公開しましたこ のような取り組みは福岡県でもされていまして,福岡県で は県内一斉ではないのですが,河川の流域単位で装飾古墳 の公開が行われています.福岡県熊本県で地域と場所を 限定して公開が行われています
今年度につきましては 春の3月21日. 22日に公開を 予定しております.公開する場所は調整しておりますので.
ホームページなどでご確認いただければと思います.
装飾古墳の公開のお話をしましたので.秋に公開した装 飾古墳についてご紹介したいと思います.北のほうから紹 介しますとこれは和水町の塚坊主古墳という装飾古墳で す三角文という文様を色で塗り分けて表現しています.
次が,菊池市の袈裟尾高塚古墳です熊本では石室の中 に石屋形という棺の代わりとなるような施設をもってお り, これに装飾を施しています.
次は,玉名市の大坊古墳です. こちらにも中に装飾が施 されていますこれが玉名市の永安寺東古墳です.すでに お気づきになった方もいらっしゃると思いますが装飾古 墳は古墳の中に装飾を施していますので普段は外側から 目にすることはできません現在.山鹿市の横山古墳とあ りますがこれは移設された装飾古墳で.元来は熊本市植 木町にあったものが.九州自動車道を建設する際に発見さ
…
ーご更一軍一
一一
熊本県立装飾古墳館の外観(熊本県立装飾古墳館提供)
れ.その後.装飾古墳館の中に移設したものでして.時期 を定めて公開しております.装飾古墳館にお越しの際は.
機会がありましたらぜひご覧いただければと思います それから.熊本市の石之室古墳です. これは.城南町と いう熊本から鹿児島へ九州自動車道で出かける際に必ず通 る場所なのですが,古墳を保存するためにトンネルを作っ た場所でして.塚原古墳群の中に石之室古墳という装飾古 墳があります
それから.熊本県のちょうど真ん中にある宇城市の字賀 岳古墳というのがあり. これは県の指定史跡となっていま す. こちらは八代市の田川内l号墳という装飾古墳です 鹿児島県に近いところでは.球磨郡錦町に京ガ峰横穴墓群 がありまして, これは今までご紹介した墳丘をもつ古墳で はなく.横穴墓の装飾古墳です.県指定の史跡ですが,現 地でも割とよく装飾が見える古墳です.屋外に露出してい る状況でして,崖面に穴を掘って墓を作っています. これ が人吉市の大村横穴墓群です. JR人吉駅の真裏にある装 飾古墳ですので.見学のしやすい装飾古墳であると思いま
す.
南に行きまして,上天草市の長砂連古墳という装飾古墳 です昨年秋の装飾古墳の一斉公開で初めて大々的に一般 公開した装飾古墳ですが.直弧文という直線文と円文を組 み合わせた日本独自の文様を施しています
次に.企画展示をご紹介したいと思います.私が当館に
着任して初めて行った企画展が,今日お話をします「平和
への誓約(うけい)展」です.平成26年7月29日から8
月31日まで開催しました.その次に開催しましたのが「勾
玉が語る古代のアクセサリー展」です. 9月11日から1 1
月18日まで開催しましたその次に平成26年11月22
日から平成27年1月12日まで「今に甦った装飾古墳の
絵柄たち−ひの<に高等支援学校の試み−」を開催しまし た.当館の木崎館長が中心となって開催しました.最近の 博物館は外部の機関とのコラボレーションが進んでいます が,熊本県内のひの<に高等支援学校と連携を試みまして,
装飾古墳の絵柄をもとに高等支援学校で制作された木工や 陶芸品などの作品を当館で展示を行いました.
次に,現在当館で開催している企画展をご案内します.
現在「鹿角製品が語る装飾古墳展〜国越古墳出土遺物から 見た東アジアの地域間交流〜」を開催しています. これも 装飾古墳に関連した展示ですが,装飾古墳の文様の中に,
刀子と呼ばれるカッターのようなもの,飾りが表現されて います.その飾りは,鹿の角でできていることが多いよう ですので,それらを含めて鹿角製品を展示しています.
