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密教文化 Vol. 1975 No. 112 002星宮 智光「遍照の元慶寺経営とその意義 P30-43」

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Academic year: 2021

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密 教 文 化

一 遍 照 ( 弘 仁 七 年-寛 平 二 年 、 西 歴 八 一 六-八 九 〇 年 ) は 古 今 集 的 歌 風 の 先 駆 者 の ひ と り と し て 高 名 で あ る が 、 そ の 本 領 と す る と こ ろ は 僧 侶 で あ っ て 、 と く に 元 慶 寺 の 創 建 と 経 営 に お い て 、 平 安 仏 教 の 形 成 に 重 要 な 役 割 を 演 じ た の で あ る 。 慈 覚 ・ 智 謹 両 大 師 の 偉 業 に 隠 れ て 、 遍 照 の 業 績 は こ れ ま で と く に 注 目 さ れ る こ と は な か っ た 。 し か し 、 律 令 制 下 に お け る 初 期 日 本 天 台 宗 の 確 立 と 教 学 の 形 成 に た い す る 遍 照 の 影 響 は 顕 著 で あ り 、 平 安 時 代 の 和 歌 文 学 に た い す る 貢 献 と と も に 、 仏 教 史 に 印 し た 足 跡 も 高 く 評 価 さ れ な け れ ば な ら な い 。 そ こ で 本 論 に お い て 、 遍 照 の 元 慶 寺 経 営 が ど ん な も の で あ っ た か 、 ま た そ の 根 底 に ど の よ う な 意 図 、 問 題 意 識 を ふ く ん で い た の か を 明 ら か に し な が ら 、 そ れ が 律 令 制 下 に お け る 初 期 天 台 宗 の 教 団 と し て の 確 立 発 展 に ど の よ う な 意 味 を も ち 、 役 割 を 果 た し て い っ た か を 理 解 し て み た い 。 二 元 慶 寺 は 、 陽 成 帝 の 生 誕 を 祈 願 し て 母 后 藤 原 高 子 に よ っ て 山 城 国 山 科 の 地 に 建 立 さ れ た 陽 成 帝 の 御 願 寺 で あ る 。 陽 成 帝 即 位 の 翌 年 の 元 慶 元 年 十 二 月 九 日 、 遍 照 は 元 慶 寺 に 年 分 度 僧 三 口 を 置 き 、 定 額 寺 に な さ ん こ と を 請 う て 許 さ れ て い る が 、 (1) こ の と き の 上 表 文 に 中 宮 有 身 之 日 、 今 上 降 誕 之 時 、 遍 照 発 心 誓 願 、 草 創 此 寺 、 自 後 堂 宇 漸 構 と 記 さ れ て あ る 。 こ れ に よ っ て 、 元 慶 寺 の 創 建 は 陽 成 帝 の 誕

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生 日 貞 観 十 年 十 二 月 十 六 日 の 前 後 ご ろ で あ っ た こ と が わ か る 。 遍 照 は 創 建 当 初 か ら 元 慶 寺 に 住 し 、 皇 太 子 貞 明 親 王 の 護 持 僧 と し て 、 そ の 経 営 を 主 管 し 堂 宇 な ど も 漸 次 整 備 し て い た の で あ る 。 そ し て 、 元 慶 元 年 ご ろ に は す で に 寺 院 と し て 体 裁 も ほ ぼ 整 っ て い た で あ ろ う と 思 わ れ る 。 陽 成 帝 の 護 持 僧 と な り 、 元 慶 寺 を 主 管 す る こ と が で き た と い う こ と は 、 遍 照 の 以 後 の 宗 教 活 動 に と っ て 重 大 か つ 決 定 的 な 機 会 を あ た え る こ と に な っ た 。 元 慶 三 年 、 権 僧 正 に 任 ぜ ら れ 天 台 僧 と し て 初 め て 僧 綱 に 参 与 す る こ と が で き た の も 、 か れ が 桓 武 帝 の 皇 孫 で あ っ た と い う 理 由 だ け で は な く て 、 そ の (2) 宣 命 の な か に 、 法 眼 和 尚 位 遍 照 波 、 東 宮 之 時 与 利 始 天 、 朕 躬 乎 相 護 奉 レ 仕 留 事 毛 有 利 、 又 殊 所 念 行 漬 御 心 毛 有 仁 依 天 殊 仁 権 僧 正 仁 任 賜 布 と 記 さ れ て あ る よ う に 、 玉 体 護 持 の 功 に 執 い ら れ た も の で あ っ た 。 そ れ で は 、 な ぜ 遍 照 が 護 持 僧 に 選 ば れ て 、 元 慶 寺 に 住 す る こ と が で き た の だ ろ う か 。 そ れ は 、 北 家 藤 原 氏 の 長 者 藤 原 良 房 と の 密 接 な 外 護 関 係 に よ る も の で あ っ た 。 こ れ よ り さ き 、 遍 照 は 嘉 祥 三 年 仁 明 帝 の 崩 御 に 遇 い 哀 慕 や む な く 出 家 し た の で あ っ た が 、 そ の 後 、 山 林 料 薮 の 修 験 を 経 て 、 斉 衡 二 年 五 月 比 叡 山 に 登 っ て 円 仁 を 拝 し て 菩 薩 戒 を 受 け (3) 大 僧 と な っ た 。 や が て 、 良 房 の 勧 め と 付 託 に よ っ て 貞 観 七 年 冬 円 仁 か ら 真 言 を 学 び は じ め た が 、 業 半 ば で そ の 死 に 会 い 、 そ の 遺 言 に し た が っ て 七 年 夏 安 恵 か ら 胎 金 蘇 の 三 部 大 法 を 授 け ち れ た の で あ る 。 真 寂 撰 ﹃ 慈 覚 大 師 伝 ﹄ に は 、 こ の 間 の 事 情 を つ ぎ の よ う に 記 し て い る 。 太 政 大 臣 美 濃 公 、 付 属 大 師 、 貞 観 五 年 冬 、 於 大 師 辺 、 始 学 真 言 大 法 、 金 剛 界 壇 供 了 、 欲 授 真 言 之 間 、 遇 大 師 之 傾 逝 、 貞 観 六 年 正 月 十 三 日 別 遺 書 云 、 円 仁 錐 非 其 人 、 誓 在 伝 燈 、 ( 略 ) 伏 願 遍 照 大 徳 、 照 之 、 随 付 法 弟 子 安 慧 大 徳 辺 、 稟 学 両 部 大 法 、 助 伝 我 道 、 勿 令 墜 失 、 是 深 所 望 也 、 因 之 、 七 年 夏 於 安 慧 阿 闊 梨 、 受 学 三 部 大 法 。 お そ ら く 、 こ の こ ろ が 叡 山 に お け る 遍 照 の 修 行 の 盛 時 で あ っ た と 思 わ れ る 。 さ ら に 貞 観 十 四 年 十 一 月 に は 円 珍 に 従 っ て 安 恵 所 伝 の 法 を 考 査 し て も ら い 、 十 五 年 四 月 延 暦 寺 惣 持 院 鎮 国 (4) 道 場 に お い て 伝 法 阿 閣 梨 位 を 授 け ら れ た 。 遍 照 に 阿 闇 梨 位 を 授 け ん こ と を 請 う た 円 珍 の 奏 状 は き わ め て 懇 切 な 内 容 で あ る 遍 照 の 元 慶 寺 経 営 と そ の 意 義

