子どもの理解は相互作用の中で成り立つ
井口均
1.はじめに−現幼稚園教育要領における子どもの「理解」一
子どもを理解することの重要性は、保育・教育においては改めて問われるまでもない。問題は その内容である。「環境による教育」を中心に置いた現幼稚園教育要項(以下、現要項と略)の下 での子どもの「理解」は、従来の意味合いとは異なる内容を含んでいる。それは、保育者が意図 的に設定した課題活動に対して、どうすれば子どもたちに興味を持たせ、取り組ませることがで きるかといった、動機づけ内容の理解ではない。さらに、その子の年齢的発達に相応しい活動イ メージを思い浮かべ、どうすればそのように活動させられるかといった、活動の展開内容の理解 でもない。
その基本的内容は、大場・高杉・森上の三氏の編集による『幼稚園教育要項解説』での、「子ど もからの出発」「子どもの主体的な生活を中心に」「子どもの発達の見方、考え方」「指導とは」等 の中に読み取ることができる。要するに、それは一個の活動主体として子どもを理解することで ある。大人と比べれば確かに未発達な面をもってはいるが、感情をはじめ、感覚、感性、思考力、
意志といった要素を備えた存在として見ることを重視している。rその人間としての子どもが、保 育という場面の中でどのような状態にあるかを把握すること(1)」が理解の主要な内容と言える。
その際、たとえ保育者にとって好ましくない、問題と思われる行動であっても、それは子ども の発達状態を表わしたものとして受けとめなければならない。しかも、その行動が生じた状況や 原因を理解することが大事なポイントなのである。それは、結果としてのできるできないを問題 にするのではなく、「どうしてできるようになったのかという点に目を向けること(2)」でもある。
つまり、個々の行動に反映されている子どもの気持(その子にとっての意味)や、外からは直接 見ることのできない、内部の力(自律的な力、あるいは自立への意欲)のに育ちを問題にしよう としている。前者は、子どもが求めているもの、考えていること、思い描いているイメージの理 解であり、それを捉えた適切な働きかけが援助となるのである(3)。こうした子どもの理解に対し、
保育者はどういう立場に立つかを考えねばならない。それは、保育者自身が直接担わねばならな い重要な課題だからである。
2.子どもと保育者の相互作用としての理解
(1)現要項の「理解」を子ども把握への本格的開始に!
現要項における子どもの「理解」は、子どもと保育者との相互関係および保育活動を、より豊 かなものにしていく可能性をはらんでいることは確かである。既に指摘したように、ある行動が 可能になるまでのプロセス、その過程で形成される自律的統制力、そして子どもの願いを捉えよ うとしている点で、子どもの内面とその発達をおさえた保育の可能性を展望させる。保育者や研
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究者の中でも、それぞれの立場から前向きに評価している場合もある。たとえば、汐見は、生活 綴方教育といった、わが国の教育思想の中で子どもの把握や理解を重視してきた流れがあること をふまえながら、rIi'子どもをつかむ
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努力の本格的な開始を訴えた(4)J ものとして評価している。そのような子どもへの理解を実際に深めていこうとする場合、現要項の「理解」は実践的問い かけによって若干補強される必要がある。汐見が、子どもの把握や理解についてこれまでの議論 をふまえ、簡潔にまとめている「子どもをつかむ」ことの意味と意義に関する内容は{町、まさにそ うした問いかけである。たとえば、その子の内面を具体的な家庭環境や社会・文化的関係とかか わらせてどこまでっかむことができたか。また、その子の内面をふまえた具体的働きかけ方をど こまでっかむことができたか。その子に対する具体的働きかけはどのような子どもに育つことを 願ったものか、等々である。子どもの理解を、具体的な生活環境から切り離された、個々の行動 や性格についての抽象的解釈論にとどめさせてはならないからである。汐見の言葉を借りて言う ならば、r!i'子どもをつかむaということは教育的働きかけを、発達論的にみてより人間的な方向 で組織するための教育的実践的努力(6)Jである。
