ジョルジュ・バタイユの思想について : 死の主題 をめぐって
著者 酒井 健
出版者 法政哲学会
雑誌名 法政哲学
巻 3
ページ 21‑32
発行年 2007‑06
URL http://doi.org/10.15002/00007946
ジョルジュ・バタイュ(一八九七‐一九六二)の思想の特徴を、死の主題に注目して、際立たせてみたい。死は、『ランスの大聖堂』二九一八)から『エロスの涙』(一九六二まで、バタイユの生涯を貫く重要なテーマであった。彼の処女作でありカトリック信仰時代二九一四‐一九二四頃)の唯一の作品である『ランスの大聖堂』では、死は、この上なく忌まわしく不幸な事態として、つまり否定されるべき最大の事態として、重要な意味を持っていた。他方、棄教後の彼の文章、そして活動では、死は、生を活
ジョルジュバタイユの思想について
はじめにl死の主題をめぐってI
性化する力として、あるいは活性化した生が行き着く場として、重要な意味を担っていく。後期バタイユの代表作『エロティシズム』二九五七)の「序文」には、のちに有名になった次のような一文が書き込まれている。
細かい指摘になるが、この引用文中の「死におけるまで」言⑫皀①□目の旨己三)は、仏語でよく使われる言い方「死ぬまで」含星貝三回目三)とは違う。仏語の前置詞。gの「において」は場を示しているのであり、単に到達地点を示す 三ロテイシズムとは、死におけるまで生を称えることなのだ」(1)。
酒井健
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前置詞少「に」「ごとは異なる意味合いを持つ。つまりバタイユのこの表現は、死という場においてまでということである。そしてこの場においてまで生が称えられるということは、その場にも、いやその場にこそ、死という場においてこそ、生は存在し、称えられるということなのだ。この場合の死は、したがって、生が混在している暖昧な状況である。そのことを言うためにバタイュは、「部分的な死」、「小さな死」といった表現を用いもした。さらにまた「死なずに死ぬ」という十六世紀スペインの女性神秘家アピラの聖テレジアの言い回しもしばしば援用した。アピラの聖テレジアは、神秘的法悦のさなかの心理を語るためにこのような暖昧な言い方をしたのだが、バタイュは『エロティシズム』第二部の第五論文「神秘主義と肉欲」のなかで性愛に翻弄されているさなかの人の心的状況を説くためにこの暖昧な表現を引き合いに出している。性の「興奮の本質的な一要素は、足場を踏みはずして転覆するという感覚である」としたあと、彼はこう続けている。
「この転覆したいという欲求は、どの人間の内面でも働いているのだが、暖昧である点で、死の欲求とは異なる。たしかにこの欲望は死への欲望であるのだが、しかし同時に可能と不可能の境界で生きようと欲する欲望でもあるのだ。しかも、その境界でどんどん激しさを増してゆ バタイュの思想、とくに棄教後の彼の思想は二つの死の主題によって特徴づけられる。第一の死は、我々が死と言ったときにまず思い浮かべる個体の終焉、絶命である。バタイュは一九六二年七月八日朝に息を引きとったと言うときの死だ。第二の死は、今しがた引用した文章に見られる暖昧な死である。それは、「生きることをやめながら生きたいと欲する欲望」に根差す死であり、「生き続けながら、味わういく くのである。この転覆への欲望は、生きることをやめながら生きたいと欲する欲望であり、生きることをやめずに死にたいと欲する欲望であり、聖テレジアが「私は死なずに死ぬ!」という表現でかなり強烈に描きだした極限的な状態への欲望なのである。もしも私が死なずに死ぬとすれば、それは生きるという条件でのことなのだ。それは、私が生きながら、生き続けながら、味わういくぶんかの死なのである。聖テレジアは転覆したが、しかしじっさいに転覆したいという欲求を持ちながら、その欲望でじっさいに死んだわけではない。彼女は足場を踏みはずしたが、より激しく生きたにすぎなかった。あまりに激しく生きたために、彼女は、自分が死ぬ限界にいると言うことができた。ただしその死は、生を浄化させるだけで、停止させたりはしなかったのである」(2)。
