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1.1 目的と方法

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第1章序

1

本研究の目的と方法

1.1 目的と方法

 本研究は,現代日本語の受身文について,その意味・構造的なタイプを取り出し,それぞ れのタイプ間の相互関係を見ることで,現代日本語共時態の受身文体系を網羅的に記述する

ことを目的としている。

 本研究の記述は,受身文の意味・構造的なタイプを取り出すことから始まる。意味・構造 的なタイプとは,内容=意味を持った構造の型=パターンのことである。文は,くり返し発話

されることによってその構造が抽象化・一般化され,ある1つの「型=パターン(シェーマ)」

として,語彙項目と並んでレキシコンに登録される。この有限の型=パターンは,1つの言 語形式であり,内容=意味を持っている。

 受身文にも様々な意味・構造的なタイプがあり,それぞれのタイプは,形式としての構造 パターンと内容=意味を持っている。例えば,現代日本語には,次のような受身文のタイプ

がある。

(1) (わたしは,)さっき和夫に頭をたたかれたよ。

(2)隣の席でスナック菓子をボリボリ食べられて,嫌だった。

(3)駅前にビルが建てられ,チラシが配られた。

(4)近年,日本では格差が拡大したとされる。

(5)水面が陽に照らされて,きらきらしている。

(6)この紙おむつは,長年ママたちに選ばれている。

 まず,(1)の受身文には主語が人から働きかけ(動作)を受けるという意味があるが,(2)

には主語に対する物理的な働きかけは存在せず,ただはた迷惑な影響を受ける意味だけがあ る。また,(3)の受身文には,誰かが影響を受けるという意味はまったく存在せず,その動作 を行った動作主が背景化され,出来事が起きたことが前面に述べられている。さらに,(4)

は,動作主が背景化されている点では(3)と共通するが,出来事の発生ではなく,社会一般 に認識されていることが提示されているだけである。一方,(5)の受身文は,自然現象の作用 が知覚場面の状況として述べられている。(6)の受身文は主語に立つ対象の属性(ここでは「い い紙おむつである」ということ)を語っている。このように,上に挙げたそれぞれの受身文

(2)

は異なる意味・機能を持っているわけだが,こうした意味・機能は,それぞれの受身文の構 造的特徴によって支えられている。受身文の意味・機能を支える構造的要因とは,主語の有 情・非情の別,動作主の有情・非情の別や個別性,動詞の語彙的な意味,テンス・アスペク

トの特徴などである。

 こうした受身文は,従来の研究において指摘されてきた特徴的な受身文タイプである。(1)

は,山田1908や松下1930,Kuroda 1979などで,近世以前の日本語に存在した日本語の本 来の受身文とされたタイプで,益岡1982はこれを「受影受動文」と呼んでいる。(2)は,三 上1953が「はた迷惑の受身」と呼んだ,英語などには見られない,日本語に特徴的な受身 文タイプである。(3)は,松下1930で「単純の受身」と呼ばれた,近世以前の日本語には存 在しなかったと考えられる受身文タイプである。(4)は,鈴木1972が「内容の受身」と名づ けた受身文で,主語のない受身文タイプである。(5)は,山田1908や小杉1979などで,古 代の日本語にも存在した非情主語の受身文とされた受身文タイプで,金水1991はこうした 受身文のほとんどが「叙景文」であると述べている。(6)は,益岡1982が「属性叙述受動文」

と提唱した受身文タイプである。

 このように,様々な受身文タイプが指摘されているものの,それぞれの受身文タイプの相 互関係,すなわち受身文の体系にっいての記述はほとんどなされていない1。受身文の「体 系2」とは,各意味・構造的なタイプの間のダイナミックな相互関係のネットワークにほか ならない。ここで言うタイプ間の相互関係とは,どの受身文タイプ同士が隣接し合うのか,

また,いかなる構造的な条件の下で,それぞれの受身文が近づき,また,別のタイプに移行 するのかということである。さらには,現代日本語には,上の(1)〜(6)の受身文タイプの他

にも,様々な受身文タイプが存在する。本研究は,受身文の意味・構造的なタイプを可能な 限り取り出し,それらの相互関係を考察するという方法論をとる。このようにして,最終的 に,現代日本語共時態における受身文の体系を明らかにすることが,本研究の目指すところ

である。

 こうして,従来の研究で指摘されてきた受身文タイプと,データの中から取り出された受 身文タイプを,すべて他の受身文タイプと関連付けることで体系内に位置づけようとした結 果,動詞の語彙的な意味(カテゴリカルな意味)を基盤にした多数のサブタイプが取り出さ れることとなった。このように,動詞の語彙的な意味に基づいて立てられた文タイプの間の 相互関係を見るという研究は,従来の研究には見られない,いわば語彙・構文論的な研究で あると言えるだろう。つまり,受身文という構文論的な問題を,動詞の細かい語彙的な意味 グループにまで踏み込んで考察するという方法論は,語彙論と構文論が統合された形での新 しい文法理論である。この意味で,本研究は未だ発展途上の段階にあり,最終的な体系には 改善すべき点も残されている。

 しかし,このような語彙・構文論的とも言える研究は,今後,様々な言語調査をより正確 に,厳密に進めるための理論的支えとなる可能性を秘めている。例えば,テクストジャンル 別の文タイプの分布の調査や,通時的な体系の比較,さらには,他言語の体系との対照にお いても,言語の実態をきわめて正確に提示できる道具立てとなるだろう。このことを多少な りとも示したいと思い,本研究では4っのテクストジャンルにおける受身文の意味・構造的

1ただし,「はた迷惑の受身」と「受影受動文」の間の関係にっいては,「どういった意味・構…造的な条件の下で はた迷惑の意味が現れるのか」という議論の中で,間接的にではあるが,考察されてきている(久野1983,柴谷 1997aなど)。

2ここで言う「体系」とは,後で述べる「パラディグマティックな体系」のことである。

(3)

なタイプの分布を調査し,テクストの文脈構造との関係を考察する。

 なお,本研究が対象とするのは,現代日本語共時態の受身文の体系であるが,共時態とは,

通時的な言語の変化の中における一つの局面(瞬間)にすぎない。よって,日本語の通時的 な体系と矛盾するものであってはならず,むしろ通時的な体系を含み,暗示するものでなけ ればならない。本研究では,可能な限り,日本語の受身文の歴史的な特徴を顧みつつ,記述 を進めたいと考える。

1.2 構成

 本稿は,8つの章から構成される。第1章の「序」では,本研究の目的とそのための方法 論について簡単に述べる。その後,研究史を概観し,従来の研究で指摘されてきた受身文タ イプについて紹介した上で,問題提起を示す。そして,第1章の終わりに,本研究でデータ

として扱ったテクストについて述べる。

 第2章では,本研究の記述の方法論となる理論的な立場と,本研究で採用した動詞分類及 び名詞分類について紹介する。本研究は,奥田靖雄の言語学から多くの理論的な概念を学び,

