伊庭可笑作『〔金時地獄破(きんときぢごくやぶ り〕』(仮題)翻刻・注釈・解題

全文

(1)

九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

伊庭可笑作『〔金時地獄破(きんときぢごくやぶ り〕』(仮題)翻刻・注釈・解題

園田, 豊

北九州市立大学

http://hdl.handle.net/2324/4742093

出版情報:雅俗. 19, pp.86-102, 2020-07-15. 雅俗の会 バージョン:

権利関係:著作権保護のため論文中の図は非表示

(2)

◉研究ノート 凡例翻刻にあたって、次のような方針によった。1  原文は、殆ど平仮名書きで、句読点を欠く為、適宜漢字に直し、句読点を補った。元の仮名は振り仮名として残した。2  原文の仮名遣い、送り仮名の不備等はそのままとした。 3  濁点、半濁点を適宜補った。4  漢字・慣用字については、原則として、新字体・現行の字体を採用したが、底本の表記に従ったものもある。5  反復記号「〳〵」「ゝ」「ゞ」は、原則として、そのまま残した。6  人物の科白には「」を付け、人物名を上に()で示した。また、注釈を施した語句・文章には番号を付した。注釈・補足は、翻刻より二字下げて記した。

〈前表紙〉村山様の賜  主し  雪洲  三の内〈丁付なしオモテ〉夫 それ1)はんくわい噲、2)こう  も 唐での強 つよい奴 やつと、皆 みなさま御存 ぞんの事、日 につほんにては、(3)さかたのきんとき(4)ちん西 ぜいはちろうためとも(5)ばやしの朝 あさ、昔 むかしばなし話の桃 もゝろう、其 そのほか、虎 とら、熊 くま、鷲 わし(6)くまたか(7)にんじん(8)くまの膽 (9)ちゝきぬ

10大坂 あふさか

せつ、革 かわいたる迄 まで、何 いづれを何 いづれと言 いゝがたき強 つよいもの也 なりければ、當 とうせい

んな 11大通の世の中に、強いものゝ親方と言っては、金銀より外なし。ど だいつうなかつよおやかたきんぎんほか

  伊庭可笑作『 〔金 〕』 (仮題)翻刻・注釈・解題 園田

きんときごくやぶり

〈前表紙〉

著作権保護のため図は非表示

(3)

〈丁付なしウラ〉

12変てこな へん

13ひよな〳〵ものでも、

なんぼ形、格好大通でも、 なりかつこふだいつう 14金さへあれば、引は取らず。 かねママひけ 15無い奴は、本のない通なり。其金の威勢 やつほんつうそのかねせい

の強 つよひから思 おもひつき付、強 つよいものを集 あつめて、

16跡先分からぬ艸帋となし、 あとさきそう

かめしく 17 18やらかせしは、

可笑作 も強い物の内ならんと、御一笑を願ふ而己。 つよものうちいつしやうねご 19押の強い奴と思召であろふ。押の強い おしつよやつおぼしめすおしつよ

(1)樊噲  中国、漢の高祖・劉邦の功臣。鴻門の会の危険から劉邦を脱出させた事で有名。(2)項羽(前二三二~前二〇二年) 中国、秦末の武将。劉邦と連合して秦を滅ぼし、西楚の覇王となるが、後に劉邦と天下を争い、垓下の戦いで敗れ、烏江で自決。「四面楚歌」や虞美人との故事で有名。(3)坂田金時  幼名は金太郎、源頼光四天王の一人。本作の主人公。金太郎の登場する作品については、鳥居フミ子氏『金太郎の誕生』(勉誠出版、二〇〇二年刊)に詳しい(草双紙の金太郎については、本稿「解題」を参照されたい)。(4)鎮西八郎為朝  平安時代末期の武将。源為義の八男、源為朝の通称。強弓の名手。(5)小林の朝比奈  鎌倉時代初期の武将。和田義盛の第三子、和田三郎義秀の通称。勇猛かつ剛力無双と伝えられ、様々な作品の題材にされた。可笑の黄表紙『朝比奈唐子遊』(天明元(一七八一)年刊)や『地獄沙汰金次第』(天明二(一七八二)年刊)では、朝比奈が主人公として描かれる。(6)熊鷹  ワシタカ科の鳥。全長約八〇糎、翼開張一・六米に達する大形のタカ。古くから鷹狩りに用いられ、また、尾羽は矢羽として用いられる。(7)人参  朝鮮人参の事。漢方で最も高貴な薬であり、高価で、大病に用いられた。また、強精剤としても使われた。(8)熊の膽  胆汁を含んだまま、熊の胆嚢を干したもの。非常に苦いが、 〈前表紙裏・丁付なしオモテ〉

著作権保護のため図は非表示

(4)

主に胃腸薬として効能が高かった。(9)秩父絹  武蔵国秩父郡(現在の埼玉県秩父市)大宮辺りで産する絹織物。丈夫で、裏地等に使われた。(

( あったという。「大坂雪踏で藁が出る」(『譬喩盡』巻四) さかせつわら10  )大坂雪駄大坂産の雪駄。一説に、外見ばかり立派で、品質が粗悪で

( これについては本稿「解題」を参照されたい。) 摘は、本作の刊行時期を考える上で、一つの手掛かりになると考えるが、 (『戯作研究』(中央公論社、一九八一年刊)三九一頁))とされる。(この指 語となったのが、安永期の「大通」なる語彙であった」(「「通」の発生」 中野三敏氏は「明和期の「通者」と天明期の「通」との間に現われて流行 と、明和六・七年頃稀に言い、安永六年から流行した言葉とされ、更に、 人)の最上の人。洒落本『一目土堤』(天明八(一七八八)年刊)による 11  )大通通人(世事人情、特に遊里の事情・遊興の道に通達している粋