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ぶんかの死」であり、「生を激化させるだけで停止させたりはしな」い死である。この死は生を活性化する。あまりに活性化されて生は日常生活を営めなくなる。この死は暴力的な力ではあるが、殺人とか破壊行為といった動作に直結しているわけではない。定めなく拡散する光の放射のような諸力の群れのことだ。この第二の死は、動作として顕在化しにくい。心理的な体験、バタイュの好んだ言葉では内的体験として感得されるだけである。第一の死の方は事態として明瞭であり、当事者はそれとして意識できないが、第三者にははっきりと認識できる。ただし、たいがいの場合、その光景は、第三者の心のなかに第二の死を引き起こす。驚き、動揺、悲しみによって第三者の生は混乱をきたすのだ。足場を踏みはずして転覆したかのようにである。この二つの死のうちバタイュの思想を特徴づけるのは何といっても第二の死の方であるが、第一の死の主題もバタイュにとって重要であった。とりわけ犠牲(いけにえ)を死に処して周囲の人間の心に第二の死を誘発せしめる供儀のような儀式においては。以下ではこの二つの死を切り離して第二の死のみに着目するということなしに、必要に応じ両者を登壇させながら、検討を進めてゆきたい。死の思想家バタイュの本質的な姿を少しでも明示したいからである。 バタイュの思想の本質的な面が呈示されている著作と言えば、『無神学大全』ということになるだろう。ただしこの著作を構成する三作品『内的体験』(一九四一一一)、『有罪者』(一九四四)、ヨーーチェについて』(一九四五)は、いずれも無秩序な断章形式で書かれているため、彼の思想の本質的な面、核心的な部分を把握するのは容易ではない。「交流」や「非‐知」などの彼の重要概念、「現実」や「世界」などの一般的な概念を彼がどう捉えているか、丹念に調べていくことが必要である。ここではとりあえず「現実」(『&]算3①一)について彼が一一様に捉えていたことを示しておこう。その二つの「現実」は、「不確定な現実」(目の『曾言臼已昌己の)と「推論的な現実」(一の息の三宮巨厨己に代表される。字面を見るときれいな対を成していないが、内容的には両者は対蹴地にある。「不確定の現実」は、『有罪者』の「補遺」にバタイュが収めた断章の一つ「笑いについての二つの断章」の冒頭で、「交流」の概念を説明するくだりに登場する。「現実」、「笑い」、「交流」といった重要な概念の説明を作品の末尾たる「補遺」で試みているあたりに『無神学大全』の無秩序ぶりの一端がうかがえるのだが、それはともかくその冒頭の一 二つの現実
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節を引用しておこう。
「我々は次の二つの交流を区別しておく必要がある。’二人の生存者たちを結合する交流(母親への子供の笑い、くすぐることなど)。l死によって、生存者たちの彼方となされる交流(何よりも供儀においてなされる交流だ可虚無との交流ではない。ましてや超自然の実体との交流でもない。不確定な現実との交流なのだ(私はしばしばこの現実を不可能なものと呼んでいる。というのもこの現実は、いかようにしても把握され(冨四①鄙〔概念として把握され〕)えないものだからであり、我々自身を滅ぼすことなしに触れえぬものだからであり、この現実を神と名づけると隷属を強いられるようになってしまうものだからである)。この不確定の現実は、社会ではじっさい必要に応じて(有限な要素と’一時的にしろI結合しながら)、神だとか聖なるもの(提造された現実だ)として一段階上に(つまり個人の上に、存在者たちの構成のヒエラルキーの上位に)確定されうる。そうでないならば、不確定の状態のままに留まりもしうる(通常の笑いにおいて、無限の笑いにおいて、そして桃惚状態においてlこの状態では神の形姿が水に溶ける砂糖のように溶解する)」(3)。 