最後に教育普及についてご紹介します.当館が開館当初 から,体験参加型の博物館を目指そうとしてきました.今 年度は,当館のオリジナルメニューとして古代絵画教室と いうのがあります.県外2団体,鳥取県と兵庫県に呼ばれ ました.最近の博物館では,お子さんや親子連れをターケッ
トとしてさまざまな体験活動をされています.兵庫県立考 古博物館はフェスティバルと銘打っていますが,体験活動 の甲子園といったもので,全国各地から博物館職員が呼ば れまして, 自分の館の体験活動,教育普及活動を披露した というわけです.私たちも,その場に参加しまして,教育 普及とは何であるのか,体験活動とは何であるのかを学ば せていただくとともに, 自らの活動を紹介する場を与えて いただき,光栄なことと思います. 同じように,鳥取県の 麦木晩田という遺跡がございますが, 「むきばんだまつり」
が開催されていまして,そこで古代絵画教室を実施しまし た.古代絵画教室についてご紹介しますと,装飾古墳を描 く素材は阿蘇熔結凝灰岩という阿蘇山の噴火に伴う熔岩が 固まったものですが,熊本県の装飾古墳は阿蘇熔結凝灰岩 に描かれたものが多いです. この絵画教室では,阿蘇熔結 凝灰岩でできた石版を用意しまして,石版に絵や線を書く
ことで,装飾古墳の世界を理解していただければと考えて います.絵画の顔料も,実際に装飾古墳で使用されたもの を再現しまして,赤色はベンガラを用意しました.お子様 にも喜ばれていたとのことです.
それでは,当館が開催しました「平和への誓約(うけい)
展」についてご紹介したいと思います.装飾古墳のことに ついてお話してきましたが,装飾古墳の博物館がなぜ「平 和への誓約(うけい)展」を開催したのかを説明する必要 があると思います.熊本県の方針としまして, 「幸せ4か
年戦略」というのがありまして,その中で地域の歴史を記 録して日本や世界を担う人づくりを行う教育機会を設ける
ことも業務の一つであるとしています.県立の装飾古墳館 ということで,郷土の歴史や文化を守ることは重要である と考えています. また熊本県は県立の総合博物館をもちま せん.現状では,それに準じる機能を当館が果たしている と思いますので,新しい時代のことも必要に応じて取り組 む必要があると思っています.
「平和への誓約(うけい)展」について再度説明します.
日本神話の「古事記」の中で, 「誓約(うけい)」という言 葉があるそうです.今年で戦後70年を迎えます. 「平和へ の誓約(うけい)展」開催の際は,毎年昭和20年8月15 日の太平洋戦争終戦記念日にかかりますので,第二次世界 大戦,太平洋戦争の終戦記念日が思い浮かびますが,平和 への誓いを新たにしようということで,展示を行っていま す.
今年度で通算5回目を迎えました. どのようなものを 展示しているかというと,故松尾敬字中佐のご遺族からの 遺品の寄託を当館が受けていまして,松尾家寄託資料を中 心としています.
熊本県以外の方は,松尾さんのことをご存じない方が多 いと思いますので, ご紹介しますと, 1917 (大正6)年に 生誕されました.当時の鹿本郡三玉村,現在は山鹿市となっ ています.地元の鹿本高校に入学されまして, 1935 (昭和 10)年に広島の江田島市にあった海軍兵学校に入学され,
卒業されています.その後1941年(昭和16年),真珠湾 攻撃の参謀として参加されました.
これは,松尾中佐の鹿本中学時代の写真です. 中心の方 が松尾さんです.かなり体格が良かったようです.次の写 真が,中尉時代の松尾さんです.
松尾敬字さんは, 1942 (昭和17)年に特殊潜航艇に乗 り込みます.特殊潜航艇は,空母に搭載された状態で出撃 していく潜航艇です.特殊潜航艇は, 当時の日本海軍の秘 密兵器で,真珠湾攻撃や, オーストラリアのシドニー湾,
遠くはアメリカのマダガスカルの戦闘にも利用された,二 人乗りの潜水艦です.松尾さんは特殊潜航艇に乗り込み,
最後はオーストラリアのシドニー湾の中で戦死されまし た.死後, 1943年に二階級特進されて中佐となりました.