援用している。第1節では,この理論をもとにした具体的な方法論について述べる。特に,

「体系」,「構造」,「要素」という概念について,受身文におけるそれぞれがどのようなもの であるかを具体的に説明していく。第2節では,奥田靖雄の言語理論を簡単に紹介するとと

もに,近年言語学界で注目を集めているGoldberg 1995の構文文法論を概観し,その共通点 と相違点にっいて述べる。さらに,本研究の分類は,奥田靖雄の連語論における連語タイプ を基準に分類の大部分がなされている。そこで,奥田の連語タイプを提示した上で,第3節 で,本研究が受身文の意味・構造的なタイプを立てるにあたり採用した動詞と名詞の分類に ついて紹介する。そして,第2章の終わりには,第3章以降の記述に入る前置きとして,本 研究の受身文の大分類を示す。

 第3章から第6章では,本研究で立てたすべての受身文タイプについて,その意味と構造 的特徴及び他のタイプとの相互関係を詳細に記述している。この記述から明らかになったこ

との中で,特に重要と思われる点について,第8章の結論部でまとめている。

 第7章では,各テクストジャンルにおける受身文タイプの割合を示し,それぞれのジャン ルに特徴的な受身文タイプについて述べる。動詞の語彙的な意味に基づいて,細かいサブタ イプを立てたことによって,大きな分類では見えにくいジャンル別の受身文タイプの違いが 明らかになっている。

 第8章で,本研究で明らかになったこと(結論)を述べる。ここでは,第3章から第6章 の記述から明らかになった意味・構造的タイプの相互関係,すなわちパラディグマティック な体系にっいてまとめている。さらに,相互関係以外の点でも,本研究の分析から明らかに なったことをまとめた。

 今後に残された課題は,主に本研究で立てた受身文タイプの分類の修正である。分類をよ り言語の実態を反映したものにしていくには,能動文との比較が欠かせない課題として残る。

こうした点について,今後の展望も含め,第8章の終わりに述べている。

(4)

2 問題提起

 本節では,受身文の先行研究を概観し3,本研究の記述・分析にとって重要と考える問題 点を指摘していく。

2.1 受身文をめぐる2つの立場

 日本語の受身文の研究は,立場の異なる2つの大きな流れの中で発展してきた。1つは,

近代の翻訳による影響を受ける以前の,日本語に由有の受身文に着目する立場であり,もう 1つは,欧米の諸言語にはあまり見られない日本語に特徴的な受身文の存在に注目する立場 である。前者は,明治期の三矢1908,山田1908,その後の松下1930からKuroda1979を 経て,益岡1982,1991,金水1991,1992ab,1993,そして尾上1998・1999といった研究 に受け継がれている。一方,後者は,佐久間1936,1951,三上1953に始まり,後の生成文 法の議論に発展し,柴谷1978,1997ab,2000,寺村1982,久野1983,鷲尾1997abなど

に引き継がれていく。

2.1.1

はた迷惑の受身vs.まともな受身

 戦後,特に 60〜 80にかけては,生成文法の立場からさかんに日本語の文法現象が議論さ れたこともあり,日本語に特徴的な受身文に注目する議論が受身文研究の中心にあったと言

える。この,日本語に特徴的な受身文とは,次のような,いわゆる「はた迷惑の受身」のこ

とである。

(7)a.わたしは,良子にビールを飲まれた。〈はた迷惑の受身>

 b.わたしは,子供に庭を歩き回られて困った。〈はた迷惑の受身〉

(8)わたしは,父親にたたかれた/褒められた。〈まともな受身〉

 「はた迷惑の受身」という用語は,三上1953が提唱した用語である4。三上1953はこの 用語を,構造的に対応するもとの文にある成分が主語に立つのではない,自動詞からも成り 立つ受身文で,かっ意味的には真っ向から被害を被るのではない,はたにいる者が迷惑を被 ることを表す受身文を指す用語として用いている。つまり,「はた迷惑の受身」とは,こうし た構造的な特徴と意味とを併せ持った受身文を指す用語である。これに対し,「まともな受身」

とは,対応する能動文のヲ格や二格で標示される補語が主語に立ち,意味的には恩恵でも迷 惑でもありうる,通常の受身文である。ただし,「まともな受身」の場合は,迷惑であっても,

真っ向から被る被害である(三上1953:103−4)。

 このように,もとの動詞が表わす事態には直接関与しない第三者が新たな成分として主語 に立っ受身文は,西欧の諸言語の受身文には見られないため,三上1953以降,研究者の注 目を集めてきた。特に,生成文法の論者たちが,対応する能動文を持つ受身文を「直接受動

3本研究の受身文研究史の理解は,川村(近刊)に多くを負っている。ただし,研究史の解釈の誤りや不備に関 しては,すべて志波の責任である。

4しかし,三上1953が提唱した「はた迷惑」の受身に相当する受身文の存在については,すでに松下1930と佐 久間1936で指摘されている。

(5)

文」,対応する能動文を持たず,もとの動詞とは関係のない成分が主語に立つ受身文を「間接 受動文」と呼んで,その深層構造の違いをめぐる議論が深まった5。また,動詞の語彙的な 意味自体にはなんら被害的な含意がないにもかかわらず,受身文になることで強い迷惑の意 味を帯びる場合に,この受身文が表す意味を「迷惑(被害)の意味」として,受身文の《直 接VS.間接》という構造上の違いと,「迷惑(被害)」の意味の表れをめぐる議論6がなされた

(久野1983,柴谷1997aなど)。

 さらに,生成文法の議論とは別に,鈴木1972は,当該事態に参与するいずれの参与者が 受身文の主語に立っのかという観点から受身文を分類している。鈴木1972の分類は,三上 1953の《はた迷惑vs.まとも》という観点に立ちながら,「まともな受身」にっいて,受身文 主語がより直接的な影響を被る受身文から間接的な影響を被る受身文へと分類を細かく整理

したものだと言える7。鈴木1972は,受身文を「直接対象のうけみ」,「あい手のうけみ」「も ちぬしのうけみ」「第三者のうけみ」という,4つのタイプに分類した8。それぞれ,次のよ

うな受身文である(例文は鈴木1972:279−281より,志波により傍線等改変)。

(9)a.次郎がさち子をなぐった。

  b.さち子が次郎になぐられた。〈直接対象のうけみ〉

(10)a.太郎は花子に算数をおしえた。

  b.花子は太郎に算数をおしえられた。〈あい手のうけみ〉

(11)a.スリが太郎のさいふをすった。

  b.太郎がスリにさいふをすられた。〈もちぬしのうけみ〉

(12)a.となりのむすごが一晩中レコードをかけた。

  b.わたしはとなりのむすごに一晩中レコードをかけられた。〈第三者のうけみ〉

 この鈴木の分類の観点を軸に,さまざまな研究が発展した。特に,「迷惑(被害)」の意味 の表れと構造的な条件をめぐる議論に関連して,「もちぬしのうけみ」を細分類する研究が多