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密 教 文 化 が 、 そ の な か に 、 ( 良 房 ) 遍 照 、 曽 蒙 故 太 政 大 臣 藤 原 朝 臣 教 、 就 円 珍 辺 、 聴 釆 大 既 盧 遮 那 、 金 剛 頂 、 蘇 悉 地 、 三 本 経 、 と の べ ら れ て お り 、 や は り 良 房 の 後 援 に よ っ て 円 珍 に 習 学 し て い た こ と が わ か る の で あ る 。 い わ ば 、 遍 照 が 台 密 の 阿 閣 梨 と し て 大 成 し え た の は 良 房 を 中 心 と す る 北 家 藤 原 氏 の 外 護 に よ る も の で あ っ た 。 さ か の ぼ れ ば 、 遍 照 の 父 良 峯 安 世 と 良 房 の 父 は 百 済 永 継 を 母 と す る 同 腹 の 兄 弟 で あ る か ら 、 遍 照 と 良 房 は 従 弟 関 係 に な る 。 こ の こ と を 思 え ば 、 遍 照 に た い す る 良 房 の 外 護 は ご く 自 然 の こ と で あ ろ う 。 さ て 、 遍 照 は 貞 観 七 年 夏 に 安 恵 か ら 三 部 大 法 を 受 了 し て い る の で あ る か ら 、 貞 観 十 年 と い え ば 修 行 が 完 成 し た 直 後 の こ ろ で あ り 、 機 熟 し て ま さ に 化 他 行 に 移 ら ん と し て い る と き で あ る 。 二 方 、 母 后 の 藤 原 高 子 は 藤 原 長 良 の 娘 で 、 良 房 の 姪 に あ た り 、 良 房 の 養 継 子 基 経 の 妹 で あ る 。 し た が っ て 遍 照 と の 関 係 も 深 い わ け で 、 文 徳 ・ 清 和 両 帝 に つ づ く 、 北 家 藤 原 氏 に ゆ か り 深 い 儲 君 の 護 持 僧 と し て 遍 照 は も つ と も 適 任 者 で あ っ た は ず で あ る 。 す な わ ち 北 家 藤 原 氏 二 門 の 外 護 と 期 待 を 受 け て 、 か れ は 元 慶 寺 に 迎 え ら れ た の で あ る 。 し か も 、 元 慶 寺 を も っ て 他 の 勅 願 寺 に お と ら ぬ 規 模 の 定 額 寺 と な し 、 と く に 最 澄 所 制 の ﹃ 山 家 学 生 式 ﹄ に 則 る 道 場 に 発 展 さ せ よ う と す る 抱 負 と 計 画 を 、 遍 照 は 早 く か ら 抱 い て い た と 思 わ れ る の で あ る 。 そ れ を 示 す 顕 著 な 出 来 事 と し て は 、 貞 観 十 四 、 十 五 年 に わ た っ て 円 珍 か ら 真 言 を 学 び 、 つ い に 阿 闇 梨 位 を 認 め ら れ た (5) こ と で あ る 、 安 恵 か ら す で に 受 詑 し て い る 三 剖 大 注 を 、 な ぜ 改 め て 円 珍 か ら 考 査 し て も ら い 、 三 種 悉 地 法 ま で 受 学 し た の か 、 そ の 理 由 は い ろ い ろ 推 測 で き る が 、 遍 照 を は じ め 良 房 ら 一 門 の 心 底 に は 元 慶 寺 の 将 来 の 準 備 の た め に 、 主 管 者 た る 遍 照 の 伝 法 の 内 容 と 教 権 と を 確 立 し て お く と い う 意 図 が 存 在 し て い た と 思 わ れ る の で あ る 。 遍 照 に 阿 閣 梨 位 を 授 け ん こ と を 請 う た 、 貞 観 十 五 年 正 月 十 五 日 の 円 珍 款 状 な ら び に 二 月 十 四 日 の 奏 状 は 異 例 の 懇 切 さ を も っ て 、 か れ を 阿 闊 梨 位 に 推 戴 し て い る が 、 遍 照 の 元 慶 寺 経 営 に た い す る 深 慮 を 理 解 す る と き 、 充 分 に 納 得 さ れ る の で あ る 。 三 陽 成 帝 即 位 の 翌 年 、 元 慶 元 年 十 二 月 九 日 、 遍 照 は 元 慶 寺 を も っ て 定 額 寺 と な し 、 年 分 度 僧 三 口 を 置 く 詔 を 得 て い る 。 こ

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の と き の 上 表 文 を 読 む と 、 元 慶 寺 が 比 叡 山 延 暦 寺 を 範 と し 目 標 と し て 運 営 さ れ て い た こ と が わ か る の で あ る 。 つ ぎ に 、 太 (6) 政 官 符 の 文 言 か ら 、 そ の 部 分 を 抄 出 し て み る 。 大 悲 胎 蔵 業 一 人 金 剛 頂 業 一 人 摩 詞 止 観 業 一 人 右 法 眼 和 尚 位 遍 照 上 表 俗 、 ( 略 ) 謹 捻 天 安 三 年 、 貞 観 元 年 格 、 嘉 祥 安 祥 両 寺 、 各 賜 年 分 度 三 人 、 望 請 、 准 彼 寺 例 、 被 度 年 分 、 遠 伝 二 宗 之 真 教 、 永 為 万 国 之 鎮 護 、 其 試 、 業 経 典 等 、 二 准 天 台 宗 、 毎 年 十 二 月 上 旬 、 被 遣 勅 使 、 対 読 課 試 、 通 五 己 上 、 以 為 及 第 、 即 当 今 上 降 誕 之 日 、 落 髪 乃 度 、 於 延 暦 寺 登 壇 、 受 菩 薩 大 乗 戒 、 受 戒 之 後 、 更 帰 本 寺 、 於 五 大 菩 薩 前 、 令 止 観 業 者 、 転 仁 王 般 若 経 、 真 言 業 者 、 三 時 念 時 、 不 断 誓 護 、 又 為 定 額 寺 弥 増 興 隆 、 上 誓 護 聖 朝 、 下 福 利 兆 者 、 上 表 の 論 旨 は き わ め て 明 快 で あ る 。 嘉 祥 寺 、 安 祥 寺 と も に 御 願 寺 で あ る が 、 こ の 両 寺 に 准 じ て 今 上 陽 成 帝 御 願 寺 た る 元 慶 寺 に も 年 分 度 者 三 人 を 賜 い 、 定 額 寺 に な さ ん こ と を 、 格 を 引 い て 要 請 し て い る の で あ る 。 こ の 筆 法 に は 、 か つ て 仁 明 帝 の 廟 堂 で 敏 腕 を 謳 わ れ た 官 僚 の 面 目 躍 如 た る も の が あ る 。 年 分 度 僧 三 人 を 求 め た の は 、 天 台 止 観 と 天 台 密 教 の 二 宗 を 遠 く 伝 え ん と す る た め で あ っ た 。 僧 侶 の 育 成 課 程 は 、 天 台 宗 に 准 じ て 十 二 月 上 旬 に 勅 使 を 迎 え て 論 議 を 行 な い 五 回 以 上 及 第 し た 者 を 、 陽 成 帝 の 誕 生 日 十 二 月 十 六 日 に 得 度 さ せ 、 そ の 後 叡 山 戒 壇 院 に お い て 受 戒 さ せ る 。 受 戒 後 は 、 元 慶 寺 に 帰 っ て 天 台 ・ 真 言 そ れ ぞ れ の 専 攻 に 精 進 す る と い う の で あ る 。 文 言 中 に ﹁ 准 天 台 宗 ﹂ と あ る よ う に 、 こ れ は 最 澄 所 制 を も っ て 範 と し て い る こ と を 意 味 し て い る 。 こ の こ と が 、 一 層 明 白 に な る の は 元 慶 三 年 二 月 七 日 に 別 当 (7) な ら び に 三 継 の 設 置 を ゆ る さ れ た と き の 詔 で あ る 。 勅 置 元 慶 寺 別 当 三 綱 、 其 三 綱 者 、 寺 家 簡 定 、 申 官 任 之 、 六 年 為 秩 、 乃 責 解 由 、 縁 寺 之 事 、 申 官 行 之 、 不 経 省 寮 僧 綱 、 こ れ に よ る と 、 元 慶 寺 に 別 当 と 三 綱 を 置 き 、 三 綱 は 任 期 を 六 年 間 と し 、 寺 内 に お い て 簡 定 し て 太 政 官 に 申 告 し て 任 命 し 、 縁 寺 之 事 に つ い て も 同 じ く 官 に 申 し て 取 り 行 う の み で 、 治 部 省 や 玄 蕃 寮 、 僧 綱 所 を 経 る 必 要 は な い と い う こ と で あ る 。 律 令 制 の も と で の 僧 尼 の 統 制 は 通 常 、 三 綱 ↓ 僧 綱 ↓ 玄 蕃 寮 ↓ 治 部 省 ↓ 太 攻 官 と い う 順 序 を 経 て 行 な わ れ る べ き も の で あ つ て 、 と り わ け 僧 綱 は そ の 中 枢 を 掌 把 し て い た の で あ る 。 と こ 遍 照 の 元 慶 寺 経 営 と そ の 意 義

