琉球語からみた古事記の 「意」「富」 字の音価
著者 山田 實
出版者 法政大学沖縄文化研究所
雑誌名 沖縄文化研究
巻 2
ページ 231‑263
発行年 1975‑10‑20
URL http://doi.org/10.15002/00013114
琉球語からみた古事記の
﹁音山﹂
﹁戸 口同
﹂
字の音価
山
田
資 はじめに
﹃古事記﹄には︑万葉仮名の﹁意﹂﹁宮﹂の文字が他の奈良朝文献のものよりも多数用いられている︒﹁意﹄
字は︑古事記に次いで万葉巻五に多く用いられている︒
﹁門
前﹂
{子
は︑
ほとんど古事記にその例が多く用い
られているのに対し︑書紀や万葉には数例が散見されるのみで
ある
︒
古事
記は
︑
﹁意﹂﹁富﹂の仮名字を多
量に用いている点︑
﹁母
﹂と
﹁毛
﹂ との音韻上の区別をして用いている点︑﹂れらは他の奈良朝文献
には
見られぬものであるから︑何といっても我が国現存の文献の中では最古の典籍であることを疑う余地はな
い︒これらは︑まさしく古事記の合さを証拠づける特色をなすものである︒
古事 記は
︑ 八世紀初頭の奈良朝本土語の中央方言の大部分を記述Lたものであるが︑七世紀末期の中央
231
方言の若干をも併せ記録したもののようである︒﹁意﹂﹁宮﹂を用いて記述された語形は︑七世紀末期のも
232
のが多かったのではなかろうか︒古事記に表わされた当時の言語および記録されない当時の言語を﹁古事
記言語﹂または﹁古事記語﹂と呼んで置く︒古事記言語は︑確かに日本書紀語や万葉語一般のものとは兵
なり︑古形を示したものを多く記述している
古事記の﹁意﹂については︑従来﹁オ﹂と訓みならされているが︑その音価についてはまだ明らかにさ
れて
いな
い︒
また
︑﹁
富﹂については︑﹁ホ﹂と訓むのが一般的であるが︑﹁ホ﹂の乙類とみる説もある︒
(福
田良
輔先
生の
﹃奈
良時
代東
国方
言
の研
究﹄
)
しかしその音価については明らかにされていない現状であ
﹁ る
上代
特殊
仮名
遣﹂
の
学説が橋本進吉博士によって公表されてから︑もはや六十年近くにもなろうと
して
いる
のに
︑
その音価推定がいまだになされないという事実は一体どうしたことであろうか︒どこか研究方
法にまずさがあるのではなかろうか︒それとも﹁上代特殊仮名泣﹂は古代日本語には存しなかったと見る
べきものであるのか︒いろいろ考えさせられる︒けれども筆者は︑
﹁上
代特
殊仮
名遣
﹂ は認められるべき
ものであると確信している︒いまだにその音価推定が進まないのは︑どこか研究方法に欠陥があるのかも
知れない︒現代琉球語は︑片仮名や平仮名をもってしては完全に記述し得ない︒同様に古代本土語も万葉
仮名では完全に記述し得ないものであったと見られる︒万葉仮名で記述した奈良朝本土語は︑ごく概略的
な語形が写し出されたものにすぎない︒ローマ字や音声表記または音韻表記の発達しなかった時代である
から
︑
不完全な表記をした万葉仮名の上からのみの音韻や語
形推
定は
︑
あるものについては危険をさえ伴
なうものである︒
奈良朝語の甲乙両類の音韻を推定する場合心掛けるべき重要な点は︑奈良朝の中期およびそれ以前の時
代のものと︑奈良朝の末期および平安朝初期の時代のものとは︑音韻(音形・音相)が異なるということで
ある
︒
前者の時代では︑
たと
えば
︑
E
一に対
する
fop
︑
E
に対する5F
またはE
ぺ斤己に対するr d
ロ ︑
‑ 8
に対する
50
︑F S
に対する
‑ a ‑
︒ ︑
などのような音韻の対立(モlラの区別)が表わされていたも
のと
見ら
れる
︒
それに対し後者の場合は︑玄一
59
・区
一
E f
F g
一
E0
・
E
一庁︒︒︑などのような対立で表わされていた可能性が強いであろう︒助詞の﹁モ﹂
t
ヱ
古事記言語では¥百戸︒¥で書紀や万
琉球語からみた古事記の r)J:JrM J字の音価
葉話では¥目︒︒¥で︑奈良朝末期および平安朝初期では¥目︒¥で︑表わされていた可能性が強いので
ある
︒
それ放に︑例えば﹁登﹂﹁等﹂を奈良朝末期や平安朝初期の文献に用いてあるからといって︑その音
価が奈良朝中期以前のものと同じであったと考えてはならないのである︒文字は同じであっても時代によ
ってその表わす音価(音形・音韻論的音節)は異なるのである︒F
ム ︑ D L やh R
‑
︑
品/斗イ寸
d中i古事記語に表わされた形がその
まま史前日本一詰のものと同じであるとみてはならないことである︒古事記言語が成立するまでには幾度か
の音韻変化の過程があったと見なければならぬのではあるまいか︒古事記言語と六世紀の推古朝語(また
は飛鳥朝語)のものとは異なっていたようである︒
たと
えば
︑
﹁姫﹂を古事記言語
で は
¥ 立
go¥で表わし
推古時代では¥立百円¥で
表わしていたように
現代琉球日本語は︑変化しすぎた点が多いのであるが︑奈良朝本土語のものよりも古形と見られる要素
もかなり存する︒両言語の比較研究によって古代琉球語を推定すれば︑古代琉球
一 誌
は奈良朝本土話よりも
233
日琉共通基語の言語相を多く留めていることが判明するであろう︒
234
本稿は︑古事記の﹁意﹂﹁富﹂字を中心として書紀や万葉のものをも扱いつつそれらの文字の用い
られた語形を琉球語と比較して︑当時の本土語や琉球語の音価ならびに語形を推定すると共に︑日琉共通