くなされている(奥津1983b,丁1995,山内1997など)。

2.1.2 固有の受身vs.非固有の受身

 一方,日本語に「固有の受身」とは,古代から日本語に存在した受身文のことであり,「非 固有の受身」とは,近世以前の日本語には存在せず,明治期の欧文翻訳の影響で日本語の受 身文体系に定着したと考えられる受身文のことである。この《固有vs.非固有》という対立 は,特に明治期の文法家である三矢1908,山田1908,松下1930などによって議論されて

いる。

 《固有vs.非固有》の受身文の構造における最大の違いは,主語の有情・非情の別である。

すなわち,固有の受身文は基本的に有情者が主語に立ち,非固有の受身文は非情物が主語に

5詳細は川村(近刊)を参照されたい。

6例えば,「彼はわたしのことを1時間も待った」という能動文には,動詞の語彙的な意味にもまったく被害性 がないにもかかわらず,「わたしは彼に1時間も待たれた」という受身文は強いはた迷惑の意味を帯びる。「わた

しは,駅前で彼に見られた」なども,直接受動文であるにもかかわらず,はた迷惑の意味を帯びている。一方,

「わたしは山田医師に娘を褒められた」及び「わたしは山田医師に娘を診察された」という受身文は,いずれも 間接受動文であるが,後者の受身文にのみはた迷惑の意味が読み取れる。

7本章2.4で触れる村上1983も,基本的にこの観点から議論をしている。

8ただし,鈴木1972の「もちぬしのうけみ」にっいては,すでに三上1953で,構造的には「はた迷惑の受身」

のようでありながら,意味的に「まともな受身」に近い受身文として,「分けての受身」という命名をされてい

る。

(6)

立っ。そして,第二の構造的な違いとして,動作主の標示形式の違いがある。すなわち,固 有の受身文は動作主が二格で標示され,非固有の受身文ではニヨッテで標示される。また,

意味的には,有情者が主語に立っ固有の受身文は,その有情者が何らかの影響を身に受ける という「受影」の意味を帯びるのに対し,非情物が主語に立つ非固有の受身にはそのような 意味はない。具体例を挙げよう。まず,日本語に固有の受身文と非固有の受身文とは,次の

ような受身文である。

(13)わたしは父親にたたかれた/ほめられた。〈固有の受身〉

(14)a.駅前にビルが建てられた。〈非固有の受身>

 b.試験が始まり,試験官によって答案用紙が配られた。〈非固有の受身〉

簡略化すると,「固有=有情主語=動作主二格標示=受影の意味」であり,「非固有=非情主 語=動作主ニヨッテ標示=無影響」という関係になる。ただし,固有性とこうした意味・構 造の特徴とは完全に合致するわけではないため,さまざまな方向から議論を呼んだ。この点 については,後述する。

 以上,受身文研究史における2つの異なる立場を紹介した。ここに,《固有vs.非固有》と

《はた迷惑vs.まとも》の対応関係を示しておく。

表1:《固有v8.非固有》と《はた迷惑v8.まとも》の対応関係

非固有 固有(受影)

はた迷惑

 いずれの分類の観点も,日本語の受身文の体系と特徴を捉える上で重要な観点であるが,

本研究では,より上位の分類は《固有VS.非固有》,つまり《受影VS.無影響》の対立であり,

《はた迷惑vs.まとも》の対立は,受影の意味を帯びる受身文の下位分類であると考える。そ の理由は,何よりも,(13)と(14)の意味的な違いの方が,(7)と(8)((13))における意味の 違いよりも大きいと考えるからである。〈はた迷惑の受身〉も,やはり何らかの「影響を身に 受ける」という意味をもっており,その影響が「はた迷惑」という特殊な意味に限定されて いるにすぎない。これに対し,非固有の受身と固有の受身(受影の受身)の表わす意味を統 一的に規定するのは非常に難しい。両者は,共通の意味的特徴をほとんど持たない。しいて 挙げるなら,「はた迷惑の意味を帯びない」という消極的な定義しか与えられない。しかし,

「はた迷惑の意味を帯びない」という定義は,同じラレル文の可能用法や自発用法にもあて はまる。また,構造面では,「直接対象が主語((ガ格)に立つ)という特徴が共通点と言える。

しかし,この構造的特徴はいわゆる「相手の受身」にはあてはまらないのに対し,やはり同 じラレル文の可能用法や自発用法にはあてはまる定義である。

 また,「はた迷惑」の受身文を提唱した三上1953も,〈はた迷惑の受身〉と対立させて挙 げている〈まともな受身〉は,すべて有情者が主語に立つ,受影の受身文である。鈴木1972 も,「直接対象,あい手,もちぬし,第三者」の受身文として挙げている例はすべて有情者が 主語に立つ受身文である。その他,柴谷1978は,有情主語の受身文も非情主語の受身文も

(7)

例として挙げているが,「殺される」などの,有情主語の受身文の方を典型的な「直接受動文」

であると説明している(同:135)。寺村1982も,久野1983も,受身文の2つのタイプを説 明する冒頭にまず対立させて挙げるのは,有情主語の受影の受身文である9。すなわち,《は た迷惑vs.まとも》の分類を提唱する論者たちが,〈はた迷惑の受身〉に対立する典型的な〈ま ともな受身〉と考えているのは,有情主語の受影の受身文なのである。誰も,「会議が開かれ た」や「橋が建設された」などの非情主語の受身文を典型的には対立させていない。こうし たことから,〈はた迷惑の受身〉は,有情主語の受身文において,身に受ける影響が通常の影 響であるか,「はた迷惑」という特殊な影響であるかという対立で捉えるのが妥当だと考えら れるのである。図式化すると,《受影VS.無影響》と《はた迷惑VS.まとも》は,次のような関 係で日本語の受身文の体系を捉えていると考えられる。

      はた迷惑の受身

 以下では,ここで述べた受影の受身と無影響の受身について,その機能や構造的特徴をよ り詳しく説明する。

2.2 2つの受身一被動者主役化と脱他動化

 志波2005では,松下1930,Kuroda 1979,益岡1982,1991などで提唱されてきた意味・

機能及び構造的に最も根本的に対立する2つの受身文について述べた。2つの受身文タイプ とは,次のような受身文である。それぞれ,〈被動者主役化受身文〉,〈脱他動化受身文〉と名 づけた10。