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密 教 文 化 う が 元 慶 寺 の 揚 合 は 、 省 ・ 寮 ・ 僧 綱 を 経 る と い う 行 政 手 順 を 飛 び こ え て ひ と 飛 び に 太 政 官 の 決 定 に よ っ て 寺 務 を 処 理 し て ゆ く と い う の で あ る 。 こ の よ う に 、 省 ・ 寮 ・ 僧 綱 の 統 制 を う け ず に 縁 寺 之 事 は す べ て 寺 内 で 決 定 す る と い う 制 度 は 、 弘 仁 十 三 年 六 月 十 一 目 天 (8) 台 宗 に 下 さ れ た ﹁ 允 許 大 乗 戒 官 符 ﹂ な ら び に そ の 実 施 要 綱 を 定 め た 弘 仁 十 四 年 二 月 二 十 七 日 の 太 政 官 櫟 を も っ て 最 切 と す (9) る 。 そ の 太 政 官 牒 を み る と 、 案 太 政 官 去 年 六 月 十 一 日 下 治 部 省 符 僻 、 検 伝 燈 法 師 位 最 澄 奏 状 、 夫 如 来 制 戒 、 乃 至 省 宜 承 知 依 宣 行 之 、 者 今 案 式 意 応 試 業 者 、 先 申 別 当 、 聴 彼 処 分 、 試 業 既 詑 、 亦 申 別 当 、 別 当 執 奏 、 傍 国 忌 日 、 便 令 得 度 、 不 可 更 経 治 部 僧 綱 、 其 応 試 義 条 、 一 依 太 政 官 去 延 暦 廿 五 年 正 月 廿 六 日 下 治 部 省 符 旨 、 於 彼 寺 試 、 得 度 巳 畢 、 別 当 申 官 勘 籍 並 与 度 縁 、 然 後 下 知 治 部 省 、 自 今 以 後 、 立 為 恒 例 、 牒 到 準 牒 故 牒 、 と あ っ て 、 最 澄 の 学 生 式 に 則 る 新 制 度 の 実 施 要 綱 が 規 定 さ れ て い る 。 文 中 の 最 澄 奏 状 と い う の は 、 弘 仁 十 年 、 年 分 度 僧 三 人 を 毎 春 三 月 法 華 経 の 制 に よ っ て 得 度 受 戒 せ し め ん こ と を 請 う た 上 表 文 を 指 し て い る 。 当 然 、 僧 綱 の 反 対 に あ つ て 允 許 の な い ま ま 、 弘 仁 十 三 年 六 月 四 日 簸 澄 の 死 を 迎 え る や む な き に 至 る が 、 よ う や く 六 月 十 一 目 、 大 乗 菩 薩 戒 が 勅 許 さ れ た の で あ る 。 こ の 経 緯 は 目 本 仏 教 史 上 あ ま り に も 有 名 で あ る 。 比 叡 山 延 暦 寺 が 教 団 と し て 独 立 す る ま で に は 少 な く と も 二 つ の 節 が あ っ た と 思 う 。 一 つ は 延 暦 二 十 五 年 正 月 の 年 分 度 僧 の 賜 与 で あ り 、 つ づ い て は 弘 仁 十 三 年 六 月 の 大 乗 戒 壇 の 勅 許 で あ っ た 。 し か も 後 者 は 天 台 宗 の 独 立 を 決 定 づ け 、 こ の 新 制 度 に よ っ て 最 澄 の 学 生 式 奏 上 の 目 的 が 成 就 さ れ た ば か り か 、 具 体 的 に 制 度 化 さ れ る こ と に な っ た の で あ る 。 延 暦 三 十 五 年 の 官 符 で は 、 試 業 得 度 に 関 し て は 天 台 宗 は ま だ 省 ・ 寮 ・ 僧 綱 (10) の 支 配 下 に あ っ た 。 そ れ が 弘 仁 十 四 年 の 官 符 に よ つ て 、 延 暦 寺 の 年 分 学 生 は 南 都 僧 綱 の 覇 絆 を 脱 し て 、 教 理 上 か ら も 制 度 上 か ら も 完 全 に 独 立 を か ち と る こ と が で き た の で あ る 。 こ の 制 度 は た だ ち に 実 行 さ れ た 。 す な わ ち 、 弘 仁 十 四 年 三 月 十 七 日 、 先 帝 桓 武 帝 国 忌 の 日 を 期 し て 延 暦 寺 一 乗 止 観 院 薬 師 仏 宝 前 に お い て 、 三 人 の 年 分 度 者 が 得 度 し 、 延 暦 寺 別 当 が 民 部 省 の 允 録 二 人 を 山 内 に 召 し て 度 者 の 勘 籍 を 行 な っ た 。 つ づ い て 、 四 月 十 四 日 に は 学 生 式 に 則 る 最 初 の 授 戒 が 行 な わ れ