( 12  )変てこ変な事。奇妙な事。へんちき、へんちきりんの意味もある。

( 意)又は「ひょんなもの」(意外な、困った、等の意)が転じたものか。 13  )ひょなひょなもの用例見出せず。「へなへなもの」(弱弱しいものの

( 14  )金さへあれば、引は取らず金さえあれば、負ける事はない。

( の洒落)である。 15  )無い奴は、本のない通なり金の無い奴は、本当の無い通(「大通」

( 16  )跡先分からぬ訳の分からぬ。

( 17  )いかめしくものものしく。大仰に。

18)やらかす

  「する」

「やる」の卑語。(

しがいい。押しが重たい、とも。 19  )押の強い図々しい。他人の思惑を考えず、我意を通そうとする。押

〈一丁オモテ〉当 とうせいの大通 つう(1)いきちよんは、(2)西 にしの海 うみへさらりと流 ながし、昔 むかし〳〵々、(3)あし

がら山にお子 さまがたもよく御存 ぞん(4)山姥 うばり。爺 ぢゞは山 やまへ草 くさりに行 きたくてもなければ、此婆 ばゝばかり川へ洗 せんたくに行しに、どふも重 おもひ物 ものゆへ、流 なが 〈丁付なしウラ・一丁オモテ〉著作権保護のため図は非表示

(5)

れそうもない筈 はづなれども、(5)なるかな、川上 かみより千両箱 ばこが流 ながれ来 たる故 ゆへ、喜 よろこびて、(6)そう〳〵山へ持 ち帰 かへる。(1)いきちょん  明和・安永・天明(一七六四~八八年)期の江戸の通言。「いきちょんちょん」ともいう。粋な者。「俏人」の字を当てたりもする。『弁蒙通人講釈』(安永九(一七八〇)年序)他、洒落本・黄表紙に用例多し。(2)西の海へさらり

う「はぐらかし」。 桃太郎話の要素が加わり、しかし、流れて来るのは桃ならぬ千両箱とい ※ここは、「足柄山」や「山姥」で金太郎の話と思いきや、川へ洗濯という たのであろう。   (6)早々山へ持ち帰るさぞ重かったであろうが、喜びの方が大きかっ 手法をよく用いた。   (5)不思議なるかな黄表紙によく見られる「はぐらかし」。可笑もこの (一七六三)年刊)の挿画に描かれた風来仙人も同様である。 木の葉の着物である。ちなみに、平賀源内作『風流志道軒伝』(宝暦十三 年七月大坂竹本座初演)である。画の中で、山姥が身にまとっているのは、 定型が出来上がったのは、近松門左衛門作『嫗山姥』(正徳二(一七一二) こもちやまうば  (4)山姥山中に住む想像上の人物で、金太郎の育ての親とされる。その   (3)足柄山皆様ご存知、金太郎が育った山である。 す」(恋川春町作画『不物好持たが病』(安永九(一七八〇)年刊か)) を、あっさり捨てる事。「金を有ッきり西の海へさらりつと捨てろといひ渡 や諸悪を西の海へ流してしまうという事。転じて、古いものや不要なもの た所から)歳末に、家々を回る厄払いの文句の末尾の言葉。一年中の災厄   (災厄を追い込む冥界は、西の海にあると考えられ

〈一丁ウラ・二丁オモテ〉

(1)ちからづくを除 けては、金 かねほど世の中に強 つよひ物は無 し。(2)やつさへたんと有 れば、人に負 けると言 ふ事無 し。扨も山姥 うばは彼 の千両箱 ばこを山へ持

ち帰 かへり、開 けてみんと思 おもいしに、中 なかより思 おもひも寄 らぬ六、七才位 ぐらいなる 〈一丁ウラ二丁オモテ〉

著作権保護のため図は非表示

(6)

かつこう好の赤 あか、箱 はこを蹴 やぶり踊 おどり出 で、(3)ぐに庭 にわに降 りて、大石の手 てう

ばちを差 し上 げしは(4)久しいものなり。(金太郎)「今からこなたは、坊 ぼうが嚊 かゝさまだ。此手 てうばちを受 け取 ってみさっしやれ」(山姥)「此子はとんだ子 だ。危 あぶない。どうも名 が無 くても悪 わるいから、金箱 ばこから湧 いて出たから、直 ぐに名を金太郎と付 けませふ。(5)まあ急 きう