(15)和夫は良子にこっぴどく叱られた上,たたかれた。〈被動者主役化受身文〉

(16)駅前にビルが建てられ,チラシが配られた。〈脱他動化受身文〉

 〈被動者主役化受身文〉とは,話し手が行為者11よりも被動者(受影者12)に共感を寄せ,

被動者の立場から事態を叙述するための構文の1つである。ここでの能動vs.受動の対立は,

行為者と被動者のいずれの側から叙述するか,

には,能動文と次のような意味対立をなす。

という機能的対立を基本としている。意味的

9 《はた迷惑vs.まとも》は,寺村1982では,《直接受身vs.間接受身》,久野1983では《中立受身文vs.被害受 身文》という名称で呼ばれている。

10 〈被動者主役化受身文〉と〈脱他動化受身文〉は,それぞれ,松下1930では〈利害の被動〉と〈単純の被動〉,

Kuroda 1979では〈二受身文〉と〈ニヨッテ受身文〉,益岡1982では〈昇格受動文〉と〈降格受動文〉と命名さ れた。それぞれの論者によってその外延は若干異なるものの,主語も動作主も有情者で,動作主が二格標示され る受身文を前者の典型とし。主語が非情物で動作主が省略される(明示されるならニヨッテ標示)受身文を後者 の典型としている点で,すべて同じである。意味・機能,及び構造的特徴のいずれを重視するかで名づけ方に違 いが出ている。

11本研究では,Foley&Van Valin 1984で提唱されたmacroroleとしてのActorの訳語として「行為者」を用 いる。すなわち,意志の有無や有情か否かに関わらず,広く因果連鎖(causal chain)の始点と考えられるもの を「行為者」と呼ぶ。特に必要な場合は,有情行為者を動作主(Agent),非情行為者を原因(Cause)と呼ぶ。

12話し手が被動者に共感を寄せて語る文であることにより,話し手は被動者が単に動作だけでなく何らかの「影 響」を被ると認識する。つまり,通常の〈被動者主役化受身文〉において,主語に立っ有情者は被動者であると 同時に受影者でもある。そして,主語に立っ有情者が受影者でしかないのが,〈はた迷惑の受身〉である。

(8)

(17)能動文と被動者主役化受身文の意味対立

  能動文:主語に立っ者自身が自らの意志と制御の下で動作を発する

  被動者主役化受身文:主語に立っ者が自らの意志と関係なく他の者からの動作(な      いし影響)を被る(身に受ける)

 両者の意味対立は,第一次的には「作用(動作)」の方向が主語に立つ有情者に対して遠心 的(発する)か求心的(被る)かという対立を表わしている。しかし,日本語の場合は,話

し手が被動者に「共感」を寄せて述べる表現であることから,作用にとどまらず,被動者が 何らかの「影響」を身に受けるという意味をも帯びている。この「影響」のみを身に受ける

ことを表すのが,〈はた迷惑の受身〉である。

 このような能動文と受身文の意味対立は,伝統的に言われてきたごく当たり前の定義であ る。しかしながら,柴谷2000では,こうした定義はすべての受身文タイプ,特に印欧語な どに見られる非人称受身(impersonal passive)を包括するものではないとして却下されて いる(柴谷2000:14513)。確かに,この種の意味対立は,すべての受身文タイプに当てはま るものではなく,日本語においても,〈脱他動化受身文〉と能動文にはこうした意味対立は認 められない。しかし一方で,〈被動者主役化受身文〉と能動文との対立を捉える上では,本質 的な定義である。

       うじょうしや

〈被動者主役化受身文〉の構造上の重要な特徴は,有情者(人間,有生名詞)が主語に立 つということである。しかも,話し手が共感を寄せる有情者であるので,最も典型的には話

し手(1人称)が主語に選ばれる。

 また,〈被動者主役化〉タイプの受身文では,動作主である有情者が背景化される必要はな く,むしろ積極的に想定されることが多い(志波2006参照)。つまり,〈被動者主役化〉タ イプにとって,動作主は構文上必要な補語である。動作主が積極的に想定されるのは,主語 に立つ有情者に行為をもたらした者として,動作主がその有責性を追求されるためだと考え られる(Tsuboi 2000参照)。よって,この種の受身文が,従来の研究で受身文の機能として しばしば指摘されるような「動作主背景化」という機能を果たすことは,基本的にはない。

また,動作主の標示形式は基本的に二格であるが,動詞によってはカラ格もしばしば用いら

れる。

 以上述べた構造の特徴を図式化してまとめると,次のようになる。主語に立つ有情者に共 感が寄せられるので,この共感を寄せられた有情者を「わたし」で表記する。

(18)〈被動者主役化〉タイプの構造

わたし一ガ 有情者一二 V一ラレル

被動者(受影者)・ガ動作主一二 動作/影響を被る

 主語    補語     述語

13なお,却下された定義の代わりに採用された「能動態」と「受動態」の定義は次の通りである(柴谷2000:143)。

 能動態:主語が動詞語幹の表わす行為を引き起こす,という意味を表わす.

 受動態:主語以外の(往々にして表面的に明示されていない)要素が動詞語幹の表わす行為を引き起こす,と     いう意味を表わす.

そして,「つまり,能動と受動の意味対立とは,『主語が当該行為を引き起こしているのか,そうでないのか』と いう対立に煮詰めることができる」としている。しかしながら,この規定は,サセルによる使役文にも当てはま ってしまい,能動vs.受動の対立を捉えるものとしては,広すぎる。

(9)

 一方,〈脱他動化受身文〉は,本来他動詞的な事態であるものを自動詞的な捉え方に持ち込 むための受身文である。通常なら外的な動作主がいなければ起こり得ない事態を,その外的 動作主の存在を含意しつつ不問に付し,行為の実現(結果)を中心に捉え,自然発生的自動 詞相当として述べるためのものである。「誰がやったか(やるのか)」よりも,「何が起こった か(起きるのか)」に着目する。このため,〈脱他動化受身文〉は,対応する自動詞を持たな い無対他動詞の自動詞的表現を補うために用いられることも多い。構造的には,動作主は含 意されていても個別具体的に想定されない「動作主なし受身(agentless passive)」で,結 合価が1つ減るのを特徴とする14。また,対応する能動文の目的語である対象が主語に立つ。

原則的に,主語は非情物である。

 また,動作主は表れないのが通常だが,能動文で述べたのでは動作主寄りになる共感を完 全になくし,誰の側から述べているのでもない,中立的な立場から叙述するためにニヨッテ

を用いて動作主を表わす場合がある。この場合の動作主句は修飾語である。

 以上,〈脱他動化受身文〉の構造を図式化してまとめると,次のようになる。

(19)〈脱他動化〉タイプの構造15

非情物・ガ  (有情者ニヨッテ) V一ラレル 対象ガ   (動作主一ニヨッテ)   Vガ起キル

主語     (修飾語)      述語

2.3 体系に位置づけられていない様々な受身文タイプ

 受身文のもっとも上位の,根本的な2分類は上で述べた〈被動者主役化受身文〉と〈脱他 動化受身文〉であると考えるが,これは日本語の受身文全体を大きく捉える上での大分類で あり,この2つのタイプの典型には収まらないタイプや,体系内での位置づけが明らかでは ない様々な受身文タイプが存在する。本研究の最も重要な課題は,こうした様々な受身文タ イプの,他の受身文タイプとの相互関係を考察することで,すべての受身文タイプのネット