シドニー湾に至る様子を説明しますと, 1942 (昭和17)
年5月, シドニー湾への砲撃に対する特殊潜航艇の艇長に
選ばれました. 出撃までに,広島の呉でご家族とともに過
ごされました. 3艇で出撃しまして, 中馬大尉と大森一曹
恐 航窄蠅艇『代lⅡの堀剛 し 、
の
松尾敬宇氏の幼少期の日記(熊本県立装飾古墳館提供)
航空母艦千代田の模型(熊本県立装飾古墳館提供)
人が,果たして何人いるであろうか」
このような言葉を残されています. オーストラリアの海 軍の中でも敵の軍人を丁重に扱うことにかなり抵抗があっ たようですが,当時の司令官の決断があったようです当 時は戦争中ですが,ご遺体は戦時交換船に乗って日本へ帰
国したとのことです.
次に,敵国のオーストラリアで戦死した松尾中佐に関し て,戦後の日本とオーストラリアの交流があり,その点が 重要だと考えますし,説明したいと思います1965年7月.
オーストラリアの連邦戦争記念館館長のマッグレース夫妻 が当時80歳の松尾中佐の母まつ枝さんを訪ね, オース トラリアでは松尾中佐のことが記憶に残っている. オース トラリアにぜひ一度来てほしい. と話しました. この写真 は,松尾さんのご実家で,マッグレース夫妻が訪問したよ うすです. このような要請があり, 1968年(昭和43年).
まつ枝さんはオーストラリアを訪問しましたこの写真は.
松尾中佐が最後に亡くなった場所をまつ枝さんが訪れた写 真です. シドニーでは,海軍が出迎え. シドニー市内で大 歓迎を受けたとのことですこの時, まつ枝さんは松尾中 佐の潜航艇が展示されている戦争記念館を訪れ.展示をご 覧になったとのことです.
その後まつ枝さんは1980(昭和55)年に95歳で亡くなっ ています松尾家では短命の方が多かったようですがま つ枝さんはかなり長生きされましたこの写真は.松尾中 佐のお墓に, 日本とオーストラリアの国旗を掲揚している 様子です. 2002(平成14)年に. オーストラリアの元首 相ロバート ・ホークさんが熊本に来られて,松尾中佐の墓 をお参りされ献花をされています.それにともなって, 日 本とオーストラリアの国旗が掲げられているようすです
ロバート ・ホークさんは. 「ボブ・ホークスカラシッ が発進して,そのあと伴中尉と芦辺一曹の潜航艇が発進し
ました.松尾大尉の潜航艇は3番手だったそうです. 中馬 さんは最初に出撃された方ですが.鹿児島出身だったよう です.中馬艇は途中でオーストラリア軍の防御網に引っ掛 かりまして.身動きができずそのまま自爆されています.
伴艇は,オーストラリア側の輸送艇を撃沈しましたが帰っ てくることはなかったとのことです.
松尾艇は二人乗りで,最後は部下の都竹二等兵曹と自決 されますその後の話は 感慨深いものもありますので説 明しますが. オーストラリア海軍によって中馬艇と松尾艇 は引き上げられました.そしてシドニー近郊の斎場で海軍 葬という形で葬られました唯一,行方不明になっていた 伴艇は, 2006年12月にシドニー湾の海底で発見されまし たつい最近まで海底に沈んでいたわけです.
写真をご紹介しますと.左が松尾中佐の実際の棺です 右が.松尾中佐が乗り込んだ特殊潜航艇ですこの特殊潜 航艇は,オーストラリアの博物館で展示されています
オーストラリアがなぜ海軍葬を行ったのかといいます と。 当時のオーストラリア海軍の中でも異国の軍人を海軍 葬という形で葬るのは抵抗があったようです. ところが.
オーストラリア海軍の司令官の少将がこのように述べまし
た.
「私は敵国軍人を,海軍葬の礼をもって弔うことに反対
する諸君に聞きたい. 勇敢な軍人に対して名誉ある儀礼
をつくすことが, なぜいけないのか勇気は一民族の私
有物でもなければ伝統でもない これら日本の海軍軍人
によって示された勇気は,誰も認めるべきであり,一様に
讃えるべきものである. このような鉄の棺桶に乗って死
地に赴くのには.相当の勇気が要る. これら勇士の犠牲
的精神の千分の一でも持って祖国に捧げるオーストラリア
プ財団」を設立しています.財団では, 日本とオーストラ リアの中学生によるホームステイの支援を行っています.