ここで注目すべきなのは二つめの「交流」である。「死によって、生存者たちの彼方となされる交流」である。この場合の死は、先ほど見た「死なずに死ぬ」と同じで、交流する者の完全なる死のことではない。「存在者たちの彼方」、すなわち「不確定な現実」にしても、交流者という存在者の生から確乎と切り離された死の領域ではない。「我々自身を滅ぼすことなしに触れえぬ」現実とはあるが、我々が死者として確定されることが求められているのではない。本稿の最初に言及した第一の死、この確定的な事態、明白で動かしようのない事態が求められる現実ではないのだ。むしろ第一の死に相当するのは、「神」、「聖なるもの」といった宗教的な概念、つまり不確定なこの現実を様々な教義、教説などの「有限な要素」とむすびつけて「提造された現実」の方だろう。我々諸個人の上位に立って我々の生活を抑圧しかねないこれらの宗教的な概念、とくに「神」は、一九二九年六月の『ドキュマン』誌に発表された論考「唯物論」のなかで「死んだ物質」と同列に置かれている。過去の多くの唯物論者は、観念論に抗して議論を立ち上げたはずなのに、いつしか特定の物質を神のごとく崇め奉るに至ったというのである。『ドキュマン』時代のバタイュ(一九一一九-三一)の考え方に従えば、我々が半ば滅びながら達することのできるこの「不確定な現実」は、生き生きとした力を恐ろしいほどにみなぎらせる「低い質料」、「不
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定形のもの」、「異質なもの」に近いと言える。そして『無神学大全』以降の彼の発想では、この現実は「内在性」と呼ばれ、動きのない確定的な個物の「超越性」と対置され
る。『無神学大全』以降のバタイュは、この現実を「不可能なもの」、「不可能性」とも呼んだ。『有罪者』の「友愛」の章のなかに彼が「不可能性」を持ち出しながら自分の世界観を端的に語っている個所があるので、紹介しておこう。
ここで語られている「隷属で麻癒した実存」とは、「神」などの超越的な概念にただ惰性的に従ってばかりいる人間の生である。生きているというのに、超越的な概念の設定する生の枠組に収まったきりで、すでに死んでしまっているような生である。第一の死に近い死だ。これに合わせて「存在するものの総体」を捉えると、その総体は、死んだよ 「私の考え方は、引き裂かれた神人同形同性論である。私は、存在するものの総体を、隷属で麻庫した実存に還元して同一視しようとは思わない。そうではなく、私は、存在するものの総体を、私という野蛮な不可能性に、つまり自分の限界を避けることができず、さりとて自分の限界に留まっていることもできないという不可能性に、導いていきたいのだ」(4)。 うに動きのない、たとえ動きがあっても既存の枠組の内に収まっているような存在者たちと存在物たちの群れということになってしまうだろう。際立つのはせいぜい個々の存在者相互の、存在物相互の差異ぐらいで、この差異も本質的に静態的で確定的であるから、人間の知的努力によって計測可能になる。場合によっては、人間の能力まで静態的に捉えられ数値で表されて、図表に収められたりランク付けされたりしてしまう。近代科学の発達した社会に見られる差異の人間観、差異の世界観だ。バタイュの見方はこれとは違い、「引き裂かれた神人同形同性論」である。西洋における神人同形同性論の出発点は旧約聖書の冒頭にある「神は神自身に似せて人を創造した」(「創世記」’’二七)だと言ってよい。だがフォイエルバッハ以降の近現代の思想では、人が人自身に似せて神を創造したという捉え方が一般的である。人間に隷従を強いる神は人間自身によって造られたのであり、とすれば結局、神への信仰は神を創造した人間への信仰に帰着してしまう。だからバタイュは『有罪者』のなかでこう明言する。「私は神を信じない。自我を信じないからだ」(5)。「神は死んだ。私は自分を殺すことによってはじめて神の死を理解させることができる。まさしくそこまで踏み込んだところで、神は死んだ、と言っているのだ」(6)。ここで注意すべきなのは、「自我を信じない」、「自分を