ワーク=体系を明らかにすることである。

 以下,主に志波2005で指摘した,体系への位置づけが難しい受身文タイプについてみて

いく。

2.3.1

心理・生理的状態を表わす受身文

 有情者が主語に立ちながら,行為者が非情物(抽象名詞)である受身文がある。次のよう な,主語に立つ有情者の心理・生理的状態を表わす受身文である。

14柴谷2000は,結合価1減ということを受身文の重要な特徴と捉え,日本語のはた迷惑の受身にまで,結合価 を減らすという非人称受身の構造分析を当てはめようとしている。だが,これは,〈脱他動化受身文〉の一種で ある非人称受身の構造を,それと本質的に異なる〈被動者主役化受身文〉から派生したと考えられるはた迷惑の 受身に適用しようとするもので,賛成できない。「はた迷惑の受身」の発達に関しては,堀口1982,坪井2003b

を参照。

15行為者は,受身文のタイプによってはカラ格で標示される場合もある。

(10)

(20)和夫は人員の不足に悩まされている。16 (cf.悩んでいる)

(21)良子は病に冒されている。

 この種の受身文には,先に(17)で規定したような,「他の者からの行為を身に受ける」と いう意味はない。有情主語と対峙するような有情行為者を想定することができず,「何らかの 外的要因により,自らの意志と関係なく,普通でない心理・生理的状態にある」という意味

を表わしている。ただし,当該の状態に陥った原因が主語に立っ有情者自身にあるのではな く,何らかの外的な要因〈行為者〉にあるという意味は共有している。また,共感を寄せる 有情者の側から述べるという機能も共通している。

 このタイプは,有情主語非情行為者二項述語という構造を持つが,この構造の二格は自動 詞文にも現れる原因を表わす二格(「人員の不足に悩む」)であり,人間の行為者,すなわち 動作主を表わす二格補語とは区別しなければならない。さらに,村上1986も指摘するよう に,この構造が慣用化すると,主語に立っ有情者の主体性が増し,二格補語は原因というよ

りもむしろ心理・感情の向かう対象という性格を帯びてくる(「和夫が良子に惹かれる」等)。

この種のラレル文は,すでに対応する能動文を持っていない。

 まとめると,心理・生理的状態を表わす受身文は,構造的に二格に非情物(抽象名詞)が 立ち,これは自動詞文にも現れる原因の二格名詞句で,動作主ではないという点で,〈被動者 主役化受身文〉の典型と大きく異なる。また,「他者からの行為を身に受ける」という意味も 持っていない。しかしながら,①有情者が主語に立つという構造的特徴,②共感を寄せる有 情者の側から述べるという機能,及び③主語に立つ有情者の意志や制御力とは関係なく事態 が起こるという意味を共有していることから,〈被動者主役化受身文〉のサブタイプの周辺に 位置づけられると考えられる。しかしながら,〈被動者主役化〉タイプのどのような受身文タ イプと近接し,また,相互関係にあるのかなど,その体系内での位置づけは明らかではない。

2.3.2

状態受身(非情の受身1)

 状態受身とは,結果状態のアスペクトで述べられる受身文で,日本語では動詞の形がラレ テイル形になる受身文である。

(22)庭にたくさんの花が植えられている。

(23)気がつくと,名画が汚されていた。

 上の2っの例文のうち,主語に立つモノの存在場所を表わす二格名詞句が共起している文

((22))は,野村1994,2003で「存在様態」と呼ばれたタイプである。野村1994は, (23)

のような結果状態のみを表わす文に対し,「場所ニモノーガV一シテイル」(机の上にりんご が転がっている)という構造の文を,存在様態のアスペクトを表わすものとして,結果状態 の意味とは別に取り出している17。

16原因がデ格や節で現れたり,前の文脈に節ないし文として現れることもある。

・人数が足りて,ほっとさせられた。

17 「存在様態」は,典型的には「机の上にりんごが転がっている」のように,①「アル・イルに置き換えて文 意が通ずる」,②「二格で場所が表される」,③「動作・作用が現に行われた結果と言いにくい」という特徴を併 せ持つものである(野村2003:4)。これに対し,(22)の「庭にたくさんの花が植えられている」は,③の条件を 完全には満たしていないだろう。すなわち,「机の上にりんごが転がっている」や「道の両側にポプラの木が並 んでいる」などでは,動詞の表す動作・作用が実際に行われた結果とは言いにくい。一方,「庭にたくさんの花 が植えられている」などの受身文のラレテイル形では,通常,何らかの動作主が当該動作を現に行ったことが含 意される。しかしながら,「気がつくと,名画が汚されていた」などの文では,変化前と変化後の対象の違いが

(11)

 この,存在様態及び結果状態を表わす受身文は,非情物が主語に立ち,動作主が背景化さ れていることから,〈脱他動化受身文〉と考えられるが,「何が起こったか(起きるか)」とい う事態の実現を述べるものではない点で,〈脱他動化受身文〉の典型とは異なっている。また,

状態受身は,無意志的な自動詞のラレテイル形(「花が植わっている」)やテアル文(「花が植 えてある」)にも近接している点も重要である。

 さらに,事態の実現を表わす典型的な〈脱他動化受身文〉が近世以前の日本語には存在し なかった,非固有の受身であると考えられるのに対し,この状態受身は,古代日本語にも少 なからぬ用例が見られ,「固有の非情の受身」として知られている(小杉1979,金水1991 など18)。よって,現代日本語では〈脱他動化受身文〉のサブタイプに位置づけられるとし ても,歴史的な流れの中では,典型的な〈脱他動化受身文〉とは異質の受身文タイプである。

よって,こうした状態受身が,現代日本語の共時態の体系の中ではどのように位置づけられ るのか,詳細な分析が必要である。

2.3.3

現象描写の受身(非情の受身2)

 「現象描写の受身」とは,現象名詞が行為者として二格に立つ,主に参照時における眼前 の自然現象を描写する受身文である。

(24)桜の花が雨に打たれ,風に吹かれて舞っている。

(25)彼は,雨に打たれ,風に吹かれながら埠頭を歩いていた。

 主語に立っのは主に非情物であるが,有情者が立つ場合もある。そして,この二格の非情 名詞句もまた,自動詞文にも現れうる,原因を表わす二格である(「桜の花が風に舞っている」)。

また,典型的な〈脱他動化受身文〉に比べてアスペクトは状態的ではあるが,状態受身のよ うにまったく作用性の感じられない局面ではなく,自然現象による何らかの作用(動き)が 読み取れる局面を捉えた受身文である。

 しかし一方で,この現象描写の受身もまた,近世以前の日本語にも存在した非情の受身な のである。すなわち,古代日本語から存在した非情の受身には,先の状態受身とこの現象描 写の受身があり,いずれも基本的に知覚の現場で捉えられた情景を描写する文である点で共 通している(金水1991)。