熊本県では,山鹿市の中学生が定期的にシドニーに短期留 学をしており,現在でも続いているようです.戦後,現在 まで交流が続いているということをご理解いただければと 思います.
松尾中佐の死は, ご遺族にとって悲しい出来事であった と思いますが,松尾中佐の死は,戦後日本とオーストラリ アとの民間レベルでの交流のきっかけとなったといえると 思います.双方の国をよく知るということが,大事である と思いますし,交流が今後も続いていけばと思います.
現在の松尾家では,姪っ子さん一家がお住まいになってい ます.
最後に紹介したいのは,変わった花と思われるかもしれ ませんが, これはもみじでして,少し変わった形をしてい るので気になっていたのですが,松尾中佐がずっと持って いた手帳がありまして,手帳にはもみじの押し花がひっそ りとはさまれていました. このもみじは2代目だそうです が,松尾中佐は軍人としての一面と同時に, このような美 的感覚をお持ちの方だったのだと思います.
私自身もこのような話をする機会もなかなかないのです が,熊本出身の一青年の一生と戦後の日豪交流をご紹介し たわけですが,短い時間で伝えきれないところもあります ので,来年度の8月15日前後に企画展を開催しますので,
お越しいただければその時にもお話しできると思います.
ぜひ熊本にお越しいただければと思います.今日はありが とうございました.
中村
みなさんこんにちは.ふるさと考古歴史館学芸員の中村 と申します. よろしくお願いいたします.今回の講演会で 昭和の時代の展示に関する話をということで,悩んでし まったのですが,ふるさと考古歴史館では,昭和を扱った 展示というのは何回か開催しております.展示を通して,
学芸員としてどのように展示をしたのか,そしてそれ以外 の部分にどのように展開したのか,そこにどのような課題 が浮かび上がったのか, ということを,実例を通して話を お願いしたいとのことでしたので, お引き受けしました.
気楽に聞いていただければと思います.
最初に,ふるさと考古歴史館を紹介させていただきたい と思います.鹿児島市内の埋蔵文化財の保存・活用を図り,
遺跡の発掘調査成果(出土品)の展示を通し,市民に生涯 学習の場として利用されることを目的として建設されまし た.鹿児島市内にはいろいろな博物館施設がありますが,
歴史民俗資料館のような民俗や郷土史を扱うような館はあ りません.県立では黎明館がありますが,市の施設となる と存在しません.ふるさと考古歴史館にしても,考古学が メインとなっておりますので,そのような要望は多くあり ます.考古学だけに限ることなく,民俗学や郷土史など,
幅広い視点から郷土の歴史・文化を取り上げる活動をして
います.
最近の来館者の方々の要望の中には,昭和時代を取り 扱っていただきたい, 自分たちの身近な歴史をぜひ扱って ほしいという声が寄せられています.そこで, ここではこ れまで開催した展示の中から実例を通してお話したいと思
います.
ふるさと考古歴史館は,鹿児島市下福元町の慈眼寺公園 内にあります.鹿児島国際大学とは,谷をはさんで隣の 台地に建っております. 1997 (平成9)年に開館し,今年 で18年目になります.ふるさと考古歴史館の常設展では,
遺跡からの出土品,たとえば縄文時代の土器や江戸時代の 陶磁器を展示しており, また縄文時代草創期の掃除山遺跡 の様子を復元した模型や映像機器を使って,老若男女にか かわらず,市内の発掘調査や鹿児島市域の歴史を学んでい ただくことを目的とした展示を行っています.
常設展示のほかに,企画展も行っています. これは現在 開催している企画展でして,縄文土器の文様を一般の人が みたままにモチーフ化して,それを草木染めという形に変 え古代服やタペストリーを作っていただきました.