(2) 相互作用の中で現実的理解は成立
理解することの意味や意義は理解を深める視点に過ぎない。子どもの理解を実際に遂行するの は人(保育者)である。人(子ども)は人(保育者)との相互作用の中で変化する存在である。
実践において忘れてはならないことはむしろこの点である。子どもは、保育者をどのような相手 としてみなしているかによって、保育者の前で自分を表現することがら(活動内容や取り組み方 さえ)を変えてしまう。逆に保育者は、子どもに対する期待や願いといった一方的枠組みに照ら して子どもの姿を捉えようとする。その意味で、保育者による子どもの理解とは、対保育者認知 をもとに子ども自身が選択・表現した行動を、保育者がさらに自分の枠組みというフィルターに かけたものによって捉えられたものといえる。理解とはそうした相互作用の中で形成される。保 育者は、子どもとの関係かあるいは子どもを捉える枠組みをつくり変えない限り、子どもの別な 姿を発見することはできない。実際の保育の中では、取り組ませる活動や働きかけ方に工夫を加 えることで関係を変え、子どもの別な面を引き出そうとすることが多い。ただし、そうした工夫 を敢えてしなくても、子どもは成長する中でその姿を変化させる。いずれにせよ、関係や枠組み のっくり変えをすることなく、何らかの変化を発見しただけでわかったつもりになっていること が多い。
その一方で、保育者の側から子どもとの関係を歪めてしまうことが少なからずある。それが保 育者との排他的な相互作用につながるケースとして、相性の問題がある。たとえば、何をするに もいい加減であったり、我がままであったり、乱暴さが目立ったり、知識を振りかざして知った かぶりをしたり等々。保育者は、その性格や態度が嫌で、その子との相性が悪いと思ったり、敬 遠したくなる。この場合、子どもが保育者の傍に寄ってこない。当然のことながら、子どもを理 解する以前の問題である。この歪みを改善するには、保育者の意識的努力が必要となる。どうい う努力かというと、子どもの個々の行動や態度を意味づけたり、その意味づけによってその子ど
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もの考えや要求を読み取ろうとすることを一切やめることである。よく指摘されることだが、そ の子のありのままを受け入れることが必要である。それは、子どもの行動や態度に対する保育者 の解釈(意味づけ等)が、むしろ逆効果をもたらしていると考えられる。実際に、その子どもの 行動解釈は既に示したように、否定的であり、負の印象や感情と結びついている場合が多いので ある。その感情が子どもに読み取られ、悪循環を生じさせている。
もう一つの問題は、大人の道徳的判断に当てはめて子どもの行動(盗み、ケンカ、嘘等)の善 し悪しを短絡的に決めつけたり、技能的活動(縄跳び、跳び箱、鉄棒、体操、絵等)での出来栄 えを短期間で求めようとしたりする場合である。子どもは、保育者の前では一応いい子としての 自分を演じるか、意欲的にかかわる姿を失っていく。この歪みを修正するのは簡単なようだが案 外難しい。幼児の場合、例え友達の玩具や持ち物を盗んだとしても、計画的な悪意でなされるこ とは滅多にない。これらの行動をみる時は、子どもの本当の気持ちへの理解と子どもの中で育つ 自己統制力への信頼感が求められる。それだけではなく、他の保育者や保護者から、保育を値踏 みする視線を向けられる場合は一層難しくなる。その視線は表面的な現象(保育者の指示への従 い、行儀の良さ等)に向けられることが多く、その視線に対する自己防衛として表面的なとりつ くろいが多くなるからである。これを無用化するには、他の保育者や保護者と新たな関係づくり をする以外にない。どんな活動を大事にしたいのか、子ども集団の中でのゴタゴタにも意味があ ること、一人一人の子どもの育ちと適切なかかわり方等について、お互いに気軽に話し合える関 係を創っていかねばならない。
結局、保育者自身がどのように育っていくかが重要な鍵となる。
3.子ども同士の相互作用の結果としての r問題行動J