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た が 、 こ の と き の 嵯 峨 帝 御 農 筆 の ﹁ 光 定 戒 牒 ﹂ が 現 存 し て い る 。 こ れ を み る と 、 た し か に 伝 戒 師 義 真 と と も に 別 当 藤 原 三 守 、 大 伴 国 道 の 署 名 が あ り 、 そ れ に 太 政 官 印 が 十 一 捺 印 さ れ (11) て あ る 。 時 代 は く だ る が 、 天 長 十 年 三 月 廿 五 日 付 の 円 珍 度 縁 (12) 並 公 験 も 同 様 の 書 式 を と っ て お 仇 、 弘 仁 十 三 年 官 符 に よ る 新 制 度 は 実 際 に 実 行 さ れ て い た こ と を 物 語 っ て い る 。 こ の よ う に み て く る と 、 元 慶 元 年 の 遍 照 の 上 表 文 に の べ ら れ て い る 元 慶 寺 の 学 生 育 成 の 方 針 は 、 ﹁ 一 准 天 台 宗 ﹂ と あ る よ う に 最 澄 所 制 の 学 生 式 を 範 と し 背 景 と す る も の で あ っ た 。 元 慶 二 年 の 規 定 は 、 そ れ を 実 施 す る た め の 具 体 的 な 寺 務 制 度 の 確 立 で あ っ て 、 い わ ば 元 慶 元 年 の 上 表 か ら し て 当 然 確 立 さ れ な け れ ば な ら な い 制 度 で あ っ た の で あ る 。 遍 照 の 元 慶 寺 に お け る 学 生 育 成 の 方 針 は 、 最 澄 が 叡 山 に 戒 壇 建 立 を 決 心 す る に 際 し て 、 そ の 一 大 宿 願 を 後 援 し た 父 良 峯 安 世 の 努 力 を 踏 襲 す る も の と い え る 。 光 定 撰 ﹃ 伝 述 一 心 戒 文 ﹄ に は 、 藤 原 冬 嗣 、 良 峯 安 世 、 藤 原 三 守 、 大 伴 国 道 の い わ ゆ る 桓 武 帝 の 四 賢 臣 た ち の 叡 山 に た い す る 外 護 の あ り さ ま が 如 実 に 記 さ れ て あ る が 、 と く に 良 峯 安 世 は 父 桓 武 帝 の 意 志 を 体 し て 終 始 最 澄 に た い し て 篤 い 外 護 の 任 に あ た り 、 滅 後 に お い て も な お 戒 壇 院 勅 許 、 宝 塔 建 立 の た め に 尽 力 し た の で あ ーる 。 一 方 、 最 澄 も 全 幅 の 信 頼 を よ せ ﹁ 吾 宗 任 良 峯 右 大 弁 、 存 不 存 状 、 (13) 在 宰 官 意 ﹂ と の べ て い る ほ ど で あ る 。 こ の こ と を 思 え ば 、 遍 照 が 元 慶 寺 経 営 に お い て 、 最 澄 の 宿 願 を 徹 底 実 践 し て ゆ く 心 情 は 充 分 理 解 で き る で あ ろ う 。 四 そ の 後 も 元 慶 寺 の 経 営 は 着 々 と 、 し か も 順 調 に 発 展 し た 。 ま ず 座 主 遍 照 自 身 が 、 元 慶 三 年 十 月 二 十 三 日 、 陽 成 帝 の 護 持 の 功 に よ っ て 権 僧 正 に 補 任 さ れ た 。 こ れ よ り さ き 、 貞 観 十 一 年 二 月 、 大 極 殿 に 六 十 僧 を あ つ め て 三 目 間 大 般 若 経 を 転 読 せ し め る こ と が あ っ た 際 、 詔 に よ っ て 法 眼 和 尚 位 を 授 け ら れ て い (14) る 。 し か し 実 際 の 僧 綱 入 り は し て い な か っ た と 思 わ れ る か ら 、 元 慶 三 年 の 権 僧 正 補 任 は 天 台 僧 と し て は 最 初 の 、 し か も 僧 都 を 経 な い 異 例 の 補 任 で あ っ た の で あ る 。 つ い で 、 元 慶 三 年 閨 十 月 五 日 に は 山 城 国 乙 訓 郡 の 公 田 五 町 を 寺 田 と な し 、 宇 治 郡 官 田 四 段 三 百 十 六 歩 の 施 入 を 受 け て 、 (15) 経 済 的 基 盤 を 固 め る こ と が で き た 。 そ し て 、 元 慶 八 年 二 月 、 光 孝 帝 が 即 位 す る や 元 慶 寺 経 営 は 遍 照 の 元 慶 寺 経 営 と そ の 意 義

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密 教 文 化 一 段 と 飛 躍 す る こ と に な る 。 光 孝 帝 は 仁 明 帝 の 第 三 皇 子 で 時 康 親 王 と 称 し て い た が 、 母 は 藤 原 総 継 の 女 で あ り 藤 原 氏 で も 傍 系 で あ っ た た め か 、 な が く 不 遇 を 託 っ て い た の を 、 陽 成 帝 の 没 後 、 藤 原 基 経 の 廃 立 を え て 五 十 五 才 と い う 高 齢 で 突 如 即 位 す る こ と に な っ た の で あ る 。 光 孝 帝 と 遍 照 と の 間 柄 は き わ め て 親 密 で あ っ て 、 そ の 交 友 は 幼 少 の こ ろ ま で さ か の ぼ る の で あ る 。 あ る い は 遍 照 の 母 は 光 孝 帝 の 乳 母 で は な か っ た か と い う 推 定 が あ る 。 ﹃ 古 今 集 ﹄ (16) の づ き の 讃 書 は こ れ を 暗 示 し て い る 、 仁 和 の み か ど 、 み こ に お は し ま し け る 時 、 ふ る の た き 御 覧 ぜ む と て お は し ま し け る み ち に 、 遍 照 が は は の 家 に や ど り た ま へ り け る 時 に 、 庭 を 秋 の の に つ く り て 、 お ほ む も の が た り の つ い で に よ み て た て ま つ り け る 。 さ と は あ れ て 人 は ふ り に し や ど な れ や 庭 も ま が き も 秋 の の ら な る 当 時 の 家 族 関 係 か ら み て 、 乳 兄 弟 と い う の は 肉 親 に も ま さ る ほ ど の 親 密 さ を も つ も の で あ っ た 。 こ の 他 に 、 仁 和 元 年 二 月 の 僧 綱 辞 退 の 上 表 文 に 、 ﹁ 遍 照 昔 在 陛 下 龍 潜 之 時 、 陪 蕃 邸 而 委 質 ﹂ と か ﹁ 小 僧 為 陛 下 之 旧 臣 ﹂ と か あ る よ う に 、 時 康 親 主 (17) 時 代 か ら 相 当 に 親 密 な 関 係 に あ っ た こ と を 示 し て い る 。 こ の よ う な 二 人 の 関 係 を も っ と も よ く 説 明 し て い る の は 、 仁 和 二 年 三 月 十 四 日 、 食 邑 百 戸 を 賜 わ り 輩 車 に よ っ て 入 宮 す る こ と (18) を ゆ る さ れ た と き の 詔 歳 の 文 言 で あ る 。 惟 公 慈 仁 為 性 、 保 護 朕 躬 、 一 朝 一 夕 頼 其 普 導 、 朕 所 以 身 済 鴻 業 至 干 今 日 、 豊 非 公 潜 衛 之 力 自 然 冥 致 耶 、 況 公 之 未 及 落 錺 、 朕 之 始 在 列 藩 、 推 分 結 思 、 形 於 中 表 、 及 其 禅 律 交 養 揚 為 僧 正 、 外 整 俗 務 、 内 宗 梵 行 者 、 亦 有 日 夷 、 こ の 内 容 に つ い て は 多 少 の 誇 大 は あ る に し て も 、 光 孝 帝 と 遍 照 と が き わ め て 親 密 で あ っ た 経 緯 を 物 語 っ て い る 。 こ の よ う な 関 係 か ら し て 、 遍 照 へ の 外 護 は 当 然 期 待 さ れ て よ い 。 光 孝 帝 即 位 後 、 遍 照 に た い す る 外 護 は 北 家 藤 原 氏 か ら ば か り で な く 、 さ ら に 光 孝 帝 み ず か ら の 手 篤 い 外 護 を く わ え る こ と な り 、 元 慶 寺 も ま た 陽 成 帝 時 代 以 上 の 一 層 の 充 実 を み る こ と に な っ た の で あ る 。 元 慶 入 年 九 月 十 日 、 故 常 康 親 王 の 離 宮 雲 林 院 を 元 慶 寺 別 院 と す る 。 常 康 親 王 も 仁 明 帝 の 皇 子 で あ り 、 帝 崩 御 の と き 遍 照 ら と と も に 官 を 辞 し て 出 家 し 雲 林 院 に 住 し て い た 。 親 王 は 逝