に、着 もの(6)さいかく覚せずばなるまい。真 っ裸 ぱだかでも(7)つまらぬ」(1)力づくを除けては  腕力に訴える事を除いては。(2)彼奴  あいつ。ここでは金の事。(3)直ぐに  そのまま。(4)久しいものなり  金太郎の逸話として、いつも通りである。(5)まあ急に  とにかく急いで。(6)才覚せずばなるまい  手に入れなければなるまい。(7)つまらぬ  仕様(方)がない。※手水鉢を今にも投げようとする金太郎、困惑顔の山姥が描かれている。〈二丁ウラ・三丁オモテ〉其後、1)金太郎は早 はや、十四才にもなりしかば、猶 なを〳〵ちからつよく、山姥 うばの手 ぎはにわ(2)ちといけかねけるが、ある時 とき、ふと母に願 ねがいしは「(3)どふぞ地 ごくの宝 たからを取 って来 たき」と、しきりに願 ねごふ。母は山姥 うばの事也。まして山奥 おくにて米も無 く、是 (4)きびだんと言 ふ場 なれども、黍 きびも作 つくらねば無 し。そこで、しやう事無 しに、(5)やくしゆ種の強 つよい物 もの生、6)参、熊 くまの膽 と言 7)つよぞうを加 して、その外、調 てうがう

して(8)いちりう粒金 きんたんを拵 こしらへける。(山姥)「地 ごくまでは長 ながい道中じやから、たんと丸 まるめて持 っていきやれ」(金太郎)「私 わたくしが丸 まるめたばかり、二三百ばかり御 ります」 〈二丁ウラ三丁オモテ〉

著作権保護のため図は非表示

(7)

(1)金太郎は早、十四才にもなりしかば  元服前の前髪立をした金太郎が描かれる。着物も格子柄であるが、幼童期の「童子格子」ではなく、少し大人びた柄である。背後には、刀も描かれている。(2)ちといけかねけるが  少々(手に)負えなくなったが。(3)どふぞ地獄の宝を取って来たき

  「どふぞ」

は「どふぞして」の略で、「どうにかして」の意。また、ここで小林朝比奈の地獄破りの話が加わってくる。(4)黍団子と言ふ場なれども  言わずもがなの事ではあるが、一丁オモテと同様、ここも桃太郎話の要素が加わっている。(5)薬種の強い物の先生  効能の強い薬の代表格。(6)人参、熊の膽

  〈丁付なしオモテ〉の注釈(7)

(8)に同じ。(7)強蔵  精力の強いもの。(8)一粒金丹  江戸時代、津軽藩医渋江氏が製した丸薬。(9)たんと  沢山。※庭の木に咲く花は桃であろう。この桃の花は、六丁ウラの金太郎の着物の柄にも描かれており、ここでも注釈(4)と同じく、桃太郎話の要素が加わってくる。〈三丁ウラ

四丁オモテ〉それより、金太郎は地 ごくへ行に、金太郎と斗ではどふも名が安 やすいと思 おも

ひ、(1)ちんぜい西八郎小林 ばやしの金太郎と名 り、(2)地獄 ごくを指 して急 いそぎける。折しも、山奥 おくふかく分 け入 りしに、色 いろ〳〵の獣 けだもの、その他 ほかでゝ、金太郎を敬 うやまふ。(熊)「もし〳〵。私 わたくしは人に強 つよいと言 われます熊 くまで御座 る。御 まへの腰 こしに付 けて御座 る物は何 なんで御 る」(金太郎)「此腰 こしに付たは、日本一の(3)いちりうきんたんと言 ふ物 ものだ」(虎)「わしは虎 とらで御 るが、此4)の山で、一粒 りうもらって供 ともをします。これから、(5)ばん申合 はせませふ」 〈三丁ウラ四丁オモテ〉

著作権保護のため図は非表示

(8)

(鷲)「私 わたしも、あんまり6)よわを取 らぬ鷲 わしで御 る。その薬 くすり一粒 りうくだされ。お供 とももふさふ」(1)鎮西八郎小林の金太郎

  「鎮西八郎」

は〈丁付なしオモテ〉注釈(4)に同じ。「小林」は「小林朝比奈」の事で、〈丁付なしオモテ〉注釈(5)に同じ。先で加わった桃太郎のイメージと合わさって、何と勇猛な名前であろう、という可笑しみがある。(2)地獄を指して  地獄を目指して。本作では、地獄は大江山の岩屋の中という事にしてある(四丁ウラ、五丁オモテを参照)。(3)一粒金丹

  〈二丁ウラ・三丁オモテ〉注釈(8)に同じ。

(4)彼処  あそこ。遠称をいう近世の西部方言。「京にてあこと云」(『物類称呼』巻五(安永四(一七七五)年刊))(5)万事申合はせませふ  万事、ご相談致しましょう。(6)弱味を取らぬ  弱みを見せない。強さでは引けを取らない。※金太郎のお供をする者は、熊・虎・鷲と、いずれも名うての「強蔵」(ここでは、力の強い)である。地獄へのお供を願うのに、着流し・下駄ばきという、リラックスした姿が、逆にいざという時の強さを感じさせる。※ここの金太郎は、殆ど桃太郎といった様相である。〈四丁ウラ・五丁オモテ〉段 だん〳〵と分 け登 のぼり、金太郎並 ならびに三人の者 ものも、これより先 さきは道 みちも無 しと当 とうわく惑せしに、遥 はるかの谷川に布 ぬのを洗 あらふ婆 ばゝあ有 り。近 ちかりて地獄 ごくの道を尋 たづ

