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カノッサ像転換の可能性(一)

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(1)

カノッサ像転換の可能性(一)

著者 井上 雅夫

雑誌名 文化學年報

号 60

ページ 1‑34

発行年 2011‑03‑15

権利 同志社大学文化学会

URL http://doi.org/10.14988/00027659

(2)

カノッサ像転換の可能性(一)

著者 井上,雅夫

雑誌名 文化學年報

号 60

ページ 1‑34

発行年 2011‑03‑15

権利 同志社大学文化学会

URL http://doi.org/10.14988/00027659

(3)

カ ノ ッ サ 像 転 換 の 可 能 性

%

井 上 雅 夫

は じ め に カノ

ッサ 城の 門の 前で 悔悛 し赦 免を 請う ハイ ンリ ヒ四 世の 姿ほ ど︑ 中世 史の 中で 人々 の記 憶の 中に 今日 まで 深く 刻 み 込ま れた 事件 はな いで あろ うと 言わ れて いる

!

︒こ のカ ノッ サ事 件は

︑一 八七 二 年 の 帝国 議 会 での 例 の ビス マ ル ク の 発言

││

﹁ 我々 はカ ノッ サへ 行か ない

︑身 も心 も﹂

││ をき っか けに

"

︑特 にド イ ツ で 中世 史 の 中で 最 も 活発 に 論 じ ら れ研 究さ れて きた

︒ 最近 もハ イン リヒ 四世 の没 後︵ 一一

〇六 年︶ 九百 年と 神聖 ロー マ帝 国崩 壊後

︵一 八〇 六年

︶二 百年 とい う節 目の 年

︵二

〇六 年

︶が 重 なる 中 で︑ こ れ を記 念 す る展 覧 会 が開 か れ︑ 各 種 の論 文 集 が出 さ れ た#

︒ この 点 で は︑ カ ノ ッ サ 事 件や 当事 者の ハイ ンリ ヒや グレ ゴリ ウス 七世 につ いて 種々 な再 検討 がな され

︑新 たな 解釈 や見 解も 生ま れつ つあ る と 見て もよ いの であ る︒ しか し一 方で この 十年 余り の多 数の 著作 や研 究論 文の 出現 にも 拘ら

$

︑相 変 ら ず従 来 の︑ い わば 型 に はま っ た 通 俗 的な 見方 も依 然と して 根強 いの であ る︒ 現に 右の カノ ッサ 事件 を記 念す る展 覧会 の名 称も

︑こ れに 関連 して 出さ れ

― 1 ―

(4)

た 記 念 論文 集 の 題名 も

︑﹁ カ ノ ッサ

││ 世 界を 揺 る がし た も の﹂ であ っ た!

︒こ の 論文 集 中 のシ ュ ナ イト ミ ュ ラ ー の 論 でも

︑﹁ ハ イン リヒ は彼 の敵 に最 もひ どく 追い 詰め られ て 最 も卑 屈 な 態度 で

︑彼 の 最 大の 敵 で ある グ レ ゴリ ウ ス に 屈 服し た﹂ と書 いて いる

"

︒ この よう に現 在で も︑ カノ ッサ 事件 を世 界│

│と 言 っ ても ヨ ー ロッ パ 世 界 であ る が│

│を 揺 る がし た 事 件 とし て

︑ 歴 史の 転換 期と して 過大 に評 価す る見 方が 根強 いの であ る︒ 一面 では 今だ にビ スマ ルク 的な カノ ッサ 像に 呪縛 され て い ると も言 える ので ある

#

︒筆 者は 以 前 にカ ノ ッ サ 事件 に 関 連し て 幾 つか 小 論 を 書い た が$

︑ そ こで 不 十 分な が ら 指 摘 した 問題 点は 今で も変 って いな い︒ 最近 パー ペも

︑カ ノッ サに はド イツ 人の 記憶 の中 で皇 帝権 に対 する 法王 権の 勝 利 が結 びつ けら れて いる が︑ ハイ ンリ ヒが 最後 は勝 利に 留ま り︑ 彼を 皇帝 に戴 冠し た対 立法 王を 立て たこ とや

︑グ レ ゴ リウ スが 亡命 のう ちに 亡く なっ たこ とは 記憶 から は欠 落し

︑カ ノッ サは ハイ ンリ ヒの 戦術 的な 勝利 であ った にも 拘 ら ず︑ 近世 以来

︑宗 教権 力に より 世俗 権力 が屈 服さ せら れた こと への 符号 とな った と述 べて いる

%

︒ しか しこ んな 中で 三年 前に 発表 され たフ リー トの 論文 は大 変注 目す べ き も ので あ る&

︒ 彼 は︑ 年代 記 等 の史 料 の 著 述 の元 にな って いる 人間 の記 憶と いう もの が︑ 大変 不確 実な もの で︑ 決し て客 観的 に正 しい もの とし て信 頼し えな い こ とを 先ず 論じ

︑こ こか ら従 来の 研究 でほ ぼ確 実と され てき た史 料に つい ての 再検 討を 求め てい る'

︒ この 点で カノ ッサ 事件 に関 して も︑ フリ ート は︑ 従来 中心 的な 史料 とさ れ て きた ラ ン ペル ト の 記述 そ(

のも の に 大 き な疑 問を 出し てい る)

︒ この 事実 記載 が問 題で ある ばか りか

︑こ れを 重ん じる 余 り 従 来無 視 な いし 軽 視 され て き た 他 の史 料に つい て︑ フリ ート は逆 にむ しろ 記憶 とい う点 から ラン ペル ト以 上に 信頼 しう る可 能性 のあ るも のと して 注 目 し

︑こ れ らの 史 料 との 総 合 的 な判 断 で︑ カ ノッ サ 事 件の 経 過 そ して そ の カノ ッ サ 像へ の 転 換 を求 め て い る の で あ る*

カノッサ像転換の可能性+ ― 2 ―

(5)

フリ ート は特 に一 九〇 六年 に発 見さ れた

﹁ケ ーニ ヒ ス ベル ク の 断片

﹂︵ 以 下︑

﹁ 断片

﹂と 表 示︶ に 注目

#

︑こ れ が 今 日も 重要 な文 献と され るク ノー ナウ の研 究で はま だ知 られ てい なか った こと を重 視し てい る︒ この

﹁断 片﹂ を重 要 で かつ 不可 欠な 史料 と見 るな ら︑ クノ ーナ ウに よっ て出 され

︑今 日も 概 ね 支持 さ れ︑ 研 究の 方 向 を決 定 し て いる

$

歴 史 像は 大き く揺 らぐ こと にな るの であ る%

︒ もう 一つ フリ ート が強 調し てい る点 は︑ カノ ッサ 事件 が当 時の 人々 にと って 思い 出さ れる 事件 では なく

︑む しろ 前 年 の一

〇七 六年 のハ イン リヒ への 破門 など の処 罰が 記憶 され たこ とで あ る&

︒フ リ ート は

︑ビ ス マル ク 以 前は カ ノ ッ サ は歴 史的 な記 念の 場︵ いわ ば名 所︑ 旧跡

︶で はな かっ たと して いる

'

︒ フリ ート は結 論的 に︑ カノ ッサ は歴 史が まも なく あっ さり と忘 れて いく エピ ソー ドで あっ たし

︑世 界を 揺る がせ も し なか った し︑ 転換 点を も意 味し なか った と述 べて いる ので ある

(

︒既 にブ ラ ッ ク マン が

︑カ ノ ッサ 事 件 の前 の ト リ ブ ール 会議 につ いて

︑絶 望し たド イツ 王の 姿を 歴史 から 消さ ねば なら ない と 述 べ てい た こ とは

)

や は り カノ ッ サ に つ いて も言 える ので あり

︑今 あら ため てフ リー トの 問題 提起 を手 掛か りに して

︑カ ノッ サ事 件に つい て考 える 価値 が あ ると 思わ れる ので ある

! 注

Canossa1077ErschütterungderWelt.Geschichte,KunstundKulturamAufgangderRomanik.

︵hg.v.C.StiegemannundM.Wem-

hoff.2006

︶︵ 以 下CA と 略 す

︶deSr.begeuseraHrtBd.wororV.aysssEI..12.