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去 の 三 カ 月 前 、 貞 観 十 二 年 三 月 、 遍 照 に こ こ を 付 嘱 し て い る 。 光 孝 帝 即 位 す る や 、 遍 照 は す ば や く 別 院 に な す べ く 太 政 (18) 官 に 申 請 し ゆ る さ れ た の で あ る 。 そ の と き の 上 表 の 文 言 を 抄 出 し て み る 。 雲 林 院 者 、 故 無 品 常 康 親 王 之 旧 居 也 、 親 王 出 家 為 沙 門 、 貞 観 十 一 年 二 月 十 六 日 、 以 此 院 付 嘱 遍 照 日 、 ( 略 ) 、 思 欲 永 為 精 舎 、 令 学 天 台 之 教 、 伏 思 、 元 慶 寺 永 置 年 分 度 僧 三 人 、 伝 天 台 之 法 、 行 試 度 之 道 、 請 以 為 元 慶 寺 別 院 、 成 親 王 之 心 願 矣 、 但 院 中 雑 事 、 択 遍 照 門 徒 之 中 堪 幹 事 者 、 令 其 勾 当 、 つ ま り 常 康 親 王 は 雲 林 院 を 天 台 の 精 舎 に す る た め に 遍 照 に 付 嘱 し た の で あ り 、 そ の 親 主 の 遺 志 を 果 た す た め に 、 そ こ を 元 慶 寺 の 別 院 に な し た こ と が わ か る 。 別 院 制 は 平 安 前 期 ご ろ 成 立 し た も の で 、 当 時 の 教 団 発 展 の 特 色 を 示 し て い る 。 別 院 は 、 い わ ば 教 線 の 地 方 へ の 拡 張 の た め に 恒 常 的 に 置 か れ た 施 設 で あ っ て 、 官 の 許 可 を 必 要 と し 、 経 営 主 体 は 本 寺 に あ っ た 。 三 井 寺 の 場 合 な ど を み て も 、 円 珍 が 大 友 村 主 族 か ら 寄 進 を う け て 再 興 し た あ と 、 貞 観 入 年 五 月 、 こ れ を 延 暦 寺 の 別 院 に し た わ け で あ る が 、 そ の 際 に も 別 当 ・ 三 綱 等 の 人 事 は 改 め て 本 寺 た る 延 暦 寺 の 任 命 を 待 た ね ば な ら (20) な か っ た 。 雲 林 院 の 場 合 も 、 院 中 の 雑 事 は 遍 照 の 門 中 よ り 選 ん で 勾 当 せ し む と い う の は 、 雲 林 院 の 経 営 人 事 等 は 一 切 本 寺 元 慶 寺 に お い て 処 理 す る と い う こ と で わ る 。 本 寺 僧 侶 の 転 出 の た め に も 、 ま た 本 寺 の 教 線 拡 大 の た め に も 、 こ れ は 必 要 な 処 置 で あ っ た の だ ろ う 。 五 元 慶 寺 経 営 に お い て 特 記 さ れ な け れ ば な ら な い も の に 、 元 慶 八 年 九 月 十 七 目 、 元 慶 寺 に 伝 法 阿 闇 梨 を 置 い て 、 惟 首 な ら び に 安 然 の 二 人 を こ れ に 任 じ た こ と で あ る 。 元 慶 寺 は も と も と 年 分 度 者 三 人 を 賜 わ っ た と き か ら 、 そ の 意 図 す る と こ ろ は 天 台 止 観 と 真 言 密 教 を 伝 え る こ と に あ っ た 。 と こ ろ が 、 止 観 業 の 場 合 な ら ば と く に 授 業 之 師 の 資 格 は 問 わ れ な い が 、 真 言 密 教 は 阿 闇 梨 位 の 行 満 で な け れ ば 伝 法 は 不 可 能 で あ る 。 し た が っ て 、 元 慶 元 年 に 真 雷 業 の 年 分 度 者 を 置 い た と き か ら 、 も し 元 慶 寺 を 独 立 し た 台 密 の 道 場 と し て 維 持 し よ う と す る な ら ば 、 ど う し て も 伝 法 阿 闇 梨 を 置 く 必 要 が あ っ た の で あ る 。 こ う し た 事 情 の な か で 、 遍 照 は 惟 首 一 安 然 遍 照 の 元 慶 寺 経 営 と そ の 意 義

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密 教 文 化 の 二 人 を 推 挙 し て 望 請 、 准 延 暦 寺 例 、 授 伝 法 阿 闇 梨 位 、 阿 闊 梨 位 敷 演 秘 教 、 試 練 学 徒 、 (20) と 土 表 し て 、 ゆ る さ れ た の で あ る 。 こ こ に 、 元 慶 寺 は 台 密 の 道 場 と し て 名 実 と も に 完 成 を み た と い え る 。 な お 、 上 表 文 中 に ﹁ 准 延 暦 寺 ﹂ と あ る よ う に 、 元 慶 寺 の 経 営 は い つ も 延 暦 寺 の 方 針 を も っ て 範 と し て い る こ と は 、 前 述 の と お り で あ る 。 惟 首 は 円 珍 の あ と を 襲 っ て 三 井 寺 別 当 に な っ た 人 物 で あ り 、 安 然 は 台 密 教 観 の 完 成 者 で あ る 。 こ の 両 人 に た い す る 遍 照 の 授 法 は 、 元 慶 寺 の 寺 格 を 相 当 高 め た は ず で あ る 。 そ れ ば か り か 、 安 然 が 台 密 の 教 観 体 系 を 完 成 す る た め に 、 決 定 的 な 便 宜 を あ た え た の で あ る 。 安 然 が い つ ご ろ か ら 遍 照 の も と に 参 じ た か は 不 詳 で あ る が 、 安 然 は 入 唐 が 確 定 し た 貞 観 十 九 年 三 月 ご ろ か ら 出 発 の 期 を 爵 前 に 控 え て 、 道 海 ・ 長 意 ・ 公 輔 ・ 斉 詮 等 の 諸 師 に 就 い て 盛 ん に 両 部 あ る い は 三 部 の 大 法 あ る い は 悉 曇 等 を 受 法 し て い (22) る 、 お そ ら く 、 こ の こ ろ か ら 麦 沸 ほ 擁 ま る か も し れ な い 。 ﹃ 胎 蔵 対 受 記 ﹄ 第 一 の 初 、 第 六 の 第 二 四 三 ( 無 所 不 至 印 ノ 条 ) 等 に は 、 元 慶 六 年 六 月 、 元 慶 寺 観 中 院 道 場 に お い て 遍 照 が 安 然 に 胎 蔵 法 を 授 け た と き の 有 様 を 詳 し く 説 明 し て あ る 。 金 剛 大 法 を 授 け た の も こ の こ ろ で あ っ た ろ う と 思 わ れ る 。 ﹃ 金 剛 界 大 法 対 受 記 ﹄ 第 二 の 第 十 九 ( 降 三 世 印 ノ 条 ) に は 、 つ づ い て 元 慶 六 年 十 月 二 十 日 、 降 三 世 大 結 護 を 授 法 し た こ と が 記 さ れ て い る 。 そ し て 、 元 慶 入 年 、 元 慶 寺 に 伝 法 阿 闊 梨 を 置 く こ と に な り 、 遍 照 は 惟 首 と 安 然 に た い し て 伝 法 潅 頂 を 授 け る こ と に な る 。 ﹃ 金 剛 界 大 法 対 受 記 ﹄ 第 七 の 第 一 八 六 ( 正 念 諦 法 ノ 条 ) に は 、 こ の こ と を 元 慶 八 年 十 月 十 五 日 夜 、 中 院 与 首 然 三 人 胎 蔵 授 位 潅 頂 、 付 此 無 所 不 至 印 及 三 身 説 法 印 、 十 六 日 夜 金 剛 界 中 付 大 目 三 昧 印 、 と 記 し て い る 。 ﹃ 阿 娑 縛 抄 ﹄ 伝 法 潅 頂 日 記 の 上 に は 、 こ の と き の ﹁ 印 信 ﹂ が 載 せ て あ り 、 詳 し く 伝 法 内 容 を し る こ と が で き る が 、 胎 金 の 他 に 同 時 に 蘇 悉 地 大 怯 を 授 け て い る こ と が 知 ら れ る の で あ る 。 こ う し て 、 久 し い 待 望 の 後 、 元 慶 寺 は は じ め て 惟 首 ・ 安 然 と い う 二 人 の 三 部 都 法 阿 闇 梨 を 生 み だ す こ と (23) が で き た の で あ る 。 遍 照 は と く に 安 然 に 期 待 す る と こ ろ 大 で あ っ た ら し い 。