基語のものを推定してみたいと思うのである︒なお︑奈良朝本土語のハ行子音は¥司¥で表わされ︑
サ
行の音節(モ1ラ)の頭音は
¥ m
¥
で表わされていた︑ということについては︑拙論
﹁日 琉
語の動詞終止
形の構成について││上代のハ行音・乙類﹁と﹂音・サ行とシャ行の音を含む││﹂(﹁沖縄文化﹂四一号)︑
に述べて置いたので︑本稿にはそれらについては触れないことにする︒
﹁ 意 ﹂
字 と そ
の
音 価
二人称代名詞を示す語形
古事記語の例
亦追
│一
一援
河之
瀬一
而︑
調閥
に静
為一
一大
国主
神一
(神
代)
伊 賀 山 市 所 ニ 作 仕 奉 } 於 一 一 大
殿内
一者
︑関
岡山
﹁ト
宇
意櫨熊曾建二人︑不伏無ν躍問看雨︑取│一一殺意艦一詔而遺(景行) 先入明│下白其将v為ニ仕奉一之状主而(神武)
これらのよ忠雄﹂は︑二人称代名詞を示す形の例である︒従来﹁オレ﹂と訓まれている︒﹃時代別国語
大辞典上代編﹄には︑二人称︒罵っていう場合に
多い
︑
と説明してある︒日本古典文学大系一
﹃古
事記
祝
! ‑i
詞も
(岩
波)
には
︑
お前
とか
︑
おぬしとかのな︒第二人称の卑称︑と注書がしである︒
爾 日 此 木 云 書
飲ヲ紀
o u
v ~[}( の 神 例 武
なお
︑
上掲の辞典には︑
考
のところで︑﹁側﹂は漢籍の史書の会話文や小説・仏典類などに例が見え︑‑
俗語的な人称代名詞であると述べてある︒
﹁意躍﹂は︑次に示す奄美与論方言との対応の上から︑ヲゥレエと訓み︑当
H M g
︒の形で発音していたの
ではないかと見られる︒書紀の﹁飲例﹂は︑
4 3
吋0 0
八(
dq
ロ
H1
00
)
の形で表わされていたのではあるまい
か︒
弓ロ
l
﹀ 司
Olの変化をした形で者紀には表わされていたようである︒
古 事 記 の
﹁ 意 ﹂
{子 は
ヲゥ
琉球語からみた古事記の「怠JrM J宇の音価
(当ロ)と訓むべきものであろう︒
与 論 方 一
一 一 一 口
ピH100A
あな
た︑
そなたV
与論方言のものは
正門
︒︒ 八司 ロ
20
の関係を示し︑
4 2
﹀どの変化をしたどーが語頭に表わされ
ている︒(以下︐は︑ある音素の脱落したことを示す記号として用いる︒)
与論方言のど
50
は︑卑称の二人称代名詞としては用いられていない︒果たして上掲古事
記の
﹁な
躍﹂
ゃれ
世
紀の﹁飲例﹂は卑称語であろうか︒古事記神代巻の例の﹁意櫨﹂は︑大国主神に対して言ったもので
あ
るが
︑
それが卑称や罵
って
言ったものであろうか︒卑称語だと決める確証はないのではなかろうか︒
そ
れで従来の解は疑わしい︒与論方言
の ピ
50
は︑次のように用いられる︒235
複合名詞を構成する場合
236
ど
50
いp m H
Aあなたの家(家屋)V
正吋
︒︒
ロ吉
川
VAあなたの島
(郷
里
)V
d z
︒正
VAあなたの親V
ど 官
八当戸営(親)を示すのであろう︒
文構成の場合
d z o
い
9
9
宮司即応戸
2m mH
Aあなたの家はいづれ(どれ)ですかV
ピ
50
官官
︒︒
吋目
白斜
m p あなたの郷里(ふるさと︑部落・島・生地)は︑どこかVA
ロ白︒︒は︑ロ目
H H
A島・郷里Vの語形変化形でA島が︑しまはVの主格の意味を表わす形である︒
I二
(f)
文例は︑助
詞を介さず直接体言に接して文を構成している︒
百 戸 ρ§ggmv
ユAあなたが(あなたは)︑持ってくださいませV
自 ロ
O名八
日 ロ 各 八 百 ロ 立 A持てVを示す︒
Z 5 9
ユは
︑ g g p E
A賜ばる︑くださるV
. ロ
H1
︒ ︒
の述
用兼命令形である︒上の文は︑用言に直接に接する場合の例である︒
正足︒m到︑司日官官官↓
PEEN
日Aあなたが言っていることは︑当らない(当っていない)ザ1 m m w
助詞に接しての文構成の例である︒司日官官の日目は︑A
こと
︑
もの
︑
それ︑人V︑などの意味を表
わす指示詞の機能を表わす語である
正
50
いo
g E E F
一江
0 . z g g J
A
あなたは︑旅に(旅へ︑旅の方へ)︑行こうとおもいますかV0. Z
八
0. E
八︒
EC
︿︒ョロ戸を示し︑行く︑行かれる︑おいでる︑おわします︑来る︑来られる︑
などの立を表わす多義語である︒
ER H 八百戸己主
A忠
ヒ
Vを一亦す訴ではないかと見られる︒文末に立つ
て疑問の意を表わす話である︒上の文は︑助詞に接する例である︒
古事記の文椛成 意峰
︑大
国主神と為り(神
代)
意般︑先づ入りて︑其の仕へ奉らむとする状を明し白せ
(神 武)
意問︑熊倉建二人(景行)
ある︒﹁怠﹂字は︑5を示すものでもなければ喝︒を一不すものでもなさそうである︒もし
dq︒
を一
不す
も
J)iU,よi5からみた古Jjl誌の「意j'MJ宇の古価 意躍を取り殺せと詔りたまひて泣はせり(景行)
仮名
古
u例でないからはっきりとは言えないが︑当ロ
5 0
が直接体言に接する場合︑副詞に接する場合︑
助詞の﹁ヲ﹂に接する場合︑の用法が用いられていたようである
﹁怒嘘﹂の﹁艦
﹂が
︑
30
の形で
あったろうと
いうことは︑単なる文献上の文字のみの上か
ら だ け で は
︑
いつ
までたっても明らかにはされな
い︒生きた言語と
比較することによってそれが明らかにされうるので