ぬる。(金太郎)「これ〳〵老 ろうぢよ。地獄 ごく(1)いわは何 処なるぞ」(2)「先 づ其 そのほう

は何 なにもの者だ」(婆)「やれ〳〵、この人はとんだ物の尋 たづね様 よふだ。地獄 ごくとばかり聞 いては知 れませぬ。地獄 ごくには剣 つるぎの山ばかり有 ると思 おもはしやろふが、そうじやあ御 らぬ。(3)大江山と言 ふ所 ところに、(4)地獄 ごくの閻 ゑん王鬼 てんどうと言 ふ人 〈四丁ウラ五丁オモテ〉

著作権保護のため図は非表示

(9)

が御 る。そこに、大 だいぶんたからもの物が御座 る。まあ、(5)二三丁先 さきに鉄 くろがねの門 もんが御座 るから、それから入 はいらしやませ。わしは6)そうかわの姥 うばと言 ふ者 もの

さ。必 かならずわしが教 おしへたと言 わしやるな」(1)岩屋

  「地獄が岩屋」とあるが、

「岩屋」は、酒呑童子の棲家である大江山の鬼の岩屋を想起させる。後の注釈(3)の「大江山」と共に、ここで御伽草子『酒呑童子』の要素が加わってくる。(2)先づ其方は何者だ  これは、金太郎が老女に尋ねた言葉と考える。(3)大江山  京都府福知山市の北端にある山。源頼光が酒呑童子を退治したという伝説がある。(4)地獄の閻王鬼天童子  閻魔大王、桃太郎の鬼、酒呑童子が合わさったものになっている。(5)二三丁  丁(町)は、約一〇九米。(6)三途川の姥  三途の川の奪衣婆。※前の場面から変わって、金太郎・熊・虎・鷲は、戦に向かう装束となっている。また、金太郎の着物の柄は桃の花に変わり、完全に桃太郎と化した様相である。

〈五丁ウラ・六丁オモテ〉さる程 ほどに、大江山には鉄 くろがねの門 もんを構 かまへ、事 ことげんじうに見へける。(鬼一)「何 なんだか頻 しきりに人臭 くさい様 やうだ。こいつ何 なんでも碌 ろくな事ではない」(鬼二)「人臭 くさい様 やふ(1)おやだまへ訴 うつたへずばなるまへ」金太郎は、難 なんなく鉄 くろがね(2)門破 やぶりも、首 しゆくしおゝせ、先 づ、鬼 おにどもの目 を驚 おどろかせんと、(3)五人張 りの弓 ゆみを持 ち、弦 つるを引 かせる。熊 くま、「もふそれ切 りか。何 なんと、おらが旦 だんきついものであろふがや」(鬼一)「いやはや。(5)はいの力 ちからも無 い奴 やつらだ」(鬼二)「ちっとも引 けぬ」 〈五丁ウラ六丁オモテ〉

著作権保護のため図は非表示

(10)

(1)親玉  鬼天童子を指す。(2)門破り  門扉を打ち破り、乱入する事。「あらごとといへば又しても、あさいなが門やぶり」(『猿源氏色芝居』巻三

こゝに閻王鬼天童子は奢りに長じ、手下の鬼共の他に、見る目、嗅(1) ゑんてんどうおごちやうしたおにどもほか 〈六丁ウラ・七丁オモテ〉 ことわざ大辞典』小学館、一九八二年刊)。   (5)蝿の力も無い少しも力のないさまの形容にいう〔諺苑〕(『故事俗信   (4)きついものであろふがや大したものだろうが。 一人が弦を張るもの。   (3)五人張りの弓五人がかりで張る強弓。すなわち、四人で弓を曲げ、 (享保三(一七一八)年刊)) - 三 ぐ鼻 はなと言 ふ料 りやう人を抱 かゝへ、罪 ざい人を筒 つゝり、或 あるいは刺 さし、或 あるいは雉 きじきなぞにして、酒の肴 さかなにしける。此見 る目 と言 ふは、その罪 ざいくわを見 きわめ、これは筒 つゝり、是は刺 さしと、指 さしする役 やく也。嗅 ぐ鼻 はなは、死 びとの新 あたらしきか、(2)がりたるかを嗅 ぐ役 やくなり。金太郎は、先 づ下 したに出 、童 どうが酒の相 あいとなり、地獄 ごくの宝 たから(3)ごう

の秤 はかり(4)じやうの鏡 かゞみ、並 ならびに童 どうが所 しよの鉄 てつの棒 ぼう(5)もらひかける。(鬼)「こいつらは、(6)しやから来 (7)かたりだそうだ」(閻王鬼天童子)「金太郎とやら、(8)此刺 さしで一 ひとつ過 ごし給へ。しかし、地獄 ごくの宝 たからをやる事は決 けつしてならぬぞ」(1)見る目、嗅ぐ鼻  閻魔の庁にある、人頭幢(にんずどう)の称。幢(はたほこ)の上に、男女の頭を載せた形のもので、男(見る目)は凝視し、女(嗅ぐ鼻)は嗅ぐ相を示す。これによって、よく亡者の善悪を判断するという。但し、本作(この後の場面)では、熊によって、それぞれの体から首を引き抜かれ、後は首ばかり地獄に残ったという話にしている。(2)下がりたるか  鮮度が落ちているか。腐っているか。(3)業の秤  地獄で、罪人の生前の悪業をはかるという秤。 〈六丁ウラ七丁オモテ〉

著作権保護のため図は非表示

(11)