も っ と も

﹁ 人 々 の 記 憶

﹂ と い っ て も

︑ 特 に ド イ ツ 人 で あ り

︑ し か も 後 述 の ビ ス マ ル ク の 発 言 以 降 の 人 々 と 言 う べ き で あ ろ う

"

拙 稿

︑﹁ カ ノ ッ サ 事 件 再 考

﹂︑

︵ 人 文 学

︑ 第 百 四 十 五 号

︑ 昭 和 六 十 三 年

︶︑ 二 十 頁

︒ 但 し パ ー ペ は

︑ ビ ス マ ル ク の 発 言 の 数 年 前

︵ 一 八 六 八 年

︶ に オ ー ス ト リ ア の 議 会 で の ア ウ エ ル ス ペ ル ク の ビ ス マ ル ク と 同 様

― 3 ― カノッサ像転換の可能性*

(6)

な 背 景 で の カ ノ ッ サ に つ い て の 発 言 が

︑ ビ ス マ ル ク の 言 葉 に 影 響 を 与 え た と 見 て い る

M.Pape,

” Can

ossa“−eineObsession?MythosundRealität.

︵ic54.,aftchensissswhtchZeesGrfütrifchits2006.

︶S.566−567.

!CA.Bd.II.Katalog.

︵2006

VomUmbruchzurErneuerung?Das11.undbeginnende12.Jahrhundert−PositionenderErforschung.HistorischerBegleitbandzur

AusstellungCanossa1077.

︵hg.v.J.JarnutundM.Wemhoff.2006

HeiligesRömischesReichDeutscherNation962bis1806.VonOttodemGrossenbiszumAusgangdesMittelalters.

︵hg.v.M.Puhle

undC.−P.Hasse.2006

︶Essays.ibid,Katalog.

︵2006

S.Weinfurter,CanossaDieEntzauberungderWelt.

︵2006

G.Althoff,HeinrichIV.

︵2006

T.Struve,SalierzeitimWandel.ZurGeschichteHeinrichsIV.unddesInvestiturstreites.

︵2006

J.Laudage,DieSalier.DaserstedeutscheKönigshaus.

︵2006

"

H.E.J.Cowdrey,PopeGregoryVII1073−1085.

︵1998

I.S.Robinson,HenryIVofGermany.1056−1106.

︵1999

U−R.Blumenthal,GregorVII.PapstzwischenCanossaundKirchenreform.

︵2001

S.Bagge,Kings,politics,andtherightorderoftheworldinGermanhistoriographyc.950−1150.

︵2002

TheRegisterofPopeGregoryVII1073−1085.AnEnglishTranslation.

︵tr.by.H.E.J.Cowdrey.2002

S.Weinfurter,DasJahrhundertderSalier.

︵2004

SalischesKaisertumundneuesEuropa.DieZeitHeinrichsIV.undHeinrichsV.

︵undr,rtefueinWS.rhg.lemülidhneScB.v.2007

DieSalier,dasReichundderNiederrhein.

︵hg.v.T.Struve,2008

HeinrichIV.VorträgeundForschungenLXIX.

︵hg.v.G.AlthoffundKonstanzerArbeitskreisfürmittelalterlicheGeschichte,2009

#CA.

同 様 に 一 般 読 者 向 け の ヴ ァ イ ン フ ル タ ー の 著 作 で も

︑ 第 一 章 が

﹁ カ ノ ッ サ

│ 世 界 を 揺 が す 事 件

﹂ と い う 題 名 と な っ て い る

S.Weinfurter,op.cit.,Canossa.

$B.Schneidmüller,Canossa−DasEreignis.

︵CA

︶S.36.

カノッサ像転換の可能性% ― 4 ―

(7)

彼 は ま た

︑﹁ 王 は 外 で こ ご え

︑ 法 王 は 暖 か に 城 の 中 で 王 を 待 た せ る

︒ こ れ ほ ど 勝 者 と 敗 者 の 関 係 を は っ き り 示 す も の は な い

﹂ と 通 俗 書 的 な 表 現 を し て い る

︒ さ ら に 彼 は

︑ カ ノ ッ サ で

﹁ 世 界 と 教 会 の 統 一 の 夢 が 破 ら れ た

﹂ と か

︑﹁ 時 代 の 転 換 点

﹂︑

﹁ カ ノ ッ サ 城 で の 象 徴 的 な 行 為 の 中 で

︑ 諸 秩 序 の 変 化 が 見 ら れ た

﹂ と 述 べ て い る

︒ibid,S.36.

"

ブ ラ ッ ク マ ン も

︑ 中 世 の 当 時 の 人 々 が

︑ ト リ ブ ー ル や カ ノ ッ サ を 後 代 に 見 ら れ る よ う に は 見 て い な い と 強 調 し て い る

A.Brackmann,Tribur.

︵CanossaalsWende.hg.v.H.Kämpf

│ 以 下CW.

と 略 す

1969

︶S.185.

# 前 注

︑!

︑ 拙 稿

︑﹁ ハ イ ン リ ヒ 四 世 に つ い て

│ ヴ ォ ル ム ス 会 議 と そ の 後 を め ぐ っ て

﹂︵ 文 化 学 年 報

︑ 第 三 十 五 輯

︑ 昭 和 六 十 一 年

︶ 拙 稿

︑﹁ ハ イ ン リ ヒ 四 世 と ト リ ブ ー ル 会 議

﹂︑ )︑

︵ 文 化 学 年 報

︑ 第 三 十 六 輯

︑ 昭 和 六 十 二 年

︶ 同

︑*

︑︵ 人 文 学

︑ 第 百 四 十 四 号

︑ 昭 和 六 十 二 年

$M.Pape,op.cit.,S.550−551.

%zuralyan−ErinnerungsdurchirklichkeitWitteJ.chrSCanossa.vonaktPDerFried,se.

︵DieFaszinationderPapstgeschichte.hg.v.W.

HartmannundK.Herbers.2008

︶︵ 以 下J.F.

と 略 す

︒︶

&

J.F.S.133−143.

フ リ ー ト は

︑ こ の 点 で 従 来 の 歴 史 研 究 に 欠 け て い る こ の 記 憶 に つ い て の 医 学 的 な 問 題 も 含 め て

︑ 他 の 諸 学 問 と の

︑ い わ ゆ る 学 際 的 な 研 究 の 必 要 を 論 じ て い る

J.Fried,DerSchleierderErinnerung.

︵2004

︶ 参 照

︒ ' 上 記 の カ ノ ッ サ 記 念 論 文 集 の 序 文 も

︑﹁ ラ ン ペ ル ト に よ っ て 非 常 に 印 象 的 に 描 か れ る カ ノ ッ サ 行

﹂ と 述 べ て い る

CA.Vorwort.S.12.

LampertvonHersfeld,LampertimonachiHersfeldensisAnnales.

︵utschdesteicheschGendeAurzuellenQulteewähsgMittelalters.

Bd.XIII.1973.

│ 以 下AQ と 略 す

︒︶

︵ 以 下LA と 略 す

︒︶ ( ラ ン ペ ル ト に つ い て は

︑ ラ ン ケ の 批 判 的 な 研 究 に よ っ て

︑ そ の 党 派 的 に 偏 っ た 記 述 に つ い て は 既 に 論 じ ら れ て き た の で あ る が

︑ フ リ ー ト は

︑ ラ ン ケ の 批 判 は あ く ま で ラ ン ペ ル ト の

﹁ 政 治 的

﹂ な 諸 判 断 へ の 修 正 で 終 っ て お り

︑ ラ ン ペ ル ト の

﹁ 事 実 の 記 載 と 思 わ れ て い る も の

﹂ へ は ふ れ て い な い と し

︑ こ の 傾 向 は ラ ン ケ 以 後 の ギ ー ゼ ブ レ ヒ ト な ど の 研 究 者 も

︑ ラ ン ケ に こ の 点 で は 一 般 に 従 っ て い る と 批 判 し て い る

J.F.S.197.Anm.130.

フ リ ー ト は

︑ 重 要 な 研 究 文 献 で あ る マ イ ア ー

・ フ ォ ン

・ ク ノ ー ナ ウ の ラ ン ペ ル ト 利 用 の 問 題 点 も 指 摘 し て い る

― 5 ― カノッサ像転換の可能性)

(8)

ibid,S.157−158.G.MeyervonKnonau,JahrbücherdesdeutschenReichesunterHeinrichIV.undHeinrichV.

︵1894,1964

︶II.

︵ 以 下M.v.K.

と 略 す

︒︶ も っ と も 既 に ブ ラ ッ ク マ ン も

︑ カ ノ ッ サ 事 件 な ど に 関 連 す る 三 つ の 主 な 史 料 を 問 題 と し

︑ と く に ラ ン ペ ル ト は 信 用 で き な い こ と を 論 じ て い る

A.Brackmann,op.cit.,S.184−185.