 現象描写の受身と状態受身の以上のような共通点をかんがみると,古代日本語の受身文体 系では,現象描写の受身は状態受身に含まれるタイプであるかもしれない。しかしながら,

現代日本語の受身文体系ではどのように位置づけられるのか,今日もなお議論のつづく問題 である19。なお,益岡2000は,益岡1982,1991の議論では取り上げていなかった状態受 身と現象描写の受身を取り上げ,状態受身を降格受動文(2.2の〈脱他動化受身文〉)に,現 象描写の受身を受影受動文(2.2の〈被動者主役化受身文〉にほぼ対応)に分類している。

ただし,益岡2000は,現象受身のみを固有の受身と認識しており,状態受身については,

固有の「非情の受身」であることを議論していない。

明確に意識されているのに対し,「庭にたくさんの花が植えられている」などでは,通常,対象の変化前の状態 には意識が向けられない。よって,これもやはり「存在様態」を表していると言える(野村自身,典型例のみを

「存在様態」と見なしているわけではない)。

18非情の受身の固有性をめぐる研究史の議論,及び古代語の非情の受身の特徴については,志波2004で詳しく

述べた。

19尾上2002abでは,古代日本語から存在したこの状態受身と現象受身をあわせて「発生状況描写」として,受 身用法とは別のラレル文の用法として立てている。

(12)

2.3.4 非人称受身(内容のうけみ)

 非人称受身(impersonal passive)とは,印欧語などの言語で広く見られる受身文のタイ プで,主語のない受身文のことである。スペイン語の自動詞による例と,柴谷2000からウ ェールズ語の他動詞による非人称受身を引用する。

(26)Se vive bien aqui.20 (ここでは人々はよく暮らす→ここは暮らし向きがよい)

  se lives well here 21

(27)Fe i lladdwyd(gan ddraig). ((竜によって)彼を殺すことが起こった)

  him was.killed (by dragon)     (柴谷2000:144より)

 こうした文は,主語を持つ通常の人称受身文に対して,通常の受身文と同じ形式を用いな がら,主語のない文であるため,「非人称受身文」と呼ばれる。(27)のウェールズ語の例は,

対象を主語に立てることなく,つまり何らかの実体に主語としての注意を向けることなく,

ただ全体としての出来事が起きる(起きた)ことを語っている点で典型的な〈脱他動化受身 文〉に通ずると思われる。一方,(26)のスペイン語の例は,反復・習慣の非アクチュアルな アスペクトで,具体的な動作主抜きに行為プロセスを語るために用いられている。スペイン 語では,このように動作主が不特定一般の人々でアスペクトが反復・習慣の非アクチュアル な事態に,しばしば中動態(再帰接辞seの構文)の非人称用法が用いられる。特に,話し手 を含まない不特定多数の人々が動作主である場合,言語活動動詞や思考動詞とともに多く用 いられるようである(出口1995:533)。

(28)Se dice que habr6 una huelga genera1.(ゼネストが行われると言われている)

 se says that ある一3sg.fut. a strike general 22       (出口1995:533より)

(29)Se rumorea que Pilar tiene novio. (ピラールに恋人がいると噂されている)

  se rumors that Pilar has boyfriend     (出口1995:533より,翻訳文一部改変)

(30)Se piensa que es necesario un cambio. (変革が必定だと考えられている)

  se thinks that is necessary a change  (白水社『現代スペイン語辞典』p1031より)

このスペイン語における中動態の非人称用法によく似た受身文が日本語にも存在する。

(31)近年,日本では格差が拡大したと言われている。

(32)数日のうちに台風が接近すると見られる。

(33)店の前の看板には,本日休業と書かれていた。

 この種の受身文は,鈴木1972で「内容のうけみ」と呼ばれたタイプである。鈴木1972は こうした受身文が「言語活動,認識活動の内容に重点をおき,発言者や認識の主体を問題に しないばあいの表現にもちいられるようである」としている(鈴木1972:282)。こうした受 身文を構成する動詞が「言語活動」と「認識活動」を表わすものである点を指摘している点 は重要である。この種の受身文は,動作主を背景化している点で〈脱他動化受身文〉のサブ タイプと思われるが,「何が起きたか(起きるか)」という行為の実現を語るものではない。

こうした非人称受身文にはどのようなタイプがあり,他の受身文とどういった相互関係にあ

20スペイン語の例は,先に紹介した再帰接辞(中動態)による非人称用法である。

21@「se」は動詞につく再帰接辞(cli七ic)で,中動態のヴォイスを表す形式と考えられる(Kemmer 1993参照)。

スペイン語では,主に再帰,相互,自動詞化,受身,非人称などの用法を持つ。

22ここでのスペイン語の例文のグロスはすべて志波による。

(13)

るのか,その体系内での位置づけは未だ明らかでない。

2.3.5

一ト呼ばれている

 「N一ハN一ト呼ばれている」という受身文は,有情主語であっても非情主語であっても表 わす意味にほとんど違いがない。こうした受身文は,体系内にどのように位置づければいい だろうか。

(34)良子は,よっちゃんと呼ばれている。

(35)このビルは,ランドマークと呼ばれている。

 この種の受身文は,動作主が不特定多数の一般の人々で,反復・習慣のアスペクトで述べ られるのが通常である。このように,通常,動作主が不特定一般の人々で,反復のアスペク トで述べられる受身文タイプがいくつかあるようである。「・ト呼ばれている」以外では,次 のような受身文がある。

(36)和夫は(みんなに)良子の弟だと思われている。

(37)良子は(みんなに)好かれている。

(38)a.子供は入場を禁止されている。

  b.子供の入場は禁止されている。

 このように,ある社会的な範囲における不特定多数の人々が動作主である受身文には,他 にどのようなタイプがあるのか,また,そうしたタイプは体系内にどのように位置づけられ るのか,明らかになっていない。

2.3.6

属性叙述受動文

 属性叙述受動文とは,益岡1982で提唱された受身文タイプで,「所与の対象の属性を叙述 することをめざして,ガ格以外の名詞句をガ格(主題)に昇格させる受動文」(益岡1987:188)

のことである。属性叙述受動文は,動作主が二格標示されても受影の意味を帯びない受身文 として知られる23(引用例文の下線はすべて志波による)。

(39)この雑誌は,10代の若者によく読まれている。(益岡1982:57)

(40)このタイプの部屋はソファがベッドに転用できるので,ビジネスマンなどに愛用されてい  る。(「腐食の構造」,益岡2000:56−7)

(41)その小説は漱石に激賞≡。(益岡2000:57)

(42)彼は一般の人々には著名なエッセイストとして知られている。(益岡2000:58)

23 《受影vs.無影響》の意味対立に注目する論者たちは,動作主が二格標示される二受身文(Kuroda 1979)は 受影の意味を帯び,ニヨッテで標示されるニヨッテ受身文は受影の意味を表わさないと考えている。しかし,現 代語ではすでに動作主のニヨッテ標示はかなり浸透しており,動作主がニヨッテで標示される受身文を無影響と するのは短絡的過ぎるだろう。次の例では,影響を身に受けるという意味が読み取れるだろう。