(4)浄玻璃の鏡  地獄の閻魔王庁にあって、死者の生前の善悪の所業を映し出すという鏡。(5)貰ひかける  貰いたいと望む、所望する。(6)娑婆  俗世界。(7)騙り  詐欺師。(8)此刺身で一つ過ごし給へ  この刺身を肴に、酒を一杯飲みなさい。

〈七丁ウラ・八丁オモテ〉鬼 てんどうは、金太郎に地獄 ごくの宝 たからを渡 わたす事ならぬと言 ゝし故 ゆへ、例 れいのわがまゝを出 だし、傍 そばなる鉄 てつの棒 ぼうを引たくり、ひとひしぎにせんと振 り上 ぐる。(金太郎)「うぬ憎 にくゐやく (ママ)。鎮 ちん西 ぜい八郎小林の金太郎が手 なみを見 ろ」(熊)「さっきから(2)がむづ〳〵した」熊 くまは、見 る目 、嗅 ぐ鼻 はなが首を引 っ掴 つかみ、引抜 き捨 てける。此後は、見

る目 、嗅 ぐ鼻 はなの首斗地 ごくに残 のこり、今 いまに有 るとかや。(鷲)「こいつ、股 またぐらから引 っ裂 いてやろふ」(閻王鬼天童子)「真 っ平 ぴらめん〳〵免。宝 たからも何もかも、3)じやう〳〵々は鬼共 どもが褌 ふんどし(4)とらの皮 かわまでし上 げませふ。命 いのちはお助 たすけ〳〵」(1)一拉ぎにせんと  一度に押し潰してやろうと。(2)手がむづ〳〵した  一暴れしたくて手が

。(3)畳々は  この上は。(4)虎の皮迄  ご存知、鬼の褌の事である。〈八丁ウラ・九丁オモテ〉夫レより閻 ゑん王と呼 ばれし鬼 てんどうに、(1)あやまりぜうもんを書 せ、(2)二品 しなの宝 たからならびに鉄 てつの棒 ぼうまで(3)してやり、目 く金太郎は(4)がいじんなす。(鬼)「5)だんも、鉄 てつの棒 ぼうを担 かついで御座 るで、よっぽど6)くはんが違 ちごふ。

7)おらが坊 ぼうの宝 たから8)こんざいられて、これからは、親 おやかた9)はなの下 〈七丁ウラ八丁オモテ〉

(12)

タノ建 こんりうと出 ずばなるまい」かゝる折 おりしも、

10源頼光の家臣、 みなもとのらいこうしん

金太郎が勇ましきを見て、足柄山迄つけ行き、母山姥に貰い、 いさあしがらまでうばもら 11平井保昌、山陰を通りかゝり、 ひらいのほうせうかげ

12御前 ぜん

へ連 れ行 きける。(平井)「はて、

13潔い若者じや」 いさぎよわかもの

(1)謝証文  過失を詫び、今後慎む事を誓った証文。過状。怠状。「昔し怠状と云は、今の過證文なり。失錯あるとき怠状を奉ることあり。又かへし玉ふこともあり」(『梅窓筆記』巻二(文化三(一八〇六)年刊))(2)二品の宝  業の秤と浄玻璃の鏡を指す。(3)してやり  うまくせしめてやり。(4)凱陣なす  戦に勝利し、自分の陣営(ここでは足柄山)に帰る事。(5)旦那  金太郎を指す。(6)貫目が違ふ  重さが違う(とても重い)。(7)おらが坊の  おいらたち地獄の棲家の。(8)根金際  すっかり。根こそぎ。(9)鼻の下の建立

  「鼻の下宮

くう殿 でん建立」の略。鼻の下は口。「くう」は、「食う」と「宮」にかけたもの。社寺が堂塔建立の為、寄進を募るのも、結局は神官僧侶の生活の為であるとの洒落。ここでは、寄進を募らねばなるまい、食べる事の心配をせずばなるまい、という意。「小柴が所へでもよつて。鼻 はなの下のこんりうと出やうじやァねへか。帰橋子。」(『愚人贅漢居続借金』(天明三(一七八三)年刊))(

( 枚挙に暇ない。 10  )源頼光平安時代中期の武将。頼光の武勇伝説を取り上げた作品は

訓抄』第三に、源頼信(源頼光の弟)・平維衡・平致頼と共に、保昌は世に 源頼光とその四天王と共に、酒呑童子退治に出かけた事になっている。『十 宝塚市)に住んだので、平井保昌ともいう。御伽草子『酒呑童子』では、 11  )平井保昌藤原保昌の事。平安時代中期の中級貴族。摂津国平井(現 ・〈八丁ウラ九丁オモテ〉

著作権保護のため図は非表示

(13)

優れた武士の一人として、四天王の列に加えられている。(

( 12  )御前保昌自らの館。

二品に鉄の棒並びに、閻魔の謝証文を添へ、頼光へ差し上、御目(2) しなてつぼうならゑんあやまりしやうもんらいこう 扨も保昌は、金太郎を我が家へ連れ帰り、衣服改めさせ、地獄の宝(1) ほうせうかへふくあらたごく 〈九丁ウラ・十丁オモテ〉 意か。 13  )潔い清らかで汚れの無い様をいうが、ここでは、「凛々しい」程の 見得 する。(頼光)「それ〳〵、3)わたなべ。二 ふたしなの宝は宝 ほうざうへ納 おさめ、鉄 てつの棒 ぼう4)