これが展示室の平面図です.決して広いとはいえない展
司会
ありがとうございました.つづきまして鹿児島市立ふる さと考古歴史館で学芸員として勤務されている中村友昭先 生に講演いただきます. 中村先生は熊本大学大学院を修了 され,平成23年よりふるさと考古歴史館で勤務されてお ります. 中村先生のご専門も考古学で,古墳時代の貝のア クセサリーについて研究されていますが,ふるさと考古歴 史館ではさまざまなテーマの展示, イベントを企画されて おります.今日は,ふるさと考古歴史館の活動と, これま での昭和の時代を扱った企画展,そこで得られた成果や課 題をお話いただけるとのことです.それではよろしくお願
いいたします.
示室ですが.年4回企画展を開催しています特別企画展 1回と春・夏・冬季に企画展3回を開催しています料金 はそのつど定めていまして.原則として、歴史を中心に郷 土の文化や民俗をテーマとして設定しています.季節的な 問題や料金的な問題などが相互に連動して.企画展の来館 者数につながっています.来館者数について.数だけにこ だわるのはどうかという意見もあるのですが. 当施設が平 成23年から管理が指定管理者に移行したということもあ り,数の増減は問われます.私たちも多くの方々に展示を 見ていただきたいというところもあり,来館者数を頭に いれて企画展を開催しています
次に,ふるさと考古歴史館で昭和をテーマとした企画展 示の実例を挙げてみました. 『ふるさと町並みいま・むか し写真展』は平成14年4月20日から6月30日に開催し ましたが,昭和の街並みについて写真を通じて展示した企 画展でした次に『なつかしの学校展』は平成16年7月
17日から9月20日まで開催しましたが,昭和の時代の学 校のようすを写真で展示した企画展です『子ども昭和史」
は平成17年7月16日から9月19日まで開催しましたが.
昭和の駄菓子屋のようすや路地裏のようすなどを展示室 に復元して遊んでもらいながら展示を楽しんでもらいまし たこのように、昭和に関する展示は平成14年から定期 的に行っています.
そのなかでも,今回ご紹介しますのは,私が携わった展 示になりますが,平成24年6月30日から8月31日まで 開催した『タイムトラベル1昭和の学校へ行こう! !」と.
平成26年7月1日から8月31日まで開催した『ふるさと アーカイブズ〜未来に伝えたいかごしまの記憶〜」につい て,実例としてお話したいと思います.
まず, これは平成24年の夏の企画展である『タイムト ラベル!昭和の学校へ行こう! !』のチラシの画像です.
来館者数は, 6,492人でして,一日計算で1202人ほどの 来館者数でしたコンセプトは. 「誰しもが経験してきた 共通の歴史」「子ども.親祖父母と3世代に渡って懐古 できる歴史」.前者は「学校」.後者は「昭和」に置き換え られる, ということで. 「昭和の学校」とテーマを設定し た次第ですただし, さきほど申し上げましたように.ふ るさと考古歴史館は埋蔵文化財を収蔵している施設ですの で,関連する資料展示を自前で行うのは難しく,資料借用 に頼らざるを得ないのが実際ですどのように資料を収集 したかというと.市内の小学校に協力を要請し,学校で保 管されている道具や写真をお借りしました.借用の際は市
中村友昭氏(鹿児島市立ふるさと考古歴史館)
を通じて文書を発送し借用を依頼したのですが. なかなか 思うようにいかず.難儀をした次第ですまた個人で保管 されている収集家のネットワークで,学校が終わった後に 使っていた遊び道具についても収集しました
この写真は観覧風景ですが,親子連れの方々にたくさん きていただいて.静かに観覧するというのではなく,みん なでわいわい盛り上がりながらこれはこういう使い方を するんだよとか. これはこの時の写真だよとか.私として
は狙った通りの反響となりました
実際どのような道具を展示したかといいますと,小学校 に保管されていた.授業で使われていた道具を展示しまし た.国語・算数・理科・社会などの教科ノートを集めて展 示しましたこれは大竜小学校で保管されていた地球儀,
これは昭和40年代に使われた顕微鏡ですあとは, ミシ ンとか裁縫道具なども展示しまして.おばあちゃんがお孫 さんにこれはこういう使い方をしたんだよ, と教える姿 が見受けられました.あと.謄写版も展示しまして,謄写 版といえばエジソンによって発明された印刷道具です. こ れはどのように印刷したのかについては,学校を退職され た元先生の嘱託職員に, こういう風に印刷したんだよ, と 説明を受け展示いたしました.ただし.私は実際に見たこ とがありませんので.言葉でどんなに説明してもなかなか 理解していただけないことがありますこのようなものは,
展示物と説明板だけでなく違う展示方法があったのではな いか. と考えています.