・ 日本は,灘購蒙蓬懸巴議鍛羅美しい自然を破壊されている。(久野1986)

・ 洪作は,自分という人間がいやだと思う自己嫌悪の感情を,初めてこの事件によって知ったのであった。残   酷さに鈍感だったことを灘き離羅諜鍛懇指摘されたこともいやだったし,・…いたずらに相手に遠慮して,

  いかなる行動にも出られなかった自分もいやだった。(しろばんば:村上1986:22)

・ 雨のため頭上に飛ぶ米機が減ったかわりに、敗兵の列は自働辮銃懸馨つ縫り灘灘騰o懸、側面から脅かされ  己道はレイテ島を縦走する脊梁山脈の西の山際に沿っていたが、講嚢繍難繋繋饗の難繋挺素泊糠、[垂三]ヨ   さらに山奥の杣道へ追い込まれた。(野火:地)

13

(14)

(39)と(40)では,それぞれ「若者/ビジネスマンに人気がある」といった有意義な属性が含 意されている。こうした受身文は,不特定多数の動作主の反復的な行為を表わす受身文とし て特徴的である。これに対し,(41)は著名な小説家に評価されたということから,「優れた作 品である」といった有意義な属性を含意するため,個別一回的な事態でも属性叙述受動文が 成立している。また,有情主語の場合は受影受動文になる傾向が強いが,(42)のような例は 属性叙述受動文と見なせるとしている(益岡2000:58)。

 一方で,益岡2000は,こうした属性叙述受動文の頻度(使用例)がきわめて少ないこと から,属性叙述受動文は受動文の中では周辺的な位置にあるとしている。

 益岡は,動作主が二格標示された受動文のみを属性叙述受動文と考えているようだが,次 のような受身文も,主語に立っ名詞句の属性を叙述する受身文であり,上に挙げた例とタイ プとしてそれほど違いがあるとは思われない。

(43)この雑誌は,最近日本でよく取り上げられている。

(44)彼は,著名なエッセイストとしてよく知られている。

 このような例をも属性叙述受動文と見なすのであれば,属性叙述受動文の頻度はそれほど 低いとは思われないが,詳しい調査が必要である。また,こうした受身文はどのような動詞 タイプに現れやすいのか,他の受身文とどのような相互関係にあるのか,その体系内での位 置づけは明らかでない。

2.3.7

形容詞相当の受身

 受身文の中には,「ここは自然に恵まれている」「時間が限られている」「満たされない心」

「洗練された人」など,当該の事態を引き起こした動作主と先行する変化がほとんど含意さ れないタイプがある。この種の受身文は,時間軸における具体的時間性を失って,V一ラレル がほとんど形容詞相当として機能している。「恵まれている≒豊かだ」,「限られている≒少な い」,「満たされない≒不満だ」のような意味を表わしている。また,「求められる力」「約束 された運命」なども,やはり動作主が想定できず,V一ラレルが形容詞的である。こうした,

形容詞相当として機能している受身文にはどのようなタイプがあるのか,またそうしたタイ プは体系内で他の受身文とどのように関係しているのか,明らかではない。

2.3.8

定位のための受身文

 「定位のための受身文」とは,栗原2005で提唱された,特殊な二受身文のタイプである。

栗原2005では次の4タイプが提示されている(引用例文の下線は志波による)。

(45)現れる類:ブランドの価値は,商標に体現されている。

(46)含む類:ポリフェノールは,お茶類に含有されています。

(47)受ける類:昔ながらの風景が,白川郷に受け継がれています。

(48)用いる類:遺伝子組み換え大豆が,この豆腐に使用されています。

 こうした受身文はすべて,二格名詞句で指示された実体が主語に立つ他動詞文(能動文)

で述べることができる。意味的には,受身文の主語に立つ名詞句が存在している,ないし現 れている位置としての「場」を二格名詞句が表わすものだとし,二格名詞句が示す「場」に 主語(ガ格)の位置を定める表現であるとしている(栗原2005:183)。このうち,「用いる類」

(15)

については,対応する能動文に通常の意志的な動作主が立つ場合がある上(「太郎は,次郎の 机を使用している」),シテイル形が結果状態を表わす場合に限り,この種の動詞による受身 文は「定位」の表現になることから,「用いる類」は4つのタイプの中でも周辺的であるとす

る(同:186)。

 さらに,栗原2005は,二格名詞句には場所やモノだけでなく,組織や人を示す名詞句が 立っこともあると指摘する(栗原2005:187より,下線原文)。

(49)現れる類:1970年代のアイドル像は山口百恵に凝縮されています。

(50)含む類:現代の社会体制においては,労働市場が企業に包摂されている。

(51)受ける類:静岡郷土の踊りは,清水の芸妓達に踏襲されています。

(52)用いる類:とても強い攻撃アイテムが,敵の兵士に装備されている。

 こうした受身文は,一見,通常「受影」の意味が表れると言われる二受身文(属性叙述受 動文を除く)において,受影の意味が表れない一類型のように思われる。しかし,上の受身 文における組織や人名詞は,「意志的な行為の主体として表現されているわけではな」く,「や はり「位置付け」の「場」として表現されている」(栗原2005:187−8)ため,動作主が二格 に立っ通常の受身文とは異なるとしている。

 また,栗原2005は述べていないが,この種の受身文では,二格名詞句が主題化されて文 頭に現れることも少なくないだろう(「お茶類には,ポリフェノールが含有されている」)。こ のように,二格の行為者が語順上,主語に先行しかつ主題化されるようなことは,意志的な 動作主が二格に立つ通常の受身文では考えられない構造的特徴である。こうした構造的特徴 からは,この「定位のための受身文」が存在文に近い文タイプであることがうかがえる。

 一方で,こうした受身文は,個別具体的ではない,非アクチュアルな「特性」のアスペク トで述べられる 24。「特性」のアスペクトは,具体的な時間軸には位置付けられない,その ものが恒常的に持つ性質を表わすものである。特に,「現れる類」と「含む類」,「受ける類」

で,ラレルとラレテイルの対立が中和するのは,これらが非アクチュアルなアスペクトを持 つ証拠だろう。一方で,周辺的タイプとされる「用いる類」は,より「結果状態」に近いア スペクトであるためか,ラレルとラレテイルの対立は中和しない。

 この「定位のための受身文」に用いられる動詞について,栗原2005は,「これら四類に分 類される動詞類は,全て意味としては抽象的な動詞で,個別具体的な動作は表わさない」

(同:186)としている。しかしながら,本研究では,「含む」や「受け継ぐ」,「凝縮する」と いった動詞は,本来は個別具体的な動作を表わす動作動詞であったと考える。そうした具体 的な動作動詞が,抽象名詞と組み合わさり,テンス・アスペクト的に超時の特性を表わす構 造で用いられるようになったことで,動詞の語彙的な意味も抽象化してきたと思われる。こ