ぐに金太郎へ遣 つかはす間 あいだ、家 いへの者 ものにして、(5)たるを幸 さいわい一 ひとひしぎと言 ふ仕 うちを見せよ。然 りながら、鎮 ちん西 ぜい八郎小林の金太郎と言 ふ名は、何 なに

6)よごしの様 よふで悪 わるいとの7)上意にて、今より坂 さか8)ひやうごの介金 きんときと名

り、(9)四天王の内へ加 くわへ、召 し使 つかわん」との給ふ。(平井)「

(1)地獄の宝二品 (末)「以後は、皆々申合わせ、忠勤の励みませふ」 みな〳〵ちうきんはげ 10烏帽子親は、此保昌が仕ませふ」 おやほうせう

  〈八丁ウラ・九丁オモテ〉注釈(2)に同じ。

(2)謝証文

  〈八丁ウラ・九丁オモテ〉注釈(1)に同じ。

(3)渡辺  渡辺綱の事。平安時代中期の武将。武勇に優れ、頼光四天王の一人として、酒呑童子を退治したという伝説でよく知られるが、綱自身の武勇譚としては、京都一条の戻橋付近で鬼女に襲われたが、その腕を切り落としたという話が有名で、『平家物語』剣巻、能の『羅生門』等、後の文学・芸能の素材として、しばしば使われている。(4)直ぐに

  〈一丁ウラ・二丁オモテ〉注釈(3)に同じ。

(5)当たるを幸い一拉ぎと言ふ仕打を見せよ  戦の際には、一騎当千の働きを見せよ。(6)汚  料理の名。和え物をいう。「鎮西八郎小林の金太郎」という名が、 〈九丁ウラ十丁オモテ〉

著作権保護のため図は非表示

(14)

和え物の如しという事。(7)上意  主君のお考え。(8)兵庫の介(助)  左・右兵庫寮の次官。正六位下相当の官。(9)四天王  頼光四天王の事。渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武の四人。(

せ、烏帽子名を付ける人。元服親ともいう。 10  )烏帽子親武家社会で、男子が元服の時、親に代わって烏帽子を被ら

〈十丁ウラ〉扨もその後、坂田の公時は強 つよひ者 ものおやかた、お子 さまがたのお気 に入 り、家 いへ

み栄 さかへけるに、母の山姥 うばを背 ひ、屋 しきを指 して急 いそぎける。此金 きんとき

が力 ちからの程 ほど(1)かんぜぬ者 ものは無 かりける。(金時)「お前 まへをこふ負 ぶった所は、(2)大森彦七と言 ふ身だ。悪 わるく見ると、(3)ばあさまのお暇 いとまいさ」

   春常画(1)感ぜぬ者は無かりける  御伽草子の締めくくりの文句。(2)大森彦七  南北朝時代の武士。伊予の人。流布本『太平記』巻二十三「大森彦七事」の中で、彦七は湊川の戦の後、その功績を祝う猿楽能の興行へ向かう途中、その道に迷う美女を背負ってやると、やがて女は鬼の正体を現すという話があり、後に様々な芸能の題材にされた。(3)婆様のお暇乞  ここでは姨捨てに行く様にも見えるという事。 うしろ

著作権保護のため図は非表示

(15)

※参考  富川房信作『 風流  大森彦七二葉の前 鬼女物語』(明和五(一七六八)年刊)十三丁オモテ(早稲田大学古典籍総合データベースより)

解題

〇底本  長崎県平戸市松浦史料博物館蔵本(冊番号七十三)。※本史料館の黄表紙類は、一部又は数部が合冊され、その冊番号が朱書きされている。〇中本(袋入本1)、但し、袋は見つからず。)、一巻一冊、全十一丁(序一丁、本文十丁)。〇表紙  白茶色表紙。前表紙オモテに「村山様の賜  主し  雪洲  三の 内」と墨書。「雪洲」は、松浦静山の号ゆえ、この墨書は静山公の手になるものと見て、間違いは無かろう。「村山様」については不明(2)。〇柱記  序文には無し。本文「金  一(~十)」。〇画工  勝川春常。〇刊記  なし。〇板元  不明。所見本は、長崎県平戸市松浦史料博物館一本のみ。(棚橋正博氏『黄表紙總覽  後編』(青裳堂書店、一九八九年刊、五一一~五一二頁)にも、同様の事が記される。)①題名について袋は失われており、題簽も貼付されていた形跡が無いので、本書の題名を知る事は出来ない。内容及び「金」の柱記から、「金太郎」「坂田金時」にちなんだ題名が推測されるのみである。②刊年について小説年表類や黄表紙評判記等を含め、手掛かりとなるようなものは見られず、確定する事が出来ない。ただ、本書の自序及び本文の一丁オモテ・ウラに見られる「大通」の語と、その地口・うがちから、この言葉の流行と本作への影響を見ていきながら、本作の刊行時期を探ってみたい。まず、本作におけるその箇所を以下に挙げる。…當 とうせい、大 だいつうの世 の中 なかに、強 つよいものゝ親 おやかたと言 っては、金 きんぎんより外 ほかなし。どんな変 へんてこなひよな〳〵ものでも、金 かねママ れば、引 ひけ