これは中郡小学校からお借りしたのですが,電話はどの
ようにして今の形になったのか, ということを示した展示
です. これも学校で実際に使われ保管されていたというと
ころから展示したのですが特に電話は小学生に身近なも
のですので. こうした変遷の展示が受け入れられたような
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昭和期の小学校を再現した展示(鹿児島市立ふるさと考古歴史館提供)
昭和期の小学校の保健室の再現(鹿児島市立ふるさと考古歴史館提供)■■
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昭和期の漫画雑誌の展示(鹿児島市立ふるさと考古歴史館提供)
展示室での紙芝居上演のようす(鹿児島市立ふるさと考古歴史館提供)
来はイスが繋がれた当時のものを置きたかったのですが.
入手困難な資料もあって.そろえるのが難しかったです.
雰囲気づくりという点では良かったかなという気がしま
す.
これは現在桜島で休校になっている高免小学校の資料を お借りしまして.高免小学校の保健室のようすを再現して います聴力検査の機械や聴診器も保管されていますので.
それらも展示しました. また視力検査の道具も展示しまし て.子供たちに視力を計測する体験をしてもらいまして.
雰囲気を味わうという意味では効果を発揮したように思い ます.
遊びを通じた子供の姿というコーナーも作っています 鉄腕アトムなどの漫画雑誌も個人のコレクターからお借り
しました. カッタ. メンコや,ボンボン船というぜんまい で動き出す船のおもちゃもあり.男の子用と女の子用と コーナーを分けて展示しました.
これは,紙芝居でして,企画展示室の中で定期イベンI、
として企画展開催中の土日に開催しました. また自転車は 個人が所有されていた昭和20年代のものを借用しました.
気がします.
モノだけでなく.学校に関する写真展示も行いました これは谷山地区でも大きな学校である和田小学校の変遷で すこれが昭和の初めごろの木造校舎でして.それが新し くなっていくようすです学校の変遷以外にも和田小学校 の周辺に変化がありまして.現在は周囲に家が立ち並んで いますが.当時は周囲がたんぼで囲まれていたことがわか りますこれが現在の和田小学校になりますそのほかに も当時の身体検査の様子や.喜入小学校での運動会の様 子の写真も展示しました.写真には,いまでは見かけなく なった組体操やピラミッドなども行っていたことも紹介し ました特に地元で育ったお父さん.お母さんたちが. 自 分が写っていないか. と子供たちと一緒に探す様子も見受 けられました
それから展示だけでなく、できるだけ体験していただく
ということで当時の学校の雰囲気を再現した体験型展示も
行っています. これは喜入小学校で保管されていた道具を
一式お借りしまして.当時の教室の再現をしています本
は太陽国体が行われる直前の鴨池地区です.今の様子とど う比較すればよいかというと,変わっていないのは鴨池市 民球場です.鴨池球場の横にあるのが,国道225号線です.
こちらが東側の錦江湾になります.今のダイエーがある辺 りが,当時は鴨池動物園でした. こちらが県庁のある辺り ですが, これが鴨池空港でした.遠浅の海岸だったこの辺
りが与次郎ヶ浜という浜だったのですが, これが埋め立て られて,太陽国体に合わせて建設された鴨池陸上競技場と なります.今は市民文化ホールがたっている辺りです.鴨 池動物園をみてみますと,大正5 (1916)年に日本で4番 目の動物園として開園しました.昭和47 (1972)年に現 在の平川町に移転(平川動物公園) しております. これが 当時の鴨池動物園の様子になります.桜島があって,動 物園ですが遊園地もそなえており,幅広い展示物があった ようです.鴨池動物園の前には,鴨池動物園停留所があり ました.駅舎があったのですが,注目できるのは高架上に なっていたということです.高架の下を通って,動物園に 入っていきます.駅舎の上から動物園がみえるような構造 になっていたようです.現在,市電に乗ると涙橋近くでアッ プダウンがありますが,これは高架の影響だったようです.