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殺す」とは書いていてもバタイュは完全にはそうしていないということだ。「自分の限界を避けることができない」と先の引用文にあったことを想起しよう。自分の限界とは自我の限界のことである。顔や身長のように目には見えないが、各人の自我は限界をそれぞれに与えられていて、差異を呈している。人間は個として生き延びていくためにはこの自我の限界を大切に保持していかねばならない。バタイュもそうする。しかしそれに甘んじ続けることができずに、自我の限界を半壊状態へ追い込むのだ。死なずに死んで、自我の限界を引き裂き、その限界線上から外に向け定めなく広がる「不確定な現実」を生きるのである。限界を引き受けつつも、それに耐えられずにいる無数の存在者たち、存在物たちの現実と交わるのである。ところでバタイュは、自我をデカルトのように「考えるもの」としてのみ捉えてはいなかった。自我は理性的な思考と理性的な言語活動を営む。そうして「推論的な現実」を築くと彼は見ていた。自分の思想史上の意義は、この現実の消滅とそれに伴う光芒を記したことにあると彼はいささか逆説的に認識していた。
「私が導入した思考の仕方で重要なのは、何かを言い切ったということではない。私が語ること、それを私は確かに信じている。だが私のなかには、断言がもうしばら ここで使用されている形容詞「推論的な」は仏語のsm2『塁の訳語で、論理を推し進めるというのが原義である。バタイュにおいては、論理的な思考と論理的な言語表現の二つを含意する形容詞になっている。この形容詞の出自は名詞sm8員⑫(ディスクール)で、バタイュはこの名詞を用いるときには、論理的な言語表現という意味に解している場合が多い。邦訳ではたいがい言説という訳語があてられている。それはともかく、「推論的な現実」とは、個人なり集団なりが、生存していくのに必要な事物や状況の創造を目的に設定し、その目的の実現のために論理的な思考と論理的な言語表現を駆使して行動している現実のことだ。一言で言えば合理的な現実のことで、近代市民社会の基底になって くたつと消えてなくなるのを欲する動きがあるのだ。私はそのことを知っている。もしも思想史のなかに私を位置づける必要がでてくるのだとしたら、それは、思うに、私が、《推論的な現実の消滅》の様々な現れを、我々人間の生のなかで識別したということにある。そしてまた、これらの現れの記述から、消えゆく光を呈示したということにある。この光はたしかに目をくらませるほどのものだ。しかしこの光は夜の不透明さを予告してもいる。いや夜だけを予告している」(7)。
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いる。我々はこの目的を同時に幾つも持っているが、バタイュが問題にするのはこの目的とその実現に向かっている人間との関係である。すなわち未来時に設定されている目的が主人になり、その実現に向けて努力している人間がこの主人の奴隷に堕している状況だ。先に触れた神と人との間の主従関係と相同のものを、バタイュはこの未来時の目的と現在時の人間の間に見ている。神とは各人が抱え持つ目的のことでもあり、バタイユの無神学とはこの目的からの解放を説く思想でもある。ただしこの場合の「神の死」すなわち「推論的な現実の消滅」、詳しく言えば未来時の目的の死は、けっして第一の死のような完全な死ではなく、第二の暖昧な死のことである。無神論の難しさは、神はいないと言い切ってしまうと、その断言が一つの超越的な価値になり、神のごとく隷従を強いるようになってしまうことだ。バタイュの無神学においては、神は死なずに死ぬ。神の創造主たる自我が死なずに死んでいくのと同様に。