A.Brackmann,HeinrichIV.undderFürstentagzuTribur.

︵HistorischeVierteljahrschrift.XV.1912

︶S.155−156.

!J.F.S.191−195,197.

"

O.Holder−Egger,FragmenteinesManifestesausderZeitHeinrichsIV.

︵NeuesArchiv.31.1906

︶︵ 以 下

﹁ 断 片

﹂ の 本 文 を 引 用 す る 場 合 はFR.

と 略 す

︒︶

#J.F.S.157−158,163,169,172,194.

ク ノ ー ナ ウ は

︑ 今 日 で も ほ ぼ ど の 研 究 者 に よ っ て も

︑ 根 本 的 基 本 的 な 研 究 文 献 と し て 常 に 参 照 さ れ て い る

R.Schieffer,GeroldMeyervonKnonausBildvonHeinrich.

︵HeinrichIV.op.cit.,

︶S.74−75,79,82.

T.Struve,HeinrichIV.−HerrscherimKonflikt.

︵VomUmbruch.op.cit.,

?itsnSachsen.FreihekatmpfoderAdelsrevoltedemieinIV.Becher,DieAusandeMrsetzungHeinrichs. ︶S.55.

︵VomUmbruch,op.cit.,

S.357.

﹁ 断 片

﹂ が 発 見 さ れ た の は

︑ ク ノ ー ナ ウ の 著 作 の 十 年 余 り 後 の こ と で あ っ た

$J.F.S.163.

但 し こ の 点 は 特 に 後 述 の ア ウ ク ス ブ ル ク の 会 議 の 日 時 の 問 題 な ど で 言 え る こ と で

︑ ト リ ブ ー ル 会 議 の 内 容 や 経 過 に つ い て は

︑ こ の

﹁ 断 片

﹂ は こ れ ま で も ク ノ ー ナ ウ 以 後 の 研 究 者 た ち に よ っ て も

︑ 本 文 で も 見 る よ う に

︑ よ く 利 用 さ れ て い る

A.Brackmann,op.cit.,Tribur,S.218−220.

参 照

%J.F.S.197.

王 へ の 処 罰 に は

︑ 破 門 の 他 に

︑ 王 権 停 止

︵ 罷 免

︶ と 王 の 臣 下 の 王 へ の 忠 誠 誓 約 の 解 除 が あ っ た

DasRegisterGregorsVII.hg.v.E.Casper.

︵MGH,Epp.sel.1920

︶︵ 以 下Reg.

と 略 す

︒︶ 実 際

︑ こ の 点 を は っ き り と 示 し て い る の が

︑ 当 時 の ボ ニ ー ツ ォ や 十 二 世 紀 の オ ッ ト

・ フ ォ ン

・ フ ラ イ ジ ン グ の 記 述 で あ る

Bonizo,Liberadamicum.

︵MonumentaGregoriana,1865,1964

︶S.670.

カノッサ像転換の可能性& ― 6 ―

(9)

OttovonFreising,ChronicasiveHistoriadeduabuscivitatibus.

︵übersetztv.A.Schmidt.AQ.Bd.XVI.1974

︶S.490−491.

#J.F.S.197.Anm.129.

前 注

︑"

︑ 参 照

$ibid,S.197.

但 し 従 来 の カ ノ ッ サ 像 へ の 疑 問 は

︑ 既 に ゲ ー ツ や エ ル ケ ン ス に よ っ て も 出 さ れ て い る

ibid,S.197.Anm.131.

シ ュ ナ イ ダ ー も

︑ ハ イ ン リ ヒ 個 人 に 関 し て も

︑ 王 は 法 王 の 罰 令 権 の 承 認 に よ っ て

︑ 彼 の 支 配 権 へ の

﹁ 神 の 恵 み

﹂ へ の 信 仰 が 打 撃 を 与 え ら れ た と は 見 ず

︑ 王 権 の 聖 別 に よ る 秘 跡 上 か ら の 正 当 化 を し っ か り と 把 持 し て い た こ と

︑ さ ら に カ ノ ッ サ で の 悔 悛 も

︑ こ の 理 解 に 何 ら 害 を 与 え ず

︑ そ れ は 依 然 と し て カ ノ ッ サ 後 の 王 と 帝 国 司 教 の 間 の 新 し い 同 盟 を も 支 え う る 土 台 で あ っ た と

︑ 論 じ て い る

C.Schneider,ProphetischesSacerdotiumundheilsgeschichtlichesRegnumimDialog1073−1077.

︵1972

︶S.187.

%A.Brackmann,op.cit.,Tribur,S.221.

前 掲 拙 稿

︑﹁ カ ノ ッ サ

﹂︑ 三 十 三 ペ ー ジ 参 照

一 カノ

ッサ 事件 さら にそ の前 段階 のト リブ ール 会議 を考 える 場合

︑そ の当 事者 の一 人で ある グレ ゴリ ウス のハ イン リ ヒ への 立場 をど う見 るか が重 要に なっ てく る︒ この 点で

︑フ リー トは 既述 のよ うに これ まで 余り 利用 され なか った 史 料 を用 い︑ グレ ゴリ ウス の立 場へ の見 方の 修正 を︑ より 一層 確実 に可 能に する 方向 を開 いた と言 える ので ある

!

︒ グレ ゴリ ウス のハ イン リヒ への 立場 につ いて 先ず 強調 すべ きこ とは

︑彼 には 本質 的に ドイ ツ王 と対 決し たり 敵と な る 意図 は全 くな かっ たこ とで ある

︒彼 が一

〇七 六年 の四 旬節 会議 で王 を破 門し

︑王 の臣 下の 王へ の忠 誠解 除や 王の 罷 免

︵王 権停 止︶ を行 った のも

︑王 を永 久に 追放 し︑ 新し い王 を立 てる 全面 的な 対決 のた めで はな く︑ あく まで 王の 改 心 を求 め"

︑ 王が 彼の 考え る理 想的 な王 にな って ほし いと いう 願い から 来た もの であ った

― 7 ― カノッサ像転換の可能性&

(10)

王へ の破 門の 理由 も︑ 王の 邪悪 と見 られ た顧 問官 やミ ラノ 教会 の問 題で あっ て︑ 何か 高邁 な世 界観 や理 念の 相違 か ら 来る もの では なか った ので ある

!

︒ま た右 の四 旬節 会議 での 王へ の処 罰 に お いて

︑最 も 重 く感 じ ら れた も の は︑ 王 の 罷免 や王 への 忠誠 解除 では なく

︑王 の破 門で あっ た"

︒ 確か に︑ 四旬 節会 議 で の 王の 処 罰 の発 表 順 では

︑罷 免 や 忠 誠 解除 が破 門よ り先 に出 され てい るが

︑こ れは 最も 重要 なも の︑ 即ち 最も 人々 に衝 撃を 与え る可 能性 のあ るも のを 最 後 にも って きた ので あり

︑罷 免や 忠誠 解除 はむ しろ 破門 の結 果︑ 自然 に出 てき たも のと 見る べき もの であ ろう

#

︒ いず れに しろ グレ ゴリ ウス が王 の改 心を 本来 求め てい たよ うに

︑彼 は最 初か ら王 との 和を 重要 と考 えて いた ので あ る

︒こ れ に つい て ブ ラッ ク マ ン は︑ 彼に は 王 との 和 解 の考 え は 徐 々に 破 門 より 数 ヶ 月後 に 外 か らも た ら さ れ た も の で

︑彼 の立 場は 変化 した と見 てい るが

$

︑し かし テレ ンバ ハも 見る よう に︑ 和解 の 考 え は既 に 一

〇七 六 年 四月 の ミ ラ ノ の騎 士宛 の彼 の手 紙に 見ら れ︑ これ は彼 が最 初か らも って いた 立場 に一 致す るも ので あっ た%

︒ 彼が 根本 的に 王を 重要 な存 在と 思っ てい たこ とは

︑彼 のむ しろ 保守 的伝 統的 な秩 序観 から も来 るも ので あり

││ こ れ は皇 帝権 と法 王権 によ るこ の世 の統 治と いう 考え であ り︑ 教会 改革 もこ の両 権力 の協 力の 下で 行う こと を理 想と し て いた

&

││

︑さ らに 王の 父ハ イン リ ヒ 三世 へ の 彼 の個 人 的 な尊 敬 か らも 来 る も ので あ っ た'