これがダイエーの横にある鴨池動物園の頃の石垣でして,
今でも見ることが可能です.
次に鴨池空港ですが,昭和7 (1932)年に鹿児島市営の 水陸両用飛行場として建設されました.戦時中は海軍基地 としても利用されていたようですが,昭和32 (1957)年 旧鹿児島空港(通称鴨池空港) として開港しました. これ も,太陽国体の年の昭和47 (1972)年に霧島市溝辺町へ
移転しました.
これが鴨池空港の様子でして, これが鴨池海岸と飛行機 ですが,海水浴で遊んでいるすぐ上を飛行機が飛んでいる ということで,来館者からもどのような様子だったのです か, と質問をいただいたのですが,やはりこの写真の通り だったようです.
次に,サザンピア21です. これが開催された年が鹿児 島市制100周年であった平成元(1989)年3月16日〜5 月14日に開催された博覧会です. 「火山」と「未来」をテー マとして, 60日間で88万人余りの入場者数を記録しまし た.特にロケットに関しては錦江湾公園に移設されました ので,見られたことがある方もいらっしゃるのではないか と思いますが,地球体験館とか, H‑IIロケットの宇宙館と かがありました. これも展示したものですが,前売り券で す. ここでおもしろいのは,昭和64年3月1日と実際あ また,紙芝居も市内小学校で昭和後半期に使われていたも
のを借用しました.企画展示室内で開催しましたので,展 示をじっくりご覧になりたい方にとっては煩かったかもと 思うところもあります.
このように,私が勤務して昭和を扱ったはじめての展示 だったのですが, テーマとしてもっと昭和をとりあげてほ しいという要望が多くありました.展示を行って学んでも らうというよりも,楽しんでもらうのが念頭にあった展示 でした.
それを受けて,本年度行ったのが「ふるさとアーカイブ ズ〜未来に伝えたいかごしまの記憶〜」です.来館者数は 3,795人とだいぶ減ってしまいまして,展示の方法がよく
なかったなと反省しております. コンセプトは, 「未来に 伝えたいかごしまの記憶」という副題の通りです.展示は,
個人や公機関所有の写真を中心に借用し展示しました.た だ写真には個人情報も含んでおり,そうした問題への配慮 にだいぶ悩んだ難しい展示だったと感じています.
展示風景からみていただくとわかるように,写真展示が メインです.展示ケースに実物資料も置いてあるのです が,壁やケースに写真をまんべんなく張るようにした次第 です. どういったものを展示したかというと,昭和にあっ た鹿児島市のイベント,昭和47(1972)年の国民体育大会,
通称太陽国体や,昭和57 (1982)年のインターハイ,昭 和と平成の境に開催した鹿児島市制100周年記念事業「サ ザンピア21」です. これらをイベントとして取り上げて,
関連する資料を展示したのですが, この選定に関しては,
一つ,二つ資料があっても,一つのコーナーとしてはそろっ ていなかったりすることがあり,収集可能であった資料に 左右された事も否めません.主に鹿児島市の広報誌(市民 のひろぱ)での取り上げられ方の頻度を参考にしました.
写真の展示に加え,それらのイベントに関連する資料(チ ケットや用具,パンフレットなど)を展示することで, イ ベント開催の様子をより鮮明に示すことを目指しました.
太陽国体ですが, これが新設の鴨池陸上競技場での開会 式のようすです.鹿児島県からは,選手団のユニフォーム,
これは大変貴重なものですが,チケット,パンフレットな
どを借用して展示しました.学校展については懐かしいと
思うような展示ですが,今回はさらにすすんでみようとい
うことで,太陽国体に伴う開発, それにともない激変する
鴨池地区ということで展開してみました.開会式と閉会式
は鴨池陸上競技場で行われましたが,鹿児島県一大行事で
あったため,大規模なインフラ整備が行われました. これ
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︑ 四 D P 式
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セツ島の溶結凝灰岩(鹿児島市立ふるさと考古歴史館提供) 溶結凝灰岩製の谷山郷麓の石垣(鹿児島市立ふるさと考古歴史館提供)