「推論的な現実の消滅」をもたらす第二の死の行為としてバタイュが注目していたのは、笑いや涙の情動的行為、エロティシズム、詩や絵画、音楽などの芸術の創造的行為およびその成果の鑑賞、供儀に特徴づけられる宗教的な祭儀などである。これらにおいては、現在時は未来時への隷属的な関係から解かれて、「不確定な現実」へ開けていく。 この現実は。共時的な現在として定めなくどこまでも広がっている。この地上に留まらず、銀河系の果てまで続くとバタイユは見ていた。そしてこの定めない現実は、彼によれば刻一刻、行方も定まらずただ万物を滅ぼしたり生んだりしながら浩々と流れる巨大な動きなのであり、このヘラクレイトス的な生滅流転の動きこそ「時間」に他ならない。我々が誕生したときから我々を日々徐々に死なしめてゆき、ついには完全に滅ぼしてしまう流れ。第一の死と第二の死でこの世の生物を翻弄し続ける巨大な「時間」の流れ。「推論的な現実の消滅」は、数値で表示される狭い時間軸からいつとき人を解き放って、この大きな「時間」に導く。バタイュが棄教後の思索において次々に繰り出していった重要な概念「低い質料」、「異質なもの」、「非‐知の夜」、「至高性」等々はいずれもこの大きな「時間」への開けを内実にしていたと言ってよい。
先の引用文によればバタイユは、「推論的な現実の消滅」の様々な現れを記述し、その記述から光を呈示した(ただしその光は永遠の光ではなく、夜を予告する消えゆく光だ)ことに自分の思想史上の存在意義を見出していた。解体されていくにせよ言語による表現を彼は思想の重要な主題と 二死とディスクール(言説)
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みなしていた。彼以前の大方の思想家、哲学者は、思想の表現を思想の下位に見て、単なる伝達手段とのみ捉えていたのに対し、バタイュはそれを思想と分かちがたい、そして同等の意義を持つ問題だと考えていた。バタイュがそのような考えに至った背景にはアレクサンドル・コジェーヴの影響が少なからずあったと思われる。コジェーヴは一九一一一一一一年から三九年までパリの高等研究院でヘーゲルの『精神現象学』を講義したが、彼はそのなかでギリシア語のロゴスの仏語訳としてディスクール(言説)を持ち出し、これを多用しながらヘーゲル哲学の特徴を際立たせていった。バタイュは一九三四年からコジェーヴの講義に出席したとされているが、一一一一一一年から一一一四年にかけての講義の最後二回において、つまりのちにレイモン・クノーが編纂し、出版した講義録『ヘーゲル読解入門』二九四七)では「ヘーゲルの哲学における死の観念」と題されたその二回の講義においてコジェーヴが紹介した『精神現象学』「序文」の次の一節はとくにバタイュに強い衝撃を与えた。
「《精神》の生は死を前にして怖気づき、死の破壊から身を守る生ではなく、死に耐え、死のなかに自らを維持する生なのである。精神は絶対的な引き裂きのなかに自分自身を見出してはじめて自分の真実を手に入れるので この文章をバタイュはたいへん好み、小説『マダム・エドワルダ』(一九四二のエピグラフに採用しているし、論文「ヘーゲル、死と供儀」二九五五)では「最も重要なテクスト」として紹介している。なかんずく「引き裂き」(独語で凶①ヨ闇の弓の】(、仏語訳で急&言曰三)はバタイュの偏愛した言葉で、「引き裂かれた神人同形同性論」をはじめ随所で用いられている。だがバタイュは、ヘーゲルの《精神》が経験する引き裂きと自分が体験する引き裂きとは根本的に異なると見ていた。ヘーゲルが語る引き裂きは、ディスクールそれ自体には向けられておらず、「推論的な現実」は温存されていると捉えていた。じっさい、この引き裂きは、悟性によって引き裂かれるのであって、悟性それ自体を引き裂いているのではない。今引用した『精神現象学』の文章は、「分離の活動は悟性の力であり労働であり、悟性は最も驚嘆に値する威力、最大の、絶対的な威力を有する」という書き出しで始まる段落のなかにある。そしてコジェーヴはこの段落を次のように解釈するのだ。すなわち「明らかに《悟性》はここでは人間における真に人間的なもの、人間に特有のものを意味している。というのも人間を動物および物体から分かつのはデイスクールであるからだ」。さらにコジェーヴはこう続 ある」(8)。