︒ また 教 会 改革 の 推 進 の ため には 王と の協 力は 理想 であ るば かり か︑ 現実 的に も必 要な こと で あ っ た(

︒ 彼と 王 は 実際

︑本 来 は 改革 問 題 で 協 力し よう とし てい たの に︑ 対立 せざ るを 得な かっ た背 景に は︑ 彼と ドイ ツ 教 会 との 対 立 も関 係 し てい た し)

︑さ ら に 彼と 王と の対 立の 直接 のき っか けと なっ たの が︑ ミラ ノの 問題 であ った よう に︑ 両者 の対 立は ドイ ツよ りも イタ リ ア の問 題と も言 われ るほ どで あり

*

︑彼 はイ タリ アの 反ロ ーマ 派を 抑え るた め に も︑ 本 当は 王 の 協力 を 必 要と し て い た ので ある

+

︒そ れに ドイ ツ以 外の 他 の 国々 へ の 当 時の 彼 の 立場 も 不 安定 で あ っ た,

︒ この よ う な種 々 な 背景 を 考 え れ ば︑ 彼に とっ て王 の存 在は むし ろ重 要で あり

-

︑そ れゆ えに こそ 彼は 王に 一見 対 立 す るほ ど に 関心 を 払 い深 く 係 わ

カノッサ像転換の可能性. ― 8 ―

(11)

っ てい たの であ る!

︒ この よう な彼 の王 への 立場 は︑ ドイ ツの 反王 派︑ 特に その 急進 派と は本 質的 に異 なる もの であ った し︑ 王へ の破 門 の 本来 の目 的が 上述 のよ うな もの であ る中 で︑ この 問題 の破 門の 効果 や影 響も

︑現 在で も一 般に 相変 らず 想定 され て い るほ ど︑ 王に とっ て不 利に 働い たも ので はな かっ たの であ る"

︒ 王へ の破 門の 効果 は︑ せい ぜい この 破門 を好 機と して 利用 しよ うと する 反王 派│

│彼 らは この 破門 以前 から 元々 反 王 派で あっ た│

│が 結集 した 点で のみ

︑王 にと って 不利 にな った 程度 であ り︑ 破門 以前 から の王 の支 持者 には 殆ど 動 揺 はな かっ たの であ る︒ ベー トゲ ンも

︑司 教の 大部 分が 十月 のト リブ ール 会議 まで 不動 の忠 誠の 中で 王に 付い てい た と 見て いる ので ある

#

︒ それ どこ ろか 一般 の人 々な いし 反王 派の 中で も︑ 王へ の 破門 処 置 を疑 問 に 思っ て い る 者が か な り存 在 し た こと は

︑ グ レゴ リウ ス自 身の 手紙 から も明 らか なの であ る$

︒ ベー トゲ ンも

︑彼 の手 紙か ら 彼 の ドイ ツ で の状 況 が 悲観 的 で あ っ たこ とを 示し てい ると 見て いる ので ある

%

︒ いず れに しろ 王に 対す る反 王派 とグ レゴ リウ スの 立場 は決 して 同一 では なく

︑次 第に 王へ の対 応を めぐ って 対立 が 明 らか にな って くる ので ある

︒こ れが 明瞭 にな るの はト リブ ール 会議 にお いて であ り︑ さら にこ の会 議以 前の 動き に も 見ら れる ので ある

︒ 先ず この 会議 以前 の動 きに 関連 して

︑フ リー トが 従来 の研 究で 軽視 また は無 視さ れて きた ミラ ノの アル ヌル フの 記 述 に注 意を 向け たこ とは 注目 され る︒ フリ ート は︑ アル ヌ ルフ の 記 述は 簡 単 で僅 か な 情 報し か 伝 えて い な い もの の

︑ カ ノッ サ事 件へ の時 間的 に最 も近 い記 述で あり

︑ア ルヌ ルフ 自身 の立 場か らし て最 もこ の事 件に 近い 所に いる 者の 記 述 とし て︑ ラン ペル トや ベル トル トの 詳し い記 述よ りも

︑よ り信 頼を 置き うる と見 てい るの であ る&

― 9 ― カノッサ像転換の可能性'

(12)

フリ ート は︑ この アル ヌル フの 記述 から

︑王 の破 門後

︑反 王派 の動 きの 中で

︑ク リュ ニー 修道 院の 院長 ユー グや 王 の 母ア グネ ス︑ それ にト スカ ナ女 伯の マテ ィル デが

︑平 和と 正義 のた めに 王と 法王 と反 王派 諸侯 との アウ クス ブル ク で の全 体会 議を 可能 にす る活 動を 行っ たと し!

︑ この 企画 のた めに グレ ゴリ ウ ス を も獲 得 し︑ 遅 くと も ト リブ ー ル 会 議 以前 の夏 にこ の方 向で 活動 して いた と見 てい るの であ る"

︒ フリ ート が︑ この 三人 を王 の友 人と も呼 び︑ また アグ ネス を頂 点と する 王の 代弁 者︑ 仲裁 者と して いる こと も注 目 す べき こと であ る#

︒ この 三人 が︑ グレ ゴリ ウス が一

〇七 六年 四月 のミ ラノ の騎 士 宛 の 手紙 で 言 及し て い るか の 仲 介 人$

なの かど うか はは っき り し てい な い が︑ こ れは 十 分 あり う る こと で あ る%

︒ フ リー ト も︑ ア グネ ス が 王の 破 門 の 時 にロ ーマ にい て非 常に 早く に王 のた めに 活動 して いた らし いと 見︑ 右の 仲介 人の 一人 であ りえ たと 考え てい るの で あ る&

︒ 特に この アグ ネス につ いて は︑ フリ ート は︑ 後述 の九 月三 日の 手紙 でグ レ ゴ リ ウス が 彼 女の 役 割 を際 立 た せ て い る こと に 着 目し

'

彼 女 が 結 局は カ ノ ッサ へ 通 じて い く 協 力関 係 の 推進 力 で あ っ た と 推 論 し て い る の で あ る(

︒ 王 の ハ イン リ ヒ が母 の ア グ ネス に 宛 てた 手 紙 も︑ もし こ れ が 一〇 七 六 年の も の なら

︑こ れ は ト リブ ー ル 会 議 に 関 係 し

︑ア グネ スの 仲介 を示 して いる ので ある

)

︒ 二人 目の 仲介 者の マテ ィル デに つい ては

︑王 がマ ティ ルデ に仲 介を 依頼 して いる ドニ ツォ ーの 記述 など から フリ ー ト は︑ 彼女 はグ レゴ リウ スに 王と の和 のた めの 上述 の会 議の ため にド イツ への 旅を 促し 必要 な護 衛を 与え

︑旅 の決 定 が なさ れる 前に ロー マに 行き

︑安 全の 問題 を説 明し たと 推測 して いる

*

︒ も う一 人 の 仲介 者 ユ ーグ に つ い ても

︑フ リ ー トは

︑彼 が 既 に 四月 末 に イタ リ ア に滞 在 し︑ 使 者 を 通 し て 王 と 交 渉 し

︑ロ ーマ に行 き︑ 法王 にロ ーマ 人た ちの 反対 の意 見に 対し て王 との 和の ため にド イツ への 旅を 説得 し︑ 彼は ロー マ か ら法 王に 同伴 して 共に ロン バル ディ アに 行っ たと 見て いる ので ある

+

カノッサ像転換の可能性, ― 10 ―

(13)

フリ ート は︑ この よう な三 人の 動き は︑ 王が 既に 一〇 七六 年の 夏に 原則 的に 悔悛 と法 王と の和 の締 結へ の用 意を 示 し てい たこ と︑ トリ ブー ル会 議で 漸く 諸侯 によ って 悔悛 や法 王と の和 へと 強い られ たの では ない こと を意 味し てい る と 見て いる ので ある

!