(1) Y児(♀ 6才)の「問題行動」観察
長崎市内I保育所に通う年長女児 (Y)の、他児に対する暴力的行動をY児と他児との間にで きあがっている関係から検討するために行動観察を行った。観察は、自由遊び時間(午前9時 半
10時半)を3回行なった。その結果をもとに、子ども同士の相互作用 (y児による他児の認知、
他児によるY児の認知)を軸に、 Y児の暴力的行動を分析した。 Y児の行動の基本的特徴をまず 整理すると、以下の3点にまとめられる。
第1は、同年齢のクラスの仲間に対する関心が高く、一緒に遊びたい気持ちが強い。
第2は、自分の要求が阻止されても、待ったり、他の方法を工夫せず、一方的。
第3は、対応のまずさが仲間に嫌な印象を与えていること、自分の要求を受け入れてもらえな い経験が周囲への敵対意識みたいなものをつくっている。
それぞれについての、事例を主なものだけにしぼって次ページの枠内に挙げておく。
(2) Y児の「問題行動」と他児との関係
Y児の観察結果から、 Y児は他児が自分を嫌っていることを薄々感じ取っていると思われる。
そうした気付きが集団の中に入った時の不安感をもたらしているのではなかろうか。その一方で、
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事例1) ・プランコ乗りでの交替時のやり取り
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替わって」に「ちょっと待って」ときちんと言って替わった り、 r100数えたら替わるJなど)、また2人で一緒にプランコに乗ったりしていた行動など。・相手が小学生と言うこともあるのか、相手から言われることに従い、土手を高くしたり、スコップ で池の底を掘ったり、水汲みを2‑3回手伝っていた。
事例 2) ・了解なしに何度か水汲みをした後、汲んできた水をビニール袋ごと池の中に一気に投げ込んで、自 分の水汲みを限んだ小学生の女の子を含め、近くに居る子ども達に水をかけてしまう。
• 3人 (Kちゃん、 M ちゃん)でお母さんごっこをしていた時の様子は、自分の思い通りのことを次々 と2人にさせるといった感じ。はなちゃんが途中で、 Yちゃんの言うことを聞かなくなった時、「言 うことを聞かないなら出て行け」、持っていた遊具についても「返せ、置いて行けJと相手を徹底的 に拒否、排斥する態度を示した。
事例 3) ・園庭でクラスの皆と並んで、保育者の話(競争することへの説明)を聞く場面での指しゃぶり、不 安そうな表情は、今まで2人を相手に元気にあそんでいた姿とは全く違っていた。
・プランコ乗りをしていても、何故かYちゃんの所へ交替を申し入れる子どもの数が少ない。避けて いる感じを受けた。
少数での遊びの場面では、自分が受 け入れらないと直情的な攻撃行動に 出てしまう。そのことが、周囲での Y児への否定的評価をもたらし、 Y 児への拒否的行動を強めさせること になる。こうして、相互作用による 悪循環がつくられてしまう。図 1は その関係を模式化したものである。
ただし、 Y児の言語能力のレベル を考えた場合、口けんかではく、何 故暴力なのかに対する説明が困難で ある。この点は、生育歴や家庭での 生活も検討することが必要がある。
以上、子どもの理解は、相互作用
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図1
としてみた場合、何よりも保育者自身の育ちの問題であること、また子どもの「問題行動」の理 解も他児どの関係の中でその意味をとらえる必要性を指摘した。
1)大場牧夫、高杉自子、森上史郎編著『幼稚園教育要項解説』フレーベル館、 1989年、 34頁。 2)大場牧夫、高杉自子、森上史郎編著、同前掲所、 63頁。
3)大場牧夫、高杉自子、森上史郎編著、同前掲所、 188頁
4)汐見俊幸町子どもをつかむ』ということと保育内容JIi'現代と保育.!I22号、ひとなる書房、
1989年、 14頁。
5)汐見俊幸、同前掲論文、 8‑14頁。 6)汐見俊幸、同前掲論文、 13頁。
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