は取 らず。なんぼ形 なり、格 かつこふだいつうでも、無 い奴 やつは、本 ほんのない通 つうなり。(以下略。序文より)

著作権保護のため図は非表示

(16)

とうせいの大通 つう、いきちよんは、西 にしの海 うみへさらりと流 ながし(以下略。本文一丁オモテより)力 ちからづくを除 けては、金 かねほど世の中に強 つよひ物は無 し。彼 奴さへたんと有 れば、人に負 けると言 ふ事無 し。(以下略。本文一丁ウラより)ここで、「大通」の流行が、いつの頃、見られたかについては、既に、中野三敏氏の詳細な考察が備わる(「「通」の発生」(『戯作研究』(中央公論社、一九八一年刊)所収))。今、その一部を、以下に引用させていただくと、…明和期の「通者」と天明期の「通」との間に現われて流行語となったのが、安永期の「大通」なる語彙であった。「通」を論じる時必ず引用される「一目土堤」(天明八年)の「大通といふ事前かたよりいふ事にて、分て明和六七の頃なんどは、粋なる人はより〳〵いふ事ありといへとも知るものなし。里な人は勿論也。しかるに安永六丁酉のとしよりは、大通といふ事江府江中に専ら流行す」というのは、従来実証がおろそかなようだが文献的にみてかなり精確な記述であるように思われる。(以下略)(三九一頁)とあり、これに続いて、洒落本類における文献実証的な使用例が列挙された(三九二~三九三頁)後、…以上のごとくであれば、明和末年に「通り者」から「通者」、そして「通人」「大通」「通言」等の語ができて以来、安永に入ってもそれらは通り者、粋人、色男などとほとんど並列的に用いられて、その中の一つが特に流行するなどという様子もなく、したがってとりたてて特殊な意味が付加されることもなく用いられて きたのが、「一目土堤」にも言うとおり安永六年以来 444444その中の 4444

大通 44という言葉が特に流行し始め 4444444444444天明に至って 44444444

4に落ちついた 444444ことが確認できよう。(三九三~三九四頁。傍点は筆者による。)とされる。この「大通」という言葉は更に、「十八大通」という痛快な流行語を生み出すのであるが、これについては、本作には出て来ない。一方、黄表紙の「大通」について、氏は、…一方黄表紙では安永七年の「通 人為真似」以降天明六年頃までは毎年五、六部の外題に「通」「大通」が見えるが、こちらは洒落本 444

ほど明瞭に年次による違いはない 444444444444444。(三九三頁。傍点は筆者による。)とされる。筆者の調査結果も、ほぼこれに一致する。ただ、本作は紛れもない黄表紙であるけれど、その序文にある「當世、大通の世の中に…」は、本作が、「大通」の流行した正にその時に当て込んだ事を示すものではないかと考えられる。ちなみに、「可笑」と署名がある黄表紙は、安永九(一七八〇)年から天明三(一七八三)年に刊行されている(『雅俗』第十七号の拙稿参照)。刊年不明の作品もあるが、可笑は、安永七(一七七八)年に病により御勘定の職を辞した後、天明二(一七八二)年に病没しているから(『雅俗』第十八号の拙稿参照)、可笑の作品の刊行時期は、安永末頃から天明三(一七八三)年迄と推察する(勿論、再版されたものは除くが)。これは「大通」の流行した時期を含むものである。③草双紙に描かれる金太郎について鳥居フミ子氏『金太郎の誕生』(勉誠出版、二〇〇二年刊)によれ

(17)

ば、草双紙に描かれた金太郎譚の早いものには、赤本『きんときおさなだち』(宝暦初(一七五一)年頃刊)があり、金太郎についてのエピソードは、この作品に出尽くしているとする。それは、山姥に育てられ、幼児より力持ちで、熊や猪を相手に遊び、その雄姿を平井保昌に見出されて、源頼光に目通りし、元服して、頼光四天王の一人に加えられるというものである。そして、黒本『金時一代記』(明和四(一七六七)年刊)には、この作品の影響が認められ、又、この頃から、住処が〝足柄山〟と定着したとされる。更に、黄表紙では、鳥居氏は『日本伝奇伝説大事典』(角川書店、一九八七年刊)の中で、『昔々噺問屋』(恋川好町作、北尾政美画、天明五(一七八五)年刊)を挙げ、そこでは、昔話の人気者として、桃太郎と並んで金太郎が出ているとされる。これら草双紙に描かれる金太郎の中で、本作は、洒落本風な序文のもと、主人公の金太郎の「金」に、お金の「金」をかけて、先の金太郎のエピソードに、桃太郎の鬼退治、小林朝比奈の地獄破り、御伽草子『酒呑童子』の話を綯交ぜて描いた作品として位置付けられよう。④  画工・勝川春常についてやや古いものであるが、藤懸静也博士『増訂  浮世繪』(雄山閣、一九四六年刊)「二一、勝川春章と其門下」の解説に詳しいので、以下に引用する。春英の門人とも云ひ、又、春英の初名だとも説くが、春章門下で、別の一人と見るべきである。氏を安田、通稱を岩藏と云った。春常の作品中では、細繪判錦繪が最も多く、黄表紙の挿繪や、番附繪もある。製作期は安永から天明に亙って居る。天明七年七月一日に歿した。法號を釋宗因と云った。春英の菩提所たる淺草本願 寺内善照寺の過去張 (ママ)に載ってはゐるが、墓はない。或は春常は春英と一族の間柄であるともいふ。その遺作に就いて見ると、春章門下中に畫技の優れたもので、肉筆畫に優越した手腕をもってゐる。從って版畫にも面白いものが少くない。(以下略)春常の署名がある黄表紙は、以下の通りである。(刊年及び五十音の順)