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ける。
「悟性の活動、すなわち人間の思考は本質的にはディスクールである。人間は、稲妻のように一瞬にして現実の全体を明示するのではない。ただ一つの概念用語でこの全体を把握するのではない。孤立した語句、部分的な言説をつないで、この全体の構成要素を一つ一つ明示していくのだ。この現実の全体からその構成要素を分離させることによって、そうすることができるのである。全体的に、さらには同時的にすら存在している現実を明示できるのは、もっぱら時間の経過のなかで展開される人間のディスクールの総体だけなのである。ところで本来はこれらの要素は、それらが構成する全体から分離しえないものなのだ。というのもこれらの要素は、断ちがたい空間上と時間上の絆、さらには物質上の絆によって相互に結ばれあているからである。したがってそれらを分離するということは、まさに《奇跡》なのであり、それを行う威力は《絶対的》と呼ばれるにふさわしいのである。ヘーゲルが念頭に置く悟性の絶対的な力、威力は、結局のところ、人間のなかに見出せる抽象の力、威力にほかならない」(9)。
ヘーゲルの《精神》は、或る特定の人間、事物を、それ らがもともと存在していた現実界から切り離し、単体として抽出する。現実界との紐帯を断たれたそれら人間や事物は死の危機にさらされる。同じことは《精神》自身にも言える。コジェーヴが強調してやまなかったのは、ヘーゲルの《精神》の経験が対他的だけでなく対自的でもあったことだ。つまり《精神》は自分の外部に存在する人間や事物に働きかけるだけでなく、自分自身にも働きかけるということである。「自己意識」の経験だということだ。じっさい《精神》自身も、それまで安住していた現実界から自分を切り離すという死の危機を経験することになる。「絶対的な引き裂き」とはこの《精神》自ら経験する死の危機のことにほかならない。だがバタイュからすると、この「引き裂き」はいささかも絶対的ではなく、不徹底のそしりを免れない。「死なずに死ぬ」の極限的な暖昧さ、つまり矛盾する心理が交錯する「不確定な現実」に到達していないからだ。論文「ヘーゲル、死と供儀」のバタイユによれば、供儀は古今東西の多くの人々によって挙行されてきたが、ヘーゲルよりずっと素朴なそれら多くの人々の方が「不確定な現実」を生きていた。
「ヘーゲルの姿勢は、供儀の素朴さに、学問的な意識を、そして論理的な思考の際限のない整合的構成を、対置させているが、しかしじつのところこの学問的な意識、こ
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の整合的構成は、盲点をまだ一つ抱え持っている。〔……〕ヘーゲルは、供儀がそれだけですでに死の運動の全体を表していることを見て取らなかったのだ。それだから『精神現象学』の序文に描かれた最終的なIそして《賢者》に固有のl経験〔先に引用した死の経験〕が何よりも始源の、そして普遍的な経験になってしまったのである。言い換えれば、それだからヘーゲルには、自分がどの程度正しいのか分からなかったのである。自分がどの程度正しく《否定作用》の内的な運動を描いているのか分からなかったのである。ヘーゲルは、死を悲しみの感情から明確に切り離すことができなかったのだ。素朴な体験は、死の悲しみの感情に、様々な感情を回り舞台のように次々対置させているというのに」(10)。
「ヘーゲルにとって死は一義的な性格を帯びているのだが、まさにそれ故にコジェーヴは次のような注釈を書く気になったのだった。注釈の対象になっているのは、相変わらず、先に引用した『精神現象学』の序文の一節である。「たしかに死についての考えは、《人間》の安らぎを増加させることはないし、《人間》を幸福にもしないし、《人間》にいかなる喜びも与えない」」(1)。