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﹃ 金 剛 界 大 法 対 受 記﹄ 第 七 の 第 一 八 六 に 、 別 時 、 唯 為 安 然 付 玲 祇 経 阿 闇 梨 位 印 明 、 又 於 別 時 付 真 実 経 三 身 印 明 、 此 別 時 印 、 不 付 首 阿 闊 梨 、 絹 検 嬰 醸 唯 教 一 人 授 与 都 法 不 付 三 人 、 具 如 彼 経 、 推 量 師 意 、 不 可 敢 言 、 ど 認 さ れ て い る よ う に 、 都 法 二 人 に の み 付 す る 諭 祇 経 阿 闇 梨 位 印 明 と 真 実 経 三 身 印 明 の 秘 法 を 、 上 蕩 の 惟 首 を 差 し 置 い て 、 法 薦 若 い 安 然 に 授 け て い る 。 こ の こ と は 安 然 の 法 器 の 偉 大 さ と と も に 遍 照 の か れ に 寄 せ た 期 待 の 大 き か っ た こ と を 物 語 っ て い る 。 安 然 の 感 激 は い か ば か り で あ っ た ろ う か 。 そ の 喜 び は ﹁ 推 量 師 意 、 不 可 敢 言 ﹂ と い う 文 言 に よ っ て も 察 す る こ と が で き る 。 の み な ら ず 、 元 慶 九 年 正 月 に 完 成 し た 著 述 ﹃ 入 家 秘 録﹄ 序 に は ﹁ 元 慶 寺 勅 潅 頂 伝 法 沙 門 安 然 叙 ﹂ と 署 名 し 、 同 じ く 、 こ の こ ろ 観 中 院 に お い て 撰 述 し た と 認 め ら れ る ﹃ 蘇 悉 地 掲 羅 玄 重 門 儀 軌 ﹄ ( 寛 永 寺 蔵 本 ) 巻 頭 に も ﹁ 元 慶 寺 勅 (24) 儲 法 阿 闊 梨 福 聚 金 剛 集 ﹂ と 記 名 し て い る な ど 、 安 然 の 元 慶 寺 沙 門 と し て の 衿 持 を 伺 い 知 る こ と が で き る の で あ る 。 元 慶 寺 時 代 の 安 然 の 充 実 と 得 意 は 察 す る に 余 り あ る 。 し か も 、 遍 照 は 円 仁 ・ 安 恵 の 法 脈 と 円 珍 の 法 脈 と の 双 方 を 継 承 し て い る の で あ る か ら 、 台 密 に お け る 最 も 充 実 し た 法 流 で あ る 。 こ の こ と は 安 然 に 一 層 の 自 信 と 覚 悟 を あ た え た と 思 わ れ る 。 か れ の 著 作 活 動 も こ の こ ろ か ら 軌 道 に 乗 る の で あ る 。 安 然 の 伝 記 に は 不 明 の 箇 所 が 少 な く な い が 、 寛 平 元 年 ご ろ (25) は 遍 照 の 子 由 性 が 別 当 を つ と め る 雲 林 貌 に 住 し て い る 。 安 然 の 台 密 教 観 の 大 成 に は 、 元 慶 寺 を 背 景 と し た 遍 照 と の 師 資 面 授 が 重 要 な 契 機 を あ た え て い る こ と を 知 る の で あ る 。 仁 和 三 年 四 月 に は 、 最 円 に た い し て 両 部 大 法 が 授 け ら れ た 。 こ う し て 遍 照 を 中 心 と し て 惟 首 、 安 然 、 最 円 ら の 元 慶 寺 法 流 は 、 延 暦 寺 山 内 の 前 唐 院 円 仁 流 や 三 井 寺 唐 院 に 根 拠 を お く 円 珍 門 流 に も 勝 る と も 劣 ら ぬ 、 有 力 な 台 密 の 一 法 流 を 形 成 し て い た と 思 わ れ る の で あ る 。 六 仁 和 元 年 三 月 二 十 一 目 、 遍 照 は 上 表 し て 、 元 慶 寺 の 年 分 度 僧 の 複 試 ・ 夏 講 は 寺 内 で 行 な い 、 竪 義 だ け は 延 暦 寺 六 月 法 華 会 に お い て 果 た し 、 階 業 を 終 了 し た な ら ぜ 諸 宗 の 例 に 准 じ て 満 位 に 叙 し 、 優 先 的 に 諸 国 の 講 読 師 に 擬 補 す る よ う に 申 請 し (26) て 、 ゆ る さ れ た 。 つ ぎ の 上 表 文 が そ の 抄 出 で あ る 。 此 寺 年 分 僧 等 、 復 試 夏 講 於 当 寺 令 行 之 、 立 義 一 階 、 於 延 遍 照 の 元 慶 寺 経 営 と そ の 意 義

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密 教 文 化 暦 寺 六 月 法 華 会 令 行 之 、 階 業 方 畢 、 准 諸 宗 例 、 即 叙 満 位 ( 略 ) 年 中 所 闘 講 読 師 者 、 将 令 僧 綱 因 次 薦 挙 補 任 者 、 今 案 事 意 年 閾 不 定 、 若 元 闘 之 時 一 年 空 過 、 而 若 多 閾 之 年 、 応 諸 綱 頻 挙 、 緬 想 公 恩 、 猶 有 余 慶 、 到 割 一 人 、 更 有 何 愁 、 傍 次 年 中 所 闘 之 内 、 或 講 師 或 読 師 、 最 初 闘 者 、 毎 年 随 割 一 人 、 以 此 寺 階 業 僧 、 依 次 申 官 補 任 、 然 則 不 減 僧 綱 恒 例 之 簡 定 、 永 建 当 寺 授 業 之 始 終 ( 略 ) 、 諸 国 講 読 師 の 制 は 、 僧 綱 が 中 央 の 宗 教 行 政 機 関 で あ る の に た い し て 、 地 方 の 官 制 で あ る 。 斉 衡 三 年 八 月 、 講 読 師 の 階 業 瀞 定 め ら れ 、 講 師 は 五 階 ( 試 業 、 複 講 、 維 摩 竪 義 、 夏 講 、 供 講 ) を 、 読 師 は 三 階 ( 試 、 複 、 竪 義 ) を 究 果 し た 僧 が 補 任 さ 海 る よ う に な っ た 。 遍 照 の 上 表 が ゆ る さ れ た と い う こ と は 、 元 慶 寺 に お け る 夏 安 居 の 講 師 そ の 他 が 階 業 の 一 つ と し て 公 認 さ れ た こ と を 意 味 す る 。 た だ 竪 義 の 二 階 の み は 延 暦 寺 の 六 月 会 を 及 第 し な け れ ば な ら な か っ た わ け で あ る 。 ど こ ろ で 、 年 は 不 明 で あ る が 、 当 時 延 暦 寺 座 主 で あ っ た 円 珍 か ら 遍 照 に 宛 て て 、 遍 照 の 病 状 を 見 舞 い あ わ せ て 元 慶 寺 僧 (27) の 処 遇 に つ い て 意 見 を の べ た 自 筆 の 手 紙 が 現 存 し て い る 。 後 半 の み 引 い て み る 。 ( 略 ) 除 半 分 外 僧 、 預 階 業 事 、 □ 任 弘 決 、 甚 々 好 々 、 至 立 義 事 、 必 合 有 元 慶 寺 、 印 牒 送 干 当 寺 、 催 明 年 萬 、 本 宗 本 寺 、 若 不 尓 者 、 尚 在 □ ゝ 可 有 物 滞 、 此 公 道 也 、 不 可 不 申 、 除 元 慶 寺 之 外 、 不 合 載 他 寺 、 後 必 有 左 右 紛 紙 、 特 在 高 計 、 定 諸 事 、 後 賜 令 登 山 ( 略 ) こ の 大 意 は 、 階 業 昇 進 の た め に 元 慶 寺 の 僧 が 延 暦 寺 の 六 月 会 の 竪 義 を 勤 め る よ う に し た い と い う 遍 照 の 考 え に 同 意 し 、 そ の 場 合 に は 元 慶 寺 が 公 式 の 印 牒 を も っ て 本 寺 た る 延 暦 寺 に 通 知 し 、 本 寺 末 寺 の 次 第 を 守 っ て 勤 仕 し て ほ し い と の べ て い る 。 延 暦 寺 の 竪 義 は 、 す で に 六 月 と 十 一 月 に 行 な わ れ て い て 、 こ れ は 維 摩 会 最 勝 会 の 竪 義 に 通 用 す る も の で あ っ た 。 こ う し て 、 仁 和 元 年 三 月 の 上 表 が ゆ る さ れ る こ と に よ つ て 、 元 慶 寺 の 年 分 度 僧 に と っ て は 五 階 究 果 の 者 を 送 り 出 す こ と が 容 易 に な っ た わ け で あ る 。 と こ ろ で 、 五 階 究 果 者 と は 全 く 別 の 過 程 を 経 て 諸 国 講 読 師 に 任 ぜ ら れ る 方 法 が ひ ら け て い た 。 延 暦 寺 の 場 合 、 三 綱 を 一 任 し て の 後 、 上 座 寺 主 は 講 師 に 、 都 維 那 は 読 師 に 任 ず る こ と (28) が ﹃ 延 喜 式 ﹄ に 規 定 さ れ て い る 。 そ し て 元 慶 寺 に お い て も 、 こ の 制 度 を 獲 得 す る こ と が で き た の で あ る 。 す な わ ち 、 仁 和