のとみた場合︑当︒から与論の正ーが生ずる説明はしにくい︒
tqロ
﹀ ど の 現 象 は 琉 球 語 に 表 わ さ れ て い
る︒たとえば︑与論方言
には
4 2
ユ(またはミロ﹂
) A居りVが表わされるのに対し︑奄美本ぬでは︑
ロ
トτ
(八当
E E )
の形が表わされている︒それで︑与論方
一 一 一 日の二人称
代名詞
のど
50
は ︑
その前身形
d g z
︒で
あったとみて誤りはあるま
い ︒ 古代琉球詰や日琉共通基認では
2230
が二人称代名前として川
237
いられていたと推定することが可能である︒
238
﹁大
きい
﹂
の語幹を一示す形
与論の高齢者の中には︑A
大きくなった者︑成人者︑身長の高い人
V︑のことを
dq
戸空
H N日自信ロロとい
っている一般には語頭の司ロlの
dqー
を脱
落し
て︑
正問
︼門
一戸N
HE
ロロロの形で発音している︒自己ロロ八自己
ロロ
ロ
︿自己ロロロ戸A物
・者
V
を一
不 す ︒ また︑高齢者の中には﹁兎﹂を請︒
g
包で発音する人がいるが︑一般にはど
S
岡山
(八
司ロ
mp
岡 山 )
の形で発音している︒﹂のように︑与論方言に
は
¥ 司 戸
﹀ ど
¥ の 変 化現象が表わされている︒与論方言の
dq
口問己ーや︑ど宮は共に
A大きいVの語幹を一亦す形となってい
る︒次に示す例のように
語形を構成している︒
どりロ自己ロロ(︿司ロ官民自己
E
ロ
d g
八宮Eロロロロロ
)
A大物︑大きな物
V
ピ 宮 山
P 9 (︿ 司 ロ 宮 い
9 9 ) A A 大屋
・大きな家屋V
ピ同足立と戸(︿
4 2
吉 立 宮
︿ 司 口 問 己 主 宮 戸
) A大きな人
V
麦屋字では
人 を 立 冨 (
八1EC)の形で表わす︒
ど匂戸間口巳(︿
d g
宮
H W円 こ 戸 山
) A大きな国
V
ど 同 ) 戸
HP EE P
戸A
年長の母
V
次に示す活用語が用いられている︒
(ど
宮山
由
)
A大きい︑大きくしている
の意の終止形であるが︑稀用のものとなっている
V
ピC
H)
己
ch‑Aとても大きくしている︑
とても多くしている︒形容詞比較級の終止形
V
dHEEA
大きく︑多く︒連用形
V
﹁大きい﹂を意味しての形容詞の活用語は乏しい︒首里方言では︑次に示す形で用いられている︒
司
c
g (
︿ ピ 苫 八
5 H
宮 )﹃混効験集﹄には︑﹁おへさ﹂︒原注﹁大きを云﹂とある︒当時の実際の語形は︑
d 2 g
または
ゴ 片 山
m鈴
で表わしていたかも知れぬ︒この形は後に記す与論方言の
dH L&
"
に対応するものであろう︒与論や首
里のA
大き
いVの語幹は︑古代琉球語においては︑主主
M H )ロl
で用いられていたと推定され得る︒
の
2 1
口同記・に一致する形が︑古事記語
には数多く表わされている︒
意富加牟豆美命
4 2
宮‑EEg含 宮 山
lロglgHEH
︒ z ︒
A神名
V(神代)
琉球語からみた古事記の「意Jr富」宇の音価 古事記語の例 意富迦波良
d q H H
H 己
FS HU 95
(八
4 2
吉 冨 宮 35)A大河原
V(景 行) 意富岐美
巧 戸 宮H
E
自 由
A大君
V(景行) 意富岐美
4 2 u z E E
日A
大君
V(允恭) 意富 岐美
者 口 同 )
戸 HEEHA大君V(清寧)
意富岐頒斯
当口
同
)
5 5
宮山 口
A大君しV(仁徳) 意富岐美能
tq
己 宮H E 百 円
iロg
A大君のV(仁徳)
意富岐美能
dq
CH
)d
E
自 由
lロg
A大君のV(清寧)
意富義多志比貰
d q
戸H H
) ロ向日
g r ‑
立
go
A人名
V(用命)
239
意富佐邪岐 意富多久美 意宮多多泥古 意富斗能 意富那昆
意ん
品︑
泥 意官官符王 意官麻幣 意官麻幣 意富美岐
意宮牟庇夜 意富美夜
dq ロ 司 区 間 P N P E A
大雀
V (応 神)
24υ
dq ZH )
戸
H
E E l
百 円
A大匠
V (清寧)
巧ロ吉
Eggs
︒A人名V (崇 神)
書紀﹁大戸之﹂当口同旨
Z50A
大殿V (神 代)
計 司 ロ 刷
出
H E E A
年長のナピという人のことか︒人名
V (孝元)
4司 ロ
UC
'一 ロ
ooA
大根
V (仁徳)
42
H) 己
吉 含
︒ l E
︒I
g‑
‑s
︒︽ 人名
V (応 神) 巧ロ 甘口 百戸 宮
A大前
V (允恭) 当戸 吉田
︒何 百
A大前
V (雄略)
tq
戸匂 ロ宮 山
E A
大御酒
V (応神) 42
HV ロ
宮山 首
A大宮
V (清寧)
当ロ宮ECE
宮内
H A大室屋
V (神武)
(品 不一 室)
意富夜麻登玖濁阿躍比一目命
副司
ロ匂
己い
pg mv g
︒F
DH El
立言︒ーロ
g
m5 1
5
ご 内
g g
︒A人名V
意宮夜麻登玖遁は︑大倭国のこと︒
42
H) 己
皆
目m
vg
︒F D H
巳
lm vE HL EO l ロ ロ ︒ lE HW HH OE
︒A人名V
(安
寧︺
意富夜麻登久週阿膿比頁命
意富立古賀波良
司区切己主
F g
問
P 3 5 A
大猪子が原︒地名V(仁徳) 意布哀4 2
匂口
当
O l(︿当己切口
区司
O)A大魚
V (清寧) 昔日 品古 一
dq
口問
)己
実
OA