︒こ の見 方は 非常 に重 要で

︑も しこ れが 事実 とす るな ら

︑従 来 の 一般 的 な 通説 を 覆 すも の で あ ろ う︒ この 見方 と関 連し てフ リー トは

︑法 王の ドイ ツへ の旅 の計 画も

︑こ の和 への 動き

││ 上述 の全 体会 議│

│と 関連 す る も の とし

︑こ の 旅 の計 画 は そ もそ も そ れに よ っ て始 め て 可 能 に な っ た も の と 見 て い る の で あ る"

︒ フ リ ー ト は 実 際

︑法 王の 反応 は早 かっ たと し︑ 夏の 終り には まだ 法王 は王 の欺 瞞的 な策 謀へ の警 告を 一般 向け に発 し︑ 王の 赦免 を 自 らに のみ 留保 しよ うと して いた が︑ 僅か 数日 後の 九月 三日 の手 紙で 諸侯 に対 し︑ 王が 悔悛 する なら

︑彼 を王 とし て 再 び認 める よう に求 めて いた と見 てい るの であ る#

︒ この 九月 三日 の手 紙を フ リ ー トが

︑上 述 の 三人 の 仲 介活 動 と 関 連 があ ると 推論 して いる こと も︑ この 三人 の仲 介活 動を 裏付 ける もの とも 言 え る ので あ る$

︒ た だこ の 見 方で 問 題 な の は︑ 法王 が九 月三 日の 手紙 の数 日前 まで 王の 欺瞞 を警 戒し てい たこ とは 事実 であ った にし ろ│

│こ の気 持を 表明 す る こと は︑ むし ろ法 王の

︑反 王派 への 配慮

︑表 向き は反 王派 に近 いこ とを 示す 見せ かけ の行 為と 見る べき もの であ る

│︑ 法王 は既 述の よう に王 との 和を 本来 考え てい たの であ り︑ この 手紙 にお いて 考え 方が 変化 した ので はな く︑ た だ 単に 和の 考え をは っき りと 公表 した と見 るべ きも ので あろ う︒ フリ ート は︑ こう して 法王 はか の三 人の 企て に実 際応 じる こと にな り︑ 後述 のト リブ ール 会議 から の使 者が 彼の 所 に 来た 時に は︑ 既に ドイ ツへ の旅 の準 備を して いた か︑ 出発 して いた とし

︑し かも この 旅に はか の三 人が 同伴 した と 見 てい るの であ る%

︒ この 旅 の準 備 ま た は出

&

につ い て の推 論 も︑ 従 来の 研 究 に はな い 解 釈と 言 え るの で あ る︒ フ リ ート は︑ 法 王 のド イ ツ に向 け た 二通 の 手 紙'

を こ の 旅に 関 連 する も の とし

︑こ こ で 法 王は 彼 の 旅の 決 断 を 公表 し

― 11 ― カノッサ像転換の可能性(

(14)

す べて のド イツ 人に 旅を 伝え たと し︑ これ らの 手紙 で︑ 破門 され てい る王 より の正 式の 招待 とい う点 は明 示さ れえ な か った が︑ 交渉 の中 で達 せら れた 王の 同意 を当 てに して いた と見 てい

"

︒フ リ ー トは

︑特 に 二 通目 の 手 紙を 法 王 の 自 己 理 解の 鍵 と なる 証 言 と し︑ 冒頭 の 挨 拶文 の

﹁す べ ての 罪 の 赦 し﹂ とい う 言 葉が 王 に も向 け ら れ て い る 可 能 性 を 見#

︑さ らに 同様 に冒 頭 の 文│

│﹁ 私︑

⁝使 徒 の 頭の 僕

⁝で あ り︑

⁝あ な た方 の 所 へ 行く

﹂│

│ の﹁ 私﹂

︵ego

︶と い う 珍 しい 一人 称の 表現 に着 目し

︑法 王の 上述 の会 議へ の特 別な 意識 を読 み 取 ろ うと し て いる

$

彼 は

︑法 王 の旅 の 目 的 を 平和 の再 興︑ 世界 の正 しい 秩序 の再 興で あっ たと し︑ 法王 の計 画し てい たの は﹁ 勝利 行﹂ であ り︑ それ には 王も 従 う であ ろう と期 待し てい たと 推測 して いる

%

︒ 一方

︑フ リー トは 王に つい ても

︑彼 がか の三 人の 仲介 者の 活動 が成 功し たこ とに つい ては

︑お そら く既 に九 月に 知 っ てお り︑ 十月 のト リブ ール 会議 の時 には 事情 を知 って いた と推 測し てい るの であ る&

︒ この フリ ート が推 測し 想定 する トリ ブー ル会 議以 前の 三人 の仲 介を 通し ての 王と 法王 の状 況︑ 関係 は︑ 従来 の研 究 で 想定 され てい なか った もの であ り︑ 彼の 推論 は細 かな 点で は上 述の よう に問 題点 はあ るも のの

︑十 分あ りう るも の と 考え ると

︑王 と法 王の 関係 も︑ これ まで 考え られ てい た以 上に はっ きり と和 解の 方向 に向 かっ てい たこ とを 示す の で ある

︒こ の意 味で はト リブ ール 会議 の見 方を さら に根 本的 に変 える 必要 があ るこ とを 示し てい るし

︑ト リブ ール 会 議 での 各派 の動 きを 新た な視 点で 見る 必要 があ るの であ る︒

! 注 勿 論 こ の こ と は 従 来 余 り 利 用 さ れ な か っ た 史 料 が あ る 程 度 信 用 し う る も の と い う 前 提 に 立 っ て の 上 で あ る が

︑ こ れ も 完 全 に は 立 証 し え な い た め

︑ こ の 点 で は 従 来 か ら の ラ ン ペ ル ト 等 の 史 料 も 含 め

︑ ど の 史 料 も 確 実 な も の は な く

︑ カ ノ ッ サ 事 件 に つ い て の 決 定 的 で 最 終 的 な 像 と い う も の は

︑ 依 然 と し て 不 可 能 で あ る こ と は 確 か で あ る

︒ し か し

︑ フ リ ー ト の 提 示 す る 新 た な

カノッサ像転換の可能性' ― 12 ―

(15)

カ ノ ッ サ 像 は

︑ 特 に グ レ ゴ リ ウ ス の 立 場 に つ い て は

︑ 筆 者 が こ れ ま で 見 て き た グ レ ゴ リ ウ ス 像 に 近 く

︑ ま た こ れ を 補 強 し て く れ る も の で あ る こ と は 明 ら か で あ る

!Reg.III.15.

TheEpistolaeVagantesofPopeGregoryVII.

︵ed.&tr.byH.E.J.Cowdrey.1972

︶︵ 以 下EP.

と 略 す

︒︶No.14.

こ の 手 紙 で グ レ ゴ リ ウ ス は

︑ 王 を 破 門 し た の も

︑ 慈 悲 深 く し て い て は 出 来 な か っ た の で

︑ き び し く し て 救 い の 道 に 王 を 呼 び 戻 す た め で あ っ た 旨 を 述 べ て い る

︒ ヨ ル ダ ン も

︑ グ レ ゴ リ ウ ス に と っ て 第 一 に 重 要 で あ っ た こ と は

︑ ハ イ ン リ ヒ を 再 び 教 会 に 連 れ 戻 す こ と で あ っ た と 見 て い る

K.Jordan,InvestiturstreitundfrüheStauferzeit.

︵heI.Bd.e.hticchesGnscGeutderdehndbucHat,rdbha1973

︶S.339.

"

F.Baethgen,ZurTribur−Frage.

︵DA.4.1940−41

︶S.401.

ベ ー ト ゲ ン も

︑ グ レ ゴ リ ウ ス が ハ イ ン リ ヒ に 求 め た 第 一 の も の は

︑ 顧 問 官 の 更 迭 で あ っ た と 見 て い る

R.Morghen,GregorioVIIelaRiformadellaChiesanelsecoloXI.

︵1974

︶p.138.

# 本 稿

︑﹁ は じ め に

﹂︑ 注

︑&

︑ 参 照

︒ テ レ ン バ ハ は

︑ 破 門 を 永 遠 の 救 い の 取 り 上 げ と し て

︑ グ レ ゴ リ ウ ス 自 身 は 確 実 に

︑ 最 も き び し い 脅 し と 感 じ て い た と 述 べ て い る

G.Tellenbach,DiewestlicheKirchevom10.biszumfrühen12.Jahrhundert.

︵1988

︶S.166.

$ こ の 点

︑ 一 般 に 発 表 順 序 通 り に 単 純 に 重 要 性 が 高 い と 見 て い る 研 究 者 が 多 い の は 問 題 で あ ろ う

︒ シ ュ ナ イ ダ ー も そ の 例 で

︑ 後 述 の 九 月 三 日 の グ レ ゴ リ ウ ス の 手 紙 で

︑ 彼 が 以 前 の

︑ 王 の 罷 免

│ 破 門 の 順 序 に 代 え て

︑ 破 門

│ 罷 免 と し た こ と で

︑ 彼 の 立 場 が 変 っ た と し

︑ 破 門 の 結 果 と し て の 罷 免 を 導 き 出 し た と 見

︑ 王 は こ の 結 果

︑ 赦 免 が 王 位 の 回 復 を も た ら す こ と を 希 望 し え た と 見 て い る の は 問 題 で あ ろ う

︒ 法 王 は

︑ こ の 時 に は じ め て そ の 立 場 を 変 え た の で は な い

C.Schneider,op.cit.,S.185−186.