  

書名

作者

   

板元

刊年『振 ふりそで

むらさき

不明

   

村田

天明元『てまりうた さんにん兵衛』

金中斎

   

よしや

天明二『天竺徳兵衛 石川五右衛門はなめつらしきやつこちや

辛井山椒

   

伊勢治

天明二『七ツめゑと ひとまね

金中斎

   

よしや

天明二『

げいしや

不明

   

よしや

天明二『嘘 うそはつひやく百意 いきまなこうしやく釈』

金中斎

   

いせ治

天明五『顔 かほしれくわんぜん善懲 てうあく

不明

(鶴屋)

不明(安永九)『(狐 きつねのむま馬乗 のりしゆつせの世壽 ことぶき)』

不明

   

不明

不明

『〔金時地獄破〕』〈仮題〉

可笑

   

不明

不明『(大通)』

不明

   

不明

不明『(夏 なつまつり祭其 そのよくねん)』

不明

(鶴屋)

不明(安永九)『都賀茂川東戸根川そうこひのほうてう

瓢露

   

丸小

不明(天明二)

  

 

)付は、『改訂日本小説書目年表』(ゆまに書房、一九七七年刊)及び棚橋正博氏『黄表紙總覽  前編・後編』(青裳堂書店、一九八六・八九年刊)を参照した。

(18)

注(1) 本書を袋入本とする理由として、黄表紙の袋入本に見られる以下の特徴を挙げる。

  ・表紙の色について、二冊物、三冊物では薄茶色であるが、本書の表紙は白茶色・無地であり、大きさについても、通常の黄表紙よりも若干大きい事(袋入本の特徴の一)。

  ・絵題簽及び文字題簽について、二冊物、三冊物では表紙に貼付されるが、本書の表紙にはそれが貼付された形跡が見られず、又、刷り題簽が手ずれで消えた跡も認められない(袋入本の特徴の二)。これは、外題が刷られていた美しい多色刷りの袋に、本書がくるまれていた事を推測させる。そうでなければ、本書は題名なしで出版された事になるが、それは考えられない事である。(2) 静山公の手による墨書である事から、以下の条件の下、調査。

  ・本書が静山公の手に渡った時期  本書の刊行時期以後(これは先に推察した、安永末頃以後か)。   ・静山公にとって、敬称「様」となる人物   静山公の著書『甲子夜話』や、人物辞典等を当たるが不明。目下、幕府関係の資料を調査しているところだが、一人興味深い人物がいる。静山公とのつながりは見出せないままだが、今後の調査が広がる事を期待して、以下に紹介させていただいた。諸賢のご教示を請う。

 ◇村山有 ありしげ(藤九郎、幼名は吉之助)

  『寛政重修諸家譜』(巻一四五五、国立公文書館デジタルアーカイブより)では、家は代々医師の家系で、有成の父は小石川療養所の療用を勤め、その後、番医に列し、有成自身は、一橋宗尹(一橋家初代当主)に仕えたとある。生没年は記されない。

  『諸家系譜』や『略譜』(いずれも国立公文書館デジタルアーカイブより)では、有成は、寛延二(一七四九)年、一橋家に召し出され、以後(両資料共、寛政十一(一七九九)年まで記述あり)、大番、敬宗院殿附頭役、御 本丸御附切、敬宗院殿用人、布衣、一橋殿用人、民部卿殿用人を勤めたとある。

  また、菊荘翁編『迷復記』(安永九(一七八〇)年)の序を記した「村山有成」は同一人か。

  有成の子には、国学者の村山素行がいる。村山素行は、最初、一橋家に仕えたが、後、剃髪し、国学を加藤千蔭に学んだ。

〈参考文献〉

〇 『國學者傳記集成  第二巻』(日本図書センター、一九三四年刊)〇 『日本国語大辞典(縮刷版)全十巻』(小学館、一九七九~一九八一年刊)○ 『故事俗信ことわざ大辞典』(小学館、一九八二年刊)〇 『角川古語大辞典  全五巻』(角川書店、一九八二~一九九九年刊)○ 『大田南畝全集  第七巻』(岩波書店、一九八六年刊)○ 『日本伝奇伝説大事典』(角川書店、一九八七年刊)○延広真治監修・鈴木俊幸編『シリーズ江戸戯作  唐来三和』(桜楓社、一九八九年刊)〇 『朝日日本歴史人物事典』(朝日新聞社、一九九四年刊)〇 『世界人物逸話大事典』(角川書店、一九九六年刊)〇 『日本古典籍書誌学辞典』(岩波書店、一九九九年刊)○大久保忠国・木下和子編『江戸語辞典』(東京堂出版、二〇一四年刊)

〔付記〕本稿執筆にあたり、掲載を許可して下さいました平戸市松浦史料博物館、早稲田大学図書館に深謝申し上げます。

Updating...

参照

Updating...

関連した話題 :

Scan and read on 1LIB APP