大 峰
V (允恭) 意悩 阿麻比
資
tq
ロ宮
ー
l p g m w立
5 0
A大
阿麻姫か︒年長
者の
姫か
V(崇
神)
﹁富
﹂は﹁布﹂を充てた例も
あるから
﹁プ
﹂と訓み︑琉球
語との対応の上から切戸を
表わ したとみれば都
合がよい
︒古事記の
これらの
司区切ローは︑前代の七世紀・六世紀の形を
憎めたものであろう︒古事記に は︑形容詞としての
d g H )
戸山由の例は見当らない ︒
また︑古事記には述体形の司戸空
HE
の仮名書例は見当らないが︑崇神紀に﹁於朋者﹂
( 喝︒
3 E
・︿tqロ 吉 区 )
の例がある
か ら
︑ 古 事 記 言 語 に は 考 回 一吉 琉球訴からみた古事記の r7J:Jr宮J字の苛価
EJ
が用いられていただろう︒
次に︑当口同己l
系のものとは別形の
A大きいVを示す語形を記述しよう︒
与
論方言
ピ同
)日
丘
o
ま た は ど 立
mp(八d21&9)A
大 き いこと︑大
きく していること︒名詞
V
( J H H
片)
山由
終止
形)
は用いられないが︑以前には用いられていたかも知れぬ) ど 立 mい
m w ﹂
(︿
当 ロ
HL
ロ
l n
ユ
) A大 き
く
している︒終止形
V
ど 立
a m
‑ ‑ Z (
八司
ロ同
)即
日目
1 9 5
戸︿ 当ロ立ロ
1 0 5
ロロ
)A
大きくしている︑大きくしているだろ ぅ︑大きくしていると思う︒終止兼推
量形V
ど
H U W戸
(︿
t g
立
‑ 2 ) A
大きく︒連用形V
241
ど HL FP H日
目(
︿
dq
Z
匂H
FD H
日 目
)
A大きくしている︑大きくしているので︑大きくしているが故に︒終止
242 形と原因または理由を表わす具格形
V
ど同
}日
丘 9 2 (
︿dE1
日 目
1 9 2 )
A大きくしている︒連体形V
正HLmい
m H S Z
(
八項ロ立2 1 9 5 E )
A大きくしているならば︒未然の仮定形V
ピ 回 忌
&
︒ ユ 冨
(︿
司広
田}
山口
19ZHUP)
A A 大きくして有れば︑大きくしているので︒己然形v
dEa9zgo(︿
当戸
立日
目
lm
wユ
旬︒
︒
)
A大きくしてしまっていると︒完了の仮定または巳然形V
以上の活用形は原級のものであるが︑次には︑比較級のものを記そう︒
ど
CHL
同日
目(
︿
t g
立山口
)
Aとても大きくしている︒終止形V
官は
︑
AしているVの意味を表わしている
正
ρ
同 } 即 時
E ' (
︿
4 2
匂即
日付
ロ
)Aとても大きく︒連用形V
ど
PH
VH
ご白山由(︿
当 戸 立
ご
2
日 目
)Aとても大きくしている︑
が故に)︒終止形・具格形V とても大きくしているので(している
この種の原級や比較級の語形は︑クシ語法とでも名付けられよう︒
ど
DH
)片山&ロ
J
司区立同日目司ロユ(︿A)とても大きくして居る︒終止形V
ど
PH
}即日邑ロ
.Z
(︿希同立即日片当ロggg)A居るとても大きくしてとても大きく︑
して
居るだろ
ぅとても大きく
して
居ると思う︒終止形・推量形V
ど
P Z
目白
﹄ロ
E(
︿司ロ包即日目当ロE ) A
れとても大き体形くして厨る︒連VピP
旬日
片丘
m w E g (
︿当ロ
立昨
日目
1 9 5 3 ) A
れとても大きくして有るならば︒未然の仮定形V
な ど
首里方一吉
司ロ伊三
mp
乏(八正司日間
0.
5 八 ど 立
&
9
5ロ八当ロ匂二日
10
自民
ロ
)
A大きい︒終止形V
なお︑与論方言
には
︑正
心同
)即
日丘
m v
Aとても大きくしていること︒
比較級の名詞
Vの形も用いられて
いる︒琉球語の﹁大きい﹂を一不す語幹の︑正立l
︑吋
ロ}
戸当
日
lに対応する巧ロ立lの例は︑古事記には
用いられていないが︑書紀には対応形︑が用いられている︒
カ ム カ ゼ
の
イ セ
の
ウ ミ
の
伽牟伽笈能伊斎能干禰能於費異之耳夜(神武紀)
この﹁於野呉之﹂
につ
いて
︑ 書 一
紀に
は︑
謡意
以一
一大
石一
輪一
一其
国見
丘一
也(
神武
紀)
︑
と説明してあるから︑
琉球語からみた古事記の「立Jr宮」字の苛価
﹁於費異之﹂は﹁大石﹂を一亦す語形であると見られる︒これは︑
君 ︒
H L l即
日目
(︿
当ロ
立
l H
官)の形で発
の終止形は書紀には記されてない︒その他の活用形も記紀や
音していただろう︒君︒立ロ(︿司ロ立ち
万葉に見当らない︒古事記には記されてないだけで︑実際の古事記言語には巧ロ切口i
の語幹と共に︑
当ロ
立
lの語幹も用いられていただろう︒古事記以前には︑当ロ匂ロロや名口同)山口の終止形やその活用
形が用いられていたかも知れぬ︒﹁於費﹂
の﹁
於﹂
は︑
d g
を一部す文字と見るべきであろう︒
古事記の例
イ の ウ ミ の ヲ ウ ぴ ツ
加 牟 加 是 能 伊 勢 能 宇
美
能 意 斐 志 爾 波比母登富呂布志多陀美能(神武)
243
している︒斐字は乙類音を示す文字で︑ ﹁意斐志﹂は︑
3
モ ー ロ
または
3Z
日 ! 日 目
の形を示すものらしい︒語幹の
﹁ 大 ﹂
を
3
ちニーで示そのそlラは包日または立日であろう︒当己主と二日(石)の頭立日
244
の
日 ー
までもいっしょにして︑
d g H )
即日!