%A.Brackmann,op.cit.,Tribur,S.193−194.

A.Brackmann,op.cit.,Heinrich,S.179−180,160.

も っ と も ブ ラ ッ ク マ ン は 一 方 で

︑ 王 の 破 門 か ら ト リ ブ ー ル 会 議 ま で の 法 王 の 手 紙 で 最 も 重 要 な テ ー マ は

︑﹁ 王 と の 和 を 結 ぶ

― 13 ― カノッサ像転換の可能性'

(16)

こ と

﹂ の 問 題 で あ っ た と も 述 べ て い る

"

G.Tellenbach,ZwischenWormsundCanossa.

︵1066/77

︶︵CW

︶S.231.Reg.III.15.

前 注

︑!

︑ 参 照

︒ ベ ー ト ゲ ン も 同 様 に

︑ 和 解 の 考 え は グ レ ゴ リ ウ ス 自 身 が 最 初 か ら も っ て い た 立 場 に 一 致 す る と 見

︑ 王 へ の 破 門 後 の ど こ に も 法 王 が

︑ 王 と の 決 裂 を 最 終 的 で い や し 難 い も の と

︑ 見 て い る こ と を 示 す と こ ろ は な い と 述 べ て い る

F.Baethgen,op.cit.,S.397.

#Reg.I.19.IV.I.Ep.No.14.

前 掲 拙 稿

︑﹁ ト リ ブ ー ル 会 議

﹂︑ ,︑ 十 一 ペ ー ジ

︒ 同

︑-

︑ 一 ペ ー ジ

︑ 参 照

F.Baethgen,op.cit.,S.400.

$ibid,S.400.Reg.I.19.IV.3.

拙 稿

︑﹁ ハ イ ン リ ヒ 四 世 と 教 会

﹂︑ ,︑

︵ 人 文 学

︑ 第 百 五 十 九 号

︑ 平 成 八 年

︶︑ 二 十 六 ペ ー ジ

%F.Baethgen,op.cit.,S.400.

参 照

Reg.II.30,31.

前 掲 拙 稿

︑﹁ ハ イ ン リ ヒ 四 世

﹂︑ 二 十 六

〜 二 十 七 ペ ー ジ

︒ 拙 稿

︑﹁ 一

〇 七 三 年

〜 一

〇 七 五 年 に お け る グ レ ゴ リ ウ ス 七 世 の

﹃ こ の 世

﹄ 観

﹂︑

︵ 文 化 史 学

︑ 第 三 十 一 号

︑ 昭 和 五 十 年

︶︑ 十 三 ペ ー ジ

&

前 掲 拙 稿

︑﹁ ハ イ ン リ ヒ 四 世 に つ い て

﹂︑ 四 十 四

〜 四 十 五 ペ ー ジ

︒ 前 掲 拙 稿

︑﹁ ハ イ ン リ ヒ 四 世

﹂︑ 十 一

〜 十 二

︑ 二 十 五 ペ ー ジ

︒ 'H.Beumann,Tribur,RomundCanossa.

︵InvestiturstreitundReichsverfassung,hg.v.J.Fleckenstein,1973

︶S.59.

(ibid,S.60.

)A.Brackmann,op.cit.,Tribur,S.196−197.

* ベ ー ト ゲ ン は

︑ グ レ ゴ リ ウ ス は カ ノ ッ サ 後 に ハ イ ン リ ヒ と 再 び 問 題 が 起 っ た 時 で も

︑ 王 と の 最 終 的 な 決 裂 を 出 来 る 限 り 避 け よ う と し て い た と 述 べ て い る

F.Baethgen,op.cit.,S.400.

+ グ レ ゴ リ ウ ス は 法 王 就 任 初 期 か ら

︑ ま だ ハ イ ン リ ヒ と は 事 実 上 の 対 立 状 況 の 中 に あ っ て も

︑ 王 に 対 し

﹁ 子 供 じ み た 行 い を 捨 て て 聖 な る 王 の 手 本

﹂ を ま ね る よ う に 求 め た り

︑ 王 に

﹁ 信 仰 あ る 人 々

﹂ を 送 り

︑ 彼 ら の 忠 告 で 王 を

﹁ 帝 国 を 受 け る に ふ さ わ

カノッサ像転換の可能性, ― 14 ―

(17)

し い

﹂ 人 物 に 鍛 え あ げ る こ と が 彼 の 願 い で あ る と 述 べ る な ど

︑ ま る で 父 が 子 に 対 す る よ う に 人 一 倍 深 く 王 に 関 心 を 払 っ て い た の で あ る

︒ 彼 が こ の よ う な 強 い 期 待 や 好 意 を も っ て い る か ら こ そ

︑ 王 へ の き び し い 批 判 や 警 告 が 出 て き た の で あ る

Reg.I.24.I.11.

! 例 え ば シ ュ ナ イ ト ミ ュ ラ ー は

︑ 王 の 支 配 は 一

〇 七 六 年 の 数 ヶ 月 の う ち に 打 ち 破 れ た と 見

︑ ヴ ァ イ ン フ ル タ ー も

︑ 王 側 の 団 結 は 数 ヶ 月 で 崩 れ た と 見 て い る

B.Schneidmüller,op.cit.,S.36.

S.Weinfurter,DasReichimMittelalter.

︵2008 J.Laudage,op.cit.,S.75. ︶S.93−94.

ブ ラ ッ ク マ ン は

︑ 一 月 の ヴ ォ ル ム ス 会 議 の 決 議 も

︑ 一 部 は

﹁ 強 制

﹂ さ れ た も の と し て

︑ 既 に こ の 時 点 で 司 教 の 間 に 一 致 が な か っ た か の よ う に 見 る の は

︑ 反 王 派 の 年 代 記 の 歪 曲 と 見 て い る

A.Brackmann,op.cit.,Heinrich,S.169−170.Anm.5.

"

F.Baethgen,op.cit.,S.397,399−400.

C.Erdmann,TriburundRom.ZurVorgeschichtederCanossafahrt.

︵CW

︶S.109.

シ ュ ナ イ ダ ー も

︑ こ の ベ ー ト ゲ ン の 論 を 支 持 し

︑ ト リ ブ ー ル 会 議 に 至 る ま で 王 の 状 況 は

︑ 二 月

︑ 三 月 以 来 大 体 に お い て 変 化 せ ず

︑ 安 定 し て い た と 見 て い る

︒ ク ノ ー ナ ウ も

︑ 王 か ら の 離 反 が 広 が り つ つ あ る と 述 べ る 一 方

︑ ト リ ブ ー ル 会 議 に 対 し

︑ 王 は 少 な か ら ぬ 支 持 者 を も っ て 脅 し の 態 度 を と り う る と 考 え て い た と 見

︑ さ ら に ト リ ブ ー ル 会 議 後 も 反 王 派 は

︑ 王 が な お 大 胆 に 行 動 し 防 御 力 が あ る と 見 て い た と 述 べ て い る

C.Schneider,op.cit.,S.188.M.v.K.II.S.728,730,735.

テ レ ン バ ハ も

︑ ヴ ォ ル ム ス 市 民 は じ め

︑ 貴 族 の 中 に も な お か な り の 王 の 支 持 者 が い た こ と を 挙 げ

︑ ブ ラ ッ ク マ ン も

︑ ト リ ブ ー ル で も 司 教 の 最 大 部 分 が 依 然 と し て 王 側 に い た と 見 て い る

G.Tellenbach,op.cit.,zwischen,S.237.A.Brackmann,op.cit.,Heinrich,S.180.

#A.S,riburT.,citop.nn,kmaacBrS.166.A.h,iceinrH.,citop.nn,kmaacBr.204.

C.Schneider,op.cit.,S.194−195.M.v.K.II.S.731.

Ep.No.14.p.33.Reg.IV.2,IV.3.

― 15 ― カノッサ像転換の可能性$

(18)

前 掲 拙 稿

︑﹁ ハ イ ン リ ヒ 四 世 に つ い て

﹂︑ 五 十 九

〜 六 十 ペ ー ジ

!F.Baethgen,op.cit.,S.396.