うした,具体から抽象への移行は,体系を捉える上で,もっとも基本的な関係である。

 以上,まとめると,「定位のための受身文」は,受身文の二格行為者が非情物(相当)であ り,この二格行為者が語順上主語に先行し,かっ主題化されることがある点で特殊な受身文 タイプである。こうした受身文は,テンス・アスペクト的に超時の特性を表わし,意味的に はかなり抽象性が高いが,他の受身文タイプとどのような相互関係にあるのか,その体系内

24栗原2005は,これらの受身文はすべて「テイル形では結果状態のみを表わ」(栗原2005:186)すと述べてい るが,「結果状態」とは,先行する変化が意識される個別具体的な事態のことである。よって,「結果状態」では なく 「特性」のアスペクトと言うべきだろう。なお,この「特性」のアスペクトについては,工藤1995では,

奥田靖雄の「単なる状態」という用語が読み違えられて用いられている。本来なら「特性」と命名されるべきと ころだが,工藤1995により,一般的には「単なる状態」という用語の方が定着してしまっているようである。

15

(16)

での位置づけは明らかでない。

2.4 残された問題のまとめ

 以上,受身文の分類をめぐる研究史を概観した。受身文の分類については,有情主語の〈被 動者主役化〉と非情主語の〈脱他動化〉に大きく分けられ,〈被動者主役化〉タイプがさらに

〈まともな受身〉と〈はた迷惑の受身〉に分けられるということを確認した。この大分類は,

現代日本語の受身文体系を大きく捉える上で,欠かせない視角であると考える。一方で,こ の体系のどこに位置づけられるのか,明らかではないタイプも少なからず存在する。体系へ の位置づけとは,すなわち,他のタイプとの相互関係に他ならない。さまざまな受身文タイ プは,それが別々に単なるリストとして存在するわけではない。他のタイプと,意味・構造 的な相違性でもって対立しながら,ある共通性でもってつながり,さらに,何らかの構造的 な条件のもとで移行し合うという関係にある。これが,意味・構造的なタイプのパラディグ マティックな体系(ネットワーク)である。さまざまな受身文タイプを体系内に位置づける,

っまり,さまざまな受身文タイプの間の相互関係を考察し,受身文の体系(ネットワーク)

を明らかにするという仕事は,従来の研究では,ほとんどなされていない。

 本研究では,さまざまな受身文タイプの相互関係を見ることで現代日本語共時態における 受身文の体系を記述することを最終的な目的としている。この記述のための方法論とするの は,奥田靖雄の言語理論である。奥田靖雄の言語理論については,第2章で紹介している。

 本研究は,まず,用例の頻度の高いものについて,それを1つの構造的なタイプとして取 り出し,さらに,用例の頻度の低いものについては奥田靖雄による一連の連語論で立てられ たタイプを参照し,これに対応するような形で受身文タイプを取り出している。また,取り 出されたサブタイプをより上位のタイプにまとめ上げていく際にも,奥田の連語論の分類を 参考にした。その結果,本研究で取り出したほとんどの受身文タイプは,その構造に,奥田 の連語論で立てられている連語タイプを要素として含んでいる。このように,奥田の連語論 の連語タイプを文構造の要素として含みながら,文の構造的なタイプについて記述した研究 は,従来の研究にはないことである。

 言語学研究会の中では,村上1986,1997に受身文の研究がある。村上1986,1997には 非常に示唆に富んだ指摘があり,本研究の分析においても学ぶところが多かった。一方で,

村上の記述は,意味・構造的なタイプの分析にはなっておらず,その記述からは受身文の体 系的なまとまりは見えてこない。

 村上1986の第一章では,鈴木1972の分類にしたがって,直接対象の受身,相手の受身,

持ち主の受身,第三者の受身という分類で受身文を記述した上で,それぞれのタイプにおけ る受身文主語の対象性を考察している。また,第二章では,受身文の文脈構造における機能 と意味について考察している。この第二章の受身文の意味にっいての考察は,特に本研究の 有情主語有情行為者受身文の意味的な性質を考える上での参考にした。一方,村上1986の 第三章及び村上1997では,豊富な用例を挙げて個別の記述を行っているが,この記述の方 法に問題があると考える。村上の記述では,受身文の構造を構成する要素の1つ1つについ て,それぞれ別々に例が挙げられ,記述されている。例えば,主語の有情・非情の別,動作 主の有情・非情の別,受身文中の補語の数,動詞の語彙的な意味,といったように,記述が ばらばらに行われているのである。本来であれば,こうした特徴は,1つの受身文タイプの

(17)

構造を構成する要素の1っ1つであるはずである。すなわち,主語が有情者であり,動作主 が非情物であり,補語の数は2項で,動詞の語彙的な意味は心理・生理的な状態を表わす,

といったことは,1つの受身文タイプを構成する要素として相互に連関しているのである。

こうした要素で構成される構造を1つのタイプとしてまとめて記述しなければ,記述が重複 してしまう上に,他のタイプとの相互関係も見えてこない。

3 対象とするテクストデータ

 本節では,本研究で分析の対象としたデータについて紹介する。今回扱ったデータは,小 説の会話文,小説の地の文,評論文(ノンフィクション),新聞のテクストである。データに ついては,できる限り典型的な「話しことば」の特徴と「書きことば」の特徴を持つものを 扱いたかった。よって,「話しことば」としては,生の自然会話コーパスを用いることができ れば最良であったが,今回はその余裕がなかった。今後の課題としたい。今回扱ったのは小 説の会話文テクストで,これにはエッセイとシナリオ作品も含まれるが,これを「話しこと ば」に近いテクストと見なすことにする。評論文と新聞テクストについては,「書きことば」

の特徴を持つテクストと見なす。また,小説の地の文テクストは,登場人物の視点から当該 人物の内面描写や直接的な感情表現をしたり,客観的に場面を描写したりと,様々な文脈構 造が表れる特殊なテクストと見ている。

 扱った作品は,手作業で収集したものも含め,すべてテクストファイル化し,コーパス検 索ツール(「CLTOOLS(ことえもん)」25)によって用例を抽出した。検索の際に用いた正 規表現は次の通りである。

(53)[かさたなはまやらわがば】れ

このようにして抽出したデータは,エクセルファイル上に表示して分類している。

 なお,本来であれば,4つのテクストの分量(文字数,バイト数など)をそろえるべきで あったが,今回のデータはそのような配慮がなされていない。4つのテクストの分量がおよ そそろっていれば,どれだけのラレル文ないし受身文が得られたかということも,比較の対 象にできたが,こうした作業は今後の課題として残った。

 以下,どのような作品からどのくらいの受身文をデータとして抽出したかについて述べて

いく。

3.1 小説の会話文テクスト

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25中野洋「日本語処理プログラム集MCL」に基づいて作成された,佐野洋「日本語処理プログラム集CLTOOLS

(第1.2版)」。

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