とするのは誤りである︒
与論方
一 一百 の ように比較級を示すものであ
れば許される︒
しか
し︑
書紀のもの
との対応の上からは比較級を示したものと見るべきではあるまい︒科
田阿躍は︑司ロ立!日日目と旧辞を諦むべき
もの
を︑
者戸
H H )同
日日
目と
諦ん
だの
で︑
安 高 侶 は そ れ を 忠 実 に 乙 類字の斐を川い
て
記録
したのであろう︒拙
著
﹃
日本母語の探求│!日琉語の比較││﹄には︑音少を︒ーと
記して円いたが︑当時窓は
44 g
を示す文字であるとの考えは持っていた︒急に新見を出すのはどうかと 思って従来
の
﹁ オ ﹂
のつもりで︒ーと記したので
ある
︒
者 ロ ー
に改め
るべ
きであ
る
︒ 与 論 方 言 の ど 立 ー に
対応する
d z z
ー
や 者
︒立ーは︑
あるいは
︑記
紀時代には
衰弱
しつつあった語形であるかも知れぬ︒
日
本書
紀には
︑意官を用いたのは
次に
示す一例
のみである
文の述べてい
る
ように先代の旧辞すなわち七世紀の古形で
あろ
う︒
tH
山 戸 川
加総(大加羅︒
垂仁
)︒
4 2
吉
ESA
大きいVの
語幹を示す
巧口同己ーや司区立ーは︑古
事記序
八
世紀の奈良朝語に
入ると︑
3
E V
君︒同記の変化をした喝︒匂ローが用いられたため
古事記
にはその語形が記述されている︒
な お
己宅
なーは
︑次
第に川いられなくなって行ったもののようである︒
古事記の者︒吉l
の例
胤
W
当︒吉
H
岐美‑ E
宮 山
A大君
V (雄略)
品加凸H間
岐美 呂
迦母
者︒
︒己
主宮
山
E
︒lF SE C
︒A
大君ろかも
V(
仁徳
)
砂宵久遡奴斯
tq
同 ) ロ o
‑ S E
ロロ
ロ
A大国主
V (神代)
品即
日佐
加
当︒
同
)CmpwpA大坂
V
(履
中)
務宮
︑泥
当︒ 吉田
⑦
OA大根V(仁徳)
砂宮美夜比登
48
H) 戸互い
9
立 宮
︒
A大宮人
V (推時
これらの﹁務﹂字は﹁意﹂との対応の上から﹁ヲ﹂と訓み︑
その音仰は当
o
を表わしたとみれば都合
がよ
い︒
上例の¥dgH)己
l
¥
は ︑
八世紀初頭の中央方言の語形を伝えたものであろう︒古事記言語以前
の七世紀や六世紀の中央語では
﹁大
﹂の
語幹
は︑
¥dq
ロ 吉
1
¥
・¥tq
戸立
l
¥
で表わしていたようで
ある
︒
9 5い
o E ' E i
巧ロ
山山
富
SEl
立
E
︒ロ
片岡
)伊
ーロ
51
自 由
F D H
︒宮︒の形で発音していたかも
知れぬ︒﹁意斯﹂は︑
dqロロの形を示すもののようである︒六位紀末期の﹁大﹂は︑
者 戸
H円記ーや
dq
z
琉球訴からみた古事記の r'なJr官J字の音価
立白戸川等王(上宮記逸文)
これは︑当戸切戸宮
H E
︒ー
ロロ
︒
IB
‑‑ 8
︒の形で発音していたのであろう︒
阿米久爾意斯波羅支比里爾波預己等(元興寺露盤銘︒推古四年︒五九六年)
立ーの形で表わしていた可能性が強い
意奴溺首(元興寺露盤銘)
意奴 珂は
︑
d g E B
叶の形で発音していたのだろう︒﹁意﹂字は︑
¥ t q z
¥
を示す文字として伎用
していたようである︒
阿米久爾意斯波留支比里尚波乃知己等(天寿国品交茶羅繍帳銘)
245
日本書紀の﹁天国排開由民庭天皇﹂のことで︑後の読を欽明天皇と申
246
している︒意斯は︑ 前記の露盤銘のものと同じく︑
﹁押
シ﹂
に通ずる形で
dq
z官
を一 爪す もの であ ろう
︒
七世紀や六世紀の伝存された遺文の中に︑﹁意﹂字は僅少の例を示しているのみであるが︑実際の言語生
字を多量に用いているが 活には多く用いられ︑
¥ d g
¥
を表わす文字として用いられていたと見なければならぬ︒古事記には﹁意﹂
これ は︑
七世紀末期の語形を伝えたもので︑古事記の古さを証明する一つとな
って いる
︒
ところが日本書紀には︑司ロ匂己lの例は一例あるのみで︑他はすべて喝︒宮
l
(︿巧ロち︿司ロ
日本書紀の語形 同己)に変化した形のみが用いられている︒
於朋
五五
日妬
(大
き門
)
於朋香禰(大君)
於哀企禰(大君)
飲哀釈澗(大君)
飲一 泉叔 禰( 大君 )
於朋釈美(大君)
飲朋佐介(大坂)
於朋佐箇(大坂)
飲哀陥撤(大太万)
当︒
旬︒
E S
︒( 崇神 ) 当 ︒
H 5 5
自由 (仁 徳・ 推古 )
喝︒吉区自由(允恭)
d g H 5 5
自由 (雄 略) 君 ︒ 同 )
︒
E
百円 (雄 略・ 武烈
﹀
dq
c同 ) ︒
E
自由 (継 体)
d g H 5 5 E
(
崇神)
4句 ︒
旬 ︒
mpfp(