グ レ ゴ リ ウ ス が

︑ ド イ ツ 司 教 た ち に 王 を 勝 手 に 破 門 か ら 赦 免 し な い よ う に 求 め て い る の も

︑ 彼 の 不 安 を 示 し て い る

Reg.IV.II.IV.III.A.Brackmann,op.cit.,Heinrich,S.166,188.Anm.1.

ベ ー ト ゲ ン は さ ら に

︑ か の

﹁ 断 片

﹂ が 法 王 の 支 持 者 が 少 な い と 言 っ て い る こ と に 注 目 し

︑ 法 王 の 立 場 の 疑 い え な い 弱 さ を 見 て い る

︒ エ ア ト マ ン も こ れ に 注 目 し て い る

FR.S.188.

F.Baethgen,op.cit.,S.397.C.Erdmann,op.cit.,Tribur,S.109.Anm.64.

"

J.F.S.178.

フ リ ー ト は

︑ ア ル ヌ ル フ の 記 述 は

︑ カ ノ ッ サ 事 件 に つ い て グ レ ゴ リ ウ ス の 手 紙

︵Reg.IV.12

︶ に つ い で 古 い も の で

︑ 最 も 古 い 証 言 を 提 供 し

︑ 彼 の 情 報 は 時 期 的 に 近 く

︑ 直 接 カ ノ ッ サ に 由 来 す る こ と

︑ カ ノ ッ サ で 彼 は お そ ら く な お 一

〇 七 七 年 に ミ ラ ノ の 使 節 の 一 員 と し て

︑ そ の 情 報 を 手 に 入 れ え た こ と

︑ さ ら に は 彼 は カ ノ ッ サ の 出 来 事 の 目 撃 証 言 者 で あ っ た 可 能 性 も 見 て い る

︒ フ リ ー ト は

︑ ア ル ヌ ル フ の こ の 価 値 が 従 来

︑ 完 全 に 過 小 評 価 さ れ て き た と 批 判 し て い る

J.F.S.86−87.ArnulfvonMailand,Libergestorumrecentium.

︵hg.v.C.Zey,1994.

︶︵ 以 下AR と 略 す

︒︶

#J.F.S.178.Anm.92.

ア ル ヌ ル フ は

︑ こ の 間

︑ ユ ー グ

︑ ア グ ネ ス

︑ マ テ ィ ル デ の 協 議 で も っ て

︑ 全 体 会 議 を 彼 ら と 王 と 法 王 と の 間 で 平 和 と 正 義 の た め に 行 う こ と を 決 め た と 伝 え て い る

AR.S.228.

こ の 会 議 を こ の ア ル ヌ ル フ の 作 品 の 編 者 が 一

〇 七 七 年 二 月 頃 に 予 定 さ れ た ア ウ ク ス ブ ル ク 会 議 と 見 て い る の は 問 題 で あ ろ う

ibid,S.228.Anm.67.

既 に ブ ル ス ト

テ ィ ー レ も

︑ こ の ア ル ヌ ル フ の 記 事 を 利 用 し

︑ ト リ ブ ー ル 会 議 の こ ろ に ド イ ツ の 諸 侯 が

︑ ア グ ネ ス に 王 と 彼 ら の 間 の 仲 介 を 頼 ん だ と 見 て い る

M.L.Bulst−Thiele,KaiserinAgnes.

︵1933,1972

︶S.102.Anm.1.

ア ル ヌ ル フ の 作 品 の 編 者 も

︑ カ ノ ッ サ 以 前 の ア グ ネ ス の 文 書 を 通 し て の 仲 介 を

︑ ブ ル ス ト

テ ィ ー レ も 信 じ て い る と 見 て い る

AR.S.228.Anm.65.

$J.F.S.178−179.

フ リ ー ト は

︑ こ の 活 動 は 反 王 派 諸 侯 の 行 動 と 平 行 し て か

︑ ま た は 独 自 に 行 わ れ た も の で

︑ さ し あ た り 反 王 派 の 知 ら な い 中 で 行 わ れ た も の で あ っ た と 見 て い る

︒ 一 方

︑ 諸 侯 派 の 史 料 で あ る ラ ン ペ ル ト や ブ ル ー ノ 等 は

︑ 後 か ら の 情 報

カノッサ像転換の可能性% ― 16 ―

(19)

に よ っ て 記 述 し

︑ よ う や く カ ノ ッ サ 後 に な っ て

︑ か の 三 人 の 活 動 に つ い て 報 告 し て い る と

︑ フ リ ー ト は 論 じ て い る

J.F.S.179.Anm.93.

!J.F.S.179.Anm.93.

"

Reg.III.15.

グ レ ゴ リ ウ ス は

︑ こ こ で

﹁ あ る 人 々 が ド イ ツ の 王 と 和 を 結 ぶ こ と に つ い て す で に 何 度 も 私 に 質 問 し て き ま し た

﹂ と 述 べ て い る

# 但 し

︑ ブ ラ ッ ク マ ン の 場 合 は

︑﹁ ド イ ツ の 有 力 者

︑ 諸 侯

﹂ と 見 て い る

︒A.Brackmann,op.cit.,Tribur,S.194.

$J.F.S.179.Anm.93.

ア グ ネ ス は

︑ 一

〇 七 六 年 に お い て 通 例 ロ ー マ に

︑ グ レ ゴ リ ウ ス の 近 く に 滞 在 し て い た

J.F.S.179―180.

%Reg.IV.3.

こ の 手 紙 で グ レ ゴ リ ウ ス は

︑ ア グ ネ ス の 敬 虔 さ や

︑ ハ イ ン リ ヒ 四 世 が 早 く 亡 く な る 場 合 に は

︑ 後 継 の 王 に つ い て ア グ ネ ス の 意 見 を 聞 く こ と

︑ さ ら に 新 し い 王 の 候 補 者 の 選 択 に お い て ア グ ネ ス は

︑ 彼 と と も に 関 与 す べ き こ と を 主 張 し て い る

&

J.F.S.179−180.

'DieBriefeHeinrichsIV.

︵hiII.XBd.AQ.IV.hsricinHeriseKatechscübeScrsetztv.F.J.hmaGele.Quellenzur1974

Nr.15.S.72−75.

こ の 手 紙 に は

︑ 一

〇 七 四 年 説 も あ る

C.Erdmann,op.cit.,S.116−117.Anm.78.

(J.F.S.180.

但 し フ リ ー ト は グ レ ゴ リ ウ ス の 手 紙

︵Ep.No.19.p.50−53.

︶ に

︑ こ の 旅 の 促 し に つ い て の 言 及 が あ る と す る が

︑ そ れ は 非 常 に 簡 単 な 言 葉 だ け で

︑ こ の 関 連 性 は 不 十 分 で あ る

DonizonisVitaMathildis.

︵MGH.SS.XII

︶II.S.381.

)J.F.S.180.

ヴ ァ イ ン フ ル タ ー も

︑ こ の ユ ー グ の 早 く か ら の 仲 介 活 動 に 注 目 し て い る

S.Weinfurter,op.cit.,Canossa,S.10.

*J.F.S.179.

+J.F.S.179.

,J.F.S.179.Ep.No.15.p.42−43.

こ の 手 紙 は

︑ 八 月 二 十 九 日 付 の も の で あ る

A.Brackmann,op.cit.,Heinrich,S.180.Anm.1.

― 17 ― カノッサ像転換の可能性-

(20)

し か し 一 方 グ レ ゴ リ ウ ス は こ の 八 月 の 手 紙 で

︑ 王 が

﹁ 我 々 を お 互 い に 分 裂 さ せ

︑ 彼 の 欺 瞞 で 我 々 を だ ま そ う と 出 来 る 限 り 努 力 し て い る

﹂ と 述 べ て い る も の の

︑ 王 の 赦 免 に つ い て は

︑﹁ 王 の 償 罪 と 悔 悛 が 伝 え ら れ な い 限 り

﹂ は と い う 条 件 を つ け て

︑ む し ろ 逆 に

﹁ 償 罪 と 悔 悛

﹂ で 赦 免 の 可 能 性 の あ る こ と を 暗 に 認 め て い る の で あ る

Reg.IV.3.

#J.F.S.179.

$J.F.S.180−181.

但 し

︑ ア グ ネ ス は 旅 の 途 中 で 同 行 を 中 止 し た と

︑ フ リ ー ト は 推 測 し て い る

︒J.F.S.181.Anm.99.