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元 年 五 月 二 十 三 日 、 元 慶 寺 の 有 労 の 三 綱 な ら び に 久 住 の 僧 を 階 業 に 預 り 、 講 読 師 に 補 し 、 ま た 同 寺 年 分 度 僧 を し て 延 暦 寺 お よ び 七 大 寺 に 入 っ て 、 諸 宗 を 兼 業 せ し め る こ と を 上 表 し (29) て 、 ゆ る さ れ た の で あ る 。 夫 台 宗 延 暦 寺 は 、 独 自 に 一 乗 戒 壇 を 建 立 す る こ と に 成 功 は し た も の の 、 そ の 代 り 僧 綱 へ の 進 出 な ど は 真 言 宗 に 比 べ る と 相 当 に 遅 れ て し ま っ た 。 と こ ろ が 、 諸 国 講 読 師 へ の 進 出 は 意 外 に 早 く 、 す で に 最 澄 の 学 生 式 に お い て 国 師 国 用 を こ れ に 当 て る こ と が 企 画 さ れ て い る 。 は じ め て 擬 補 が 決 定 す る の は 承 (30) 和 三 年 十 月 十 五 日 の 太 政 官 符 に よ っ て で あ る が 、 こ れ は 弘 仁 十 四 年 の 最 初 の 授 戒 者 が 十 二 年 籠 山 を 満 行 す る 天 長 十 年 に 座 主 義 真 に よ っ て 申 請 さ れ 、 ゆ る さ れ た も の で あ る 。 し か も 、 こ れ は 毎 年 擬 補 さ れ る 年 分 講 読 師 の 聴 許 で あ っ た 。 こ の 結 果 、 天 台 宗 は 大 乗 三 学 が 流 伝 い ま だ 充 分 で な い 地 方 へ 法 華 一 乗 を 広 布 す る 根 拠 を 獲 得 す る こ と が で き た の で あ る 。 地 方 教 (31) 化 の 強 調 と い う の は 最 澄 の 遺 志 で あ り 、 そ の 背 後 に は 桓 武 朝 の 地 方 政 治 の 粛 正 政 策 に 積 極 的 に 対 応 し よ う と い う 意 志 が 存 (32) 在 す る と い わ れ る 。 義 真 の 申 請 は 、 ま さ し く こ の 方 針 に 即 す る も の で あ っ た こ と は 、 天 長 十 年 の 上 表 の 文 言 が 最 澄 の 学 生 (33) 式 を 根 拠 に し て い る と こ ろ か ら も 明 白 で あ る 。 平 安 初 期 は い ま だ 僧 尼 令 の 規 制 も 厳 し か っ た こ と を 考 え る と 、 地 方 で の 民 間 布 教 も 困 難 で あ っ た ろ う か ら 、 講 読 師 の 職 位 を 活 用 す る こ と は 自 宗 の 地 方 進 出 に は 大 変 有 効 で あ っ た 。 そ れ に 、 年 々 育 成 さ れ て く る 僧 の 栄 転 の 先 と し て も 講 読 師 の 地 位 を 得 る こ と は 必 要 な 処 置 で あ っ た 。 こ う し た 事 情 の も と で 、 天 台 宗 は 諸 国 講 読 師 へ の 進 出 に 意 欲 を 燃 し て い た の で あ る 。 な お 、 天 台 宗 分 の 講 読 師 は 、 他 の 場 合 と 同 じ く 、 直 接 太 政 官 に 申 告 し て 擬 補 を う け る 、 い わ ば 僧 綱 に 摂 領 さ れ ざ る 人 事 で あ る 。 こ れ は 元 慶 寺 の 場 合 も 全 く 同 じ で あ る 。 仁 和 元 年 、 元 慶 寺 僧 は 諸 国 講 読 師 へ 進 出 す る 機 会 を 得 た わ け で あ る が 、 こ れ も 最 澄 の 学 生 式 の 趣 旨 を 基 準 と し 、 こ れ を 実 現 し た も の に ほ か な ら ず 、 ひ い て は 律 令 制 仏 教 に 対 決 し て 平 安 仏 教 の 新 し い あ り か た を 示 す 二 翼 を 荷 っ て い た と い え る の で あ る 。 こ の 後 、 仁 和 二 年 、 遍 照 は 国 土 豊 楽 法 界 利 益 を 祈 願 し て 法 華 三 昧 な ら び に 阿 弥 陀 三 昧 を 修 し 始 め 、 そ の た め に 花 山 元 慶 (34) 寺 式 を 定 め た 。 そ の 式 に よ る と 、 延 暦 寺 ・ 淘 麻 寺 の 十 二 年 、 安 祥 寺 七 年 、 金 剛 峯 寺 六 年 の 籠 山 の 制 に な ら う て 、 同 じ く 籠 遍 照 の 元 慶 寺 経 営 と そ の 意 義