崇神 )
d g
H 5
Z E
(
武 烈)於朋泥(大根)
dq
︒
HV
Oロ
︒︒
(仁
徳)
於保比屡咋能武智(大日婁貴)
喝︒
旬︒
立︼
1ロ
50 lE El
自己立(神代上)
於朋摩幣(大前)当
03 Em H
句︒
(安
康)
飲哀磨陛(大前)巧OH)OBmw
旬︒
(雄
略)
務朋禰釈(大御酒)
d g H X }
自由
片山
(応
神)
於朋禰赴泥(大御舟)当︒吉田山吉ロ
O (仁
徳)
於朋務露夜(大室屋)
当 ︒
3gcg
いp m w (神武)
於朋望能農之(大物主)巧︒350ロ
g
ロロ
ロ(
崇神
)
﹁物﹂は︑古事記には﹁母能麻実須﹂(仁徳)の例がある︒これは︑自己︒田区︒の形を示すのであるう︒
琉球活からみた古事記の「怠JI宮J字の音価
古事記の形に対応する書紀の﹁物﹂は︑ョ︒︒ロロ︒の形で表わしていたと見るのがよいかも知れぬ︒
以上の書紀の
d S 3 1
(
大)は︑後世に継がれて行く語形である︒その他の古事記の﹁意﹂字使用の語形
意岐A沖
vd 司 ロ
E(
神代
)
与論
正 広 (
︿
dq
戸
E )
首里司zcoH(
八 戸
E
八司ロ区︒沖縄語辞典による)意岐都登理(沖つ鳥)
d g E g g o Z (
神代
)
意岐米(置目)4
司 戸H E E
﹄
0 (顕宗)
247
意佐加能(忍坂の
42 gw pl
ロ
g
(
神 武)248
意須比(襲)
dq zg
立(景行)
務須
比
(襲
︒神
代)
当︒
2
立(八当ロm c
立)
の新形も用いられている︒
﹁大﹂を一万す語幹の当ロ吉‑ーや
dg 宮ー は︑
﹁多
シ﹂
の語幹としても併用されている︒次にその例を示
そう
伊ィ 知チ 佐サ
カ日ヵ
帝己き
みの
ヲ ウ プ ケ
徴能意富祁久衰(記神武)
意宮祁久A多けくVは
︑副
司区
切口
FS OF a
の形で発音していたのではなかろうか︒古事記の
﹁ 祁 ﹂
{ ナ
は
‑8 0
を表わしていたとみれば︑与論方言との対応の上から都合がよい︒
今 サ カ き み の ヲ ポ ケ タ
伊智佐介幾未廼於朋鶏句鳩(神武紀)
於朋鶏句A多けくVは︑
dg H5 wo oF g(
八司
口問
)ロ
50 wd
ー)の形で発音していただろう︒
﹂の
世間
紀
の語形は新しく変化したものを示している
与論方言
.口
問)
口問
即日
片口
(︿
巧ロ
匂口
問即
日
EH)A多いらしく︑多いそうにV
右の‑日山
紀の 例は
﹁多
いこ
と﹂の意に解されているがいかがなものか︒終止形の
﹁ 多
シ﹂の例は見当
らないが︑古事記言語には名口百ロロが実際には用いられていただろう︒古事記以後の書紀や万葉では︑
d g H ) ローか
ら新しく変化した
tg 宮 ロ
A多しVが用いられていたようで
ある
︒
於保伎(多キ
o t
︒ q
句︒
E
︒連体形︒万・三七五九)於保久(多ク︒
d g H 5 E H
︒連用形︒万・三七六
O )
意保伎(多キ︒
d23E
︒述体形︒続紀七詔)︒頭音には司ロlの古形が保たれている︒与論方言
ば何 百
g (
︿当ロ宮
g )
A
多いこと︑多くしていること︒名詞Vぽ 宮
g J
宮
3 (
︿mp
ユ
3
︿吉 ご ユ 八
d g z
一ー :日
)A多くしている︒終止形V
どり
己
Imp.Z(︿
d q g E a p . 5八
dq
c
吉 官
1 9 5 E
︿
dq
g宮
山一
1 9 E g g ) A A 多くしている︑多
くしているだろう︑多くあると思う︒終止と推量形V
ピ同
)己
日内
ロロ
( ︿
d g H
己E
ロ )
A多くしている多くしているので︑多くしているが故に︒終止形
琉球語からみた古事記の 「意J,.富」宇の古価
普︒ 自己 ロは
︑
﹁有思﹂を示すものであろう︒何となれば︑﹁おもう﹂の意味が含まれているから︒
(J
吉日目︿H
dqロ吉日目終止形︒今は用いられていないが︑以前には用いられていただろう) ど 吉
E (
︿
tq
戸 吉
E )
A
多く︒連用形Vと具格形を兼ねるV
( J H E E
︿
dq
ロ吉区連体形︒今は用いられない)
どち
己
S Z (
︿dq
ロ 吉
ι 9 2
︿
4q
g円 以
ロ ロ
1 9 2 ) A多くしてある(いる)︒連体形V
ピ 宮
ggg(
︿ 司 ロ 宮 丘
m w E g
︿
4 2 U戸 日 目
1 0 3
冨)A多くして有るならば︒未然の仮定形V
正 問 ) 己
mo
ユ
g
(
︿司ロ
切戸
一切
い
m p z g
︿dqcuロ
ロ
1 9
ユ聞
記
)A多くして有れば︑多くなって有るの
で︒己然形V
249
'u pU Ea ri bo
0 ( <