% グ レ ゴ リ ウ ス が 既 に ド イ ツ か ら の 使 者 が 来 た 時 に は 旅 に 出 発 し て い た と い う フ リ ー ト の 論 は

︑ 後 述 の ド イ ツ 側 と 法 王 と の 交 渉 か ら 見 て 少 し 問 題 が あ ろ う

&

Ep.No.17,18.

こ の 二 つ の 手 紙 を 編 者 の カ ウ ド リ ー は

︑ 一

〇 七 六 年 十 二 月 頃 の も の と 推 測 し て い る

︒ 'J.F.S.180.

(J.F.S.180−181.

)J.F.S.181.

*J.F.S.181.

+J.F.S.181.

ブ ラ ッ ク マ ン も

︑ ハ イ ン リ ヒ は 遅 く と も 九 月 三 日 の 手 紙 以 来

︑ 法 王 が 可 能 な 限 り 新 王 選 挙 を 避 け

︑ 彼 が 赦 免 へ の 願 い を 表 明 す れ ば

︑ 彼 に 好 意 を 示 す 用 意 が 非 常 に あ る こ と を 知 っ て い た と 見 て い る

A.Brackmann,op.cit.,Heinrich,S.187.

二 トリ

ブー ル会 議は

︑王 の運 命の 転換 点で ある ばか りか

︑王 の政 治や 性格 の 判 断 への 重 要 な要 点 で ある と さ れ!

︑ こ の 会議 につ いて の判 断は カノ ッサ への 判断 に関 係し てい る"

︒ さら にカ ノッ サや 一

〇 七 六年 一 月 のヴ ォ ル ムス 会 議 の こ とに は余 り核 心を つい た意 見の 相違 がな いよ うに 思わ れる のに

︑真 の違 いの ある のは

︑ト リブ ール 会議 につ いて で

カノッサ像転換の可能性, ― 18 ―

(21)

あ ると さえ 言わ れて きた よう に!

︑ この 会議 への 評価 の如 何が 重要 にな って くる ので ある

︒ 前章 で見 た王 や法 王︑ 三人 の仲 介者 の動 きの 中で

︑反 王派 が本 来企 画し たこ のト リブ ール 会議 を考 察す る場 合︑ 先 ず 注意 すべ きこ とは

︑こ の会 議の 状況 が︑ トリ ブー ルの ライ ン川 対岸 に位 置す るオ ッペ ンハ イム に陣 取っ た王 とそ の 支 持 派 と︑ トリ ブ ー ルに 集 合 し た反 王 派 の︑ この 二 派 に よ る 単 純 な 対 立 の 構 図 で は な く"

︑一 方 の 反 王 派 と い っ て も

︑急 進派 と穏 健派 に分 かれ

#

︑さ らに トリ ブー ルに は法 王の 使節 も や っ て来 て い た︒ 即ち 少 な くと も

︑王 派

︑法 王 使 節と 反王 派の 中の 急進 派と 穏健 派の 四つ の派 があ った こと であ る$

︒ 急進 派 が

︑王 を 廃位 し 新 王の 選 挙 を求 め る の に 対し

︑穏 健派 は︑ 王を 屈服 させ よう とす るが

︑王 とし ては 認め よう とす る 立 場 であ

%

︒さ ら にこ の 穏 健派 の 中 に は

︑一 応は 反王 派の 中に 入れ られ ても

︑は っき りと 王に 友好 的な 者も いた と 見 る 見方 も あ るの で あ る&

︒ この 場 合 な ら 穏健 派は さら に二 派に 分れ るこ とに なろ う︒ また 反王 派の 中に は︑ 急進 派と か穏 健派 とか の区 別の 他に

︑個 人的 な 対 立 や グル ー プ 間の 対 立 も あっ た

︒例 え ばオ ッ ト・ フ ォン

・ノ ル ト ハ イム と 彼 のバ イ エ ルン 大 公 権 を 以 前 に 奪 っ た 人 々の 間は 決し て一 枚岩 では なか った

'

︒ザ クセ ン人 とシ ュヴ ァー ベン 人は

︑両 者 が 戦 った ホ ン ブル ク で の戦 い か ら ま だ一 年も 経っ てい なか った

(

︒そ れに 新王 の人 選に つい ても 対立 があ り︑ その 有 力 候 補者 で あ るシ ュ ヴ ァー ベ ン 大 公 ルー ドル フと オッ ト・ フォ ン・ ノル トハ イム の王 位を めぐ る競 争︑ 妬み も強 くな って いた

)

︒ この よう な複 雑な 関係 の中 で︑ 前章 で見 たよ うな 王と 法王 の和 解へ の動 きが

︑こ の会 議以 前か ら始 って いた と見 る な ら︑ この 会議 が本 来は 急進 派を 中心 とし た新 王選 挙へ の動 きが きっ かけ で始 った とは いえ

︑従 来の 研究 で想 定さ れ た より もさ らに 別の 動き

︑あ るい はむ しろ 従来 の研 究で ごく 断片 的に 主張 され てい た動 き︑ つま り和 解へ の方 向が 一 層 はっ きり と見 えて くる ので ある

︒ 例え ばト リブ ール 会議 以前 に︑ 一月 のヴ ォル ムス 会議 後に 既に 王か ら離 れ︑ 法王 側な いし 反王 派に 移っ たか のよ う

― 19 ― カノッサ像転換の可能性*

(22)

に 見え る幾 人か の司 教に つい ても

︑つ とに テレ ンバ ハは

︑彼 らは それ によ って 王の 敵に なら なか った とし

︑そ の顕 著 な 例と して トリ ーア 大司 教ウ ード を挙 げ︑ 彼は ラン ペル トの 記述 から も破 門さ れて いる 王と 話を する こと を許 され た と 見て いる し︑ これ らの 人々 は王 を正 しい 道に 戻し

︑王 と反 王派 の間 の仲 介を しよ うと して いた こと は確 かと して い る!

︒彼 らは

︑王 から の離 反の ため とい うよ りも

︑王 と法 王な いし 反王 派 と の 仲介

︑和 解 に 働く た め に︑ むし ろ 先 ず 法 王と 和解 した とい うの が︑ その 真相 に近 いの であ る"

︒ この ウー ドに つい ては

︑今 日で も一 般的 に︑ 穏健 派の 指導 者で ある とか

︑あ るい は王 への 変ら ぬ忠 誠心 をも って い た こと とか が認 めら れて いる

#

︒テ レン バハ など はウ ード を︑ 和を 回復 し王 を救 お う と した は っ きり と 王 に友 好 的 な グ ルー プが 存在 する 中で

︑そ の指 導者 と見 てい るほ どで ある

$

︒ハ ラー も

︑ウ ー ド は家 系 も 王に 近 く︑ 王 は彼 を よ く 信 頼 し てい た し︑ ウ ード は 法 王 との 和 解 後︑ ロー マ か ら法 王 の 使 者と し て ドイ ツ に 戻り

︑王 を 和 解 に 戻 ら せ よ う と し

︑オ ッペ ンハ イム で王 に会 い︑ 出来 る限 り王 に仕 えた よう に︑ 彼は 結局 仲介 者を 買っ て出 よう とし たと 見て いる の で ある

%

︒こ れら さま ざま なウ ード への 見方 には 多少 の相 違は ある もの の

︑そ れ は やは り 全 体と し て は︑ 彼が 単 純 に 反 王派 や法 王派 に移 った ので はな く︑ 彼の 行動 が仲 介者 とし て活 動す るた めで あっ たこ とを 強く 示唆 して いる ので あ る&

こ ︒ の 彼と よく 似た 動き や立 場を 示し てい ると 見る べき もの が'

︑ 年代 記者 のベ ル ト ル トが ト リ ブー ル 会 議の 期 間 中 に 王か ら離 れ︑ 法王 と和 解し

︑反 王派 に移 った と伝 える 九人 の司 教の こと で あ る(

︒ こ の記 述 が そも そ も 事実 で あ る の かど うか の問 題も あ る が)

︑ ハラ ー は こ れを 事 実 とし

︑王 の 力 がこ の 離 反 で崩 れ た と見 て い る*

︒ ハラ ー は

︑こ う し て王 は反 王派 や法 王に 譲歩 し降 伏し たと 見+

︑ 今日 でも ロビ ンソ ンも

︑司 教 ら の この 法 王 への 服 従 が︑ 王の 譲 歩 の き っか けと なっ たと 主張 して いる

,

カノッサ像転換の可能性- ― 20 ―

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