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密 教 文 化 山 の 制 度 を 採 用 し て い る 。 す な わ ち 、 金 剛 峯 寺 の 例 に 准 じ て 受 戒 後 六 年 間 は 他 行 を ゆ る さ ず 三 昧 の 兼 修 に 精 進 さ せ る こ と を 規 定 し て い る 。 こ う し た と こ ろ に 、 遍 照 が 元 慶 寺 を も つ て 、 延 暦 寺 ・ 金 剛 峯 寺 等 の 有 力 寺 院 に 伍 し う る 道 場 に 発 展 さ せ よ う と し て い た 経 営 意 欲 を う か が う こ と が で き る の で あ る 。 遍 照 の 元 慶 寺 経 営 の 多 く 分 領 域 が 、 最 澄 の 学 生 式 と 延 暦 寺 経 営 に 範 を 置 い て い た こ と は 、 こ れ ま で 指 摘 し て き た と お り で あ る が 、 全 て こ れ を も っ て 規 準 と し た わ け で は な い 。 延 暦 寺 に た い し て も 、 独 立 の 位 置 と 距 離 と を 守 っ て い た の で あ る 、 惟 首 、 安 然 に た い す る 伝 法 も こ の 布 石 の 一 つ で あ っ た ろ う 。 す ぐ れ た 法 類 で は あ っ た が 、 決 し て ﹁ 第 二 延 暦 寺 ﹂ と い う 亜 流 で は な か っ た 。 て れ を も つ と も よ く 示 し て い る の は 、 元 慶 寺 の 籠 山 制 で あ る 。 各 寺 院 の な か か ら 、 も っ と も 元 慶 寺 に 適 合 し た 制 度 と し て 金 剛 峯 寺 の 六 年 籠 山 制 を 採 用 し て い る 。 あ る い は 、 遍 照 自 身 、 叡 山 の 十 二 年 籠 山 に た い し て 疑 問 を い だ い て い た の か も し れ な い 。 七 遍 照 の 元 慶 寺 経 営 は 、 そ の 範 を 最 澄 所 制 の 学 生 式 な ら び に そ の 後 の 延 暦 寺 経 営 に 求 め て い る と こ ろ が 多 い 。 し か し 、 延 暦 寺 の 亜 流 に 堕 す る こ と は な か っ た 。 む し ろ 延 暦 寺 を 凌 ぐ 趣 さ え も み ら れ る ほ ど の 実 力 と 体 制 を 確 立 し て い っ た の で あ る 。 そ れ は 、 遍 照 の 緻 密 な 計 画 に よ っ て 推 進 さ れ 、 見 事 に 成 功 し た 観 が あ る 。 律 令 制 下 の 仏 教 界 で 孤 立 し て い た 延 暦 寺 天 台 宗 は 、 強 力 な 同 志 を 得 る こ と が で き た 。 遍 照 の 元 慶 寺 経 営 は 、 こ の 意 味 で 、 日 本 天 台 宗 の 確 立 に 重 要 な 役 割 を 演 じ 、 同 時 に 平 安 時 代 に お け る 新 し い 仏 教 体 制 の 形 成 に も 画 期 的 な 契 機 を あ た え た と い え る の で あ る 。 遍 照 に つ い て は 不 明 の 点 が 多 く 、 論 じ つ く せ な か っ た 点 や の こ さ れ た 問 題 も あ る が 、 他 日 の 機 会 を 期 し た い 。 註 (1) ﹃ 三 代 実 録 ﹄ 巻 三 二 、 元 慶 元 年 十 二 月 九 日 条 、 ﹃ 類 聚 三 代 格 ﹄ 巻 二 、 年 分 度 者 事 。 (2) ﹃ 三 代 実 録 ﹄ 巻 三 二 、 元 慶 三 年 十 月 二 十 三 日 条 。 (3) 拙 論 ﹁ 遍 照 の 宗 教 活 動 ﹂ ( ﹃ 国 語 教 育 雑 誌 ﹄ 第 四 号 、 所 収) 、 参 照 。 (4) 貞 観 十 五 年 正 月 十 五 日 付 ﹁ 請 授 遍 照 阿 閣 梨 位 之 欺 状 ﹂ ( ﹃ 園 城 寺 文 書 ﹄ 所 収) 。 (5) こ の と き の 円 珍 か ら 遍 照 へ の 伝 法 内 容 に つ い て は 不 明 の 点 が 多 い ( 木 内 央 氏 論 文 ﹁ 遍 照 と 密 教 ﹂ 、 印 度 学 仏 教 学 研 究 第 二 十 一

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の 二 、 参 照) 。 (6) 註 1 と 同 じ 。 (7) ﹃ 三 代 実 録 ﹄ 巻 三 二 、 元 慶 二 年 二 月 七 日 条 。 (8) ﹃ 類 聚 三 代 格 ﹄ 巻 二 、 な ら び に 仁 忠 撰 ﹃ 叡 山 大 師 伝 ﹄ 、 参 照 。 (9) ﹃ 類 聚 三 代 格 ﹄ 巻 二 、 な ら び に 仁 忠 撰 ﹃ 叡 山 大 師 伝 ﹄ 、 参 照 。 (10) ﹃ 類 聚 三 代 格 ﹄ 巻 二 。 (11) ﹃ 秘 宝 延 暦 寺 ﹄ 、 所 収 ( 講 談 社 刊) 。 (12) ﹃ 秘 宝 園 城 寺 ﹄ 、 所 収 ( 講 談 社 刊) 。 (13) ﹃ 伝 述 一 心 戒 文 ﹄ ( ﹃ 伝 教 大 師 全 集 ﹄ 第 炉 巻 所 収) 、 参 照 。 (14) ﹃ 三 代 実 録 ﹄ 巻 二 一 、 貞 観 十 一 年 二 月 条 。 (15) ﹃ 三 代 実 録 ﹄ 巻 三 六 、 元 慶 三 年 閏 十 月 孟 日 条 。 (16) ﹃ 古 今 和 歌 集 ﹄ 巻 四 、 秋 歌 上 。 (17) ﹃ 三 代 実 録 ﹄ 巻 四 七 、 仁 和 元 年 二 月 条 。 ﹃ 三 代 実 録 ﹄ 巻 四 七 、 仁 和 二 年 三 月 条 。 目 崎 徳 衛 氏 論 文 ﹁僧 侶 お よ び 歌 人 と し て の 遍 照 ﹂ ( ﹃ 日 本 歴 史 ﹄ 第 一 二 九 号 、 所 収) 、 参 照 。 (18) ﹃ 三 代 実 録 ﹄ 巻 四 七 、 仁 和 二 年 三 月 十 四 日 条 。 (19) ﹃ 三 代 実 録 ﹄ 巻 四 六 、 元 慶 八 年 九 月 十 日 条 。 (20) 拙 論 ﹁ 円 珍 の 三 井 寺 経 営 ﹂ ( ﹃ 天 台 学 報 ﹄ 第 十 五 号 、 所 収) 、 参 照 。 巻 四 六 、 元 慶 八 年 九 月 十 九 日 条 。 (21) ﹃ 三 代 実 録 ﹄ な ら び に ﹃ 類 聚 三 代 格 ﹄ 巻 二 。 (22) 橋 本 進 吉 博 士 論 文 ﹁ 安 然 和 尚 事 蹟 考 ﹂ ( ﹃ 伝 記 ・ 典 籍 研 究 ﹄ 所 収) 、 参 照 。 (23) 安 然 に だ い す る 授 法 関 係 の 資 料 は 、 ﹃ 大 日 本 史 料 ﹄ 二 の 一 に 、 遍 照 ・ 安 然 と 区 分 け し て 収 め ら れ て い る 。 本 論 で は こ れ を 利 用 し た 。 (24) ﹃ 大 正 大 蔵 経 ﹄ 第 五 五 巻 、 所 収 。 な ら び に ﹃ 大 日 本 大 蔵 経 ﹄ 天 台 宗 密 教 章 疏 第 三 、 所 収 。 (25) ﹃ 扶 桑 略 記 ﹄ 所 引 ﹁ 寛 平 御 記 ﹂ 、 参 照 。 (26) ﹃ 三 代 実 録 ﹄ 巻 四 七 、 仁 和 元 年 三 月 条 。 な ら び に ﹃ 類 聚 三 代 格 ﹄ 、 巻 三 。 (27) ﹃ 園 城 寺 余 光 ﹄ 、 所 収 。 (28) ﹃ 延 喜 式 ﹄ 玄 蕃 寮 。 (29) ﹃ 三 代 実 録 ﹄ 巻 四 六 、 仁 和 元 年 五 月 二 十 三 泪 条 。 (30) ﹃ 類 聚 三 代 格 ﹄ 巻 三 、 応 令 天 台 宗 伝 弘 諸 国 事 。 (31) ﹃ 学 生 式 ﹄ ( ﹃ 伝 教 大 師 全 集 ﹄ 巻 一 、 所 収) 、 参 照 。 (32) 高 木 豊 氏 著 ﹃ 平 安 時 代 法 華 仏 教 史 研 究 ﹄ 第 一 章 、 第 三 節 、 参 照 。 (33) ﹃ 類 聚 三 代 格 ﹄ 巻 三 、 応 令 天 台 宗 伝 弘 諸 国 事 ( 承 和 二 年 十 月 十 五 日 付 太 政 官 符) 文 言 所 引 、 義 真 上 表 文 、 参 照 。 (34) ﹃ 類 聚 三 代 格 ﹄ 巻 二 、 年 分 度 者 事 。 遍 照 の 元 慶 寺 経 営 と そ の 意 義

参照

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1978年兵庫県西宮市生まれ。2001年慶應義塾大学総合政策学部卒業、

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