wu pu sj a ri bo0 <
wu pu Si ‑a ri po) 0
{ぬ〉必や¥J,̲J例。ν
嶋 崎 付 'かやは ~Y ,_J\J将兵官。 ~Rト.., Q 単{W~主制 4J21 回転:員会〉
長以'摺*高ミヤ!民込)A0。
︒ 目
N
'u pU sa ta 'i (く wupu sj a凶 ri
<
wu pu Si ‑a ta ri<
wu pu Si ‑a 'i tj a ri<
wu pu Si ‑a ri ti ‑a ri (ぬふ拠:::'¥1ト持:::'¥){ぬ Y~きゃい惇や ~Q \J~~ 。ミ主τ己注さ〉'u pu sa ta 'N
( <
wu pu sj a ta mu<
wu pu Si ‑a ta mu<
wu pu Si ‑a 'i tj a mu<
wupu
S i ‑
a ri ti ‑a mu u (点、持弘1ト持鴎){ぬ Y ,_J\J冊。~'々も〉必やド惇やど叫~A0。立て己浮き・童話制浮き〉
'u pu sa ta ru
( <
wu pu吋ata ru<
wu pu Si ‑a ta ru<
wu pu Si ‑a 'i tj a ru<
wu pu Si ‑a ri ti ‑a ru (ぬれ侭:::'¥1ト4写会){ぬY ,̲J¥J拝。記。刑法草ミ〉長以'えまj詳喜三Q同E絵州!時々ゎ。
'u Q pu u Si
( <
wu pu u Si) {心¥J.‑ffぬY ,̲J¥Jム的。 ミ主て日高ミ〉まミ謀議 Q~年廿高さはさ~' ‑Si 浪部[jf杓兵ド{,_J ν ム~} Q~同蛍涜刊誌 Jミ初兵いム ~iミ心, :i~~ Q \g益法三絵 Q~年
4注ミムl.‑ff ‑
s i
冶鞘由史杓兵VJL4」:llぱ¥",・、。'u Q pu u sj u 'i
( <
wu pu u Si ju ri<
wu pu u Si wu ri (~0 血忌) {よJ¥J.‑ffぬY,̲Jν
臨時。総当絵〉
'u Q pu u sj u
' N ( <
wu pu u Si wu mu<
wu pu u Si wu mu u (ぬぶ眼目当){久J¥‑‑'..,d)ぬv,....)¥‑‑'居る
︑
とても多くして居るだろう︑とても多くなって居ると思う︒終止形・推量形V
ピ
ρ
吉 ロ
W Z
(八司ロ同
) C C E )
Aとても多く︒連用形V
ピρ
同 ) 己
G
ロロ(八W
dq
吉g
c r H H
官)Aとても多くして居る︑とても多くして居るので︑とても多く
なって居るが故に︒終止形・具格形V
どρ匂戸口丘ロ
2(
八巧ロ同)ロロ官官E八dq
ZH
)ロロロ
d E E )
Aとても多くして居る︒連体形V
ど
PH
ロロ丘ロ)
gg(
︿司戸田)ロロロ司ロ吋伊豆
)
A未然の仮定形Vとても多くして居るならば︒
那覇方言
島︑
おへ
く︒
﹁お
へく
﹂(
連用
形)
は
52‑g
ま た は 正
2EHの形で表わされていたのではなかろう
琉球請からみた古事記の「芯~J r富」字の音価 ウ フ サ ン
A多い
V
(外間守善﹃おもろ語辞書﹄)
オモ ロ一 詰 台、
与論方言のA多くしているVの意味を表わす終止・具格形の原級や比較級には︑
1 5
官接尾の語形が表
わされている︒これを﹁クシ活用﹂または﹁クシ語法﹂と名付けることも出来よう︒与論方言に見られる
しかし︑与論方言の原形のものは︑古代琉球語や日琉いろいろの活用語形は奈良朝文献には見当らない︒
共通基語には用いられていたと見なければなるまい︒与論方言にのみそれらが用いられている筈はないか
万葉集の﹁意﹂字使用の語形 ら
251
4 2 5 5
ぃ︒の形で発音していたのではあるまいか︒
意 可 志 (五
・八
二ニ
) 意可 志( 置か し) は︑ d g w m F
日目の形で発音していたかも知れぬ︒ 意加米移母(五・八一二)
意加 米( 置か め) は︑
布多都能伊斯乎
都ア
地チ
爾ニ
252
与論方言のものは.ロ町内H
日 目
( 八 三 戸
5
ロ)で用いている︒宗奈波良能意吉由久布禰遠(五・八七四)
意士
口(
沖)
は︑
d q 口広の形を示すものであろう︒与論
d E (八 dg E)
︒首里吋
c c o
日(︿ピE︿肴ロ 矢
口十~
知千ご:
波パ
波パ
b之ヲ
意伎豆(五・八九一)
意伎(位き)は︑
S E
の形を示す例で
あろ
う︒
与論方言ピ
E(
︿
42
5)
意釈都布可延
(五
・八
二ニ
)
意仰
い(
沖)
は︑
dEEの形を示すのであろう︒
国乃意久迦哀(五・八八六)
意久迦(奥底
)は
︑
3 5 5
の形
で
発音していたのだろう︒与論方言の﹁奥
﹂は
︑
c .