ヘーゲルの《精神》が経験する死は、悲しみとして一義 的に確定されている。だから静態的な物体のごとく、統合をめざす弁証法の次の行程に難なく組み込まれてしまうのだ。悟性の否定作用によって死の危機が生じても、「概念による把握(百m旦諒目)」という悟性が理性と共有する作用そのものが危機にさらされていないために、この死の危機は概念化可能な一義的な事態として受け止められ、次の理性による否定作用、統合をめざす作用に取り込まれていってしまうのである。コジェーヴは、ヘーゲルのこの弁証法の全体を「行動(胃言ロ)」と言い、また「ディスクール(言説)」と呼んだ。「行動」は人類の社会的な進歩を念頭に置いて用いられたコジェーヴ独特の概念であり、この進歩の完遂すなわち人類の歴史の終焉のときに生じるのが、コジェーヴによれば「階級差のない世界普遍的な国家」であり、またコフィスクール」が完了したときに生じるのが「作品」と彼が名ざす文化的所産であった。バタイュはコジェーヴの「歴史の終焉」説を批判するとともに、自らの著作を「作品」という完了態にすることを拒んだ。彼の著作とりわけ『無神学大全』は、整合的な構成から程遠い、無秩序な断章の連なりである。この表現の無秩序は、バタイユが思想の表現を思想の内容と同等のものと考えていたことによる。コジェーヴにおいてディスクール(言説)が悟性および理性による論理的思考と一体に
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なっていたのと同じに、バタイユにおいてはデイスクールの解体は彼の思想の内容たる「内的体験」の「不確定な現実」に対応していた。「いかようにしても把握され(ずの、己津〔概念として把握され〕)えない」現実に対応していた。この現実においては、死の危機は悲しみとしてだけでなく、陽気さ、軽快感、性的官能等々の多様な心的現象を引き起こす。この現実は、人類の「様々な、気まぐれ、嘘、苦悩、笑いからなるシェークスピア風悲喜劇的総和」T2)をかいま見せる場であり、人間の相矛盾する情動が激しく交錯してスパークする光の場である。この光り輝く人間性の舞台は、「内的体験」が終わるとともに消えてゆく。それに反して文字となった表現はいつまでも残ってしまう。「推論的な現実の消滅の様々な現れ」を「消えゆく光」として記述したとバタイユは書いているが、これはそのように読んでほしいという読者への要請だろう。バタイュと、いやバタイュの見た「不確定な現実」とコミュニケートしたことのある読者、つまり芸術やスポーツ、祭りなどの非生産的な群衆行為、性の活動さらには旅先や散策の途次における風景との出会などを通して「推論的な現実の消滅」を何らか体験したことのある読者の友愛に期待しているのである。 バタイュは、事実上、「消えゆく光」にはならないと知りながら著作や論文を多く残したが、彼の執筆の動機は、結局、「死なずに死ぬ」という極限的な暖昧さ、「不確定な現実」の強烈で広大な生命の広がりを読者とともに生きたいという交流への欲求にこそあったと言ってよい。中世や先史時代へのノスタルジーに駆られていたのではない。直接的な自然性、動物性への回帰をめざしていたのでもない。あるいは逆に近代の合理主義を徹底的に生き抜いて非近代へ出て行くことを夢想していたのでもない。人間は、いかなる文明の状態にあっても、生き延びていくという要請を抱え持ち、これを推論的な思考と表現に訴えて実現していく。バタイュは、何らか超越的な概念に縛られるこの推論的な生の可能性とは別の生の可能性、すなわち生き延びていくという要請とは矛盾しているためにとりわけ近代人から看過されがちな生の可能性を示し、それを読者とともに生きたかったのだ。死に達することなく死に接近して切り開かれる広大で強く脈打つ生の地平、それを、誰でもいい不確定な読者と生きたいと欲していたのである。 むすびにかえて
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