E (
八
3 E
﹀
で 表 美ミわ 夜ャし
故コて
摩マい 提デる
ヲ ク タ リ マ ヲ
MVテ意久利摩遠志豆(五・八七六)
意久 利( 送り )は
︑
4 2
‑ g z
の形で発音していただろう︒与論方言では︑どWCユ(︿
d q 戸W
ロユ ) ま
た は
F a ‑
ど‑ (
︿d E E E )
で ︑
の リ カ み シ イ パ
・
ν意乃何身志伊多波斯計躍婆(五・八八六)
吋ロ
E
﹂(
︿正
EZ
︿
dq口
町ロ
ユ)
で︑
表わしているG首里方言は
意 等主乃 利 リ ( 都 ッ 己 都 ァ ) 伎キは
4 2
ロロ︒の形で発音していただろう︒
意比久留母能波(五・八O
四)
意比(追ひ)はの形で発音していただろう︒与論方言
では正日(︿
t q
口︑日
︿司
ロ旬
日)
4 2
宮
し て
志シい却しる
久タ 。
良ヲ
宇知意伎(五・八O
四)
意伎(位き)は︑
dq 己
E
の形を示すのであろう︒佐那周伊多斗乎意斯比良伎(五・八
O四
)
意斯
(押
し)
は︑
d g
ロの形で発音していただろう︒
比等爾週久麻延意余斯遠波(五・八
O四
)
与論方言
ではど官(八司ロロ)
で用いている︒
意余斯遠(老よし男)は︑
4 2
官︒ロ
dq
︒
意保保斯久計布夜須疑南(五・八八四) の形で用いていたかも知れぬ︒
意保保斯久A
ぼんやりと
V
は ︑
4 2
ち 窓 口
E (
︿
t q
c E
宮 口
E )
ポ ポ Y
タ イ プ チ
意保々斯久伊豆知武伎提可(五・八八七)
キの
ヲ ウ モ テ の ウ ベ エ
久礼奈為能意母提乃宇倍繭(五・八
O四
) 意 母 捉
(表
)は
︑
の形で発音していたのだろう︒
d司ロョ︒︒宮(︿当ロ宮口︒宮︿
4 2
5
ロロ江 )
の形で発音していたかも知れぬ︒ で表わ
琉球~aからろえた古事記の rj立J r富」 字の音{曲
万来
253
巻五の﹁母﹂字は﹁毛﹂と区別され︑古事記のものと似ているようであるが︑﹂こにはそれ以上述べない︒
254
与論方言︑ど自己江(八巧ロ自己口広)︑首里方言司口百戸丘(︿司ロ
EC
HH
E)
で︑表わしている︒
ヲ
ウ ヤ の め ヲ ポ リ
意夜能目遠保利(五・入八五)
意夜(親)は︑
4 2
官の形で発音していたのだろう︒与論方言はぜい
p
(︿司口智)で︑首里方
言
は司
c
‑ 9
3
(︿官)で︑表わしている︒ミ
ヤ コ ヲ ミ ム と ヲ ウ モ ピ
Y 7
ヲ ウ モ
京師乎美武等意母比都都::;:意母比都都
は︑司ロ包︒︒立(︿当口百戸︒立)
げ キ
プ奈宜伎布勢良久(五・八八六)
意母比
(思
ひ)
の形で発音していただろう︒与論方言
は︑
正自
民︑
伊 ( ︿
tq
民自己立︿
dq
ロヨロロ旬日)で︑首里方言は吋ロ自民﹂(︿
4 2 5 g E
︿
dq口百回戸立)で︑表わ
して
いる
︒
意母布故我多米(五・八四五)
意母布度知加射之爾斯豆奈(五・八二
O )
意母布(思ふ)は︑当ロ富︒︒
H v g (︿
巧ロ
吉区
︒
H己
)
の形で表わしていたのだろう︒与論方言は正自己正
( ︿
5H
EC
C)
で表わしている︒
迦久斯母何母等音山母間騰母(五・八
O
五)
意母閉(思へ)は
3
目︒
︒
z
o (
︿
4
2 5
︒包
0)
千年爾母何等意母保由留加母(五・九
O
一 ニ )
の形を示すのであろう︒
意母保由留(思ほゆる)は︑
4 2 5
︒︒ 宮 古
2
の形で表わしていたのだろう︒以上の万葉巻五の﹁意﹂字の例は二二の多数に上っている︒巻五以外の万葉集に用いられた﹁青山﹂字に
は次に示す例がある︒
意古都之良奈美(沖つ白波︒十七・三九八九)
意叔都之良奈美(沖つ白波︒十七・三九九二)
意吉麻呂(人名か︒十六・三八二六)
比等欲毛意知受
(十 五・ 三七 三人 )
dq
ロ
2 Nロ
の形で発音していただろう︒意知受AA欠けず︑欠落せずV
は ︑
意保伎美能美己等可之古美(二十・四四O
三︒ 信濃 国防 人)
の形を示すのだろう︒意保伎美
(大
活)
は︑
3
吉区百円(︿3 E E E )
憶障快美乃之許乃美多豆等(一干・四三七三︒下野国防人)
伊能知波意母知知我多米(二十・四四O
二︒ 信濃 国防 人)
意母
(母
)は
︑
35
︒の形で発音していただろう︒ナ タ
ヨ ラ
ヲ
ヲ ウ キ
テ
モ キ ヌ
ヤ ヲ ウ モ
ナ奈苦古良乎意伎豆曾伎怒也意母奈 之爾志豆三十・四四
O
一 ︒
信濃
国防
人)
安必意毛波受安流良牟伎美
乎(
十八
・四
O七
五)
栴柳乎理加謝思底婆意毛比奈美可毛(十七・三九
O五
)
ピ と こ そ パ
ヲ
ウ ポ
ニモイ
パ め
人 社 者 意 保 爾 毛
言口(七・一二五二)
意保AいいかげんなVは者戸旬︒
の形
で
発音していただろ
う ︒
!ki求μ白からみた古事記の『詣~J r笛」宇の古価 255
以上の﹁意﹂字は︑古い形の
¥ 3
¥
のモ
iラを示すものであろう
︒﹁
沖﹂
は︑
42EvgE
V . ︒
256
E
の変化をして︑後世の5 5
が生じている︒
風土記に用いられた﹁意﹂字
の例
意
支都
奈預(沖つ波︒常陸国風土記)
意宇郡(出
雲国
風土記総記)
意宇は︑当戸どの形を示すのだろう︒
ヲウウのヤシゐ意宇社(出雲国風土記意宇郡)
意恵登詔
︑故云意字(出雲国風土記
意宇
都)
ヲウダキのヤNYろ意陀支社(出雲国風土記意宇郡)
意宇
川(出雲
国風
土 記意 宇
郡)
意支部久辰為命(出雲国風土記嶋根郡)
伊
農意
保
須美
比古佐和気能命(出雲
国風
土
記秋鹿
郡)
意美豆努命(出雲国風土記出雲郡)
イヌヲウ
ポ ス 5 . ヒ ヨ サ
ヲ
け の と こ と
伊努意
保須美比古佐
倭気
能命(出
雲国
風土記出雲
郡)
ミのヤγる
意保
美社(出雲国風土記出雲
郡)
意保美小川(向上出雲
郡)
意保美浜(向上出雲
郡)